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―― 東京魔人学園剣風帖 第拾参話 後編 ――


翌朝、アン子ちゃんにからまれつつ、彼女を加えて病院に向かう途中だった。
幼い悲痛な声をかけられる。

「龍麻オ兄チャンッ」

そこには、今にも泣きそうな顔をしたマリィがいた。

「葵オ姉チャンが、いないノ」

やっぱりか! あのバカ!!

──今までありがとう。さようなら──

それが、病室に残されていた置手紙の主内容。

また他者を護る為に、己の身を犠牲にして。……同じ事を延々と繰り返すつもりか、クソッ!

思わず、電柱をぶん殴ったら、傾いできた。
あ……あーあ、知らネ。

「ひーちゃん……」

小蒔が、もの問いたげ目で見てきたので、手紙を渡す。
読み進めるうちに、彼女が息を呑むのがわかった。だが、今はケアしている余裕はない。

苛立ちを必死で抑えて、携帯を取り出す。

「ちょっと待ってて。 『翡翠か? 葵がまたやった。連絡がつく連中をありったけつれて、あそこに来てくれ。多分、等々力だ。ああ、頼む』」



「龍麻! どうなっているんだ?」

翡翠への電話を切った瞬間に、醍醐に問い詰められた。
説明しても、……構わないよな。


皆を見回して、訊ねてみる。

「みんなは、『昔』の記憶があるか? 俺は、少しある」
「それって、和服を着たボクが、少し大人っぽい葵と、古い街並みを歩いてたりすること?」

小蒔が、震える声で答えた。ああ、やっぱり皆少しはあるのか?
目で問うと、京一も醍醐も『夢』で異形と闘っていたことがあると言いだした。

制御できない人は、夢という形で垣間見ることが多いと、ミサちゃんが言っていた。人は無意識下でこそ、真実に近付きやすいのだと。



「『昔』、俺は白虎の力を持つ法力僧――醍醐雄慶や、放浪の剣士――蓬莱寺京梧、道場の娘で弓使いの櫻井小鈴などの仲間と共に、ある連中と闘った……みたいだな。多分、その因縁もあるんだろう、今回の事は」

そこで、ガスッと鈍い音がした。
振り向くと、さっき俺が殴った電柱を、京一が蹴っ飛ばしていた。
さらに傾いだな。もう倒れるぞ。

「ひー……龍麻。前世だか宿星だかは知らねェよ。問題なのは、『今』だ。さァ、さっさと美里を助けに行こうぜ」


お前、自分から事情を尋ねといて、その言い草はひどいだろ。
だが……ありがたい。再確認できた。

前世は関係ないんだ。
葵を助けたいと思うことも、仲間を護りたい思う心にも、今の俺の意志だ。

「ああ、行こう」

と、歩き出してすぐに、マリア先生に会ってしまった。


「アナタたち、どこへ行くの?」

眼差しはキツイ。
当たり前だな。この状態は、傍から見たら、ただの集団エスケープ。

「へへへッ、ちょっと、ヤボ用でさ」
「京一クンッ」

そんなんじゃ誤魔化されなかった。
先生は、おそらく事情を知っているし、皆、こんなに気合が入った顔をしているのだから当然か。


「先生にわかるように説明して」
「美里 葵が、例の連中の元へ自分から赴きました。おそらく、俺達の安全と引き換えに身を投げ出したんでしょうが……俺は納得できないので、迎えに行くところです」

なんにも嘘は言っていない。
これで通してくれなければ、悪いけど気絶してもらう。

「先生……見逃してください」
「行かせて、センセー!! 後で戻ってきて、チャンと怒られるから」

無言の脅しが効いたのか、醍醐や小蒔の真摯な説得のおかげか、マリア先生は、ため息をついてから、頷いた。

「わかったわ、気を付けて行くのよ。……帰って来たら、ウンとお仕置きしますからね」

良い人だ。いや、人じゃないか。
だが、そんなことはどうでも良い。本当に感謝します。

「はい。ありがとうございます」

先生に礼を言って歩き出そうとすると、一際気合の入った声が宣言する。

「よし、じゃあ行きましょ!!」

……無理です。戦闘能力皆無の人間を守る余裕はない。

「アン子ちゃん、君は桜ヶ丘で連絡係を頼む。あ、マリィもよろしく」
「ちょっと、こんなクライマックスに置いていく気なのッ!? 納得できないわよッ!」

だろうな、だが無理だ。腰に手を当て、怒った顔でこちらを睨む彼女を、静かに見据える。

「なら、納得させるまでだ。クライマックスだからこそ、護ると約束できない。悪いけれど、君は――邪魔だ」

彼女は本当に凍りついた。

今の俺は、ほぼ地だから。きっと相当冷たい表情となっているのだろう。
だが、構わない。どれほど怖がられようと、譲れない。

昔のように、安請け合いをして、大切な人を喪うのはごめんだ。

「わかったわよ、そのかわり帰ってきたら、インタビューするからねッ!! いいわね、龍麻」

納得してくれたようだった。
助かった。そして、怖がらない振りをしてくれて、ありがとう。

「ああ、独占でどうぞ。じゃあ頼んだよ」



等々力不動へ向かう途中で会ったエリさんから、『鬼道衆の頭領』の情報を聞く。
その名前、目的、居場所、そして、今の状態を。

大半が既知のことだったが、あいつの今の状態は知らなかった。

存在しているけど、存在しない人間。その場に存在しているのに、誰にも認識――理解されない。

どうして、そういう事をやるんだ?
疲れるだけじゃないか。
面倒で厄介なだけの柵なんぞ、捨ててしまえば良かったのに。

「江戸時代の怨恨か――。そんなもののために、水岐や凶津は、踊らされたのか。そんなもののために、佐久間は命を落としたのか」

鬼道衆の目的――東京の壊滅、について、醍醐がやりきれない様子で呟いた。

そんなもの……か。
でもな、俺達にとっては、遥か昔の江戸時代の怨恨――夢で垣間見るだけの遠い話でも、あいつら――鬼道衆たちにとっては、確かな記憶なんだ。

護っていたつもりの菩薩眼の女に裏切られ、一族を、村を、そして自分を、徳川に滅ぼされた。



「やあ、待っていたよ」

等々力に、先についていたらしい翡翠がいた。
連絡がつく者だけで良いと言ったのに、仲間全員と共に……。

病院に帰したはずのマリィまでいた。舞子と一緒に、来てしまったんだろうな。

「みんな、学校があるだろ?」

思わず呆れてしまった。なんて良い奴らなんだ。
勿体ないよ、俺なんかには。


「なに言ってンだか。今更」
「舞子は、いつもダーリンと一緒なの〜」
「こんな時、授業なんかどうでも良いでしょ、馬鹿ね」
「お前たちに協力する、そう言ったはずだな」
「ミサちゃんは〜、こんな楽しそうな事〜、見逃さないわ〜」
「僕は、言うまでもないだろう」
「アミーゴの敵は、ボクの敵ネ」
「ふん、オレはお前らについていくって言ったろ」
「わたくしも、そう決めております」

最後に、マリィが真直ぐな瞳で言った。

「葵オ姉チャンを護るって、マリィは決めたノ。
マリィの炎は人を傷付けるためのものじゃナイ、護るためにあるんだって言ってくれたのは、オ兄チャンでしょ?」

確かに言った。例によって上っ面だけで、ろくに心も込めずに。条件反射の如く、優しい言葉を掛けた。
なのに、こんなに真剣に信じてくれるのか。

「ありがとう、みんな。本当に感謝する」

そして、皆を護ろうと、心に誓う。
今度は大丈夫だろう。天童を……鬼道衆達を救おうとは、もう思っていないから。



「よし、じゃあ行くかッ! と、その前に、エリちゃんは、ここで戻ってくれ」
「俺からもお願いします。色々教えてくださって、ありがとうございます」

京一に同意する。
力のない彼女までを護りきれる保証はないので。

「そう……私の役目は、ここまでのようね。戻ってきてね、龍麻」

エリさんは、微笑んで言った。すれちがいざまに、俺にキスをしながら。
……女性陣の目が、恐いんだが。


「ひーちゃん! 天野さんと、そーいう仲だったの!?」

すかさず小蒔の怒声が飛んできた。いや、もっと深いけどさ。素直に答えたら、殺されそうだ。
少なくとも、リンチは喰らうと見た。射られて鞭で打たれて薬品かけられて呪われて叩っきられてまた射られた挙句に、燃やされるのは、ちょっと遠慮したい。

「いんや。幸運のおまじないって感じなんじゃないかな」
「くぅー、じゃあ俺にしてほしかったぜッ」

京一の叫びで、話を進めやすくなった。

「ほら、馬鹿言ってないで行くぞ。覚悟というか、準備はいいな」

秘技――緊急事態で厄介事を押し流す。
皆、真剣な顔になって、おう とか、ああ とか言っている。よし。



中に入ると、邪気で少々気分が悪くなった。
邪気が苦手そうな織部姉妹とか四神とかは、相当辛そうだ。
例外として、ミサちゃんは、目が輝いていたけどな。ああ、嬉しそうだなぁ。



「誰かいるぜ。……なにッ!?」
「あれは、この前の……」

そうか、京一と醍醐は少しだが会っていたな。
忘れてくれよ、一度すれ違っただけの人間なんて。俺だったら、絶対に忘れているのに。

「そろそろ来る頃だと思ってたぜ――――龍麻」

そこには、鬼気を立ち上らせた天童が、ひとり腰掛けていた。
業物――童子切安綱を手にして。


「美里はどこだッ!」
「お姫様には、特等席をプレゼントだ」

醍醐の問いに、天童は薄く笑いながら、奥を指した。

「葵ッ!!」
「美里ォ!!」

座敷には、何かによって十字架の形に縛られた葵がいた。


さとみの時と同じく、見えない糸のようだ。
術者の技量の違いのせいか、アレより遥かに上手く隠されているが。

葵は微かにだが、意識があるようだ。
とりあえず、先に彼女に、言いたかった事を伝える。また同じ結果になるかもしれないから、闘う前に。

「同じことを繰り返しちゃ駄目だろう、あおい。君が、そうやって自分を犠牲にして、他人を守っても俺達は是とできないし、なによりも、そのタイプの脅しによる契約は大抵、反故にされるのが、お約束だ。昔もそうだっただろう?」

本当は、出ていく決心をつける前に、伝えておきたかったんだが。
大切な人を犠牲にした上の平穏なんて、心苦しすぎる。それに、そんな手法を持ち出す相手が、素直に約束を護ってくれるはずがない。

現に徳川は――――九角の一族を惨殺しただろう?



「あ、いやぁぁあ!」

葵もあの光景を覚えているのか。
いや、天童に無理矢理目覚めさせられたのかもしれない。

「今度は助けるから、もう二度としないでくれ。悲しむ人の事も考えて」

それだけは告げてから、天童の方に向きを変える。

「で、天童」

おそらく詮無きこと。きっとこいつには届かない。
それでも、言わずにはいられない。

「俺は、緋勇 龍斗じゃない。お前も、九角 天戒じゃないんだ」

もう、やめないか

応えは返ってこなかった。
ただ、その昏い瞳が語っていた。

できる訳が無い……と。


無理だよな。
予想はしていたさ。説得できると考えてもいなかった。

だけど、それでも助けたかった。

「さァ……はじめるとするか」

天童は、静かに立ち上がる。

「馬鹿な! ひとりで、この人数を相手にする気か」

醍醐の言葉を鼻で笑い、構える。
その身体から、真紅の光が立ち上る。今までの連中とは、比較にならない陰気の量だった。

「ひとりじゃねェよ。……さあ、お前ら、目醒めよ」

境内に満ち溢れていた邪気が、凝縮する。
……五点に。


「まさか、鬼道五人衆!?」
「そんなボクたちが、確かに倒したのに」

ぼやけた輪郭の五人は、この世のものではなかった。
幽鬼の如き存在が、徐々に存在感を増していく。

「口惜しや……、口惜しや」
徳川の非道により、家族を、いや一族全てを殺された人形遣いの女・雹が――

「恨めしや……、恨めしや」
古くから、九角の家に仕え支えてきた忠臣・嵐王が――

「憎らしや……、憎らしや」
わずかな金の為に、村ごと滅ぼされた実直な樵・泰山が――

「その血肉、生命の輝き……」
闘いに次ぐ闘いの中で、血に狂った志士・火邑が――

「喰らい尽くさずに、おられるものか」
信仰心ゆえに信徒たちを殺された宣教師・御神槌が――

――――慟哭し、変生する。

一度は宝珠に封じられた哀れな鬼達が、天童の召喚に呼応し叫ぶ。
彼らは時代の被害者だ。そんな事は判っている。


闘いたくはない
殺したくはない

だが……殺されるわけにはいかない。あの歴史を繰り返さない。

だから、もう一度殺す。この哀れな鬼たちを。


「みんな頼んだ。指示は翡翠に任せる」
「ああ、承知した」

鬼道五人衆は、シカトして天童の方へ歩いていく。
奴は、無言で鞘を捨てた。

九角家の方針が変わっていない限り、こいつの戦法は、京一と同じく斬りを主とした剣術系。
もっと、京一と訓練しておけば良かったかな。


鋭い斬撃を躱し、懐に入ろうとする俺と、入らせまいとする奴との、位置の取り合いが繰り返される。
気を抜いたら、一瞬で殺られるレベルの攻防……嫌で嫌でしょうがない。

いくつかお互いに浅く当たったが、こういう時不利なんだよな、素手は。
こっちは血が出るのに、向こうは打撲だけだしよ。

元々、至近距離に入れない限り、拳よりも剣の方が有利。
奴は当然そんなことを理解しているから、中距離を維持しようとする。……間合い詰めが辛い。


そのうちに、何か違和感を感じた。

原因はシンプル。動きが見えやすい。……微妙に俺の方が迅い。確か、昔はほぼ同じであったはず。何でだ?

天童の方が、天戒の人生分+自分の分で経験が多くなっている今では、俺の方が遅いかもしれないのに。

いや違う。俺が龍斗の記憶を継承したから、強くなっているんだ。
逆に天童は、天戒の記憶を拒んでいるってことか。昔より僅かだが、遅い気がする。

立場上許されなくても、記憶が許さなくても、自分で在りたかったんだ――天戒の転生体ではなく。

俺なんか、あっさり記憶を受けたのに。事態を理解するためだけに。
やっぱりこいつの方が、まともな性格をしているな。


その時、奴が、奥義の一つ――乱れ緋牡丹の動作に入るのが分かった。


……俺には、各務っていう見切りがあるんだよ。
知っている技を、事前に察知しておいて喰らうほど間抜けじゃない。

斬り込みを、手甲でうけて右方向に捌く。
その際に、血が奴の目に入るように、斬られた腕をわざと大きく振って。

僅かにだが、身体が流れる。それだけで、俺には充分だ。

悪い……だけど、せめて鬼に堕ちる前に。

「螺旋掌」

完全なタイミングで、心臓に入った。
これで、終わりだろう。


周囲を見まわすと、皆はもう終わっていた。



「ボクたち勝ったんだよね」
「ああ、あとは美里を助けるだけだ」

涙ぐむ小蒔に、醍醐が力強く宣言する。

そうだな。葵を助ければ、やっと終わる。


「葵、動かないで」

注意深く、糸を断ち切る。
それにしても、莎草とのは強度が違う。これだけで疲れる。

解放され、ゆっくりと目を開いた葵は、小蒔の手を振り払った。

「葵!? どうしたの、もう大丈夫なんだよ」
「私のせいで、たくさんの人が死んでいく。この呪われた力のせいで」

葵は、肩を震わせて泣いていた。
やはり、昔を思いださせられたんだろう。

「私も……きっと今にみんなを傷つけてしまう。だからもう……私のことは忘れて……あッ」

だから、そう卑下しなくていい。
原因が彼女であろうと、手を下したのは徳川なんだから。

「何度も、同じ事を言わせない。昔も言ったはずだ。『つまらぬ運命が在ろうと、徳川の策略だろうと、そして、いかに多大な犠牲を払おうとも私は、お前に会えて良かった』と。龍斗だけじゃない。俺もそう思う」

抱きしめているうちに、落ち着いてきたんだろう。
震えが収まってきた。そして、消え入りそうな声で言う。

「私、みんなと離れたくない――」



「大丈夫だよ。きっとなにもかも上手く行くよ。ね、帰ろう」

肩に手を置いて、優しく言う小蒔に、葵は小さく頷いた。
皆に流れる安堵の感情。だが、そう上手くは運ばなかった。

「くくくッ……甘いな」

外から聞こえてきたのは、天童の嘲笑。

馬鹿な……殺せるだけの力を、確かに込めたはずだった。
なぜだ? 既に鬼化しかけていたのか?

周囲の陰の氣が、奴に集まっていくのがわかる。
この距離では間に合わない!


「さあ来いッ!! この地に漂いし、怨念たちよ。この俺の中に巣くうおぞましき欲望よ──ッ!! この俺を……喰らい尽くせ────!!」

血を吐くような叫びと共に、天童の姿が変じていく。

あの時と同じように。理性を失い異形へと。
何も変わらない。

結局、変われないのなら、同じことを繰り返すだけならば……何の為に転生したんだ?

「龍麻ッ!!」

……痛ェ。バキョっていったぞ、今。
気を抜いていた俺は確かに悪いだろう。だが、平手どころか拳で、人の顔を殴るのはどうだ?

「翡翠ぃ?」
「そんな目で脅しても効かないよ。また――同じ事を繰り返すつもりかい?」

繰り返す?
また、鬼と化したあいつと相打ちし、また皆を悲しませる?

御免だな。もう二度と、こんな事を起こすものか。

俺が忘れたゆえに起きた喜劇ならば、もう忘れない。
たとえ、この身を闇に堕としてでも、『次』に、記憶と力を持ち越してやる。

「繰り返さないさ。また次に持ち越すのは御免だ」
「そう願おう。あの事後処理は、本当に大変だったんだ。僕も、もう……御免だからね」

そうだろうな。龍斗は勝手に幕を引いた。皆を気遣い、皆を護ろうと、己の命を使って。
それは葵の、藍のしたことと同じ。他者を気遣い、他者を護り、他者の為に己の身を犠牲にして――――最も他者の気持ちを踏みにじって。

「すまぬな、涼浬」

わざとその名で呼んでみた。

ふはは、見事に硬直したな。顔面まともに殴られたお返しだ。

「悪いが、また皆を頼む」
「……ああ」

お、えらい。『はい』って答えたら、まだ部下だもんな。
今のお前は、協力者で友人だ。

「そして葵、もう攻撃ができるようになっているだろう。皆を護ってくれ」

天童の変生と同時に現われたのは、恨みをその存在の糧とした死霊たちだった。
覚醒した菩薩眼の破邪の力があれば、大した敵ではないだろう。


完全に鬼となった天童が、頭を上げる。
理性の消えた紅の瞳が、こちらを凝視していた。
それは獲物を見つけたケダモノの目だった。あいつが最も厭っていた姿。

すまない。また、その選択をさせてしまった。
だが今度は、一緒には死ねない。

終わりにしたい。
できることならばお前を、その永遠に続く螺旋から解き放ちたい。
だが、俺にはそこまでの力は無い。

だから、今少しでもお前を楽にする為に――――

――殺す。



こちらの殺気に呼応して、奴の陰の氣が膨れ上がる。

首と顔だけを庇いながら、今できうる限りの気を溜める。鬼相手にチマチマやっても、キリが無い。

鬼の状態は、思考能力が極端に低下しているはず。
攻撃後の隙を突き、一撃で終わらせる。

「悪霊共に喰われるがいい!!」

襲いかかってくる悪意の塊……躱さない。必要がない。
腕や足、あちこちに裂傷が走るが、知ったことか。こんなもの、致命傷じゃない。

自己の内部の氣を練り上げる。そして、地脈の――龍脈の流れを汲み取る。
自分の氣と大地の氣――それらを融合し、体を媒体として一挙に放出する。

「秘拳・鳳凰」



塵となって崩れていく天童は、笑っていた。

「見事だ。人の力──見せてもらったぞ」

お前も『人』だろう?
どうして、そう人外の振りをする?

普通の人生とて、選べたはずだった。
転生ってのは、本来ならば、まっさらからのやりなおしなんだから。



「葵は、まだ治ってないだろうから、病院に戻るように。あと、みんなありがとう」

笑いが乾いているのは自覚していた。
それを見て、皆が心配そうな顔になるのもわかった。
なのに、いつものように上手く表情が作れない。繕えない。

「今日は泊まっていくといい」

翡翠が、遠慮がちに言った。心配されている。

「いやん、心の隙を突くつもり?」
「龍麻!!」

だが、今夜は用事がある。はずせない大切な約束が。

「悪い、今日は用があるんだ」

精神と顔の筋肉の力を振り絞って、今までの猫かぶり人生で培った完璧な笑顔で答える。

敏い何人かは、偽の笑顔だと見抜くだろうが。
それでも今日だけは、放っておいてほしい。

明日には、必ず普段通りに戻るから。



墓参りをしようにも、あいつの墓は存在しない。
戸籍など元からない。そして、身体すらも残らなかった。

だから、初めて会った場所へ、今持つ中で最高の酒を抱えて向かった。


あの時の櫻の木の下で、二つの杯に酒を注ぐ。
片方の杯の中身を地面に空けながら、ある言葉を思い出していた。

何かで読んだんだが、だれかの弔辞だったか……忘れたが、今は、まさにそんな気分だった。

「『いざ友よ、ただ飲まんかな、唄わんかな』」

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