仏様神様、よもやばなし

ばっくなんばぁ〜3

第八話 不動明王の話@
今回より、仏教らしい内容になります。私としては、ドラゴンボール路線も好きなのですが、脱線し過ぎもよくないようなので、最近リクエストが多かった「不動明王」についてのウンチクをあれこれお話することになりました。
不動明王・・・皆さんよくご存じの仏様ですね。恐ろしい顔、鋭い目、怒りに満ちた表情、口の端からちらっとのぞく牙、筋肉隆々のボディ、右手に如何にも切れそうな両刃の剣を持ち、左手にロープを持つ。岩場に座っていたり、立っている姿で、背中には大きな炎が・・・・・。よくご存じの不動明王のお姿ですね。その不動明王について、ちょっと詳しくお話していきます。

不動明王、実は、インドや中国では日本ほど人気は出ませんでした。どうも不動明王人気は日本だけのようですね。ですが、日本で独自に生まれた仏様ではありません。生まれは、もちろんインドです。
インドでの名前を「アチャラノウタ」といいます。音写した場合は「阿遮羅曩他(あしゃらのうた)」となります。訳しますと「不動威怒明王」となるそうです。
もともとは、インドのシヴァ神の異名だったそうです。それが仏教にとりいれられ(仏教はしばしば、インドの古代宗教の神やヒンドゥー教の神々を取り入れて仏教の神としてしまいます。仏教は貪欲なのです)、大日如来の分身として祀られるようになりました。
ところで、明王という存在ですが、その位置は、ちょっと微妙なのです。菩薩ではありません。もちろん如来でもありません。明王は、別枠なんですね。

ちょっとここで、仏教における格付けをお話ししておきましょう。
最も上、最上位は如来です。その中でも大日如来が最高最上ですね。あとは、位はありません。如来、という大きなくくりですね。如来とは、完全なる悟り・・・無上等正覚、あのくたらさんみゃくさんぼだい・・・を得た方、仏陀を意味します。代表的な如来は、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来・・・・などなどですね。まあ、「如来」とか「・・・仏」が付いた仏様と思っていただければ結構です。
その下が菩薩です。菩薩は、「本当は如来になれるのですが、如来になると直接人々を救うことができなくなる」ので、あえて菩薩にとどまっている仏様です。ただし、これは、一般的な菩薩の定義ですね。広い意味での菩薩は、後ほど述べます。
如来は、完全なる悟りを得ていますので、衆生がどうなろうと、憂うことはしますが、それは自然の流れとして受け止め、衆生を直截的に救うことはしません。まあ、ほとんど瞑想をして法を説いている・・・のが如来の働きですな。
で、すべての菩薩が如来になってしまうと、誰も衆生を救うものがいなくなってしまいます。人々の「助けて欲しい」という願いを叶えてくれる方、聞き届けてくれる方はいなくなってしまうのです。それでは、ダメですよね。我々を救ってくれての仏教なのですからね。救ってくれないなんて、それは仏教じゃないです。宗教ですらないですな。宗教には救いが付きものですからね。
というわけで、本当は如来の座につけるのですが、あえて人々を救う、人々だけじゃなくすべての魂を救うために菩薩は菩薩であり続けるのです。そういう存在が菩薩ですね。なので、如来の下、上から二番目の位置になるのです。
ちなみに、広い意味での菩薩は、ちょっと異なります。菩薩は生きとし生きる者を救う働きをしています。ですから、他者を救うという行為をする者は、広い意味での菩薩ですね。電車で席を替わってあげた、重い荷物を持ってあげた、体が不自由な人のために手を貸してあげた、ボランティア活動に参加した・・・・・こういった人々は、皆菩薩です。あぁ、そうそう、募金箱に、たとえ1円でも入れたならば、その瞬間は菩薩です。瞬間ですけどね。でも、菩薩になっているんですよ。普段、どんな悪い生活をしていようとも・・・・。ま、その瞬間は、菩薩なのですよ。ただし、これはあくまでも広い意味での菩薩です。本来の菩薩とは別、ですね。
で、本来の菩薩は上から2番目となります。

上から3番目は、実は神様ではありません。神はもう少し下ですね。3番目は、「縁覚(えんがく)」呼ばれる人たちです。
縁覚・・・独覚(どくかく)とも呼ばれます。どういう人なのかと申しますと、彼らは一人で修行し、一人で悟りを得た人たちのことなのです。で、その悟った内容を人々に説くことをせず、人里離れた山奥などでひっそりと生活している人たちを言います。いわば、仙人のような存在ですね(仙人は欲望が残っていますが、縁覚は欲をすべて制圧しています)。
悟っているんだけど、人々を救おうとはしないから菩薩ではありません。悟ったといっても、完全なる悟りではないので如来でもありません。しかし、一応は悟っているので、輪廻からは解脱しています。もう生まれ変わらない存在ですね。なので、3番目の位置なのですよ。
続いて上から4番目は、声聞(しょうもん)と言われる人々です。声聞とは、「如来の教え・菩薩の教えを聞いて悟りを得た者」という意味です。声とは、如来の教えのことですね。どういった者がこれにあたるのかといいますと、出家者です。お坊さんですな。
ただし、お坊さんすべてではないですよ。お坊さんの中で悟った者が、声聞にあたるのです。悟ってないお坊さんは、ただの坊さんですな。悟ってないどころか、脱税をしたり、贅沢三昧をしたり、夜遊びばかりしている坊さんは声聞には到底入れてもらえず、悪たれ坊主に入りますな。
坊さんでも、仏様の教えを聞き、学び、考え、一生懸命修行して悟りを得た者は、声聞の仲間入りです。で、一応、輪廻を解脱しますので、上から4番目の位置にいるのですよ。

さて、うえから5番目。これより下が輪廻の世界です。解脱者ではないということですね。寿命が終わると、どこかへ必ず生まれ変わる者たちです。
上から5番目は神々ですな。「え〜、神様が上から5番目ぇ?」と思うでしょう。しかし、そうなんですよ。なぜなら、神々は、欲があるからです。欲にこだわりがあるからです。まだまだ、欲望がいっぱいあるからです。神様は我が儘です。本当に我が儘です(その我が儘な話はいずれここでしようと思います)。なので、輪廻を解脱できないんですね。もし、神様の中で、一生懸命修行し、仏様の話をしっかり聞いて悟りを得たならば、声聞に昇格ですな。で、その状態で人々を救うことをすれば、菩薩に昇格です。二段階昇級ですな。でも、たいていは、神様は、人々を救うことはするけど、人々を蹴落とすこともします。つまり、救うこともしますが、バチもあてる、呪ったりもする、八つ当たりもする、嫌ったりもする、ということですな。そこに情を挟み込むのですよ。なので、悟りを得ていない、と判断されるのです。悟りを得ていない者は、輪廻からは外れません。とはいえ、他の輪廻する者たちに比較すれば、神通力は使えるし、裕福であります。快適な生活を送っていますな。なので、上から5番目、輪廻する6つの世界では最上位、となるのです。
で、その下は人間。そして、修羅の住人、畜生、餓鬼、地獄の住民と続いています。全部で10のランク付けがあります。

気が付いた方があると思います。そう、明王が入っていないんですね。明王はランク外なのです。ということは、いったいどういう存在?、と思うでしょう。
先に、「不動明王は大日如来の分身として祀られた」と書きました。そうなのですよ、明王は、「如来の分身」なのです。
大日如来が、瞑想をしていまして衆生に対する「慈悲の三昧」(慈悲の境地)に至った時、衆生の中には菩薩では救済できない者がいることを察知します。まあ、簡単に言えば、菩薩の優しい姿や態度では話を聞かない連中がいる、ということですな。そう、いますよね、優しい顔をしていればつけ上がってくるお調子者のおバカさんや、他人の注意やアドバイス、忠告にち〜っとも耳を貸さないで、悪いことばかりしている愚か者って、あなたの周りにもいるんじゃないでしょうか。こういう愚か者は、菩薩では救い難い・・・と大日如来は瞑想中に察知したわけです。大昔の話ですよ。
「むう・・・釈迦如来の浄土である地球は、いやはや宇宙で最も救い難い人種になっているな。これでは、釈迦如来も苦労するだろう」
と大日如来は言って(言ったかどうかは定かではありませんが・・・)、応援部隊の菩薩を各浄土から派遣しますな。釈迦如来の浄土である地球・・・娑婆世界といいますな・・・には、専属の菩薩はお地蔵さん、文殊さん、普賢さんくらいで、手が回らないんですね。地球の衆生が愚か過ぎて。で、他の浄土から様々な菩薩が派遣されます。菩薩どころか、如来まで派遣されてきます。だから、地球の仏教には、多くの如来や菩薩が存在しているのですよ。お釈迦様、如来の中で貧乏くじを引いたわけですな。他の如来は、もうすでに愚か者なぞ一人もいない仏国土になっているのに、地球だけがダメなんですねぇ。
で、その救い難い衆生の中には、菩薩じゃあダメなヤツもいたのですよ。で、大日如来がつぶやきます。
「むう、菩薩じゃあダメだな、あれは。仕方がない。わしの分身を送ってやろう」
そういって、大日如来、分身を生みますな。ピッコロ大魔王のようですな(すみませんねぇ・・・)。そうして生まれた分身が不動明王なのですよ。大日如来、言いますな。
「お前の名前は不動明王だ。よいか、憤怒の姿で菩薩では救い難い、超愚か者を救ってくるのだ。お前はわしの分身だ。だから、わしの奴隷となって働け!」
こうして、不動明王が誕生したのです。他の明王とつく仏様も同じです。他の如来も大日如来に習って、分身を生みだしますな。で、地球に派遣するんです。主だった明王は5人。不動明王をリーダーとして、降三世明王(ごうざんぜみょうおう、アシュク如来の分身)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう、宝生如来・・・ほうしょうにょらい・・・の分身)、大威徳明王(だいいとくみょうおう、阿弥陀如来の分身)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう、不空成就如来・・・ふくうじょうじゅにょらい、釈迦如来と同じ・・・の分身)の明王が、地球にやってきたわけです。スーパーエージェント、ですな。あるいは、「明王戦隊、憤怒尊ジャー」ですな。
(不動明王、五大明王については「仏像がわかる バックナンバー4」を参照ください)

この明王、如来の教令輪身(きょうりょうりんじん)といいます。如来の命令に従って、教えを輪のごとく巡らす身・・・という意味ですな。如来の命令に従っているので、如来に絶対服従、如来の奴隷として働く、という誓いをたてております。それは、明王の姿にも表現されています。
今でこそ、明王が身につけている衣には絵柄が付いていますが、本来は無地だったり、汚い衣だったりします。なぜなら、不動明王の姿は、当時のインドの奴隷の姿をしているからです。
当時のインドでは、辮髪(べんぱつ。後ろの髪で三つ編みを一つして片方に垂らす)は、奴隷の象徴でした。上半身裸で、腰から下だけの衣もそうですね。不動明王は、当時のインドの奴隷の姿を模しているのです。それは、大日如来に絶対服従する、ということを表しているのですな。
と、同時に、この姿は、不動明王を信仰する者、不動明王を拝む行者・坊さんにも、絶対服従する、という意味を表しています。つまり、不動明王は、不動明王を信仰する者の奴隷となって働くよ、と宣言しているんですな。
「そんな畏れ多いことで・・・」
と思うのが正しい考え方。
「あぁ、そうなの。じゃあ、働いてもらおうか」
と思うものは、愚か者で、不動明王から手痛いバツを受けますな。
つまり、不動明王を心から信仰する者は、不動明王を奴隷などと思わないからこそ、その人のために不動明王は力を貸すのですな。不動明王をハナから奴隷・・・などと心得る者は、本当の信仰を持っていない者ですね。だから、そういう者の力にはなってくれないわけです。そういうものでしょ。

真言宗は、先ほども書きましたように、明王は不動明王を中心に五大明王となっています。が、天台宗で五大明王というと、色分けされた不動明王となりますな。
青、赤、黄、白、黒の不動明王ですな。特に目の色を分けるようです。目青、目赤、目黄、目白、目黒ですな。江戸城ができました時に、天海僧正は、この五大明王を江戸城の周りの配置して、江戸城守護としますな。その名残りが東京の「目白」、「目黒」ですな。他の色の明王は移転したか、廃寺になったかは知りません(東京都立川あたりに目黄不動のお寺があります。きっと、他の明王は移転などをしたのでしょう)。
真言宗と天台宗は、同じ密教でも異なることが多いんですね。真言宗では、黄不動や赤不動の掛け軸などを祀ることはありますが、色分けされた不動明王を祀ることはほとんどないですねぇ。まあ、ほとんどの場合、明王と言えば不動明王ですからね。他の明王を単体で祀ること自体、大変少ないですな。あるとすれば、愛染明王と馬頭観音でしょうか。
愛染明王は、愛欲や欲望を清浄なる心に高める明王ですな。商売繁盛や恋愛成就などの信仰を集めております。うちの寺の愛染さんも、恋愛成就・夫婦円満・人間関係円満の明王として信仰されてます(今年も10月体育の日に愛染さんの法会をしますよ。独身の男女の皆さんは、恋愛成就・結婚成就を、御夫婦の方は夫婦円満を、恋愛中の方は交際円満を、人間関係で悩んでいる方は人間関係円満を、それぞれ祈ってください)。
馬頭観音は、観音・・・と名前についていて明王とは言わないのですが、一応、明王の部類ですな。憤怒尊ですからね。で、馬頭観音は、如来の化身ではなく、観音様の化身になります。ちょっと特殊ですね。例外の明王、ですな。なので、明王と名前につけないで、区別したのかもしれません。馬頭観音は、昔から馬飼い・馬喰う、競馬など馬を扱う方たちに信仰があります。競馬場の近くには、馬頭観音を祀ったお堂があります。競馬好きの方は、よく御存知だと思います。
そのほか、変った明王と言えば、孔雀明王でしょう。クジャクに乗ったその姿は、大変美しいですな。高野山の国宝・孔雀明王像は有名ですな。レプリカの孔雀明王像が売ってますが、なかなかいいですな。高いですが・・・。
この孔雀明王、憤怒の姿をしておりません。ちょっとおすまし顔をしております。見ようによっては、つめた〜い感じがしますな。しかし、よくよく見ておりますと、案外優しいお顔だったりします。でも、怖いんですよ、内容はね。
クジャクは毒蛇を食らうということから生まれた孔雀明王。人間の毒・・・心の毒・・・を食らうんですな。なので、昔は、よく降伏(ごうぶく)・・・一種の呪いですな・・・のために拝まれたりもしました。あるいは、雨に関することで祀られもしました。雨ごいや雨を止める法ですな。毒龍を食らうのも孔雀明王の仕事なのですよ。綺麗な顔をして、なかなかヤバン?な面を持っております。

さてさて、不動明王から話がそれてしまいました。次回は、話を戻しまして、不動明王の祈願などについてお話いたしましょう。


第八話 不動明王の話A
不動明王にご祈願する・・・・といえば、真っ先に浮かんでくるのが「護摩(ごま)」ではないでしょうか。護摩祈祷とか護摩祈願とかいわれますね。有名な成田山のように、お不動さんを本尊としている大きなお寺さんは、毎日護摩を焚いております。一般の真言宗寺院でも、月に一回は護摩を焚いています。まあ、護摩を焚かない寺もありますが、それは少数派でしょう。
と、護摩護摩と書いていますが、護摩のことを先に説明しておいた方がいいですね。御存知ない方も多いし、妙な誤解をされている方もいらっしゃるでしょうから。

護摩(ごま)とは、密教の究極的祈願法といっても過言ではないでしょう。多くの場合、その御本尊は不動明王が務めますが、どの仏様が本尊になっても、護摩法はあります。わかりにくいですね。たとえば、観音護摩とか薬師如来護摩とか・・・。つまり、本尊様は明王系でなくても護摩法は存在しています。
密教の供養法、祈願法・・・いわゆる行法(ぎょうぼう)・・・には、十八道(じゅうはちどう)・金剛界・胎蔵界とあり、最終的には護摩法があります。金剛界や胎蔵界のかわりに、本尊法や理趣法という行法もあります。私たち真言僧は、自分のための修行には、本尊法や理趣法を行います。うちの場合は、本尊法は観音法ですね。理趣法は、理趣三昧という法会のときも行います。ま、これも真言密教の奥義ではありますな。
個人的に祈願を頼まれた時は、まあ、多くの場合は、通常の祈願法を行います。これは各寺院によって口伝もありますでしょうから、作法は異なる場合が多いですね。で、祈願の法会となると、多くは護摩法会ですね。うちの寺も毎月17日に護摩法会を行っています。

護摩とは、サンスクリットの「ホーマ」を音写した言葉です。本来の意味は単に「焼く」なんだそうですが、やがて「火祭祈願法」と訳されるようになりました。
護摩というのは、簡単に説明すれば、火を焚いて神や諸仏諸菩薩に供物をささげ、願い事を叶えてもらう・・・という祈願法です。ま、ちょっと乱暴な説明ですが・・・。
護摩の起源は、古いです。仏教誕生よりも古いです。そもそもは、古代インドの宗教の儀式でした。ゾロアスター教などは有名ですね。お釈迦様が誕生された頃、すでに火を祀る宗教は盛んに行われてきました。お釈迦様に帰依したカッサパ三兄弟などは、火祭り教の大御所でした。
仏教は本来、こうした儀式を否定します。火を祀って祈願をしても、悟りとは全く関係ないし、そんなことをしても悟りを得られる事はないからです。仏教は、悟りを得ることを目的としています。ですから、祈願などする必要もないのですね。ですから、仏教の本来的な教えからすれば、我々が護摩を焚くことは、禁止されていることなのです。が、しかし、本来の仏教の教えだけでは、人々を救えないのも、また事実なんですな。本来の仏教で救おうと思えば、無理やり出家させなければなりません。それはまたやってはいけないことでしょう。それに、人々は悟りを得ることなど、本心では望んでいないのですね。人々が望んでいるのは、「安心して暮らしていける心」、「不安のない人生」なのです。まあ、悟りを得られれば、当然ながら不安などなくなるのですが、それは同時に普通の生活を捨てることにもなります。それじゃあ、困るわけですな。人間は欲が深いのです。
「今の生活を捨てずして、不安なく過ごせる人生」
人々が欲するものは、これなんですよ。
そうした人々の要求にこたえられるのは、実は初期の仏教ではありません。初期の仏教でも応えられますが、それでは物足りない・・・と人々は感じるのです。だから、大乗仏教がおこるのですね。大乗仏教は、人々のニーズに応えようとして、必然的に生まれた仏教なのです。
ところが、人々はそれでも飽き足らないんですよ。で、昔からあるホーマという火を祀る宗教に頼るんですな。多くの人々が、大乗仏教に精神的な面を頼りつつも、実生活の面では火の神や火の儀式に頼っている状態だったのです。
仏教も貪欲です。人々のニーズに応えようとして、どんどん吸収合併し成長をしていきます。それは、仏教の精神の中に
「人々を救うためならば、あらゆる手段を使ってもよい。自らを犠牲にしてもよい」
という教えが流れているからなんですな。で、仏教は、自らを犠牲にし、火の儀式を取り入れるのです。それが護摩法なんですね。もっと簡単に言えば、
「どうせ人々は火の儀式に行ってしまう。ならば、こちらもその儀式を取り入れ、もっと高尚で悟りを得られるくらいの儀式に昇華させてしまおうではないか。同じ火の儀式でも、向こうは単なる願い事を叶えるためだけの儀式、こちらは願いを叶えることはもちろん、そのさらに奥の教えがあるんだぞ、というところを見せようではないか」
というわけですな。で、護摩法が成立したのです。

よく、密教はお釈迦様が禁止した儀式を行うから仏教ではない・・・とおっしゃる方がいますが、これは仏教を知らない方がおっしゃる言葉ですね。仏教は、人々を救うために、自らの信念や理想を曲げてまで、つまり自己犠牲まで払って、民間で行われている儀式から他宗派の儀式までとりいれて、仏教化してしまうのですよ。それほど、大きな視野で物事を考えているんですね。で、そうして発展していった究極の姿が、密教なのです。なので、密教は仏教ではない云々の批判は、的外れもいいところ、なんですね。

さて、こうして仏教にとりいれられた火祭りの儀式は、仏教的裏付けが加味され、単なる祈願のための火の儀式から、祈願を叶えることはもちろん、出家者にあっては悟りを得せしめ、在家にあっては無病息災といった安心して過ごせる人生を与えるほどの力を持つに至るのですな。で、その本尊に選ばれたのが、すべての悪や煩悩を焼き尽くす働きをする、大日如来の化身・不動明王だったのです。こうして、不動護摩は完成するのですね。

不動明王は、御存知のように火炎を背中にしょっています。この炎は、人々の悪心や煩悩を焼く尽くす、ということを表現しています。さらには、禍やもろもろの災難、魔物・・・病魔など・・・も焼き尽くすということを表しているんですね。だから、力強い姿をしていますし、恐ろしい顔をしているんですな。
そんな炎を背負っている不動明王に、さらに火を焚いて祈願すれば、いかにも効果ありそうでしょ。まあ、実際に効果はあるんですけどね。効果があるからこそ、昔から人々は不動明王の護摩に縋ってきたのですな。効果がなければ、あっという間にすたってしまうでしょうからね。効果がないものに人々は興味は示しません。人間とはそういう生き物ですから。

では、昔から、人々はどのようなことを不動護摩に祈ってきたのでしょうか?。それは、多くは「無病息災」なのですよ。
人間の幸せとはなにか?。どんなときに人々は幸せだと感じるか?・・・・・。
大金持ちになること?
まあ、それも答えの内の一つでしょうね。でも、実際は違います。いくら大金持ちになっても、幸せは得られないんですよ。
たとえば、あの東北大震災で被害に遭われた方は、こう言ってます。
「普段の、平凡な日々、それが幸せだったんだ」
そう、平凡で、何事もなく、危険もなく、病気もなく、たとえ収入は少なくとも、皆が「普通でいられること」・・・・それが幸せなこと、なんですねぇ。
ごく普通に、仕事に行き、家族があり、会話があり、生活する場所があり、安定して食事が得られ、病気になることもなく、悩みもなく、困ったこともなく、平平凡凡と過ごす日々・・・・。
これが幸せな日々なんですよ、本当はね。でも、人間は欲が深いので、そのうちにこの平凡な日々に飽きてしまうんですな。で、わざわざ自分から危険な道を選ぼうとするんですね。冒険してみたくなるんです。刺激が欲しくなるんです。それが、いけないこととわかっていても、平凡は嫌なんですな。で、悪魔のささやきに耳を傾けてしまうんですねぇ。
そうなると、家庭は平凡ではなくなりますな。いろいろ困ったことがおこり始めます。悩みや苦しみが生まれてきます。金銭もより必要となってきますな。無理をし始めますね。隠し事なんかもでてきます。余分な願望も持ちはじめますな。そうなると、ストレスも増大します。いずれ、病気にも侵されますな。家庭不和にもなったりします。あの平凡だけど平和な日々はどこへ行ったんだ・・・と絶望感も味わいますな。心は不安定になっていきます。ま、これが多くのご家庭の現状ですかね、と思います。
こんなとき、人々が頼ってしまうのが宗教なんですね。で、怪しい宗教に行ってしまうと・・・なんとかガッカイのような、なんとかのカガクのような、なんとかエンのような・・・ますます、怪しい状態になってしまうんですね。本人は気付いてないでしょうけど・・・。
それよりも、昔から人々が頼った方法があるのにね。そう、不動護摩ですね。

不動明王の護摩は、主に無病息災を祈願する護摩です。普段の生活が平和であるように、病気や禍や災難に見舞われないように・・・・と祈る作法ですね。
護摩には4種類の護摩法があります。息災護摩、増益(そうやく)護摩、敬愛護摩、調伏護摩の4種類です。で、多くのお寺さんで焚かれる護摩は、息災護摩ですね。そう、無病息災を祈る護摩です。あとは、特殊な護摩になります。一般的には息災護摩ですな。
余談ですが、うちの寺は、毎年10月に愛染明王の敬愛護摩を焚きます。これは特別の法会ですね。敬愛護摩は、恋愛成就、良縁成就、人々に愛されるようになる・・・・という祈願をする護摩ですね。特殊な護摩です。敬愛は、お不動様よりも、愛染さんの方が向いているので、愛染さんの敬愛護摩なのです。ま、本尊様によって向き不向きがある、わけですな。役割はあるわけです。
なお、増益護摩も愛染さんで焚くことがあります。あるいは、弘法大師護摩も増益護摩ですな。お大師さんは、儲けることがうまかったからですね。あやかりたいですな。また、調伏護摩は、不動明王をはじめ、五大明王で焚くことが多いですね。昔は、大元帥明王の調伏護摩を修法したりしたそうですが、まあ、それは特殊中の特殊。やってはいけない作法ですな。尤も、調伏護摩自体、やりません。やっちゃいけませんな。これは、一種の呪いですから。相手をやっつける・・・という護摩ですからね。調伏護摩をやりますよ、なんて謳っているお寺さんは、ちょっと怪しいですな。呪いをする寺なんてねぇ、それはやっちゃいけないし、公表することでもないでしょう。まあ、4種の護摩では、調伏護摩はやらないのが普通です。よほどの事情がない限りね・・・。
というわけで、不動明王の護摩は、通常は息災護摩なんですね。

通常は、護摩法会は誰でも参拝できます。祈願の方法は、お寺さんにおいてある護摩木という木に祈願や名前などを書けばいいのです。中には、年齢や住所まで書き入れる護摩木もありますが・・・。
で、お坊さんは護摩を修法するとき、その祈願の書かれた護摩木を護摩の炎の中に投ずるんですね。で、願いを叶えてもらうよう祈るのです。
そうそう、東北大震災の被災地でとれた松の木を京都の大文字焼きで焼くとか焼かないとか、成田山で護摩木に使うとか使わないとか揉めてましたねぇ。結局、京都は拒否したようですが、ちょっと神経質になり過ぎかな、と思いますな。いいのに、それくらい。そんなんで、被爆などしないだろうから。なんだか、被災地の皆さんの気持ちを踏みにじるようで、イヤな感じでしたねぇ。
成田山は、是非護摩木に使用して欲しいですな。小さく刻んでくれるなら、うちは喜んで使用しますけどねぇ。TVのニュースで見たような大きな護摩木はうちのような弱小寺院では到底使えませんからね。
あ、いっそのこと、普通の護摩木サイズに刻んで、寺院専用のお店で売ればいいのに。で、売り上げは、被災地に寄付すればいいのにねぇ。通常の護摩木サイズであるなら、うちは使いますけどねぇ。放射能なんて気にしませんけどねぇ。日本中、放射能に過敏になり過ぎ・・・なような気もしますけど。特に被災地の人じゃない人がね。気にして当然の人々じゃなく、遠くの人が気にするのって、なんだか過敏過ぎ、と思うんですけどねぇ。そんなことより、もっと恐ろしいものが隣の国から黄砂になって飛んできているのに、と思いますよ。食品とかね。ヤバいものが入ってるかも知れないじゃないですか、彼の国の食べ物は。そっちの方が怖いと思うんですけどねぇ・・・・。ま、余談でしたが。

話を戻します。
護摩祈願ですね。簡単でしょ。お寺に行って、護摩祈願用の護摩木に祈願と名前を書くだけ。通常、護摩木の祈願料は200円から500円くらいですね。
大事なのは、一回祈願しただけで終わらない、ということです。なぜなら、無病息災・・・平和な日々が過ごせますように、病になりませんように、禍がきませんように、災難にあいませんように・・・といった祈願は、恒久的なものだからです。一回だけ祈願すればいい、というものではないでしょう。そうした祈願は、特殊な祈願になりますね。まあ、そうした特殊な祈願を護摩木に書いてもいいのですが、その場合は、よくよく祈ってください。護摩木に書いて終わり・・・ではなくね。普段の平和な日々が維持できるように祈る場合は、できれば月に一回くらいは護摩祈願するといいでしょう。護摩木には、「我が家の無病息災」と書いて祈るのです。そうした願いは、ずーっと続くものでしょうから、ずーっと祈り続けることが大事ですよね。
特殊な祈願の場合は、理想を言えば、その祈願のためだけに特別に護摩を焚いてもらうのが究極的な祈願法でしょう。まあ、通常は、護摩まで焚かなくても、普通の祈願で大丈夫ですが、どうしても護摩で・・・という場合は、お寺さんにご相談されたほうがいいですな。通常は、特別にその人のためだけにたく護摩・・・とういうのは、少ないですね。ま、費用もかかりますし。
もし、あなたにとても大変なことが起きて、早急に解決しなきゃいけない、ということがあったら、特別に護摩祈願をお願いしてもいいとは思います。護摩法は、速効性もありますからね。ま、その前にお寺さんと相談されたほうがいいとは思いますけど。

さてさて、たらたらとお不動さんの護摩について書いてきましたが、次回、もう一回だけお不動さんの話をします。もし、こんなことが聞きたい、というご質問があれば、メールをください。ここでお答えしますので。

合掌。


第八話 不動明王の話B
前回、ご質問があればメールをください、と書きましたところ、複数の質問メールが届きました。御協力ありがとうございます。さっそく、頂いたご質問をまとめて紹介いたします。
1、不動明王には、立像と坐像がありますが、意味に違いはありますか?。「不動」という名前からすると坐像の方が相応しいような気がします。
2、不動明王には性別はありますか?。男性らしさを感じるのですが、菩薩と同じく性別はないのですか?。
3、不動明王の御縁日は28日ですが、なぜ28日なのですか?
4、以前、この「よもやばなし」でお寺の不動明王に関してエピソードがあるとのことでしたが、それはどんなことですか?。
最も多かった質問は、1でした。最近は、仏像ブームでもあり(仏像ガールなる女性が増えているらしいですな。私は会ったことはないですが)、像に関する質問は多いですね。
順番にお答えしていきます。

まずは、1。
確かに、不動明王像には立っている像と、座っている像があります。変ったところでは、片足立ち、という像もあります。いざ、ゆかんといった感じの像ですね。
さてはて、その違いは何のでしょうか?。
そもそもは、不動明王像は、坐像でした。座っている像ですね。それは、不動明王のお経に
「金剛の盤石に座し・・・・」
とあるからです。盤石とは、壊れない台座、という意味ですね。おぉ、そういえば、一般に使われている「盤石」という言葉は、ここから使われるようになったのですよ。つまり、元は仏教語(使えるなぁ、これ)。詳しく書くと「こんなところに仏教語」で書けなくなるので、詳細は省きます。
不動明王のお経によると、不動明王は「盤石に座っている」のですね。ですから、不動明王像が造られ始めたころは、みな不動明王は座っていました。つまり、初期の不動明王像は坐像だったのです。
日本で不動明王像が多く造られるようになったのは、平安初期ですね。そう、真言密教の影響ですな。その頃は、ほとんどが坐像だったのです。ほとんど、といったのは立っている像もあったからです。お大師様が彫ったと伝えられる波切り不動がそうですね。まあ、立っている像は、いま思いつくのはそれくらいですかねぇ。いずれにせよ、初めのころは不動明王像と言えば、座っているのが主流だったのです。これは、絵画でも同じです。
が、平安末期から鎌倉時代にかけて、立っている不動明王像が主流になってきます。像だけでなく、絵画もそうです。多くの不動明王が立ち始めたんですね。それはなぜか・・・。
誰が言い出したのかしりません。いつのころかもはっきりしていません。平安後期か末期の頃だとは思います。
「座っている不動明王じゃあ、ダメでしょ。立っていないと。だって、座っていちゃ働けないでしょ。我々のために働いてくださるのが不動明王でしょ。だったら、座ってないで立っていなきゃ」
そう言いだした方がいるんですな。まあ、お坊さんでしょう。これは想像です。たぶん、比叡山のお坊さんだと思います。平安後期は、真言宗は実は密教の主流ではなくなっていたんです。主導権は比叡山・天台宗の密教が握っていたのですよ。
お大師様入定以降、真言宗は「やり手」の僧侶が皆無でした。良い言い方をすれば、「真面目なお坊さん」が多かったんですね。皆、高野山や東寺にて一生懸命修行に励んでいたのですな。悪い言い方をすれば、誰も彼も比叡山に太刀打ちできなかったわけです。当時、比叡山には傑物がおりました。円仁さんと円珍さんですね。この二人で天台宗は密教化に成功。同時に朝廷への関与にも成功します。京都は、天台密教が主流になったのですな。
天台の密教は、真言密教よりも後期密教の影響を受けております。円仁さんや円珍さんが唐に渡った時は、唐では密教は後期密教の色合いが強くなっていたのです。その後、後期密教はチベットにおいて、ちょっと異常な発展をします。円仁さんや円珍さんが唐に渡ったときは、その過渡期にあったのですね。
なので、天台密教は、真言密教と違って色合いも派手だったりしますし、色の意味を重視したりもします。目黒不動とか、目白不動などというようにね。真言密教には、そういった不動明王を色分けすることはないですね。
ま、平安末期から鎌倉時代の密教は、天台密教が主流だったわけです。で、おそらく天台密教の僧侶が、
「不動明王は立ってなきゃいかん」
とでも言ったのでしょう。このころより、不動明王像と言えば、立像が主流となったのですよ。
立っている意味は、「働くため」です。座っていては、働けないから、ということですね。まあ、なんと俗物的な、と思うでしょ。でもね、これは現代でもお坊さんの間では通説になっているんですよ。
「不動明王像は立っていないとダメだ。衆生救済のためには、座っていてはいけない」
そういう意味合いから、不動明王像は立っているのですよ。現代でも、座っている不動明王像は少ないですね。
質問1の答えは、以上です。本来は座っているのですが、時代とともに立つことに意味を持ち始め、立っている不動明王像が主流となった、ということですね。

質問2です。
もちろん、明王にも性別はありません。ただ、菩薩の優しさに対し、明王は力強さをアピールしています。なので、男性らしさを感じるのでしょう。これは、明王の性格によりますね。
本来は、性別あはりません。が、男性らしさ、父性を感じるのは、これは構いません。観音様に女性らしさを感じるように、不動明王に男のたくましさを感じるのは、自由ですし、そのように造られることもしばしばあります。それは、仏様の性格による、ということですね。
ちなみに、孔雀明王は、どちらかといと、女性感が漂っています。ちょっとキツイ感じの女性ですけどね。

質問3です。
不動明王の御縁日がなぜ28日なのか?。
答えを先に言ってしまいましょう。実は、わかりません。根拠は不明なのです。
縁日ができ始めたのは、鎌倉時代のことです。仮に、仏様の命日やゆかりのある日にちを決めて、その日にお寺に参拝してもらおう・・・・ということで、縁日が決まったようです。
仮に・・・と言いましたが、根拠が全くないわけではありません。たとえば・・・・。
4月8日はお釈迦様の誕生日ですよね。なので、毎月8日はお釈迦様の御縁日になります。また、これに準じているのか、薬師如来も8日が御縁日になりました。
18日は観音様の御縁日ですが、これは観音様の前世を説いたお経「観音済度本願真経」(偽経の疑いがあるのですが、まあ、それはそれで、縁があってできたお経ですからね。信じましょう)などに「9月18日に涅槃に入り、観世音菩薩となった」というような記述があるので、観音様の日が18日になったようです。
また、21日は弘法様の日ですが、これも皆さんよくご存じでしょう。お大師様は、3月21日に御入定されました。なので、毎月21日は弘法様の日になっているんですね。
こうしたことから、きっとお不動さんの日も一応何か根拠めいたものはあるとは思います。思いますが、はっきりしないんです。不動経にもなかったように思います。
ですので、28日の根拠は不明です。わかった方は、教えてくださいね。

質問4です。
以前、このよもやばなしで「うちの寺の不動明王様には、不思議なエピソードがあります。それは観音様の話が終わってからいたします」と書きました(「拝み屋からお寺へ、その2」の中です)。書いた本人はすーっかり忘れておりましたが。今回、ご指摘がなかったら、きっと永遠に忘れていたでしょう。ご指摘くださった方、ありがとうございます。
不思議なエピソード、と言うほどでもないかな、とも思いますが。
うちのお寺の名前は、「法恩院」と言います。仏様の法(教え)の恩を感じるお寺、という意味ですね。この名前は、私の師僧である高野山のお寺「報恩院」さんから頂きました。悪い言い方をしたら「パクリ」ですね。が、そのまま真似するのもなんですから、「報」を「法」に変えたわけです。
ところで、報恩院というお寺は、京都は醍醐寺の塔頭寺院にもあります。この報恩院、その昔は「報恩院流」という三宝院流派の一つを生んでいるくらいの由緒あるお寺です。醍醐寺は三宝院流ですから、現在の醍醐寺の報恩院もその流れのお寺だと思います。高野山の報恩院はよくはわかりませんが、江戸時代の高野山地図にはすでに載っているので(場所は異なりますが)、歴史の古い塔頭寺院ですね。きっと、醍醐寺の報恩院と何らかの関わりがるのだと思います。
さてさて、ある日のこと、私は醍醐寺の報恩院さんに参拝に行きました。というのも、ある人から、
「法恩院さんの不動明王は、醍醐寺の報恩院さんの不動明王によく似ている。名前も似てるし、何か関係があるんですか?」
と尋ねられたからなんです。
もちろん、うちと醍醐の報恩院さんとは全く関係がありません。うちは高野山真言宗なので、高野派(中院流)です。醍醐寺は醍醐派で三宝院流です。同じ真言宗でも派が違います。伝授も流派も違い、従って作法も違います。派が違えば、関わりはほとんどありません。個人的なお付き合いは別としまして(私の場合は、個人的な付き合いもありません。岐阜の仲間寺の坊さん仲間だけです。他派のお坊さんとは、一切付き合いはありません。なにせ引き籠り系ですから)。
全く関係ないお寺なんですが、関係があるように思われるほど、お不動さんが似ているらしいんですね。で、確かめに醍醐寺の報恩院さんへ参拝に行ったのですよ。
お堂に入ってびっくり。その寺の不動明王は、うちの寺の不動明王を拡大したものでした。拡大コピーですね。否、向こうが大元で、うちが縮小コピーなのかもしれません。醍醐寺の報恩院さんの不動明王をスモールライトで小さくしたのがうちの不動明王像だったんです。
驚きましたよ。大きさだけが違って、後は同じなんですから。あちらさんは、でかいです。いわゆる丈六でしょうか。毎日、3度かな?、護摩を焚くのでほどよくすすけていましたが。でも、同じです。何か縁を観じますよね。
師僧のお寺は同じ名前。おそらくは、醍醐の流れをくむのではないかと思われます。で、その弟子の寺は似たような名前。それどころか、お寺に鎮座まします不動明王像が大きさ以外、全く同じ。もうびっくりです。何の因縁か、と思いますよね。
それ以来、醍醐の報恩院さんとはお付き合いが・・・・始まっていません。それっきりです。
「はぁ〜、そうなんだ、同じだなぁ・・・」
で終わりです。醍醐の報恩院さんのお坊さんとも話しましたが、「不思議ですねぇ」で終わっております。
それでいいんですよ。お互いに「不思議ですね、何かの因縁ですかねぇ」でいいんです。もし、何かもっと深い関わりがあるならば、これから先、また会うこともあるでしょうし、縁もできてくるでしょう。仏様の時間は長いのです。今、関わらなくても次の代の者が、あるいは来世で関わりが出てくるかもしれないのです。そういう考え方が仏教的ですよね。まあ、私の場合は、来世は地獄かもしれませんが・・・・。
ちなみに、お寺さんから注文があって、仏師の方が大きな仏像を造るとき、初めに小さめの仏像を彫ることがあります。見本ですな。で、その見本を元に大きな仏像を彫るのですな。で、大きい方は注文をしたお寺さんへ納めますな。見本の小さい方は・・・仏具屋さんや他のお寺さんに売却したりします。まあ、手元に置いておく、というかたもいらっしゃるようですが。
醍醐の報恩院さんの不動明王は、東京の信者さんが寄付されたものだそうです。その方、名前も住所も名乗らずに、寄付させて欲しい、ということで納められたのだそうです。御奇特な方ですよね。それまで、醍醐の報恩院さんの不動明王さんは小さい像だったそうです(あ、確か横に安置されていたような・・・・)。
おそらくは、その東京の方の注文でできた不動明王像が醍醐の報恩院さんへ、見本となった不動明王像がうちに来た、ということなのでしょうね。
しかも、普通は仏像を注文で彫った場合、仏師の名前を入れるのですが、醍醐の報恩院さんも、うちの不動明王像も仏師の名前が入っていないんです。どなたが彫ったのかは不明なんですな。ま、そんなことはどうでもいいことなんですけどね。誰が彫ろうとも、大事なのは、拝む側ですからね。「仏彫って魂入れず」ではダメですからね。ま、その仏師の方はそのあたりのことをわかっていたのかもしれません。あるいは、注文をされた東京の方が、そのように指示したのかもしれません。今となっては不明ですな。
なお、うちのお不動さんは、高野山の懇意にしている仏具屋さんで購入したものです。どなたかの寄付ではありません。
まあ、このようなエピソードがうちの不動明王さんにはあったのですよ。

さてさて、不動明王さんのお話を3回に渡っていたしてきましたが、いかがだったでしょうか?。次回からは、また違う話をしたいと思います。何にしようかは、只今検討中です。もし、リクエストがあれば、メールをください。ただし、あまりにも突飛な話は勘弁してくださいね。
たとえば、「こんな仏様の話がいい」とか「こんな神様の話がいい」とか、そういったことにしてくださいね。
リクエストがない場合は、またタラタラと勝手に話を進めていきます。
それでは次回、お楽しみに。合掌。


第九話 神様の話@
新しい話に入るに際し、何かリクエストがあれば・・・と前回書きましたところ、「神様について、何でもいいですから、面白そうな話を書いてください」という御要望がありました。ですので、今回からは、神様のお話をあれこれいたしたいと思います。ただし、面白いかどうかはわかりません。私が面白いと思ったことでも、他の人はつまらんと思うことがありますからね。なので、面白い話になるかどうかは、保証できませんので、ご了承くださいね。

さて、神様ですが、神様と言っても、たくさんいます。日本には八百万の神がいる、というくらいですから、神様に関しては、一言では言えません。なので、まずは、分類から始めましょう。
今、日本で祀られている、あるいは、信仰の対象となっている神様には、大きく分けて2種類あります。あぁ、ここでいう神様は、昔から祀られている神様のことですよ。新興宗教などで、勝手に創り上げた神様は話の中に入っていないので、ご注意ください。
そんな神様がいるのか?。
いるんですよねぇ、これが。新興宗教というか、わけのわからない宗教と言った方がいいのか・・・。そういう宗教になると、勝手に創り上げた(その宗教によると、教祖様が感得したのだそうですが)神様がいたりするんですね。わけのわからない名前などが付いて。
で、そういうたぐいの神様は省きます。対象外ですな。今、私が神様と言っているのは、昔ながらの神様です。明治以前から祀られている神様のことです。皆さんが、よくご存じの神様です。
で、そういう昔から祀られている神様には、大きく分けて2種類あるんですね。それは、
1、日本古来の神様
2、インドや中国伝来の神様
です。いわば、国産の神様なのか、外来の神様なのか、という分類です。日本は国産の神様と外来の神様とがあって、ごっちゃになっているんですね。ですので、それぞれ分けてお話ししたほうがわかりやすいでしょうね。

1、日本の神様
日本の神様と言えば、大元は古事記にある通りです。最近は、漫画にもなっていますので、一度読んでみるといいと思います。
古事記によりますと、まあ、初めに根源的な神々が登場しますな。地球の創造神とでもいえばいいでしょうか。そうした根源的な神々の中に、とある夫婦の神が登場します。これが、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)ですね。
名前は聞いたことがあると思います。この夫婦の神が、日本を生んだのですな。
古事記によりますと、伊邪那岐命と伊邪那美命が交わるんですね。エッチをするわけです。で、出来た子供が日本なのですな(すんなりできたわけではなく、最初はエッチをちょっと失敗してヒルコなる化け物のようなものを生んだり、先走ってこぼしてしまい、淡路島を造ってしまったり・・・などという混乱があったそうです)。まあ、ともかく、お二人は夫婦なので、夫婦の交わりをしたのですよ。その結果、産まれたのが日本という国だったのですな。つまり、日本は、伊邪那岐命と伊邪那美命の子供、というわけですね。
ただし、日本という土地を産んだのではありません。土地という神を産んだのです。土地という物質を産んだのではなく、土地の要素を持った神を産んだのですよ。つまり、大地は物質ではなく神なのです。日本という国の大地は、神そのものなんですな。ですので、土地に神の名前が付いております。たとえば、現在の熊本県は建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)とか現在の愛媛県は愛比売(えひめ)とか、神の名前が付いているのですよ。そして、その名前は、そのままその場所を表す地名になったりしていることもあります。愛媛県は、いい例ですな。
さて、伊邪那岐命と伊邪那美命は、八つの島を産みますな。これを大八島(おおやしま)といいます。日本の古来の名前ですね。まず、大きな八つの島を産んで、国としますな。大八島国(おおやしまぐに)ですね。で、そのあとに、小さな島々を産んでいきます。島々を産んだ、といいましたが、島の形をした神を産んだのです。土地そのものを産んだのではありません。神様を産んだのですよ。
土台となる土地の神を産んだ伊邪那岐命と伊邪那美命は、次に自然や文化の神を産んでいきます。自然の神はわかりますよね。川の神、山の神、海の神、草木の神、石の神などなど、自然に関する神が次々と生まれますな。中には、変った神もあります。
たとえば、川を分断する神とか。これは、川を二つに分ける神ですね。川が二つに分かれるところがあるでしょ。あの二つに分けている場所、あれは神様なんですよ。川の泡の神も生まれますな。川や海に泡が湧くことがあるでしょ。あれ、神様なんですよ。川の泡の神と海の泡の神はまた違うんですな。さらに、泡の大きさによっても神が違うんですね。大きな泡の神、小さな泡の神と分かれるんですね。
植物の神も、水を入れる瓢箪の神とか、草木の成長を促す神とか。他にも風の神、山の神(このあたりはわかりますな)、山の土の神、野原の土の神、山の霧の神、野原の霧の神、山の渓谷の神、川の灌漑の神、山の斜面の神、窪地の神、丘の神、坂道の神などなど、どんどん神を産んでいくのですな。
文化的な神としては、神々が住まうための柱の神だの、屋根を守る神だの、そうした素材になる物質の神だの、門の神だの、屋根の神だの、屋根葺きの神だの、家屋を風害から守る神だの、家屋の土台の神だの、様々な神を産んでいきますな。
ただし、こうした神は、すべて伊邪那岐命と伊邪那美命が産んだ神というわけではありません。二人の神が生んだ神が、次の神を産む場合もあります。つまり、伊邪那岐命と伊邪那美命からみれば、孫に当たるわけです。
古事記によりますと、伊邪那美命は、火の神を産んだ際に重傷を負います。産道が大やけどしてしまうのですな。で、苦しみのあまり嘔吐します。その嘔吐物から生まれたのが鉱山の神です。とうことは、鉱山から生まれる金や銀を皆さん喜んで集めますが、あれは伊邪那美命のゲロなんですな。ゲロをありがたがっているわけです。さらに、伊邪那美命は脱糞をします。その糞から生まれたのが、粘土の神ですな。粘土は、伊邪那美命のクソなんですな、実は。笑っちゃいけませんよぉ。さらにさらに、伊邪那美命が苦しみのあまり、尿をもらしますな。その尿からは水の神と穀物の神が産まれます。穀物・・・米も当然そうなのですが・・・は、伊邪那美命のオシッコだったんですねぇ。毎日のように食べているお米、あれは伊邪那美命のオシッコから生まれたものなんですねぇ。うへぇ・・・。ちなみに、穀物の神からは、食べ物の神も産まれています。尿の子供ですな。
火の神を産んだ伊邪那美命は、ゲロやクソ、尿から神々を産んだ後、死んでしまいます。神々の中で初めての死者です。日本の神様の伝説では、死者第一号は伊邪那美命なんですね。インドでは、ヤマ(閻魔大王)ですけどね。

伊邪那美命の死によって、あの世である「黄泉の国」ができます。
ちなみに仏教では「黄泉の国」という言葉は出てきません。出てはきませんが、仏教が日本に入って来て、日本の文化とごちゃ混ぜになってしまった後、日本の仏教でもあの世のことを「黄泉の国」というようになりました。仏教では、死後の世界は、輪廻の世界と称しています。黄泉の国ではなく、生まれ変わり先の6種の世界(天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界)があるだけです。つまり黄泉の国に当たる世界はないのです。
伊邪那美命の死によって、この世とあの世ができてしまうんですね。それまでは、あの世はなかったのですな。それにしても、ここで、神々も死ぬのだ、ということが分かるわけですね。神も死ぬのです。
さて、伊邪那美命の死を知って、伊邪那岐命は大いに悲しみますな。泣きわめきます。で、伊邪那岐命の涙からも神が産まれます。この神も水の神ですね。水の神だけでも、何人もいます。なお、伊邪那美命の遺体は、現在の島根県と鳥取県の県境あたりの「比婆の山」に埋めたそうです(あのあたりは、本当に神々が住んでいるんだな、神は存在しているんだな、と感じられる土地です。あのあたりの自然は、神の息吹が感じられるんですよ、いまでもね・・・)。
伊邪那美命の死を悲しんだ伊邪那岐命は、怒って火の神を切り殺してしまいますな。子殺しです。怖いですねぇ。その時に飛び散った火の神の血液からも神が産まれます。まるで、妖怪のような・・・。そうした神は、雷火の神だったり、雷火の威力の神だったり、猛々しい雷火の神だったり、烈しい雷火の神だったり、岩石の神だったり、剣の神だったり、あるいは、山の峰に降る雨の神だったり、谷の水の神だったりします。
また、火の神の死体からは、胸から山の中腹の神が産まれ、腹から奥山の神が産まれ、左手から樹木が茂る神が産まれ、右手からふもとの神が産まれ、陰部から深い谷の神が産まれ、左足から山頂が平らな山の神が産まれ、右足から里に一番近い山の神が産まれ、頭から険しい山の神が産まれています。

まあ、このように次々と神を産んでいくわけですな。その神は、男神であったり女神であったりします。つまり、男女の別があるんですね。で、さらにそうした神々は、お互いに混じり合ったりして・・・つまり性行為をして・・・新たなる神を産んだりもします。さらには、やがて、神々は人を産むようになるのですが、その話は、ちょっと先にします。その前に・・・。
日本が八百万の神の国といわれるのが、これでわかったのではないかと思います。古事記によれば、日本は神様だらけ、なんですね。というより、我々は、神様の上に住んでいるのだし、神様の上に建て物を建て、神様の上でいろいろな営みをしているわけなんですよ。人を騙したり、殺人事件を犯したり、虐待したり、いじめたり・・・・というのも、みんな神様の上で為されているんですね。そういうことを考えると、いや恐ろしいですな。我々は、神様の上に暮らしている、と思うと、ちょっとヤバいぞというか、もうちょっとしっかりしなきゃ、と思ったりしますよね。
こうした意識は、本当は大切なんですよね。我々は、神々から見られている・・・という意識を持てば、もう少し、日本人はしっかりしてくるんじゃないかと思うんですよ。仏教でも、「仏様はいつでもどこでも見てござる」、といって、人々の戒めになっていた時代もあったのです。教育から宗教的なことが排除され、日本人の心は荒んでしまったのではないかと、私は思いますねぇ。ほんのちょっとでもいいから、この国は、この大地は、この食べ物は、神様というか、いや自然でもいいから、そうしたものの「惠み」によって与えられているのだ、ということを教えたほうがいいと思います。

それと、これはよく聞かれることなのですが、神様と仏様とどちらが上なのか、ということについてです。当然、仏様の方が上なのですが、神様の方が上、と思っている方がたまにいるんですね。これは大きな間違いなのですよ。
仏様・・・仏陀、如来、そして菩薩、明王・・・といった仏様は、悟りの境地にいます。菩薩は、如来の悟りを得ることはできるのですが、人々を救いたいという欲を捨てないで菩薩にとどまっている存在です。明王は、如来の化身ですから、当然ながら悟りの世界の存在です。
ところが、神様は、日本の神でもインドの神でも、中国の神でも、悟りの境地には至っていない存在です。日本の神様について、ざっと話した内容を見てみましても、日本の神は、悟りの境地には至っていない存在だとわかるでしょう。伊邪那岐命と伊邪那美命にしても、性行為をするわけですから、悟ってはいませんよね。伊邪那岐命は、奥さんの死に怒って我が子を殺してしまうくらいですから、悟りとは程遠いところにいます。神々は、案外、人間に近いんですな。あとは、いわゆる自然の精霊のような存在なのですな。悟りに至った存在とは、全く異なるのです。
なので、神様は、仏様よりも下なんですよ。もっとえいえば、神様は、輪廻する世界の存在なのですから、輪廻する世界から脱出できたお坊さんよりも下、となります。まあ、輪廻する世界から脱出したお坊さんは数少ないですけどね。

とまあ、こんな感じで、神様について話を進めていきます。次回は、黄泉の国に行った伊邪那岐命の話から始めます。
それでは次回、お楽しみに。合掌。



第九話 神様の話A
1、日本の神様 その2
伊邪那岐命は、死んでしまった伊邪那美命のことが忘れらず、黄泉の国に向かいます。あの世に行ってみるんですな。無事、黄泉の国に行った伊邪那岐命は、伊邪那美命に会うことができます。が、伊邪那美命との約束を破って、彼女の真の姿を見てしまうんですな。つまり、腐った遺体を見てしまったわけです。伊邪那美命の醜く変貌した姿に伊邪那岐命は怖れをなして逃げようとします。伊邪那美命は、自らの腐った身体から誕生した八柱(日本の神様の数え方は「柱」です。「人」じゃないです)の雷の神などに、逃げる伊邪那岐命を追いかけさせますな。黄泉の国から出すなと・・・。伊邪那美命とすれば、醜い姿を見られたので、現実の世界に伊邪那岐命を返すわけにはいかないのですね。愛した男性から捨てられる、ということですからね。死体になっても愛して欲しかったのでしょう。執念深いですな。
伊邪那岐命は、髪の毛から山ブドウやらタケノコやらを生みだします。追っ手は山ブドウやタケノコに夢中になり、追いかけるのを忘れますな。が、中には忠実な者もいて、トラップには引っかからず、伊邪那岐命を追い詰めます。伊邪那岐命、走りに走りますな。やがて、有名な黄泉比良坂(よもつひらさか)に至ります。出口はもうすぐですな。しかし、追っ手はまだきます。伊邪那岐命、必死に坂を駆け上がって行きますな。すると、出口に桃の木がありまして、実がなっています。伊邪那岐命は、追っ手に桃の実を投げつけますな。すると、追っ手はすべて撃沈。桃の霊力により、邪気が祓われたわけです。このあたり、中国思想の影響そのままですな。桃源郷ですね。中国では、桃は特別な実ですからね。まあ、その点も後々にお話しします。今は、先を進めましょう。
追っ手を全滅させたのはいいのですが、黄泉の国の出口に伊邪那美命がやってきます。伊邪那岐命を追いかけてきたんですな。その姿、ゾンビですな。彼女を現世に出してはならないと思った伊邪那岐命は、巨石を使って黄泉の国の出入り口をふさいでしまいます。こうして、あの世とこの世は区切られ、生と死が誕生した・・・生と死が混沌とした世界から生と死がはっきりした世界が誕生したのです。伊邪那美命はその後、「黄泉津大神(よもつおおかみ)」という黄泉の国の女王となるのです。
こうして、伊邪那岐命は黄泉の国から無事に帰ってきます。この故事により「黄泉がえり・・・よみがえる」という言葉が生まれます。復活を意味する「蘇る」は、「黄泉がえり」から生まれた言葉なんですね。

黄泉の国のから帰ってきた伊邪那岐命は、すっかり穢れてしまいました。死の穢れですね。で、身につけていた衣装や持ち物をすべて捨ててしまいます。穢れていますからね。その捨てられた衣装や持ち物からは、「道祖神」や「塞えの神」が生まれます。こうした神は、辻々や村と村の境や、道の分岐点などに祀られ、病の防御や道中の安全を守る神になって行きます。いわゆる「防塞の神」ですね。また、同時に疫病の神、厄病神なども誕生します。
つまり、衣装は穢れが身体につかぬように守っていたから防塞の神を生み、衣装についていた穢れは厄病神などのワザワイの神を生んだのですな。
すっかり衣装を捨ててしまった伊邪那岐命は、まだ穢れているといけないので、海で身体を洗い落しますな。これが、禊の原点です。禊は、黄泉の国から帰った伊邪那岐命が穢れを落とすために行ったのですね。
その流れて行った穢れからも神々が誕生しますな。で、最後に伊邪那岐命は顔を洗いますな。ここが重要です。
まず、左の目を洗います。すると天照大神が生まれます。右の目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれます。鼻を洗うと、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト・・・スサノオ)が生まれますな。
で、天照大神に神々の女王となって昼の世界を支配させ高天原という天の世界を統治するように命じます。月読には天に昇って夜を支配するように命じます。スサノオには、下界を支配するように命じますな。これで伊邪那岐命の役目は終わります。
が、スサノオが働かないんですね。いつも泣いてばかりいたのです。泣いてばかりで何にもしない。その影響で下界・・・日本の国ですな・・・は荒れ放題になります。伊邪那岐命は怒りますな。息子の情けない姿にがっかりですな。で、ついにスサノオを追放してしまいます。日本から追い出したわけですね。
ショックから立ち直れない伊邪那岐命は、やがて淡路島に幽宮(かくれみや)を造り、永遠に引き籠ってしまうんですな。これで、ようやく伊邪那岐命の役目は本当に終わったのですな。

と、まあ、ここまで簡単に古事記に書かれている日本誕生や日本の神々の基本をお話してきました。古事記は、神々の話として扱っていますが、当然のことながらこれはたとえ話ですね。大地は自然に生まれたものですし、山や木々、川なども自然に誕生したものです。古事記に描かれている神々の話は、あくまでもたとえ話ですね。
つまり、よその国からきた人々がいて、その人々を統治していた国王と妃が、伊邪那岐命と伊邪那美命ですね。で、日本にやって来て、よその国から連れてきた人々とともに、子をなし、村を作っていったのでしょう。そうして、村はどんどん大きくなっていったのです。で、下界が造られたわけですね。もともといたよその国が天の国にあたるわけです。
ま、簡単にいえば、伊邪那岐命と伊邪那美命を代表とする人々は、渡来人だったのでしょうな。こうして、日本人の元ができた、というわけですな。
黄泉の国のくだりは、人の死と死体の処理の仕方の誕生を表しているのでしょう。死と遺体の腐敗の処理ですね。死に対する精神的な対処のための黄泉の国であり、腐っていく死体の処理のための黄泉の国なのです。これにより、当時の人々は、死を受け入れ、埋葬という行為を生んだのですな。
で、最後に伊邪那岐命が誰に生ませたかは知りませんが(伊邪那美命の後妻なのか、妾なのかはしりませんが)、三人子供を生ませたのですな。で、二人は伊邪那岐命たちがいた元々のよその国へ行かせ(アマテラスもツクヨミも女神ですから嫁がせたのでしょう)、日本はスサノオがあとを継ぐはずだったのです。
が、スサノオが全然ダメ男だったので、追い出しちゃったわけですね。スサノオはその時、国王になる器がなかったわけです。
ま、こうして読み解くと、わかりやすいでしょ。神だのなんだのと言ってますが、それはみんな後付けですな。あとから創ったお話です。つまりは、人間が行ったこと、なのですな。
とはいえ、それはもう古い古い時代のお話です。そのころの人々は、結局は神として祀られるようになるのです。いわば、先祖の先祖ですからね。先祖の大元の人々なのですから、神として祀るべきであろう、というわけですな。
つまり、日本の神々は初めから神であったわけではなく、後の人々が神に祀りあげたのです。人から神になったのですな。初めから神がいたわけではないのです。
これは、インドの神々も同じでしょう。インドの神々のお話・・・インド神話・・・も同じ経緯をたどっていると思います。つまり、古代の人々が後の世に神に祀り上げられた、ということですね。
まあ、これはどこの国でも同じことだと思います。

我々の先祖、あなたの先祖、みなさんの先祖も、古い古い先祖は、神の領域に達している方もたくさんいます。仏教で言う神の領域ですな。もう悟りに近い神の領域ですな。そういう境地に達している先祖もいらっしゃるのですよ。つまり、古い祖先は、神になれるのですな。
したがって、日本にはたくさんの神がいて当然なのですよ。歴史が古い国ですからね、日本は。アメリカ何ぞ比べ物にもならないくらい古い国なのですよ。だから、いろいろな伝統や行事、神事があるのです。
日本人は、もっと自国の文化に誇りを持つべきですな。古くから伝わる神々の話や神事、伝統行事、文化を大切にするべきでしょう。教育もこういうところをちゃんと教えるべきですね。教育に宗教をやたら持ち込むのは、どうかと思いますが、それでも古事記などは教えるべきでしょう。正しく教えればいいのです。これはたとえ話ですよ、こうして日本の国は生まれたんですよ、とね。
まあ、たとえ話・・・と言えない事情があるので、公にはそのようにはできないのでしょうけど・・・。困ったものですな。国の誕生を神に求めれば、神国だの右翼だのと騒がれますし、あの話はたとえ話で、神なのではなく遠い先祖の話はなのですよ、と真実を伝えれば、差し支えが出てきますし・・・。でも、あとから神に祀られたのだ、遠い先祖だからそれは当然なのだ、その当時の国の長の直系が今も伝わっているのだ、とすればいいじゃないかと思うのですが・・・・。神じゃないと都合が悪いんですかねぇ。変な国です。

まあ、日本の神の誕生は、以上のような背景があるんですね。日本を追放されたスサノオがその後どうなったか、アマテラスはその後、どう関わってくるのかは、次回に一通りお話いたしましょう。


第九話 神様の話B
1、日本の神様 その3
日本を追放されたスサノオ、アマテラスのいる高天原に向かいます。そこでスサノオ、アマテラスと賭けをするのですが、スサノオはアマテラスに勝ってしまうんですね。これで調子に乗ったスサノオは、高天原で大暴れ。もう高天原は大混乱。困ったアマテラス、岩屋の中に隠れてしまうんですな。これが天の石屋戸(岩戸)伝説ですね。
アマテラスが引き籠ってしまうと、高天原は太陽が照らなくなります。まあ、当然ながらこれは日蝕を神話になぞらえたものですな。本当にアマテラスが石屋戸に隠れて、太陽が照らなくなったわけではないですね。日蝕という、当時の人にとっては不思議でなおかつ不気味な現象を神話として理解したに過ぎません。まあ、神話も不思議を納得させるための装置のようなものですな。
神話では、石屋戸からアマテラスを出すために、祭りが催されます。盛大な祭りですな。その様子が気になって、アマテラスは外に出てきます。で、石屋戸の出入り口を封印して、もう二度とアマテラスが引き籠らないようにしますな。で、再び高天原は太陽の光に照らされたのです。
この時のお祭りがもとで、神社の祭りが誕生したのですね。神社のお祭りは、神々を喜ばすために行うものです。決して、人間のために行うものではありません。神様に喜んでもらって、そのかわり守ってもらう、というのが、お祭りの目的ですな。いわば、神様を接待しているわけです。本来のお祭りは、神様のためにあるものなんですね。
石屋戸から出てきたアマテラス、そもそもこうなった原因であるスサノオを罰します。まあ、当然ですな。高天原の秩序を乱したのですから。で、厳罰を与え、地上に追放しますな。二度と高天原には来ないと誓わせて。まあ、つまり、スサノオは日本に強制送還されたわけです。
日本に戻ったスサノオ、腹が減っております。苛立っていますな。で、とある女神(オオゲツヒメノカミ)の家にたどり着きます。スサノオは、伊邪那岐命の息子であり、神々の女王であるアマテラスの弟で、本来は日本の統治者にあたりますので、優遇されますな。なので、その女神はスサノオを接待します。ところがその女神、目や口、鼻、さらには陰部から食事を生みだしますな。これはスサノオじゃなくても食べられませんな。ましてや、一応は、日本の統治者です。「バカにするな!、こんな物食えるか」とスサノオ、その女神を殺してしまいますな。すると、その女神の死体の頭からカイコが生まれ、目から稲の種が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれます。まあ、五穀を得ることができたわけですな。そこへ出雲の神々の祖である神産巣日神(カミムスヒノカミ)がそれぞれの種を集め、五穀が実るようになったわけですな。
まあ、これもたとえ話ですな。でないと、私たちは、神の・・・とはいえ、陰部やケツから生じたものを食べていることになってしまいますな。それはちょっと・・・・ねぇ。いくら神と言ってもねぇ・・・・。まあ、だからたとえ話ですよ。これは、スサノオが高天原(大陸ですな)から持ちかえった五穀の種を村人の長(出雲の国の長)に渡した・・・ということでしょう。
実際、この後スサノオは出雲の国に行きますな。で、そこであの有名な八岐大蛇退治を行います。

ちょっとここで、解説を。
スサノオが日本を追放されたときには、日本はすでに多くの村が存在しています。村というか国ですな。それは伊邪那岐命と伊邪那美命の子孫ですな。彼ら夫婦は、日本という国や自然のほかにも多くの神々を生んでますな。最後に伊邪那岐命が生んだのが、アマテラスとツクヨミとスサノオです。で、アマテラスに昼を、ツクヨミに夜を、スサノオに地上(日本)を統治することを命じます。アマテラスとツクヨミは、天界である高天原に戻ってその任務を果たしています。スサノオは、今まで見てきたとおり、ダメダメですな。
しかし、地上である日本は、もう多くの村が存在し、勝手にそれぞれ統治していますな。まとまっていないだけで、各自治体が存在していたわけです。はっきり言ってしまえば、べつにスサノオなんていらないわけですな。しかし、そんなわけにもいかないので、スサノオに頑張ってもらわないといけないんですな。でないと、地上での神々の長となることができません。それでは困ります。
なので、出雲の国の八岐大蛇退治になるわけですな。
ちなみに、出雲の国は大陸に近いですね。いまでも、韓国から船で島根や鳥取にやってきますな。当時も、朝鮮半島ルートで、出雲にやって来ていたのでしょう。なので、出雲は神々の大元となるのでしょうな。実際、出雲の国は、当時そうとうな大国だったようです。出雲大社などは、本当は6階〜7階建位の高さの社があったそうですな。神話時代にその建築物。驚きますな。意外と、日本の古代人も素晴らしい技術をもっていたのですよ。まあ、大陸からの渡来人のお陰なんですけどね。

ともあれ、スサノオ、名誉挽回と八岐大蛇退治出かけます。この話は有名なので端折りますが、見事スサノオは八岐大蛇を退治しますな。で、その体内から草薙の剣を取り出します。三種の神器のうちの一つですな。この草薙の剣はアマテラスに献上され、のちに天孫降臨の際に再び地上にやってきますな。で、いろいろあって名古屋は熱田神宮に納まります。
これも神話ですね。八岐大蛇はおそらくは火山の噴火でしょう。どうやったのか知りませんが、噴火を鎮めたのか、あるいは噴火を避けて出雲の人々を救ったのか・・・・。まあ、おそらくは、噴火から出雲の人々を救ったのでしょうね。で、その溶岩を利用して、剣を作ったのでしょうな。伝説や神話とは、そう読み解くものですよね。まさか、本当に八岐大蛇がいた、とは思いませんよねぇ。
まあ、いずれにせよ、汚名も返上し、名誉も挽回したスサノオ、櫛名田比女売(クシナダヒメ)と結婚し、須賀という地に住みますな。この地を訪れた時、
「おぉ、なんと気持ちの良い地であるか。気分がよくなった」
とスサノオが言ったそうで、それより気分が極めてよくなることを清々しいというようになったのだそうです。清々しいのスガは、須賀が元だとか・・・。
で、この地に大きな神殿を立てますな。これが出雲大社の大元です。先にも言いましたが、巨大な神殿だったそうです。そしてここで地上を統治することになったのです。
その後、何代目かの後に大国主命が生まれます。国譲りの神ですな。

大国主命も有名ですのであまり多くは語りません。ただ、初めから国王だったわけではないですな。大国主命は、どちらかというとダメ男でした。まあ、兄たちがいまして、いつもいびられていたそうです。あるとき、兄のお供で隠岐の方を旅していまして、白兎を助けますな(因幡の白ウサギ伝説)。で、それがきっかけとなり、大国主命に運が向いてきます。その後、神々の憧れの八上比女を妻にしますな。が、ここから大変な試練を受けます。何度死にかかったことか・・・・。その中で、最後の試練が、なんとスサノオから受けたものでした。
スサノオと言えば、大国主命の御先祖です。生きてるの?、という問いは却下ですな。まあ、もっとも、スサノオに会うのは、地下の国・・・根の国・・・といういわば死者の国ですな。でも、一応、スサノオは死んではいません。その根の国の王になっていたのですな。で、そこに大国主命はやってきたのです。そこで、スサノオから難題を吹っかけられるのですが、スサノオの娘の須勢理毘売(スセリヒメ)に助けられ(スセリヒメは大国主命に一目ぼれしてしまい、彼を助けたのですな)、スサノオの難題を突破しますな。そして褒美に太刀・弓矢・琴とスセリヒメをもらい受け、出雲に帰りますな。さらに、スサノオから、今後は大国主命と名乗るようにと命じられます(それまでの彼の名は、オオナムジノカミ)。
なお、根の国で鼠に助けられたことにより、ネズミは大国主命の使いとされたのですな。さらにちなみに、ネズミとは根の国住む、根に住む、根住み、ネズミ・・・ということから生まれた名前だそうです。
さてさて、出雲に帰った大国主命は、意地悪な兄弟神やその配下の者をスサノオから頂いた武器などで、打ち破ります。こうして、彼は出雲の国の王となるのですな。
その後、大国主命は、妾も多く持ち、神々をたくさん生みますな。子孫繁栄ですな。で、勢力を拡大していきます。最早、大国へと変貌していきますな。
一方、アマテラスは、地上を支配したくなってきますな。まあ、欲ですよね、これは。高天原が平穏なので、地上をも手に入れたい、と思うのですな。初めは、平和に使者を送ります。が、その使者、大国主命と仲良くなって帰ってきません。で、二人目の使者を送りますな。するとこの使者は、大国主命の娘と結婚してしまいますな。みなさん、地上がいいようで。
で、三人目の使者がやってきまして、なんだかんだと交渉があり、大国主命は、国をアマテラスに譲る約束をしますな。まあ、反対したのが一人、大国主命の息子の一人で建御名方神(タケミナカタノカミ)ですな。が、結局、アマテラスの使者に負けてしまい、長野県の諏訪にまで逃げます。で、そこで死んでしまいますな。諏訪の人々は、神がやって来て死んでしまったので、祟られるといけないと思い、その神を祀り上げますな。これが諏訪神社の由来です。

さて、平和的に出雲の大国を手に入れたアマテラス、子孫の天孫・邇邇芸命(ニニギノミコト)にアマテラスの正式の後継者の証である八尺勾玉(ヤサカノマガタマ)、八咫鏡(ヤタノカガミ)、草薙剣(クサナギノツルギ)・・・三種の神器・・・をわたし、地上へと遣わすのです。こうして、地上の国・・・日本は、アマテラスの子孫であるニニギノミコトの支配を受けることとなったのですな。そして、ニニギノミコトの子孫が天皇となっていくのです。
まあ、これも当然のことながら、なぞらえで、実際のところは、大陸からの侵略だったわけですな。彼の大陸の国は、鉄をもっておりました。我が国の大国出雲はと申しますと、銅製の武器しか持っておりません。鉄には勝てませんな。なので、大国主命は、あっさりと負けを認め国を譲った・・・というのが史実のようで。戦争になれば、負けは決まっておりますし、死者も大勢出ます。田畑も荒れますな。それはよくありません。なので、平和的に解決したのです。賢明ですな。それに元々、大国主命もアマテラスの子孫です。あちらが本家本元ですな。なので、本家に国を渡した・・・とも言えますな。
で、大陸からの支配者たちは、最新技術をもって、あっという間に日本を支配します。日本の女性と子をなします。子孫をどんどん増やしますな。まあ、こうなれば、いずれ、大陸からの人なのか、元々の日本の人なのか、わからなくなりますな。こうして日本人は出来上がってきたのです。まあ、そもそも、大国主命だってスサノオの子孫です。スサノオだって、大陸(高天原)からやってきた神の子孫です。となれば、みんな元は同じですな。
まあ、それはいいとしまして、こうした経緯で(だいぶ端折りましたが)、大和朝廷が出来上がったのですな。大和朝廷が出来上がったころには、まだ仏教の神々はいません。これまでに登場したのは、日本の神々だけです。というか、のちに神々となった人間だけです。こんなころは、純粋に日本の神様だけだったのですね(まあ、厳密に言えば、大陸からの神ですが・・・)。
では、いつから仏教の神、インドの神々が日本に登場したのか?。
それは、次回からお話ししましょう。次回からは、仏教の神々についてお話いたします。
合掌。



第九話 神様の話C
2、仏教の神様 その1
今回から仏教の神様についてお話します。が、その前に、まあ一応、日本に仏教が伝わったころのことから話しておきましょう。
日本に仏教が伝わったのは、538年説と552年説があります。まあ、具体的な年はこの際どうでもよいことで、大事なことはその時代の宗教はどうなっていたか、ということです。
前回までお話しした日本の神々の話は、すべて古事記に説かれています。日本の神々の根拠は、概ね古事記によっているわけですね。いわば、古事記が日本の神々の根拠になっているわけです。
古事記が編纂されたのは、皆さんもよく御存知だと思いますが712年。つまり、712年以前は、古事記は存在しなかったわけです。これはどういうことかわかりますか?。

仏教が日本に伝わったのが530年代〜550年代。これは正式に仏教が伝わった年代です。おそらくは、仏教の片りんのようなもの・・・雑多な仏教・・・は、それ以前に伝わっていたことでしょう。大陸から来た渡来人の中には、仏教の信者もいたことでしょうから、その言う人たちの中には小さな仏像を持っていた者もいたと思われます。たとえば、日本人が渡来人に対し
「これなんだ?。なんだ、その人形みたいなのは」
と尋ねたこともあるでしょう。渡来人は
「これは仏像ですがな。あんた仏像知らんのかいな。いやいや、この国はやっぱり遅れてますなぁ。大陸では、今この仏像を持って歩くことが大ブームでっせ。仏教という、そりゃ尊い教えが大流行してますのや。まあ、あんたら未開人にはわからしまへんやろうな」
などと威張っていったことでしょう。
そもそも、仏教が伝わってきたころの日本・・・6世紀前半・・・には、しっかりした宗教なんぞはありません。どちらかというとシャーマニズムに近い宗教があっただけですな。卑弥呼がいい例でしょう。体系的にまとめられた宗教ではなく、土着宗教・拝み屋的宗教・シャーマニズム・神がかり的宗教があったにすぎませんな。良い言い方をすれば古神道にあたります。はっきり言ってしまえば原始宗教・土着宗教となりますな。教義とかなんてない、ただ拝む・祈る・崇拝する・畏れる・・・といった宗教です。
なので、教義がしっかりしており、なおかつ祈りがある仏教は、そりゃもう驚きの対象だったでしょうねぇ。
で、これは使える!と思った人々がいたわけですな。それが、為政者の者たちです。そう、大和朝廷内の人々ですな。

当時も権力争いはあったわけでして、派閥がいくつかできていますな。で、その中には、宗教を使えば人心掌握できるじゃないか、と考えた者たちもいるわけです。それには、仏教はうってつけだったのですな。何度も言いますが、当時は古神道・・・拝み屋的宗教しかありません。いわば、拝んでお告げを貰う、というシャーマニズムですね。が、仏教は全く違います。教えがしっかりしていますな。人の心を掴む内容になっています。
「神のお告げじゃ〜、言うことを聞け〜」
じゃあ、人々の心はつかめないですな。人々が愚かで知識がないうちはいいですよ、それで。しかし、いろいろ知識を得てくると、お告げも脅しとしか理解されなくなるんですね。そこに、「人はこのように生きるべきだ。人をこえた、神を超えた存在があって、その存在は人々を苦の世界から救ってくださるのだ」という教えを引っ提げた仏教が入ってきたら、そちらになびくのは当然と言えば当然ですな。また、そのころから日本人は海外ブランドには弱かったわけでして、彼の大陸でも大流行と言われれば、権力者は飛び付きますよね。
ま、そんなこんなで、仏教は権力者の間で流行するようになるんですね。しかも、仏教の教えをもって国を治めれば国は安泰するし、さらには国を安泰させる鎮護国家の祈願もある、というのだから、為政者にとっては好都合だったわけです。
が、為政者の中にはシャーマニズムを信じ切っている者もいたわけでして、そうした者からすれば
「仏教などという外来の宗教にうつつを抜かせば天罰が下る」
などと主張する者も、当然ながらいました。自然と仏教組と古神道組とに分かれますな。で、対立しますな。これが政治にも絡んできますな。
そんなこんな時代が続きまして、ここに聖徳太子が登場するわけですな。聖徳太子は仏教の教えを取り入れ、民主的な国家を目指しますな。敵対する連中は、シャーマニズムを引っ提げ権力を我がものにしようと企んでおりますな。聖徳太子、御仏の御加護を祈り、四天王に武運を祈り、戦をします。まあ、見事に勝利を治めるんですが、これにより、仏教の力は決定づけられますな。
「御仏の力、四天王の御加護・力は、日本の神々よりも上である」
と決定づけられます。
まあ、仕方がありませんな。神々の世界から見れば当然のことです。人間同士の戦いとは別に神々の目から見たこの戦はどうなっているかといいますと、このような感じでしょうな。
「うわ、なんだお前ら、どこの国の神だ!」
日本の神々がビビって質問しますな。だいたい、神々の装備が異なっています。日本の神々は、いわば自然の精霊のようなもの。海の神や山の神、川の神、大地の神といった、精霊そのものでしょう。なので、武装ということはないんですね。ま、布を巻きつけたような服装といいますか、わかりにくいので貴族が来ていた衣装のような感じだと思ってください。
ところが、仏教の神である四天王は違います。四天王像をご覧になった方はわかるでしょう。完全に武装しておりますな。戦う気満々の姿形です。鎧兜はもちろんのこと、武器も持っていますな。四天王、この国の神々を見てびっくりしますな。
「えっ、君たち戦う気あるの?。そんな恰好で戦えないでしょ。これね、槍なんだけど、これで刺したら君たち死ぬよ。戦うなら、武器持って来なきゃ。あぁ、ついでに防具も身につけたほうがいいと思うよ。えっ?、無いの?。戦ったことないの?。平和だったんだねぇ。じゃあ、どうやってこの国の神として君臨していたわけ?。はっ?、お告げ?・・・・。あぁ、なるほど君たち精霊か。なーんだ。全然下じゃん。我等は四天王と言って、この地上はるか上空の宇宙に住んでいるんだよ。地上の精霊じゃあ、我等のところまでは上がっては来れないよねぇ。どう考えても、君たちに勝利はないよ。降参しなさい」
というようなものでしょう。差は歴然。さらには
「この国の神は他には・・・・。あぁ、龍神がいるね。いやぁ、この国の龍神は小さいなぁ・・・。君、我等に逆らう?。なんなら竜王を呼ぼうか?。あぁ、逆らわないのね。そのほうがいいよ。で、この国の一番の神は?」
なんて尋ねてきますな。日本の神々にしてみれば、まだ体系がしっかりしていませんから、天照大神もいません。精霊だけです。困ってしまいますな。が、これはあくまで想像ですが、というかそういう説があるのですが、太陽神を祀っていた一派があったらしいのです。太陽を神と見たてて、国を統治していた一族がいたらしいんですね。関東方面にそういう国は存在したらしいんです。
なので、精霊たち、太陽神に助けを乞いますな。
「あぁ、ちょっとまって、まあ、この国の神の代表と言えば、太陽神かなぁ・・・。だよねぇ、みんな」
「あぁ、そうだべそうだべ。太陽様だべ」
「なので、太陽神が一番です。太陽神様、あとはよろしく」

人間の戦いの方は、精霊が降参した時点で聖徳太子側の勝利が決定していますな。聖徳太子側は、その後、仏教の教えを取り入れた法律を作り、国を治めていきますな。で、領地を次第に広めていきます。領地を広めると同時に、新天地には寺を建立しますな。仏教という宗教を使って、その新天地の人々の心を掴むわけです。土着宗教しかなかった、お告げだけしかなかった人々に、生き方が与えられますな。そして、死に場所や生まれ変わりの思想が浸透していきます。また、病は薬師如来に、救いは観音様にといった現世利益の祈りも与えられますな。またさらには、仏教の施しの精神で、貧しい人々に食を与えるということも国はするようになりますな。土着宗教では施しなんて言う行為はありませんでしたから、これには人々はコロッと参ってしまいます。あっという間に、人心掌握しますな。こうして、大和朝廷は、領地を広めていったのです。
時代がどんどん進んで行きまして、奈良時代に突入しますな。そんなころには、大和朝廷の権力は関東方面にも伸びていきますな。領地を広め、寺を建立し、支配していきます。土着宗教は蹴散らされますな。とはいえ、仏教は相手の宗教を否定しません。土着宗教は禁止されることなく、仏教に飲み込まれてしまいます。
たとえば、地方の村と村の間に祀られていた道祖神は、そのまま仏教の神として吸収されてしまいます。やがて、古神道の神なのか、仏教の神なのか、あるいはお地蔵様の像なのか、わけがわからなくなってしまいますな。
「以前は、道祖神として石が祀ってあったけど、それじゃあいけないから(何がいけないのかよくわからないが)、お地蔵様を祀るべぇ・・・・」
なんて事が各地で起きたりしますな。こうして、神仏は入り混じっていくわけです。神の方から見れば、
「あちこちに土着の神がいるねぇ。おい、土着の神よ、我が仏教の神になりたいか?。もしそうなれば、もう少し大事にされるぞ。さぁ、どうする?」
「うへぇ・・・、そうですなぁ。こうして村の外れにポツンと立っておりましても、誰も見向きもしないですからねぇ・・・。そちらさんの仲間になれば、もう少し大事にしてもらえるかね?。ならば、仲間になります」
てなもんでしょう。
そうこうするうちに、人間の方は関東の国にぶつかりますな。神の方もぶつかります。
「ほう、あたなが太陽神ですか。なるほど、これまでとは違うようですな」
四天王も一目置きますな。
「我が太陽神じゃ。この国で一番の神じゃ。なんせ太陽じゃからな。太陽と言えば、そのほうらの神ではどなたが当たるのじゃ?」
「我等の神々では、太陽神は帝釈天様ですかな。まあ、その上の宇宙を創っていらっしゃる梵天様がいますので、太陽神などという小さな神はあまり注目されませんな。帝釈天様も、その力を発揮すれば、こんな宇宙などひとたまりもないでしょうし・・・。さて、如何いたしますかな?。我等の仲間になりますか?。それとも逆らって戦いますか?。戦になれば、太陽神といえども容赦はしませんが。あぁ、ちなみに、我等四天王が住んでいる世界は、下天という天界では最も下の世界ですが、太陽ははるか下の方の存在ですからね。ほら、上を見上げてごらんなさい。あなたの上には、まだまだ世界が広がっているでしょう。太陽神どの、あなたが最も上の存在ではないのですよ。宇宙は広いのです。ここは、宇宙のほんの北の端。太陽は私等四天王の足元に存在しているのですよ」
「ちょ、ちょっと待って。何も戦うなどとは言っておりません。あぁ、あなた方が四天王様でしたか・・・。はいはい、知っておりますよ。私のはるか上の方に神々が存在していることくらい、私だって知っております。私も太陽神などと呼ばれていますが、よその国でも同じように祀られておりますから、神々の世界の事情はよく知っております。逆らうなんて・・・・。ちゃんと従いますよ。一応、この国の最高神らしいんでね、私は。しかし、この国はまだ雑多でして・・・。我々神々・・・あぁ、土着の神々、精霊ですが・・・の系列とか流れとかバラバラなんですよね。統一されていないし、いい加減なものなんです。皆さんのような仏教というしっかりした教えがあるわけでもなし、神々の系列も名前もはっきりしてないんですよねぇ。そこでなんですが、戦うつもりはさらさらありませんが、この機会にこの国の神々の系列もはっきりさせて欲しんですよね。そこのところお願いできませんでしょうか・・・」
な〜んてやり取りがあったかどうかは知りませんが、大和朝廷の侵略がすすむにつれ、国の統治者の根拠が必要になってきたわけですな。何故、天皇などと呼ばれるのか、天皇の存在とはどういうもので、いかなる価値があり、他の国上に君臨すべき存在なのか、というハクというか天皇の根拠が必要となってくるわけです。そこで編纂されたのが古事記なのですな。

古事記の編纂には、明らかに仏教の影響もあるでしょう。奈良時代になり、各地に寺が造られ、日本が統一されていくのですが、仏教という外来の宗教だけに頼っていてもいけません。それに国を統治するその中心たる人物の来歴もはっきりしなければいけません。天皇家には伝説があるだけで、それが書物としてまとめられているわけではありません。
そこで、仏教の経典のように、天皇家の根拠となる神々の系譜を編纂することになったのでしょう。仏教が伝来してより、約200年の後に、ようやく日本の神々の系統もはっきりしてくるのですね。で、太陽神に天照大神という名が与えられるようになり、他の精霊にも名前が与えられ、日本の神々が誕生したのですな。まあ、それまでにも名前らしきものはあったでしょうし、こういう神という性格もあったのでしょう。ただ、それらがまとまっていなかったのと、物語りとしてまとまっていなかっただけ、ということだったのでしょう。
まあ、それにしても古事記はよくできた物語となっております。

さて、これまでに登場した仏教の神々は四天王だけですな。当然ながら、他の神々も仏教の伝来とともに入ってきております。代表的な神は帝釈天ですな。他には梵天、阿修羅天(阿修羅は修羅界の悪神ですが、本来は正義の神です)などなど。しかし、現代でもよく知られているダキニ天とか大黒天、弁財天、聖天などという神々はまだメジャーになっていません。奈良時代にメジャーだった神々は、四天王や帝釈天のような鎮護国家に関係する神々なのです。
なお、仏教の神々は、仏教が誕生する以前にもう存在していました。インドの土着宗教やバラモン教、ヒンドゥー教の神々がその正体です。仏教は、そうした既に存在していたインドの神々を取り込んでいったのですな。なので、神々の系統はすでに出来上がっていたのです。その中でも、国を守るという役割をもっていた四天王が注目されます。四天王は、本来は天界を守る役目をしています。天界のガードマンですな。それが仏教に取り入れられ、お釈迦様を守護する役割を担います。さらに仏教を信じる者、仏教信者を守護する役割を担いますな。そしてさらに、国を治める王が仏教を信じ、国を守ることを願うのならその国も守護しよう、という役割を担いますな。こうして、四天王は鎮護国家の神となったわけです。まあ、もともとガードマン的役割だったわけですから、性格は変っていません。天界の守護だけでなく人間界の守護も担うようになった・・・ということですね。

仏教伝来以来、為政者にとっては鎮護国家は大きな課題です。国を守り、平和な世界をもたらす・・・為政者は切に願うのですな。それには仏教はちょうどよい宗教だったわけです。しかも、国を守護する四天王なる神々も存在しています。日本の頼りない精霊たちとは違っていたわけですな。
なので、国が安定するまでは鎮護国家に関わる神々が信仰の対象となるのです。
ところが、時代が流れ、平和がやってくると、国の守護も大事ですが、個人の願いを叶えてくれる神も必要となるのです。人々は、個人的御利益をもたらす神を求めるのですな。人間は欲が深いのです。
で、仏教にはそうしたニーズに応えることができる神が存在しているんですな。次回は、そうした個人的御利益をもたらす神々についてお話いたしましょう。
合掌。



ばっくなんばぁ〜4


今月のよもやばなしに戻る    表紙に戻る