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龍麻ッ!!
ひーちゃんッ!!
くそッ!!ひーちゃんッ!!
龍麻…、龍麻――――――ッ!




何だろう、今日の夢は。
顔は思い出せない。けれど、必死な様子で僕の名を呼ぶ人たち。

不審に思いながらも制服――真新しいそれに袖を通す。
初日から遅刻する訳にはいかない。義父の転勤に伴い、今日から新宿の高校へ転校するのだから。

「いってらっしゃい、龍麻さん。……気をつけてね」
『いってきます、義母さん』

手を振って、意志を示す。
あの事故にあってから、まだ声が出ない。医者の人は、そのうちひょっこりと元に戻るはず――そうおっしゃっていたけれど。


―東京魔人学園剣風帖 第弐拾話 後編―


職員室へ入ると、綺麗な人がにっこりと笑いながら手招きした。
金の髪に赤みがかった薄茶の瞳の、外国の人だった。

「はじめまして。私がアナタの担任となるマリア・アルカードです」

綺麗な女性は、担任の先生だったみたいだ。
会釈をして、挨拶として返す。

「そう。アナタは事故の後遺症で話せないのよね。
でもクラスのコたちは、優しいコが多いから、すぐに馴染めると思うわ」


先生の後について、教室に入る。
皆の視線が集中するのが怖かった。

本来なら新学期と同時に転入できたはずなのに、事故のせいで二週間ほど遅れてしまった。
おかげで、なんだか妙に緊張する。

「GoodMorning Everybody.」
『GoodMorning Miss.Maria.』

先生の挨拶に、クラス中が明るく答える。
中学生のように素直な人達だ。

「それから、緋勇クンは大きな事故にあって、今は声を出すことができません。その時のショックで、記憶の方もまだ少し混乱したままなので、わからないトコロが多くてとまどうかもしれないから、みんな、イロイロ、緋勇クンに教えてあげてね」

先生が、ざっと僕の説明をする。
するとクラスの大部分の人が、にこにこしながら返事をした。

「は〜いッ」
「ウフフッ。緋勇クン、それじゃキミの席は……、そうね。確か、美里サンの隣が空いていたわね」

先生が示した先、『美里サン』は、息を呑むほど綺麗な人だった。
漆黒のストレートの髪が、余計にその美人さを強く意識させる。

……どこかで会ったような気がする。
でも、こんな綺麗な人、忘れるわけがないか。


「こんにちは」

HRが終わると、隣の席から声を掛けられた。
綺麗で優しい――どこか懐かしい声だった。

「さっきは、すぐにホームルームに入ってしまって、挨拶もできなかったけれど、……ごめんなさい。
私、美里 葵っていいます。これからよろしく」

なにか書くものを探そうとした僕を、彼女は優しく止める。

「あ、無理しなくていいの。
首を縦か横に振ってくれれば、大体のコミュニケーションはとれるもの……ね?」

ありがたい……。
僕の声が出なくなったのは最近なので、手話もまだ下手だし、筆記も遅い。

「うふふッ……、よろしくね」

嬉しさのあまり、かなり勢い込んで頷いた僕に、美里さんは笑いながら軽く頭を下げる。
その自然な動作に、育ちがいいのだろうな――となんとなく思っていたら、他の人の笑い声がした。


「へへへ―――ッ。葵も、やるねェ〜。早速、転校生クンをナンパにかかるとは―――」

冗談めかした口調でやって来たのは、ショーットカットの元気そうな女の子。
美里さんとは対照的な明るい茶の髪をしていた。

「へへへッ、転校生クン、はじめまして。
ボク、桜井 小蒔。まッ、これから1年間、仲良くしよッ」

頷いて応じ、よろしくとの意志を込める。
すると、桜井さんは嬉しそうに頷く。

「うんッ、そうだね。キミ、悪いヒトじゃなさそうだし、仲良くやってけるとおもうよ」

彼女はそう言うと、にっこりと笑って近くに来た。
悪戯っぽく笑いながら、耳元で囁く。

「あのねェ、葵って、こう見えてもカレシいないんだ。声は、結構掛けられてるみたいだけど、全部断ってるし……、別に話を聞くと、理想が高いってワケでもないんだけど。
緋勇クンなら、イイ線いくとおもうんだけどなァ」

あまりに驚いて、首をブンブン横に振る。
僕が、こんな美人と付き合うなんて―――耳の辺りまで赤くなっているのが、自分でもわかる。

「アハハッ、まッ、いずれにしても――、恋敵が多いのは、覚悟した方がイイよ。
葵は、男に対する免疫がないからたいへんだとおもうけど、玉砕しても、骨ぐらいは拾ってあげるからさ」

冗談とも本気ともつかない様子で、桜井さんは明るく笑う。

その声でやっと気付いた。
彼女の声にも、聞き覚えがある。

そうだ……桜井さんと美里さんの声が、今朝の夢の呼び声に似ているんだ。

それに前にも、同じようなやりとりをしたような気がしていた。
既視感というやつだろうか。

「小蒔…。聞こえてるわよ」

美里さんの拗ねたような声に、現実に戻される。
真っ赤になった美里さんと、更に彼女をからかう桜井さんが、一緒に戻っていく。

そうだ、確かここで『彼』に――


『あ〜あ〜、あんなにカオ真っ赤にしちゃってカワイイねェ〜』

「あ〜あ〜、あんなにカオ真っ赤にしちゃってカワイイねェ〜」

明るい印象の赤毛の人が、笑っていた。
この人もそうだ。夢の声に似ている。それに今の言葉も知っている。

「よォ、転校生。俺は、蓬莱寺 京一。まァ、縁あって同じクラスになったんだ、仲良くしようぜ」

なんだか良く理解できない。
不可解な事態に困惑しながらも、失礼にならないように頷いて応じた。


こっちこそよろしくな――鷹揚に頷いてから、彼は意味ありげな視線を後ろに向けた。

「そうだ――、ひとつ忠告しておくが、あんまり、目立ったマネはしない方が、身のためだぜ。
学園の聖女を崇拝してる奴はいくらでもいるって事さ。特に、この3ーCには――頭に血が上り易い奴らが多いしな……」

そちらに居たのは、いわゆる不良学生だった。
中央の人が、一際不機嫌そうに、こちらを睨んでいた。

「ま、そういうこった。無事に学園生活を送りたいなら、それ相応の処世術も必要って事さ。
じゃ、また後でな」

目立たないようにって――こんな人達にどう対処すればいいのか知らない。
仕方ないので、極力関わらないようにと決心した。



それなのに、放課後に即絡まれていしまった。
隣のクラスの遠野さんという人と一緒にいたときに、あの人達に囲まれてしまう。

「佐久間、アンタ」
「遠野、少し黙ってろや……。俺は、コイツに用があんだ」

危険な空気を纏いながら、彼はぎらつく目で睨みつけてきた。

「へッ……。緋勇とかいったな。ずいぶんと、女に囲まれて御満悦じゃねェか」

そんなつもりは無かった。
首を振って否定しても、彼の怒りの色は収まらない。

「チッ、気に入らねェな。てめェの、その面を柿みてェに潰してやる。
さいわい、あの剣道バカはいねェし―――、俺たちだけで話つけようじゃねェか」

怖い……、こんな明確に悪意をぶつけられた事がない。
どうしたら良いのか分からない。




校舎裏に連れていかれた。
彼らは五人、周囲には他は誰もいない。

逃げる事も出来ないだろうし……どうにか回避できないだろうか。

――善良だな


え?
耳元で聞こえたような声に、辺りを見回す。
けど……誰もいない。

「いくら見たって、誰も来ねェよ」


それが合図だった。

殴られ、蹴られる。
何個所も、どこもかしこも。

際限なく続くかと思われたが、立っている事もできなくなった所で、攻撃は止んだ。

が、一瞬だけだった。
倒れたところを蹴られ、息が詰まる。

「ケケケッ、―――死ねやッ!!」

髪を掴まれて引きずり起こされた。

その声になぜかぞっとする。
……彼にではなく、自分の奥底に。

同時に、またどこからか声が聞こえた。

代わろうか?


だが、上の方から掛けられた声に、そのぞわりとする感覚はかき消された。

「オイオイッ―――、ちょっと転校生をからかうにしちゃァ、度が過ぎてるぜ」

この声は、蓬莱寺くん……?
木の上にいた彼は、不敵に笑っていた。

「てめェ、蓬莱寺……」

うろたえ、手を止めた佐久間くんに、今度は別の方角から厳しい声が掛けられる。

「そこまでだ、佐久間ッ」
「醍醐――――!!」


全く――もっと早く助けろよ


さっきと同じ、誰もいないのに、すぐ近くで声がする。
殴られたから耳がおかしくなってるんだろうか。

「もう止めて、佐久間くん」

美里さんと、醍醐と呼ばれた人の登場で、佐久間くんは真っ赤になって動きを止めた。
混乱の極致にある事が、傍目にも分かった。

「佐久間。お前の処分は後日あらためて決定する。
今日はもう帰宅しろ。……いいなッ」

醍醐――くんの言葉に、金縛りは解けたようだった。
佐久間くんは僕を凄い目で睨み、吐き捨てるように言った。

「……ちッ。行くぞ、てめェらッ」
「オ、オスッ」

手下の人達は、彼の形相に驚いたのか、焦った様子で去っていく。


「まったく、仕様のない奴だ」
「……あーあー、大丈夫かよ、緋勇」


彼らに、呆れた眼差しを向けていた蓬莱寺くんが、こっちに向き直って立たせてくれる。
血をざっと拭き取ってくれて、溜息交じりで続ける。

「ッたく、弱いクセに粋がってるからんな事になんだぜ?俺がちゃんと、忠告してやったのによ」

その言葉に哀しくなって、目を伏せた。
いきがるだなんて……僕にそんなつもりは無かったのに。

「仕方ないさ。誰でも自分の度量を試してみたくなる時はある。
転校生―――緋勇とかいったか。レスリング部の部員がいいがかりをつけたようですまなかったな。
だが、これに懲りたら二度とあいつらには関わらん事――」
「何を言っているの!?ふたりともッ!!」


美里さんが、突然叫んだ。
蓬莱寺くんも遮られた形になった醍醐くんも、驚いた目で、彼女を見ていた。

「緋勇くんが、いつ粋がったの!?彼が自分から好んで、佐久間くんたちと関わったの!?違うでしょう……?
それなのに、弱いくせに?これに懲りたら?……ふたりとも、変よ」

僕が弱いのは、本当だから仕方の無いことだと思う。
けれど、美里さんの言葉は本当に嬉しかった。

「わりィ……なんか緋勇なら平気な気がしたんだよ。
だから止めに入るのが遅くなっちまったんだ。……すまねェ」
「すまん……俺も言いすぎた」


気まずい空気の中、だれかもう一人がやってくる。

せっかく、見物に来たのになァ――そういいながらきたのは、桜井さんだった。
美里さんが、少し責める口調となる。

「小蒔ったら……なにいってるの。緋勇くんがこんなに怪我してるのに」
「あらら……、大丈夫?まったく、佐久間クンも手加減知らないんだから」

呆れた様子でそう言ってから、桜井さんは不思議そうに首を捻った。

「でも……、緋勇クンってなんか強そうな気がしたんだけどな。緋勇クン。今の、本気だったの?」

身長だけは高いからそう見えるのかもしれないけど……。本気も何も、僕は人と喧嘩をしたことなんて無い。
苦笑しながら頷いた。

「そっか……。ボクの勘違いかあ」
「もうッ、そんなことよりも、緋勇くんの手当てをしなきゃ……。保健室まで少し遠いけど、大丈夫?」


優しくてを引いて、美里さんは僕を連れていってくれた。
暖かくて、懐かしくて――――なぜか涙が出そうになった。




日本史の課題である不動巡りの帰り、新宿通りにて――

「おいッ、信号が変わる。走ろうぜッ」

蓬莱寺くんに促されて、交差点で走ろうとしたときに誰かとぶつかった。
軽い悲鳴に、思わず立ち止まる。

「痛たた……。ごめんなさい。ボーッとしてて」

こちらの方こそ頭を下げようと思い、その子に向き直る。
栗色の髪の女の子の顔を見た瞬間、気が遠くなった。


廃材などが転がる部屋で、少女が力無い笑みを浮かべていた。
血の気の引いた顔が――グッショリと赤く濡れた床が語っていた。
彼女は、もうすぐ死ぬと。

『さようなら、龍麻さん。あなたに会えて良かった…』


知らない人たちが何人かやってきては、僕を慰めていく。
金髪を逆立てた人も、看護服の女の子も、茶髪の女性も知らない。
隣のクラスの、占いで有名な子も、話した事はない。

けれど、皆が、僕に龍麻と呼びかけ、話していく。


『気が済むまで、泣けばいいさ』
『あのね、悲しいときはね〜、思いっきり泣いてもいいんだよ』
『元気だしなよ。そんなくらい顔、あたし、いつまでも見てらんないよッ』
『残された人の想いが強いと、魂は大地に縛られるのよ〜。……元気だしてね〜』

僕は、落ち着いた様子でポツポツと応対していた。
かつて出ていた声と同じ声なのに、調子も話し方も僕と全く違う。ずっと大人びた態度だった。

最後にやってきたのも、見た事の無い道着姿の大きな人だった。

『……しっかりしろよ。どうだ?気晴らしにひとつ俺と闘ってみるか』


2メートル近い人と僕が喧嘩?
なんの冗談だろう――そう思っていると、僕の口から勝手に言葉が流れた。

『あはは、怪我するぞ……いいのか?』
『ああ。いつでも相手になってやる。ぶっ倒れるまで闘って、そして……忘れてしまえ』


僕が……闘っていた。
鋭い目で、全然違う顔付きで。その人と互角、いや、それ以上に。

やがて壁を背にへたり込んだ僕に、同じ状態のその人が、痛ましそうに聞いた。

『少しは気がはれたか?』
『はれる訳無いな。だが……ありがとう』



頭が混乱する。これは一体……。



「お怪我はないですか」

問い掛けられたその声で、我に返る。
今のは一体なんだったんだろう。皆、知らない人だった。自分さえも。

そして、血に塗れた女の子は、目の前で心配そうにこちらを見ている。
怪我なんて、どこもしていない。
それから、彼女を凝視していたことにやっと気付き、慌てて頷いた。

「そうですか。よかったァ。本当にごめんなさい」

重ねて謝る彼女に、今度は首を横に振る。
そもそも僕が急に走ったのだから。

「あの、もしかして、あなた、言葉が……?」

言葉を発しない僕に気付いたようで、彼女はやや蔭った表情で言った。
自分にとっては、そこまで気になることでもないので、頷いて肯定する。

「あッ、ごめんなさい。いきなりそんなことを聞いて。
ただ、初めて会ったはずなのになんだか……、昔どこかで―――」

彼女も僕と同じ感覚を?
『どこかで会ったような』――真神の皆にも、感じていた。
だが、彼らは特にそんなことはない様子だから、気のせいだと思っていた。

なのに、もうひとり同じ感覚を持つ人がいた。
もっと詳しく聞きたかったけれど、僕は筆記用具を持っていない限り、自分からは質問できない。

「緋勇くん?」

困っていたら、心配してくれたのか、美里さんが探しに戻ってきてくれた。

「あ……ごめんなさい。変な事言って。
また会えると良いですね」

その子は、頭を下げて人込みに紛れていく。

――名前さえも、聞きそびれてしまった。




転入してから約二ヶ月が経過した。

相変わらず、佐久間くんには睨まれているけれど、醍醐くんや京一くんが意識して庇ってくれているので、あれから暴力を振るわれることはなかった。

いまだに声は出ないけど、もうそのことにも、学園生活にも――無難に流れていく日々にも、随分と慣れてきたころ、美里さんに屋上に呼び出された。


「貴方が好きなの」

彼女がそう言ってくれたとき、驚いたけど嬉しかった。

転校してきたばかりで戸惑っていた僕に、親切に接してくれた人。
頭が良くて綺麗で、運動神経まで良い真神の聖女。学園中の憧れの的。

だけど、僕はこんなにも弱いし、話すこともできない

そう手話で伝える。
美里さんは、元からボランティアの関係で、手話を少し知っていた。
僕という実践対象ができてからは、相当なレベルを理解できるようになっていた。

彼女は、クスッと柔らかく微笑んだ。
優しく首を振る。

「貴方は弱くなんてないわ。人を傷付けるのが嫌いなだけ。
力を持った人が、強いというわけじゃない。誰よりも優しくて暖かい、そんな貴方が好き」


佐久間くんの事を考えると、少し怖かった。
けれど……嬉しかった。
だから、彼女に伝える。

『僕も、初めて会ったときから、君が好きだった』――と。



いつものメンバーで、病院の側を通っているときだった。
蓬莱寺くんが、笑いながら言う。

「知ってっか?この病院の噂」

何でも巨大な女の化け物が出る――そういう噂らしい。
身の丈3メートルって……皆で、笑っていたら、聞き覚えのある声がした。

「緋勇さんッ……」

掛けられた声に振り向くと、そこにはあの交差点でぶつかった栗色の髪の少女がいた。
僕とどこかで会ったような気がする――そう自信無さそうに言った子だ。

「キミ……、緋勇の知り合い?」
「え……」

いきなり爽やかに笑いかけられて、彼女は驚いた顔になる。
けれど、蓬莱寺くんは気にせず、キメたまま名乗る。

「俺―――蓬莱寺 京一。よろしく」
「あッ、わたし―――、比良坂紗夜っていいます」

比良坂紗夜――知らない、そんな印象的な名は。
それなのに……知っている。口にした事も……ある。

「はじめまして、蓬莱寺さん。緋勇さんも……、こんにちは」

頷きながら、内心で首を傾げていた。

そこに、比良坂さんの後ろから、二十代半ばくらいの男の人が現れる。
彼女と良く似た、淡い栗色の髪の、整った顔立ちの人だった。

「紗夜?」
「あッ、兄さん。紹介しますね。わたしの兄の―――、」

比良坂さんの言葉を、隣の男の人が引き継ぐ。

「比良坂 英司です。……初めまして、緋勇 龍麻君」

「僕の名は、死蝋影司。品川にある高校の教師をしている」


今浮かんだのは、何だろう。英司さんと同じ顔の人が、全く違う表情で名乗っていた。
なぜ?今、初めて会ったはずなのに。

「おい、緋勇」

醍醐くんの心配そうな声で、我に返る。
頭が痛い……。

「どうかしたのかい?僕の顔に何か……?緋勇 龍麻君?」

心配そうに、僕の顔を覗きこむ英司さんの声に、映像が重なる。

「紗夜はねェ、僕の命令で君を観察してきたのさ」


嘲笑を浮かべる英司さんの言葉に、頭がガンガンと鳴り出す。
気持ちが悪い……、身体が熱い。

「緋勇さん……?どうしたんですか!?緋勇さん―――ッ」
「緋勇くんッ」

ふたりの呼び声さえも遠い。
知らない映像が流れる。


『僕を拒む奴らは、みんな死んでしまえばいいさ』
『唐栖ーッ!!』

対峙しているのは、槍を振るう金髪を逆立てた人と、鴉を何羽も従えた、長髪の黒ずくめの人。


金髪の人は、前に渋谷で会った蓬莱寺くんの喧嘩相手だ。
なんで……?この長髪の人とは、名前で呼び合って、仲良さそうに歩いていたはずだ。


『この女、泣きも叫びもしないんだぜ』
『凶津、貴様ぁ』

嘲弄する声に、怒りに燃える声が応じる。


おかしい。
この凶津という人は、最近醍醐くんに紹介されたはずだ。
中学の時の『親友』で、今は自動車の修理工をしていると。


『ようこそ、あたしたちの国――夢の世界へ』
『葵をボクに譲ってくれるなら、君たちは無事に帰してあげるけど?』


彼らは課外授業で不動巡りをした時に、江戸川区の目黄不動で見かけたふたりだ。
苛めれられていたらしい男の子を、女の人の方が凛々しく助けていた。
仲だって良さそうだった。

なのに――どうして映像では、ふたりともどこか壊れたような嘲笑を浮かべているのか。


緋勇さん―――ッ!!


だれかの必死の呼び声に、やっと意識が現実へと戻る。

「あの、どこか具合いが悪いんじゃ……」
「緋勇クン、顔色悪いよ?」

皆が、恐る恐るといった感じで覗き込んでくる。
慌てて、平気だと、美里さんに手話で示す。

「大丈夫かよ、お前」

それでもまだ、皆は心配そうだったけれど、

英司さんが申し訳なさそうに、比良坂さんに言う。

「紗夜、そろそろ―――、」
「あッ、はい。ごめんなさい。わたし、もう行かないと」

去っていく比良坂さんを見ながら、蓬莱寺くんが感心したように呟く。

「かわいいなァ……、紗夜ちゃん」
「また、始まったよ……。ほらッ、行こう」

呆れたように言う桜井さんと、それに言い返す蓬莱寺くんの様子は、いつも通りの日常だった。
なのに……どうしてこんなに不安になるのだろう。

まるで、全てが嘘であるかのような感覚を覚える。
そんなこと、あるはずが無いのに。



「こんにちは。あの……わたし、どうしてももう一度、会いたくて」

校門のところでペコリとお辞儀をしたのは、比良坂さんだった。
それから、迷った様子を見せながらも、彼女は続けた。

「少し……、わたしと話をしてもらえませんか?」

『あの時は、本当に助かりました。ありがとう。
今から、わたしと…デートしてくれませんか?』


前もこうやって一人で帰る時に、彼女が校門で待っていた事があった……ような気がする。


「どうしても、あなたとは初めて会った気がしないんです。
蓬莱寺さんから、緋勇さんは、事故のせいで、記憶が少し、混乱していると聞きました……」

そう……あの事故から、知らない光景を夢に見たりした。
知らない場所に強烈すぎる既視感を覚え、目眩を感じたのは一度や二度ではない。

でも、担当医の人は、事故の後遺症による記憶の混乱だと言っていた。
そのうちに治れば忘れてしまう、夢のようなものだと。

「だから――、もしかして、わたしたちどこかで会っているんじゃないかって。
わたし、そうおもうんです」

今日は少しだけ私に付き合って下さい――そう言われて、連れていかれた先は、品川だった。

比良坂さんは、終始笑顔で、楽しそうに水族館を後にした。

「ここの水族館、とっても綺麗だったでしょう?わたし、大好きなんです。水族館とか、動物園とか。
人間もそうだけど、命あるものはみんな綺麗……。
きっとそれは、一生懸命生きようって頑張るからなんですよね」

屈託なく笑い、それから吹いてきた涼しい風に、彼女は目を閉じて呟いた。

「きもちいい……」

しばらくしてから、ゆっくりと目を開き、彼女はこちらを向いた。

「緋勇さん。ひとつ聞いていいですか……」

頷くと、彼女は深刻そうな顔で言った。
奇跡を信じますか――と。

頷く。

奇跡だと思っていたから。
あの事故で生き残れたことも、美里さんをはじめとする真神の人達と出会えた事も。

「わたしも、信じています。
いったい、何が奇跡と呼べるのかはわかりません。でも、わたしは信じています。奇跡を……」

『わたしは、奇跡なんてないと思う。
あるなら、大切な人を失う事なんてないじゃないですか』


明るく笑った比良坂さんと、暗く蔭った顔の彼女が重なる。
全く別のことを言っていた。

「あッ―――、」

不意に彼女が、驚きの声をあげる。
小走りに走っていった先は、水飲み場。

「懐かしいなあ、ほら、水飲み場。
子供の頃は遊び疲れると公園の水、飲みませんでしたか?
今はすぐ、自動販売機でなにか買ってしまうけど」

口を近付ける彼女の姿が、ぶれて見える。
いつか見た、今でない風景。

白昼夢?

夢か現か――どちらか分からない彼女が、哀しそうに呟く。

「人は何かを得る為に、何かを失いながら生きている」

今……僕が得たものは何だろう。
平穏?
失ったものは、仲間?

いや、何の話なんだろう。
仲間って……何の事だ?

「どうして人は失ってしまうのかしら。大切な記憶さえも……」


頭が……痛い。 意識が、霞み出す。



どうやって彼女と別れて帰ったのか――全く覚えていない。
いや、それどころか、今がいつなのか、よく分からなくなってきた。



夢に見る。

酷い世界のことを。
目が覚めるとき、いつも声にならない声で悲鳴をあげる。

朧にしか――断片でしか覚えていない、恐怖の記憶。

友人であった人を自分の手で殺したり、何度も狙われたり殺されかけたりして――
異形の化け物と闘い、全身を血に染めて――

それは、あやふやなのに、どうしようもなく鮮烈で。
確かに存在しているはずの、平凡な『今』が薄まってしまう。


それを繰り返す度に、どちらが現実で、どちらが夢なのか、よく分からなくなってきた。


周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるか

古典で習った『胡蝶の夢』。
その一説が、最近よく浮かぶ。

僕は……狂ってきてるのだろうか。
現実と夢の境界さえも、見失いだしているのだろうか。




今日は部会の日とかで、各部の部長である蓬莱寺くんも醍醐くんも桜井さんも、総責任者である生徒会長の美里さんも居なかった。

彼らはこの機会を、ずっと狙っていたようだった。
――佐久間くんたちに、再度捕まった。


「最近調子に乗ってるみてェだな、緋勇。……美里の他にも女がいるんだって?」

体育館裏で、壁に叩き付けられた。
咳き込む僕の髪を掴んで、彼は更に言い募る。

「なんで美里がてめェみたいなのと付き合ってると思う? 同情なんだよ! 見下してんだよッ!!」

どうしてこんなにも佐久間くんが突っかかってくるのか、初めてわかった。
彼は――美里さんのことが好きなんだ。
気付いたために、脅えの色が顔に出てしまったんだろう。

佐久間くんは、もう一度僕を殴ってから、周囲の人たちに指示をした。

「やっちまえ。二度と調子付かねェようにな」




――ふざ……な、なん……俺がこん……あって……

え?
何かが聞こえた。
殴られ過ぎて耳鳴りがしているのかと思ったけれど違う。
ぞわりと身体の奥で、何かが動いたと感じだ。
それにともなって、頭に映像が浮かぶ。

度々感じる違和感の元である人たちの顔。
比良坂さんの屈託の無い笑顔、英司さんの穏やかな表情、佐久間くんの苛立った顔に、何かが重なる。

それは知らないはずの映像。
血に塗れた比良坂さんの儚い笑顔――、炎の中狂ったように笑い続ける英司さんの姿――、塵となって消えていく佐久間くんの姿。


襲ってくる異形の者たち、虚ろな目をした人たち、憎悪に顔を歪ませた人たち。
そして、時に血に塗れ、時に敵を引き裂く――僕の姿。
傷を負っても、人を傷付けても、人を……殺しても、揺るぐことのない、僕の冷たい貌。

夢で垣間見ては、悲鳴を上げる……それと同じ、けれど、遥かに鮮明な映像。

知らない――こんな辛い世界、僕が知っているはずがない。
いやだ、ここに居れば、もう誰にも狙われない。
もう誰も傷付けない。

違う。この世界の歴史は、違っている。


映像の世界を拒絶する自分に、誰かが囁く。
この世界の方こそを否定する声が、身体の奥から聞こえる。

唐栖は自分の手を汚さず、嵯峨野はそう苛められず、凶津は殺されず、死蝋が比良坂英司と名乗り、醍醐が佐久間を殺すことの無い世界。
そして心清き『僕』は、弱いながらも真っ直ぐに懸命に生きている。

それはそれで良いんだろう。誰もが不幸にはならない世界。
だが、一つだけ決定的に違う。だから、こんな世界許さない。


もう一度、強く顔を殴られる。
歯が折れたらしくて、口の中がじゃりじゃりする。

どこか心の奥の方で、何かが切れた音がする。
天秤が傾いていく。この世界を肯定する僕が薄れていく。

身体が――熱い。
どこかおぞましく、同時に懐かしい感覚。

同時に、今までは囁きだった声が、はっきりと聞こえ出す。
言い聞かせるように――宣言するように。

ふざけるな。
理不尽な暴力にさらされ、『俺』が脅えなければならない世界ならば、平和であろうと必要ない。


『こんな力などいらない』
世界を構成する鍵を――檻を、『彼』は否定する。
それを砕く呪文を、『彼』は口にする。

俺が力を持たない世界なんぞ――認めない

『こんな世界など要らない』





ガラスが割れるような音が、脳裏に響く。
おそらくは、自分にしか聞こえない『世界』の崩壊の音。

やはり馬鹿どもは、気付いていない。

「二度と美里に近付くんじゃねェぞ」

まだ自分の優位を信じたままの佐久間が、語気荒く怒鳴る。
全くもって愛らしい。
騎士気取りか?その面で。

だが、残念だったな。記憶が、力の使い方が、今の事情が――全て一挙に戻ってきた。
自分の顔に、昏い笑みが浮かぶのがわかる。

この表情を見たら、俺が東京を護る救世主だなんて、誰も信じないだろうな。
が、仕方ない。止まらない……愉しすぎるから。


「返事はどうした?また入院してェのかよ、緋勇」

そう言いながら肩を掴んだ不良さんの腕を、そっと握って笑いかける。
心から微笑んでいた。楽しくて、嬉しくて。

「ひっ」

彼は悲鳴を飲み込むような音を出した。
失礼だな、人が笑みを向けたのに。お仕置きをしてあげよう。

そして、視線は佐久間の方に向ける。
フフ……信じがたい怒りのあまり、笑みしかでてこないよ。

「感謝するよ、佐久間。お前のおかげで、元の世界に戻れそうだ。他の皆には、そちらで念入りな。それにしても佐久間、お前が死んでしまったのは、本当に残念だ。せめてこちらで丁重に礼をするとしよう」
「てめェ、話せたのか……おい、須藤!?」

怒鳴りかけた佐久間クンは、不良さんの異変にやっと気付いたようだ。

彼は、声も出せずに涙と鼻水だらけになっていた。俺がその手首を握り潰しているから。
野郎の手なんぞ握っていても面白くないので、一挙に力を込める。

「っぎゃああぁぁ」

絶叫する。煩いな、手首を砕かれたぐらいで。少し虚弱じゃないか?
涎がかかるといけないので、そいつをさっさと投げ飛ばす。勿論頭から壁に激突するように。


その動きに、身体が小さく悲鳴を上げた。
忌々しい……。先程までの『僕』の無抵抗主義に、感動さえ覚える。よくこんなことを、我慢できるものだ。


苛立ちを抑え、ざっと怪我の程度を診断する。
鈍い痛みが多い。熱を持っているほどの箇所はない。どうやら打撲だけのようだ。ひびはどこにも入っていない――この程度の傷なら、二秒で治せるな。

一瞬だけ目を瞑り、傷を全て癒す。
血が止まり痣が消えていく俺を、皆様が恐怖に引き攣った眼差しで見ている。

これは非常に気分が良い。だが、先刻までの態度を考えると、少々足りないな。不足分は――身体で払って頂こう。
一歩踏み出すと、彼らが硬直する。
辛うじて佐久間だけが、怒声をあげる。

「て……てめェ!!」
「口を利く許可は与えられんな。私の腹が立つから。貴様らは、黙って殴られていろ」

許す気も逃す気も、更々無い。さて……お楽しみはこれからだ。




全員を死なない程度にぶちのめした。入院一ヶ月は固いな。
佐久間クンが遠いので、稲葉の白兎のサメ渡り宜しく、不良さんたちの身体を踏んで佐久間クンの元へと向かう。途中でうめき声が聞こえたが、些細な事は気にしない主義だ。

端にいた佐久間の胸元に、勢いをつけて着地する。
勿論、これだけでは気が済まないので、佐久間の胸の辺りを爪先で踏みにじる。
彼は元の世界に戻ったら、存在しないのだから。今のうちに……な。

ゆっくりと力を込めて、肋骨の辺りを丹念に砕く。肺に刺さったりしないように、丁寧に。

すり潰す要領でぐりぐりやっていると、面白い悲鳴を上げながらじたばた暴れる。鬱陶しかったので、もう少し力を込めてみる。

「ぐがぁ」
「二度と調子に乗るな。今度は殺すからな」

背後から、焦った気配の醍醐と京一が走ってくるのを感じたので、急いで足をどける。


力も記憶も戻った。気配も明確に感じ取れるようになった。
さて、あとはどうすりゃ、戻れんのかね。

「龍麻、無事か!?うっ」

醍醐は、途中で絶句してしまった。すまん。血塗れだもんな。
説明はどうするのが最適なんだろう。ざっといくつか考えてみる。

「俺は、そろそろ永遠に居なくなるから、残った緋勇龍麻をよろしく頼みますよ。
ちなみに俺のことは、二重人格みたいなものだと理解してくれると助かります」

選んだのは、多重人格説。
彼らに向かって、他人行儀で語り掛ける。

「龍麻、しゃべれたのか?」

戸惑った様子で尋ねてくる京一に、外面用の笑いを浮かべて話し掛ける。
あくまでも、丁寧な口調は崩さずに。

「今の俺だけですがね。基本人格はまだ後遺症で無理です。
それに『彼』は弱いから。悪いけれど、この連中へのフォローも頼みます。じゃあ」

この世界が、俺を普通の人間として封じ込める為だけに構成された偽の世界なのか、俺が『普通の人間』である平行世界の一つなのかは知らんが、後者の場合は本来の『緋勇龍麻』のためにも、守ってやって欲しい。

だから、適当に理解しやすそうな説明をし、『この』龍麻の中から消える。
どこかから呼ばれているような気がするので、意識だけで、そこへと向かう。




跳んだ先の景色には、見覚えがあった。
あの廃屋だ。

軋みの要因のひとつ――比良坂の死の現場。


「比良坂、早くッ!!」
「は、はいッ」


縛り付けられた俺が、比良坂を急がせていた。
それを見た死蝋は、狂ったように叫ぶ。

「緋勇 龍麻――。お前が死ねばいいんだ。
お前が死ねば、紗夜は、僕の元へ帰って来る」


『緋勇 龍麻。お前さえいなければ……、お前が死ねばいいんだ』

良い感じに、あの時の台詞と被る。
消耗していたし、今よりも弱かった。だからあの時は、外せなかった。
両腕を拘束する鎖――今なら可能かもしれない。
焦る『俺』の中に入る。

「腐童、こいつを殺せ」

死蝋のその指示を聞いて、気分が一層焦る。
もう猶予はない……急がなくては。


「比良坂、外さなくていいから、どいてくれ。早くッ」

驚く彼女を下がらせて、氣を集中する。
よし、『今』のレベルで扱える。これなら可能なはずだ。


鎖を引き千切り、間近まで迫っていたゾンビから比良坂を庇う。
髪を薙いでいった風圧に、少々の鳥肌がたつ。が、ゆっくりとびびってもいられない。空振りしたそいつに、ありったけの光の氣を叩き付けた。

さらさらと崩れていくそれを確認してから、即、腕の中に視線を移す。

「龍麻さん!?」

――良かった。腕の中の比良坂を、抱きしめる。
どこも怪我をしていない。



「ククク」

おかしそうに笑う死蝋に、ああ狂ったのかとの視線を向けた。
だが、違いに気付いた。こいつは死蝋ではない、まして、比良坂英司でもない。

……なるほど。
そういえば、あの比良坂英司には、やたらとフルネームで呼ばれていたな。

「柳生か。ボス自ら、封じ込めたはずの相手を監視するとは、ずいぶんと暇人なのだな」
「これ程の《力》とは……。さすが、《器》の資格をもつ者よ」

……ほんと人の話を聞かない野郎だ。
奴は感心したように頷いてから、語り出す。

「六道は――あの女は、平行世界を創り出す者。己の中に眠れば、貴様の記憶も意志も、やがて吸収され、ただの人格のひとつにまで落ちるはずだった。
誤算だったな。まさか、貴様がここまで傲慢だとは」
「だったら、お前も自分が何の力も持たない世界に放り込まれてみろ。絶対に世界の方を壊すぞ」


失礼な言い草に、少々むかついて言い返す。
だってな……傲慢もなにも本気で腹たつぞ、あんな連中に良いように暴力を振るわれて。

それにしても、創り出された疑似世界なら、奴等を殺しておけば良かった。
あの世界の自分の将来を考えて、生かしておいただけなのに。

「ふっふっふ……。待っているぞ。貴様が帰って来るのを。その時こそ、雌雄を決しようぞ――」

他人の身体でも変わらない様子で、偉そうに言い残すと、死蝋の形は消滅していった。
もう不要だから――か。

それにしても、雌雄を決すると言われても……、あれ、俺の負けだったんと違うのか?
重傷 VS 本来なら死んでいた瀕死  だろう?




「ありがとう。
……自分がいた世界へ戻るのね。がんばって。たくさんの人が、あなたの《力》を必要としている」

比良坂……。
せっかく護れたのにな。

「ここが創られた世界だということは――君を救えたことに意味はないのか?」

いや……さっきまでの『緋勇龍麻が力を持たない』疑似世界なら、この事件自体が生じていないはずだ。

どういう事なんだ?
過去に戻った訳でもないだろう。あの死蝋は柳生だったのだから。
では、この――比良坂を救えた世界は『誰』が創ったんだ?


「わたし、気付いたの。わたしにも――、あなたのために使える《力》があるんだ……って。
龍麻さんの進む道が、つらく苦しい闇の道でもわたしが、照らしてあげる」

考え込んでいたら、比良坂が優しく諭すように言った。
意味が掴めず、彼女を凝視してしまう。

「あなたが、わたしが助かる世界を創ってくれた。
わたしの――比良坂の血に宿るは、常世と現世を繋ぐ糸を紡ぐ力。そう、世界と世界とを結ぶ糸を」


俺がこの世界を創った?
世界と世界を結ぶ糸?

聞きたい事はまだまだあった。

が、比良坂の声を聞きながらも、意識が渦に飲み込まれるように薄れていく。
元の世界に、強制的に戻されているのか?


またさよならになるのかもしれないが、これだけは願っておく――比良坂、その世界だけだとしても、幸せになってくれ。

『きっと、照らしてあげるから……。きっと――――』

比良坂の声が、急激に遠ざかっていく。
それに伴い、違う場所からの声が大きくなっていく。
同じく――比良坂の声が。


――さん、龍麻さんッ

ぼやけた景色に、栗色のかたまりが映る。
それが栗色の髪の少女だと――彼女だと気付くまでに、一拍の時間が掛かった。

「目が覚めたんですね、良かった。皆さんを呼んできます」

比良坂?
腕の中で冷たくなった――、炎の中に消えていった彼女は、確かに本物だったはずだ。

『世界と世界とを結ぶ糸』――それで、世界を書き換えたのか?
戻ってくる際に、比良坂を救えた世界と現実を結び、そちらの方を、史実と設定したのだろうか。

「ええッ!?ど、どうしたんですか?手なんか握って……。恥ずかしいです……」

……理屈はよく分からないが、それはどうでもいい話だ。
また会えたのだから。約束した通りに。

「久しぶり、比良坂」


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