成田では、相も変わらず過激派対策の厳戒体勢が引かれていた。タクシーが空港駐車場に入るとき、警官がうさん臭そうに我々を見て、ザックの中を開けろと言う。
ま、それも無理もない。ヘルメットが結び付けられているザックに、ピッケルなどの金物までぶらさがっていて、おまけに我々の格好は、海外に出かけるとは思えぬラフな格好である。警官は不審そうにしばらく我々のザックの中をほじくった後、本当に山に行くらしいと納得したのか、解放してくれた。
成田には、山岳部の人など大勢の人が見送りに来てくれて、おまけに多額の寸志ももらって(みやげが大変だなぁ)、いよいよこれから出かけるんだと言う浮き浮きした気持ちと、登山への不安が心の中で交差する。
大阪の自宅へ電話した。母が電話に出た。
「今、成田におんねん。」
「成田?どっか行くの?」
「これからスイス行くねんわ」
「スイス?」
「マッターホルン登んねん」
「えっ?」
しばらく自宅では大騒ぎだったそうである。親にはあらかじめ連絡しておくべきだった。つくづく親不幸者である。
7月13日20時ちょうど、ローマ行きAZ791便は成田を飛びたった。
成田を出たが、興奮していたのか一睡もできない。皆もその様だ。ただ一人、Oさんだけはガーガーと寝ている。さすがに永年、高炉で交代勤務して来ただけあって、環境の変化に強い。Oさんのこの強さは後にも証明される。
デリーでは、給油、清掃のため、全員飛行機の外へ追いだされる。その間、待ち合い室で時間をつぶし、時間が来たので飛行機へ戻ろうとしたらまた荷物チェックがあって、ちょっと待てと止められる。
なんだなんだと聞いても、インドなまりの英語でよくわからず、なんか”バレリ”を出せと言ってるらしい。”バレリ”?、樽の事かな。そんなもん持ってへんぞ。
散々押し問答したあげく、ようやくカメラのバッテリーを出せと言ってるらしいことに気がついた。過激派の電池爆弾などを気にしているらしい。
この問答を見ていた他のメンバー、僕の英語が案の上全然通じないので、一抹の不安を感じたようだ。
ローマ・フィウミチーノ空港に7月14日7時20分着(ヨーロッパ標準時間)。
学生時代旅したときは、この空港が最終地点だった。予定した飛行機が故障で出ないなどのハプニングがあって右往左往したりした。それだけに懐しい。
他のメンバーはヨーロッパ初めての人もいて、空港内でも何でもめずらしいらしい。Mさんなどは
「すごいね、外人さんばっかりだね」
あたりまえである。
ローマからはDCSuper80に乗ってジュネーブに向かう。
飛行機はローマを出てしばらく海上を飛び、また陸上を飛ぶ。しばらくすると前方にアルプス連峰が見えてきた。
「おっアルプスや!」
とか言いながら右左の窓に寄っていって、景色を眺める。
「マッターホルンは見えるかな」
「見えへんやろ、ちょっと遠いで」
やがて飛行機はモンブランの上を飛んでスイスに入っていく。
そこへMさんの声。
「マッターホルンだ!」
皆でどやどやと窓につめかけた。
いつの間に現われたのか、マッターホルンの姿がそこにあった。秀麗な三角錘で、その頂上は天を突きさすように鋭く見える。
他にも4000m峰はいくらでもあるのだが、我々の目に入るのはマッターホルンのみ。またその姿は他のどの山よりも威圧感があった。
誰かがぽつんと言った。
「あれを登るのか」
本当に登れるのだろうか。なんか途方もないことを夢見ていたのではないか。そんな不安にかられた。