えっ?!

こんなところに仏教語!

バックナンバー7

51、極楽
極楽が仏教語なんて当たり前じゃないか。あえてここで取り上げるほどじゃないでしょう、さてはネタに困ってきたな・・・・、と思われた方は多いと思います。まあ、そろそろネタ詰まりかな〜、という感じもなきしにもあらずですが、いえいえまだまだそんなことはないですよ。大丈夫です。
今回は、あえての「極楽」です。なぜなら、たとえば温泉などに入って
「あぁ〜、極楽極楽」
と言ったりする方が多いと思いますが、その実、極楽って知っている人は少ないと思われるから、あえて極楽を選んだのですよ。みなさん、極楽ってどういうところかご存知?。考えたことあります?。
知らないですよね、ふつう。でも、温泉に浸かったりすると、ついつい口から出てしまうんです。
「あぁ〜、極楽極楽」
ってね。でも、実際の極楽は知らない。当然ですよね、行ったことがないですから。でも、口からは「極楽気分」って出てくるんです。
「極楽」ほど、庶民的な仏教語はないでしょう。今回は、あえて、その庶民的仏教語の「極楽」を取り上げ、鋭く切り込んでみることにしました。(別に鋭くはないんですが・・・。)

一応、国語辞典で「極楽」を調べてみますと(新潮社 現代国語辞典)
@すべてが満ち足りて、苦しみがないと言う世界。この世から西へ十万億土かなたにあるとする。西方浄土。西方安楽国。西方世界。極楽浄土。
A非常に安楽な場所・境遇。
とあります。我々が温泉などに浸かって「あぁ極楽、極楽・・・・」とつぶやくのは、Aの意味ですね。
とはいえ、これは@から派生した意味です。本当の意味は@のほうですね。

ちなみに、仏教語辞典ではどうなっているかといいますと(東京書籍 仏教語大辞典)
極楽・・・安養・安楽国・無量寿仏土・無量光明土・無量清浄土・蓮華蔵世界・密厳国・清泰国ともいう。阿弥陀仏の浄土。単に浄土ともいう。西のほうに向かって十万億の仏国土を過ぎたかなたにあり、もろもろの苦しみがなく、ただ楽しみのみがあり、阿弥陀仏はここにいて、常に説法をしているという。
「阿弥陀経」には、この浄土の姿を細説するが、今もなお阿弥陀仏はここにあって説法すると言う。・・・中略・・・・ただ、この浄土には、辺地・疑城・胎宮などといわれるはずれがあって、阿弥陀仏の救いに疑惑を抱くものがここに生まれると言う。以下略。
とあります。
極楽にこんなにたくさんの名前があるとは思いもしなかったのではないでしょうか。安養〜無量清浄土までは、西方極楽浄土、つまり阿弥陀浄土のことを言っています。蓮華蔵世界・密厳国は、密教で説く大日如来の浄土ですね。
ということは、極楽は一つではない、ということです。

極楽と言うと、たいていの方は西方阿弥陀浄土のこと、と思うのではないでしょうか。極楽=阿弥陀浄土というイメージが定着していますよね。でも、そんなことはないのですよ。極楽は、ほかにもたくさんあるのです。
極楽のことを浄土、といいます。浄土とは、如来のいる世界のことをいいます。たとえば、瑠璃光浄土と言う極楽がありますが、これは薬師如来の浄土です。東のほうにあるらしいです。また、先にもあった蓮華蔵世界・密厳国は大日如来・・・大毘盧遮那如来の浄土です。ほかにも妙喜浄土はアシュク如来の浄土です。また、実は我々の世界も浄土なのですよ。それはお釈迦様の浄土なのです。

仏教では、この世を穢土(えど・・・穢れた世界)としますが、密教ではこの現実世界そのものが浄土として解釈します。この世界は「娑婆浄土(しゃばじょうど)」と言います。娑婆世界ですね。とはいえ、この世が極楽だなんて思えないでしょ。まあ、普通の方は思えないんです。でも、ちょっと見方を変えれば、この世はすばらしい世界なんですよ。
まず、自然です。地球にはすばらしい自然があるでしょ。それこそいい温泉もいっぱいあります。豊かな自然に恵まれていますよね。阿弥陀さんの西方浄土も豊かな自然に囲まれ、温泉がわき、金銀瑠璃メノウなどの宝石類で建物が建てられているそうです。この世界の建物だって、すばらしい芸術的な建物がいくつもありますよね。世界遺産に指定されている建造物も数々あります。どうですか、すばらしい世界でしょ、この地球も。まさしく浄土です。
「汚いところもあるじゃないか」
と反論される方もいますでしょう。でもね、阿弥陀さんの極楽浄土だって穢土はあるんですよ。仏教語大辞典の解説にもあったでしょ、「はずれ」があると・・・。
阿弥陀さんの極楽浄土もいいところばかりではないのですよ。はずれもあるんですよ。ならば、お釈迦様の浄土であるこの世界にも、はずれがあってもいいでしょう。
それに、本来美しい世界であるはずのこの世界を汚しているのは人間なのです。阿弥陀さんの極楽浄土とお釈迦様の娑婆浄土の大きな違いは、その世界にいる人間なのですよ。残念ながら、娑婆世界の人間は阿弥陀さんの極楽浄土の人間よりも劣っているんですねぇ・・・・。

西方阿弥陀浄土の人間はどういう人たちなのでしょうか?。
ここに生まれ変われるものは、阿弥陀如来を深く信仰し、娑婆世界にいるときどんな苦悩も苦痛も苦しみも「すべて阿弥陀如来のお導き」と喜んで受け入れ、「南無阿弥陀仏」と心から唱えられた方たちです。
そんなヤツはいないよ、と言う声が聞こえてきそうですが、まあいませんよね。なので、それに近い方、と思っていただいて結構です。でも、ハードルは高いですよね。一般に、
「ただ南無阿弥陀仏と唱えていればいいんだよ。それで極楽へ往生できるよ」
と言われていますが、それはウソでしょう。そんな簡単ではありませんよね。それじゃあ、どんな人間も口先だけで「南無阿弥陀仏」と唱えていればいい、ってことになってしまいます。そんないい加減なことはありません。
意外に、極楽浄土へ生まれかわるのは難しいんですよ。
ま、それはさておき、生前から心清き人で信仰が深かった方が生まれ変わるのが極楽浄土ですから、悪い人間は極楽浄土にはいません。たまに、はずれの地に阿弥陀如来の救いを疑ったものがひょっこり出現するだけです。基本的に悪い心を持った人間はいないのが極楽浄土です。
また、性別もありません。男でも女でもないのです。したがって性行為も恋愛もありません。性欲はないのです。誰もが誰のことも平等に慈しむ心を持っています。ひいきや意地悪、仲間はずれなどということはありません。イジメなんてまったくない世界です。
極楽には蓮の花から生まれます。生まれたときから大人です。というか、それ以上肉体的な成長はありません。生まれたときから弱くもなく強くもなく、大きくもなく小さくもなく、平等に満足な肉体を具えています。
仕事はありません。阿弥陀様の教えを聞き、瞑想などの修行をすることが仕事です。食事の心配は要りません。食べたいと思ったら自然に食事が湧き出てきます。一説には、近くの者同士、お互いに食べさせあうのだ、とも言われています。お風呂に入りたい、と思ったら自然に湯がわいた池が出現します。露天風呂ですね。恥ずかしがることはありません。性別もないし、性欲もないのですから、みんなそこらじゅうで露天風呂です。一緒に入ってもどうということもありません。で、日が暮れたら寝ます。TVなんてないですよ、もちろんね。映画もないし、旅行も行かない。カラオケなんてありゃしない。本もない。とにかく朝起きて阿弥陀さんの教えを聞いて修行して終わりです。みんな同じ事をしています。なので、争いはありません。喧嘩の原因がないのです。取り合いもなければ、憎しみもない。競争がないですから、勝った負けたもないし、差がないから劣等感もない。皆平等。皆同じ境遇。しかも働かなくてもいい。こんな状態で喧嘩になりますか?。争いが起こりますか?。おこりませんよね。

どうです。阿弥陀浄土と娑婆浄土。生きている人間が大いに違うのです。この世界の人間はとかく他と比較して差があることを、時に喜び時に嘆き、それが元で争ったり、悲観して死を選んだり、悲喜こもごもですね。しかし、極楽浄土は差がないから悲喜もないのです。みな、悟ったも同じような人たちばかり。まあ、憂いはないですが、つまらないことは間違いないでしょう。こんな世界にもしあなたが行ったら、3日であきるでしょうね。まず、
「TVが見たい!」
ということでしょう。あるいは、
「異性にあいたい!」
と思うかもしれません。まあ、生まれ変わった人間はそんなことは思わないでしょうけどね。

極楽浄土と娑婆浄土。差があるのは、そこにいる人間なのです。土地そのものは、どちらも同じような浄土なんですよ。汚しているのは、住んでいる人間なんですね。
最近、エコだの何だの騒がれるようになって来ました。でもね、選挙のとき、
「エコを考えているのは私です!」
と車の中から叫んでいるエセエコ者もいますから、どこまで真剣に取り組んでいるのか疑わしいんですけどね。しかし、悪いことではないですから、大いにエコを進めて欲しいと思います。本来の浄土にしてほしいですね。
そもそもこの世界も浄土なのですから、何も死んでから阿弥陀さんの極楽浄土に行かなくても、この世で浄土を知ったほうがいいわけですね。生きているうちに、
「この世は極楽じゃ」
と言ってみたいものです。快楽に浸ってではなく、本当の意味での極楽だ、とね。
そういえば、どこかの国のリーダーが「美しい国」などとノタマッテおりますが、どうもピントがずれているようで・・・。何が言いたいのかさっぱり伝わらんですな。美しい国の意味がよくわかっていないんじゃないか、とも思います。美しい国にしたいのなら、あなたがまず車に乗ることを止めてください、と言いたいですね。争いごともね、止めて欲しいと思います。強行採決なんて美しい国をノタマウ人間がやっていいことじゃないですよね。もっと極楽浄土の意味を知って、本当の美しさを学んだほうがいいのではないか、と思いますね。美しいか美しくないかは、人の心なんですけどねぇ・・・。
合掌。


52、祇園
祇園といえば、京都の街、有名な繁華街ですよね。どなたかに
「祇園といえば?」
と問えば、そう答えると思います。あるいは、
「祇園祭」
と答える方もいらっしゃるでしょう。先月、祇園祭ありました。台風にどうなることかと心配されましたが。いずれにしても、祇園と言えば京都の街のことですよね。その祇園が仏教語なのでしょうか?。

仏教語・・・というとちょっと違うんですが、まあ、仏教関連の言葉であることは間違いないです。しかも、結構重要な言葉だったりします。
仏教で祇園と言えば、それは「祇園精舎」のことを指します。
「祇園精舎」は聞いたことありますよね。そうそう、平家物語の冒頭のあの言葉です。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・」
有名ですよね。知らない人は、あまりいないんじゃないでしょうか。本来は、「祇園」とはその「祇園精舎」のことを意味しているのです。
今回は、その祇園精舎についてのお話です。

祇園精舎の「精舎(しょうじゃ)」とは、今でいうお寺のことだと思ってください。しかも、地方の小さなお寺ではなく、本山級の大寺です。
お釈迦様がこの世にいらした時代、インドはコーサラ国とマガダ国という大きな国が勢力を誇っていました。他にも小さな国々があったのですが、ほとんどの場合、コーサラ国かマガダ国に属していました。独立はしていましたが、支配下にはあった、ということです(今のアメリカと日本の関係のようなものです。まあ日本は属国ではないですが・・・)。
で、その二大国家は、両国ともお釈迦様を信じ、支援いたしました。お釈迦様は当初マガダ国に滞在していました。そこでマガダ国の王は、竹林をお釈迦様の教団(そのときは弟子が1000人以上いました)に提供しました。これを「竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)」といいます。お釈迦様は、この竹林精舎を第一の拠点とし、布教活動を行ったのです。
ある日のこと、マガダ国で商用をしていたコーサラ国の大商人アナータピンディカ(通称スダッタ長者)は、お釈迦様の評判を聞きつけます。で、お釈迦様に直接会い、話を聞き、その教えに感動しました。そこで、
「ぜひ、コーサラ国へもおいでください。お釈迦様の尊い教えをコーサラ国の人にもお聞かせください。」
とお願いします。お釈迦様は、それを快諾されました。
やがて、お釈迦様はコーサラ国へと旅に出ました。その噂をいち早く聞きつけたアナータピンディカは、早速お釈迦様やその弟子たちが滞在される精舎を建てようと計画します。どうせ建てるなら、マガダ国の竹林精舎以上のものを、と彼は望みました。
アナータピンディカは、あちこちで候補地を探しますが、やがてコーサラ国のジェータ王子が所有している林園がいいと思い、ジェータ王子にその土地を売ってくれるように頼みます。しかし、ジェータ王子は
「たとえこの敷地全部に黄金を敷き詰めても譲らない」
といって断りました。ところが、当時のインドでは、一度値段をつけると、「売ってもいいという意思表示」という商習慣があったようです。アナータピンディカが、その林園を譲ってもらうように裁判をおこすのですが、その裁定が
「一度値段をつけたものは売らねばならない。ジェータ王子は『黄金を敷き詰めても』という金額を表示しました。したがって、ジェータ王子はアナータピンディカにその林園を売らねばなりません。」
というものだったのです。
この判決を聞いたアナータピンディカは、すぐさまジェータ王子の林園に黄金を敷き始めました。自分の財産をすべて黄金に換えてまで・・・。その様子を見たジェータ王子は、
「なぜそこまでするのか?。」
と問います。アナータピンディカは答えました。
「仏陀が現れたのです。私は、その仏陀と弟子たちのすごす場所を造ろうと誓ったのです。どうせ造るならマガダ国の竹林精舎以上のもを造りたいのです。ですから、こうしているのですよ。」
「なんと、では、この土地を仏陀に寄付しようということなのか。そういうことなら、私も協力しよう。」
ジェータ王子は、アナータピンディカが黄金を敷き詰めるのを止めさせ、土地はジェータ王子が寄付することになり、アナータピンディカは使わなくなった黄金で、精舎を造ることにしたのです。アナータピンディカは全財産をつぎ込んで、精舎を建立しました。
できあがった精舎は、すばらしいものでした。立派な僧坊、清潔な修行場、法話を説く場所、個人的な説教をする場所、食堂、水場、沐浴所、トイレ、井戸、池など、王宮に匹敵するほど設備が整った精舎ができあがったのです。こうしてできあがったのが、後に「祇園精舎」と呼ばれる精舎だったのです。
お釈迦様は、この祇園精舎をたいそう気に入り、多くの教えをこの精舎で説かれました。ですので、祇園精舎の名前は、経典に大変多く出てきます。

ところで、祇園精舎の名前は、ジェータ王子とアナータピンディカの名前から作った名称を省略したものです。本当の名前を
「祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおん しょうじゃ)」
といいます。
「これのどこが両者の名前から作った名称なんだ?」
という疑問の声が聞こえてきそうですが、当然ですよね。漢字だけ見ていると複雑怪奇な名前、としか思えませんよね。まず、
「祇樹(ぎじゅ)」というのが、「ジェータ王子」のことです。「ジェータ」を音写したら、なぜか「祇樹」になってしまったのです。
で、アナータピンディカを漢訳すると、「孤独な人々に施しをする人」という意味になるんです(スダッタというのが本名で、アナータピンディカが通称、という説もあります。多分そっちが本当でしょう。名前が「孤独な人に施しをする人」はおかしいですからね。それは名前でなく、その人の人柄を伝えたものですよね。まあでも、その通称が本来の名前になってしまう場合も当時のインドではあったそうですから、なんともいえませんが・・・)。
で、それを漢文にすると「給孤独(ぎっこどく)」になるというのですね。
つまり、
「ジェータとアナータピンディカ園の精舎」という名前が本来はついていたのです。サンスクリットのお経にはそう書かれているんですね。で、これを漢訳したときに「ジェータ」に「祇樹」を、「アナータピンディカ」に「給孤独」をあてて、
「祇樹給孤独園 精舎」
としたのです。で、さらにそれを省略して「祇園精舎」としたのですね。この時点でアナータピンディカの名前は消え、ジェータ王子のジェだけが残るようになってしまいました。省略しすぎて、もはや初めの意味はなくなってしまってますね。
ちなみに、全財産を精舎建立に費やしてしまったアナータピンディカですが、彼のその後はどうなったのでしょうか・・・。
無一文になった彼はその後、前にも増して大金持ちになったそうです。大商人どころか、当時のインドでは最高の金持ち商人になったそうです。で、その後も、仏教教団のために寄付を続けたそうです。

以上、これが祇園精舎の由来です。いや、祇園の本来の意味ですね。
そこで、京都の祇園です。なぜ、祇園という街があるのか・・・。
調べてみました。
そもそもは、八坂神社のことを祇園社と呼んだそうです。ことの興りは、およそ650年ころ(神社の歴史によると656年)、現在の八坂神社のあたりにスサノオノミコトを祀ったことから始まります。
やがて、その地に観慶寺という大寺ができます。もともと祀ってあったスサノオノミコトは、仏教で言うところの牛頭天王(ごずてんのう)という神にあたるとされました。牛頭天王は仏教では祇園精舎の守り神でありました。そこで、この観慶寺を別名「祇園寺」と呼ぶようになったのです。
で、明治維新の神仏分離で祇園寺はなくなり、祇園社は八坂神社へと名称を変えたのだそうです。
つまり、先にスサノオノミコトが祀ってあって、そのお社を寺にするときに、スサノオノミコトを牛頭天王と同一だとしたのですね。で、牛頭天王なら祇園精舎だ、ということになり、スサノオノミコトが祀ってあった社は「祇園社」と呼ばれるようになり、それらを包括していた観慶寺も通称「祇園寺」と呼ばれるようになったのです。
当時の京都の人々は、現在の八坂神社の神様のことを「祇園さん」と呼んでいたそうです。(今でもそう呼んでいるのかな?。)
で、そのあたり周辺を「祇園」と呼ぶようになったようです。元来、現在の祇園あたりは「八坂の郷」と呼ばれていたそうです。ということは、八坂の名称が初めであり、祇園は後からつけられた名前だったのですね。そのあたり、名前が入り組んでおります。八坂→祇園→八坂ということですね。あ、しかし、八坂に戻ったのは地名ではなく、社の名前だけですね。地名は祇園のままになってしまいました。

現在の京都の祇園といえば、京都観光でははずせない場所になっています。お寺巡りじゃなくて、「おみやげ」目的ですけどね。あとは、なんといっても「舞妓さん、芸妓さん」ですか。そういえば、「舞妓は〜ん」という映画もやってましたねぇ。確かに、夕暮れの祇園のわき道で見かける舞妓さんや芸妓さんは、きれいですね。雨上がりの道などを楚々と歩く姿は絵になります。カメラマンなら見逃さないでしょう。
祇園の料亭で舞妓さん遊び・・・・。
お大尽様の夢の遊び・・・ですよね。とんでもなく費用がかかるらしいですからね。
が、噂では、京都の大寺の偉いお坊さんは「舞妓さん遊びをしているらしい」と聞きます。そんな噂がたつなんて、お坊さんとしてはあまり喜ばしいことじゃないんですが、本当のところは私は知りませんから、なんとも言いようがないですね。でも、火のないところには煙は立たないというし・・・・。
もし、それが単なる噂ならば、坊さんに対するイメージがそうなっているのですから、坊さんは自らを戒めねばなりませんねぇ。誤解されないような言動をしないといけません。
もし、それが真実なら・・・・。うらやましい・・・じゃなかった。いけませんよ、そんなお遊びは。出家者としては許しがたいことです。ま、このまま地獄へ落ちて、鬼を相手に戯れなされませ。閻魔様もさぞ・・・・。あぁ、恐ろしや・・・。
合掌。


53、一念発起
「一念発起して新たに事業を起こすことにした」
「一念発起して、必死に勉強し、司法試験にまで合格することができた」
などといったように、何かを成し遂げようと新たに決心したときに使われる「一念発起」。これも実は仏教からきた言葉なんですよ。知らない間に結構使っているんですよね、仏教語って。

国語辞典(新潮社 現代国語辞典)には「一念発起」のことをこのように解説しています。
@(仏)ひたすら仏を信心すること
A悪行を悔いて善心を起こすこと
B決心して事にとりかかること
多くはBの意味で使いますね。時代劇やちょっと昔のドラマなどを見ていますと、Aの意味で使われることも多々あるようです。
たとえば、それまで放蕩三昧をしていたドラ息子が、一念発起して立派な人間になった・・・などという設定がよく出てきたりしますね。過去の悪行を悔いて、一生懸命に働いて尊敬されるような人物になったといった立志伝的な場合に、「一念発起」して・・・などというセリフが出てきますよね。これは、Aの意味でしょう。
@が仏教語としての「一念発起」の意味なのですが、ちょっとこれは違うんですよ。「ひたすら仏を信心する」というのは、少々意味が異なるようですな。本来の一念発起とは。
では、本来の一念発起とは、どういった意味なのでしょうか?。

おなじみの仏教語大辞典(東京書籍)によりますと
@一念発起菩提心の略。発菩提心のこと。仏に帰命する一念を起こし、菩提(さとり)に向かう心を起こすこと。
A信心をひとたび起こすこと。信の一念。
とあります。本来の意味は@のほうですね。Aは浄土思想が出てきてからの意味です。特には、阿弥陀信仰が盛んになったころ阿弥陀如来に対して「一念発起」せよ、と説かれたようです。

さて、一念発起の本来の意味ですが、これは略語であったわけです。本当の姿は「一念発起菩提心」だったのですね。すなわち「発菩提心」であるのだ、と。
発菩提心とは、仏教語大辞典の解説にもあるように、悟りを得たい、と思う心を起こすこと、なのです。これがなければ、仏教の教えを聞いても何もなりません。右から左でしょう。受け流されてしまいます。
つまり、発菩提心とは、「仏教を学んで、幸せになりたいと望む心」のことなのです。仏教の話を聞こう、仏教の本を読もう、仏教のことを説いたHPを見よう、そういう気持ちを「発菩提心」というのですね。
ですから、このHPを読んでいるあなたは、すでに「発菩提心」しているわけです。それは、つまり「一念発起」しているわけですね。
何も求めるものは悟りでなくてもいいのですよ。「心の安らぎ」でいいのです。「癒されたい」でもいいのです。ただし、その対象は仏教に限定されています。お釈迦様の教えを聞いて、読んで「癒されたい。心が安らぎたい。安穏な生活が送りたい」と望んだ人は、すでに発菩提心・・・一念発起・・・しているのです。
まだ、そこまで至っていない、ただ面白いから読んでみた、面白いから話を聞いてみた、という方は、発菩提心の一歩手前まで来ています。もう一歩前に出て、お釈迦様の教えを実生活に取り入れ、安穏で気楽な人生を送ろうと望んでください。それが一念発起です。

日ごろ悩んでいるにもかかわらず、迷って苦しんでいるにもかかわらず、お釈迦様の教えを聞こうとしない、仏教を胡散臭いものとして遠ざけているあなた、仏教は胡散臭くないものですよ。このHPを隅々まで読めば、それがわかります。
もしくは知人のなかに、仏教を遠ざけているという方がいましたら、本当の仏教は胡散臭くないものだ、迷いを晴らしてくれるものだ、と教えてあげましょう。そうすれば、その人は発菩提心・・・一念発起・・・するかもしれません。

一念発起とは、このように仏教を学ぼう、そして幸せになろう、と決心することを意味しているのです。そこから、今までの人生を悔いて新たな自分になろうと決心することを意味するようになったのですね。
と、簡単に解きましたが、そもそもはもっと深い意味があったようです。単に「悟りを得たいんだ!」というだけでなく。それは、この一念発起の中に含まれている「一念」の意味が問題なのです。実は「一念」には、深〜い深〜い意味があるんですよ。

一念・・・たった二文字ですが、そこには多くの意味が含まれています。仏教語大辞典によりますと、
@きわめて短い時間。六十刹那、あるいは九十刹那を一念という。また一刹那。一瞬。
A現在の刹那の心。きわめて短い時間に起こる心の作用。現在一瞬の心。一度の思い。一つの思念。念慮。
B一たび念ずること。一心ともいう。中略・・・一たび阿弥陀仏を念ずること。一たび発心すること。
C・・・中略・・・仏名を一たび称える意とする。
Dひとおもいの信心。ひとおもいの真心。一瞬の信。信の一念。信心を発起する時間が極めて短いことをいう。教えを聞いて心が開けた時に起こる。
Eただの一度。
F直ちに。たちまちに。
とあります。これでも、多少、省略してあります。たった二文字なんですが、意味は深いんですよ。
で、一念発起に関わっているのは、@DFですね。つまり、一念発起とは、
「仏様の教えを聞いてきわめて短い時間で、悟りを得たいという心を起こすこと」
「仏様の教えをきいたとたん、たちまちに悟りを得たい、と望んだこと」
を意味しているのです。ただ単に、「悟りを得たいという心を起こした」だけではないのですよ。仏様の教えを聞いた瞬間に、悟りを得たいと思うことが、一念発起なのです。この「瞬間」を意味しているのが「一念」の部分なのです。

@にありますように「一念」は、「60刹那」もしくは「90刹那」だそうです。といってもどれくらいの時間かわかりませんよね。
刹那という言葉は聞いたことがあると思います。「刹那的な考え方」と使われますよね。「切ない」の語源でもあります(あ〜しまった。ネタをここで一つ損してしまった!)。
刹那とは、最も短い時間のことです。一説によれば、一刹那は「75分の1」秒なのだそうです。その他異説は多々あります。中には1億分の1秒という説もありますし、もっと短い時間だという説もあります。キリがありません。
仏教では、人生は刹那に生きるようなものだ、と説きます。人間の一生なんて宇宙から見ればほんの一瞬、一刹那のうちに終わってしまう、と説くのです。そこから、
「人生なんて短いものさ、一瞬一瞬を楽しく生きなきゃ・・・」
という人生論が生まれました。刹那主義とも言われますね。さらに発展し、
「どうでもいいじゃん、今が楽しければ」
という生き方が若者の間ではびこるようになったのです。これが刹那的生き方ですね。
一方、仏教の影響で
「人生はほんの一瞬でしかない、虚しいものだ、悲しいものだ・・・・。あぁ、刹那い。」
と嘆いたことから、「刹那い」という言葉が生まれました。それが今の「切ない」ですね。
とまあ、余談でしたが、刹那とは、このような意味の言葉です。

ということですから、、一念発起とは、その60刹那で悟りをを得たい、と願う気持ちなのであり、それはつまり、仏様の教えを聞いて75分の1秒×60で「悟りたい」と思う心なのです。まあ、そんなことはどうでもいいのですが、それくらい、短い時間で悟りを得たいという気持ちを起こすことを「一念発起」は意味しているのですよ。
それはつまり、逆に言えば、仏様の教えは、それだけ優れている、ということを表しているのですね。誰もが、一瞬にして悟りを願う心を起こすほどの教え、という意味でもあるのです。

しかし、仏教も結構細かい分析をしているんですよね。こんなどうでもいいことを。といっても、これは純粋な仏教ではなく、主に唯識学という仏教の解説によるものなのですがね。お釈迦様が説かれた内容をともかく分析してみよう、というのが唯識なんですが、それはもう細かいです。その細かさは、時間の単位から距離の単位、さらには心の分析にまで及んでいます。西洋の心理学など足元にも及ばないほど細かく分析しているんですよ。
ここまで分析するにはそうとうの決意と執念が必要だったことでしょう。それこそ、一念発起して取り掛かったのでしょうねぇ。でも、仏教とは反対方向のように思えますけどね、分析学は。

ま、それはいいのですが、一念発起もその本来の目標は「悟りを得たい」であったのですから、現代で言えば「幸せになりたい、心の安らぎを得たい」というために一念発起してほしいですね。
さて、あなたはこれを読んで「一念発起」できましたでしょうか?。
えっ、できない?。そんな一瞬で悟りを得たいなどと思わない、しかもこんな内容で・・・・。
あいすみません。教えを説く方の力量も問題ですからねぇ。なかなかに、一念発起は難しいものでして・・・。ま、そのうちに、少しは悟りを得たい、と思ってくださいな。それだけで結構ですよ〜。
合掌。


54、舎利
今回の言葉は「舎利(しゃり)」です。一度は耳にしたことがある言葉ですよね。いうまでもなく、これは仏教語です。そうあの舎利は、仏教の言葉だったんですよ。

舎利といえば、銀舎利・・・お鮨屋さんではご飯のことですよね。そもそもはお米を舎利といったようです。で、その元はといいますと、ご存知の方もあるかと思いますが、「お釈迦様の遺骨」のことだったんです。つまり、舎利とはお釈迦様の骨のことなのです。これが、一見、米粒によく似ているんです。なので、お米のこと、ご飯粒のことを「舎利」と呼ぶようになったんですね。
これを知っちゃうと、おすし屋さんですしを食べているとき、お釈迦様の骨を食べているような気分になるかもしれませんね。ちょっと不気味?ですかねぇ。骨を食べている、と思うのは。でも、今度、おすしを食べるときは、ちょっと意識してみてください。ひょっとすると、悟れるかも・・・知れませんよ。
ま、それはいいとしまして、舎利のお話をいたしましょう。

お釈迦様は大涅槃に入られたあと、荼毘に付されます。
ちょっと解説しておきますが、大涅槃とは入滅のことです。つまり亡くなったことですね。一般の涅槃とは覚りのことを意味します。たまに「死」の意味で用いられることがありますが、それは誤用です。涅槃とは「そっと吹き消す」と言う意味のサンスクリット語「ニルヴァーナ(パーリ語ではニッバーナ)」の音写です。仏教では、「自らの欲望を静かに消し去った」ことを「吹き消す」と言う意味のニルヴァーナを用いて表現したのです。したがって、涅槃とは「死」を意味するものではなく、「欲望を吹き消した状態=覚り」と言う意味なのです。
ただし、お釈迦様の入滅のことを「大いなる涅槃。完全なる涅槃」と言う意味で「大涅槃」として用いることがあります。肉体を滅し、完全なる精神世界に入ったと言う意味で「大いなる涅槃=大涅槃」というわけです。
もう一つ。荼毘も仏教語です。元はパーリ語の「ジャーペッティ」の音写(さらにその俗語の音写ともいわれてます)です。意味は「焼身、焚焼、火化」です。つまり、火で焼くことですね。で、遺体を焼くことを荼毘に付す、というようになったのです。
話は戻ります。お釈迦様は大涅槃=入滅されたあと、1週間後に荼毘に付されます(弟子のマハーカッサパがお釈迦様のご遺体の安置されているところに到着するまで一週間かかりました。この間、火がつかなかったのです)。
荼毘の火が消えると、そこに残っていたのは一般に見られるような遺骨ではなく、米粒のような白い小さな粒だったのです。それがお釈迦様の遺骨=舎利だったのです。

そもそも舎利とは、サンスクリット語の「シャリーラ(パーリ語はサリーラ)」の音写です。意味は、ずばり「遺骨」です。特に聖者の遺骨をシャリーラと称していたようです。なので、お釈迦様の遺骨もシャリーラと称されるようになり、そのまま音写され「舎利」となったのです。
さて、そのお釈迦様の遺骨、舎利ですが、お釈迦様は遺言で
「遺骨はストゥーパに納め、これを拝するがよい」
とおっしゃったそうです。
ストゥーパとは「塔」のことです。「卒塔婆」と音写されています。先祖供養や年忌供養のときなどに塔婆を建てますが、卒塔婆とはその塔婆のことです。卒の字は省略されているんですね。
この塔婆を建てるということは、塔の中にその人の魂を納めている、ということを表現しています。塔婆に亡き方の戒名を書くことによって、塔の中にその方の魂を納めている、という意味ですね。お釈迦様の遺骨が塔・・・ストゥーパ(卒塔婆)・・・の中に納められたことに習っているのです。

話は戻りまして、お釈迦様のお弟子さんや信者の人々は、お釈迦様の遺骨を塔に納めることにします。しかし、誰もがお釈迦様の舎利を欲しがったのです。そこで、その場にやってきていた各国の王の使いの者たちで、一カ国ずつ分けよう、となったのです。集まったのは8カ国の使者でした。なので、お釈迦様の舎利は8等分されます。
その後、アショーカ王が8つの塔を廃しまして、いったん舎利を全部集め、一粒一粒分けまして、塔をたくさん作ります。その数8千とも言われておりますが、定かではありません。無論、お釈迦様の舎利がそんなにたくさんあるとは思えませんしね(しかし、これには不思議な話があるのですよ。後で話しますが・・・・)。

やがて、インドでは仏教が廃れていきます。そこで、お釈迦様の舎利もいくつかはアショーカ王の建てた塔から集められ当時の仏教の教団が管理するようになります。その中からは中国へともたらされたものもあります。残念ながらアショーカ王の建てた塔が破壊され、そのまま埋もれてしまった舎利もあったことでしょう。まあ、ともかく、当時の仏弟子たちが集められるだけ集めたことは確かです。
そして、仏教の伝来と共に中国へ、さらには日本へともたらされたのです。

はい、日本にもたくさん仏舎利(ぶっしゃり、お釈迦様の舎利のこと)は来ております。歴史の古いお寺などには必ず仏舎利があるでしょう。舎利塔という、小さな仏塔に入れられたり、マニ塔という塔に納められたり、あるいは五重塔・三重塔・多宝塔などに納められたりしていることでしょう。
私も実物を見たことがあります。小さな木製の舎利塔といわれるもに入っておりました。真ん中が水晶の薄い板になっていて、中が見えるんです。その水晶の板に囲まれて仏舎利は入っているんです。
確かに米粒のようでした。ちょっと色は黒ずんでおりましたが・・・・。いくつ入っていたでしょうねぇ。10粒くらい入っていたでしょうか・・・・。
本当のお釈迦様の舎利かどうかは知りませんよ。でも、そう信じられて長い間、礼拝されていたものですから、それはお釈迦様の舎利に違いはないでしょう。
ただし、日本にある、日本に存在する仏舎利を全部集めると、とんでもなく大量になるそうです。一説によるとゴジラと同じくらいの大きさになってしまうとか・・・。全世界に散らばっているお釈迦様の舎利と言われるものを集めると、それはさらに多くなります。ゴジラ以上ですね。
それほど、お釈迦様の遺骨=舎利は大量にあるんです。

そういう話をすると、「な〜んだ、じゃあ、日本にあるほとんどの舎利はニセモノなんだ」と思うことでしょう。いやいや、そうじゃないんです。
実は、舎利は増えるんだそうですよ・・・・。
聞いた話なので、真実かどうかは知りませんが、しかし、この話はず〜っと伝わっていることですので、真実・・・なのでしょうねぇ。
お釈迦様の遺骨である舎利は、天変地異が起こる前になると「ブルブル震えだし、割れる」のだそうです。で、割れても小さくはならず、元の大きさは変らないのだそうです。ですから、割れるというのではなく、クローン?、コピー?、ができると言ったほうがいいでしょうか。ともかく、天変地異の前触れとして、一粒の舎利が二つになっているのだそうです。
もう一つの説があります。舎利法という修行方法をしていて、それを極めると、空中から舎利が降ってくるのだそうです。尤も、その法を極めねばなりませんけどね。
まあ、こうして、舎利は増えていくのだそうです。で、現代に至るわけです。

今でも舎利は増え続けているかも知れません。どこかの歴史あるお寺の塔の奥のほうで、
「ピシッ、パシッ」
と割れて、あるいは、
「ブオ〜ン」
と言う怪しげな音を立てて、分裂しているのかも知れません。分身の術みたいに・・・。
いずれにせよ、日本は天変地異が最近多いようですし、今後も起きそうな気配がありますよね。温暖化の影響も出ているようです。日本だけじゃなく、世界中で天変地異が起こる前に舎利が増えているかも知れません。
全国の舎利を持っているお寺さん、注意してみていてくださいよ。もし、舎利が増えていたら、大変ですよ。何かの前触れかも知れませんからね。
残念なことに、私のお寺には舎利がありませんから、注意できないんですよ。なので、よろしくお願いいたしますね。

それにしても今回は、いっぱい仏教語が出てきましたね。舎利でしょ、涅槃でしょ、荼毘でしょ、卒塔婆でしょ・・・。随分、もったいないことをしたような・・・。
合掌。


55、堂々めぐり
「さっきから同じことばかり言ってる。これじゃあ堂々めぐりだ」
と、よく日常で使われる言葉「堂々めぐり」これも立派な仏教の言葉なんですよ。まあ、漢字を見ればわかると思いますが。
今回は、この「堂々めぐり」についてのお話です。

「堂々めぐり」を国語辞典(新潮社 現代国語辞典)で調べますと
1、祈願のために社寺の堂のまわりをぐるぐるまわること。
2、同じ場所をぐるぐる巡ること。転じて幾度も同一のことを論じて、議論や話が先へ進まないこと。
3、議会で、議員が議席から順次進み出して、投票箱に投票すること。
とあります。
一般的に使われている意味は、2の「転じて〜」ですね。本来の意味は、1です。

ところが、実はこの「堂々めぐり」という言葉、いつもの「仏教語大辞典」には載っていないんです。
「えっ?、じゃあ、仏教語じゃないんじゃないの?」
と思われるでしょう。う〜ん、どうなんでしょうねぇ・・・。
が、岩波の「仏教辞典」CD版にはちゃんとあるんですよ「堂々めぐり」。どういう説明かといいますと
「神仏に対して、寺社のまわりをめぐり歩くこと。何度もぐるぐるめぐることから、『度度(どうどう)めぐり』を当てた例もある。
転じて多くの者が手をつないで円陣をつくり、一つ所をぐるぐる繰り返しめぐる子供の遊戯、また一人で直立し両手をあげ目を閉じて身体をぐるぐるとめぐらせる遊びをいう。
さらには、平に同一の場所をぐるぐるめぐり歩くこと、同一議論などを繰り返して話し続けることをいうようになった」
とあります。また、「巡礼のように次々とお堂をめぐりあるくこと」も「堂々めぐり」といったようです。
と、ここで余談ですが。
子供たちが手をつないで円陣を作り遊ぶ・・・・これで思い出すのが、「かごめかごめ」ですね。この「かごめかごめ」の歌ですが、みなさんご存知ですか?。知ってますよね。覚えてます?。
あの歌なんですが、昔から「謎の歌」として知られています。このこともご存知でしたか?。よ〜く思い出してください。歌詞がちょっと変でしょ。「籠の中の鳥はいついつ出あう」とか「夜明けの晩」とか「鶴と亀がすべった」とか・・・。変な歌ですよね。意味不明。
一説によると、この歌は弘法大師が作った・・・・らしいんです。で、その歌に財宝のありかを隠しているとか。
「ホンマかいな」と言いたくなりますが、大真面目にそれを解読している方もいらっしゃるとか。で、場所はどうやら四国らしいんですね。ぐるぐるマワル遊びは、四国を巡礼することを意味しているとも。
まあ、本当かどうかは知りませんが。信じるも信じないもあなた次第です?!。

本題に戻ります。
仏教語大辞典に載ってなくて、仏教辞典にはある・・・これはどういうことでしょうか。
おそらくは、「堂々めぐり」という言葉は、日本だけの仏教語なのでしょう。インド伝来の仏教語ではない、中国でできた仏教語ではない、ということですね。
もう一つ。それは、比較的新しい言葉なのではないか、ということです。おそらくは、江戸時代以降の言葉なのではないか、と思われます。それは、古い言葉ならば、たとえその言葉が日本独自の仏教語であっても仏教語大辞典に載っているからです。それがないということは、比較的新しい言葉・・・・おそらくは江戸時代以降の言葉・・・・と考えられます。
まあ、そういう専門的なことはどうでもいいのですが・・・。

さてさて、堂々めぐりという祈願の仕方です。
「そんな祈願の方法ってあるんですか?」
と言われそうですよね。今では、あまり見られない祈願法です。この「堂々めぐり」という祈願の方法には、二通りのやり方があります。
1、巡礼
これはわかりますよね。代表的な巡礼は「四国八十八か所めぐり」です。八十八か所のお寺を順に(あるいは逆に)めぐり歩く祈願法です。お四国周りは、大きな願い事をかなえるために行われるようになったのです。
しかし、四国は遠くて行けない・・・・という方も世の中にはたくさんいます。そういう方は、「堂々めぐり」祈願ができないのでしょうか?。
そんなことはありません。四国には遠くて行けない、という方たちのために、「新四国霊場」という名で、各地で八十八か所めぐりができるようになっています。北は北海道から南は九州まで(沖縄はどうなんでしょう?。知っている方があったら教えてください)、本四国の八十八か所のお寺のお砂を頂き、各地方に八十八か所のお寺に奉安したんです。で、本四国まで行かなくても八十八か所めぐりができるようになったんですね。
身近に新四国霊場巡りができるお寺があるかもしれません。調べてみるのもいいのではないでしょうか。そうすれば、比較的簡単に「堂々めぐり」祈願ができますよね。
四国八十八か所めぐりのほかにも、「三十三観音めぐり」や「三十六不動尊めぐり」、「七福神めぐり」などの巡礼祈願があります。
何か祈願がある方は、一度「堂々めぐり」祈願をされるという手もあります。何も一度に全部めぐる必要はありません。四国なら一国参り(四回に分けて四国霊場を巡ること)という方法もあります。あるいは、毎月一回、行ける範囲でめぐる、ということでもいいでしょう。とにかく、八十八か所でも三十三観音でも、全部巡り終わることが大事なのですから。

2、お堂のまわりをめぐる
本来の「堂々めぐり」はこちらのほうです。これはご存じない方が多いのではないでしょうか。
もともとは、お経を唱えながら、お堂のまわりを右回りにまわる祈願法です。
大きなお寺の本堂のまわりには、縁側がめぐらされてますよね。最近の町中のお寺には見られませんが(土地事情、建築費事情ですね。本来のお寺の建築には費用がかかるんですよ)、古いお寺や大きなお寺、田舎のお寺などには必ず縁側がめぐらされているものです。
この縁側をお経を唱えながら歩くんですね。これが「堂々めぐり」という祈願なのです。前出の国語辞典も仏教辞典でも、掲載されていましたね。
この祈願法、そういえば・・・・と思った方はいませんでしょうか?。

まず思い浮かぶのは東大寺のお水とりです。二月でしたかね、あれは。東大寺二月堂のまわりをお坊さんが松明を持って走るでしょ。あれです。あれも祈願の法会ですからね。
まだあります。それは「経行(これで「きんひん」と読みます)」という作法です。天台宗でよくおこなわれるそうです。この経行というのは、祈願法ではありません。もともとは、座ってばかりいるお坊さんの運動不足解消のために始まったとか。ゆっくりお経を唱えながらお堂のまわりをめぐり歩くのだそうです。
さらにもう一つ。それは真言宗で修法される「理趣三昧」という秘法です。これは、祈願や先祖の供養のために行われます。どんな作法かといいますと、理趣経というお経を唱えながら壇のまわり(本来は本尊さんのまわり)をまわるという法です。私の小さなお寺でもこの法会を行ったことがあります。なかなかお参りし甲斐のある法会ですよ。
「堂々めぐり」という祈願の仕方は、おそらくはこうした僧侶が行う作法を真似てできあがったのではないかと思います。かつては、ご真言、あるいは念仏や題目、お経、などを唱えながらお堂のまわりをまわったのでしょう。今では、そうした祈願をしている方は見受けられませんけどねぇ。自分で祈願するより、お坊さんに頼んだほうが簡単ですしね。何周まわればいいのかもわかりませんし。
堂々めぐりではありませんが、似たような祈願法に「お百度参り」がありますね。たいていは、「お百度石」という石があって、その石と本堂とを百回往復するのが「お百度参り」の祈願です。そういえば、お百度をしている方も最近はいないんじゃないでしょうか。若い方は知らないでしょうし。時代劇を見ているとたまに出てくるんですけどね。ま、これも一種の堂々めぐり・・・とも言えそうです。
なので、堂々めぐりも、きっとお堂のまわりを100周くらいしたほうがいいのではないかと思います。大きなお寺のまわりだと、バテてしまいますね、100周なんてしたら。できれば小さいお堂を選んだほうがいいかもしれません。
って、こうして楽に楽にと怠けているから願い事がかなわないのでしょうね。怠けていては何も願いはかなわない、ということですね。努力が必要なのです。
堂々めぐりも、巡礼もお百度も、結構労力がいります。ホント、怠けものには無理な祈願法ですね。途中で嫌になることもあるでしょうし。意外と大変な祈願法なのでしょう。同じことを繰り返しているだけですが、案外努力と持続力が必要なのです。ですから、そうした祈願をやり遂げたら、「何事も続ければ成就する」という気持ちが生まれるのかもしれません。これが、堂々めぐりの本当の「ご利益」なんでしょうね。願い事が叶う、というのはおまけのようなものです。大切なのは、「続けてやり遂げる」ということなのでしょう。

さてさて、世の中は、あいかわらず堂々めぐりをやっているようですねぇ。どんな堂々めぐりかって?。
決まってます。
「不正」という名のお堂や「隠ぺい」という名のお堂、「ごまかし」という名のお堂、まだほかにもありそうですが、そういう不穏な名前の付いたお堂をグルグルグルグル廻っているんですよ。何年も前からね。
誰がって?。ご存じでしょう、みなさんも。
官僚という名の怪しい人々、政治家という妖怪、はたまた最近では食品業界のシャッチョーという生き物などなどですねぇ(しかし、なんで官僚のトップになった方は、あんなに悪人面なんでしょうか?)。
ホント、毎度毎度同じことの繰り返し。同じ場所をぐるぐる廻っているだけ。いい加減、つまらない堂々めぐりはやめてほしいですね。本来の意味のように、
「国民の安定した生活を祈願するため」
に国会というお堂を、霞が関などお役人の職場というお堂をめぐり歩いて欲しいですねぇ。
合掌。


56、精進料理
秋の紅葉のシーズンも終わってしまいました。今年は紅葉が遅かったようですね。これも地球温暖化の影響でしょうか(異常気象とかがあると最近は全て地球温暖化のせいにしますが、昔から異常気象なんてよくあったことなんですけどね・・・)。
紅葉が似合う場所といえば、京都でしょうか?。そういえば、先月、高野山に行きましたがいい色でしたねぇ。きれいな紅葉を見ることができました。
京都や高野山で紅葉狩りとくれば、食事は当然「精進料理」でしょう。京都ならば湯豆腐でしょうか。高野山はごま豆腐に高野豆腐が有名です。たまに食べる精進料理はおいしいものですね。
ところで、この「精進料理」という言葉なんですが、「精進」と「料理」を組み合わせたものなんです。仏教には、「精進料理」などという言葉は本来ありません。日本での造語ですね。仏教語の「精進」と、食事を作るという意味の「料理」を組み合わせただけなんですよ。

精進料理といえば、肉や魚貝類などを使わない料理のことをいいますよね。お寺での通常の食事は、こうした肉や魚介類を使わない食事になっています。
なぜ、お寺では肉や魚介類を食べないのでしょうか?。
お釈迦様の時代は、実はそんなことはありませんでした。修行者は、肉も魚も貝も食べていたんです。驚きました?。お釈迦さまがいらしたときは、肉を食べてはいけない、魚介類を食べてはいけない、などという決まりはなかったのです。お釈迦様がいらしたとき・・・・だけではありません。初期仏教時代や上座部仏教を継承している国では現代でも肉や魚介類を食してはいけないという決まりはありません。ですので、上座部仏教を実践している国は、現在でも肉や魚介類を食べている可能性はあります。
なぜ、お釈迦様がいらした時代の仏教や上座部仏教では、肉や魚貝類を食べてはいけないという決まりはなかったのでしょうか。それは、その当時の(上座部仏教もですが)食事が托鉢によるものだったからです。

お釈迦様がいらした時代の仏教教団や現在の上座部仏教を継承している国での仏教教団では、食事はすべて托鉢で賄っています。日本の仏教のように、お寺で料理をしているわけではありません。すべて食事は托鉢で得ているのです。
托鉢は、もっぱら一般家庭を巡って行います。その家の残りものや作った料理の少しを分けてもらうのが、本来の托鉢です。一軒の家だけでなく、自分の食べる分量が得られるまで何軒も廻ります。ですから托鉢の鉢の中には、実にいろいろな食事が入れられます。野菜中心の料理もあれば肉食もあります。固形食もあれば流動食もあります。全部同じ鉢の中にごちゃまぜに入れられます。味も何もあったものじゃありません。
当然です。修行者は、身体を維持するために食事を得るのであって、味わうために食事をするのではありませんからね。味わうこと自体が執着ですから、味がごちゃまぜになろうと、甘かろうと辛かろうと関係ないのです。いろんな味がゴチャゴチャに混ざって、得体の知れない味になっても、そんなの関係ない!、のです。
ですから、肉も野菜も魚も貝も、いろいろ入っているわけです。どんな料理であれ、托鉢で得たものであれば食べてもいいのだし、味にこだわってはいけないのだし、料理の内容にこだわってもいけないのです。与えられたものをただ食べる・・・・それだけです。
ですから、お釈迦様時代の仏教修行者は、肉や魚介類も食べていたんです。

それがいつのころからか、肉や魚介類は食べてはいけない・・・ということになってしまったんですね。これは、おそらくは仏教が中国に伝わってから、なのではないかと考えられています。
仏教が中国に伝わり、大乗仏教へと変化していったころ、そのころの中国には儒教の考え方も根付いていました。仏教徒が肉や魚貝類を食べない・・・・となったのは、おそらくは儒教の影響なのではないかと考えられているのです。
仏教は、殺生を禁じます。これは、仏教の戒律の基本ですね。ですが、お釈迦様がいらしたころは托鉢で食事を得ているので、殺生してはいません。なので、托鉢の食事に肉類が入っていても「可」なのです。ただし、「仏教修行者のために生き物が殺された場合は、その食事は取ってはならない」というルールがありました。つまり、お釈迦様やその弟子を食事に招待する場合、
「皆さん食事のために、今ブタを殺してきますのでお待ちください」
「ちょっと待ってください、鳥をシメテいますので」
「皆さんの接待のために魚を釣ってきました」
などというのは禁止なのです。
では、どんな肉や魚ならばいいのでしょうか。それは、誰のためでもなく、一般の人々みんなのために命を奪われた肉、獲られた魚類、ならばいいのです。その肉類を与える対象が不特定多数であったならば構わないのです。
托鉢で食事をている以上、こうした建前は仕方がないですね。

ところが、中国に仏教がいたり、托鉢ではなく寺院内で食事を作るようになってからは、肉類を混ぜるわけにはいかなくなったのです。当然、寺院内では動物を殺すわけにはいきません。魚を飼うのはいいのですが(池を造って・・・)、その魚を食べるわけにはいきません。殺生は禁止されてますからね。
肉類が手に入らない・・・・のです。
じゃあ、買ってくればいいではないか、と思いますよね。まあ、そうなんですが、殺生を禁止している仏教修行者が殺生のなれの果てである肉類を食べていいのか、という疑問が世間で出てくるのです。当然、そうした意見は出てきますよね。
そうなれば、いっそのこと寺院内では肉食を止めよう・・・となっても仕方がありませんよね。世間の目は厳しいのですよ。昔の坊さんは純粋でしたしね。
こうして寺院内での食事は肉や魚介類を使わない、というルールが誕生したわけです。これは、お寺の食事であって、初めから精進料理と呼ばれていたわけではありません。

では、いつから精進料理になったのでしょうか?。それには、精進という言葉をもっと知らなければいけません。
精進とは、本来の意味は次のようです(仏教語大辞典、東京書籍より)。
@物事に精魂をこめて、ひたすら進むこと。善をなすのに勇敢であること。努め励むこと。心を励まして道に進むこと。いそしみ。励み。励みの道。勇気。勇敢にさとりの道を歩むこと。精励。善を助けることを特質とする。大乗仏教の実践徳目である六波羅蜜の第四。
A(省略)悪を断じ、善を修するように努力する心の作用。
BCは省略。
D心身を清めること。
E俗縁を断って潔斎し、仏門に入って宗教的な生活を送ることをいう。後には、魚・鳥・獣の肉を食わないことをもいうようになった。
本来の精進の意味は、@とAです。悟りを得るために努力することを精進する、といったのです。今でも、新人さんや新しい役職に就いたりする時などに、「精進努力してまいります」などとあいさつをしますが、この使い方が本来の意味ですね。一生懸命に頑張ることを「精進」といったのです。
それが、いつの間にか・・・・おそらくは日本の古来の神道と相まってから・・・・DEの意味が生まれて来たのでしょう。
現代では、精進といえば、DEの意味合いが強くなっています。「精進潔斎して過ごす」とか葬式などの後の食事を「精進落とし」などと呼ぶのは「精進」の意味が「身を清める」という意味で使われているからですね。

そう、いつの間にか、精進の意味は、「心身を清める」という意味が強くなっていったのです。ここに、仏教の殺生を禁止する戒律が混ざり、儒教的な意味が混入し、また中国の食文化が入り、「肉食は血が濁る」とか「肉食は身が汚れる」などという思想が生まれてきたようです。
そこから、「修行中は精進ですごす」、「喪に服しているときは精進でいなければならない」、「精進潔斎して身を清める」などというようになったのでしょう。
こうして、寺院での肉や魚を使わない料理は、「修行者の料理」であり、「心身を清める料理」と思われるようになり、「精進の料理」となったのではないでしょうか。
言い得て妙・・・ですね、「精進料理」。誰が最初に言い出したのかは知りませんが(おそらくは禅寺のお坊さんでしょう。禅寺では食事は修行の一つととらえ、食事に創意工夫を凝らしていますからね)、お寺の料理を精進料理と呼んだのは、なかなかの発想ですね。

ちなみに、禅寺では、食事にはずいぶん気を使います。食事の係りは「典座(てんぞ)」と呼ばれ、重要な役職になっています。また、「がんもどき」を作ったのも禅僧だったと言われています。がんもどきは、鳥の雁の肉に似せて作った料理です。鶏肉の味が忘れられなかったのでしょうね。
今では、大豆の粉などを利用して、肉そっくり、ウインナーそっくり、ハンバーグそっくりの料理を作ったりします。高野山には、「精進しぐれ」という肉のつくだ煮そっくりの料理もあります(高野豆腐を利用したものだそうです)。精進料理も豆腐や高野豆腐、野菜の煮物ばかりでなく、現代食にマッチしたように進化しているわけです。健康ブームもありますしね。ダイエット食にもなりますしね。

ところで、初めのほうで「料理」を「食事を作るという意味」と断りを入れたのには、実は訳があります。これは私も知りませんでした。この精進料理について調べていて知ったことです。
なんと仏教語に「料理」という言葉があるんです。つまり、仏教では「料理」の意味が違うんですよ。もうびっくりです。
料理の意味は、いまさら言う必要はないですよね。みなさんよくご存知ですし、毎日料理されている方も多々いらっしゃることでしょう。
でも、仏教での「料理」の意味はご存じないでしょ。ちょっと紹介しておきますね。おなじみの仏教語大辞典からです。
料理・・・・とりはからい、処理する。また道理を考えること。しつらう。
という意味だったようです。また、こうした意味から
「ものを経営し、つもりをはかるいう」
という意味もあったようです。
つまり、料理とは、「ものごとを処理する」という意味が本来の意味だったようですね。現代でも、
「あいつを料理しておけ」
などと悪いヤツが言ったりしますが、こちらのほうが昔からの意味だったようです。今のように食事を作る意味での料理は後から生まれた意味のようです。
言葉は面白いですね。難しいところがありますけど・・・・。

さてはて、寒い夜。精進鍋などを考案してみるのはいかがでしょうか?。がんもどきとか、大豆の粉を固めた肉もどきとか、野菜をたっぷり入れて鍋料理などに興ずるのもいいですよね。
「精進努力してまいる所存です」
などとご立派なことをいう癖にち〜っとも「精進努力」しないお偉いさん方のことなどちょっと忘れて、忘年会には精進鍋で舌鼓・・・・もいいんではないでしょうか。
「来年こそは精進努力する」
ために精進料理で精進潔斎してみてくださいな。
合掌。



バックナンバー8へ


今月のこんなところに仏教語へ戻る    表紙へ