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逃げ惑う中年男性の両の足首に、細身のナイフが刺さる。
もつれ転び、己の足の状態に気付いた男が、絶叫をあげる前に、その喉元に静かにナイフを入れる。

「拳武の裁き――――だそうだ」

告げ、刃を横一文字に引き、横へ回る。

迸る鮮血。倒れていく身体。
返り血さえ浴びずに、その命を喪ったモノを、無感動に眺めていた。

この光景を覚えている。ゆえに夢を見ているのだと自覚した。
これは初仕事――――初めて人を殺したときの事。

「すげェな……。眉根一つ動かさねェとは」
「ガタガタ震えればご満足ですか? 殺人狂と名高い貴方の言葉とも思えませんね」

掛けられた揶揄と――恐怖の混じった声に、不機嫌に応じる。
長めの髪を後ろで縛った男が、口元を歪める。

「へッ言うねェ。俺は……初仕事の後は、吐きまくったぜ。翌日までずっとな」


未だ血の池を広げ続けるうつ伏せの男を足で返し、冷たい目で眺め、鼻で笑う。

「ふん……。逃げられぬようにと放ったナイフは細身、出血量も少ない。そして止めは投擲用とは異なり幅広の刃で、確実に――か。しかも悲鳴さえあげられぬように喉を裂き、己は返り血さえ浴びぬように留意している」

確かに血は一滴も浴びていない。だが、こんなにも嫌悪の混じった目で見られなければならないことだろうか。ましてや、相手は拳武きっての殺人狂だというのに。

「……完璧すぎて恐ろしいほどだな。最終試験は無論合格だ。さぞかし優秀な暗殺者になれるだろうよ」

恐ろしいか。仕方ないだろう。
ずっと特殊な教育を受けてきた。
忍びにおいて、人命なぞは、必要に応じて増減させるべき数でしかないと教育されてきた。

内心の不満をわずかな表情から読んだのか、先輩は口元を歪め、毒を吐く。

異常者に誉められても嬉しくねェって面だな。だがな――――

たっぷりと間を取り、嘲弄を消さずに彼は続けた。

「俺に言わせりゃ、お前やあの野郎の方が、余程狂ってる。表情一つ変えずに、人の命を止められるんだからな」

宿月


目が覚めて、首を傾げる。
随分と懐かしい夢を見たものだ――と。

あの頃には心外としか思えなかった言葉だった。
殺人鬼に投げられた『お前の方が狂ってる』。

今なら――――理解できる気もする。



彼はどうしているのだろう。

副館長派の筆頭として、協力していた彼だ。
副館長粛清の折に、同様に粛清されたというのが、拳武での一般的な説だ。

だが、彼の腕は確かであった。加えて生きたいとの執念も強かった。人を殺し――他者の命を消してきたからには、それを糧としてきた己の命だけは無駄になどできないと、考えていた。
生半可な人間には殺せまい。


「少し時間を頂いても宜しいですか?」

出会い頭に、話し掛ける。あの人の消息を詳しく知っていそうな人物に。
僅かに首を傾げ、それでも彼は頷いて手にしていた編み棒と毛糸の見える袋を部室に置きに行ってくれた。

……手芸部とは聞いていたが、本当だったのだな。


学園に設置されたカメラと盗聴器の範囲外である数少ない場所で、率直に尋ねる。

「俺の教育係であった人がどうなったのか、教えていただきたいのですが」

彼は目を細め、少しの間を置いて口を開いた。

「どうして聞きたいのかとか、そんなことは別に構わない。が、残念だったね。
結論から言わせてもらと、詳しくは知らない。彼はね、副館長が勝手に受けた依頼人によって、殺されたらしいから」
「……どんな力を持った依頼人なんですか、それは」

やはり――――既に殺されていたか。
それにしてもどういう事だ?
あの人を殺せる力があるならば、本人が手を下せばよい。わざわざ大量の裏金を使ってまで、拳武に依頼する必要もないだろうに。

「何百年と生き続けた、化け物剣士さ。尤も、その化け物も、とある人物に倒されたけれどね。
ああ、そうだ――――彼なら、コトの詳細も『視』たかもしれない」
「彼?」

嫌な予感がして、つい顔を顰める。

「依頼対象者でもあったから、事情にも詳しいんじゃないかな。幸い――君も顔見知りだし」

珍しくにんまりと笑いながら、彼は予想通りの聞きたくない答えをくれた。
……あの人か。


真神学園の三年生であるとだけ、教えてもらう。
あまり他人のことを言えた義理ではないが、『大人びた』を通り越し――老成したとさえいえる空気を纏っているのに。意外に若いのだなと思った。



校門前にて所在無く立っていたら、やたらと不可解な気配を持つ一団がやってくることが感じられた。
顔を上げ、思う。
目立ちすぎだろう――と。

気配の観点からもそうだが、外見だけでも特異だ。長身というよりは既に大男というべき青年、竹刀袋らしきものを携帯した赤毛の青年、茶髪のボーイッシュな可愛らしい少女に、黒髪の綺麗な少女、そして、更には彼。

これだけ目立つ五人衆だとは。

視線を感じたのか、彼らが自分に気付く。
こちらの制服から事情を察したのか、赤毛の青年と大柄な青年が同時に身構えた。女性ふたりまで緊張した表情となったところから判断するに、彼らと拳武のかかわりは、かなり深いのかもしれない。

緊迫する空気の中、ただひとり笑みを浮かべた優し『げ』な青年が片手を上げる。

「やあ、お久しぶり」
「どうもご無沙汰しております。少々お時間頂けますか?」

呑気な様子の彼に、合わせるように頭を下げる。
変わらずに緊張したままの周囲の人たちに聞かせるように、敢えて大声で告げる。

「物騒な用件ではなく、少しお伺いしたいことがあるのですが」




「皆はカウンターの方で食ってて。あ、君はこっち」

彼は奥まった二人席へ向かい、手招きする。
ラーメン屋で、常連らしい様子とは意外だった。

「で、どしたん?」

パキと割り箸を割りながら、彼は首を傾げる。
退院の見送りに来た時も思ったのだが、彼は夜と普段の態度に差があり過ぎるのではないだろうか。言葉遣いから態度から――身に纏う空気の温度さえもが違う。

同門であるあの人に言わせれば、闘いとそれ以外の際が異なるのだとのことだが、どうだか。どうにも時間帯で決まっているような気がしてならない。

「あることについて、ある方に相談したところ、おそらく貴方が詳しいはずだ――――との助言を頂きました」
「ある方――ね。あの野郎、面倒事を……。で、あることとは?」

拳武最強の剣士だった人間の消息について――と告げると同時に、耳障りな音が三連発響いた。
なにも三人揃って、器を落とすこともなかろうに。

    「ちょ……皆、手は平気?」
    「あ、ウン。大丈夫……」
    「ああ、すまない……」
    「わりィ、おっちゃん。……手が滑っちまって」

黒髪の女性以外の三人が器を落としたらしく、店主らしき男性に謝っている声が聞こえてきた。
聞き耳を立てること自体は構わないが、もう少し態度には出さない方が良いかと思われる。

対照的に目の前の人物は変わらない様子で――――、いや、僅かに視線を逸らしながら、食べ続けていた。促す風でもなく、ただそのままに。
その代わりなのか、赤毛の青年が険しい表情で、間に入ってきた。

「何でそれを知りたいんだ? 敵討ちか?」

強い声で、光る瞳で問うてくる。緊張と警戒を顕わにしながら。いや……それだけではない。どこか――愉しそうだ。
そんな赤毛の青年に、彼は一瞬だけ咎めるような目を向けたが、結局、黙ったまま麺を啜っていた。

「敵を討ちたいわけではない。元凶を責めるつもりもない。
ただ、知りたいのですよ。教育係だったという縁もありますし、消息不明のままでは……哀れですから」

あいつが哀れだと?

納得できないといった風に、首を捻った赤毛の青年に対し、頷いて肯定を示す。
それは紛れも無い真実だったから。

嘗て同級生も言っていた。同じく最狂の剣士に教育を受けた青年は、いつだったか待ち時間に、唐突に話をふって来た。

『皆があの人のことをサドと陰口叩いていたが、あれは違うよな?』

話の内容が掴めずに首を傾げた。あれをサドといわずに、何がサドなのか。
そう問い返すと、相手は首を横に振った。

『弱い相手を苛むのは、浅い。彼の中でのサディストの認識がそうなんだろうな』

しみじみと続けた言葉に潜む穏やかな気持ち悪さに、やばい、こいつの方が本物だとの認識を覚える。

『這いつくばった強い相手の、それでも折れない瞳を眺めて笑いながら踏み躙るのが楽しいんじゃないか。堕ちるまで時間が掛かれば掛かるほど――待てコラ、引くな』

引くに決まってるだろうと応じて少々身を引きながら、『殺人狂』への違和感の原因を理解した。
あまりに陳腐な嗜虐嗜好。凡庸な殺人鬼。
すべてがわざとらしいほどにありがちであった。それこそが――おかしいのだ。ステロタイプすぎるというべきか。

拳武に入れば、嫌でも知る。殺人者は、多種多様。

優しく聖母の如く、慈悲を施すかのように微笑みながら人を切り刻む少女もいれば、震え慄きながらも的確に縊り殺す少年もいる。何の感慨も無く、他者の命に幕を引ける人間も、ここにいる。

世間一般にイメージされる、刃に滴る血を舐めとり、血に塗れながら哄笑するような輩は、見たことがない。――彼の行動以外では。


「可哀想な人ではあったんですよ。彼は人を殺す『重さ』に耐えられなかった。俺や、ある種の人間にとっては感じる事すらない重さに」
「それは皮肉かな?」

視線を向けると、眉を顰められたが、特に構わないことにする。
事実を婉曲的に告げても意味は無いだろう。彼が己と同類だということは、一目見た時点で判ったのだから。

「じゃ、じゃあ、なんでアイツは、あんなに楽しそうに人を傷つけてたんだよ」

理解の範疇を超えたのだろう。赤毛の青年は、テーブルを強く叩き、叫んだ。
彼の方は、悟ったように、赤毛の青年を押しとどめる。

「事情を聞くな。聞いても、もう、仕方がないだろ」
「けどよッ!!」

真直ぐな青年に対し、もしかしたら苛立ちを覚えたのかもしれない。
自然と、彼らは知らない方が望ましいであろう事を、口にしていた。

「あの人は妹さんの手術代の為に、暗殺組に入ったそうです。そもそも、家系的にも、元から拳武と関わりがあったそうですが」

赤毛の青年が息を呑んだ。
殺人狂の自業自得の死と関わっただけだと思っていたはずの彼らに、教えてしまう。

あの人には、仕方のない事情があったと。
殺人狂などではなく、苦悩する人間であったと。

「読めたよ。妹さんの手術は失敗したんだろう? そして、それと、奴がおかしくなった時期は重なるわけだ」

それを聞いても変わることなく、彼は冷めた目のまま最後の麺をすすり、器を置いた。
どこかどうでも良さそうに、的確な分析を続ける。

「全ては『妹の為』に。そう歯を食いしばって耐えてきた理由を失ったから、新たな理由が必要となった。
だから奴は殺人狂となった。狂っているから、血が好きだから――――だから、人を殺すのだと思い込むしかなかった。理由がなければ、人を殺せなかった」

その通りだった。
あの人は、拳武に最も多い、やむを得ぬ事情を抱え、仕方なしに暗殺の道を選んだ者だった。それが、いつしか高名な殺人狂となった。

変化の契機となったのは間違いなく――――二年の時の妹さんの手術の失敗だった。

「じゃあ、止めればよかったじゃねェか!!」
「では、それまでに殺してきた人たちはどうなる?」

静かな声に、赤毛の青年の表情が凍った。

「『無駄』に殺してしまった人たちのために、奴は理由を切り替えたんだろ。妹を救うためではなく、狂ってるから、人を殺すのだと」

彼はあっさりと結論付けた。
それが正しい。人の命を操るには、あの人にはどうしても理由が必要で。『妹の為に』という理由を失ってからは、『殺人狂だから』ということに、縋りついた。

「彼は殺しが苦手だった、止めさえさせなかった。確かに致命傷を与えたと確信したら、息の根を止めることなくその前に立ち去るのです」

それだけは『狂う』前も、その後も変わりは無く。確かな腕を持ちながら、いつも止めを刺せなかった。
標的はたまったものではなかっただろう。致死の傷を負わされながら、即死はさせてもらえない。彼とて却って残酷な事をしているとの自覚もあったろう。それでも――己が手で絶命する人間の、最期の瞬間に立ち会うことは出来なかった。

彼があの人を憎んでいたのは、拳武で囁かれているような理由ではない。
あの人が館長のお気に入りだから妬んでいるのでも、最低限の標的しか殺さない高潔に見える仕事を疎んでいるわけでもない。簡単なことだった。

同じく拳武のトップとされながら、あの人は何の感慨もなく作業として人を殺せる。自分がどれほど思い込んでも、狂ったふりをしてもなお消えず、必死で目を背けている想いを、あの人は抱いてさえいない。

ゆえに畏れた。ゆえに憎んでいた。

「道理で……。あいつと相性が悪かったはずだ」

彼は納得した様子で頷いた。続いて独り言のように肩を竦める。

「トップのひとりとしては、あまりに無能だと不思議だったんだ。あの時も、普通の人間には致命傷を与えたはずだから、そのまま足早に立ち去ったのか」
「それは?」

最後の仕事の話だろうか。
あの時、自分には別の話が入っていて、詳細を全く知らなかった。

「ああ、俺たちが依頼されたときの話で、最初に狙われたのが、彼だ」

赤毛の青年を指差し、彼はあっさりと答えた。

「その癖のおかげで助かったんだが、何故止めを刺さなかったのかが不思議だったんだ。最初は拳武でないのかとさえ思った」

で、結論から言えば――と、彼は世間話のように軽く死を告げた。

間違いなく殺されている。
おそらくは魂さえ、消滅した完璧な形で。

「この前、同じ男による犠牲者で霊体を保てた者と会ったが、奴では無理だろう。おそらく、犠牲者の中で霊体が維持できたのは、その――――彼だけだと思う。か……彼? は、他の犠牲者と比べて、霊的強度が桁違いだったからね」

この辺は、彼の兄弟子と非常に良く似ている。誤魔化す事はせずに、簡潔に結論を述べてしまう。
尤も、後半は不思議なほど歯切れが悪かったが。何かあるのか?

「アレからどんな説明を受けたのか知らないけれど、俺はいわゆる透視みたいな能力を持ってることは持ってるんだが、完璧には制御できていない。基本は夢の形をとって現われるんだ」

確かに彼の死の場面を見はしたが、仔細を把握しているわけではないのだという。

「実力者は『視』られていることに気付きやすい。
他の人にだが、前、接続を切るのが遅れて、怪我させられたこともあったから、悲鳴と血飛沫を見て、すぐに目を覚ました。んで、ゆっくりとは見ていなかったんだ。……直に見たいと思う?」

明らかに気乗りしていない表情で訊ねてくる。不審に思い、詳細を訊ね返して納得した。
『夢』を媒体とするからには、同時に眠らなければならない。可能な限り接触があることが望ましい。最低でも手をつないで隣で寝ろとは、それは嫌だろう。

無論、此方もだ。


「そいつは、妄執を持つ人間に声を掛けていたらしい。己を狂っていると信じたかった人間には、魅力的な話だったんじゃないか? 修羅たちだけが生き残れる殺伐とした世界は」

場所への案内だけを頼むと、彼は他の真神の人たちを断固として帰らせ、道中で経緯を語りだした。
己が狙われた理由。彼が巻き込まれた原因。手を下した人間の抱いていた妄想。

ここだとなんら変哲の無い一角を指して、彼は立ち止まり、溜息と共に言った。

「さっさと君辺りが殺してやれば良かったのに。人を殺さなければ存在意義が保てないのに、人を殺すと正気でいられない人間なんて、可哀想だろ」

幾度も考えたことではある。
あの凄まじい技量を考慮しても、不意をつくなり、最善を尽くせば不可能ではないことを、何故しなかったのか。

「それは……」

だが、問いに答える前に、他者の声がした。

「本当に、お前が手引きしていたのか」
「だから言ったじゃない。そして、隣の茶髪の男が、彼の死の原因よ」

尾行者の存在には気付いていた。彼も小さく眉をひそめただけで何も言わないところをみると、察知していたのだろう。

出てきたのは一組の男女。女は知らない。肩は開き、豊かな胸元まで顕わ。正気を疑うような、妙な和装束。狂気を確信させる淀んだ瞳。美女であるのに――気色が悪い。
もうひとりはよく見知っている。同級生で、同じ境遇で、そして、同じくあの人に教育を受けた男で――ドSだ。

同級生の憎悪は自分へ向けられているようだが、女の方の恨みの対象は、違うようであった。

全くもって他人事といった表情であった彼は、憎しみを込めて睨みつける女の眼差しに気付き、不思議そうに首を傾げ問う。

「貴女は何処のどちらさまで?」
「貴方は父を殺し、あの人を陰陽寮に引き渡した。憎むには十分でしょう?」

……何ていうのだろうか。
激しい視線と恨みの言葉に対して、彼が浮かべた表情は、一言で表すなら『はん』であった。鼻で笑うってこれかと納得させられるだけの――嘲弄。

穏やかで優しげ。
常に纏う擬似の印象が消失する。

「……寝呆けたことを」

傲岸不遜に。冷酷無残に。

「ずいぶんと下らん逆恨みで。……わざわざ眼前に転がってきた路傍の石を、邪魔だと砕いたところで、非難される筋合いなどない。違ってますか?」

彼は冷ややかに断言する。
己の力量を省みずに、道に触れたことこそが罪だと。

女の紅潮する様子すら気にならないようで、呆れの表情で、近くのガードレールに腰掛ける。

……手伝わないつもりだろうか。それは少し困る。

ナイフを数本取り出し、視線を僅かに向け、勝手に任せる。

「女の方をお願いします。ところで――平然と嘘をつけますか?」

問いに返ってきたのは、ものすごく爽やかな微笑み。そして『曇りの無い澄んだ瞳で可能だよ』という答え。さらには、先を読んだのか、問い返される。

「じゃあこの女性は、殺ちゃった方が良いのかな?」

禁忌との意識は皆無らしい。殺してもらった方が楽といえば楽だが、撲殺死体は目立ちすぎる。無難な刃物での死を演出したい。

「それは俺がします。動きさえ奪っておいて下されば十分です」

全ての罪を女に押し付ける。
本来、この男を助ける義理などない。だが――彼は数少ない、あの人の深層を知る者。

「同じ教育係を持った縁があるから、お前は助けてやろう」

勿論、その為には、叩きのめし、拳武に釈明させ、認められなければならないが。

「馬鹿にしてんのか? 飛び道具NO.1」
「俺はどんなカス相手だろうと、侮ったりはしない。ましてお前のレベルを相手にはな」

怒りに目を細める相手に、肩を竦めて応じる。相手の過小評価も己の過大評価もしない。
その上での計算結果は――自分が勝つ。

「うたってろッ!!」

放たれた大量のナイフを、同じくナイフを投じることで相殺する。
馬鹿にしてなどいない。彼の技量は相当のもの。
ゆえに同じ系列の武器を使用し、かつ最強とされる自分へのコンプレックスはかなり強い。それは、付け目にもなる。




ガードレールに腰掛けていた彼は、女がカードのようなものを取り出しても動かなかった。
なんだか厨ニくさい言葉を口にしながら、女が投じても同様に。

「……なんだよアレ。マジでトップレベルじゃねェか」

呆然とした眼前の相手の呟きに、隙を作らぬ程度僅かに視線を向ければ、未だ元の位置から動かぬ彼が、ガードレールに手をつき、ひょいひょいと飛来するものを蹴り砕いていた。
ブレイクダンス……というよりは、体操競技のあん馬みたいなものか。

おそらく相手の技量が低くて退屈なのだろう。自分の中で、縛りをつけたようだ。ガードレールに置いた手を動かさないという規制を。

「トップの人の、二卵性の弟さんらしいぞ」

視線を敵へと戻し、適当に返した言葉に、即座につっこみが入る。

「冗談でも止めてくれ」

そう大きな声でもないというのに、よく聞こえるものだ。
まあ、あちらはあれほどに余裕を見せているのだから、任せきりにしても問題ないだろう。意識を集中する。


正確に、まったくもって同じ本数で、ナイフの相殺を続ける。
段々と相手の顔に焦燥が見え隠れする。

彼は精密な連射を可能とする。それが強み。なのに他者、しかも後出しで同様に相殺され続ければ、焦るのも当然。

そして焦りは、隙を生む。
相手の取り出したナイフよりも数本多く手に取ったことに、気付けない程度には。


「器用だなあ。今のって跳ナイフっていうのかな?」

パチパチと呑気に拍手され脱力する。確かに原理は跳弾と同じだが、その呼び名は止めていただきたい。激しく語呂が悪すぎる。

糸により気を失った同級生を縛り、音の元を振り返る。

其方はとっくに終わっていたのだろう。
暇そうに腰掛けて、こちらを眺めていた人物を睨み、話し掛ける。

「助けようとの発想は、一片も浮かばなかったのですか?」
「何故にそんな無用な苦労を。彼は中々の腕だったが、戦闘力を数値で表したとすると、ナイフを使う状態の君の、七〜八割程度だろ。余程のことがない限り安全な戦力差だし、更に君にはアレもある」

そもそもハイレベルの飛び道具使い同士の間に入るなんて怖いだろ――と、中央に突然置かれたとしても平然と避けるであろう技量の持ち主が、嘘を口にして笑う。

抗弁する気力を失い、彼の横へ視線を移せば、女は地べたに伏せていた。捩れた四肢から、間接を外してあるのだと察せられる。

「どうして――こんなことが」

妙に聞き取りにくい声。
よくよく見れば、顎も外されているのだと分かった。

「無駄。どんな風に持て囃され調子に乗ったのかしらんが、君の陰陽師の力は、東の棟梁の三割、その宿敵の三分の一程度。所詮ぎりぎりで『一流』止まり。下らん矜持で挑んでこないでいただきたい。鬱陶しいから」

例として挙げられた名のことは、よく分からないが、やはり彼女程度では、この人の相手にはならなかったようだ。

「父君も、恋人も、仕掛けてきたのはそちらから。無駄かつ愚かな選択でしたな。貴方がたのことなど、欠片の興味も有していなかったのに」

にこにこと笑み、侮蔑を隠そうともしない。心底見下している。

女の憎悪の眼差しは、特に気にする必要はないだろう。事情は自分に関わりはないのだし、あったとしても知ったことではない。

一歩近付き、苦しげに身を捩る女の白い喉元に刃先を滑らした。

うつ伏せに倒れた女の周辺が、たっぷりと赤く染まるのを待ち、静かにナイフを抜く。あまり強く血が吹き出ぬように緩やかに動かし、それでも吹き出た血から、身そのものをかわす。

女を眺めていた彼が、不意に呟く。

「腹減ったなあ」
「デリカシーという言葉を御存知ですか?」

顔を顰めて問いを投げれば、返ってくるのは定義。

「『感情、心配りなどの繊細さ』だろう?」

それがどうかしたのかな――と、至極平然とした表情にて首を傾げる相手に、頭が痛くなってきた。
この人とまともに付き合っている『先輩』に、少し尊敬の念を抱いた。

「血を見ると昂ぶったり笑いたくなったりはしないが、普通におなか空くんだよ。ああ、肉が食いたい。おにくー」
「とりあえず黙ってください」

笑いながら、びちゃびちゃと死体を掻き回されても鬱陶しいが、平然と食欲を語られるのも――流石に嫌だ。

痛みすら感じてきた額に手を当てていると、気配というにも満たない、微かな違和感のようなものを察知した。
額にあった手を袖口に引き込み、数本のナイフを落とすと同時に、相手は姿を現した。

「常人なのだよな? ……素晴らしいものだ」

感心したような声に、動きが止まってしまった。
この声は……。

横目で彼の姿を盗み見る。くすりと微笑んだ彼は、問う。

「お帰り。どうだった?」
「二百メートルほど離れた場所に居た。わざわざ式を使って、この程度の距離しか稼げないのならば、大した腕ではないな」

一流半辺りのランクだ――と。闇より現れた気配のない青年が、妙に素っ気無く答えた。
整った顔立ちも色素の薄い外見も――全てを見下したような冷めた眼差しも、なにもかもが同一。

元よりこの場にいた青年と。

「え……双子なんですか?」
「心の底からの『え、こんなのがふたりもこの世界に存在してんの!? 滅びるぞッ!!』って表情と物言いは失礼だ。で、安心しなさい。これは俺の能力だから」

心を完璧なまでに読まれた。エスパーなのだろうか。

新たに現れたもうひとりの彼は、元から居た方と重なり、陽炎のようにかき消えた。
こんな能力まで存在するのか。超常現象の実在を知ってはいるが、本当に非常識極まりないのだな。

「ではここでサヨウナラ……いや、言い訳についていっても、意味ないから」

ひとりに戻った後に、彼は平然と笑う。
小脇に男一人抱えた状態で非難がましく睨んでも、予定は変えてくれないらしい。

「ヒゲは、基本的に俺の言うことを信じないよ」

貴方は直弟子なんでしょうがという突っ込みが喉元まで出かけたが、恐らく事実なのだろうと納得してしまう。

それに用もあるしと笑う彼は、真っ黒過ぎて、逆に爽やかだった。

「では、お言葉に甘えて、処理をお願いします。図々しい話ですが、殺すか、身柄が手に入らぬところまで捨ててくださると助かります」
「ああ、なんだ気付いてたんだ」

常識的には在り得ぬ話だが、こんな妙な能力を持つ人間が実在するのだ。今ここで倒れ伏す女が、偽者でないとは断言できない。そして、経験から判ってしまったことがある。

「裂いた手ごたえに違和感がありました」



館長室に存在するのは、館長と副館長。そして当事者ということで、拳武のトップである人も興味もなさそうに報告を聞いていた。

「自分の意志です。あの人の狂気を知りながらも放置していた貴方たちが、厄介払いとばかりに見捨てたことが許せなかったからです」
「と思うように、意思を弄られていたようです」

覚悟を決めた瞳で、落ち着いて語る同級生の言葉を遮り、平然としたまま断定する。

「てめェ!! ッ!!」

縛られたまま、睨みつけてくる相手に視線を向けもしない。
ただ僅かに指先を動かし、拘束をきつくする。これで声も出せないだろう。

更に状況をでっちあげようと続ける前に、横手から声が聞こえた。

「本当ですよ。女は精神操作系の術者でしたし。あ、身柄は陰陽寮の人間に引き渡しましたけど。既に完了」

この三人が一斉に顔を顰めて振り返るというのも、ある意味で貴重な光景だろう。
『関係者以外立入禁止』どころか、関係者であろうとも極一部の者にしか立ち入れないはずの場へ、彼は平然と現れたのだから、当然の反応だともいえるが。

「ああ、突然の電話が」

彼の言葉に合わせるかのように、完璧なタイミングで、電話が鳴る。
拳武の館長室への電話など、そうそうあるはずもないというのに。


「なるほど。正式に受諾させていただく。……貴方もご苦労なことで。では」

電話を切った館長が、呆れた表情で言った。

陰陽寮という所からの正式な謝罪であったと。
はぐれ術者が、己の復讐心から、拳武の人間を『巻き込んだ』と。

「ふむ、ここまで証拠が揃えば納得できなくもない。……ところで、君は誰だね」

一瞬何を言っているのか分からず、呆気に取られた。何しろ視線の先は、確かに彼の直弟子。
だが、続いた兄弟子であるはずのヒトの言葉で合点が行く。

「知らない人ですね。不審者がこんな内部まで入り込めるのだから、拳武の治安は悪化しているのでしょう。彼が精神操作されていたというのも本当かもしれませんね」

頷き合う師匠と兄弟子の会話の内容に、彼は顔を顰めた。先というよりも、既に全てを予想したのだろう。そして、きっとそれは正解なのだろう。

……手助けしてくださったところ申し訳ないが、頑張ってください。俺は巻き込まれたくない。

「ああ、そういうことにするんだ。人としてどうだよ、それ」

思いッきり拗ねる彼。
構わずに、副館長までもが、納得した様子で手を叩く。

「では、かなりの腕利きである彼は、貴重な人材ですし、罰は特になしということですか。勿論――例の病院で、精神操作を解いてもらうため、入院する必要がありますが」

副館長も、彼との縁は深いのだろうか。とてもとても――楽しそうだ。

同級生については、例の病院に放り込まれることが処罰となるのだろう。
何度不要な身体検査をされたことか。……あの院長先生は、悪い人ではないのだろうが、人はかなり悪い。

そうだな。
そうですね。

――と頷きあう館長とトップの表情は、凄まじく爽やかだった。

「信じられない。無償で協力して、この扱い。酷すぎる」

本性を知らなければ、心が締め付けられたであろう。
震える声で呟き、哀しそうに、辛そうに俯く彼を、ものすごーく遠い立場から他人事のように眺め、一流の俳優になれるなと感動していた。

「見知らぬ不審者が何か言ってますね」
「ああ、始末しなくてはならないな」
「今、小太刀しか持ってないのですがね」

尤も、最良の演技も、この兄弟子と師匠と副館長には、微塵も通じないらしい。
嬉々として構える実力者たちに、彼の表情は一層痛切に翳る。胸の前で手を合わせ、祈るように天を仰いだ。

「私に罪悪を押し付けることで――総てが解決するというのならば、喜んでこの命を捧げましょう。神よ、この愚かで身勝手な人格破綻者たちの罪を赦したまえ……」

殉教者のように汚れの無い瞳であった。やはり信じるには、本性を知らなければという前提が必要だが。
おまけに十字を切る姿まで堂に入っている。実はクリスチャンだなどと言われたら、衝撃で気が遠くなるのだが。

「「「お前が言うな」」」

……全員素だ。

兄弟子の人が、凄まじい切れ味かつ高速の回し蹴りを放つ。
そのサイドから逃げ場をなくすかのように、館長の拳が襲う。
最も躱しにくいとされる腹部へと、副館長は神速の域で、小太刀を抜きうつ。

どうするのだろうと、数歩引いて眺めていて納得した。
こうするのか。

窓の外にも彼が居た。

館長室の正面の木に背を持たれかけ、彼は笑っていた。
気付いた自分に小さく手を振って、指を鳴らす。

同時に室内の彼が消失する。

流石というべきか、実力者たちは的が消失しても、激突するような無様な真似は見せなかった。
慣性すら瞬時に殺し、即座に窓へと振り向く。

だが残念なことに、既に彼の姿はなかった。
目を凝らして探ると、塀を乗り越えているところであった。



「元気か?」
「死にそうだ!! ってか、そのうち穢される!!」

意外に元気な様子の懲罰中の同級生を見舞った。

『謎の人物』は逃走してしまった為、『操られていた』腕利きは、本当に、これといって罰を受けなかった。ここに入院させられたこと以外は。

あの時の彼を倣い、シネラリアの鉢植えを窓辺に飾る。花の名を知っているのか、鉢植えが気に障ったのか、同級生は顔を顰めた。

「わざわざ嫌がらせを持ってくるか、普通」
「面倒に巻き込んでくれた礼だ。思慕だか愛だか知らんが、追悼は想うだけにしてほしかった」

更に顔が歪む。余程嫌だったらしい。
嗜虐趣味ということでは変態だが、同性愛者ではなかったようだ。

「あのなあ。別にあの人のことは好きだった訳でも尊敬していた訳でもない。慕っていたとも違う。『哀れだ』と同情していたんだから、むしろ見下していたって方が正しいんだろうな」

館長の話によれば、彼は潜在意識レベルではあったが、本当に精神を操作されていたらしい。仇に対してより強い怒りを抱くように、そしてあの人への哀れみが強くなるように。

「嫌いではなかったんだろ。なら、良かったんじゃないのか。そういう人間が自分の為に動いてくれたっていうだけで、あの人だって救われるだろう?」
「……お前がそんなことを言うなんて不気味だな」

人をどんな人間だと思っているのだろう。ここ最近、自分どころではなく破綻した性格の人間を見た為に、心外極まりない。
少しムッとして黙っていたら、相手の方が口を開いた。

本当だろうか――と。

「救われるんだろうか? 己を偽ったまま、しかも早死にだったというのに」
「確かに早かった。だが――良い最期だったんじゃないのか? あの人はもう歩みを止めたいのに、技量と信念の為に、それも叶わなかった」

彼は己の罪を怖れた。向き合うことも、背負うことも、投げ捨てることもできなかった。ただ狂った振りで、目を逸らしながらも、苦しみ続けていた。

罰を欲しがっていた。
踏み込んでしまった血塗れの道が恐ろしくて。もう進むことも、戻ることも出来ず、震えて立ち尽くしていた。

「殺人狂の自業自得の死――あの人が何よりも求めていたものだろう」

何故殺してやらなかったのか。
これが問いへの答えだ。

死にたかった。死ねなかった。

自分やこのナイフ使いのような人間が殺したとしたら、最期に彼は気付いてしまう。
愚かではない彼は、真実を知る。
気遣って『殺してくれた』のだと察してしまう。

だがそれでは駄目なのだ。助ける為の死では、罰ではなく、救いになってしまう。

彼が欲しかったのは、意味などない死。
憎まれるのでなく、哀れまれるのではなく。なんら感情を抱かず、気紛れのように殺して欲しかった。

彼を殺した男は、憎んだわけでもなく蔑んだわけでもなく、当然哀れんだわけでもなく。

ただ邪魔になるから。
偶々近くにいたから。
殺しておいた方が無難だから。

だから殺したのだという。

それは、まさに彼の願っていたものだろう。

良かったと思う。
最期の最期で、彼の願いは叶ったのだから。