海上自衛隊 第一術科学校 大講堂
(広島県安芸郡江田島町)
うんちく
海上自衛隊 第一術科学校 大講堂は海軍兵学校 大講堂として1917(大正6)年に竣工しました。
設計者は不詳です。
当時30万円の建築費・・・と言っても物価が違いすぎるのでピンと来ませんが、ほぼ同じ年代を
舞台にした"ああ野麦峠"のベース・"女工哀史"では、100円女工という言葉が出てきます。
普通の一般的な家が100円で建つ時代(女工哀史の中で語られている年代は明治〜昭和20年まで
なので、年代が正確に一致しているわけではなく、あくまで目安程度ですが)ですから、
ベラボーに高いことだけは判る気がします。
実際、この時代・富国強兵の道を突き進む日本は、外貨獲得の為の重要な産業として生糸など
軽工業に依存していました。ここで"女工哀史"の中身をどうこう言うのは話の本筋では
無いので割愛しますが、今とは比較にならない貧困の時代に国民が身を削るようにして
蓄えた国富によって建てられたこれらの建物は、文字通り国民の血と汗と涙の結晶だと
いえます。
材料は地元瀬戸内で採れる御影石を使用しており、講堂内は石畳の床・二階には貴賓席が
あり、天井にはドーム型の蛇輪を象ったシャンデリアが設けられています。
左の写真は背面側になるのですが、こちらは4本のイオニア式柱頭を中心に3つのアーチ窓・
黒の木製扉で構成されています。
こちらは正面側、車寄せがある側です。旧海軍兵学校時代は、天皇の名代として皇族の
方が臨席し、入校式・卒業式が行われました。ちなみに、2000人を収容する事ができます。
ここを卒業すると、兵学校の表玄関・桟橋より練習艦隊に乗船し、遠洋航海に旅立って
行きます。さすがに、今の自衛隊は天皇の軍隊ではありませんから皇族関係者が臨席
しての入学・卒業式って事はありませんが、今もこの大講堂で入学・卒業式が行われ、そして
現代でも変わらず、春になると練習艦隊が編成され、江田内から海外へと旅立っていきます。
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