バックナンバー(二十三)    第百十八話〜第百二十三話

「普通はな、お前たち死者の初心者は、外をうろつかないものだ。まあ、せいぜい近所をうろつく程度だな。たいていは、行きたいと思ったところを意識すれば、飛んでいける。外をうろうろするような死者は、お前くらいなものだな。まあ、何事もなくてよかったな。ふん。」
先輩は、鼻を鳴らしてニヤついた。その顔つきがまたムカつくのだが、まあ、仕方がない。その通りなのだから。
『本当に・・・。変なのに出会わなくてよかったです。でも、死者の初心者じゃなきゃ、うろつくんですか?。今、死者の初心者はっていいましたよね。』
「はぁ〜、まったくもって・・・。すぐに上げ足をとる・・・。あのなぁ・・・まあ、いいや。言いなおそう、外をうろつく死者は、あの世へ行くことを拒否した連中か、あの世の裁判を拒否した連中か、葬式をされないであの世へ送られなかった死者だけだ。あの世で裁判をしっかり受け、49日を過ぎた死者は、その辺をうろつきはしない。うろついているのは、この世に未練を持ってしまった死者か、この世に恨みを持ってしまった死者か、葬式をされなくてあの世に送られなかった死者だな。前にも言ったんじゃないか、そんなこと。」
そういえばそうだ。前にも聞いたことがある。あぁ、あの道にたたずんでいた婆さんのときだ。
「そういう外をうろつく死者は、いわゆる幽霊となる。力をつけた幽霊はいいが、弱い幽霊は強い奴に吸収されてしまうことがある。そうなると・・・・もう魔物だな。そういう魔物に遭いやすい時間帯が、逢魔刻だ。もちろん、丑三つ時も当然そうなのだが。まあ、いずれにせよ、日が沈みかけたら、そこから先の時間帯は、幽霊や魔物がうろつきやすい時間帯だということだ。尤も、昼間にうろつく奴らもいるがな。」
『昼間でも幽霊は出る?』
「お前だって逢ったろうが。それに、お前が昼間その辺をうろつけば、いわゆる見える人にとっては、お前は幽霊だろ。はん。」
バカかお前は・・・・みたいな顔をして先輩は俺を睨んだ。全くもって、バカな質問をしたと思っている。昼夜関わらず、霊はいるのだ。それは当然だ。先輩がいいたいのは、魔物や恨みを持ったような怪しい霊は、夜の方がうろつきやすい、ということなのだろう。
「幽霊に出会ってしまい、とり憑かれることがあるが、それは昼でも夜でも関係はない。夜の方が確率が高い、というだけだ。問題は、時間帯ではなく、その幽霊と気があってしまうかどうか、ということだ。う〜ん、そうだな、周波数が合う、という言い方をする者もいるがな・・・・。気が合うと言った方がわかりやすいと思うのだがな・・・。まあ、いずれにせよ、幽霊・・・恨みや未練を持った死者の霊だな、それらと出会ってしまい、気が合ってしまうととり憑かれる、ということがおこるのだよ。なので、本来は、時間帯は関係はない、な。」
そういうことなのだ。逢魔刻などと言って怖いようなことは言うが、それはあくまでも危険度が若干増す、というだけのことなのだ。危険なのは、昼夜関係ない。むしろ、そうした恨みや未練を持つ霊と気が合ってしまうことに問題がある、ということなのだろう。
「納得したようだな。初めの質問の答えは、それでいいか?。」
『あっ、はい、ありがとうございます。』
「じゃあ、次の質問だな。えっと、なんだっけ・・・。あぁ、そうか。苦しみの世界に生まれ変わったものが、子孫に救いを求めることの・・・矛盾だったな。」
『はい、そうです。死者は納得して苦しみの世界へ行っているはずです。なのになぜ、子孫に救いを求めるようなことをするのでしょうか?。それは、子孫を苦しめることになるんじゃないでしょうか?。子孫のことを大切に思うのなら、そんなことをするのはかえって罪なように思うのですが・・・・。』
「もっともなことだ。その通りだな。先祖の連中は、誠にもって勝手なことをいうわけだ。矛盾しているよな。自分勝手だよな。ホント、俺もそう思うよ。」
先輩は、偉そうにそっくりかえってそう言い、ニヤッと笑ったのだった。

「説明してやろう。答えは簡単だ。地獄や苦しみの世界が、自分の想像を超えて、苦しい世界だから、助けを求めるのだよ。人間の決心なんて、そんなものだな。それほど弱い存在なのだよ。
そもそもいいか、生きているときから意志が弱いから、罪を犯すのだ。そんな連中が、たった49日間で改心するか?。健全でたくましい精神力を手に入れられるか?。そんなわけないだろ。口では、反省しました、もうしません、どんな罪も受けます、というさ。否、裁判のときは心底からそう思うだろう。で、どんな苦しみも受け入れようと決心するだろう。すべては自己責任だと、そう思って、もう二度と身内にも子孫にも周囲にも迷惑はかけまい、と誓うだろう。だがな、そんなものは、地獄の苦しさの前にはすっ飛ぶのさ。」
そう言った先輩の顔は、陰気臭くなっていた。その陰気臭い顔で、先輩は話を続けた。
「地獄や餓鬼、畜生の世界の苦しさは、お前さんたちが想像しているよりも、もっともっと激しんだよ。とても耐えられるようなものじゃないんだ。確かに、死者は49日の間の裁判で、どんな苦しみも受けます、と誓うだろう。ところが、そんな誓いはあっという間に飛んでしまうんだな。認識が甘いんだよ。それほど苦しい世界なんだ・・・・・。
それでも、初めは堪え忍ぼうとするんだな。だから、すぐに子孫に助けを求めるようなことにはならない。まあ、辛抱できない者もいるけどな。そういう者はすぐに助けを求めてくる。
それにだ・・・・。人は、誘惑に弱いんだな。」
先輩はそういうと、またニヤっとした。
「地獄界でも餓鬼界でも畜生界でも、そこの番人や役人がいるのだが、そいつらがまた嫌な奴らなんだ。たとえば、地獄の責め苦にあってすごく苦しんでいるときに、そいつら役人は
『苦しいか、、助かりたいか、助かりたいだろう、いい方法があるぞ、教えてやろうか・・・』
などと囁くんだな。簡単な方法で助かることができる・・・・と。悪魔のささやきだな。たいていの死者は、この悪魔のささやきに屈するんだ。負けてしまうんだよ。で、
『助かりたいです。お願いです、助かる方法を教えてください』
と口走るはめになる。」
『なるほど、その助かる方法が、子孫に頼れ、ということなんですね。』
「そういうことだ。彼ら地獄や餓鬼、畜生の番人たちは、こういうんだな。
『助かりたければ、子孫に供養をしてもらえ』
とね。」
『なぜ、供養なんですか?。』
「簡単なことだ。地獄や餓鬼、畜生の世界に生まれ変わった連中は罪深いんだな。だから、滅罪という行為をしなければならない。そのためには、仏の力に縋るのが一番いい。仏の力に縋るにはどうすればいいかと言えば、手っ取り早いのがこちらの世界の子孫が、悪い世界に落ちている者の供養をしてやることなのだ。そもそもお経を唱えることは、徳積みになるし、滅罪にもなる。さらに、仏の仕事の手伝いをしている坊さんに布施することは、最も大きな滅罪になる。坊さんにお経をあげてもらう供養は、その両方を兼ね備えている。だから、子孫に死者の供養をしてもらうのが、最も早く助かる方法なのだ。」
『しかし、ねぇ、納得いかないですよねぇ。いくら想像を絶する苦しみの世界だ、といってもねぇ。子孫に縋るというのは、責任放棄でしょう。虫がよすぎませんか?。』
「よすぎると思うよ。でも仕方がないでしょ。先祖だし。親かもしれないし、祖父か祖母かもしれないし。もし、その人たちがいなければ、自分もいなかったんだし。その先祖のおかげで、自分たちが存在しているんだし。」
『存在なんてしたくなかった、という人だっていますよ。』
「そういう者は、世間に甘えているだけだな。快楽的なことは受け入れるくせに、辛いことは拒否したがる、という勝手な者だね。存在したくなかった、生んでくれなんて頼んでない、という連中は、甘えているだけなんだ。確かに辛いことが多いだろう。しかし、楽しいことだってある。楽しいことがあるときは、生んでくれなんて言わなかった!とはいわないぞ。いつもいつも、そういうネガティブなことを言っているなら話は分かるが、自分の都合の悪い時だけ、親に当たり散らすのは、甘え以外の何物でもないよ。そうじゃないか?。お前さんだって、一度は言ったことがあるんじゃないか?。そういうときって、甘えているだけじゃないか?。よ〜っく心の中を覗けよ。客観的にな。」
確かにそうである。生んでくれとはいわなかった、と親に食ってかかるときは、甘えているときなのだ。存在したくない、と思うときは、とても辛い目にあった時なのだ。楽しいときはそんなことは思わなかったのだ。楽しいひと時、快楽は安易に、文句も言わず受け入れている。が、辛いことは拒否をする、文句は言う・・・・。これは平等ではない。快楽を受け入れたのなら、辛いことも受け入れなければ、バランスが取れない。いや、単なる自分勝手なのだ、それは。

「人間なんて、ホント、自分勝手な生き物だよ。調子のいい時は浮かれているくせに、ちょっとうまくいかないと、死にたいだの、辛いだの、もう厭だだの、弱音を吐くんだな。いい時があれば悪い時があるのは当然なんだよ。いい時ばかりが続くなんてあり得ないんだよ・・・・。いいときに死にたいとか、辛いとか、生まれてくるんじゃなかった、っていうのなら、辛いときも同じことを言っていいんじゃないか。いいときには言わないくせに、勝手だと思うよ。
そういう勝手な生き物なんだな、人間は。基本的に勝手なんだよ。だから、死んでからも勝手なことをいうさ。」
『そう言われてしまうと・・・・なんだか、やるせないですし・・・。それに、その地獄とか餓鬼とか、畜生とかの世界の役人は、なんでそんな誘惑をするんですか?。』
「それも簡単さ。試しているんだ。本当に反省しているか、本当に自分ひとりで自分の罪を償おうとしているか、ということをね。」
『あぁ、そうか・・・・そうですよねぇ・・・。』
「譬え話で教えてやろう。地獄の世界にいった奴の話をな。
ある男が生きているときに大きな罪を犯して地獄へ行ってしまったんだ。その男は、自分の犯した罪がとんでもないことだとよくわかっていたんだな。で、生きているときにも反省をして、よいこともしてきた。だから、直接地獄へ行かずに裁判を受けることができた。あの世の裁判で、その男はどんな罰でも受け入れる覚悟がある、と誓った。そして、男は地獄へと生まれ変わった。初めは、地獄の苦しみに耐えていた。繰り返し繰り返し、休みなく続く地獄の責め苦に、男は辛抱強く耐えていた。そこへ地獄の番人がやって来て、
『助かりたくはないか?。いや、ほんの少しでも休憩したくはないか?』
と声をかけてきたんだな。男は、当然助かりたいと思うし、休憩したいとも思っている。しかし、自分の犯した罪によって今の責め苦があるんだ、と自分に言い聞かし、首を縦には振らなかった。番人は
『そうか・・・。でもなぁ、ちょっと周りを見てみなよ。ほら、あいつ・・・。その男、このクソ暑い世界で涼しいそうな顔をして座っているぞ。だれもあいつを苦しめない。どの鬼もあいつの前は素通りだ。不思議だとは思わないか?』
と男に言うんだ。その男は、周りを見回してみた。すると、ところどころに涼しそうな顔をして座っている連中がいることに気付いたんだな。そんな男に番人はまた声をかけるんだ。
『お前もああなりたくなはないか?』
とね。」
『そ、それは・・・・。ひどいというか、そんな状態なら、誰だって・・・。』
「そういうことだ。その頑張っていた男も思わず、羨ましい、と思ってしまったんだな。しかし、番人は、その時はもうそれ以上何もいわず、立ち去ってしまうんだ。汚いやり方だよ。男の中には、弱さが植え付けられてしまった。羨ましい、という思いが芽生えてしまった。休みたいという欲求が生まれてしまった。そうなると、もう耐えられないんだよ。不安に苛まれるようになるんだな。それが人間の心理だ。男は思う。この苦しみはいつまで続くんだろう。あの休んでいる連中はなぜ休めるのだろう。俺も休める日が来るのだろうか。あぁ、休みたい。ほんの一時でもいい、休みたい。あの番人はいつ来るのだ。今度来る時までに俺は・・・どうなっているのだろうか。素直に休みたいと言えば良かったのか。く、苦しい・・・・助かりたい・・・・。
それが人情だろ。それが人間だろ。そう思っても誰もその男のことを責めたりはしないだろ。誰もが、そう思って当然だ、と許すだろ。まあ、中には、そんなの自業自得じゃないか、という人間もいるかもしれない。ならば、その冷たく言い放つ人間は、自分が同じ立場にたったら、その男のようには思わないだろうか?。人の助けを借りないだろうか、すべて自業自得だから、と納得するだろうか?。そんなことはないと思うよ。すべて自業自得だ、と納得できる人間はそうそういないさ。他人が苦しんでいる姿に、そんなの自業自得さ、という人間ほど、自分が責められたとき、助けを請うものさ。人の弱さを知らない人間は、実はものすごく弱い人間なんだよ。他人を許すことができない人間は、自分が責めらたとき、大騒ぎする人間だよ。
話がそれたな・・・・。まあ、だから、誰もその男を責められないし、男が誘惑にかられても仕方がないと思う。そうだろ?。」
先輩の問いかけに、俺はうなずいていた。先輩は、そんな俺を横目で見ながら、お茶でのどを潤した。

「そうこうするうちに番人がやってくるんだな。でも、何も言わないんだ。様子を見に来ただけだ、と言って帰ろうとする。男は焦れる。ついに言ってしまうんだな。休みたいんだが、いい方法があるなら教えてくれ・・・・と。番人は待ってましたとばかりに、助かる方法、休める方法を教えるんだよ。」
『それが子孫による供養、なんですね。』
「そういうことだ。番人は言うんだな。子孫に縋れ、子孫に供養をしてもらえ。仏様の力は甚大だ。助かりたければ、休みたければ、子孫に供養をしてもらい、仏様の慈悲を自分に回してもらうことだ、あの休んでいる連中は、皆そうしてもらっているのだ、とな。さらに、こういう連中もいると示す。それは、地獄からの脱出組の連中だよ。」
『地獄からの脱出組?ですか?。』
「あぁ、そうだ。そういう連中もいる。また、同時に、地獄に堕ちてくる連中や、さらにひどい地獄へ落とされる連中もいる、ということも教えるんだ。ふふふふ。」
不気味な笑いをした先輩の顔は、もっと不気味だった・・・・。

『地獄からの脱出組とか、地獄へ落ちてくるものとか、それはいったいどういうことですか?』
「地獄ってのは・・・・否、地獄だけじゃないけど・・・・生まれ変わりの世界だな。ならば、そこでの寿命を終えれば、また別のところへ生まれ変わることも可能なわけだ」
『あぁ、そうか・・・・。なるほど。人間界と同じですね?』
「そういうことだ。六道輪廻の世界は、どの世界でも寿命がある。人間界は、だいたい平均80年くらいかな。天界だと、天界の場所によるが何万歳・何十万歳・何百万歳・・・・などとなっている。快楽の世界は、寿命が長いんだな。畜生の世界は案外寿命は短い。犬でも猫でも寿命は短いだろ。昆虫に至っては数日、という場合もある。餓鬼も短い。ここはちょっと特殊なんで寿命という形にはくくれないんだけどな。まあ、それはさておき、問題は地獄だ。ここの寿命は、実は長い。何万年というのは普通にある。何十万年、何百万年という場合もある。地獄はいく種類もあって、その場所によっては受ける苦しみがとてつもなく長く続く場合があるのだ」
先輩はそっくりかえって、そう言った。
「簡単に説明しよう。地獄は8種類ある。名前は省いておく。上から下へと地獄の層があって、下へ行くほど苦しみが増大し、長く続くのだ。そう思ってくれた方がわかりやすいだろう。
で、地獄の番人は言うんだ」
話が戻ってきた。そもそもは、地獄の番人が地獄に生まれ変わったものを誘惑する・・・・供養をしてもらえれば休めるぞと・・・・そういう話だったのだ。
「番人はこういう。
『見ろ、あの涼しそうな顔をして休んでいる連中、あれは子孫に供養をしてもらい、その功徳をここへ回してもらったおかげだ。見ろ、あっちの連中は何もされてないだろ、ただ座ってじっと待っているような感じだな。彼らはもうすぐ再審があるのだ。しかも、あの連中はたっぷりと供養が来ている連中だ。だから、再審の際には一つ上の世界へ生まれ変わることが許されるであろうという連中だ。彼らは、いわゆる地獄を脱出する組なのだよ』
とな」
『ちょ、ちょっと待ってください。再審ってのはなんですか?。そんな話聞いてないですよ』
「おぉ、そうか、再審の話は知らないのか。いいか、あの世の裁判は、7回だけじゃないんだ。そのあと、何回か生まれ変わり先を見直す裁判があるんだ。再審されるんだよ」
『ほ、本当なんですか、それ?』
「嘘を言っても仕方がないだろう」
『その再審はいつ行われるんですか?』
「あぁ、それはな、年忌のときだよ。7回の裁判を終えてから、最も早い再審は百か日目だな。次が一周忌、その次が3回忌だ。そのあとが7回忌、13回忌、17回忌・・・と続く」
『あぁ、法事ですね』
「そうだ、法事だ。年忌供養ともいう。それは、実はあの世での生まれ変わり先を見直すための裁判が行われる時なのだ」
法事にはそういう言われ、というか意味があったのだ。単に遺族が死者を偲んで行うものだけではなかったのか・・・・。
「最近では、何のために法事を行うのか説明ができない坊主もいるけどな。法事はな、その先祖の魂がいる世界を見直すいいチャンスなんだよ。だから、法事をしないと先祖の魂は生まれ変わり先がステップアップ出来ないから、まあ、嘆くわな」
そういえば、女房の守護霊のじいさんが言っていた。確か、3回忌だか7回忌だかなんだかに、待機所から閻魔天の世界に生まれ変わったのだと。そういうことだったのだ。法事は、こちらの現実世界では単なる法事かもしれないが、あの世では、一つ上の世界、一つ上の安楽の世界へ生まれ変わるチャンス、生まれ変わり先をアップできる裁判がおこなわれる時なのだ。
俺はまとめて先輩に言ってみた。
『つまり、こういうことですね。
死者は、7回の裁判を経て、生まれ変わり先が決まります。しかし、その世界でずーっと過ごすのではなく、どの世界でも寿命があって、寿命が尽きれば違う世界に生まれ変わることもできるのですね。
もうひとつ、生まれ変わり先を変えるチャンスがあります。それは法事のときです。法事を行うことによって、あの世では死者は裁判を受けることができるのです。それはいわば再審ですね。ということは、法事は再審請求となるのですね。で、その裁判・・・再審・・・で、今いる世界からワンステップ上の世界へ生まれ変わることも可能になるのですね』
「そういうことだ。うまくまとめたな。流石、三流とはいえ記者だけのことはある」
先輩はそう言ってニヤニヤした。三流は余分だが、まあ、一流の雑誌で書いていたわけではないので、そこは甘んじて受け入れよう。

「では、質問しよう。もし、法事が行われなかったらどうなる?」
先輩は俺に質問してきた。
『それは再審請求がなかったということですから、裁判は行われませんよね。なので、今いる世界から抜けられないということになります』
「うん、まあ、大方そうなのだが、それだけではないんだな」
『それだけじゃない?』
「今いる世界を動かない、動けない、だけじゃないんだ。落ちることもあるんだよ」
『あっ・・・・』
「そういうことだ。それが地獄へ落ちてくる連中、なんだよ。まあ、地獄だけじゃないがな。餓鬼や畜生へ落ちてくる連中もいるわけだ」
なるほど、そういうことなのだ。もし、こちらの世界で子孫が先祖などの死者に対し、法事を行わなければ、それは再審請求がないから再審が行われなくなり、生まれ変わり先が変わらないというだけではないのだ。さらに下に堕ちることになるのだ。・・・・しかし、なぜ?・・・・。
「理由は簡単だよ。苦しさに耐えきれなくて、たとえば地獄なら地獄の番人から逃げようとしたり、逆らったりするだろ。それは罪の上塗りになるのだよ。たとえば、この現実世界で考えてみればわかる。刑務所に入っていて、そこで刑務官などに逆らったり、ケンカなどして事件を起こしたり、脱走を試みようとしたりすれば、益々罪が重くなるだろ。それと同じで・・・否、地獄の場合はもっと顕著だが・・・地獄でも、あまりの苦しさに逃げ出そうとしたり、番人に反抗したりすれば、刑がさらに重くなるのだよ。そうなれば、下に堕ちるしかないわけだ。法事がないということは、助けがない、ということだ。だから、下に堕ちるしかない。益々苦しむことになる。そういう連中も地獄にはいるのだよ」
『落ち組・・・ですか』
「そうだ。話を元に戻すぞ。そういう上にあがっていく連中や、涼しい顔をして休んでいる連中、地獄に落ちてくる連中を、番人は罪人に見せるのだ。一人でじっと耐えていた罪人は・・・すべて自分の犯した罪だから堪え忍ぶべきだ、子孫に迷惑はかけたくないと思っていた罪人だな・・・耐えられなくなる。休みたいと思う。涼しい風が欲しい、と思う。上にあがっていく連中を羨ましいと思う。下に堕ちていく連中、地獄に落ちてきた連中を見て、ああはなりたくない、と思う。それは当然だよなぁ・・・・」
先輩の顔が地獄の番人に見えてきた。妙な誘惑を受けているような気がする。俺は思わず
『は、はい・・・まあ、そうですね。たぶん、その立場なら羨ましいと思うし、これ以上苦しい世界へは行きたくないと思います』
と答えていた。
「そうだろ。それが人情ってもんだよ。もとは人間だ。それに地獄へ落ちてくるようなものは、心が弱いから罪を犯してきたんだな。精神力が弱いから、我慢が足りないから罪を犯してきた連中がほとんどだ。そんな連中だ。誘惑には当然・・・・弱いだろ」
俺はうなずいた。
「だから、一人でじ〜っと耐えていた者も、簡単に心が折れてしまうのだよ。子孫に助けてもらいたい・・・・と願うようになるのだよ」
だから、苦しみの世界へ生まれ変わった死者は、子孫に供養を頼むことになるのだ。それは、仕方がないことなのだろう。いくら自分で犯した罪だから自分で処理するのだ、耐えるのだ、と決心しても、地獄の番人が誘惑するんじゃあ・・・・、ちょっとまてよ、なぜ番人は誘惑するのだ?。そもそもまじめに罰を受けている者に対し、助かる方法があるぞなどと囁くのは汚いんじゃないか?。そんなの、誘惑に負けるに決まっているじゃないか。むしろ、番人は「頑張れ、耐えろ、それがお前の罪滅ぼしだぞ」と応援するべきじゃないのか・・・・。

「お前が疑問に思っていることはわかるぞ」
先輩は偉そうな態度でそう言った。まるで、お前の考えはすべてお見通しだ、と言っているようである。
「地獄の番人が、誘惑するのはおかしい、汚い、誠実じゃない、と思っているのだろ?」
大当たりである。なので、俺は素直にうなずいた。
「当然だな。そう思って当たり前だ。それはな、仏様の慈悲の力は甚大である、ということを知らせるため、なんだよ」
先輩は急にまじめな顔になった。
「どんな苦しみの世界にいても、仏様の力に縋れば、そこから救っていただける・・・・それがわかれば、仏様の教えを信じるようになるだろ。いいか、すっごく苦しい状態にあった時・・・たとえば、借金でどうしようもなく、もう死ぬしかないという時に、お金を貸してくれて、さらに返さなくていいよ、と言われたら、その苦しんでいたものは、助けてくれた人の言うことを聞くようになるだろ。逆らえないよな」
『はあ、そりゃあもう、それこそ地獄に仏で・・・・あっ!』
「そういうことだ。まさに地獄に仏なんだよ。そうなれば、仏様のことを信じるようになるじゃないか。となれば、仏様の教えを聞くようになるじゃないか。仏様の教えを聞くようになれば、悟りに近付くじゃないか。そうすれば魂はどうなる?」
『え〜っと・・・・』
いきなりそんなことを聞かれても・・・俺は返答に困った。
「悟りに近付けば、魂は清浄なる世界へと生まれ変わっていくんだよ。そうすれば、もはや生まれ変わることはなくなってくるであろう。やがて悟りの世界へ入るんだな。そうなるように導くのが、仏様なんだよ」
『あぁ、だから・・・・、そっか、番人はその手伝いをしているんだ』
「そういうことだ。ふん、お前のことだから、そんなまどろっこしいことしないで、ストレートに救ってやれば、と思うだろ?」
まさにそう思っていた。そんな廻りくどいことしないで、もっと素早く、直截的に仏様が地獄の世界から救ってくれればいいのに、と思っていたのだ。

「簡単に手に入れたものは、簡単に捨てられる」
先輩はぼそっとそう言った。
「その意味を考えてみよ。俺はちょっと休憩する。しゃべりすぎた」
そう言って、奥・・・庫裡の方・・・へ引っ込んだのだった。
俺は考えた。先輩の言うことはよくわかる。なるほど、簡単に助ければ、ありがたみは伝わらないだろう。否、人間なんて勝手な生き物だ。助けられた時は感謝するが、すぐにそのありがたさを忘れて不平不満を口にするようになる。のど元過ぎれば熱さ忘れる、だ。
たとえば、さっきの先輩の譬え話。借金を抱え死ぬしかないところを助けられたら、それはまさに地獄に仏で、その助けてくれた人の言うことを聞く様にはなるだろう。感謝感激で、何でも従うに違いない。しかし、それも長くは続かないのだ。それが人間の性であろう。やがては、そんな無理難題をとか、いい加減にして欲しいとか、もう恩は返したとか言いだすに決まっているのだ。死ぬまで奉公する、などという心を持ったものは、今の世の中ほとんどいないであろう。皆無かもしれない。そんなものだ。やがて、付き従うのが苦痛になり、逃げ出すに決まっているのだ。そもそも借金ができた、作ってしまったことでも心の弱さが露呈している。借金処理など、自己破産という手もあるのだ。誰の手も借りず、自分で処理することだってできるのだ。地獄の罪人と同じである。
あぁ、そうだな。地獄の罪人も同じだ。簡単に助けてしまえば、初めのうちは仏様の力の偉大さに感謝はするだろうが、そのうちにそれも冷めてしまうだろう。簡単に手に入れたものは、簡単に飽きてしまうのである。
『人間って、そう思うと本当に醜いなぁ・・・・』
俺はつぶやいていた。
「わかったか。人間なんてそんなものだ」
先輩はそう言って戻ってきた。手にはお茶とお茶菓子があった。
「言っておくが、お前も俺も、その人間だ。身勝手で、自分に都合のいいことばかりを考えている生き物だ。口では、綺麗事を言ったりするが、本音は自分が一番かわいい。そういう生き物なんだよ、俺たちは。自分は違う、自分だけはそんな身勝手なことはない、と思うのは大間違いだ」
先輩はそう言って、まんじゅうを食べた。うん、うまいうまいなどといっている。
「いいか・・・・それを、ちゃんと認識しなければ・・・」
どうやらまんじゅうが詰まったようである。欲張って一口で食うからだ。あきれてものが言えない。これが立派な、あの世でも一目置かれる僧侶なのだから・・・・。
「おぉ、死ぬかと思った。なははは。ま、そういうことだ。うん?、質問の内容は何だっけ?」
俺も忘れてしまうこところだった。そもそも質問の内容は、供養が必要となる仕組みに意味があるのか、ということだったのだ。なぜそのようなことをするのか、という質問だったのだ。
「あぁ、そうだな。ま、わかったと思うが、地獄や餓鬼、畜生に生まれ変わったものが、子孫に縋りつく理由は、助かりたいからだ。それはあえて、そうさせているのだ。そうすることにより、仏様の力が、救いが、慈悲が理解できるからだ。それはやがて、救いを求めた者が清浄なる魂に近付くためにもなる。悟りへ向かう修行になるのだな。廻りくどいやり方をするのは、ありがたみを忘れさせないためである。そして、生きている者、つまり子孫にもよい教えとなっていることを忘れてはいかん」
『子孫にもよい教えになっている?、ですか』
「そうだ。供養は死者のためにだけあるものではない。供養を頼みに来る本人や家族のためでもあるのだよ。自分たちのためにも供養は必要なのだ」
先輩は、そういうと俺に顔を近づけた。その顔は「お前、もう知っているだろ」という顔をしていた。
俺は、そんな話を既に聞いているのである。ただ、頭の中で整理できていないだけだった。


『供養は、それを頼みに来た、今生きている人のためでもある?』
「そういうことだな。お前、もうその話は聞いているんじゃないのか?。お前さんの奥さんの守護霊さんに」
聞いている。確かに聞いている・・・と思う。そう、確かあのじいさんは・・・。
(供養してもらえるから、それが我々のエネルギーとなっているんぢゃ。供養のおかげで我々は天界という、素晴らしい世界にいられる。天界にいられるからこそ、子孫の守護霊を務めることができるのぢゃ。子孫の守護霊がしっかりしていれば、その子孫は運もよくなり繁栄するのぢゃな。もし、供養がなければ、わしらも天界から落ちて行ってしまうんぢゃよ・・・・)
と言っていたっけ。そうだ、俺はすでにその話は聞いているのだ。
『思い出しました。確かに聞いています。供養は先祖のためだけにあるのではない、と言う話を。先祖を供養することによって、その家の子孫は先祖に守護してもらい、そのおかげで運がよくなり、益々繁栄していくのだ、と』
「そうそう。聞いているよな。まあ、大方そういうことだな。供養というものは、供養される霊のためだけではなく、供養する側のためにもなるのだな」
そう、確かにそう聞いている。その時は俺はその話に納得した。しかし、なんだろう・・・。いま一つしっくりいかないことがある。それは・・・・。
「お前、また何か疑問があるな」
先輩は、ニヤニヤしながらそう言った。確かに俺には疑問がある。しかし、それはまだはっきり表現できない疑問だ。それがなぜ先輩にわかるのだ。
『前から不思議に思っていたんですが』
俺は素直に聞いてみた。
『俺の考えを見透かしているんですか?。それって超能力ですか?』
「ふん、バカめ。お前それでもジャーナリストか?。そういう超能力は信じなかったんじゃないのか?。超能力のわけないだろう」
先輩は思いっきり俺をバカにした目で見返してきた。
『で、でも・・・』
「でも、じゃない。まあいい、種明かしをしてやろう。簡単なことだよ。慣れれば誰でもできることだ。ひとことでいえば、お前の周りの空気が変わったんだよ。どんよりしているんだ」
えっ、どういうことだ?。俺の周りの空気が変わった?。先輩は俺の考えをさらに見透かすように言った。
「お前、混乱してるな。驚いたか。当たったな。うふふふ。まあ、なんというか、うまく表現できないんだが、簡単にいえば、お前の周辺の空気が変わるんだよ。怒った時は怒った時の空気があるし、悲しんでいるときは悲しそうな空気になる。思い悩んでいるときは、そんな空気になるんだ。死者の場合は、それが顕著に表れる。もちろん、生きているものでも然り、だ」
『そういうもんですか?。あぁ、でも、なんとなくわかる気がするな。確かに怒っている人の周りの空気は、ピリピリしていますからね』
「そう、そういうことだ。それが死者になると、激しい心の状態だけでなく、ちょっとした変化も分かりやすくなるんだよ。まあ、その死者の魂や姿を見たり感じたりできなきゃ意味がないが・・・」
『それって、誰でもできるものじゃないじゃないですか。まず、死者の姿が見えなきゃ意味がない・・・・。そういえば、先輩は、私の姿が見えているんですよね』
俺は思わず聞いていた。今さらながら、とは思ったが。
「まあな。ただし、すべての死者の姿が見えるわけじゃない。余分な死者、関係ない死者、何も訴えて来ない死者の姿は見えないな。見えないというか、見る必要がないというか・・・。まあ、余計なモノは目に入らない、と言うことだな。だいたいは、死者がよほど念を入れているときとか、切羽詰まったような状態にあるときに見えるんだな。あぁ、そうそう、向こうが危険を察知すれば、隠れることもある」
先輩はそういうとニヤっと笑った。
『危険を察知?、隠れる?』
またまた、こんがらがることを言う。
「うん、悪い霊・・・お祓いをされるべき魔モノだな・・・そういうものは、隠れる。気付かれると困ることになるから」
『あぁ、なるほど。先輩が気づいたりすると、お祓いされるかもしれないからですね』
「そういうことだ。あとは、こちらが気づいても、知らないふりをする場合もある。いつだかの道端にいた婆さんの幽霊のようにな」
『あぁ、あの時、先輩は気付いていたんでしたね、あのお婆さんに。でも、あえて知らないふりをしていた』
「そういうことだな。話がそれたな、戻そう。で、お前が疑問に思っていることはなんだ?」
そうだ、忘れていた。疑問・・・・否、まだはっきりとわかってはいない。なんだろう。なぜか引っかかる。何が引っかかるのか。
「お前さんの故郷はどこだっけか?」
だしぬけに先輩は聞いてきた。俺の故郷?、何が関係あるんだ?。
「お前さんの両親はもう亡くなったんだよな?」
『あっ』
そこまで聞いて、俺は気づいた。
『そうか・・・、俺が疑問に思っていたことは、それだったのか・・・』
しかし、うまくまとまっていない。まだ、うまく表現できないのだ。俺は少々考え込んだ。

俺が疑問に思っていること。それは、結構先祖供養しているのに、不幸なことや家が絶えてしまうようなこともおこっているのではないか、ということだ。うちの実家は田舎だったせいもあり、お寺と懇意だった。毎月、坊さんが家にやって来て仏壇の前でお経をあげていた。法事もしっかりやっている。にも関わらず、子供は俺一人だったため、両親の墓の面倒を見る者はいなくなってしまった。家が絶えたわけではないが、俺の実家の田舎では絶えたも同然だ。それに俺も早死にしている。俺の家系は、世間から見れば不幸なのではないか。
俺の両親は、寺に頼んで永代供養をしてもらっている。俺が無信心だから、どうせ供養などしないと思っていたのだろうし、都会では月参りなどなくなっているから、寺に永代供養を頼んでおいたほうが確実に供養してもらえると考えてのことだろう。まあ、まさに両親の考えた通りで、俺はさっぱり何もしなかった。つまり、俺は両親の供養はしていないのだ。だから、俺は早死にしたのか?。
しかし、両親は永代供養をしてもらっている。供養はできているはずだ。だが、俺の家は世間からみれば不幸な状態だ。ならば・・・供養してもダメなんじゃないのか?。
俺はそのまま先輩に語ってみた。
「うん、もっともな疑問だな。まあ、その答えは一概には言えないが・・・その家の状態や過去の状況などによっても異なるがな・・・。うぅん、そうだな、まずは、お前の家のような例の話をしてやろう。
お前の家のように、田舎でちゃんと先祖供養をしてきたのに、今世間から見て不幸だ、と言う家だな。それはな、まず時系列で考えてみろ」
『時系列?』
「そうだ。お前、子供のころ不幸だったか?」
『あっ、いや・・・別に不幸では・・・・』
「そうだな。まあ、兄弟はいなかったから、寂しいというのはあったかもしれないが、特に不自由なく育っているだろ?」
『はぁ、父親も仕事は順調でしたし、母親も何も問題なく・・・両親とも仲はよかったし、平和な家庭でしたねぇ』
「幸せじゃないか」
『あぁ、はい。幸せな子供時代でした・・・。あぁ、そうか。それは・・・』
「御先祖のおかげだねぇ。それと、お前の両親が信心深かったからな」
『でも、子供は俺一人しかなかったですよ』
「それは不幸なことか?。子供が一人しかいない、というのは?」
『あぁ、いや、そんなことは・・・。しかし、両親は田舎に子供が残って欲しかったんじゃないかとも・・・・』
「果たしてそうか?。お前の両親は、お前が都会に出てしまったことを・・・まあ、寂しいとは思うだろうが・・・親不孝者、と恨んでいたか?。もう一人子供がいて、田舎に残ってくれればいいのに・・・などと考えていただろうか?」
『うちの両親は、そんなことは思わないと思いますが、他の家庭ではどうなんでしょうか?』
「あのな、それは愚問だよ。比較できないだろう。まず、その家庭がどの程度先祖供養していたか、わからなければ比較できないだろ。だから、お前の家の例で話をする、といったのだ。だから、答えは一概には言えない、と言ったのだよ。まったく・・・いいか、その家の先祖供養の状況も異なれば、先祖の状態も異なるだろ。たとえば、お前の家の両親は信心深く供養をしていたが、お前の祖父母はどうだったんだ?。お前の両親のように信心深かったか?」
まさにその通りだ。俺はつまらない質問をしてしまったわけだ。
その家々によって、先祖供養の仕方も違うし、度合いも違う。宗派も違うから、先祖供養の効果もひょっとしたら違うかもしれない。たとえば、うちの田舎のように毎月坊さんがやって来てお経をあげてもらう家もあれば、法事のときだけ、と言う家もある。現に俺の家がそうだ。法事のときだけ先輩にお経をあげてもらっていた。しかも、俺はその席にいなかったこともある。なんせ無信心だ。
都会では、お坊さんが家々にお参りに来るなんてことはなくなっている場合が多い。せいぜい、自分たちで自分の家のお墓をお参りする程度だろう。それで先祖供養ができていると思っている人が多いと聞く。
なるほど、比較はできないな・・・・。
「わかったか。それぞれの家庭の状況で異なるんだよ。だから、代表的な例をあげて説明しなきゃいけないんだ。まずは、お前の家からだな。わかったら話を戻すぞ」
先輩は少々苛立っていた。俺のせい・・・だな。

「どこまで話したかな・・・。あぁ、そうだ。子供が一人しかいない、と言うのは不幸なことか?。そうでもないだろう。お前の両親は、あえて子供を多く生もうとは思わなかったのではないか?。それにだ、さっきも言ったが、お前の祖父母は信心深かかったか?」
『うぅん、どうなんだろう・・・・。そういえば、俺が弟か妹が欲しい、と言ったとき・・・。あまりいい返事をしなかったなぁ・・・。あぁ、確か・・・・母親はもう子供を産めないようなことを言っていたなぁ・・・。俺一人できただけでも幸運だった・・・というような・・・』
「そういうことだ」
『は?、何がそういうこと・・・なんですか』
「そうなると、お前の母親の実家での先祖供養の状態が問題になってくる、ということなんだよ」
『母親の実家の先祖供養・・・・ですか』
「そう、母親の実家は、先祖供養を熱心にしていたか?。していないんじゃないのか?」
俺はいろいろと思いだしてみた。

『そういえば・・・・。母親の実家へはあまり行ってないですねぇ、俺は』
「おじいちゃん、おばあちゃん、というと、たいていは母親の実家のおじいちゃん・おばあちゃんの方が優しかったとか、いろいろ思い出があるんじゃないか?。家にいたおじいちゃん・おばあちゃんは、うるさいだけだった・・・みたいな感じで」
『そうですねぇ、そんな話よく聞きますねぇ。・・・そもそもうちは・・・・俺が小さいときに父親の親、おじいさん・おばあさん、ともに亡くなっていましたし・・・。おじいさん・おばあさんの思い出が、あまりないですねぇ。というか、あぁ、ほとんどないや・・・・』
「じゃあ、お前の祖父母・・・父方も母方も・・・先祖供養に熱心な信心深い人だったかどうかはわからないわけだ」
『いいえ、わかります。親戚のおじさん・・・母の兄ですが・・・全然信心深くないです。ですから、法事に母親が行った、なんてことは記憶にないですから。今ならよくわかります。あのおじさんは、信心深くないです。おそらく、母親の実家は先祖供養などに熱心な家ではなったすね・・・・。あ、あぁ、そういうことか』
「わかったか」
『はい、母親は実家の影響を受けているんですね』
「そういうことだ。お前の母親が、あまり子供を多く産めない身体だったということは、それはお前の父親の嫁になってからのことではないだろう。結婚前からの話だな。お前の先祖とは関係ない話だ」
『でも、こんな言い方は母親に失礼なんですが、父方の家が先祖供養をしっかりしていて、先祖が子孫の繁栄に力を貸してくれるくらいになっていたならば、母親のように子供を産めないかもしれない、という女性は嫁いで来なかったのではないですか?』
「ひどいこと言うなぁ、お前。いくら自分の親だからって・・・・。まあいい、そうむくれるな。あのな、だから聞いただろ、お前の父親の両親は信心深かったか?、って」
『あぁ、そうか・・・そうなんだ。わかりましたよ。たぶん、うちの祖父母もそれほど熱心に先祖供養をしていなかったんですね、きっと・・・・』
「そういうことだろうな。・・・・お前、親が結婚してから何年たって生まれた?」
『はい、親が結婚してから、数年たってから生まれてます。そういうことですね。それだけ時間がかかったんだ・・・・』
わかった。理解できた。
うちの実家も母親の実家も、それほど信心深い家ではなかったのだ。まあ、おざなりの先祖供養というか、決まっただけの供養はしていたのだろうが、俺の両親のような考え方・・・先祖に対する考え方、供養に対する考え方・・・は、なかったのだ。
おそらくは、子供ができない原因を、拝み屋か占い師か霊感師かなんかに聞いたのだろう。で、先祖供養を勧められたのだろう。両親は、その言葉を信じ、檀家寺に頼んで熱心に先祖供養をしたに違いない。で、その結果、俺が誕生したのだ。
なるほど、昔のことを思い出しながら、いろいろ考えて推察すると、どうやらそれが正解らしい。本来、我が家の血には、信心深いという言葉はないのだ。俺がそのいい証拠である。おそらくは、祖父母も無信心の部類だったのだろう。信心深かったのは、両親だけなのだ。
『そういうことですか。それで時系列で考えろ、と・・・』
「そうだ。その時代だけ、今だけを見ていては話にならん。今は一生懸命に先祖供養をしているかも知れんが、その前はどうだったのか、その親はどうだったのか、そこまで考えなければ、正しいことはわからないよ」
『じゃあ、子供がなかなか生まれない家庭っていうのは、ちゃんと先祖供養ができていない家庭ってことですか?』
「それも一概には言えない。それほど単純じゃないよ。原因は様々さ。もちろん、先祖の問題、ということもある。しかし、今生きている個人の問題もある。たとえばだ。子供が産めるはずなのに、産みたくない、という個人的理由もあるだろ。先祖はいくら子孫に影響力を持つと言っても、個人の自由を奪うほどの力はないし、そこまではしてはいけないルールがある。お前の女房のじい様に聞いていないか?」
『あぁ、そんな話は聞いたことがあります。何もかも先祖が行動をコントロールしてるわけではないし、そんなことはできないことだ、と。先祖は、ただ助けをしているにすぎないのだ、と』
「そういうことだな。なんとなくいい方向へ導く様にしているとか、なんとなく運がいい方向に向かわせるとか、なんとなく守られているなと感じられるようにするとか、そんな程度だな。まあ、それでも大きな力なんだが・・・。お前だって、運が良かっただろ?」
『はい、早死にした以外はね』
「よくいうよ、お前。働き過ぎだ、タバコはやめろ、そう言われてなかったか?。不摂生しておきながら、早死にしたのは先祖のせいだといのか?」
『あ・・・・。そ、そうですね・・・・』
「自分の悪事は棚に上げて、悪いことはみんな先祖のせいにする。まあ、よくある話だがな。しかし、先祖はたまらんだろうな、そういう言い方されると。先祖だって精一杯、頑張っているのにな」
そういうと、先輩は少し悲しそうな顔をしたのだった。



「うちの寺に相談に来る人たちにもいるがな、悪いことは先祖が原因、と思っている人たちが。まあ、先祖が原因、ということもあるが、それだけではないことも確かだ。が、いつもいつも悪いことは先祖のせい、いいことがあったら自分の努力、幸運のおかげ、としか思わない。人間は身勝手だのう」
先輩は、吐き捨てるようにそう言った。
『あ、いや、はあ・・・まあ、そうですね』
なぜ、俺が先輩の御機嫌を取らねばならない?。俺は、少々腹が立ってきた。
「何むくれているんだ?。お前が早死にしたのを先祖のせいにするような発言をしたから、そう言ったまでだぞ。悪いのはお前だ」
『はぁ・・・、まあ、確かにそうですが・・・』
「先祖というのは、何度も言うが、導くだけだ。なんでもかんでもうまくいくようにしてくれるわけじゃない。守護するだけなんだ。それも、天界に生まれ変わっている先祖にしかできないことだ。天界に生まれ変われないような先祖では、子孫の守護なんてできない。先祖が天界に生まれ変われるように供養すらできない者が、守護霊だの先祖の導きだの先祖が悪いだの言えた義理かっ!」
『はぁ・・・そうですが、何も俺に怒らなくても・・・・』
「お前が早死にした、なんていうからだ。そんなものは、自分の責任だ。先祖など関係ない。自分の不摂生を棚に上げて、不幸事を先祖のせいにするな、ということだ」
そういうと、先輩は俺を睨みつけた。目つきが鋭い。というか、ちょっと邪悪だ。坊さんっていうのは、もっと優しい目をしているものじゃないのだろうか・・・・。
「目つきが悪いのは、相手によりけりだ。大方、目つきが悪い、な〜んて思っていたのだろう?。ま、そんなもんだよ。ちなみにな、言っておこう。たとえ、先祖の供養を一生懸命やっていても、神仏の信仰をしっかりしていても、不摂生をすれば身体は悪くなるし、病気にもなる。供養や信仰ををしていれば、悪いことは何も起こらないと思ったら大間違いだ。自分の努力や摂生、行動の善悪、日常の生活やストレス、そうしたことの影響だって大いにある。よくな、
『こんなに信仰していたのに、先祖供養だってしていたのに、なんで癌になるんですか?』
などという人がいるが、信仰や先祖供養をしていたって病気にはなるだろ。信仰や先祖供養をしっかりやっていれば病気にはならない、なんてことはありえんよ。もちろん、先祖の因縁や悪影響で病気になることはある。それはあるが、逆はないんだ。もし、信仰や先祖供養をやっていれば癌とかの重病にならないというのなら、誰もが真剣に信仰をするさ。
人間なんて勝手なもので、本心ではわかっているくせに、自分の身内に何か重大なことがあると、『自分が原因』とは考えたくないんだな。認めたくないんだよ。だから、何かのせいにしたくなる。まったく、くだらん話さ。少しは、自己責任ということを理解して欲しいね。ひどいのになると、自分が原因で交通事故を起こしておいて、『先祖供養しているのに』とか『何かの祟りでは』とか言っているヤカラがいる。あきれてものが言えんよ」
先輩は一気にまくし立てた。よほど、たまっているんだな、と俺は思った。まあ、そうかもしれない。日頃、他人の相談ごとや愚痴を聞いているのだから、いろいろとストレスもたまるのだろう。先輩の言うように、人間は身勝手な生き物だ。自分の非はなるべく認めたくない。何か不幸なことや思わぬトラブルがあれば、できれば、他人のせいや何かのせいにしたい。たとえ、自分が原因で起きた出来事であっても・・・・・。

『まあ、あの、先輩の気持ちはよくわかりました。なんでもかんでも先祖のせいにしちゃいけないですよね・・・・』
「そういうことだ。うん?、質問はなんだっけ?。また忘れちまったよ」
『供養の必要性を尋ねたんですが、よくわかりました。先祖も大変なんですね。供養されて力をつければつけたで、子孫のために頑張らなきゃいけないし、力がなければ子孫を頼って供養を頼まなきゃいけないし・・・・。あ、じゃあ、子孫がない人はどうなるんですか?』
「自分が死んだあと、誰も供養をしてくれる人がいない。こういうことは今後多くなるだろうな。子供がいない家庭が増えているからね。産めない、産みたくない・・・事情はどうあれ、子供のいない家庭は多く存在している。そういう家の場合、子孫の供養というものはあてにならないよな。尤も、子孫がいても供養してくれない家もあるがな」
そういうと先輩は、身を乗り出して俺を見つめた。そこで俺は気づいた。
『あぁ、そうですね、うちもそうです。失念していました。子孫がいてもいなくても供養はお寺に頼んでおけばいいんですよね』
「そういうことだ。縁のあるお寺に永代供養を頼んでおけばいいのだよ。それで問題なしだ」
そうなのだ。俺の両親も俺があてにならないので、田舎のお寺に永代供養を頼んでおいてある。そういえば、ときどき年忌の案内が来ていた。俺の両親は、先まで見越していたのだ。
「あぁ、しかし、疲れたな。しゃべりすぎた。だいたい、お前の質問に答えても、俺は何の得もない。時間の無駄だな。お前がお布施をおいていくわけじゃないからなぁ・・・。まったくもって、面倒なヤツだ」
『そんなこと言わないでください。この恩は忘れません。いつか、何らかの形で返しますから』
「その言葉、本当だな」
先輩の眼がキラっと光ったような気がした。やばい、この目は何かを企んでいる目だ。
「よ〜っし、よく覚えておくぞ、その言葉。絶対、返してもらうからな」
そういうと、先輩はニヤっと笑ったのだった。

「ま、恩を返してくれるというのだから、もう少し付き合ってやろう。で、他に質問はあったかな?」
『え〜っと、なんだっけ・・・』
「忘れたならもういいぞ。俺も疲れたからな。俺はお前と違って生身の体なんだから。しかも、お前はここにいれば元気ハツラツだからな。疲れることはない。便利なもんだな」
嫌みである。この人は、ときどきこういう嫌みをいうのだ。
『いいえ、覚えてますよ。大丈夫です。え〜っと、そうそう、この世界とあの世の世界の関わりというか、仕組みというか・・・・その宇宙的な話になるかもしれませんが、なんて言っていいのか、次元の違いというか・・・・』
「あぁ、もういい。密教的宇宙観を聞きたいんだな」
『あの・・・よくわかりませんが、はい、たぶんそうだと思います』
「どこの誰に聞いたのか知らないが・・・・まあ、たぶん、お前の奥さんの守護霊のじいさんだろうが・・・・素人さんに詳しい話をしても、なぁ・・・・。まあ、いいや、なるべくわかりやすく説明しよう」
『はい、お願いします』
「お前のことだ、そのじいさんに、『おじいさんのいる天界の世界は、人間がいける世界なんですか?、宇宙のどこかの星なんですか?』なんて聞いたんだろ」
完全に小馬鹿にしている。その通りだから、俺は反論できない。恥ずかしい限りだ。
『い、いや、そんな聞き方はしてないですよ・・・・』
「はん、図星だな。お前、科学的知識ないのか?。宇宙に生命体がある星は発見されていないぞ。あったとしても、どうやって地球にくるんだ?。光より速く移動はできないんだぞ。そこが解決できなきゃ、宇宙人が地球にいる・・・なんて話もナシなんだぞ。わかる?」
『あの・・・・はい、もういいですから。その本題に・・・』
イジメだ。これは明らかにイジメだ。
「仕方がない。まあ、話してやるか。結論からいえば、この世界、肉体がある世界の方が異常なのだ。本来の世界は、精神世界なんだよ。この世界は、仮の世界なんだよ」
守護霊のおじいさんもそんなようなことを言っていた。こっちの世界が仮の世界だ、と。そこのところがよくわからない。
「いいか、本当の世界は、精神世界・・・魂の世界なのだ。この世は現実世界、というが、それはあくまでも人間界という世界の生き物から見た結果の話だ。地獄という世界にいるものからみれば、地獄こそが現実世界だ。しかし、その地獄という世界は、人間世界から見れば、現実に存在している世界ではない。同様に、餓鬼界という世界も、人間界からみれば、現実に存在している世界ではない。が、餓鬼界の世界から見れば、餓鬼界は現実に存在している。人間界の方が異常な世界になるのだよ。
地獄界にしても、餓鬼界にしても、修羅界にしても、天界にしても、それらの世界は、いずれも精神世界だ。肉体がなく、魂だけの世界だな。肉体と魂を持った世界は、畜生界と人間界だけだ。畜生界は、この世にいる動物や昆虫類だな。人間界は、この地球に住んでいる人間だ。この二つの世界だけが、仮に肉体を持っている。しかし、あくまでも仮だ。ううん、これは難しい話だからなぁ・・・。なんと説明しようか・・・・。あぁ、そうか、そもそも、お前自身が肉体を持っていないが、存在しているじゃないか。そっちの世界が、本当の世界なんだよ」
先輩は、そういってふんぞり返った。聞くまでもないじゃないか、と言いたいのだろう。なので、
『それはわかっています。俺も気付きました。肉体がなく魂だけの存在なのに、肉体のある世界・・・この世・・・と隣り合わせに存在しているのだ、ということは重々承知しています。で、肉体のある世界と肉体のない魂だけの世界が、混在しているのも知っています。しかも、こちら側・・・魂だけの世界・・・から、肉体のあるこの世には関われるのに、そちら側・・・肉体のある世界からは、簡単には関われない、ということも知りました。しかし、どうも納得できないというか、しっくりこないというか・・・・。魂の世界があって、そっちが本当の世界ならば、肉体のある世界は必要ないんじゃないかとも思いますし・・・・。まあ、難しい話ですよね・・・・』
と、ちょっと真剣に話してみた。が、俺の話の途中で、先輩は腕を組み、呆れた顔になっていた。
『わかっています、先輩の言いたいことは。そんなことを聞いてどうするのだ、というんでしょ。でも知りたいんですよ』
先輩は、腕組を説き、頭を左右に振って
「そんなことを知ってもなぁ・・・いずれわかるしなぁ・・・。まあ、いい。真実の基礎知識だけ教えてやろう」
少し間をおいて先輩は話し始めた。

「さっきも言ったように、こっちは・・・肉体のあるこっちの世界は仮の世界だ。本当の世界は、精神世界だ。魂の世界だな。その魂の世界には、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界、悟りの世界が存在している。いずれも肉体のない、精神の世界だ」
『ちょっと待ってください。先ほど、畜生界と人間界だけが肉体を持っている世界だ、と言いませんでしたか?』
「言ったよ。そうだな・・・確かに畜生界と人間界だけは肉体を持つ世界がある。しかし、それはあくまでも仮の世界だ。実際には、畜生界も人間界も肉体のない、精神世界、魂だけの世界もあるのだよ。
簡単な話さ。お前、守護霊のじいさんに聞いてないか?。そのじいさん、天界に生まれ変わる前、どこにいた?」
唐突な質問に俺は戸惑った。はて・・・そんな話聞いたことがあるような・・・。俺はいろいろ思い出していた。
『あっ、そういえば・・・』
「思い出したか」
『はい、確かおじいさん、49日が終わって行った先は、待機所だと・・・・』
「待機所・・・ねぇ。うまい表現だな。そこが本来の人間界だよ」
『そこが本来の人間界?』
「そう。こっちの世界に人間として生まれ変わるには、その亡くなった人の縁のある家に子供が生まれて来なければ、こっちの世界に生まれ変わることはできないだろ?。誰の家でもいい、どこの国でもいい、とにかく人間として生まれ変わればいい、ということではないのだ。縁のないところには、生まれ変わることはできないんだな。たとえば、お前の奥さんの守護霊のじいさんの場合でいえば、そのじいさんが亡くなって49日目に、生まれ変わり先が人間界になったんだな」
俺はうなずいた。
「しかし、そのじいさんの子孫に、子供が生まれてきそうな夫婦がいなかったんだな」
俺はまたうなずいた。確か、そう聞いている。
「ということは、じいさん、こっちの世界に生まれ変わってこれない、ってことだな。じいさんの魂がのっかる肉体がないからな」
『あっ、そういうことか・・・・』
「そういうことだ。もっとも、こっちの世界に都合よく肉体があって、じいさんの魂がタイミングよくのっかったとしても、じいさんは過去の記憶を失うがな。いわゆる前世の記憶は脳の奥底に鎮められてしまうけどね。だから、じいさんは、こっちの世界に生まれ変わっていれば、じいさんでなく新たな命として誕生することになるんだけどね」
『ちょっと待ってください』
俺は考え込んだ。頭が混乱しているのだ。

女房の守護霊のおじいさんは、49日が終わって、生まれ変わり先が人間界と決定した。ところが、そのとき、おじいさんの子孫に子供を産みそうな夫婦や娘がいなかった。そこで、じいさんの魂は待機所に移された・・・・、と俺は聞いていた。しかし、その待機所こそが、本来の人間界なのだと先輩は言っている。つまり、魂の世界の、精神世界の人間界なのだ。この世の人間界は仮の人間界であって、本当の人間界は、おじいさんが言っていた待機所のことなのだ。そこまではいい。理解した。
で、もし、こっちの仮の世界に、タイミング良く生まれ変わることができる場合、つまりおじいさんの子孫に子供をつくりそうな夫婦や娘がいた場合、おじいさんの魂は、その夫婦や娘の肉体に宿るであろう赤ん坊にのっかるというのだ。まあ、魂が入るといえばいいのか。で、その場合は、おじいさんの魂は、おじいさんであった時の記憶を失うのだ。あぁ、そうか。俺もきっと先祖の誰かなのだが、その時の記憶はない。こっちの肉体のある世界に生まれ変わったと同時に、前世の記憶はなくなっているのだ。もっとも、先輩の口調によれば、全くなくなってしまうのではなく、脳の奥底に鎮められる、ということであって・・・ということは、思いだすこともあるのか。しかし、俺は覚えていない。魂の状態になっても思いだせない。なぜだ・・・。
おじいさんは、今天界にいる。精神世界、魂の世界だ。仮に姿をとることもある、と言っていたが・・・。あぁ、混乱するなぁ。そのじいさんは、前世の記憶を持っている。人間だった時の記憶を持っている。しかし、その前の記憶はないようだ。前世の前世の記憶はないのだ。
いったいこれはどういうことなのだ・・・。
「考えはまとまったか?。整理できたか?。たぶん疑問が残っているだろ?。で、それは、前世の記憶についてだな。天界に行ったおじいさんは前世の記憶を持っている。が、お前は持っていない。その違いがわからないんだろ?」
先輩は俺にそう聞いてきた。俺は、ゆっくりとうなずいた。
「簡単なことだ。一度、人間界・・・こっちの人間界な、肉体のある方・・・に生まれ変わると、魂の記憶はリセットされるんだ、普通はな」
先輩はそう言って、またニーと笑ったのだった。


『魂の記憶がリセットされる・・・・んですか?』
「そういうことだ。一度、こっちの肉体のある世界に生まれ変わると、それまでの記憶・・・前世の記憶はリセットされるんだ。全く綺麗に消えてしまうわけではないが、思いだすことは・・・・まあ、ないなぁ。たまに、身体が覚えている・・・ということはあるけどね。まあ、いいや、それはあとで話そう。ともかく、魂の状態から、肉体のあるこの世界に生まれ変わったと同時に前世の記憶はリセットされるんだ。理由は分からない。いろいろ説はある。魂が肉体に入る瞬間は異常な状態だから記憶が消えてしまうとか、母親の胎内にいるときは前世の記憶はあるが出産時の苦しみで忘れてしまうとか、赤ん坊から2・3歳に至るまでは前世の記憶はあるが次第にこっちの世界で新しいことを覚えてしまうために埋もれてしまうとか・・・・。まあ、どの説もありそうでなさそうで、ってところだな。そこのところは俺も確信はない。まあ、最後の説が一番受け入れやすいかな、とは思うけどね。誰だって赤ん坊のころの記憶はないからな。記憶が上から書きかえられていくなら、古い記憶は埋もれてしまうこともあるし、未発達の脳だと消えてしまうこともあるだろう。ま、理由はともかく結果として、こっちの世界の生き物に生まれ変わってしまうと、前世の記憶はどうにもこうにも・・・ないんだよ。ごくまれに思いだす者もいるけどね」
『なるほど・・・・。だから、おじいさんも、おじいさんだった時の記憶はあっても、その前の生の記憶・・・前世の前世ですね・・・その記憶はないんですね。俺も、人間だったから、産まれたときに前世の記憶は飛んでしまったんだ・・・』
「そういうことだな」
『さっき、体が覚えているようなことをいいましたが・・・』
「あぁ、そうそう。たとえば、初めてやったことなのに妙にうまくできることってないか?。得意分野、得意技・・・とかいうものだ」
『あぁ、ありますねぇ。あっ、それって才能?、ですか?』
「そうそう。たとえば、生まれた時にすべてがリセットされてしまったなら、人間は生まれた時は誰もが能力は平等のはずだよな。でも、実際には、子供のころから得手不得手という差ができる。勉強が得意な子、運動が得意な子、同じように練習しているのにうまくできる子、下手な子、同じように勉強しているのに、得意な科目ができてくる・・・・おかしいだろ、それって」
『あぁ、なるほど・・・・。じゃあ、サッカーで一流の選手になったり、野球で一流の選手になれるのは・・・・』
「おそらく前世でも同じようなことをしていたんだろうな。サッカー選手なんて、蹴鞠の得意な公家だったりしてな。あっはっはっは」
俺はちょっと想像してみた。えっ、あの選手の前世が公家?、蹴鞠?・・・想像できん。
「お前、今の姿形から、前世を想像しちゃあだめだよ。生まれ変わったら姿形も変わってしまうんだからね。その一族の風貌は残すけど、前世の姿形そのままってことはないからね。性別だって変るんだし」
『えっ?、あぁ、そうですね、そうですよね。先輩の前世も、そのままその顔ってことはないですよねぇ。むふふふ』
「いってくれるじゃないか。まあそうなんだけど。俺の知り合いにな、珍しいヤツがいて。そいつは、本当に何をやってもダメなやつだったんだよ。坊さんなんだけどな、お経は下手、話はできない、もちろん仏教学の成績も悪いっていうヤツだったんだが。ある日のこと、ふとしたきっかけで仏像を彫ってみたんだな。初めは木の板からだ。レリーフだな。そしたら、下書きも何もしないのに見る見るうちに仏像が出来上がっていくんだよ。で、次に立体像に挑戦してみた。もちろん、初体験だよ。それが、初めてなのに勝手に手が動いていくんだよ。それも見事な仏像になったよ。本人が言うには
『勝手に手が動くんですよ。どこをどう彫れば形になる、顔になるというのがわかってしまうんです』
ってことだった。身体が覚えているといえばいいのか、まあ、それがいわゆる前世の記憶なんだろうな」
『なるほど、じゃあ、前世が、たとえば・・・髪結い屋さんだったとしたら、その人が人間に生まれ変わると美容師とかになるとか?』
「まあ、そういうことだな。ただし、美容師になるとは限らないな。今回は新しいことに挑戦したい、と思うかもしれないからな。ただ、美容師になっていれば腕はいいはずだ」
『あぁ、そうか。前世と同じ職業を選ぶとは限らないんですね。ただ、同じ職業を選べば得意であることは確か、ということですね』
「そういうことだ。だから、TVであなたの前世はヨーロッパの中世の誰それ・・・なーんて言っているバカな霊能者だか何だかがいるだろ?、あれの言っていることは出まかせだよ」
『あぁ、そうか。もし本当にヨーロッパの人だったならば、そっちに縁があるでしょうし、そっちの国の語学が得意なはずですよね』
「そうなるな。まあ、そうしたことが前世からの因縁と言われるものなんだけどね。前世の記憶はないけど、関わりは残しているんだよ。だから、前世にいた場所にいったり、前世と同じ職業を選んだりしたときに、ふと前世の記憶を思い出す人もたまにいるんだな」
『う〜ん・・・そうか。っていうと、俺は雑誌記者だったんですが、記者としてはまあまあだったんだと自分では思います。会社が三流だっただけで・・・。ということは、前世でかわらばん売りのネタ元でもやっていたんでしょうかねぇ・・・』
「岡っ引きとかな。あるいは、明治時代ならば地方の新聞記者とか、怪しい話を集めてくる記者とかな。いずれにしても、ぱっとしない記者だったのだろうな。記者と言うより、記事屋といったほうがいいか。あはははは」
『ひどいですねぇ、それ。まあ、納得できるから仕方がないですけど。じゃあ、先輩はどうだったんです?。やっぱり前も坊さんだったんですか?』
「あぁ、たぶんな。他の坊さんより、仏教に関して理解が深いしな。いろいろできるしな。まあ、間違いなく坊さんだったんだろうな」
さらりと先輩は流したように聞こえた。これは怪しい、と俺の記者魂が言っている。何か知っているに違いない。なので、俺はもう少し突っ込んでみた。
『先輩は、前世の記憶あるんですか?。ひょっとして自分の前世のこと、知っているんじゃないですか?』
「う〜ん、まあ、なぁ、全部じゃないが・・・。一部の肝心なことだけは知っているよ。でも言えない。教えない。それは秘密だな。ふっふっふ」
『そんなこと言わないで、教えてくださいよぉ。前世の記憶ですか、それは?。それともその前も知っているんですか?』
「いくつか知っている。ただし、重要な部分だけだ。今の俺に関わりのある部分だけを知っている。でも、それは言える話じゃない。なのでお前の質問は却下だ。それよりも、面白い話がある。そっちを聞かないか?」
先輩は、俺の方に顔を近づけ、にや〜っと笑った。何か企んでいるのか。ちょっと怪しい。
「何も企んではいない。警戒するな。ただ、俺の前世の話より面白いというだけのことだ。どうだ、どれで手を打たないか?」
なるほど、そういうことか。自分の前世には触れられたくない、と言うことだな。ここで、NOといえば、その面白い話も聞けなくなってしまうだろう。もういい帰れ・・・と言うことになるのは間違いない。ならば、まず先輩の話の流れに乗ったほうが得策である。なので
『わかりました。ぜひ、聞かせて下さい』
と俺は言ったのだった。

「こっちの世界に人間に生まれ変わってくるものは、前世も人間だったとは限らない」
たっぷり間をおいて先輩は一言そう言った。
『ちょっと待ってくださいよ。そりゃおかしいでしょ。だって、人間界に生まれ変わってくるには、49日までの裁判を受けて、で、それから人間界への扉を運よく開いて、子孫か縁者に子供が生まれそうな夫婦とかがあればそのまま人間界へ、なければいわゆる待機所へ行く・・・はずですよね。今までの話から判断すると、そうなりますよね。49日の間、裁判を受けているのは人間だけですよね。現に俺も犬とか猫とかが裁判を受けるところは見ていません。裁判を受けていないのに、人間界に生まれ変われるんですか?』
俺は半ば、『またいい加減な話を・・・。そうやってごまかそうとするんだ・・・』という思いを込めて、やや冷やかし気味に言った。しかし、先輩は一向に真面目な顔をしていた。真剣なまなざしで俺の方を見ている。少しも笑っていなかったのだ。ということは・・・。
『人間に生まれてくるんですか?。犬とか猫とかが・・・。それは・・・、また冗談を・・・』
「お前、俺が俺の前世の話をしたくないから、いい加減な話を持ち出してごまかそうとしているとでも思っているんだろう。残念ながら、それは間違っている。俺はそんな姑息な手は使わない。しゃべりたくないことは、しゃべりたくない、とはっきりいう。まだ、俺のことをわかっていないようだねぇ、君は」
と言いながら、先輩は右手の人差し指を立てて、「チッチッチッチ・・・」と言った。なんだかムカツク。
『あっ、いや、そんなふうには思ってませんよ。でも、先輩の話があまりにも突拍子もないものだったんで、つい・・・』
「ふん、まあいいさ、深くは追求しない。面倒だからな。時間もないし。話を先に進めよう。
いいか、何も人間界に生まれ変わってくる者は、お前たちのような裁判を受けた者だけではないんだよ。別の世界から人間界に生まれ変わってくる場合もあるんだ。まあ、そういう例は多くはないけどな。少ない方だな。しかし、ないことはないのだ。あるんだよ。たとえば、前世が犬って話もあるんだな、これが。家で飼っていた犬が寿命を終え、犬の役割を十分果たし、徳を積んでいたならば、次の生は人間界・・・と言うこともあるんだよ」
『ちょっと待ってください。その場合・・・っていうか、動物の場合、裁判はどうなるんですか?。裁判なしで人間界とか地獄とかって決まるんですか?。もし、そうならそれって誰が決めているんですか?』
「まあ、そうあわてるなよ。順番に話そう。そうだな、まずは動物が亡くなったらどうなるか、ってところから話した方がいいな」
先輩はそういうと、考えをまとめているのだろうか、ちょっと上の方をしばらく見つめていた。

「動物には、大きくわけて『ペットもしくは家畜』と『野生』とがあるな。つまり、人間に飼われている動物と、人間が飼っていない野生もしくは野良の動物とがいるよな」
俺はうなずいた。
「人に飼われている動物は、ペットであれ家畜であれ、亡くなるとそのまま放置されることはない。ペットの場合は葬式とか供養とかがされる。最低でも火葬はされるよな。もっとも小動物はそうじゃなく、庭に埋められたり近所の森に埋められたり・・・と言うこともあるようだが。あるいは、ラットや小さいカメなんぞは、生ゴミにってこともあるようだが。
あぁ、ちょっと面倒だな。これから話すことは、小動物は抜いておく。小鳥とか、ハムスターとか、カメとか、そういった小動物、火葬されない小動物は省略する。そういう動物は、あとでまとめて話す。そうしておこう。とりあえず、これから話す対象の動物は、犬や猫、家畜に関してだ。いいな、そういうことだから、上げ足とるなよ」
先輩はそういうと、俺をちょっと睨むように見た。俺は、またまた素直にうなずいた。
「犬や猫、家畜などは、亡くなるとそのまま放置されることはない。特にペットは、葬式をしてもらうこともあれば、供養をしてもらうこともある。うちもたまにペットの供養をして欲しいといわれることがある。もちろん、魂にはかわらないから、ちゃんと供養する。家畜も、家畜農家などが合同で1年に1度か2度、慰霊祭をしたりする。まあ、葬式変わりだな。このように葬式や供養、慰霊祭をされる動物は、ちゃんと仏様がその魂を引き取ってくれるんだな。昔は、動物の慰霊祭などには馬頭観音様が祀られたりしてた。そうそう、昔は競馬場の近くには馬頭観音を祀ったお堂があったもんだが、今では地方でないと見られないかな?。競馬の馬も亡くなると慰霊祭が行われるだろ。名馬なんぞは、立派な葬式まで行われるよな。そのように、人間と変りなく葬式や供養、慰霊祭が行われた動物の魂は、ちゃんと行くべきところがあるんだな。そこへは裁判なしで行くんだよ。まあ、これもいわば待機所だけどな。動物の霊の待機所だ。で、そこでどこに生まれ変わるか決められるんだよ。順番にね」
『決められるって・・・いったい誰が決めるんですか?』
「担当のあの世の裁判官だ。名前とか顔とか、どんな裁判かとか、そうした詳しい話は俺も知らない。ただ、葬式や供養、慰霊祭が行われた動物の魂が行くべきところはあの世にちゃんとあって、そこで裁判官が次の生まれ変わり先を決めている、ということは確かなようだ」
『裁判官は一人なんでしょうかねぇ』
「そんなことは知らない。一人なのか、複数で合議制で行っているのか、それは俺も知らない。だが、裁判は行われている。というか、一方的に決められているようだがな」
『一方的と言うと・・・・』
「動物にお前は生前何をした?、なんて聞かないのだろう、きっと」
『言葉が通じませんからね』
俺は思わず言ってしまった。言ってしまってから、しまったと思った。先輩が呆れた顔をしたからだ。
「お前、バカだねぇ。言葉なんぞ、あの世じゃ必要ないだろ。お前なぁ、仮に人型をとっているけど、本来は魂の状態なんだぞ。本来は、言葉なんぞ発してはいないんだぞ。魂の思い、考え、思考を伝え合っているだけで、言葉なんぞ発していないんだよ。忘れていないか?。お前たちは、決してしゃべっているわけじゃないんだよ。となれば、動物だって同じだろ。動物だって思いは持っているんだよ。感情だってある。思いは、言葉にしなくても伝わるものなんだ、本来はな。だから、動物を担当している裁判官は、ひょっとしたら動物たちに問いかけているかもしれない。一方的に、お前の罪はこうだ、善行はこうだ、だからこの世界へ生まれ変われ、と言っているのかもしれない。そこのところは、俺も知らないところだ。しかし、いずれにせよ、それは魂どうしのやり取りであって、言葉は不要だな。わかったか」
先輩は小馬鹿にしたような眼で俺を睨みつけた。確かに忘れていた。俺はしゃべっているつもりをしていた。しかし、魂だけの俺は、一応生前の姿をとってはいるが、普通に会話をしているわけではない。なんというか・・・魂が直接話をしているというか・・・ともかく言葉を発しているわけではないのだ。俺がいま語っていることは、あくまでも魂が考えていることであって、俺の地声の言葉ではないのだ。いわば、心の言葉か。そう、そういうことなのだ。
『はぁ、面目ないです。先輩としゃべっていると、ついつい生きているとき同様、言葉で会話しているように思えてくるんですよね』
「まあな、そう思うのも仕方がないかも知れんがな。実際、俺はしゃべっているからな。よそから見たら、独り言をいいまくっている、ちょっとおかしい坊主に見えるだろうな。誰もいないから、大っぴらにしゃべっているんだが・・・。まあ、それはいいや。いずれにせよ、葬式や供養、慰霊祭などを行われたペットや家畜は、まとめて仏様があの世の裁判所へ連れて行くんだ。で、そこで裁判がおこなわれる。裁判のやり方や内容につてはよくわからんが、その動物だちがどれくらい善行を積んだのかが問われる。それと、動物に生まれた・・・つまりは畜生道に生まれたことを反省しているかどうか、が問われるようだ」
『そこで善行がたくさん行われて、徳が積んであって、畜生道に生まれたことを反省しているならば・・・・』
「そうだ、そういうことならば人間界に生まれ変わるチャンスが得られる。あるいは、天界の家畜・ペットとして生まれ変わることもあるがな」
『天界のペット?』
またまたおかしな話が飛びだしてきたのだった。


『天界にペットがいるんですか?』
俺は驚いてそう叫んでいた。声が出ているなら、甲高い声が出ていただろう。
「天界だってペットくらいはいるさ。鳥だって飛んでるんだぞ。犬だっているだろう。天界は自由な世界だ。いわば快楽の世界でもある。修行すれば神通力が使える世界だ。何でもありだよ」
先輩は、ふんぞり返ってそう言った。なんでここでドヤ顔なのか、よくわからない。
そう言われれば確かにそうだ。天界は、神通力が使えるのだし、人間であったときの記憶もある。ならば、犬や猫などのペットを飼いたいと願うこともあろう。
「ちなみに、人間だって死んだあと、天界のペット・・・天界の畜生だな・・・に生まれ変わることだってある。まあ、ペットじゃなくてもいいんだがな。鳥でもな。天界の鳥は、神通力を使う鳥もいるくらいだしな」
『ちょ、ちょっと待ってください。それ本当なんですか?』
「それってどれだ?。人間であっても天界の畜生になることもある、ということなのか、天界の鳥は神通力が使える、ということなのか?」
『両方です』
俺は即答していた。
「あのな、人間が死んで後に何に生まれ変わるかは、可能性としては何でもあるだろ。地獄かもしれないし、餓鬼かもしれないし、畜生かもしれないし、戦いの世界かもしれないし、はたまた人間かもしれないし、天界かもしれない。しかしな、それぞれの世界には、いろいろな生き物がいるんだよ。というか、魂だけの世界であっても、いろいろな姿形をとるものだし、取らされるものなんだよ。
たとえば、人間界に生まれ変わったって、人間に生まれ変わるとは限らないだろ。虫になるかもしれないし、動物になるかもしれない」
『それは畜生道に生まれ変わった、ってことですよね』
「うん、そうだけど、俺が言っている意味は、違うんだよ。それぞれの世界にも六道がある、ということなんだ」
『それぞれの世界に六道がある・・・・んですか?』
「そういうことだ。う〜ん、なんといったらいいか、扱いとでもいえばいいのか・・・。
たとえば、人間界だって、地獄のような苦しみを味わう者もいるわけだろ。裕福な生活をして、まるで極楽な生活をする者もいる。ゴミ箱をあさって餓鬼のような生活をする者もいるし、邪淫に耽り、怠け、他人ばかり頼って畜生のような生活をする者もいる。毎日ケンカばかりして、荒くれて、争ってばかりの修羅のような生活をする者もいる。同じように、地獄の世界だって、地獄の中の地獄にいる者もいれば、地獄のウジ虫になっている奴もいる。地獄で豚のような姿をさせられる者だっているし、地獄で戦いをさせられる場合もある。地獄にいて、少し救われているものもいれば、地獄なのに安楽にいる者だっている。まあ、苦しいのは変りはないが、その度合いが違う、というわけだな。
どの世界に行っても、差はあるんだよ。段階はあるんだ。苦しさの度合い、快楽の度合いは、どの世界に行っても同じように、差があるんだよ」
俺はしばらく何も言えなかった。どの世界に言っても差はある。ということは、平等はないのか・・・・。全く同じ、全く平等はないのか・・・・。それでは、いつまでたっても苦しいばかりではないか・・・・。
「お前、ホント、バカだなぁ。六道輪廻の世界は、そうした差別がある世界で、苦しみの世界だって、初めから言ってるじゃないか。真実の安楽の世界、絶対平等の世界は、悟りの世界にしかないんだよ。そんなことは、お釈迦様が初めから説いているだろ。お前、あの世とこの世を行き来しているうちに、大事なことを忘れているんじゃないか」
そう指摘されても、俺はそんな話は知らない。バカだと言われても、承服しかねる。だって、そんなこと知らないんだもん。俺は不貞腐れた。生きていれば、唇を尖らせていたことだろう。なので
『そんなこといわれても、知りませんよ、そんな話は。仏教の教えなんか聞いてないし。知らないことをバカだと言われても・・・・』
「なに不貞腐れているんだろうねぇ。知らないのは、お前が学ばなかったからだろ。学ぼうとしなかったからだ。それは、お前の罪じゃないか?。知る知らないは、己の問題だな」
『それは屁理屈というモノじゃないですか?』
「いいや、屁理屈じゃない。本当のことだ。現実を受け入れよ。勉強不足だった、ということをな。さて、もうそろそろいいだろ。俺も疲れてきた。日も暮れてきたしな。今日は、お前にほぼ一日付き合ったんだから、満足しろ。で、さっさとあの世に戻れよ。次は閻魔様だろ?」
先輩は、そういうと何か含みのあるような笑い方をした。
『そりゃまあ、帰りますけどね。なんだか、尻切れトンボのような・・・・。あ、ま、いいです。そういえば、閻魔様って、やっぱり怖いんですよねぇ』
「いいや、怖くないよ。優しい人だな。怖いふりしているだけだ。おっと、余計なことを言うと、閻魔様に怒られるな。おぉ怖い」
『って、またごまかしましたね。もういいです。直接会うわけだし。じゃあ、帰りますよ。この世にとどまれる残りの日は、家族と静かに過ごします』
「それがいいな。一家団欒して来い」
先輩は、そういうと静かに俺を送りだした。・・・いや、追い出されたのだろう、結局は。

仕方がないので、俺はそのあと家に戻り、女房の守護霊のじいさんに、先輩のところで聞いた話をかいつまんでした。じいさんは
『うぅ〜ん、やはりあの住職、ただ者ではないなぁ・・・』
と唸っただけだった。はい、確かにただ者ではない。仕事はきっちりしているけど、身勝手だし、よくしゃべるし、嫌みは言うし、見下すし、どSだし、挙句の果てには結構な遊び人(本人は趣味人と言え、というけど)だし、まあ、お坊さんとしては規格外なんだろうなと、つくづく思う。あれで、あの世の世界では一目置かれているのだから、わけがわからない。
ともかく、俺は、残りの日数をのんびりと過ごした。きっと、先輩の寺に行っても、これ以上の話は聞けそうにもないだろうし、行けば行ったで邪魔扱いされるだろう。あのおしゃべりの先輩は、話さないと決めたことは絶対に言わないだろうから、今回はこれで終わりであろう。
俺は静かにあの世に戻る日を待った。

待ってはいたのだが、こっちの世界、いわゆるあの世に戻ると、残念な気分になるのは、身勝手な心理なのだろう。現実世界にいるときは、やることがなく退屈になって来て、そろそろあの世に戻ってもいいな、と思っていたのだが、実際にあの世に戻ってくると、あぁ現実世界にもっといたかったな、とつい思ってしまう。いやはや、人間なんて勝手なことばかり考えているんだな、ということがよくわかる。死んでからも、身勝手な生き物なのだ、人間というものは・・・。
そんなことを考えながら、五七日の裁判を受けるべく、死者の列に並んでいた。俺の前後は、相変わらずの死者の顔である。いつもながらの日常に戻った気分だ。黙っているのもなんだから、俺はいつものように、すっかり丸くなってしまった強欲じいさんに話しかけた。
「どうでした?、ご家族の皆さんは」
強欲じいさんは、それまで温厚そうな表情をいきなりゆがめた。
「どうでしたもこうでしたもないわい。本当にあいつらは・・・・角砂糖に群がるアリじゃな。全くあれが我が子らかと思うと、情けないわい・・・」
どうやら相変わらず強欲じいさんの子孫たちは、遺産関係でもめているらしい。
「でも、以前に遺産相続のことは遺言できれいに分けてあるとおっしゃってませんでしたか?」
「あぁ、確かに遺言しておいた。それは弁護士に渡してある。もちろん、女房も子供たちもそれは承知だ。しかし、承知はしているが・・・・何が不服なのか、ごちゃごちゃと文句を言う者もおるのじゃ。いったいどれだけもらえれば気がすむのか・・・・。普通に生活していくには十分の資産を残してあるというのに、まだ欲しいのか・・・。哀れな奴らじゃ・・・」
「で、お互いに取り合いに・・・ですか?」
「あぁ、そういうことじゃ・・・。情けないのう。古美術品のことが解決したと思ったら、今度は遺産の分け方が気に入らないだとは・・・・」
強欲じいさんは、よほど堪えたのであろう、頭を振りながら涙を懸命にこらえていた。そんな時だった。
「おい、そこ、うるさいぞ。閻魔様の宮殿への道である。静かに、厳かに進め」
そう注意してきたのは、言わずと知れた馬面ならぬ馬頭だった。しかし、いつもの俺なら馬頭に突っ込みを入れるか、睨みつけるようなことをするのだが、その時はなぜかそんな気分にならなかった。俺は、大人しく
「すみません」
と頭を下げていたのだ。そんな自分が俺は不思議だった。
その時ふと気がついたのだが、周囲を見回せば、誰も彼もがややうつむき加減で神妙な顔をしている。
「なんでだ?、なんで、みんな大人しいんだ?」
俺は、ついつい声にだしてそうつぶやいていた。
「何じゃ、お前気付いてないのか?。あれを見なかったのか?」
俺のつぶやきに、強欲じいさんが小声で答えてくれた。しかも、「あれ」というところで顎を振って示してくれたのだ。そしてその方向に俺は目をやった。そこには・・・。
『閻魔殿』
とでかでかと看板が掲げてある大きな門があったのだ。

それはとてつもなくでかかった。見上げるほど、でかかった。なんで今まで気がつかなかったのか・・・・。否、でかすぎて気がつかなかったのだ。俺は、こちらに戻ってからずっと考え事をしていたし、上を見ることはなかった。だから、間抜けな話だが、門に気付かなかったのだ。
生きていれば、首がつかれるほど見上げねばならない門。下を見ていれば、気がつかないだろう。
「この列に並んだときに、否が応でも目に入ったろうに。お前ものんきだのう」
強欲じいさんは、あきれ返ったようにそう言った。
「は、はぁ・・・。列に並んだとき、どうも俺は下を向いていたようで・・・・。みんなは、すぐにあれを見るんですかねぇ」
そう思って、俺は後ろのほうを振り返ってみてみた。列の最後尾だ。
そこに、ふと人が現れる。ここから見ると、それは誰だかはわからない。男なのか、女のか、年寄りなのか、若いのかもわからない。影が見える、という程度だ。それでも、動きは多少なりともわかる。その影は、列の最後尾に並ぶと、上を見上げていた。そして、落胆したかのように肩を落としたのだった。閻魔殿という看板を見て、がっくりしたのであろう。きっとそうに違いない。
「みんな見るさ。あの看板をな。それで、誰もががっかりするんじゃよ」
強欲じいさんは、溜息まじりにそう言ったのだった。
「閻魔様ですからねぇ、そりゃ、みんながっくりするでしょうねぇ。今までと違って・・・なんというか、メジャーですからねぇ・・・」
「お前らのような若い者の表現は、本当によくわからんのう。何がメジャーじゃ。閻魔様と言えば、恐ろしい方としか言いようがないだろうに。これからそこへ向かうんじゃ。溜息も出るわな」
強欲じいさんはそう言って、再び深い溜息をついたのだった。
そうなのだ。ここに並んでいる死者は、みんなビビっているのである。怖がっているのである。恐れ慄いているのである。今までのような裁判官とは違うぞ、と本能的に感じているのである。
閻魔大王と言えば、「ウソをついたら舌を抜くぞ〜」で知られた地獄の番人とも言われる方である。そう伝えられている方である。だから、みんながビビるのは仕方がないであろう。しかし、俺は、妙に冷静であった。否、冷めていた。ビビってもいなかった。
「お前は恐ろしいとは思わんのか?」
強欲じいさんは相変わらず、小声で話していた。
「怖い・・・ってことはないですねぇ。何だか、妙に落ち着いています。ビビり過ぎて感覚がなくなっているのかな?」
「そうなのかもしれぬのう。おっと、おしゃべりはここまでだ。そろそろ門が近付いてきた。中に入れば・・・・」
強欲じいさんは、そのまま黙ってしまった。目の前には、門を支える大きな柱が見えている。その柱の太さは、その一本の柱だけで、丸ビルのような大きさに見えた。いや、いくらなんでも大き過ぎるだろう。と思うのだが、本当だから仕方がない。太い、本当に太い柱なのだ。
上を見上げる。はるか上空に門の屋根が見える。看板はもう見えない。

門の入口は、とてつもなく広かった。当然だ。柱一本が、大きなビルに匹敵するくらいの太さがあるのだから。門の入口の左右に巨人がいた。あの姿は見たことがある。大きなお寺の門の左右に立っている仁王さんだ。別名、金剛力士とも言うらしい。筋肉隆々で、片方は「あ」という形に口を開き、もう片方は「うん」という形で口を閉じている。ここから、「阿吽」という言葉が生まれたそうだ。仁王さんは、中に悪者が入らぬよう見張っている、いわばガードマンの役目をしている。その仁王さんが、実際に目の前に立っていた。しかも、とてつもなくでかい。
馬頭や牛頭はおおむね身長が高い。2メートルくらいはあるだろう。たまに飛びぬけて背の高い番人を見るが、彼らは3メートル近くあるだろうか。そんな馬頭や牛頭、番人が仁王さんの足首あたりしかないのだ。まるで・・・ウルトラマンだ。それくらいの身長なのだ。
その仁王さんが、門の左右に阿形と吽形の姿で立っているのだ。手は広げてはいない。槍のような武器を持って立っているのだ。で、我々死者の列を睨みつけている。威嚇しているといった方がいいか。これでは、誰もがビビるであろう。さすがに俺も怖かった。
「閻魔大王っていうのは、あの仁王さんより大きいのだろうか・・・」
また、俺は声を出していた。どうやら癖がついてしまっているようだ。先輩の寺で話すときの癖だ。先輩の寺で話すときは、現実世界なので、俺の言葉は音にはならない。先輩のような霊的な能力というか、勘というか、そういうものを持った人にしか聞こえない。なので、平気で俺はつぶやいていた。しかし、ここでは、俺のつぶやきはすべて音となってしまう。周りに聞こえているのかどうかは知らないが、少なくとも、俺と話をしたことがある死者には聞こえているだろうし、周囲で死者を見張っている馬頭や牛頭には聞こえている。なので、俺は、しばしば睨まれることになるのだ。
「大きいに決まっているだろうが」
俺のつぶやきに、ついつい答えてしまった牛頭がいたのには驚いたのだった。

つづく。



バックナンバー(二十四、123話〜)



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