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Maria Blanka

「じゃあ、今度逢ったら」
「殺し合い――だな」

物騒な言葉の割には、呑気な雰囲気が流れていた。
ふたりとも、壁に背を凭れ、全く緊張した様子がないからか。

「やれやれ。あー日の出だ。もうそんな時間か」
「今日は休むか。面倒だ。……なんだ、その面は?」

面倒くさそうに応じた九角は、相手の反応に顔を顰めた。
驚愕というよりも、もはや驚嘆というに相応しいほどに、緋勇は驚きの表情を浮かべていた。
それは喩えるならば、『ムンクの叫び』であった。

「………………学校、ちゃんと行ってんのか!?」
「てめェは、本ッ当に、失礼な奴だな」

出会った時の事も併せて、腹が立ってきたのだろう。元々温和とは言い難い九角の顔は、憤怒の色に満ちていた。


「だって、マジに意外でさ。けど休むんなら、ウチで着替えてったらどうだ? 血塗れなんだから、俺たち」

――黒だから、まだ良いけど。

肩を竦めた緋勇の言葉通り、確かにふたりとも黒の服が更に濃く染まり、湿っていた。返り血のみで。


「はい、バスローブ。服は洗濯機に突っ込んどけ」

緋勇は、やたら豪華なバスローブを、嫌そうな顔の九角に押し付けた。
わざわざ、いやがらせの為だけに、前に女から貰い、押入れに仕舞いこんだままのものを、探し出したのだから、侮れない性格をしている。


憤然としたまま、だが背に腹は替えられないとの結論に至った九角は、浴室へと向かった。その間に、担任へ欠席を伝えるメールを送った緋勇は、更に食事の仕度へと移る。


「出たぞ」
「あいよ。じゃ、寝てろ。腹減ってたら、そこの食ってて良いからって……なんでお前が着ると、バスローブが浴衣に見えるんだろうな」

呆れたとも感心したともつかない微妙な表情で、緋勇がぼそっと呟いた。本心らしい。
対して九角は、憮然とした表情で応じる。

「知るかよ。お前は、何処で寝るんだ? 一緒とか言わねェよな。そっちの趣味は無ェぞ」
「安心しろ。俺にも1mmたりとも存在しない」

即答であった。しかも無表情。余程嫌だったらしい。
しばらくしてから緋勇は表情を戻し、彼にしては優しい言葉を口にする。

「俺はソファーで寝るよ。気にせんで良いからな。お前の方が、遥かに大変だったんだから」

丁度洗濯が終わる頃に、緋勇は風呂から出た。
聞こえてきたのは高鼾。……九角は既に、何の遠慮もなく爆睡していた。

「殺そうかな」

それはそれでむかついたらしく、少しばかり本気の顔で、緋勇は呟いていた。
だが、妙なところでマメな性格の緋勇は、やるべきことはやる主義のようで、洗濯の残りを続ける。

細々と働くうちに、殺意を忘れたらしく、洗濯物を満足そうに干したのち、彼も眠りに入った。


緋勇は、なにかの音で、目が覚ました。
携帯の着信音のようだ。
のそのそと手に取り、画面を見ると、『蓬莱寺 京一』と表示されていた。

「はい? ……ああ、風邪だってマジで。……ホント。……わかった。ありがとな」

信じてくれないらしい相手に、しばらく手間取っていたようではあるが、納得されたのか、最後には礼を言って、切った。続いて表示された携帯の画面によれば、今現在は、昼休みの終わり頃にあたる時間であった。

頃合と見て、緋勇は目を覚ますことにした。
洗濯物も乾いている様子なので、取り込み、たたみ、なんとアイロンまでかけてやる。

達成感に一息ついた緋勇が、ふと、ベッドの方に目を向けると、九角はまだ寝ていた。
大の字で。

「……」

しばし無言で佇んでいた緋勇から、ゆらりと殺気が立ち昇る。
まるで、九角の奥さんのような行動をとる自分に気付き、なんだか形容しがたい殺意が、再度芽生たようだ。


蹴って起こそうかと、ベッドに近寄った瞬間であった。

ガバッとばかりに半身を起こした九角は、既に刀を抜きかけていた。
どうやら、殺気に反応し、自動的に構えたらしい。

「おはよう。はい、服」
「あ、ああ。……おい。今、殺気を込めなかったか?」

目には剣呑な光。声には微かな怒気。
そんな宿敵に対し、緋勇は肩を竦めてあっさりと応える。

「幸せそうに寝ているのを見たら、急にむかついたんで、踏もうと思っただけだったんだが……。凄い危機反応だな」
「……踏むなよ」

がっくりと脱力した九角に、緋勇は何事も無かったかのように問い掛ける。

「飯食う?」
「もらう。酒は無いのか」

途端に目が覚めたらしい九角の言葉に、緋勇は耳を疑った。だが、終ぞ訂正の言葉も、正しい音も聞こえてこなかった。どうやら、九角は本気のようだ。

「お前……こんな時間からかよ。アル中か?」

緋勇は、呆れた様子ながらも、冷蔵庫と流しの下を探ってやり、覗いたままの姿勢で問う。

「焼酎、日本酒、ビール。どれが良い?」
「日本酒。どこのだ?」
「久保田の百寿、前に貰ったのほどじゃなくて悪いが」

充分だ――と頷き、九角は手酌で杯に、思い切り注いだ。
素早く、かつ、堂々とした動作に、緋勇は眉を顰めて呟く。

「お前、人のとっておきを」
「気にするなよ」

悪びれる様子も無く、九角は笑う。
起き抜けに、日本酒摂取ということに、違和感は感じないらしい。

「ま、いいけどよ。乾杯するか?」
「あ? 何にだよ」

器用に片眉を上げて、九角は問う。
彼らに共通するものなどない。それとも東京を壊滅させることにでも願ってくれるのかとの揶揄に、緋勇は静かに答えた。

「もちろん、白の聖母に」

しばらく黙った後、九角はしみじみと嘆息した。

あの境遇から救うだけならば、彼には可能であった。緋勇とて、同様であったろう。
なのに、当の本人が、望まなかった。

陽に当たることは叶わず、弱々しく、月と闇の中で、ひっそりと咲く哀れな華かと思っていた彼女は、芯はずっと強かった。あの最低な男の傍で、枯れ果てようとも咲き続けることを選択した。

「いい女だったよな。強情だったけどよ」
「だな。……好きだった。楽しかった」

純白の髪、白磁の肌、真紅の瞳。
弾けるように無邪気に笑う姿も、年相応のしっとりとした微笑みも気に入っていた。

しんみりと、共通の女性を語り、呑み交わす。

既に、食事は酒の肴になっていた。
そうやって、宿敵同士による酒宴がまたもや始まった。


かなりの時間が経過したのちに、チャイムが鳴った。

やばい――顔全面に、そう張りつけて、緋勇が乾いた声で問う。

「まずい、今何時?」
「三時過ぎだな。おい……まさか、間男のように、たんすとかに隠れなければならないのか?」

恐れ戦く九角の言葉に、緋勇は真顔で黙り込んだ。
本気でそうしてもらうかを一瞬で検討し、ゆっくりと首を振る。

「髪下ろしてるし、そもそもお前の顔まで知ってるわけでもない……平気だと思うが。あー、でも、酒で説教くらうだろうな。ちょっと待ってろ」

軽く口を濯いだりして、無駄な抵抗を試みてから、緋勇はドアを出来る限りゆっくりと開けた。

「はい」
「ひーちゃん、生きてるか」

予想通り、京一と醍醐がいた。
女性陣がいないのが、せめてもの救いだったろうか。

酒のにおいにすぐに気付いたらしく、醍醐の顔が、目に見えて険しくなる。

「……龍麻。呑んでたな?」

疑問ではなく、確認だった。目付きは相当鋭い。

煙草を吸ってなくって良かった――心底そう思いながら、緋勇は言い訳を必死で考えていた。
だが、玉子酒には無理のある量だとか、そもそも体調が悪いと言い張るには、顔色が良すぎるとか、同時に己自身で突っ込んでしまい、どうにも上手い理屈が付けられない。

結果として黙り込んでいた彼の背後から、声がかかった。

「じゃあ、龍麻。ご馳走さん、どうもな」

ごく普通の、好青年のような台詞に驚きながらも、緋勇はとりあえず反射的に返した。

「ああ、たいしてお構いできなかったが」

逃げやがったなこの野郎、との思いを持ちながらも、まるで普通の知人に対するように、穏やかに。

九角は、京一たちに軽く礼をして、横を通り過ぎる。
玄関を出たところで、振り向き一言だけ口にした。深い意味を込めて。

「また――な」
「ああ。――また」


次に会うときの事を、ふたりとも理解していた。
それゆえに、最後の笑みを交わす。


九角の姿が消えてから、京一は邪気なく問う。

「なんだ、お兄さんが来てたのか?」

微妙な緊張感には、気付かなかったようで、九角が聞いたら、怒って暴れそうな事を、平然と口にする。

「兄って、オイ。まあ……知人だよ」

非常に複雑な表情で、緋勇が答える。
まあ、ある意味でならば、『兄弟』であったのだが。

「そうなのか? なんだか似てっからよ」

首を傾げた京一に、興味を覚えた緋勇は、どの辺が――と問うた。
確かに血の繋がりがある。実は、緋勇に流れる血は、九角の血統の中でもかなり濃い。『角』倉の当主が、『九』桐の女性を迎えて子を為したのが、緋勇の義父と実母の兄妹だったのだから。

「髪の色が薄い。あと声も似てた」
「そんだけかい」
「……あとは、雰囲気だな」

そんなものかと肩透かしを喰らった緋勇ではあったが、横手から新たに付け加えられた。

「雰囲気?」
「ああ、気配が殆ど無いところとか、落ち着いている所とかな」

腕組みをした醍醐は、九角の姿形を思い起こしながら続けた。顔立ち云々ではなく、どこか共通する空気を持っていたのだと。
納得した顔で、京一も頷く。

「それは言えたな」
「だが、それよりも……龍麻」

醍醐の語調に説教の気配を感じ、緋勇は身を竦めた。
もっとも、それで防げるはずもなし。豪雨の如く、降り注ぐ。

「未成年の飲酒は感心できん。法律的にも、道徳的にもまた……」
「まぁ、いーじゃねェか。ひーちゃん、残ってるか?」

長くなりそうな醍醐の説教を、京一が遮る。
鋭さを増した醍醐から助かったとばかりに目を逸らし、緋勇は首を振る。

「悪い。もう終わった」

ふたりを中へ招き入れながら、緋勇は軽く謝った。
食卓に転がった空き瓶を見た京一は、肩を竦める。

「おいおい、ふたりで二升も空けたのか? そりゃあ、休むだろうよ」
「……」

本気の呆れ声。酒を前に三升空けても何の問題なかったとは、とても言えなかった。
今差し迫った問題は、背後から強烈な怒りのオーラを感じることだ。

「……龍麻ッ!!」

サボリと飲酒について、醍醐に延々と叱られながら、緋勇は考えていた。

今の九角には、手下はいても仲間は居ないのだと。
そして、その手下達でさえも、腹心はあとひとりしか残っていない。

醍醐の説教の区切りがついたところで、緋勇は呟いた。

「醍醐、ありがとな」
「なっ、なんだ突然、そんな顔をして。誤魔化されんからな!!」

妙に狼狽して、醍醐は声を荒げた。何しろ、今の緋勇は、心底といった風に、しみじみと呟いたのだから。

「ひーちゃん、叱られすぎで脳が壊れたか?」

呆れた京一はさりげなく避難し、醍醐の説教はそれからもまだまだ続いたが、本当に緋勇は彼らに感謝していた。

結界に囲われた冷たい場所に帰ったであろう一時の仲間……そして、宿業の敵の事を思うと。