この景色は記憶にある。
確か……もう随分前になるが、織部家にお邪魔した時のものだ。
「な、なにをするのじゃ!! ぐわあああッ!! う…ううッ」
老人の悲鳴に、そちらに焦点をあわせる。
「ふっふっふっ。
今こうして、ふたつの鍵が我が手に。
時は満ちた――――――」
愉しそうに笑っているのは、例によってみつあみ男。
「うう。きッ、貴様……!!」
「ふっふっふっ……今宵は気分がいい。織部の……。貴様は生きて、この世界の終幕を見届けるがいい。
程なく訪れる混沌と戦乱―――、この地が真に血の記憶を取り戻す様をな―――」
この明瞭さは、遠見。
今現実に、どこかで起きていること。
早く目を覚まし、皆に知らせなければ。
が、決意と裏腹に、意識が戻らない。
それと同時に、新たに、途切れ途切れの映像が現れる。
こ、今度は予知か?
二本立てなんて、初だ。そう思っているそばから、女性の声が流れる。
――――龍麻。
来て……くれたのね。
本当のワタシは、どちらを望んでいたのかしら。
アナタが来てくれること? それとも……。
けれど、もう……、
引き返すことはできない……。
その女性が寂しそうに空を見上げる。
金の髪の――長身。
今夜は満月……。
紅の満月が心を奪い、心地よい狂気へと誘う……。
そんな夜だわ…。
龍麻……、今夜アナタをここへ呼んだのは、
教師としてじゃない。
ワタシは―――、
アナタを……
マリア先生の声。
これはやはり……。
流石に今度こそ、意識が戻っていく。
眩しい。
「お、目が覚めたか?」
そう笑ったのは、雪乃。
六道さんの事件後、三日間眠り続けた。
そして、一昨日異空間から戻り、昨日葵とデートする為に脱走し、力の制御が危うくなって、桜ヶ丘中央病院に担ぎ込まれて、今は大晦日だというのに、特別室にて監禁中。
織部姉妹とシェンには、龍の力が暴走しかけたときには、よく協力してもらっている。
――ということは、だ。
「雪乃、雛乃は!?」
「な、なんだよ? 雛は次の当番だから、その辺にいると思うぜ。……尤も、オレ達だけじゃなくて、ほとんどいるけどよ」
やはり雛乃もここに。
……それは非常にまずい。
織部のじいさんといえば、結構強いはずだが老人だ。
それが、あのオッサンに斬られたんだから。
「近くにいる連中、全員病室に呼んでくれ」
「あ、ああ」
ホントに、こんなにいたとは。
コスモと霧島くんカップルと芙蓉とマリィを除き、揃っていた。
「また脱走する気ならば、わしの最強の結界に封じるぞ」
召集に気付き、岩山先生も来ていた。
相当本気な彼女の言葉に、苦笑するしかない。
……信用ないな。
だが、今はそれどころじゃない。
「違います。それよりも、先生と舞子は、申し訳ないが急患の用意を願います」
「何?」
この面子だと、いくらでもパーティーを作れるが、少数精鋭が良いだろう。
それに回復役を足すか。
「何人かに、織部神社に行って欲しい。……雪・雛、それとシェンと紅葉と御門と葵。念の為、翡翠も頼む」
呼ばれた人間が、怪訝な顔をする。
中距離、遠距離、剣、拳、攻撃術、回復術――それだけ充実させてるから、何事かと思うんだろう。
もう奴はいないと思うが――それでも、この程度の用心は必要だろう。
「今、遠くを覗き見た。記憶のある廊下の先――前に雛乃に聞いた、乃木大将の遺品があるという蔵と思われる場所で、神主装束の老人が、柳生に斬られた」
ふたりが全く同じ表情で硬直した。
さすがは双子――とか言っている場合ではないな。
「そんな……御爺様が」
「龍麻くん!? 嘘じゃないのか!?」
蒼白になった彼女らに、首を振る。
残念ながら、あれは、確かに起きた事。
「そんな悪趣味な嘘は言わん。『貴様は生きて、この世界の終幕を見届ろ』――柳生はそう言っていたから、命に別状はないと思うが、そのメンバーで急行。細かい判断は、紅葉か翡翠に任せる」
戻ってきた皆が、慌ただしく動いていた。
柳生の言葉は正しかったらしく、神主さんの傷は致命傷ではなかった。
そして、葵と御門による治癒により、それはもう塞がっていた。
ただ、この寒い中しばらく血の中で倒れていた事、やはり御老体である事等から、大事を取って、集中治療室に運ばれていた。
「大変だったね、おじいちゃん」
「はい……。皆様方と向かったところ、渡り廊下に御爺様が、血まみれで」
雛乃が沈んだ顔で、状況を説明する。
雪乃の方はパニックに近かったらしく、今は舞子と亜里沙つきで、おじいさんの付き添いをしているらしい。
「日本刀でバッサリ――か。やっぱり、ひーちゃんの夢のとおり」
「あァ。柳生宗崇とかいったか……それで、何か他に変わったことはなかったのか?」
「はい。以前、皆様にもお話ししたとおもいますが、我が神社には、乃木家よりお預かりした、御大将の遺品がございます」
小蒔の試合の帰りに寄ったときのこと。
『もうすぐ塔が完成する、その時、我が国は変わるであろう』――それが乃木大将の言葉。
その塔に関係するものが、ひとつは靖国神社に――、そして、もうひとつは織部神社に預けられた、という話だったか。
「もしかして……、それが盗まれた、とか?」
遠慮がちに訊ねる小蒔の言葉に、雛乃の顔色が更に曇る。
真面目な彼女には、預かり物が盗まれたということも、辛いのだろう。
「はい。お預かりしていたのは白い桐の箱だったのですが、奥の扉が壊され、その箱だけが忽然と消えていたのです」
他に幾らでも貴重品のある中で、それだけを正確に――か。
ふたつの鍵が我が手に――そんなことを言っていたな。
「龍脈の力を狙うあの男が、それを盗んだとなると……、どうやら、相当重要な意味があるようだな」
「はい。先程お越しいただいた龍山様も、そのことについて、話があると」
途中、ロビーであった雪乃の顔色は、本当に酷かった。
病室に居ると、どんどん沈んでいくから――支えるように傍に居た亜里沙と舞子が、小声でそう説明した。
正しい判断かもしれない。
それにしても、当初は亜里沙が雛乃を嫌っていたおかげで、本人達よりもむしろ、雪乃と亜里沙の仲が最悪だったのだが、変わるものだな。
本来――彼女らは似ている。
気が強く姉御肌で、困っている人を見捨てられなくて、その実、酷く脆い所があって。
相性自体は、良いのかもしれない。
「今しばらくの猶予があるかとおもうておったが……、事はわしらが考えていたよりもずっと早く運んでいたようじゃ」
集中治療室の隣の控え室で、暗い表情の龍山先生が言った。
説明を開始しようとした先生は、テレビから流れる音声に何か気付いたのか、近くに居た葵に、ボリュームを上げさせた。
『本日、午後9時頃―――靖国神社に刃物を持った男が押し入り、蔵に安置されていた、桐製の小箱を奪い、逃走しました。
警察は犯人の行方を追うと共に、強盗殺人事件として捜査に――――――』
流れたアナウンサーの声に、正直呆れた。
わざわざ殺したんかよ、別にその必要も無かったろうに。……被害者の人、大晦日が命日か、可哀相に。
しかし『刃物を持った男が押し入り』って、ヤバい人みたいだな。
――と、どうでも良い感想は胸に収めて、真剣な顔で龍山先生に尋ねてみる。
「『ふたつの鍵が我が手に』柳生は、そう言ってました。
織部と靖国に納められていた桐製の小箱の中身、奴はその鍵とやらを既に手にしてしまったということですね」
「うむ。このふたつの箱に納められていたものこそは、封印を解く鍵なのじゃ」
頷く先生に、皆が首を傾げる。
説明不足に気付いたのか、鍵が封じていたものを、先生は丁寧に語りだした。
「帝都の刻より、この地に眠り続けてきた、双頭の龍を―――、何処かに眠る、龍命の塔を起動させる鍵なのじゃよ―――」
最後にそう結んだ龍山先生の言葉に、醍醐が顔を曇らせて訊ねる。
「あの、柳生という男は、もしかして、塔の場所を?」
おそらく。すでに、封印は解かれているかもしれない――弟子の問いを、先生は肯定する。
それも最悪の形で。
「緋勇よ、お主の父親もそれは強い男であった。
じゃが、それでも……、その身を挺してようやく、数年の間奴を封じるのが精一杯であった」
それは本当なのかな。
父親びいきというわけでもないつもりだが、あの人が本気だったかどうかわからない。
あの人は――妻を喪ったときから、死にたかったのだから。
「私たちは……、止める事ができるんでしょうか」
――独白のような葵の呟きに、龍山先生は、重々しく頷いた。
「今、お主らに必要なのは、自分たちの《力》を信じることじゃ」
信じる事でどうにかなるなら、人生楽だよな――と、内心で思っていたら、先生は更に語り出した。
「わしは、この時代にふたつの《器》が現れた事には、意味があるとおもうのじゃよ。もともと、《器》も、龍脈によって得た《力》も混沌に属する存在」
どちらでもなく、どちらでもあり。
陰陽選ぶことができてどうこうと、確か昔も言われたな。
「それが、《人ならざる力》を持ち得たあの男―――、柳生宗祟という、新たな混沌の出現によって、《陽》と《陰》に別れたというても過言ではない。この乱れた因果律を修正することができるのは、《器》たる血脈を持つお主のみ―――」
全ては、柳生が悪い――ってか?
《陰の器》はともかく、《陰の黄龍》ともいえる存在は、昔っからあるよな。
それが、因果律の抜け道になったんじゃないのか?
運命が、代用品なんて失礼なものを用意するから――それが悪いんでは?
「わしは、お主の力を信じておる。お主と、お主の元に集う仲間たちの力を、信じておるよ」
運命にむかついていたら、話が変わっていた。
先生は、更に真っ直ぐな瞳をして言った。
緋勇よ、頼んだぞ――と。
「はい。絶対に断ってみせますよ」
面倒な、運命の繰り糸とやらを。
あくまでも自分と――少数の大切な人の為に。
「うむ。頼もしい限りじゃの。最早、お主だけが、この地を護る切り札なのじゃ」
必ず生きて戻れ――と続ける先生の、痛ましそうな、後悔するような目には、流石に心が痛んだ。
父を思い出したんだろうな。
ただ、安心して欲しい。
俺はそんなに善人ではないから。きっと……生き残るさ。
「ヘヘヘ、 心配すんなよ、ジジイ。ひーちゃんにゃ、俺たちがついてるからよ」
「えェ。私たちみんな、最後まで龍麻と一緒よ」
大船に乗ったつもりで――そう言って頼もしく笑った京一に、葵が安心させるように頷いてみせる。
「ここまでみんなでやってきたんだ。だから、今さら下手に気負うことなんかないぞ」
「そうそうッ、きっとまた、なんとかなるよッ!! だから、ひーちゃん……、みんなでがんばろうねッ!!」
醍醐と小蒔が、敢えて楽観的に続ける。
醍醐なんて、本来は心配性なくせに――俺を安心させるために。
本当に、なんて気持ちの良い連中なんだろう。
藍や小鈴や雄慶、京梧たちに、龍斗が抱かせた想いを――
父が、龍山先生らに味合わせた無念を――、彼らに教えたくはない。
そうすると、必然的に切り捨てることになる。
これから襲ってくるであろう……敵の事を。
……彼女のことを。
「あッ、除夜の鐘だよッ!! そっか、もう12時になるんだよねッ」
響いた鐘の音に、小蒔が天を振り仰ぐ。
ああ……一年の終わりか。
「えへへッ、やっぱこういう時は、カウントダウンだよねッ。5秒前……4……、3……2……1……」
病院特有の正確な時計を見ながら、小蒔が嬉しそうにカウントする。
その秒針が、0を指すと同時だった。
「わッ―――!!」
「きゃあッ!!」
「何だッ!?」
「じ……地震!?」
皆の悲鳴が交錯する。
地震にしては、おかしい。――気持ち悪い。
「龍山先生、ちょっと封印願います」
座り込み、先生を見上げる。
自分でも制御できそうなレベルだが、疲れていることだし術士に頼んだ方が楽だ。
「緋勇? まさか―――、 始まってしまったのか? 龍命の塔の起動が……」
「おそらく。軽くて構わないので、お願いいたします」
「う、うむ」
慌てて、簡単な氣の制御をしてくれた先生の表情が沈む。
彼は暗い表情のままで、塔について語り出す。
「地中にて稼動し始めた塔は、大地のエネルギーを吸い上げ、一昼夜の後に、地上に姿を現す。そして、塔の出現によって、大地の力は、さらに増幅され、天昇する龍の如く、一点の高みへと駆け登る」
己を受け入れるに相応しい者の待つ上野――寛永寺へか。
寛永寺――天海によって、江戸の刻より護られてきた、この東京の龍穴。
どさくさに紛れてぶっ壊したくなるのはなぜだろう。
やっぱ、徳川の事が嫌いだからなのだろうか。
「塔が完全に現れるまで、一昼夜か。ならば、今日の所は帰って体を休めておくべきだろうな」
「うん、そうだよね。今更ジタバタしたってしょうがないもんね!!」
慎重に思案するような醍醐の言葉を、小蒔が明るく肯定する。
なんか合っているようで、ちょっとすれ違ってる会話だ。
相変わらず嬢ちゃんは前向きじゃのう――しばしの間、お気に入りの孫を見るじいさんの目になり、それから切り替えるように、先生は表情を引き締める。
「新しい年の始めの日じゃ。地元の花園さんに、初詣くらい行っておけ」
皆、その言葉に頷く。
明日……いや、既に今日か。必勝祈願を兼ねてお参りへ行く――そういう結論になる。
「俺たちはそろそろ帰るとしよう。時間も時間だし、家に帰って、少しは眠らないとな」
そうしたほうがいいぜ――しっかりとした声が、醍醐に対して掛けられた。
「睡眠不足は体力だけでなく、集中力も衰えさせるからな」
それは、幾分すっきりとした様子の雪乃だった。
その態度から判断するに、どうやらお祖父さんの様態は、峠を越したようだ。
雪乃を支えるように隣にいた雛乃が、状況を的確に説明する。
「後はお医者様にお任せして、わたくし共も神社へ戻ります。初詣に来られた方の、お世話もしなくてはなりませんからね」
舞子や亜里沙ほか、皆も一度家に帰ったらしい。
そうだな……新年くらい、ゆっくりとして欲しい。家族と話して欲しい。
「今日は皆様も、ゆっくり休まれて下さい。そのくらいの気持ちの余裕がなければ、とても立ち向かえるような相手ではないでしょうから」
雛乃は、微笑んでそう続けた。か弱そうで儚そうで――その実、本当に強い人だな。
祖父が重傷を負って――心配でない訳が無い。
それなのに、これだけ他者を気遣えるのだから。
「うむ。その通りじゃろう。では……気をつけてな」
思いの丈を込めて見つめてくる先生に、礼をして、病院を後にする。
安心して欲しい。気を付けて……全てを終わらせるさ。
「いよいよだな―――。とうとう、決着をつける時がきたんだな」
人気の無い中央公園を通るとき、不意に醍醐が言った。
「あァ……。ここまで、結構、長かったな。それもこれも、たったひとりの野望のせいで、か」
「そのためだけに……、たくさんの人が犠牲になったんだ。みんな、そいつのせいで―――」
意外にも静かに呟いた京一に対し、小蒔が怒りを滲ませて応じた。
ぎゅっと握った拳が、痛々しい。
その肩にそっと手を置き、葵が穏やかに言う。
「これ以上誰も、犠牲になんてさせられない。私たちが、終わらせなくちゃ。ね、龍麻?」
「だね。今度こそ――確実に」
それが鬼道衆の連中を『使う』ことになったとしても。
己の陰氣の塊など、消えて欲しいだろうから、申し訳ないとは思う。
それでも――あの誇り高きからくりの姫を、忠義に満ちた風使いを、奇妙に明るい戦闘狂を、純朴で優しい大男を、高潔な宣教師を、――哀しみのあまり鬼として生きる事を誓った奴等の魂を弄んだことは許さない。
「えェ。……龍麻も、あまりひとりで無理をしないでね。いつだって、私たちがついてるんだから」
ありがたいけど、君らを巻き込む気は、あまりない。
今更かもしれないが、人を殺すところを見せたくない。
そんな事を考えながら曖昧に肯いていたら、京一と醍醐が、柳生のあの制服は、天龍院ではないか――と、言い出した。
……なんで他校の制服なんぞを知っているんだ?
あ、喧嘩三昧だと、そういうのに詳しくなるのかもしれないな。
「天龍院? あの、都庁の向こう側にある……?」
葵の言葉に、何かが引っ掛かった。
都庁の向こうって……、まさか都庁を中心として、真神の対角線なのか?
それは、絶対に意味がある。
「あそこの制服って、紅だったっけ? 今は生徒も少ないから、ほとんど見なくなったし」
「あァ。確かあそこは、5年前に廃校が決まって、今は、3年だけが卒業を待ってる状態のはずだろ?」
皆、他校のことに詳しすぎないか?
つーか、あの老け顔の分際で、高校生に成りすまそうと思えたのかが不思議だ。
笑いたいところなんだが、このシリアスな雰囲気で、それはまずいだろう。
「でも、それが本当なら、柳生という人は、天龍院高校へ、転校生を装って侵入したとも考えられるわ。
一体、何のために?」
「わからんな。天龍院自体に、何か意味があるとでもいうのか?」
どうやら別に笑うところじゃないらしい。
真面目に考察している。
あいつが日直したり、掃除当番やってたのかと思うと、それだけで面白いんだが。
体操着姿とか……それは、仲間にも面白そうなのがいるな。
皇神の体育風景とか、金払ってでも見てみたい。
「よせよせ、考えたってしょうがねェよ。今の俺たちにできるのは、明日に備えて寝ることだけだ」
それが正しいな。
今更考えても、できる事など少ない。
「それもそうだよね。 明日はどうする? ボクたち、学校へアン子を迎えに行くんだけど」
正月まで泊まりで卒業アルバムの編集かよ――叫ぶ京一に、心から同意。
そこまで根詰めて平気なのか?
「アン子ちゃん、自分にできるのはこれくらいだから、って。それでも、私たちと一緒に初詣には行きたいっていってたの」
……健気だ。
「龍麻は明日はどうする?」
直に神社に行く京一たちと、学校へ迎えに行く葵たちか。
そんな話を聞いてしまったら、行くしかないだろう。
……学校へ。
「うふふ、よかった。龍麻が迎えに来てくれれば、アン子ちゃんもきっと喜ぶもの」
だと良いが。
とりあえず新宿駅東口で待ち合わせということになり、解散する。
流石に今日は、皆、家に帰った。
おそらく仲間全員が、そうしているのだろう。――家族との時間を過ごす為に。
少し――家族の声が聞きたくなったが、こんな時間に電話したら、三年はグチグチ言われるだろう。
そういう人達だ。
部屋に鍵を開けて入ると、誰も居ない――真っ暗なはずの部屋が、微かに光っていた。
原因は、鞄に入れたままの五色の摩尼。
光を放つそれをテーブルに並べ、しばらくぼうっと眺めていた。
あの鬼道五人衆の元となった連中のことが、思い出される。
自分も一歩間違えれば、彼らと変わらなかったはず。
黄龍というあまりの使い勝手の良さから、徳川は緋勇の家を人質に取り、龍斗を取込む事を選択した。
もう少し力が弱ければ、ただ邪魔者として一族を殺されて、彼らと同じ側で、復讐に生きていたかもしれない。
そもそも、一族襲撃の際に、殺されていたかもしれない。あの頃の幕府は、そういった悲劇を飽きる程に生み出していたのだから。
翡翠と違い、徳川に義理なぞ欠片も無いし、その眠りを護る為に闘ってる訳ではない。
とはいえ、宝珠が具現化した連中を倒した。百三十余年の時を挟んで、鬼道衆の頭目を二度も殺した。
昔は幕府直属の人間だった、彼らの計画を何度か邪魔をした。
そんな立場で――この珠の力、本当に呼べるのだろうか。
おまけに、九角の血を引くとはいえ、基本は陽である自分に、陰を基調とするこれを、制御できるのか。
マイナス面ばかりが浮かび、自信が少々揺らいだ。
気分でも落ち着かせようかと、最も近き存在の土――黒色の珠に、触れてみようかと思った瞬間に、携帯が鳴る。
どこかで覗いていたようなタイミングの良さに、相当驚いた。
……この着信音は、実家からだ。
いかに元旦といえども、紅白さえ最後まで見られないあの人達から、この時間に電話?
普段は、十時過ぎには明りが消える角倉家から?
今が午前一時過ぎであることを確認し、首を傾げながら出る。
『眠い。全く、こんな時間に非常識な』
開口一番これだった。
眠い時特有の、不機嫌な義兄の声。変わっていない。
が、ちょっと待て。
「って、そっちが電話してきたんだろうに。何の用ですかい?」
ツッコミには動じないようだ。まだ不機嫌ながらもぼーっとした低い声で、義兄は続ける。
父さんからの伝言だが――そう前置きした上で。
『ちょんまげ姿の鬼修とかいう人が、夢枕にたったらしい。で、鬼道の陽の方を、お前に伝えろとさ』
父さんは眠いからって、人を叩き起こして、内容を伝えて、さっさとまた寝てしまった――と、責める口調で、しばらくグダグダ言われる。
え……と、それは、悪いのは俺じゃないと思うんだが。
ひとしきり文句を言い垂れた後で、義兄はやっと教えてくれた。
五行による、陰の結界の呪言を。
最後に一言付け加えられた。
『我らが裔を、怨念から解放してやってくれ――だとさ。じゃあな』
必要事項を告げると、さっさと切ってしまう。
おそらく、掛け直しても、既に出やしないはずだ――下手したら、コードも抜かれてるかもしれない。
相変わらずの、マイペースっぷり。
……怨念からの解放か。
あの男は純粋に、菩薩眼の姫に惚れただけ。復讐なぞ、望んじゃいなかった――という噂は、真実だったわけだ。
それにしても、鬼修自らが伝言――義父の血は、本当に濃いんだな。
生々しくて嫌だから、葵には告げなかったが、義父が一族に強要されたのは、復讐だけではなかった。
もう一つは、倫理上も生物学上も危険なこと。
類稀な強き氣を持つあの人が、菩薩眼の女と――実の妹と子を生して、黄龍の器の資格を持った九角の正統後継者を創り出す。
既にあの人には、恋人がいた。
その上、実妹と交わることなど、認める訳がないのに。
虐げられてきたがゆえに、九角の血脈の人は、少しおかしくなってしまったのかもしれない。
一族の人間に、無理強いさせてまで、遥か昔の無念を晴らす意味があるのか。
そんな簡単なことさえも、判断できなくなっていたのだから。
――と、感傷に浸っている場合ではないことに気付いた。
自分の乏しい記憶力で、あんなに長い呪言を覚えておける訳が無い。
慌てて紙と取り出して、言われた通りに書きなぐる。
言霊は補助に過ぎない。精神を集中させ、その力に指向性を与える為のもの。
ゆえに多少の間違いがあっても、平気な気もするが、本来は向いていない力を使うのだから、そういう所くらい完璧を期した方が無難だろう。
暗記の為、眺めていて気付いた。
この呪法は、ひとりでやるもんではないことに。
五行の属性の人間が、自属性の力を呼び出し、それを制御に優れた誰かが、まとめあげるんだ。
もしかしたら、霊宝・五色方陣の鬼道バージョンなのかもしれない。
つまり……御門並みの制御力が必要だと?
本当に可能なのか不安になってきた。そもそも、力の呼出もできるのか?
黄龍の属性は一応土だが、同時に全属性を兼ねる存在でもあるから、可能といえば可能な気もするが。
四神に、木・水・火・金を担当させ、紅葉に土の代わりを頼み、それを俺が纏め上げる方が無難ではある。
問題は、これを使った後に、柳生を殺すってとこにある。
翡翠と紅葉は問題なかろうが、ほかの三人には、刺激が強い。特にマリィのことを考えると、絶対にできん。
結局のところ、難易度が高かろうが、自分でやるしかない。
あのオッサンをぶっ殺すと決めた原因は、大部分が私怨なのだから。
『お願いだから、ひとりで無理をしないで』
『私をひとりにしないで』
葵の涙声を忘れるわけではないが、やっぱりあのオッサンは許し難いしな。
……にしても、あの葵は可愛かった。
冷静に考えれば気付きそうなのに。あの注射は、麻酔薬だったってことに。
痺れていたから意識は遠かったが、音声や感覚くらいは感じる。
泣かれた時点でどうしようかと思ったが、結局動けるようになるまで、そのままで居るしかなかった。
痺れが取れた後、彼女を起こさないように拘束から抜け出し、腹筋だけで起き上がったら、頬が涙で濡れたまま眠ってるんもんな。
オジサン、もう少しで襲うかと思ったよ。流石に自制して布団を掛けるのに留めたがな。
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