既成概念と根本史料
第10回で高柳光壽氏の論文を引用したが、今回はもう少し長く引用してみる。
従来の日本の歴史は大日本史の影響が甚だ多いやうに思はれます。それは根本史料について一々研究するといふことは頗る手数のかゝることであり、困難でありますので、既成の編纂書によつて歴史を書くといふことになり易い。それで大日本史によりまして、歴史を書いて行く、その結果は大日本史の影響下に成立した日本歴史が、今日まで日本歴史の概念となり、学者といふ学者の殆んど大部分が、この既成の日本歴史の概念の外に出るといふことが出来ないでゐたのではないかと思はれます。勿論そこには偏狭な国粋主義の抑圧の下に自由な歴史が書けなかつたといふこともありますが、それよりも既成概念の範疇から飛出すことの困難さが著しかつたためと思ふのであります。
一体大日本史といふ本はいはゆる水戸学の精神の下に成立つたものであります。勿論清朝考証学の影響を受けまして、一々史料を掲げ、この点は頗る科学的でありますが、併しながら全体を貫くものは水戸学の精神であり、大義名分によつて歴史事実を批判する。即ち水戸流の朱子学風の道徳によつて歴史の事実に価値批判を加へるといふのであります。御承知の通り善を求める心は不変である。けれども善そのものは時により所によつて変化する。この変化する物差で計るといふのでありますから、どうしても事実の歪曲とならざるを得ない。それに水戸学の大義名分は現今の日本に於いて決して普遍妥当性をもつてゐるものではありません。
(中略)私の日本歴史の研究の材料といたしましたものは殆んど大半が古文書であるといふことであります。従つて私の日本歴史は古文書の残存しております奈良時代を限度と致しまして、それ以前には遡らないのであります。奈良時代以後と申しますと、歴史事実は可なり判明しており、大筋は決つてをり、何等日本の歴史の概念を変更すべき程の新事実は発見せられないし、また新説を立つべき余地は殆んどないやうでありますが、実は古文書の研究から帰納いたしますと、日本の歴史は従来の概念とは余程相違したところが大筋の上に於いても出て来るのでありまして
実に教えられるところの多い論文である。儀式や享楽にあけくれて実務から離れていき無為と退廃の中で行く手を見失った平安貴族、第22回でも述べた刀狩により武装解除された日本の民衆、斎藤道三は一代で浪人から大名にまで成り上がった、長篠の戦いにおける鉄砲を用いた織田・徳川連合軍の革命的な戦術と旧式な武田騎馬軍団、織田信長の始めた画期的な経済政策である楽市楽座、百姓とは農民のことである、といった既成の概念・認識は、根本史料である古文書を丹念に検索して読んでみると、どれも誤りである。
根本史料に日頃から接している専門家でさえ、このような誤りを犯してしまうのだから、私のような素人は尚更自戒しなければならないが、既成の概念や認識が根本史料の読解によって覆される様子を見ると、私の場合は歴史の面白さと楽しさを改めて知る。いつか、自分の手で既成概念を覆してみたいものである。