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- テトリシジミ -




画像: 伊月の産地にて
撮影:1976年3月28日

採集地:福井県大野郡和泉村貝皿・伊月・後野
採集日:1976年〜1978年
採集化石:アンモナイト・テトリシジミ・植物
時代:ジュラ紀〜白亜紀

 私たちが和泉村に中生代の化石が産出しているのを知ったのは偶然だった。当時九頭竜湖の湖畔に水石店があり、そこに羊歯の化石が売っていたのだ。私たちは少なからぬ金額でそれを購入し、産地を教えてもらったのだ。それは後野という場所の河原だという。私たちはさっそく出かけてみることにした。
 出かけたのは3月でまだ雪が残っている状態で、大変寒かった記憶がある。地図に書いてもらった場所で転石を割るが植物化石はなかなか見つからない。辛うじて父が砂岩に含まれる保存の悪い羊歯を見つけたが、購入した頁岩に含まれる良好なものは得られなかった。そこで、もう少し先に移動したところ、道路脇に露頭があるので探して見ることにした。砂岩に挟まれた薄い層からやはり保存が悪い植物化石が出た。私は夢中になって採集したが、父は興味がないようで、斜面に積もった雪の上に登っていき、そこから滑り台のように滑り降りて遊んでいる。全く無邪気な父親だ。
 結局ここでも良い状態のものが出ず、次に伊月という産地に出かけてみた。ここからは、テトリシジミという二枚貝が見つかるという。道路のすぐ下の河岸に頁岩や砂岩などの転石が落ちているのを見つけ、化石がないかと探して見ると、すぐに頁岩にテトリシジミが入っているのが確認できた。テトリシジミは密集しており、いくらでも見つかった。個体で分離するものもあり、内側を確認できるものさえ出てきた。他にメラノイデスというカワニナの一種も共産し、砂岩からはカキの密集したものも見つかった。しかし、カキは断面のみで、全く分離しなかった。私たちはこれらを夢中で採集し、満足して帰途へついた。
 後日、貝皿という場所からアンモナイトが産出することを知り、再び採集に出かけた。産地が良く分からなかったので、地元の方に尋ねると沢から「菊石」が出るという。菊石=アンモナイトのことだと分かった私たちは、林道に沿って流れる沢を遡りながら転石を割って行った。まもなく、父がアンモナイトの破片を見つけた。その石には流木が含まれている。私は「流木の含まれる石にアンモがいるな」と思い、目標をそれに定めた。沢をかなり登ったところで、一息ついているとヤブの中から「ガサゴソ」と音がした。私も父も飛び上がった。先ほど産地を尋ねた人から「マムシが出るから気をつけるように」と言われていたのだ。しかし、それはシマヘビだった。でも、私も父もヘビが大嫌いだ。すごすごとその場を退散し、ヘビがいそうもない沢に入ることにした。そこは、ズリが沢山落ちており、いかにもアンモナイトが出そうな匂いがした。そこで、流木の含まれる石を探したところ、小さな岩片が見つかった。見ると小さいながら渦を巻いたアンモナイトが入っていた。私は狂喜乱舞した。それが、私が見つけた初めてのアンモナイトだった。そうなるともっとないかと欲が出る。必死になって探すが、結局見つけることが出来なかった。
ここは、不思議なことに他の貝類などの化石を全く見ることがなかった。荘川村などでは、二枚貝などが豊富に出るのだが「堆積した環境が違うのだろうかなど」と父と話し合ったりしたものだ。
 まだ、時間があったので、伊月にも出かけてみた。そのときは偶然、道路脇を工事しており、新鮮な石が沢山落ちていた。父は工事現場から出た石からテトリシジミの密集層と以前の採集の時に見つけられなかった、巻貝を見つけた。私も河岸で「もういいや!」と言うほどテトリシジミを採集した。

最近もこの付近に採集に出かけたことがあるが、産地の状況が大きく変わり思うように採集できなくなってきている。やはり「化石は採れる時に採る」が鉄則なのだろうか?




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