バックナンバー(二十四)    第百二十四話〜第百二十九話

俺は、その牛頭の方を見た。その牛頭は、しまった・・・という顔をして横を向いていた。
「閻魔大王はどれくらい大きいんですか?」
俺は試しにその牛頭に向かって質問をしてみた。しかし、思った通り何の反応もなかった。さっきは、ついつい答えてしまったのだろう。ならば・・・。
「そうだよなぁ。あの仁王さんよりは大きいんだろうな。しかも、仁王さんよりいかついんだろうな。やだなぁ、怖いなぁ・・・。困ったなぁ・・・」
と俺はいろいろとつぶやいてみた。
「あんなに身長が高いんだから、その屋敷は・・・・うへぇ、めちゃくちゃでかいんだ。迷子になったらどうしよう。前の人にちゃんとついていかなきゃな」
俺につぶやきに先に反応したのは、強欲じいさんだった。
「おい、お前、さっきから何をつぶやいているんだ。緊張感のない奴じゃのう」
「あ、いや、すみません。何だか、退屈で・・・・」
「お前さん、閻魔大王が恐ろしくないのか?」
「はぁ・・・、まぁ、怖いとは思いますが、その実感がわかなくて」
「あぁ、そうか・・・・お前さんたちの世代だと、ウソをついたら閻魔様に舌を抜かれるぞ・・・という脅し文句はないわけだ。親からそういうことを言われていないんだな?」
「話には聞いたことがありますが、実感はないですね。閻魔大王も実際にはわからないですし。なんとなく恐ろしい存在なんだろうな、というだけで・・・。あぁ、僕らの世代は、アニメの閻魔大王をイメージしてしまいますからね」
「アニメ?」
「そうです。ドラゴンボールですよ。それに閻魔大王が出てくるんです。それがいいおじさんって感じなので・・・・」
「しかし、他の死者は、妙に緊張しているぞ。お前だけだぞ、そんなふざけたことを言っているのは」
「そうだお前、緊張感が足りない!。お前だけ先に閻魔大王の元に連れていくぞ」
俺と強欲じいさんは、声のした方を振り向いた。それは先ほど俺のつぶやきに反応してしまった牛頭だった。ついに我慢の限界が来たのか、牛頭が口を挟んできたのだ。強欲じいさんは、驚いたようで
「す、すみません。申し訳ない」
と頭を下げていた。
「いや、じいさん、あんたじゃない。そっちの若いのだ。何がドラゴンボールだ。お前、なめてるのか?。おい、閻魔大王がどれほど恐ろしい方か、教えてやろうか?」
閻魔大王について教えていただけるなら、願ったりかなったりである。
「いえ、なめてはいませんよ。いませんが、閻魔大王のイメージがわかない、と言ったまでで・・・」
「それがなめてるんだよ。まったく、最近の若者は・・・。閻魔大王も知らねぇとはねぇ・・・。いいか、閻魔大王ってのはな、この世界・・・冥界、黄泉の国ともいうがな・・・の王よ。死者の世界である冥界を仕切っているのが、閻魔大王よ。身の丈・・・あぁ、お前らの単位でいやあ80メートルくらいはあるかな。100メートルくらいかな。いやいや、もっとかな。333メートルくらいはあるよな。うんうん、あるある。そうよ、ちょっとした山くらいの大きさよ。だけどな、そんなでかさじゃあ、お前らの話が聞けねぇだろ。だから、普段は3メートルくらいに小さくなっていらっしゃるのよ。なんと慈悲深い方だよなぁ、閻魔大王は」
俺は思わず突っ込みたくなったが(それって東京タワーかい?、今じゃあ、スカイツリーの方が高いぞ!、みたいな・・・)、やめておいた。この牛頭、しゃべらせておいた方がよさそうだ。
「おい、聞いてんのか?」
俺はうなずいた。
「そうかい、ならいいんだけどよ。ま、ともかくでかい方だよ、閻魔大王は。で、普段は小さくなっているんだ。しかし、力は絶大だ。お前ら何ぞ、一ひねりだ。いや、指先だけでイチコロよ。まあ、もう死んでるがな。それによ、閻魔大王に逆らうヤツは、あっという間に地獄に落とされるから、気をつけるんだな。閻魔大王は、地獄も仕切っていらっしゃるからな。お前ら何ぞ、地獄行きだよ、きっと。うるさいからな。地獄行き。行ってみたいか?。いひひひひ。おもしれぇところだぜぇ。どんなところかっていうとな・・・」
「うるさいっ!、誰だしゃべっているのは?」
その声は門の中から聞こえてきた。その声のした方を見ると馬頭が腕組みをして俺たちほうを睨んでいた。俺は思わず首を横に振っていた。
「お前じゃないのか、聞新。うん?、本当にしゃべっていないんだな?」
俺は黙ってうなずいた。そして、横目で喋りまくっていた牛頭の方をちらりと見た。牛頭は、明後日の方を見て知らんぷりしている。
「ははぁん、またお前か・・・・。おい、そこの牛頭。お前また死者に話しかけたな。いい加減にしろ。まあいい、あとから厳罰が来るからそれを待っていろ」
馬頭はそういうと、さっさと奥へ引っ込んでしまった。牛頭は
「ちっ、エリート面しやがって」
というと、「じゃあな」といって門から外の方へと向かって歩いていってしまた。他の牛頭や馬頭は、誰もその牛頭を止めようとはしなかった。
「閻魔大王の部下にも仲が悪いこととかあるんだ・・・。死者の世界も、人間界と変らないなぁ・・・。それにしても、あの牛頭、職場放棄かい?、いいのかそれで・・・」
俺は思わず溜息をついていた。

「門の中にはいったら、たとえお前であってもおしゃべりは厳禁だ。質問も許さん」
とてつもない大きな門をくぐるときに、俺は牛頭を注意した馬頭・・・エリートらしい・・・にくぎを刺された。俺は、無言でうなずいた。エリート馬頭は、「よろしい」というと、ニヤリとした。それは嫌な笑いだった。
俺は、そのエリート馬頭にちょっとムカついたが、黙って静々と門の中を進んでいった。門の中の建物は、巨大だった。人など蟻のようだ。誰もが、門をくぐるとき、一度建物を見上げて溜息をついている。その巨大さに押しつぶされたかのような気持ちになるのだろう。すべてをあきらめた気分にさせられるのだ。
「まるで監獄だな、これは・・・」
俺はまたつぶやいてしまっていた。途端にエリート馬頭の鋭い視線が飛んできた。俺は、素直に頭を下げた。大人しくしていよう、そう決めた。こういうエリートは、規則でガチガチに凝り固まっている。自分の秩序を乱す者は許さないだろう。もし、そういう者が現れたら、容赦なく捕まえ、排除するに違いない。排除された者がどこへ行くのか、それには興味があるが、自分が排除者になるわけにはいかない。だから、俺は黙っていた。が、騒ぎは前の方で起きたのだった。

「あぁ、もう嫌だ!、堪えられない!。嫌だぁ〜」
そう叫んで、死者の列から逃げ出そうとした者がいた。あの覗き見教師である。彼は「うわ〜」と叫ぶと、死者の列から抜け出し、門の外へと向かって駆け出した。
「ちっ!」
エリート馬頭が舌打ちをして首を振った。それが合図だったのだろう。周囲にいた馬頭や牛頭が一斉に覗き見教師に飛びかかったのだ。
あっという間だった。あっという間に覗き見教師は取り押さえられた。腕を両脇から掴まれ、無理やり立たされている。ちょっとした逮捕劇のようだった。
「この者、どうしますか?」
覗き見教師を捕えている牛頭がエリート馬頭に尋ねた。
「決まっているだろう、特別室へ放り込め・・・・まったく、良くあることなのだから、そんなこといちいち聞かなくてもいいだろうが、牛頭というのはどうも鈍くていかん・・・・」
そういうとエリート馬頭は腕汲みをして口をへの字曲げた。荒々しい鼻息を出している。
「特別室か・・・。どんな・・・あっ」
またまた俺は睨まれた。鼻息をフガフガさせながらエリート馬頭が俺に近付いてきた。
「あのなぁ、お前。静かにしろよ。秩序を乱すな。わかったな」
でかい顔を近付け、俺の顔に鼻息をかけながら、馬頭はそういった。俺は、ちょっと腹が立ったが、ここで逆らっては損だと思い、素直に首を縦に振った。もし、ここで逆らえば、きっと俺もその特別室へ連れて行かれるのだろう。それはそれで興味深いものだが、しかし、今はそのタイミングではない・・・と俺の勘がささやいていたのだ。俺は大人しくすることにした。それにしても、ついつい口に出してしまう癖を直さなければいけない。
馬頭は、所定の位置の戻ると、立ったまま腰の後ろで手を組んで、死者の列に向かって
「君たちに一言いっておく。君たちは、この閻魔大王様の宮殿の重圧感に恐れをなしているようだ。また、君たちの閻魔大王のイメージが重なって、恐怖となってもいるようだ。しかし、閻魔大王は君たちが思っているほど恐ろしい方ではない。慈悲深い方でもあるのだ。従って、何も恐れることはない。さらに・・・」
と演説し始めた。馬頭は少々間をおいて演説を続けた。
「さらにだ、君たちは今までの裁判で、反省と改心ということを学んでいるはずだ。己の犯してきた罪をよく反省し、どんな罰でも受ける覚悟ができているはずだ。それならば・・・何を恐れることがあろうか。何も恐れることはない。堂々と閻魔大王の御前に出て、素直に頭を下げ、どんな罰でも受けると言えばいいのだ。心から反省していないから、心底から懺悔していないから、そうやって恐れ、震えているのだ。上っ面の反省では、閻魔大王様の目はごまかせないぞ。いいか、宮殿に入るまでによく反省し、覚悟を決めておくことだ」
そういうと馬頭は、死者の列を一睨みした。そして、所定の場所に戻ったのだった。
「ふん、何を偉そうに。あんなんじゃ、余計にビビるってーの」
俺の後ろでそうつぶやいた者がいた。その声の方を振り向くと、そこに牛頭が座り込んでいた。
「あれ、あなたはさっき外に出ていった・・・」
そういうと、牛頭は口に指をあてた。黙っていろ、ということらしい。俺は小さくうなずいた。
「あんな言い方じゃあ、かえって死者はビビってしまう。余計に縮みあがるさ。それじゃあ、本当の反省はできねぇ。庶民の気持なんぞわからねーのさ、エリートにはな」
まさにその通りだと、俺も思う。日本の政治がいい例だ。庶民の気持なんぞ、政治家も官僚も全くわかっていない。エリート感覚で物事を決めていくから、ちーっとも日本は良くならない。それと同じである。できる者には、できない者の気持なんぞわからないのだ。
「どうせまた気が変になりそうな奴がでてくるぞ。・・・ほら、言わんこっちゃない」
そう言うと牛頭は立ち上がって後ろの方に駆けていった。俺は牛頭の姿を目で追った。なんと、牛頭はあの浮気女のところにいた。肩に手をかけ何か言っていた。俺は耳に神経を集中した。
「大丈夫だ。怖がらなくてもいい。さっきの馬頭の話は本当だよ。閻魔大王は怖い方ではない。優しい方だ。慈悲深い方だ。だから、あんたの気持ちを素直に訴えれば、良くわかってくださるさ。さあ、落ち着いて・・・・よしよし、それでいい・・・」
なんとあの牛頭、浮気女を慰めていたのだ。彼女も己の罪の重さに、ここを逃げ出したくなったのだろう。前の裁判の時に、覚悟はできている・・・とは言っていたが、やはり人間は弱いものだ。覚悟を決めたつもりでも、いざとなると逃げ出したくもなる。そう簡単に覚悟なぞできないものだ。
そう思っていた時、
「余計なことをするな」
とあのエリート馬頭が叫んだ。牛頭に注意したのだ。
「余計なことじゃねぇ。ビビって震えているから、今にも魂が消え入りそうだったから、引き戻してやっただけだ。そういう連中は他にもいる。誰かさんがビビらせるもんだからいけないんだよ。・・・・いいか、お前が何と言おうが、俺は死者に声をかけて安心させる。それが俺の仕事だ。閻魔大王様がやめろと言わない限り、俺は続けるからな」
牛頭はエリート馬頭を睨んで、気持ちよく啖呵を切った。馬頭は「ふん」と鼻を鳴らすと、それ以上のことは言わなかった。
周囲の馬頭や牛頭は静かなものだ。我関せず、という顔をしている。どうやら、こうしたやり取りは、毎度のことなのだろう。死者の中でビビって消え入りそうな者に対して、あの牛頭は声をかけて歩いていた。他の者は誰一人動こうとしない。また、エリート馬頭のように、睨みつけることもしない。無表情で突っ立っているだけである。どちらにも関わりたくないのだ。
「人間界と変らないんだねぇ、あぁやだやだ・・・」
俺はまたまたつぶやいてしまっていた。が、今度は注意はされなかった。

死者の列は順調に前進していた。それにしても緊張感がただものではない。今までの裁判所とは大きく異なる。重苦しいまでの緊張感。馬頭の注意にもかかわらず・・・いや彼の演説はかえって我々をビビらせる結果になっているのだが・・・、その緊張感に震える者や下を向いて泣いている者までいた。今にも消え入りそうな死者もいる。あの牛頭は走り回ってそうした死者に声をかけていた。しかし、それだけでは間に合わないくらいだった。
死者は息はしていないのだが、どうもここは息苦しく感じる。閻魔大王のことをいろいろ聞かされている俺ですらそう感じるのだから、他の死者の緊張感は、並大抵のものではないだろう。巨大な監獄・・・閻魔大王の裁判所・・・が刻々と近付いてきていた。
その入り口をくぐるとき、死者はいったん立ち止まって、大きくため息をつくようなしぐさをする。無理もない。俺もきっとそうするに違いない。中に入れば、その緊張感はもっと増すだろう。いったん深呼吸のようなことをしないと、中に入る勇気が出て来ないのだ。
そう思っているうちに強欲じいさんの番が来た。じいさん、覚悟はできている、と前の裁判でも認められていたが、果たしてどうなのだろうか。並んでいるときは、それほどビビっているようではなかったが・・・・。
強欲じいさん、入口を見上げる。大きく息を吸うしぐさをしたかと思うと、胸を張って中に入っていった。さすがである。他の死者とは、覚悟の出来が違うようだ。それに生きているとき、多くの修羅場を経験しているのだろう。こういうときには、案外強いのかもしれない。クソ度胸が据わる、というものかもしれない。
で、俺の番だ。静かに名前を呼ばれる。
「聞新、中に入れ」
いきなり大きな緊張感に包まれた。予期せぬ感覚だ。足が・・・ないはずの足が震える。俺は上を向き、大きく息を吸った・・・ようなしぐさをした。そして、両手を握り、ふん!と気合を入れて中に入った。でなければ、押しつぶされてしまいそうだったのだ。
しかし、一歩進んでしまえば何のことはない。中は薄暗く、落ち着いた雰囲気だったのだ。
「ほっ、な、何でもないじゃないか・・・。ちょっとビビったけど・・・はぁ・・・」
ついつい、小声ではあったが、言葉が出てしまった。しかし、誰も注意はしない。静かなものだ。
と、思ったのもつかの間だった。次第に唸り声のような音が聞こえてきたのである。


閻魔堂の中は薄暗かった。通路はまっすぐである。音は一切しない静かな場所だった・・・・わけではなかった。どこからか、唸り声や叫び声が聞こえてくるのである。それは低く唸るように、時には高い叫び声だった。
「な、なんなんだ、あの声は・・・。これじゃあまるで・・・」
その声は、通路にいる死者を益々震え上がらせた。そう、これではまるで遊園地にあるお化け屋敷だ。不気味な唸り声や叫び声で恐怖をあおっているお化け屋敷と変りはない。違うのは、ここはお遊びの場所ではない、ということだ。この先に本物の閻魔大王が控えているのだ。地獄の番人、ウソをついたら舌を抜く、恐ろしい顔をした閻魔大王・・・。その閻魔大王が待っているとわかっている我々死者にとっては、この唸り声や叫び声は、絶大な効果を与えていた。
「今、お前たちの耳にも聞こえているだろう、唸り声叫び声がな・・・・。この声は、閻魔大王を恐れ逃げ出した者や、己が犯してきた罪を認めようともせず、深く反省もしなかった者たちが閉じ込められている牢獄から聞こえてくるんだよ。本来ならば、裁判が終わったら一週間現世に戻ることを許されるのだが、彼らにその許可は出ない。深く反省し、地獄に行く覚悟ができない限りな。いいか、お前らも決して閻魔大王の前でウソはつくな、正直になれよ。ウソの反省をしても閻魔大王は見抜いてしまわれるからな」
馬頭が我々死者に対し、注意を促した。こうした死者が並んでいる通路では珍しいことであった。通路は誰も話もせず、質問にも答えてもらえず、鎮まりかえっているのが常だった。ここは、他の裁判所とは異なるのだ。
が、その注意を言ったきり、馬頭は黙ってしまった。それどころか、その馬頭の姿が見当たらない。いったいどこにいるのか。通路には、我々死者しかいないのだ。
「まさか、スピーカーで上から流れてくる・・・なんてことはないよな」
お化け屋敷じゃあるまいし、そんなことはなかろう思うが、またいつもの癖で思ったことがついつい口に出てしまった。出てしまってから、しまったと思ったが、何の注意もなかった。
「ちゅ、注意されない・・・」
しんと静まり返っている。それはそれで不気味だった。以前なら、「聞新、うるさい!」なり「静かにしろ」なり注意されたはずだ。それが一向にない。それはかえって不気味だった。いや、恐ろしかった。肉体があるなら、冷や汗が出たところだろう。妙な緊張感が俺を包んだ。
それ以来、俺はしゃべることができなくなった。

天井はどこまでも高いが、通路自体はせまかった。普通サイズの廊下、といったところか。相変わらず、唸り声や叫び声が聞こえる。しかし、聞き続けていたせいか、聞きなれてしまい、あまり気味悪さを感じなくなっているのも事実だった。少しずつ、列は前に進んでいる。
やがて知った名前が呼ばれた。
「宗真・・・・前に。中に入れ」
いよいよあのお坊さんだった人の番だ。ずいぶんと近付いてきた。確か、そのあとはあの覗き見教師だったはずだが・・・・。あぁ、そういえば、彼は逃げ出したんだ。となると・・・順番はいったいどうなるのだろうか。俺はいつもなら声に出しながら考えたのだが、今回ばかりは声に出せなかった。薄暗い廊下で、すぐ前の強欲じいさんの背中を見つめ、順番を待つほかはなかった。それは今までにない緊張感だった。
静寂を破る声が響く。
「次、覗見教師・・・・あぁ、逃げ出したヤツか。こいつは省きだな・・・・。次、強欲院・・・あぁ、長いな、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、前に進め。そうそう、で、中に入れ」
今回ばかりは、先回りして中の様子をうかがうことはできないのだろうか。あるいは、中の様子を伝えてもらうこともできないのだろうか。閻魔大王は、今までの裁判官のように甘くはないのだろうか?。しかし、俺が聞いていた閻魔大王のイメージはずいぶんと違うのだが・・・。それは、天界での話であって、ここではやはり厳しくしているのだろうか?。俺は、ドキドキしながら・・・心臓はないのだが、そんな感じがして・・・考えていた。次は、俺が呼ばれる番だ。こんな緊張感はかつてないものだった。自分が呼ばれることをこれほど意識したことは、こっちの世界に来て初めてのことだった。
どのくらい時間がったろうか。ついに俺は呼ばれた。
「次、聞新・・・前に。そうそう、で、中に入れ」
声の主は、牛頭だった。口調が牛頭らしい。どうも牛頭は馬頭より、気さくにしゃべるようだ。口調が柔らかいというか、適当と言うか、軽いのだ。馬頭は、概ね堅苦しい言い方をする。馬頭は官僚的なのだろう。
牛頭にそういわれ、前に進むと、そこには小さな門があった。門の先は真っ暗で何も見えない。
「こ、この中に、入るのですか?」
思わず、俺は聞いてしまった。
「当たり前だろう。なんだ、怖いのか?。みんな怖がらずに入って行ったぞ」
牛頭は小馬鹿にしたような口調で言った。
「い、いや、怖いわけじゃなく・・・」
「いいから、入れ。早くしろ」
牛頭に言われ、俺は意を決して、その小さな真っ暗な門をくぐった。すると、その先は・・・。

明るかった。ガチャガチャしていた。牛頭や馬頭がうろうろしていた。いや、単独でうろうろしているのではない。それぞれ死者らしきものを連れていた。
「聞新、こっちだ。何をやっている」
俺は声のした方を見た。そこには、牛頭がいた。
「なんでお前は、そんな方へ進むかなぁ。普通は、通路からずれないもんだが・・・。いいか、そっちは死者でもちょっと特殊な死者たちが行く部屋だ。お前たち一般死者は、こっちだ」
なんと俺は、通常の通路からずれてしまっていたらしい。俺が立っていた場所は、死者が通るところではなく、違う部屋だったのだ。どうやら特殊な部屋らしい。
「なんでお前は・・・。あのな、あの部屋はお前らが入っていい場所ではないんだ。まったくもう・・・。怒られるのは俺らなんだぞ。わかっているのか!」
牛頭に文句を言われたのだが、俺自身もどうしてそこに立っていたのかわからなかったから
「そ、そんなことを言われても・・・・。どうして自分がここにいたのかもよくわからないんで・・・・」
ともそもそと言い返した。
「あぁ、もういい。さぁ、こっちだ。早く来い」
牛頭に言われたほうに進む。そこは再び廊下だった。薄暗くはないが明るくもなかった。
「いいか、この通路をそっちの方向に進め。こんなことは教えないんだ、普通はな。本来なら、お前はここに現れてだな、前の死者のあとに続いて進んでいけばいいんだ。まったく・・・、あ、お前ひょっとして、門をくぐるときためらったか?。ビビったんだな、お前。まあいい、ほら、さっさと進め。そこをまっすぐ行って、右に曲がる。そうすれば、前の死者の背中が見えるだろう。あ、もう次のヤツが来る。ほら行け」
牛頭に背を押され、俺は廊下に入った。言われた通り進んでいくと、言われた通り右に曲がった。その時に後ろを振り向いたのだが、俺の後ろの死者が近くに迫っていた。どうやら、ずれたのは俺だけだったらしい。俺は急いで角をまがった。曲がった途端、強欲じいさんの背中が見えたのだった。
「宗真、中に入れ〜」
そこでも順に名前が呼ばれていた。呼んでいるのはまたもや牛頭である。今度は今ではなく、大きな扉だった。扉があいて、あのさえない坊さんが中に入っていった。残念ながら、扉の向うは見えなかった。
扉が閉まる。牛頭は扉が閉まったのを確認し、「ふむ」と一回うなずくと
「次、覗見教師・・・は、っと、いないんだな。あぁ、別室だな。じゃあ、えーっと、次、強欲院はぁ、長いなぁ・・・えー、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、中に入れ」
そう呼ばれ、強欲じいさん一歩前に出た。大きな扉がゆっくりと開く。中は暗くてよく見えない。強欲じいさん、扉が開ききるのを待って、一回うなずいてから中に入っていった。やはり、扉の向こうは暗くて何も見えなかった。
扉がゆっくり閉まる。そして俺の番が来た。
「聞新、中に入れ〜」
扉が開いた。俺は、扉の向こうを見た。やはり暗い。しかし、今度はビビらずに前に進んだ。背中で扉のしまるのがわかった。すると・・・・。
「聞新か?。うん、よし、こっちに来て座れ。正座だ。死者だから痛くも痒くなかろう」
そこには馬頭がいた。馬頭が言う方を見ると、そこには坊さんのじいさんと強欲じいさんが並んで正座して座っていた。そして、その先を見ると・・・・。
そこには閻魔大王が、大きな机を前にして、あの恐ろしい顔をして座っていたのだった。

閻魔大王の後ろは大きな岩の洞窟のようだった。そのなかに、なんとお地蔵様が片足を下におろした格好で、大きな岩の椅子に座っていたのだった。お地蔵様は優しげにほほ笑んでいた。閻魔大王は、そのお地蔵様の前に座っている。閻魔大王の大きさは、座った状態で6メートルほどはあろうか・・・。その後ろのお地蔵様はもっと大きい。10メートルはあるか・・・。閻魔大王の前には巨大な岩の机があった。閻魔大王は、そこに両肘をついて、顎の下で手を組んでいた。いかつい顔をしている。今、閻魔大王の前に正座している死者を思いっきり睨んでいる。口の両端を下にまげて、ムスッとしているのだ。あんな顔で睨まれたら、ビビらない者はいないだろう。やはり閻魔大王は、恐ろしい方なのだ。
その死者の右側には、大きな丸い鏡のようなものがあった。直径5メートルほどはあるだろうか。死者はうなだれていた・・・・。
「おい、何をボーっと突っ立っているんだ。早く座れ」
馬頭に言われ、はっとして俺はあわてて強欲じいさんの隣に座った。下は、ここも岩のようだ。床も岩でできているのだ。
「いやはや・・・、これは・・・」
俺は緊張と驚きと恐怖のあまり、ぼそっと呟いていた。その途端、馬頭が俺のところに来た。
「しゃべるな。わかったか」
と一言いうと、俺を睨みつけてきた。俺は思わず、首を何度も縦に振っていた。本当にびっくりしたのだ。

「なぁ、おい、いい加減にどうするか決めたらどうだね?。わしもな、お前のような年老いた者を責めたくはないのだよ。これでは、まるでわしがお前をいじめているようではないか。いいか、わしはお前をいじめているわけではない。今、お前が見てきた、お前の過去の罪、それを認めるかどうか、なのだよ。さぁ、どうするのだ」
閻魔大王の声は、太く低く腹に響くものだった。しかし、いい声である。声そのものは、とても澄んだ綺麗な声だった。
「は、はい・・・た、確かに、そのようなことを私はしてまいりました。そうだと思います。全部を覚えているわけではないですが・・・。いえ、それは全部私がやってきた罪なことです」
「すべて認めるのだな」
閻魔大王の声にその死者は、首を何度も縦に振っていた。
「よろしい。となると、お前は地獄へ行くことになるが、それでよいな?」
途端にその死者は、慌てふためきだした。
「そ、そ、そんな・・・そんな・・・。地獄だなんて・・・・。そんな地獄へ行くようなことはしていないと思うのですが・・・・」
「何だと〜」
閻魔大王が身を乗り出す。すごい迫力だ。あの死者、よく言い返せるものだ。俺などビビってしまい「はいごめんなさい、地獄でいいです」と言ってしまいそうだ。なかなか勇気のある死者である。いや、閻魔大王よりも、地獄の方が怖いのか。そうか、どうしても地獄は嫌なのだろう。それで抵抗しているのだ。
「あの、その・・・そんな地獄へ落ちるような、そんなひどいことはしていない・・・・と私は思うのですが・・・・」
「生き物の命を奪っているじゃないか、これ殺生の罪じゃ。よその家を覗き見しただろう、これ盗みの罪じゃ。せっせと性風俗に通ったじゃないか。浮気もしてるしな。これ邪淫の罪じゃ。浮気を隠すため、女房にウソをついているじゃないか、これ妄語の罪じゃ。酒を飲んでバカ騒ぎしておったろう、これ奇語の罪じゃ。上司や部下の悪口、女房の悪口をずいぶん言ってきたではないか、これ悪口の罪じゃ。周囲のものにこっちとそっちで違うことを言い、おべっかを垂れたり混乱させたりしてきたではないか、これ両舌の罪じゃ。少しでよいものをあれも欲しい、これも欲しいと貪ってきたではないか、これ貪欲の罪じゃ。上司や部下を妬み、同僚を羨み、うまくいった者を恨んだではないか、これ瞋恚(しんに)の罪じゃ。周囲からの忠告にも耳を貸さず、信仰心ももたず、他人の不幸を喜んできたではないか、これ邪見の罪じゃ。こんなにもお前は罪を犯してきたのだ。地獄行きは免れないだろ?、そうは思わんか?」
「ひっ、ひ〜・・・・も、申し訳ございません。でも、でも、地獄だけはご勘弁を」
その死者は土下座して、頭を地面に擦り付けて懇願していた。
「そんなことを言われてもなぁ、わしが罪を犯してきたわけではないからな。自己責任じゃ」
そういって、閻魔大王は大きな目をむき、その死者を睨みつけた。死者は、身体を起こすと、後ろにゆっくりとのけ反り、そのまま倒れてしまった。死者が失神したのである。すぐさま、馬頭が死者に駆け寄って、身体を起こした。死者なので、肉体はない。しかし、具現した肉体のようなものがある。それは魂の状態を示しているのだ。従って、この死者の魂は、いま非情に危険な状態にあるのだ。
「なにもそんなにビビることはなかろう。そんなに地獄が嫌か?」
その死者は、あわてて首を縦に振った。
「む〜、助けてやりたいのだがなぁ、でもなぁ・・・。お前の家、信心がないからなぁ。お前の女房も、どうやら信心がないようじゃのう」
「はぁ?、ど、どういうことで・・・・」
「実はな、五七日の供養が届いておらんのだ」
閻魔大王は、ちょっと悲しそうな、その死者を憐れむような顔をして言った。
「以前の裁判でもそうだったようじゃのう。報告書を見るとそう書いてある。初七日以来、供養は行われていない、とな」
その死者は茫然とした。
「わ、私の・・・・私の・・・供養が・・・行われていない・・・と・・・」
「そういうことだな」
「し、しかし、家に戻った時には、ちゃんと祭壇があって、私の遺影も骨もあって、ローソクや線香もあって、お供えもあって・・・・・」
「だが、供養は行われていない。お経は読まれていないんじゃよ」
「あっ」
その死者は固まってしまった。
「前の裁判では言われなかったのか?。まあ仕方がないか、最近では初七日のあと、四十九日までは供養が行われない場合が増えたからのう。地獄行きの者が増えて困るわい。そのうち地獄も満員電車並みになるのう。はぁ〜」
閻魔大王は思いっきり溜息をついた。
「さて、どうする。地獄へ行くか?」
「わ、私の前の人たちは・・・・、結局地獄行きにはなりませんでしたよね。なんで私だけが・・・・、あぁ、供養がされていないから、ですか?」
「まあ、そういうことだな」
「あの、たぶん・・・・いくらなんでも・・・女房も四十九日は供養してくれると思うので・・・その・・・」
「先送りにして欲しいのか?」
「はい・・・・、あの・・・お地蔵様〜、なんとか助けてください」
その死者は、そこでお地蔵様に懇願したのだった。


「お地蔵様、お願いです。どうかお助けを・・・・・」
その死者は繰り返しお地蔵様に助けを求めた。死者の願いが届いたのか、お地蔵様がふっとほほ笑んだ。
「ふむ、今ここで地獄行きの結論を出すのは早いであろう。閻魔大王よ、この者もこのように願い出ている。ここは49日まで待ってやってはどうか」
それはとても優しい声だった。閻魔大王の恐ろしげな野太い声とは大違いだった。閻魔大王はお地蔵様を振り返り不服そうに言った。
「いや、しかし・・・供養が届いていないということは、ここの通行料を払っていないことと同じですから・・・・、それでは問題があるのではないかと・・・・」
さすがの閻魔大王もお地蔵様には弱いらしい。ものすごく遠慮しているように思える。
「わかっているよ、わかっていて言っているのだ。なに、通行料など本来はいらないものだ。もともとは、死者自由にあの世へ行けたものだ。閻魔よ、汝もそうであったろう。勝手に現実世界からこちらの死者の世界にやってきたではないか」
「はぁ・・・まぁ、そうなんですが・・・。しかし、供養の重要性もこの際は考えないと・・・・」
「時代の流れとでもいおうか・・・。近頃では、正しい教えを説けない僧侶も増えてきたのだ。それは、この者の罪ではない。7日ごとの供養をする必要があることを説くのは、僧の務め。それを怠っているのは僧の問題だ。この者が悪いわけではなかろう。確かに、この者の遺族は信心が浅いかもしれぬ。しかし、僧が供養の必要性を説けば、ちゃんと供養するはずだ。この者の家族に責任はない」
「なるほど、悪いのはこの者の葬儀をした僧が悪いと・・・・」
「そうだな。しかし、それは我々菩薩の責任でもある。僧に対し、厳しく指導をしてこなかった菩薩の責任でもあるのだ。つまり、責任は私にあるのだよ、閻魔よ」
「そ、それは・・・・そんなことは・・・・。わかりました。この者を次に送りましょう」
閻魔大王は、お地蔵様にそう言うと、死者の方を向いた。
「話は聞いておったな。お地蔵様のお慈悲により、お前を先に送ることにした。地獄行きは免れたようだな。しかし、49日に供養が届いていなければ、地獄へ行くことになるかも知れぬぞ。お前は、これから次の裁判があるまで現世に戻るであろう。その時に、お前の女房たちに供養をしてもらえるように、知らせをするとよい。そういうことだ。次へ進め」
閻魔大王がそう言うと、その死者は、馬頭に導かれ、閻魔大王の向かって左側の扉の方へと消えていったのだった。俺は、ボーっとその死者の後ろ姿を見つめていた。

「宗真、前に出ろ。そうだ、そこに座れ」
その言葉で俺は我に返った。気がつくと、坊さんじいさんが立ちあがって閻魔大王の前へと歩き始めていた。坊さんじいさんが座ると、別の馬頭が言った。
「通普信士、中には入れ」
一人前に出たら、一人が中に入る。ところてん式だ。これはどこの裁判所も同じである。
閻魔大王が坊さんじいさんを睨んでいった。
「これより、お前が生まれてから死ぬ間までに犯してきた罪がどれだけあったかをお前に見せてやる。もし、その中に間違いがあったらそれは言ってもよろしい。間違いがないのなら、素直に罪を認めるがよい。よいな」
閻魔大王の威圧的な声に坊さんじいさんは、小さな声で「はい」とだけ言った。この声を聞いて、閻魔大王も小さな声で「始めよ」と言った。その声に反応し、馬頭がささっと動いた。
「宗真、こちらを見るように」
と馬頭が言った。その見よ、と言った方はあの大きな丸い鏡のようなものだった。坊さんじいさんは、馬頭に言われた通りにその鏡のようなものを見つめた。すると、今まで暗かった丸い鏡のようなものが、急に光り始めたのだった。
こちらからは何も見えない。その鏡のようなものがどうなっているのか、何かが映っているのか、なぜ光っているのか、それは全くわからなかった。時折、坊さんじいさんがうなずいたり、「おぉ」と言ったり、「あぁ」と首を横に振ったりしているだけだ。
どれくらい時間が経っただろうか。丸い鏡のようなものの光がふっと消えた。
「終わりだ。宗真、正面を向け」
馬頭の指示に、坊さんじいさんはゆっくりと身体の向きを変えた。しかし、何かが変だ。元気がなくなったような感じがする。そう言えば、先ほどの死者もうなだれていた。坊さんじいさんも、その死者と同じようにうなだれている。いったい何があったのだろう。俺は、閻魔大王の言葉を思い出していた。
「そういえば、閻魔大王は『生まれてから死ぬまでの間に犯した罪を見せてやる』とか言っていたよなぁ」
俺が独り言を言った途端、馬頭が音もなく飛んできた。そして、耳元で
「しゃべるな、聞新」
と低い声で言った。俺は思わず、「す、すみません」と頭を下げていた。馬頭は俺を一睨みすると、スッと音もなく所定の位置に戻って行った。もし、生きている時ならば、冷や汗をたっぷりかいていたところだ。ここは、妙な緊張感が流れている。きっと、閻魔大王の前なので、馬頭も緊張しているのだろう。他の裁判所よりも、もっとピリピリした空気なのだ。

「どうだ、宗真、お前が見たものに間違いはないか」
閻魔大王の太い声が流れてきた。
「は、はい、間違いはございません」
坊さんじいさんは、小さな声で答えた。
「そうか、では、汝が見たものはすべてが正しいと認めるのだな」
「はい、認めます」
「これは、お前が犯してきた罪なのだぞ?。それを認めるのだな?」
「はい、すべて私には身に覚えのあることです。いえ、幼いころのことは記憶にはありませんが、それ以外はすべて覚えています。忘れていて、思い出したこともたくさんあります。すべて私がしてきたことです」
「そうか、よろしい。では宗真、汝は地獄行きだな」
閻魔大王の冷たい声が響いた。坊さんじいさんはうなだれていた頭をはっとしたようにあげた。閻魔大王を見つめている。
「ん?、どうした?。何を驚いている?」
「い、いえ・・・その・・・、地獄・・・・ですか?」
「そうじゃ、地獄行きじゃ。当然であろう。お前、お寺に生まれながら、このような罪を犯してきたのだぞ。地獄以外にどこへ行くところがある?」
「いや、しかし・・・・」
「あのなぁ、お前さん、坊さんだよな。僧侶だよな。ならば、何が罪になって何が罪にならないか、それくらいは知っているはずじゃが?」
「いや、そんなことは父からは教わりませんでしたので・・・・」
「しかしなぁ・・・お前、僧であろう?」
「はい、僧侶をしてきました。しかし、私は浄土真宗の僧侶でありましたので、その・・・・」
「あぁ、戒律は受けてはいないのだな」
「はい、戒律はないので・・・・」
「半僧半俗だったかな?」
「いえ、非僧非俗でして・・・・」
「大きく意味が異なるが・・・。非僧非俗は、僧にあらず俗にもあらず、そのどちらにこだわらない空の状態の意味だと思うが」
「はぁ・・・難しいことはよくわからないのですが、それが親鸞聖人の教えでして・・・・」
「しかしなぁ、お前さんがやってきたことは、どっちつかずのいい加減、としか思えぬのだが・・・」
お坊さんじいさんは、何も答えられなかった。うつむいてもじもじしている。
「確かにお前さんの宗派は、まあなんというか、坊さんらしくないというか、厳しくない。戒律も受けてはいないし、本来の僧侶とは大きくかけ離れている。祖師である親鸞聖人の教えからもずれているようだ・・・・」
そういって、閻魔大王は坊さんじいさんを睨んだのだが、坊さんじいさんはうなだれるばかりであった。
「いいことを教えてやろう」
閻魔大王がニヤッとしていった。俺は、閻魔大王が笑ったことに大いに驚いた。
「いいか、坊さんの多くは、死んでどこに行くか知っているか?」
閻魔大王の質問に、坊さんじいさんは、ちょっと考えているようだった。そして、
「きっと、極楽浄土へ行っているのではないかと・・・・」
その答えを聞き、閻魔大王は、あきれたというような顔をしてそっくりかえった。
「あのなぁ、極楽浄土に行けるような坊さんは、今の世の中にはいないんじゃ。あきれてものが言えん。はぁ・・・、溜息が出るわい。こんなんだから、今の坊さんはダメなんだ。いいか、坊さんの多くは、死んだあとは地獄へ行くのじゃ。極楽はおろか、天界すらも難しいわい」
閻魔大王は、吐き捨てるように言った。
「しかもじゃ、ほとんどの僧侶はな、ここへすらも来ないんじゃ。地獄へ直行だな。宗真、お前さんはまだここに来られただけでも幸運だったのだよ」
閻魔大王の言葉に坊さんじいさんは何も言い返せないでいた。うなだれる以外にすることはなかったのだ。
「そういうわけで、お前さんも例外ではない。地獄行きだ。よいな」
閻魔大王の威圧的な言葉に、坊さんじいさんは何も言い返せず、しばらくうなだれてはいたが
「あの・・・確かに・・・そうかもしれません」
とボソボソと話し始めたのだった。
「確かに、私は地獄行きかもしれません。前の裁判では、坊さんのくせに僧侶の勤めをしてこなかったと詰られました。ここでは、僧侶のくせに罪を犯してきたと責められました。ですが、私は仕方がなく僧侶になった者です。家が寺であった、ただそれだけであとを無理やり継がされ、当たり障りのない対応の仕方を教わり、葬儀の仕方、法事の仕方を学び、それだけであとはいい、余計なことはするなと注意されて生きてきました。南無阿弥陀仏と唱えれば、みな極楽に行くのだ、それ以外は何も必要ないのだ、と教わってきました。実際は、全く異なっていたのですが、そんなこと、誰も教えてはくれませんでした。何が罪で、何が僧侶の務めで、何が仏法なのか・・・・。知らないで坊さんをやってきたことを今は恥ずかしいと思っています。地獄行きも仕方がないでしょう。しかし、そうであるならば、もっと本当の仏教を教えることができる僧侶が必要なのではないでしょうか?。私はそんな僧侶に出会ったことがありません。みんな葬式をすれば儲かる、ありがたいことだ。南無阿弥陀仏と言っていれば、この世の極楽だ、と言うような者ばかりでした。それが普通だと思っていました。それでいいのだと・・・・。私は、確かに愚か者で、罪深いものかもしれませんが、僧の過ちを正す僧や仏がいてもいいのではないかと思うのです。それがなくて、いきなり地獄というのは・・・・」
いつの間にか坊さんじいさんの声は大きくなっていた。

閻魔大王は、やれやれといった顔をして、大きくため息をついた。
「お前さんの言っていることは御尤も、わしも言い過ぎた・・・・なんて言うと思ったらお思違いだ。何を甘えておるのだ。自分が怠ってきたことを棚に上げて。よいか、現世には、立派な僧侶もいるし、仏教学者もいる。お釈迦様の教えをしっかり説いた本もたくさん出ている。そうした本をお前は読んだのか?。お前さん、学ぼうと努力したのか?。していないだろ?。そういうのを責任転嫁というのじゃ。これで地獄行きは決定じゃな」
閻魔大王の態度に坊さんじいさんは凍りついたような表情となった。頭を横に振り、大きくため息をついたかと思うと、肩よりも低く頭を垂れた。覚悟はあるといっても、ショックは大きいのだろう。しかし、それも仕方がないことなのだろう。このじいさんは、何といっても坊さんなのだ。頼りない、知識もない・・・そう先輩に比べれば格段の差だ・・・が、坊さんであることには間違いはないのだ。一般人とは違うのである。閻魔大王が厳しくなっても仕方がないのだろう。

「まあ、待ちなさい閻魔よ」
坊さんじいさんの地獄行きが決定的になったその時、お地蔵様が待ったをかけたのだった。
誰もが一瞬固まった。そして、閻魔大王はゆっくりとお地蔵様の方を振り返る。
「な、なんと・・・おっしゃいましたか?」
「待てと言ったのだ。ちょっと待ちなさいと」
「しかし・・・・この者は・・・・」
「わかっておる。僧侶である、ということであろう」
「はい、ですから、一般の者、在家者とは異なりますので、厳しくあたらないと・・・」
「わかっておる、わかっておる。確かに閻魔、汝の言うとおりだ」
「ならば・・・」
「いいから話を聞くがよい」
お地蔵様は優しい表情であったが、一瞬その優しい目が光った時があった。ほんの瞬間だった。その瞬間、閻魔大王は、
「わかりました」
と頭を下げたのだった。あの優しいお地蔵様が、厳しい目をしたのである。それは、閻魔大王もビビってしまうほどの威圧感があったのだ。
「宗真、汝の話、確かにそう思う。私たち菩薩も怠っていることは否定できないであろう。しかし、汝らも怠っていることを否定することはできない。しかも、汝ら僧侶は在家の者を教え導く立場であることは、避けられないことなのだ。それはわかるね」
お地蔵様の言葉に坊さんじいさんは、大きくうなずいた。
「汝は・・・いわば不幸な立場にあった。汝の父親は、汝ん葬式と法事以外、余計なことはするなと教えてきた。汝の父親には父親なりの考えがあったのだろう。そういう環境の中で育ってきた汝が、学ぶ機会が極端に少なかったことは容易に想像できる。やがて、無気力な僧侶である汝が形成されていったのであろう。これは、汝一人の罪だけではない。汝の父親も、汝の周囲の僧も、汝に僧の資格を与えた師も、そして我等菩薩も同様に罪があるのだ。確かに、汝は僧侶である。しかし、汝一人に罪を着せるのは酷というもだろう。そうは思わぬか、閻魔大王?」
お地蔵様にそう問われた閻魔大王は、
「は、はぁ・・・、まあ、そうですが・・・」
と、おろおろしながら答えたのであった。


閻魔大王は、おろおろしながらも反論した。
「確かに、お地蔵様のおっしゃる通り、この宗真のみに罪を押しつけるのは酷かもしれません。しかし、この宗真のみに罪を押し付けているわけでもありません。この者の周囲の者は、地獄へ行っています。この者の父親も師も同僚も、一度は地獄へ落ちております」
「ふむ、そのようだな。今は、違うところにいるようだがな」
「はい、現在は・・・・まあ、それは言えぬことになってますので・・・・」
閻魔大王は言葉を濁した。
「まあ、そういうことですので、この宗真も一度は地獄へ行くべきだと・・・・」
「そういう考えもあろう。しかし、先ほども言ったように、怠っているのは我等菩薩も同じこと。閻魔、汝も同じことであろう。そうではないか?」
お地蔵さんは、きりりとした表情で閻魔大王に迫った。お地蔵様、優しそうに見えるが、閻魔大王を追い詰めている。
「えっ、はぁ、まあそうですが・・・。その・・・私も怠ってはいるのでしょうが・・・・、えっと・・・」
「はっはっは、閻魔、そんなに怖れることはなかろう。汝が忙しい身であることは重々承知しておる」
なんと、お地蔵様が笑った。いや、それどころか閻魔大王をからかっているようだ。閻魔大王も、目を白黒させている。
「閻魔、規則は規則で大事であろう。しかし、事情によっては、あるいは状況によっては規則を曲げねばならぬ時もあるのだ。この宗真の場合、あまりにも状況が悪すぎた。それに・・・言いにくいことではあるが、器の問題もある。そこを考慮しないといけないのではないか?。僧侶だから何が何でも地獄行き、というのは、少々問題があるのではないかな」
お地蔵様は諭すような言い方をしたが、そこには有無を言わさぬ力強さがあった。それはいいのだが、お地蔵様が言う、器とはどういう意味なのであろうか?。
閻魔大王は、
「はぁ、はい、わかりました。確かにこの者の器では、正しい仏教を理解するのは・・・・」
と、腕を組み目を閉じて考え始めた。やがて、
「はい、お地蔵様のおっしゃる通りに致しましょう」
と言って、目を開けた。そして
「宗真、お地蔵様のご慈悲のお陰だ。次にいってよろしい」
と大きな声で言ったのだった。お坊さんじいさんは
「ありがとうございます、お地蔵様、閻魔様。私は、浄土真宗の僧なので、お地蔵様にはあまり縁がありません。閻魔様は、地獄極楽の話をするときに、壇家の方にお話することがあります。こんな中途半端な、お地蔵様のことすらよく知らない僧侶を助けてくださいまして、ありがとうございます」
と深々と頭を下げたのだった。
こうしてお坊さんじいさんの裁判は終わった。じいさんは、馬頭に連れられ、おそらくは閻魔殿の外へと出ていったのだろう。

「う、うぅん。さて、次だな」
閻魔大王、咳払いなんぞをしている。お地蔵様に説教され、バツが悪いのだろうか。閻魔大王は、お顔は恐ろしいが、案外根はいい人なのかもしれない。女房の守護霊のおじいさんが言ってた通り、本当の姿は優しいのかもしれないと思えてきた。
「えっと、次は・・・あぁ、並んでいるときに退場させられた者だな。はぁ・・・、まったく・・・。その者をここへ連れてこい」
溜息をついている。面倒なのだろうか。ちょっと疲れ気味なのだろうか。
しばらくして、両脇を馬頭に抱えられた覗き見教師が、閻魔大王の前に座らされた。彼は、ものすごくおどおどしていた。座るなり、頭を抱えて
「あぁ、お許しください。お願いいたしますぅ〜」
と泣き出す始末である。おそらくは、ここに来る前から泣いていたのであろうが、あのビビりようは尋常ではない。じっとしていられず、もぞもぞ動きっぱなしだ。かといって、そこから逃げ出すわけにもいかず、彼はあっちへ動き、こっちへ動き、頭をかきむしり、へたり込んだかと思うと背筋を伸ばし・・・などということを繰り返していた。
「はぁ・・・、いい加減にじっとしないか。動くな」
閻魔大王が、溜息まじりに怒鳴った。その途端、
「はい!」
と大きな声をだし、覗き見教師は背筋を伸ばし姿勢正しく正座したのだった。それを見て、閻魔大王はあきれたように首を左右に振っていた。やはり、少々お疲れ気味のようである。こういう手合いは、うんざり・・・なのだろうか。
「覗見教師だな」
閻魔大王が一応尋ねる。彼は、壊れたおもちゃのように首を何度も上下に振った。閻魔大王は、
「あぁ、わかったわかった」と小声で言いながら、手を広げて彼を制した。
「汝の過去の罪をすべてを見せる前に一つ質問だ。なぜ逃げた?」
そんな質問をされるとは思わなかったのだろう、覗き見教師は固まってしまった。フリーズ状態だ。閻魔大王は、彼の顔をじーっと覗き込んでいる。覗き見教師は固まった状態でびくとも動かなかった。
「もう一度聞く。お前、なぜ逃げた?」
沈黙である。閻魔大王は、大きく息を吸って
「おいっ!、返事をしろっ!。なんで逃げたっ!」
と怒鳴った。
「う、うわっ、うわ〜、ゆ、許して下さい。お願い・・・お願い、しますっ」
覗き見教師は、土下座して泣いていた。
「はぁ・・・話にならんなぁ・・・。もういい、わかった。お前、地獄な。地獄行き。わしの質問に答えられないようでは、話にならん。このまま地獄へ直行だ。よいな」
「ひーっ、許して下さーい、お願いします。何でも言うことを聞きますから、地獄だけはーっ」
「もういいって。お前が落ち着かないのなら、裁判なんてできないから。おい、馬頭、こいつを地獄行きの火車に乗せろ」
閻魔大王は、冷たく言い放った。大王に命じられた馬頭が二人、覗き見教師のところへやってきた。二人で彼の両脇を抱え込む。馬頭は、彼を無理やり立たせようとしているのだが、覗き見教師は、首を振り体をよじらせ、抵抗したのだった。まるで生きている人間と同じだ。あんなことができるのだと、俺はその時初めて知った。死者のこの身体は、仮にあるだけで、スカスカだと思っていたのだ。まあ、しかし、こうして床に座れるのだし、己の意思によって暴れることも可能なのだろう。ただし、殴られようが、蹴られようが痛くもかゆくもないが。
「まあ、待ちなさい、閻魔も馬頭も」
そう声をかけたのは、お地蔵様である。
「慌てることはない。ここは時間という概念がない世界なのだから。馬頭よ、その者をそこに座らせるがよい」
お地蔵様に言われて、馬頭は即座に覗き見教師を閻魔大王の前に座らせた。彼が座って大人しくなるのを見計らって、お地蔵様は彼に尋ねた。
「汝、この閻魔堂に入る前に逃げたそうだが、何故逃げ出しのだ?」
お地蔵様は、優しく尋ねた。すると、覗き見教師、閻魔大王が尋ねた時は喚き散らしていたのだが、お地蔵様には素直に答え出したのだ。
「はい・・・・、その・・・・とても恐ろしくて、堪えられなくて・・・・それで逃げようと・・・・」
「そうか、恐ろしかったか。この閻魔堂は、必要以上に大きいからね」
「きっと、閻魔大王もとてつもなく大きくて、恐ろしくて・・・・その場で殺されるのではないかと・・・・」
そう言われた閻魔大王は、困った顔をしていた。そして、大きくため息をついたのだった。お地蔵様は、ほんの少し微笑んで、優しく言った。
「殺されるなんてことはないのだがねぇ・・・・汝はもう亡くなっているのだし」
お地蔵様にそう言われ、覗き見教師はふと頭をあげた。おそらくは、はっとした顔をしたのだろう。今、気がついた、と言うような感じだ。
確かに、ここにいると、自分が死人であることを忘れるときがある。肉体はないはずなのに、こうして身体があるのだし、手や足で触れる感じはある。死者同士は基本的に話はできないが、お互いの表情は見て取れる。馬頭や牛頭の話は聞けるし、裁判官とは会話もできる。喜怒哀楽を表現することも可能だ。ほとんど生きているときと変りがない。違う点は、心臓が動いてないことと、息をしていないことくらいか。なので、生きているときと同じ感覚を持っても仕方がないのだ。覗き見教師も、自分が死者であることを失念していたようだ。
「あぁ、そう・・・でした。私は死人でした。そうですね・・・・死人ですから、殺されることはないですね・・・・。私は・・・愚か者ですね、あははは」
覗き見教師は、力なく笑ったのだった。
「落ちついたかね?。そうか、では閻魔大王の話を聞くがよい」
お地蔵様はそういうと、閻魔大王を見つめうなずくと、静かに目を閉じたのだった。

「さて、覗見教師信士、汝の裁判を始める。よいな」
閻魔大王に言われ、覗き見教師はゆっくりとうなずいたのだった。
「これから、汝が生まれてきて死するまでに犯してきた罪をすべて見せる。すべて汝がしてきたことかどうか、よく確認するがよい」
閻魔大王は、馬頭に合図した。馬頭は「こちらを見よ」と一言いうと、まるい鏡の方を示したのだった。
当然ながら、俺には何も見えない。そこに何が映っているのかは分からない。しかし、それは生前に犯した罪、悪いこと、悪い行動が映し出されているのだろう。中には、自分ではよかれと思ってやったことが、相手を深く傷つけてしまい、罪なことをした・・・と言うことになる場合もあるかもしれない。いったい、どの程度の行為がそこに映し出されるかは不明だが、できればそんなものは見たくない。それが、その時感じた俺の正直な気持ちだった。
そういえば、この覗き見教師、学校で盗み撮りをしていたんだっけ。あぁ、きっとその行動を見るのは、嫌なんだろうな・・・・、と思っていたら、彼の叫び声が響いたのだった。
「うわー、やめてくれ、もう勘弁してくれ。わるかった、許してくださーーーーーい」
「しっかり見るんだ」
馬頭が大声でいった。覗き見教師は、とうとう伏せてしまったが、馬頭が懸命に起こしている。頭を掴み、鏡の方を無理やり見せている。もうこれは拷問である。
「ちがう、ちがう、ちがう、これは俺じゃない、あははははは、あはははは・・・」
「何を言うか、これはお前だろ」
「あぁぁぁぁぁ、許して下さい。神様お願いです。もう勘弁してください」
覗き見教師の許しを請う声だけがそこに響いていた。

「どうだった?。すべてお前が犯したことだったか?。間違いはないか?」
閻魔大王は、優しく問いかけた。しかし、返事はなかった。再び閻魔大王は同じ質問をした。それでも答えはない。閻魔大王、困り果てた顔をして、
「おい、大丈夫か?。どうしたのだ?」
と覗き見教師に尋ねている。
「あぁ、これはいかんなぁ、魂が硬直してしまった。おぉ、消えかかってきた。馬頭、緊急処置だ」
なんと覗き見教師、生きていたのなら失神した状態になったようである。しかも、消えかかって来ている。消えてしまえば、消滅である。この世界で消滅してしまうと・・・確か、現世に戻り、幽霊になってしまうのではなかったか。そして、それはそのうちに魔物へと変化していく可能性がある。馬頭はあわてて覗き見教師を抱え込んだ。
「ショックが大き過ぎたか・・・・。なんとまあ、気の小さいことだ。そんなに気が小さいのなら、大それたことをしなければいいものを・・・・。愚かな男よ」
そう独り言をいうと、ゆっくりと後ろを振り返った。お地蔵様を仰ぎ見たのである。
「如何いたしましょうか?」
閻魔大王は、お地蔵様に相談した。
「そうだねぇ・・・・、仕方があるまい、汝の裁定に任せよう」
「はい、わかりました。では・・・・仕方がないですな。等活地獄送りとなりますが、よろしいですね」
閻魔大王は念を押した。お地蔵様は、口を真一文字に閉じ、ゆっくりとうなずいたのだった。それを確認して、閻魔大王は正面を向いた。そして、誰もいない死者の席に向かって
「覗見教師信士、汝を等活地獄へ送る。理由は、汝の罪の深さと裁判を行えぬほどのとりみだし、及び、親族の供養がないことによる。殊に、覗見教師の妻は、今では精神を病み、汝を供養するどころではなくなっている。一時は、汝の供養もしていたようだが、途中で終わってしまっている。もう少し様子を見たかったのだが、今回の裁判ではあまりにもとりみだし過ぎ、このままでは魂自体に損傷が出る。従って、早急に生まれ変わり先を決める必要も出てきた。従って、四十九日を待たずして、判決をくだした次第だ。以上。しばし休憩」
閻魔大王はそういうと、奥へ引っ込んでしまった。いつのまにか、お地蔵様も消えていた。

いったいどうなっているのだろうか。お地蔵様も閻魔大王もいなくなってしまった。馬頭はいるにはいるのだが、誰も身動き一つしない。俺は、キョロキョロしまくっていた。このままで大丈夫なのだろうか・・・。休憩と言っていたが、いつまでどうすればいいのだろうか。くつろげということか?。あるいは、閻魔大王自身が疲れてしまったので、休憩しているのだろうか?。こういうことはよくあるのだろうか・・・・・?
「ど、どうすればいいのでしょうかねぇ」
俺は小声で隣にいる強欲じいさんに話しかけてみた。じいさんも小声で
「どうするもこうするも・・・このまま待つしかなかろう。あまり話していると、馬頭に注意されるしな」
と答えてきた。
「閻魔大王はどこへ行ったんでしょうか?」
「そんなこと、わしが知るか。どちらにせよ、待つしかあるまい」
その通りである。強欲じいさんのおっしゃる通りだ。我々は待つしかないのだ。

どのくらい待ったであろうか。閻魔大王の姿が、突然、奥の方から現れた。
「あぁ、やれやれ、片付いた・・・。さて、次の裁判に入るぞ」
閻魔大王の言葉に、馬頭たちが動き始めた。
「次、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、前に出ろ」
どこか裏返ったような馬頭の声に、隣にいた強欲じいさんが立ちあがった。そして
「釋尼妙艶信女、中には入れ」
という馬頭の声が響いたのだった。


いよいよ強欲じいさんの裁判である。強欲じいさん、これまでの裁判を通じ、すっかりいいおじいさんになってしまった。腹も決まっているようだし、覗き見教師のようにとりみだすこともなく、あっさり終わるだろう。そう予想される裁判だった。
「よろしくお願いいたします」
深々と頭をさげた強欲じいさん、しっかりしている。閻魔大王もそれを見て、顔つきが引き締まったように見えた。まあ、これまでの裁判が裁判だったから、仕方がないかも知れない。ようやく、まともな裁判になりそうだ。
「強欲院金泥腹黒厚顔大居士、汝の裁判を始める。よいな」
閻魔大王の声に、強欲じいさんは無言でうなずいた。
「これから汝が生まれてきて死するまでに犯してきた罪をすべて見せる。すべて汝がしたことかどうか、よく確認するがよい」
「はい、わかりました・・・・。はぁ、これがあの浄玻璃の鏡ですか・・・・。ふむ、いよいよこれを見ることになったか・・・・」
強欲じいさん、まるい鏡を前になぜかしんみりとしている。しかし、さすが強欲じいさんだ、あの鏡の名前・・・じょうはりの鏡といっていた・・・を知っていた。
「感慨深げだな。思い入れでもあるのか?」
閻魔大王の言葉に俺は驚いた。まさか、そんな質問をするとは思えなかったからだ。閻魔大王ならば、そんなことを無視してさっさと裁判を進めると思っていたのだ。
「いえ、昔、よく聞かされたのですよ。あの話は怖かったなぁ・・・。閻魔大王のところには浄玻璃の鏡があって、人間が死ぬと閻魔大王の前に引っ張り出され、生きてきたときにした悪さをその浄玻璃の鏡に映し出される。どんなウソをついても、言い訳しても閻魔大王様は見抜いていらっしゃる。ええか、悪さをするのはいい、けどな閻魔大王の前では絶対にウソを言ってはならん。もし、ウソをついたり、いいわけなんぞしたりしたら・・・・その時は・・・・その時は・・・・お前の舌を抜いてしまうぞぉ〜・・・・。お陰でよく寝小便をしたものです。あぁ、懐かしいなぁ。話で聞いて、子供心に想像した通りの鏡だ。いやはや、ありがたいことです・・・」
強欲じいさんの話を聞いて、閻魔大王、なぜか鼻の横をほりほりかいていた。なんだか、ちょっと照れ臭いのだろうか。そんな人間臭いところも閻魔大王は持っているということに、俺は嬉しくなった。
「ふむ、そうかそうか・・・・。昔は、よくわしの話も世の中に流れておったのだがのう。近頃じゃあ、閻魔様なんて本当にいないだろ!って言われる始末じゃ。情けない時代になったものだのう・・・・。おっと、いかんいかん。わしまで感慨に耽ってはいかんのう。では、始めるぞ」
閻魔大王がそう言うと、強欲じさんは浄玻璃の鏡を見つめ始めた。ときおり、うんうんとうなずいている。あるいは、「おぉ、そうだったな」とか「あぁ、あの時の」とか「おぉ、そんなこともあったなぁ」などと独り言を言っている。落ち着いたものだ。少しもあわてない。
やがて強欲じさんが閻魔大王の方へ向き直った。そして、深々と頭を下げ、
「ありがとうございました。いいものを見せていただいた。すべて私がしてきた悪行です」
と言ったのだった。
「何も他に言うことはないか?」
閻魔大王の言葉に、強欲じいさんきっぱりと言った。
「一切の弁明、いい訳はいたしません。尤も、すべて承服したわけではないですが・・・たとえば子供のころにしたこと、カエル釣りとか魚を取ったりとかですな、そうしたことが殺生の罪になる、ということなどは・・・・悪意がなかった以上、罪とは言えないように思うのですが、まあ、閻魔大王がそれも罪、とおっしゃるならば罪なのでしょうなぁ。ですから、何も弁明はいたしません」
立派だ。立派としか言いようがない口調だった。こんな人がいるのだ。あの恐ろしい閻魔大王を前に、こんなことが言える人がいるのだ。自分が犯してきたすべての罪を見せつけられ、一切の弁明をしない人がいるのだ。立派としか言いようがない。
「ふむ、なかなか立派なものだ。たいした度胸だな。わしを前にそんなことを言ったのは数えるくらいしかいない。おしいなぁ。わしの手下にしたいくらいだ。ここの馬頭と牛頭を仕切って欲しいくらいだ」
閻魔大王まで感心している。さすが、強欲じいさんである。
「それに引き換え、汝の遺族は・・・まあ、汝も大変だな。一応、供養はちゃんと届いているからいいが・・・・汝も心配だろう」
「さすが閻魔大王様、私の遺族のことまでよくご存じで・・・・。はい、初めは心配しておりました。あのバカ息子やバカ娘たち、欲の皮が突っ張りおって・・・と思っておりました。どうにかしてやらねば、と。しかし、もうあきらめました。いや、腹をくくったといいましょうか。あのようなバカな人間に育てたのも私です。すべては己の罪。生前、威張って権力をふりまき、政治にも経済界にも、あちこち口出しをして・・・日本をなんとか良くしようとしてやってきたのですが、我が子さえしっかりと育てることができなかった。無力ですなぁ・・・・。そう、己の力量不足です。己が悪いのです。大きな間違いをしてきたのですよ、私は・・・・。欲に走らず、権力を欲せず、名誉を求めず、家族を大事にしてきたならば・・・・あのような子供にはならなかったでしょう。すべては己の罪ですよ・・・・」
そう語った強欲じいさんの表情は、寂しそうだった。
「ふむ、子孫のことも己が罪と認めるか。あっぱれだな。汝の言葉にはウソは微塵も感じられん。そこまでよく悟れたものだ」
「はい、これもこれまでの裁判官様、仏様の教えのお陰です。いやいや、振り返ってみれば、ずいぶん多くの人の世話になりました。今は、それがよくわかります。残念なことは・・・・このことにもっと早く気がつくべきだった、ということですな」
強欲じいさんは、そう言って目頭を押さえていた。どうやら涙ぐんでいるようだ。
「いやはや、取り乱してしまいました。申し訳ございません。閻魔大王様、判決をお願いいたします」
「おぉ、そうだったのう。ふむ、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、次に進んでよろしい。汝に判決はまだ早い。先に進んで、もっと教えを聞くがよい」
「ありがとうございます」
強欲じいさんは、深々と頭を下げた。そして、
「お地蔵様も、ありがとうございました」
と床に頭がつくほどに礼をしたのだった。お地蔵様は、かすかにほほ笑んで軽くうなずいた。
馬頭がやって来て強欲じいさんを奥へといざなった。その後ろ姿に閻魔大王が
「生まれ変わり先が決まったら・・・・また会えるかもしれぬな。その時は、ゆっくりと語り合おう」
と声をかけた。強欲じいさんは閻魔大王の方に振り返ると
「では、地獄でお待ちしております」
と頭を下げて、奥へと消えたのだった。それはまるで、ドラマの一シーンのようだった。

案外、閻魔大王も疲れているのかもしれない。あの強欲じいさんならば、話が合うと思ったのだろう。確かに、見た目は恐ろしげな閻魔大王、かたや強欲そうなじいさん。しかし、その実は案外涙もろそうな人情家であったりもする・・・・。二人とも似たところがあるのかもしれない。両方とも生きている人間ならば、新橋あたりの安居酒屋で語り合っていたところであろう。いや、ひょっとするとこの先、地獄の酒場で・・・そんなところがあるのかどうか知らないが・・・一緒に並んで座っている姿が見られるかもしれない。
俺は、そんなくだらないことを想像して、一人ニヤニヤしていた。なので、馬頭の声に気がつかなかったのだ。
「おい、釋聞新、お前の番だ、いい加減にしろ!」
馬頭の大声で俺はようやく気がついた。
「あっ、す、すみません」
俺はあわてて立ちあがった。
「まったく、さっきから何度呼んだと思っているのだ。一人ニヤニヤしやがって。お前はアホウか」
俺は「すみません、すみません」と小声で言いながら、ペコペコしつつ閻魔大王の前に進み出た。うしろでは次の死者を呼ぶ馬頭の声が聞こえていた。
俺は、閻魔大王の前に出ると、強欲じいさんに習って、深々と頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
と。
「釋聞新、先の者のまねか?。それにしてもお前、何をボーっとしていた」
思わぬ質問に俺はうろたえた。まさか、閻魔大王と強欲じいさんが並んで酒を飲んでいるところを想像していました、な〜んて言えやしない。俺が「あっ、いえ、その・・・」などと口ごもっているうちに、閻魔大王
「まあいい。下らんことを想像するのもいいが、きっちり仕事をせい」
と俺を睨みつけたのだった。そしてそのあと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ニヤっとしたのだった。俺はあっけにとられてしまった。
「さて、釋聞新、汝の裁判を始める、よいな」
閻魔大王は、普段の恐ろしげな閻魔大王に戻っていた。
「これから汝が生まれてきて死するまでに、汝が犯してきた罪をすべて見せる。すべて汝がしたことかどうか、よく確認するがよい」
同じセリフを同じように閻魔大王は言った。俺も他の死者と概ね同じように返事をした。そして、浄玻璃の鏡に向き合ったのである。

そこには懐かしい情景が流れていた。確かに、それは俺の子供ころの姿だった。俺は田舎育ちである。田んぼや原っぱでよく遊んだ。小川でカエルもとったし、ザリガニも捕まえた。それは、たくさんやった。確かに俺はやった。しかし、まさかそれが罪とは・・・。それもカエルやザリガニがそんなことを思っていたなんて・・・。
浄玻璃の鏡に映し出されたカエルが言った。
「私たちは何にも悪いことをしていないのに、こいつらが私たちをその手で捕まえたのです。ギューっと胴体を締め付けられました。あの時は・・・苦しかった。息ができなかった・・・。でも、それで終わりじゃなかったんです。こいつら、私たちの足を掴んだかと思うと、遥か上空に投げたのです。私たちは落ちるしかなかった。そんな、うまく着地なんてできませんよ。頭から落ちましたよ。あれは痛かった。骨が折れるかと思いました・・・。でもなんとか助かった。これで逃げられると思った。なのに、こいつらは私たちをまた掴むと、さんざん振り回した揚句、道路に叩きつけたのです。私たちは、気絶しました。口から・・・あぁ、そんなことはいえません。あまりにも残酷で・・・。もちろん、そこで私たちは死にました。こいつらは、こいつらは、殺し屋なのです。私たちカエルを殺しまくった、残虐な殺し屋なのですよ!」
次に出てきたのはザリガニだった。
「釣られたオイラもバカだったんだ。でもさ、エサが目の前にあれば、釣られるよな。そういう習性なんだから、仕方がないよな。釣られたら今度はいびられまくりだ。オイラは腹をちぎられちまったよ。残酷なことをするよな、子供はさ。そりゃあ、痛かったさ。痛いから暴れたさ。でも、暴れたら石で殴られた。で、そこで絶命。むなしいよなぁ、オイラたちって。こいつは、オイラたちをむごい殺し方で殺したんだ。こんなヤツ、地獄に落ちればいいんだ」
それから、小魚やカタツムリ、セミなどの昆虫など、俺が命を奪ってしまった生き物たちが、次か次へと登場したのだった。どの生き物も、殺されたときの苦しさや恐ろしさ、残虐さをアピールし、恨みつらみを語っていた。
場面が変わった。そこは子供のころよく行った駄菓子屋だった。鏡の中に駄菓子屋の婆さんが現れた。
「このクソガキどもが、うちの店のものをよく盗っていきおった。わしが年寄りだと思って、ちょろまかしまでしおって。わしゃ、知ってて知らんふりをしていたんじゃ。自分で悪いことをしていると気がつかせるためにのう。それなのに、この悪たれ坊主ども、ちーっとも改心せんのじゃ。まあ、いずれバチが当たる時が来る。閻魔様にうーんと叱られるがええ。舌を引っこ抜いてもらうがええんじゃ。けけけけけ」
た、確かにちょろまかした。いやいやいや、あれは俺じゃないぞ、仲間の仕業だ。う〜ん、まてよ、俺も盗ったかな・・・。盗ったかもなぁ・・・。ガムやチョコや飴・・・盗ったかもしれない。
また場面が変わった。そこには小学校時代の女子たちが映っていた。
「ま〜ったく男子って、どうしてあんなにエッチなのかしら。スカートはめくる、胸は触ってくる。バッカみたい、ほんと、ドスケベで嫌になる。しかも、子供だし。気になる女子をいじめるし。何度も泣かされた子もいるし。野蛮でスケベで、汚らしい!、あんな連中、いつかバチが当たるに違いないわ」
そうだ、確かにやった。スカートめくりはした。そういえば、修学旅行の時、女子の風呂場も覗いたこともあった。あれは、男子の悪ガキ軍団でやったはずだ。あぁ、そういえば、ずいぶんいたずらしたなぁ。柿を盗むなんて当たり前だった。スイカを盗ってきたやつもいたなぁ。確かに、それは窃盗だよなぁ。そうか、俺は罪なことはしていない、と思っていたが、案外いろいろな罪を犯しているのだ。
それからは、俺がついたウソの数々、カンニングをしたこと、さらにはある女子をふって泣かせたことまででてきた。それも罪か?、と思ったが、まあ、辛い思いをさせたのは事実かもしれない。厳密に言えば罪なのか・・・・う〜ん、でも腑に落ちないなぁ・・・ということもいくつか映し出されていった。そして、成人後だ。風俗にいったシーンも映し出された。そんな姿を見るのは気恥ずかしかった。これも罪なのか、と俺は思った。ちゃんと金を払ってるし、相手は売っているのだ。商売は成立している。それも罪なのだろうか?。俺の中で次第に疑問が大きくなっていった。
と、ついに出てきた。浮気をしかかったシーンだ。結局、手は出さなかったはずだ。彼女の誘惑に俺は負けなかった。まあ、確かに心は揺れ動き、キスはしたけれど、それ以上はしていない。それも罪なのか?。まあ、厳密に言えば、浮気なのか・・・・。しかし、どうも納得できない。そんな厳密に生きていられないぞ、俺は。無理だ。こんな厳しく採点されたら、誰もが地獄行きだ。あ、だんだんムカついてきた。どれもこれも、納得いかなくなった。ちょっとひど過ぎだ。こんなの罪じゃない、と俺は憤ってきたのだった。
と、鏡はいつの間にか光を失った。終わったのだ。
「どうだった。聞新、すべてお前が犯した罪だ。それを認めるか?」
閻魔大王の言葉に、俺の怒りが爆発した。
「こんなの罪じゃない!。生きていれば、当たり前のことだ。そりゃあ、少しは罪なこともあるだろうけど、ほとんどが罪なんかじゃない。俺は、罪なんか犯していない!」
気がついたら、大きな声で叫んでいたのだった。



「な、なんだと?」
俺の叫び声に閻魔大王は、勢いよく立ちあがり、大きく口を開けたまま固まってしまった。しばらく誰も何も言わない。沈黙が流れた。
ドサッっと閻魔大王が座り込む音が響いた。そのあと
「はぁ〜」
と大きな溜息。閻魔大王、両手で頭を抱えている。その手が頭をかきむしった。そして・・・。
バーンと両手で強く机をたたいたのだった。その音に俺は十センチくらい座ったまま飛び上がったかもしれない。今さらながら、俺の口から出た言葉を後悔した。しまった、言うんじゃなかった・・・と。閻魔大王の顔は、怒りで真っ赤になっていた。閻魔大王の手がワナワナと震えている。
「おい、聞新、今なんて言った?。あぁん?、もう一回言ってみろ」
俺はめちゃくちゃ後悔していた。しまったと思っていた。言うんじゃなかったと思っていた。が、口から出た言葉は、
「何回でも言いますよ。あんなのは罪じゃない。あんなことまで罪だといわれたら、生きていけない。人生楽しくとも何ともない。あんな程度で罪だといわれたら、生きている甲斐なんかない!」
という叫び声だった。叫んだあと、心の中で「やってしまった・・・・」と、俺は沈み込んだのだった。しかし、こうなったらもう仕方がない。破れかぶれだ。開き直るしかない。地獄だろうが、どこだろうが送られても仕方がない。えぇい、なんとかならぁ〜、という気持ちがどんどん湧いてきたのだった。
閻魔大王、俺を睨みつけ、
「あれが罪じゃないというのだな?。お前は殺生をしたのだぞ。カエルなどの小動物の命を奪ってきた。見ただろ、命を取られた者の苦しみの表情、聞いただろ彼らの悲痛な叫び。それでも、お前は罪じゃないと言い張るのか?」
と、穏やかに聞いてきた。もちろん、怒ってないわけではない。顔は真っ赤である。叫びたいのをこらえている、と言った感じだ。
「殺生したのは悪いと思っています。それは・・・罪と言えば罪なのでしょう。しかし、だからと言ってそれで地獄へ落とされたのじゃあ、割に合わないというか、納得できません。確かに、あくどいことをしました。悪たれ坊主だったと思います。でも、世の中のこともまだ分からない子供です。あのときは、子供なりに悪いことだと知りつつも、ついついやってしまったことです。そう、悪いことだとわかっていました。ですから、罪なんでしょう。しかし、そういう行為を通して、悪いことやいいことの区別をつけることができるようになっていったのです。それに、小さな生き物をいじめたりすることによって、イジメはいけないことだ、と知って行ったのです・・・・。そうだ、私は何も殺すばかりではありませんでした。カエルも飼ったことがあるし、トカゲだって飼っていた。亀もザリガニも、カブトムシもクワガタも、いろいろ飼った。で、命というものを自然と知って行った。今の子供のように、死んだ動物や虫を『壊れた』などとは言わなかったし、小動物をいじめるような残虐な行為はしなかった。あの頃、いろいろな虫やカエルなどをいたぶったお陰で、自分の子供たちには、そうしちゃいけないことも教えられたし、飼う方法も教えられた。あの頃の経験があったからこそ、生き物の命の大切さを教えられるんですよ。戦争を経験した人が、戦争の愚かさを説くように、小さな生き物をいじめて命を奪ってしまったからこそ、どんな弱い生き物もイジメじゃいけない、ってわかるんです。カエルたちの命を奪ったことは反省しています。しかし、それを生かしてもいる。いい訳かもしれませんが・・・」
閻魔大王の顔色が少し落ち着いてきた。大王は、大きく息を吸って
「それから?」
といった。続きを話せ、ということらしい。俺は、続けた。
「確かにいたずらばかりしていていました。悪たれ坊主ですよ。女の子もからかった。でも、彼女たちとは仲がよかったですよ。いたずら坊主軍団は、ときに嫌われてもいましたが、頼りにされる存在でもありました。スカートめくりされた女子も、その時は怒るけど、普段は仲が良く、一緒に遊んだ仲間です。いじめっ子から守ってやったりもしました。今でも同窓会では笑って話せる仲間です。だいたい、現代の子供はそうした悪戯をしない子が多い。だからこそ、ウジウジした草食男子なる弱っちい男子ばかりなのでしょう。もっと、子供のうちから自己主張していれば、しっかりした男子に成長するのに。
確かに、エッチなことをしましたし、エッチな本を盗み見もしました。でも、おかげで性的に健全に成長しました。性犯罪など犯さないし、異常な性を持つこともありません。子供時代、明るく女子と戯れたからこそ、健全に成長したのでしょう。陰湿に、陰からこっそり覗き見・・・なんてことはしなかったんですよ。明るく、健全に成長したんです。それのどこが罪ですか?」
閻魔大王は、頬杖をついて聞いている。
「で、そのほかは?」
最早、怒りも収まり、やる気がないような感じだ。
「風俗も罪じゃないでしょう。相手は、それを仕事としているんだから。もし、風俗に言ったことが罪ならば、そうした店で働く女性を差別することになる。職業差別は、絶対にしてはいけないことでしょ。仏教は、確か平等を説くはずですよね。どんな仕事にも貴賎はない、と説いていると聞いたことがあります。そうであるなら、風俗へ行ったことは罪じゃない。お互いに契約が成立しているんだから」
なぜか、俺も少しトーンダウンしてきた。閻魔大王も、なんだか退屈そうにしている。片方の手のひらを振りながら
「はい、続けて続けて」
な〜んて言っている。ちょっとバカにしているのか、と思えてくる。何だか、腹が立ってきた。
「閻魔大王、そんな態度で話を聞くのなら、もういいです。ともかく、私は、自分の一生で何も恥じることはありません。罪は犯してません。以上です」
俺はそういうと、思い切り閻魔大王を睨みつけた。
「以上?。浮気のことについて、まだ弁明を聞いてないがな?」
閻魔大王、口の端でにやりと笑った。目で「さぁ、ほれ、話せ」と指図している。
「う、浮気じゃありません。しそうになったけど、しませんでした。・・・・た、確かに、心は動かされました。キスもしてしまいました。しかし、やはりダメだと、理性でストップをかけました。自分には妻子がある、不倫はいけない・・・と。いいや、もし、あのとき彼女と関係を持ってしまったら・・・・きっと、離婚していたでしょう。私は、両方をうまく成立させるような器用なことはできません。正直に、女房に言ってしまうでしょう。その辺は、自分でわかっていることです。彼女の気持ちに応えることはできませんでしたが、それでいいのです。彼女は、まだ若いし、未婚だし、何も妻子持ちの中年男なんか選ぶ必要などないのです。そのほうが、彼女の将来のためにもいい。彼女の気持ちに応えなかったのは、罪ではなく、ベストな判断だったのですよ。女房に対しても、一時的に心配はかけたかもしれないですが、否、気がついていないかもしれないですが、迷惑はかけてはいない。円満な家族です。あれは、一時的な気の迷いです。そんなことは、人間だからあることです。そう、そうだ・・・。
人間なんですから、罪を犯さないほうがおかしい。迷わない方がおかしい。誘惑に負けることもあって当たり前だ。もし、全く罪を犯さず、誘惑に負けることもなく、迷うこともなく、怒ることもなく生きて行ったなら、それは人間じゃない。もはや、神でしょう。否、神以上の存在だ。生きる仏でしょう。人間ですから、少しくらいの罪を犯して当たり前だ!」
俺は、また叫んでいた。熱くなっている俺を、閻魔大王は斜めに見下ろして黙ってしまった。

「はぁ〜」
その息で吹き飛ばされそうなほど、大きな溜息が聞こえてきた。閻魔大王の溜息である。
「お前さんの言ったようなことは、多くの者が主張する。まあ、お前さんのように、『こんなの罪じゃない!』と叫ぶヤツは今までいなかったがな」
閻魔大王は、そういうとフンと鼻で笑った。
「多くの者は、ぼそぼそと、同じような主張をするな。たいていの者は、そういうんだよ。人間だから仕方がないじゃないか、とね」
閻魔大王は、そういいながら俺に顔を近づけてにぃーっと笑った。
「お前さんたちは、何か勘違いをしているだろう。わしが聞いているのは、今見たことはすべてお前が犯した罪かどうか、ということを聞いてるのじゃ。それが悪いとか、いいとか、言っているわけではない。罪と言われるのが嫌ならば、こう言ってやろう。
『お前が見たものは、すべてお前がやったことか?』
とな」
そういうと、閻魔大王は、椅子にふんぞり返った。どうやら椅子は回転椅子らしく、左右に揺らしている。その回転椅子がふと止まった。
「わかったのか、わからんのか?。わしが言ったことがわかったのか、わからんのか?」
閻魔大王の声は、恐ろしかった。

「あ、あ、あぁ・・・あの、はい。わかりました。そ、そういうことだったんですか。そういうことなら、あの浄玻璃の鏡に映ったことは、すべて自分が行った来たことです。間違いはありません」
「いいか、わしはそういうことをお前らに問うているのだ。何もお前らを責めているわけではない。尤も、一応は『殺生したから地獄だな』とかは言うけどな、それはそれ、お約束事だろ?。約束事なのだ。ここまで裁判を受けてきたものなら、だいたいはわかるよな。いいか、ここで試されるのは、お前さんがウソつきかどうか、ということなのだ。鏡を見せて、自分のやってきた悪さを見せつけられて、それでもなお『自分はあんなことはやっていない』と主張するものをここで叱りつけるのだ。まあ、さっきはちょっと怒っているようなそぶりを見せてやったがな、お前が大声で叫ぶもんだから。聞新、わしが言っている意味はわかるな?」
まったくもって、俺の勘違いだったのだ。
なるほど、閻魔大王は、「今見たことはすべてお前が犯してきたことか?」と聞いたのだ。それを「罪」というから、我々は勘違いしてしまうのだ。そう、何も閻魔大王は、怒ってはいないのである。問いは「自分のやったことと認めるか否か」ということなのだ。そこで「NO]といえば、「ウソをつくな!、ウソをつくなら舌を抜くぞ!」となるわけである。「YES]と認めれば、「こんなことをしたからには地獄だな」と一応、脅しておくのだ。それは今までの裁判でも同じだった。
「一応、お前の罪は地獄に値するけど、まあ次に行きなさい」
そう言われて順送りされてきたではないか。そうなのだ、ここの裁判は、決して地獄へ送るための裁判ではないのだ。反省を促す裁判、自分が犯してきたことを認めさせるための裁判なのだ。現実世界の裁判とは、根本的に違うのである。俺は、大事なことを失念していたのだ。というか、自分の恥ずかしい過去を見せつけられて、ちょっと興奮していたのだろう。もっとも、そうさせるのも、ここでの演出なのだろう。そうでなければ、あんな細かいことまで「罪だ」と言われるわけはないのだ。冷静に考えてみれば、何のことはない。すべてはお約束の上で成り立っているのである。
ということは、いくら閻魔大王が
「こんなことをしているなら、お前は地獄だな」
と言っても、
「まあまあまあ、ちょっと待てよ」
とストップがかかるのである。極端な例・・・覗きに教師のような・・・場合を除いては・・・。
「はい、私の大きな勘違いでした。なるほど、閻魔大王は、お前の罪だ、地獄行きだ、と責め立てているわけではありませんでした。お前がやったことかどうか、それを認めるかどうかを問われただけです。ですから、そういうことでしたら、あれはすべて自分がやったことです」
「ふ〜ん、認めるんだな。じゃあ、地獄行きだな・・・・」
一瞬、俺はびっくりして、何も言えなくなった。が、
「あははははは。何を驚いている。わははは、いや、面白い。お前は、見事に引っかかってくれるから楽しいわい。そうじゃ、ここまでが演出じゃ。いいや、ここで、お前らがいい訳をして、そこを何とかなどと懇願をしてだな、どうしようかのう、こまったのう、などと悩んだふりをしていると、お地蔵様が『まあ、待て』とおっしゃって、そういうことなら次へ進め、となるのだ。お前、わかっているだろうに。わははは、実に面白い」
俺は、下を向いて頭をかいていていた。
「まあな、お約束とはいっても、わしに『地獄行きだな』と言われれば、誰もがビビる。いい訳もする、なんとかしてくれと懇願もする。しかしな、それでいいのだ。修行もできていない人間だからな。それでいいのだよ。それが当然なんだよ。助けてくれと、なんとかしてくれと懇願するのが人間なんだ。お前の前のじいさんのように、すべてを認め、なおかつ地獄行きでもいい、などと潔く言える人間は、いないのだ。ほとんどが、聞新、お前のように『あれは罪じゃないですよぉ、助けて下さいよぉ』と縋るのだよ。でも、それでいいのだよ。それが人間の本質なのだから。いいか聞新、ウソで塗り固められた姿なぞ、ここでは通用せん。本心を言うのだ。本当のことを言うのだ。ウソをついてはならぬのだ。どんなにみっともなくてもいい、どんなに見苦しくてもいい、意地を張らず、見栄を張らず、本心を言うこと、それがここで問われることなのだ。だからこそ『ウソをつくと舌を抜くぞ』と脅すのだよ」
そういうことなのだ。閻魔大王の裁判は、我々死者に本心をさらけ出させることを目的としているのだ。いわば、人間の汚い本質の部分をさらけ出せ、と言っているのだ。そうすることで、己には醜いところがある、汚いところがある、と知ることができるのだ。己の、最も認めたくない心を認めよ、と言っているのだ。格好をつけて本心でもないくせに『地獄でいいんです』などということを注意しているのである。
「よう〜っくわかりました。では、本心を言います。あんな程度のことで地獄へは行きたくないです。あの程度の罪で地獄というのは、割にあいません。地獄へ行くには、もっとそれなりの罪を犯していないといけないと思います。自分の犯した罪は、地獄には相当しません」
「そうそう、それでいいのだ。それがお前さんの本心だな。じゃあ、聞くがな、それなりの罪とは、どんな罪だ?」
「うっ・・・たとえば・・・・」
「たとえば?」
「殺人を犯したとか、強姦したとか、家族を不幸な目に遭わせたとか、人をだまして不幸にしたとか・・・」
「ほう、では問う。人を助けるためにどうしても相手を殺さねばならなかったとしたら、それは地獄行きの罪か?」
「えっ?・・・・それは・・・・」
「では問う。よかれと思ってしたことが、かえって悪い結果となり相手を不幸にしてしまった。これは地獄へ行く罪に値するか?」
「えっと・・・・その・・・・」
「夫婦仲が悪かったが、不倫をした途端に夫婦仲がよくなってしまった。お陰で家族が幸せになった。その場合、この不倫を犯した者は地獄へ行くべきかどうか?」
「は、はぁ・・・それはその・・・・えっと・・・・」
そんなこと、答えられない。閻魔大王が尋ねたことは、一概に答えが得られないことなのだ。俺は焦った。はたして、それは地獄へ行くべき罪なのかどうか・・・・。額を汗が流れる感じがした。

つづく。


バックナンバー(二十五、130話〜)



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