「オーストラリア・ツーリングの旅」(その3)
Ver.1.01 13th Dec. 2001
Ver.3.01 07th Apl. 2002
「オーストラリア・シドニー観光」
【1日目】ブリッジクライム
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1、日 程
2001年 8月9日(木)〜10日(金)
2、目的地
[1日目]ブリッジクライム・ツアー
[2日目]ランチクルーズ
[3日目]東京に向けて出発
3、観光の地域
シドニー市内
<4、ハイライト
(1)・ブリッジクライム・ツアー
(2)・ランチクルーズ
(シドニー湾内の昼食付きクルージング)
5、同行者
GP(Global Person)
SM(Snow Man)
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【2日目】 ランチクルーズ ( ルートマップ ) |
[前置き]
オーストラリア旅行第三ステップはシドニー観光である。
最初の計画ではバイクツーリングだけ考えていたが、2日間はドライブに変更し、最後の2日間はシドニーに立寄ることとした。
東京からベルボルンに行く直行便はなく、全てシドニー経由である。シドニーで一旦降りて、別便でメルボルンに向かうが、それが国内便と国際便があるのでややこしい。カンタス航空のみシドニーを経由するが同じ飛行機でメルボルンに行くことができる。即ち、トランジット便である。帰りも同じである。
話が長くなったが、どうせ一旦シドニーで乗り換えるのなら2泊してシドニー観光したほうが良いと考えて、シドニーにホテルを2泊予約してもらった。
当初はGPさんの夏期休暇が長期に連続して取れるかが分からなかったので、とりあえず私だけ2日間シドニー観光の予約を入れた。
[思わぬ便り]
そうこうしているうちに、GPさんが休暇が取れるようになったので「一緒にシドニーに同行しても良いですか?」とのemailが届いた。私にとっては願ってもないことなので「是非是非」との返事を送った。
実をいうと、私一人で旅行するのは心細かったのだ。「ホテルの予約、ホテルのへの足、ホテルでのチェックイン、観光名所探しと予約、等々、自分ひとりでは大変だ」と思っていたからである。
[1日目]
(1)シドニーに向かう
朝起きて、GPさんが用意してくれた朝食を取って、GPさんの車で空港に送っていただいた。車はそのままメルボルン空港の駐車場に2日間ほど預けることにしたらしい。私は最後までGPさんのお世話になり放しとなった。
駐車場内は車で一杯だ。空港に近いところにバゲージを降ろして私が留守番。GPさんは駐車スペースを探して奥のほうまで行ったきり中々帰ってこない。暫くしてGPさんが声を掛けてくれた。駐車場内には客をピックアップしてくれる小型のバスが巡回していて無料で空港まで送迎してくれる。荷物を降ろしてくれたときGPさんは極自然に運転手にチップを渡した。
空港でチェックインしてほぼ予定通り飛行機は離陸した。天気もよく、45分程のフライトでシドニー空港に到着した。ここからは、小型のシャトルバスがあり、ホテルの方面によって何種類かある。我々は「グレースホテル」に向かった。
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シドニー空港 |
QANTASを背景に |
GPさんすっきりした通路で |
(2)ホテルでチェックイン
午前11時頃に到着したので、そのままチェックインできない。とりあえず仮チャックインして、荷物を預けた。禁煙の部屋をお願いしたら現時点で空室がないので部屋が空いた時点で荷物を部屋に入れておくとのことだった。
(3)市内観光(シドニータワー)
ブリッジクライムツアーは午後からなので、昼食前に市内観光をすることにした。短時間でするにはやはり「シドニータワー」の見学が手ごろということでGPさんが案内してくれた。
ガラス張りのアーケードからもシドニータワーが見えて、外に出ると青空にくっきりとその威容が臨めた。
この街に来て気付いたことは黒の洋服を着ている人が多い。格好いいカップルは殆ど黒のお揃いだ。昨年、イギリスのブティックを覗いたときも、店員が全員黒だったことを思い出す。黒はやはり上品でクール(格好がよい)だ。ふと気がつくと実はいつの間にかGPさんは黒のセーターを着て、黒のズボンと靴を履いていた。「恐れ入りました」やはりグローバルな感覚の人は自然にその雰囲気を自分のものにしているのだと感心した。
(4)360度見える展望台
シドニータワーは中々人気があるらしく、待ち行列が出来ていた。5分程待ってタワーに上るエレベータに乗った。
展望台につくと、周囲が全て見えるようにガラス張りになっている。ここでゆっくりシドニー湾とシドニーの街並みビル群を眺めた。シドニーは東京と異なり空気が綺麗なので真っ青な空と地平線までがはっきり見える。これだけでも本当に気持ちが良い。十分堪能してからホテルに戻った。
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地平線までスッキリ見えるシドニータワーからのパノラマ |
(5)ホテルのCAFEで軽食
レストランで食事をするほど時間の余裕がないのでこのホテルのロビー隣にあるレストランで軽食を取った。
(6)ブリッジ・クライム
@ホテルにピックアップ
その後、ブリッジクライム・ツアーのエージェントバスが我々のホテルにピックアップに来てくれた。そしてホテルのロビーでツアー参加費用をクレジットカードで支払った。
そのガイド兼運転手は日本人青年で簡単なガイドをしながら各ホテルを巡回して観光客をピックアップし、目的の橋「ハーバーブリッジ」のあるセンターに到着した。
Aオリエンテーションと簡単なテストと訓練
マイクロバスは丁度、開始時間に到着した。料金は既にエージェントにまとめて支払ってあるので、すぐに受付できた。スタートまで少々時間があった(5分程)ので、有名人の登橋(?)記念写真が入口付近に貼り付けてあるのを見て廻った。
有名なハリウッドスターや100歳の女性など30枚程あった。日本人では小堺一機と関根勤の二人の写真があり、「Japanese TV Talent」とキャプションが付けられていた。もう少しましな人がいないものかとがっかりした。
Bアルコールテストと「全ては本人の責任」にサイン
事前のチェックの中に「アルコールテスト」があった。いつもは昼食時にビールを飲んでいたが今日はCAFEで軽食を取ったことと時間に余裕がなかったことからビールを飲まなかった。ラッキーであった。いつもなら必ずビールを飲んでいたし、食事後すぐという時間帯であったので、チェックに引っかかるところだった。もしそうなれば今回のツーアーは全て中止を止む無くされるところだった。
やれやれ、「神が救い賜うた」のか、兎に角、ラッキーだった。それにしても、エージェントは事前に禁酒の注意を伝えるべきだと思う。(逆に当然のことなのかも?)
それから、もう一つ。ツアー開始から終了迄にトラブルが生じた時には全て自己の責任である旨の署名をさせられる。それで手続き完了。
Cつなぎのウェアーに着替える
次の部屋に入るとすぐに、つなぎのウェアーに着替えさせられた。自分の物は下半身はズボンと靴はそのままでOK。勿論、ハイヒールのような人は安全な靴に履きかえる。上半身はシャツ以外は全て脱ぎ、その上につなぎのウェアー(宇宙飛行士の制服のよう)を着る。その他の身に付けているもの全て(時計、イヤリング、ネックレル、ブレスレット、等々)取り外される。そしてポケットの中のもの全てロッカーに収納。眼鏡は専用の紐を取り付けて落下を防止する。勿論、カメラ等の自分の持ち物は一切携帯禁止である。
この特殊のウェアーは橋の突起物などに引っ掛からないようになっており、前部にはポケットや重なった部分は一切なく背中にファスナーが一本通っているだけなのだ。また、防寒用の帽子やジャケットは腰につけられた専用バックに入っており、それらは全て紐で繋がっていて、決して落ちないような工夫がされている。手袋は輪になったゴム紐がついており、その輪に手を通してから袖の中にしまい込む。使いたいときには袖から出して着用する。
その他、説明員の声が全員に届くように小型の無線式レシーバーを腰につけイヤホーンを耳につける。これら全てがバンドや紐で留められる。
このように、全てのものが落ちないように工夫されているのだ。
Dいよいよ訓練スタート
訓練の前に、お互いの出身国や意気込みなどを交えて自己紹介する。殆どがオーストラリア以外から来た観光客であった。
数人のインストラクターがいて手分けして面倒を見てくれる。先ず、基本的な説明をしてから、簡単なテストと訓練をする。先ずは、命綱の付け方と移動の仕方を実際の特殊な滑車のついたロープを使って一人一人やってみさせる。
それが全て出来ると今度はそのロープを付けて金梯子を登るテストする。勿論、何ら問題なく終了。
E命綱の仕組み
この仕組みは言葉での説明は不可能だが、大筋の仕組みを説明すると、次の通りである。
橋の最初にこの命綱をつけると橋を渡りきって戻るまでは橋から離れられないようになっている。即ち、橋を渡っている間はこの命綱が繋がっており外すことは出来ない。従って、途中で「や〜めた」という訳にはいかない。
橋の土台部分に登る金梯子や、橋には両側に手摺が付いているが、右側にステンレスのワイヤ・ロープが付いており、このロープはU字型の金属で手摺の柱部分に留められている。このU字型の金属は柱に差し込まれている形なので結果的にO型状に閉鎖している。従って、ロープが外れることはない。
F不思議な仕組み
命綱の先端にはヨーヨー状の特殊なU字溝付き滑車がついている。このU字溝を塞ぐ形の金属がありこれが滑車の軸に繋がっており自由に動くようになっている。
このU字状の間に橋に繋がれたロープを通す。これで我々の身体は橋のロープに簡単に繋がる。一度このロープを通すと最後の出口までは外すことが出来ない。
不思議なのは、ロープの支柱部分を通過するとき、通常ならばロープを支えているU字状の金属に引っ掛かってしまうはず。それがこのヨーヨー状の滑車の工夫でこの難関(?)を通過できるのだ。
カメラを持ち込み出来なかったので、この不思議な滑車の仕組みを写真に撮ることが出来なかった。
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不思議な滑車の仕組(購入写真からトリミング) |
Gいよいよブリッジ・クライムだ。
このオリエンテーションで丁度1時間かかり、これから2時間の予定でいよいよブリッジ・クライム(橋登り)だ。橋の麓にある当センターから橋脚部の石の建造物迄徒歩で数分、この建造物の上までは階段を上り、その頂上部分まで先ず登る。そして、そこから橋を支える弓状の部分までは垂直に金梯子を登り、途中踊り場があり、又、隣側の金梯子を登っていく。これが3段階になっている。
この金梯子を登るのは踊り場までは一人のみで、一段目を登り切ってから次の人が登るルールになっている。何故なら、万一先に登った人が滑落しても下の人に被害を及ぼさない工夫なのだ。そこには見張り人がいて、誘導してくれる。
H網目状の床(グレーチング:Grating )
私は高所恐怖症ではないので「高い所大好き」人間だ。橋脚部分でもかなりの高さがあるが天辺の半分以下だ。しかし、ここの高さの方が少し怖い気がする。網目状の床(グレーチング)なので足の下がよく見えるからだ。すぐ下には6車線の道路と2車線の鉄道が通っている。しかも、自動車が高速で走っているのがよく見える。 もしここから小さなものでも落としたら、それが車に当たり大事故になりかねない。だからここに来る前に宇宙飛行士の制服のようなつなぎのウェアーを着せられ、しかも、持ち物は全て禁止となっている。
Iいよいよ「橋の弓状部分」(アーチ)のクライムだ。
いよいよ、このツアーのハイライト「橋のアーチ」を登る。将に「ブリッジ・クライム」に挑戦だ。
この部分は幅1.5m位あり、人1人がすれ違える程の幅だ。ツアー客は1グループ12人で一列に並んで登っていくが、説明員は時々左側を逆戻りしてツアー客の前後を自由に往来する。そして、懇切丁寧に説明したり、質問を受けたりする。
ここで先程のヨーヨー状の滑車。一度付けたら最後まで外せないはずのあの ヨーヨー状の滑車が、説明員用のものは途中でも外せるようになっているらしい。これが又不思議。仕組みは分からない。
Jブラボー絶景なり
いやもう最高。アーチの頂上は海面から134m。日本の東京タワーの展望台の高さである。周囲には何もない将に360度のパノラマだ。説明員が頂上近くで全員揃った写真を撮ってくれて、それ以降4枚の写真を夫々のグループまたはカップル毎に記念写真を撮ってくれた。この頂上までの所要時間は丁度1時間だ。
K世界一の絶景
アーチは左右2本の鉄で出来ている。ご存知の通りこの2本の弓状のものは平行またはX状の鉄のアングルで繋がっている。頂上部分は右から左に渡れるようにやはり1.5m程の幅の渡り板がある。
最も高い所(海面から134m)に居るのだが不思議に恐怖感は全くない。世界中でこれ以上の絶景はないはずだ。何しろ周囲には何の障害物もないのだから。風速10数mの海風が一定の強さで吹いていてなんとも気持ちがいい。
シドニータワー、エッフェル塔、そして東京タワーの展望台ではガラスや支柱が障害になっているのと、展望台を1周しないと360度を見ることは出来ない。それがここでは、一地点で360度シームレス(継ぎ目無し)の景色を見ることが出来るのだ。
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12人の宇宙飛行士?は登頂を喜ぶ(筆者は前列中央) |
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下は高速道路 |
ご覧の通りの幅 |
オペラハウス |
ビル街を背に |
Lあとは下るだけ
あとは下るだけだが、途中、グループ毎の写真を所々で撮ってくれるので、それなりに時間が掛かり、結局、下りも丁度一時間を要した。
ツアー客は全員満足そうな笑顔でお互いの幸せを祝いあった。
センターに戻って、自分の衣服に着替えて解散だ。
ここで登橋者証明書[CLIMBER CERTIFICATE] を頂き、記念写真を購入した。
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登橋者証明書 [CLIMBER CERTIFICATE] |
[2日目]
(1)Four Point Sherraton
今日のピックアップ場所のホテルは我々のグレースホテルではなく、近くの Four Point Sherraton に指定された。ピックアップの効率かららしい。そのホテルは元ホテル日航シドニー(JAL系)だったが今は Four Point Sherraton になっている。しかし、宿泊客は昔のJALのリピート客などから日本人観光客が多く、今回も修学旅行の日本人女学生が沢山居た。こんな高級ホテルに修学旅行で使うとは贅沢になりきった日本人はどうなっているのだろうか。
地下には日本人観光客用の土産店ばかりが林立していた。歓迎の文字から看板、説明まで全て日本語で書いてある。店員も東洋人ばかりで一見日本人のようだった女性も話をしたら韓国人だった。勿論、日本語は上手だ。日本には行ったことがないというが、殆どなまりもなく綺麗な日本語(標準語)なのには驚いた。
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ホテルの土産店は日本語表示 |
(2)観光案内ガイド
今日の運転手は昨日の運転手兼ガイド氏であったが、ガイドさんは若い女性であった。
このガイドさんは流石プロで我々日本人観光客を飽きさせないように次から次へとシドニーの面白い事柄を紹介してくれる。
その一つにコカコーラのネオンサイン広告があった。
シドニーでは商品名の広告は州の法律で禁止されているので街の中はスッキリしていて大変綺麗だ。35年前に旧ソ連に旅行した時、ハバロフスク、モスクワ、レニングラード、キエフ、ソチなどどこへ行っても広告看板が全くないのでスッキリ綺麗だったことを思い出した。
話は戻るが、そのシドニーの Kings Cross の玄関に、ただ一つ大きなネオンサインのあのコカコーラの広告があるのだ。これはコカコーラ社が敢えて法律に違反して年間5億円の罰金を支払って居るのだそうだ。一時期、広告撤去の話もあったそうだが、市民が馴染んでいるのでそのままになっているそうだ。コカコーラも思い切った戦略を立てて実践していることに、この商魂のすさまじさを感じた。
色々、説明を聞いているうちにタロンガ動物園に着いた。
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コカコーラの広告 |
(3)タロンガ動物園
ここはシドニー湾、シドニーブリッジ、シドニータワーが良く見える丘の上にある。中は東京の多摩動物園のように出来るだけ檻をなくした構造になっている。規模は多摩動物園ほどではないが珍しい動物も沢山いる。
その中でも、コアラは人気があったが、混雑していた上に別料金だったので見学を止めた。カモノハシも珍しいのでこれは見学したが全長9cm程で思ったより小さい。
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タロンガ動物園からの眺望 |
多摩動物園のよう |
(4)ランチクルーズ
今日のハイライト、ランチクルーズだ。11時から15時までシドニー湾内を昼食を取りながらクルージングを楽しむ。日本の東京湾内のクルージングと異なり、昼食もホテルのシェフが乗り込み本格的な料理をサービスしてくれる。
この食事をした後は湾内の景色をゆっくり楽しむ。この船は、エンジンつきの帆船で所謂、大型クルーザーだ。港を出るまではエンジンで走り、途中から帆を揚げて風力で走る。
本当に長閑でゆったりした雰囲気だ。日本だと大きな音の音楽を鳴らしたり、観光客は大声を出したり、まあ、ゆとりとは程遠い感じだが、やはり、ここは大人の観光という趣だ。
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この橋を登ったのだ |
船からの景観は最高 |
モノレールの車体は 富士フィルムの広告で緑色 |
(5)グレース・ホテル
昨日から宿泊したグレース・ホテルは市の中央部にあり、便利で高級なホテルだ。今夜はこのホテルで夕食を取った。今回は、この長い旅行の間、GPさんのお世話になり放しだったので、今夕食だけ私の驕りにさせてもらった。ほんの気持ちだけではあったが、GPさんへの感謝の気持ちをお伝えした。
このホテルは全体に高級なのだが、特に我々の部屋はもったいないような広く立派な部屋であった。ベットは広いダブルベットで、大きな窓が正面に3つ横に2つもあり外が良く見える超高級な部屋だ。こんな広い部屋を2人別々にシングルユースで取っているのだからもったいない。
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部屋はゆったり、豪華なベッド |
帽子を記念に買った |
(6)夜間観光
GPさんはこの日はシドニーには泊まらずに、メルボルンに戻った。翌日はアメリカへ出張とのこと。忙しい中に、私に最後までお付合いしてくれたGPさんに感謝しホテルで見送った。
私はその後、一人で夜間の市内観光に出かけた。夜1人で初めての街を歩くのも面白い。目に付いたものを写真に収めて楽しんだ。
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ボランティアの掃除 TO OUR GLORIOUS DEAD |
若者達で活気あるパブ |
日本レストラン「関西」 |
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ショッピングセンター |
語呂合わせが面白い土産店 |
荘厳な雰囲気のカセドラル |
最後に迷子になった。方向感覚は良いはずなのに自分としては信じられない。セントラル・パークの街灯の明かりで地図を見ていたら通行人が声を掛けてくれて、私のホテルの方向を教えてくれた。
後で分かったのだが、地図ではホテルが角地の所在になっていないが、実際は角地にありその両方に入口があったのだ。私の出た口は地図にない方向90度廻った方向にあった。従って、私の頭の中の地図は90度ずれていたのだ。方向が分からないはずだ。
こんな経験は始めてだが、また変に異国に来た新鮮さを感じた。
[3日目]
(1)ロビーで待つ
最後の日は朝早くホテルを出てシドニー空港に向かうだけだ。来たときと同様に小さなシャトルバスを利用することとして、事前にホテル経由で予約を入れてもらった。だから、少し早めにチェックアウトし、ピックアップに来る時間までロビーで待った。
(2)さくらラウンジ
最後もシドニー空港のJALさくらラウンジでビールを頂きゆっくりした時間を過ごした。ここにこられる客はビジネスマンが多く、スーツ姿が目立った。
(3)機内でオージー学生とお話
たまたま、隣のオージー(オーストラリア人を現地ではそう呼ぶ)学生やトイレ待ちで知り合った学生達と親しくなった。
私が「二輪車でツーリング」してきたことに大変驚いていた。
オーストラリアの住環境や人柄についても議論したが、彼曰く。オーストラリアは人種差別が割合激しく彼のようなアジア人(彼は中国系)には居心地が良くないそうだ。それに比べ、彼が今留学中のアメリカはたいへ良いと言っていた。
私の感覚ではアメリカのほうが人種差別が強いように思っていたが、実際住んでいる彼が言うのだからそうなのだろう。色々、考えさせられた
今回のオーストラリアの旅は、沢山の経験と、沢山の思い出を残して無事終了した。
以上
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[大変詳しく書かれていますので、是非、お読みください]
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