ばっくなんばー11
49.僧団 「ヤ、ヤシャ、なんだ、その恰好は・・・・。お前、本当に・・・。」 父親は、ヤシャの変わり果てた姿を見て言葉を失った。 「父さん、何を驚いているのですか?。私は、本気で仏陀でいらっしゃる世尊の弟子になったのです。この姿は、その証です。」 「しかし、お前・・・・。では、もう家には帰らぬというのか・・・。」 「父さん、聞いてください。私にはもはや帰る家などありません。いや、私が家にいるころから、あの家は私の家などではなかったのです。私には存在する場所がなかった。子供のころは、いつも大人が張り付いていて、決まった遊びと勉強しかできない日々でした。外から聞こえる子供たちの笑い声とは無縁でした。」 「そりゃあ、お前、身分が違う。」 「子供にとって、身分などどうでもいいことですよ。一緒に走り回るのが楽しいのです・・・・。私は、成長するにつれ、疑問を抱くようになりました。我が家にとって自分は必ず必要な存在なのであろうか、と。何もしなくても望みのものは手に入る。努力しなくてもお金は余るほどある。何も仕事をしなくても、何もやらなくても、いや、毎日遊んで暮らしても何も不自由しないし、困らない・・・。こんな生活の中で、果たして自分の存在など必要でしょうか?。毎日毎日何もすることがなく、ただただ日が暮れるのを待つだけ・・・。こんな生活がどれほど苦しいものか、父さん、わかりますか?。 友人たちだってそうです。どれだけの友人が、私の人間性を慕って友となったのでしょうか?。ほとんどのものが、私がこの国一の富豪の息子だから、親が『あの家の息子とは親しくしておけ』といったから、私に近付いてきたのでしょう。あるいは、初めから友人という役割で、私に与えられた玩具であったのでしょう。 私は気付いていました。私の周りにある世界は、すべて作られた世界、中味のない空っぽの世界、虚飾の世界であることをね。気付いていたんですよ。誰も本当の気持ちでは接してくれない。誰もが気を遣い、『ヤシャ様は違うのだ』という目で見る。こんな苦しいことはありません。真の友人など一人もいない。本気で話せる相手など一人もいない・・・・。 いくら財産があろうと、いくら金があって贅沢な暮らしができようとも、この虚しさだけはお金で買うことなどできないのです。金で買った友など友ではないし、金でできあがった家族など本当の家族ではないのですよ。貧しくとも、日々の暮らしに大変であろうとも、お互いに思いやりを持ち、お互いに助け合って過ごしていく、それが本当の家族でしょう。お互いの気持ちに気付いて、なんでも話ができる、理解しあえるのが本当の家族であり、本当の友人でしょう。私には、そんな家族も友人もありませんでした。 自分の存在感がない世界には生きてはいけません。しかし、ここでは、仏陀世尊が真実の世界を示してくださる。自分次第で、その真実の世界へと旅立つことができるのです。お金など必要はありません。この袈裟と鉢があれば、幸せな日々を過ごせるのですよ。心豊かに過ごせるのです。 父さん、財産はいくらあっても死んでしまえば終わりです。いくらお金を持ってみても、できることはそんなに大したことないんですよ。命も、心の豊かさも、お金で買うことはできません。しかも、お金で買ったものなど永遠ではありません。父さん、あなたの栄華もいつまでも続くものではありません。年老い、やがて死がやってきます。我が家の栄華もいずれは滅んでいくでしょう。そんなものにしがみついて何になるのですか?。そんなあやふやなものにしがみついて生きても、虚しいだけでしょう。それよりも、真実の教え、悟りを得た方がどれほど幸せことであるか・・・。 父さん、私は目覚めてしまったのです。世尊の元で悟りを得るために教えをいただくことの幸福感に。これほどの幸せはありません。 父さん、今までありがとうございました。今日からは、私は本当の意味でひとり立ちをします。もう、あなたの庇護は要りません。私は私の道を見つけたのです・・・・。」 ヤシャの言葉に誰も何もいえなかった。ヤシャが指摘したとおりの家族であり、友人たちであったからだ。沈黙を破ったのは、父親だった。 「ヤシャ、すまない、すまなかった。わしも若いころは、お前と同じように悩んだ。しかし、家を継ぐことのほうが大事だと思っていた。お前には、わしが味わった思いをさせぬようにと、幼いころから友人をあてがったのだが、それがアダになったわけだ。確かに、わしは金で何でも埋まると思っていた。心の虚しさも、金を使うことで埋めてきた。いや、埋めようとしただけなのだろう。ただ、直視できなっただけなのだ。心の虚しさを直視するのが怖かった、ともいえるかもしれん。 ヤシャ、お前は幸せ者だ。若くしてよき指導者を得たのだから。わしがお前のように若かったら、やはりお前と同じ行動をとったことだろう。残念ながら、わしが若いときには仏陀はおられなんだ。そして、今は年をとりすぎた。抱えるものが多くなりすぎた。ヤシャよ、わしの分まで修行して、必ずや悟りを得てくれ。そして、わしを、家族を導いてくれ。」 父親は、ヤシャに向かってそういうと、今度は仏陀の方を向いて 「世尊、ヤシャのことをよろしくお願いいたします。私も出家はできませんが、在家のままで世尊の弟子になりたく思います。そういうことはできないでしょうか?。」 と懇願したのだった。仏陀は、 「よくわかりました。ヤシャのことは任せてください。彼は、必ずや悟りを得るでしょう。そして、あなたを在家の信者として認めましょう。時間があるときは、教えを聞きに来られるがいいでしょう。」 と、にこやかに答えたのであった。この言葉を聞いて、父親は、深々と頭を下げた。そして、 「世尊、もしよろしければ、明日我が家に来ていただきたいのですが・・・。ヤシャの母親や妻にもこのことを告げねばなりません。二人にヤシャの姿を見せたいのです。その方が彼女らも納得するでしょうから。」 と頼んだ。 「もちろん、そういたしましょう。私もそのつもりでした。」 仏陀は、そういって、ヤシャの顔を見て微笑んだのであった。 翌日のこと、約束どおり、仏陀は、五人の弟子とヤシャを連れ、ヤシャの家を訪れた。ヤシャの父親は彼らを大歓迎し、大広間に招きいれた。そこには、ヤシャの母親と妻の姿もあった。二人は、ヤシャの父親から話は聞いていたが、ヤシャの姿に驚きは隠せないでいた。 「な、なんという姿に・・・。」 二人は涙した。しかし、ヤシャは、明るく答えた。 「母さん、そして妻よ、泣くことはありません。私の顔をまっすぐ見てください。今まで比べてどう見えますか?。」 ヤシャにそういわれ、彼女たちはヤシャの顔を見つめた。二人には、その顔が、喜びに満ち溢れていることがわかった。 「なんて輝かしいお顔でしょう。あなたがそのような顔をしているのを初めてみました。ここにいるときは、いつもいつも陰鬱な顔をしていましたから、私は毎日心配していたのです。今は、とても明るく輝いています。ちょっと悔しいけれど・・・・、あなたは幸せになったのですね。満ち足りているのですね・・・・。」 妻はそういうと、涙をこぼし母親に寄りかかった。二人は、抱き合い、しばし泣いていた。ヤシャも仏陀も、その姿を眺めていた。 「二人とも、ヤシャの晴れ晴れとした姿をもっと喜ぼうではないか。さぁ、みなさん席についてくだされ。いま、食事の用意をいたします。」 父親が、涙をぬぐって明るくそう言った。その言葉に、母親も妻も、気丈に食事の用意を始めたのであった。 食事が終わり、仏陀が教えを説き始めた。この世は常でないこと、どれも自分の思うようにはならないこと、この世は苦の世界であること、その苦から逃れるには悟りを得ること、そして、ヤシャもそれに気付いていたこと、を誰にでもわかるように説いたのであった。そのため、ヤシャとの別れを悲しんでいた母親も妻も、今では喜びを感じていたのであった。 「お二人とも、ヤシャの出家を喜んでいただけますね。」 仏陀のその言葉に、二人は 「もちろんです。ヤシャよ、立派な修行者になってください。」 と笑顔で答えたのであった。ヤシャは、その言葉に、にこやかにうなずいたのであった。 そのときである。外が騒がしくなった。多くの若者が屋敷の中に入ってきたのだ。 「ヤシャ、おまえだけ幸せになるなんてずるいぞ。俺たちも出家させてくれ。」 そういって屋敷の広間に入ってきたのは、なんと50人ものヤシャの友人たちだったのである。 「き、君たちは・・・、一体どうしたのだ。」 驚いているヤシャには答えず、彼らは仏陀の前に出て跪いて 「世尊、私たちは昨日の世尊の言葉、ヤシャの話に感動いたしました。そして、私たちも心の虚しさ、日々の虚しさに気付いてしまったのです。ヤシャの気持ちも痛いほどわかります。私たちも同じだからです。どうか世尊よ、私たちもヤシャ同様導いてくださいませんか?。どうか、出家をお許しください。」 というと、深々と頭を下げるのであった。 「よろしい、あなたたちもヤシャ同様に導こう。来たれ若者よ、汝らは、私の弟子である。出家を許そう。」 その言葉に、そこに集った50人もの若者は歓喜の声を上げたのであった。 こうして、一日のうちに仏陀の弟子は、5人から56人にも増えたのであった。 しばらくの間、仏陀は、鹿野苑にて増えた弟子たちを指導していた。それは、もはや僧団とも言えるものであった。そんなある日、 「汝らも阿羅漢の域に達することができたようだ。そろそろ、ここを旅たつときがきた。さぁ、マガダ国へ向かって出発しよう。これからは、汝らも教えを説いていくのだ。」 と仏陀が皆に告げたのだった。それを聞き、コーンダンニャが仏陀に尋ねた。 「マガダ国へと、申されますが、まっすぐ向かうのですか?。」 「いや、まずはウルベーラーへ向かおう。」 仏陀がそう答えると、コーンダンニャは暗い顔をして言った。 「ウルベーラー・・・ですか?。確か、あそこには、怪しい術を使うバラモンがいるとか・・・。」 「そんなことは心配しなくてもよい。ともかく、ウルビルバーに向かうことにしよう。」 コーンダンニャの心配を退け、仏陀は力強く立ち上がった。その姿を見て、弟子たちも立ちあがった。こうして、妙な術を使うバラモンが住むウルベーラーに向かって彼らは旅立つこととなったのである。 50.火の術 ウルベーラー(ウルビルバーともいう)は、苦行林のある村である。かつて、コーンダンニャたちや仏陀になる前のシッダールタが苦行に励んでいた地でもある。ウルベーラーは、大変広い村で、シッダールタが悟りを得たところもその村の中にある。苦行林からネーランジャラー河に沿って少し歩いたところが、シッダールタが悟りを得た場所であった。 河の対岸、上流の方には大きな森があった。ウルベーラーの森という。その森一体を保有していたのが、火の術を使うといわれたバラモンであった。名をカッサパという。カッサパは、3人の兄弟であった。ウルベーラーの森に住んでいたのは、一番上の兄でウルベーラーカッサパと呼ばれ、500人の弟子を持っていた。二番目は、ネーランジャラー河の中流のナディー村の森に住んでおり、ナディーカッサパと呼ばれていた。彼には300人の弟子がいた。一番下は下流のガヤー村の森に住んでいたので、ガヤーカッサパと呼ばれていた。彼には200人の弟子がいた。 彼らは、髪の毛を法螺貝のように結い上げ、火の神に祈りをささげていた。そして、火の神に認められたものとして、火を自由に扱うという妙な術を使っていた。マガダ国では、最高のバラモンとして、その名を轟かせていた。 ウルベーラーの森の中、小高い丘を登ったところに、ウルベーラーカッサパの大きな神殿があった。神殿は、いくつもの建物に分かれていた。仏陀は、その神殿へと向かったのであった。 鹿野苑を発って、数日が過ぎていた。仏陀たちは、仏陀を先頭に、ネーランジャラー河に沿ってウルベーラーの森を目指していた。仏陀の弟子たちは、静かに仏陀に付き従っていた。 「もうすぐウルベーラーの森です。このまま森に入ります。」 仏陀の言葉に、皆が静かにうなずいた。が、コーンダンニャは、密かに心配をしていた。 (あのカッサパ三兄弟は、妙な術を使う連中だ。弟子の数も多い。何事もなければいいのだが・・・・。) 仏陀は振り返って、すぐ後ろにいたコーンダンニャに小声で言った。 「何も心配は要りません。黙ってみていなさい。」 コーンダンニャは驚き、 「は、はい・・・。はぁ・・・。」 と、あやふやな返事しかできなかったのだった。 仏陀が率いる50人ほどの僧の団体は、静々と森へと入っていった。その様子を森の高台でウルベーラーカッサパの弟子が見ていた。彼は、すぐさまカッサパに仏陀たちのことを報告したのだった。 「カッサパ様、頭を剃った集団がこの森に入ってきました。」 「なんじゃと?、頭を剃った集団だと?。なんじゃそれは、どこかのバラモンか?。それとも、苦行者か?。」 「はぁ、それがバラモンのようではないのですが、苦行者にしては、身なりが清潔です。しかも、先頭を歩いているものだけは頭を剃っていないですし、妙に光って見えるのです。」 「光って見える?。不可解な・・・・。そんな集団は知らんぞ。大方、何かの術を使う連中であろう。ここへ来て、このわしをへこまそうと言う集団だろうな。まぁ、もう少し様子を見ておれ。それで、このカッサパの神殿に入りたいと望むのなら・・・・、構わぬ、入れるがよい。」 「はい、承知いたしました。その通りにいたします。門番にも通達しておきます。」 その弟子は、門番に、50人ほどの見知らぬ集団が来たら、門内に入れ、講堂に通すように伝えておいた。 しばらくして、仏陀が率いる僧団は、カッサパの神殿の門前に到着した。すぐさま、コーンダンニャが門番に中に入れてもらえないかと頼みに行った。 コーンダンニャは、首をひねりながら戻ってきて仏陀たちに告げた。 「すぐに中に入ってください、案内します、と言ってますが・・・。普通は、こんなに簡単には他者を入れないと言われているのですが・・・・。不思議だ。」 その言葉を聞いて、仏陀はわずかに微笑むと、弟子たちに向かって、 「さぁ、中に入りましょう。私たちは招かれています。」 と言って、堂々とした態度で門の中へと入っていった。 仏陀たちは、大きな広い建物に通された。案内の門番が言った。 「ここは、講堂と呼ばれています。私たちの師であるカッサパ様のお話を聞くための建物です。正面に祀られているのが、私たちが崇め奉っている火の神様です。」 そこには、石でできた筒状のものが置いてあり、炎が噴出していた。そのため、講堂内は大変暑く、息苦しかった。 「あぁ、皆さんには、この部屋は息苦しいかも知れませんね。修行ができていませんから。私たちは、火の神様に守られているので、これぐらいの暑さでは、全くなんとも思いません。平気なんですよ。・・・これより、カッサパ様がここに来られます。それまで、しばしお待ちください。」 案内の門番は、そういうと講堂の奥へと引っ込んでいった。 「せ、世尊・・・。これは・・・、異常に暑いですが・・・。世尊は、暑くないのでしょうか?。」 仏陀が、弟子たちを振り返ると、どの弟子も汗をたらし、暑苦しそうにしていた。仏陀は、 「みなさん、座って瞑想をしなさい。心を静かに落ち着けるのです。あなたたちは、少し緊張しているだけなのですよ。見知らぬところへ来て、これから何が起こるのか不安になっているだけです。あなたたちは、まだ未熟です。立ったままでは瞑想ができないのでしょう。さぁ、座って瞑想するがいい。心を落ち着けなさい。何も恐れることはありません。あなたたちは、阿羅漢なのですから。」 と皆を諭したのだった。その言葉に、仏陀の弟子たちは、静かに座り、結跏趺坐をし、瞑想を始めたのであった。そのとたん、弟子たちの額からは汗が引き、暑苦しさでゆがんでいた顔は、涼しげな顔になったのである。 「おやおや、皆さんで瞑想ですか?。そんなことをして悟れますかな?。」 そう言いながら、カッサパが部屋に入ってきた。 「おや、あなたは座って瞑想をしていない・・・。ほう・・・。」 カッサパは、仏陀をなめるように見回した。 (コヤツ、なかなかできるな。この部屋で、こんな涼しげな顔をしている。弟子たちも、今や平気な顔をしておる。ふ〜む・・・、これは一筋縄ではいかんかもな・・・。しかも、コヤツ、妙な光を発しているぞ。なぜ光っている?。それにあの頭はなんだ。あの頭髪は・・・・、ま、まさか伝説の仏陀か?。確か、仏陀の特徴として、身体が光り螺髪である、というのがあったような・・・・。まさかな。ふん。) 「これはこれは、あなたもなかなかの修行者であるようですな。・・・まあ、いいでしょう。ようこそ、お参りくださった。ここは、火の神を祀る神殿のなかの講堂にあたります。あなたがたには、少々暑苦しいかもしれませんが、ここではこの部屋で話をするのが決まりごとなので、ご容赦くだされ。 さて、今日は、どのようなご用向きなのですかな?。単なるお参りならば、神殿内の各お堂を私自ら案内しますが・・・。それとも、火の神様に額ずきたい、ということですかな?。ならば、あなたたちを導いてあげましょう。それとも、この私と問答がしたいのですかな?。あるいは、神通力で対決したいのですかな?。さて、どうされたいのですか?。」 カッサパは、ニヤニヤしながら仏陀に質問をした。仏陀は、 「いや、私たちは旅の途中なのです。これより下流に向かい、マガダ国の街へと向かう予定です。その道中なのです。今日は、日も暮れそうだったので、今夜一晩泊めていただけたら、と思いまして、門を叩いた次第です。」 「ほう、一晩の宿を求めておいでか・・・・。なら、森でもよかったのではないかな?。ネーランジャラー河にそった、このウルベーラーの森ならば、休むところには不自由はしないでしょう。」 「いや、この森には、毒蛇も多く、また獰猛なワニなどの動物もいます。とても危険です。夜になれば、そうした獣が襲ってくるかもしれません。ですので、どうか一晩、宿をお借りしたいのです。」 「毒蛇にワニねぇ。私なら、神通力でそんなものを寄せ付けないのだが、ふむ・・・あなたのような者にはまだまだ無理なのですかな?。ふっふっふっふ・・・。」 仏陀は、カッサパの挑発に乗ることもなく 「そうですね。まだまだですね。」 と答えるのみであった。カッサパは、その態度が気に入らなかった。口をへの字曲げ、眉間にしわを寄せて考え始めた。 (コイツ、なぜこんなに平然としておる。何をたくらんでいるのか・・・。う〜ん・・・、よし、コイツだけ、あの魔神殿に泊めてやるか。弟子どもはここに放置しておけばいいだろう。弟子がいなくなれば、威張ってられないに違いない。弟子の手前、大きな顔をしているのだろう。ふん、あの魔神殿で苦しんで死ぬがいい。ふっふっふっふ・・・。) カッサパは、にこやかな顔戻ると、 「よろしいでしょう。あなたがたを泊めてあげましょう。そうですな、弟子のみなさんは、ここをお使いください。どうぞ自由になさるがいい。寝具もお持ちいたしましょう。なに、私の弟子たちにやらせますよ。みなさんは、ゆっくり休んで、旅の疲れを取ってくだされ。」 「ありがとうございます。さぁ、みなのものも礼をいうがよい。」 仏陀にそういわれ、弟子たちも静かに頭を下げたのだった。 「そして、あなた・・・、あなたは・・・名をなんというのかな?。」 「そうですね、名は・・・・・ゴータマとでも呼んで下されば結構です。」 「ほう、そうか。では、ゴータマ尊者よ、あなたは、こちらへどうぞ。」 カッサパは、そういうと、仏陀だけを講堂の外へと導いたのであった。仏陀の弟子たちは、心配そうに眺めていたが、仏陀がまったく平然としていたので、黙って見送ったのであった。 仏陀が外に出ると、講堂の扉が閉められた。部屋の奥からカッサパの弟子たちが十人ほど現れた。 「ここを自由に使ってください。沐浴所は、部屋の中に設置してありますから、外へ行く必要はありません。排便所もこの奥にあります。手洗いもできます。寝具は、今お持ちいたします。食事はされますか?。・・・・ほう、あなたたちは、夕食をとらないのですね?。飲み物だけ?。わかりました。飲み水は、そちらの方・・・、そうです、そこの奥に湧き出ています。何かわからないことはございますか?。」 「世尊は、どこへいかれたのでしょうか?。」 アッサジが尋ねた。 「世尊?・・・・あぁ、あの修行者の方ですか。大丈夫ですよ。あの方は、みなさんの師でしょうから、みなさんと一緒というわけにはいかないでしょう。なので、特別な部屋へ案内したのです。」 カッサパの弟子たちは下を向き、ニヤニヤ笑っていた。アッサジは、神通力でカッサパの弟子たちの心を読んだ。 (へん、バカな連中だ。あの修行者も明日には死体になってるだろう。なんといっても、あの部屋は魔神殿だからな。あの部屋に入って助かったものはいないからな。お前たちもカッサパ様の弟子になるんだよ、明日にはな。息苦しくなって死んでいまう奴もいるかもしれないけど。クックック・・・・。) 弟子たちの考えを読んで、アッサジは驚いた。すぐさま、隣にいたコーンダンニャに小声で伝えると、 「わかっている、私も読んだ。しかし、世尊には考えがおありなのだ。静かに明日を待てばいい。大丈夫だ、心配ない。」 と小声で答えたのであった。その言葉にアッサジも落ち着きを取り戻し、静かにうなずいたのであった。 「さて、みなさん、ほかに何も質問はありませんか?。なければ、寝具を運びます。」 カッサパの弟子はそういうと、奥へ引っ込み、寝具を運び始めた。寝具といっても、厚めの布が一枚きりである。 「そうそう、この講堂の火は、消えることはありません。夜もこのまま燃え続けています。火の大きさは少々小さくなりますが・・・。この火は、カッサパ様の神通力でないと消えないのです。お許しください。はっはっは・・・。」 弟子は、そういうと、大きな声で笑いながら奥へと引っ込んでいった。そして、奥の扉が閉じられ、鍵が掛けられる音が響いてきたのだった。 「どうやら、閉じ込めるつもりですね。」 ヤシャが楽しそうにいった。 「無駄なのにね。彼らは、我々も神通力が使えるのを知らないのだ。」 「たいしたことはないな。それを見抜けないなんて。」 仏陀の弟子たちは、小声で話し始めた。その様子を見て、コーンダンニャが立ち上がっていった。 「みんな、静かにしてくれ。彼らは、我々を見くびっているようだが、我々も油断しないようにしよう。どこにどんな仕掛けがあるかわからないからね。まずは、空気穴を見つけよう。こうして火が燃えているのだから、空気穴があるに違いない。もう少し空気を通しておいた方が、息苦しくないだろう。寝ているときは、特に注意が必要だからな。」 コーンダンニャの言葉に、みなは気を引き締め、空気穴を探し始めた。 しばらくすると、そこかしこから 「あった。ここにある。」 という声が聞こえてきた。 「やはりそうだ。この講堂には、いろいろと仕掛けがあるようだ。おそらくこの火だって、何か仕掛けがあって燃えているんだろう。・・・よし、空気穴を閉じられないようにしておこう。それから・・・、あとは、騒がないように静かに寝たふりをしておこう。眠っても大丈夫だけどな。私が起きているから。」 コーンダンニャがそういうと、どこからか、 「交代で寝よう」 という声がしてきた。こうして、仏陀の弟子たちは、講堂に閉じ込められたのだが、準備を整え、万全を期したのである。 一方、仏陀はカッサパに案内され、神殿の奥の方、一箇所だけ離れた小さな建物へと導かれていたのであった。 51.魔神殿 「随分と奥へ行くのですね。」 仏陀は、案内をしているウルベーラーカッサパに後ろから声をかけた。 「いやいや、もうすぐそこですよ。おぉ、あれです。さぁ、こちらへ・・・。」 カッサパが指し示した方には、小さなお堂が建っていた。周りは木がうっそうと生い茂り、そこだけが暗くじめじめした様子であった。 「こちらの方では、火は灯さないのですか?。ここまで随分と歩いてきましたが、今まで通り過ぎたところには、そこかしこに火が灯されていましたが、このあたりはそれがないですね。なぜですか?。」 「あははは、なかなかよく気がつきますな。確かに、このあたりは火は灯しません。ここ以外は、すべて均等に火を灯しているのですが・・・・。さぁ、着きました。このお堂を好きなだけ使ってください。寝具は中にあります。水は、水槽が置いてありまして・・・、沐浴はできませんが、身体を拭くぐらいはできましょう。あぁ、その水は飲んではいけません。飲み水は・・・、水瓶を持ってこさせましょう。そうそう、夕食はどうされますか?。ほう、いらないと、水だけでいいわけですな。ちょっと、ここでお待ちください。今、扉を開けますが、その前に水など、必要なものを持ってこさせましょう。なに、ほんのちょっとの時間です。私の神通力で弟子に命じますからな。」 そういうとカッサパは、小さなお堂の横の方へ歩いていった。そして、以前は火が灯されていたのだろうと思われる台の前に、仏陀に背を向けて立ったのだった。 「うぅぅ〜ん・・・、はぁ・・・・・。」 そう声を出したかと思うと、なにやら呪文のようなものを唱え始めた。しばらくして 「よ〜し、ウン、ハァ〜。」 と息を吐いたあと、 「いやいや、神通力を使うのも疲れますな、はっはっは・・・。」 と笑いながら、仏陀にほうにゆっくり向かってきた。 カッサパが仏陀の前に行き着くのとほぼ同時に、年若い者・・・カッサパの弟子の一人であろう・・・が、 「カッサパ様の念じられたものはこれでしょうか?。」 と言いながら走ってきたのであった。その若者の手には、水瓶と小さな鉢があった。 「そうじゃそうじゃ、私が念じたものは、それじゃ。ふむ、ようやくお前も私の念じたものがわかる程度の神通力は、身につけることができたな。」 カッサパはそういうと、若い弟子から水瓶と小さな鉢を受け取り、下がるように命じた。 「さて、ゴータマ尊者とやら、これで必要なものは揃ったようですな。さぁ、遠慮せず、どうぞ中へお入りください。このお堂を自由にお使いください。ささ、さぁ、どうぞどうぞ。」 そういうと、カッサパはお堂の鍵を開け、扉を開いた。その中は真っ暗だった。すえた匂いが漂ってきて、不気味な雰囲気がしていた。しかし、仏陀は顔色一つ変えず、 「では、遠慮なく一晩泊めさせていただきます。」 と言うと、水瓶と鉢を持ち、静かに小さなお堂へと入っていった。その様子を見て、カッサパは (ふん、何も知らずにいきがりよって・・・。強がるのも今のうちじゃ。あの毒龍にあえばひとたまりもなかろう。このわしでさえ苦しんだのに・・・。まあ、よいわ。今に見ておれ、ふふぁふぁふぁ〜。) と心の中で毒づいていた。その思いがどうしても顔に現れてしまい、ついついニヤニヤしてしまうのであった。そのニヤニヤ笑いを押し殺しながら、 「では、扉を閉めさせていただきますよ。」 と言った。そして、今気が付いたとでも言うように、扉を閉め終わる寸前に 「そうだ、言い忘れていたことがありました。」 と言い出したのであった。 「このお堂には、魔物が住んでいます。恐ろしい毒を吐く大蛇です。毒竜ともいいますな。まあ、あなたほどの方なら、死ぬようなことはないでしょう。尤も、ここに入れて無事だったのは、私以外には一人もいませんけどね・・・。なので、弟子たちは、ここを魔神殿と呼んでいるのですよ。ふふふふふふ。毒竜が外に出るといけません。危険ですので扉は閉めさせていただきます。どうぞ、ご無事で。」 仏陀は、この言葉に何も答えず、わずかにカッサパを振り返って見つめただけであった。そして、扉はついに閉められ、外から鍵がかけられたのである。 (クッソ〜、忌々しいヤツめ。なんだ、あの目は!。わしを哀れむような目で見やがって。はっ!、それもこれで終わりだ。死んでしまえば元も子もないからな。明日の朝、死体をあの弟子たちに見せてやろう。そうすれば、わしの方が神通力もすぐれ、教えもすぐれていると認めるだろう。うわはははは。またわしの弟子が増える。また、わしの名誉が上がる。あははは。これでわしはバラモン一の聖者だ!。) カッサパは、笑いが堪えきれず、一人で大声で笑っていたのであった。 真っ暗なお堂の中で、仏陀は静かに結跏趺坐をした。 「さぁ、来なさい。そこにいることはわかっている。」 暗闇に向かい、静かに仏陀は言った。 「誰だ、俺の住処に入ってきたのは?。ふん、修行者か。久しぶりの獲物だな。」 不気味な声が返事をしてきた。仏陀は、何の反応も示さなかった。 「ほう、怖がっていないようだな。それとも、強がっているのかな?。まあ、いい。それも今のうちだ。夜明けまでには、時間はたっぷりある。楽しもうじゃないか。どこまでお前の精神が維持できるかな。わはははは。」 そういうと、仏陀の正面の暗闇が、一塊となって動き始めた。しばらくすると、小さな赤い光が二つ輝きだした。そして、その下には暗闇に浮かぶ真っ黒な大蛇の身体があった。 暗闇の中から赤い舌がチョロチョロと飛び出していた。 「恐ろしいだろう。この姿を見て恐れない者はいないのだ。さぁ、恐怖に慄け!。恐ろしさに震えろ!。どうだ、怖いだろう!。」 毒竜は叫んだ。しかし、仏陀は落ち着いた声で静かに答えたのであった。 「何を恐れろというのか。お前の姿を恐れろというのか。お前の姿など恐れるに足らぬ。お前の姿など無きに等しいものだ。どこに恐れねばならない姿があろうか。無いものを恐れる愚か者は、この世にはいない。」 「な、なんだと。俺の姿が恐ろしくないというのか・・・・。ならば、これはどうか。」 そういうと、毒竜は恐ろしげな声を出した。 「ぐうぉぉぉぉ〜。ごぅぉぉぉぉ〜。さぁ、恐怖しろ。お前を食べてしまうぞ〜。ぐわぉぉぉぉ〜。どうだ、恐ろしいだろ。俺の声は、身体の奥底まで染み渡り、心から恐怖させる音だ。雷よりも恐ろしく響くぞ。さぁ、恐怖に震えるがよい。ぐぉぉぉぉぉ〜。」 「お前の声など、響いては来ない。音はすなわち空だ。音などには実体はない。そのような実体のないものを恐れてどうするのだ。実態無きものに恐怖する愚か者などここにはいない。」 「ぐぐぐ、なんと!、俺の声を聞いても恐ろしくないというのか!。くっそ〜、ならばこれはどうだ。」 そういうと毒竜は、 「死ぬがいい」 と叫びながら息を吐き出した。毒竜の吐く息は、とても生臭く、鼻が曲がるどころではないくらいの匂いを発していた。しかも、それは毒の息だった。 「さぁ、どうだ。俺の息の匂いはどうだ?。満足か?。嬉しいだろ、こんな臭い匂いを嗅ぐことができて。しかも、俺の息は毒だ。やがてお前の身体も痺れ始めるぞ。俺の息を吸い続ければ、やがて死がやってくる。どうだ、恐ろしいだろ。毒の息を吸って、苦しんで苦しんで死んでいくのだ。あはははは。それ!、はぁぁぁぁ〜。」 仏陀は、毒竜の吐く息をまともに浴びた。しかし、仏陀は微動だにしなかった。 「お前の吐く息に匂いなどない。いや、そもそも匂いなど実体のないものであり、空であるのだ。匂いそのものが実体のないものであるなら、臭いなどという概念はないのだよ。実体のないものを臭いなどというものはいない。しかも、お前の吐く息の毒は私には効かない。」 「な、なぜだ!、なぜ身体が痺れないのだ?。」 「なぜなら、私は一切が空であることを知っているからだ。さぁ、いくら攻撃しても私には効果はない。おとなしくするがよい。」 「な、なんだと。一切は空だと?。なんだそれは。利いた風なことを抜かしやがって。ならばこれはどうだ。」 そういうと毒竜は、仏陀の身体に巻きつき始めた。そして、チョロチョロと出ていた赤い舌で仏陀を嘗め回したのだ。 「ふっふっふどうだ、お前は俺に食われるのだ。恐ろしいだろ。それにしても、う〜ん、肉は筋張っていそうで、不味そうだな。まぁ、いいか、頭から丸呑みにしてやる。さぁ、恐怖しろ。お前が食われることを恐れ、死を怖がり、命乞いする、その姿が最高の味付けなのだ。さぁ、言え、助けください、と。」 そう叫ぶと、毒竜は仏陀の顔を嘗め回した。 「一体何をしているのだ。私には何も感じられないのだが・・・・。感じてもいないことを恐怖しろと言われても困るのだよ。そもそも恐怖など私には無い。なぜ、命乞いなどしなければいけないのだ。なぜ死を恐れねばいけないのだ。私は空を覚れるものだ。死など恐れぬ。恐怖など超越している。だいたい、実体の無いお前に、私を食べることはできないではないか!。」 そのひとことに、毒竜は 「キエーーーー!!。」 と叫ぶと、仏陀の身体からあわてて離れたのだった。 「お、お前は何なのだ。誰なのだ?。お、お前は・・・・・。」 毒竜は、震えた声でそういうと、仏陀の周りをグルグル廻り始めた。 「この俺が、この俺様が・・・・。く、くぅぅぅ・・・。」 そううなると、毒竜は消えてしまったのだった。 そうして、あたりは静かになった。小さな魔神殿の中は、静寂で包まれた。何の物音もしない、何の気配も無くなってしまったのであった。 しばらくすると、誰かがすすり泣く声が聞こえてきた。 「助けてください。助けてください。どうか修行僧様、私を助けてください。お礼は何でもします。どうか、私をここから出してください。」 その声は女の声であった。女がすすり泣きながら、助けを求めているのだ。 「お願いです。助けてください。私は悪いバラモンのカッサパに捉えられ、ここに閉じ込められました。カッサパはひどい男です。罪も無い女性をここに閉じ込め、なぶりものにしているのです。私も明日の晩にはカッサパの餌食になってしまうでしょう。どうかお願いです。私をここから出して下さい。助けてくださったなら、私をあなたにささげても構いません。私を好きなようにしてください。」 そういうと、女は泣きながら仏陀に近付いてきた。 「私の身体だけではありません。私をここから出してくれたなら、お金も好きなだけ与えましょう。名誉も欲しいままに与えましょう。私一人で不足なら、好きなだけの女性を与えましょう。あなたが望むものなら何でも与えます。ですから、どうか私を助けてください。」 女は仏陀の前に跪いた。そして、 「助けて、お願い・・・。助けて、お願い・・・。欲しいものは何でも与えるわ、だから、助けて・・・。」 と擦り寄ってきたのである。 女の腕が仏陀の足にまとわりついた。その腕は、さらに仏陀の身体を這っていった。やがて、その腕は仏陀の首にまとわりついた。女は仏陀に身体を密着させた。仏陀の頬に顔をつけた女は、仏陀の耳元でささやいた。 「助けて、お願い。私を抱いてもいいから。私だけじゃ不服なら、もっとたくさんの女を用意してあげるわ。お金も欲しいだけあげるわ。名誉もあげるわ。だから、このお堂から私を出して・・・。お・ね・が・い・・・・。」 そのささやきに仏陀は答えた。 「よろしい、助けてあげよう。」 女の顔が不気味に微笑んだ。 52.呪文 「本当に助けてくださるのね。」 「もちろんだ。このお堂から出してあげよう。」 「嬉しいわ。じゃあ、約束どおり、今夜私を抱いてもいいわよ。」 仏陀にまとわりついた女は、仏陀の耳元で妖艶な声を出した。 「その必要は無い。」 仏陀は、冷たく言い放った。 「あら、どうして?。遠慮しなくてもいいのよ。さぁ、私を抱いて・・・。」 そういうと、その女は仏陀から身体を離し、衣を脱ぎ始めた。 「さぁ、よく見なさい。私の美しい豊満な身体をよく見て。この身体をあなたの自由にしていいのよ。遠慮はいらない。助けてくれるお礼よ・・・・。」 その様子を見ていた仏陀は、表情一つ変えることなく 「汝は美しくともなんとも無い。いや、むしろ汚れた存在である。なぜなら、汝の身体の中には、血にまみれた肉があり、血管や筋があり、また胃袋には様々な食べ物がつまり、さらには糞尿が詰まっているに過ぎないのだ。いわば、汝の身体は、糞尿を入れておく袋のようなものだ。そんなもののどこが美しいのか?。そんなものにどんな魅力があるのか?。」 と、静かに女に言ったのであった。女の顔色が見る見るうちに変わった。 「なんだとこのヤロウ。私の身体がクソの袋だと!。私のどこにクソが詰まっているというのだ。」 「知りたいのか?。ならば、自分で腹を割いてみるがいい。血と肉といろいろな液体と糞尿が出てくるであろう。それ以外何が出てくるというのだね?。そんなものが美しいかね?。さぁ、自分で割いてみるがいい。」 「オノレ、クソ修行者め。善人面しやがって・・・・。ふん、思いしるがいい。」 女は、そういうと、仏陀の前から退くと、全身を震えさせうなり始めたのだった。 「うぅぅぅおぉぉぉ・・・。ふぅぅぅ〜ん。キェェェェー。」 そう叫ぶとその女は、見る見るうちに真っ黒な大蛇へと変身していったのであった。しかし、ただの大蛇ではなかった。その顔は先ほどまで仏陀に絡み付いていた女の顔であった。女は、赤い舌をチョロチョロだしながら、長い身体をくねらせ、仏陀に撒きつこうと迫ってきた。 「ふむ。ようやく正体を現したか。汝が怨念の塊であることはわかっていた。なぜ汝がこのような醜い姿になったのかもわかっている。さぁ、もうよいであろう。汝も清浄なる魂になり、ここを出るがいい。」 仏陀はそういうと、結跏趺坐のまま静かに右手をあげ、手のひらを大蛇の姿へ変身した女に向けたのであった。そして、静かに、しかし重々しく呪文のような言葉を唱え始めたのであった。 「完全なる慈悲を具えた一切の如来よ、虚しからぬ慈悲の具現者である大宇宙よ、大いなる菩提心をこの者に与えよ。宝珠の如く尊く、蓮華の如く清浄なる魂へと変化せしめよ。大いなる光明で包み込み、この者の一切の罪を消滅させ、本来なる姿へ戻さしめるがよい・・・・。」 すると、仏陀の右の手が光り始めた。その光は急速に強くなり、大蛇へと変化した女を照らしたのであった。 その光はまぶしいものではなかった。温かみのある、柔らかな光であった。一切のものを平等に包み込むような、優しさに溢れた光であった。その光に包まれた女は、涙を流し、 「うおぉぉぉん、うおぉぉぉん・・・・。」 と悲しげな声を発したのであった。 その女の身体は、次第に縮んでいった。もはや女の姿ではなくなっていた。そこにいたのは、小さな人差し指ほどの黒い蛇であった。 「本来の姿へ戻ったか。よろしい、この鉢に入るがよい。」 仏陀は、優しくそういうと、小さな蛇を掴み、鉢に入れたのであった。 「さて、このまま夜明けを待つか・・・。」 仏陀の顔は、晴れ晴れとしていたのであった。 夜明けと共に、仏陀の弟子たちが閉じ込められた講堂の周りには、カッサパの弟子たちが集まり始めていた。カッサパの一番弟子のものが、他の弟子たちに小声で言った。 「よいか皆のもの。ほとんどは気絶しているはずだ。中には死んでいるものもいるだろう。2〜3人は動けるかもしれないから注意するように。動けるものがいたら、殴ってもいいからすぐに気絶させろ。死んでいるものは、いつものように裏の川へ流せ。なに、飢えたワニが跡形も無く食べてくれる。気絶しているものは、例のお堂へ運ぶんだ。そこでカッサパ様の弟子になる儀式をする。人数が多いから大変だが、これもカッサパ様の名誉のためだ。そして、それは我々のためでもあるからな。さぁ、始めるぞ。」 そういと、その弟子は講堂の鍵をはずし、扉を開け、中を見た。が、そのとたん、弟子は固まってしまったのであった。 「どうされたのですか?。」 「やぁ、朝早くご苦労様です。おかげさまでゆっくり寝られました。」 他の弟子が後ろから声をかけたのと、コーンダンニャが挨拶をしたのと同時であった。 「み、皆さん、何事も無く・・・・。」 「えぇ、この通り、皆元気に起きております。ありがとうございました。一晩、安楽に過ごさせていただきました。さぁ、みんな、お礼を言いましょう。」 そうコーンダンニャが振り返っていうと、 「ありがとうございました。」 と仏陀の弟子たちは、一斉に頭を下げたのであった。 「あ、あぁ、いや、その・・・・、礼には及びませんよ。はっはっは・・・。」 「どうされました?。顔が引きつっているようですが?。」 「あ、いや、そんなことはありませんよ。あははは。あ、えっと、その外にでられますか?。」 「そうですね。私たちの師である世尊をお迎えに行きたいので、外へ出ましょうか。」 とコーンダンニャがいうと、 「そうですね。世尊を迎えに行きましょう。この部屋の寝具などはもう片付けましたので・・・。そうそう、掃除をしなくてはなりませんね。掃除の道具を貸していただけませんか?。」 ヤシャが受け答えた。その言葉に、カッサパの弟子はあわてて 「あぁ、いえ、掃除はこちらでやります。ちょ、あ、いや、その、そのままちょっとここで待っていただけませんか。我々の師であるカッサパ様を呼んで参りますので・・・。」 そういうと、他の弟子に目配せをし、カッサパの元へと知らせにやったのであった。そのあとしばらく、カッサパの弟子たちとコーンダンニャたちの 「外に出させてください。」 「あいや、少々待たれよ。」 という押し問答が続いたのであった。 弟子の報告を聞いて、カッサパはあわてて飛び起きた。 「なんと、一人も死んでおらんのか。どういうことじゃ。むむむむ、何か神通力でも使ったのか?。となれば、奴らは・・・・ホンモノの聖者たちか?。・・・・う〜ん、まさかな・・・・。そんなはずは・・・・。まあよい。わかった、すぐに行くから、講堂の外へは出すな。」 そう弟子に伝えると、カッサパは寝台から降りると、ゆっくり香を身体に塗り始めた。 「まったく・・・。どうせ弟子の誰かがしくじったに違いない。しくじったヤツも、責任者もワニのえさにしてやる。面倒なことをさせおって・・・・。ふん!。」 ブツブツいいながらカッサパは、教祖の姿に着替え、頭を法螺貝のように結い上げ、寝所をでたのであった。 「これはこれは、皆さん、よくお眠りになられたようで何よりです。お元気そうで・・・。」 (クッソー、本当にみんな元気そうじゃないか。顔色の悪いものすらおらぬ・・・。一体どうなっておるのか・・・。よし、一旦こいつら全員外に出して、堂内を調べてやろう。) 「で、なんですと、皆さんであなた方の師をお迎えしたいと、そうおっしゃっているのですな。そうですかそうですか。そりゃあ、その方がよいでしょう。みなさんも、師のことが心配でしょうからな。おい、皆さんを出してあげなさい。ここへ押し留めていく理由も無かろう。」 そうにこやかにカッサパは言うと、すぐさま傍にいた側近の弟子に小声で言った。 「よいか、こいつらが外に出たら、中の様子を調べろ。それから、こいつらはワシが案内する。どうせこいつらの師は死んでいる。なんせ魔神殿だからな。そこで衝撃を与えてやればいい。ふっふっふ・・・。」 その言葉を聞いた側近はニヤつきながら、 「わかりました。では、ここにいる4分の3の者で調べてみます。あとは、カッサパ様に同行させてください。奴ら危険かもしれません。」 「ふむ、そうじゃな。そうしよう・・・。」 「何をコソコソ話しているんですか?。」 アッサジがそ知らぬ顔で聞いた。 「いや、こちらの・・・打ち合わせですよ。朝食の用意もありますしね。では、カッサパ様・・・。」 「うん、よし、君たち、私についてきなさい。君たちの師が泊まったお堂に案内しよう。」 こうして、カッサパを先頭に、カッサパの弟子たちに取り囲まれながら、コーンダンニャたちは移動したのであった。 暗い森のほうへとカッサパたちは向かっていった。あまりの遠さにコーンダンニャがカッサパに尋ねた。 「ずいぶん遠くなんですね。なぜこんなに遠くへ世尊を・・・。」 「いやいや、あのお堂はな、特別なんじゃよ。寝心地も大変よいお堂なんです。さぁ、もう着きますぞ。」 「このあたりは、火を灯すところがないのですね。つい先ほどのあたり・・・、そうあのあたりまではたくさんあったのですが・・・。」 「そうですな、このあたりは火は灯しません。なんせ、ここは特別ですからな・・・。ほれ、もうそこですよ。あなたたちの師が泊まっていらっしゃるのは・・・。」 カッサパは、そういって指を差した。そこには、うっそうと生い茂った木々の中にぽつんと小さなお堂があった。 「ここはね、私の神通力でないと鍵が開かないのですよ。」 カッサパは、そういうとお堂の横の方、以前は火が灯されていたであろうと思われる台のほうに行って、ボソボソとつぶやいた。そして、 「うぅぅん、はぁぁぁぁ・・・。はっ!。」 と唱えると、後ろの方で「ぼわっ」という音がしたのであった。すると、カッサパたちの弟子たちが振り返ってうなった。 「おぉ、カッサパ様の神通力で火が灯った。」 弟子たちが振り返った方向は、今まで彼らが歩いてきた道であるのだが、その道の両脇に並んでいた筒のようなものから一斉に火が出たのであった。その火は、ずっと続いていた。その先には、コーンダンニャたちが入れられた講堂の裏手の山の頂上が見えていた。その頂上にも、火が灯っていた。その火は、山の上に浮いているように見えた。 「山火事にはならないのですか?。」 仏陀の弟子の一人が聞いた。 「カッサパ様の神通力です。火事にはなりません。いつもカッサパ様は、神通力であの山の頂上に火を灯されます。」 カッサパは、そこにいたすべてのものが灯された火を見ているうちに、魔神殿の鍵をこっそり開けたのだった。 「さて、私の神通力をみてもらったところですが、もう一回神通力を披露しましょうか。この扉の鍵を神通力であけましょう。うぉぉん、ふーん、はっ!。さぁ、もうあきましたよ。」 カッサパは、満足そうにそういうと、 「では、扉を開けましょう。どうなっていますかな?。くっくっく・・・。」 といって、魔神殿の扉を開けたのであった。そして、中を見て、カッサパは驚いた。 「そ、そんなバカな!。」 そこには、仏陀が微笑んで立っていたのであった。 つづく |