えっ?!

こんなところに仏教語!

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102.彼岸
「暑さ寒さも彼岸まで」
厳しい残暑も、待ち遠しい春の前の寒さも、彼岸のころまで・・・・。昔から言われていることですね。まあ、まさにそういう年が多く、厳しい残暑も秋の彼岸のころになると、涼しい風が吹くようになってきます。また、長い冬も、春の彼岸のころになると、温かさを感じるようになりますよね。
先月は、秋の彼岸でした。
彼岸・・・といえば、仏教語に間違いはないので、あえてここで取り上げることもないだろうに、と思われる方もいらっしゃるかも知れません。しかし、意外や意外、今使われている彼岸は、実は本来の彼岸の意味とはちょっと異なるんですよ。

彼岸と言えば、皆さんまず思いつくのは
「お墓参り」
ではないでしょうか?
「お彼岸だから、御先祖のお参りに行きましょう」
などと言って、お墓参りに行かれるご家庭は多くあると思います。古くからの習慣になっていますよね。いや、風物詩ともいえましょうか。
ですから、多くの方が、お彼岸と言えばお墓参りをする日、の意味だと思っているのではないかと思うのです。しかし、実は、彼岸の本当の意味は違うんですよ。「お墓参りする日」ではないのです。

お馴染みの仏教語大辞典で彼岸を調べてみますと
@かなたの岸。川向こうの岸。
A理想の世界、理想の境地。迷いの此岸に対し、さとりの世界をいう。生死の海をこえたさとりの岸。さとりの岸。ニルヴァーナの境地。ニルヴァーナ。さとり。究極の境地。無為の岸。
B究極的見地。
C絶対完全。波羅蜜。
D六境のこと
E彼岸会のこと。日常の苦しい生活を脱し、楽しい精神生活を送るために、仏法を聞き、行いを正しくする日。春秋二季、三月と九月に各7日間ずつ行われる。
とあります。どうですか?。お墓参りの日、なんて書いてないでしょ。

@は、そのままです。まあ、これが大元の意味なんですが、「向こうの岸」を悟りに譬えて言ったのが、A〜Cですね。Dについては、後で説明します。
お釈迦様は、よくたとえ話をされました。で、悟りについてもたとえ話を多くされています。ある時、ある川のそばでお釈迦様が滞在していた時のことです。迷いの世界から悟りの世界へ行く話になり、
「たとえば、迷いの世界は川のこちらの岸のようなものだ。悟りの世界は、川の向こうの岸のようなものである。人々は、向こう岸に渡るのに、泳ぐなり、船を使うなり、橋を架けるなりして向こう岸へ渡る。修行も同じなのだ。迷いの世界から悟りの世界に至るには、修行をしなければならない。それは、川に橋を架けるようなものなのだ。そうして、迷いの世界から悟りの世界へと向かうのだ。そう、川のこちら岸から川の向こう岸へ渡るように・・・」
という話をしたのです。そこから、迷いの世界をこちら側の岸・・・此岸(しがん)、悟りの世界を向こう側の岸・・・彼岸、と呼ぶようになったのです。つまり、彼岸とは「悟りの世界」を譬えでいった言葉だったのですよ。
なので、Aのような説明になるのですね。理想の世界も、ニルヴァーナも、生死を超えた世界も、究極の境地も、無為の境地も、みな悟りの世界を表した言葉です。悟った世界のことですね。それは、当然ながら究極的見地Bでもあるし、絶対に完全な世界であり般若波羅蜜(究極的智慧)の世界でもあるのですC。
すなわち、彼岸とは、お墓参りをする日のことではなく、悟りの世界を表す言葉だったのですよ。

なおDの六境とは、簡単に言えば「色・声・香・味・触・法の対象」のことです。般若心経にも出てきますよね、「色・声・香・味・触・法」という言葉。これは六根(ろっこん)といいますが(富士山に登ときに唱える『六根清浄』の六根です)、色は目による知覚、声は耳による知覚、香は鼻による知覚、味は舌による知覚、触は身体で接触することによる知覚、法は意識によって知覚することをいいます。六根清浄とは、こうした知覚その物が清浄である、ということですね。
で、六境とは、その知覚される対象のことです。色境は目で判断されるもの、声境は耳で判断されるもの、香境は鼻で判断されるもの、味境は舌で判断されるもの、触境は肌などで触れることによって判断されるもの、法境は思想のように知恵によって判断されるものをいいます。
なぜ、この六境が彼岸の意味に含まれるかといいますと、それは六根がこっち側であり、六境が対象物・・・あっち側・・・であるからですね。こっちが六根、あっちが六境、というわけです。まあ、この意味での彼岸は、ほとんど使われることはありません。

では、いつから彼岸がお墓参りの日というような意味で使われるようになったのでしょうか?。それは、彼岸会(ひがんえ)が行われるようになったことから、派生したと考えられます。
彼岸会とは、Eにもあるように、春と秋に行われます。なぜかというと、春と秋には、太陽が真西に沈む日があるからです。
浄土を広く説いた高僧に善導大師という方がいます。法然さんの師でもありますね。この善導大師は、
「太陽が真西に沈む日が春と秋にある。この日は、太陽が真西に沈むことにより、阿弥陀仏の極楽浄土へつながる道ができる。さぁ、皆のもの、真西に沈む太陽を見て、阿弥陀仏の極楽浄土を観想しようではないか。浄土のある彼の岸に生まれ変わることを願って祈ろうではないか」
というようなことを説いたのです。そこから、浄土系の寺院で太陽が真西に沈む日に阿弥陀如来の浄土の岸に至ることを願うという彼岸会が行われるようになったのです。
この彼岸法会は、春分の日や秋分の日を中心に七日間行われました。そこから、春分の日や秋分の日を「お中日」とも言うようになったんですね。
日本のお寺は、浄土真宗が多いですね。壇家さんも浄土真宗が最も多いです。浄土宗を合わせると、もっと増えますな。で、浄土宗や浄土真宗の壇家さんたちが、春や秋の春分の日や秋分の日のころになると、せっせとお寺に通いますな。何をしているのか・・・・。
お寺でお経をあげてますな。法話も聞いています。で、帰りには自分の先祖のお墓もお参りしていきます。浄土宗や浄土真宗の壇家さんは、当たり前のようにしていますな。で、それを見ていた他の宗派のお寺さんや壇家さんも、まあ真似ますな。壇家さんからもいわれます。「うちの和尚さんも、阿弥陀さんの法会をやらないのか」とね。阿弥陀さんは人気があったんですね。そりゃ、誰もが極楽浄土へ行きたいですからね。
こうしたことから、春分の日・秋分の日を中心に各寺院で彼岸に至るようにという法会が行われるようになったのですな。
お寺に行けば、ついでに先祖の墓もお参りしますね。で、いつの間にか、阿弥陀如来の浄土、彼の岸に生まれ変わることを願う彼岸会の方は、影が薄くなり、お墓参りだけが残っていったんですね。ま、説教を聞くのは嫌ですからね。お寺に行ってお話を聞くのも、昔はレジャーの一種だったのでしょうが、時代が変われば興味も失せるものです。つまらないのですな、説教などを聞くのは。小言を聞いて、信じられもしない地獄の話をされるのは、そりゃ嫌でしょう。なので、お墓参りだけでいいか、となり、彼岸会の方は、影が薄くなったのですな。
ま、お墓参りだけでも残ったのが幸いですかねぇ。

お彼岸は、本当は悟りの境地を感じる日、と思っていただいた方がいいんですね。彼岸とは、悟りの世界のことなのですから。お墓参りもいいけど、せっかくお墓参りに行ったのなら、
「御先祖さま、少しは悟りの世界に近付いたかしらん?。それとも迷いの世界に漂っているのかしらん?。もし、迷っているのなら、早く彼岸に至って、私たちを導いてね」
とでもお参りしたほうがいいですね。
えっ、なになに?、子孫のお前たちを導こうにも、力が足りない?。えっ、子孫がちーっとも先祖供養をしないし、先祖を大事にしないから、力が出ないんだって?。はぁ、それじゃあ、彼岸に至るのも難しいですかねぇ。
まずは、御先祖の供養をしっかりやってから・・・・ですね。
合掌。


103.醍醐味
「そこが醍醐味なんだ!」
昔は、よくオジサンが酔っ払ないながら、野球のこととか映画のこととかを語っていました。で、そこが面白いところなんだ、というときに「醍醐味」という言葉を使いました。今ではあまり聞かれなくなりましたねぇ。
と、思っていたら、TVのバラエティー番組(最近のTV番組は見るに堪えませんな。手抜きもいいところ・・・。まあ、予算がないんでしょうねぇ。なので、我が家のTVは、ただついているだけ、音と映像が流れているだけ、の存在です)で、「そこが醍醐味なんですよぉ」とお笑い芸人が力説していた声が耳に飛び込んできたんですね。いったい何の醍醐味なのか、それはさっぱりわかりませんでしたが(そっちはどうでもいいんですが)、今でも使うんですねぇ「醍醐味」。もう死語だと思ってましたけど・・・・。若い人には通じないでしょうねぇ。きっと
「だいごみぃ?、なにそれ〜、うけるんですけどぉ〜」
みたいな・・・。もっと、ちゃんと日本語教育しなきゃいけませんなぁ。日本の教育は死んでますなぁ・・・・。
ま、それはいいとして(よかぁないが・・・)、この「醍醐味」、もともとは仏教語なんですよ。あ、醍醐味だけじゃなく、醍醐そのものが仏教語なんですよ。今回は、そのお話を・・・・。

醍醐、といえば、醍醐天皇、後醍醐天皇、醍醐寺、醍醐味・・・・という言葉が浮かびますよね。浮かびません?。ならば、浮かべてください。これ、どれも同じ醍醐です。もとは仏教語の醍醐から使用しているんです。
今、たまに使われる醍醐は、「醍醐味」という言葉で使われており、醍醐だけで使われることはほとんどないですね。で、その醍醐味の意味は、
「物事の本当の楽しさ、真髄」
のことです。そういう意味で使いますよね。
では、本来の・・・醍醐味ではなく・・・・仏教語の「醍醐」はどういう意味なのでしょうか。お馴染みの仏教語大辞典でみてみましょう。
@五味(乳、酪、生酥、熟酥、醍醐)の第五。精製した乳製品で、味の最高位とされる。
A仏性・真実教、またはニルヴァーナに譬える。
B天台教学では、五時の第五である法華涅槃時をさす。
とあります。これをよく見ると、醍醐は、どうももともとは仏教語ではなく、味を示す言葉だったことがわかります。それを仏教が例え話に使うのに便利だから取り入れた、ということのようですね。つまり、本来「醍醐」は、日常の味を示す言葉だったわけです。
しかし、日本にこの言葉を伝えたのは仏教でした。すなわち、「醍醐」は仏教語として日本に入ってきた外来語だったのです。

インドでは、牛乳をそのまま飲むことはあまりなかったようです。牛乳をそのまま飲むのは、身分の低いものだったようです。多くの場合、牛乳を精製し、ヨーグルト状態にしたり、バター状態にしたり、チーズのようにしたりして食していたようです。これが五段階に分かれているんですな。で、最終的にチーズをさらに固くした菓子のような感じになるのですが、これが醍醐なんですね。乳製品では最も美味しいとされる状態です。
つまり、
牛乳(乳)→ヨーグルト状(酪)→バター状(生酥)→チーズ状(熟酥)→固いチーズ菓子のようなもの(醍醐)
というわけです。
今から20年くらい前だったと思います。記憶が定かではないのですが、全真言宗青年会が奈良の西大寺で開催されました。その時のお昼ご飯(昼食・・・「ちゅうじき」といいます)に古代の食事(奈良時代の食事)が出たんですね。赤米や大豆を潰したミソのようなもの、味付けのない野菜の煮たものなどが出たように記憶しているんですが、デザートとして「醍醐」が出てきたんですね。乳製品の最高食である「醍醐」です。どれほどおいしいものか、と思い食しましたが、これが・・・・・・。
食感は、チーズをもそもそにしたようなものでした。固いです。で、「うまくねぇ〜」。はっきり言って「マズイ」ものでした。いやはや、昔の方は、このような味を最高位としたんですねぇ、驚きですな、というのが率直な感想です。まあ、現代人とは味の感覚が大いに異なるのでしょうね。
ま、これが「醍醐」というものです。興味のある方は作ってみてください。あるいは、ネットならば売っているかもね。何でも売ってる時代ですから。

と、まあ、この「最高位」という意味を仏教が取り入れまして、仏教の最高の境地である涅槃・・・ニルヴァーナ・・・を示すときに使うようになったんですね。こうして、庶民の言葉の醍醐が仏教語になったんですな。
それが日本に仏教とともに入ってきまして、初めは仏教語として使われたいたのでしょうが、やがて本来の、大元の意味に戻って使われるようになったのです。
庶民の言葉→仏教語→庶民の言葉
という珍しいパターンですね。このような仏教語もあるんですよ。

ちなみにBの天台宗では・・・の中に「五時」という言葉が出てきますが、これは、お釈迦様が悟りを得た時(成道)から亡くなるまで(涅槃)に説いた教えを時系列で解説したときに使う言葉です。いろいろな説がありますが、代表的な「五時」を示しておきます。
@華厳時(けごんじ)・・・お釈迦様が悟りを得てすぐに菩薩たちのために説いた教え。悟りの世界そのままを説いた教え。深い教えなので、一般の人々には理解できない。華厳宗の教えの根本。21日間説かれた。
A阿含時(あごんじ)・・・鹿苑時(ろくおんじ)ともいう。華厳の教えを説いた後、あまりにもこれでは難しいので、誰にでも理解できる教えを説き始めた。初めて五人の修行者に説法をしたのが、鹿の苑だったので、鹿苑時といい、またこれらの教えは阿含経にまとめらているので阿含時ともいう。初期仏教の教え。出家のための教え。いわゆる小乗仏教。12年間説かれた。
B方等時(ほうとうじ)・・・初期仏教を学んだ者に対し、さらに一歩進んで説いた教え。「維摩経」、「金光明経」、「勝鬘経(しょうまんきょう)」などの初期大乗経典。はば広く(方)、身分の差別なく平等(等)に説いた教えなので方等時という。自分だけが救われる小乗を恥じ、多くの人が救われる大乗を目指すきっかけとなる教え。8年間説かれた。
C般若時・・・般若経を説き、空の教えを説き明かした。22年間説かれた。
D法華涅槃時・・・最後の8年間に、法華経にて小乗の者も大乗の者も同じ真理を得られる、と説いた。そして、臨終に際し、涅槃経を説き、仏性の真理を説き明かした。
というのが天台宗の五時教判です。まあ、多くの古い仏教書は、この時系列の説を取り入れています。これを乳、酪、生酥、熟酥、醍醐にあてたわけです。
ちなみに、般若時を二番目にする説もあります。天台教学が普及する前は、般若時を二番とし、法華経時と涅槃時を分けて考えていたようです(阿含時、般若時、維摩時、法華時、涅槃時)。
まあ、こういう分類は、あまり意味のないことなんですけどね。

ともあれ、醍醐は、最高位の意味です。醍醐天皇もそういう意味で醍醐と名乗ったのでしょうね。ま、内容は別として。
さてはて、本当に醍醐なのか、本当に醍醐味なのか、それは個人個人で感覚が異なっていますから、
「これが醍醐味なんだよぉ」
と言われましても、通じない場合もありますな。その人にとっては醍醐味かもしれませんが、別の人にとってはマズイもの、かもしれません。味覚や好みは、人それぞれですからね。
なので、
「これが醍醐味なんだよ、お前もやってみろよ〜」
なんて押しつけは、あまりいいことではないでしょうね。まあ、同じ感覚を持った者が集まればそれでいいわけで。その中で、お互いに醍醐味を味わえばいいのでしょう。味覚も感覚も、趣味も違いますからね。
あなたは、何に醍醐味を感じるのでしょうか?。
合掌。


104.入院・退院
誰であっても、病気にはなりたくないものです。ましてや、入院するような病気は、できれば避けて通りたいですよね。
とはいえ、人間ですから生きている以上、病気になることは、まあ間違いはないでしょう。ひょっとすると、入院するような病気になることもあり得ます。こればかりは、仕方がないことですよね。その可能性は、すべての人に平等にあるものですから。
入院したならば、できれば早く退院したいと願うのも、当然のことでしょう。いくら居心地がいい病院だからと言って、出来るだけ長く病院にいたい、という方はほとんどいませんよね。長く病院にいさせたい、と願う家族はいるかもしれませんが・・・・。
しかし、いずれ退院しなければいけません。入院中に亡くならない限りは、誰もが退院を迫られるのです。いつまでも入院させてくれる病院はないし、法律で3か月以上の入院はダメとなっていますからね。病気になっても、入退院に自由はないのですよ。病気にはなりたくないものですなぁ。
ところで、この「入院・退院」という言葉、もともとは病院に関係した言葉ではなかったんです。もとは、仏教関係の言葉だったんですよ。

そもそも入院・退院とは、寺に出家して入ることや寺から出ることを意味したのです。詳しいことをお馴染みの仏教語大辞典で見てみましょう。
*入院
@出世して寺院に入ること
A「じゅいん」とよむ。新任の住持が、はじめて寺に入って寺に住する、の意。禅院に新任の住持が就任すること。晋山(しんさん)に同じ。
*退院
@禅院の住持がその職をやめて、寺を去ること。
A職を解いて寺から追放すること。江戸時代に我が国では、僧に対する刑罰の名称として用いた。
ということなのです。つまり、入院とは出家してお寺に入ること、退院とはお寺を出ること、だったんですよ。

詳しく解説しましょう。
まず入院です。入院の@の出世してとは、もちろん今でいう出世のことではありません。このコーナーでも随分前に紹介しましたが、出世も仏教語で本来の意味は「世間を出る、俗世間から離れる・・・すなわち出家のこと」です。ですから、@は「出家してお寺に入る」という意味ですね。
Aは、特に禅宗で使用したようです。お寺の住職になる、という意味です。一般には、その寺の住職になる場合は「晋山(しんさん、しんざん)」といいます。たいていの場合は、お寺に新しい住職が来る、あるいは前住職の息子が跡を継ぎその寺の新住職になるときには、晋山式という法会を行います。私も約25年前に行いました。
まあ、いずれにしても、入院とは、俗世間を離れてお坊さんになって寺に入る、お寺で修行をする、という意味なのです。

次に退院ですが、@は禅宗で主に使用されていた意味のようです。住職がその職を辞めて後任に譲り、寺を出ていくことを退院と言ったようですね。たとえば大徳寺のように数年単位で住職が変わる寺は、その住職が職を辞めたあとは、寺を出るのが一般的です。世襲式が多くなった現在のお寺では、住職が亡くなるか、引退し名誉住職になるかした場合のみに後任に住職を譲ります。しかし、前住職は寺を出ることはありませんね。世襲しているのですから、家族です。ですから、その家のおじいさん的存在で居続けるわけです。隠居した前住職として、その寺にいるわけです。ところが、世襲式でない寺の場合は、住職を辞めたら、前住職は寺を出なければなりません。そのことを退院といったのです。
本来、寺は個人のものではありません。ですから、世襲するのはおかしな話なのです。本来ならば、住職は弟子を取って、その弟子の中から優秀なものに次の住職を任命するのが正しい寺のあり方です。しかし、明治時代以降、寺は世襲が望ましいとされてきました。なぜなら、出家する者が激減し、寺の存続が危うくなり、葬儀をする者がいなくなってしまう危険が生じたからです。その原因を作ったのは、実は明治政府が行った廃仏毀釈なのです。
明治政府は、天皇を中心とした政治を行いました。また、神国日本を強調しました。そのため、仏教はなるべくなくす方向で政策を勧めたのです。それが廃仏毀釈ですね。そのため多くの寺院が潰されたのです。
ところが、困ったことに寺の数が減ると、葬式の担い手もなくなるんです。葬式は、お寺の仕事です。江戸時代は、お寺は戸籍係もやっていて、各町や村の戸籍を管理していました。各町や村の人々は、その地域のお寺に所属させれたのです。これが檀家制度の始まりですね。お寺は、自分の寺が管理している町や村の人々が亡くなると、お葬式を担いました。こうして、寺と壇家の関係が生まれたのです。
ところが、廃仏毀釈によって、寺が潰されますと、葬式の担い手が減ってしまいます。しかも、寺はダメだ、仏教はダメだ、と政府が言えば、誰も出家して修行しようとは思わなくなります。坊さんになるのは悪いことだ、と政府が言っているようなものなのですから。そうなると、ますます、葬式を出すのに坊さんがいないという事態に陥ってしまうのです。そこで、お寺を存続させるため、坊さんも奥さんを持つように政府が命じたわけです。まあ、浄土真宗に関してだけは、それ以前に結婚はできましたけどね。こうした背景があって、お寺が世襲式になったのです。ですので、今では、退院する住職は少なくなったのです。
なお、Aですが、江戸時代はお寺やお坊さんは、監視の目が厳しかったようです。寺社奉行の管理下にあったのですが、お坊さんの犯罪が結構あったようなのです。たとえば、賭博場としてお寺を貸したり(寺銭の由来にもなっています)ですね。これは、よくあったことのようです。また、特に監視されたのはお坊さんの女犯(にょぼん)です。つまり、お坊さんが女性と親しくなり、性的行為をすることに関して、幕府は大変にうるさかったようです。軽い場合で、退院・・・寺の追放ですね。重い場合は、死罪でした。まあ、それだけ、お坊さんも乱れていたのでしょう。ともかく、江戸時代は、退院といえば、坊さんが寺を追い出されることを意味していたわけです。

ちなみに、「院」というのは、垣根で囲んだ屋舎のことで、唐時代末にはお寺の名前に用いるようになりました。つまり、寺は総合的な名称で、その寺に属する別のお堂などに名前をつけて○○院としたのです。逆に言えば、住職のいるお堂を○○院として、その院が集まったのが寺、というわけですね。寺が院を含んでいる、という関係です。なので、本山があり、その本山に所属している寺は、本来は○○院と名乗るべきなのです。地方のお寺で、「○○寺」と名乗るならば、その寺はいくつかの院を抱えていないといけないわけですね。

さてさて、人間誰でも病気にはなるものです。中には入院するほどの病気になる場合も多々あります。しかし、入院したからと言って嘆かないほうがいいですね。病気するときは病気します。焦ったって嘆いたって病気が治るわけでもなし。ここは、俗世間としばらくおさらばだと思い、本来の意味での入院を味わうのもいいのではないかと思います。そう、病気で入院しているのだけど、実は出家気分を味わいたくて入院しているのだと、そう思って病気治療に専念するのがいいのではないでしょうか。入院して病気を治すのも、お寺に入って修行するのも、似たようなものだと思えば、まあ、少しは気が楽になるものですよ。
ただし、いくら病院が居心地いがいいからと言って、あるいは退院の本来の意味は不名誉なことだからと言って、退院を拒むのはよくありませんね。入院したら、退院してください。あせらず、ちゃんと病気を治して・・・。
合掌。


105.接待
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
去年は、本当に大変な年でしたね。大地震があったり、ギリシャが事実上の破綻をしたり・・・・。自然災害はどうしようもないことですが、一国が破綻するって・・・もう驚きですね。会社でいえば倒産ですから。お陰で、世界中が不景気の嵐・・・あぁ、中国のような傍若無人・厚顔無恥の国だけが景気いいようですが・・・に巻き込まれています。当然ながら、日本も不景気がひどいですな。あぁ、あのバブルのころが懐かしい・・・などと嘆く方もたくさんいらっしゃることでしょう。
そういえば、あのバブルのころはあちこちで接待の宴会が行われていました。会社が接待費をたくさん出していたんですな。今では、接待費などスズメの涙ほどでしょう。
「接待などしなくても、契約を取ってこれる営業マンこそ本物だ!」
な〜んて言われているのかもしれません。まあ、その言葉は本当だと思いますけどね。接待しなきゃ仕事が取れないなんて・・・それは営業マンとしては最低でしょう。接待なんぞしなくても、仕事が取れるのが実力のある営業マンですよね。とはいえ、企業の接待は、景気をよくしていたことは否定できませんな。接待が大変少なくなった昨今、飲食業界・・・特に飲み屋さん関係・・・は客足が遠のいて、不景気にさらに拍車をかけていますな。接待費があれば、もう少し景気も回復するのでしょうけどね。

さて、この接待という言葉、これはもともとは仏教語だったんですよ。というか、お釈迦様が接待を受けていたんですな。お釈迦様がいらした当時、聖者を接待することはステイタスだったのですよ。なので、お釈迦様もしょっちゅう接待を受けていたんですな。で、そうしたことが経典に書いてありまして、仏教が日本に伝わり、接待という言葉も日本に入ってきたんですね。言葉だけじゃなく、その行為も伝わったのです。そう、ですから、接待という言葉が入ってきたころは、接待を受けていたのはお坊さんだったんですねぇ。

お釈迦様が接待を受けていた、といっても、お酒が出されたわけでもなく、綺麗なおねいさんがお釈迦様の横に座って御酌をしていたわけでもありません。お釈迦様が受けていた接待は、食事の接待ですね。しかも午前中です。夜ではないのですよ。
お釈迦様がいらした当時、お釈迦様の弟子だけでなく、修行者はみな托鉢で食事を得ていました。あるいは、差し入れですね。信者からの差し入れによって食事を得ていたのです。仏教教団は、戒律により、日々の食事は托鉢で賄うこととなっていました。差し入れがあった場合は、これは個人への寄付ではなく教団への寄付という扱いをして、その時精舎にいた修行者全員でわけあって食べていました。食べ物だけでなく、布なども教団への寄付として、みんなでわけあっていたのです。個人で独り占め・・・などということはなかったのです。
しかも、托鉢は午前中だけ行います。食事は一日1回、もしくは2回。午前中に食事をとる、という決まりでした。午後からは水分を取るのみですね。
原則、食事は托鉢で賄う、という決まりだったのですが、その当時は聖者を家に招き接待をするという習慣がありました。家に聖者を招き食事の接待をし、いろいろ教えてもらう・・・というのが、お金持ちや王族階級の人たちのステイタスだったわけです。
そういう習慣があったので、仏教教団でもこれは認められていました。お釈迦様も何度も接待を受けています。ただ、仏教教団の場合は、お釈迦さまから接待の請求をすることは絶対ありませんでした。接待の請求は、禁止されていたんですね。接待は、信者側からの申し出があって、初めて成立したのです。
その接待の申し込みは、まあ、次のような感じですかね。
たいていは、直接お釈迦様に面会します。で、接待の申し入れをするんですね。
「お釈迦様、来週の○日、是非我が家に来て、食事をとっていただきたいのですが」
「お釈迦様、今度の○日には、宮中に来て、接待を受けていただきたいのですが」
と、まあ、このように申し込むわけです。すると、お釈迦様は黙っています。ウンともスンとも言わないんですね。これは、実は承諾の意味なんです。接待を受けない場合は、理由を言って断ります。黙っているというのは、接待を受けますよ、という意思表示なんですね。で、接待を申し出た人は、お釈迦様が黙っているのを見て、お釈迦様が接待を受けてくださったと判断し、
「では、その日、○名のお弟子様をお連れになってお越しください」
と答えるんです。接待は、お釈迦様一人だけではなく、弟子も何人か連れて行くんです。お釈迦様一人だけの接待というのは、ないのです。また、連れていく弟子は悟りを得た者だけでした。悟りを得た者は食事にはこだわりを持ちません。何を出されても、うまいとかマズイとか、高級品だとかロクなものがないとか、そうした区別をしません。だから、接待を受けるのは、悟りを得た者だけに限るのです。お釈迦様が認めた阿羅漢だけなんですね。阿羅漢でなければ、接待を受ける資格がなかったのですな。
お釈迦様は、接待を受けると、悟りを得ている弟子からだいたい20名ほどを選定し、接待をしてくれる家に連れて行きます。人数は決まっていません。たいていは接待側から何名と指定してきます。指定がない場合は、相手の経済力によって、人数をお釈迦様が決めたようです。数名の時もあれば、50人ほど・・・という場合もあったようです。

さて、接待の日になります。お釈迦様とお釈迦様に選ばれた弟子たちは、その日は托鉢に行かず、接待をしてくれる家(あるいは宮中)に向かいます。到着しますと、水が用意されており、手足を洗いますな。で、食卓に静かに着席します。テーブルにならぶ御馳走を見て「おう」とか「ふむふむ」などという者は一人もいませんな。黙って食卓に着き、その家の主人に促され食事を始めますな。食事内容は、お釈迦様だけが特別ということもありません。お釈迦様も弟子たちも平等ですね。
食事は午前中で終わります。接待の場合でもそこは守ります。食事が終わりますと、口をすすぎ、衣を整え、お説教に入ります。これが重要なんですね。このお説教を聞くために接待をするんです。説教の内容は、一方的にお釈迦様が話す場合もあれば、ホスト役の主人の方からこういう話を聞かせて欲しい、というリクエストもあります。お釈迦様から話す場合は、たいていはホスト役の主人の心を見抜いて、その時にその人が気になっていることについての話になります。まあ、お釈迦様ですから、そのあたりは心得ていますな。
で、説教が終わりますと、精舎へ戻るんですね。これが接待の全容です。

さて、接待は悟りを得た者しか参加できませんと先ほど言いました。それは、悟っていない者は、食事の内容にこだわるから、という理由からです。接待は、金持ちばかりが行ったわけではありません。庶民が共同で行う場合もありました。その際は、食事内容は山海の珍味・・・というわけではないのですね。庶民的な家庭料理になります。あるいは、前日の残りモノだったりする場合もあります。それでも、接待される側は文句を言ってはいけないのです。
「銀座のクラブじゃなきゃねぇ」
などとバブルのころ言っていたようなことは、お釈迦様の教団ではあり得ないんですよ。しかし、悟りを得ていない者は、
「接待しておいて、こんな食事かよ」
という者もいるんですね。悟っていない者はこだわりを捨てていないですからね。なので、悟りを得ていない者しか接待は受けられないのです。
ところが、弟子の中には、
「どうしても接待をうけたい」
と思う者もいたんですな。もし、そう思うなら修行をして悟ればいいんですが、接待を受けたいなどと願う者は、面倒な手続きは嫌なタイプに多いですね。早くいい思いをしたい、辛い思いはパスしたい、という者が「接待受けたい」などと思うのですな。世の中そういうものなんですよ。接待を受けたいと思わない人にこそ接待の申し入れがあって、接待受けたいと思う人ほど接待がないものですよね。追いかければ逃げる・・・そういうものです。
話がそれましたが、接待を受けたいと、悟ってもいないのに望む者もいたんですね。で、悟ったふりをしてお釈迦様や長老には内緒で勝手に信者の家に托鉢に言った時などに、
「接待を受けてもいいよ」
などと触れ回る者もいるんですよ。まあ、こういうことをするのは、カールダーインとかダイバダッタですな。そういう役割なんですね、彼らは。
で、接待先で
「こんなまずいものを出しやがって」
などと文句を言って、勝手に接待を受けたことがばれる・・・ということがあったようです。なので、教団では勝手に接待を受けてはいけないという決まりがあったのですな。

接待には下心がつきものですな。それはお釈迦様がいらした時代も今も同じでしょう。接待するからには、その見返りが必要になるわけです。お釈迦様も、その下心が汚い人が接待を申し出たのなら、断っていたのでしょう。純粋に聖者に食事の接待をしたい、教えを聞きたい、と願っている者からの申し出だけを受け入れていたのでしょう。でないと、つまらないことにお釈迦様の名前が利用されかねないですからね。だからこそ、悟った者だけしか参加が許されなかったともいえますな。
バブルのころは契約を取るために接待漬けの日々だったようです。今は・・・・接待自体が少なくなっていますからね。
我々お坊さんの場合は、何かイベントがあって、そのゲストを慰労するために接待は行われることがありますな。何か下心があるわけでもなく、「この度は御苦労さんでした」という慰労の意味で、食事の接待や飲み会などを用意したりします。下心がない分、本来の接待に近いですな。あぁ、下心があるとすれば、接待だからという理由で、公に飲み屋さんに出入りできる、というところでしょうかねぇ。普段はいかないですからね、そのような場所に。
しかし、接待することはあっても、接待されることは少ないですなぁ、そういえば。ごくたまに接待されますけどね。いや、接待することも少ないですな。年に1〜2度ですかねぇ。
まあ、しかし、する側よりは、される側の方がいいですな。う〜ん、誰か接待してくれないかしらん。別に文句は言わないから。
あぁ、だめだ!。あたしゃ、悟ってないですからね。カールダーインになっちゃ、行けませんからね(カールダーインについては、今月の「お釈迦様物語」を参考にしてください)。
合掌。


106.性欲
平成24年が始まってまだ2ヶ月目というのに「性欲」の話ですかぁ?、とあきれる方もいらっしゃるかも知れません。が、しかし、性欲と書いて「せいよく」と読むのは現代の読み方であり、仏教語では「しょうよく」と読むのですよ。しかも、「せいよく」という言葉になるのは、後々の話で、本来は「しょうよく」だったのです。つまり、「性欲(せいよく)」は本来は仏教語の「性欲(しょうよく)」とう言葉だったのですよ。
で、今回は性欲の話です。

とはいえ、性欲(せいよく)の話であっても、決して不謹慎ではありません。仏教はいわば欲との関わり合いを説いた教えでもあります。性欲も欲の一種である以上、避けては通れない話ではありますな。日本人は、妙に性欲的な話を避けたがりますが、これは大事なことなんですよ、本当はね。避けてはいけないことでもあります。仏教は本来欲と直面している教えですからね。まあ、そのあたりの話も含めて話を進めていきたいと思います。

まずはお馴染みの仏教語大辞典で「性欲(しょうよく)」をみてみましょう。
@過去からの習性と現在の楽欲(ねがい)。個人の素質や傾向および目的物に向かって行動を起こす意思。
A欲は好みの意。好みから行為をするが、その好意が積み重なって習いとなったのが性といわれる。そして性はまた欲をかきたてていく。
となっています。えー、よくわからないんじゃないでしょうかねぇ、これ。

そもそも性とは、本質・本体のことで、不変の性質のことをいいます。つまり、人間が本来持っている変ること無い性質・・・本質のことですね。で、それが@の個人の素質のことですね。その個人の素質に従って、個人個人望むものは違います。その望むものが@の楽欲(ねがい)なのです。
すなわち、「個人個人の性質に従って願うもの」が性欲(しょうよく)なのですな。性欲(しょうよく)の欲は、異性や性的(色欲的)な欲のことだけではなく、それも含めて欲全般のことを示しています。
で、人間の欲というものは、際限がないですね。一つの欲を達成すると、次の欲が生まれるんですな。その欲によって、その人の性質も変化をしていきます。本質的なところ・・・基本的な性質・・・・は変らないのですが、その基本的性質に次の性質が積み重なっていくわけですな。
まずは基本的性質があります。その基本的性質に従って欲が生まれます。その欲が満たされます。すると次の欲が生まれます。次の欲が生まれたのは、基本的な性質から生まれた欲が満たされたからです。だから、次の欲が生まれたのですな。で、その欲が満たされたとします。すると、また欲が生まれてきます。そうして欲が積み重なっていきますな。そのうちに欲によって性質も増えていきますな。初めは一つの性質から生まれる欲だけだったのに、欲が生まれるたびに新しい性質が出てくるわけです。基本的性質が成長するわけです。
で、どんどん新たに生まれた欲から生じた性質が積み重なっていきますな。こうして基本的性質に別の性質が積み重なっていき、性格が形成されていきます。
さらに、その性格によって欲がまた増えていきます。これがAの意味ですね。これが本来の性欲(しょうよく)の意味ですね。
これが、いつのまにやら性に関する欲のことだけに限定されて使われるようになったのですな。江戸時代なのか、明治以降なのかは私は知りませんが、いつのころからか「性欲(しょうよく)」は性に関する欲望のことを意味するようになってしまったのですね。で、読み方も「せいよく」になったのです。

先ほども書きましたが、人間の欲は際限がありません。お釈迦様はそのことを
「たとえ黄金の雨を降らそうとも、人間の欲は尽きることはない」
と言い表しています。まさにその通りでしょうな。
よくある話です。ある女性が
「私、結婚ができればいうことがありません。とにかく結婚がしたい。結婚さえできればそれで満足です」
と仏様に願いました。その願いは聞き届けられ、望み通りに結婚できたんですね。満足ですな。
ところがその女性、次には
「子供が欲しいんです。子供ができたら、もう望むことはないですぅ」
などと言って今度は子宝成就の祈願をしますな。こんなころから、私は「欲の深いことで・・・」などと嫌みを言いますな。
で、妊娠しますな。すると
「五体満足で誕生して欲しいです。もうそれだけでいいわ。それ以上は望みません」
などと満面の笑みで祈願しますな。その頃になると私は「いやいや、子供が生まれるとまた欲が増えるから」などと冷やかな目で見ますな。ま、その通りで、望み通り五体満足で子供が生まれますと
「イケメンになってほしい」
「いい子に育って欲しい」
「頭がよくなって欲しい」
「将来、私たちを大事にして欲しい」
などと次々に欲が生まれてきますな。それは、成長するにつれどんどん膨れ上がっていきます。本当に人間の欲望には際限がありません。
これが人間の欲望ですな。

さて、こうした欲に対し、仏教は「欲を慎みなさい」と教えています。満足を知りなさいと・・・。それを一言で表現したのが
「少欲知足(しょうよくちそく)」
という言葉ですね。欲は少なく足りることを知りなさい、という意味ですな。際限ない欲望にブレーキをかけよ、ということです。まあ、この辺りで十分さ、という満足を知れば、欲に苛まれるということはなくなってくるわけですね。これが仏教の教えです。
性欲(せいよく)に関しても同じですね。余分な性欲は慎んで、奥さんや夫だけで満足しなさい、と説きます。淫欲に耽るな、とも説きますな。何事も欲は少ない方がいい・・・というのが仏教です。

ところが、密教は少々異なります。いや、むしろ欲があってよろしい、とも説きます。ただ、どうせ欲をもつなら、とことん深く持て、とことん大きな欲をもて、とも説きますな。小さな欲じゃあダメだぞ、ということです。
たとえば、金持ちになりたいと思うのなら、世界一を目指せ、ということですな。そこらへんの金持ちなんぞで満足するな、どうせなら使いきれないほどの金持ちとなり、世界中の人々を食わしてやれ、というくらいの金持ちになれ、と説くのが密教ですな。単なる欲を大いなる欲へと昇華しているわけです。
ま、そこまでは無理という場合でも、欲を満たすために大いに働け、でもいいのですよ。「資生をつくす」と言いますが、欲を満たすために働いて金を稼ぐことは大いに結構なことだ、と説くのが密教なんですね。
さらには、性欲に関しても密教は大胆に認めてしまいます。
「なに、Hがしたいか、いいんじゃないか。しかし、そのためにはお金がいるぞ。まずはその金を稼ぐことから始めなきゃいかんな。よし、働け、大いに働け。で、大いに欲望を満たすがいい。どんどん欲をもって、どんどん稼ぐがよい」
と説くのですね。異性との関わりをもつ、Hをする、Hをしたいと思う、それ自体忌み嫌うものでもないし、避ける必要のないものである、と説くのです。性的欲求があって当然、と認めてしまうのが密教なのです。

それはなぜか。
答えは簡単です。欲自体が清浄だからです。欲自体は純粋だからです。
人間が欲をもつことは当たり前のことです。欲がなきゃ、一切の事柄が成立しません。欲がないなら、その時点で死んでいるも同然ですな。お釈迦様だって、人々に教えを説き、人々を導こうという欲がありました。それは欲ですよね。欲がなければ、お釈迦様は悟った時点で死んでいてもよかったわけです。自分ひとりだけ悟ってしまい、その中で生きていけばいいわけですから、人間の肉体などいらないのですよ。しかし、そうはしなかった。梵天から頼まれたとなっていますが、いくら頼まれたとしても欲がなければ、人々に教えを説くことなどしません。
お釈迦様も欲があったのです。
菩薩に至っては、人々を救うためには、どんなこともしましょう、という誓いを立てています。それってすごく欲の深いことですよね。自分の欲・・・人々を救う・・・ためには、何でもするって言っているんですからね。これほど欲の深いことはありません。
もちろん、それに引き比べ我々の持っている欲は小さなものです。我欲ですよね。あれが食べたい、あれが欲しい、怠けたい、遊びたい、楽しみたい、ダラダラしたい、淫欲に耽りたいなどなど。個人的な欲ばかりです。それでも、その欲自体は、決して汚れているものではありません。
たとえば、あなたが異性を好きになった(まあ同性でもいいのですが)その気持ちは、不純ですか?。純粋に好きになったんじゃないでしょうか?。好きという気持ちは、不純でしょうか?。純粋ですよね。その好きという気持ちを不純という人の心が不純だと私は思います。何を考えているんだか、と思いますよね。人を好きになること自体は、ものすごく純粋な気持ちから生まれていることでしょう。
で、その好きな人とデートしたいと思うのは自然でしょ。自然な思いですよね。好きな人と一緒にいたいと思うこと自体も純粋ですよね。なんの汚れもない思いです。で、さらにその好きな人と一つになりたいと望むのも、これまた自然でしょ。当たり前のことです。好きな人と一つになりたくないなんて思うなら、それは本当に好きとはいわないですよね。好きになったら当然いきつくところは、一つになりたい・・・です。それのどこが不純なのか。
不純なのは、好きでもないのに単に身体の欲望を満たすためだけにHしまくることが不純なのでしょう。いや、密教的な見方からすれば、肉体的欲望を満たしたいという欲すら純粋になるのですけどね。なぜなら、どんな欲であれ、欲そのもは純粋だからです。密教とは、そういう教えを含んでいるのですよ。

欲は、そもそも純粋なものなのです。間違ってはいけませんよ。欲自体は悪ではないのです。悪いのは、欲にこだわる人間の心がいけないのです。欲が悪者ではないのです。欲にこだわる心が悪者なんですよ。
ここを混同しているから、欲をもつことはいけない、というような間違った教えがはびこることになるのです。仏教は欲を捨てる教えなどという誤解が生じるのですな。とんでもないですな。仏教はそんなことは説いていはいません。仏教は、欲にこだわる心を戒めているだけなんですよ。

さてさて、欲について少しは理解できたでしょうか?。皆さんも、皆さんのそれぞれの性質において生じる欲は異なるでしょう。このことは
「性欲(しょうよく)即ち異なり」
と言いまして、人それぞれに欲が異なっているから、仏教はその欲に応じて、いろいろな教えがありますよ、と説いているんですね。つまり、その人その人の性質や願いに応じて、能力に応じて、教えを説くのが仏教である、ということですな。
しかし、欲ばかりが先行し、教えをちーっとも聞かない連中もいるんですな、この国には。その代表格が政治家という職業の連中ですな。
「当選したい。政治家でありたい」
という欲をもつことは大いに結構なことですな。でもね、その欲を満たそうという努力をしませんな、彼らは。当選したいなら、それなりに働けばいいのにね。欲は満たしたいけど、働くのは嫌・・・というのは我が儘というだけですな。それは、純粋な欲ではなく、たんに欲にこだわって我を忘れている状態であり、最悪の症状でしょう。
もう少し、自分たちの欲を見つめ、欲に対し正直であって欲しいですな。
欲とはそういうものです。決して目をそむけるのではなく、真正面から見つめ、相対するのが欲なのですよ。
皆さんも、自分の欲に真正面に向き合ってみてください。
合掌。


107.業が深い
初めにお断りをしておきます。今回の内容は誤解を招きやすい内容です。不快に思う方も多々いらっしゃることでしょう。極力、誤解のないように書きますが、それでも「許せんな」と思う方はいらっしゃることでしょう。しかし、私には悪意もなければ、嫌悪しているわけでもありません。ただ、昔から言われていること、昔はよく言ったこと、また現在でもお年寄りの方が口にすること、なのです。
しかし、私の説きたいところは、そこではありません。どうか、そこのところ、誤解なきようよろしくお願いいたします。

昔から、というか、昔のお年寄りは、嫌われ者の長生きしている老人のことや体が不自由になってしまい苦しんでいる老人のことを
「あの者は業が深いから・・・」
「ああいう者は業が深いのじゃ」
と陰で言っていました。今でも時々お年寄りが口にするのを耳にします。特に、田舎のお年寄りは、こういうことを言うようです。まあ、陰口の一種ですね。
昔から、あまりにも長生きし過ぎて、周囲の者に迷惑をかける老人や病などで苦しんでいる老人は、
「業が深い」
と言われていたのは、事実です。しかし、それは本来は悪口などではなく、
「あの者は、業が深いから、周囲の者に迷惑をかけるのだ」
「あの者は、業が深いから、あんなに苦しむんだ」
という、対象の老人の現状への理由付けだったわけです。そして、それは、若者や周囲の人々への警告でもあったわけです。つまり、
「業が深ければ、あのようになってしまうぞ」
ということですね。なので、
「善いことをしなさい」
という教えにもなっていたわけです。まあ、それがいつの間にやら悪口になってしまったんですね。多くの場合は、
「業が深いからじゃ、ザマないわな・・・」
という気持ちが含まれているのでしょう。
逆に、幼いころに亡くなってしまった場合は、
「業がないから、早くに仏様のところに行ったのだ」
という言葉になります。そうした言葉で、亡くなってしまったお子さんの親の気持ちを慰めていたのです。

業・・・・今話した内容の意味からすれば、業=罪となります。ですから、
「業が深い」
とは
「罪が深い」
ということになります。しかし、この場合の罪は、法律に触れるような罪だけではありません。日常の生活における罪をも含んでいます。いや、むしろ日常生活で犯してしまった罪のほうが重視されますね。
それだけではありません。この「業」という言葉には、前世の罪も含んでいるのです。

「すごくいい人だったのに、最後はあんなに苦しんで亡くなるなんて」
「とても立派な人だったのに、晩年は惨めだったわねぇ」
という方がいると、昔のお年寄りは(今のお年寄りもそうかもしれませんが)
「それはな、あの者は業が深かったんじゃよ」
などとしんみりと言ったものです。その一言で、その亡くなった方の晩年の苦しみの理由を表現しているんですね。そうすれば、葬式に参列した人や、周囲の者の妙な勘繰りや揶揄、批判、噂話を避けられたのです。
「業が深かった」
と言われれば、誰しもが「あぁ、そうなんだ」で終わったのです。内容はよくわかっていなくても。そうした意味では、「業が深い」という言葉は、いい作用を施していたのですね。

しかし、まあ、一般には「業が深い」と言われれば、悪い意味で使います。「強欲ジジイ(ババア)」とか「因業ジジイ(ババア)」などとも言われ、欲深で意地汚い、意地悪なジジイ(ババア)という意味でつかわれることが多かったようです。その真意は、「罪が深い」、「性格が悪い」、「前世からの因縁(罪)が悪い(深い)」ということなのでしょう。

そもそも業とは、仏教の言葉です。最近では「カルマ」などと言われ、怪しい占い師や霊感師が頻繁に使いたがりますね。
確かに、業の語源はインドのサンスクリット語の「カルマ」を音写した言葉です。ただし、意味は、単に「前世の罪」という意味ではありません。正しい意味を仏教語大辞典で見てみましょう。
「業=カルマ」
@なすはたらき。作用。
A人間のなす行為。ふるまい。行為のはたらき。行い、動作。普通、身・口・意の三業に分かつ。身と口と意とのなす一切のわざ。すなわち、身体の動作、口でいう言葉、心に意思する考えのすべてを総称する。意志・動作・言語のはたらきの総称。意志にもとづく身心の活動。
B行為の残す潜在的な余力(業力)。身口意によってなす善悪の行為が、後になんらかの報いをまねくことをいう。身口意の行い、およびその行いの結果をもたらす潜在的能力。特に前世の善悪の諸業によって現世に受ける報い。ある結果を生ずる原因としての行為。業因。過去から未来へ存続してはたらく一種の力としてみなされた。
C悪業または惑業の意で、罪をいう。業の和訓として「つみ」と読む。
以下省略。
本来、業とは人間の行為のすべてを表した言葉です。それは、悪行だけでなく善行も含まれていたのです。つまり、「業=罪」ではなかったのですね。
ところが、人間はどうしても善よりも悪についてとらわれがちな生き物でして、やがて業は「罪」の意味を強くするようになったのです。仏教語大辞典の意味の@からCに向かっていったのですね。特に、日本人は、「業=罪」という意味で使いたがったようです。まあ、あからさまに「罪」というより、「業」と言ったほうが当たり障りないですし。

また、前世からの業という意味でよく使ったようです。それは、何か災い事があった時、あるいは何か運の悪いことが起きた時、
「業のなせるせいだ」
の一言で片づけられたからです。とても便利な言葉だったのですよ。すなわち、何か悪いことが起きた場合、
「それは前世の罪によるものだから、仕方がないじゃないか。納得しなさい」
という意味で「業のなせるところ」と言ったのです。前世からの因縁だから仕方がないだろ、ということですね。上のBの意味がこれに相当します。

しかし、本来は善いことも「業のなせるところ」だったのです。善いことが起きた、ラッキーが起きた、すごく運の良いことが起きた、という場合も「業のなせるところ」というべきなのですが、人間は浅ましいもので、
「俺の実力だ」、「日ごろの努力が実った」
などと、起きた善いことはすべて現在の自分の力としてしまうのですね。また、周囲の者も、妬みはすれど
「善いことをした結果ですよね」
などという人は少ないですな。それよりも「ちっ、なんであいつだけ」と思うものです。ま、他人の幸運は昔から面白くないもの・・・だったわけですな。
そうしたことから、業は罪だけ、起きた悪いことの理由付けとして使用されるようになったわけです。

ところが、これに弊害が現れました。悪いことはすべて「業」(すなわち前世からの因縁)のせいにしてしまうようになったのです。災いが起きた原因が、あきらかに自分のミスであったり、不注意であったりしても
「業が深いから」
「前世からの因縁だから」
として片付けられ、反省や改善、努力がなくなってしまったんです。一種の宿命論になってしまったわけです。
まあ、頭が正常に働いていれば、何でもかんでも業のせいにはしないのでしょうが、迷いにとらわれているときは、この「業によるから」というのは、魅惑的な言葉になるんですね。
たとえば、この業を本来の発音の「カルマ」にかえると、
「それはね、あなたのカルマがそうさせているのよ」
という言葉に変わってしまいます。そう、怪しい占い師や、霊感商法的な怪しい人物がよく使う言葉ですね。
心に迷いがあるとき、悩んでいるとき、この言葉は魅力的ですな。
「そうだったのか、うまくいかないのは、私のせいではなく、カルマのせいだったのね」
と納得してしまうんですな。というか、すがってしまうんですね、カルマという言葉に。愚かなことですが。
で、怪しい占い師なり霊感師は続けますな。
「そのカルマをとるには、この水晶を家に飾るしかない」
「カルマからの因縁から助かるには、この壺を部屋に置きなさい」
なーんて、いわれるわけです。霊感商法ですな。
現代版、「業が深いから」なのですね。

確かに、「業が深いから」、「カルマのせい」というのは、便利な言葉です。その一言で片付いてしまいますから。しかし、それは同時に悪口であったり、人間を堕落させる言葉であったりするのです。いわば、悪魔の言葉ですね。
病に苦しんでいるお年寄りに向かって
「業が深いからそうなったんじゃ」
などというのは、それこそが罪深いと思います。そうではなく、哀れに思い、慈悲の心で見守ってあげる、楽になることを願ってあげるのが本当の仏教の教えでしょう。
悩んでいる人の弱みに付け込んで、「カルマ」などというもっともらしい言葉を使い、金銭をふんだくる者こそが、カルマに陥り悪の世界へと輪廻するのです。

もし、あなたの周囲に苦しんでいる人を見て
「業が深いから」
「カルマのせいね」
などという人がいたら、
「それはないよね、そんな言い方はないよね。それは、業やカルマを正しく理解していないよ」
と教えてあげてください。
何でもかんでも、「業が深い」、「カルマのせい」で片付けてはいけないと・・・・。
合掌。


108.阿吽
「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉がありますね。共同で作業などをするときなどに、お互いの調子のことを意味しています。「阿吽の呼吸で行け」といえば、「うまく調子をあわせて行え」という意味になりますね。まあ、最近では「阿吽の呼吸で」などという言葉は、あまり使わなくなってきたようですが・・・。
この「阿吽」、漢字自体は簡単な字なのですが、書いてみて・・・と言われると簡単には書けない字ですよね。読むのも「あうん」と読める人は少ないかもしれません。特に若い方はね。まあ、あまりお目にかからない文字ではあります。
しかし、大きなお寺の門に立っている仁王様に関係しているんだよ、といえば、ピーンとくる方は多いんじゃないでしょうか。そう、「阿形と吽形」です。「あ」と口を開いた仁王様と、「うん」と口を閉じた仁王様が立っています。
また、神社の狛犬もそうですね。「あ」と口を開いた狛犬と「うん」と口を閉じた狛犬がセットで座っていますな。仁王様も狛犬も阿吽の形をとっているんですね。
今回は、この「阿吽」についてのお話です。

仁王様が「阿吽」の口をしているところからもわかるように、「阿吽」というのは仏教語です。ですが、「阿吽」で一つの言葉ではありません。これは正しくは「阿」と「吽」に分かれています。実はこれ、インドの言葉であるサンスクリット語の始まりの文字の「あ」と終わりの文字の「うん(ふーん)」のことなのです。
インドの文字は、英語のようにABC・・・となってはいません。「あ」からはじまり「うん(ふーん、ん)」で終わっています。つまり、日本語と同じで50音があるんですね。
「へぇ〜、日本語と同じなんだ」
と思われるでしょうが、実はこれ、逆なんです。日本語の50音は、インドのサンスクリットを参考にして作られたらしいのですな。
昔、仏教とともにインドの言葉が伝わってきました。その言葉は梵語と呼ばれていました。天竺の言葉で神々や仏様が使う言葉だ、ということで、尊ばれたのです。
で、その梵語をマスターするには、梵語の基本である50音を覚えなければなりません。梵語の文字を一つずつ覚えるんですね。
今では「ABC・・・」を覚えるのに「エービーシー・・・」と書いて覚える人はいないでしょうが、昔はそのような覚え方をしたものです。英語の単語は、カタカナに置き換えて書いて覚えたりしたんですね。江戸時代の単語帳には英単語がカタカナで発音できるように音写してありますね。
同じように、昔のお坊さんはサンスクリット語の文字を覚えるのに一文字一文字に漢字をあてていったわけです。阿以宇・・・・とね。すると、自然に50音表ができますな。
やがて漢字からひらがなが作られます。で、50音表も漢字からひらがなになっていきます。なんでも、簡単なほうが覚えやすいですからね。漢字表記よりは、ひらがなのほうが楽に覚えられますな。
こうして、日本語の50音表は出来上がったのですな。

しかし、この「阿吽」が世に広まったのは、仏教伝来よりももう少し後のこと、密教が日本に伝わってからのことですな。
あの大きなお寺の門に立っておられます仁王様、本当の名前を「金剛力士」といいます。あるいは、「執金剛」とも言います。密教系の仏様ですな。で、なにゆえ「阿」と「吽」の口をしているのかと言いますと、これは「すべての始まりから終わりまで」を意味しているんですね。
そもそも梵語のアとウン(フーン)は、「宇宙の始まりから終わりまで」を表しています。梵語の「梵」とは「宇宙」を意味しています。すなわち「梵語」とは「宇宙の言葉」という意味があるんですね。古代のインド人は、ひょっとしたら宇宙人から言葉を学んだのかもしれません。なので「宇宙の言葉」という意味で「梵語」と呼ぶようになったのかもしれませんね。あるいは、遠い星からやってきたとか・・・・。
そういえば、インドの古い神話には、宇宙に関することが多く含まれているそうです。どんどん空高く飛んでいくと、丸いお盆のように見える、という話もありますし、ジェット気流が流れているという話もあります。そうえいば、天文学も進んでいましたしね。古代インド人には、摩訶不思議なところがあるのです。

ま、それはいいとしまして。
阿吽は、「始まりから終わりまで」を意味しているんですね。それは、宇宙に限らず、人の一生も「阿吽」なのです。
人は生まれてすぐ、口を「あ」の形にして息を吸い「ぎゃー」と泣きますな。息を吸わないと泣けません。なので、生まれてすぐに息を吸えない赤ん坊は、泣きませんな。産科医が口の中にたまったものを吸いだしてくれてやっと息を吸える赤ちゃんもいます。
赤ちゃんにとって初めて呼吸をすることは至難の業なのだそうです。すごく苦しいらしんです。それまでは、羊水の中にいたのですから肺呼吸はしていません。この世に出て初めて肺呼吸するんですね。それは生まれて最初の試練ですな。そう、人はこの世に出てきて「あ」と息を吸って生まれてくるんです。一瞬の苦しみを味わってね。
で、寿命がやってくるまで人は生き続けますな。その寿命は人によって早いか遅いかの違いはありますが、だれであっても寿命はやってきます。
その亡くなるとき、人は体の中にある空気をすべて排出するそうです。まあ、人は亡くなるとき、すべての穴が開くそうですから、中に溜まっているものがあれば、外に出てくるのは当然ですな。空気もその一つというわけです。
その空気が身体から抜けるとき「ふーん」という音がする・・・らしいのです。単なるイメージかもしれません。しかし、なんとなく「ふー」と言いそうな気がしないでもありません。
そう、人は「あ」といって息を吸ってこの世に生を受け、「ふーん」といって息を吐き出しこの世を去るのですな。これが「阿吽」の意味なのです。

密教では、すべてが「阿」から生まれて「吽」で終わり、再び「阿」に帰る、と説きます。阿字(あじ)から生まれ、阿字に帰る、のですね。阿は、すべての根源です。宇宙そのものですな。つまり、密教では、すべての生命は、宇宙から生まれて宇宙に帰っていく、と説くのです。
また、阿は「生まれ来る」ことであるので、修行においては「発菩提心」を示します。「悟りを得たい」という心ですな。で、「吽」は「悟りの世界、涅槃」なのです。
しかし、重要なのは「阿」です。「阿」がなければ何も始まりません。始まりがなければ終わりもないのです。つまり、「阿」はすべての根源であるから、皆、最終的には「阿」に帰るのですな。悟りもなにも、すべては「阿」から生まれ「阿」に帰るのです。そしてその「阿」は不変であり、生まれることも滅することもありません。なぜなら、「阿」こそがすべての始まりなのですから。ちょっと難しいですか?。

宇宙はビッグバンによって始まったとされています。では、その前は宇宙はなんだったのでしょうか?。ビッグバンが起こる以前はどうなっていたのか・・・・。
そこには、真理しかなかったのです。真理しかない空間が「阿」と言った瞬間にビックバンが起こったのでしょう。まあ、いうなれば真理が「阿」と言った瞬間に「宇宙の呼吸」が始まったのです。宇宙も人も同じ命なのですよ。だから、密教では「阿」から生まれ、「阿」に帰る、というんですね。

さてさて、このように阿吽という言葉について考えをめぐらせていきますと、悩んでいるのがバカバカしくなってきませんか?。人間ってなんてちっぽけなんだろう、って思えてきませんか?。仏教って、密教って、なんてスケールがでかいんだろう、って思えてきません?。人間なんて小さなものなんだ、と思えてきませんか?。
たった一文字ずつの「阿」と「吽」で、宇宙そのものの始まりと終わりを示してしまう・・・・。仏教は奥が深いですなぁ。
大きなお寺さんの門の前に立ち、阿吽の姿の仁王様を眺めながら、宇宙の始まり、そして終わり、命の根源について考察したならば、くだらない政争も小さな小さなことに過ぎないんだ、と気が付くんですけどねぇ。
政治家の皆さん、仁王様の前に立ってなさい!!
合掌。

お知らせ。
次月より、日常にみられる仏教語だけでなく、普段使っている言葉が「仏教ではこのように解釈される」という言葉も掲載していきます。「こんなところに仏教語・改」ということで、よろしくお願いいたします。
合掌。


109.遊
前回予告した通り、今回から「こんなところに仏教語!改」ということでお話しいたします。日常の言葉の中にある仏教語だけでなく、日常と仏教とでは解釈が異なる言葉を紹介していきます。なので、「改」なのです。つまり、内容的に「縛り」を緩やかにしたわけです。
えー、題名のところに「改」を付けただけです。時間がなくて、新しいロゴが作れませんでした。ま、きっと、当分の間はこのままだと思われます。相変わらずいい加減な、と思われそうですが、御勘弁のほど、よろしくお願いいたします。

さて、縛りを緩やかにした今回は、緩やかさをアピールするために「遊」について仏教の解釈と一般の解釈の違いをお話しいたしましょう。
「遊」と言えば、皆さんは「遊び」を思い浮かべるでしょう。「遊」の文字の持つ意味は、「楽しく遊ぶ」ということですよね。旅行に行ったり、ドライブに行ったり、レジャーを楽しんだり、ゲームをしたり、ハイキングをしたり、バーベキューをしたり、趣味を楽しんだり、スポーツを楽しんだり・・・・、というのが「遊び」ですよね。一般的な国語辞典で「遊」を調べると
@好きなこと・楽しいことをしてあそぶこと
A出歩く。旅行すること。
・・・以下省略・・・
という意味が真っ先に出てきます。そのほかには、位置を定めない(遊軍)、役に立たない(遊休)、泳ぐ・漂う(浮遊)などという意味が出てきます。こうしてみると「遊」には、「無駄なこと」というような意味が含まれているように思えますよね。
確かに「遊び」は、無駄なことのように感じられるでしょう。本当は必要なことなんですけどね、息抜きとして。でも、よく親がお子さんに言いますよね
「遊んでばかりいて!、少しは勉強しなさい!」
とね。ということは、遊びは、無駄なこと、というわけですな。ま、確かに遊んでばかりいたら、生活ができません。楽しいのはいいことですが、そればかりでは話にはなりませんな。つらいこと、苦しいことがあって初めて、遊びの楽しさもわかるってものです。しかし、仕事や勉強の息抜きとしての遊び、気分転換としての遊びは大切なことです。その遊びがないと、精神的に参ってしまいますよね。車のハンドルと同じで、「遊び」がないと、とんでもない方向へ動いてしまうこともあるのですな。遊びも大切なのです。

ところが、仏教では大いに遊ばなければいけないのですよ。いや、遊んでばかりのほうが、仏教では褒められるのですな。修行者は大いに遊ばなければなりません。
「またまた、そういういい加減なことを言って・・・。それは自分が遊びたいからそういうんでしょ」
と疑われそうですが、本当の話なんですよ。いい加減なことじゃあありません。仏教では、大いに遊べ、というのです。
ここが、現代使われている「遊」の意味と仏教語としての「遊」の意味の違いなんですな。同じ言葉でも意味が大きく異なるんですよ。

仏教でいう「遊」は、仏教語大辞典によりますと、
@存在する、いる。
A・・・している。住に同じ。(英語のing、現在進行形と同じ意味)
Bへめぐること。
C一時、くつろいでとどまること
という意味になります。
さて、これだけでは、仏教の修行において「遊べ」と言われる理由はわかりませんよね。うーん、Cのようにくつろげ、ということか?、心をくつろげさせるのが仏教の修行?、と思われた方もいるかもしれません。なかなかいい思考だと思います。が、しかし、このCは現代の「遊」の意味のもとになった意味でしょう。おそらくは。
仏教でいう「遊」の意味は、Bの「へめぐる」ことにあるんですな。

「へめぐること」ならば、現代の「遊」の意味の「旅行」にも通じるわけなのですが、仏教では「へめぐること」とは、「布教の旅をすること」という意味に解釈されるんですな。仏教で「遊」といえば、それは「布教の旅」を表しているのです。そして、そのことを「遊行」(ゆぎょう)といいます。
つまり、仏教で「遊」といえば、それは布教に出歩くことを意味しているのですな。

観音経の一節に
「云何遊此娑婆世界(うんがゆうししゃばせかい)」
という部分があります。無尽意菩薩(むじんにぼさつ)がお釈迦様に
「(観世音菩薩は)どのようにして、この娑婆世界を布教しているのですか」
と尋ねるシーンですね。
初めてこの観音経を目にした方は
「えっ、遊ぶって漢字が出てくるけど、どういうこと?」
と思うかもしれません(まあ、気が付かない方が多いのですが・・・・)。
菩薩にとって、この娑婆世界・・・この世ですね・・・で、人々を救うことは、「遊」であるのです。なので、ここでも、「どのように人々を救っているのか、どのように布教をしているのか」という質問なのですが、布教という言葉に対しては、「遊」の文字を使っているんですな。仏教では、「遊」は布教活動のことを意味しているのですよ。

しかし、菩薩にとって人々を救うことはまさに「遊」・・・「楽しい行い」なのでしょう。菩薩は、人々を救うことを喜びとしています。そうなれば、まさに菩薩にとっての遊びは、衆生救済になるのですな。つまり、菩薩にとっては、人々を救うことが「遊び」に当たるのです。菩薩は、人々を救うことでリフレッシュしているのだし、心安らいでいるのですな。我々が趣味に興じたり、旅行したりしてリフレッシュするのと同じように、菩薩は人々を救っているのですよ。それが菩薩なのです。
また、ほかに「遊」には「その境地に住する」という意味もあります。たとえば。悟りの境地に存在している状態を「遊歩(ゆぶ)する」と言いますな。つまり、悟りの状態を遊び歩いているのです。楽しんでいる、という意味ですね。
このように、仏教でいう「遊」は、人々を救うことを楽しんだり、悟りの境地を楽しんだりすることに使う言葉なのです。同じ「遊」の文字でも、現代と仏教では、その内容が大きく異なるんですね。
遊ぶことも大切ですが、たまには、人を救うとか、人の役に立つとかいう「遊び」もしてみたいものですな。

とあるお坊さん・・・。
「さて、今夜も遊びにってくるか」
その言葉を聞いた小僧さんが
「和尚さん、またキャバクラですか?。いい加減にしないとバチが当たりますよ」
とたしなめますな。すると和尚
「バカモン!、修行者にとって遊びは大事なことなのじゃ。遊び・・・それは遊行(ゆぎょう)といって、人々を救う行いなのじゃ。わしはな、人々を救うために、布教活動として夜な夜な出かけておるのじゃ!」
「へぇ〜、あれが布教ですか、あれが救いですか・・・・。鼻の下伸ばして、デレデレして・・・。ものは言いようですねぇ」
「なにをこの愚か者が!。いいか、わしはな、説教をしに出かけるんじゃ。これを布教と言わずして何という。さて、遊行にでかるかな。おい小僧」
「はい、なんでしょう」
「遊行費をくれぃ」
「それはゆぎょうひですか?、ゆうこうひですか?。遊行にお金はかかりませんよねぇ、和尚様」
「うん?、うん、まあな・・・・」
とまあ、お坊さんの場合は、仏教の「遊」と現代の「遊」の意味を取り違えると、とんでもないことになりますな。「遊行」は大いにするべきですが「遊興」は慎まなければいけませんよねぇ。遊びに興じるならば、どうか布教に興じてくださいますように・・・。ま、たまには遊びの遊行もいいかもしれませんけどねぇ・・・。
合掌。


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