バックナンバー(十三)    第六十九話〜第七十三話

『その声は、初江王・・・様ですよね?。』
『な、なに?、初江王様ぢゃと?。』
『そう、初江王だ。おや、久しぶりですな・・・え〜っと、確かあなたは天界へ・・・。』
『はい、そうです。今は、ヤマ天におります。よく覚えていてくださいました。』
『いえいえ、なんの・・・。まあ、それはいいとして、話の途中で悪いんだが、ちょっと邪魔しますよ。聞新、こちらに戻ってくることはできるな。』
『は、はい、そりゃまあ、できますが・・・。って、どうやって戻るのかわからないですが・・・。それに、まだこちらに滞在できる時間はあるんじゃ・・・。』
『あぁ、時間はあるのだが、ちょっと用事があるのだ。その住職とやらに会うのは、またの機会でいいんじゃないのか?。あわてることかね?。』
『い、いや、そういうわけじゃ・・・。』
『なんだ、煮え切らんのう・・・。あぁ、もう少し嫁の姿が見ていたいのか?。うむ、それもわからぬではないが、お前には大事な仕事があるのであろう。』
確かに俺には大事な仕事がある。あの世のことを取材する、ということだ。しかし、それは、こちらでも今やっているのだし、何も俺はサボっているわけではない。おじいさんに随分とあの世のこと、特に守護霊のことを教えてもらったのだ。現世に留まれる時間はまだあるはずだ。せめて、もう少しくらい女房や子供の姿を見ていたい・・・と思うのが人情であろう。
なので、俺はついつい不服そうな言い方になってしまった。
『もちろん、取材はしますよ。現に今もしていたところだし・・・。その用事っていうのは、そんなに慌てることなんですか?。』
『ほう、なんだか不服そうですねぇ。ふ〜ん、まあいいんですが、取材って言うのは、ネタが新鮮な方がいいんじゃないでしょうかねぇ。私は、そう思ってあなたにお知らせしたんですけどねぇ。』
どうやら初江王、へそを曲げたようだ。その様子を見て、おじいさん
『おい、お前さん、なんだかわからんが、初江王様の言うことは聞いておくべきぢゃろう。こちらへは、また来られるんぢゃ。な、悪いことは言わんから、初江王様の言うとおりにするんぢゃ。』
と心配顔で忠告してきた。おじいさんに迷惑をかけてもいけないことだし、仕方がないので嫌々ながら、初江王に従うことにしたが、すこしだけ勿体つけたかったのである。
『はぁ、まあ、そうなんですけどね。しかしねぇ・・・。はぁ〜・・・。わかりましたよ。戻りますよ。戻ればいいんですよね。』
『もう少し素直に言ってもらいたいのですが、まあいいでしょう。それに、こちらに戻ってくれば、お前は喜びますよ、きっとね。お前には記者根性が備わっているんですからね。ほっほっほ・・・。』
初江王が俺を呼び戻すくらいなのだ。それはとっておきの取材ネタなのだろう。そう思うと、俺はあの世の方へ気持ちが動いていた。この記者根性もすっかり見抜かれている。
『そんなにいいネタなんですね?。つまらないことだったら怒りますよ。閻魔様に言いつけますからね。で、どうやったら戻れるんですか?。』
『何、簡単ですよ。普通は、滞在期限の終わりが近付いてきたら、自然に引っ張られるんですけどね。途中でこちらに戻りたくなった時は、強くあの世へ戻りたい、と念じればいいのですよ。それでOK。』
なるほど、ということは、俺の気持ちが大事だ、ということなのだ。嫌々では戻れないのだろう。俺が、戻りたいと思わねばいけないのだ。
『まあねぇ、無理やり戻すこともできるんですけどね。その方法は、あまり使いたくありませんからね。それに、その方法は、脱走者用ですからねぇ。』
そうなのだ。いつだか聞いたことがある。現実世界に戻ってきて、あの世に帰りたくなくなるものがいるのだと。普通は、次の裁判が近付けば自然に戻ってしまうものらしいのだが、それを強く拒否するものがいるのだと言う。いわゆる、あの世からの脱走者なのだ。そういうものが、この現実世界に残ってしまうと、幽霊になってしまうのだ。ただし、よほど強い意志や怨みがないと、現実世界には留まれないという。しかし、あの世の決まりでは、深追いはしないと記憶していたが・・・。
『そうですね。あまり無理やりこちらへ連れ戻すことはしません。それは、現実世界での問題ですからね。現実世界からの要請がない限り、脱走者用の連れ戻しは行わないんですよ。』
『現実世界からの要請・・・ですか。』
『そう、まあ、それについては、後日にしましょう。話が複雑ですから。とりあえず、今は、こちらに戻りなさい。』
『はい、わかりました。じゃあ、そうします。』
俺は、素直に初江王の言葉に従うことにした。
『じゃあ、おじいさん、また次の裁判が終わりましたら、その次の裁判までの猶予期間に戻ってきますから、女房をよろしくお願いいたします。え〜っと、それから子供たちの守護霊をしてくださっているご先祖様、またご挨拶にきます。よろしくお願いいたします。』
俺は、子供部屋のほうを向いてそういった。しばしの別れだ。また戻ってくることができるのだ。それまでの辛抱である。おじいさんも、うんうんとうなずき、手をあげて応えてくれたのだった。
『では、初江王様、そちらへ行きますよ。』
俺はそういうと、強くあの世に帰りたい・・・と願った。

「うわっと・・・。ここは・・・。」
俺は、周りを見回した。周りには花が咲き乱れていた。辻が花である。少し上の方には、あの『お返り台』が見えている。今も誰かが打ち上げられようとしていた。あの牛頭の姿も見えていた。だが、裁判所は見えていない。どうやら、お返り台をはさんで、裁判所とは反対側に降りたようだ。ということは、次の裁判所への道中にあたるのだろう。俺は、自分の立っている丘の下の方へ目をやった。思ったとおり、下の方に道がある。どうやらその道が、次の裁判所へ向かう道と思われる。自分がいる場所の状況は大体つかめた。しかし、初江王は、ここで誰に何を取材しろというのか・・・。こちらに帰ってきたのに、初江王の声はしなかった。なので、初江王に呼びかけようとしたそのとき、
「はぁ〜、どうすりゃあいんだ・・・。あぁぁぁ、俺はなんてことを・・・。あぁぁ・・・。」
という泣き声が聞こえてきたのだった。俺は、声のするほうへと歩いていった。

ほんの少し丘を降りたところに、ハダカの男が背を向けて寝そべっていた。すっかり忘れていたが、我々は、奪衣婆に身につけているものを奪われ、葉っぱ一枚のみを股にくっつけている状態なのだ。
「どうしたんですか?。何を泣いているんです?。」
俺は、その男に声を掛けてみた。
「う、うわ、あぁ、びっくりした。」
その男は俺の声に驚いて、素早く振り返った。よく見れば、その男はあの覗き見教師であった。
「あっ、あなたは、私の前の方で裁判を受けていた方ですよね。」
俺は、何も知らない振りをして、覗き見教師に声を掛けてみた。彼は、驚いた顔のまま
「な、なんで話しかけられるんだ?。あ、あんたは・・・何ものなんだ?。」
と言いながら上半身を起こした。そうなのだ。ここでは、死者どうし会話はできないのである。死者が会話ができるのは、裁判官や牛頭・馬頭、夜叉などの、こちらの世界での職員(といっていいのだろう。いい言葉が思いつかなかった)とだけである。死者どうしは、話ができないのだ。
「えっ?、あぁ、なんだか知らないですが、私は話ができるんですよ。あなたはできないんですか?。私も死者の一人なんですけどね。」
「お、俺は・・・誰にも話なんてできなかったぞ・・・。いや、確か山の中でさ迷っているときは、話かけたりしたかな・・・。いやいや、川を泳いだときも、誰かに声をかけたようなきがするけど・・・。2回目の裁判を受けるころには、誰にも話しかけなかったし・・・。あそこは、しゃべっちゃいけないような雰囲気だったしなぁ・・・。」
覗き見教師は、今やお花畑の中に座り込んで、一人でボソボソしゃべり始めていた。
「そうか、会話をしようとしなかっただけで、実はしゃべることができたのかもな。そういえば、あの高台でもあの牛のバケモノと話をしたっけ・・・。」
そういうと、彼は高台の方を見上げたのだった。牛のバケモノとは、牛頭のことであろう。あの牛頭に、「牛のバケモノ」なんて言葉が聞こえたら、ここまで飛んでくるに違いない。幸い、あの牛頭に今の言葉は聞こえなかったようだ。
「まあ、そういうところじゃないですか。」
覗き見教師は、死者どうし会話ができると勘違いしたようだが、説明するのが面倒なので、勘違いのままにしておいた。
「ところで、先ほど泣いていませんでしたか?。」
俺は、彼の隣に座って聞いてみた。彼は、ちょっと恥ずかしそうに下を向いて
「あぁ、聞こえてましたか・・・。お恥ずかしい・・・。」
と小さな声で言った。
「何を泣いていたんですか?。差支えがなければ・・・。」
「いや、ちょっとね、あまりにも自分がバカだったと・・・。」
「バカだった?。」
「なんというか・・・、その・・・。そのね、生きている世界に戻ったのですが・・・、その、あまりにも・・・なんていうか、迷惑をかけてしまったな、と・・・。それを悔やんで・・・。」
この覗き見教師、あのお返り台から無理やり現世の方へ飛ばされ、家族の様子を見てきてショックを受けたのだろう。当然だ。自分が死んだことで覗き見が発覚したのだから、奥さんやお子さん(お子さんもいるのだろう、きっと)は、いい恥さらしである。すごく恥ずかしい思いをしたに違いない。事情を知っていれば、それは想像に難くないが、お互いのことは何も知らないことになっているから、俺は知らない振りをして聞いてみた。
「どういうことなんですか?。迷惑をかけたって、どういうことなんです?。泣くほどのことなんですか?。」
「えっ?、・・・あぁ、いや、その・・・、なんというか・・・。」
「あぁ、ごめんなさい、立ち入ったことを聞いてしまいましたね。申し訳ないです。誰にでもいいたくないことはありますよね。いや、いいんですよ、無理に聞きたいわけじゃないですから。ただ、とても辛そうだったんで、それで声を掛けてみただけですから。・・・あぁ、私は聞新といいます。え〜っと、ここへ来たのは・・・その心筋梗塞だったようです。」
俺は勤めて明るく話してみた。
「私もちょっと前まで家族の元に帰っていたんですけどね。なんだか、辛くなって・・・。自分ひとりだけ、こっちに逃げたような感じがしましてね・・・。」
「そ、そうなんですか・・・。一人逃げてきたような・・・ねぇ・・。はぁ〜、私も同じです。私も逃げていたんです。・・・・その、私もほんの少し前まで現実の世界へ戻っていたんですけどね、やっぱり辛くって・・・・。あぁ、私、覗見教師(しけんきょうし)といいます。こういえばいいんですよね。生きているときの名前じゃないんですよね、ここでは・・・。」
「そうみたいですね。戒名がここでの名前みたいですから。」
彼は、うんうんとうなずきながら、
「あの・・・、あなたもやっぱり辛かったですか・・・、その・・・生きている世界の方は・・・。」
と尋ねてきた。俺の場合の辛さと、彼の辛さとは、意味が全く違うのだが、ここは調子を合わせておいた。
「そうですね、やっぱり・・・ね。」
「私も辛かったんですよ・・・。私もね、女房や子供たちを見ていられなかったんです・・・。私は・・・、とんでもないことをしてしまったんですよ・・・。」
そういうと、覗き見教師は両手で顔を覆って、泣きながら話し始めたのであった。

「実は、私・・・とんでもないことをしてしまったのですよ。う、うわぁぁぁ〜ん・・・。」
覗き見教師はそういうと、大きな声で泣き出した。俺は、彼が落ち着くまでしばらく様子を見ていた。やがて、泣き声が納まってきたので、俺は声を掛けてみた。
「とんでもないことって、何をしたのですか?。」
「は、犯罪です。人には言えないような・・・。」
「まさか、殺人・・・とか?。あ、でもそんな犯罪者なら、きっとここには来ていないでしょうねぇ。」
「こ、ここに来ていないって?。それは、どういうことなんですか?。」
彼は、泣き声でそう聞いてきた。
「あぁ、いや、その、詳しくは知らないんですけど、殺人なんて重大なことをすれば、きっと地獄でしょう。今まで2回裁判を受けましたが、その様子からすると、そうじゃないかと・・・。」
「あぁ、あぁ、そうですね、そうですね。そうか・・・、地獄へ落とされていないということは・・・、あぁ、でも、いずれ私もそうなると思います。あ、もちろん、殺人を犯したわけじゃないですよ。でも、残してきた妻子に与えた辛さは同じかもしれません。私はとんでもない人間なんです。」
「いったい何をしたんですか?。」
再び俺は質問した。彼は、ボソボソと、つっかえながら話し始めたのだった。
「その・・・・、私は生きているとき、女子高校の教師をしていたのですが・・・、その立場を利用してというか・・・・、はぁ〜、すみません、なんかその・・・。いや、その環境を利用して・・・、の、の、覗きをしていたんです。」
「覗き・・・・ですか?。その・・・女子高生の着替えとかを覗いた・・・んですか?。」
「そ、そうなんですが、その、私のはちょっと違っていて・・・。その機械を使いまして、その撮影などを・・・。」
「そ、それは盗撮・・・ですか?。」
「は、はあ・・・。それが・・・、間の悪いことに、私が死んでから女房にわかってしまって・・・。女房は、私がそんなことをしているとは知らなかったんです。私は評判のいい教師でしたから。」
彼は目を閉じ、大きくため息をつくと、意を決したのか、すらすらと話し始めたのだった。
「私は学校で急死しました。心筋梗塞でした。先ほどの裁判官にも指摘されましたが、過度の緊張感が原因だったようです。その緊張感は、私が女子高を利用して盗撮を行っていたからです。バレないように、問題にならないように・・・、それだけが心配でした。いつもいつもドキドキしていていました。毎日が恐怖による緊張の連続だったのです。しかし、盗撮のテープを回収するときは、喜びの緊張でした。嬉しさに手が震えていました。いつの間にか、盗撮が発覚することを恐れるドキドキが、うまく撮影されたどうか楽しみのドキドキに変わっていました。
こ、こんなこと、誰にもいえませんよね・・・。悪いことだとはわかっていました。でも、やめられないんです。一度やってしまったら、もう止められません。どうしようもないんです。盗撮することが快感になってしまっていたんです。テープに映っていたものよりも、盗撮そのものが快感になっていたんです。
もちろん、初めはそうじゃなかった。映っていたものを見るのが好きだったんです。あ、あなただって、女の子のパンチラを見たりしたら嬉しいでしょ?。男は、みんなそういうところありますよね。風が吹いてスカートがめくれれば、ついつい見ちゃいますよね。ね、そうでしょ、見ますよね。」
覗き見教師は、そういいながら俺に迫ってきた。俺は思わず身体を引き気味にして答えた。
「ま、まあねぇ、男なら、たいていは・・・・。その女性のスカートの中が見える状況にあれば、見るでしょうねぇ・・・。」
「でしょ、でしょ、そうですよね。ですよねぇ・・・。私も同じですよ。」
「えっ、いや、それは違いますよ。いくらなんでも盗撮はしませんから。」
俺は思わずそう言っていた。そりゃそうである。誰が好き好んで盗撮などするものか。それは立派な犯罪だ。いや、犯罪だからしないのではく、そこまでして見たいとは思わないだろう、普通は。たまたま、見えた・・・というのなら、それはそれで受け入れるだろうけど、そのために覗こうとする、撮影をするというような行為はしない。そこまで求めないのが普通である。すべての男性があんたと同じなわけじゃないよ、と言いたかったが、その言葉を俺は飲み込んだ。もっと話が聞きたかったからだ。

「そ、そうですか・・・。同じじゃない・・・ですか・・・。」
彼は、淋しそうにそう言った。
「そりゃ、そうですよね。すべての男性が私のようなことをしていれば、女子高校なんて成り立たなくなりますよね。そうですよね。・・・・私はやっぱり普通じゃないんですね。理性で止められなかったし・・・。私は犯罪者です。でも、それはいいんです。私が私の罪で苦しむだけでですから。それは・・・仕方がないことです。何を言われようとも、後ろ指を差されようとも、地獄へ落ちようとも仕方がないことです。もう、ここでの裁判でもウソはつきません。次の裁判では、正直に自分のしてきたことを認めます。だって、だって・・・私にこんな癖が、盗撮の癖があるなんて、女房は、家族は知らなかったんですから。女房の、子供の苦しみを思えば・・・・俺が苦しむことなんて小さなことなんですよ!。」
彼は再び声を上げて泣き始めた。そして、泣きながら話を続けた。

「女房は何も知らなかった。きっと、学校から連絡を受け、遺品を受け取って驚いたに違いない。俺のロッカーからは、わけのわからないデジタルビデオテープや盗撮用のCCDカメラや、ビニールテープなんかがごっそり出てきたんだから。当然、学校関係者にも知れてしまった。何のことはない、評判のいい模範教師は、実は盗撮をしていました、調べたら更衣室からカメラが出てきました、トイレからも出てきました、奥さんご存知でしたか・・・・・。知ってるわけがない。全部秘密だったんだ。俺だけの秘密の喜びだったんだ・・・・。
女房は・・・辛かっただろう、いやな思いをしただろう、いたたまれなかっただろう、俺を憎んだだろう・・・。子供たちも、そのショックはとてつもなく大きなものだったろう・・・。覗き見教師の子供・・・そう言われているかもしれない。いじめられているかも知れない。
俺はね、見てしまったんだ。あのお返り台か、あそこから無理やりに現世に戻されて、見てしまったんだ。・・・・俺の家は、ひっそりしていた。窓は雨戸が閉めてあった。雨戸のないところはカーテンがしてあった。そこには、げっそりとやつれた女房と、暗い顔をした子供たちが、ひっそり肩を寄せ合うようにして座っていた。真っ暗な中、何もせず、ただただ座っているだけだった。それでも、それでも俺のための祭壇があったんだ。ちゃんと位牌があって、遺影があって、お骨がおいてあって、ローソク立てが線香立てがおいてあった。お供えの食べ物までおいてあったんだよ・・・・。
夜になった。それまで何もせずボーっとしていた女房がたち上がった。祭壇のローソクに火をつけた。線香もつけた。そして、鐘を打ち鳴らし、女房がつぶやいた。
『バカヤロウ、一生恨んでやる。私たちをこんな目に遭わせやがって、とんだ恥をかかせやがって・・・。いくら保険金が入ったって許せるものか。生きている限り、恨み続けてやる。そのためにお前の写真を掛けておいてやる。この家を出ても、この町を離れても、お前の写真と位牌だけは持って行ってやるよ。お前を恨み続けるためにね。死んでも許すものか・・・クソったれ!・・・。』
恐ろしかった。その時の女房の顔が忘れられないんだ。涙を流しながら、けど泣いてはいないで憎しみを込めた目で俺の遺影を睨んでいた。・・・・怖かった、あんな怖い顔は見たことがなかった。だけど、それでようやくわかったんですよ。私が犯したことの大きさがね。私の罪の大きさがね。あの裁判官は、絶対に現世に戻ってみろ、と言った。確かに、その通りだった。現世に戻って初めてわかったんですよ。でも、でも、また俺は逃げた。女房の顔が、子供たちの顔が見ていられなくて・・・・。また逃げてきたんです。俺は、俺は、俺の闇から逃げてばかりだ・・・。く、くくくぅ・・・・。」
覗き見教師は、そういうと、頭を抱えて泣き崩れたのであった。

「奥さん、あなたのことを愛していたんですね。」
俺は、それだけのことしか言えなかった。本人は、結構深く反省しているようである。彼の言葉には、もうウソやごまかしはないだろう。
「私もそう思っています。だからこそ、辛いんですよ、怖いんですよぅ。いっそのこと、祭壇なんてしつらえなきゃいい。遺影なんて飾らなきゃいい。ローソクも線香もいらない。もっと非難して欲しい。その方がどれくらい楽だろう。恨み言を言いながらも、線香をつける女房の姿。そんなの見られないですよ。とてもじゃないが、直視できない。こんな辛く苦しいことはありません。何よりの罰です。でも、本当は、その罰を受けなきゃいけないんですよね。受けるべきなんですよね。本当は、逃げちゃいけなきゃいけないんだ。この罰を受けなきゃね・・・・。あぁ、もう死にたい・・・。無理だけど、できれば死んでしまいたい。死んだ先にこんな苦しみが待っているなんて、誰も教えてはくれなかった。あぁ、死んでしまいたい。意識も何もかも消し去ってしまいたい、ここから消え去りたい・・・・。」
その気持ちは、わからなくもない。肉体がないのに、死んだ後なのに、こんな苦しみを味わうとは、誰が想像したであろうか。死んでしまいたい・・・、そう思って当然だろう。しかし、肉体がない以上、いや、もうすでに死んでいる以上、もう死ぬことはできないのである。死んでからのこの苦しみ、どうしようもない苦しみ、これから逃げる方法はないのだ。
「究極の苦しみなのかも・・・。」
俺は、そうぼそりとつぶやいていた。

「究極の苦しみ・・・・?。あぁ、そうかも知れない。俺にとっては、これ以上の苦しみはないですよ。気が狂いそうだ。なんで死んでからこんなに苦しまなきゃいけないんだ・・・。」
覗き見教師の目つきが変わっていた。何か一点を見つめるような、そんな目をしていた。大丈夫だろうか、この男。本当に狂ってしまわないだろうか・・・。いや、死んだから狂うことはないだろうが、壊れそうな、そんな様子をしていた。

男は、俺の心配などには気付かず、ふてくされたような態度で話し始めた。
「わかってます、わかってますよ、あなたの言いたいことは。自業自得って言いたいんでしょ。そうですよ、まさに自業自得だ。因果応報なんて言葉を聞いたことがありますが、本当ですよね。いい事をすればいい結果が自分に返ってくる、悪いことをすれば自分に悪いことが返ってくる・・・。
生きているときに何のバチも当たらなかったから、因果応報なんてあるものか、と思っていましたよ。自業自得なんて言葉は私には関係ない、と思っていましたよ。
いえいえ、初めて盗撮をしたときはビクビクでした。バチが当たるかもしれない、と思っていました。覚悟もしていましたよ、見つかるかもしれないとね・・・・。でも、そんなのは初めのうちだけでした。回数が重なれば、平気になるんですね、何事も・・・。
昔からいうでしょ、自分が犯した罪の報いは必ずやって来るって、そういいますよね。そんな話をよく聞きましたよ。何かの講演だかで、どこかの有名なお寺の管長だか老僧だかがやってきて、偉そうに言ってましたよ。罪の報いが来るなんてね。だから、いいことをしよう、悪いことはやめよう、そう子供たちを指導していきましょう、なんてね。そんな話を聞くたびに、俺はニヤニヤ心の中で笑っていましたよ。そんなことはない、因果応報なんてないよ、悪いことをしても報いなんて来ないよ、ってね。
私には何の報いもこなかったんです。盗撮がばれることもなく、覗きが発覚するでもなく、ね。むしろ、いい先生と言う評判が多々あった。いい先生、模範教師、生徒に慕われ、親の信用があり、先生の中の先生だ!。他の先生の前でそうやって賞賛もされた。そんな調子だから、
『因果応報なんてないさ。何が己の罪の報いがくる、だ。ああいうのは、道徳的人間を作るための方便さ。ウソも方便だからね。悪いことをすれば悪い報いが来る、と教えておけば、悪いことをしないようにするからな。でも、そんなのはまやかしだよ。ウソばっかりだ。その証拠がこの俺だ。こんなにノゾキや盗撮しても、何のバチも当たらない。こんなにいけないことをしても何のバチもやってこない。へへ〜んだ、何が因果応報だ!、あは、あはははは。』
と大笑いしていたよ。
ところが、こんな手痛いしっぺ返しが待っていようとは・・・。これなら、生きているうちに報いがきて欲しかった。生きているうちに盗撮が発覚して、みんなから責められたほうがよかった。学校をクビになって、警察に捕まって、女房と離婚して、子供たちとも別れ、俺だけが新聞に叩かれ、非難ごうごう浴び、社会のクズと呼ばれる・・・。その方がどれだけ楽だったろうか・・・。生きているときの苦しみの方が、今の苦しみにくらべてどれだけ楽だったろうか。
そうでしょ、責められるのは俺であるべきだ。俺が罪を犯したんだから。女房や子供じゃないんですよ。女房や子供は苦しむ必要はないんです。なのに、俺は責められないで、女房や子供たちがいやな思いをしている・・・。俺は、死んでしまったからね。だけど、残ったものはどうだ。近所から冷たい目で見られる、仲間はずれにされる、後ろ指を差される、噂の対象になる、子供はいじめられる・・・・。なぜだ、なぜ女房たちが責められるんだ。俺だけが責められればいいじゃないか。・・・これが、これが報いなのか、この苦しみが俺に対するバチなのか・・・。そりゃあないでしょう。こんな報いは・・・・ひどすぎる、ひどすぎますよ。
因果応報はあった。あの坊さんの言っていたことはウソじゃなかった。悪いことをすれば、その報いは必ず来る。それも飛び切りの苦しみで、家族を巻き込んでね・・・・。こんな、こんなつらいことは・・・・ない・・・。あのとき、あの言葉を信じていれば・・・まだ救われたのかなぁ・・・・。」
覗き見教師は、そういうと後ろへばったり倒れてしまったのだった。

「ちょっと、ちょっと、大丈夫ですか?。ねぇ、大丈夫ですか?。」
俺は、びっくりして倒れた覗き見教師の肩をゆすってみた。我々は死んでいるのだから、死ぬようなことはないのだろうけど、倒れてしまうとやはり心配である。死出の山で出会った男のように消えてしまわれても困る。
「どうしようか、困ったなぁ・・・。このまま放っておけばいいのだろうか?。」
俺が思うに、おそらく覗き見教師は、エネルギーを使い果たしただけなのだろう。俺も現実世界に戻ったとき、興奮して力が抜けたことがあった。そう、確かあの守護霊のじいさんと会ったときだ。だから、この覗き見教師も、興奮しすぎてエネルギーを使ってしまったのだろう。
「まあ、いいか。このまま寝かせておくか、そのうち回復するだろう・・・。」
俺は、ちょっと不安だったが、必ず回復するのだということにして、そのまま覗き見教師を放置することにした。まあ、たぶん大丈夫だろう、きっと・・・うん、大丈夫だ。
「さてっと、どうしようか・・・。きっと、まだ次の裁判には間があるのだろうな・・・。誰かいないかな・・・・。う〜ん、そういえば、次の裁判所へ向かう道が、確か・・・下の方に見えていたよな。誰か知った顔はいないかな?。」
俺は立ち上がってみた。現実世界から戻ったときに、見えていた道が下の方にある。しかし、やはり誰もいなかった。
「あれは、裁判所への道じゃないのだろうか?。誰もいないけど・・・。」
俺は、道の方へと降りていった。

振り返って仰ぎ見る。俺がいるのは小高い丘だとわかる。今は、丘の中腹の下方にいるのだ。丘の上にはお返り台がある。誰かがまた打ち上げられたようだ。瞬間的に光が飛んでいったのが見えた・・・ような気がした。第二裁判所の反対側であることには間違いはないようだ。
「初江王さんも、あれ以来、なんの音沙汰もないし・・・。きっと、面白いネタというのは、あの覗き見教師のことだったんだろう。まあ、確かにいいネタではあったけどね。それにしてもつまらん。何もない。」
ブツブツ言いながら俺は、辻が花が咲き乱れる丘を降りていった。そのとき、ふと、声が聞こえてきた。
「あぁ〜あ、つまんない・・・。人間、死んじゃったらおしまいねぇ・・・。はぁ〜、つまんないわ・・・。」
その声には聞き覚えがあった。初江王にさえ色目を使った、あの色気たっぷりの浮気女である。どうやら、花畑の中にうずもれているらしい。
「つまらない、つまらない・・・。現世に戻っても、み〜んな私の悪口ばっかり・・・。あ〜ぁ、やだやだ。死んでよかったのか、悪かったのか・・・・。はぁ〜、出るのはため息ばかりだわ・・・。」
「奥さん、どこですか?。どこでブツブツ言ってるんですか?。」
俺は声を掛けてみた。
「えっ、誰?、あたしに話しかけるのは誰?。」
そういって、浮気女は立ち上がった。それは、俺のすぐそばだった。
「うわ、びっくりした〜。こんな近くにいらしたんですか。」
「な、なによ、あんた。どうして話ができるの?。あれ?、やだ、私もしゃべってる。」
「しゃべってる、って、さっきから声に出して『ヤダヤダ』って言っていたじゃないですか。」
「あ、そうか・・・。そうだわ・・・。あたしって、おバカさんね、えへっ。」
そういって、浮気女はにっこりした。そのとき俺は思った。これだ、この笑顔だ。この笑顔で男は騙されるのだ。
「やだ、エッチ、何をじろじろ見てるの。わかった、私のハダカでしょ。」
そういって、浮気女は片手で胸をもう片方の手で股を隠していた。
また、俺はうっかりしていた。我々は、葉っぱを一枚つけているだけなのだ。自分にはそのようにしか見えないのである。他人の姿は、男はパンツ一枚、女は昔のシュミーズとかスリップとでもいおうか、そういうものを身につけている。一応、下着らしきものは身につけているのである。もちろん、その中は見えない。いくらジロジロ見ても下着の中身は見えないのだ。

「あ、いや、そんなんじゃありませんよ。それに、その、あなたはちゃんと下着らしきものを身につけているじゃないですか。」
「え〜、なにも着てないですよ。葉っぱをつけているだけなんですよ。葉っぱ三枚だけ。」
「それは、自分にはそう見えているんですけど、他人には葉っぱに見えずに、ちゃんと下着を着けているように見えるんですよ。」
「え〜、そうなんですか〜。ふ〜ん、でも、いいわそんなこと。それよりも、死んでからも男の人とお話ができるなんて嬉しいなぁ〜。」
なんなんだ、この女は。何を考えているのだろうか。我々は死人なのだ。そのことを忘れているのではないか。ジロジロ見てるとか嬉しそうにいったり、ニコニコと媚を売ったり・・・。現状を理解していないのか、それとも根っからの男好きなのか。俺は、この女が何を考えているのか知りたくなった。この世界のことをどう思っているのか・・・。
「嬉しいっていわれても・・・。我々は死人ですし。」
「そう、あたしたちってぇ、死人なんですよね。死んじゃったんですよね。つまらないわ〜。もうデートとかできなんだ。」
「まあ、そうですね。できませんね。死人ですから。」
「でもぉ〜、今、デートみたいでしょ。お花畑でひっそり二人きり!。」
「う〜ん、まあ、そうなんですが・・・、あの、こっちの世界のことって気にならないんですか?。」
「こっちの世界のことぉ〜?。」
「そうそう、裁判とかあるでしょ。地獄とかへ落とされることもあるんですよ。実際、私の前にいた人、三途の川で流されていってしまいましたからね。」
「え〜、うっそ〜、三途の川って、あの大きな川でしょ。私も泳いだの。もう、着てるものが重くって大変だったわ。それに変なドロドロした玉みたいなものも絡み付いてくるし。もう、気持ち悪くって・・・。」
「泳いだんですか?。よく泳ぎきれましたね。」
「もう必死よ〜。だって、流されたくないもん。河岸で割り振りしていた動物の頭をしたヤツが、流されたら地獄ですから気をつけて、とか言っていたもん。怖くって、必死に泳いだわよ。へぇ〜、流された人っているんだ。うそかと思ってった。よかった流されなくって・・・。」
「三途の川は、下流の方は滝になっているんですよ。その滝は地獄まで落ちていっているんだそうですよ。」
「そ、それって、本当の話?。」
「本当ですよ。私は見てきましたから。」
「見て・・・・来たんですか・・・。」
「どうしました?、顔色が悪いですよ。死人でも顔色があるんですね。」
どうやらこの女、流されそうになったようだ。危うく助かったのだろう。なんとか、向こう岸へ流れ着いた、というパターンなんだろう。さっきまでの元気はどこへ行ったのか、今は、思いつめたような顔をしている。
「裁判でも地獄行きですね、とか言われませんでした?。」
「えっ?、えぇ、言われたような・・・。うん、言われたかな。でも、それって、脅しでしょ。地獄なんてあるわけがないじゃない・・・。」
「脅しじゃないんですよ。地獄ってあるんですよ。悪いことをしたら地獄へ行くらしいですよ。」
「本当なの〜、うそっぽ〜い。そうやってあたしを怖がらせてるんでしょ〜。だめよ、そんな手には乗らないわ。」
「ウソじゃないんだけどなぁ・・・。まあ、信じないのならいいんですけどね。」
「えっと〜、裁判でぇ、その、お前は地獄行きですよ、て言われたら、やっぱり地獄行きなのかしら。」
「そうなんでしょうね。あぁ、でも、すぐに判決は出ないかもしれませんよ。裁判は、七回あるらしいですから。途中で判決が出ることは、滅多にないんじゃないですか?。」
「七回ですかぁ・・・。それにしてもよくご存知ですね。」
「あぁ、いや、現世に戻ったときに、お寺の和尚さんが女房に説明していたのを聞いたんですよ。なんでも、和尚さんも、裁判に合わせて七日ごとにお参りに来ているようですよ。」
俺は、とっさにウソをついた。取材で知ったなどとはいえない。
「へぇ〜、そうなんだ。あたしの旦那のところは来ていなかったなぁ・・・。」
「そう・・・なんですか。ふ〜ん。あぁ、でも、私の話も確実じゃないですけどね。裁判は七回あることは確かですけど。」
「そっかぁ〜。地獄ねぇ・・・。きっと、あたしはそこへ行くんだわ。」
「どうしてですか?。」
俺はとぼけて聞いた。
「だってぇ〜・・・。」
と言ったっきり、その女は下を向いた。泣いているのかも知れなかった。

「だってぇ〜、あたし、盗みを働いたの。盗んじゃったの。」
「盗んだって・・・何を?。」
「お・と・こ・・・・。うふっ、よその男を盗ったの。別に盗んだつもりはないのよ。でも、さっき受けた裁判で言われたの。盗みの罪だって。」
「よその男って、その奥さんのある男性と付き合った・・・ってこと?。いわゆる不倫・・・ですか?。」
「うん、そうなの。うふっ、いけないかしら?。だって、他人のものをとるのって、楽しいんだもん。」
「あぁ、なるほど・・・。でもやっぱり、そうだとすると、それって盗みですよね。」
「あっ、そうねぇ〜、そうだわ、やっぱり盗んだのね、あたしぃ〜、あらやだ、あははは。」
ひとしきり笑うと、女は冷めた声でいった。
「じゃあ、やっぱり地獄だ・・・。仕方がないわよね。快楽に溺れた罪だわ、きっと・・・。」
「まあ、まだ決まったわけじゃないし、そんなに落ち込まなくても・・・。」
「ねぇ、地獄ってどんなかしら。苦しいのかしら。針の山とか、血の池地獄とかあるのかしら。昔話に出てくるような・・・・、そんなのかしら・・・。」
「さぁ、私もそこまでは知りませんよ。でも、地獄って苦しいところなんでしょうね、きっと。やっぱり行きたくないですからね。」
「うん、そう思う。・・・ねぇ、地獄へ行かなくていい方法ってないかしら?。」
「地獄へ行かなくていい方法・・・ですか?。う〜ん・・・。」
その方法で地獄へ行かなくていいかどうかはわからないが、何とかなるかもしれない、という方法なら知っている。簡単なことだ。自分の犯した罪を認めて、心から反省することである。そして、裁判官の話をよく聞くことだ。そうすれば、きっと地獄へ行かなくてすむのではないか。しかし、確実とはいえないし、何よりも心から本当に反省をしなければいけない。裁判官たちは、ウソを簡単に見抜くだろう。反省している振りは通じないのだ。むしろ、余計に立場が悪くなるだけである。この女が心から反省するとは到底思えなかった。なので、俺は考える振りをしながら別の事を質問してみた。

「今までの裁判ではなんといわれたんですか?。」
「今までの裁判?。」
「そう、2回受けましたよね。」
「うん・・・。えっと〜、恥ずかしいなぁ・・・。」
今更恥ずかしがることではない。地獄へ行くかも、と言われていることは予想がつくのだから。
「えっとね、一回目では、『殺生の罪はないが、汝は罪深い。次の裁判でしっかりと追及されるだろう』っていわれたの。で、2回目の裁判では・・・。」
それはよく知っている。聞いていたのだから。
「2回目では、『他人の夫と不倫することは、盗みをすることだ。他人の夫を盗んだのだ。そして、時間を盗み、自分の夫の目を盗んだのだ。家庭の平和を盗んだのだ。これは大きな罪だ』とか・・・。」
「それだけですか?。もっとほかには?。」
もっと大事なことがあるだろう。なぜ気付かない。初江王は、ちゃんとヒントを与えてくれているんだぞ、と言いたかったが、ここでそれを言ってしまっては、この女のためにはならない。じっと我慢をして、次の言葉を待った。
「う〜ん、えっとぉ〜、なんだか、大事なことを言われたような気がするんだけどぉ・・・。なんだっけ?。」
「いや、私に聞かれても・・・。」
「そうよねぇ。・・・・そうだ、現世に戻ってあたしの関係者に会って来い、って言われたしぃ・・・。」
そこじゃなくって・・・。それもそうだけど・・・。じれったい女である。
「う〜ん・・・。そうだ、『現世に帰ってよく考えろ』って。何を考えろっていったんだっけ?。あ〜、『本当は、求めていたものが違うのではないか』とか・・・。」
それだ!、それが大事なのだ。
「でもぉ〜、難しくてわかんないわ、あたしには。あたし、何を求めていたんだろう・・・。」
そういうと、また、下を向いてしまった。黙って儚げな顔をしていると、なんともいえない、かわいらしさがあった。男が夢中になるもの仕方がないのかもしれない。しかし、それはやはり罪なのだ。この女も罪ならば、この女に誘惑され、妻子を捨てた男も罪なのである。
「ところで、現世には帰ってみたんですか?。」
「うん、帰ってみた。」
「じゃあ、早くにこっちへ戻って来たんですね。あなたって、確か私の後ろでしたよね。チラッと見たことがあるんですけど・・・。」
「あ〜、そうかもしれない。あなたより後ろだと思うわ。」
「どうして、こんなに早く戻ってきたんですか?。」
「だってぇ〜、居場所がないんですもん・・・。」
そういうと、女は涙を一つこぼした。その涙は・・・・綺麗だった。

「あら、やだ、涙が出てきちゃった。死んでからも涙って出てくるのね。」
そういうと、浮気女は涙を手でぬぐって、作り笑いをしたのだった。
「居場所がなかった・・・って、どういうことですか?。よろしければ聞かせてください。」
俺は、いかにも相談にのっている男、という態度で質問をしてみた。
「そうねぇ・・・。あたし、あの裁判官に言われた通りに現世の家に戻ってみたの。そしたら・・・。家の中は、メチャメチャ。お酒の瓶がそこら辺に転がっていて・・・。オマケに、知らない女が夫と一緒に寝ていたわ。
ちゃんとお葬式はしてくれたのよね。あぁ、あたし、いわゆる突然死ってやつなの。まだ若いのに、突然死ってあるのね?。あなたは?。」
「あぁ、私もそうですよ。仕事中にです。ストレス性の心筋梗塞ですね。」
「あぁ、そうなんだ。あなたもまだ若そうなのにね。」
若そう、じゃなくて、あんたとほぼ一緒だろう、と突っ込みたいのを我慢して、俺は優しそうに
「そうですね。まだまだなのにね。」
と調子を合わせておいた。
「それでね、死んだ場所が悪かったのよね。なんと、浮気相手と一緒だったの。デートの帰りで、真昼間の街中で突然胸がきゅ〜んと苦しくなって・・・・。救急車で運ばれたらしいんだけど、それっきりよ。あぁあ、あたしってかわいそう・・・。ひどいのよ、あとで知ったんだけど、そのとき一緒だった相手の男、救急車にあたしを乗せたら、そのまま逃げちゃったのよ〜。ひどいと思わない?。ねぇ、そう思うでしょ。」
「えぇ、そうですね、嫌なヤツですね。」
「そうなのよ。しかも、そいつ、通夜にも葬式に来なかった。でね、現世に戻ったとき、そいつの家に行ってやったの。そしたら・・・。」
「そしたら?。」
「・・・・奥さんと、すっごく仲良くやってるのよ!。もう、許せない!。」
まあ、そんなものだろう。所詮、浮気相手である。死んでしまえば無関係だ。のこのこお葬式に来るほうがおかしい。そんなことをしたら、自分の家庭が崩壊してしまう。
「みんなそう・・・。どいつもこいつも、あたしのことなんてきれいさっぱり忘れてしまったのよ。旦那も、他の男も・・・・。はぁ、淋しい・・・。あたし、なんでこうなっちゃったのかしら・・・。」
俺は、どう答えようか迷っていた。もうちょっと突付けば、この浮気女も自分で答えが見つけることができるのじゃないか、そう思ったのである。俺の返答のしようによっては、また元にもどってしまう可能性もある。下手な受け答えはできないのではないか、そう思った。なので、しばらく黙っていた。

「ねぇ、どうしたの?。何か答えてよ。」
「あぁ、ゴメンなさい。えぇっと、その・・・・そうだ、あなたの家には、そのあなたの遺骨とか、位牌とかなかったのですか?。」
「遺骨?、あぁ、あたしの骨ね。う〜んと、あっ、そういえば、なんだか知らないけど、骨箱と位牌とローソク立てと線香たてはあったわ。」
「それだけ?。」
「なんかお供え物があった。一応ね。」
「旦那さん、お参りとかは・・・?。」
「・・・うん、してくれてた。っていうか、ブツブツ文句垂れてたわよ。あれは飲んでいたんだわ。好き勝手しやがってとか、恥かかせやがってとか・・・。そういえば、位牌の前にチューハイの缶が置いてあったかな。つまみもね。あたし、好きだったの。チューハイやビールが。そうそう、ワインもね。あぁ〜、あのケチ、ワインが供えてなかったぁ〜。あたしがワイン好きなの知ってるくせにぃ〜。」
「いい旦那さんじゃないですか。」
「えっ?。」
女は不思議そうな顔をして俺を見ていた。
「いい旦那?。あいつが?。・・・あははは、そんなわけないじゃない。あたしが現世に戻ったとき、他の女と寝てたのよ。そんな男が・・・どうしていいヤツなの?。バッカじゃないの?。」
そういって笑っている彼女の目には、見る見るうちに涙が溢れてきた。
「あんなヤツ、いいヤツじゃない。掃除もろくにしてないし、飲んだくれてるみたいだったし。食事だって何を食べてるんだか・・・。あんなヤツ・・・。生きてるとき、ちっとも相手にしてくれなかったくせに。あたしの方を見てくれなかったくせに。死んでから一緒に飲んだって・・・バッカじゃないの。そんなの死んでからしたって遅いのよ。生きているうちに・・・、生きているうちに抱きしめてくれればよかったのよ。」
そういうと、彼女は泣き崩れてしまったのだった。

「あなた、わかっているんじゃないですか。あなたは、ちゃんとわかってる、本当の居場所がどこだったのか。ただ、生きているとき、あなたはそれに気が付かなかっただけでしょう。いや、気付かないようにしていたのかな?。それとも、意地を張っていたのかな?。」
「知ってたわよ。あたしがいるべき場所はどこかってことくらい。でも、居場所はなかった。仕事仕事であたしの事なんか無視していた。甘えれば『何か欲しいものがあるのか?。なら、好きなだけ買えよ』っていうだけ。あたしは、そんなことを言っているんじゃないのよ。欲しいものなんて、何もなかった。ただ、よその新婚さんがしているように、手をつないで公園を散歩したり、一緒に夕飯のお買い物に行ったり、楽しく一緒に映画を見たり、話をしたり、笑いあったりしたかっただけよ。なのに、なのに・・・・、あの人は何もわかってくれなった。淋しかったのよ、あたしの居場所がなくって。あたしを受け入れてくれる人がいなくって・・・・。」
「それで、浮気を?。旦那さんの気を引くため?。」
「それもあったけど・・・。うん、初めはそうだった。浮気してやれば、彼が振り向いてくれると思ったの。でも・・・。」
「振り向いてくれなった。」
「初めは怒ったわ。『何をしてるんだ』とね。でも、それだけ。なぜあたしがそんなことをしたか、ということは考えてもくれなかった。そのうちに、あたしのことなんて見向きもしなくなった。そんなころよ、妬ましくなったのは。」
「妬ましくなった?。」
「そうよ。幸せそうなカップルが、新婚が、夫婦が妬ましくなったの。あんなのウソの笑顔よ。ウソの愛情よ。幸せそうに見えるだけで、本心は浮気心でいっぱいなのよ。見かけだけの幸せなのよ。そう思えてきたの。だから、それを証明したくなっただけ。」
「あぁ、それで奥さんがいる相手を選んだんだ。」
「そう、男なんてみんな同じよ。ちょっと微笑んで、その気があるそぶりすれば、簡単に落ちたわ。面白かったわ。あたしの家庭のように、不幸な家庭が増えるのは、とても面白かった。不幸な奥様が増えていくのは快感よ。本当は、男なんてどうでもよかった。よその家庭さえ壊れれば、それでよかったのよ。でも、結局は、みんな元に戻るのよね。現世に戻ってみてよくわかったわよ・・・・。あたし、せかっく現世に戻ったから、あたしが壊した家庭を全部見てきたのよ。そしたら・・・。」
「そしたら?。」
「なによ、情けない男ども。みんな女房に謝っちゃって。きっと『もう二度と浮気はしません。許してください』なんて言ったんだ、きっとね。どの男も、何もなかったような顔をして普通に暮らしている。また仮面をかぶってね。どの男も、あたしが死んだら、あたしと会う前に戻っているのよ。あたしの存在なんて初めからなかったかのようにね・・・・。
結局、あたしはなんだったのかしら、なんだったの?。あたしってなんなのよ。あたしはどこへ行けばいいの?。教えてよ!。」
ヒステリックにそう叫ぶと、浮気女は俺を睨みつけていた。男なんて・・・とブツブツ言いながら。

彼女は、旦那に愛されたかっただけなのだ。もちろん、結婚前は愛されたのだろう。ところが、よくある話で結婚を境に、男が本性を出してしまったのだ。いわゆる、「釣った魚にはエサはやらない」である。結婚したのだからいいだろう、ということだ。世間にはよくある話だ。
彼女の旦那は、よほど忙しい人だったのであろう。別によその女性と遊んでいたわけではなさそうである。彼女は、仕事の方ばかり向いている彼の気持ちを自分に振り向かせたかっただけなのだ。そのために浮気をしてしまった。寂しさも、もちろんあったのだろう。
そうしているうちに、家庭が壊れていく様が快感になってしまったのだ。他人のモノを盗るということも快感に感じるようになってしまったのだ。歪んだ愛情である。
自分が苦しいから、他の奥様も苦しめばいいのだ、と思うようになってしまったのである。哀れといえば、哀れだ。かわいそうだといえば、かわいそうなのだ。元は、彼女の旦那が悪いのだ。彼女の気持ちに気付かなかった旦那にも大きな非がある。
結局、彼女はどの男性と付き合っても満たされることはなかったのだろう。どれほどの家庭を壊そうとも、満たされることはないのだ。彼女が求めているのは、旦那の愛情だからである。

「結局、生きているとき、あなたは満たされなかったのでしょ。」
「うん。いつも虚しかった。よその男とデートしても、Hしても、その男の家庭が壊れても、揉めても、奥さんがウツになっても、結局は、ちっとも嬉しくなかった。一時的には面白いんだけど、ただそれだけ。少しも満足感は無かったわ。ただ虚しくなるだけだった。そう、虚しいだけ、あたしがしてきたことは、虚しさしか生まなかったのよ・・・。」
「あなたが求めていたものは、他にあるんでしょ?。」
「うん、そうね。そうよ、それがわかったわ。死んでから、ようやくわかったのよ。・・・いや、そうじゃないわ。生きているときからわかっていたけど、素直にそれを見なかったのよね。避けていたのよ。ううん、もう期待していなかったのかもしれない。・・・あぁでも、少しは期待していたのよね。じゃなきゃ、あんなに浮気ばかりしていなかったもん。もっと早くに・・・・もっと早くに素直になっていればよかった・・・。」
「死んでからわかることの方が多いようですよ、誰でもね。生きているときは、ついつい欲に負けたり、つまらない意地を張ったりで・・・・。死んじゃうと、なんだか素直になれますからね。」
「うん、そうみたいね。そう思うわ。ショックなことが多かったけど、やっぱり現世に帰ってみてよかった。よくわかったもの。・・・今更遅いけどね。」
「よくわかった?。」
「うん。よくわかった、あたしの存在場所もあの人の気持ちも・・・。知らない女と寝てはいたけど、でも、あの人の気持ちは、そうじゃないって。あの人も満たされていなかったんだって。向いている方向が、お互いに違っていただけだって。なのに、あたしは・・・。取り返しのつかないことをしてしまったわ。あたしの居場所は、あそこだったのよ。もっと早くに気付けばよかった。もっと早くに見ていればよかった。もっと早くに素直になっていればよかった。」
「身近なものって見えにくいですからね・・・。」
「うん、ありがと。そういってもらえると、なんだか救われる。」
「それはよかった。」
「話ができてよかったわ。じゃなきゃ、きっと次の裁判でも、自分の悪いところを素直に認められなかったと思うの。現世に帰ってショックだったことだけを訴えたと思う。男なんて汚い!って。あたしの居場所を無くしたのは男どもだ!って。・・・・でも、今度の裁判では、素直に自分の悪い部分を認められると思うわ。居場所は自分で見つけるもの、居場所はすぐ目の前にあるもの、それを見ていなかった自分が悪いんだってことを・・・。」
「そうですか。素直になれますか。よかった。じゃあ、今度現世に帰るときは、もっとゆっくりできるんじゃないですか。」
「あぁ、そうね。うん、そうだわ。きっと、旦那とお酒でも酌み交わして、愚痴でもこぼすわ。そうだ、ねぇ、こちらからお供えして欲しいものを知らせるってできないのかな?。」
「えぇ?、こちらから知らせるんですか?。それは、え〜っと、そうですねぇ・・・。何を供えて欲しいんですか?。」
「もちろん、赤ワインよ。」
「そうですね・・・なら、旦那さんが買い物に行くのに付いていって、ワインコーナーあたりに行ったら・・・何かその辺のものをいじってみてはどうですか?。」
「いじるの?。」
「えぇ、それとも、旦那さんの肩を叩いてみるとか、顔を無理やりワインのほうへ向けるとか・・・。」
「そんなことできるの?。」
「あるいは、強くワインワインワインって念じるとか。ワイン買ってぇ〜って腕にすがってみるとか。」
「あははは。うん、やってみるね。ありがと、いろいろ教えてくれて。なんだか、すっきりした。そっか、ちょっと帰ってくるのが早かったかな。今度は、ギリギリまで現世に戻ってみようかな。」
「そうですね。それがいいですよ。」
「ねぇ、ところで、あなたはなぜ早く戻ってきたの?。」
それに素直に答えるわけにはいかなかった。まさか、取材で、なんていえない。どう答えようか迷っていると、
「はは〜ん、奥さんが他の男といちゃついていたとか、そんなんでしょ。」
「いや、そうじゃないですけど・・・。」
「いいのよいいのよ、ま、しょうがないわよね。あなたの奥さんって、まだ若いんでしょ?。」
「はぁ、まあ・・・。」
「じゃあ、旦那が死んじゃったんだから、淋しいから他の男とできてもね、いいんじゃない?。不思議じゃないわ。」
「あ、いや、うちの女房はそんなことは・・・。」
「なんで?。何で、そんなこといえるの?。そんなのわかんないじゃない。」
俺は、ドキドキしてきた。まさか、うちの女房に限って。それにまだ49日も過ぎてないし。そんなことは・・・。
「あははは、バッカみたい。簡単に引っ掛かっちゃって。ウソよ、ウソ。ちょっとからかっただけ。・・・いいなぁ、幸せだったのね。なんだか、妬けるわ。」
「はぁ、まぁ・・・。」
「それなのに、なんで早く帰ってきたのよ。なんか特別な理由でもあるの?。・・・う〜ん、なんか怪しいわ。こっちの世界のこと、よく知ってるみたいだし。あなた、何もの?。」
彼女は、俺の顔を食い入るように見つめてきた。その時だ。上の方から、叫び声がしてきた。
「うわ、あれ?。ありゃあ〜。」
その声の方を見上げると、なんとあの覗き見教師がふわふわと浮き上がっているではないか。そして、彼はそのまま飛んでいってしまったのだ。
「な、なに、あれ、ちょっとどうしたの?。」
俺と浮気女は、驚いて呆然としてしまったのだった。

「なに、あれ!、どうなってるの?。ねぇ、ちょっと、飛んで行っちゃったわよ。」
浮気女は、目玉が飛び出しそうなほど大きく目をあけて叫んだ。
「いや、俺もあんなのは初めて見た・・・・。いったい・・・。」
「どこへ行ったのかしら。あなた、あの人知ってるの?。」
「あぁ、俺の前の方で裁判を受けていた人だと思う。」
俺は、はっきり知っているとは言わず、とぼけておいた。
「何か悪いことをしたのかしら。それでどこかへ飛ばされたとか?。」
「う〜ん、そうじゃないとは思うけど・・・・。」
とはいえ、覗き見教師である。悪いことはいっぱいしている。ひょっとすると、浮気女の言うように、覗き見が原因でどこかへ飛ばされたのかもしれない。しかし、それはどうも違うように思えた。
「うん、悪いことをして飛ばされたわけじゃないような気がするなぁ・・・。うまくいえないけど、もしそうならもっと早くに地獄とかに行ってるんじゃないかな・・・。」
「あぁ、そうか、じゃあなんで、あぁなるの?。どこへ行ったの?。」
俺は覗き見教師が飛んでいった方を見てみた。もうそこには、彼の姿はなかった。スーッと浮き上がったかと思うと、サーっと一瞬のうちに飛んでいってしまったのだ。というより、跡形もなく消えてしまったのだ。そう消えた・・・。うん、これはどこかで見たことがあるぞ。俺はそのとき気が付いた。
「ひょっとしたら、次の裁判の順番が来たんじゃないかな?。」
「次の裁判の順番?。どういうことよ。」
俺は気が付いたことを話してみた。
「あなたも山を通って来ましたよね?。」
「山って・・・川を渡る前よね。うん、通ったわ。すっごいいい男がいて、誘ってくれたわ。だから、あまり歩かずに座って話し込んだりしていた。」
山おとこさんだ。きっと、かっこいい男に変身してこの浮気女を誘ったに違いない。
「そう言えばその人、男遊びはいけないよ、貞操観念は持たないとね、なんて言ってたわ。なんか、古いことを説教する変なヤツって思ったけど・・・その通りよね。今になって思えば、あの山で会った彼の言うとおりだわ。・・・・だけど、そのこととあの男の人が飛んでいったのとどういう関係があるの?。」
一応、山おとこさん、説教したんだ。ひょっとしたら好みのタイプだったのかな?。まあ、それはいいのだけど・・・。
「そのあと、っていうか、山をちゃんと最後まで歩きましたか?。」
「あぁ、そういえば、なんかトンネルのようなところへ入っていったわ。その山であった彼がここに入るといいんだよ、って教えてくれたの。こんなところでいつまでも迷っていちゃいけないって。ここに入れば次に進めるからって・・・。」
やっぱり、好みのタイプだったんだ。妙に優しいじゃないか、山おとこさん。普通はそんなことはしないんだろうに・・・。
「トンネルに入ってそのあとは?。」
「何かに吸い込まれるような気がして、あっと思ったら人がいっぱいいるところに出た。」
「それと同じだと思いますよ。」
「えっ?。・・・・あぁ、じゃあ、あの人次の裁判所の方へ飛ばされたのね。」
「たぶんそうだと思います。確信はないですけど。」
「そっか〜。じゃあ、彼の順番が近付いたのね・・・。ということは、現世ではもう一週間ほどたつのかしら。確か、現世にいられる日数は、現世の時間で約一週間ほどって聞いたけど・・・。」
「そういうことですね。ということは、私の順番もそろそろかな。」
「なんだか早いわね。そんなに時間がたったのかしら。少ししか話していないのに・・・。」
そうなのだ。そんなに長い時間を話していたわけではない。彼女と話をしていた時間は、前世で言えばほんの1時間ほどであろう。俺が現世に滞在したのは二日間。ちょっと遅れてここを飛び立ったから、その日数を換算しても・・・・。まてよ、とそのときおれは思った。遅れて飛び立ったといっても、この浮気女の裁判を傍聴しただけである。その間に別の人を挟んではいたが、そんなに長い時間ではないようだった。ひょっとして、現世の時間とここの時間はずれているのだろうか?。ここでは、時間の進みが速いのだろうか?。
そうしてみると・・・俺は計算してみた。遅れて出発したのだから、現世に滞在した日数+遅れた時間・・・で、覗き見教師と話をしていた時間+彼女と話をしていた時間・・・。
これが、合計で一週間ほどになればいいのだろう。いきなり次の裁判を受けるということはないだろう。今までのと同じようなら並ぶことになる。とすれば、その時間を入れるから、裁判を受けるまでに並ぶのが一日必要として・・・・。
「なに黙りこくってるの?。どうしたの真剣な顔をして。」
「あぁ、いや、こっちの世界と現世の時間の差を考えていたんだよ。どうやら、あなたと話をしていた時間は、現世の時間に直すと一日くらいの時間らしいですよ。」
そうなのだ。遅れた分が1日、現世にいた分が2日、覗き見教師と話をした時間が1日、彼女と話をした時間が1日、合計5日たっていることになる。あと、裁判所で並ぶ時間が1日とすると・・・、こうして計算している時間があるから・・・。
「あぁ、もうすぐ私も飛びますよ、きっと。」
「えっ?。さっきの人みたいに?。」
「そうです。」
俺は、自分が計算した時間について説明した。こうしている間も時間はどんどん過ぎていく。
「きっと、現世にいる時間のほうが流れが遅いんでしょう。でも、それはずれることはない。現世でも七日ごとに裁判がある、といわれてますから・・・。」
彼女はきょとんとしていた。わからないのだ。そうだろう、わかるはずがない。SF的な話だから。
「ま、いいじゃないですか。時間の感覚が現世とここでは違う、ということですよ。ただ、それだけです。」
「ふ〜ん、なんだか、よくわかんない。まあ、いいわ。いずれにせよ、裁判が近付けば勝手に飛ばされるのね?。」
「そうだと思いますよ。」
「変な場所に飛ばされることはないのね?。」
「それはないでしょう。今までの経験上・・・。」
「やっぱり怪しい。あんた何もの?。なんでそんなに詳しいの?。」
話は戻ったのだった。

「あぁ、そういえば、そんな話をしていましたね。私は怪しくないですよ。」
「怪しいわよ。こうして話しかけてるし。今まで話しかけてきた人って、あの山の中のいい男だけだったわよ。それ以外、誰も話しかけてなんかこなかったわ。あなた、ホント何ものなの?。」
「わ、私は結構、いろんな人と話しをしましたよ。私の前にいたおじいさんとも話をしましたし・・・。えっと、そうそう、さっき飛ばされた人とも話しましたよ。怪しくないですよ。あなたと同じ死人です。」
「そうかしら・・・。あ、ひょっとして、こっちの世界のスパイとか。死人を見張っているとかじゃないでしょうね。」
「どうして死人を見張るんですか?。何のために。死んでるんですよ。」
「あぁ、そうか・・・。」
「考えすぎですよ。」
「でも、知りすぎ・・・。」
そういうと、彼女はかわいらしい目で俺を睨みつけた。いくら睨んでもかわいいだけで怖くもなんともないのだが、これ以上探られるのはどうもよくない。何とか話を変えないと・・・。
「知り過ぎって・・・、現世に戻ったときに、お葬式をしてくれたお坊さんが女房に話をしていたの聞いていたんですよ。」
「ふ〜ん・・・。そうかなぁ?。」
「そうそう、・・・ところで、ああやって飛ばされるのも悪くはないですけど、次の裁判所まで歩いては行けないんでしょうかねぇ?。」
「どういうこと?。」
「いや、だから自分の力で次の裁判所まで行ってもいいとは思いませんか?。あそこに道もあるんだし。どうです、歩いて行ってみませんか?。」
俺は、丘の下のほうにある道を指差した。
「あぁ、ホント、道があるわ。知らなかった。ふ〜ん、道があるということは、あそこからいけるのかもね。・・・・いいわ、デートしてあげる。」
浮気女は、ニコッとしてうなずいた。なんとか、話はそらせたが、おそらく道々俺を追及するつもりなのだろう。だけど、そうは行かない自信が俺にはあった。おそらく俺の次の裁判への時間が差し迫っているだろうからだ。なので、きっと途中で飛ばされるに違いない。
「でも、ひょっとするとあなたも途中で飛ばされるかもね。」
なかなか鋭い女である。
「でもいいわ。いろいろ話しも聞けそうだし。デートっぽいし。割といい男だし・・・。じゃあ、行きましょう。」
そういうと、彼女はさっさと丘を下り始めたのである。

「へぇ〜、こんなところにも道があるのね。えっと、じゃあ、この道をどっちに行けばいいのかしら。」
俺たちは丘の下の道まで出た。その道は左右に延びていた。背にしている丘の頂上があのお返り台である。で、その向こう側が前の裁判所だ。きっとこの道を左に進むと丘を廻って前の裁判所へいけるのだろう。位置的にはそうなるはずだ。だとすれば、進む方は右である。
「きっと、右じゃないですか。お返り台は後ろですから。」
俺はそういって、道に踏み出した。
「よくわかるわね、そんなこと。やっぱり怪しい。ひょっとして、変な場所へ連れ込んであたしを襲うつもりじゃないでしょうね。」
「そんな、まさか。死んでいるのに?。」
「冗談よ。そんな気なんてないわよ。うふっ。」
「人が悪いですね。」
俺は笑いながらそういって、道に足を下ろした。
「あっ、あ〜。」
「どうしたの?。」
「身体が勝手に進んでいくんです。」
そうなのだ。道に足を下ろしたとたん、勝手に身体が自分が行こうとした方向(右方向)へ動き出したのである。しかも、進む方向にしか身体は向かない。つまり、振り返ることも後ろ向きになることもできないのだ。止まることも当然できなかった。まっすぐ前を見て、足も動かさないのに勝手に進んで行ってしまっているのだ。
「キャ〜。」
彼女も動き出した。しかも、彼女と俺の距離はあいてしまったのだ。
「どういうことよ〜。」
後ろから彼女が叫んだ。
「たぶん、私とあなたの間に一人いるはずなので、私とあなたの距離があくんでしょう。並んでは移動できないようです。自分で歩いているわけじゃないようですから。身体が勝手に進んでいくんで・・・。」
「そういうことね。わかったわ〜。じゃあ、このまま勝手に次の裁判所に運ばれるのね。」
「たぶんそうだと思います。時間が迫ったら、きっと途中で消えることになると思います。」
「う〜ん、ワープね。」
「そんなもんでしょう。」
俺は、振り返ることもできないので、前を見ながら叫ぶように言った。彼女には、俺の後姿しか見えていないのだろう。
それにしても、前には誰もいない。俺の前の強欲爺さんは、この道にはいないのだ。覗き見教師は飛ばされていった。ということは、どの方法、どの道を通っても構わないわけだ。きっと行き着く先は同じ、次の裁判所・・・おそらくは第三裁判所というのだろう・・・の前だろう。そこに並ぶことになるに違いない。そのときだった。浮気女の叫び声が後ろから聞こえてきた。
「ちょっと、あんた消えるわよ、聞こえた〜?。」
どうやら俺は消えかけているらしい。
「あぁ、消えちゃった〜・・・・。」
その言葉が最後だった。

ふと気が付くと、妙に明るい場所に出た。まるで春の天気のいい日のように明るい。前を見れば、大勢の人が並んでいる。目の前には、強欲爺さんがいた。その前にはあの覗き見教師だ。そして、その前にはお坊さんじいさんがいる。とりあえず、俺は強欲爺さんに話しかけてみた。
「いつ戻ったのですか?。現世はどうでした?。」
俺は後ろから声をかけてみた。今まで通りのルールと同じならば、俺のほうからは話しかけることができるはずだ。
「おぉ、お前さんか・・・。なんか、久しぶりに見たのう。」
強欲爺さんは振り返って答えた。よかった、今までと同じように話ができる。
「いつ戻ったのです?。」
もう一度聞いてみた。
「あぁ、たぶん、ついさっきだと思うが・・・。気がついたらここに並んでいた。我が家にいたらな、強い力で引っ張られるんじゃ。初めはびっくりしたんで、ちょっと抵抗したんじゃが、スーッと引っ張られて、気付いたらここで並んでいた。ちょうど、三七日のお経の最中じゃったなぁ・・・。いい気分だったんじゃが・・・。」
やはりそうだ。どうやらこちらに戻らねばならない時間が来ると自動的に引っ張られるのだ。こちらの世界に戻るには、『現世なんかやだ、あの世に戻りたい』と強く願うか、制限時間目いっぱい現世にいればいいのである。
「お前さんは、いつ戻ったのじゃ?。」
「あ、えぇ、ほんの先ほどです。」
俺は早くに戻ったことを伏せておいた。いつ戻ったかは、強欲爺さんにはわからないことだ。爺さんは覗き見教師とも浮気女とも話ができないからバレることもない。尤も、バレても構わないことなのだが・・・。
それにしてもここでも、やはり裁判を受ける順番はきっちり守られているようである。なので、順番を飛ばされたりするようなことはないのだ。ふと気が付くと、後ろにもお爺さんが並んでいた。この爺さんも順番どおりだ。となれば、もうすぐ彼女・・・浮気女もやってくるのだろう。
「何をキョロキョロしておるんじゃ。誰か探しているのか?。」
「あ、いや、誰も探してませんよ。こんなところに知り合いはいませんから。ただ、ここの雰囲気が前とは違って妙に明るいもんですから、珍しくて・・・。」
「おぉ、そういわれれば、ここは明るいのう。暖かいような気がするし。庭もきれいじゃ。」
そういわれて、あらためて俺は周りを眺めてみた。確かに京都の禅寺のような雰囲気の庭である。木々が適度に植えられ、庭石も置かれているし、道もきれいに整備されている。その道を我々は静かに進んでいる。他に音はなしない。暖かな陽気に整備された庭・・・。なんとなく落ち着く。死人でなければ、散策したくなるような庭であった。
「本当にいい庭ですよね。日本人の心には和みますね。」
「お前さんのような若い者にもこの庭のよさがわかるか。この庭は、そうじゃな・・・、現世で言えば、かなりの禅僧が造った庭に匹敵するな。京都の有名な禅寺以上に落ち着く庭じゃ。うん、清々しいのう・・・。」
これが強欲爺さんの本当の姿なのだろう。きっと、生前、京都の禅寺あたりをめぐったのかもしれない。
「これでもな、茶のたしなみがあるんじゃ。」
出し抜けに強欲爺さんは言った。
「茶はいいのう。落ち着くし、いい考えが生まれる。それに茶碗や掛け軸がまたいい。」
「へぇ〜、お茶もやっていたんですね。それに骨董の趣味もあったんですか。」
「あぁ、ワシの唯一の趣味じゃな。思い出すのう・・・。それなのに・・・、あいつらは・・・。」
「どうかしたんですか?。」
「うん?、いやなに、現世の身内の者たちのことよ。強欲でなぁ・・・。哀れなもんじゃ。・・・まあ、尤も、ワシもああいう姿だったのかもしれんが・・・。」
どうやら、現世で何かあったらしい。強欲だとか言っていたので、きっと財産争いでもしているのでだろう。
「何があったのですか?。よろしければ聞きますよ。」
「あぁ、そうじゃなのう、愚痴になるかもしれんが・・・。」
「いいですよ、愚痴でも何でも。同じ死人どうしですから。」
「変な慰めじゃのう、まあ、その通りなのだが・・・。ふん、実はな・・・。」
強欲爺さんが現世でのことを話し出そうとしたときだった。大きな声が響いてきた。
「脱走者だ、脱走者が出た!。こちらに戻ってきていない者が出た。すぐに現世に行き、調べて来なさい!。」
その声は、俺たちが並んでいる先に見える裁判所の方から聞こえてきたのだった。


つづく。




バックナンバー(十四、74話〜78話)


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