ばっくなんばー4
15.示 唆 穀物の視察から帰ったシッダールタとヤショーダラーは、早速、国王に報告に行った。 「ふむ。今年もできはいいのだな。よしよし。そうか、では、収穫祭の日程を決めるとしようか。お前たちも、例年の通り、出席するのだぞ。 ところで、シッダールタ、顔色が悪いようだが・・・・。否、ヤショーダラーも・・・・。お前たち、何かあったのか。」 「いえ、何も・・・。ご心配をおかけして申し訳ないです。私もヤショーダラーも、国王の代わりとあって、やや緊張をしていたので、疲れが出たようです。少し休めば、大丈夫です。」 「おぉ、そうか。ならばよいのじゃ。下がって休むがいい・・・・。」 シッダールタとヤショーダラーは、国王の前を辞すると、すぐにそれぞれの部屋に戻った。 ヤショーダラーは、自室に戻ると、すぐに今回の視察の件について占ってもらった占い師をよびつけた。 「まったく、あなたの占いはおお外れよ。どうしてくれるの?。」 「どういうことでしょうか。何か、問題ごとでもございましたでしょうか?。」 占い師は、少しも慌てず、静かにヤショーダラーに聞き返した。 「どうしたもこうしたも無いわ。あなた、今度の遠出は、すべて順調に行く、って言ったわよね。えぇ、確かに、順調に行ったわよ。途中まではね。だけど、最後に葬儀の列に出会ったのよ。おかげで、また、シッダールタ様は引きこもりよ。今夜こそは、久しぶりに楽しい夜が過ごせると思ったのに・・・・・。どうしてくれるの?。あなたが、日を選んだのよ。責任を取ってもらいますからね。」 「それは、お気の毒なことを・・・・。しかし、私の占いに間違いはございません。・・・・・もしや・・・・。もしかして、道を変更したとか、致しませんでしたか?。」 「変えたわよ。仕方がないでしょう、崖崩れがあったのですから。あなたが示した地図の通りに進んでいたのですが、帰り道に一箇所だけ、崖崩れで通れなかったところがあったのよ。それで、回り道をしたのよ。葬儀の列に会ったのは、その変更したあとのことよ。」 「やはりそうでしたか。それならば、私の占いが間違っていたわけではない・・・ですね。」 「いいえ、その崖崩れを、災難を予想できなかったじゃないの。あなたは、『順調な視察になるでしょう。ご安心下さい。』と言ったではないですか。どうなんです?」 「は、はあ、確かに・・・・。しかし、崖崩れは・・・・。おかしいですね。そんな卦はでていなかったのですが・・・。」 「言い訳はたくさんよ。それよりも、私が聞きたいのは、なぜこんなことになるのか、ということよ。遠出するたびに、何かが起こるの。一回目は東の門からでて老人に出会ったわ。二回目は南の門から出て疫病よ。で、今回は西の門から出て、葬儀の列・・・・・。 いったいどうなっているの?。楽しいはずの遠出が、三度もだいなしよ!。 あなたは、私に呪いがかかっていることはない、って言ったわね。でも、これはなに?。呪いがかけられているとしか思えないじゃないの!。誰かが、私の幸せを妬んでいるに違いない。だから、こんなにも邪魔がはいるのよ。楽しい遠出のはずなのに・・・・・。」 ヤショーダラーは、涙を流しながら、占い師に訴えた。 「さあ、答えなさい。呪いがかかっているのでしょう。どうなの?。」 「わかりました。では、もう一度、占ってみましょう・・・・・。」 占い師は、そう言うと、占術の儀式に入った。 「わかりました。」 「わかったの?。誰が呪っているの?。」 「いえ、呪いではありません。占術にはそうでてます。」 「なんですって!。じゃあ、何だと言うの?。これまでのことは偶然だと言うの!」 「いえいえ、違います。呪いなのではないのです。何か、もっと大きな力が・・・・。そう、いわば、神の導きか・・・・。そうとしか思えないような卦がでています。」 「どういうことなの、それは。」 「はい、私にもよく判断できませんが・・・。というより、私達、占い師の範囲を超えているのですよ。ただ・・・。」 「ただ、なによ。」 「ただ、とてつもなく、大きな力が導いているとしか・・・・。」 「一体、どういうことなの?」 「はい、シッダールタ王子に対して、神の力のような、とてつもなく大きな力が働いているのです。」 「どういうこと?。神の力って・・・・・・。なにそれ?。」 「私にもわかりません。しかし・・・・、いや・・・・。これは・・・・・。」 「なんなのよ。どうしたっていうの。」 「もう一度、遠出をされたほうがいい、という卦が出てます。」 「なんですって?。もう一度、遠出をしろというの?。どういうことなの、それは。」 占い師は、今にも泣き出しそうだった。 「はい、私にもわからないのですよ・・・・。でも、占いの結果には、もう一度遠出をするべしと、そうでているんです。しかも、北の門から出よ・・・・・と。そうすれば、すべては解決すると・・・・。」 「なんですって!。もう一度、北の門から出れば、すべては解決するですって?。いったいどういうことなのかしら・・・・。」 「さ、さぁ・・・・。と、とにかく、北の門からでよ、そうすればすべては解決する、と・・・・。そう出ているのは間違いないです。ヤショーダラー様、もうお許しください。わ、私にはこれ以上わかりません。何卒、お許しを・・・・。あるいは、他の占い師に聞いてみるのもいいかも知れません・・・・。」 「わかったわ。もういいわ。下がりなさい。」 ヤショーダラーは、そう言って立ち上がると、その占い師を部屋から出したのだった。 (どういうことなのかしら。もう一度、北の門から遠出せよ、とは・・・・。わからないわ。それに、あの占い師は、神のような、とてつもない力が王子様を導いている、と言っていた。まさか、そんな・・・・。 でも、王子様は、確か『転輪聖王』になると予言された方・・・・。それに、あのアシタ仙人は『仏陀』になると予言された。仏陀と言えば、神をも従える伝説の聖者。まさか・・・・、本当に・・・・・?。 もし、そうであるなら、シッダールタ王子は、やがてこの城をでて、出家されるに違いない。そして、それは、誰も止めることはできない・・・・。まさか・・・・。いいえ、そんなことはないわ。他の6人の預言者は『転輪聖王』になると予言してるんですから。1対6よ。いくらアシタ仙人でも間違いもあるでしょう。アシタ仙人は、仙人であって、仏陀にはなれなかった方ですから・・・・・。完璧なはずはない。 やはり、あの占い師が言ったように、他の占い師に占ってもらうべきかしら・・・・。) ヤショーダラーは、意を決して、侍女に有能な占い師を数人集めておくように命じたのであった。 一方、シッダールタ王子も、考え込んでいた。 (いったい、どういうことなのだろう。何の意味があるのだろう・・・・・。 一度目は、東の門から出て老人に出会い、二度目は南の門から出て病人に出会った。三度目は西の門から出て死者だ・・・・。偶然が三度も重なるはずはない。これには何か理由があるはずだ。否、何か、意味があるはずだ。一体どういうことを私に指し示しているのか・・・・・。 確かに、私は、幼い頃から様々なことに悩み、苦しんできた。体が弱く、病弱であった。病気が怖かった。また、腹痛を起すのではないかと、びくびくしていた。日向に立っていると倒れるのではないかと、恐れていた。そんなひ弱な身体を呪ったりもした。こんな身体に産んだ母を恨んだりもした。しかし、その母はもういない。私を産んで一週間後に亡くなったという・・・・。そんな母親の子供だからひ弱なんだ、という陰口に怒ったりもしたし、それを覆せない自分が情けなく思ったりもした。 人はなぜ死ぬのだろう・・・・。 修練所時代には、うさぎを狩ることを拒否もした。生きている者に対し、死をもたらすことなんてできなかった。あのうさぎ達は、死が訪れる寸前まで、元気に走り廻っていた。己に死が訪れるなんて考えてもいなかっただろう。だが、死はいともあっさりとやってくる。 そうだ、すべての生き物には、死が訪れるのだ。 どんな生き物でも、生まれた以上は、年を取り、死を迎えるのだ。時には病になったりもしなければならない。死は、突然襲ってくる。だが、普段はそんなこと、誰も考えていない。誰も、自分が病気になるなんて、年を取るなんて、死ぬなんて・・・・・、そんなことは少しも考えていない。 この国には、身分の差がある。否、たとえ身分の差がない国でも、貧富の差はあるのだろう。強きものは富み、弱きものは貧しく苦しい。それは、どの国でもあることなのだろう。私のように何不自由ない家庭に生まれるもの、金持ちの商家に生まれるもの、農家に生まれるもの、兵士の家庭に生まれるもの・・・・。なぜ、どうして、どうこから、その差は生まれるのか。 武術に勝れているもの、商売がうまいもの、生き物を育てるのが上手なもの、こつこつと働くことが好きなもの、狩りを好むもの、威張りたがるもの、気弱なもの、運がいいもの、運が悪いもの・・・・・。こうした差はどこから生まれてくるものなのだろうか。人は何のために生まれてきたのか・・・・・。 そうだ・・・・。私は、よくこんなことを考え込んでいた。よく、木の下で瞑想しながら、こうした悩みについて、なんとか解決できないものだろうかと考えていたのだった・・・・。子供のころから、よく瞑想をしたものだった。思えば、瞑想している時が一番心が安らかだったように思う。 私はどうすればいいのだろうか。やはり、結婚前に考えてていたように、いずれこの城を出て、出家したほうがいいのだろうか。今までの遠出でのできごとは、それを示唆しているのだろうか・・・・・。 噂に寄れば、私は将来『転輪聖王』になると予言されたらしい。しかし、その一方でアシタ仙人という尊い仙人が『出家して仏陀になる』とも予言しているという。城のみんなは、私にははっきりとは言わないが、誰もが、いずれ私が城を出るのではないかと思っているようだ。また、それを阻止しようとも思っているようだ。いつも、私とヤショーダラーのために建てられたこの塔は、厳重な警備がされているからな・・・・。そう簡単には抜け出せるものではなかろう。ましてや、今や私は一人身ではない。ヤショーダラーがいる。あの競技会で、他の国にも大々的に、王子の座にいることを確認させてしまっているし・・・・。 それに、出家と言っても・・・・・。いったい、どうすればいいのか・・・・。どんな生活を送るのか。城内には出家者はいないし、ましてや、城に招くことなど父王が許さないだろう。 やはり、出家などというのは、現実的ではないのかな・・・・・。) シッダールタも、今までの遠出での出来事に意味があるのではないかと、考え込んでいたのであった。 いろいろと思い悩むシッダールタとヤショーダラーではあったが、二人とも、お互いに悩んでいる素振りなどは見せないようにしていた。しかし、会話は少なく、寝室を共にすることもなく、どこかよそよそしい雰囲気ではあった。 そんな中、ヤショーダラーは、最後の遠出へシッダールタを誘う機会をうかがっていた。というのも、あの占い師のあとに集めた占い師たちも一様に同じ結果を出したからであった。 ヤショーダラーは、外の庭を眺めながら、占い師たちの言葉を振り返っていた。 (いったいどういうことなのかしら。あの占い師たちは、みんな同じ答えを出したわ。呪いはない。ただ、大きな力が王子様を導いている、と。 そして、もう一度遠出をしなさいと。今度が最後だと。北の門から出よ、と・・・・。 おまけに、理由はわからない、そこで何があるかもわからない、という。ただ、北の門から出れば、すべては方向付けられる、という。それが、お二人のためなのだ、と・・・・・。 わけがわからない。とにかく、占い通りにしてみるしかないわね。とはいえ、なかなかシッダールタ様に声を掛ける機会がないわ。なんだかねぇ・・・・。もう、放っておこうかしら。一人の占い師は、ヤショーダラー様が誘わなくても、いずれ北の門から出られることになるでしょう、とも言っていたしね。 はぁ・・・・わずらわしいわ。こんなことをいつまでしなきゃいけないのかしら。北の門から遠出すれば、もう終わるのかしら。わずらわしいことはみんな終わって、平穏な日々が来るのかしら。 あぁ、あの頃が懐かしい。シッダールタ様は、一度は私を抱いてくれたわ。あの甘い日々が懐かしい・・・・。もう一度あの頃に戻って、愛を受けたい。そして子供を産むのよ・・・・。そうすれば、私の王妃の座は安泰なのに・・・。このままでは、ますますシッダールタ様が離れていってしまう。 なんとしても、この状態を終わらせなきゃ・・・・。それには、もう一度遠出をしなきゃいけないのね。はぁ・・・。憂鬱だわ・・・・・。) ヤショーダラーは、毎日、最後の遠出のきっかけをつかもうと、思い悩んでいるのであった。悩み続けているうちに、季節は冬へと移っていった。そんな時、ようやくヤショーダラーにチャンスが訪れたのである。 16.北 門 季節は冬になっていた。そして、その年も間もなく終わろうとしていた。宮殿や城下町は、新年を迎えるための準備に追われていた。そんな年末の押し迫った時、シュッドーダナ国王はシッダールタ王子とヤショーダラーを呼び出していた。 「お前も知っていることとは思うが、新年には、我らシャカ族の国王は、シュメールの神々に一年の平穏を祈る祈願祭を行わねばならない。毎年、わしが行っているのだが、どうもこのところ体調がすぐれん。今度の祈願祭には行けないかも知れぬ。だから、お前たちで祈願祭に行って欲しいのだが・・・。」 「もちろん、祈願祭には、喜ん出席いたします。しかし、父上も、そんな弱気なことはおっしゃらずに、ぜひ祈願祭には御出席くださいますよう、お願いします。」 「あぁ、もちろん、体調がよければ、わしも行く。しかしな、もうそろそろ、シッダールタ、お前がこういう仕事をやったほうがいいとも思うのだ。わしも年だしな。ここは、そんなに寒くはないが、シュメールのふもとの神殿は、冷えるからのう。身体にこたえるのだ。ここだけの話だが、できれば、わしはあまり行きたくない。祈願祭は、寒い上に退屈だからな。いいか、祭司には内緒だぞ。」 国王の言葉に、シッダールタは微笑んだ。 「わかりました。では、私たちが行きましょう。」 「おぉ、そうか。では、さっそく祭司と祈願祭の打ち合わせをしてくれ。わしは、たぶん、体調がもどらないだろうから、今度の祈願祭は欠席の予定でいてくれ。頼んだぞ。」 国王は、そういうと、ニヤリと笑い、シッダールタたちを下がらせた。 「シッダールタ様、祈願祭と言うのはどういうものなんですか?。」 国王の部屋を出ると、ヤショーダラーがそう尋ねてきた。シッダールタは、 「そうですね。ヤショーダラーも知っておいたほうがいいでしょう。これから祭司と打ち合わせをしなければならないし。では、祭司の元へ行きながら、説明しましょう。」 と言って、歩きながら祈願祭について説明しだした。 「祈願祭と言うのは、我ら釈迦族に伝わる新年の行事です。毎年、シャカ族の国王は、その年の初めにシュメールの麓にある神々の神殿に様々な供物を持って、一年の平和を祈るのです。」 「シュメール山は、このカピラバストゥの北側にそびえる山のことですよね。」 「そうです。この世で最も高い山と言われています。そして、神々が住まうところとも伝えられている。シャカ族は、その神々に守られていると信じられています。」 「それで、毎年、参拝するのですね。」 「えぇ、ですが、この祈願祭は、国王夫妻と祭司のみで行われるのです。本来ならば、国王が行かねばなりません。それに私たちが行くと言うのは・・・・。」 シッダールタは言葉を濁したのだった。しかし、その言葉を聞いてヤショーダラーは、ひそかに喜んでいた。 (ということは、私たち夫婦が、神々にカピラバストウの国王と認められる、と言うことじゃないの。そうか!、そうだわ。このことだったのよ。この間の占い師が言っていたのは、このことだったのね。きっとそうだわ。神の力が働いている、というのは、このことだったのよ。きっと、シッダールタ様が転輪聖王になるために、神々に呼び出されているのよ。きっとそうに違いない。ふふふ・・・・。) 考え込みながら、押し黙って歩くシッダールタ。内心の嬉しさが顔に出ないよう隠しながら、やはり黙って下を向いて歩くヤショーダラー。それぞれの思いは、まったく異なるものであった・・・。 二人は、祭司の部屋にやってきた。 「どうぞうどうぞ、お持ちいたしておりましたぞ。国王のほうから、話は聞いております。国王様には体調が優れないと言うことで、何かとご心配ですな。さ、どうぞ。今、茶をいれましょう。」 そう言うと、祭司は、シッダールタたちに席を勧めた。 「まあ、しかし、シッダールタ様とヤショーダラー様ならば、神々も喜ばれるでしょう。未来の国王夫妻ですからな。はっはっは・・・。」 「あ、はい、まあ、そうですねぇ・・・。ところで、その、祈願祭ですが・・・・。」 「はいはいはいはい。わかっておりますよ。段取りは、このわたくしにお任せください。えぇっと、そうですね。特にお知らせしなければならないのは・・・。えー、出発の日にちと・・・・、そうそう、当日は、北の門から出ます。この祈願祭が終わるまでは、他の門をくぐってはなりません。よいですかな。新年、初めてくぐる門は、祈願祭の時にくぐる北の門です。」 「北の門?。」 ヤショーダラーは、思わず叫んでしまった。 「北の門がなにか?。」 「いえ、何でもありません。すみません、話の腰を折ってしまいました。」 (危なかったわ。私としたことが、びっくりして叫んでしまった。ふふふ・・・。でも、これで間違いないわ。占いの通りよ。やはり王子に働いていたとてつもない力とは、シュメールの神々の力だったのよ。いよいよ、王子が転輪聖王になる日が来るんだわ。私は転輪聖王の妻。ふふふふ・・・・。) ひそかに喜びをかみしめるヤショーダラーであった。 「姫様も、初めてのことで、緊張されているのでしょうな。いやいや、わかりますわかります。話を戻しますが、当日は、北の門から出発します。くれぐれも、それまでは外出されませんよう、お願いいたします。 それと、出発の日にちは、年が明けて初めての満月の日の夜です。翌朝に神殿に到着するように、晩に出発していただきます。なお、神々の神殿へ入りますので、その前日は、そのなんですな、夫婦関係は慎んでください。」 「あぁ、それは、もちろんです。わかっております。」 シッダールタが、即座に答えた。それを聞いて、ヤショーダラーは (大丈夫よ、どうせシッダールタ様は一人で引きこもってますからね。そんな心配は要らないわ。) と思ったが、すぐに気を取り直した。 (でも、それももう少しで終わりよ、きっと。神々に認められたらね。それまでの辛抱よ。ふふふ・・・・。) 「あとは、よろしいかな、何か注意することは・・・・。おお、そうそう、わたくしは、すでに前日より神殿に向かっております。準備がありますので。帰りも、わたくしを置いてお帰りください。後片付けを済ませてから帰りますからな。それから、御者は、祈願祭専門の御者を用意いたしておきますので、ご心配なされないように。何か、ご質問はありますかな。」 「いえ、特には、ありません。」 「そうですか。まあ、準備等は、わたくしのほうですべて行いますので、王子様方には、お身体だけを大事にしていただければ結構ですので・・・・。健康を維持していただくよう、お願いいたします。」 祭司の部屋を辞したシッダールタたちは、 「私は、ちょっと考え事があるので、ヤショーダラー、すまないが・・・・。」 「はい、わかっております。邪魔はいたしませんわ。では、また・・・・。」 とよそよそしい言葉を交わし、それぞれの部屋へと戻っていったのであった。 シッダールタは、重く沈んでいた。 (いよいよ神殿へ向かわねばならぬか。神々の前で、祈りをささげるのは国王の役目。困ったことになった。いくら代理とはいえ、これでは、将来国王になることを誓うようなものじゃないか・・・・・。困った、困ったぞ・・・・。どうすればいいのか・・・。いまさら断るわけにもいかないし・・・・。はぁ・・・・・。) シッダールタは、頭を抱え、深くため息をつくのであった。 一方、ヤショーダラーは嬉々としていた。 (占い師たちの言ったことは本当だったわ。私が心配しなくても、北の門から出かけることになるなんて!。しかも、行き先は神殿よ。たとえ、国王の代理とはいえ、夫婦で神殿に行き、儀式を行うのよ。ふっふっふ・・・・。待ったかいがあったわ。これで、私たちの将来の座も安泰よ。神々は、シッダールタ王子を待っているのよ。 転輪聖王よ!。すべての他の国王を従える転輪聖王よ!。私は、その妻よ! いままで我慢したかいがあったわ。苦しい思いも、もう終わりよ。私は、転輪聖王の妻なのよ! ふふふ・・・あはははは・・・。) ヤショーダラーは、すでに転輪聖王の妻になった気分になり、喜びで笑いが止まらないほどであった。 (いけない、いけないわ。誰にも胸のうちを悟られないように、当日までは静かにしていないと・・・。急に明るくなったりしたら、かえって変に思われる。この国では、一夫多妻制だから、シッダールタ王子が他の妻を取らないとも限らない。気難しい方だから、私があまり喜んでいると、へそを曲げるかもしれない。いつものように、振舞っていたほうが得策だわ。落ち着くのよ、いつものようにね・・・。) と、自らを落ち着かせようとするヤショーダラーであった。 時は流れ、やがて新年を迎えた。そして、新しい年の満月の夜がやってきた。カピラバストゥの北の門から、馬車が一台、ひっそりと出発したのである。 17.儀 式 夜明け前に、シッダールタとヤショーダラーを乗せた馬車は、シュメール山の麓の神殿に到着した。先に来ていた祭司が二人を出迎えた。祭司は、儀式用の衣装を身に着けていた。顔つきにも、緊張感がみなぎっていた。 「お二人ともご苦労様でした。お疲れになったでしょう。儀式は夜明けとともに始めます。まだ、少々時間がございます。どうぞ中で休んでください。ここは冷えますからな。」 「はい、ありがとうございます。さすがに、このあたりは寒いですね。」 「そうですね。さ、お風邪でもひかれたら大変です。どうぞ中へ。」 祭司にそう言われ、二人は神殿内に入っていった。 シッダールタは、初めて神殿内に入った。神殿はそれほど広くなく、入り口正面には奥へ通じる通路があり、その通路を挟んで左右に控えの部屋があった。通路の奥は、儀式の間なのだろう、幕が引かれており、その先がどうなっているのかは、わからなかった。 シッダールタたちは、通路の右横の部屋に入った。部屋の中には暖炉があり、部屋を暖かだった。二人は、部屋で冷えた身体を温めていた。そこへ祭司がやってきた。 「ささ、温かい飲み物でも飲んで、身体を温めてください。そして、お二人とも、儀式用の衣装に着替えていただきます。」 祭司は、飲み物のほかに衣装を抱えていた。 「夜明けとともに、儀式を始めさせていただきます。ですので、早速、着替えをしていただきます。シッダールタ様には、国王様の代わりに神々への御請願のお言葉を読んでいただきます。わたくしが儀式の途中で、御請願の書かれているものをお渡しいたしますので、それを読むだけです。難しいことではありません。何か、ご質問は?。」 「私はどうすればいいのでしょう。」 ヤショーダラーが祭司に尋ねた。 「ヤショーダラー様は、シッダールタ様の横に跪いていてください。なに、そんなに時間はかかりません。」 「はい、わかりました。」 (転輪聖王の妻になるためですもの。こんな寒いところでも跪くくらい、なんでもないわ。) ヤショーダラーは、すでに転輪聖王の妻になったような気分であり、喜びであふれていた。 「ヤショーダラー様は、楽しそうですな。儀式がお好きですかな?。」 「あっ、いえいえ、その、シャカ族の神々に参拝できるのが楽しみで・・・。」 「いやいや、よい心がけですな。シッダールタ様も、そんなに緊張しないで、普段通りで結構ですからな。ま、初めてですから、緊張されるのも無理はないかもしれませんが。そうそう、御請願は、多少読み間違えても大丈夫ですから。安心して読んでくだされ。では、時間が来ましたら、迎えに来ますので、早速お着替えを済ませておいてください。」 そういうと祭司は、部屋から出て行った。 二人は、早速儀式用の衣装に着替え始めた。 (いよいよだわ。いよいよ、私が転輪聖王の妻になるための儀式が始まるのよ。楽しみだわ・・・・。) ヤショーダラーは、儀式が始まるのが待ち遠しいのであった。 一方、シッダールタの気分はすぐれなかった。 (いよいよ儀式が始まるか・・・・。神々の御前で私が御請願を読み上げるのか・・・。責任が覆いかぶさってくる。私は、これでよいのだろうか・・・・。) 二人のそれぞれの思いとは別に、儀式の始まる時は次第に近付いてきたのであった。 冬の冷ややかな朝日がシュメールの山々を照らし始めた。 「ささ、お時間です。お二人とも奥の間にお入りください。」 祭司がシッダールタらを神殿奥に導いていった。 神殿の奥は人が数人入れば、いっぱいになる程度であった。正面にはブラフマンとインドラの神像が安置してあり、灯明がともり、香がたかれていた。 二人は、祭司に言われるままに、神像の御前に跪いた。祭司がぼそぼそと言葉を唱え始める。新年の儀式が始まったのだ。 祭司は、神像に水を振り潅いだり、香をたきこんだり、供え物を動かしたり、様々な作法をこなしていった。そして、神像に一礼すると、祭司の後ろに跪いている二人のほうに向き直って 「さ、シッダールタ様、これを読み上げてください。」 と、手紙のようなものをシッダールタに渡しながらいった。シッダールタは神妙な顔をして、それを受け取り広げて、目の前に掲げた。そして、それを読み始めたのであった。 「恭しくブラフマン神、インドラ神をはじめ、釈迦族の守護神に請い奉る。そもそも、我ら釈迦族は・・・・・・・。新年を迎え、今年も我が釈迦族が平和で暮らせるよう、殊には我が王族の安泰を願い奉る。 ・・・・・・釈迦族国王代理・・・・じ、じ・・・・。」 シッダールタは、読むあげるのを躊躇しているかのようであった。 「どうしました、シッダールタ様。ちゃんと読んでください。」 祭司が小声で、読みあぐんでいるシッダールタを促した。あきらめたかのように、シッダールタは、ため息を一つついて、読み始めた。 「次期釈迦国国王・現王子シッダールタ、恭しく乞い願い申し上げる。」 読み上げた後、シッダールタは、静かに神像の御前に額づいたのであった・・・・。 シュメール山の神殿で儀式が行われている頃、国王の宮殿の一室でシュッドーダナ王と宰相が笑いながら話をしていた。 「それにしても国王様、今度のことはよい思いつきでしたな。」 「そうだろそうだろ。おぬしもそう思うだろ。シュメールの神殿で、わしの変わりにシッダールタが請願を読み上げれば、シッダールタも、もう逃げられまい。ここのところ、また引き篭もりがちだと話を聞いていたのでな。まさかとは思うが、出家でもされたら大変だからな。それで、今回の代理参拝を思いついたのじゃ。」 「これでもう、シッダールタ様は、将来、国王になることを約束されたようなものです。あの場が、釈迦族にとってどれほど重要な場所かは、シッダールタ様もよくご存知でしょうから。」 「そういうことじゃ。はっはっはっはっは・・・・。これでこの国も安泰じゃな。あとは跡継ぎだけじゃ。」 「そうですな、シッダールタ様も今年で28歳、ヤショーダラー様は23歳になります。もうそろそろでしょう。今回のことで、シッダールタ様も責任を感じられ、跡継ぎのことも真剣に考えられるようになるのではないでしょうか。」 「あぁ、そうだといいのだが。まあ、しばらくは様子を見るとしようか。シッダールタの態度をな。よく注意してみていてくれよ。」 「ははぁ、お任せください。シッダールタ様のことはよくわかっております故に・・・。」 一方、シュメールの神殿では、儀式が滞りなく終了していた。 「いやいや、なかなかご立派でしたぞ。これなら、毎年シッダールタ様ご夫妻がこの儀式を行われてもよろしいくらいですな。」 「そんな、滅相もない。まだ、父王は元気ですから。代理は今回限りで十分ですよ。」 「いやいや、時代は移っております。そろそろシッダールタ様が国王様に代わって、様々な儀式の長を執られるほうがよろしいかと思いますが。神々もそれを望んでおられるのではないでしょうか。」 「はぁ・・・・。だといいのですが・・・・。」 「何を元気のないことを。シッダールタ様、しっかりしてください。あなたは、転輪聖王を約束された方ですよ。神々が味方についていてくれましょう。」 祭司の言葉は、ヤショーダラーにとって心地よいものであったが、シッダールタにとっては気が重くなるだけの言葉であった。 「さぁ、すべての儀式は終了いたしました。どうぞ、お気をつけてお帰りください。わたくしは、後片付けがございます故、後ほど帰ります。国王様によろしくお伝えください。いやいや、本当によき日でした。」 こうして、シュメール山の神殿での儀式は終わり、シッダールタとヤショーダラーは帰途に着いたのであった。道中、シッダールタは憂鬱そうな顔をして、ヤショーダラーはあふれ来る喜びを抑えきれない顔をして、お互い言葉も交わさずに、それぞれ外の景色を眺めていたのであった。 沈黙する二人を乗せた馬車は、やがて城中に入っていった。その時、御者がボソッとつぶやいたのだった。 「ありゃ、まあ、新年早々、托鉢かい。出家者は大変だねぇ〜。おや、あの出家者は、なかなか立派そうな人だな。アシタ仙人の弟子かな?。」 その言葉に、憂鬱そうに外をぼんやり眺めていただけのシッダールタが反応したのは言うまでもなかった・・・・。 18.邂 逅 御者の言葉にシッダールタはすばやく反応した。 「しゅ、出家者だって?。おい、き、君、ちょっと止まってくれ。」 「えっ?、止まるんですか。へ、へい。」 そういうと、御者は馬車を急停車させた。喜びに浸っていたため、御者の言葉を聞いていなかったヤショーダラーは、驚いた。 「な、なぜ、止まったのですか?。もうすぐ、お城だというのに・・・・。」 「すまない、ヤショーダラー、少し時間をくれ。出家者がいたのだ。」 シッダールタは、そういうと、急いで馬車を降り、出家者の方に向かって駆け出したのだった。 「出家者って・・・・・、どういうこと?。」 ヤショーダラーは、不安にかられて御者に聞いてみた。 「へい、なかなか立派な出家者の方が、托鉢してるんでさあ。ありゃあ、きっとアシタ仙人のお弟子さんに違いねぇ。ありがたいことだ。」 (出家者ですって?。なぜこんな時に・・・・。アシタ仙人といえば、シッダールタ様がやがて出家して仏陀になる、と予言された方。ふん、でも、もういいわ。どんなにあがいても、神々には勝てないのよ。いくら出家者であっても、いくらアシタ仙人であってもね。神々には逆らえないわよ。その神々にシッダールタ様は、お祈りしたのよ。カピラバストゥの城主としてね。ふふふ・・・。あははは・・・。シッダールタ様もいずれ国王。私は王妃。はははは・・・。) 今や、ヤショーダラーの心は、王妃になることでいっぱいであった。 一方、シッダールタは托鉢中の出家者に声をかけていた。 「あのう、すみません、托鉢中申し訳ないのですが、ちょっとお尋ねしたいことがあるですが・・・・。」 声をかけられた出家者は、何事か、という顔をしていたが、すぐに落ち着いた態度でシッダールタのほうに向き直った。 「はい、私でよろしければ何なりと・・・。」 「あの、出家とは、どうすればいいのですか。」 「はあ? 出家ですか?。・・・・それは、そうですね。まあ、まず、家を出なければいけませんね。何もかも捨てて。」 「何もかも捨てて、家を出るのですか?。」 「そうです。出家者には、財産はありません。私で言えば、私の持ち物は、身に着けているこの着物と、手にしているこの鉢のみです。」 その出家者は、貧しそうな格好をしていた。手には、鉢を持っており、その中には食べ物が少々入っていた。 「食事は、それだけなのですか?。」 「ええ、そうです。私は、アシタ仙人のもとで修行をしているのですが、アシタ仙人は、余分な食事はしてはならない、とおっしゃいます。托鉢で得た食事のほかにも、木の実をとったり、果物をとったりして食べますが。しかし、食べ残すようなことはいたしません。食べられる範囲でしか食事を得るようなことはしないのです。」 「なるほど・・・・。食料を無駄にはしないのですね。・・・・アシタ仙人の教えとは、どのようなものなのでしょうか。」 「あぁ、それは・・・・。私は、まだ出家したばかりなので、教えそのものは理解していないのです。ただ、身なりを整えることや、清潔にしていること、決して怒ったりしないようにすることを教えられました。」 「あぁ、それで、立ち振る舞いが立派に見えるのですね。」 「そ、そうですか・・・。そう言われると、嬉しいです。」 「やはり、出家すると、気持ちは落ち着きますか?。覚りを得られるのでしょうか。」 「いや、覚りまでは・・・・。アシタ仙人様も、いろいろな神通力は身につけられておりますが、覚りは得られていないとおっしゃっていました。私は、確かに俗世間にいた頃よりも気持ちが落ち着いています。出家してよかったと思います。まあ、私の場合、家にいても余分な人間でしたし、口減らしという点でも、出家してよかったのでしょう。・・・・あぁ、すみません。私の家は、貧しい上に、子沢山でして・・・。私は、余分な人間だったのですよ。ですから、出家してよかったのです。」 その出家者は、シッダールタの姿をゆっくりと眺めた。 「もしかして、あなたはカピラバストゥの王子様なのではないでしょうか・・・。」 「はあ、はい、そうです。」 シッダールタは、身分がわかってしまったことを悔やんだ。自分が王子だとわかってしまうと、出家について教えてもらえなくなるのではないかと懸念していたのだ。城下の人々は、王子がやがて出家して仏陀になるかもしれない、というアシタ仙人の予言を噂で知っていたし、国王がそれを阻止しようとしていることも知っていたからである。それなのに、出家の話などを王子にすれば、咎められるのは当然であったろう。だから、誰も相手が王子だとわかれば、出家の話などしなくなって当然なのだ。 ところが、その出家者は、アシタ仙人の予言については知らなかったようであった。 「王子様、出家は厳しいですよ。そんな贅沢な衣装も着れませんし、食事も粗末になります。身分も捨てなければなりません。見たところ、あまり身体が丈夫そうには見えませんが・・・。」 「しかし、それらを捨てても、得られるものは大きいでしょう?。」 「それは、もちろんそうですが・・・・。」 「実は、私には悩みがあるのです。それは、おそらく出家しなければ解決しないことだと思うのです。」 「悩み・・・・ですか?。それは・・・。」 「それは・・・・。人は、なぜこの世に生まれるのか、身分がなぜ生じるのか、なぜ老いるのか、なぜ病気に罹るのか、なぜ死ぬのか、なぜ人々は苦しまなければならないのか、ということです。アシタ仙人人は、このことを解き明かしてくれるでしょうか・・・。」 「そ、それは・・・・。先ほども言いましたように、私は出家して間もないです。しかし、今の王子様の質問には、アシタ仙人でも答えられないでしょう。なぜなら、アシタ仙人は、はじめにこうおっしゃったからです。 『よいか、私にもわからないことがある。それは、なぜ産まれるか、なぜ死ぬか、なぜ身分があるか、なぜ苦しみがあるか・・・・。そういった生の基本的なことに関してはわからないのだ。予言やその人にあった生き方や、やってはならないことなどは、神通力によって知ることはできる。しかし、生の根本に関しては、ついに知ることはできなかった。やはり、それは仏陀を待たねばならないようだ。』と。 そして、こう続けられました。 『私の死後、必ずや仏陀になる人物が現れる。お前たちは、私の死後は、その方に教えを請うとよいだろう。その方は、仏陀であるから、すべての疑問に答えてくれよう。』と。」 「そうですか。アシタ仙人でもわからないことなのですか。・・・・仏陀ですか・・・。」 「はい。しかし、いくらアシタ仙人のお言葉とはいえ、私には仏陀が現れるとは思えません。まさか、そんな夢のようなことがあるわけないでしょう。」 その言葉を聞いて、シッダールタは苦笑するしかなかった。 (この人は、私が仏陀になると予言された人物だとは知らないんだ。でも、この人のいう通りかもしれない。仏陀は現れないのかもしれない。私は、今日、神々と契約してしまった。神々をだます訳にはいかないだろう・・・。) 「仏陀とは、どんな方なのでしょうか・・・。」 シッダールタは、沈んだ声でぼそぼそと聞いてみた。 「はい、アシタ仙人によると、仏陀とは、伝説の聖者だそうです。すべての欲望を超え、世界のすべてを知り、すべての神通力を身につけた方なのだそうです。そして、その力は、この世のすべてのものを超えているそうです。仏陀は、すべての神々をも従える存在なのだそうです。すべての神々も仏陀を尊敬し、仏陀の出現を待ち望んでいるのだそうです。・・・・そんな存在、現れるでしょうか・・・?。」 その話を聞いて、シッダールタは目の前の霧が晴れるようだった。 「仏陀は、神々をも従えるのですか?。ということは、仏陀のほうが、神々よりも上なのですか?。」 「ええ、当然そうですよ。仏陀は神々の上なのです。アシタ仙人によると、神々も仏陀の出現を待ち望んでいるのだそうです。真実かどうかは知りませんが・・・。」 「そうですか、そうですか・・・・。仏陀は、神を超越した存在なのですね。なるほど・・・・。」 「どうしたのですか?。何か嬉しそうですね。私の話が、そんなに喜ばれるものだったのでしょうか。」 「いやいや、ありがとうございます。おかげで私は救われました。今日は、あなたにお会いできて本当によかった。」 「はあ、そうですか。よくわかりませんが、お役に立てたようでよかった・・・。」 「あぁ、そうだ、今日の儀式のお供え物があります。どうか、それをお持ちください。」 シッダールタはそういうと、馬車に戻っていった。 「あぁ、シッダールタ様、お話はもうよろしいのですか?。」 ヤショーダラーがそういうと、シッダールタは、嬉しそうに 「ええ、終わりました。ですので、お礼にこの供物をお渡ししようと思って・・・。」 というと、あわてて出家者のほうへ取って返したのであった。 シッダールタは、出家者にお供え物を渡すと、 「最後にもう一つお聞きしたい。」 と声をかけた。 「出家は、無理にしなくても、そのうち機会に恵まれるものなのでしょうか。自然に導かれるものなのでしょうか。」 「えぇ? それはどういう意味でしょうか。・・・・まあ、一般的に、出家する機会というのは、自然にできてくるものなのでしょうね。きっかけというか、そういうものがあるのでしょう。そういう意味で言えば、自然に導かれて出家するのかもしれませんね。」 「そうですか・・・。やはり、そういう、その、出家する機会、導きのようなものがあるのですね、きっと・・・・。ならば、その時まで、待っていればいいということだな・・・。」 シッダールタは、一人納得していた。その様子を見て、その出家者は考え込むような顔をしていった。 「王子様、あなたは不思議なことをおっしゃる。そう、あなたのおっしゃるように、出家というのは、一種の導きがあるのかもしれません。否、あるのでしょう。誰もが出家するわけではないのですから・・・・。私も神の導きがあったのでのでしょうか。そうか・・・、そうかもしれませんね。」 「ええ、きっとそうですよ。あなたも、何かに導かれてアシタ仙人のもとに行ったのでしょう。」 「そうなのでしょうね・・・。私は、今までそんなふうには考えても見なかった。家族の口減らしのために出家したとしか考えてませんでしたから。ありがとうございます。私も王子様にお会いできてよかった。おかげで、修行に励むことができます。今日は、托鉢に城下まででてきてよかった。これも、神の導きかもしれない。」 そういって、その出家者は、王子に背を向けて城の外に続く道を歩き出していったのであった。シッダールタもその背中を見送りながら、密かに思っていた。 (今日のこの邂逅は、きっとシュメールの神々が導いて下さったものなのであろう。ならば、私が出家する機会は、必ず訪れよう。それまでは、普通の王子としての生活を送ったほうがよいようだ。それがいつのことなのかはわからないが、いつかはきっと出家できるに違いない・・・・・。) その顔は、喜びに満ち溢れていたのだった。 19.希 望 新年の神々への参拝儀式を終えたシッダールタの表情は明るかった。その顔は、希望にあふれ、活き活きとしたものだった。シッダールタの報告を受けた国王シュッドーダナは、シッダールタの様子を見て、この上ない満足感を得たのであった。 その後も、シッダールタは精力的に公務をこなし、父王の代行で様々な行事にも参加するようになっていた。ひ弱にみえたシッダールタも、いつの間にかすっかり王子らしい表情になっていった。 ヤショーダラーとの生活も、寝室を共にするようになっていた。このことに、ヤショーダラーも大いに満足していた。しかし、まだ、二人の間には子供はできてはいなかった。ヤショーダラーは、このことだけが気がかりであった。 時は流れ、再びシュメールの神々への参拝儀式に参列したシッダールタとヤショーダラーは、それぞれの思いをシュメールの神々に祈った。シッダールタは、当然出家の機会が早く訪れるようにと願い、ヤショーダラーは妊娠を祈願したのであった。 一方、国王の望みも、当然、ヤショーダラーと同様であった。 「どうじゃ宰相、シッダールタは変わっただろ。去年の神への参拝以来じゃ。」 「はい、シュメールの神々に参拝させたのは正解でしたな。」 「うむ。今年も自ら進んで行ってくれたわい。あれも、王子としての自覚が備わってきたようじゃ。あとは世継ぎだけじゃな。早くシッダールタの子が見たいものだ。あやつも今年で28歳、ヤショーダラーも23歳になる。もうそろそろ一人くらい子ができてもよい年齢だ。どうなのじゃ、そのあたりのことは。ヤショーダラーからは、何も聞いてはいないのか。」 「はぁ・・・。さすがに、そのあたりのことは私にも話し難いとみえて・・・。そうですな、女官にそれとなく探りを入れさせましょう。」 「おぉ、そうしてくれ。これで世継ぎができれば、もう思い残すことはない・・・・。」 国王の願いは、シッダールタの子供へと移っていったのであった。 宰相は、早速ヤショーダラー妃付の女官を呼び寄せた。 「どうなのじゃ、最近の王子たちご夫妻の様子は。」 「はい、極普通のご夫婦ですが。それが何か。」 「うむ。では寝室も共にされているのだな。」 「それはもちろんです。」 「では、なぜお子ができん。」 「それは・・・・。私にもわかりかねますが・・・。」 「そうか・・・。ただ、できにくいだけなのかも知れんなぁ・・・。まあ、よい、このまま引き続き様子を見ていてくれ。」 宰相は、女官にそういい残すと、難しい顔をして去っていった。 それぞれの願いは、未だ叶う兆候もなく、カピラバストゥは平和なまま、1年が過ぎていった。その年もシュメールの神々への参拝は、シッダールタとヤショーダラーが行くことになった。そして、シッダールタは出家の時期が早く来ることを願い、ヤショーダラーは妊娠を再び願ってきたのであった。 もう一人、ヤショーダラーの妊娠を心待ちにしているものがいた。国王である。国王は、イライラしていた。宰相を呼びつけ、怒鳴り散らしていたのだ。 「あれから1年経つというのに、未だ王子たちの間に子ができないではないか。どういうことだ。二人はうまくやっておるのか!。早くしないと、二人とも年をとってしまうぞ。シッダールタは今年いくつだ?。29歳であろう。ヤショーダラーは?。もう24歳じゃ。もうそろそろいい年ではないか。」 「は、はい。否、その・・・。女官の報告によりますと、王子様ご夫妻は、極普通の夫婦生活をされております。なぜお子ができないかは、わかりかねますが・・・・。」 「なんじゃと・・・・。そうか、二人は普通の夫婦生活をしているのだな。それなのに子ができないとは・・・・。なぜだ・・・・。」 「それは、なんとも・・・・。そうだ、そうです、占い師を呼んではいかがでしょうか。」 「占い師か・・・。うーん・・・。そうだな。よし、そうしよう。では、いつもの占い師をここへ呼ぶがいい。」 こうして、国王は、ヤショーダラーが妊娠しない理由を占ってもらうことにしたのであった。 占い師は告げた。 「ヤショーダラー妃は、今年妊娠されるでしょう。しかし、妊娠されるには、何か策略が必要になるでしょう。」 「策略とな?。」 「はい、それは、宰相様が担当される・・・と出ております。」 「わ・・・わしが?。」 宰相はあわてて聞き返した。 「はい、しかし、今から準備することではありません。時の流れに任せばいいでしょう。」 「そ、そうか・・・。では、このまま自然に任せておけばいいのだな。」 「はい、必要になってきたら、策も自然に湧いてきます。それよりも・・・・。」 占い師は、曇った顔をした。その表情に国王は心配になり、 「それよりも、なんじゃ?。世継ぎに何かあるのか?。」 と聞き返した。占い師は首を横に振り、 「いいえ、お子様は順調に誕生されるでしょう。そうではなく、シッダールタ様に何か異変がありそうな予感がします。」 「なんと!。シッダールタにか。うーん、どういうことじゃ。」 「はい、大きな力がシッダールタ様に働きかけております。この力は・・・・。う、う、苦しい・・・。」 「どうした。どうしたというのじゃ。」 占い師は、そこまで言うと気を失ってしまった。 「よいか、このことは誰にも言うでないぞ。ヤショーダラーは妊娠する。世継ぎはできる。それは間違いがないだろう。しかし、問題はシッダールタじゃ。もしかしたら、出家を考えているのかも知れん。」 「まさか・・・。シッダールタ様は、今ではもうすっかり王子様らしくなられております。精力的に公務もこなしております。私の仕事もないくらいです。まさか、出家など・・・。転輪聖王の力が備わってくるのではないでしょうか?。」 「そうだといいが・・・・。まあ、よい。警戒したに越したことはない。裏をかかれることもある。警備を厳しくせよ。城の周りの見回りも増やせ。よいな。」 こうして、占い師のお告げにより、城の周りは警備が強化されることとなったのである。 国王様が、世継ぎができない理由を占い師に聞いた、国王様は世継ぎの誕生を強く望んでおられる・・・。 占いの結果はもれることはなかったが、国王が占い師を呼んだことだけは、すぐに城内に広まってしまったのだった。もちろん、その噂はシッダールタの耳にも入っていた。 (あぁ、何と言うことだ。わかっていることではあるが、国王は次から次へと私に望むことばかりだ・・・・。ついこの間まで、私に王子らしい王子になることを望み、それが叶えば言うことはない、などと言っていたのに、今度は、世継ぎだ!と騒いでいる。はぁ〜、望むことばかりだ、父は・・・・。否、待てよ・・・。国王ばかりじゃない。人間は、皆そうなのか。次から次へと欲望が湧いてくるものなのか。一つの願いが叶えば、次の願い、それが叶えば、また次の願い・・・・。なんと浅ましい・・・。否、私もその中の一人であるのか。出家をすれば、次に望むものは何だ。私も次々に欲望が湧いてくるのだろうか。人は、この欲からは逃れられないのだろうか・・・。) シッダールタは、国王が世継ぎを望んでいるという噂を聞き、久しぶりに考え込んでしまったのだった。シッダールタは、城内の大木の下に行き、瞑想してみた。 (ここに来るのは、何年ぶりであろうか。随分、久しぶりのような気がする。あぁ、ここでこうして座っているのが何よりも心が落ち着く。妙案が浮かぶわけではないが、ここに座っていると心地よいのはなぜだろうか。やはり、私には王子の座は合っていないのだろうか。こんなことを考えるのは、そろそろ出家の時期が来たということであろうか・・・・。) こうして、シッダールタは再び、日々瞑想に耽るようになったのである。まだ、春浅い日のことであった。 |