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―― 東京魔人学園剣風帖 第拾八話 ――



小蒔と葵は、夜に家を抜け出す方が危険なので、夕方からウチに居た。
十二時ごろに、醍醐が尋ねてきたので、四人揃って、ロビーへと降りていくと、見知った顔が待っていた。
この上なく思いつめた顔をして。

「待っていました」
「霧島クンッ、どうしてここに!?」

彼は、小蒔の問いに、俺をじっと見ながら答えた。

「如月さんのお店で、京一先輩が行方不明だと聞いてしまいました。すみません」

俺は、気が付かなかった。それほど動転していたのか。
……翡翠が気付かないのは妙だな。あいつ、知ってたんじゃないのか?

「僕も連れていって下さい」

その目は、強く決心しているようだが、残念だが今の俺には余裕がない。護れない。
その旨を正直に告げる。

「霧島くん。俺は今、精神的に余裕が全く無い。皆をかばいながら闘うことも、多分できない。だから、本当に強い者しか呼んでいないし、君はまだそこに達していない。危険だ」
「それでも……」

思いつめている。
ここで無理に置いていっても、かえって危険か。
仕方ない。ただし、危険性への覚悟だけは、ちゃんと持って欲しい。

「俺は、かばわないよ。そして足手纏いにはならないと誓えるのならば、来るといい」
「は、はいッ!」



改札の出口には、拳武の制服の男がふたり見張っていた。
質問するには、ひとりいれば十分だ。近かった人は、不運だな。

片方を問答無用で気絶させ、もうひとりの方に、お話を聞いた。
快く協力して頂けたので礼を言い、動けないようにしてから階段を降りる。



そこには 三十人程の拳武の人間がいた。多すぎだろ、ゴキブリかよ。

その中でも、中央のブタとカマキリを思わせる男ふたり、あれが【力】ありのようだな。

「へッ、よくきたな」
「藤咲は、どうした?」

問うと、男たちが顔を見合わせて下卑た笑いを浮かべた。

「あれは、デザートなんだよ」
「楽しみでごわす」

……殺す。決定な。だけど、馬鹿じゃないか?

「普通人質といったら、その場に居てこそ使えるんだろう。本当に捕まっているか、証拠が無いのだから。何で連れてきてないんだ、馬鹿か? 最低でも、連絡係を置くべきだと思うんだが。まさかとは思うが、見張りを数名しか置いてきていないなんていう、低脳極まりない話は無いよな」

カマキリが真っ赤になった。
どうやら図星だったらしいので、散々馬鹿にしていたら、急に全身が怖気だった。氷水を背中にかけられた感じだ。そっと目をやると、そこには、亜里沙とエルがいた。長身の男の側に。

だけど、その男に気配はない。

「はい、行きなよ」

この場にそぐわない、涼やかな声が聞こえる。

「ねェ……本当にいいの?」
「ああ、構わないよ」


彼女をこちらに渡し、その男はブタとカマキリの方へ歩いていった。

その足捌き、この状況においても静かすぎる気配、そして、武器を持っている様子も隠している様子も無い。暗器使いでない限り、素手格闘の相当な使い手だ。
嫌だな、どう考えてもその相手って、俺だろう。……醍醐に頼むか?


「てめェ、何のつもりだ」
「無関係な者は、極力巻き込まない。拳武の掟にあるだろう。それとも、人質がいないと、彼らに勝てないのかい?」

文句をつけるカマキリに、彼は平然と言い返した。
どうやら、拳武内は、全然一枚岩じゃないらしいな。それにしても彼――イイ性格だな。



とと、それどころじゃないな。
あんな連中より、亜里沙の方が大事だ。

「怪我は無い?」
「大丈夫、私もエルも、あいつに助けてもらったから。……ねェ、龍麻。お願い、あいつと闘わないで」

エルに至っては、手当てまでされている。彼がやったのか……。
助けてくれた――察する所、数人の見張りってのも、彼が倒してくれたのだろう。

願いは叶えたい。それがなくても、俺だって闘いたくない。あんな強そうな奴。
だが、無理だろう。

「どうして!」
「向こうにも、都合ってもんがある」


亜里沙を連れてきた人に、不思議そうな目で見られた。俺からすれば、あんたも、かなり不思議なんだが。

「緋勇龍麻、君は比較的冷静なんだね。――君たちは、彼が生きていると、本当に信じているのかい?」

彼の質問に答える前に、霧島くんの表情が凍った。
……まさか。

「京一先輩が、死ぬもんかッ!!」

飛び出す彼のことを、止められる位置にはいなかった。

うわ……大振りすぎだ。
そんな攻撃は、当然のように躱され、まともにカウンターを喰らっている。

鳩尾に膝がめり込んでる。痛たたたた。
更に、一拍おいて中段蹴りを喰らわされた。

おいおい……あれだけ言ったのに。しかも、壁の方へ飛ばされている。
さすがにそれはマズイので、今まさに壁と激突しようとしていた頭と壁との間に手を入れて受けとめ、葵に渡す。

霧島くんは、意識を殆ど失っていた。一撃で戦闘不能。
容赦ねー。
俺も人からは、こう見えてるんだろうか。

人のふり見て我がふりなおせ。直す気ないが。


「で、どう思ってるんだい?」

ああ、俺に聞いているのか。
なるほど。今のは『てめェには聞いちゃいねェ』ってことだったのか。酷い。
霧島くんも気の毒に。

「そりゃ信じてるよ」
「なぜだい。根拠は?」

根拠と言われても。基本は状況証拠ばかりだからなあ。

「逆に聞かせてもらうと、そちらの根拠は?」
「アレは拳武きっての殺人狂だ。そして一応は、最強の剣士でもある。そんな奴が標的を見逃すと思うかい?」

なんだ。無事だという状況証拠が、更に一個増えた。

「なぁんだ。そっちのカマキリがやったのか。これで、確実に安心だ」

微笑みながら安堵の息を漏らしてやる。
なんだと――とかカマキリが怒ってるが、爽やかに無視。

「そんな自分を過大評価するのが好きで、客観性を有さなくて、事後処理も隠蔽工作も、何にも考えない冷静さに欠けた、単細胞生物が相手だったのなら……問題ない。
京一は、そんなクソバエにやられたのが、恥ずかしくて出てこないんだろう。または電話のかけ方を忘れたんだ。ちょっとおバカだから」

肩を竦めてみせる。

「確かに彼は、自信過剰な面が多々見られ、相手をすぐ見くびり、不要な不祥事を頻繁に起こす、思考能力と反省しようという理性さえ持たない無脊椎動物だけれど、腕だけに限定するのならば強いよ」

適当に悪口並べたら、同じくらい返ってきた。……ひでぇな。俺もこうなのか?
なんか、カマキリ赤くなって震えてるけど。大丈夫か? 過呼吸になるぞ。


「現実面の根拠もある。警察・病院そして裏に至るまで、京一と彼女の死体もしくは、処理依頼を調べた。結果は、なにも引っ掛からなかった。お兄さんがやったなら、ちゃんと始末しそうだが、そいつじゃあね」

ああ、そうだ。思い出した。カマキリの馬鹿さ加減を、報告してあげよう。
これで無事に戻れたとしても、責められるであろう点が増える。

「知ってたかな? そいつ、こ〜んな直筆の手紙と写真送ってきたんだよ。これなんか依頼写真では? あ、もちろん原本は、調べてもらうよう、知人に託してきたから」
「信じられない……カスだね」

ひらひら例の手紙と写真を振ったら、お兄さんは頭を抱えていた。
やっぱり、おかしいよな。

「そんなボケだ。どーせ倒れた京一に、高笑いとかしながら、去ってったんだろう、阿呆だな」
「あり得るね。全く……屑が。でも、それだけじゃないのだろう?」

ああ、確かにね。あるけど、少し恥ずかしいな。
ま、いいか。


「もし京一が、死んだりしたら、俺たちが誰も感じないはずがない。そういうこと」
「……恥ずかしいね」

やっぱ突っ込まれたか。
思わず苦笑してしまう。


「言うなよ。ちょっと自分でも、そう思ってるのだから」
「てめェら……、調子に乗るんじゃねェッ!!」

なぜか突如としてキレたらしい。カマキリが、叫びながら技を放つ。

これが京一を倒した技か……ってなんだ、鬼剄じゃないか。
まあ、対応を知らなければ、しょうがないか。鬼剄って見えにくいもんな。

残念なことに、俺はよく知っているが。昔、天戒相手にしていたのと同じこと。陽の氣で相殺すればいい話だ。

だが、自分で相殺を行うより前に、ガラスの割れるような音をたてて、鬼剄が砕かれる。
陽の氣による相殺ではなく、同じく陰の氣――鬼剄によって。

これ、京一 ……か?

その氣の発生源の方を見ると、京一がポーズを決めて立っていた。

「へへッ。蓬莱寺 京一 ……見参ッ!!」

「「京一!!」」

生きていてくれた。
安堵に、膝の力が抜けそうになるのを、必死で耐える。

確かに可能性的には、生きている方が高かったけど、
信じていたけれど、

それでも――本当に良かった。


「ただいま、ひーちゃん。誰が、おバカだって?」
「お前だよ」

その呑気さに、思わず、ゲシッっと蹴る。
わりと……いや、相当強く。

「イテ! なにすんだよ、ひーちゃん」
「うっせぇ、バカモノ。醍醐なんかなぁ、ハゲるほど、悩んでたんだぞ。おまけに、小蒔とラブラブになりやがるし」

「なにィ、進んだのか!?」
「『そんなの、ボク信じないッ!!』
小蒔は泣きじゃくりながら、走っていった。
そんな彼女を、辛そうに見ていた醍醐は、『俺に任せてくれ』そう一言だけ言い残して、彼女を追った。
……
片隅で、肩を震わせて泣く小蒔に、追いついた醍醐は、言葉ではなく行動で示した。
彼女を優しく包み込むように抱きしめ、そして――」


「ひーちゃんッ!!!」
「龍麻ッ!!」

そろって怒鳴る。
怒られた……理不尽だ。殆どノンフィクションなのに。

「そして、君は不眠症になるしね」

良いタイミングで、翡翠が、頼んでおいた皆を連れて、出てくる。
隠れていた方が、いいんじゃないか?

「蓬莱寺が戻ってきた以上、隠れる意味は無いだろう。紫暮と劉はともかく、アランとマリィは気配を消せないんだから、そう長くは誤魔化せないよ」
「確かに」



京一を凝視していたカマキリが、顔を赤くして叫んだ。

「てめェは、この俺様の鬼剄を喰らって、死んだはずじゃあ」
「ケッ、何言ってやがる。暗殺者のくせに、止めも刺さねェなんて、間抜けもいいとこだぜ」


それを聞いた細身のお兄さんは、わざとらしいほどに深々と溜息をついてから、一気に言った。

「本当に、どうしようもないね……ターゲットの死亡確認さえも怠るとは。一度、君こそ死んだらどうだい? 屑、下衆、カス、愚図、無能、恥さらしが」

ははは、早口言葉みたいだ。お兄さん、ひどすぎ。
カマキリは、震える声で絞り出した。


「壬生ぅ……てめェッ」

壬生? 壬生とおっしゃいました?

京一の無事を確認して、やっと、頭が働き出した。
数々の不審点が、今更に引っ掛かる。

どうして拳武が不安定なのに、あのオッサンが日本を離れたのか。
腹心である人は、この事態にどうしているのか。

あはははは

思わず笑いが漏れた。そうだ、あの人がこういう事態を想定しない訳が無い。


「何が可笑しいんだい?」
「ちょい待ち。先にこっちがいくつか聞きたいんだが、鳴瀧さんと一緒に、三沢さんも海外出張中?」

兄さんの目つきが変わる。正解らしい。やっぱな。
それにしても怖い。周囲の温度が低く感じるほどの殺気だ。この人が奴なら――厄介だな。っていうか、奴なんだよな……。

「……ああ、一緒にね。君は、何者なんだ」
「あと一つ質問。君は『もみじ』と書く、壬生 紅葉(くれは)?」

微かに驚いた表情が、そうだと答えているようなもんだった。ふぅ、正解か。やだなあ。


「もみじだって? まさか……、りゅう――角倉 りゅうなのか? 依頼資料には、緋勇龍麻とあったが」

覚えてたのか。

「角倉は、養父の姓だ。真神に来てから、緋勇姓を名乗ったからな。名は――りゅうは、あのオッサンが勝手に、呼んでいただけ。あの頃の、俺の名は角倉 龍麻だ」

ああ、本当に笑える。
何もかもが鈍っていた。

「京一たちの安否が不明なだけで、こんなにも頭が鈍ると思わなかった。お前の存在には気付かないは、鳴瀧の企みを不審に思うこともなく」

企み――それについて、もみじにも幾つか思い当たることがあったようだ。顔色が変わる。


政情不安定の時期に、腹心を連れ海外へ行った不自然さ。
あの石橋を叩いて叩いて叩きまくって、更に誰かを渡らせてから、やっと安全性を確認するようなあの人が、やるはずがない。――目的もなしに。

では目的とは――簡単だ。

……あのヒゲ、副館長派と殺人狂連中を一掃するのに、いい機会だと考えたな。
自分と腹心がいなければ、連中は今まで断ってきた美味い餌に、必ず飛び付く。その中に『東京を護る者』たち殺害の依頼が、必ずあるはずだと。

殺人狂たちは、俺たちに直に叩きのめされて、副館長派は勝手な――しかも『拳武の正義』にもとる依頼を受けた上に、失敗したことで粛清する。

だから、この時期を選んだ。
俺たちの戦力が充実し、戦いにも慣れた頃に、日本を離れた。――これは、最終課題というわけだ。

よく考えれば、あの寒すぎるパスワードも怪しい。俺が、おそらくクラッキングという手段を使うのを予想して、とりあえず安心させるために、あんな名前にしたな。

オッサン……せめて言っていけよ、利用することを。

ふふふ、くくくく、はははははは――と、高笑いしたい気分で一杯だ。
帰国したらどうなるか、覚悟してろよ。


比喩でなく背筋が凍った。本気で寒い。
目線を上げると、俺と同様に考え込んでいた紅葉が、にっと冷笑する。

なんか……すっげぇヤな予感がしますが。


「高校生に、暗殺依頼。おかしいとは思っていた。おそらくは、副館長の独断だと。だが」

紅葉が浮かべたのは、最高の微笑み。まさに氷の微笑。
俺って普段は、こうなのかな。助けてみんな。

「対象がお前なら、館長が正義のために、請け負ったのかもしれない。とりあえず実行して、館長が帰国してから、その旨を伺うことにするよ」

青白い氣が、奴の周囲に集う。……すんげぇ闘気。
泣きそうだよ。なんて野郎だ。正義なんて、どーでもいいくせに。俺への嫌がらせのためだけに、これかよ。

相変わらずだ。ヤダヤダ。


「京一は、あの単細胞生物を任せた。もう、生まれてきた事を後悔するくらいギタギタに。醍醐は悪いが、あの汚いのを頼む。で、雑魚は――翡翠、皆の指示を頼む」

指揮する余裕がない。あいつが相手では。

「え……ああ、承知した」



スッと紅葉が前に出る。次の瞬間には、もう蹴りが繰り出されていた。
滑るように、流れる動作。
同じく蹴りで、それを止める。

変わってない。
俺自身も、遥かに強くなっているのに、あの頃と同じ――力も、迅さも、なにもかもが互角。

つーか、俺って龍斗の力の継承もしているのに、なにゆえ?

いや、違う。逆だ。
俺があの頃から、莎草の事件まで、一切古武道に関わっていなかった。
けれど、こいつはずっと拳武に在籍していて、そして、暗殺組に属したのも、多分高校に入ってすぐなんだろう。その経験の差を、俺が龍斗の記憶によって埋めたんだな。


それにしても、互角な奴との闘いってこんなに嫌だったのか。
最近、雑魚系ばっかだったからな。久しぶりすぎて、忘れていたよ。



喰らったら致命的な、氣を乗せた蹴りが、頬を薙ぐ。
引き際を狙い、顔面に正拳をいれようとするが、軽く身を引いて躱される。
そのまま流れるように、紅葉は蹴りへと移行した。

「双龍脚ッ!!」

二段蹴りか。それは、外した時の隙が大きい。

一段二段と躱して、内に入ろうとすると、更に戻ってきたぁ!?
三段蹴りだと……双って言っただろうが。サギだ。


ガードしながら、跳んだから、そんなダメージではないが。
……どーやったらできんだよ。三段なんて。



「巫炎」
「風牙」

焔が、風に掻き消される。

まあ、攻撃狙ったもんじゃないしな。視界が悪くなる隙に、背後にまわる。

さて、死ね

「螺旋掌ッ!」

引かずに、攻撃してきやがった。
こっちの双掌打に併せて、後ろ回し蹴りが来る。
当然、お互いに、反発力で吹き飛ばされる。


背中が痛いー。
受身とっても、なお痛い。


なんとか隙なしで起きあがると、目の前に不思議な光景があった。

ボロボロのさっきのブタが、紅葉を背後から抱きしめていた。
どうやら、ブーは、醍醐に一度倒されたようだ。

それはいいとして、……ナニやってんの? 愛の応援? 体力でも回復するのか?

すると、ブタくんが、こっちを見て言う。

「さあ、壬生ッ!! 今の内にこいつを」

……なにが?


「……壬生さんは、お前がアツくカタく抱きしめているが?」
「なッ!?」

ブタくんは、下を見て焦っていた。あほ?

「な……、あんたら似過ぎでごわすよッ」

間違えたらしい。だれが、こんな奴と。
と、怒る前に、紅葉がやや苦しそうに、だが、吐き捨てた。

「誰が、こんなデブなんだい」



デブって…………
…………おれのこと……か?

太ってねェよ!

気にしてんだぞ、体重がやや重いことを。
大体、仲間連中が、戦闘系な割には、軽すぎるんだ。

俺は本来は、体脂肪率も身長と体重の比も、格闘系としては普通範囲内なんだ!
ター○ンとか読んでみろよ!! てめェが痩せてるんじゃぁ!


と思ったとおりの事を言うと、いい気分にさせそうだから

「誰が、そんなハゲと似てるんだ?」

こいつ、髪の量少ないんだよな。


紅葉と真剣な睨み合いになる。

「デブってのは」
「ハゲというのは」

「「こういう奴のことを言うんだッ!」」

ふたりして、ビシッとハゲデブくんを、差してしまった。
ちょっと可哀想か? まあ、いいや。

京一達の方から、笑い声が聞こえる。
お前ら、観戦モードに入りやがったな。手伝え。

と思ったが、まあいい。たまには真面目にやるか。



「では、ハゲデブくんのお望みのままに『今の内にそいつを』」

そういって、ジャンプし、ローリングソバット風に蹴りをキメる。ただし、紅葉にではなく、ハゲデブくんの左側頭部に。

「ギャァ」

腕の締め付けが緩んだんだろう。
紅葉が、その腕を掴み、逆上がりの要領で武蔵山の顔面に、膝蹴りを入れる。それなりに怒っていたようだな。
それにしても、酷い奴だ。顔面に蹴りだなんて、優しさが足りないんじゃないか?

「ぷがぁッ」

プガ? なんて素敵な悲鳴だ。いいキャラだ。


さてと、とりあえずコイツをぶちのめす。
邪魔だからな。



何発かぶん殴ったのに……鼻血出しているくせに……。

紅葉との連撃でも、まだ倒れない。
さすが脂肪の塊。

「さすがに、護りが堅いな」
「脂肪の鎧を纏っているからね。羨ましいよ細身としては」

思わずぼやいたら、奴はこっちを見てフッと笑った。
フッ……俺も、にこやかに微笑んで返す。

「お前、頭の防御も少ないもんな」

即座に身を躱すと、ぶわッと気塊が腕を掠めていった。

「すまないね、少し逸れた」

……殺すか。


それにしてもしつこいな、このハゲデブ。堅すぎだ。

こんな時は、最も簡単な方法を選択する。紅葉となら、目配せする必要すらない。
そういうところが、なんか嫌なんだけどな。


ふたり同時に、左右から近接する。

そして――
紅葉が呟く、陰の極意を。
俺が唱える、陽の極意を。

「「秘奥義・双龍螺旋脚」」


さすがに、ハゲデブくんが倒れる。

で、狙っていたのは今ッ!

隣に居る紅葉のコメカミを狙って、龍星脚を叩き込む。
このタイミングなら、絶対にかわせまい。


ガッと鈍い音が響いた。

……奴も全く同じことを考えていたらしい。
龍星脚は、相手の昇龍脚と交差した。

……なんか今、すっごく疲れたぞ。
思わずふたりして、その体勢のままでしばらく固まったくらいに。

「りゅう、さすがに今のは汚いと思うよ」
「その言葉、一言一句違えずお前に返すよ」



膠着状態って、こんな状態を指すんだろうな。
くそー、あちこちが痛い。もうやだよ、強い奴と闘うのは。

賭けに出ないと終わらないんじゃないか。
だけど二つ、成功しなければならない。

……やるか、このままでは面倒だし。なにより、俺は持久力無いし。

タイミングよく、思いきり顔面を狙った蹴りが飛んでくる。
それをわざと、頬を浅く薙ぐ程度にくらう。

いててて、どびゃっと頬が切れた。結構な血が出たが、効果はあった。
避けられる事を前提にした攻撃が当たったため、紅葉が僅かにバランスを崩した。 それを、とりあえず投げ飛ばす。紅葉は、完全に受身を取っていたので、ダメージなんかほとんど無いだろうが、そこは構わない。
欲しかったのは距離。

急いで氣を高める。


「ひーちゃん駄目だッ! 間に合わねェッ!!」
「龍麻、それでは間に合わんッ!」

警告が聞こえる。そう、間に合わない。鳳凰ならば……な。
醍醐や京一が、そう考えてくれるのなら、一つ目の賭けは成功だろう。

もちろん鳳凰の発動の前に、紅葉は体勢を立て直した。

「これで、終わりさ……裏・龍神翔ッ!!」

二つ目成功ッ!!

陰の氣がこもった蹴りが、真直ぐに頚骨の辺りへ迫る。
けれど、この技は大体わかる。
目を閉じておき、左腕を上にして両腕を十字の形にして、狙われる部位をブロックする。


ボキャッ――と良い音が響く。
左腕は、良くてヒビ、悪くすると折れているな。
力の余波だけで、瞼のすぐ上が裂かれた。結構な量の血が、溢れ出すのがわかる。

だが、視力を奪われても、この距離ならば――

――外しはしない。

「秘拳・黄龍」


なんか当たった感触はあったけど、全然見えない……瞼の上の傷だから、眼球は平気なはずなんだが。それにしても血ってしみるなあ。痛いッたらありゃしない。


「終わり?」

寄ってきた京一と醍醐の気配に、顔を向けて訊ねた。

「ああ、終わったぜ。ひーちゃん」
「目が見えないのか?」
「全然。血がだばだば入って」

「ていッ」

ポカと頭を、京一に小突かれる。

「……京一?」
「へへ、親友を、馬鹿呼ばわりしたバツだぜ」

お前……良い度胸ですのう。

「お前の気持ちは、よーーくわかった。あとで勝負しような。当然、男らしく素手対素手で」

「おい、ちょっと待てッ!!」
「武器禁止。決定。死にそうな人間の頭部を、殴りつけた罰だ」

つーか、俺、今血塗れなんだぞ。よくそんな人間を殴れるな。

「ホンの少し小突いただけじゃねェか」
「俺は、受けたダメージは256倍にして返す主義なんだ」
「なんで、そんな中途半端なんだよッ!?」

二進数だ。

葵に癒してもらいながら、軽口を叩く。
たったの五日間会えなかっただけで、懐かしい。



やっと、目が見えるようになった。
倒れた紅葉に目をやると、顔とかが、たいして腫れてない。

チッ、黄龍が顔に当たれば、結構笑えることになったのに。

「うわぁ、肋骨にヒビはいっとるで」

紅葉の治癒を頼んだ、劉が驚愕の声をあげる。

肋骨? 何だ、当たったのは胸だったのか。残念だな。

だが、肋骨は危険だな。葵にも頼んだ方がいいか。
いや、待てよ。

「君は大丈夫? さっき霧島くんも癒してもらったのに」
「大丈夫よ。私は、殆ど何もしていないし」

気丈にも微笑むと、葵は紅葉の横に行って目を閉じる。
二人分の傷を回復させたんだ。そこまで楽ではないだろうに……申し訳ない。


「うっ」

ふたりがかりの治療の成果か、紅葉が目を覚ましかける。

これは、言わなければ!!

思わず、たかたかと駆け寄ってしまう。
意識を取り戻した紅葉の前に、片膝を立てて座り、全開の笑顔で言った。

「おはよう」


なんともいえない、心底厭そうな表情で、紅葉はしばらく黙り込んだ。
そして苦々しげに言う。

「変わらないね。ま『跪いて足をお舐め』くらい言われるかと思ったけどね」
「言ってもいいけどな。ほれ」

勝った方が手を貸して立たせてやる。
これが、いつからか決められた、嫌がらせの儀式。

「で、――晴れてボクが先に10勝したんで、アイスおごれ」
「よくそんな昔の事を、覚えているね。よほどヒマなんだな」

毒づかれても、気にシナーイ。

「オゴレ」
「……わかったよ、意地汚いな」



予想通り、八剣が武蔵山を斬り捨ててくれて、逃げていった。
あいつも依頼者とやらが、口封じで始末してくれるだろう。

逃げる八剣を、じっと見つめていた紅葉が、ふいにこちらを向き、尋ねてきた。

「ところで、なぜ裏・龍神翔がわかったんだい?」

おい、腕利き暗殺者、あいつの事はいいのか? ま、俺もどうでもいいけど。

「あの状況でなら、発動の早い方を使うだろう? 狼牙咆哮蹴では、遅いからな。威力と早さ双方から考慮すれば、裏・龍神翔だと思った」

狼牙咆哮蹴は、氣を大量に使う。いわゆる溜め技。
格ゲーだったら、威力は高いが発動までに時間が〜云々と書かれそうなタイプ。

「では、狙った場所はどうしてわかった?」
「一年くらい前、三ヶ月ほどオッサンにみっちり仕込まれた。終わりの頃の決め技は、大体裏・龍神翔だったからな。ある程度は予測できる」

そう答えたら、紅葉はむくれやがった。

うわ、大人げない表情。
ムスッとしたまま、紅葉はなおも文句を言い募る。

「それじゃサギじゃないか。ズルだ。ノーカウントだよ。まだ九勝九敗のままだね」
「ふん、勝てば良いのだよ、勝てば。それとも、今更105円が惜しいのか。この守銭奴、大阪商人、如月翡翠」

自分の名が出た事に気付いて、翡翠がこちらへ向かってきた。
しまった、怒られる。

「人の名前を悪口にするのは、やめてくれないか」
「あ、翡翠サンキュな」
「ふッ、礼には及ばない」

誤魔化そうと思って、礼を言うと、奴はそうニヒルに決めながら、一枚の紙を差し出してきた。
なんだ?

……おい

「この『請求書』、マリィ連れ出し代、必要経費¥210(栄光の手)って……なに?」

いや、分かってるけどさ。
いくら貢いだかもわからない上客相手に、二百円如きもまけない気か?

「穏便に連れ出すために、ご家族に使用させて頂いた」
「お前忍者だろう? そっと連れ出してこいよッ! つーか、200円くらいまけろよ」
「美里さんの家の人は、カンが鋭いんだよ。角倉の名を持つ以上、君も知っているだろう? そして、一円を笑う者は、一円に泣く」

九角の傍系は、皆ってことか。確かに父も兄もそうだな。
それにしたって、どんな商売人根性だよ。ケチケチケチケチ。



白髭公園まで、みな揃って戻ってきた。
なんとか落ち着いたな。

「終わったな」
「あァ、これでようやくケリがついた」

呑気に伸びをする京一に、亜里沙が目に涙を溜めて詰め寄った。

「京一、……よかった、あたし、本当に心配したんだよ」
「おいおい、何いってんだよ。この俺が……、そう簡単に死ぬわけねェだろ」

あえて軽く答えたようだが、亜里沙のマジ涙に少し怯んだようだ。
こっちに助けを求めるような視線を向けてくる。

「おい、ひーちゃん。もしかしてお前も、俺が死んだなんて思ってたんじゃねェだろうな」

ふっふっふ……。うふふふふふふ。

「京一」
「ん?」

にこやかに微笑んでから、一瞬後に、かなりの力を込めて殴る。
京一は、しばらく唖然としてから、下を向いて呟いた。

「なッ!? ……すまねェ」
「謝るのは俺じゃなくて亜里沙にだ。お前、醍醐の事なにも言えないじゃんか」

独りで思いっきり背負い込んだ。

「あのな、紅葉が助けてくれたのは、幸運な偶然だ。……良くて犯される、最悪は、その上で殺された可能性があったんだ。せめて連絡だけでもしてくれていたら、手はもう少しうてた」
「龍麻! 平気だったんだから! もういいから」

亜里沙は必死で止めたけど、本当に大変な事だったんだ。
敵の良識を期待するなんて愚かな事、できるわけがないのに、京一はしたんだ。
『女は殺さない、女にまで手を出さない』
そんな事、決まっていないのに。女子供構わずに、平然と殺す連中も世の中に存在する。
だから、もっと言っておく。

「『もっと俺たちを信用しろ』お前が醍醐に言ったんだよな? 夢だったか? 幻だったか?」

うなだれていた京一は、小さく呟く。

「悪かったよ……、俺にできる事なら何でもする」
「本当だな」

念を押すかのように訊ねる。
京一は、キッと顔を上げて、宣言するように言った。

「ああ、誓う」
「とんこつラーメン」

「へッ!?」

急に惚けた声を出す奴に、それしか言ってやらない。背を向けて歩き出す――いつもの店へ。

「じゃあ、ボクは塩ラーメンでいいや」
「俺は餃子もつけてもらおう」

皆も口々に続いて歩き出す。
飯くらい、いいだろ。本当に心配したんだからな。

「僕は、味噌ラーメンでいいですよ」

流石に……最後に言った奴は、どうかと思うが。

「ほ、他はまだしも、壬生ッ!! なんでお前にまで」
「誰かさんの甘い見通しから、藤咲さんを救ったのは誰だろう」

すげェ、もうたかってるよ。しかも嫌味も入ってる……初対面だろお前。

皆で少しずつ京一を苛めながら、ラーメン屋に向かう。
……京一たちの行方が分からなくなってから、行ってなかったな。

事態のヘビーさから考えれば、無事に一件落着といって良いだろう。


……だが鳴瀧さん。ほんと帰国したら、覚悟しておけよ。

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