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- 新発見?の産地 -




画像: 追ヶ谷採集風景
撮影:1976年4月11日

採集地:岐阜県山県郡美山町追ヶ谷
採集日:1975年〜1976年
採集化石:ベレロフォン他、貝類
時代:ペルム紀

  ある日、父が会社から一塊の石を持って帰ってきた。見ると風化した巻貝の化石の断面がいくつも浮き出ているではないか。私は驚いた。それはまぎれもなくベレロフォンの化石だった。ベレロフォンは原始腹足目に属する古いタイプの巻貝で、石炭紀から三畳紀まで栄えた。金生山からは、大型のベレロフォンが産出することで有名だが、その当時、私たちはまだそれを採集したことがなかった。私は興奮してこの化石の出所を問いた。父の言うには、私たち親子が化石が好きだと聞いて、父の会社の同僚のHさんが自分の故郷の岐阜県美並村で拾ったものを、わざわざ持ってきてくれたというのだ。地元では「デンデンムシが石にくっついたもの」だと言われていて、Hさんも化石かどうか分からないと言っていたそうだ。

 私は、隣村の根尾村に菊花石を購入するために出かけたことがあったが、その近辺から化石が出ているという情報は当時持っていなかった。「これは新発見の産地だ!」と私は勝手に思いこんだ。私はどうしてもその現場に行きたかった。しかし、Hさんの話によると、かなり山奥まで歩かなければならないということなので、子供の私には無理なように思えた。そこで、とりあえずHさんの案内で父が偵察に行くことになった。

 父はリュックに20Kgもの石を積んで帰ってきた。「もっとあったんだけど、持って帰れなくて...」父の顔には疲労の色が浮かんでいたが、しかし、顔はほころんでいた。さっそく中をみると風化した石灰岩に、たくさんの貝類の化石が入っていた。ベレロフォンの他に、搭状に巻いた巻貝、ツノガイなどが密集していた。これらは金生山から産出している化石に似ているような気がした。しかし不思議なことにこれらの化石は、どれも個体では露出せず全て断面だった。金生山では、これだけ風化しているなら個体で出てくるのだが...
そこで、加熱冷却処理をしてみることにした。しかし、これが全くと言っていいほど分離しなかった。酸処理もしてみたがこれもダメ。どうやらここの化石は断面しか得られないようだ。しかたなく、風化していない面を父に研磨をしてもらい、保管することにした。

 それにしても、これらの貝類では時代が特定できない。金生山から出ている貝類に似ていることから、ペルム紀だろうと思ったが確証がない。時代を決めるには古生代後期の示準化石であるフズリナ類を見つける必要がある。私は父にその旨を告げると、「それなら、行けるところまで行ってみよう」ということになった。

 今回はHさんの案内なしで、父と二人での採集となった。産地の入り口は追ヶ谷という場所だった。車はそこまでで、ここから徒歩になる。リュックを背負い父の後をついていく。実はこの付近はイノシシが出るというので内心ビクビクしながら歩を進めた。しかし、人里離れたこの付近は、きれいな清流が流れ、景色を見ているだけで心が和んでいき、やがて恐怖心は薄らいでいった。しばらくすると、父が道が分からなくなったという。確かにそれまで人一人が通れるくらいの道があったのだが、突然なくなってしまっている。産地までは近くまで来ているようで、私たちがいる山の反対側の斜面には、写真で見た化石が産出したという枯れ沢が見えている。無理をすれば行けないことはないように思ったが、父はこれ以上進むことを断念すると私に告げた。父は若い時に登山経験があり、おそらく山の怖さを知っていたのだろう。小学生の私を連れて採集するときは、父は決して無理なことはしなかった。私は素直に父に従うことにした。

 しかし、ここまで来て何も採集しないのでは、心残りだ。幸いなことに近辺の沢に石灰岩の転石が落ちており、それを調べてみることにした。すると、ベレロフォンの入った石灰岩がすぐに見つかった。この辺りでも採集できそうだ。そこで、早速フズリナを探し始めた。前回、父が持ち帰った黒色石灰岩には見当たらなかったので、違うタイプの石灰岩を探してみるとピンク色をした石灰岩にフズリナが入っていることが確認できた。これで少なくとも後期古生代であることは間違いなさそうだ。この結果に満足して私たちは帰途につくとことにした。

 余談だが、Hさんはこのことがきっかけとなって化石に興味を持ち、現在も精力的に採集活動されているとの事である。



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