swallow 1 我が家にホームステイ ツバメの「ピーちゃん」T
我が家にきて数年、すっかり家族の一員的存在 Mar. 2000
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文・ すみや ひろふみ


上のイラストは、モンティ「チャルダシュ」の後半部分ハンガリアン・ダンス風のフレーズ、BGMも同曲。
このピーは、まだ目が空かない雛のときに巣から落ち、家内と孫娘に育てられた
文字通りの「落ちこぼれ」、それだけに、野生に帰っても生き続けられるかどうか?
仮親になった私たち夫婦の心配はつきない・・・・。

[ エッセイ ]

1ページ目 ツバメの話 その1.( '00. 3 )
ハトの話
ツバメの話 その2.(後日談)
2ページ目 ツバメの話 その3.(02.3.16)
ツバメの話 その4.(02.8.20)
ツバメの話 その5.(03.3.20)
3ページ目 ツバメの話 その6.(04.5〜)
 ツバメの越冬地  NHK 『ダーヴィンが来た』新春スペシャルから(08.1.4追記)

写真は、当時小学4年生だった孫娘と、巣に見立てた籐のかごの中で餌をねだるピー、
後ろのかごは家内のペットで、当時10年以上も飼い続けていた手乗りのオカメインコ。

[ エッセイ ]  ◇ ツバメの話その1. 2000.3

お彼岸前のまだ肌寒い頃。

今年も、我が家の軒先にツバメが1羽やってきた。

毎年、飛来していることなので、さほど注意はしていなかったが、よくまわりを見ても、まだ世間ではほとんどツバメは舞っていない。

最初は、「まぁ、ツバメだって気の早いヤツもいるさ!」ぐらいに思ってた。

でも、なぜか、そいつは事務所のシャッターの中が好きで、天井からぶら下がった照明器具のカバーの上、 暖かい暖房の効いた?ところに寝泊まりしているのだ。

困ったのは、こちら。

その頃は、まだ、朝の日の出が遅く、日の入りも早いので、朝晩のシャッターを閉めるのになんの苦労することはない。

日頃の生活通り、やっていた。つまり、朝は8時から8時半には開け、夜は、7時頃には閉めていた。

シャッターを閉めるに際しては、我が家のものは電動ではない原始的なものだから、長い、引っかけのついた鉄の棒で、 シャッターの下、引っ張り穴に引っかけて閉めるのだ。

その棒と、ツバメの止まっている照明具との距離は、30センチとは離れていない。 棒を近づけても、ガラガラと音を立てて閉めても、ヤツは平然としている。

ある日のこと、わたしは家内にいった。

「あのツバメ、変だよ、慣れすぎている」と。そうしたら家内「あれ、きっとピーちゃんだよ」というのだ。

「えっ、まさか!」。「わたしがシャッター開けたときなんか、一度、向こうの電線まで飛んでいってしばらくピーチクやっているんだけど、 ウサギに餌をやっていると、わざわざ戻ってきて、わたしに話しかけるようにさえずるのよ」という。

シャッターの中には、ペットのウサギも2羽、家内が飼っている。

さらに、「去年だって、ピーはシャッターの中、観葉植物のベンジャミンの中にもぐり込んで寝ていたよ」。家内は、そうもいった。

それは、四年ほど前の夏のこと。

巣から落ちてしまった1羽のツバメの雛。まだ毛すら充分に生えきっていない。

その雛を、家内が夏休みで泊まりにきていた小学校4年の孫娘と一緒に、虫をとって食べさせたりした。

ときには、すぐ近所の、ガス屋さんの従業員に頼んでおいたハチの巣をもらったりして、その幼虫を与えたり、そうして育て上げ、大きくして放したのが、そのピーなのである。

虫を食べる小鳥にとっては、ハチの幼虫は栄養満点な餌だ。

ウグイスのような野鳥を餌付けするときには、絶対的な効果があることは、わたしも子供のときに何度も体験している。

このことは、家内の指導で孫娘の立派な夏休み観察日記の題材となり、上のような写真入りで、B5のノートに詳細が書かれた。

さて、その頃、わたしはまだ彼?がピーだとは信じていなかった。

余談だか、ここでピーのことを「彼」と、はっきりオスと断定したのではない。

かつて飼ったことのあるインコや文鳥、カナリヤ、ジュウシマツをはじめとする洋鳥、 それにウグイスやメジロなど、和鳥のオス・メスの判定は、わたしはほぼできる。

鳴き声やクチバシ、足の色つやや、オスなら喧嘩蹴爪用の有無など、体型から判断するのだ。

だが、ツバメまでは分からない。

ただ、鳴き声の高さや強さ、動作から、わたしは、ピーはオスだと勝手に思っていた。

鳥類には、「刷り込み」といって、生まれてすぐ目に入ったものを「親と認識する習性」があることもわたしは知っていた。

文鳥やインコを手乗りにするために、目の開かない雛から育てるのもそのためだ。

でも、相手は野鳥、渡り鳥のツバメである。

冬になれば、どこか東南アジアの暖かい国に渡り、また、春に帰ってくるわけだ。

しかし、日本に帰ったからといって、必ずしも、すそ野の我が家に、まっすぐ帰ってくるだろうか。
  
もっと、暖かな九州や四国でもいいだろうし、紀伊半島や渥美半島だって悪くないはずだ。

サケやハトのように、生まれた故郷に帰るという、それだけ強い「帰巣性」というものをツバメも持っているだろうか、という疑問もあった。

そんな考えもあって、当初、そのツバメがピーではない、とわたしは固く信じていた。

ところが、4月にもなると自然の摂理、徐々に日が長くなり、6時、5時半と、朝もだんだん早く、明るくなってくる。
5月にもなると、5時頃から空が白んでくる。

朝寝坊でもすると、シャッターの中で、ピーはチュッチュッと鳴き、狭い空間をバタバタとホバリングして飛んでいる。

早く、外に出してくれとせがむ始末だ。

不用心だが、とうとうシャッターの一枚だけ、50センチほどの出口を開けておくことにした。

5月の上旬、彼にもどうやら彼女?ができたようだ。

それからは、その連れ合いの彼女も、一緒に寝泊まりするようになった。

でも、彼女の方は、身近に近づいてくる長いシャッターの棒と、注意しながらゆっくり下ろしても、その大きな音に驚いて飛んで行ってしまう。

なぜか、可愛い息子の恋路の邪魔をするようで、こころが痛んだ。

さりとて当市も、近頃は変な外人もちらほら見るような世相に変わりはないが、それでも、一枚だけシャツターを閉めない日が幾日か続いた。

でも、結局、臆病で気の小さな彼女に、彼は振られてしまったようだ。

それからは一羽だけで、事務所のドアーのすぐ上、わたしがつくった止まり木で、ピーはいつも寂しそうに寝ていた。

間違いなく、彼はピーなのだ。

それほど、のばせば手が届くような場所に、普通のツバメなら止まることはないはずだ。

周囲には安全な止まるところはいっぱいある。

よりによって低くて小さい、そんなところに止まるヤツはいないはずだという理由からだ。
「そのうち、きっといい相手が見つかるさ」、そう思って念じるほかない。

それで、相変わらず一枚のシャッターの50センチは、ピーのためにわたしは閉めていない。

(写真は、おきまりの入り口・ドアーの上の止まり木にくつろぐピー)

◇ ハトの話

我が家の、北側の道路に面した台所の外に、大きくなった1本の木イチゴ(キイチゴ)がある。

家内が、お米をといだ「とぎ水」や牛乳パックの「すすぎ水」を、窓からバシャッと撒いているから、肥料は満点、よく育っている。

実を採って、イチゴのパックかなんかにためて冷凍、まとまってからジャムにしたこともあった。

でも、忙しかったり面倒で、いまでは、毎朝、ヒヨドリの朝食になっている。

一月ほど前から、なんと、その木の中にハトが巣をつくりだした。そして、まもなく2羽の小鳩が元気に孵った。

この年、我が家は鳥たちのラッシュになった。

◇  ツバメの話 その2.(後日談)

6月の上旬、梅雨入り宣言が出されたある日のこと。このころになると、夕方、7時になっても、まだ空には少し明るさが残っている。

だから、ピーたちはまだ帰ってきていない。 わたしのそうしたシャッターの閉め具合を見て、家内はピーの帰りを判断している。

間口3間のあいだに、3枚のシャッター、それに3つぶら下がった照明、そのどこにピーがとまり、 ピーの奥さん?がどこにとまっているか、シャッターが開いているところが、彼らの宿泊所になっているわけだ。

そして、そのことがわたしたち夫婦の、夕食時には欠かせない会話の定番になっていた。

ある日の晩・・・。「今日の、ピーのとまり具合見た?」と家内。

「いいや、まだ帰っていなかったよ」とわたし。 「なんか、とてもにぎやかだったから、ちょっと覗いたら、5、6羽いたよ」。

「へぇー、仲間でも連れてきたのかァ?」。 「いいぇ、あれはピーの子供たちよ、きっと」。 「よそで生んだのだろうか?」。

「そうょー、スーパーのビルにはいっぱい巣があるの、あそこで生んだんじゃあないの」と、家内は推測している。

「ピーの嫁さん、すみやの家ではシャッターの音がうるさくて、落ち着かないからここで卵生むのはイヤってわけで、 よそで生んで育て、それから、子供たちも巣立ったから、お父さんの実家にも行ってみるかって、きたのかな?」。

「そうよ、そんな雰囲気だよ」と、家内も満面笑顔で嬉しそう。

その日は、いつもピーが寝ていたドアーの上の止まり木には、まだクチバシの付け根が黄色い若鳥が止まっていた。

身体の大きさだけでは、もう、どれが親で、どれが子供か、ほとんど見分けがつかないほどに育っていた。

ひと頃は、ピーがせっかくできた彼女に逃げられたのかも知れないと、夫婦で本気で心配したり、 シャッターの開け閉めにはずいぶん気を使ったりもした。

また、家内と孫娘とが挿し餌で育てたピーだから、野生には十分に適応できず、彼女にも振られてしまったかとも思って、悲しんだりもした。 それだけに、わたしも嬉しかった。

「ひょっとすると、すみやのおじいちゃん、おばあちゃんにも、自分たちの子供を見せに連れて行こう、と嫁さんを説得したか、 オレの生まれたところを一度は見ておけ、なんて雛たちの学習のために連れてきたのかもなッ」。

「スーパーの大きな建物にはいっぱい巣があるけど、きっとあそこで育てて 『オレの実家なら広いし、安全だから』と連れてきたのよ」と家内はいった。

つまり、向こうは大きく、広くても、巣がいっぱいの団地状態、ここなら一戸建て、というのが家内の考えだ。

確かに、雛が大きく育ってしまうとひとつの巣では小さく、家族全員が安らかな眠りにつける余裕はない。

ピーが一羽だけでここに寝ていたのは、雛が巣立つあいだ、夜だけ寝泊まりにきていたものかも知れない。

また、夜だけ、神経質な奥さんをそっとして、安心させるために1羽だけで泊まりにきていたとも考えられる。

あるいは、昼間、雛たちのために一生懸命、くたくたになるほど餌を運んだかも知れないし、 ときには、妻の食事時には交代で抱卵していたのかも知れない。

そうして終日、目一杯、家族ために励んだ結果、近くの自分が生まれ育った実家に、一日の疲れをいやしにきていた、と思えなくもない。

そう思えば、羽の色つやが少し失せていて、見るからに元気がないような日もあったし、シャッターの音などかまわず、 ピーは深い眠りについていたこともあった。

それから10日ほどすると、ピーと奥さんは、相変わらずシャッターの中、照明器具の上に寝泊まりするようになった。

そして、雛たちもすっかり一人前のようになり、すぐ近くの電線に寝泊まりしている。

どんな動物でもそうだが、親は、つぎの二番目の巣引きの準備にはいる頃には、子供が邪魔になる。

そのために、親が子供を無理にでも追い払おうとするのが「子別れ」の儀式だ。

そして、子供たちから開放された2羽は、また元通り、夫婦仲良く寝泊まりするようになった。

家内は毎晩、電線にいる子供たちを見て「どうやら子供は5羽いるね」といっている。

それも、毎晩5羽いるとは限らない。3羽のとき、1羽のときもある。 きっと自立心の強い、丈夫なオスから、徐々に家族から離れていくのだろう。

わたしは、今年の五月で還暦の60歳。いままでの人生の中で、今年くらいツバメを観察し、注意もし、飛翔する美しい姿を再認識した年はなかった。

スズメが翼をバタバタあおいで飛ぶのに比べ、ツバメは実に切れ味のいい飛び方をする。りりしく、燕尾服の正装で空中を自在に切り裂き、華麗に躍っている。

我が家で生まれ育ち、中でも一度は巣から落ち、人の手で大きくなった本物の「落ちこぼれ」。

それが4年も経って、伴侶とともに、無事に自分たちの子供までつくることができた。

いずれにしても、そんな些細なことではあったが、孫たちも含め、夫婦ともどもツバメの行動を都合がいいように勝手に解釈したり、 いろいろな想像も交え、会話も盛り上がった。

ピーは、とても大きな夢と、よろこびをわたしたちに与えてくれた。 ( 2001.6 )


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