7月14日、10時20分、飛行機はジュネーブ空港に到着。荷物を受け取り、両替をしてスイスに入る。
空港内に新たに出来たSBB(Swiss Bundes Bahn=スイス国鉄)の駅で、半額チケットを7人分買い、さらに団体割引の適用も受けられることもわかって、切符売り場のお姉さんの言うとおりに、書類を作っていたら、ツェルマットまでの切符はかなり安く買えてしまった。でも買うのに時間がかかった。
ジュネーブ空港駅から、ミラノ行き列車に乗り込んだ。いよいよスイスの旅の始まりだ。
列車は音もなく空港の地下駅を出発し、ジュネーブを過ぎ、やがてレマン湖畔を走っていく。湖の美しい風景と、スイスの家並。
今こうやって山の仲間とまたこのスイスに来ているという事が、不思議でまた信じられない気持ちだった。
SBBの列車は日本と同じ、クロスシートの席が多い。が、我々の乗った列車はミラノ行きの国際列車なので、座席が個室のようになっている、コンパートメント形式の列車だ。
こういう座席だと、隣に座った人達とも、話をする機会が多い。ローザンヌから乗ってきたおっさんは、我々の格好を見て、ラダックを知ってるかと言う。ラダックってパキスタンの街だったっけ、て言うと、そうだそうだ、俺はそこへ行ってきたんだとか言って話し始める。一応英語で話していたが、結局そのおっさんがラダックへ行って何をしてきたのかは、全然わからなかった。
そのおっさんの後に入ってきたおばさんも、山に登るの?と聞いてきた。そうだと言うと、マッターホルンだろうと言う。何故わかったのか聞くと、わざわざ日本からスイスまで来て登る山なら、マッターホルンに決まってるのだそうだ。そうかもしれない。
いつも口数の多い、Mさんがおとなしい。体調が悪いようだ。皆は、マッターホルンを見てびびったかな、と口が悪い。
スイスが初めてのKさんとO夫妻は、車窓に何か現われるたびに
「すごいなぁ、きれいなぁ」
と感心している。
列車はシオンの城を見るとすぐにレマン湖を離れ、ローヌ河ぞいを走っていく。日本ではとても見れないような断崖を左右に見て、時々由緒ありそうな城を見て、話をしているうちに、ツェルマットへ入る登山列車の乗り換え口、ブリーク(Brig)に着いた。
ブリークでは、コーヒーを飲み、ビールを飲み、街をブラブラ歩いたりしてスイスの町の雰囲気を1時間ほど楽しんだ。
そしてツェルマット行き登山列車に乗り込む。
深いU字谷の底を列車は登っていく。走っていくというより、登っていくと言ったほうがふさわしいような登りだ。小さな村や、高い滝をいくつか見て、上に氷河が見えてくると、そこがツェルマットだ。
7年ぶりの懐しい街、ツェルマット。駅が近代的に改装中だったのには驚いたが、駅前の姿や、目抜通りの趣など7年前と全く変わっていなかった。そして回りの山々の風景も全然変わっていなかった。
まだ20才になったばかりの学生時代、この街を訪れた時を思い出した。
その時は5日間ツェルマットに滞在したが、毎日ハイキング三昧ですごした。スーパーで買ったパンをかじり、ユースホステルで自炊すると言う日々だったが、いろんな出会いもあって楽しかった。その時の想いもあって、世界中で、いちばん好きな街はと聞かれると、自分の生まれ育った街を除くと、やはりツェルマットと答えてしまう。
その街に再び来たのである。あの時、ツェルマットを離れる日、マッターホルンを見ながら思った。
「もう来ることはないかな、いやもう一度来る。
その時は、マッターホルンに登るとき。」
そう思ったとおり、再びやってくることになった。
日本から予約してあった、ホテルガルニ・ビナーと言う宿に宿泊手続きをし、ガイド組合でマッターホルン登頂のガイドの手配をした。ガイドは日本から旅行会社を通じて予約してあったが、案の上と言うか何と言うか、予定していた日とずれていたので、再度予約しなおす。
その後あたりを散策した。
町は人であふれ返っている。ドイツ人、アメリカ人等が多いようだ。もちろん日本人も多い。ハイキング、登山姿の人が目立つのもこの町の特徴。さすが山の都と呼ばれるだけある。
あたりの家は、全て花が飾ってある。それがスイスの街の雰囲気を決めている。中でもツェルマットのあるヴァリス州は、それが徹底していて、まるで花の展示会をしているよう。
人は多いが、ツェルマットは車が入れない。だから町につきものの喧騒はない。電気自動車と、パカパカと歩く馬車のみが交通機関だ。時折り、羊の群れが町の中を通りすぎていく。
しかしこう言ったツェルマットのたたずまいは全く昔と変わらないところが、うれしい。変わったのは自分だけか。
スポーツ店でヘルメットを買い、レストランで食事をして、土産者屋を物色してホテルに戻った。