正しい仏教を知るために
148.第一回結集・・・最終回
仏陀が入滅して半月が過ぎた。もう間もなく雨期が始まる頃であった。 「雨期も近付いた。安居も始まる。世尊の教えを確認し合うにはちょうど良い時期だ。精舎の整備も終わった。あとは選ばれた長老を迎えるだけだ」 マハーカッサパは、マガダ国の首都ラージャグリハの精舎で、そうつぶやいたのだった。 翌日から、マハーカッサパが人選をした500人の修行僧たちが精舎に集まってきた。マハーカッサパは、その一人一人に挨拶をし、丁重に精舎に迎え入れた。そして、最後にやってきたのは、アヌルッダとアーナンダであった。 「おぉ、アーナンダ。よくぞ間に合った・・・」 マハーカッサパは、大喜びでアーナンダを迎えいれたのだった。 ちょうどその一週間前のことである。ラージャグリハの精舎の近くの森でのことであった。 「アーナンダよ。汝は、世尊の教えをたくさん聞いている。それを思い出せば、自然に悟りに至れるのだよ。何も焦る必要はない。まだ、結集には一週間もある。ゆっくり瞑想をすればよいのだ」 悟りを得られないと焦るアーナンダにアヌルッダは優しく言った。アーナンダは、その言葉にホッとしながらも、もし悟りを得られなかったら、自分は結集には入れてもらえないのだと思うと苦しくなってきたのだった。 「マハーカッサパ尊者は、大変生真面目で律や戒を決して曲げない方だ。世尊は、時には律を曲げても、時には戒に会わなくても、本人の気持ちによっては許して下さった。しかし、マハーカッサパ尊者は、それはない。断じて有り得ない。私が悟りを得られなかった場合、私抜きで結集を始めるのは間違いない。なんとしても私は悟らねばならぬ。世尊の教えを最も多く聞いているのは私なのだから・・・・」 それ以来、アーナンダの厳しく苦しい瞑想の日々が始まったのである。 「世尊はなんておっしゃっていたか・・・。この世は無常である。日々、変化していっている。永遠はない、必ず老い、死に至るのだ。それは万物すべてにおいてである。そして、いま存在している我は、これも永遠ではない。本来、我はないのだ。我と思っているのは、実は意思であって、我というものが存在しているわけではない。我ではないのだ。意思や想い、念、思考・・・といったものがあるに過ぎない。それを我という存在と勘違いしているだけだ。ならば、自分とは?。あぁ、自分というのも、そう考えているだけなのだ。自分なんていうものは、本来存在していない。そう思い込んでいるだけだ。それは、自分と思い込んでいる意思、想い、思考、念なのだ。この身体は、意思や思考、想い、念をもつ器だ。その器がなくなってしまえば、器に入っていた意思や思考、想い、念などというものもなくなってしまうのは当然であろう。器がなくなれば、その中身も無くなるのは必然である。我々は勘違いをしている。器の中にある思考や意思や念、想いを自分だと思っているのだ。そんなものは、初めからない。あれば、器が壊れても残るはずだ。否、もし残っていたとしても、器がなければ存在することができない。器があり、その中に意思や思考、想い、念というものが入って初めて人間が形成されるのだ。そう、人間という者は、このように何ともあやふやな存在なのである。それはわかる。理解できる。理解できるが、それは悟りとは違うのか?。それとも悟っているのか?。どっちなのだろうか・・・・」 アーナンダの思考は、毎日その繰り返しであった。彼は、仏陀の教えをよく理解はしていた。理解はしていたが、その中に溶け込んではいなかったのである。理解はしていても身には付いてはいないのだ。それは、悟りではないのである。 結集が翌日に迫っていた。アーナンダは焦りはじめていた。焦るアーナンダをアヌルッダは優しく遠くから見守っていた。 「あぁ、いまだに私は悟れない。このままではアヌルッダ尊者にも迷惑をかけるであろう。きっと、マハーカッサパ尊者は、アヌルッダ尊者を叱咤するに違いない。『お前が指導してしたのに、なぜアーナンダは悟れないのだ。お前の指導が悪いのだろう・・・・』。マハーカッサパ尊者は、アヌルッダ尊者を責め、精舎に入ることを許さないであろう。思い返せば・・・・マハーカッサパ尊者は厳しい方だった。いつも叱られていた。世尊のそばについていながら、なぜそのように迷うのだ、と・・・・。尼僧を世尊に認めさせた時もだ。世尊が否定したことをなぜひっくり返すのか、と強く責められた・・・。あの時は、シャーリープトラ尊者とモッガラーナ尊者が間に入ってくれたのだった。あの方たちは優しかった・・・。いつも優しく私を導いてくれた。よく話を聞いてくれた。あぁ、あの方たちが今いてくれたら・・・、きっと教えを確認し合う結集も、違う形になっていたのではないだろうか?。きっと、私が悟りを得られなくても、結集の一員に加えてくれたことだろう・・・。しかし、彼のお二人も今は涅槃に入られてしまった・・・。それは誰にも止められないことなのだ。世の中は、思うようにはいかぬものだ。それは世尊であっても、なのだ」 アーナンダは、そのようなことを考えているうちに、次第に深い瞑想へと入って行った。そしていつしか、眠っているのか起きているのかわからないような状態になっていた。 静かな夜だった。それは突然、アーナンダにやってきたのだった。 「あぁ、わかった。そういうことだったのか。世尊の教えの深さがようやくわかった。世尊が説いたことが、今よく分かった」 アーナンダは、そう叫んだのだった。それは結集の日の明け方のことだったのだ。 「アーナンダ、よくぞ間に合った。さぁ、精舎の中に入るがよい。汝で最後だ」 こうして、結集に選ばれた修行僧たち500人が、精舎に集まったのである。 「これより、世尊の教えの確認にはいる。もう間もなく雨期も始まるので、ちょうど安居もかねてできる。安居の間の食料は確保してある。また、皆さん大徳たちが指導をしている弟子たちも、この近くの精舎で安居できるように準備してあります。皆さんは、何も心配することなく、世尊の教えを確認し合い、そしてそれを弟子へ、またその弟子へと、伝えていってください」 マハーカッサパは、挨拶代わりにそう言った。そしてアーナンダの方を見て厳しい顔をして言った。 「アーナンダよ。よくこの結集に間に合った。それは大変、喜ばしいことだ。だが、アーナンダよ、汝には五つの大罪がある。それをまず諸大徳の前で懺悔しなくてはならぬ」 マハーカッサパの言葉に、多くの修行僧たちは首をかしげた。また、罪があると言われたアーナンダも、いったい何のことかよくわからなかった。 「アーナンダも諸大徳もわかっていないようなので、私から指摘をしましょう。 先ず一つ。アーナンダよ、汝は世尊が入滅される直前、『些少の戒めは捨ててもよい』と世尊がおっしゃった際に、些少の戒めとは何かということをお尋ねして明確にしなかった。これが罪である。 二つ目。以前、世尊の衣を縫った時、その衣を足で踏んで縫ったという罪がある。 三つ目。世尊の御遺骨を女たちに先に礼拝させ、その女の涙で世尊んお御遺骨を濡らし、汚してしまったという罪。 四つ目。世尊が『如来は望まれれば永遠に留まることができる』とおっしゃった際に『この世にいつまでも留まってください』と願わなかった罪。 五つ目。世尊が拒んだにも関わらず、女性の出家を世尊に認めさせ、千年続くはずの正しい教えの期間が五百年に縮めてしまった罪。 以上の五つの罪をアーナンダ、汝は犯しているのだ。まずは、それ懺悔するのだ」 マハーカッサパの指摘に、首をかしげる修行僧もたくさんあったのだが、アーナンダ反論することなく、 「尊者がおっしゃることは事実です。謹んで、ここに懺悔いたします」 と、深く頭を下げたのであった。 そして、いよいよ教えの確認が始まったのであった。 「このように私は聞きました」 結集は、アーナンダが中心となって進められていった。アーナンダが、いつ、どこで、どういう理由で、誰のために、どのような教えを説いたのか、ということを語り、その時そこにいた長老たちが、それを確認していく、という方式で、教えを確認していったのであった。それが、 「如是我聞・・・・このように私は聞きました。ある時、仏陀世尊が祇園精舎にいらっしゃった時のことです。そこには、シャーリープトラ尊者、モッガラーナ尊者、アヌルッダ尊者、ウパーリ尊者・・・・などがいらして、世尊を囲んで座っていました。世尊は、諸大徳の顔を見回して話を始められたのです。それは、このようなことでした・・・・」 「おぉ、そうであった。あの時、世尊はそのように説かれた。確かに私は聞いた」 「そうである。私も確かに聞いた。」 「よろしい。では、その教えは世尊の正しい教えであると、ここに皆で認めよう。では、続いてアーナンダよ、話すがよい」 「はい、このように私は聞きました。ある時、世尊が・・・・」 このようにして、教えは一つ一つ確認されていったのであった。それは、何日にも及んだのである。 雨期も終わりが近づいたころ、ようやく教えの確認が終わった。それは、膨大な量であった。しかし、確認作業はそれだけでは終わらなかった。戒律に関しての確認が残っていたのだ。 「戒律については、ウパーリ尊者、汝が一番詳しい。戒と律にして、一つずつ挙げて解説をしてください」 マハーカッサパは、ウパーリを指名した。ウパーリは、戒律に関して、いつどこで、なぜ制定されたのかということをすべてを覚えていたのである。 雨期が終わりを告げたころ、ウパーリによる戒律の確認作業が終わった。それによると、男性の修行僧・・・比丘に関しては、250の戒律があり、女性の修行僧・・・比丘尼には、350の戒律があることが確認されたのだった。 「この結集で確認された教えと戒律以外は、世尊の教えではありません。決して誤った教えを含むことなく、純粋に世尊の教えのみを後世に伝えていってください」 マハーカッサパは、そう集まった修行僧たちに宣言したのであった。指導的立場にある修行僧・・・長老たちは、それぞれの弟子を率いて、それぞれの修行場所に散ったのであった。 「私はここに残り、若い修行僧を指導していく。アーナンダよ、汝はどうするのか?」 マハーカッサパは、そうアーナンダに尋ねた。 「私は、一度、カピラバストゥの城の廃墟でしばらく過ごします。その後は、世尊のように旅を続けたいと思います」 アーナンダは、そういうと一人旅立っていったのであった。 それから20年のこと。マハーカッサパは、ラージャグリハの精舎や霊鷲山などで多くの弟子を指導した。そして、 「そろそろ私もこの世を去るときがきた。この峰を割って、私はその中に入る。そして、弥勒菩薩がこの世に現れるとき、私も一緒に現れて、弥勒如来とともに過ごそう。そのとき、この世尊の衣と鉢を弥勒如来に渡すのだ」 と願って、仏陀の衣と鉢を持ち、霊鷲山の岩山深くへと入って行ったのであった。 そしてさらに20年の後。アーナンダは、ヴァイシャリーの街で多くの人々に教えを説いていたが、 「いよいよ、私も涅槃に入る時が来た。思えば、もう120歳になる。長かったようで、、短い時であった。そう、時に長い短いなどないのだ。これも自然の流れである」 といって、ヴァイシャリーの人々に見守れながら、涅槃に入ったのであった。 仏陀の教えは、その後何度かの結集で確認されることにより、後世へと伝えられていった。やがて、仏陀が涅槃にはいって、250年も過ぎたころ、 「仏陀の教えを書き残しておこう。そうでないと、やがて間違った教えが入ってしまうであろう。記憶もあいまいになっていくであろう」 という理由から、経典が作られるようになったのである。 やがて、マハーカッサパ系の修行僧中心の教えの派と、その他の弟子・・・特に一般大衆を相手に教えを説いていたアーナンダ系の派が生まれてきたのであった。彼らは、それぞれの教えの正当性を訴えるかのように、次々と経典を作り始めた。 さらに時が流れ、大衆相手の教えを説いていた派が分裂や誕生を繰り返し、発展していったのであった。それが、大乗仏教へとつながっていくのである。 一方、マハーカッサパ系の修行僧を中心とした教えは、小乗仏教と揶揄されながらも、その教えを伝えていき今日に至り、現在では、上座部仏教とか初期仏教と呼ばれるようになったのである。 しかし、仏陀の予言通り・・・諸行無常である。正しい教えは500年しか続かない・・・に、インドでは仏教は滅んでしまった。しかし、仏陀の教えは、中国を経て、日本で生き残っているのである。 その教えは、今では、「世界で最も平和な宗教」とされ、世界からの注目を浴びているのである。 そう、仏陀の教えは、最も平和を愛し、暴力を憎み、一切が平等である教えなのだ。身分や人種、職種、出身などを問わず、一切を平等をした宗教は、世界でも類を見ない。そこに仏陀の教えの奥深さを知ることができよう。 このように世界でも稀な宗教、真理に到達できる唯一の宗教である、仏陀の教えが伝わっている日本は、世界に誇るべきなのであろう。 多くの人々が、仏陀の教え・・・仏教・・・を学び、少しでも迷いや悩み、苦しみから解放され、真理に至ることを願うものである。 14年ほどの長きに渡って、お付き合い下さったことに感謝いたします。これにて、私家版「お釈迦様物語」を終了いたします。 ありがとうございました。合掌。 完。 |
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