世界の名馬10選・20世紀編

 

初めに
 今回は
前回の続編で、20世紀の世界の名馬10頭を私の独断で選んでみようかと思う(日本馬については前々回取り上げたので、今回は最初から対象外とする)。
 評価基準については、
前回同様に競争能力を最重要視することにし、種牡馬成績や後世への影響力も考慮に入れた。今回も、10頭選ぶだけでも随分と悩んでしまい、順位付けの方が全く纏まらなかったので、順位付けを行わず、10頭を生年順に列挙することにしたい。

 

10選
ザテトラーク(The Tetrarch)
 1911年アイルランド産牡馬。戦績は3歳時に7戦7勝で、主な勝ち鞍はシャンペンステークスである。大きく立ち遅れてしまった1戦以外は全て楽勝で、驚異的なスピードを発揮した。故障のため3歳戦でしか走っていないが、発揮した能力は歴史的名馬と呼ぶに相応しいものである。種付け嫌いのため産駒数は少なかったが、それでも一度リーディングサイアーになっている。直仔のテトラテマとムムタズマハル(ナスルーラの祖母)を通じて現代のスピード血脈に甚大な影響を及ぼし、近代競馬におけるスピード化の先鞭をつけたと言える。大変賢い馬だったそうである。

マンノウォー(Man o’War)
 1917年アメリカ産牡馬。戦績は3・4歳時に21戦20勝で、主な勝ち鞍はベルモントステークスとトラヴァーズステークスである。唯一の敗戦は、出遅れとハンデ差によるもので、この馬の偉大さを傷付けるものではない。唯一負けた相手の馬名がアプセット(番狂わせ)というのは、偶然にしてはできすぎた話だが、そのアプセットにも、他のレースでは楽勝している。とにかく能力は桁外れで、100馬身差を付けて勝ったこともあり、レコードも連発した。4歳時には、古馬最強で後に最初のアメリカ三冠馬と呼ばれるサーバートンに7馬身差で圧勝した。
 種牡馬成績は、一度リーディングサイアーになるなどまずまずだったが、オーナーが種付け頭数を制限していたということもあり、競争成績に相応しいものだっとは言い難い。滅亡寸前だったマッチェム系をハリーオンと共に復興させたという意味でも競馬史で重要な存在と言える。

ファーラップ(Phar Lap)
 1926年ニュージーランド産セン馬。戦績は3〜6歳時に51戦37勝で、主な勝ち鞍はメルボルンカップである。ファーラップは4歳時に頭角を現し、AJCダービーとヴィクトリアダービーとをレコードで勝ち、キングズプレートでは20馬身差、AJCプレートでは10馬身差で圧勝するなど、快進撃が続いた。5歳時はメルボルンカップ勝ちを含む16戦14勝、6歳時も疲労と極量でメルボルンカップを惨敗した以外はオーストラリアで9戦8勝で、快進撃は続いた。
 メルボルンカップでの惨敗の後ファーラップはアメリカに遠征し、初戦をレコードで楽勝してアメリカで大きな反響を呼んだ。ところがこの16日後、ファーラップはもがき苦しみ大量の血を吐き、突然死亡してしまった。連邦政府農務省は疝痛による死亡だと発表したが、多くの人は毒殺だと信じ、オーストラリアではファーラップ急死のニュースが大々的に報道された。オーストラリアではその後、ファーラップは反米意識の象徴となった。

ハイペリオン(Hyperion)
 1930年イギリス産牡馬。戦績は3〜5歳時に13戦9勝で、主な勝ち鞍はダービーとセントレジャーである。戦績は桁外れということはないが、これは、自己主張と自尊心の強い性格のため、本気で走らなかったこともあったからである。だが、ダービーはレコードで圧勝、ぶっつけとなったセントレジャーも楽勝し、能力の高さは疑うべくもない。自己主張が強かったといっても性格が難しかったということはなく、種牡馬時代には粗暴なところはなく、訪問者に対しては大変愛想がよかったという。また、大変賢く、物事に動じず精神力の強い馬でもあった。
 種牡馬成績は非常に優秀で、6度リーディングサイアーになった。最近は振るわないが直系も一時は繁栄し、またノーザンダンサーを通じても現在のサラブレッドに大きな影響を及ぼしており、ハイペリオンの賢さと精神力は現在のサラブレッドに強く伝わっている。

ネアルコ(Nearco)
 1935年イタリア産牡馬。戦績は3・4歳時に14戦14勝で、主な勝ち鞍はパリ大賞である。全てのレースで楽勝しており、パリ大賞ではダービー馬のボワルセルを初めとする欧州最強クラスの4歳馬を一蹴した。競争成績も素晴らしいが種牡馬成績も優秀で、3度リーディングサイアーとなり、自身のみならず直仔や孫も種牡馬として大活躍した。ネアルコの父系は瞬く間に世界を席巻して父系の主流となり、現在のほとんどのサラブレッドはネアルコの血を持つことになった。また多くのサラブレッドはネアルコの血がクロスしている。ネアルコは、競争成績・種牡馬成績・直系の繁栄・後世への影響力の全ての面で申し分ない成果を残したが、これはサラブレッドの歴史の中でもネアルコだけである。

サイテイション(Citation)
 1945年アメリカ産牡馬。戦績は3〜7歳時に45戦32勝で、主な勝ち鞍は米三冠とハリウッドゴールドカップである。三冠レースでの楽勝など能力の高さもさることながら、4歳時に20戦もこなすような頑丈さも驚異的であった。古馬になっては不振だったが、これは1年間の休養で競争意欲が低下していたためなのだろう。史上初の100万ドルホース、16連勝など数々の記録を打ち立てており、今でもアメリカ競馬史上最強馬とする人も多い。種牡馬成績は全く振るわなかったが、グラディアテュールやスペクタキュラービッドなど、傑出した競走馬が種牡馬として大不振ということはそう珍しいことではない。

リボー(Ribot)
 1952年イタリア産牡馬。戦績は3〜5歳時に16戦16勝で、主な勝ち鞍は凱旋門賞連覇とキングジョージY&クインエリザベスダイヤモンドステークスである。生涯無敗で、3歳時のグランクリテリウム以外は全て楽勝、5歳時の凱旋門賞はシーバードと並び同賞史上最大着差となる6馬身差で圧勝など、戦後の欧州を代表する名馬として高く評価されている。種牡馬成績はなかなかのもので、1回リーディングサイアーになっているが、直系はあまり繁栄していない。

シーバード(Sea Bird)
 1962年フランス産牡馬。戦績は3・4歳時に8戦7勝で、主な勝ち鞍は凱旋門賞とダービーである。唯一の敗戦は3歳時のものだが、負けた相手は同厩のグレイドーンで、この時だけ乗り代わった騎手の仕掛けが遅れたためであった。4歳時のシーバードは無敵の快進撃を続け、イギリスに遠征してダービーを2馬身半差で勝ったが、正に余裕しゃくしゃくといった感じの勝利で、ダービー史上最も楽な勝ち方だったと評する人も多い。
 引退レースとなった凱旋門賞には、ソ連の歴史的名馬アニリン・愛ダービーとキングジョージを勝ったメドウコート・アメリカの最強4歳馬トムロルフ・地元フランスで無敵の快進撃を続けていたレリアンスなど有力馬が揃い、同賞史上最高のメンバーが揃ったと言われたが、シーバードはこれらを相手に6馬身差で圧勝し、世紀の名馬と謳われた。距離やコースの問題はあるが、私はシーバードがサラブレッド史上最強馬だと思う。
 種牡馬成績は期待外れだったが、アレフランスという名牝を送り出し、親子2代に亘る凱旋門賞勝ちとなった。直系も細々と続いていて、現在は2000ギニー勝ちのペニカンプが最有力の直系種牡馬である。 

ダマスクス(Damascus)
 1964年アメリカ産牡馬。3〜5歳時に32戦21勝で、主な勝ち鞍はウッドワードステークスとベルモントステークスである。度々負けたとはいえ傑出した競争成績であり、圧勝も多かったが、これだけでは10傑に入れる根拠としては弱い。この馬の真骨頂は、何と言っても4歳時のウッドワードステークスである。バックパサー・ドクターファガーとの三強対決となったこのレースを、ダマスクスは10馬身差で圧勝したのである。激しい2着争いを演じたバックパサーとドクターファガーも4着馬に13馬身もの差をつけていて名馬の名に恥じないレース振りで、両馬とも全くの凡走だったわけではないから、ダマスクスがこのレースで発揮した能力の高さが分かろうというものである。種牡馬成績はいま一つだったが、牝駒の多くは優れた繁殖牝馬となり、直系も続いている。

セクリタリアト(Secretariat)
 1970年アメリカ産牡馬。3・4歳時に21戦16勝で、主な勝ち鞍は米三冠とマンノウォーステークスである。3歳時のレース振りは圧巻で、3歳馬ながら年度代表馬に選出されている。4歳時のレース内容は3歳時以上に圧巻で、人々を驚嘆させた。三冠レースの内容は正に驚くべきもので、ケンタッキーダービーは現在も破られていないレコード勝ち、プリークネスステークスも同様に楽勝、ベルモントステークスでは2着馬に31馬身差を付けて驚異的なレコード勝ちを達成した。最後の2戦は芝のレースに出走してどちらも圧勝し、芝での能力の高さも証明した。度々負けたとはいえ、アメリカ競馬史上最強馬との評価が根強いのも納得である。
 セクレタリアトは大きな期待を受けて種牡馬となったが、その期待は大きく裏切られたと言うべきだろう。だが、悲惨な成績とまではいかず、後継種牡馬も少なからずいる。どうもアメリカでは、傑出した競争馬が種牡馬として大成功を収めるということが少ないように思われる。或いは、利尿剤などの薬物使用が認められていることが原因だろうか。

 

 

駄文一覧へ   先頭へ