入船山記念館

(広島県呉市幸町)

入船山記念館 640*512

うんちく

入船山記念館は、元々旧海軍の呉鎮守府長官官舎で、1889(明治22)年に呉鎮守府の 軍政会議所兼水交社だったものを呉鎮守府長官官舎にしたのですが、1905(明治38)年の 芸予地震で倒壊、その後、廃材の一部を利用して現在の建物となりました。なお、設計は 桜井小太郎の手によります。

この建物は、戦前・戦中は先にも述べられているように、呉鎮守府長官の官舎だったわけですが、 戦後、進駐してきた英軍の司令官の官舎として使用されていました。

その後、呉市が引継ぎ、市の史跡として一般公開していましたが、その後、1905年当時の資料が 発見されたのを契機に、建物の解体調査・復元・修復が行われ、創建当時の姿に戻っています。

なお、この建物は1998(平成10)年、重要文化財に指定されました。広島県の明治以降の建物では 初となります。

構造とデザインですが、洋館部と和館部からなっていて、正面の洋館部は英国風ハーフティンバー様式 (真壁構造)を取り入れ、屋根は天然石スレートの魚鱗葺きになっています。

後面・和館部より 洋館部の奥にある和館部は鎮守府長官の住居として使用されていました。写真は広角レンズ を使用している関係でパースがついていますが、実際、離れ座敷や使用人室・茶間などなど 座敷が9室あり、かなりの広さ・奥行きがあります。


客室 この建物の内装には特徴があって、全国的に見ても珍しい金唐紙(きんからがみ)が壁や天井一面に 張られていました。しかし、占領軍が進駐した際、壁面にクロスを張ったり、天井に白ペンキを 塗ってしまいました。

その後の復元工事の際、ペンキの塗られていた部分はふき取り、傷ついていた箇所は修復または 復元した金唐紙に張り替えており、往時を垣間見ることができます。

食堂 こちらは食堂です。先の客室とは異なる金唐紙が張られています。

食堂の金唐紙UP 金唐紙は、型となる木に彫刻を施し、それを紙に押しつけて模様を浮き上がらせ、その上から 金箔を張り付けるという、非常に凝った手法で作成されます。(確か、2年前に行った時に 資料館で見た記憶ですが・・・)

なお、2001年3月24日に発生した安芸灘地震のため、倒壊こそしませんでしたが、金唐紙の剥離を はじめ、50箇所以上の損傷が発生しており、現在のところ修復の目処がたっていない状況のようです。

(02/04/21追記) 今年の4月に再度訪問したときには全て修復が終わってた様で、見た限り 損傷箇所らしいところは見あたりませんでした。


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