終焉への序曲



「このままだと、君の愛するあの少女は……邪神の生贄にされてしまう」

戦士風の男が語る言葉に、食物繊維は息を呑んだ。

「あの少女と結婚させられる、平民服の少年もそうだ。
あの二人の結婚は……ただ、邪神に利益をもたらすものに他ならない」

「そんな……彼女は、そのことを知ってるの!?」

「今の彼女にそのことを伝えてもムダだ。彼女はすでに邪神の瘴気に侵されている。
邪神にとって都合の悪いことは、全て歪曲されて理解されてしまうんだ」

「……それじゃ、僕が平民服の人に成り代わっても、何にも意味ないじゃない!」

悲鳴に近い嘆きを挙げる食物繊維。しかし男は平然とした様子のまま言葉を続ける。

「心配は要らない。君が本当のあの少女を心から愛しているのなら、ね」

ニヤリと笑う男。

「人間はとても弱い。けれど、そんな人間でも時に神をも凌ぐ力を出すことがある」

「それは……?」

「『愛』だよ」

事もなげに言う男。

「いつも人が強大な存在に打ち勝つとき、そこには『愛』があった。
母子愛、男女愛、形はさまざまだけど……例外なく、『愛』だ」

「……愛……」

「もし、君の彼女への愛が邪神の力に勝るほどのものなら
彼女の目を覚まし、邪神の手から救うことが出来るはずだよ」

「……」

これは試練だ、と食物繊維は思った。
これから彼は、邪神に勝たなければならないのだ。

出来るだろうか、自分に。
自分の彼女への想いは、本当に邪神の力をも凌ぐほどのものなのだろうか。

「もう後には引けないよ。
君は俺と契約を交わした。君がどんなに嫌がっても、それは果たされなければならない」

「……」

「さぁ、君とあの少年の魂を入れ替えるよ。
後は君次第だ。せいぜい上手くやることだね」

「! ……」

男の口から呪文が紡がれると同時に、食物繊維は自分の意識が遠くなっていくのを感じた。
……自分は果たして、どうなるのだろうか。
邪神に勝てるのだろうか。
そんなことを考えながら、食物繊維の意識は完全に闇に沈んだ。



「……そう、人が神に勝つことは非常に難しい」

大地に崩れ落ちた食物繊維の身体を前に、男は呟いた。

「君や彼女の愛が、果たして邪神に勝つことが出来るか……のんびりと見させてもらうよ」

そして、男は食物繊維の身体に向け、何かを放り投げた。
淡く光を放つ球状のそれは、物質的なものではないように見えた。

音もなく食物繊維の身体へ吸い込まれる光。と同時に、食物繊維が目を開いた。

「……気分は、どうだい?」

「……決していいもんじゃないな、他人の身体なんて」

ぶっきらぼうに吐き捨てる食物繊維。
ぎこちない動きでよろよろと立ち上がる。

「この世界が終わるまでの、わずか一日だ。我慢するんだね」

「……シャツとダガーはないのか? あと、青靴も」

「買えばいい」

「他人の金だぜ?」

「その体だって、一応魔術師を極めた者だ。その程度のはした金、全く意に介さないさ」

「……」

腑に落ちないといった表情の食物繊維。
いや……食物繊維の身体に入った、平民服の少年というべきか。

「とにかく、今君がすべきことは、とにかく逃げることだ。
その身体のまま世界が破滅する日を迎えることが出来れば、邪神が降臨することは防げるからね」

「……アンタは何なんだ?」

少年の食いつくような疑問符。

「人の魂を入れ替えるだとか、普通の人間に出来るはずがない。
一体アンタは誰だ。何が目的でオレやこの体の持ち主に近づいたんだ?」

「邪神の降臨を望ましく思わない者。それじゃダメかい?」

「……」

「納得してもらえないなぁ……まぁいいや。早く行きなよ。
うかうかしてると、その体の知り合いに見つかっちゃうよ」

「……」

無言のまま男に背を向け、走り去る平民服の少年。

「そう、君が明日まで逃げ切れば、少なくとも君は邪神からは救われる。
邪神からは、ね……」

だんだん小さくなるその背中を見つめながら、男は笑った。



 

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