錦帯橋・岩国城

(山口県岩国市)

錦帯橋と岩国城 640*512

うんちく

錦帯橋は1673年に作られた全国的にも珍しい木造5連アーチ橋で、 日本三名橋の一つに数えられています。橋長193.3m
洪水による流失や老朽化により何度か架け替えられており、現在の橋は2001〜4年に 架け替えられた4代目になります。

構造上の特徴として、木造アーチ橋であることの外に、橋の構造材となる部分については 木と木を積み木の様に組み合わせ、また巻き金・鎹を使う事で釘をいっさい使っていません。
また、城の石垣組みの技術を応用して作られた橋台部は、当時の施工誤差の限界か?完全に 並行にはなっておらず、橋台間の距離も一定ではなかったそうです。このため、橋桁の長さや 角度などは現物合わせで調整しており、その調整方法は棟梁の秘伝だったそうです。 だたし、現在の橋台はキジア台風で橋台が流出して再建された際に等間隔・並行となる様に 修正されています。

岩国城は1608年、吉川広家によって築城された桃山風南蛮作りの天守を もつ山城です。この城は築城からたったの7年で一国一城令により廃城と なっており、現在の天守は1962年に再建されたものです。

こんなマイナーな城も幸運な事に、下に錦帯橋があるおかげで再建してもらった という感じで、再建するに当たり錦帯橋から見えやすい位置ということで実際の 天守があった場所より、いくらか場所が錦帯橋よりへ移動しています。 しかし、そのおかげで本物の天守台は、現在の天守の斜め後ろに当時のまま残っています。
そんな感じなので、再建された城郭の歴史的な考証がどの程度なされているかは よくわかりませんが、広島近郊で天守のある山城というのはここぐらいしかなく、 (岡山には備中松山城とかいくつかあったような気がするが・・・)山口県ではおそらく ここしか天守がないものと思われます。
城の特徴としては、平野部に居館を設け、背後に後詰めの城を持つ構造など、 毛利家の本城・萩城と共通するところが多いです。
天守台以外で実際に残っている創建時の遺構としては、二の丸の石塁と掘り割り、その他 現在の吉香公園となっている居館の堀などがあります。(このあたりは本物の城マニアにしか 受けないと思いますが・・・)


撮影ポイント

錦帯橋周辺地図 この橋の場合、河原へ降りて橋のたもとからあおりで狙うことも、(撮影ポイント@) 対岸へ渡って撮影することも、上流の橋から全体像を撮る事も可能(撮影ポイントA) なので、歩き回る労力さえいとわなければ、好きなように撮影できます。

また、上のうんちくではふれられていませんが、撮影ポイントBの周辺は岩国藩主 吉川氏の居館であった場所を公園として整備したもので、武家屋敷・神社・庭園 等々撮影ネタには困りません。

錦帯橋上流より 吉香公園

岩国城 それから、岩国城(撮影ポイントC)も天守のまわりを周回することが出来るので、 好みのアングルから撮影可能ですが、山城であるが故、本丸の面積が狭く、後ろに 引いて撮影するのは制限があります。

また、城のある城山の山頂(海抜200m)からは、錦帯橋を始め、岩国市内を一望する ことが出来ます。

ちなみに、季節のイベントとしては、4月上旬の桜・4/29の錦帯橋祭り・ 6〜8月の鵜飼い・8月の花火大会・秋の紅葉などがあります。


なお、錦帯橋に関する情報や写真については まつもとこうじさんの 錦帯橋の四季 に行って見ることをおすすめします。


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