バックナンバー(二十二)    第百十二話〜第百十七話

五官王は、浮気女を見つめ冷たく言った。
「そんなことは嫌です・・・・といわれても、今汝が地獄へ行くことを望めば、汝が最も嫌だと思うことをしなければならないであろう。それが罪の償いなのだから。」
五官王の言葉に、浮気女はうつむいて黙ってしまったのだった。五官王も黙ってしまった。重苦しい沈黙が流れた。

沈黙を破ったのは五官王だった。
「先ほど、汝は地獄へ行くのも仕方がないし、宋帝王の裁判のときにも地獄へ行くことを望んだ、と言ったね。その気持ちは、今でも変わらないだろうか?。本当に汝に地獄へ行く覚悟あるのだろうか?。地獄へ行かせてくださいというのは、安易な逃げではないのだろうか?。」
厳しい、あまりにも厳しい言葉である。思いっきりぶっ倒されたあとで、さらに踏み付けられているようなものである。しかし、五官王の言葉は正しいのだ。彼女は、地獄へい自ら行くことで、己の罪の重さから逃れようとしているだけなのである。しかし、地獄とはそんな甘いところではない。五官王はそれを教えてくれいるのだ。安易に地獄を望むのは良いが、それは自分の思っている地獄とは全く違うのだよ、と教えてくれいるのである。そういう意味では、とても親切である。
「き、厳しいことを・・・・みんな、みんな意地悪ですね。宋帝王も五官王も・・・・意地が悪いです。私・・・私は・・・・救われたい・・・・あぁ・・・助けて欲しい・・・・」
浮気女はそう言って、泣き崩れたのだった。

「その言葉を待っていたのですよ。」
五官王が優しく語りかけた。
「よろしいかな、仏教は・・・・お釈迦様の教えは、決して厳罰主義ではありません。悪いことをしたら、必ず罰を与える、という単純な教えではないのですよ。大切なのは、心のありようなのです。なぜ罪を犯したか、その罪についてどう考えるか、心から反省しているのか、そしてその罪をどのように償うのか、それを考えさせるために、この裁判はあるのです。それは、人間はどう生きるべきか、ということにもつながるのですよ。
今、あなたは、救われたいと言った。それがあなたの本心なのでしょう。生きているときから、あなたはず〜っと心の奥底で叫び続けていたはずです。救われたい・・・と。その気持ち、とても大切です。救われたいと思い気持ちがあるのでしたら、なにもここで地獄へ行くことを望む必要はないでしょう。そうではありませんか?。」
五官王の言葉に答えることなく、彼女は大きな声で泣き続けていた。五官王は、彼女の答えを聞くことなく、
「次へ進みなさい。それでいいですね。」
と優しく言ったのだった。浮気女は、まだ泣きじゃくっていたが、何度もうなずいていた。そして、大きくうなずくと
「あ、ありがとうございます。こ、こんな私でも・・・・救われるのでしょうか。」
と尋ねたのだった。
「妙艶、汝は救われよう。」
その声は、俺の頭上から聞こえてきた。そう、答えたのは普賢菩薩様だったのだ。
「汝は救われたいと願った。救いを求めている者を救うのが、我々菩薩の役目である。大丈夫だ、安心しなさい。汝は必ずや救われる。」
その言葉に彼女は少し安心したのか、なんとか立ち上がったのだった。そして、普賢菩薩を見上げながら、
「こ、こんな汚い・・・・汚れた者でも・・・・本当に救われるのでしょうか?。」
と尋ねたのだった。普賢菩薩は
「汝は決して汚れてなどいない。汝がとった行為は罪深きものかもしれないが、その心は清浄なるものであろう。汝の心は決して汚れてはいない。安心しなさい。汝は救われよう。今の気持ちを決して忘れぬように、次へ進むがよい。」
と優しく声をかけたのだった。浮気女は普賢菩薩の言葉に大きくうなずくと、
「わかりました。地獄へ逃げるようなことはいたしません。もっと、私に覚悟ができるまで、どうか、どうか・・・・私を見捨てないでください。」
と言ったのだった。

『見捨てないでくれ・・・・か、それが彼女の本音なんだろうな・・・・。』
俺はそうつぶやいていた。すでに浮気女は階段を下りていた。が、俺はいまだに普賢菩薩が乗っている象の下にいた。
『おい、聞新、いつまでそこにいるつもりだ?。もうすぐ次の裁判が始まるんだがなぁ・・・。』
『あっ、あぁ、すみません。あぁ、そうか、で、その俺はどうすれば・・・。』
『どうすれば・・・じゃないでしょう。次の裁判も傍聴するかね?。そうすると、現実世界へ帰る日数が短くなるが・・・それでもいいのかね?。お前さんがはっきりしないと、次の者を呼べないんだが・・・・。』
そんことはないはずである。俺がここにいようがいまいが、関係なく裁判は始められる。要は、次の裁判を傍聴する気があるのかどうか、それを聞いているのだ。
『分かっているなら早くして欲しいねぇ。どうするのかね。』
実際、俺は決めかねていた。というか、まだう浮気女の裁判を引きずっているのだ。彼女のことを誰かと語り合いたかったのだ。
『その相手は、私はしませんよ。』
五官王が先回りしてそう言った。
『えっ、ダメですか・・・・。そうか・・・弱ったなぁ。でもね、彼女の言葉、ちょっと感動しましたよ。見捨てないでください・・・・彼女の本音なんですねぇ。寂しかったんでしょうねぇ、生前の彼女。そういう意味では、彼女の心は普賢菩薩様が言うように純粋で清浄なんでしょうねぇ。心は清浄なのに、行為は不純・・・・。あぁ、なんだか、虚しいなぁ・・・。』
『あのね、いいから、もうその話はいいから。そこから動くなら今がチャンス。次呼びますよ。彼女のことについて語り合いたいのなら、現世に戻って、あなたが懇意にしている和尚さんとでも話しなさい。』
そうか、その手があった。先輩ならば、純粋だけど不純という矛盾した状況を説明してくれるかもしれない。
『そう、彼ならよくわかるでしょう。ということなら、ここから動くんですね。』
俺は、はいとうなずきながら、妙な違和感を感じた。いったいなんだろう、この違和感は・・・・。
『あぁ、そうだ。五官王は、先輩を御存じなんですね。でもなぜ?。』
そう、俺が感じた違和感は、五官王の口から先輩のことが出たことだったのだ。
『現世の僧侶のことは、我々は把握しています。特にあなたの先輩のような無茶な・・・否、優れた僧侶はこちらの世界では有名ですよ。』
今、五官王、無茶って言わなかったか・・・・。俺はあえて聞いてみた。
『先輩って、無茶な坊さんなんですか?。』
『はぁ・・・・、う〜ん、そうですね、まぁ、それは私の口からではなく、閻魔大王から直接教えてもらった方がいいでしょう。』
なんだか歯切れが悪い。その上、五官王は、話を切ってしまった。
『馬頭、次の者を呼びなさい。』
馬頭に次の者を呼びように命じてしまったのだ。そうなれば、俺はあきらめるしかない。否、決めなければいけない。象の下に残るか現世に行くか・・・・。
正直言って、どちらにも未練があった。現世に戻りたい気持ちもあるし、象の下に残って次の裁判を傍聴してみたい、という気持ちもあった。
『次は誰だっけ・・・・。』
『今時珍しいざーますオバサンだ。』
俺のつぶやきに五官王が親切に答えてくれた。そうだ、次はあの如何にも・・・といったざーますオバサンだ。ならば、聞く必要ないか・・・・。そうだ、現世に戻ろう。いずれ戻れなくなるのだから、今のうちに女房や子供の顔を見ておく方がいい。
『もう、次の者が秤のところまで来る。仕方がないな。飛ばしますよ。』
そ言葉を聞いた瞬間、俺の意識は吹っ飛んだ。

『今回は特別だ、緊急だったからな。本来は正規の道を通って現世に戻るはずだったんだがな。』
ボーっとしている俺の心に五官王の声が響いてきたのだった。
『ここは・・・。』
そこは我が家だったのである。
『な、なんだ、うちじゃないか・・・。そうか、五官王、俺を現世まですっ飛ばしたんだ・・・。あぁ、それで今回は特別か・・・。』
そうなのだ。本来ならば、前のときと同じように、現世に通じる場所からこちらの世界に飛ばしてもらうのだ。が、五官王も相当あわてていたのだろう。あの時、俺がのこのこ階段の方へ歩いて行ったら、秤に乗ろうとしていたざーますオバサンに出くわしてしまったかもしれないのだ。
『それを避けるために飛ばしてくれたのだ。しかし、何もここまで飛ばさなくても、現世へ通じる場所へ飛ばしてくれればいいものを・・・・。』
と言いながら、俺は気づいた。問題なのは飛ばす位置なのだ。うまく、強欲じいさんの後ろに飛ばせればいいのだが、少しでもずれればおかしなこととなる。それに、突然、俺が現れたりしたら、周囲の死者がびっくりするかもしれない。
『いや、待てよ・・・・。となると俺は現世へ通じる道へは現れなかったこととなるぞ。俺の後ろの死者・・・あぁ、あの普通じいさんは、俺のことをどう思うのだろうか。俺が見当たらないから、俺は地獄へでも行ってしまったとか思うのだろうか。う〜ん、もしかしたら、そんなことを考えているのは俺だけなのか。周囲は気にしていないのかもしれないなぁ・・・・。』
そうなのだ。俺は取材者だからこそ、そうしたことを気にしているだけなのかもしれない。ほかの死者は、誰が周囲にいて、どこへ行ったのか、などということは気にしないのかもしれない。自分の前にいた死者が一人いなくなっても、どうということはないのだろう。どこかそのあたりのお花畑でうろうろしているかもしれないのだ。そういえば、初めて現世に帰って、あの世へ早めに戻されたとき、あの覗き見教師は花畑にいた。そう、浮気女の彼女も・・・・。
『まあ、いいか、戻ってきてしまったのだし。あっちへ戻った時、はっきするだろう。』
俺のつぶやきには誰も答えなかった。もう五官王の声は聞こえないらしい。ならば、現世を楽しんでおこう。それはそう決めた。
『さて、家には誰もいないし・・・。今何時ころなんだろうか。』
部屋の・・・俺が飛ばされた部屋は、俺の遺骨がある座敷だった・・・時計を見た。時計は2時10分ころを指していた。外は明るいから、昼の2時である。女房は買い物にでも出かけているのだろう。外へ出たほうが気が滅入らなくていい。気晴らしも大事だ。
『暇だなぁ・・・先輩のところにでも行ってくるか。』
以前の経験が生かされているのだろう。俺はあっという間に先輩の寺へと飛んだのだった。
『歩いて来なくていいようになった。なんだか、超能力を使っているようでいい気持ちだなぁ。』
ついたところは先輩の寺の本堂だった。先輩はと言うと・・・・不在であった。いなかったのだ。
『ちぇ、今日はなんだかついてないなぁ。先輩もいないのか・・・。さてどうしようか・・・。』
先輩の寺の本堂は、相変わらず居心地がいい。香がよく匂っている。本尊様の観音様は、よく輝いており、エネルギーが満ち溢れているようだった。俺は本尊様の下でぼ〜っとしていた。生きている時ならば、心地よく昼寝をしているような感じだ。
外から車が止まる音が聞こえてきた。しばらくして、足音も聞こえてきた。
「なんだ、また来ているのか。まったく暇だな、お前も。」
先輩が帰ってきたのである。
「俺はな、今お祓いに行ってきたところなんだ。まだ、昼飯も食ってない。だから、話はあとからだ。」
先輩は、テキパキとお祓いの道具だろう・・・それを片づけて、さっさと奥へひっこんでしまった。また、俺は一人取り残されたことになる。
『奥へ行ってみようかなぁ・・・。』
お寺の奥、庫裏の方へは生きているときも入ったことがない。どうなっているのか全く知らなかった。ただ、先輩は結婚をしていることは知っている。それはもう、美しい奥様がいるのだ。
「あんな先輩によくもまあ、あんな美人が・・・・」
と結婚当初は言われたらしい。確かにそう思えるほどの美人の奥様だった。お子さんもいるという話は聞いていたが、俺はあったことがない。
『よ〜っし、奥を覗いてみよう。幸い俺は肉体がない。先輩以外の人には気がつかれないし、どこからでもはいれるからな。』
俺は先輩が入って行ったドアの方へ向かった。そのドアの向こうは本堂と庫裏をつなぐ渡り廊下になっているはずであった。
『あ、あれ?、あれ、おかしいなぁ・・・。』
どうにも入れない。ドアをすり抜けられないのだ。
『おかしいなぁ、普通ならドアをすり抜けられるのに。壁はちょっとしんどいけどドアなら楽に行けるはず・・・。あ、あれ・・・。』
俺は助走をつけてドアに当たってみた。が、
『うわっ、は、弾かれた。』
そうなのだ。俺は弾き飛ばされたのだった。
『こうなりゃ意地だ。外から入ろう。確か、庫裏の玄関があったはずだ。』
俺は庫裏の玄関側に回った。が、しかし、そこも入れなかった。というか、庫裏の玄関側へ行けないのである。
『おかしいなぁ、生きているときはこっちに回れたのに・・・。』
俺は本堂以外入れなかったのだ。
『ちょっと待てよ。外はうろうろできるんだよな、生きているときと同じように。だけど、庫裏へは入れない。庫裏周辺までは近付ける。が、庫裏の玄関から私用の門への道はいけない。』
先輩のお寺は東西に長い土地にある。本堂は西側にあり、南に本堂の入口を向けている。本堂を正面に見ると、本堂の右わきに庫裏へと通じる渡り廊下がある。俺が弾かれたドアがある方だ。
渡り廊下を進むと庫裏があるのだが、庫裏は庫裏で玄関が南向きにある。通用門があってそちらはいつもは閉じられている。個人の通用門だから当然である。用がる者は、本堂の方へ来るからだ。個人的な用事がある者だけが通用門へと回る。俺も生きているときは、何度も足を運んだ。むしろ、本堂へは行ったことがないくらいだ。
が、今は通用門の方へは近付くことができなかった。いけるのは、渡り廊下に垂直に作ってある竹垣の前までである。完全に庫裏の方へはいけないのだ。
『な、なぜだ・・・。俺が死者だからか?。』
きっとそうなのだろう。死者は死者らしく、寺にいればいい、ということなのだろう・・・。
俺は、ちょっと寂しかった。
「なに寂しがっているんだ。当たり前だろう。死者に俺のプライベートな領域に入ってこられたんじゃあ、たまったもんじゃねぇ。死人は死人らしく、本堂にいればいいんだよ。」
そう言って先輩は本堂に戻ってきたのだった。


「いったい何をしに来たのだ。お前も暇な死人だなぁ。」
先輩は、そう言いながら本堂の中で片付けを始めた。
「俺は忙しいんだよ・・・。」
などとぶつぶつ言っている。確かに俺は暇人である。しかし、そう言われると身も蓋もない。死人だから働くこともない。暇であることは間違いないのだ。それにしても他の死者はどうしているのだろうか?。
「決まっているだろ。お前みたいにふらふらしないで、家族のもとにいるのさ。そこが一番安心できる場所だからな。いずれこちらに帰ってこれなくなることもある。まあ、天界にでも行けば話は別だし、あるいは悪い場所に行けば、こっちの世界ともかかわりができてくるがな。しかし、そのときは懐かしむってわけにはいかないだろうけどね。」
えっ?、それはいったいどういうことなのだろうか・・・・。こっちの世界に戻れるのは、49日までじゃないのか。確かに、天界に行けばそんなことはないことは分かる。守護霊として戻ってくることは可能であろう。女房の守護霊のじいさんのように。しかし、それもすぐには無理ではないだろうか。時間を経てからでは・・・・。
「まあな、確かにそうだが、天界でもランクがたくさんあるからな。上位のランクに行けば、比較的早くこちらの様子を見に来ることができる。それに・・・・。」
先輩は俺の考えていることを読み取って答えてくれた。
「それに、稀なことだが、極楽浄土へでも行けば、すぐにこっちの世界の子孫を温かく見守ることが可能だしな。まあ、稀だけどね、極楽へ行くのは・・・。しかし、お前はちょっと変わってるなぁ、普通は、死者は家族のもとにいる、と言われれば、フラフラしていることを恥じるものだが・・・・。変なヤツだ。だからこそ、取材者などという役目を負わされているのか。ふっ。」
先輩は、気の毒そうな眼を俺に向けて鼻で笑った。
『そんな笑い方しないでくださいよ。そう言われるのも無理はないかもしれないですが・・・・いろいろと知りたいんですよ。未知の世界ですからね。興味津津でして・・・・。』
「へらへらと・・・。軽いねぇ、まったく。で、何の用だ?。」
『あ、いや、まずは今の話の続きを・・・・。』
「続き?。何を話していたっけ?。」
このおとぼけが怖い。肝心なこととなるととぼけて知らぬ顔をしようとする。その手には引っかからない。俺は話を戻した。
『こっちの世界に帰ってくることができる死者の話です。今まで聞かされていたのは、亡くなってから49日の間はあの世・・・死者の世界ですよね・・・と、この世・・・生者の世界・・・を行き来できるということでした。しかし、今の先輩の言葉によれば、49日を過ぎてからもこっちの世界と関われるようじゃないですか。どういうことですか。説明してください。』
「はぁ〜、めんどくせー。」
と先輩は大きくため息をついた。
「まったく、しょうがねぇなぁ。順を追って話そうか・・・。」
先輩は椅子にどっかと座って足を組んだ。いつも相談ごとを行っている部屋である。
「あのな、死者は、亡くなってから49日の間は比較的自由に、この世とあの世を行き来できる。これはお前もよく知っている通りだ。現在経験中だからな。比較的、と言ったのは、死者の裁判があるため、その裁判の前にはあの世に強制的に戻されるからだ。そこには自由はない。稀に、例外として、戻されることを強く拒否する者がいる。あの世からすれば、裁判を拒否した脱走者だ。」
そういえば、確かに一度脱走者が出たと牛頭だか馬頭だかが騒いでいたことがあったっけ・・・。
「そう、裁判を拒否してこの世に留まる死者も、稀にいる。また、いつだかの婆さんのように、強い未練を持ってしまうと、こっちの世界に留まってしまうこともある。そうした場合、死者は一般の死者のように家族のもとへは戻らずに、未練の対象者、もしくは恨みの対象者のもとへ行くこととなる。尤も、未練の対象者や恨みの対象者が家族の場合ならば、家族のもとへ帰ることにあるのだが・・・。こうした例は、いわゆる例外だ。一般的な死者ではない。一般的な死者は、死んでから49日の間、裁判の日だけを除いて、自由にあの世とこの世を行き来できる。この期間を中陰という。宙ぶらりんの影のような存在だからだ。」
言いえて妙である。確かに宙ぶらりんで影のような存在だ。49日後に生まれ変わり先が決まるので、そっちから先は陰ではなくなるわけだ。
「その通りだ。」
先輩はうなずくと、俺の方をキツイ目で見たのだった。生きているときにこんな目で見られたら、ちょっと怖い。

「一般論で進めるぞ。
一般的に、死者は49日目に生まれ変わり先を自ら決める。自ら決めると言ったのは、自分で6つの扉から一つを選ぶからだ。その扉の向こうがどんな世界かは、死者も49日目の裁判官も知らない。誰も知らないところだ。すべては自己責任だな。
6つの扉の先には、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の世界へ通じる道がある。もちろん、扉にその世界の名前は書いてはいない。自分の罪と徳によって、さらには49日の間にどの程度の反省と懺悔と覚悟ができているかによって、扉の向こうの世界は変化してしまう。ならば、扉は一つでもいいじゃないか、と言われそうだが、6つの世界があるのだ、という認識をさせたいじゃないか。そのための6つの扉なのだ。
さて、死者はその中の一つを選ぶ。選べば生まれ変わりの世界だ。もうこっちの世界にも中陰の世界・・・裁判をしている場所だな・・・にも帰ってこれなくなる。
だが、行き先によっては、こっちの世界に戻ってくることになる場合もあるのだ。」
いよいよ本題に入ってきた。こっちの世界に死者が戻ってくるとは、いったいどういうことなのか。
「戻り方には、いろいろ種類がある。が、大きく分けて三種だ。
一つ。ランクが上の方の天界に生まれ変わることができた場合、もしくは稀だが極楽浄土に行けた場合。この場合は、しばらくその世界で修業すれば、神通力が使えるようになるから、こっちの世界を垣間見ることができるようになるのだ。力が強ければ、すぐにでも子孫の守護霊となることができる。特に極楽浄土へ生まれ変わることができた死者は、すぐにでも子孫を守護することができる。まあ、滅多にないことだがな、極楽浄土へ生まれ変わることなど。」
『えっ、極楽へは簡単にはいけないんですか?。よくナンマイダブと言っていれば極楽へ往ける・・・って話を聞きますが・・・・。』
「まったくお前ってヤツは・・・。そんなこと毛の先ほども信じてないくせに、よく言えるなぁ・・・。」
先輩の言葉に俺は知らぬ顔をした。心にも思っていないことを言えなければよき取材者とはなれない。そういう意味でいえば、俺は大嘘つきの部類に入る。
「まあいい。知っているとは思うが、ナンマイダブ、と何度言おうが、極楽にはいけない。心がなければ、どうしようもないのだ。心をこめて、南無阿弥陀仏、と唱えなければな、意味がない。口先だけではどうにもならないのだよ。口先だけで念仏を唱え、他人の悪口を言っているようでは、極楽なんて程遠いね。そんなことは当たり前のことだろう。念仏というものは、念仏申し上げたい、と思った瞬間が極楽なのだよ。それが浄土門の教えの真髄だ。なのに今の浄土系の坊さんときたら・・・・。あぁ、話がそれるな。やめておこう。」
先輩お得意の浄土系のお坊さんへの批判は、あっさりと終わってしまった。
「話を戻す。極楽浄土に生まれ変わった者か、ランクが上位の天界に生まれ変わった者は、徳の力が強い。だから、比較的早くにこの世・・・子孫と関わることができる。これが一つめだ。」

「二つ目、それは死者が苦しみの世界に生まれ変わってしまった場合だ。いわゆる地獄や餓鬼、と言ったところだな。あとは畜生界の一部だ。そういったところに生まれ変わってしまった場合も、こっちの世界と比較的早くにかかわることとなる。意味がわからん・・・という顔をしているのだろう。分からないのなら、黙って聞くように。」
先にくぎを刺されてしまった。どういうことなんですか、と聞こうと思ったのに・・・・。
「なぜ、苦しみの世界に行った死者がこっちの世界の子孫に関わるのか。それはひとえに助けを求めているからだ。」
『あぁ、なるほど・・・・縋ってくる・・・』
「黙って聞けよ。お前の言いたいことは分かってるって。でもな、とりあえずは黙って聞け。
縋ってくる・・・その通りだ。苦しみの世界、地獄・餓鬼・畜生の世界・・・厳密にいえば地獄・餓鬼の一部・畜生の一部だ。詳しくはあとでいう・・・・に生まれ変わった者は苦しいのだ。助けて欲しいのだ。助けを頼ることができるのは子孫しかない。周囲にいる仲間も同様に苦しんでいるのだ。お互い助けることはできない。いや、周囲のものを助けてあげよう、自分は苦しんでもいいから助けよう・・・などという心の持ち主ならば、地獄などには来ていない。餓鬼にはならない。畜生にもならない。他を省みず、自己本位で貪ってきたからこそ、苦しみの世界へ行くのだ。そっちの世界へいって初めて苦しさに気付くのだな。で、助けを求める。生きているときは、助けなんていらぬ、お経なんていらぬ、と大見得を切っていた連中が、お経を!供養を!と求めてくるのだ。どうやって?。子孫に影響を与えて、だ。どんな影響か?。事故や病気、怪我、不思議な出来事など不幸な出来事を起こして、知らせてくるのだ。というより、苦しみにのた打ち回っているから、必死にすがるだろ、そうすればその不運が伝わって、不幸な目に遭うのだな。当然のことだ。先祖が苦しみの世界にいっていれば、子孫に影響が出るのは当たり前だな。縋っているのだから、先祖の不幸が伝染しているのだから。このように、苦しみの世界に生まれ変わった場合でも、こっちの世界と関わることになるのだよ。
あぁ、餓鬼の一部と言ったのは、中には、富める餓鬼になる者がいるからだ。稀だがな。そういう餓鬼に生まれ変わった者は、裕福な家に張り付いて、その家の福を食いつくす。まあ、一種の貧乏神だな。そういう意味では、こっちの世界と関わりを持っているが、対象が子孫とは限らない。他人の家であろうが、なんだろうが、金持ちなどの家にとり憑いて、その家を食いつぶす。で、さらに悪い餓鬼へと落ちていくのだな。そうなれば、子孫と関わりができてくるだろうがな。恐ろしいことだな、餓鬼も怖い。富める餓鬼・・・貧乏神にとり憑かれたら、もう終わりだな。」
先輩はそこまで一気にまくし立てたのだった。

「あぁー、疲れた。のどが痛いのう、こんなにしゃべると・・・。」
と言って、先輩はいったん奥に引っ込んだ。再びもどってくると、手には湯のみが、口の中には・・・どうやらのど飴のようだ。
「のど飴を舐めながら、熱い茶を飲む。これがのどにはいい。一度やってみるか?。あぁ、のどがないな。残念だな。」
イヤな先輩である。こうやってときどき、チクチクと嫌みを言うのだ。それが趣味であるかのようだ。
「趣味だよ。じゃなきゃ、死者相手にやってられるか。」
先輩は、ギロッと俺を睨みつけた。
「さて、畜生の一部について話をしてなかったな。畜生の一部だけがこっちの世界と関わる、と言ったのは正確ではない。助けを求めるのが、畜生の一部、という意味だ。あぁ、餓鬼の場合も同じだな。餓鬼の一部がこっちの世界、子孫に助けを求めてくる、という意味だ。餓鬼の中の富める餓鬼になった者は、さらに苦しい餓鬼か地獄に行ったときに、子孫に助けを求めてくる。
畜生もそうだ。畜生の中でも特に苦しい世界・・・たとえば、鼠に生まれ変わったとか、蛇になったとか、昆虫に生まれ変わったとか・・・ともかく、とてもじゃないが耐えられない、という畜生に生まれ変わった者は、子孫に助けを求めてくる。どんな形でか・・・。やはり、病気や怪我、不運、不思議なできごと・・・などだ。
で、子孫に助けを求めて来ない、畜生道へ生まれ変わった死者もいる。それは、ペットとなった者たちだ。ただし、同じペットでも、かわいがられているペットだ。虐待を受けている愛玩動物となった者は、同じく子孫に助けを求めてくる。大事にされる、丁寧に扱われる、そうした愛玩動物に生まれ変わった者は、まあ、子孫に助けなど求めて来ないだろうな。苦しみを味わっていないから。しかし、実は子孫とは関わっているのだ。多くの場合、子孫が手にする愛玩動物は、先祖の誰かだったりする。あるいは、この世に生まれて来なかった子供・・・水子だな・・・の生まれ変わりだったりする。あるいは、早くに亡くなってしまった者とかな・・・。
まあ、いずれにせよ、身内ではあることがあるわけだ。あるいは、近所のものであったとか、昔付き合ったことがある異性であるとか、昔の友人で早くに亡くなったものであるとか、先祖の愛人であるとか、先祖が迷惑をかけた相手であるとか・・・この場合その愛玩動物はなつかないけどね・・・、どちらにせよ、深い縁を持ったものであることは間違いないであろう。他にも変わった例もあるがな、面倒なので省略する。」
ペットである。そうそう、そのことが聞きたかったのだ。あの浮気女は、旦那のもとへ帰るのだろうか。最も苦しいと本人も認めるように、旦那のそばにいるペットとなり、旦那がほかの女を抱くのを見させられるのだろうか・・・・。それこそ、地獄の苦しみであろう・・・・。

「どうした、急に・・・空気がしぼんだぞ。何があった?。いいか、愛玩動物として生まれ変わってしまい、こっちの世界において子孫や関係者と関わるという関わり方が、3番目の関わり方だ。これは特殊な例でも何もない。結構、多く見られる関わり方なのだ。そうした場合、その動物に生まれ変わった者は、助けを求めるようなことはしない場合が多い。かわいがられているからだ。さっきも言ったように、虐待されるような場合は、子孫に助けを求めてくる。その場合は、子孫に何らかの怪我や病気、不幸がやってくる。
この場合の病気は、普通の病気ではない。原因不明とか、わけのわからない病気の場合が多い。たとえば、癌になったから先祖が苦しんでいるのではないか・・・そういう相談者がいるが、癌などという病気はもはやポピュラーな病気だ。特殊でも何でもない。ストレスや食料品や環境で、誰でもなる病気だ。癌になったからと言って、先祖が地獄にいる、などということは言いきれない。もちろん、地獄にいる場合もある。しかし、その場合は、癌以外の病気か、怪我か事件か事故が起きているはずである。先祖が苦しい場所にいて、助けを求めている場合は、そのサインとして、病気や怪我や、不可解な事件や事故、不思議な出来事を起こすことがあるが、ポピュラーな病気や怪我や事故などは起こさない。なぜなら、目立たないからだ。誰もが罹るような病気というサインを与えても、子孫は気づかないだろう。だから、癌になったからと言って、先祖が地獄に落ちている、などというのはいい加減な言葉だと思った方がいい。
話がそれたな。先祖が苦しんでいる場合のサインは、特殊だということが分かればいいのだ。」
先輩は、そこまで話すと御茶でのどを湿らせた。

「さて、どうやら気にしているようだから、詳しく話すか。何を気にしているかは知らないけどな・・・・。愛玩動物に生まれ変わってしまった場合だ。これが三番目のこの世と死者の関わりだ、と言ったのだが、それはわかるよな。」
先輩は、そういって俺の方を見てニヤリとしたのだった。


「まったくもって面倒くさいことだが、仕方がないので教えてやろう。お前が気にしているのは、かわいがられるペットに生まれ変わっても、苦しむ場合があるのではないか、ということだろう?。」
大当たりである。そうなのだ、あの浮気女が最も嫌だ、と言った生まれ変わり方だ。旦那のそばにいるペットとなってしまい、旦那が別の女を抱く姿をまざまざと見せつけられることとなる・・・。これは、いくらかわいがられているペットであっても、苦痛なのではないか。本人も最も嫌だ、最も苦しいと言っている。
「お前の思った通りだ。いくらかわいがられている、大切にされているというペットでも、所詮はペットだ。人間にはなれない。
そうそう、さっき、『子孫に影響を与える』と言ったが、何も子孫だけではない。配偶者も当然含まれる。親戚関係・・・身内だな、そういうこともある。結婚をしてないカップルならば、恋愛相手、ということもある。いわば、深い関係者へ影響を与えるのだな。そこは間違わないように。本題に戻ろう。ペットに生まれ変わっても不幸である場合だ。
たとえば、愛するカップルが何らかの問題を起こし、その問題が解決せぬまま片方が亡くなってしまったとしよう。で、その問題は大きな問題で、地獄へ行かねばならないくらいのものだったとしよう。本心はお互いに愛し合っているわけだ。どこかで歯車が狂った、と言うだけのことだな。そんな状態で片方が亡くなった。
さて、その亡くなった方は、生前の罪により地獄へ落ちることとなった。この者の地獄とは一体何か、と問われれば、それは針の山に刺さることでもなく、切り刻まれることでもない。それは痛く辛いだけだ。我慢しようと思えば我慢できることだ。最も苦痛なことは、かつて愛した者が・・・否、死者となってもなお愛している者が、だな・・・自分以外の人間を愛する場面を何度も何度も見せつけられることであろう。しかも、単に見せつけられるだけではない。普段は自分もかわいがれているという状態におかれて、見せつけられるのが最も苦痛だろう。
普段、ペットとして抱かれたり、いじられたり、遊んでもらったり、話しかけてもらったりしているのに、人間の異性が来てしまったら、途端にそっちのけで忘れ去られてしまう存在となる。それは辛かろう。もし、その異性にかみついたり引っ掻いたりしたならば、めちゃくちゃ怒られるだろう。下手をしたら捨てられるかもしれない。これは・・・地獄の苦しみだな。
愛する者の元に生まれ変わることができた。それは喜びだ。だが、所詮はペットだ。その愛する者は人間なのだ。結ばれることはかなわない。それどころか、目の前でかつて愛した者が自分とは別の異性と激しく結ばれている姿を見なければならない。これはものすごく苦痛だな。拷問だと思うぞ。俺には耐えられないな、そんな状態。想像しただけで死にたくなる。まさしく地獄の苦しみだな。そういう場合もあるのだ。」
はぁ〜、あの浮気女もそうなりそうだな・・・と俺は沈んだ気分になってしまった。何も言葉が出て来ない。重苦しい気分だった。先輩も黙ってしまった。重い空気が周囲を流れていた。

「ふぅ〜、まったく何があったか知らないが・・・・。」
しばらくして先輩が話し始めた。
「大方、お前の前後の死者でそんなペットになりそうな・・・・女だな、しかも魅力的な・・・・がいるのだろうな。」
『はぁ・・・まさしくそうなんです。』
俺は正直に答えた。浮気女のことを手短に説明したのだ。
『おそらくは、今のままだと、そういうペットに生まれ変わるのではないかと・・・。』
「おそらくは、そうだな。確率は高そうだな。」
『それって避けられないのですか?。』
「う〜ん、難しいなぁ・・・・。まあ、本人・・・その女だな・・・は、反省しているようだな。まあ自分の行いは悪かったと思っているようだ。それも旦那が原因ではなく、自分の旦那への無理解がいけないのだ、とわかっているようだ。あくまでもお前の話よると、だがな。しかしなぁ・・・。この場合、いくら反省し、覚悟を決めても・・・・。あぁ、そうだな、覚悟を決めるか・・。」
『何かいい方法でも?。』
「ないことはないな。つまり、すべてを受け入れてしまえばいいのだ。」
『すべてを受け入れる?。』
「そう。ペットとして、元の旦那のもとに生まれ変ってもいい、最悪の地獄の苦しみを受けてもいい、そう覚悟することだな。心から。上っ面や言葉上だけでなく、だ。」
『そ、それは・・・・。』
「難しいな。おそらくは、受け入れられないだろう。しかも、ペットに生まれ変わることを避けるために、ペットに生まれ変わってもいいと受け入れるのは・・・本末転倒だな。矛盾している。嘘だ、欺瞞だ、インチキだ、と言われても仕方がない。もっとひどい目に遭うよな。」
『ですよねぇ・・・・。』
難しい話である。望みはなさそうだ。また二人とも黙ってしまった。

沈黙を破ったのは、やはり先輩であった。
「思うに、生きている者でも、罪を犯した者の本当の反省は、厳罰を受け入れることなのだろう。」
『えっ、どういうことですか?。』
「たとえば、ある者が重大な罪を犯したとしよう。人の命を奪うような、な。その者は逮捕され、裁判にかけらる。裁判中、『深く反省しています。自分の罪の重さを感じています。申し訳ない気持ちでいっぱいです。できれば過去に戻りたい・・・』などと反省の言葉や謝罪の言葉を口にするよな。」
『はい、します。まあ、中にはしない者もいますが、多くの場合は謝罪します。』
「しかし、判決が下ると、不服を申し立てる者が多いよな。」
『はぁ、まあ、多いですね。控訴する者が結構います。』
「心から反省している、と言っていたのに、なぜ判決が不服なのだ?。なぜ控訴する?。心から反省している、申し訳なかったと心から思っている、と言うのなら、どんな判決が出ても受け入れるべきではないか。というか、受け入れるだろう。それに不服を申し立てるというのは、心から反省していない、ってことじゃないか?。」
『ま、そう言われれば、そうなんですが・・・・。』
「矛盾しているんだよ。気持ちと行動がな。みんな結局は我が身が可愛いのだ。確かに、やってしまったことは悪かったと思う。本当に悪いことをしてしまった、と反省し、懺悔するのだろう。しかし、いざその罪をこうやって償え、何年間刑務所で暮せ、と言われれば、そこをなんとか軽く負けてください、と言ってしまうのが人間なのだ。愚かなことだと思う。そんなことを思うのは、真実の反省をしていない証拠なのだ。
こうしたことは人間界では許されることだ。しかし、あの世の裁判では無効だぞ。許されることではない。あの世の裁判官や後見人役である仏様が求めているのは、真実の反省なのだ。そうだな、お前が前に話をしていた強欲じいさん、この国の黒幕と言われていた怪物だ、そのじいさんの今の心境が真実の反省だろう。そのじいさんの、すべてを受け入れる覚悟がある、という言葉は真実なのだ。そこまでその女が至れるかな?。」
先輩はそういうと、寂しそうに笑ったのだった。確かに、彼女は、『その覚悟できるまで見捨てないで欲しい』と言っていた。それは本音であろう。しかし、それは難しいことであろうし、苦しいことである。今ごろ、彼女はまた元の旦那のところに戻り、旦那が別の女を抱いている姿を眺めているのだろうか。ペットに生まれ変わって、毎日のようにその姿を見せつけられるようになってもいいように、今のうちに受け入れておこう、とでも思っているのだろうか。ひょっとすると・・・。
「そうだな、その女はすでに地獄の苦しみを味わっているのかもしれないな。しかも、誰にも救いは求められない。それは・・・つらいだろうなぁ・・・。」
そうなのだ。今の彼女はだれにも頼ることはできないのだ。救いがあるとすれば、五官王たち裁判官がかけてくれた言葉だけなのである。
「お前にも何もできないよ。」
『な、なんですか、それ?。』
「だって、お前さん、『俺にできることはありませんか?』って聞こうとしただろ?。そんなことくらいわかるさ。」
こういうところがちょっとムカツク先輩なのだ。人の考えていることを先回りして否定してくる。やりにくい人である。
「悪かったな。ムカツクなら、帰っていいぞぉ。」
ニヤッとした先輩の顔は、まるで悪魔のようである。善良そうな顔をした悪魔だ。
『確かに、俺に出来ることはないか、聞こうとしましたよ。否定はしません。でも、そんなあからさまに・・・・。』
「バカなことを言うな。だいたい、その女、お前さんの話を聞くか?。聞かないだろ。ならば、大きなお世話をすることはない。しかもだ、お前さんよりも人間の心を扱うことに慣れている裁判官の皆さんがいるのだ。お前がしゃしゃり出てくる場面はないのだよ。否、お前が出来ることはないか、と思うこと自体、おこがましいのだ。何様のつもりなのだ。うぬぼれるのもいい加減にしろよ。」
まさしくその通りだ。俺は何を思いあがっていたのだ。俺は大バカモノだ。
「その通りだな。まあ、気がついてよかったよ。愚か者のくせに自分のことを賢いと思いこんでいる人間ほど愚か者はいないからな。この国の政治家のように。」
まさにその通り、おっしゃる通り、御尤もである。俺は何も言い返せなかった。
「望みはな、その女がもう少し時間をくれ、と言ったことだ。もしかしたら、すべてを受け入れる覚悟ができるかもしれん。そうした覚悟には、自分自身で至らねばならないのだ。そのための49日間なのだからな。」
『そうですね、あの強欲じいさんのようになればいいんですね・・・・。』
「そうだ、あの強欲じいさんのようになればいい。そのじいさん、相当な覚悟ができたのだろ?。」
『はい、実は・・・。』
俺は、転生の秤が迷ってしまい、生まれ変わりを指すことができなかったことを伝えた。
「秤が迷う?。ほう、それは珍しいな。そんなこともあるのか。あの黒幕ジジイ、よほどの覚悟ができたと見える。わからんものだな、死んでから裁判を通してどんどん悟りに近づいていくとは・・・。生きているときにいい僧侶に出会っていたら、もしくは自分が修行僧にでもなっていたら・・・・。まあ、しかし、世の中はそういうものかな。傑出した僧侶と言うのは、もう出て来ないのかもしれないなぁ・・・。」
先輩は、遠くを見るような眼をしてしみじみとそう言ったのだった。
『先輩は傑出しているじゃないですか。』
「バカかお前は。俺が言っている傑出した僧と言うのは、昔にいた高僧と呼ばれるような人のことを言っているのだ。俺などは、小粒も小粒。足元にも及ばんよ。」
『でも、あの世でも知られてましたよ。五官王も知ってましたし。』
「あの世の裁判官は、こっちの世界の僧侶の名前くらい、全部知っているよ。やっていることもな。特に僧侶に対しては、よ〜っく知っているのだ。どうせ、いい加減なクソ坊主、とでも言っているのだろう。まあ、そういう評価でいいと思っているからいいんだが。あっはっはっは。」
『まあ、確かに変わり者の坊さんだとは言ってましたが・・・。』
「おぉ、そうか、それは嬉しい評価だ。ならば、益々変わり者で通そう。ということなら今夜は遊びに行こうかな。」
なんという人なのか、この人は。いきなり俗人になっている。はぁ〜、と俺は深くため息をついた。
「あのな、俺は自由でいたいのだ。自由でいたいということにもとらわれたくないのだ。俺がどのように生きようと、お前には関係ない。自分の生き方によって、地獄に落ちようとも構わないと思っているのだよ。すべては自己責任だからな。その覚悟なきゃ、こんなに浮かれてなんかいないさ。」
この人はいったい・・・。単に自分勝手なだけではないのか。それなのに、あの世での評価は高いのだ。覚悟と言うものは、よくわからないものだ・・・。
「つまらんことを考えてないで、用がないならさっさと帰ったらどうだ。もう日が暮れるぞ。日が暮れかかって来てぼんやりした時間帯は、昔から逢魔刻(おうまがどき)と言って、魔物に逢いやすい時間だ。妙な魔物に出会って、あの世に戻れなくなってもしらないぞ。」
『そんなことってあるんですか?。』
俺の問いかけに、それまで携帯電話でメールを打っていた先輩が顔をあげた。その顔は、まさに
「しまった!」
であった。きっと俺の顔が見えているのなら、先輩とは反対にニヤニヤしていただろう。
バツが悪かったのか、先輩は急に立ち上がり、
「いずれにしても今日はおしまい。初めから約束があるのだ。坊さん仲間と食事に行くことになっている。」
『逢魔刻にですか?。魔物に逢いますよ。』
「いいんだよ。魔物も同席しているから。」
『はぁ?、それって・・・あ、魔物って女ですね?。』
「俺が何をしようと自由だ。お前には迷惑をかけてはいない。」
『わかりましたよ。今日のところは引き下がります。俺だって、女房や子供と一緒に食卓を囲みたいですからね。でも、明日また来ます。死者が魔物に逢うとどうなるか、それを聞きたいので。』
俺はそういうと、先輩に何か言われる前に自宅を念じた。そうすれば、一瞬のうちに自宅に帰ることができるのだ。寺にいたから、エネルギーは満タンであるし・・・・。
「ち、今日はやられたなぁ・・・。」
という先輩の嘆きが聞こえてきたような気がしたのだった。

自宅に戻ると、そこは夕餉の支度をしている最中のキッチンだった。女房はいつものように料理を作っている。子どもたちは、二人でTVゲームをしていた。
「さぁ、そろそろご飯よ。ゲームをやめて手伝って。」
「は〜い、今セーブするから。」
平和な光景である。どこの家庭にもある幸せそうな光景である。欠けているのは俺だけだ。こういうシーンを見てしまうと、ついつい泣けてきてしまう。未練が急に湧きでてくる。さっきまでそんなこと思ってもいなかったのに、急に
『あぁ、死ぬんじゃなかった。もっと生きていたかった・・・。この食卓に一緒に座っていたかった・・・・』
という思いがこみ上げてくる。暖かい家庭の様子に安心はするのだが、自分がいなくてもみんな元気だという姿に寂しい思いもする。俺も一緒にいたいという未練もあれば、申し訳なかったな、ごめんよ・・・という気持ちも出てくる。複雑な思いに、俺はその場から動けなくなっていた。
『そんなものぢゃ。それで正常ぢゃ。早くに死んだのだから、しかたがないものよ。』
そう声をかけてきたのは、女房や子どもたちの守護霊をしてくれているじいさんであった。俺は、その顔を見て
『お久しぶりです。』
と一言いったきり、言葉が出て来なかった。久しぶりでもないくせに・・・。


『同じことの繰り返しぢゃ。いつまでたっても、家族の姿を前にしたら、悲しみがこみ上げてくるのは自然なことぢゃ。』
守護霊のおじいさんは、優しくそう言ってくれた。
『慣れないものぢゃよ、その気持ちはな・・・・。だから、毎回同じことで泣くな、なんてことは言わん。何度でも泣くがいい。』
おじいさんの言葉は、俺の心に痛いほど響いたのだった。
『そうなんですよねぇ。戻ってくるたびに、同じように嘆いている。同じように悲しんでいる。いや、むしろ悲しみや未練は強くなっているんです。家族の顔を見るたびに、辛さが増していっているんです・・・。』
『そうじゃなきゃおかしいだろ。やがて会えなくなるであろう、そう思えば、日増しに辛くなっていって当たり前ぢゃ。もし、そう思ないなら、わしがお前さんを怒るぢゃろうなぁ。なんて薄情なヤツだと、な。』
確かにそうだ。残していった家族に対し思いがないようならば、それは薄情なヤツにすぎない。俺は決してそんなん人間ではない。家族に対する未練や愛情、すまないという気持ち、それがあって正常なのだ。しかも、日増しにそれが強くなっていって当然なのだ。なぜなら、もう会えなくなるかもしれないからだ。なるほど、そう考えて見れば、この49日の間というのは、残された遺族はもちろんのこと、死者も気持ちを整理するためにあるといってもいいのだろう。たとえば、亡くなってすぐに生まれ変わり先がきまてしまい、別れを惜しむ間もなくこの世との関わりがなくなってしまうのというのは・・・辛すぎるとしか言いようがない。それじゃあ、まるで魂のベルトコンベアーみたいだ。死んだら次の世界、皆さん忘れてね・・・・。そんな虚しいのは嫌だ。せめて、ほんの少しでも長く、華族の顔を見ていたい・・・・それは欲望かもしれないが、一種の癒しでもあるのだろう。死をしっかりと受け入れるには、49日間というのはちょうどいい期間なのかもしれない。
『うまくできているものよのう、あの世の仕組みというものは。49日の間に、生きている者は悲しみに耐えることを覚え、死者は未練と別れを告げることを覚える。そして、生きているときに己がしてきた行為を深く反省させられ、人間のあるべき姿を教えられるのぢゃ。本当にうまくできておる・・・・。』
おじいさんはしみじみとそう言った。それには俺も大きくうなずいたのだった。
『ところでお前さん、今までどこに行っていた?。』
『あぁ、先輩のところに行っていたんですよ。教えてもらいたいことがあって。』
『教えてもらいたいこと?。』
俺は先輩とのやり取りをかいつまんで話した。
『なるほどのう、49日を過ぎてからのこの世と死者との関わりか。まあ、わしのような関わりかたはよくある話だが、苦しみの世界に行っていても、まあこの世のものとは関わるわなぁ・・・。いずれあの世とこの世は背中合わせだからのう。うぅん、いや、微妙に交錯しているといったほうがいいか。』
おじいさんは腕組をして考え込んだ。

『死者の世界は、基本的には生者の世界と隣合わせといってもいいぢゃろう。生者のすぐそばにこうして死者が潜んでいるのぢゃからな。』
『あぁ、確かにそうですね。死者の世界も生者の世界も並んで存在しているんですね。ただ、死者からは生者の世界が見えるけど、生者からは死者の世界は見えない・・・。』
『そういうことぢゃな。それはいいのか悪いのか、と言われれば、それでいいのぢゃろう。死者は、実際には生者の世界にはいない存在なのぢゃから。』
それはそうなのだが、ちょっと寂しい気もする。生者から死者の姿が見えてもいい時だってあるのではないか。
『確かにぢゃ、先祖が苦しんでいたりした場合、先祖が苦しみの世界に生まれ変わってしまい、子孫に救いを求めてきた場合、生きている子孫がそうした先祖の姿が見ることができれば、便利であろうな。悪い霊能者に騙されもしないしな。』
『そうですね。先祖が直接、子孫に訴えることができて、子孫もそれを聞くことができたり、見ることができれば・・・TVに出ているような胡散臭い霊能者に騙されるようなことはないでしょう。それに、先祖も苦しみの世界から簡単に救われることになるんでしょうねぇ。どうしてそうはならないのですかねぇ。こっちからは生者の世界が見えるのに、向うからは見えない。それは不公平なのではないでか?。』
『なぜぢゃろうなぁ。まあしかし、生きている者が死者を見ることができたら、どうなると思う?。』
『あっ、それはちょっと・・・嫌ですねぇ。声をかけたら死人だった、ってこともあり得ることになりますからね。死者と生者の区別がつかなくなる。』
『ぢゃな。だから見えないようになっているのぢゃろう。それにな、本来、苦しみの世界へ生まれ変わったとしても、生まれ変わった者は子孫に救いなぞ求めちゃいかんのぢゃ。』
『えっ、どういうことですか?。救いを求めるのは普通じゃないんですか?。以前、子どもたちの学校に行ったとき、救いを求めている先祖が結構いたじゃないですか。あれはいけないことなんですか?。』
『そういうことぢゃな。』
俺はキツネにつままれた気分になった。いったいどういうことなのだろうか・・・・。

『お前さん、49日目に生まれ変わる先が決まる話は聞いておるな?。』
『はい聞いてます。扉が6つあって、その一つを選ぶのでしょう?。』
『あぁ、そうぢゃな。扉というか、門というか、鳥居というか・・・見え方は人それぞれなんぢゃが、まあいいそれはいいぢゃろう。ともかく、自分で自分の生まれ変われ先を選ぶということぢゃな。そこまで都合7回の裁判を行うわけぢゃ。』
『はい、そうですね。』
『それは皆覚悟して門というか、扉を選ぶのぢゃな。』
『そうですね。それまでに7回の裁判で十分反省させられていますし、己の悪いところは納得しているでしょうし・・・。私の前後の死者もそれなりにどの世界へ生まれ変わっても納得できます、というようなことを言ってますよ。』
『そうぢゃろ。みんな覚悟しておる。生まれ変わり先がどんなところでもいいと、納得しておるよな。』
『あっ、そういうことですか。』
『わかったかな。』
『はい、わかりました。どんな世界へ生まれ変わってもいいのだと納得しておいたにもかかわらず、生まれ変わった先が苦しいからと言って子孫に助けを求めるのは・・・・。』
『ずるいぢゃろ。』
確かにそうだ。今まで4回の裁判を経験したが、俺の前後の死者はの多くは、自分の罪を認め、どんな世界に生まれ変わっても仕方がない、当然地獄でも構わない、と納得している。現に裁判でもそう言っていている。おそらく、どんな死者も7回の裁判を通じて、己の罪を自覚し、これだけの罪を犯したのなら苦しいところへ生まれ変わっても仕方がない、と納得しているはずだ。
にもかかわらず、生まれ変わった先が苦しいからと言って助けを求めるというのは、筋が通らない。どんな世界へ生まれ変わってもいい、といった以上、そこが苦しみの世界ならば、その苦しみを甘受するべきであろう。助けを求めること自体、しかも子孫に助けを求めるなんて、子孫はいい迷惑だ。
『多くの死者は、納得して生まれ変わっていくはずなのぢゃが、地獄だの餓鬼だの畜生だのといった、苦しみの世界へ生まれ変わった者は、はやり苦しいのぢゃよ。助けて欲しくなるのぢゃよ。それが人情ってもんぢゃろう。』
『そりゃあ、そうかもしれませんがね。そもそも苦しみの世界に生まれ変わったのは自己責任じゃないですか。それを子孫に助けてくれっていうのは、ちょっと虫がよすぎませんか?。勝手すぎますよね。』
『そうぢゃなぁ。勝手すぎるわなぁ・・・。まあ、その苦しみの世界が、自分が思っていた以上の世界だったんぢゃろうなぁ。初めは我慢できる、そう思うぢゃろう。ところがな、だんだん苦しみが溜まってくるんぢゃろう。やがて我慢できなくなってくる。地獄の番人も、我慢できるなら、それ以上の苦しみを与えようとするぢゃろう。まあ、わしは地獄は見たことがないから、何とも言えないがな。いずれにせよ、限界を通り越してしまえば、助けが必要となるのは・・・・当然と言えば当然ぢゃろうな。』
『でも、本来は子孫に救いを求めてはいけない、のですよね。』
『そうぢゃ。本来はそうぢゃ。亡くなった者と生きている者が、そうした関係を持つことはよくはない。』
『どうしてそうなったんでしょうかねぇ。』
『この世が乱れているからぢゃろう。生きている者が、もっとあの世のこと、死後の世界の決まりごとを知っていたならば、子孫に救いを求めるなどということはないぢゃろうな。現実世界側の人間の問題ぢゃ。すべては自己責任である、とうことをもっと理解し、納得せにゃあいかんのぢゃろ。なんでも他人のせいにしたり、責任を取らなかったりという大人が多すぎなんぢゃよ。』
『そういうことをもっと厳しく教える人がいなきゃいけないんでしょうね。』
『昔は坊さんがその役目だったんぢゃがな・・・。今の坊主は何にもせん。葬式して法事して、うわべだけのいい話をして終わりぢゃ。もっと本質的な、厳しい話は誰一人としないのが現実ぢゃ。まあ、あの世の話などしても信じない者が大半ぢゃがなぁ。』
『TVに出ているような胡散臭い霊能者の話は信じるくせに、ですよね。どうせ信じないのなら、何もかも信じなければいいのに。』
『そうぢゃな。それこそ、自己責任で生きていけるからのう。そうした潔さが、今の日本人にはないんぢゃよ。だから、子孫に迷惑だとわかっていても、救いを求めてくるのぢゃな。』
『まあ、自分の子供ですら虐待死させてしまう時代ですからね。自分さえよければいい、という思いが強すぎるんでしょうねぇ。』
『そうぢゃな。そういう自分勝手な人間だからこそ、地獄へ落ちるようなことになるのぢゃから、そういう自分勝手な人間を親に持った子供は大変ぢゃなぁ。生きているときも親から迷惑を受けて、その親が死んでからも迷惑を被る。かわいそうなもんぢゃのう。』
『そうした仕組みっていうのは、なんとかならないんですかねぇ。』
『仕組み?。あぁ、仕組みな・・・。うぅん、ということは、子孫に救いを求めないようにする、ということか?。』
『そうです。子孫に救いを求めてはいけない、と地獄でいえばいいのではないですか?。』
『まあ、できればそれはいいのぢゃろうが、そんなことはできないぢゃろ。ならば、誰に救いを求める?。』
『ですから、自己責任ですから誰にも求めないんですよ。』
『なるほどのう・・・。でも、そうならば、裁判はいらんぞ。裁判なしで地獄へ行っても同じぢゃ。裁判の意味がなくなる。』
『あぁ、そうですねぇ。でも、裁判は反省させるために・・・・あ、そうか。地獄でそれをさせればいいのか。そうなると・・・・。あぁ、なんだか難しいですねぇ。』
『難しいのう。・・・思うに、何か意味があるのぢゃろう。』
『意味ですか?。』
『そうぢゃ。死者が苦しみの世界へ生まれ変わってしまって、救いを子孫に求めてくる、という仕組みがあるのは、それ自体に意味があることなのぢゃろう。天界でな、教えてもらったのぢゃ。生きている者の世界でも、死んだ者の世界でも、宇宙のどこでも、意味のない現象はない、すべてに意味はあるのだ、とな。難しいことぢゃから、よくはわからんが、なんとなくはわかる。どんなん世界においても、意味のない現象、意味のない命、意味のないこと、それは、無い、のぢゃよ。』
難しい言葉だが、いい言葉だと思った。現実世界では、よく生きている意味がわからない、自分の存在意味がわからない、などいって自殺をしてしまう若者がいる。そういた者に聞かせたい言葉である。この宇宙において存在するすべての現象、命に意味のないものはない、それだけではないだろう。価値のないものはない、と言ってもいいのだろう。すべてに存在価値はあり、存在意義があるのだ。こうした考え方は、子供のうちからよく教育しておくべきであろう。
しかし、そういう話をすると、
「じゃあ、苦しんでいる難民の人たちはどうなんだ、職業もなくふらふらと段ボールハウスで生活している人たちはどうなんだ、彼らにも存在意義はあるのか、存在価値はあるのか」
と食ってかかる者もいよう。「あんなホームレスに存在価値などない」という過激なことを言うもの出てこよう。しかし、彼らにも存在価値はあるのだ。彼らにも生きている意味があるのだ。
「それはどんな意味?。」
と問われても、即座には答えは出て来ないが、それでも命である以上、存在意義はあるのだろう。命はそれほど重いものなのである。
俺の思いはおじいさんの話の内容とは別の方向へ流れていっていた。

『ぢゃから、苦しみの世界へ生まれ変わった者が子孫に救いを求めるということ自体にも、何か意味があるのぢゃろうよ。』
『あっ、あぁ、そういうものですか。いったいどんな意味があって、そんな傍迷惑な仕組みが存在しているんですかねぇ。』
『明日にでも先輩の住職さんに聞いてみればよかろう。』
それはいい案である。先輩なら何かわかるかもしれない。ひょっとすると、先輩でも答えられないかもしれない。もしそうなら、ギャフンと言わせることができる。
「いい質問だ。答えららない。参った。」
という先輩の顔が見てみたいものだ。
『そうですね。明日にでも聞いてみますよ。他に聞きたいこともありますし。』
『ほう、他にとな。』
『えぇ、今日ね、先輩がふと漏らしたんですよ。夕暮れ時は逢魔刻(おうまがどき)といって魔物に遭うことがある。そうなれば魂だけのお前は困ったことになる、とね。どう困ったことになるのか、教えてもらおうと思って。』
『あっはっは・・・、なるほどのう。お前さんの先輩も面白いのう。半分は冗談ぢゃろ。』
『えっ?、そうなんですか?。でも、ということは、半分は本当なんですね?。』
『まあな。そういうこともあるのぢゃろうな。わしはよくわからんがの。おやおや、お前さんと話し込んでいるうちに、どうやら食事は終わったようぢゃな。』
いつの間にか、食卓では女房と子供たちが座っていて、食事を始めていたのだ。それももう終わっている。女房が片付けを始めたのだった。子どもたちはTVの前に移動していった。
「ちゃんと宿題をすませなさいよ。」
「は〜い。」
いつもの、どこの家庭でも見られそうな光景である。
『いい子に育っておる。今のところ、父親がいなくてもなんとかなっておるな。』
『はぁ、それはありがたいことなんですが、ちょっと寂しい気もしますね。』
『いやいや、お前さんは寂しいかも知れんが、曾孫も寂しいよ。お前さんを失くしているんぢゃからな。』
それを言われるとつらい。
『ま、そのうちにいい男でも見つけて、再婚してもいいんじゃないですかねぇ。女房もまだ若いし・・・・。』
『お前さん、本気でそう言っているのか?。強がりは精神に毒ぢゃ。未練たっぷりのくせに、な。あははは。』
おじいさんの笑いに救われたような気分だった。俺は、涙をこらえてほほ笑んだ。
『いつかはそうなるかもしれませんし、そうはならなうかもしれません。女房が決めることです。さて、ちょっと座敷の祭壇に行って休みます。』
俺はそこにいるのが辛くなってきたのだった。


祭壇の上あたりでふわふわぼんやり漂っていると子供たちが座敷に入ってきた。毎日寝る前に俺の遺影に向かって手を合わせているようだ。祭壇の前にはローソクと線香がある。線香は渦巻き状のもので、絶え間なく香を放っている。ローソクは危ないという理由で消されていた。二人はローソクに火を灯し、渦巻き状のものとは別の線香に火をつけ、香炉に立てた。いい香が漂ってきた。
チーン、チーンとお鈴(りん)をならす。
「お父さん、今日も一日よい子にしてました。おやすみなさい」
二人揃って手を合わせている。目を閉じ、じっとしている。
『いかんいかん、ここにいても辛くなるじゃないか。』
俺はうろうろしだした。が、ふと、立ち止まる。これではいけないのだ。こんな幼い子供たちですら俺の死を受け入れている。俺がそこから逃げてはいけない。父親として、しっかり子供たちを見ていかねばいけない、俺はそう思ったのだ。自分だけが辛いわけじゃないのだ。女房も子供たちも、みんな辛さを乗り越えようとしているのだ・・・・。
俺は祭壇の上に戻った。
『よい子でなくてもいい、元気で健康で、すくすくと育ってくれれば、それでいい。それでいいんだよ・・・・。』
俺は二人に声をかけた。ふと、ローソクの火が揺れた。その時であった。子供たちが話し始めたのだ。
「あれぇ、今日は何だか温かな気がするね。」
「火が揺れているよ。ひょっとしたらお父さんが来てたりして。」
「ここに?。そうかもね・・・・。ってことは、普段は来ていないってことかな。」
いいところに気付いた。そう、お父さんは普段は来れないんだよ。そんなことはないか、結構来れるのだが、あちこちうろうろしているんだよ。
「死んでからもお父さんは忙しいのかもね。」
「生きているときみたいに取材してたりして!。」
「そんなわけないじゃん。あはははは。」
二人仲良く笑っている。俺も思わず一緒に笑いたくなった。そして、死んでからも取材しているんだよ、おかしいだろ、と教えてやりたくなった。なんとなく幸せな気分になれたのだった。
二人はローソクの火を消すと、笑いながら座敷を出て行った。その背中に向かって
『おやすみ』
と俺は声をかけた。
しばらくすると、女房が座敷に入ってきた。
「なるほどね。今日はちゃんとここにいるのね。子供たちが言ってた通りだわ。あなたがここにいるかいないか、子供たちも私も分かるのよ。温かみが違うから・・・。昼間はホント、いないわよねぇ、あなた。どこをうろうろしているのか知らないけど・・・。まさか、まだ会社に行っているんじゃないでしょうねぇ。ま、それもあなたらしいかもしれないけど。でもねぇ、いい加減ゆっくりしてもいいんじゃないの?。もう死んでるんだから。あ、死んでるんだから、ゆっくりも何もないか・・・。バカみたい、あははは・・・。」
女房が泣き笑いをしている。女房のそんな姿が、そんな語りかけが嬉しかった。いつしか俺は
『ありがとう、ありがとう・・・・。』
と繰り返していたのだった。今日は、心地よく過ごせそうな気分だった。

死者は眠らない。確かに肉体がないから眠る必要はない。じゃあ、家族が寝静まった後、死者はどうしているのか・・・・。他の死者はどうしているのか知らないが、俺の場合はほぼ寝ているのと同じような状態になっている。一番楽な位置は俺の遺影や白木の位牌、遺骨が置いてある祭壇の上である。ここでじーっとしていると、魂が休んでいる状態になるというか、思考が止まった状態になるというか、ぼんやりしている状態になるのだ。おそらくは眠っているのと同じ状態なのだろう。ふと気がつくと朝日がさしているのだ。それまでの記憶がないのである。
夕べ女房が祭壇の前で話し込んでいた。そのあと、俺はほのぼのとしたいい気分になった。それからしばらくは、そのいい気分に浸っていた。で、気がつくと朝だった。死者は眠らない、とは言うけれど(言わないのかな?。俺がそう思いこんでいただけか)、眠るのかもしれない。否、実際に記憶がないのだから、寝ているのだろう。
『正確に言えば寝ているのとはちょっと違うがな。』
そういいながら女房の守護霊のおじいさんが現れた。俺は『おはようございます』などとまるで死者ではないような挨拶をした。なんだか、間が抜けているような感じがした。おじいさんはそんなことは意に介さず、『おう』とか言いながら話を続けた。
『死者は肉体がないから眠る必要はない。たとえば、一晩中話し続けることも活動をすることもできる。が、しかし、死者といえどエネルギーは使う。魂を維持するためのエネルギーをな。それはお前さんもよく知っていることぢゃな。しかも、いろいろ思考したりすると、エネルギーの消費量は多くなる。わしらみたいに、神通力を使えるようになれば、消費も抑えられ・・・つまり燃費もよくなるのぢゃが、お前さんたち死者の初心者は燃費が悪いから、これが案外疲れるのぢゃ。死者も疲れがあるんぢゃな。』
『あぁ、あなるほど、それで眠ったようになるんですね。』
『そういうことぢゃ。その間にエネルギーを補充しているのぢゃよ。だから祭壇の上あたりが一番楽なのぢゃ。』
そういうことだったのか。ならば、死者も眠る、のだ。ただ、必要がないということも言える。エネルギーさえ補充されていれば、眠る必要はないのだ。
『お前さんみたいに、いろいろなことを考える死者は、エネルギーを消費しやすい。だから、先輩の寺にいると最も心地いいだろうし、思考もさえてくるのぢゃな。エネルギーが絶えず補充されるからな。』
そうなのだ。寺にいると、俺はすごく元気になってくる感じがするし、頭もさえてくるのだ。
『そういうことだったんですね。』
『今頃気づきおったか。のんきでいいのう。』
『ところでおじいさん、天界で何か面白い話はないんですか?。』
俺は話題を変えた。天界のことを聞きたかったのである。
『う〜ん、何にもないなぁ。日が登って、起きて、今日も元気であることを確かめて、わしがいる閻魔界の中心地区を飛んで・・・まあ、散歩ぢゃな・・・、知っている者にあったら挨拶して、腹が減ったら食事をして、法話の時間になったら話を聞いて、瞑想して、で分身はこうして現世にやって来て・・・・。毎日変わらないな。特に面白い話もない。』
なんだか退屈そうである。天界に楽しみはないのだろうか?。
『楽しみがないことはない。天女様は美しいし、眺めているだけでも幸せな気分ぢゃ。近くに住む住人とも話をすれば楽しい。なんせ閻魔界は楽園でもあるから、居心地は最高にいい。』
『いったいどんな生活をしているんですか?。』
『それはさっき言ったぢゃろう。朝起きて・・・・。』
『いえ、そうじゃなく、何か・・・そうレジャーとかないんですか?。』
『レジャー?。あぁ、あるよ、ある。わしがいる世界は、皆神通力が使えるから、乗り物は必要ないな。みんな好きなところへ飛んでいける。だから、近所の仲間や気の合った者と一緒に飛行旅行することもある。閻魔界は本当に楽園でな、美しい植物はあるし、珍しい動物もいる。気候は温暖、食べ物も豊富。危険は何もない。閻魔界中飛び回っても何の問題もないから、楽しい旅行ができるぞ。』
『他には?・・・たとえば映画を見るとか?。』
『映画?。そんなものはない。必要ないしな。宇宙は神通力でちょっと行けば見ることができるし、恐竜が見たければ、神通力で他の星や世界へ行けばいい。映画なんか必要ない。ちなみに、人間界でよくあるドロドロしたドラマもない。そんなもの見る必要もないし見たくもない。ま、上から人間界を眺めていれば、いつでもリアルなドラマが見られるからな、それで十分ぢゃ。』
リアルなドラマとは、恐れ入った。まあ、確かにそうだろう。人間界で起きていることが、見ようと思えばつぶさに見えるのだから、それは映画やドラマを見ているより面白いのかもしれない。
『あぁ、そうぢゃな。面白いな。ある会社がこの先どう展開していくのか、役員たちの緊迫した動き、そこに絡む情報戦略、企業と国の駆け引き・・・面白いねぇ。そこに女性が絡んでくれば、なお面白い。ある国など、国民は窮乏しているのに国家主席は贅沢をし、女を囲い、スパイや暗殺にびくびくしている。そんな姿が滑稽でな、上から眺めていると哀れな者よなぁということがよくわかる。地球だけぢゃ、こんなに愚か者が住んでいる世界は。』
『やっぱりそうなんですか。地球の住人がいちばん愚かなのですねぇ・・・って、他の星も人が住んでいるんですか?。』
俺は普通に聞いていたが、おじいさんとんでもないことを言っている。というか、俺も今まで自然に受け入れていたが、天界・・・おじいさんがいる世界は閻魔界・・・という世界は、宇宙の星なのだろうか?。となればおじいさんたちは異星人となる。宇宙人である。
『う〜ん、ちょっと違うなぁ。生命体ではあるが、姿形は・・・ないことはないが・・・・、肉体があると言えばあるし、ないと言えばないし・・・。説明しがたいなぁ。いうなれば、この宇宙には存在はしてない、といえばいいかな。次元が違うといえば簡単ぢゃな。』
いきなり難しいことを言っている。話がでかくなっている。パラレルワールド?なのか?。
今まで聞いた話によると、天界でも肉体はあるのだ、ということだった。衣服はなく、鳥のように身体に衣服がくっついているような状態らしい、ということだった。それはエネルギーさえ保っていれば汚れることはないのだそうだ。エネルギーは自分でも賄えるが、子孫からの供養が最も大きいのだそうだ。確か、そう聞いていた。その話によれば、一応肉体はあることになる。では、その天界・・・おじいさんで言えば閻魔界・・・はどこにあるのだろうか?。そこは目に見える場所なのであろうか?。ロケットなどでいける場所なのだろうか?。宇宙のどこかの星に住んでいるのだろうか?。
『そのどれも当たらずとも遠からず、ぢゃな。まず、天界は目に見える存在ではない。さっきも言ったが次元が違うのぢゃ。空間が異なるのぢゃ。別空間にある。半分は精神世界ぢゃからな。ちょっと異質なんぢゃよ。しかし、物理的にない世界ではない。今の科学で明かされないだけのことぢゃな。ぢゃから、人類がロケットに乗っていくことができる世界ではないのぢゃな。宇宙にあるいずれかの星にわしの住む世界があるわけではないのぢゃよ。それは目には見えない、大きな天体望遠鏡でも捕捉できない、でもすぐそばにある。並行して存在しているのぢゃよ。まあ、一種のパラレルワールドぢゃな。で、そこからはこの現実世界、地球の存在している宇宙が見れるのぢゃな。それだけぢゃない。地球の存在しない宇宙も見ることができる。いろいろな世界があることを知ることができるのぢゃ。そうしたいろいろな世界のいろいろな星のいろいろな人類や生命体の中で、地球人がいちばん愚かぢゃ。お釈迦様も苦労されておる。お釈迦様は貧乏くじをひかされたようなものぢゃな。』
おじいさんは腕組なんぞをして、うんうんうなずいている。何を一人で納得しているのだ。今、とんでもないことを俺は聞いているのだぞ。

『ちょ、ちょっと待ってくださいよ。何がどうなっているのやら、さっぱりです。俺には全くわかりません。一人で納得しないでください。そもそも宇宙ってこの地球がある宇宙だけでしょ?。』
『そんなことはない。この宇宙、地球が存在している宇宙、お前さんが住んでいる、お前さんの家族が住んでいる宇宙は、もっと大きな宇宙の北側に存在しておるのぢゃよ。』
『はい?、なんですって?、どういうことですか、それ。もっとわかりやすく説明して下さい。』
『ふむ・・・困ったのう。わしも実感として知ったからのう。どうやって説明したらいいのかのう。まあ、見聞きしたことをそのまま話すか。今日は、この話で一日つぶれそうぢゃな・・・・。やれやれ、つまらんことをいうたわい。』
おじいさんは、しぶしぶといった表情で、宇宙について話し始めたのだった。
『そもそもな、お前さんが知っている宇宙は、宇宙のほんの一部に過ぎんのぢゃ。大きな宇宙があってな、そのほんの一部のごくわずかなところに銀河系が存在しているんぢゃよ。あぁ、図が描きたいところぢゃが、まあいい、わかるか?。いいか、こう大きな宇宙があって・・・。』
おじいさんは両手を輪になるように広げた。
『この大きな宇宙の端っこに地球が・・・そうぢゃな点のように存在しているのぢゃな。』
おじいさんは、広げた両手のはしの方を片手の指でつついた。俺はうんうんとうなずいた。
『地球とはそんなちっぽけな存在なのぢゃよ。で、宇宙の中心は大日如来様が存在しておる世界になっている。もちろん、今の地球の科学ぢゃあ到底見えない世界ぢゃな。で、大日如来様の世界を中心に大きく分けて東西南北に宇宙は分かれておる。』
俺は頭の中に絵を描いてみた。真中に大きな丸を書いて「大日如来の世界」と記した。で、その右側にまた丸を書いて「東の宇宙」と書いた。マージャンで言えば、東南西北という順になっているし、地図上でも右が東で西は左だ。南は下で北が上になっている。俺はそれに従ったのだ。だから、大日如来の宇宙と書いた丸の下の丸は「南の宇宙」と書いた。大日如来の宇宙の左側は「西の宇宙」、上は「北の宇宙」だ。なるほど、大きく分けて、と言ったのは、東西南北の間ができるし、おそらくは宇宙なのだから立体であろう。すなわち、上下もあるのだ。となると、こまかくわかれば大日如来の宇宙を中心にルービックキューブのような世界ができていると考えればいいのだろう。
『そこまで詳しいことは知らんし、そこまで考えれば、複雑で理解しにくくなる。まあ、とりあえず、大日如来様の宇宙を中心に東西南北の宇宙があるのだと、それだけまず認識せよ。』
おじいさんは、俺の暴走的妄想にストップをかけた。
『でな、東の宇宙を与えられたのはアシュク如来様ぢゃ。南は宝生如来(ほうしょうにょらい)様、西はよくご存じの阿弥陀如来様ぢゃ。で、北の宇宙がお釈迦様・・・釈迦如来様ぢゃ。で、それぞれの宇宙に存在する生命体に真理を説き明かしたのぢゃな。東や南、西の生命体はみな理解力があり、優秀ぢゃった。なので、すぐに真理を理解し、そこは浄土と呼ばれる清らかな世界になった。ところが、お釈迦様が担当した北の宇宙はなかなか手強い生命体がいたのぢゃ。それでもお釈迦様は頑張って真理を説いてきた。が、北の宇宙の辺境に存在する地球という星の生命体だけはどうもいかん。愚か者の極みという生命体しか存在しておらんのぢゃ。そこでお釈迦様は、わざわざその地球という星の生命体に分身を生まれ変わらせ、肉体を示して、真理をお説きになった。まあ、その時はよかったのぢゃが、時間がたつにつれ、地球には愚かな者がはびこるようになっていったのぢゃな・・・・。』
『そ、そうなんですか?。』
俺は驚きのあまり、言葉が出なかった。果たして、それは真実なのだろうか・・・。


おじいさんの話は唐突もないものだった。想像を絶すると言った方がいいか。なんといっていいのか俺はよくわからなかった。
『想像できんか。まあ、無理もないわなぁ・・・。わしも初めて聞いたとき、そういう仕組みぢゃったのか、とびっくりしたからのう。』
『あの・・・その話は本当なんですか?。もし、本当ならば、この地球以外にも生命体があるということですし・・・。おじいさんのいる世界は次元が違う世界だというし・・・。あぁ、もう、よくわからないですよ。おじいさんはいったいどこでその話を聞いたんですか?。』
『決まっておろう。閻魔様の世界である閻魔天ぢゃ。そこで、仏様やら菩薩様が教えてくれるのぢゃ。』
『ちょっと混乱してきました。』
俺の思考回路はストップした。どういうことなのだ・・・・。そんな俺をおじいさんは哀れな目で見ていた。
『お前さんなぁ、ちょっと難しく考えすぎぢゃないかい?。そもそもお前さんの存在する世界はどうなっておる。この世ぢゃなかろう。現実世界と並行してある世界ぢゃ。並行して存在しているし、お前さんからは現実世界が見えるようになっておる。ただし、話をしたりすることは難しいがな。また現実世界からは見えないようにできている。が、かといって、お前さんがいる世界は存在しないのか?。』
『いえ、存在しています。・・・・あぁ、なるほど・・・。私がいる世界の次元と現実世界の次元は異なっているんですね。』
『そうぢゃ。で、現実世界のある次元は狭いのぢゃ。物質をもつ世界ぢゃからな。質量がなくてはならん。』
それは物理学だ。おいおい、ここにきて物理学なのか?。俺は物理が大嫌いだったから、質量を持つ世界と言われても・・・。
『すぐに物理学だ、と気付いたということは、お前さん、基本的には物理が苦手ではなかったんぢゃないか?。まあ、どうでもいいがな。ま、そういうことぢゃ。現実世界とは、質量が必要であり、物理学で証明できる世界ぢゃな。ところが、お前さんが存在する世界は、質量をもたなくても存在できる世界ぢゃ。お前さんも質量などないぢゃろ。』
確かに俺は質量などない。空気のようなものだ。否、空気は、それぞれの物質で成り立っている。物質がある以上、そこには質量が存在する。俺の場合は・・・・いわば思いだ。人の念である。魂と言うが、それは思いの塊のようなもので、物質ではないのだ。したがって、質量は持たない。そうか・・・考えてもみなかったが、俺たち死者は質量はないのだ。本来ならば、存在できない状態なのだ。が、このように思考できるし、現実世界を見ることもできる。先輩のように、場合によっては人とも会話できたりする。
『ぢゃから、次元が違う世界の住人だ、と考えたほうがわかりいいぢゃろ。』
おじいさんは、俺の思考を読み取ってそう言った。
『確かにそうですね。私は単なる念というか、思いの存在ですが、存在することには違いありません。しかし、質量は持たないし、物質でもないです。そんな存在は現実世界では有り得ないです。しかし、確実に存在しています。それを成り立たせるには、住む世界が違うのだ、とするしかないですね・・・・。なるほど、次元が違うとは、うまい考え方だ。』
『理解できたか。』
『はい、なんとか・・・。で、おじいさんがいる閻魔界も私がいる次元の側なんですね。』
『そうぢゃ。お前さんの存在している世界の側にある。ぢゃから、地球からロケットを打ち上げていけるような世界ではないし、物質世界でもない。別次元の世界なのぢゃ。』
『はい、ようやく理解しましたよ。地球と同じ平面でとらえていてはいけないんですね。』
『そういうことぢゃ。でな、さっきの話の続きぢゃ。お釈迦様は貧乏くじを引いた、という話ぢゃ。』
『はいはい、覚えています東西南北に宇宙があって、仏様が教えを説き、皆浄土となった。ただし、お釈迦様の世界だけが浄土となっていない・・・という話ですよね。』
『おう、うまくまとめたな。そうぢゃ、お釈迦様の世界だけが浄土となってない。しかし、それは、現実世界だけが浄土となっていないだけぢゃ。お釈迦様の本来の世界、お前さんが存在する世界とつながっている世界・・・その次元では、お釈迦様も浄土化に成功しておる。ただ、質量をもった世界だけがダメなんぢゃな。』
『ひょっとして、質量をもった世界に存在する生命体は地球だけなのですか?。』
『地球とつながっている次元での宇宙生命体は、地球以外にもあるぢゃろうな。宇宙は広いからのう。わしの神通力でも見渡せないくらいにな。ぢゃから、よくわからんが、東の宇宙のどこかにも、南の宇宙のどこかにも、西の宇宙のどこかにも、地球と同じような生命体が存在するかもしれんよ。そうした生命体を含めても、おそらく地球の生命体がいちばん愚かなのぢゃろうなぁ。』
『他の生命体から来たという存在にはあったことはないのですか?。』
『あのなぁ、いくら次元が違う世界ぢゃ、といってもな、わしらは北の宇宙の範囲内の存在ぢゃ。そこからは出られん。もし出たいのなら、悟りを得て如来になることぢゃな。』
『ということは、閻魔様や他の天人も北の宇宙からは出られないと・・・・。』
『そういうことぢゃな。我々は、北の宇宙の中での存在で、ただ次元が異なっているだけなのぢゃ。』
なんとなくわかってきた。俺も含めて、霊体というか、霊的存在は地獄から天界に至るまで、現実世界とは違う次元での存在なのだ。しかし、それは現実世界と並行して存在している。また、こちら側の次元は現実世界に影響を与えている存在なのだ。また、こちら側の次元からは現実世界を見たり知ったりすることはできるが、現実世界からこちらの世界は見えないし、干渉できないのだ。ということは・・・現実世界は、こちら側の世界に包まれているようなものか・・・・。
『ほう、またまたうまいこという。その通りぢゃな。現実世界は、笑われの次元の中に存在している、質量をもった世界なのぢゃな。で、ほぼ一方通行の壁に隔てられているのぢゃ。』
『ほぼ一方通行・・・・か。』
まさしくその通りだ。こちら側からは見えているのに、現実世界からは見えない。しかし、完全な一方通行でもない。先輩のように、たまにこちら側の次元に干渉できる人間もいるからだ。
『なんだか、難しい世界ですねぇ。』
『難しく考えれば難しいかも知れんがな、そんな難しくもないぞ。先ほど、お前さんが言ったように、わしらのいる次元が現実世界を包んでいる、と思えばいいのぢゃからな。そもそもは、わしらの世界、想念の世界と言えばいいかな、が本当の世界なのぢゃよ。現実世界の方、質量をもった存在が珍しいのぢゃ。』
そういうことなのか・・・。俺にはその部分はまだピンとこなかった。しかし・・・。
『なんだか疲れてしまいました。考えすぎたかなぁ・・・。』
『そうかもしれんぞ。普段使わない物理学などと言う学問に適した思考をしたからのう。』
『それにしてもおじいさんは、そういうことよく知ってますねぇ。というか、よく理解できますよねぇ。』
『あのなぁ、じじいの姿をとっているのは方便ぢゃ。本当の姿は、こうじゃない。もっと若いしな。頭だって柔らかいぞ、お前さんよりはな。』
『あぁ、そうでしたね。そのおじいさんの姿にすっかりなじんでしまっていました。あぁ、それにしても・・・。』
『疲れた・・・のぢゃろ。寺にでもいったらどうぢゃ。楽になるぞ。』
おじいさんの言葉に俺は寺に行くことにした。そういえば、昨日聞きそびれたこともあった。

「なんだ、また来たのか。」
『何度でも来ますよ。知りたいことがたくさんあるんですから。珍しく暇そうじゃないですか。これはラッキーだったかな?。』
「何をニヤニヤしている。
『いやいや、先輩が暇そうにしているときはあまりないですからね。』
俺が寺を訪れた時、先輩は本を読んでいた。珍しいことに相談者が一人もいない。
「今日は、たまたま暇な日なんだよ。たまにはこういう日もなきゃ、疲れるだろ。仏様は、俺をたまに解放してくれるのさ。で、今日は何の用だ?。」
先輩は読んでいた本を閉じて俺に質問してきた。
『はい、聞きたいことは三つあります。一つ目の質問は、昨日先輩がいっていた、逢魔刻(おうまがどき)・・・夕暮れですね・・・は、本当に魔物に会うのですか?。会えば、俺のような霊体は大変だと言ってましたが、それはどういうことですか?、ということです。』
先輩はうなずいている。俺は二つ目の質問を言った。
『二つ目は、苦しみの世界に生まれ変わった者が子孫に救いを求める意味はあるのですか?。ということです。え〜、具体的に言いますと、あの世の裁判で、死者は己の罪を嫌というほど知らされます。で、死者は地獄に落ちても仕方がない、と納得して生まれ変わり先へ往きます。本来ならば、死者は生まれ変わり先が苦しみの世界であってもいいのだ、と納得しているはずです。それはすべて己のせいだと。なのに、なぜ子孫に救いを求めるようなことをするのでしょうか?。苦しみの世界に生まれ変わったことを納得しているならば、子孫に救いを求めるようなことはしてはいけないのではないでしょうか?。子孫に救いを求めることができるシステムがあることは、矛盾しているのではないでしょうか?。そこを明らかしてほしいのです。』
「また、小難しいことを・・・・はぁ、面倒くせぇ・・・」
先輩は嫌そうな顔をして、俺を睨んだ。これはいい感じかもしれない。先輩が降参だ、というかもしれないのだ。我ながらいい質問だ、と俺は内心ほくそ笑んだ。
苦虫をかみつぶしたような顔をしている先輩の気持ちは無視して、俺は質問を続けた。
『最後です。宇宙の仕組み、というか、俺がいる世界とこの現実世界の次元の違いというか、どのような成り立ちになっているのか、それを教えてください。』
「はぁ〜、そんなことを知ってどうなるのだ。ホント、面倒なことだなぁ・・・。よくもまあ、そんな質問が思い浮かぶものだ。よほど暇なんだなぁ、死人という者は。しかも、そんなことはあの世の裁判官に聞けばいいだろうに。なにも俺に聞くことはないだろうに。俺だって万能じゃない。わからないことだってあるんだが・・・・。」
『先輩に答えられないことがあるんですか?。じゃあ、降参?、ですか?。』
「なんだ、その降参っていうのは。俺はお前と争ったことなどない。まあいいや、答えられる範囲で答えよう。それ以上のことは俺にもわからん。まずは、逢魔刻の話からだ。」
先輩は椅子に座りなおした。

「夕暮れ時のうすぼんやりした時間帯は、黄昏時と言うのはお前も知っているな。」
俺は静かにうなずく。うなずいているのはわかっているのだと思う。一般の人には俺の姿は見えていないだろうが、先輩には見えていると信じて、俺はうなずいたのだ。先輩はそれを知ってか知らずしてか、そのまま話を続けた。
「黄昏時とは、『たそがれ時』といい、これの元の字は誰と彼を使って書いた。誰は『た』と読むんだな。「誰(た)そ彼(かれ)時」となるのだ。さらに元を尋ねると「彼は誰そ時」となる。『かはたれそ、時』だな。あれは誰なんだ、うすぼんやりしてわからないぞ、ひょっとして知らない人か?・・・とちょっと怯える時間帯なのだ。うすぼんやりと見えていた人が実は単なる影であって本体がない場合もある。そういう場合、それは幽霊となってしまう。そういう目の錯覚を起こしやすい時間帯なのだ。しかし、そういう時は人の心に怯えが生じる時間帯であり、心の隙ができる時間帯でもある。暗くなっていない、明るくもない・・・そういう中途半端な時間帯は、嫌な気分なのだ。ちなみに、車の事故もこの時間帯は多いそうだ。ライトをつけるまでもないが、つけないと暗い。かといって、ライトをつけても見難い。歩行者を見落としやすい時間でもある。
そういう時間帯は怯えの時間帯でもある。怯えは、あらぬものを見せることがある。怯えから錯覚を起こすのだな。で、正しい姿の者も魔物に見えたりすることもある。縄が蛇に見えたりするようなものだな。そういう現実的な魔物もあるわけだ。錯覚から来る魔と出会う時でもある、という意味だな。
もうひとつ。お前らのような霊体で、人に恨みを持つ者は、こういうチャンスは逃さない。相手が怯えているとき、心に隙がある時、そういう時をねらってくる。恨みを持つ霊体・・・つまり本物の魔物に出会うときでもある。
だから逢魔刻(おうまがどき)というのだ。
さて、魔物には幾種類かがある。人間の悪意が固まってできた魔物もあれば、特定の人物を恨んでいる魔物・・・幽霊・・・もいる。何も人ばかりではない。人間に恨みを持つ動物の霊もある。野良犬や捨てられた犬の霊などはその最たるものだろう。こうした霊体に、心に隙がある者、妙に怯えている者が出会ってしまうと、そいつら魔物にとり憑かれたり、からかわれたりすることがある。からかわれる程度ならばいいが、とり憑かれてしまうと恐ろしい目に遭う。意識が乗っ取られたり、身体がおかしくなったり、自分が自分でなくなったりすることがあるのだ。これがいわゆる『憑きもの』というやつだな。こういうことになりやすいのは、夕暮れ時が多いのだ。もちろん、夜中でも、日中でも憑かれることはあるがな。
で、こうした魔物に出くわしてしまうのは、なにも人間ばかりではない。お前さんたち霊体も出くわすことがあるのだ。お前さんが、あの婆さんの幽霊にあったように、だ。あれはあそこから動けない幽霊であったからよかったのだが、また悪意を持っていなかったからよかったのだが、魔物のように悪意を持っている霊体に出会えば、お前さんのような新人の霊体は、危険度が高い。霊体をやって何年とか、実体は別世界にあって分身の霊体がこちらの世界にやって来ているという場合は、身を守る術を知っているだろうから、危険度は低くなる。が、お前さんたちのように、新霊体は身を守る術を知らない。もし、悪意をもった霊体・・・悪霊だな・・・に襲われたら・・・・。お前さんたちのような新人の霊体は、あっという間に取り込まれてしまう。」
『と、取り込まれる・・・んですか?。』
俺はそこで初めて口を開いた。
「あぁ、そうだ。吸収されてしまうんだな。もし、悪意をもった犬などの動物霊に出会ったら・・・・。」
『出会ったら?。』
「食われてしまう。一口だな。特に野良犬の霊や、人間に恨みをもった捨て犬の霊体などは、結構強いから、お前なんぞは一口だ。あっという間だよ。」
『食われてしまうと・・・どうなるんですか?。』
「さぁなぁ・・・食われたことがないから知らないが、まあ、消えてしまうだろうなぁ。意識は吸収されてしまうのかもしれないな。あいつらは、そうやってどんどん他の霊体を吸収し、妖怪化していくからなぁ。本当の魔物になって行くんだな。恐ろしいよ、あいつらは・・・。」
先輩は、真剣な目を俺に向けた。そして、
「お前、今までそういう魔物に出くわさなくてよかったなぁ・・・。」
とボソリと言ったのだった。

つづく。


バックナンバー(二十三、118話〜)


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