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  最愛の妻を胃ガンで失う

ガンという病気の恐ろしさ V

3ヶ月と13日の闘病記

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◇ 4月11日・運命の手術日

6日にやった大腸検査の際、担当の先生からはシビアなことを伝えられていたので、私は万一のことを考え、長男夫婦と長女、次女にも動員をかけていた。
『今日の、お母さんの手術はたいへんシリアスなものになるかも知れないから、お前たちも立ち会うように・・』と。

また、控え室で待っている間にも、『最初、先生の説明通りだと4、5時間かかるそうだ。だが、いちばん困るのは1、2時間で終わってしまうことだ』ということも話してあった。

案の定、1時間ちょっとで『手術が終了しましたので、ご家族の方は手術室の前でお待ち下さい』という知らせ。

家族全員、視線を合わせたまま、数秒間、しばらくは動けなかった。

そんな家族全員を見て、先生は『皆さんにお話ししてもいいのですか?』と私に問う。 『かまいません』と私。

私の妻であっても、子供たちにとっても大切な母である。

そのためにも動員しておいたのだから、当然、もう子供ではないのだし、経過説明は一緒に聞かなければならない。

先生は、まだマスクやゴム手袋をしたまま、小さなトレーとポラロイド写真を示して説明してくれた。

その結果、胃を全摘出するはずの手術であったが、いわゆる手遅れ状態。 胃を切り取り、小腸を引っ張り上げて食道付近をつなぐはずの、その小腸まで悪く、胃の摘出は不可能だという説明。

それで、そのまま閉じることに同意するかどうかという確認もその場でなされたわけである。

それでは、切っても無駄なことだし、もし、切ってしまったら一切の食事は流動食になってしまう。

残された家内の余命を考えると、食べたいものも、すべてミキサーで粉砕したものになり、それは実に酷な話になってしまう。

私は、即座に『閉じて下さい』とお願いした。子供たちの視線も、私に同意してくれていた。

麻酔が覚めてから集中治療室に入るのだが、ディスポーザブルの帽子やマスクなどをつけ、滅菌した完全武装になる。

家内には『よく頑張ったね、また、明日来るからね、今日はゆっくりお休み』といって、その日は帰宅した。

翌日もまだ集中治療室だったが、『具合はどう?』と聞くと、『うん、そんなに痛みはないよ』とお腹のあたりをさすりながら答える。

そして、『手術は何時間ぐらいかかった?』と聞き返してきた。

まさか「1時間で終わった」とは答えられない。

『うぅーん、時計を持っていなかったし・・・、結構かかったよ』と即座に答えるのが精一杯。

もともと家内にはウソをつかない主義だったし、またウソをいうのが下手なのだ。

◇ 本人への告知

手術後、三日目からは重湯になる。それからは、日ごとに三分粥、五分粥、七分粥、全粥というように食事も変化していく。

いくらノー天気な家内でも、取ったはずの胃に温かいカユが入れば異常に気付くはず。そして、手術後二日半してから、そのシリアスな結果を告げるべきだと考えた。

先生は『もし、ご主人が話したくなかったら、ボクから説明してもいいですよ』といってくれた。

だが、これは夫たる私の責務として話すべきだと思うので、即座に否定、私から話すことにした。

『智津子、残念ながら手術できる状態ではなかったので胃は取っていない。だけど、今は40年前の、おまえのお母さんの時代とは違い、抗ガン剤も進化いろいろといいものがでているし、物理療法だってずっと進んでいる。だからこれからも頑張ろうね』。

家内はちょっと寂しそうな表情をしたが、すぐに・・『お母さんといっしょだね。でも、お母さんより20年も永く生きたのだからしょうがないかー』と、遠くに視線を向けてつぶやいた。

日頃、神頼みなどしない私だったが、仏壇の、母と、家内のお母さんに向かって手を合わせ、『お母さん、どうか智津子を助けて下さい』と、何度も、何度もお願いした。
 

◇ 退院と抗ガン剤治療

切るはずの胃を切らず、ただ、お腹を切っただけだったので回復は早く、術後10日過ぎた頃から、一日の間、数時間の帰宅も許された。

本人も、それは大変喜んだ。

愛猫の「ヨル」の顔も見ることができるし、ウサギ(ロップイヤー種)のロッキー、文鳥のブンにも会えるわけである。

その頃から、三種類の抗ガン剤の投与がはじまった。「TS-1」、「クレスチン」というキノコの粉、「TC-443」という抗腫瘍効果を発揮し、免疫力を高める薬剤である。

抗ガン剤は、患者の症状に合わせ、例えば家内の場合、4週間服用し、2週間休む、その6週間を1クールとして、症状が改善するまで続けるのだという。

抗ガン剤は、確かに増殖する腫瘍細胞を攻撃するかわりに、人の生命活動に必要な造骨細胞や、造血細胞にまで悪影響を及ぼしてしまうる。

それが、いわゆる副作用ということになるのである。

一度たたいた腫瘍細胞はそう簡単に元に戻らないが、造骨細胞や造血細胞は、その休んでいる間に復活させ、副作用を緩和させるためでもある。

術後16日、4月27日、退院。

下の写真は退院の4、5日前の頃。


『おいおい、普通ならネコではなく旦那の写真だろう?』。

病室が個室だったこともあり、末娘は家内の愛猫「ヨル」の写真を額に入れ、飾ったり、テレビも専用のカードで自由に見ることができた。
毎日、何回ともなく行っていても、やはり私がついているのがうれしいらしい。

そう、この天真爛漫な笑顔こそ彼女の宝であり、私にとっても大きな歓びを与えてくれるものであった。 新しいデジカメに撮ったこの一連のショットが、元気な彼女の最後の写真となってしまった。
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