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神田家住宅洋館 再生保存計画

□歴史背景

加古川本町地区は寺家町と一体となって、江戸時代より明石城下と姫路城下の中間地点に位置する宿場町として栄えて来た。特に寛永12年(1635年)参勤交代が制度的に確立され、本陣が寺家町に置かれてから繁栄し、その様子は寛永元年(1624年)の加古川村絵図から読み取ることが出来る。 近代では、明治32年(1899年)の日本毛織加古川第1工場の操業開始から、大正 7年の第 6工場の新設、大正8年の印南工場の完成まで日本毛織の拡張と共に、商店街 も発展してきた。神田家は当地で染物屋を家業としていたが、明治 7年より瀬戸物屋を始め、後にレンガ、タイルの販売も始めた。 敷地は加古川本町商店街のほぼ中央に位置し、日本毛織の工場・レンガ塀に隣接している。
 
外観/南側正面 玄関は半円の欄間を持つ木製ドアが取り付けられており、全体的に初期儀洋風建築の面影を 有している。補強改修工事によりベランダを鉄骨で補強し、安全性の観点から手摺を取り付け ている。柱型や、モルタル塗りの壁面、陸屋根、ベランダのある雰囲気は、一見すると総RC造 の洋館に見間違うようなところがある。

□建物概要
間口約9m、奥行き約36mの敷地中央に地下1階地上2階、一部平屋の煉瓦造の洋館がある。この洋館の南の道路側に木造2階建ての店舗、その奥、洋館に通路を隔てて木造2階建ての離れがあった。店舗は2階を住居とし、中央に商品の昇降路として吹き抜けを設け、陸屋根を商品の保管に利用する形態であった。店舗と離れは昭和7年(1932年)に建築されたが、現在 はそのどちらも撤去されている。洋館は当初2階部分までを建て、次に3階部分とその北面に接した4階建てレンガ造倉庫をセルフビルドで増築した。この洋館3階部分と倉庫の2階から4階部分も、建物の安全性を配慮
し平成15年に撤去され、現在の姿となった。

□コンセプト

この再生保存計画は、日本毛織に隣接したこの場所における庶民のセルフビルドのレンガ造洋館として建築物をそのままの形で保存するのではなく、再び活用することで地域活性化に向けたまちづくりや住民の活動の場として、広く一般にも開放されている建築物へ再生することを目的としている。

神田邸洋館は「神戸新聞 2004年6月5日」にて紹介記事が掲載されました。>>
新聞掲載記事はこちらへ
 



 


2階洋室(改修後)
2階の床の間は地板の変わりにモルタルを塗った地袋付の床の間であり、漆喰塗りのドリス式の柱頭2本の床柱がエンタブラチュア状の落し掛けを支えている。 この2本の床柱には柱頭に象鼻(木製)が取り付けている。また漆喰塗りの落し掛けには陶板が埋め込まれている。
 

1階和室(改修後)
1階は踏み込み、床の間、押入を有する10畳ほどの和室となっており、いずれも当時の洋館が竣工した後に付け加えられたものと考えられる。 上げ下げ窓や床柱に和洋が瀬注した独特の造形が見受けられる。
 
 

象鼻/2階床柱上部(左上)
2階の床柱は柱脚を角、上部を丸柱とし、柱頭には、内向きに象鼻(木製)の漆喰飾りが取り付けてられている。
また漆喰塗りの落し掛けには陶板が埋め込まれている。

外観/コンクリートスラブ
(上)
煉瓦は225mm×108mm×60mm程度で、大正14年制定 の日本工業規格第8号(210mm×100mm×60mm)より大型のものを使用している。2階の床にもコンクリートを使 用しており、鉄筋に平鉄、古レールが使われている。

倉庫/壁(左)
奥の倉庫のコンクリート壁には、家業で扱われた陶器が 埋めこまれており、得意な意匠をしている。

 
 
外観/撤去工事前、撤去工事中
当初通りに面して木造2階建ての店舗が建てられていたが、平成15年の補強改修工事により撤去された。 また洋館のセルフビルドで増築された煉瓦造の3階部分、倉庫の2階から4階部分も安全性の観点から撤去された。
 

神田家住宅洋館は平成16年12月10日に国登録文化財に登録されました。
主要用途 : 専用住宅+倉庫
工事種別 :補強改修工事
構   造 :煉瓦造 一部鉄筋コンクリート造
規   模 : (洋館)2 階建/(倉庫)平屋建
所 在 地 :兵庫県加古川市本町
延床面積 :(洋館)86.50u
延床面積 :(倉庫)28.77u
意匠設計 : 古田建築設計事務所 古田充
構造設計 : アイ設計工房
施   工 : 中村建設

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