バックナンバー(十七) 第八十八話〜第九十一話
『おや、お坊様・・・。私に何の御用でしょうか?。』 老婆は、すっかり元気を取り戻している。 「あの世に行く時が来たんですよ。私が案内します。」 『あの世・・・・。私は・・・やっぱり死んでいるんですねぇ・・・・。お坊様は生きている。うっすらしていませんから。おや、あなたは・・・・うっすらしているから亡くなった方ですね。』 老婆は、俺のことをすっかり忘れているようだ。やはり、亡くなったとき、認知症があったのだろう。でなければ、さっきまであんなに騒いでいたことを忘れるはずはないだろう。 『おばあさん、私も死人ですよ。あなたと同じです。先ほどまで、あなたとお話していたこと、覚えていませんか?。』 俺は聞いてみた。 『先ほどまで、あなたとお話していた・・・?。そうでしたかしら・・・。』 「おい、うるさい、黙ってろ。邪魔をするな。」 老婆が言うのと、先輩が俺のほう見て睨んだのとほぼ同じだった。そして、 「よし、準備ができた。さて、婆さん、納まるべきところへ納まりなさい。」 と一言いうと、お祓いなのであろう、儀式めいたことを始めたのである。 『あら、なんだか煙たいような・・・。あぁ、なんだか気分がいいような・・・。』 老婆はそういうと、眠ってしまったようになった。先輩がお経のような呪文のようなものを唱えている。老婆や俺、そして先輩の周りが温かい空気のようなもので包まれているような感じがしてきた。妙に心地よい。いい気分なのだ。 (お前、俺の後ろに下がってろ。じゃないと、一緒にあの世に戻されるぞ。) 『え?、なんですかぁ・・・・。あぁ、ここにいてはまずいんれすねぇ。はぁ・・・、わかりまひた。でも、先輩、お経を読みなはら、よくほんなことを伝えられまふねぇ・・・。』 なんだか、酔っぱらったような気分であった。ともかく心地よい。しかし、どうやらこの気持ちのよい中にいては、いけないらしい。俺は仕方がなく、温かい空気の中から外へ出た。 とたんに頭がすっきりしてきた。あれは、何だったのだろうか?。催眠術にかかると、あぁなるんじゃないか、と思える。ものすごく気持ちがよく、酔っぱらったような気分になり、さらには眠たくなるのだ。麻酔のようなものなのか・・・・。きっと、霊を麻酔にかけるようなことをしたのではないだろうか・・・。 外から見ていると、老婆と先輩は、薄いオレンジ色のような、ピンク色のような、いやいや白色のような・・・あぁ、青色も含まれている・・・そんないろいろな色がまざった雲のようなものに包まれていた。きっと、あの雲に包まれると、麻酔にかかるのだ。どうやら、それは霊だけに影響するようである。先輩には何の影響もないのだ。 先輩はお経のようなもの・・・お経なんだろう・・・を読んでいる。おや、言葉が変わった。あぁ、真言だ。真言を唱えているのだ。そんな時だった。先輩の心の声が俺に届いた。 (さて、婆さん、いよいよこの世と別れる時が来た。あんたが会いたがっていた大作さんは、もうこの世にはいない。この世で会おうとしても無理だ。あの世に行って、会えることを望むんだな。さあ、牛頭・馬頭さん。この者を閻魔大王のもとへ導いてくださいな。) 真言を唱えながら、心の中ではそんなことを思っていたのだ。なるほど・・・、と俺は妙に納得した。お祓いとは、こういうものなのか、と。 老婆の後ろからまばゆい光が差してきた。その光は、丸く輝き、どんどん大きくなっていった。すると・・・。 『あぁ、ばあさんが・・・。』 老婆が光に包み込まれれた。そして、次の瞬間、その光が輝きを強烈に増したのだった!。 その強烈な光は、すぐにおさまった。今は、光のかけらすらない。そこには、先輩が立っているだけだった。 『あ、ばあさんがいない・・・。消えてしまった・・・。』 「あの世に送ったんだ。もうここにはいないし、ここに戻ることはない。終わったよ。」 先輩はそういうと、俺のほうを見て微笑んだ。ちょっと、哀しい微笑みだった・・・。 寺に戻ると、先輩はとたんに変化した。 「あぁ〜、疲れた。もう嫌になるねぇ、ただ働きは。はぁ〜、やれやれだ。うんざりだな、こんな仕事。あ〜、面倒くさい。片付けがまた面倒なんだ。まったく・・・・。」 さっきまでの凛々しい姿とは大違いである。あのお祓いをしていた時の姿はどこへいったのか。せっかく見直したのに、これじゃあ・・・。先輩は、ブツブツいいながら、本堂奥へと引っ込んでいった。 しばらくして、作務衣姿の先輩が本堂横の部屋に戻ってきた。手にはコーヒーが入ったカップがあった。 「中には入れ。ふすまを閉めるぞ。」 そういうと、先輩はテーブルの上にコーヒーカップを置き、俺が中に入るのを待って、ふすまを閉めきった。 「あぁ、やれやれだ。コーヒーでも飲んで休憩だ。うん、うまい。これで外からはみえないだろ。俺が一人でブツブツしゃべっていても、誰にも聞こえないわけだ。」 なるほど、霊が見えない人にとってみれば、俺と先輩の会話は、単に先輩の独り言にしか見えないのだ。もし、先輩のそんな姿を霊が見えない人が見たら、「和尚さんがおかしくなった」としか思わないだろう。それで、目隠しのためふすまを閉めきったのだろう。 「違うよ。俺が独り言を言っているのを見られても、俺は平気だ。霊としゃべっていた、といえばいいのだから。それよりも、霊が見えてしまう人がたまにいるんでな・・・。そういう人が突然来たら困るのはお前さんだろ。だから、ふすまを閉めたのだ。見られて困るのは、お前さんのほうだ。それに、お前さんが、他の霊を見つけるのもなんだからな。ここには、いろんな霊が住んでいるからね・・・・。まあ、いいから座れよ。たとえ霊といえども、突っ立っていられると、うっとしいからな。座れと言っても、肉体がないから感覚はないんだろうけどね。」 そういわれて、俺は、仕方がなく、先輩の前に座った。確かに、感覚はない。座っていても浮いているのだから仕方がない。椅子に触れているようで触れていないのだ。あやふやな存在である。 「なにか、相談事でもあるのか?。」 条件反射なのだろうか?。普段ならこの椅子は、相談する人が座る場所なのだろう。ここに誰かが座ると、先輩はすぐにこういうのだろうか?。俺は、笑いをこらえた。 「お前、失礼な霊だな。ここに来るということは、何か話しがあってきたのだろう。用がなければ来ないはずだ。俺は、何の用だ、と聞いているのだ。」 『そ、そういうことですか。失礼しました。とはいっても、用というほどの用はないんですが・・・。』 「じゃあ、何をしに来たんだ?。」 『はぁ・・・。暇ならここに行け、と例のあの声に言われまして・・・。』 「お前、三七日が終わったところだったな。まあな、この世とあの世と行き来できるからな、用がなくても、ここに来てもいいんだが。それにしても・・・普通は、家族の周りにいるとか、会社をのぞいてみるとか・・・、するんだけどねぇ。」 『家に女房がいなかったんで・・・。子供も学校ですし。』 「学校での子供たちの様子とか、見たくないのか?。」 思いもつかなかった。俺は、ちょっとショックだった。子供たちの学校での様子を見に行く・・・・。そんなことすら思いつかないとは。いかに俺が家庭となじんでいなかったかの証明である。 「ショックだったようだな。お前は家庭的ではなったからな。子供が学校でどんな様子なのか見に行こう、なんて思いもつかなかったんだろうな。父親失格だな。」 そうだ、確かに父親失格である。何も言い返すことはできなかった。 「まあな、最近の父親なんてそんなものかもな。団塊の世代以降、父親は働き、教育は母親、という役割分担ができてしまったからな。特に、仕事で忙しい父親は、子供のことまで気が回らないだろうな。まあいいや、折角ここに来たのだから、聞きたいことがあるのなら、さっさと聞くことだ。用がないなら消えてくれ。」 と急に言われても、俺はなにも思いつかなかった。何を聞くべきなのか、何を聞けばいいのか・・・・。 『あ、あぁ、そうそう、俺にあの世の取材をするよう命じた人ってご存知ですか?。』 俺が今、一番気になっているのはそのことである。 「お前にあの世の取材を命じた人?。そんなの知らないよ。そんな話、聞いたことがないからな。さっきのばあさんのことで、消えかけていた婆さんに霊的エネルギーを与えた人のことだろ?。知らないなぁ・・・・。まあ、それなりに、霊的レベルの高い人なんだろう。天部の神々に近い・・・・否、それ以上だな。菩薩に近い存在の人だろう。そんなことができるのはね。」 『そんな人、この世にいるんですか?。』 「いないよ。そんな人間はいない。生きている人ではね。」 『ということは、亡くなった方ですか?。』 「おそらくは、昔の高僧だろう。お大師様のお遣いかも知れんなぁ・・・。ま、そんなところだろう。そのうちにお前さんに正体を明かす時がくるだろう。それまで待てばいい。で、それだけか?。」 『あ、いや、それだけじゃ・・・・。あの、さっきの老婆はどうなるんですか?。というか、どこへ行ったんですか?。』 「あの世だよ。」 『それはわかっています。あの世のどこへ行ったんですか?。確か、あの世では、裁判に戻ってこない者がいる場合、結構慌てていたんですよね。牛頭とか馬頭が。脱走者が出た〜、とか叫んで・・・・。でも、その割には、こっちの世界まで、その脱走者を追いかけたりはしないんですよ。あの世で聞いたところによると、この世から依頼がなければ、裁判に戻ってこない霊を強制的に連れ戻すことはしない、とのことでした。依頼っていのは、さっきのようなお祓いのことですか?。』 「一度に二つのことを聞くな。・・・まず、ばあさんのことだな。あのばあさんは、あの世に行った。牛頭と馬頭がやってきて、あのばあさんを閻魔大王のもとへ連れて行ったんだ。あのばあさんは、亡くなってから随分と時がたっている。4年ほどかな?。だとすると、四十九日までの七回の裁判はもう終わっているわけだな。百か日も一周忌も終わってしまった。三回忌もだ。となると、次の年忌は七回忌だ。つまり、つぎの裁判は七回忌までないということになる。それでは、あのばあさんのような死者は困ってしまう。行き場がなく、宙ぶらりんだ。そこで、閻魔大王が救済処置をしてくれるんだな。」 『救済処置ですか?。えっと、確か、四十九日まで裁判が七回あり、七回目の裁判が終わったあと、生まれ変わる場所が決まるんでしたよね。確か、あのじいさんの話によると・・・、自分で扉を選ぶとか・・・。』 「よく知ってるじゃないか。」 『女房にくっついていた守護霊のじいさんに教えてもらいました。で、年忌は生まれ変わるチャンスの時だとも聞きました。』 「そうだ。年忌は、一度決まった生まれ変わり先を変更できる裁判を行うときなのだ。四十九日が終わって、その次の再審は百か日だな。次が一周忌。次が三回忌。その次は七回忌までない。なので、勝負は三回忌までだ。その年忌までにいいところへ生まれ変わらねば、次まで四年待たねばならない。」 『さっきのおばあさんは、その三回忌が終わってるんですよね。じゃあ、本来は七回忌まで裁判はないんですよね。なるほど、それで救済処置ですか。』 「そういうことだ。閻魔大王が直々に行き場所を決めてくれる。」 『あのおばあさんは、どこへ行ったんでしょうか?。』 「さぁなぁ・・・・。まあ、怨んでいたわけでもないし、この世のものに悪さをしたわけでもないからな。ただ、突っ立っていただけだから・・・・ま、そんなにひどい所へは行ってないだろ。」 『地獄とかではないのですね?。』 「それはないだろ。でも、天界もないな。」 『やっぱり・・・。じゃあ、人間界へ来るための待機所ですか?。』 「待機所?。・・・あぁ、お前さんの女房の守護霊はそういったんだな。なるほどな、待機所か・・・言い得て妙だが、まあ、あっているな。う〜ん、待機所とすれば、下のほうだな。」 『待機所にもランクがあるんですか?。』 「まあな。それは仕方がなかろう。阿修羅界へ落とすほど罪はないが、天界に近いかどうかと問われればちょっと遠い。かといって、人間界への待機所へみんな一緒に・・・というわけもいかないだろう。阿修羅会に近い人間もいれば、天界に近い人間もいる。住み分けはしないと混乱するからな。あの世は、合理的にできているんだよ。意外とね。」 『へぇ〜、そういうものですか・・・。そうかも知れませんねぇ。結構、システム化しているようなところ、ありますもんねぇ・・・。』 「そういうことだな。なので、あのばあさんは、待機所の下のレベルにいる、と思われる。」 『じゃあ、大作さんと会うことは?。』 「難しいだろうな・・・。大作さんが、上位の天界にいるか、それとも下位の天界でも神通力が強ければ、会うことは可能だろう。大作さん次第だな。」 となると、難しいかもしれない。あのばあさんがちょっとかわいそうな気もするが、仕方がないのだろう。 「仕方がないな。かわいそう・・・でもない。あのままなら、いずれ消えるか、もっと悪い霊に取り込まれるかしてしまうだろうからな。ああいう、中途半端な幽霊は、悪い霊に取り込まれやすいからな。」 『な、なんですか、その悪い霊っていうのは。で、取り込まれるって、どういうことですか?。』 俺がそう聞くと、先輩はしまったな、というような顔をした。 「余計なこと言うんじゃなかった。説明が面倒くさいからな。・・・あのね、この世にはね、いろいろな霊が残ってしまっているんだ。本来、あの世に行かなきゃいけないのに、あの世へ行くことを拒否したか、戻ってきたか、あの世へ送ることに坊さんが失敗したか、未練に縛られ動けなくなったか・・・など、いろいろな理由でこっちに残ってしまった霊がたくさんいるんだよ。で、中には、比較的安全な霊・・・さっきのばあさんみたいな・・・もいれば、極めて危険な霊体もいるんだな。いろいろな人間がいるのと同じだよ。」 『なるほど、いい霊も・・・いいていうか、無害の霊ですね・・・そういう霊もいれば、害をなす悪い霊もいるわけですね。』 「そういうことだ。でな、無害の霊は、悪い霊に取り込まれてしまうことがあるんだ。」 『取り込まれるって・・・。』 「そのまんまだよ。吸収されてしまうんだ。」 びっくりである。アメーバみたいな・・・。霊が霊を吸収するなんて・・・・。 「吸収するんだから仕方がないじゃないか。」 『吸収されるとどうなるんですか?。』 「悪い霊のエネルギーにされる。あのばあさん、運がよかったんだな、意外と。よくまあ、今まで吸収されずに済んだな。それなりに、ちゃんと供養はしていたんだろうな。おしいところだ、もう少し供養の力が強ければ、未練を断ち切らせることができたろうに・・・・。」 またまた、わけのわからないことを先輩はいいだした。これだ、いつもこのパターンだ。守護霊のじいさんの時もそうだ。次から次へと分からないことがポンポン飛び出してくる。で、俺の頭は混乱してくるのである。 『ちょっと待ってください。供養の力がもっとあれば、あのおばあさん、あそこに立っていることはなかったんですか?。』 「あぁ、なかったよ。もっと早くに・・・。いや、葬式のときに、しっかりけじめをつけてやっていれば、あの世に行っていたはずだ。たとえ、未練があって戻ってきても、しっかり供養をしてあげれば・・・いやいや、坊さんの力量にもよるからな・・・、力量のある坊さんや供養の力が強い坊さんならば、こんなに長い年数、あそこに立っていることはなかっただろう。おしいところだ。悪い霊からは守られたのだが、あの世に行くまでの強さはなかったようだな。実に惜しい。」 どうやら、あの世のことに関しては、坊さんの力量も関わってくるようである・・・。 『あの、よくわからないんですが・・。えっと・・・。あのおばあさんの供養をしていたお坊さんの力量がもっとあったら、あのおばあさんはあそこには立っていなかった、ちゃんとあの世に行っていた・・・と、そういうことですか?。』 「そういうことだな。」 『じゃあ、あそこに長く立っていたのは、そのお坊さんの責任でもある?。』 「そういう意味じゃない。あそこに立っていたのは、あのばあさんが未練を持ったのがいけないんだ。坊さんは、あの世へ行く手助け、あの世で安楽に過ごせる手助けをするだけだ。」 『でも、さっき、力量のある坊さんならば未練を断ち切らせることもできた、って言いませんでした?。』 「言ったよ。」 『じゃあ・・・・。』 そこで先輩は、大きくため息をついた。さも面倒臭そうに。しかし、そもそも自分から口を滑らせたのだ。ここはしっかり説明してもらわねばならない。 「あぁ、面倒くさいな。余計なことを言うんじゃなかった・・・・。あのな、あのばあさんが、あの場所に立っていなければいけない原因を作ったのはあのばあさん自身だ。坊さんのせいじゃない。そうだろ?。」 『えぇ、もちろんそうです。』 「坊さんは、あのばあさんの葬式をした。ばあさんが亡くなった時の事情がよくわかっていれば、葬式の際にばあさんに未練を持たないようにといい聞かせることができる。ここが肝心だが、その言い聞かすということができる坊さんかどうか、そこが問題だ。言い聞かすことができれば、ばあさんはあの場所には立っていないで、あの世に行っていた。つまり、まず一つ、死者を送るとき、その死者に『あなたはこの世の存在ではなくなった。あの世へ行って修行しなさい』という思いを持って、そういうことをちゃんと念じて送れるかどうか、そこがポイントなんだ。」 『あぁ、なるほど・・・。死者に対して死を言い聞かすことを念じて葬式ができるかどうか、そこに差が生じる、ということですね。』 「そういうことだ。ただ、ぼんやりとマニュアル通りに葬式をしているか、ちゃんと死者に死を告げているかどうか、その差がある、と言っているのだよ。・・・・ここで、もう一つ問題がある。」 『もう一つ問題?。』 「それはな、死者の亡くなり方だ。」 『亡くなり方?。』 「そう、その死者がこの世に未練を残しているかどうか、そこを考慮しなければならない。それができるかどうかで、坊さんの差が出てくる。」 『あっ、そういうことですか。つまり、この世に未練をたっぷり残している死者に対しては、それなりの対応をしなければいけない、ということですね。』 「そういうことだ。すべての死者に同じような思いで葬式をしていてもいけない。未練など何にもない死者ならば構わないが、中には未練たっぷりの死者もいる。さっきのばあさんのようにな。まあ、あのばあさんは軽いほうだが・・・・。死者の中には、恐ろしい怨念を持った者もいる。恨みつらみを抱いたまま亡くなる者もいる。だから、坊さん側もそれに対応して、自分の思いを強くしたりしないといけないわけなんだな。」 『わかりました。亡くなった方の思いに対応して、お坊さん側も念の込め方を変える必要がある、ということですね。』 「そういうことだな。亡くなった方には、亡くなった側の事情がある。その辺の事情を素早く察知して、いろいろなことが生きているときにはあったが、そうしたことはすべて自分の因縁によるものなのだから、未練を残さず、怨みを残さず、きれいな気持ちであの世に行きなさい、と説得しなければいけないわけなんだ。まあ、尤も、必ずしも言うことを聞くとは限らないがな・・・。」 『そ、そうなんですか?。説得が聞かないこともあるんですか?。』 「死ねば少しは素直にはなるが、中には頑固者もいるからな。ものすごく強く怨んでいるとかな・・・。そういう場合は、いくら説得しても聞かない場合がある。」 『となると、幽霊ですか?。』 「そういうことだ。」 『そういう幽霊をあの世に送るには・・・・あぁ、お祓いしかないのか・・・。あ、でもさっき供養をしっかりすればとか言ってませんでしたか?。』 「ああ言ったよ。あのな、先走るなよ。順番に話すんだから。・・・あぁ、コーヒーが冷たくなっちまった・・・。お前さんのような霊体が近くにいると冷えるから、コーヒーも早く冷たくなるよな・・・まったく、やっかいな・・・」 先輩はそういうと、冷めたコーヒーを飲みほした。ちょっと待ってくれ、霊体がいると冷えるのか?。またまた、疑問が出てきたぞ。 『あの・・・、俺がいると冷えるんですか?。』 俺は、なぜかちょっと遠慮勝ちに質問した。 「冷えるよ。冷えるってもんじゃないよ。幽霊がいるところは、妙に冷たいんだよ。霊体は冷体でもあるんだよね〜。」 オヤジギャグ以下のダジャレだ。俺は、それを無視した。 『じゃあ、今も冷えているんですか?。』 「あぁ、冷たいよ。足元なんか特に冷えている。お寺は、ひんやりしているだろ?。あれはね、霊が集まっているからなんだよ。だから冷える。まあ、天井が高いせいもあるけどね。でも、霊が出るところは、妙な冷たさがあるよ。ぞくっとするような。それは、昔から言われていることだろうに。」 『あぁ、そういえばそうですね。背筋が凍るような・・・とか言いますからね。』 「そうだろ。だから幽霊がいると冷えるんだよ。今も寒いんだよ。」 『それは失礼いたしました。あ、でも、じゃあ、うちの女房のように守護霊がいる場合はどうなんですか?。女房は寒がってませんでしたが・・・。』 「守護霊と幽霊は違うだろ。守護霊は高級な霊だからな。幽霊はこの世に未練がある霊だ。ちなみに、お前さんは中途半端状態だな。だが、特に未練はないから冷たさはない。家族に対してはな。しかし、ここへ来ると、単なる霊体だからこちらは冷えを感じるわけだ。」 『あぁ、そういうことですか。よくわかりました。守護霊になれるような霊体ならば、冷たさもなくなるんですね。』 「むしろ、生きてる側は温かみを感じることもあるはずだ。」 『そういうもんですか。』 「お前のような鈍感で無信心なヤツは死んでも感じないがな・・・、あぁ、もう死んでるか。」 『シャレになってませんから、それ。笑えませんよ。』 「あっはっは。まあいい。ところで、話を戻すぞ。忘れたわけじゃあるまい?。」 俺はすっかり忘れていた。 『えっと・・・、なんでしたっけ?・・・あぁ、そうそう、この世に残ってしまった霊をあの世に送ることについてですよね。大丈夫です、覚えています。』 先輩は疑うような眼で俺を見ていた。 「まあいいや。そう、この世に残ってしまった霊の後始末の方法だ。早いのはお祓いだが、それもそう簡単にはできない。残ってしまった霊の強さにもよるからな。何でもかんでもお祓いすればいい、というものでもない。」 『え〜、そうなんですか?。よくTVの怪しい番組で簡単にお祓いしてましたが。』 「あれはショーだろうが。現実のお祓いとは異なるよ。まあ、簡単にできるものもあるがな。さっきのばあさんみたいにな。お祓いも相手の幽霊によってやり方が変わるんだよ。ケースバイケースだな。・・・・この世に残ってしまった霊体をあの世に送るには、二つ方法がある。一つはお祓い、もう一つは供養だ。」 『供養でもできるんですね。』 「あぁ、できる。ただ時間がかかる。お祓いは早い。その違いはある。しかし、お祓いは強制的、供養は言い聞かせて納得して消えてもらう、という違いもある。」 『へぇ〜、そうなんですか。どちらがいいんですか?。』 「どちらもメリット・デメリットがある。お祓いは、決着が早いが、供養は時間がかかる。解決までに長い場合三年ほどかかることもある。しかし、それでも供養のほうがいい場合もある。それは、霊体がなんであるか、霊体が求めていることはなにか、にもよるんだ。」 『どういうことですか?。』 「残っている霊体の思いによるんだ。それが怨みなのか、憎しみなのか、深すぎる愛情なのか、邪魔をしたいのか、復讐したいのか、単なる未練なのか、執念なのか・・・。また、人に憑いているものなのか、土地に憑いているものなのか。あるいは、その霊体が身内なのか他人なのか、縁があるものなのか、無縁のものなのか、という区別もある。さらには、継続的なものなのか、たまたま拾ってしまった霊なのか、自ら呼びこんだ霊なのか、昔からいるものなのか・・・。そうした状況や霊の事情によって、供養なのかお祓いなのか、併用したほうがいいのか、やり方が異なってくるんだよ。」 『ほう・・・、結構複雑なんですね。』 「そうだよ、複雑なんだよ。それにな、お祓いというけど、それも種類がある。さっきのばあさんみたいに、霊体をあの世に送るためのお祓いなのか、単にとり憑いている霊を外すだけなのか、とり憑いた霊をもといた場所に戻すのか、それとも地に鎮めおとなしくさせるのか、霊が入ってこないように結界するのか、そりゃいろいろあるよ。」 『そ、そんなにあるんですか・・・。へぇ〜、知らなかった・・・。』 「霊体によって使い分けなきゃいけないんだよ。その霊体の状況や事情でやり方が変わるんだよ。依頼人の事情も考慮しなきゃいけないしな。」 『あぁ、頼んでくる側の問題もあるんですね』 「そういうことだ。たとえば、残ってしまった霊体が身内ならば、普通はお祓いはしない。供養で対処する方法を取る。もちろん例外はあるがな。そう・・・さっきのばあさんのような場合もあるしな。あの場合は、身内の方にあのばあさんのことを知らせることもできないし、緊急を要したからな、お前さんのせいで。依頼人の事情というヤツだ。だから、てっとり早くできるお祓いという方法をとった。」 『なるほど・・・。結構やっかいですね。』 「そう、だからお祓いの依頼があった場合、すぐにお祓いに行かないで、依頼人の話を聞くんだよ。状況を知りたいんだ。また、依頼人が来れば、どんな霊がどんなことをしているのかわかるからね。だから、状況に合わせてお祓いや供養を使い分けたり、併用したりするのがベストなんだな。」 『そうだったんですか。』 「あのばあさんの場合も併用型になるんだ。これまであのばあさんの供養はしっかり行われていたようだ。だからこそ、他の悪い霊体に取り込まれることなく、あの場所にいられた。しかし、供養する坊さんが事情がわかっていないから、あの世へ送ることまではできなかった。もし、供養していた坊さんが、ばあさんが未練を残しているという事情を理解していれば・・・そうだな、あの世に送ることができたんじゃないかな。結構、力量のある坊さんのように思えるからな。」 『そうなんですか。じゃあ、もし力量のない坊さんだったら。』 「すでに他の悪い霊に取り込まれているだろう。」 『なるほど・・・。あぁ、それでさっき実に惜しい、っていったんですね。』 「そういうことだ。供養している坊さんが、あのばあさんの事情を知っていれば、あそこには立っていないで、ちゃんとあの世に行ったさ。葬式のときには無理でも、後の供養でなんとかなったろう。おかげで、俺もお祓いが楽だった。」 『あ、それで併用型になるんですね。』 「そういうことだな。さっきも言ったが、なんでもかんでもお祓いすればいい、というものでもない。一回のお祓いで片付くとも限らない。場合によっては、供養を1〜2年先行し、それからお祓い、という方法を取ることもある。それは霊体にとっても、祓う側・・・俺だな・・・にとっても、依頼者にとっても楽だからだ。そこを見極めないと、面倒なことになる。」 『そうなんですか。お祓いって、もっと簡単なものだと思ってましたよ。』 「なにいってるか、どうせ信じてもいなかったくせに。インチキだと思っていたんだろ。」 『はぁ、まあ・・・。見抜かれてますね。』 「あたりまえだ。」 『そうなんですよ。ああいうTVなんかでやってる霊を祓うみたいなのは、どうもインチキくさくって・・・。』 「だから、あれはショーだからだって。TVに出る胡散臭い霊能者にもそれなりに事情があるんだろ。名を売りたいとか、金を稼ぎたいとか、有名になりたいとか、な。」 『はぁ、そんなもんでしょうね。あぁ、そういえば、俺があの世に行ったばかりの頃・・・こういう言い方も変ですが・・・怪しい霊能おばさんがいましてね・・・。』 「死人でか?。あぁ、当然、死人だな・・・。」 『そうです、死者です。自分は不動明王の生まれ変わりだとか・・・。』 「はっ、バカなことを・・・。そりゃ、お不動様に怒られたんじゃないか。」 『いや、諭されてましたが、怒られたわけではないですね。注意は随分されてしましたが。』 「ほう、やっぱり慈悲深いのだな不動明王様は・・・。ありがたいことだ。じゃあ、初七日で地獄へ落とされるようなことはなかったんだな。」 『はい、ありませんでした。お不動様は次へ進んで己をよく見よ、と・・・。ですが・・・。』 「ふんふん、ですが、なんだ?。」 先輩は身を乗り出して聞いてきた。やはり、こういう話には興味があるようだ。 『ですが、三途の川を渡れなくて・・・。というか、三途の川を渡るときに騒ぎましてね。馬頭に文句を言いまして・・・。』 「あぁ、じゃあ、川に放り込まれたな。」 『よくわかりますね。さすがですね。その通りなんですよ。』 「三途の川の番人は、容赦ないからな。騒げば川に放り込まれる。あの川を渡るときは素直に従えばいいのだ。そうすれば、泳ぎ切ることができるはずだからな。尤も生きている側の供養がないと、地獄へ流されるが・・・・。」 『そ、その通りなんですよ。見たことあるんですか、三途の川。よくご存知ですよね。その通りで、その怪しい霊能オバサンも流されましたよ。』 「そんなものだろうな。胡散臭い霊能者なんて、本当の供養の力を知らないからな。お祓いだって、どこまで本当だかわからない。恐ろしいことなんだけどなぁ、霊を扱うということは。そこのところの自覚がないと、自分自身も依頼者も不幸にしてしまうのだ。」 『お不動様もそのようなことを言っていたように思いますよ。』 「いい仕事じゃないんだよ、こういう仕事はな。結構、大変なんだけどな。その恐ろしさが分かってないと、やれないんだけどねぇ・・・。」 『いまなら、その言葉理解できますよ。』 「ま、お前さんは本当に無信心だったからな。死んでから、よくわかっただろ、あの世もあるし、霊の世界もあるんだっていうことがな。」 『はい、よくわかりました。あの世でも、他の死者と話していたんですよ。こんな世界があるなんて、誰も教えてくれなかった・・・って。』 「お前、他の死者と話を・・・あぁ、そうか、取材者だからな。普通はしないんだが・・・。」 『はい、そう言われました。特別だって。』 「そうだろうな・・・。まあ、それはいいとして、話はそれだけか?。もういいんじゃないか。」 『えっ?、なんですか、時間がないんですか?。』 「忙しいんだよ。明日は厄祓いを頼まれているし、供養も入っている。厄祓いの御札を書かなきゃいけないし、塔婆も書かなきゃいけないんだ。」 『そんなの、すぐにできるじゃないですか。夜とか、暇でしょ。』 「夜は休むの。夜まで仕事はしない主義なんでね。用がすんだら帰っていいんじゃないか。もうそろそろ、お前さんの女房も家に戻るころだろ。」 そういわれても、俺は何だか帰りがたかった。女房には夜会えばいいし、子供たちの顔も後で見ればいい。明日は学校に行ってもいい。しかし、先輩の場合はチャンスを逃せば邪魔扱いされる。なので、もう少し粘ることにした。 『厄祓いですか・・・、へぇ、で、厄って本当にあるんですか?。』 その言葉を聞いて、先輩は大きくため息をついたのだった。 「お前・・・それ、いま思いついた質問だろ。まったく、うっとうしい奴だな。はぁ・・・。あのな、まあいいや・・・厄はある。人間の一生、運のいいときとそうじゃないとき、妙に体調がいいときと悪いとき、まあまあいろいろあるけど何とか無難に過ごせるとき、という区別はあるだろ。」 先輩は嫌そうな顔をしながらも話し始めた。 『はい、あります。確かにあります。何をやっても裏目に出るときや妙に運がいいとき、まあなんとなく過ぎていくとき・・・というのはありますよ。体調もそうですよね。いいときもあれば悪いときもあります。そのどちらでもないときもあります。』 「うん、それで、その運のよくないとき、何をやっても裏目に出るようなとき、体調が妙にすぐれないとき、そういったときを厄と名付けたのだ。だから、厄はある。はい、おしまい。」 『ちょ、ちょっと待ってくださいよ。それだけですか?。』 「だって、お前、厄はあるのかって聞いただけだろ。だから、それに対する答えは終わった。」 『いや、そりゃあないですよ。まあ、確かに・・・・すみません、質問の仕方が悪かったです。じゃあ、もう一度質問しなおします。厄の根拠を教えてください。』 「初めからそういえばいいのだ。思い付きだけで質問するから、嫌な思いをするのだ。質問するときは、考えてから質問すべきだろ。だから、三流雑誌の記者しか勤まらんのだ。まあ、死んじまったが・・・。」 『はあ、何とでも言ってください。口答えはしませんよ。』 「いい心がけだな。素直さがないけど・・・。まあいい。厄の根拠だな。よく聞けよ。長くなるぞ。 そもそも厄年というのは、運気の悪い年のことを言う。それは何も数え年で男性25歳42歳、女性19歳33歳に限ったことではない。そのほかの年齢の時にも運気の悪いときはあるものなのだ。 およそ、人生の3分の1は運気がよく、3分の1は運気が悪く、残り3分の1は運気がまあまあの年なのだ。これはほとんどの人にあてはまる。 なお、運気とは、その人のツキの勢いのこという。ツキの勢いがいいときを幸運期といい、悪いときを厄という。あるいは、ツキの勢いがいいときを吉運といい、悪いときを凶運という。勢いに強弱があるから大吉だの中吉だの小吉だの大凶だのと分類されるのだ。 さて、どうして『何歳のときは吉・凶・半々・・・』と分けることができたのか。それは、大昔のインド人が統計を取ったからだ。どんな統計かというと、星の運行と人々のツキのあるなしについての統計だ。そのときに使われた星とは、月・火星・水星・木星・金星・土星・太陽、そして日蝕や月蝕の蝕、さらにハレー彗星である。それらの星の動きと人々のツキの関わりを調べたのだ。 すると、ある一定の法則が見出された。たとえば、数え年で37歳にあたる人は蝕の影響を受けやすく凶の年になる、数え年で25歳になる者はハレー彗星の影響を受けやすく凶となる。あるいは数え年で27歳の者は木星の影響を受け吉の年となり、数え年で31歳の者は金星の影響を受け吉凶半々どちらとも言えない年となる・・・・。 とまあ、そういう法則性を見つけたのだ。もちろん統計学だから、例外はある。しかし、7割以上の者がそれにあてはまるんだな。そこで、その統計をまとめあげた。それがインド古来からある占星術なのだ。これは、お釈迦様が誕生される以前からあった。 やがて、この占星術が密教に取り入れられるようになった。密教は、仏教だけでなくあらゆる宗教や呪術を飲み込んでいき、仏教化してしまうという特殊な宗教だ。その密教が古来からあるインド占星術に目を付けたわけだな。 そして、その占星術をお経化した。宿曜経と言われるお経だな。これによると、数え年、まあ生まれ年でもいい、によってその年が吉か凶かまあまあか、どんな点に注意すべきかが直ちにわかる。とても便利なのだよ。 それが中国に伝わった。中国密教だ。当然、宮廷はこれを取り入れる。密教は占いもするし、呪術もするし、お祓いや魔除け、鎮護国家などもする。権力者にとってはこれほど便利な宗教はない。使わない理由は何もない。 ところで、当時の中国人というのは、自分たちでも占いなどの統計学を持っていたんだな。陰陽道がそれだ。陰陽五行説だな。四柱推命も九星術も基本は陰陽五行だ。 で、中国でこの陰陽五行とインド占星術の宿曜経が混ざった。そこから、男性42歳女性33歳の大厄という厄年が生まれたのだ。 なお、なぜ42歳33歳が大厄になるのかというと、そんなころ体調の変化をきたす年齢になるのだ。そんな年齢のころ、男性も女性も身体に何らかの変化が生まれるんだな。もちろん、個人差がある。だから、人によっては実際の厄年もずれたりする。つまり例外だな。 いいか、人生の3分の1は凶であって、厄年なのだ。その中でも、特に体調の変化を生じやすい年を大厄というのだ。だから、33歳や42歳を気をつけていればいい、という話ではない。凶の年は、他にも多々あるのだよ。 以上、厄年の根拠だ。」 長い説明だった・・・。 『はぁ、厄年の根拠についてはよくわかりました。統計から生まれたわけなんですね。ところで、その厄祓いなんですが、効果はあるのですか?。』 「バカモノ!。」 大声で先輩はどなった。その勢いに俺は少々ビビってしまった。思わず空中に浮かびそうになってしまったのだ。 『あ、あの・・・すみません、でもやっぱり一般庶民としては、厄祓いの効果って気になるじゃないですか・・・。』 そういうと、先輩はいったん俺をにらみつけ、下を向いて大きなため息をついた。 「はぁ〜、まあ、そんなもんだな・・・・。あのな、信じる者には効果はある。信じない者には効果はない。だから、効果を疑う者や信じない者は、厄祓いなどしなきゃいい。自信を持って厄祓いをするな。どうかな、したほうがいいかな、と曖昧な気持ちを持っているなら厄祓いは受けておくほうがいい。信心とはそういうものだし、お祓いの効果とはそういうものだ。信じない者は勝手に生きていけばいいのだ。」 『そんな・・・、それじゃあ身も蓋もないじゃないですか。っていうか、それじゃあ鰯の頭と変わらないですよ。』 「あのな、お祓いの効果を疑うのなら受けないほうがいいのだよ。なぜなら、厄除けのお祓いをしても悪いことがあった場合、お祓いなんて効果がなかったじゃないか、と思うだろ。また、何も悪いことがなかった場合、お祓いの効果を疑うものは、初めからお祓いなんかするんじゃなかった、やってもやらなくても禍は来ないんだ、厄なんてないんだ、と考えるに決まっている。 信じない者は、何をやっても効果はない。信じるからこそ、お祓いを受けてみようかな、と謙虚な心を持つからこそ、効果は生じるものなのだ。 だから、そういう謙虚な気持ちのない者は、お祓いを受ける必要はない。いや、受けてはいけないのだよ。受ける資格がないのだ。」 『そこまで厳しい言い方をしなくても・・・。』 「お祓いを受けるのなら、素直に受ければいいのだよ。頭から効果を疑うのなら受けなきゃいいのだ、とそう言ってるだけだよ。お祓いを受けるのは個人の自由だろ。自分で決めればいいのだから、疑うのなら止めればいいのだ。どこか間違っているか?。」 『いや、先輩の立場からすれば、お祓いを受けたほうがいいというように話を持っていったほうがいいように思うのですが・・・。お祓いは効果があるよ、って言ったほうがいいかな、と・・・。』 「お前、死んでから頭が悪くなったか?。俺は、さっきからお祓いは効果がある、と言ってるだろ。ただし、疑うものや信じない者には効果がない、と言っているだけだ。そう言うものは、たとえお祓いの効果があったとしても、それをお祓いの効果だということを信じないからだよ。だから、効果がない、と言っているのだ。わからんヤツだなぁ。」 『あぁ、そういうことですか。わかりました。納得です。』 つまり、こういうことだ。お祓いの効果を信じない者は、お祓いの効果があったとしても、それをお祓いを受けたからとは思わないのだ。となれば、その者にとっては、お祓いの効果はないことになる。信じない者は、どんな効果が得られようが、信じないからこそ効果がないことになってしまうのだ。 「あのなぁ、いいか、この宿曜経と厄を祓う法を誰が日本にもたらしたと思っているのだ。」 先輩は怒り心頭といった顔で俺に質問した。しかし、俺に怒っても仕方がないことだ。こうしたことは、多くの者が疑問に思っていることだから、俺はそれを代表して聞いただけなのだ。それなのに、そんなに睨まなくても・・・。先輩が睨むと、なぜか恐怖心が起きるのだ。こんなに鋭い眼をしていたのだろうか・・・。 『あ、あの・・・すみません、知りません。』 「弘法大師空海上人だ。お大師様だよ。」 『ああ、空海ですか。』 「こら!、呼び捨てにするな。お前、何様だ。生意気にもお大師様を呼び捨てにするもんじゃない。」 『あ、はい、すみません・・・。』 何回目だ、謝るのは・・・。 「いいか、厄年を見分ける宿曜経もその厄を祓う秘法も、お大師さんが日本にもたらしたのだ。お大師さんは、無駄なものは日本に持ち帰っていない。すべて我々の役に立つもの、我々が幸福になるためのものしか持って帰ってきていない。そのお大師さんが持って帰ってきた秘法が効果がないわけがないだろう。効くに決まっているのだ。お大師さんが認めたものを信用しない者は、哀しい者、哀れなる者なのだよ。否、うぬぼれが過ぎているな。お大師様のような智慧がないくせに、お大師様が信じた秘法を否定するのは、お大師様よりも自分が上だと思っている証拠だ。それは自惚れだな、高慢だな。身の程知らずだよ。 ま、そういうわけで、厄祓いは効果がある。信じない者は凶運にあえいでいればよろしい。」 と、先輩は冷たく言い放った。なんとまあ・・・。よくしゃべってくれるのはいいのだが、とっつきにくい。なんと答えていいものか迷っていると 「わかったのか?。」 と聞いてきた。 『はい、わかりました。』 俺は、素直に答えておいた、すると間髪入れず、先輩は冷たく言った。 「じゃあ、終わったな。帰っていいぞ。」 そして、 「あぁ、そうそう、お前が死んだのは数え年で37歳。いわゆる八方塞の年だな。凶運の年だ。星でいえば蝕にあたる。ラゴウ星だな。確か、お前厄祓いはしなかったよな。ま、そんなものだ。」 『えっ?、そ、それって・・・関係あるんですか?。』 「何を聞いていたんだ。凶運の年にお前は死んだ。お前は厄祓いをしていない、俺はそう言っただけだ」 『あぁ、そうですね・・・。それを信じるも信じないも自分次第ですね。』 「そういうことだ。もし、お前が厄祓いをしていたら・・・。」 『もし、していたら?。』 「死なずにすんだかもしれないし、やっぱり死んでいたかもしれない。もし、・・・だったら、は意味のないことだ。だから、厄や凶運の年が終わってしまった者は、深く追求しないほうがいい。今後、そういう心配をする可能性がある者は、少しでも心配の種は取り除いていったほうが安心だな。こういう話もお前を通じて誰かが世にもたらしているのだろ?。」 『あっ、あぁ、そうです。はい、たぶん俺が聞いた話、質問したことは、この世のどなたかがキャッチしていて文章にまとめるなり、なんなりしているらしいんです。詳しいことはわかりませんが・・・・。』 「なら、一つアドバイスだ。厄だ凶運の年だといって、少しでも不安を持つのならお祓いを受けておくほうがいい。気持ちだけでも安心を得られるから。まったく不安を持たないのなら、お祓いを受ける必要はない。ただし、その場合、どんな不運に見舞われようとも、お祓いをしたらとか、お祓いを受けておけばよかった、などと考えてはいけない。自分で決めたことだから。まあ、心入れ替えて今度の凶運の年にはお祓いを受けようと思ったのなら、素直に受ければいい。 そんなものだ。そうそう、もう一つ。こうした秘法を日本にもたらしたのは、あの大天才弘法大師だということを忘れてはいけない。お大師様を超えられるのなら、信じる必要はない。超えられないのなら、謙虚な気持になったほうがいいんじゃないかな、と思うよ。以上だ。」 『はい、ありがとうございます。よくわかりました。たぶん、俺を通じてこの話を聞いた人も、よくわかったと思います。』 「ふん、理解できたようだな。じゃあ、帰れ。あぁ、そうそう。いいことを教えてやろう。帰るときは、自分の家を念じろ。家に帰りたい、と強く思え。すぐに飛んで行けるから。」 『えっ?、ここから家に飛べるんですか?。エネルギーを大量に消費しないんですか?。』 「お寺は別格だ。あの世に準じているからな。だから、ここから移動する場合は瞬時に行けるよ。エネルギーの消費もなしだ。しかも、お前は今エネルギー満タン状態だ。お寺は死者にとってはオアシスだからな。ま、悪霊にとっては地獄だが・・・・。否、そうでもないな。あの世に送ってもらえるのだから、考えようによってはオアシスか。ま、いずれにせよお前はエネルギー満タン状態だ。元気で家に戻れるぞ。さぁ、帰れ。」 というと、先輩は椅子から立ち上がった。こうなると、帰らざるを得ない。聞きたいことも思い浮かばないし、仕方がないので俺は帰ることにした。 『あ、じゃあ、帰ります。そうですか、お寺は我々死者にとってはオアシスですか・・・。それで居心地がいいんですね。』 そうなのだ。俺がなかなか腰を上げなかった理由は、なんとなくお寺にいると落ち着くからである。 「死者だけじゃないだろ。生きている者でもお寺は落ち着く。うちに相談にくる方たちは、皆そういうぞ。なんとなく落ち着いて腰が上がらない、気がつくと長居してしまっている・・・とな。お前みたいな無信心な愚か者でも京都の古刹に行けば、落ち着くだろう?。」 『あぁ、そうですね。落ち着きます。でも、中には、早く外に出たいな・・・と思うようなお寺もありますけどね。なんか落ち着かないあやしい寺というか、お堂というか、そう言うのもありますけど・・・。』 「まあ、確かにな。でも、お寺というものは落ち着く場所なのだよ。また、そう言うお寺じゃなきゃいけないのだけどな。まあいいから、早く帰れ。俺の時間も必要なのだよ。また日を改めて来い。用があるならな。」 そういって先輩は俺を押し出しにかかった。仕方がないので俺は帰ることにした。 『はい、じゃあ帰ります。いろいろありがとうございました。また、何か分からないことがあったらきますので、そのときはよろしくお願いします。』 「はいはい。まあ、そうこなくてもいいよ。こんな話はあの世の裁判官か、菩薩様に教えてもらえよ。そのほうが正しいことがわかるからな。」 『そんな冷たいことを・・・。また、来ますよ。では、また・・・。』 俺はそう言い残して、家を強く念じた。すると・・・。 「ふう、やっと消えたか。あぁ、面倒くさい。それにしてもじいさん、なんでここへ来るようなことを言ったかなぁ・・・。」 先輩がそうつぶやいたことを俺は知らなかった・・・。 気がつくと俺は懐かしい我が家にいた。いつの間に時間は過ぎ、女房が夕食の用意をしているところだった。 『おう、戻ってきたか。』 女房のそばには、女房の守護霊であるあのじいさんがいたのである。 『久しぶりぢゃな。え〜っと、三七日が終わったところか?。』 『お久しぶりです。ええ、そうです。宋帝王の裁判が終わりました。』 『ふん、大猫と大蛇に苦しめられたか・・・。あぁ、お前さんはないな。あんまり・・・。』 『はい、おかげさんでそれほどは・・・。まあ、ほんの気持ち程度で・・・。』 『そうぢゃろうな。・・・・それにしても、今までどこにおったのぢゃ。今来たばかりではなかろう?。』 『よくわかりますね。はい、午前中にこっちに戻ったんですけどね、誰もいなくて退屈だったんで先輩の寺へ行っていたんです。』 『そうか、あの寺へのう・・・。あの住職はなかなかなもんぢゃから、いい話が聞けたろう。』 『はぁ、ちょっと迷惑をかけましたが・・・。』 それから俺は、交差点に立っていた老婆の話をした。 『なるほどうのう。未練か・・・・。未練は怖いからのう。こっちの世界に強い未練を残すと、そうやって彷徨うことになるんぢゃ。死ぬときはあっさりと死ぬがいいのう。どうせ一度はみんな死ぬのだし、まあ、供養さえしてもらえれば、あの世の世界も快適だからのう。』 『そういえば・・・、供養で思い出しました。おじいさんのお友達はどうなりました?。確か、みんなから離れて一人こそこそしているとか、体臭がひどくなったとか・・・あぁ、天人五衰でしたっけ、それにあたるとか言ってませんでしたか?』 『よく覚えておるのう。あぁ、確かに言ったよ。アイツなぁ・・・・、アイツは消えた。』 じいさんは、あっさりとそう言った。 『き、消えたって・・・、天界から消えたんですか?。』 『あぁ、わしらがいるヤマ天からいなくなった。消えたんぢゃよ。』 『消えたって・・・行方不明ってことですか。』 『まあ、そう言っても間違いではないが・・・・。むしろ、この世の言い方でいえば・・・死んだ・・・といったほうがいいかな。』 『死んだ・・・のですか。じゃあ、その遺体は・・・。』 『ない。』 『ないって、それはどういうことですか。』 『天人は、死んでも遺体は残らんのぢゃ。』 『え〜、じゃあ・・・あ、そうかそれで消えたんですか。』 『そうぢゃ。消えたんぢゃ。天人は五衰を迎え、寿命が尽きると消えるんぢゃ。』 『ということは、葬式とかもないんですよね。』 『ないなぁ・・・。遺体がないから火葬もない。』 『ってことは・・・我々のような裁判はどうなるんですか。やっぱりあるんですか。』 『それもない。裁判があるのは、どうやら人間だけらしいのう。』 これまた驚きであった。あの世での裁判があるのは人間だけだったのだ。 『それは・・・天人が優遇されている・・・ってことですか。』 『違うな。う〜ん、そうぢゃなぁ。そもそも天人には結構長い寿命がある。それは前に話したな。』 『はい、聞きました。ただし、この世からのエネルギーの供給、え〜供養ですね、それが途切れると、衰退してしまうってことでした。』 『そうぢゃ。で、その先なんぢゃが・・・。天人も死を迎えるんぢゃが、遺体は残らないんぢゃ。』 『消えてしまうと・・・・。』 『あるとき、ふといなくなるんぢゃ。それだけぢゃ・・・。』 じいさんは、ちょっと寂しそうな顔をしていた。 『いや、それは正確ぢゃないな。いかんのう、言い方が悪い。』 『いったい、何を言っているか分からないんですが。一人で納得しないでくださいよ。』 『あぁ、そのな、寿命の迎え方にも・・・そうぢゃな3通りあるんぢゃ。』 『3通りですか。』 『うむ。まずは今いる天界より上の天界へ行ける場合ぢゃな。』 『あ、そういうことですか。何も死を迎えるといっても、悪い死ばかりじゃないってことですね。』 『そうぢゃ。出世する場合もあるからのう。それが一つ。もう一つは、今いる世界から下に落ちる場合ぢゃ。そして、残りが今いる世界と変わらない、という場合ぢゃ。』 なるほど、今いる天界で寿命を迎えた場合、次に生まれ変わる先が、今いる世界より上なのか下なのか、あるいは同じなのか、で寿命の迎え方が異なるというのだ。 『わしの友人だったヤツは下へ落ちる組ぢゃった。だから五衰したんぢゃ。』 『えっ?、ということは上へ行く者や変わらない者は、五衰しないんですか。』 『まったくしないわけぢゃない。が、あまりひどくない。・・・たとえばぢゃ。たとえば、出世した場合ぢゃ。』 『今よりもいいところへ生まれ変わる場合ですね。』 『あぁ、そういう天人は徳があるため、五衰の兆候はあまりみられないんぢゃ。確かに頭の冠はしぼむし、色あせる。が、極端にしぼんだ、色あせた、ってことはない。なんとなく、まだ威厳が残っておる。人間でも、金持ちの旦那や奥さまは、年をとってもきれいな身なりをして、威厳もあるし美しさもあるぢゃろ。それと同じで、徳のある天人は寿命が近付いても威厳が伴っておるんぢゃよ。』 『なるほど、いい年の取り方をしているわけですね。』 『あぁ、そうぢゃ。人間界でいえば、金持ちの老人が金の力で、え〜っとしわ伸ばしのマッサージみたいなのをするぢゃろ。』 『あ〜、エステですか。最近はアンチエージングなんてのもあるようですが。』 『そう、それぢゃ。天人も次に生まれ変わる先がいいところ、という天人は、徳があるから神通力によって身綺麗にできるんぢゃ。』 『あぁ、そういうことですか。金持ちがエステに行って若さを保つように、天人も神通力で五衰を抑えているんですね。』 『そういうことぢゃ。ぢゃから、いまいる世界より上の天界へ行けるような天人は、あまり五衰がめだたないんぢゃ。でな、いよいよ寿命がやってくるときになると、そこの天界の王様から呼び出しがある。』 『その天界の王から呼び出しですか・・・。たとえば、おじいさんがいる所なら・・・閻魔大王ですね。』 『そうぢゃ。閻魔様ぢゃ。わしらの場合は、ヤマ天ぢゃから、その王である閻魔様から呼び出しがあるんぢゃ。で、王宮に入れられるんぢゃ。』 『へぇ〜、そこで何があるんですか。』 『わからん。わかるのはそこまでぢゃ。そこから先はわからん。』 『わからんって・・・。王宮に入ったんですよね。で、そこから・・・。』 『出てこないんぢゃよ。王宮のどの建物へ入ったかもわからんし、中で何があったかもわからんし・・・。ただ、中に入った者は二度と出てこないんぢゃ。まあ、尤も、呼ばれた者たちは、中に入ってからどうなるということは聞いているようぢゃが。』 『そうなんですか?。中に入る人から聞いたんですか。』 『いや。聞いても誰も教えてはくれんぢゃろ。そのことは口外禁止ということらしいからな。ただ、寿命が近付いた者たちで、閻魔大王から呼ばれた者は、みんな嬉しそうぢゃった。みんな喜んで宮殿に入っていった。ぢゃから、いいことがあるには違いない。』 『いいところへ生まれ変わることができる者は、閻魔大王から呼び出される、って話は伝わっているんですね。』 『そうぢゃ、それはみんな知っておる。ヤマ天に生まれ変わった時に、天女様から聞かされるからのう。』 『そうなんですか。あぁ、そういえば天女様から細かい指示があったって言ってましたよね。』 『あぁ、そうじゃ。あまり詳しくは話すな、とは言われておるがな。お前さんもよく覚えているぢゃないか。』 そりゃそうである。元はプロの記者ですからね。俺はちょっと得意そうな顔をしたが、おじいさんはそれを全く無視して話を続けたのだった。 『天女様から話があった時に、寿命の話もあったんぢゃ。でな、子孫がちゃんと供養をしてくれれば、ここでの寿命がきたときもっと上の天界へ行ける、その時は閻魔様から直々にお呼び出しがある、と教えられたんぢゃ。』 『それで、寿命が近付いていて呼び出しがあった者は、みんな嬉しそうな顔をしていたんですね。』 『そうぢゃ、当然ぢゃな。』 『じゃあ、中で何があろうが不安はないわけですね。で、他の者はどうなんるんですか。』 『他の者?。あぁ、今いるところと変わらぬものや下へ落ちてしまう者のことか。うん、まずは変わらない者ぢゃが、そういう者は閻魔様に呼ばれるんぢゃなくて、王の部下である大臣に呼ばれるんぢゃ。』 『大臣・・・がいるんですか?。』 『一応、国になっておるからのう。大臣というても執事のようなものぢゃな。まあ、そういう役割の方がいて、その大臣に呼ばれるんぢゃ。で、王宮の中に入っていく。王宮の中のどの部屋に通されるか、中で何があるかはわからんがな。』 『それでも、まだ大臣に呼ばれたんだから、ありがたいですよね。』 『まあな。呼ばれた者の顔を見ていたが・・・、ちょっと残念そうな顔をしていた者もいたがな・・・。わしなどは、嬉しいがな・・・。今のヤマ天は居心地がいいからのう・・・。』 いや、きっと天女様が見られるからだろう。たとえ遠くからでも・・・。 『う、ううん』 おじいさんは、咳払いをした。ちょっと顔が赤かくなったような気がした。照れているようだ。 『でな・・・最後の下へ落ちるものぢゃ。あぁ、その前に、同じ場所へ生まれ変わる者も五衰はあまり目立たない。尤も、上に行く者ほどぢゃないがな。しかし、まあ、なんとか格好は保っているな。薄汚くはなっていない。が、下へ行く者はなぁ・・・ひどいよ。』 そうなのだ。おじいさんの友人も五衰が激しかったらしいのだ。 『哀れぢゃったなぁ。臭気はするし、冠は見るも無残だったし、衣はボロボロ、くすんだ色をして輝きも何もなくなっていた。いつもウロウロしておって・・・。かわいそうだったのう。で、いつの間にか消えよった。』 『いないんですか。』 『いないんぢゃ。噂によると、どうやらヤマ天の端のほうに荒涼とした土地があるらしいのぢゃが、そこへ行ったらしい。で、そこで死を迎えたんぢゃないかと・・・・そういうことぢゃった。』 『荒涼とした土地ですか。』 『あぁ、いくら神通力を使っても、そこへ行けないらしい。ぢゃが、寿命を待たずして死を迎えるような者には、その土地へ続く道が見えるそうぢゃ。で、自然と足が向いてしまうのだそうぢゃ。アイツも・・・一人とぼとぼ歩いていったんぢゃろうか。それでその地でひっそりと死を迎えたんぢゃろうか・・・。』 おじいさんは遠くを見つめるような目をした。悲しそうな顔だった。 『天女様から話があった時、下へ行くような者はこうやって死を迎える・・・って話はなかったのですか。』 『あぁ、なかったなぁ。くれぐれも下へは落ちぬように、子孫に供養をしてもらうよう頼むこと、という注意はあったけどな。供養が足りなくなると、寿命を待たずして死を迎えることもある、という話もあったな。』 『それだけですか。』 『それだけぢゃ。悲しいのう。しかし、アイツも子孫には何にもできんかったからのう、仕方がないといえば仕方がないのう。』 『どこへ生まれ変わったかは、わからないんですよね。』 『あぁ、しかし・・・おそらくは・・・、餓鬼か畜生道じゃろう。』 『そういうものなんですか。』 『いや、そういうわけぢゃないが・・・、なんとなくな。高い所から落ちれば、結構下まで転がり落ちるからのう。』 『あぁ、なるほど。ところで、それはヤマ天でのことですよね。他の天界では違う場合もあるんですよね。』 『あぁ、違うだろう。他はあまり知らんが、ヤマ天はこういう習わしぢゃ。帝釈天様の三十三天は、人間界に近いようぢゃがな。弥勒様の兜卒天は・・・ちょっと特殊なんでわからんのう。気になるんなら、生まれ変わってみたらいい。』 『ま、そうなんですが・・・。しかし、この先どうなるかはわかりませんから。』 『まあ、そぢゃのう。おや、お子たちも食事に集まってきたようぢゃな。』 俺は話に夢中になっていて、家族のことをすっかり忘れていた。生きているときと変わらない。取材中はこんなものだった死んでからも、家族のことを忘れてまで取材するなんて・・・・。俺は、ひどい父親だ。 『どうしたんぢゃ?。あぁ、そういうことか・・・。仕方がなかろう。長年染みついた習慣は、そう簡単にはとれないもんぢゃて。死んだら急に変わるなんて・・・そんなことは無理ぢゃろ。そなんことができたら・・・それこそ胡散臭い。』 おじいさんはそう言ってくれたが、俺は何となく後ろめたかった。 『ま、そういう認識があるなら、問題ないぢゃろう・・・。』 『ですよね・・・。あぁ、みんな元気そうで・・・・。よかった。』 『大丈夫ぢゃよ、ちゃんとわしが守っておる。わしの子孫は、ちゃんと供養してくれておるからのう。エネルギーも大丈夫ぢゃ。それに婿殿は・・・・あの世の取材者ぢゃからのう。鼻高々ぢゃ。』 『そういうお世辞はやめてくださいよ、増長しますから。』 『そうぢゃな。やめておこう。さて、一家団欒のようすを見ていようかのう。』 そういっておじいさんは、やや上空に浮きあがった。 俺は食卓付近にいたのだが、おじいさんを見習って、空中に浮かびあがってみた。おじいさんの隣に行こうと念じてみたのだ。すると、俺の身体はふわふわと上がっていった。 『ほう、なかなかうまいぢゃないか。もっと手間取るかと思ったが。』 『いえ、おじいさんの隣にいこうと念じてみただけですよ。』 『その念じるということが大事なのぢゃよ。お前さんのいる世界・・・こちらから見ればあの世ぢゃが・・・その世界もわしらがいる天界も念じるということが大事になってくる。それで移動とかができるんぢゃ。尤もエネルギー切れには注意しなきゃいかんがな。』 『そういえば、今日先輩の寺から戻るときも、女房のそばを念じて、寺から飛んできましたよ。』 『あぁ、寺からなら楽ぢゃな。エネルギーも満タンだし。』 『えぇ、そう言われました。寺って死者にとっては快適ですね。』 『当たり前ぢゃ。寺は死者のオアシスぢゃからな。なので、そこら辺にいる霊も寺には寄ってきやすい。ま、結界がはってあるから、つまらん霊は寄ってこないがな。』 『えっ?、そうなんですか?。霊が寄ってくるんですか?。』 『あぁ、寄ってくるよ。』 『でも、先輩の寺では、見なかったような・・・・。』 『ほう、見なかったか・・・・。ま、あの寺は特殊ぢゃからなぁ。』 『特殊なんですか?。』 『なんぢゃ、お前さん、知らんのか?。』 『はぁ、詳しくは・・・。壇家寺じゃなく、相談事やお祓いが主な仕事、とは聞いてましたが・・・。』 『そんなんで、よく後輩をやっていられたのう。』 おじいさんは、あきれ顔でそう言ったのだった。 つづく。 |