人類史に疑惑?(17)
前回にて紹介したテンプルトン氏の論文とエチオピアで新たな人骨発見についての論文は、人類史のみならず、古生物学の基本的な問題点をも改めて指摘する内容と言える。それはつまり、種の区分についての問題である。
生物種についての定義は、色々と曖昧なところはあろうが、自然な状態(この定義自体も困難だが、それはさて措き)で繁殖が行われて繁殖能力のある子が生まれ、子孫を代々維持できる集団ということになろうか。従って、化石でしか確認できない生物については、種の分類が極めて困難となる。
化石でしか確認できない人類(以前にも述べたことだが、私はヒト科という意味合いで人類という単語を用いている)についてもそれは同様で、基本的には形態の違いにより属と種の区分がなされているのだが、正直なところ、その区分を証明するのは無理なので、人類種の区分について述べた第82回にて指摘したように、あくまで暫定的な区分ということになろう。
故に、どのように人類の属と種とを区分するのか、またそれぞれの化石がどのような種に属するのかという問題は、かなり流動的ということになろう。実際、最近になって、従来はヒト属(ホモ)とされてきたハビリスとルドルフェンシスとはアウストラロピテクス属とすべきではないか、との見解も提示されている。
また、研究者によっても区分がかなり異なることがあり、現在では、取り敢えず人類は18種に分類されるというのが最大公約数的見解のようだが、エルガスターという区分を認めない研究者や、エレクトスという区分も不要でサピエンスに統一すべきという研究者もいる。
このように、人類種の区分については統一見解など到底ないという状況なのだが、近年では、一般には原人とされているユーラシア東部(東・東南アジア)のエレクトス(いわゆるジャワ原人や北京原人など)やネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)などは、遺伝学や形態学の研究成果から、現代の我々も属すサピエンス(現生人類)及びその祖先種とは別種で、現生人類との一時的共存はあったにせよ、絶滅してしまった人類種という評価が有力になっていた。
その結果、アフリカで200万年近く前に登場した共通した形態を持つ化石群は、従来はエレクトスとして一括して分類されていたのだが、エルガスターとして新たに分類する見解が有力となり(エルガスターという分類自体は、単一起源説が有力になる随分と前に提唱されている)、これがサピエンスの祖先という評価が一般的となった。
アフリカにおいて、このエルガスターの中からハイデルベルゲンシスが分岐し、さらにその中からサピエンスが分岐したというのが、最近では有力な見解となりつつあった。
しかしながら、前回にて紹介した最近相次いで発表された論文によると、エルガスターやハイデルベルゲンシスやサピエンスと、エレクトスやネアンデルターレンシスとの間には、かなりの規模の通婚があったことが示唆されており、こうなると、単一起源説の崩壊云々というだけではなく、エルガスター・ハイデルベルゲンシス・サピエンス・エレクトス・ネアンデルターレンシスといったヒト属の種の区分自体にも大きな疑問を呈さざるを得ない。
そうすると、人類が単一種で構成されているという説はもはや否定のしようがないにしても、ヒト属は概ね単一種という見解に落ち着くことになるのかもしれず、包括分類派や多地域進化説の一部の研究者の言うように、ヒト属はこの200万年近く世界各地に幅広く展開しつつも、一つの種としてのまとまりを維持してきたと言えるのかもしれない。
だが、これは人類の起源がアフリカにあることを否定するものではない。テンプルトン氏の論文においては、人類の起源がアフリカにあることを前提に、単一起源説で従来言われてきたようなユーラシアでの全面的な置換を否定し、エレクトスやネアンデルターレンシスといったユーラシアの先住人類とアフリカから移住してきた人類との大規模な通婚の可能性が指摘されている。
エチオピアで発見された人骨にしても、100万年前頃のもので、その頃のアフリカとアジアの人類の通婚が可能だったことを示唆するものではあるが、人類の起源がアフリカにあることを否定するものでは到底ない。多地域進化説にしても、人類の起源がアフリカにあることは認めており、仮に、多地域進化の論者やテンプルトン氏などの指摘通り、200万年前以降に世界各地に展開した人類の間で通婚が可能だったとしても、人類の究極的な起源がアフリカにあることは間違いないと言えよう。