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Swallow Home-stay  ツバメのピーU

我が家に飛来し続けて数年、すっかり家族の一員的存在の彼。

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ツバメの話 その3.

(02.3.16)

ツバメの話 その4.

(02.8.20)

ツバメの話 その5.

(03.3.20)

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ツバメの話 その6.

(04.5追加)

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ツバメの話 その3
2002年 3月16日、土曜日。

(ピーは、普通の個体より歳のせいか?翼の白い斑模様の上と、付け根の胸毛がやや褐色がかっている)

この日は、午後から沼津蘭友会・恒例の「春の洋蘭展」の搬入日、その予定のために、一日、空けておいたわけである。

事務所にいたら、外で「チィーッ」とけたたましい小鳥のさえずり、あっと、思って目を向けたら、ツバメが一羽、視界をよぎった。

シャッターの内側まで、深く入ってきたのだから、あれは、間違いなくピーだと確信した。早速、近くにいた家内に伝えた。

家内は、まぶしそうな眼差しで外を見やり、わざわざドアーをあけて見に行った。

戻って振り返ったときには、満面笑顔。 「うん、間違いなくピーだ、例の止まり木に止まっていた」、そしてつづけた。

「今年は暖かかったから、もっと早くくると思ってたよ」ともいった。表情からは、笑顔は消えない。

家内も嬉しいのだ。わたしも、笑顔で「そうか、そうか」と相づちをうった。

どこから、どういうルートで飛んできたものか、ともかく遠い南国のどこかの国から、今年もピーは帰ってきたのだ。

本人も、無事に到着したよろこびからか、はたまた、 「お父さん、お母さん、帰ってきたよ」と報告するためか、ひときわ強いさえずりで、うれしさを表していたのだ。

午後、蘭展の会場、三島市の楽寿園まで作品の搬入のため車で往復したのだが、よく注意して周囲を見わたしても、 ツバメの姿はまだ一匹たりとも見られない。

それほど、ピーは、今年もいち早く、一直線に、我が家に帰ってきたことになる。

ツバメが、南国のどこの国で越冬するのか、どんな飛翔ルートで北上してやってくるのか、わたしには全く知る由もない。

しかし、日本にきて、富士山を目指し、すそ野に舞い降りて、真っ直ぐ、我が家にきたことは事実だ。

嬉しい限りだ。

その日の夜、シャッターを閉めるとき、もし、お決まりの場所にいなかったら、という危惧もあった。

でも、ピーは、ちゃんとおきまりの照明器具の上に鎮座していた。安心した。

わたしは、ガラガラと大きな音で閉まるシャッターに、久々にピーが驚くことをおそれ、 『ピー、おやすみだよ、シャッターを閉めるからねぇー』と、声をかけて降ろしたのだ。

そして、今年もいちばん端のシャッターは、好きなときに出られるように、50センチほど締めてはいない。

今年も、おきまりの止まり木にとまるピー。

あのとき3年生だった孫娘も、もう、今年は中3。あれから5年が経っているわけである。

人間ならさしずめ壮年か、中高年か、いかにもたくましいお父さんという感じ。

今年は、気象台観測史上もっとも早い東京・上野での桜の開花。この日、楽寿園の桜は2分咲きだった。

今年も、我が家の春の、大きな到来のひとつ。家内の心の中までも、ほのぼの暖かくなっていくのが分かった今日のひととき。

それからおよそふた月、渡来して以来、ずっとひと月以上も1羽だけで寝泊まりしていて、相変わらず、わたしたち夫婦を心配させた。

もう、上の方(御殿場)では、とうに田植えは済んでいる。

理由は分からないが、なぜか海抜が高い、寒い地方から、あるいは川の上流から田植えが行われる。

海抜が高い、川の上流では秋が早くくるし、そのための採り入れが早いから、 それに合わせるように早めに田も植えるのか、とも思うのだ。

夏のお盆も、秋祭りも同様、上から順の日取りになっている。

御殿場、小山、須山地区のお盆は7月23日、徐々に下っていき、8月1日、15日と、ちょうど「桜前線」の逆である。

まさに、田の草取り1番、2番と済み、あとは秋の採り入れを待つ。そうした農閑期になって、ほっとしたところで先祖の供養や、秋の豊かな採り入れを祈り、願うのだろう。

農耕民族の日本では、そうした古来からの生活習慣が、いまだにその地区、地区に生きているのだ。

それで、田んぼはツバメの営巣には欠かせない、ドロの供給源にもなっている。ツバメたちは、柔らかな田の土と、つなぎに草やワラを使って巣を作っていくのだ。

それだけに、「ピー、ぼちぼち巣を作らなければ・・・」とわたし達をやきもきさせる。でも、ようやく、半月ほど前からピーはときおり奥さん同伴で泊まりにくるようになった。

一度だけ、去年同様、シャッター音に驚いて逃げられたことがあったが、識別ができないので、 去年と同じ奥さんか、再婚相手かは分からない。

ピーは、今年も相変わらずわたしたち夫婦の会話のネタになっている。

「ひょっとして、ベトナムかタイにいっても我が家と同じ内装屋さんのお店、 それもシャッターの中で過ごしているかも・・・」とか。

また、生涯、一夫一婦制をつらぬいているのか、日本妻とか、タイ妻のように、渡り先で相手が違うのか。

秋、いつの間にかいなくなるのだが、単独で南下していくのか、グループでいくのか。グループとしても、家族や親族単位か、地域ごとの単位か。

また、危険を伴いながらも猛禽類の住む山間を真っ直ぐ進むのか、安全だが回り道になる海岸沿いをいくのか。 すべて、いずれも想像するしかない。

4月の中旬ころ、ピーがすぐ近くの電線で、相手にプロポーズするためのディスプレイ「 甲高いさえずり」を耳にしたことがあった。

そのことから、わたしはその年、年で、相手が違うように思っている。

決まり切った相手だとすると、あれほどの強烈にディスプレイをするのだろうか、という理由からだ。((5月26日))

6月2日、日曜日。

家内の仕事は休みで、夕方、普通の主婦のように買い物。帰ってきても裏口から入らず、 表に回って、わたしの工房のドアーをドン・ド−ンと。

開けろというのだ。 そして、ドアーを開けたらにこにこ顔。

「ピー、今年も子供たちをつれてきたよ」と嬉しそうに報告するのだ。

家内に案内されるようにして見に行くと、例の照明具の上に3羽、となりの、市の生涯学習センターの2階、 エアコンのホースに1羽。

家内の話では、今年もどうやら4、5羽の雛が巣立ったらしい。

このところ夫婦で毎晩、我が家に泊まりにきていたのは、やはり巣がいっぱいになって、 親鳥の居場所がなくなったとの去年の推測が的中したようだ。

家内は、自分たち人間に都合いいように「ピーが、わたし達に子供を見せにつれてきた」と信じている。

娘が、はじめての孫を連れてきたように、喜んでいるのだ。だが、わたしは、我が家に寝にきただけの親鳥に、単に雛たちがついてきたものだと思っている。

でも、あえて否定はしない。「そうかもな!」と、相づちをうつのだ。
下の、ドアーの上が父親のピー、照明カバーの上に2羽の雛たちが

手前一羽は横向き、一羽はすでに翼に頭をつっこんで寝ているので胸しかみえない。

雛たちは、くちばしの色も、顔つき、体つきも、いかにも初々しい。

おどかさないように、離れてそっと写すので、シャープさや画質には問題もある。

上の写真を拡大したもの、雛が二羽、寄り添って寝ています。 

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ツバメの話 その4. (02.8.20・晩夏)

3日ほど前、朝方の5時前、トイレに起きた家内が「どうもピーらしいツバメが、子供たちと電線にとまっているのでデジカメで撮っておきたいの、 ちょっと、写し方を教えて・・・!」と、まだ夢の中の私を起こすのだ。

ピーも、今年で誕生以来6年目。いつまで元気で渡ってこられるか、家内も私も口にこそ出しませんが「来年も、きっと無事に・・」と祈る気持ちでいっぱい。

それに、ぼちぼち彼らは仲間たちと落ち合い、南下する時期にきている。

家内のこころには、きっと「ピーが、お別れの挨拶にきたかも知れない」と思っているのだろう。

寝ぼけ眼をこすりながら、電池切れしてそのままだったデジカメに新しい電池を入れ替え、ズーミングの仕方を教えて手渡した。

ほんの1分ほどタイミングをずらして、ついで私もトイレにいき、そしてベランダに・・。

私がいったときには、すでに何羽か飛んでいってしまい、1羽だけ、止まっていた。それでも、私が追加してワンショット。

家内のショットも私のものも、第三者から見れば、澄みきった晩夏の早朝、ただの電線が青空を背景に写っているだけのもの。

ズームアップしても、広い空間に対して、あまりにも小さいツバメ。

それでも私たち夫婦にすると、今年も大きな想い出を残してくれたツバメたちとの、別れの、記念すべきショットなのだ。

10日ほど前のこと。

沼津から富士に至る駿河湾沿いに、「浮島」という大きく広がった湿地帯がある。

そこに、南下する準備をするために、県東部のツバメたちが数万羽やってきて集まり、 しばらく滞在するという記事が朝日新聞の県版に載っていた。

その近くに家内の実家があるから、様子はよく分かっている。浮島なら、芦や葦が生い茂り、餌になる昆虫類も豊富そうだし、それにもまして広大な土地が広がっている。

あそこなら、彼らが安心して巣立った子供たちに翼力をつけさせたり、彼ら自身も子育てからはなれ、渡るための体力をつけるには絶好の場所だ。

来年も、また、無事に渡ってきて欲しい。

ツバメの話 その5.  「七年目の浮気」 (03.3.21)

3月15日、今年も恒例の蘭展の時期になり、この日が搬入日。

そして、昨年は、ちょうどこの日にピーが戻った日なのである。また、今年も戻ってくるとすると、もう生まれてから七年目になる。

さて、そこで心配するのはこちら。

なにしろピーは、厳しい自然界で生きる小鳥であり、なおかつ、東南アジア?といったりきたりしなければならない渡り鳥なのである。

15日はもちろん、今日の春分の日にも、去年と比べるともう6日経っているのに、今年のピーはまだ戻ってこない。

ただ、去年は記録的な暖冬で、蘭展の会場・三島市の楽寿園の桜は2分咲きに開花していたし、東京・上野では、気象庁の観測が始まって以来の早咲であった。

一方、今年は去年より寒く、桜の開花は少し遅れている。

実際に、15日の搬入日には、楽寿園の桜のつぼみは、まだ、固く閉ざしたままだったし、 17日には、仕事先の須走では雪が降り、数センチの積雪があったほどだ。

当然のことながら、彼らは人間的なカレンダーより、日照の強さや気温の変化が体内時計を支配しているものと思っている。

いや、家内共々、そうした理由で飛来が遅れているのだと、自分たちに言いきかせて、ひたすら待っているのだ。

また、年老いて元気がなくなった個体は、今年の訪日はあきらめ、暖かい南国の暖地で過ごすことだってあるだろう、 と都合がいいように解釈してあきらめようと思ったりもしている。

なにしろ、ツバメで7年といえばかなりの高齢のはずだ。人間に換算したら何歳になるだろうかと、家内とも論議をしている。

犬や猫は、1年が、おおむね人間の20才ほどになるという。 確かに、彼らは1年も経つと「さかり」がついたり出産もする。

その後の1年が5年であったり、次の1年が3年になったりするようだ。

家内は、今年11年目になる飼い猫(アメショ)の「ヨル」に、「ヨルちゃんも、 もうお母さんと同じおばあちゃんだね」といっている。

それに、もう何ヶ月かで、わたしよりも年上になるという。

ツバメのような小鳥だと、半年で海を渡るほどになるわけだから、人にたとえると、多分、18や20才くらいになるのだろう。

冒頭の写真にあるように、あれだけ可愛かった孫娘も、すでに、背は母である長女や家内を越えているし、4月からは高校1年になる。

マリリン・モンローの映画「七年目の浮気」ではないが、たとえ日本にきたとしても7年目は浮気して、 四国や九州にとどまり、裾野に戻ってこなくてもいいとさえ思っている。

3月31日。

この日、仕事で出先にいたときに突然、携帯が鳴った。

「もしもしッ」と出ても、回線はつながったまま、何の反応もない。再度、呼びかけたが返答はない。 孫娘と私

「もしもし、間違い電話だったら切りますよ」というと、受話器の向こうで「クックッ」と、なにかのノイズが聞こえた。

再び促すと「ピーが帰ってきたの!」と、家内の、喜びの嗚咽が聞こえた。 嬉しさのあまり、声も出なかったのだ。

「帰ってきたかー」と、わたしも答えて胸が熱くなった。

さんざん心配かけさせて、家内もわたしも半分はあきらめていた矢先のことであったため、余計、嬉しかった。

後で聞いたことだが、事務所の外で観葉植物の、シダの枯れた葉っぱを切っていたときだったという。

ピーピー鳴いて、今年も帰ってきたことを報告するかのように、家内の後ろを何度も旋回したという。

そして、日除けテントの中の、パイプ付近でバダバタとホバリングもしていたという。

また、旅の疲れのせいかこころなし、ピーの身体は痩せ細っていたともいった。

この日、出かけた三島市内も、沼津ももちろん、市内でも桜が満開に近い状態。 わたし達、夫婦の気持ちも満開だった。

このシリーズ冒頭の写真が、孫娘が小3のときのもの。それが、もうすっかり大きくなって高校一年になった孫娘と私。
 (商店街の祭りの日、『すそ野・阿波踊り大会』当日のスタート前。)

腰の帯には、篠笛二本をたずさえています。ここでも私は「音の出る」お囃子方、六本調子と七本調子を愛用しています。

こちらは、阿波踊りの中でも上品な、「女踊り」のバックに使う笛の名曲、 『吉野川』です。

クリックしていただくとWindows Media Player が自動で起動し鳴るようになります。

自分で譜面入力したMIDIファイルからWAVE変換し、さらにmp3に圧縮したものですから、音質はいいと思います。


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