バックナンバー(二十六)    第百三十六話〜第百四十二話

確かにそうである。先輩は、俺の質問に答えてくれたのだ。
『まあ、確かに、よくわかりましたよ』
「なに不貞腐れているんだ?。遺族の思いや坊さんの思いが、あの世の裁判に与える影響について、だろ?。これでよくわかったじゃないか。しかも、子供の霊・・・お前が会ったお嬢様の幽霊のこともよくわかったろ?」
そうなのだ。先輩は、いろいろな話を結びつけて、結局は俺が疑問に思っていたことを全部答えてくれたのだ。まあ、見事ではある。でも・・・なんだか喜べない。面白くないのだ。
「お前なぁ、素直になれよ。何が気に入らないんだ?」
何が気に入らないんだろうか?。俺の疑問はすっかり晴れているのに・・・。あぁ、先輩に「女房や俺に感謝しろ」と言われたのが不服なのだ。
俺はすっかり自分が無信心だということを忘れていた。そうか・・・こうした思い、仏教に関する疑問も、先輩や女房の思いが裁判官に伝わり、その結果、俺は裁判官とやり取りができて、そうして次第に信心が身について来ていたのだ。初めから俺に信心があったわけではない。そうか、俺はいつの間にかうぬぼれていたのだ。今、俺が受け入れている仏教の話やあの世の裁判の話や、罪や徳の話、生まれ変わりの話などは、俺が生きているときすべて否定してきたことなのだ。否定というか、受け入れて来なかった話なのだ。
となると・・・・。
『もし、先輩が俺の供養をしてくれていなかったら、女房が今のような思いを持っていなかったなら・・・・。ひょっとして俺は・・・』
「まあ、あっさりとした裁判になっただろうな。聞新、汝の罪はこれこれだ。じゃあ、地獄だな。なに、地獄は嫌か?、じゃあ、次へ行け・・・てなもんだろうな」
『となれば、今のような知識は俺には皆無・・・となりますよね』
「当然ながら、お前の周りにいるその他大勢の死者と変らないな。あぁ、お前の周りは特殊な死者が多かったのか。じゃあ、お前の周りではなく、そのさらに周辺の死者と同じだな。機械的な裁判で終わる、というわけだ」
『で、わけがわからないまま、地獄へ行くのか、餓鬼となるのか、はたまた天界へ行くのか・・・』
「そういうことだな。だから、俺や女房に感謝しろ、といったのだ」
俺は納得した。

『よくわかりました。俺の今の境遇は・・・あの世での境遇ですが、先輩や女房の思いも大きく影響しているんですね』
「その通りだ。お前が特別扱いされているのは、お前の実力だけじゃないんだぞ」
『はい、すっかり忘れていましたが、その通りなんですよねぇ。俺の実力じゃあ・・・。無信心だったからなぁ・・・』
「本当に。少しは身にしみたか?」
『はぁ・・・。ところで、俺の実家はどうなっているでしょうねぇ。両親が死んで以来、一度も帰ってないですからねぇ。まあ、オヤジたちは永代供養を頼んであるから・・・。そういえば、そのお寺にも行ってないなぁ・・・』
「なんと親不孝なヤツだ。お前、ひょっとして親の法事とかもしてないんじゃないのか?」
『あっ、いや・・・。一応、永代供養を頼んであるお寺から年忌の通知はきますんで、その時に供養代は送ってますが・・・。まあ、それだけですねぇ』
「ひでーヤツ。祥月命日は何もなしか?」
『はぁ・・・・』
「お盆もお彼岸もか?」
『えぇ、まぁ・・・。案内は年忌のときだけなので・・・』
「骨はどうしたのだ?。御両親の骨は?」
『その永代供養を頼んであるお寺に預けたのですが・・・。確かその寺の住職さんは、何回忌までは寺においておくけど、そのあとは本山に納骨するとか・・・』
「あぁ、そういうことか・・・。まあ、お前らしいと言えばお前らしいけどなぁ・・・」
先輩はそういうと、ちょっと淋しそうな顔をしたのだった。
『今思うと、俺って親不孝ですねぇ。もっとオヤジたちの供養とか、しっかりやっておけばよかった・・・』
「お前がそんな性格だってことは、御両親はお見通しさ。だからこその永代供養なんだろ。御両親だけじゃない。お前の先祖すべてだからな。なるほど・・・だから、お前の奥さんやお前の子供たちは、奥さんの実家の先祖が守護霊を務めているわけだな」
『うちのオヤジたちや先祖では守護霊にはなれないんですねぇ・・・。力不足なんですね』
「力不足ってことではないな。縁が薄いんだよ」
『縁が薄い?』
「あぁ、縁が薄いんだ。お前がそもそも、お前の先祖と縁が薄いんだよ。縁が濃ければ、お前は故郷を出ることはなっただろうし、たとえ出たとしても、いずれは故郷に戻っていただろう。お前そのものが、お前の先祖や両親と縁が薄いんだよ」
『そういうものなんですか?』
「そういうものさ、縁というのはな」
『そうですか・・・。じゃあ、なぜ俺はあの家に生まれたんでしょうか?』
「それは縁があったからさ」
『縁はあったのに、その縁は薄いんですか?』
「そういうことだな。いいか、お前は、あの家に生まれる縁があった。だが、その家で一生を過ごす縁ではなかった。より濃い縁がよそにあったんだ。ただし、それはお前が成長してから現れる縁だった。そういうことなのだよ」
『う〜ん、なんだかよくわかりませんが・・・』
「あのな、縁というのは簡単なものではないから、そう簡単には分からないのだ。縁は複雑に絡み合っている。時の流れとともに変化もする。初めは縁があったが時とともに薄れていく、そういう縁もあれば、初めは薄い縁だが時とともに濃くなってくるという縁もある。人生のうちで子供の時代に知り合う縁もあれば、大人になって知りあう縁もある。ジジババになってから知りあう縁もある。逆に、子供のころにできた縁でも大人になって切れる縁もある。これは多いがな。大人になってできた縁でも、すぐに切れてしまう縁もある。長続きする縁もある。くっついたり離れたり、はっきりしない縁もある。話には聞くが、顔は見たことはない・・・というような縁もある。縁は難しいのだよ」
そう言われて、俺は考え込んだ。俺と女房との縁はどうだったのだろうか、と。いい縁だったのだろうか?。そういえば、女房は結婚前に占い師に見てもらったとか言っていた。確か・・・あぁ、そうだ。この縁はいい縁だから結婚してもいい、と言われたとか言っていた。当然ながら、俺は占いなど全く信じていなかったので、笑って聞き流したように思う。否、占いなんてどうでもいい、自分たちの気持ちが大事なんだ、とかくさいセリフを言ったようにも思う。俺と女房の縁は・・・・果たしていい縁と言えるのだろうか・・・・。

「どうした?。何か疑問か?」
『あぁ、はい。あの、結婚に際して、いい縁だと言われても添い遂げられないこともあるんですか?』
「なんだそりゃ・・・。あぁ・・・。お前らのことか?。何だお前、結婚前に占いでもしてもらったのか?」
先輩の顔は、「お前がか?」とちょっとバカにしたような表情になっていた。そうなるだろうと思っていたから、この質問をするのは嫌だったのだ。だが、興味の方が勝ってしまった。
『い、いや、違いますよ。占ってもらってはいませんよ。否、正確には、女房は占ってもらったそうですけど・・・』
「はっ、当たらんよな、そんなものは。占いでわかるのは、せいぜい相性までだ。まあ、お大師さんが日本に持ってきた宿曜占術では、ある程度まで縁もわかるが、それでも100%当たらんな。相性ならほぼ当たるがな」
『いや、当たらないことはわかっています。占いなんて、当たらないでしょう。まあ、たまに当たることもある、という程度ですよね。そういうことじゃなくて、縁の問題で・・・あぁ、もういいです。今の質問はナシです』
「あっはっはっは、わかってるよ、お前の聞きたいことは。たとえば、いい縁だと言われたカップルでも、別れることがある。いい縁だと言われた夫婦でも添い遂げずに、離婚する場合や死にわかれもある、それでもいい縁だと言えるのか、ということが聞きたいのだろ?」
『はい、まあ、そうです・・・』
俺は、素直にうなずいていた。先輩は、ニヤニヤ笑っている。相変わらずの光景だ・・・。

「さっきも言ったように、縁は複雑なものだ。だから、占いなどでは、はっきりしたことはわからない。うちにも、カップルや親たちがいい縁かどうか見て欲しい、と相談にやってくることがある。これも仕事だから、いい縁かどうか判断してやるがな、本当は難しいんだ。たとえばだ、いい縁だとしたって、そのいい縁を自分たちの勝手でダメにしてしまう場合もあるからな。本当は、簡単には答えられないんだよ」
『いい縁を自分たちでダメにしてしまう?。それってどういうことですか?』
「あぁ、具体的に話そうか。たとえば、あるカップルが縁を見てくれと来たとする。まあ、よくある話だ。で、そのカップルを見るに、いい縁なんだな。で、そう答えるだろ。その数年後、そのカップル、離婚してることもあるんだな。で、そのカップルの片方・・・まあ、多くは女性側だな・・・が、こういうんだ。『あの時、いい縁だと言っていたのに、別れてしまいました。いい縁じゃなかったんですか?』とな。つまり、文句を言いに来たわけだ。で、よくよく話を聞いてみると・・・別れた原因とかだな・・・、旦那がよそに女を作ったらしい。浮気だな。で、それが原因で別れたわけだ。しかし、旦那が浮気をしたことと、夫婦の縁がいいこととは、関係はあまりないな。旦那が浮気をするのは、それはそれなりに理由があるだろ?。奥さんじゃあ満たされないものがあったのか、単なる浮気性なのか、女好きなのか・・・。ま、詳しく聞くと奥さんが少々我が儘なんだな。甘えん坊なんだ。初めのうちはよかったのだが、それも度を超すと嫌気がさすよな。旦那も甘えられるのは嫌じゃないタイプなんだが、度が過ぎて嫌になったらしい。つまり、基本的にはうまくいっているんだが、度を越してしまい、嫌気がさした、というわけだな。奥さんが、お調子に乗ってしまったというわけだ。
いくら、いい縁だと言ったって、限度があるさ。いい縁だから何をやってもいい、というものではないな。いくらいい縁だからといっても、何をしても壊れないか、ということではない。いくらいい縁でも、壊れることもあるさ。
いいか、縁というものは、作ることもできれば、壊すこともできる。初めからあるものでもあるし、初めからないものでもある。途中で壊すこともできれば、濃くすることもできる。初めから「こういう縁」というのがあって、それが永遠に続くものではないのだよ。縁は生き物のように、生かすことも殺すこともできるものなのだ。まあ、黙って聞け」
先輩は、口を挟もうとした俺を手で制した。
「たとえば、お前ら夫婦の場合だ。占い師が言ったいい縁が当たっているかどうかは知らないが、まあ、当たっているとしよう。お前らはいい縁の夫婦だった。だが、それは年寄りになるまで添い遂げる縁である、ということではない。必ずしもそういうことをいっているのではない。共白髪になるかどうかは、言ってはいないだろ。詭弁じゃないぞ。その占い師は、いい縁だ、と言っただけだ。共白髪だとは言っていない。
そもそも、いい縁とは、夫婦お互いにわかりあえる仲である、という意味なのだ。うまくやっていける仲だ、ということだな。理解し合うことが可能だ、ということだ。長く添い遂げる縁とはいっていない。そんなことは、寿命に関わることなので、一概には言えないのだよ。ただ、一緒にいて楽しい仲になれる間柄だ、というだけだ。だからといって、ケンカしないとも言っていない。いくら仲が良くてもケンカくらいはたまにはするものだ。いくらいい縁であっても、いくら理解し合うことができると言っても、意地の張り合いになることだってある。その人の性格によっては、謝ることが嫌だ、となることもある。そうなれば、理解しあえる仲であっても、平行線になることもあるさ。人間だから、な。
そもそも悪い縁ならば、初めから理解し合うことすらない。ケンカをすれば、即離婚だよ。というか、悪い縁で結婚をしたら、初めからケンカが絶えない。たまのケンカどころじゃないさ。
どうだお前、振り返ってみて、ケンカの多い夫婦だったか?。揉め事は多かったか?。お前の奥さんは、お前を理解しなかったか?」
先輩にそう問われ、俺は即答した。
『いや、俺の女房は、いい女でした。俺のことをよく理解してくれました。そりゃ、たまにはケンカもしましたよ。でも・・・いい理解者でした』
「だろ?。だからいい縁だったんだよ。
いい縁だと言われても、別れるヤツもいる。それはな、縁を壊しているんだよ。折角のいい縁を自分の我が儘や意地、甘えなどで壊してしまうんだ。そういうヤツもいるんだ。
ちなみにな、お前だって、仕事をもう少し制限し、タバコを止めて、健康に気を使っていれば、早死にすることはなかっただろう。早死にしたのは、お前のせいだ。いい縁だ、といった占い師が間違っていたわけではない。お前が悪いんだ」
先輩は、勝ち誇ったようにふんぞり返った。
しかし、確かにそうなのだろう。俺ももう少し身体に注意すればよかったのだろう。夜更かしもしたし、何日も会社に泊り込んだこともあった。タバコもかなり吸った。酒も飲んだ。身体にいことなど一つもやっていない。おまけに無信心だ。先祖の助けも・・・そうだ、俺には先祖の助けはなかったのだろうか?。確か、先輩は、俺と俺の先祖とは縁が薄いと言った。でも、守護霊になれないわけじゃないといったような・・・。そう、縁が薄いだけだ、と言ったのだ。いったい俺の守護霊は誰なのだ?。俺の先祖ではないのか?。守護霊になれるのに、あえて俺の守護はしなかったのか・・・・?。
「どうした?。また違うことを考えているな?・縁のことは分かったのか?」
先輩の問いかけに、俺はすぐには返事をせず、ぼーっとしていた。
「ついに呆けたか」
などと先輩はいっている。いや、違うのだ。俺は、俺の守護霊について考えていたのだ。

『あの、先輩』
「なんだ?」
『俺の守護霊って誰だったんですか?』
「なに?」
『いや、さっき、先祖とは縁が薄いと先輩は言ったじゃないですか。なら、俺の守護霊はいったい誰が・・・』
「あぁ、そういうことか。それはな・・・」
そういうと、先輩はニヤッと笑いながら、身を乗り出してきたのだった。


「それはな・・・・教えてやってもいいが、その前にだ。お前、縁については分かったのか?」
先輩はニヤニヤしながら俺に聞いてきた。こういうときの先輩は、何かを企んでいるときだ。いったい何を企んでいるのか・・・。
「素直に答えたほうがいいぞ。ちなみに、俺は何も企んではいない。お前の答えが楽しみなだけだ」
『わ、わかりましたよ。縁は生き物のようなもので、常に変化しているんでしょ。いい縁も壊れることだってあるし、薄い縁だって濃くなっていくこともある。縁もいろいろだということはわかりました。それに、俺が早死にしたのは、俺の責任です』
「ふむ、よくわかってるじゃないか。そこでお前は考えたな?。自分の守護霊は、自分を守ってくれなかったのか?、と。守護霊は、それが強い力を持っていれば、守護の対象者をいい方向へと導いて行くからな。お前の場合、不摂生を止める方向へ導いてくれなかったのだろうか、お前自身を守ってくれるようなことはしなかったのだろうか・・・・、などと、お前は考えたんだろ?。浅はかなっ!」
そういうと先輩は、鼻をフンとならした。
『あ、浅はかですか?。何が浅はかなんですか?』
「浅はかじゃなきゃ、愚か者か?。お前、今まで何を教えてもらってきたんだ、奥さんの守護霊のおじいさんに」
『えっ?、何って・・・・』
先輩にそう言われ、俺は考えた。いろいろ思い出しても見た。確か、守護霊は・・・その対象者をいい方向に導くのだといっていたが・・・・、あっ、ただし・・・。そうだ、ただし、というのがあったんだっけ・・・・。
『はぁ、確か、何もかも誘導できるわけじゃないんですよねぇ。緊急の時に助けることはあっても、あるいは、それとなく導くことはあっても、対象者の意思は尊重されるんですよね。意思を無視してまで守護はできない・・・口出しや手出しはできないんですよね。あぁ、そうか、ということは・・・・』
「そうさ、お前の守護霊だって、お前を不摂生から抜けるように導くことくらいはしたさ。よ〜っく、思い出してみろ。他人の口から注意を受けたことはないか?」
先輩にそう言われ、俺は思い出してみた。あぁ、確かにそういうことはあった。なじみの飲み屋のホステスに「疲れぎみじゃないか?、休んだ方がいい」と言われたこともあるし、取材先でも「顔色が悪くないですか」と言われたこともあった。その度に俺は「平気だ」と笑って答えていたように思う。女房からはよく心配されてもいた。これはきっと女房の守護霊のじいさんも心配していたこともあったのだろう。もちろん、女房自身も心配してくれてはいたのだろうが・・・。いやいや、それだけじゃないぞ。定期健診でも注意を受けたはずだ。タバコはダメだと言われている。あぁ、そうだよな、同僚や後輩からも言われたことがあった。「働きすぎじゃないですか?」と・・・。そういう言葉を俺はすべて聞き流していたんだ。
俺は何をムキになっていたんだろうか・・・・。なぜ、そこまで働いたのだろうか・・・。

「思い出したようだな。お前の周囲は、お前に注意を与えていたはずだ。普段、そんなことは言わない人でも、心配の声をかけていたはずだ。そうじゃないか?」
俺はうつむいたまま首を縦に振った。そして
『そうです、そうです。そうでした・・・。聞かなかったのは俺です』
と、うなだれて言ったのだった。
「そうした声は、誰の声か?。もうわかるな?」
『はい、わかります。それは、俺の守護霊が周囲の人たちの口を借りて言っていたことだったんですね』
「その通りだ。だが、お前は聞かなかった。聞く耳をもたなかった。なぜか、意地にでも聞かないぞ、みたいな態度だったよな?」
そうなのだ。俺は、周囲から身体のことを心配されると、かえってムキになって働いたのだ。妙な意地を張っていたのだ。なぜそんな意地を張っていたのか・・・・。今になってみると、思い出せない。なぜ俺はムキになったのか・・・。
「ま、なぜお前がムキになったのかは知らないが、お前に守護霊がいたのはわかったな?」
『はい、わかりました。俺にも守護霊はいたんですね・・・・』
「というわけだ。悪いのは、お前自身だ」
そういうと先輩は、もう話は終わったぞ・・・みたいな顔をして横を向いた。ちょっと待て、なんか変だぞ。あっ、そうじゃないだろう。俺が聞きたかったのは、俺の守護霊は誰か、ってことだったはずだ。いかん、このままではごまかされる。そう思った俺は、すかさず先輩に質問をし直した。ところが・・・。
『それはいいんですが、で、俺の守護霊は・・・』
「お前、なんでムキになって働いたんだ?」
俺が発した言葉は、先輩の質問にかき消された。

しばらく沈黙が流れた。先輩は俺の方を見てニヤニヤしている。
『先輩』
「なんだ」
『俺の守護霊が誰かってことを答えたくないんですか?』
「なんだ、まだ覚えていたのか」
『答えたくない理由があるんですか?。それとも誰かわからないんですか?』
「そういう言い方をすれば、俺がムキになって答えると思ったか?」
『わかっているなら教えてください』
「今さらそれを聞いてどうするのだ?」
『それは・・・・』
そこで言葉に詰まった。俺はどうしたいのだ?。
『俺は・・・守護霊に・・・俺の守護霊に・・・謝りたいです』
言葉が自然に出ていたのだった。

「そうか・・・、謝りたいのか。ちなみに、今はお前には守護霊はいない。それはわかるな?。お前は死者だからな」
『はい、わかっています。今は俺に守護霊がいないことはよくわかっています。でも、生きているときは俺にも守護霊はいたんですよね?』
「もちろん、いたよ。お前が死んだと同時に、その役割を終えて、本来いるべき場所へ帰っていったよ」
『今、その人に俺の思いは通じますか?』
「もちろん、通じるさ。はー、しょうがねぇなぁ・・・。これやると疲れるんだよなぁ・・・」
先輩は大きく溜息をつくと目を閉じて、黙り込んだ。
しばらくして
「お前の守護霊だった人は、お前の父方のおじいさんだ。早くに亡くなっているだろ?。お前が幼いころに亡くなっているはずだが・・・」
『はい、確かに俺が2歳くらいのときに亡くなっていますが・・・。おじいさんですか・・・。俺には記憶がないですけど・・・。そうか、おじいちゃんか・・・』
「でな、お前の先祖に尋ねたが・・・お前の先祖は皆達観している。ある意味、悟っているといった方がいいか」
『はい?、どういうことですか?』
「あのな、お前の先祖は、お前が親の言うことは聞かない人間で、やがて故郷を捨て、親を捨て、先祖を捨てて出ていってしまう存在だとわかっていたそうな。しかも、先祖供養だの法事だのという仏事などは一切やらない存在だとわかっていたそうな。それもすべて先祖の方々の罪が重なってそうなったらしい。そうした先祖の罪の積み重ねの最終結果がお前なんだそうな。俺はよくわからんが、そのように先祖は納得しているんだよ。というか、もういいんだそうな。お前という存在は無くなったが、お前の血筋は残っていくし、お前の血筋の子孫はお前に似ないで、仏事をやっていくであろうから、安心しているのだそうだ。だから、気に病むな、ということだ」
先輩は一気にそういうと、「ちょっと休憩」と言って奥に引っ込んでしまった。俺は、頭が混乱していた。

「疲れた時は、甘いものが一番だな。さらにカフェインがあると、なおいい」
そう言って戻ってきた先輩の手には、コーヒーとケーキが載ったお盆があった。
「うちの女房は神通力があるのかな?。いい具合にケーキが買ってあった。予想していたのかな、俺がケーキが食べたくなることを・・・」
そういいながら、先輩はケーキをガツガツと食べていた。ケーキをガツガツ食べる人などあまり見たことがない。で、「うーん、コーヒーはうまい」などとほざいている。それよりも、さっきの話だ。いったいどういう意味なのだ。
『先輩、さっきの話ですが、どういう意味ですか?。よくわからなかったんですが』
「そりゃ、よくわからんだろうな」
『もっとわかりやすく教えてくださいよ』
「ちょっと待てよ。お前は肉体がないから疲れないが、俺はくたびれるんだよ」
そういうと、先輩はコーヒーカップを手にしたまま、椅子にもたれて目を閉じた。ときどき、コーヒーを口にしている。
「あのな」
そういうと、先輩はコーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「お前の先祖は、お前に期待をしていなかったんだな、初めから。お前はお前の家に生まれた時から、故郷を出ていくことが決定されていたようだ。というか、先祖の誰もが、お前はお前の家と先祖と、その双方に縁が薄い子だ、とわかってしまったんだな。どうもお前の両親は、子ができにくい体質だったのか、子供はお前一人だった。で、生まれた子供は先祖とは縁の薄い存在だった。先祖は、それを知って、納得したのだよ。あぁ、これも仕方がないのだ、とね」
俺は、口を挟みたかったが、最後まで黙って話を聞くことにした。途中で質問を入れると、話がそれてしまう恐れもあったからだ。最後まで話を聞いたほうがいい、と俺は思ったのだ。先輩は、俺の考えを読み取ったのか、一つうなずくと、話を続けた。
「で、しばらくしてお前の祖父が亡くなった。それから数年後、その祖父がお前の守護霊を務めることとなった。それまでは、他の先祖がお前の守護霊を務めていたわけだな。それは誰かというのは、聞く必要はない。先祖の誰かだ。それだけわかればよろしい。
で、お前のじいさんは守護霊を務めていたんだが、まあ、初めから家を出ていくことが決定されていた子供だから、家にいつかせようとしても無理な話だな。なので、お前のじいさんは、お前が正常に育つ手助けをするだけだったわけだ。常識人に育つように、ということだな。まあ、そういう力はあったわけだ。
その甲斐あってか、お前は常識人に育った。見事に常識人だな。宗教は一切信じない、霊的な話は頭から受け付けない、全くの常識人だ。まあ、初めから仏事などはしない子供だということは、先祖はわかっていたから、予想通りに育ったのだがな。
ま、それでも一応、守護霊はつく。役目があるからな。お前は、予想通り故郷を捨て、一人っ子であるにもかかわらず、都会に出てきた。両親は、お前に迷惑をかけたくないという思いから、早くからお寺に自分たちの死後のことを頼んであった。これも、先祖の導きだな。お前の先祖は、本当によくできた人たちだ。お前に迷惑をかけないようにと、体制を整えている。というか、お前に期待できないから、自分たちで防衛策をしておいたわけなんだけどね。
で、自己防衛機能が整ったので、お前の両親はあの世へ召された。これで、先祖供養をお前がしなくても、先祖は安泰であるという体制はできていたわけだ。先祖は、その力を使って、お前の両親にそうした準備をさせておいたのだな。
で、お前は先祖の予想通り、何もしなかった。仏事はお寺任せだな。でも、それでも先祖は安泰なわけだ。で、守護霊たるお前のじいさんは、お前の心配だけをしていればいいわけだな。お前のじいさんは、ちゃんと役割を果たしていた。逆らっていたのは、お前だけだ。ま、それも予測のうちだったようだがな。想定内ってことだよ、お前が他人のいうことを聞かないのは」
そこで俺は初めて言葉をはさんだ。
『俺が他人の話を聞かないで、早死にしてしまうということは、想定内だった・・・ということですか?』
「どうやら、そのようだな。ホント、お前の御先祖は、先を見通す目ができている。立派だよ。すごい力だね。で、それをどうこうしようとしないで、流れに逆らわないで、その流れを利用して、将来を決めていったんだな」
『流れに逆らわないで・・・・流れに従って、将来を決めた』
「そういうことだ。お前が周囲のいうことを聞かないで、早死にしてしまうことは最初からわかっていた。予測していた。だからこそ、お前の女房のような女性と知り合わせた。お前の奥さんの守護霊であるじいさんとも話がついた。『こいつは早死にしてしまうでしょうが、よろしいでしょうか?。あなたの子孫のお嬢さんのような方でないと、それを受け入れられないように思うのですが・・・』なーんて会話でもあったのだろうな。ま、守護霊同士も生きているお前ら同士も意気投合はしたんだよ。
で、予想通りお前は早死にした。しかし、お前の奥さんは仏事を受け入れるタイプだ。守護霊のおじいさんもしっかりしている。となれば、お前の子供たちは素直に手を合わすようになるであろう。つまり、お前の子孫は、再びお前の血筋の供養をするようになるのだ。
いいか、いったんはお前で先祖との縁が薄くなるが、お前の次からは、先祖と縁は再び濃くなっていくのだ。いったん、流れは滞るが、お前の死を通じて、流れはよくなっていく、と先祖は見通したのだよ。先祖からしてみれば、すべて予定調和だ」
先輩はそこまで話すと、フーと大きく息を吐いた。

「しかし、お前さんの先祖はすごい神通力者たちだよ。いい世界・・・天界でもかなり上だろうな・・・に行っているのだろう。お前が故郷を捨てること、仏事に興味をもたないこと、先祖を放りっぱなしにしてしまうこと、周囲の意見を聞かないで早死にすること、これらをすべて予測していたのだからな。そのうえで、お前の子孫は仏事を行うような成長をするであろうことまで計画した。つまり、そうなるように育てることができる女性を知り合わせた。すごい力だ。そこに力を注いだのだよ、お前の守護霊は。無駄なことに力を注がなかったんだ。見事だね。見事な計画だよ。その通りに進んでいるし。すごい力だ」
『ということは・・・・。俺は・・・・』
「だから、気に病むな、と言っているのだ、お前の先祖がいうにはな、謝ってもらう必要はない、ということだ。そもそもそうなった原因は、先祖の小さな罪の積み重ねなんだし」
『先祖にしてみれば、こうなることはわかっていた・・・。だから、謝る必要はないと・・・』
「そう、予定通りなのだから、いいんだよ。あ、ちなみにな、もし、お前が周囲のいうことを聞いて、早死にしなかったとしたら、それはそれでいいのだ。これがこの仕組みのうまいところなのだがな。もし、お前が早死にしなかったら、やがてお前は・・・まあ取材だろうな・・・で、仏教を学ぶ機会が与えられるのだよ。きっと、俺のところに来て、今と同じような会話をすることになっていたのだろうな。まあ、そうなるきっかけは何かはわからないが、いずれにせよ、お前の子孫は仏事を受け入れるようになることは変わらないのだ」
『あぁ、そうですか・・・』
俺はそう答えるしか他はなかった。何だか、拍子抜けである。
「なんだ、不服そうだな」
『いや、そういうわけじゃないですが・・・。なんだか・・・ねぇ・・・まるで、俺はかませ犬みたいじゃないですか・・・』
「あっはっはっは。情けないヤツだのう。あのな、納得できないようだが、そんなことを思っても仕方がないぞ」
そういうと、先輩は妙に真剣な顔をしたのだった。


「いいか、先祖から子孫へは連続している」
先輩は、妙に当たり前のことを、神妙な顔をして言った。
「お前はその中の一人にしか過ぎない。とはいえ、その一人一人は役割がある。お前はかませ犬的な役割だったのだ。そういう者も必要なのだよ」
『いや、まあ、それはそうかもしれませんが・・・・。そうなると俺の価値というか、存在感というか・・・』
「バカモノ!、何を贅沢言ってやがる。いいか、今さらなんだよ。お前は、お前の好き勝手をやってきて、お前の自由を押し通してきたじゃないか。それなのに、いろいろ先祖からの流れがわかった途端、先祖の文句を言うのか?。そりゃあ、あまりにも勝手すぎるだろう。だったら、生きているうちから故郷を捨てずに、ど田舎で両親の面倒でも見ていればよかったじゃないか」
『あっ』
「あっ、じゃねぇ。アホかお前は」
先輩の言うとおりだ。俺は何を寝ぼけたことを言っていたのか。俺は、俺の好き勝手をしてきて生きてきた。その結果がこうだ。それは俺の性質のせいであり、ほかのだれの責任でもない。で、先祖はそういう俺の性格を見抜き、万事うまくいくように・・・先祖も子孫も救われるように・・・準備を整えたのだ。それに対し、「俺はかませ犬か」と不服を言うのは、筋違いなのである。
「わかったか。先祖から子孫まで、流れはつながっている。その中には、お前のような存在も必要なのだよ。いいか、お前の家系は、まだいいのだ。優秀なほうだ。多くの場合、先祖からの流れが滞ると・・・お前のような無信心の者が出てくると、そこで供養だのという仏事は止まるんだよ。たいていは、無信心の夫に無信心の嫁がくっついて、無信心一家ができあがるんだよ。そっちのほうが断然多いんだよ。お前のところは先祖が力を持っていたから、さっき言ったような計画ができたが、普通はできないんだよ。そんな力なんぞないからな」
『はぁ・・・。すみません。よくわかりました。俺が間違っていました。いや、俺は先祖に感謝しなきゃいけないくらいなんですよね、本当は・・・・』
「わかればよろしい。ま、そういう謙虚な気持ちが大事だな」
『あの・・・普通は無信心一家となってしまうと言ってましたが、そうなるとどうなるんですか?』
「簡単さ。無信心一家がとなれば、先祖は次第に力を失うだろ。となれば、先祖の魂は、次第に悪い場所へと生まれ変わっていくよな。たとえば、初めは天界にいたのだが、修羅に落ちてしまったとか、畜生に生まれ変わったとか、餓鬼になったとか、最悪は地獄へ落ちた、となるだろ。すると、現世に生きている子孫はどうなる?」
『ま、何らかの苦しみを受ける・・・ですよね・・・』
「そうだ。今まで学習してきただろう。先祖が苦しみの世界にいれば、その子孫は、何らかの禍いを受けて、先祖の苦しみを知らされるのだな。ところがだ、なにせ無信心な一家だと、いくら禍いを受けてもそれが先祖の救いを求めるサインとは気が付かないんだな。で、ますます落ちていく・・・」
『それじゃあ、救われないんじゃないですか』
「ん?、まあ、そうだな。ま、そうなれば、一旦リセットだな」
『リセット・・・とは?』
「それはケース・バイ・ケースだが、多くの場合、その家が絶えておしまい、となるな」
『ちょっと待ってください。それは子孫が結婚しなくて、あるいは結婚しても子供がいなくて、その家が続かなくなるということですよね?』
「まあ、そういうことだな」
『それって、今じゃたくさんありますよ。それが全部そうなんですか?。先祖が悪いところに行っていることによるんですか?』
「そんなことはないな。全部が全部じゃないよ。信心のある家でも、その家の子孫が絶えることはある・・・・。あのなぁ、こういうことは一概には言えないんだ。その家その家の事情というものがあるからな。先祖の意向というものもあるしな」
そういうと、先輩は渋い顔をした。
『先祖の意向って、どういうことです?』
「あのなぁ、そういう話は、その家によって違うんだよ。たとえば、子孫のあなたたちが無信心だから家が絶えるんですよ、というケースもあるし、そうじゃないケースもある。もともと子供ができにくい身体で生まれてしまう場合もあるし、それは先祖の問題ではなく、その本人の前世の問題だったりすることもあるし、本当にたまたま身体がそういう造りで生まれてしまった場合もある。先祖がもう子孫がなくてもいい、と思う場合もあるんだ。だから、そういうことは、その家の本人の問題であって、一概には言えないんだよ。その家その家のプライバシーの問題だ。お前さんが知る必要はないな。ただ言えるのは、お前さんのところは特殊なケースだ、ということだ」
先輩は、そういうと横を向いてしまった。これについてはもう聞くな、ということなのだろう。
『わかりました。そりゃ、まあ、その家によっていろんなケースがある、というのはわかりますよ。死者の裁判をいくつも見てきましたから。わかりました、それについてはもう聞きません』
「そうか、わかったか。じゃあ、帰れ。俺はもう疲れた。お前と話すと疲れるんだよな。まあ、お前は知り合いだし、俺に救いを求めているわけでもないし、俺の邪魔をしようというわけでもないから、まだましだがな。死者ということには変わりはないからな。生者が死者と会話をすること自体、生者にとっては異常なことなんだよ。だから疲れるんだ。なので、帰れ」
先輩はそういうと、俺をにらんできた。確かに、先輩の顔は疲れ気味である。なんだか、眠たそうだ。
そうか、そういえば、先輩は生者で俺は死者なのだ。今まで普通に会話していたから気にしなかったけど、確かにこれは異常な光景である。普通はできないことだ。いや、ちょっと待てよ、それはいい、それはいいが、さっき先輩は妙なことを言ったように思う。先輩は確か「俺に救いを求めているわけでもないし、邪魔をしようとしているわけでもないからましだ」と言ったよな・・・。
「おい、お前、何を考え込んでいる?」
先輩が俺をにらんできた。
「余計なことを考えないで、さっさと帰れ」
俺は、
『はい、じゃあ、今日はもう帰ります』
と言って、消えることにした。その消えかかった俺に「明日は来るなよ」と先輩は、もううんざりだ、という口調で声をかけたのだった。もちろん、俺は聞き流した。

家に戻ると、女房が夕飯の片付けをしていた。子供たちは風呂に入っている。もうそんな時間だったのだ。随分と先輩の家で話し込んでいたことになる。女房は俺が戻ったことがわかったのか、リビングのほうを見て少し微笑んだ・・・ように見えた。女性は勘が鋭いといわれている。浮気などすぐわかる、と。案外、俺の気配を感じたのかもしれない。
『そうぢゃな、感じることもあるぢゃろうな』
女房の守護霊のじいさんが話しかけてきた。
『どうだった、死者に対する遺族や僧侶の気持ちが、死者に影響をするということが分かったか?』
『あぁ、おじいさん。はい、わかりましたよ。十分にわかりました。あぁ、そうそう、珍しいことがありました』
俺は、おじいさんに天界の音楽を聞いたことを話した。しかし、その曲を口ずさもうと思っても出てこないということも話をした。
『ほう、天界の曲をのう・・・。そりゃ、口ずさめんわな。ありゃ、人間界に知られてはいけない曲なんぢゃ』
『らしいですね。あ、そうそう、観音様の声も聞いたんですよ』
『ほう、なんと・・・。あぁ、そうか。あの寺の本尊様は観音様ぢゃったなぁ。で、なんとおっしゃってた?』
『あなたに会うのはまだ先ですよ・・・って・・・・。まあ、気のせいかもしれませんけどね』
『いや、気のせいぢゃない。その通りぢゃ。ま、その時まで楽しみにしているんぢゃな』
それから、俺は先輩の寺で話したこと・・・俺の先祖の計画のこと・・・をおじいさんに話した。おじいさんは、ニコニコしながら俺の話を聞いていた。そして、俺が話し終わると
『まあ、そういうことがあったんぢゃな。お前さんの先祖にはお前さんが結婚するときに頼まれたのは確かぢゃよ。ま、これも因縁ぢゃろうと思って引き受けたが・・・・わしの判断は間違っていなかったと思っておるよ』
と、おじいさんは教えてくれた。それを聞いて、俺は涙が出るほど嬉しかった。まあ、涙は出ないのだが・・・。俺のやってきたこと、生き方が認められたような、そんな気がしたのだ。それと、肩の荷が下りたような、そんな安らぎがあった。俺は、やはり心のどこかで、早死にしてしまったことの責任を抱えていたのだ、と改めて気付かされたのだった。俺は、おじいさんに素直に頭を下げていた。
『すみません、俺の性格が招いたことです。迷惑をかけました』
おじいさんは、ニコニコ笑ってうなずいただけだった。

翌日のこと、俺は子供たちが学校に行くのを見送ると、先輩の寺へと足を向けた。先輩の寺まで飛ばないで、またフラフラと漂って行ったのだ。
『ちわ〜っす、先輩いますかぁ』
俺は軽いノリでお寺の中に入っていった。
『ふん、また来たのね。変な死人』
そういったのは、昨日見た少女の幽霊だった。
『あんたって、よほど暇なのね。ほかに行くとこないの?』
大きなお世話である。とはいえ、確かにほかに行くところがないのも事実だ。我が家と寺の往復で一日が終わっている。しばらくすれば、またあの世に戻ることになる。裁判が待っているからだ。
『死人は暇なんだよ。何もやることがないし、何もできない』
俺はムッとして答えた。
『君もよく何十年もこの世にとどまっていられたねぇ。暇だったでしょ』
『好きでこの世にとどまったわけじゃないわよ。あぁ、でも、この世にいるうちに楽しみは見つけたから、あんたみたいに暇じゃなかったけどね』
憎たらしいガキである。とはいうがガキではない。そう、子供の形はしているが、子供ではないのだ。生きていれば、40歳代か50歳代か・・・。オバサンなのだ。
『楽しみっていってもねぇ・・・、死人でしょ?。結局何もできないじゃないか』
そう、いくら楽しみを見つけたといっても、死人ではなにもできない。せいぜい他人を驚かすくらいだ。ぼーっと見ているしかないのだ、我々死人は。
『見るだけで楽しいことだってあるわよ。あんたにはわからないでしょうけど』
『わからないなぁ・・・。見てるだけで何が楽しいの?。たとえばさぁ、君は今、小学校6年生くらいの姿で、そういう格好をしているけど、現代の同じ年代の少女とは明らかに違うよね。それって、悔しいとか思わないの?。女性ならわかると思うけど、新しいファッションを試してみたいとおもわない?』
『な、何よ!。私の恰好がおかしいっていうわけ?。失礼なやつね!。お前なんか出ていけ』
どうやら俺は地雷を踏んだようだった。

彼女は、すさまじい勢いで怒りはじめた。髪の毛が逆立っている。目も吊り上っている。彼女のほうからは、冷たい空気が大量に流れてきた。
『バカにして・・・。私だって好きでこんな姿でいるわけじゃない。お前なんか・・・、お前なんか・・・』
俺は次第に彼女が発する冷たい空気に押されていった。まるで、冷たい台風の風にさらされているような、そんな感じがした。このままでは、俺は寺の外に追い出されてしまう。しかし、そんな状況であるにもかかわらず、妙に俺は落ち着いていた。「へぇ〜、死人でも押されたりするんだ〜」などと思ってもいたりした。が、俺自体は、徐々に本堂の出入り口にまで押されてしまっていた。まあ、追い出されたとしても、きっとなんていうことはないのだろうが・・・。そうか、俺も踏ん張っているからいけないんだな。何も彼女が放つ冷たい風に抵抗する必要はないのだ。俺は力を抜いた。魂の状態の力を抜くというのも変だが、そう思ったのだ。いや、力を抜くと意識したのだ。
意識した途端、俺の体・・・いや霊体と言ったほうがいいか・・・は、ふわっと浮いて本堂の外にはじき出された。といっても、何もそれ以上は起こらない。俺は怪我をするわけでもないし、魂が傷つくということもない。外に飛ばされた風船のようなものである。ただし、どこへ行くかわからない、というわけではない。本堂の入り口横にぼーっと突っ立っているだけである。
『やれやれ、年齢的にはオバサンだけど、やることは子供だねぇ・・・』
「当たり前だろ、子供の時に死んでいるんだ。いくら長年死者をやっているといっても、意識は基本子供だ」
後ろから先輩の声が聞こえてきた。どうやら先輩は外にいたようである。
「まったく、何やってるんだ朝っぱらから。さっさと中に入れ」
先輩はそういうと、本堂の中に入っていった。今日は、作務衣ではなく坊さんの衣を着ていた。
「おい、俺の留守の間、大人しくしていろよ」
先輩は、本堂の中、少女の霊がいるほうを指さしてそういった。少女の霊は、ふんと言って横を向いたまま、スーッと消えてしまった。だから、きっと先輩がそのあと小声で言った言葉は聞いていなっただろう。俺は、その言葉の意味を聞こうとしたのだが
「あのな、ここにいるのはいい。いいが、騒ぎを起こすな。俺はこれから出かけるんだ。忘れ物を取りに来たのが幸いした。いいか、一応言っておく。あの少女の霊は、ガキだ。いくら古い霊だといっても、ガキに変わりはない。それを忘れるな」
という、先輩の声に押されて何も聞けなかった。先輩は、本堂で何かを手にすると、さっさと出て行ってしまったのだった。
『あ〜あ、行っちゃったか。しょうがないな、帰ってくるまでこの辺りをうろうろしてるか・・・』
俺は、本堂の中で座り込んだのだった。


本堂の中は、しんとしていた。
が、そう思ったのもつかの間。すぐにガヤガヤと声が聞こえ始めたのだ。
『あなたは、新参者だねぇ。死んでどのくらいだい?』
ちょっと艶っぽい声が聞こえてきた。
『あぁ、あたしは・・・戦前に亡くなっているんだよ。ちょっとわけありでね、ここで世話になっているのさ』
確かに口調が今風ではない。まるで、時代劇に出てくる芸者さんのようなしゃべり方だ。しかし、声はすれど姿は見えない。少々不審な感じはしたが、一応ここは素直に答えておくべきだろうと、俺は思った。
『はい、私はつい先だって亡くなったばかりで・・・。ちょうど三十五日が終わったところです』
『ふ〜ん、そうかい・・・。あんた恵まれてるんだねぇ。あんたが亡くなってからすぐに、ここの住職にお経をあげてもらってるんだろう?』
『えぇ、住職は私の大学時代の先輩でして・・・・』
『そうかい。あたしたちとは違うんだねぇ。だから、あの子も拗ねているのか。まあ、子供だからねぇ・・・』
『あの・・・違うって、どういうことですか?。同じ死者じゃないんですか?』
『そうねぇ、死人と言えば同じだけど・・・そう、事情が違うんだよ、事情がね』
『その事情というのは、亡くなった事情のことですか?』
『まあねぇ、そういうことさ。ここにはね、あんたみたいな恵まれた死者は、ほとんどいないんだよ。ここに集まっている魂は、みんなそれなりに事情を抱えているのさ』
いったい何を言っているのか、よくわからなかった。それなりの事情って・・・。それこそ、事情がよくわからない。
『意味が分からない・・・って顔だねぇ』
どうやら俺は、ちょっとキョトンとしていたらしい。いきなりのことで面食らった、というのもあったことは確かだ。
『あ、あぁ、はい、そのなにがなんだかよくわからなくて・・・』
『しょうがないねぇ、退屈しのぎにちょっと教えてあげようかねぇ。皆さん、よろしいですか?』
『み、皆さん?。皆さんって・・・』
『やだねぇ、何を言ってるんだい。ここにはあたし一人じゃないでしょ。よ〜っく御覧なさいよ。ほら、皆さんいらっしゃる。あら、あんたひょっとしてあたしの姿も見えてないんじゃ・・・。ちょっとこちらをしっかり見てみなさい』
そういわれて、俺はその声のする方に意識を集中してみた。すると、本堂の本尊様・・・観音様・・・が立っている下の方、あるいはその左右の空気がゆらゆらと揺れ始めたのだ。まるで陽炎が立っているようだった。そのうちにその陽炎は姿かたちになっていった。正面には艶やかな着物姿の女性が立っていたのだ。そして、その周辺には、様々な姿の人たちがいたのだった。
もんぺ姿で痩せ細った女性が数名、立派なひげを蓄えた恰幅のいいおじいさん、残バラ髪の武士風の人、ちょっとレトロな感じの若い女性が二人、昔の女子高生といった感じの女の子、そしてその横にあの少女がいた。
『この人たちは、最近この寺にやってきた人たちなんだよ。この中ではあたしが一番古いのさ。といっても、あたしがここに来たのも数か月前のこと。あたしが来たころにもいろいろな死人がいたけど、みんな順番に成仏していったんだよ』
何が何だかさっぱりわからなかった・・・・。

『うふふふ、面食らっておいでだねぇ。まあ、仕方がないさね。どこから話せばわかりいいかねぇ・・・。あぁ、そうだ。あんた、ここの寺はどんな寺か知っておいでかい?』
『ど、どんな寺って・・・、寺は寺なんじゃないかと・・・』
俺はしどろもどろだった。いや、言い訳をするわけじゃないが、この寺がどんな寺かなんてことは考えたこともない。いや、寺はどこでも寺だろう。寺にどんな違いがあるというのだ。と思っていると、俺の答えを聞いた死者の人たちからクスクスという笑い声が聞こえてきた。
『そんなことも知らずに、住職に話を聞きに来ておるのか。まったく、今どきの若いもんは・・・』
そう言ったのは、立派なひげの恰幅のいいおじいさんであった。そのおじいさんは苦笑いをしていた。
『まあまあ、この方は恵まれているから、仕方がないんじゃございません?』
『ふむ、それもそうじゃな。苦労をしておらぬからな』
その言葉に、死者の人たちは、うんうんとうなずいていたのだった。なんだか、俺一人いびられているようで居心地が悪かった。
『まあ、いいさね。あんた、わかっていないようだから、教えてあげるよ。世の中にはね、あんたみたいな死人と、あたしたちみたいな死人がいるんだよ。あたしたちみたいな死人っていうのは、あんたみたいに葬式をしてもらえてなかったり、供養もされてなかったり、いいや、生きているときから邪魔者扱いだったり、いろいろと恨みを持って死んでいったりした者・・・っていう死者たちなんだよ』
その言葉を聞いて、俺はぞくっとした。身体があったならば、背中に冷たい汗が流れた、といった感じだろう。その着物姿の女性の言葉には、妙な凄味があったのだ。
『なにビビッてんのさぁ。まあいいさね、死人にはそういう違いがあるってことをわかってくれればねぇ。ところで、このお寺なんだけど、普通の寺とは違う、それは知ってるねぇ?』
『あ、あぁ、そういうことですか。それならば・・・知ってます』
そう、先輩の寺は、一般の檀家さん相手の寺ではないのだ。いわゆる檀家寺ではない。なので、先輩は葬式も滅多にしない。俺の葬式が何年ぶりか、というくらいだろう。もちろん、檀家もない。今では、我が家が唯一の檀家になっているはずだ。普段、先輩は悩める人の相談を聞いている。あるいは、祈願を行っている。または、お祓いだ。浮かばれない死者の霊を祓っているのだ。それと、供養も頼まれてしている。
以前、こんな話を聞いた。いろいろな相談を受けていると、その内容に霊が絡んでくる場合がある。つまり、霊がその家やその人に悪影響を及ぼしていることがあるのだ。その話を聞いたときは、ふ〜ん、としか思わなかったが・・・つまりは信じていなかったのだが・・・今では、その話は納得できる。死の世界があるとわかった以上、またはいろいろな死者にあって、ここで話を聞いて、俺は死者の魂が現世の人たちに大きく影響を及ぼしているということを目の当たりにした。あぁ、そういうことか。ここにいる死者は、あの少女と同じ、何らかの事情があって、ここに連れてこられた死者なのだ。つまりは、先輩がとある家に行って、お祓いなどをし、そこにいた霊をここに連れて帰ってきた、ということなのだろう。
『やっと気が付いたかい。ぼんくらだねぇ。まあ、無理やり連れてこられた者もいるけど、自ら進んできた者もいるから、みんながみんな、同じってわけじゃあないんだけどねぇ。ま、そういうことさね。それにしても、あんた鈍いねぇ』
そういうと、その着物の女性はうふふふふ・・・と笑ったのだった。

『あのー、伺ってもいいですか?』
『何をだい?』
『その・・・あなたが、ここに来られた事情を・・・です』
『あぁ、あたしがここに来た事情ねぇ・・・。知りたいかい?。聞くところによると、あんた雑誌の記者さんだったんだよねぇ』
よく知っている。あぁ、そうか、俺と先輩の話を聞いていたんだ。俺は、本堂横の座敷・・・普段は相談者の人がその部屋に入るのだが・・・で先輩と話をしている。本堂のすぐ横だ。彼女たちには話が聞こえているのだ。
『そう、丸聞こえなんだよねぇ。聞く気はないんだけど、退屈でしょう。だからね、聞いているんだ。いい話の時もあるしねぇ』
『はぁ、そうですか・・・』
としか言いようがない。何と返事をしていいものか・・・。
『あたしはねぇ、強い恨みがあって、この世に残っちまったんだよ』
俺が受け答えに困っているのに、それにはお構いなしに、その女性は話を始めた。
『ある家の主人にね、騙されてね・・・。いいように弄ばれて、飽きたらポイッさぁ。一生、面倒見てやるっていったくせに、若い女ができたら、もうそれで終わりさ。邪魔だ、消えろ、お前にやる銭はない、どこへでも行け・・・。挙句の果てには、お前なんか知らない、お前誰だ?。言いがかりはやめてくれ、いい迷惑だ・・・。お陰であたしは警察の厄介になってね・・・今でいうストーカーかい?、それ扱いよ。2〜3日で娑婆に出られたけど、全部あの男が仕組んだことだった。あたしは行くところを失った。帰るところが無くなったんだよ。あの男があてがってくれた借家には、別の女がいたんだ。あたしが追い出されてすぐのことだ。もう何もかも厭になってね、あの男の仕事場・・・事務所なんだけど、その入り口で首つって死んでやったんだ。あの男の子孫代々、呪ってやるって誓ってね。簡単にあの男の子孫を絶やしたりはしない。子孫代々、生かさず殺さずで、ずーっと不幸な目にあわせてやるって誓ったのさ。そんな誓いをしたもんだから、あの世にも行けず・・・行く気もなかったし、葬式もしてもらったわけじゃないしね・・・この通り、幽霊さ』
『その・・・そのひどい男性の子孫は・・・』
『あぁ、不幸だねぇ。あたしを捨てた男は、世間では原因不明の病気で死んだことになっているが、あたしがとり憑いてやったんだ。生命力を少〜しずつ、いただいたんだ。もちろん、ほかにもいろいろやったよ。新しい女と寝ているときに、ぼーっと突っ立ってやったとか、その女の背中を触ってやったとか、女にとり憑き、男の首を絞めたりしたとか・・・。まあ、いろいろさぁ。ちょっと楽しかったねぇ。いけないことなんだけどね、その時はそうは思わなかった。当然の報いだと思ってたからねぇ。その男が死んで、息子が家業を継いだんだけど、うまくいかずに倒産さ。それも当り前さ。あの事務所は幽霊が出るぞ、っていう噂が流れれば、仕事なんてうまく行くわけがない。あぁ、そうそう、何度かお祓いをされたけど、あたしをあの世に送り込むような、あたしを消し去るような、そんなお祓いはされなかったねぇ。ちょっと痛めつけられた程度さ。痛かったけどねぇ、苦しかったけどねぇ、あれは・・・。あぁ、思い出しただけでムカつくわ。あのクソ行者たち、むちゃくちゃお祓いするもんだから、痛いし苦しいし・・・。しばらくは大人しくせざるを得なかった。でもねぇ、復活するんだよ。あたしの怨念はそんなことじゃあ、消えないのさ。あたしが回復をしている間に、あの男の息子は働き始め、結婚をし、子供を二人もうけた。まあ、そのあと戦争がはじまって、その息子も戦死したんだけどね。でもね、あの男の血は残った。許せないよねぇ、あたしばっかりがこんな目にあって、あの男の子孫はのうのうと暮らしているなんて、許せないよねぇ。息子の嫁は、再婚もせず、子供を育てた。そりゃあ、見上げたものだったわ。大したものよ。男に媚びず、女手一つで子育てしやがって・・・。それがまた、ムカつくのよ。どうせあたしは男にすがって生きてきた女よ。あんたとは違うわよ、あたしは落ちた女よ、最低よ、ふん、ようございましたわねぇ、立派なものよ・・・。そう思うと、腹が立ってきて、また呪っちまったんだよ。あの男の息子の嫁は、子供たちがそれぞれ、結婚し、子供を得て・・・、幸せの真っただ中にいるときに、呪い殺してやったわ。ううん、何もしてない。ちょっと背中を押しただけよ。ほんのちょっと、押しただけ。それと、びっくりさせただけ。階段の上でね。息子の嫁は階段から落ちて、打ち所が悪くてそのまま入院。しばらく寝たきり状態だったけど、苦しみながら死んだわ。さて、あの男の息子の子供たち、つまり、あの男から見れば孫にあたるんだけど、この人たちはどうなったでしょうか?』
その女は、少し楽しそうにそう聞いてきた。ちょっと不気味である。
『どうなったって・・・。えーっと、戦前生まれの人だから、今生きていれば、もうすでにお子さんもいるだろうし、孫も結構な年齢になっているくらいですよね・・・』
『そうねぇ、順調にいっていれば、ね』
『はぁ、順調にいっていれば、の話ですが・・・』
『そう、順調にいったのよ、ある意味ではね。孫たちは、結婚をし、ひ孫を設けた。その時に孫の母親・・・あの男の息子の嫁・・・が死んだ。その後、孫たちは、普通のサラリーマンになったわ。けど、出世はできない。いつもいいところで失敗ばかりするからね。運がないのさ。なんで、家庭内は、その孫たち二人とも暗かったわねぇ。貧乏ってやつ。で、その孫たちの子供も平凡でうだつの上がらない、しがないサラリーマンだったんだけど、まあ、なんとか結婚をし、子供もできた。でもねぇ、その子どもが、登校拒否でね。あぁ、子供は二人いるんだけど、一人は家庭内暴力の挙句、引きこもり。もう一人は、小学校から引きこもり。そうそう、もう一軒のほう・・・ややこしいわねぇ・・・ええっと、あの男の息子の二人の子供のうち、弟の方はもう家はないわ。絶えてしまったのよねぇ。それはあたしのせいじゃないわ。たまたま、引っ越して住んだ家が幽霊憑きの家だったのよ。呪われた家ね。まあ、呪われた一家だから、呪われた家に住むようになるよねぇ。悪霊が悪霊を呼ぶんだねぇ。そんなものさ、因縁ってものは。まあ、この場合の悪霊はあたしだけどね。あたしの影響で、霊がいる家に住むようになるのさ。で、引きこもりに登校拒否の子供たちの親が、ここに相談に来たってわけさね。あとは、あんたにも想像がつくでしょう。そう、お祓いをされて、あたしはここに連れてこられた。無理やりね』
長い長い怨念である。俺はなんと言っていいのかわからず、ちょっと間抜けな質問をしてしまった。
『抵抗しなかったんですか?』
と。そこかよ、と突っ込みを入れられそうな質問である。そこじゃないだろ、怨念の深さがすごいとか、そんなに怨念が続くものなのかとか、ほかに聞くことはあるだろう、という声が聞こえてきそうだが、俺が聞いたのは、それだった。
『したわよぉ、もちろん。あたしも頑固だから。でもね、3回もお祓いされたら、力尽きるわよぉ。それにね、あの住職、あたしのこと供養してくれる、って言ったしね。それで、まあ、そういうことなら、ここらが潮時かなぁと思ってね、ここに来たのさぁ』
というわけである。感想のいいようがない。まあ、すごい事情でして・・・。いや、その恨まれる元を作った男はどうなった?。その男は、今どこにいる?。俺は聞いてみた。
『あなたをひどい目にあわせた男はどうなったんです?。あなたに呪い殺されたのは聞きましたが、死後はどこに行ったんですか?』
『知らないわよぉ、そんなこと。・・・でも、ここの住職が言っていたわ。その男も地獄で苦しんでいるって。あの男の子孫が不幸なのは、あたしのせいと、先祖が浮かばれていないせい、なのよねぇ。まあ、元は、あの男が作ったんだけどね。だから、あたしは気に入らないんだけど、あの男の供養もここでやってもらっているのよね。会うことはないけど、あの男の戒名が読み上げられると、ムカついたわよねぇ、初めのころは。今は、もう・・・。むしろ、あたしはなんて愚かだったのか、って思えるようになったけどね』
その女はそういうと、ちょっと微笑んだような顔になった。
『ここにいれば、心が安らぐ。初めのうちは、恨みだの、怒りだのが渦巻いているが、次第にそれも消えていくのじゃ。素直にそれを認めぬ者もいるようじゃがのう』
話に割って入ってきたのは、立派なひげのおじいさんである。そのおじいさんは、そういうと、横目であの少女を見たのだった。少女は、ふん、といって、それが恥ずかしかったのか、すぐにうつむいたのだった。彼女も、ここの居心地の良さをわかっているのだ。それを素直に認めたくないだけなのだ。少女らしい、年相応のふるまいである。
『なるほど、そういうことですか。みなさん、それぞれ事情があって、ここにいるんですね』
『そういうことなのよ。でね、たまにみんなと話をするのよ。あたしはどうしてここにいるのかとか、何で連れてこられたのかとか・・・。そのうちに仲間意識が芽生えるのよねぇ・・・。あたしたち幽霊も淋しんだなって、気付かされるのよ・・・』
その着物を着た女の幽霊はしんみりとそういったのだった。


幽霊だって淋しい・・・。
その気持ちはよくわかる。肉体はないが、感情は残っているのだ。感情が残っている以上、淋しい思いはするはずだ。たとえ肉体が無くなっても、思いは残るのである。そうか、だから幽霊になることがあるのだし、子孫のことが心配になることもあるのだし、救われたいと望むこともあるのだ。死んだといっても、現実世界から消えるのは肉体だけなのである。感情や思いは、現実世界に残ってしまうこともあるのだ。
『あんたは恵まれているのさ』
着物の女性は再び話し始めた。
『葬式はしてもらっているし、あんたがいなくなって淋しいと思ってくれる人はいるし・・・。そもそも生きているとき、邪魔にされていたわけじゃない。死を惜しまれていた。あんたは幸せだったんだよ。・・・・あたしらはね、生きているときも邪魔にされたよ。死んでからも邪魔者さ。あたしの死を泣いてくれる人なんかいやしなかった。あたしが死んでからこっち、あたしのためにお経をあげてやろうなんて考えてくれる人は一人もいなかった。ちょうどいい厄介払いさ。そんな扱いされりゃあ、恨むよねぇ。あの男だって、あたしが死んでから、たとえ一回でもいい、お寺であたしのために供養をしてくれたなら、あたしゃ・・・恨まなかったんだけどねぇ』
そういうものなのか・・・・そういうものなのかもしれない。生きていても、周囲から相手にされない、忘れ去られてしまうというのは、とても淋しいことだ。それが死んでからも続くとなれば・・・。孤独とは、救いがたい不幸なのかもしれない。
『あの子なんかはね・・・』
着物の女性は、端っこでよそを向いている少女の方を見ていった。
『あの子も、忘れ去られていた口さ。あの子が亡くなってから、下の子が生まれるまでは親も悲しんだろうよ。でもね、下の子ができちまうと、親は死んだ子より生きている子を大事にするだろ。そりゃ、当然だよね。でもね、子供にすりゃあ、それは納得いかないことだよ。それまでちやほやされていたのに、ある日突然放り出されるんだからね。自分は死んでいるのだから、親からは見えないでしょ。いくらあの子が訴えても親は気付かないよぉ。だから、拗ねるし、恨むし、意地悪だってしたくなる。あの子ばかりが悪いんじゃない、親だっていけないさ』
そういうと、彼女は少女の方を見てちょっと微笑んだ。
『ここの住職はね、そのことをよくわかっている。だから、親も怒られる。供養されながら怒られるのよ』
確か、あの少女の親は亡くなっているはずである。あぁ、その親の供養もここでしているのか。先輩は、供養のお経をあげながら少女の親を叱っているわけだ。
『普通の家庭に生まれたのに、あたしなんかより境遇は良かったはずなのに、早くに亡くなったというだけで忘れ去られてしまうっていうのは・・・かえって辛いのかもねぇ、あたしなんかよりね・・・』
彼女は、しんみりとそういったのだった。そういわれた少女の方は・・・下を向いていた。わかってはいるのだろう。だけど、素直になれないだけである。
『あの子はな、きっと甘えたいのじゃろう。わしのところに来て、おじいちゃんおじいちゃんと話しかけてくる。淋しいし、甘えたいのじゃろ。まあ、わしもいい話し相手になっているがな』
立派なひげのおじいさんが、そういって微笑んだ。

この人・・・いや、幽霊なんだけど・・・たちを見ていると、ちょっと微笑ましい感じがする。初めはここに連れてこられたことが不服だったかもしれないが、しばらくすれば居心地の良さがわかり、仲間がいることがわかり、己の愚かさもわかり、自分の行くべきところもわかるのだろう。だから、自分たちの過去のことをすんなり話すこともできるのだ。いろいろな思いを残してしまったがために、この世に留まることとなり、この世の者に悪い影響を与えていた霊も、こうして救われていくのだ。
『さっきね、あんたは幸せなんだ、と言ったけど、あたしたちも今は幸せなんだよ。今はそう思える。あぁ、ここに来てよかった・・・ってね。供養してもらえる喜びを感じられるんだからねぇ。最近はさ、普通の家庭なのに、葬式もしない、戒名もないってことがあるでしょ。お金がもったいないとか・・・まあ、悪い坊さんがいて葬式代を取りすぎているからいけないんだろうけどね・・・、でもね、お金をなるべくかけなくてもいいから、葬式はした方がいいし、そのあとの供養はするべきだよね。じゃないと、死者だって淋しい思いをするんだよ。淋しくなりゃあ、この世に舞い戻っちまうさ。あの世に行けないってのは、死者にとっては・・・淋しいことさ。あの世でもこの世でも居場所がないっていうのは・・・苦しいことだよねぇ。普通の家庭に生きて、そして死んで・・・そのあとで居場所がなくなるっていうのは、つらいよねぇ』
彼女はしみじみとそういった。
『坊主が悪いんじゃよ。金取り主義の坊主がな。法外な葬式代を請求して自分たちはのうのうと暮らしておる。そんなことをしていれば、誰も坊主の言うことなぞ、信用しなくなるわい。そうなれば、葬式も意味のないもの、と理解されても仕方がなかろう。その結果が、葬式はしたくない、する必要はない・・・ということにつながるのじゃ。しかし、それは間違ったことなのじゃ。もし、葬式をしない家庭が増えたならば、現実世界は、幽霊だらけになってしまうだろう。不幸な家が増えるだろうなぁ・・・』
確かにその通りだ。葬式には、ちゃんとした意味があるし、その後の供養にも意味がある。我々死者にとっては必要なことなのだ。それをちゃんと説明しない僧侶側に問題があるし、高い葬式代にも問題があるだろう。それは、僧侶がしっかりと考えねばならないことなのである。それにしても・・・
『最近のことまでよく知っていますねぇ』
『ここにいるとな、住職のところにいろいろ相談に来る人の話を聞くことができるじゃろ。それでな、世情にも詳しくなるんじゃ』
なるほど、そういうことなのである。

『それだけじゃないわね。ここにいてわかるのは、みんな孤独なんだな、ってことさ。それと、人は我が儘で愚かな生き物だってこと。連れ合いの我が儘や勝手な行動で悩んでいる人、周囲の目が気になってビクビクしている人、思うようにならなくて悩んでいる人・・・、いろいろな人が来るけど、そういう話をきいていると、あぁ、人間って本当に愚かだなぁ、と思うわよ。死んでるあたしたちの方が気楽だねぇ、って思うこともある。生きていくのは大変なんだねぇ、とね』
いや、それはおかしいのではないか。そりゃ、そう思うかもしれないが、それにしても死んでしまったら終わりであろう。ましてや、彼女のように自殺したらそれはそれでさらに苦しいはずである。確か、俺が死んだばかりのころ、自殺者の行く先を見せられた覚えがある。あれは・・・とても恐ろしげな世界だったような・・・。と、ここで俺は気が付いた。この着物の女性、自殺しているのに、あの恐ろしい苦しそうな世界へは行かなかったのか?。
『あんたの言いたいことは、わかっているわよぉ。生きているのは大変だけど、だからと言ってそこから逃げ出しちゃあオシマイさぁ。あたしみたいに自殺したって、いいことは何もないよ。自殺した者の行先は・・・そりゃあ地獄さ。あんな苦しいことなんてないよ・・・』
彼女の言葉は重かった。
『あの、ちょっと聞いていいですか?』
『なんだい?』
『その、自殺した者が行くところって、いったいどこなんですか?。あなたは、自殺をして、そのあとこの世に留まって復讐を果たしたって、さっき言ってましたよね。でも、聞いた話によると、自殺者は地獄へ行くって・・・』
『あぁ、そうだよ。地獄さ。いわば、この世の地獄だね・・・・。自殺した者がどうなるか、教えてやろうか。一言でいえばね、どこにも行き場がない、それだけさ。どこにも行けないんだよ・・・。まあ、自殺した者の、その時の心の状態にもよるけどねぇ・・・。でも、大方は、地獄のようなつらい思いをするさ、どこにも行けずにね・・・。たとえば、あたしの場合のように特定の個人に対して恨みを抱いて自殺した者は、死んですぐにこの世に留まるようだねぇ。いくら葬式をされても、あたしの事情が分かってくれている坊さんが葬式をしたわけじゃないなら、あの世にはいけないねぇ。葬式の後、あたしによく言い聞かせながら供養してくれる坊さんに出会わなければ、ずーっとこの世に留まることになる』
『ちょっと待ってください。この世にずーっと留まるんですか?。地獄へ行くわけじゃないんですか?・・・。おかしいなぁ・・・。いや、私が死んですぐのことなんですけどね、私、ぼーっとしていたんですよ。で、死人も案外気楽だなぁって思っちゃったんですよ。こんな気楽なら、自殺した方が楽なんじゃないかってね。そしたら、妙な声が聞こえてきて、外に出ろと言われて・・・。でね、そこで恐ろしいドロドロの渦のようなものを見たんですよ。それと、恐ろしげな叫び声を聞きました。その妙な声は、自殺をするとこのような苦しみの世界でもがき苦しむんだ、と言っていたんですよ。だから、自殺は気楽じゃないって・・・』
『あんたなに聞いてるのさぁ。誰も自殺は気楽だなんていってないじゃないかぁ。バカだねぇ』
その通りである。彼女は、自殺は気楽とは一言も言っていない。この世に留まってしまった、と言ったのだ。
『あっ、いや、そうじゃなくて、そっちじゃなくて・・・、その自殺した者は、ドロドロの渦のようなものの中に入って苦しむんじゃないかと・・・。その、この世に留まるわけじゃなくて・・・』
『もう、いいわよぉ、わかったわよ。あんたが見たものは特殊なものなんじゃないのかい?。あたしには、よくわからないけどねぇ』
『それは・・・おそらく怨念の渦じゃろう。自殺者が持っている恨みや悔恨、失望、絶望といった負の感情の塊の渦じゃろう。お前さんは、それを見せられたのじゃろうなぁ・・・』
『そ、それって・・・』
『わしも詳しいことはわからんが、ほれこの方も強い恨みを抱いて自殺をしておるじゃろ。その強い恨みという感情が固まったものがあるのじゃよ』
『よくわかりませんが・・・』
『う〜ん、言葉では表現しにくいのう・・・。いいか、この方は、この世に留まったが、その感情は憎しみや恨みで煮えたぎっていただろう。で、いろいろと復讐したわけじゃ。だが、いくら復讐しても気は晴れない。気分はよくならない。むしろ・・・そうじゃのう、息苦しい感じがするんじゃ。虚しいというか・・・。身体があれば、そうこの胸のあたりが締め付けられるような気分がして、息苦しく、イライラするような、もどかしいような・・・まあ、苦しいんじゃよ。ぐわー、ギャーとか叫びだしたような気分になるんじゃ。まあ、わしも聞いた話なんでな。わしの場合は、自殺じゃないからのう。ま、ともかく、ものすごく苦しいんだそうじゃ。なぁ、お前さんもそうだったんじゃろ』
髭のおじいさんに、そう聞かれた着物の女性は
『そりゃもう、苦しかったさ。死んでいるのに死んでいない状態だからねぇ。しかも、恨みつらみで燃えたぎっているし、イライラしているし、自殺してしまったことへの後悔もあるし、何よりも、この先どうなるかという恐怖の方が強かったねぇ・・・・。そう、あれは怖かったよぉ・・・』
『そうじゃろうそうじゃろう、その恐怖心の叫び声、怒りや恨みの負の感情の渦、そうしたものが自殺した者の周りには漂っているんじゃな。で、それらは、見る人が見れば、塊となって見えるのじゃろう。お前さんは、それを見せられたんじゃあないかい。お前さんが、バカなことを言ったから・・・』
おじいさんの言葉には、妙な説得力があった。なるほど、そうかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。俺が見せられたのは、自殺者の心の恐怖の渦だったのだろう。
『わかりました。きっとそうなんでしょう。なんとなく、納得できます』
『なんとなくねぇ・・・。まあ、いいけどさぁ』
『あぁ、話の腰を折ってすみません。続きをお願いします』
そういった俺の顔をじーっと見つめて
『どこまで話したかねぇ』
と言い、大きなため息をついた。
『そうそう、あたしはね、この世に留まったんだよ。でもね、それは嬉しくことじゃなかった。死んで復讐してやると思っていたのに、自分が死んでいることに気付いたときは・・・さっきも言ったけど恐怖だったんだよ。
気付いたのは、首を吊った場所だった。よく見ると、あたしの身体が床に寝かされていてね。あんな姿は見たくなかったねぇ・・・。自分の死体に思わずゾッとしたよ。でもね、まだその時はよかったのさ。自殺した動機もわかっていたしね。あの男に復讐してやるってすぐに思ったさ。だけどね、しばらくすると、息苦しいような感じがして。そのうちに足の方から自分の姿が消え始めたんだよ』
『あっ、エネルギー切れだ!』
俺は思わず叫んでしまった。
『エネルギー切れ?。あぁ、そういう言い方もあるんだねぇ。そう、死んでいるのに自分の半分透けた身体から力が無くなっていくような、いや〜な気分になったんだよ。エネルギー切れっていうのは、うまい言い方だねぇ。あのときは焦った。怖かった。首ぃ吊った時は、そんな怖さはなかったんだけど、自分の体が少しずつ消えていくのは・・・嫌な気分だ。何度も叫んだよ。つま先が消えた時は、まああたしは幽霊なんだから足がなくて当然だろう、なんて考えていた。でも、足だけじゃなく、手の先も消え始めた時は・・・そりゃあビビったさ。どうしていいかわからなかった。焦ってうろうろすると、余計に身体が消えるのが早くなる。怖かったねぇ・・・。とにかく何か食べたくって、食べ物を探したんだけどねぇ。あたしが首つったのは事務所だろ。食べ物なんかないよねぇ。気が付いたら、あたしの遺体もなくなっていた。どこかに運ばれちまったんだねぇ・・・』
完全なエネルギー切れである。普通ならば、亡くなるとすぐに線香がたかれる。それは病院の霊安室でも、だ。昔ならば、たいていは家に遺体は家に戻るし、あるいは家で亡くなるので、すぐに線香がたかれる。事故死の場合でも、霊安室に運ばれれば、線香がたかれる。いずれにせよ、遺体は丁重に扱われるからすぐに線香がたかれるものなのだ。彼女場合は、相手の男の手前もあったのだろう、霊安室じゃなく、すぐに火葬場かどこかに運ばれたのかもしれない。いずれにせよ、線香がたかれる状態にはなかったのだろう。ひょっとしたら、放置されていたのかもしれない・・・。
『あたしは・・・もうダメだって思ったさ。このまま消えていくんだってね。あたしが首つった事務所で消えてしまうんだってね。もう、動けなかったさ。だから、ほとんど消えかかった身体で、首つった場所でじーっとしていたんだよ。そしたらね、あの男の会社の社員だかが、「縁起が悪いから線香でもたいておきましょう」とか言って、線香の束をたいたんだよ。それで、あたしは助かったのさ。だけど、それは新たな苦しみの始まりだったんだよねぇ・・・』
彼女は、遠くを見つめるような眼をしてそういったのだった。


彼女の話は続いた。
『その誰だかわからないけど、社員が焚いた線香のお陰で、あたしは蘇ったのさ。蘇ったといっても、生き返ったわけじゃない。幽霊として蘇ったのさ。そうするとさ、ホント人間って愚かな生き物でさ、消えかかっていた恐怖心は忘れてしまい、あの男への恨みで気持ちがいっぱいになるんだよ。あぁ、これで復讐ができるってね、そう思うのさ。でもね、それは同時にあんたが言うエネルギーを探し続けなきゃいけないってことにもなるんだよ。これがね、大変なのさ。あたしは死んで初めて知ったよ。肉体がないのなら栄養なんて取る必要はない、食べ物は必要はない、と思っていたんだよ。いや、誰だってそう思っているだろうさ。あたしだけじゃないね。ところが、死んでからも栄養は必要だったんだ。食べ物は・・・直接口に入れるわけじゃないけど、必要だったんだよ。これには驚いたさ。あの社員が焚いた線香のお陰で元気になったのはいいけど、あの男を探したり、どうやって復讐してやろうかって考えているうちに、また体がだるいような気がしてきた。そう。、エネルギーが切れてきたんだ。あたしはあわててたね。
仕方がないから、あたしは外に出た。すると、外から食べ物の匂いがしてきたんだよ。あたしはそこへ向かった。ホントに驚いたわよ。食堂から漂ってくる食べ物の匂いの中に入ると、とりあえず身体が元気になっていくんだよ。そうこうしているうちに、いろいろわかったことがあった。そう、あたしたちは、何かの匂いを吸って栄養を取っているんだ、てことがね、わかったんだよ。でも、そうした食べ物の匂いで魂を維持するのは、時間が限られているんだ。長時間は保てないってこともわかった。まあ、生きているときみたいに、朝昼晩と食べなきゃいけないってことはないけどね。それでも、できれば一日一回は食べ物の匂いの中に漂わないと、魂は消えてしまいそうになるんだね。なんで、死んでからもこんなに苦労しなきゃいけないのか、と思ったさ。あいつへの恨みがますます増えたね。何もかもあいつが悪いんだって・・・。自分で撒いた種なんだけどね』
彼女は、そう言って淋しそうな笑みを浮かべた。
『今は、みんな自分が悪かったと思えるけど、その時はそうは思わなかった。すべて、あいつが悪いんだと思い込んでいたさ。だから、何とか復讐をしてやろうといろいろ考えていた。その時だよ。あたしが、あいつに近づくと、あたしの方が元気になることがあるんだってことに気付いたのさ。特に、あいつの新しい若い女のそばによると、あたしは元気になるんだ。そうするとね、あいつの新しい女が、『なんだか疲れちゃった』とかいうんだよ。初めは偶然かと思った。だけど、なんども同じことを繰り返すうちに、偶然じゃないことが分かったんだよ。そうさ、あたしたち幽霊は、生きている人間から、魂を維持する栄養をとれるんだよ。あんたが言う、エネルギーを生きている人間からいただくことができるんだよ、あたしたち幽霊はね。食べ物の匂いだけじゃなかったんだよ、栄養源はね』
『そ、それって・・・』
俺は・・・生きていれば・・・ちょっと青ざめた状態だっただろう。
『あぁ、そうさ、とり憑くのさ』
そう言うと、彼女は『ふふふふ』と意地悪そうに笑ったのである。俺は、少しゾッとした。彼女の悪魔的部分が見えたような、そんな気分だった。
『何を驚いているのさ。あたしは、元々は悪い幽霊なんだよ。いわば魔物さ。今さら何を驚いているんだよぉ。ふふふふ、まあ、いいけどね。でね、あたしはあいつの女にとり憑いてやったのさ。初めはね、要領がわからなくて一緒にいるだけだった。そばにくっついているだけさ。ま、それでも栄養はもらえたからね。そのうちにね、あたしが元気になればなるほど、その女にくっつきやすいのがわかってきたんだよ。その女の心情がわかるようになってきたのさ。女はビビってた。初めは『なんだか気分がよくない、疲れる』程度だったんだけどね、そのうちに『落ち着かない、イライラする・・・。自分が自分でないような、そわそわした気分。それに・・・怖い・・・』とか言い出すようになった。そのころは、あたしはもう女にべったりとくっついていたのさ。でも、まだくっついているっていう段階だね。とり憑いてはいない。もし、その時点で力のある坊さんとか拝み屋にお祓いでもされていたら、あたしはきっと消滅していたろうね。幸い、女はお寺にも拝み屋にもいかなかったよ。天はあたしに味方した、と思ったね』
彼女の恐ろしい告白は、さらに続いた。きっと、俺の表情は、恐怖に引きつっていたに違いない。

『ここまで聞いたんだから、最後まで聞きなさいよね。引いてんじゃないわよ』
そう凄んだ彼女の顔は、本当に悪魔めいていた。その顔で、彼女は告白を続けたのだった。
『あの女が一人になると、あたしは女の周りをうろついてやったさ。女が鏡を見ればその後ろに立ってやった。女から栄養はたっぷり取ってるからね、力は十分にあったんだよ。少しくらいなら、姿を見せられるようになっていたんだよ。幽霊ってのはね、姿を見せるのに結構、力を使うんだよ。エネルギーを大量に使うんだよ。でもね、目の前にエネルギーの元がいるから、平気さ。栄養不足だと思えば、その女から栄養をいただけばいい。こんな楽しい復讐はないね。女は、日に日にやつれていったよ。目は落ち込んで、きれいな体は痩せぎすになっていった。まるで病人さ。でも、病院に行っても原因は不明。そりゃそうだよね、あたしが女の栄養を巻き上げているんだもの。それに、精神的に追い詰めているからね。その頃になって、ようやくあの男は、女をお寺に連れて行ったさ。霊験あらたかな坊さんがいるっていうお寺にね。でもね、あたしはとり憑いているわけじゃないの。一緒にいただけさ。だから、あいつらがお寺に行ったときには、あたしは女から離れていた。女の家でじっとしていたさ。その寺の坊さんは、あたしの存在は見抜けなかったようだね。ヘビだかキツネだかの霊にとり憑かれているっていわれて、何度かお祓いを受けたようだけど、無駄だね。全くの見当違いさ。その女のやつれた原因は、あたしなのにね。チャンチャラおかしいわよ。何が霊験あらたかな御坊様だ。偽物もいいところだね。ま、おかげであたしは助かったんだけどね。そのあと、本格的に女にとり憑いてやったのさ。あいつと女が寝ているときに邪魔をしてやった。最初に言ったよね、あいつの首を絞めてやったりとかしたわけよ』
『その・・・ちょっと聞いていいですか?』
『なにさ』
『あの、とり憑くと、あなたの魂と、とり憑かれた人の魂は、どうなるんですか?』
『あぁ、そのことかい?。詳しいことはわからないんだけど、あたしの場合はさ、魂同士がくっついているって感じだったねぇ。溶け合うって感じじゃないねぇ。ここにいるとさ、いろいろ話が聞けるんだけど、とり憑き方にもいろいろあるみたいでさ、完全に魂が溶け合ってしまうと、それはお祓いとかでそのとり憑いた霊を祓うことはできないんだそうだよ。魂が溶け合うってのも、よくわからないんだけど・・・えっと、和尚さんはなんて言ったかな・・・』
『融合じゃろ』
髭のおじいさんが助け舟を出した。
『あぁ、そうそう、融合だ。魂が融合してしまうと、お祓いできないとか言ってたねぇ。あたしの場合は、くっついているって感じだったねぇ。いつもあの女の魂・・・心と言ったほうがいいのかねぇ・・・それが一緒にいるってわかるんだよ。向こうはさ、よくわかっていなかったと思うんだけどね。いつも『自分が自分じゃないみたいだ』とか言ってたしね。『私ならこんなことしないのに』とか『私の好みじゃない』とかね。そりゃそうよ。その好みはあたしさ。普段、あの女がやらないようなことをしてたのは、あたしがやってたのさ。あたしが、あの女の身体を借りて、やってたことさ。これがとり憑くってことだって、そのとき自覚したね。だけど、あの女の魂も同時に存在したんだよ。つまり、女の身体一つのうちに魂が二つ入っている状態さ』
『それって、ちょっと不自然じゃあ・・・』
俺は知らず知らずのうちにつぶやいていた。
『そうさ、不自然さ。だから、なんていうか、窮屈というか、不安定というか、落ち着かないのさ。それは、女の方も同じだね。で、あの女が疲れるとあたしが前に出られる。あたしがちょっと疲れてくると、あの女の魂が支配しようとする。もともとは、あの女の身体だから、権利は向こうにある。だから、あたしが支配権を握るのに、ちょっと時間がかかったねぇ』
『支配権って・・・』
『そうさ、支配権なのさ。あの女の身体をあたしは奪ったのさ。で、女のもともとの魂を押し込んで、あたしが前面に出たのさ。でもね、あんたがさっき言ったように、これって不自然なのさ。無理があるんだね。しばらくして、女は死んだよ。無理が祟ったんだねぇ。ま、あそれはあたしが悪いんだけどね。ま、それはいいんだけど、ムカついたのはあの野郎さ。あの野郎は・・・あたしを捨てたあの野郎は・・・あの女がよほど気に入ってたのか、きちんとあの女の葬式をしやがった。あたしの時は捨てたくせに、あの女には懇ろに供養しやがったのさ・・・・。女の親に供養料だとか言って金まで渡して・・・。何なのよ、この仕打ちは!ってさ、あたしは怒り狂ったのよ。それで、今度はあの男の前に姿を現してやった』
その時のことを思い出したのか、彼女は興奮気味だった。が、すっと冷めた表情に戻ると、
『あとは、さっき言ったとおり、あの男にとり憑いて、病死させた。その後は、あの男の一家にとり憑いてやったわけさ。こうして、あたしは復讐を果たしんだけど・・・だけどね、ちっとも嬉しくはないよ。むしろ、つらかったさ』
彼女は、急にしんみりしたのだった。

『復讐を成し遂げたときは、嬉しかったさ。やった、ざまあみろ、と思ったね。でもね、すぐに虚しくなるんだ。なんていうかね、魂の真ん中あたりが苦しくなるんだよ。あたしがやっていることを別のあたしが否定しているんだよ。そんなことやって何になるんだってね。別のあたしが、あたしを憐れんで見ているんだ。でもさ、行き場がないじゃない。あたしにできることは、あの男の血筋を恨んで、恨んで・・・それでとり憑いて・・・しかないんだよ。ふと自分で気付いたね、あたしゃまるで寄生虫だってね。結局は、どこにも行くところがなくて、あの男の子孫にしがみついているんだってね。寄生虫だよ、それは。自分だけじゃ生きていけないんだよ、あたしは。復讐をするたびに、あの男の子孫を不幸にするたびに、本当は虚しさを感じていたさ。こんなことして何になるのか、何をやってるんだあたしは・・・ってね。良心ってのはさ、幽霊になっても残っているんだねぇ・・・・。でもね、とり憑いていなきゃ生きていけないんだよぉ。魂を維持できないんだ。とり憑くのをやめると・・・消えてしまうんだよ、あたしたちはね。それは・・・怖いんだ』
彼女は、そういうと、まるで泣いているような顔になり、うつむいたのだった。ふと、顔をあげると
『あぁ、もう一つ方法があるよ』
と、つらそうな顔で言った。
『もう一つ方法がある?。幽霊として生きていく別の方法ですか?』
『そう、とり憑く以外に、もう一つ方法がある。それはね、魔物になることさ』
そういうと、彼女は、ますます暗い顔になったのだった。
『ま、魔物ですか・・・』
『そう、魔物。まあ、妖怪だね。魔物や妖怪になってしまえば、そこら辺にいる弱い幽霊や獣の霊を取り込みながら、どんどん強くなっていけるからね。しかも、陰から人間を操ることも可能さ。魔物や妖怪になれば、人間に対し虚しさも、つらさも感じなくなる。良心のかけらも無くなるさ。あれは・・・恐ろしいよ。あたしは、何度も出会ったけどねぇ。あいつらだけは、避けたよ』
彼女は、そういうと、また淋しそうに笑ったのだった。

『浮かばれない霊というのは、まあ、生きている人間に寄生するしか魂を維持することはできない』
髭のおじいさんが話し始めた。
『それがたとえ復讐する相手であったとしても、親族であったとしてもじゃ。復讐相手ならば、寄生しやすかろうが、それでも良心はうずくのじゃのう。なかなか人は魔物にはなれぬよ。たとえ、恨みを晴らすためでもな。しかし、恨みがなくとも、親族に寄生しなければならぬこともあるものじゃ。それは、お前さんよりもつらいことなのじゃ』
髭のおじいさんは、そういうと長い告白をした彼女の方をじーっと見たのだった。その眼は、優しいまなざしだったが、どこか悲しみを含んでいた。
『あぁ、そうだねぇ。あたしなんかは、寄生する相手が憎たらしい相手だったからよかったけどね、恨みも何もない相手に寄生するのは・・・・つらいねぇ・・・』
『そうじゃ。つらいのじゃよ。浮かばれない霊というのは、つらいのじゃよう。いっそ、魔物になったほうが楽なのかもしれぬのう。しかし、そこまで落ちたくは・・・ないしのう・・・』
『ダメだよぉ。あたしだって魔物にだけは落ちないようにしたさ。あれには・・・あんな姿にはなりたくない』
俺は何が何だかよくわからなかった。完全に蚊帳の外である。髭のおじいさんと、着物の女性だけで納得しあっている。
『あの、その魔物にも興味があるのですが、その・・・おじいさん、恨みもない相手に寄生する・・・とり憑くってことだと思いますが、それはどういうことですか?』
『あぁ、お前さんは、うちのことは知らないんじゃな。わしがここにおるのは、こちらの女性とは全く事情が違うんじゃ。どちらかというと、そこのお嬢さんに近いかのう。もっとも、わしの立場はちょっとばかし、違うのじゃが・・・』
わかったようなわからないような、何が言いたいのか、このじいさん。
『そんな言い方したって、わからないわよぉ、この若造には。もう少し、具体的に話さないとね』
若造である。ま、確かに俺は皆さんから見たら若造だろう。だから、あえて否定はしなったし、流しておいた。が、表情には出たらしい。彼女は、俺の方を見て、微笑んでいた。きれいな幽霊である。
『おぉ、そうか、わからんよな。じゃあ、我が家の事情をお話ししようかのう。まだまだ時間はあるようだし。今日は、和尚さんは、夕方まで戻ってこないしのう』
髭のおじいさんは、立派なひげを指で何度も撫でたのだった。


『わしの場合は、ちょっと特殊・・・なんじゃろうなぁ・・・うん、事情が複雑なんじゃ。そもそも、わしには子供はいない。なので、わしとわしの女房、それから先祖の供養は、寺に頼んである。まあ、真面目でいい住職なので、しっかりと供養をしてくれる。あぁ、そうそう、わしはこんな都会の人間ではない。山陰地方の田舎者じゃ。わしは教師をしておってな、田舎の中学の校長も務めていた。わしには、若いころとても世話になった友人の家があった。その友人の父親にずいぶん面倒を見てもらったんじゃ。わしの親はわしが幼いころに亡くなっておっての、親戚もなく・・・それで友人宅にお世話になったのじゃ。まあ、その友人の家は事業で成功して裕福だったからのう・・・、わしは大学まで出させてもらった。友人も、父親の跡を継ぐべく、大学で経済を学んでいた。大学を卒業後、わしは教師に、友人は父親の会社に入った。しばらくして、わしも友人も結婚をした。わしのところには子供はできなかったが、友人のところには息子が一人できた。わしも友人の子を我が子のようにかわいがったものじゃ。
それから十年ほどは、何事もなく平和そのもじゃった。が、しばらくして友人の父親の会社が倒産したのじゃ。ショックで友人の父親は寝込み、母親は間もなく病死した。友人一家は、大きな家に住んでいたのだが、ぼろぼろの借家に引っ越した。その後、友人の嫁が寝たきりの父親の面倒見ていたが、貧困と過労で突然倒れ帰らぬ人となった。父親は責任を感じ、友人が仕事に出ている間に、その借家から這いずって・・・近くの畑で死んでいた。それを見つけた友人は・・・自殺してしまった。残ったのは、友人の子供だけだった。わしは、その子を引き取り育てた。
その子は、成長して都会に出て行ってしまった。まあ、それもよかろうと、わしは見送ったものじゃ。何かあったら戻ってこい・・・とな。が、戻ることはなく、都会で家庭を持った。ささやかだが、結婚式もした。もちろん、わしも出席した。しばらくして子供ができた。それでようやくわしの役目も終わったと思った。これで恩が返せたとな。やれやれと思ったら、わしの女房が亡くなった。わしは、もうこれ以上友人の家系に世話になることはできないと思い、知り合いの住職に永代供養を頼んだ。
そうそう、わしの友人一家の葬式は、わしが出したし、その後の供養も我が家で続けた。仏壇も買って、友人一家の先祖供養を我が家でしておったのじゃ。もちろん、わしの家にもわしの家の仏壇があった。一つの家に二つの仏壇を並べるのはよくないと思ったのじゃが、そうも言ってられんしのう。まあ、友人の息子が独立して、都会に出た時、その仏壇も渡したがな。
わしは亡くなって・・・あの世があんなふうになっておるとは思いもよらなかったがな・・・天界に生まれ変わることができた。幸い、永代供養を頼んでおいた住職がしっかり供養をしてくれるので、天界を落ちるようなことはなかった・・・のじゃがのう。困ったことが起こったんじゃ。
友人の息子一家は、子供も二人・・・女の子と男の子・・・をもうけて、幸せに暮らしておったのじゃが、上の女の子がのう・・・、様子がおかしくなったのじゃ。引きこもりになってしまってのう・・・。わしは天界から友人の息子一家の様子を見ていたのじゃが、どうも彼らは引きこもりの娘に対し、もてあまし状態じゃった。これはちょっと手助けしなきゃいけないかと思って、よ〜っくその娘を見たら、なんと友人と友人の女房・父親・母親たちがその娘さんにしがみついておるではないか。わしはあわてて、その娘のところに向かった。この時ほど天界に生まれ変わっていたことをありがたいと思ったことはない。わしはすぐに友人たちに、お前さんの言うところのエネルギーを与えたのじゃ。彼らは、供養が足りなかったのじゃろう、もう消えそうなくらいの状態じゃった。仕方がなく、その娘さんにしがみついてエネルギーをもらっていたのじゃ。そのせいで娘さんは、引きこもり状態になっておったのだな。
しかし、娘さんの引きこもり状態はよくならなかった。娘さんの魂のエネルギー、わしのエネルギー、その両方を合わせても、友人たち一家の魂を正常な状態に戻すことはできなかったのじゃ。わしは困り果てていた。このままでは、わしの本体の方までいかれてしまう・・・。すなわち、天界での寿命を終え、天界を落ちることになるのじゃ。そこで、なぜ、こんな状態になってしまったのか、考えてみた。友人の息子が田舎にいた時は、こんなことはなかったはずじゃ。都会に出てから・・・いや、結婚して子供ができてからじゃ、おかしくなったのは。となれば、結婚相手が悪かったのか・・・と疑ったのじゃが、それは間違いであった。娘にしがみついておるのは、友人一家じゃ。友人の息子の嫁関係ではない。友人一家に何かがあったのじゃ。いったい何があったのか・・・。
わしは、できるだけエネルギーを友人の魂に与え、彼に尋ねてみた。いったい何があったのか、と』
髭の老人は、そこで一息入れた。魂の状態でも、一気に話し続けると、疲れが出るのだ。幸い、ここは寺であるから、すぐに回復はできる。が、生きているときの習慣からか、長く話していると一息入れたくなるものなのだ。生きていた時の習慣は、恐ろしいもので、死んでからも残っているのである。
俺は、
『何があったのですか』
と、決まり通りの合いの手を入れた。

『悲しいことに、友人一家は苦しみの世界に行っておったのじゃ。友人の母親は失意のうちに病死した。未練や恨みつらみを残したままな。そうなれば、いい世界に生まれ変わることはできない。まあ、亡くなった時にお世話になった住職は、とても丁寧に葬式をし、供養をしてくれていたから、なんとか苦しみの世界で耐えることができていたそうじゃ。友人の嫁も父親も、同じじゃ。嫁も恨みしか残していない。残していく自分の子供への未練もある。父親は野垂れ死に同然じゃ。後悔と失意のうちに死んでいった。いいところへ行けるはずがない。友人は自殺じゃ。これもいいところへ行けるわけがない。しかし、彼らの葬儀をしてくれた住職は、力のある方じゃった。葬式も丁寧にしてくれたし、供養もちゃんとしてくれていた。だから、友人の息子が田舎にいた時は、友人一家にも苦しみの世界に耐えうるだけのエネルギーは廻っていたのじゃ』
『というと、その息子さんが、都会に出たのがいけなかったのですね?』
『あぁ、そうなのじゃ。彼には、都会に出ても、親の供養は怠るなよ、と言って注意はしていたのじゃが・・・・。そういうこともあって、仏壇を渡したのじゃが、それがよくなかったのかもしれん。都会じゃあ、なかなか供養してくれる寺がなかったのじゃろう。すっかりエネルギー切れになっていたのじゃ』
『あぁ、こっちの方に来て、いい寺が見つからず、その息子さんの両親やご先祖は、苦しみの世界で耐えられるだけのエネルギーを失ってしまったのですね』
『そういうことじゃ。それでも、しばらくは、辛抱していたらしい。息子に迷惑はかけられんとな。ただでさえ、祖父は野垂れ死に、父親は自殺、祖母・母親は過労死じゃ。これ以上、息子の足を引っ張るわけにもいかないと、辛抱しておったのじゃ。しかしのう・・・』
『耐え切れなくなった』
『そうじゃ。もともと、友人一家は、無信心な一家じゃった。友人の父親は、わしを引き取って育ててくれたほどの人物であったから、信心深いかと思っておったのじゃが、実は偽善者じゃった。どうやら不幸な子供・・・わしのことじゃな・・・を引き取って育てるということが、友人の父親の会社のいい宣伝になったらしい。友人の父親は、金のためなら何でもするというタイプだったようじゃの。自分の息子の友達が不幸な目にあった、孤児になった、ならば引き取って育ててあげるのが、名士というものだ・・・・。まあ、そういうことじゃったのだろう。今思えば、友人の父親は先祖供養などということはしていなかったようじゃ。坊さんが来たという記憶がない。まあ、わしの家もそうだったようじゃから、人のことは言えないのじゃがのう。先祖を大事にしないから、わしの家も、友人の家も、不幸なことが続いたのじゃな。
わしは、教師になって、結婚してから、先祖を大切にすることを教えられたのじゃ。嫁の実家がたいそう信心深い家でな、そりゃあ今でも栄えているよ、その家は。やはり先祖を大事にする家は、栄えるものじゃのう・・・。ま、そのおかげで、わしも自分の親の供養を・・・と思い、仏壇を買い、近所の知り合いの住職に供養を頼んだのじゃ。で、友人一家が悲惨な目にあった時も、その住職に葬式と供養を頼んだのじゃな。だが・・・』
『ご友人の息子さんは、そこまでの信心はなかった・・・』
『そういうことじゃ。まあ、時代も場所も悪かったのじゃろう。それが運命と言ってしまえば、それまでかもしれんが』
『そんな運命ないわよぉ。ここの住職さんがいってるじゃない。それは防ぐことができたことだ、って。ならば、それは運命じゃないわよ』
着物の彼女が、割って入ってきた。髭の老人の弱気さが気になったのだろう。そう、老人は、話している途中から、元気がなくなってきているのだ。それは、エネルギー切れのせいではない。ここは寺なのだから、それはないのだ。きっと、老人は、後悔しているのだろう。友達の息子を都会へ行かせてしまったことを。なぜ、あのとき引き止めなかったのか、と後悔しているのだろう。

『運命・・・じゃないのだろうな。あんたが言うように。わしが、止めるべきだったんだ。都会なんぞに行かせなきゃよかったのじゃ』
『それも違うわよぉ。おじいさんのせいじゃないわ。誰のせいでもない。気が付かなかったってだけさ。あえて言うなら、世間一般・・・いや、都会の坊さんのせいさ。先祖供養をおろそかにする習慣を根付かせたのは、都会の坊さんさ。それがいけないんだよぉ』
『そう・・・なのかもしれんな。まあ、いずれにせよ、友人一家の魂は、誰もかれもエネルギー切れになっていて、結局は子孫にしがみつくしかなかったのじゃ』
『なるほど・・・そういうことだったのですか。で、どうしておじいさんはここに来たのですか?』
『あぁ、そうじゃったのう。肝心なことを言い忘れておった。わしは、友人一家の消えかけていた魂にできる限りエネルギーを与え、いろいろ事情を聴いた。で、彼らがそれぞれ苦しみの世界で喘いでいることを知った。その世界から救うには、とてもわし一人の力では無理だということも知った。そこで、わしがいた天界・・・三十三天の中の一つの天界なのだが・・・そこの賢者に相談をしたのじゃ』
『賢者?、そんな方がいるのですか?』
『あぁ、わしがいた世界には、賢者の方が6人いたのう。まあ、三十三天といっても、そのうちの最下位の小さな国だからな。わしは、その小さな国の中の小さな村に生まれ変わっていたのじゃよ。小さな国の中に村は6つあって、それぞれに賢者がいるのじゃ。その6つの村を管理しているのが、大賢者様じゃ。といっても、最下位の国じゃ。大したことはない。三十三天は、広いからのう。わしの国の上に、まだ三十二か国もある』
『それでも天界には違いない・・・』
『そうじゃ。だから、神通力はある程度使える。もっとも、わしが使えるのは、こっちの現実世界を見る、場合によっては助ける・・・いわば守護霊になれるという神通力じゃがな。それ以上は、使えない。それどころか、友人一家を救うためにわしのエネルギーもほぼ使い果たした状態じゃ。神通力の修行などできたものではない。天界でのわし本体は、今は寝たきり老人状態じゃな。ま、ここにいるおかげで少しは回復したが・・・。
そうなのじゃ、わしは限界を感じた。このままでは、友人一家の魂を救うどころか、こっちまで引き摺り込まれてしまう。このままでは共倒れじゃ。どうにかせんと・・・と賢者様に相談したのじゃ。そしたら、賢者様がこっちの世界をじーっと見てじゃな、ここを頼るように仕向けなさい、といったのじゃ』
老人は、「ここを」と言った時に、人差し指で下を指していた。つまりは、先輩を頼れ、と言ったということだ。
『はぁ、すると、近くに頼れそうな寺は、ここしかなかったわけですね』
『そういうことじゃな。わしは、賢者様の指示通り、友人の息子に働きかけた。なんとか、この寺に相談に来るように、いろいろと働きかけたのじゃ。その間、友人一家へのエネルギーは途絶えててしまったのじゃが・・・。まあ、わしの力では、それくらいが限度なのじゃ。もう少し、上の天界ならば、もっとエネルギーの活用もうまくできるのかも知れないが・・・』
なるほど、そういうこともあって、この老人、元気がないんだ。つまり、自分の不甲斐なさが嫌なのだろう。自分を責めているのである。

『いいじゃない、なんだかんだ言っても、ここに来られたのだから。間に合ったんでしょ?』
着物の彼女の言葉に、老人はやや微笑んだ。
『あぁ、間に合ったよ。友人の息子の娘は、大ごとにならずに助かった。ここで友人一家の供養と、ついでにわしの供養をしてくれるようになって、娘さんは明るくなった。まだ、学校へ行くまではいかないが、少し外に出られるようになった。これから徐々に変わっていくだろう。まあ、そういうことで、わしはここで休憩させてもらっているのじゃよ。彷徨っているわけではないのじゃ』
『そうだったのですか。じゃあ、他の皆さんと違って、その姿は・・・』
『分身じゃ。本体は、天界で休んでいる』
『あたしたちとは違うのさ。あたしたちは、本体さ。分身なんかじゃない。正真正銘の幽霊さ。でも、このおじいさんは・・・分身が疲れ切ってしまったわけさね。分身が疲れ切ってしまうと、本体もダメなんだねぇ。そういう仕組みなんだってことも、ここにきて初めて知ったよ、あたしは』
その時、俺はふと疑問に思ったことが出てきた。俺は、素直にそれを口にした。
『そうだったのですか。ところで、おじいさんのご友人一家の魂は、ここには来ていないのですか?。ここで供養をされているのでしょ?。なぜ、ここにいないのですか?』
俺がそう問うと、髭の立派な老人と着物の彼女は、顔を見合わせたのだった。

つづく。


バックナンバー(二十七、143話〜)


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