バックナンバー(十五)    第七十九話〜第八十三話

黒く大きな猫は、目をギラギラと光らせながら強欲じいさんの周りを、その身体をこすり付けるようにして廻った。
「にゃあ〜、にゃあ〜、にゃあ〜、にゃあ〜。」
大きな声で猫は4回鳴いた。
「ふむ、邪淫の罪は深いようだな。レベル4か。ちなみに、邪淫の罪が最も深いのは、レベル5だ。もちろん、前の覗き見をした者のような例外もあるがな。」
宋帝王は、そう解説した。あの覗き見教師の場合は、例外だったのだ。だから、猫の鳴き方も違うのであろう。本来は、猫の鳴き声の回数でレベルをはかっているようだ。
そうか・・・、強欲じいさんのように結構女性を買い、妾を持ったものでもレベル4なのか・・・、俺は案外ゆるいのだな、とそう思った。
「断っておくが、レベル4だからといって、軽いな、などと思うなよ。レベル4の罪深さは、そう地獄へ直行といってもいいくらいだ。地獄でも、そうだな邪淫の罪だけならば上から4番目の地獄だな。なお、地獄は8番目まであるからちょうど真ん中だな。そのあたりの地獄へ直行してもいいくらいのレベルなのだ。従って、軽いものではない。浮気や不倫の経験がない一般男性でレベル2くらいだからな。しかし、汝の場合、性を貪る・・・というところまでは行っていなかった。ある程度、己の秩序に従っていた。そういう点をこの猫は考慮したようだ。」
俺の心を読んだのだろう。宋帝王は詳しく解説をしてくれたのだった。
なるほど、ということは、レベル4は決して軽くはないのである。しかも、あの猫は、ただ邪淫の罪深さを調べるだけでなく、我々の性に対する考え方も考慮してくれているようなのだ。
だとすれば、あの浮気女のように、自分の心の虚しさを埋め合わせるためだけに異性を求めていたとなると・・・・、俺は彼女が哀れになってきた。なんだかかわいそうな人生である。夫に愛されて結婚し、夫からの愛を受けられずに空虚となり、夫以外の男性に埋め合わせを求めた・・・。あぁ、そうか、何も肉体を求めなくてもよかったのだ。あるいは、そんな夫とは別れればよかったのだろう。結局は、自分の判断が間違っていたのだ。それこそ、虚しいことである。

「さて、では汝の覚悟を量るとしようか。」
俺の空虚な想像を宋帝王の冷たい声が打ち破った。そうだ、まだ強欲じいさんの裁判中であった。これから、あの巨大な蛇がじいさんを襲うのである。
「お願いします。覚悟はできております。よく反省しております。」
強欲じいさんはそういうと、静かに首をたれたのだった。
巨大な蛇はのっそりと強欲じいさんに近付いていった。そして、ゆっくりとじいさんに巻きついていった。じいさんは、一言も発しなかった。静かに、口を真一文字にしていた。大蛇はゆっくりとじいさんを締め付ける。真っ赤な舌をチョロチョロとだして、じいさんの顔を舐めていた。それでも、じいさんは動じなかった。
「よし、さがれ。・・・・見事だな。さすがに生きているとき、傑物・怪物と言われただけのことはある。」
「いえいえ、とんでもないです。わしなんぞ、ただのクソジジイです。わしは何にも知らなかった。自分は何でも知っている、何でもできる、自分にできないことはない、などと驕り高ぶった愚か者に過ぎません。真実など見ていなかった。虚飾の姿しか見ていなかった。ここへ来て、それがよくわかりました。」
「ふむ、そうか、そうか。ならば、もう少し裁判を受けるがいいな。それに、現世へも帰ってみるがいい。もっと、もっと真実が見えてこよう。さらに、三七日の供養も届いておるしな。よし、次へ進むがよい。連れて行け。」
宋帝王がそういうと、強欲じいさんは深々と頭を下げた。二人の馬頭がじいさんを両方から抱え、奥へと連れて行った。じいさんは、この建物・・・第三裁判所を出ると、すぐに現世に戻るのであろうか。残してきた者たちの醜い争いは見たくないようなことを言っていたが・・・。しかし、あのじいさんの性格からすれば、見ざるを得ないのだろう。見たくなくても見なければいけないものもあるのである。

「次、釈聞新、前に。そこの二人ずれろ。」
馬頭の声が響いた。いよいよ俺の番である。俺にはいったいどのくらいの邪淫があるのだろうか。俺は、ちょっと緊張し始めていた。
「釈尼驕慢信女、中に入れ。一番左に座れ。」
そう呼ばれて入ってきたのは、ガリガリのばあさんだった。入ってくるなり、中を一瞥すると
「ふんっ!。」
と鼻息を飛ばしたのだった。なかなか憎たらしい面構えのばあさんだった。
あんなばあさんいたんだ、と俺は思った。今までは、浮気女の後ろの人は見ることができなったから、全く気がついていなかったのである。
『あの女性ばかり見ていたからであろう。それこそ邪淫だな。』
俺は宋帝王の方を見た。その声は、宋帝王のものだったからである。しかし、宋帝王は知らぬ顔で下を見ていた。どうやら、直接俺の魂に話しかけたようである。
『確かにそうですね。はい、彼女ばかり気にしていましたよ。』
俺は心の中で毒づいた。宋帝王は、何事もなかったかのようにいつも通り自己紹介を始めた。
「さて、釈聞新、汝の裁判を始めよう。裁判官である私の名は、宋帝王である。この裁判を見守ってくださるのは、文殊菩薩様である。」
相変わらず、同じ自己紹介である。やはり決まりごとなのであろう。
『裁判に関係のないことは、直接汝の心に話しかける。よいかな。そ知らぬ顔をしておれ。自己紹介のことは、汝の思ったとおりである。決まりごとなのだ。省略はできぬことだ。』
これには驚いた。どうやら裁判以外のことを質問していい、ということらしい。そういう場合は、心の中で尋ねろ、ということのようだ。なので、俺は
『はい、わかりました。ありがとうございます。いろいろ質問させていただきます。』
と答えておいた。
『ただし、裁判の内容に手加減はせぬから、覚悟しておくように。』
と、釘が刺されたのだった。そんなやり取りがあるとは、表面上には少しも出さず、宋帝王は型通りの質問をしてきた。
「ここでは、邪淫の罪について問う。邪淫とは、どういうことかわかるかね?。」
「はい、邪淫とは性的なことにおいて、淫らな行為をすることです。人間としてやってはいけない性行為に耽ることです。」
「ふむ、よろしい。では、汝に邪淫の罪はあるか否か。」
「はい、厳密に言えば、ある、と思います。決して私は清廉潔白な身ではないですから。」
「具体的にはどういうことか言えるかね?。」
「はい、私は浮気をしたわけではありません。その点では、女房を苦しめた、あるいは裏切ったということはありません。しかし、取材と称して、風俗店などに出入りしたことはあります。一般男性として、それは不快ではありませんでした。しかし、積極的に望んだことではありません。仕事上、仕方がなかったということもあります。あぁ、そうだ・・・、しかしなぁ・・・。」
「なんだね?。」
「邪淫というのは、気持ちとか、思ったことも含まれるのでしょうか?。」
「どういうことだね?。」
「私は浮気はしたことはありません。しかし、一度くらいは浮気をしてみたいな、と思ったことはあります。不倫というのも経験してみてもいいな、とか、好みの女性を見れば、あんな女性と付き合ってみたいな、とか思ったことはよくあります。幸いというか不幸というか、このように早死にしてしまったので、浮気のチャンスはありませんでした。しかし、浮気を望んでいなかったか、と問われれば、望んだこともある、としか言えません。果たして、それは邪淫の罪に含まれるのでしょうか?。」
「ふむ、いいところに気がついた。汝が言いたいのは、思っただけでも罪になるのかどうか、ということだな?。」
「はい、そうです。思っただけならば、いっぱい思っています。グラビアアイドルを見て思ったし、三流雑誌の取材という仕事上、ヌード写真なども多く見ますから、淫らな想像もしたこともあります。行為そのものは、あまりしていませんが、想像だけならいっぱいしていますので・・・・。えっと、それは世の中の男性は、ほとんどそうだと思うのですが。私だけでなく・・・。」
「何を言い訳しておる。つまらぬ言い訳は無用だ。安心しなさい。ここでは、邪淫の行為そのものについて問うているのだ。邪淫の行為をしたかどうか、それを問うているのだ。汝が心の中でどれほど多くの女性との性行為を想像しようが、それは不問である。とりあえず、生きている間に、邪淫の行為をしたかどうか、それについての判断だけだ。ここで、そこまで問うたならば、ほとんどの人間が、特に男性は、レベル4以上になってしまうのではないかな?。となれば、地獄は満員状態になってしまうであろう。従って、そこまでは問わぬ。」
「それを聞いてホッとしました。想像したことまで罪になるのなら、困ったな、と思いましたので・・・・。よかった。」
「ふむ、そうか。では、汝には邪淫の罪は少しはある、ということでよいな。」
「はい、少しはあります。どうぞ、お調べください。」
「よし、行け!。」
宋帝王がそういうと、宋帝王の横にいたあの真っ黒な大猫が俺に向かってきた。傍から見ていたのではわからなかったが、なるほどこれは怖い。猫の大きさが一段と大きく見えるのだ。その猫は、俺を真っ赤な目で睨みつけ、ゆっくりとやってくる。わざとじらしているのか、それがまた恐怖感を呼び起こしているのだ。肉体があるのなら、恐怖の冷や汗が滴り落ちているだろう。その恐怖は、自分が死者であることすら忘れさせるものだった。
猫は、俺の周りを一周すると、
「にゃ〜、にゃ〜。」
と、鳴いた。レベル2だ。と思ったら、猫がおれのほうを見て、ニヤっとしたかと思うと、小さく
「にゃ」
といった。な、なんだ、今の小さな「にゃ」は・・・。
「ふむ、そうか、ふむ、戻れ。なるほどな、ほぼ一般男性の持つ程度の邪淫の罪だな。汝の言うとおり浮気・不倫はないようだ。が、浮気をしかかったことはあるようだがな。深い関係になる前に止めたようだがな。」
宋帝王はそういうと、俺の顔を見てニヤっとしたのだった。あの猫と同じだ。俺はドキッとしていた。生きているならば、顔が青ざめて、引きつっていたかもしれない。
「なんでもわかるのだよ。先程、そのことについて汝は告白しなかったな。」
「あっ、その・・・わ、忘れていました・・・。は、はい、確かに、その、浮気しそうになったことはあります。それはいけないことだ、と思って一線は越えませんでしたが・・・。」
「ふむ、そうか、それで心の中での浮気も罪になるのかどうか問うたわけだな。」
「は、はぁ・・・・。面目ないです。」
俺は大きなため息をついた。確かに、俺は浮気しかかったことがある。それは取材で知り合った女性だった。その女性には夫がいた。子供もいた。取材を通して仲がよくなり、一緒に食事をしたりもした。食事の帰りに公園などをブラブラしたこともある。その時に、気持ちがかなり揺らいだのも確かである。しかし、深い関係になったわけではない。キスくらいはした覚えがある。でも、深い関係にはなってはいない。それは、女房や子供の顔がちらついたからだ。やはり、深い関係にはなってはいけない、そうなれば不幸になってしまう、という思いがブレーキになったのだ。相手は俺との深い関係を望んでいたようだが・・・実際に誘惑もされたが・・・俺は拒んだのだった。
「ふむ、そういうことか。」
俺が、その時のことをいろいろ思い出していたのを読んだのであろう。宋帝王は俺の顔をじっーっと見てそう言った。
「まあ、いいでしょう。そのことについて、反省はしているか?。」
「は、はい。反省というか、後ろめたさはあります。負い目というか・・・。女房には悪いことをした、という思いはあります。また、浮気しなくてよかった、という思いもあります。どちらかというと、そっちの方が強いですね。あぁ、浮気しなくてよかった、あの時は何であんな思いをもったのだろう、バカなことを考えたものだ・・・、という気持ちの方が強いです。」
「ふむ、正直でよろしい。では、覚悟はできておるな?。」
「はい、できていると思います。」
「他に隠し事はないな?。」
「ありません。」
「告白するなら今のうちだぞ。」
「大丈夫です。その女性以外は、心を動かされた女性はいません。」
「よし、わかった。では・・・行け!。」
宋帝王がそういうと、あの大蛇がのっそりと動き始めた。なるほど、本来、この蛇の役割はこのためにあったのだ。つまり、他の隠し事を白状させるためである。もちろん、本当に反省しているかどうかを問うこともあろう。しかし、それと同時に、まだ告白していない邪淫の罪を告白させるためでもあるのだ。
大蛇は、チョロチョロと赤い舌を出しながら、その不気味な目で俺を睨みつけ迫ってきた。これは猫以上の恐怖である。実際にこの状態になってみなければわからないことだ。逃げたいが逃げられない。動けないのだ。金縛りにあったようなものである。これでは、普通なら助けてくれ、やめてくれ、と叫ぶであろう。何でも言うこときくから勘弁してくれ、と。一種の拷問である。俺の場合、あの覗き見教師と強欲じいさんのおかげで、本当に反省しているなら覚悟ができているはずだ、とわかっているので、ジタバタはしなかった。
しかし、わかってはいても恐怖で叫びそうになる。俺は堪えていた。叫びたくなるのをガマンしていたのだ。
蛇の舌先が俺の顔に触れたような感じがした。生臭い・・・。死者なのになぜそんな感覚があるのだろう・・・などと頭の隅では考えている。また別のところでは、逃げろ、逃げろ、危ない逃げろ、と叫んでいる。また別のところでは、やめてくれ!!と大声を出している。が、動けない。俺は混乱していた。しかし、どこかで冷静なところもあるのがおかしい。
蛇は次第に俺の身体に巻きついていた。肉体はないはずなのに、絡んでいるのがわかる。あの蛇独特の冷たさが伝わってきた。気持ちが悪い・・・。耐えられない・・・・。
一周、二周、三周・・・・。蛇は俺の身体に巻きついている。肉体はないはずだ。俺は死人なのだから・・・。そう自分に言い聞かせていた。これは幻なのだ、と。
「ふむ、よく耐えているな。どうやら、隠し事はないようだ。よし、戻れ。」
宋帝王の声が聞こえた。そのときだ。
『汝が思ったように、この蛇の試しは、二つの意味がある。一つは、本当に心から反省しているかどうかを試している。もう一つは、告白する罪が他にないかを試しているのだ。』
と、宋帝王が俺の心に話しかけてきた。
『たいていの者は、「助けてくれ、許してくれ」と叫ぶものだ。いくら反省しているといってもな。それが当たり前である。怖いのだから、叫ぶのは当たり前なのだ。そんなことはこちらは重々承知しているのだ。しかし、そこを逆手にとって、「反省してないじゃないか」と突っ込むのである。真の反省を知らしめるためにな。しかし、汝の場合は、前の二人があまりにも特殊であったため、我慢できたようだ。しかし、さすがに、心の中で質問する余裕はなかったようだな。』

蛇は、俺の身体から離れ、いつもの場所に戻っていった。俺はホッとしていた。そして、俺はぐったりしていた。と同時に今の宋帝王の話しを聞いて、なんだ素直に叫べばよかったのか、とグチってもいた。息をしていないはずなのに、息が切れたような感覚があった。胸の辺りが苦しいのだ。その苦しさに耐えながら、
『素直に叫べばよかった。ガマンすることがこれほど苦しいとは・・・。質問する余裕なんてありませんでしたよ・・・。本当に手加減なしだ・・・・。』
とこぼしていた。
『ほっほっほ、つまらぬやせ我慢などするからだ。さて、汝の裁判は終わりに近付いた。何か聞きたいことがあるのだろう。ならば聞くがよい。ただし、長い話になるのなら、心の中で・・・というわけには行かなくなるな。裁判官である私と汝が、ただボーっと見詰め合っているというわけには行かぬからな。次の罪人の裁判もあるしな。』
『で、では、どうすれば・・・。』
まだ、正常な状態に戻れないでいた。なので、そう答えるのが精一杯だった。
『長くなりそうか?。』
『た、たぶん・・・。』
『ふむ、では、時を止めようか?。』
「時を止める?。」
俺は思わず声に出してそう言ってしまったのだった。


『何も驚くことはなかろう。今までも体験したことであろう。』
宋帝王は、俺の心の中に話しかけてきた。
『はぁ、まあ、確かに驚くことではありませんが・・・・。あ、いや、そもそも、ここには時の概念がないのではなかったですか?。』
『ほう、前にそういう説明を受けたのかね?。』
『確か、そんなような話を・・・・。』
『ふむ、汝らが思っている時という概念は、ここにはないな。自由に止めることができるし。かといって、乱れているわけでもない。そこには秩序はある。難しい話にはなるが・・・。』
『どういうことですか?。』
『前の裁判では、裁判を受けているもののみが初江王と対話をしていた。待っているものは、自分の罪を見せられていた。自分の番が廻ってくる間中、自分の罪を見せられていたわけだ。死者によっては裁判が長引くこともある。だからといって、次の死者の時間をとっているわけではない。ここでも同じだ。汝と話をしている間、次に裁判を受けるものは待っていなければいけない。その間、現世のように時間が流れるかといえば、そうではない。それは、時間という概念が現世とここでは異なるからだ。ここでの時間は、我々裁判官の裁量に任されている。』
『なぜ、ここではそうやって時間をコントロールする必要があるのですか?。』
『それはな、死者は裁判と裁判の間、現世に戻らねばならないからだ。その期間は決まっている。』
『7日間ですね。』
『そうだ。現世の時間で7日ごとに裁判はある。裁判と裁判の間は、死者は現実世界へ戻らねばならないのだ。自分の死後の世界を見て、自分の関係者が自分の事をどう持っていたのか、知るのだ。それは、自分自身に対する正統な評価を知ることとなるのだ。だからこそ、裁判と裁判の間に帰る必要があるのだ。
ところが、裁判は死者により異なる。長くかかるものもいれば短くすむものもいる。もしここの時間の流れが現世と同じならば、死者により現世に戻る時間に差ができてしまうであろう。つまり、現世に戻る時間に平等性がなくなるのである。そのために、時間をコントロールするのだ。』
『そういうわけですか。わかりました。じゃあ、今は、いわゆる時間が止まっている状態ですね。』
『そうだ。裁判を待っているものたちには、我々は普通の裁判をしているように見えるし、長く感じることもない。また、現世との関連も心配することはない。汝との話が長くなろうとも、汝の現世での時間が短くなることはない。』
『わかりました。じゃあ、心置きなく質問ができます。あ、でも・・・。そうですね。これから聞いておきます。』
『何なりと・・・。』
『私は、前の裁判のあと、現世に戻りましたが、すでに3日ほど過ぎていました。本来ならば7日間あるはずなのに、私の分だけ短かったのですが。宋帝王の話と矛盾してますよ。』
『汝は、次の次の死者の裁判を傍聴したであろう。だから、二人分のずれが生じたのだ。』
『あぁ、なるほど。裁判を待っている分には、時間は食い込まないが、自分よりあとの裁判にまで残っていると、それは時間がずれていくんですね。』
『当然であろう。尤も、自分のあとの死者の裁判など、普通は傍聴はしない。自分の裁判が終わったら、さっさと現世に戻されるからな。汝の場合は特別だ。』
『は、ありがとうございます。嬉しいやら、悲しいやら、複雑ではありますが・・・。』
『ウソをつくな。今回の裁判でも、次の次の死者の裁判を傍聴したい、と望んでおるのだろう。』
『あぁ、わかりましたか・・・。そうお願いするつもりでした。』
俺は、前回の裁判と同様、あの色気女の裁判を傍聴したいと思っていたのだ。彼女の裁判はどのようになるのか、興味があったのだ。
『汝の現世にいる日数が削られるが、それでもよいのか?。』
『はい、構いません。興味もありますし、取材者としての義務感も感じています。』
『ふむ、うまいこというが、興味が90%だな。』
その通りである。どうしても、彼女のことが気にかかるのだ。死んでからも、女性のことが気になるとは、思ってもみなかった。しかも、相手は死者である。死者同士の感情というものが、果たしてあるのかどうかよくわからないのだが、正直に言えばそれは一種の好意でもあるのだ。
『あのな、汝はどう思っているが知らないが、汝は相手のことを知っているけど、相手は汝のことをどうとも思っていない。というか、そういう感情自体、ここにはないのだ。相手は、汝が話しかけない限り、汝のことは気にかけないようになっている。他の死者は、汝のように話しかけたりはできない。汝は特別なのだ。普通は、死者同士で恋愛感情など生まれないのだ。その点をよく心得て置くように。』
宋帝王は、ちょっと呆れ顔で言ったのだった。俺は、痛いところ突かれた。
『はい、わかっております。特にその・・・恋愛感情とまではいきません。自分が死者であることを忘れたわけでもないですし・・・。ただ、どうにも気になってしまいまして・・・・。』
『涙を見たからな。』
『まあ、そういうことです。』
『よろしい、わかった。その話はこれでおしまいだ。あの女の裁判を傍聴することを許そう。次の質問はなにか?。』
宋帝王は、あの色気女の裁判を傍聴することを許してくれた。と同時にその話は打ち切られた。相変わらず、話に無駄がない。

『汝は、私の話し方に無駄がない、と思っているであろう。』
『はい、思っています。寸分の隙もない、というか、冷淡というか・・・・。』
『それはね、この裁判を見守ってくださる御仏様が文殊菩薩様であるからなのだ。』
そういえば、この裁判所は文殊菩薩様が見届けてくださっているのであった。だが、その見守ってくださる文殊菩薩は、俺が知る限り一言もしゃべってはいない。それどころか、宋帝王とも何のやり取りもない。宋帝王も一度も振り返って指示を仰ぐということをしていない。
『今までの裁判では、見守り役の仏様が指示を出したり、言葉をかけたりしたであろう。』
『はい、不動明王様もお釈迦様も、指図をしたりしました。また、裁判官様も大事なことは自分ひとりでは決めませんでした。振り返って、見守り役の仏様の指示を仰いでいました。』
『ここではそれはない。』
『はい、ありません。なぜ・・・。』
『無駄なことはしないからだ。また、言葉ではなく、心と心のつながりを重視しているからだ。』
『心と心・・・・ですか?。』
『ここに至るまで、裁判所の前の庭を見たかね?。』
『はい、見てきました。大きな禅寺のようなきれいな庭でした。』
『何のためにあるのだと思う?。』
『と、特には・・・・何も考えていませんでしたが・・・・。』
『いかんのう・・・。まあよい。あれはな、まさしく禅寺の庭なのだ。禅寺の庭は何のためにある?。』
『何のために・・・・?。確か庭で覚りを表現しているのだとか、宇宙を表しているのだとか・・・。』
『そうだな。禅は言葉でなく、ありとあらゆるもので覚りを表現する。言葉では覚りというものがいかなるものか、伝えることが難しいからだ。』
『その庭がここにもあるということは・・・。』
『そう、言葉ではなく、モノや心で伝えることを重視している。だからこそ、猫と蛇なのだ。』
『なるほど・・・。言葉で責めるのではなく、道具をつかうということですね。言葉にはウソがあるが、道具にはウソはない。動物はウソをつかないからですね。』
『その通り。すべて無駄を省くためだ。つまらぬ言い訳や議論という無駄をな。』
『だからこそ、宋帝王の言葉も・・・・。そうですか。無駄な表現がない、ということですね。』
『その通りだ。これは、文殊菩薩の覚りでもある。』
『文殊菩薩の覚りですか・・・。』
『文殊菩薩様は、一切の虚論(けろん)を厭うのだ。よく文殊菩薩様を見なさい。右手に剣をお持ちであろう。』
文殊菩薩の姿は、右手に炎を発した剣を持ち、左手に巻物を載せた蓮華を持っていた。
『文殊菩薩様は、あの剣で無駄な議論や無駄な言い合い、話、言葉を切り捨てるのだよ。だから、ここでは、無駄な言葉は一切不要なのだ。裁判所の庭のように、そのものがすべてを表現している。したがって言葉は基本的な言葉以外不要なのだよ。』
確かに、ここでは無駄話というか、話が広がっていかない。話が広がっていくことは、特に無駄ということではないのだが、ここでは無駄になるのである。必要最低限の内容がわかればいい、ということなのだろう。それは、どうやら文殊菩薩の性格によるものらしい。
『文殊菩薩様は、別名「無虚論如来」様ともおっしゃる。無駄な論がない、という如来様だ。だから、余分な話、いいわけ、ウソ、心にもないこと、それらは一切受け付けないのだ。』
なるほど、だからこそここは言葉が冷たい、という印象を受けるのだ。いや、つまらぬ言い訳は一切受けないぞ、という態度がありありと感じるから、冷ややかな印象を受けるのだ。それは、ここの空気を緊張させている原因にもなっている。死者は、それを敏感に感じ取っていた。まさに以心伝心である。
『その通りだな。生きているとき、人は「以心伝心なんて・・・」と思いがちだが、そんなことはない。意外にその場の空気を読み、気を遣うことをするものなのだ。それこそ、以心伝心であろう。』
『しかし、そのことに気付いている人はあまりいませんよね。』
『誰もが、言葉の重みに騙されているのだ。言葉は言葉にしか過ぎない、ということに気付いていないのだな。』
『言葉は言葉にしか過ぎない・・・・。』
『そうだ。言葉は単に言葉にしか過ぎないのに、人はその言葉に振り回されて悩み苦しんでいるのだ。言葉は単なる言葉、記号である、と知れば、他人の言葉に振り回されることもないし、名誉を望むことはなかろう。』
よくわからなかった。いったい何を言っているのだろうか?。俺がバカなのか、それとも宋帝王の話が難しいのか?。
『難しいか。まあ、確かに、心だけでは伝わらぬこともあろう。言葉が必要なこともある。ここで間違えてはいけないのは、私は無駄な言葉は要らぬ、といっているということだ。必要なことならば、言葉は惜しんではならぬ。
よいか。言葉は言葉にしか過ぎない、というのはな、たとえば、名誉職を得ても、それは名誉職を得た人自身の言動が重要であって、役職名が重要なのではない、ということだ。』
それはそうである。役職にある人物は、その役職や肩書きが偉いのではない。その人自身の行動や言葉が偉くなくてはならないのだ。
『その当然のことを人間はできないであろう。理解していないであろう。多くのものが、肩書きに振り廻されているであろう。』
『あ、そういえば・・・・そうですね。確かに、多くの人は、役職名や肩書きを信用しますよね。その人物を見て評価を下す前に・・・・。』
『言葉に振り回されている。そこが間違っている、というのだ。言葉は言葉にしか過ぎぬ、ということを心得ていれば、肩書きや職職名などには誤魔化されまい。』

さすがに隙がなかった。反論の仕様がない。確かに我々は、肩書き、役職名、その人が有名かどうかに随分振り回されている。特に、TVの影響は大きい。TVに出ていれば、間違いない人である、という図式ができている。だから、怪しい自称霊能者や占い師が信じられてしまうのである。よく彼ら彼女らの言葉を聞いていれば、誤魔化しや言い逃れ、いい加減なことは多々あるのだ。だが、我々は誤魔化されてしまう。煙にまかれてしまうのだ。
「言葉は言葉にしか過ぎない。大事なのは、言葉の上っ面じゃなく、その内容である。」
そのことをしっかり頭に叩き込んでいけば、騙されないし、振り回されないのだ。
たとえば、オレオレ詐欺でもそうだ。電話の向こうで、警察だの、弁護士だのといわれれば、お年寄りでなくても聞いているほうはドキッとしてしまうであろう。言葉の表面に騙されるのである。肩書きに騙されているのだ。言葉は言葉にしか過ぎない、ということを知っていれば、冷静な対応ができるであろう。言葉ではなく、実際を求めるようになるからだ。事実を知ろうとするからだ。
たとえば、名誉職をやりたくてやりたくて仕方がない、というものは、その名誉職の名前に憧れているだけなのだろう。その名前の響きがいいだけなのだろう。実際のところはそんなものであろう。それも、言葉に騙されているのである。言葉の表面的マジックにとり憑かれているのだ。名誉職の名前は、名前にしか過ぎない、言葉にしか過ぎない、と知れば、名誉職に執着することもなかろう。
また、たとえば、他人に言われたことがいつまでも気になって気になって仕方がない、そのおかげでウツになってしまった・・・・という人も言葉の表面的意味にとり憑かれた者であろう。言葉なんて言葉にしか過ぎない、内容が大事であり、それをどう捉えるかが重要なのだ、ということを知っていれば、ウツに陥ることは少なくなるのではないか。
言葉は言葉にしか過ぎないのである。大事な言葉もあろうが、それはその言葉の内容が大事なのであって、言葉そのものが大事なのではないのだ。
宋帝王は、そういいたかったのであろう。

『ふむ、よく理解したな。汝の思ったとおりである。言葉は言葉にしか過ぎない。大事なのは、言葉の内容である。それを理解するには、その言葉を発した相手の心を知らねばならぬのだ。人は、言葉に頼りすぎて、心を知ることを失っている。庭を眺め、宇宙を知ることを失っているのだ。静寂の中に喧騒があることを見失っているのだ。喧騒の中に静寂があることもな。言葉に振り回され、本質を見失っているのだよ。文殊菩薩様は、そのことを大変憂いているのだ。
汝、釈聞新よ。このことをよく現世に伝えるがよい。』
『はい、わかりました。しっかり伝えます。』
『ふむ。では、もうよいかな。』
『あぁ、いえ、まだ質問はあるのですが・・・・。』
『ふん、まだあるのか・・・。まあ、よい、なんだ?。』
『この裁判所の前で並んでいるとき、脱走者が出た、と騒いでいたのですが、あれはどういうことですか?。』
『はぁ・・・、脱走者のことか・・・。』
宋帝王は、ちょっと憂鬱そうな顔をした。それは宋帝王が見せた、初めての感情的な表情だった。



『脱走者ねぇ・・・。確かに脱走者が出た、と騒いでいたな。あんなに騒いでも仕方がないのに。彼らは、何度言ってもわからぬらしい。』
感情を決して見せることのない宋帝王がため息をついた。
『は?、どういうことですか?。』
『あぁ、脱走者、と牛頭たちは言っているが、それは正しくはない。脱走したのではなく、こっちの世界・・・死後の世界に戻ってこなかっただけなのだ。脱走ではなく、帰還拒否だな。』
『あぁ、なるほど。現実世界に戻って、そっちがよくなったり、心配になったりしてこっちの世界に戻ってこなかったのですね。』
『そうだ。しかし、騒ぐほどのことでもないのだが・・・・。』
『そうなんですか?。』
『裁判は7回ある。』
いきなりどうしたのか。わかりきっていることを宋帝王は突然言った。
『わかりきっていること、だと思うがよく聞きなさい。裁判は7回ある。現世に戻るのは、2回目の裁判が終わってからだ。で、3回目の裁判・・・今の裁判だな・・・までに戻ってこなければならない。というか、自然に戻ってくる。そういう力が働くからだ。しかし、中には生への執着が強くあって、あるいは、現世に対して様々な理由があって、死にたくないと強く思うものがいるのだ。そういうものは、こっちの世界へ引っ張る力を乗り越えてしまうことがある。そうなると、こっちの世界へは戻らずに、現世に留まることになるのだ。
しかし、次の裁判のころ、つまり4回目の裁判だな、そんなころに四・七日の供養があろう。その供養があれば、おのずとこちらに戻る力が働いて現世からこちらへ引き戻されるのだ。』
『しかし、供養がない場合がありますよ。最近じゃあ、初七日の供養が終わると、あとは35日か49日の供養しかしない場合が多いようですよ。』
『だから、あわてることはない、といっているのだ。裁判は7回。35日の供養があれば、5回目の裁判に間に合うではないか。49日があれば7回目の裁判に間に合うではないか。』
『あぁ、なるほど。とりあえず、裁判は受けられる、ということですね。』
『そういうことだ。ただし、その供養がいい加減であったり、遺族が死者に対してものすごく未練を持っていたり、死者が現世にものすごく執着を持っていたりした場合は、35日や49日の供養があっても、こっち戻ってこない場合もあるがな。』
『えっ、それだと困るじゃないですか。』
『いや、こちらの世界は何も困らないのだ。困るのは、こちらに戻ってこなかった死者本人とその遺族だけなのだ。』
俺は、またわからなくなってきた。死者が死者の世界である、こっちの世界に戻ってこなければ、こちらの管理者たちは困らないのだろうか?。こちらの世界にいなければいけない者がいない場合、あるいは、こちらにいた者が現世に戻ってしまい帰ってこない場合、管理者としての責任はないのだろうか。管理者として裁判官たちはお咎めを受けないのだろうか。まてよ、お咎めって、誰に受けるのだろうか・・・・。いやいやいや、そもそも裁判官は裁判官であって、死者の世界の管理者ではないのか・・・。よくわからなくなってきたぞ・・・・。
『我々裁判官は何も困らない。咎められることもない。死者がこちらに帰って来ようが来まいが、我々の感知したことではないのだ。だからあわてる必要はないし、騒ぐ必要もない。牛頭は、何度言ってもそのことが理解できぬようだ。戻ってこない死者がいても、捨て置け、と言ってあるのだが・・・。ふ〜む、前世が牛だったものは理解力が劣るからな・・・。』
なんと、宋帝王がため息をつき、感情を少しだけ見せたのは、牛頭の無理解に対してだったのだ。こちらに戻ってこない死者に対してではなかったのだ。
『でも、厄介じゃないんですか?。』
『厄介?。特に厄介なことはないが・・・。あぁ、そうそう、この世界の管理は、我ら7人の裁判官で行っている。しかし、管理と言ってもたいしたことはない。現世において死者が出たら葬儀がされ、葬儀がされたらこちらの世界への入り口が開き死者は勝手にこちらの世界にやってくる。で、死出の山に入り、完全なる死者になる。たまに、逆戻りする者もいるがね。そうしたものは蘇生した、と言われる者だな。そうした者には、こちらの世界は覚えていないようにしてある。別の記憶を入れておくのだな。そういうシステムになっているのだ。
葬儀がなければこちらの世界の入り口は開かない。それでも死者は、こちらの世界への道を本能的に知ってやってはくる。ただし、葬儀も供養もないので、現世へと戻ってしまうがな。汝も見ただろう。』
俺は、死出の山で消えてしまった男のことを思い出していた。あの男はいったいどうなっただろう。
『さて・・・、今頃は幽霊犬や狐の霊などの、いわゆる妖怪に食われてしまっているかも知れぬ。運がよければ、再び死者の道を見つけ、その中に混じっているかも知れぬ。どこか落ち着き場所を見つけ、依存しているかも知れぬ。それはわからぬことだ。
いずれにせよ、そんなことは、我々のあずかり知らぬことだ。我々は、こちらの世界に来た者を裁くだけである。死者は、葬儀さえ行われれば自動的にこちらに来るのだ。葬儀は、こちらに死者を送り込むための手続きだな。後は、自動的だよ。何が厄介なことがある?。』
そういわれると、なんとも言いようがない。しかし、以前どこかで聞いたことがある。こちらの世界に戻ってこない死者や現世にとどまってしまった死者をこちらの世界に戻すよう依頼がある場合があると。そうしたときは、こちらから手を貸さないといけないと。
そういえば、依頼がない場合は、放っておくしかないとも言っていたような・・・・。
『その通りだ。現世から、残ってしまっている死者の霊の始末を依頼されれば、我々は動かねばならない。まあ、動くのは鬼や羅刹、牛頭馬頭たちだが。尤も、そうしたものを動かすのは、閻魔大王なのだがね。閻魔大王も不動明王や観音様、その他の仏様や菩薩様、明王様からの命令で動くのだがね。』
『それは、厄介じゃないんですか?。』
『我々は厄介じゃない。当然の仕事だから。それに、現世からの依頼でそうした霊を処理した場合、たいていは裁判なしで特別な収容所へ送られるからね。』
『特別な収容所?。』
そんな話を聞くと、暗い気持ちになってしまう。特別な収容所とは、アウシュビッツのようなところなのだろうか?。あるいは、網走刑務所のような過酷なところなのだろうか。いずれにせよ、霊にとってはつらいところなのだろうか・・・・。
『つらいかどうかは知らぬが、現世にいるときよりは楽なはずだ。ただ、現世に残った霊たちは、無理やりこっちに連れてこられるので、恐怖心があるために抵抗するがね。しかし、それでも現世にいるときよりは安楽だ。決して陰惨な場所ではない。』
それを聞いて俺は少し安心した。

『ただ、命を受け、そうした現世に残ってしまった霊を無理やりこっちの世界につれて来る役割を負う羅刹や鬼、牛頭馬頭は面倒であろう。たまに攻撃を受けて傷つくものもいるからね。』
『そんなこともあるんですか?。』
『あぁ、ある。ものすごい抵抗にあったり、相手が人間でなく、いわば妖怪化してしまっているような場合はなかなか手強いようだ。』
『妖怪化・・・ですか。』
『そうだな、怨念の塊、執念の塊、恨みつらみ、苦しみ、悩み、そうした負の魂が寄り集まって、純粋な霊とは別の霊体になってしまっていると、厄介ではあるな。』
『そ、そんなことが・・・・。』
『現世では、たまにそうしたことがあるのだ。人間は恐ろしいものだ。負のエネルギーが強すぎると、負の者同士が寄り集まり、余計に負のエネルギーが増大してしまう。そうしたものに健全な人間がとり憑かれたり、家や土地がそうしたものに侵されたりすると、これは大変なことになろう。そうした場合、とり憑かれた人間は御祓いのできる行者や僧侶などに依頼する。』
『御祓いですか・・・。なんか、胡散臭いですね。』
『まあ現世では、インチキな行者や僧侶もいるがな。そう、汝の前のほうにいたオバサンの行者もそうだな。インチキ行者だったな。確かに、胡散臭いものも多いが、しっかりと御祓いする僧侶や行者もいる。汝の知り合いの僧侶も、なかなかのものだぞ。』
俺の知り合いの僧侶・・・。あぁ、あの先輩の坊さんだ。俺の葬儀をしてくれた偉そうな態度の坊さんである。あの坊さんがねぇ・・・。
『あのものは、なかなかの者だ。こちらの世界と現世とのつなぎ役のようなことをしているからな。まあ、そのことはいずれ本人の口から聞くがよい。
ということで、そうした行者や僧侶が御祓いをすると、こちらに命が下る。現世にいる死者の処理をせよ、と。たとえば、御祓いをする僧侶がよく修行ができていれば、不動明王様自らそうした悪霊の処理に出てくださることもある。或いは、閻魔大王が自ら出かけることもある。そういう場合は、鬼や羅刹・牛頭馬頭たちも安心して現世に出かけられる。しかし、不動明王様に依頼できるような僧侶や行者は数が少ない。汝の知り合いの僧侶くらいのものか・・・。まだ、ほかにも若干はいるかな。多くの御祓いをする行者や僧侶は、不動明王様を動かすだけの力はないからね。そういうものは、羅刹や鬼・牛頭馬頭を動かすしか仕方がないのだ。尤も、御祓いをしている行者や僧侶本人は、不動明王様などが動いてくれていると信じているがな。実際に動いているのは、羅刹や鬼・牛頭馬頭だな。
いずれにせよ、現世において御祓いがあると、こちらのものは動かねばならない。それが嫌だから、牛頭や馬頭あたりは死者がこちらの世界に戻ってこないと、騒ぐのだろう。我々は、なんとも思わないのだがね。むしろ、戻ってこない死者は、哀れだな。そんなに現世に未練を残しても仕方がないのだがね。死者なのだから。もう肉体はないのだからね。死者は死者らしく、こっちの世界にいればよいのだ。』

なるほど、そういうことだったのだ。あの時、脱走者が出た、と騒いでいた牛頭たちは、いずれ自分たちの脅威になるかもしれないから騒ぐのだ。面倒だし、下手をすれば自分たちの命が危ないのである。だから、騒ぐのであろう。裁判官である宋帝王にしてみれば、騒ぐ問題ではないのである。
『牛頭や馬頭も騒ぐくらいなら、もっと神通力がつくように修行をすればいいのだがね。羅刹はまじめに修行をしているから騒がないな。鬼は閻魔大王が造ったものだから騒ぐことはない。たまに不出来なものがあるけどね。騒ぐのは、牛頭や馬頭に自信がないからなのだ。負の塊と言えど、元は死者なのだ。冷静に対処すれば恐れることはない。』
確かに、正論である。しかし、牛頭や馬頭はどう思うだろう。そんなことを言ったって〜、と思うのではないか。正論も、正しいのではあるが受け入れがたい場合もあるのだ。
『汝も・・・若いな。そんなことを言っていても現実は変わらぬ。愚痴や文句を言っても、変らぬものは変わらぬのだ。変わらぬ現実ならば、自分が変るしかなかろう。牛頭や馬頭は、自分が脱走霊を恐れるのなら、恐れなきよう日ごろから鍛えておけばよいのである。愚痴を言っても、騒いでも始まらぬであろう。』
『確かにそうなんですが・・・。』
『頭ではわかるが感情的に受け入れがたい、か?。そういうことだから、進歩がないのだよ、人間は。』
『はぁ・・・・まあ、確かに・・・・。』
その通りなのだ。愚痴を言っても始まらないことは多い。ならば、自分が変るしかないのだ。現実世界のサラリーマンもOLも、会社帰りに愚痴の一杯、鬱憤晴らしの宴会、などというものをやっているが、実際には何も変らないのだ。単なるガス抜きにしか過ぎない。それでも無いよりはましなのだが。
『ストレスの解消、そう思って割り切っているならばいいのだが、何度言っても同じことを繰り返したり、同じ愚痴ばかり言っていたりじゃあ、進歩が無かろう。聞かされるほうも嫌になるであろう。それと同じなのだ。同じ過ちを繰り返す、同じ愚痴ばかりを繰り返す、同じ失敗ばかり繰り返していては、周りも閉口するであろう。牛頭たちも同じだ。何度も騒ぐな、ことが起きてから・・・つまりは依頼があってから・・・動けばいいのだ、と言ってある。なのに、あの者たちは脱走者が出たといえば走り出し、どんなものが戻ってこないのか、どういう状況にあるのか探ろうとする。依頼も無いのに現実世界にいけるわけが無いのにもかかわらず、だ。』
牛頭たちが「脱走者が出た」と走り出したのは、その脱走者・・・戻ってこない死者の霊・・・がなぜ戻ってこないのか、どういう状況なのか、それを知るために走り出したのである。脱走者の情報が欲しいのであろう。
『それは無理なのだ。現世からの依頼も無いのに、現実世界に残ってしまった霊をこちらに勝手に引き戻すわけには行かない。誰が帰ってこないかはわかるが、どのような状況で現世に残ったのか、今現在どういう状況にあるのか、ということも知ることはできない。依頼が無い以上、我々は手を出せないし、出してはいけないのである。勝手な行動はできないのだ。そんなことは、牛頭たちも百も承知である。が、身体が反応してしまうのだろう。本能かな・・・・。何度言っても同じ過ちを繰り返すというのは・・・、ため息が出るものだ。牛は牛だな・・・。』
「これ、そう責めるでない。」
そのときである、りんとした声・・・しかもとてもさわやかな声だった・・・が響いてきたのであった。一瞬で、宋帝王の顔が凍ったようになってしまったのだった・・・。


「牛頭や馬頭は、悟りを得ているわけではない。ここで汝ら裁判官の指示に従って動いているだけなのだ。彼らのことをとやかく言うならば、それは汝らの教育が悪いと言うことになってしまう。自分で自分の管理不足を露呈しているようなものではないか。部下を責めるは、己を責めると知りなさい。」
さわやかな声ではあるが、張り詰めた緊張感のある声だった。否、声そのものではなく声の持つ響きがそう感じさせているのかもしれない。
「は、はい・・・・。申し訳ございません。ついつい、この者に愚痴ってしまいました。以後気をつけます。」
宋帝王は、額に汗をたらしながら平身低頭していた。その姿は滑稽である。先ほどまでの毅然とした態度はどこへやら、だ。いくら威張っても、いくらそれらしいことを言っても、上から注意されれば皆同じなのだ。
「その通りだ、釈聞新。どんなに威厳を保っている姿を見せようが、どんなに立派な肩書きがあろうが、どんなに社会的地位があろうが、上には上がいるものなのだ。下は上に注意され、その上のものはさらに上のものに注意されるものなのだよ。うっとうしいと思うかも知れぬが・・・・。しかし、そうでなくてはならぬのだ。自分よりも上のものがいなくなる、ということは大きな損失なのだよ。これ以上、上のものがいない、自分を注意してくれる者がいない、誰も自分に小言を言わない、そうなったら生あるものは成長を止めてしまうのだ。向上することは無くなる。なれば、後は転落するのみであろう。
人は弱いものだ。誰かが注意してくれなければ、誰かが小言を言ってくれなければ、堕落してしまうものなのだよ。否、人だけではないな、神を含め、六道に輪廻するものは、弱い存在だな・・・・。
そのことを忘れるではない、宋帝王よ。」
最後の言葉は、厳しくその場に響いていた。
なるほど、人は弱いものである。しかし、神と呼ばれる存在も結構弱いものなのだ、とそのとき初めて俺は知った。そういえば、ここの今までの裁判官は、後ろに控える仏様や菩薩様、明王様の顔色を伺っているようにも思える。実際のところ、かなり気にしているのだろう。言い過ぎないよう、厳しすぎないよう、かといって甘すぎないよう、相当神経を使っているのであろう。会社で言えば、中間管理職である。意外と、辛いこともあるのだろう。ま、人間界の会社社長のように、理不尽なことや自分の機嫌のいい悪いで部下に当たるような、そういうくだらない上司がいないと言うことは幸いであるのだが・・・・。人間界の上司や社長は、個人の感情を抑えられるようなことは難しいからねぇ。それに利益を上げることを優先してるからねぇ。基本的にこことは違うから、ここはいくら中間管理職といってもそれほど厳しくは無い。その点、ありがたいことで・・・・。
『いやいや、そうでもないのだ。神経はかなり使うのだよ。まあねぇ、人間界ほどじゃないかも知れぬがな。基本的に中間管理職は、つらい位置なのだよ・・・・。』
宋帝王が心の中にささやきかけてきた。大きなため息とともに・・・・。
『まあ、それはよいとして、そういうことで脱走者の話は終わっていいな。騒いでいるのは牛頭や馬頭だけ、ということだ。』
『はい、理解しました。』
『他にはあるか?。なければ、時間を進めるが・・・。』
『あの、質問ではないのですが・・・・。』
『何だ、言いなさい。だいたいわかってはいるがな。』
『はい、この後の方の次の方の裁判を傍聴できませんか?。』
『やはりそれか・・・。』
俺は、あの浮気女の裁判をぜひ聞いてみたかったのだ。あの大猫や巨大な蛇がどう反応するのか、興味があったのである。いやいや、正直なところ、興味ではなく・・・気になっていたのだ。そんな感情を持っているのは、死人では俺だけであろう・・・。
『ふむ、まあよいであろう。一応、文殊菩薩様の許可を得ないといけないがな。ちょっと待ってなさい。』
そういうと宋帝王は、目を閉じてしまった。まるで眠っているかのようである。
『文殊菩薩様の許可は出た。次の次の女性の裁判を傍聴してもよい。ただし、現世に戻れる時間は短くなるがよいな。』
『はい、もちろんです。それはわかっています。』
『よし、では、次の裁判のときはどうするか。』
『かまわないのでしたら、次の方の裁判も聞いてみようかと・・・・。』
『ふむ、そうか。まあ、たいした内容にならないだろうが、よいだろう。そうだな、では、その横に潜んでいなさい。』
宋帝王が指し示したほうには、衝立のようなものが立っていた。あんなもの、さっきまであっただろうか?。そう思って、その衝立を眺めていると
『神通力で出したのだ。サービスだよ。』
宋帝王は、ニヤッとしたのだった。そして、
「釈聞新、次へ進め。連れて行きなさい。」
と言ったのである。時間が動き出したのだ。

俺はいったん馬頭に両方から抱えられ、裁判所の外に出された。
「あの、ここからどうやって中に入ればいいのですか?。あの衝立の後ろに行くにはどうすれば?。」
俺の質問に馬頭は
「我々は知らない。ここで待っていればよい、と宋帝王はおっしゃっていた。だから、待っていればいいんじゃないのぅ。そういうことで・・・・。」
と言って裁判所の中に戻ってしまったのだった。仕方がなく、俺はその場でたたずんでいた。
裁判所の出口が後ろにある。強欲爺さんもここから外に出されたのだ。あの覗き見教師も・・・・。今頃は、それぞれ現世に戻っているのだろう。二人とも、彼らなりに嫌なものを見ているのかもしれない。覗き見教師にいたっては、地獄の苦しみなのかもしれない。まあ、それも自分でまいた種、身から出た錆なのだが・・・。
裁判所の出口からの眺めはなかなかに落ち着いたものだった。出口横の縁側のように突き出たところに座ってみた。目の前にあるのは、庭園である。
枯山水・・・・。都会じゃあ滅多に見られない庭である。京都にでも行かないと出会うことは無いであろう庭である。鎌倉あたりにはあったかも知れぬが・・・。
落ち着く。妙に落ち着く。そういえば禅寺の庭も妙に落ち着く庭であった。眺めていれば、時間が過ぎるのを忘れられた。ここも同じだ。じ〜っと眺めているだけで、否、ぼんやり眺めていてもいい、心の中にある煩わしいことすべてが消えていくようである。実際には消えてはいないのだが・・・。でも、忘れられるのだ。いろいろなことが。このままここにいるのも幸せなのかもしれない・・・。
「飽きるかな。きっと飽きるだろうな。ちょっと眺めているだけだからいいんだろうな。京都でもそうだった。これなら何日でもいられるぞ、と庭を見て思ったけど、結局は立ち上がったもんなぁ・・・・。所詮、世の中のしがらみからは抜けられないし、しがらみを捨てるような決意もつかないものなんだな。捨てられないのだ、人間は・・・・。」
なぜか急にしんみりしてしまった。なぜか急に家が恋しくなってしまった。
「あぁ、いかんいかん。そんなことよりも仕事仕事。ふぅ〜、まだかな。」
と声に出していった瞬間であった。俺は、裁判所の中、暗い衝立の後ろに立っていたのだった。
「うわっ、いきなりかい。」
と言ってしまってから、あわてて口を押さえた。
『大丈夫だ。聞こえてはいない。どうだ、現世が恋しくなったか。家はいいものだ。そうじゃないか?。』
『わ、わざとですか?。わざと庭を眺めさせたのですか?。』
『そうだ。汝の心があらぬ方向に傾きかけていたのでな。修正しておいたのだ。』
浮気女のことであろう。宋帝王はお見通しなのだ。
今の俺は、超えがたい距離を隔てた単身赴任のようなものなのかもしれない。帰りたいと思えば帰ることはできるのだが、抱きしめることはできないし、ましてや会話を交わすこともできない。ところが、こちらでは一方的ではあるが会話をすることができる。遠くの会話もできない妻よりも、手近な魅力ある会話のできる女性に心が動くのは・・・・・いけないことだが・・・・よくあることなのではないか。あぁ、これも所詮いいわけである。言い訳に過ぎないのだ。
『そうだ。心が傾きかけている事実は変らない。それは、あまり感心できることではないな。汝は取材者、すなわちこちらの世界の観察者でもある。個人的感情は排除したほうがよいのではないかな。』
まさしくその通りである。俺は、気合を入れなおした。
『おっしゃる通りで。気をつけます。』
肉体があるならば、両手で自分の両頬を叩いていたところである。迷いを吹っ切るために。俺は、気持ちの中でそれと同じようにしてみた。
『もう大丈夫です。始めてください。』
『よし、では次の者の裁判を始めよう。』

「次、通普信士、前へ。そこの二人、ずれろ。」
ごくごく普通の、どこにでもいるオジサン・・・おじいさんに近いような・・・が宋帝王の前に進んだ。浮気女と傲慢そうなババアが横にずれた。そして
「衆参院空虚威厳大居士、中に入れ。一番左に座れ。」
そう呼ばれて入ってきたのは、小ずるそうな・・・その顔には見覚えがあった。何かと物議をかもした政治家である。俺の何日かあと、いや何時間かあと、何分かもしれない・・・に亡くなっていたのだ。
「あのイヤミなジーサン、死んだのか・・・。じゃあ、俺の葬式と重なったのかな?。ということは、会社の連中、忙しかっただろうな。俺の葬式と掛け持ちだったかもしれないな。俺の葬式ってどうだったかな、誰が来てたっけ・・・・。」
そんなことを考えているうちにも裁判は始まっていた。いつもの決まり文句・・・自分の名前の紹介など・・・を一通り宋帝王は言い終えていた。
「ここでは邪淫の罪について問う。邪淫とは、どういうことかわかるかね?。」
いつもの質問だ。極普通のオジサンは
「はい、邪淫とは・・・・性的に淫らなことをする・・・、浮気をしたり、変態なことをしたりすることじゃないかと思います。」
「ふむ、よろしい。では、汝に邪淫の罪はあるか否か。」
「はぁ・・・・。あると言えばあるし、ないと言えばない、ですかねぇ・・・。どの程度を邪淫と言えばいいのか・・・。私は、極普通に女性が好きだと思います。ですから・・・。」
「だから、なんだ?。」
「はぁ、その・・・女房以外の女性と関係をまったくもっていなかったか、と問われれば、それなりに関係を持ったことはありますので・・・・。」
「邪淫の罪はあると?。」
「えぇ・・・。その、浮気じゃないですよ。浮気は・・・、したかったのですが、その度胸もなくて・・・。ですので、その・・・風俗とか、出張のときなどに・・・。」
「女性を買った・・・ということかな。」
「はい、そうです。」
「よし、わかった。他にはないか?。邪淫の罪は他にないか?。」
「はい、ありません。浮気はしたことはありません。女房以外の女性との関係は、風俗や売春だけです。」
「そうか、では、調べるとしよう。よし、行け!。」
いつものように宋帝王は、あの大猫に指示を出した。大猫は、オジサンを睨みつけながらゆっくりと近づいていった。思わず、オジサンはのけぞったが、もちろん立ち上がることも逃げることもできない。
大猫は、オジサンの周りを一周した。そして・・・・。
「にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜。」
と鳴いた。レベル3である。意外にこのオジサン、遊んでいたようだ。
「汝、出張のたびに遊んでいたな。一度や二度の風俗遊びなら、レベル3にはならぬからな。ふむ、これでは厳罰だな・・・。」
「えぇ、そ、そんな・・・。相手は、素人さんじゃないです。玄人さんです。そういう仕事をしている人ですよ。それでも厳罰ですか?。」
「仕方がなかろう、邪淫の罪があるのだから。反省している様子も見られぬし・・・。」
「いや、反省というか、その出張で、みんなが行くと言うので、付き合い上断れないし、仕方がなく・・・。海外出張が多かったもので・・・。」
「嫌々行ったと言うのか?。断りきれなかったと?。」
「いや、その、嫌々という訳ではないかも知れないですが・・・。決して自分から喜んで行ったわけではないですし・・・。」
「だから罪がない、というのか?。邪淫の罪にならないと?。」
「いえいえ、もし、それが邪淫の罪になると言うのなら、その知らずにしたことで・・・、あ、あ、今、あの、わかったので、あの反省してます。はい、女房には悪いことをしました。風俗へ行ったお金でお土産でも買って帰ればよかった。」
極普通に見えたオジサンは、シドロモドロだった。いや、これが日本の極普通のサラリーマンの姿なのかもしれない。おそらくは、東南アジアや韓国・中国への出張が多かったのだろう。そういうところへ出張に行けば、女性を買うこともあり得ることだ。旅の恥は掻き捨て、だから。
「本当に反省しているか?。」
「はい、反省しています。ですので、厳罰だけは・・・。あの、厳罰って地獄行きですよね?。」
「さぁ、それはわからぬ。しかし、本当に反省している、と言うのなら許されることもあろう。罰が軽減されることもある。」
「はい、本当に反省しています。」
「そうか、よし、では確かめよう。さぁ、行け!。」
宋帝王の指示で、あの巨大蛇が動き始めた。ちょろちょろ舌を出しながら、大蛇はオジサンに近づいていった。
「うわっ、うわっ、た、助けてください。ヘ、ヘビ、ヘビ・・・。うわっ、巻きつく、巻きつく、た、助けて助けて!、ぎゃぁぁぁぁ〜。」
オジサンは、すごい形相で叫んでいた。みんな、こういう目にあっているのだ。これが一般的なここでの裁判の状況なのだろう。
「反省しているか?。」
「は、はい、反省しています!。」
「もう邪淫の罪は犯さないか?。」
「犯しません!。許してください!。」
「他に告白するような邪淫の罪はないか?。」
「しゅ、出張では進んで女性を・・・買いに行きました。嫌々ではありません!。」
「ウソをついていたのか?。」
「は、はい、すみません。許してください!。」
「他に言いたいことは?。」
「か、会社のOLに、こ、好意を持ってましたが、相手にされませんでした!。」
もう泣き叫びである。
「メールを送ったり、しょ、食事に誘ったりしましたが、あ、相手にされませんでした!。だ、だから、風俗に行きました!。ごめんなさい、許してください!。おかぁちゃ〜ん、ゴメ〜ン。うわぁぁぁ〜!!!。」
「よし、わかった。下がれ。」
宋帝王の指示で、大蛇が元の場所に戻った。オジサンの様子はすっかり変っていた。ぐったりして、今にも倒れそうだったのだ。
「惨めなものだな。本当に反省しているか?。」
「は、はい・・・・。反省しています。」
声のトーンがすっかり下がっている。そりゃ、あんな目にあったのだ、テンションが下がって当たり前である。
「そうか、ならば、現世に戻って汝の妻に謝ってくるのだ。深く深く謝ってきなさい。そんな汝のために、汝の女房は三七日の供養も行っている。その妻の善行に免じて、次へ進むことを許そう。さぁ、連れて行け。」
馬頭が両脇からオジサンを抱えた。オジサン、すっかり腑抜けてしまっていた。よほど蛇が嫌いなのか。ぐったりと肩を落としたまま、馬頭に抱えられて外へ出て行ったのだった。
『これが一般的な男性、ちょっと女遊びが好きな男性の、一般的な裁判の様子だ。』
『はい、よくわかります。』
『さて、次はいよいよお待ちかねの裁判だな。よく見ておきなさい。』
宋帝王はそういうと、俺のほうを見て、ニヤッとしたのだった。俺は、にわかに緊張し始めていた・・・・。


「次、釈妙艶信女、前へ。そこの二人ずれろ。」
いつものように馬頭の声が響いた。
「御宅新徒信士、中に入れ、一番左に座れ。」
そう呼ばれて入ってきたのは・・・いわゆるオタクの青年だった。見るからにオタクであった。さすがに、リュックは背負ってはいないが、あのオドオドした表情、うつろな目、うつむき加減の顔・・・きっとオタクだ、いや絶対オタクだ。オタクに違いないだろう。まあ、そんなことはどうでもいいのだが。
さて、いよいよあの浮気女だ。俺は、ドキドキしてきた・・・ような感じがした。もちろん、心臓もないのだし、死人なんだから、ドキドキすることはないのだが、そんなような気がしてきたのだ。宋帝王が型通りの自己紹介をした。
「さて、釈妙艶信女、汝の裁判を始めよう。裁判官である私の名は、宋帝王である。この裁判を見守ってくださるのは、文殊菩薩様である。」
浮気女は、うつむき加減で暗い眼をしていた。あたりには、宋帝王の声だけが冷たく響いていた。
「ここでは、邪淫の罪について問う。邪淫とは、どういうことかわかるかね?。」
「・・・・・・。」
「なんと言ったのだ。もっと大きな声で言いなさい。」
浮気女は下を向いたまま、ボソボソとしゃべったのだった。
「はぁ〜・・・・。」
大きくため息をつくと、彼女は宋帝王のほうに顔を向け
「邪淫とは、私のことです。」
と叫んだ。
「ほう、汝自身が邪淫だと、そういうのか?。」
「はい。私は邪淫そのものです。今までここで、3人の人の裁判を見ました。邪淫の罪の重さは、わかりました。もう、覚悟はできています。地獄へ送ってください。どう言い訳しても、私のやったことは許されません。」
意外であった。口調も違っている。泣いて言い訳をするのだと思っていたが、しっかりと自分の意見を言っている。しかも、地獄へ行くという・・・、覚悟ができたという。どういうことなのだろうか。いったい彼女に何があったのだろうか・・・・。
「ほう、地獄へ行く覚悟があると・・・。汝、いったい何をした?。なぜ、地獄を望むのだ?。」
「ここでそれを言わなければいけませんか?。裁判官さんは、わかっているのでしょう?、何もかもお見通しなのでしょう?。」
「ふむ、もちろん私はわかってはいる。しかし・・・そうだな、言いたくないのならそれでもかまわんが・・・、どうしたものか・・・。」
宋帝王は困っていた。しかし、何を困っているのだろうか・・・。それはいつもの宋帝王らしくなかった。
ここで、自分の罪を告白させるのは、本当に反省しているかどうかを見極めるためであろう。地獄行きでもいい、覚悟はできている、といいつつ、大蛇にまかれたら「助けてくれ」と叫んだ、あの覗き見教師の例もある。また、全部白状したといいながら、隠し事をしていた普通のサラリーマンだったおじさんもいた。ならば、いつものように猫に邪淫の罪のレベルを確かめさせ、大蛇に彼女の覚悟が本物かどうか試させればよいはずである。が、宋帝王は躊躇しているかのようであった。
「どうしても何をしたか、いいたくはないかね?。」
「言いたくはないです。言い訳もしたくありません。ただ・・・、私は罪深い女です。言えることは・・・、私は主人のことも周囲の人の気持ちも迷惑も何も考えず、自分の欲望のままに乱れた生活をしていた、ということだけです。それは、地獄行きに値するほど深い罪だと思っています。だから・・・・今、ここで、私を地獄に送ってください。ここで裁判を受けたり、現世に戻ったり、こっちの世界をフラフラしたりするのは・・・・、もう耐えられないんです。どうか、どうか私を今すぐ地獄へ・・・・落としてください!。」
そう叫ぶと、彼女は泣き崩れていた。なるほど、彼女は彼女なりに、前の人の裁判を見て、さらには現世に戻ったときに見た自分の旦那の姿を思い出し、じっくり考えたのだ。自分の犯してきた罪の深さを知ったのだ。やってはいけないこと、をはっきり理解したのである。
「汝の気持ちに偽りはないな?。本当にこの場で地獄に落ちてもよいのだな?。」
「はい・・・。覚悟はできています・・・。」
「しかしなぁ・・・。汝の主人は、それを望んでおらぬようだが、それでもよいのか?。」
宋帝王は、変なことを言った。彼女の旦那が、彼女が地獄へ行くことは望んでいない?。それはどういうことなのだ。なぜそんなことがわかるのだ?。
「ど、どういうことですか、それはいったい・・・、どういう意味ですか?。」
「どういうことも、どういう意味もない。そのままだ。汝の主人、生きているときの汝の夫は、汝が地獄へ落ちてしまうのではないか、と心配しているのだ。できれば、そんなことにはならぬように、と願っているようだが・・・。それでも、汝は地獄へ行くか?。」
あきらかに彼女はうろたえ始めた。目が泳いでいる。かなり動揺しているようだ。それもそうである。自分が裏切り続けてきた旦那である。その旦那が、彼女が地獄に落ちないようにと願っていると聞かされれば、彼女の心も動くのは当然である。彼女は、明らかに迷い始めていた。
「そ、それは・・・。なぜ、どうして、なんで私なんかのことを・・・。」
「知りたいか、なぜ汝の夫が、汝のことを心配しているか、知りたいかね?。」
彼女は、何度も首を縦に振りうなずいていた。
「知りたいです。どうして、そんな・・・。それに・・・どうして裁判官様はそのことがわかるのですか?。」
「ふむ、ちゃんと三七日の供養が届いているからだ。供養の際、施主の気持ちはこちらに伝わるからな。嫌々法要をしていればその気持ちが、嘆き悲しんでいればその気持ちが、天国へ行ってくれと願っていればその気持ちが伝わるのだ。まあ、あいにく天国はないのだけどね。しかし、いいところへ生まれ変わってくれという気持ちは伝わってくるのだ。汝は、真剣に地獄へ行くつもりだったようだ。決心は固かったのであろう。」
「はい、そのつもりでした。覚悟はできていました。」
「いくら、大蛇に絡まれようとも、汝は地獄送ってくれ、と一点張りであったろう。ところが、汝の夫はそんなことは望んでいないのだ。ならば、今ここで地獄へ送るのはどうか、そう思ったのだよ。私が汝を地獄へ落とすことは簡単である。しかし、汝の夫は汝を怨んでいるわけではない。そのことを汝が知らずして、汝を地獄へ送ることは私にはできないことだ。だから、あえて汝に教えたのである。」
「し、知らなかった・・・・。主人が、あの人が、私を怨んでいないなんて・・・。あぁ、でも、現世に戻ったとき、あの人は、私に怒っていました。確かに怒っていました。それでも、怨んでないと・・・・。」
「あぁ、怨んではいない。汝は、夫の内面まで気づいていないのであろう。地獄へ行くかどうかは、そこのところを見てからでも遅くはないのではないか。尤も、かえってつらくなるかも知れぬが・・・。」
「うそっ・・・やっぱり信じられないです。何かの間違いじゃないでしょうか?。主人が・・・あの人が私にそんな感情を持つとは、とても思えません。」
「そうは言っても、現に『いいところへ生まれ変わってくれ』、と汝の夫が望んでいるのだよ。『自分が悪かったんだ』とね、そういっている。」
「うそっうそっ!、そんなことはない!・・・はずです。あの人が、そんなこと・・・・。」
「ふむ、ならば、自分の目で確かめてくるほうがいいのではないかな。私はうそは言わない。裁判官である私はうそは言ってはならぬからな。その私のことが信じられぬ、というのなら、現世に戻って確かめてくればいいであろう。となると、ここで地獄へ行くわけにはいかないがな。」
宋帝王は、浮気女の顔をまっすぐ見ていった。さてどうするのだろうか。宋帝王にここまで言われてもなお、地獄行きを望むのか、それとも・・・。おそらく彼女は迷っているに違いない。明らかに動揺していたからだ。
「さて、どうするかね?。そうそう、地獄行きを撤回しても、汝の罪を告白する必要はない。明白にわかっているからね、こちらも汝もね。ただ、裁判を受けるか受けないか、それだけを言えばよろしい。」
「・・・少し、少し考えさせてください。」
そういうと、彼女は下を向き、左手を頬に当て考え始めたのだった。

ふっと、彼女が顔を上げた。
「裁判を受けます。申し訳ございません、地獄行きは撤回します。」
現世に戻ることを彼女は選んだのだ。
「わかった。では、行け。」
宋帝王は左手を上げ、大猫に罪の深さを調べるように指示した。猫は、彼女の周りをニヤニヤした顔をして周った。時折、舌をペロペロと出しながら・・・。やがて、
「にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜」
と大きな声で鳴いた。その泣き声は、なんだか艶かしかった。レベル4だ。が、最後に小さく、
「にゃあ〜ん、ぬふっ」
と付け加えた。なんなんだろう、その「ぬふっ」という鼻息は・・・。
「ふむ、レベル4.5だな。しかも、色欲が相当に強い。抱かれること自体が好きだったのだな。」
宋帝王の冷たい声が響いた。しかし、いつものようにレベルだけを言わずに、色欲の強さにまで言及したのは初めて聞いた。それが、最後の「ぬふっ」の意味なのだろうか。おそらく、そうなのであろう。浮気女は、宋帝王の言葉を素直に認めた。
「はい、その通りです。男に抱かれている瞬間は幸せでした。それ以外に私の生きる場所はありませんでした。」
「ふむ、わかっている。それ以上はよい。では、汝の覚悟を見させてもらおうか。それ、行け!。」
今度は、大蛇である。さて、地獄行きを撤回し、現世に戻ることに決めた彼女はどんな反応をするのだろうか。きっと、泣き叫ぶのだろう、助けてくれ、と・・・。
いつものように大蛇は、赤い舌をちょろちょろ出し、彼女に近づいていった。彼女は、目を閉じた。大蛇はそんな彼女にゆっくりとまきついた。一周、二周。三周・・・。
彼女は、耐えていた。何も言わず、目を閉じたまま、じ〜っとしていた。耐えていたわけでもないのかもしれない。それが自分に与えられた罰でもあるかのような、そんな雰囲気を漂わせていた。
「ふむ、汝が地獄へ行きたい、覚悟はある、というのは本当の気持ちだったようだな。よし、戻れ。」
そうはいっても、彼女から大蛇が離れると、さすがに彼女はホッとした顔をしたのだった。当然といえば当然だが・・・。
「しかし、汝、前の裁判と随分変わったな。かなりの心境の変化だが、それはなぜそうなったのだ。参考までに聞かせてくれぬか?。」
宋帝王の問いかけに、浮気女はちょっと戸惑いを見せた。頭をかしげて、どうしようか迷っているようだった。だが、急に姿勢を正したかと思うと、話し始めたのだった。
「そう・・・・ですね。たぶん、現世に戻って主人や関係のあった男の人たちを見て・・・だと思います。それと、私の前の人たちの裁判を見ていて、気が付きました。結局、私の居場所はどこにもなかったんだってことに・・・。どこにも居場所なんてない・・・。私がバカだったんだって・・・。
今、振り返ってみれば、私はただただ男に媚びて、満たされない心を満たそうとしていただけだったのでしょう。でも、誰も満たしてはくれなかった・・・。だから、失望し、何度も相手を変えました。今度こそ、今度の相手こそわかってくれる、と期待して・・・・。でも、どいつもこいつも同じだった。そのうちにただ抱かれていることだけが幸せになっていったのです。心の空虚を身体で、快感で満たそうとしていたんですね。浮気のスリルを楽しんでいたんです。相手の男の家庭がもめるのも快感でした。
そのときは満たされたような気分になりました。幸せな気分になったんです。でも、すぐに不安になるんです。一人の相手が消えると、すぐに不安になるんです。虚しくなるんです、寂しくなるんです。どこにいればいいのか、私はどうすればいいのか・・・と。
結局、同じことの繰り返しでした。妻子ある男に近づき、抱かれ、家庭を壊し・・・。そして虚しくなる。バカみたいですね、私って・・・。でも、現世で生きているときは、そうしなければ生きていけなかったんです。
生きているときには、そんなことは考えてはいませんでしたけど・・・・。気付いたのは、ここに来てからなんですけどね。
だから、こっちの世界に来た当初は、何もわかりませんでした。私のどこが悪いのか・・・。自分の気持ちに気づいていなかった・・・いいえ、自分の心を見ようとはしなかった。だから、前の裁判では、よくわからなかったんです。確かに盗みました。でも、どうしてそれがいけないのか、自分の思うようにしてなぜいけないのか。私の誘惑に引っかかる男が悪いんじゃないか、お互い納得の上でしたことじゃないか、それのどこが悪いのか・・・・。
男たちだって、私に愛をささやいたし、好き勝手したじゃないか、妻子がありながら。でも、なんで私ばかりが責められるの?。なんで私だけにバチが当たるの?。そんなの不公平だ、そう思ってました。あいつらだって、浮気をしたじゃないか、家庭が壊れたって仕方がないじゃないか、自分で撒いた種じゃないか。なのになんで私だけがこうなるのよ。そう思ってました。
あたし、ホント、バッカみたい。結局、なにもかも自分で撒いた種なんですね。あいつらも、主人も、私もみんな一緒。中身のない愛の言葉に酔い、ただ肉体を貪っていただけ。それで満たされると錯覚していただけ。何も残らない、虚しいだけ・・・・。ホント、バカみたい。ううん、バカだわ。バカなのよ。
やっと、ここに来て、そのことがわかりました。だから、覚悟を決めたんです。私の居場所は地獄しかない、って。
せっかく、今度こそ、自分の居場所を見つけたと思ったのに・・・・。なんで、私の決心を乱すのですか、裁判官様は・・・・。主人が、私を怨んでいない?。私がいいところへ生まれ変わることを願ってる?。・・・・そんなバカな・・・。そんなこと・・・ありえない。どれだけ、あの人を裏切ったことか・・・。それでも・・・。」
「それでも、汝の夫は汝を怨んではいないのだ。現世に戻ってもう一度、よくみてくるといい。」
「もし、もし、主人が私を怨んでいるようでしたら、そのときは・・・。」
浮気女は、涙で濡れた目で宋帝王を睨んだ。
「私も汝と共に、地獄へ落ちよう。」
宋帝王が、優しく言ったのだった。そして、
「よし、連れて行け。」
といった。その声は、いつもの宋帝王の冷たく響く声だった。

つづく。



バックナンバー(十六、83話〜)


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