ばっくなんばー12

 53.火の神

「お、お前は・・・・、あ、いや・・・よ、よく眠られましたかな?。」
カッサパは、驚いた表情をあわてて引っ込め、引きつりながらも平静を装って言った。
「何事もなかったよう・・・ですな。いやいや、それはなによりで・・・。」
(コイツらいったい何ものなんだ。弟子どもは誰一人気絶すらしていない。それにこの修行者は・・・。この魔神殿で無事に過ごせるわけがない。何か裏があるに違いない。よし、探ってやる・・・・。)
「寝心地は悪くなかったですかな?。」
カッサパは、にこやかに再び尋ねた。
「えぇ、それが、結構騒がしくて、なかなか眠れませんでしたよ。」
仏陀は、微笑みながら答えた。
「ほう・・・、何かありましたかな?。あぁ、ひょっとすると・・・・・、これは言い伝えなのですが、神通力の弱い修行者や覚りを得ていない修行者がこの神殿に入ると、毒龍に殺されるといわれています。私は、何度もこの神殿に入っているのですが、一度も毒龍など遭ったことがない。なのでそんな話はウソだと思っていましたが・・・・・、いや、出ましたか?。」
「えぇ、毒龍がいましたよ。毒気を吐いて襲ってきました。」
「ほう・・・それは、申し訳なかった。しかし、何事もなくてよかった。あなたもなかなかの修行者ですな。まあ、私のように毒龍が出てこないほどではないにしろ、毒龍に遭って無事だったのですからな。余程の神通力を持っているとお見受けした。」
「いえいえ、あなたほどではないでしょう。」
仏陀は、さらりと言ってのけた。
「で、その毒竜はどうなりましたかな?。」
カッサパがそう尋ねると、仏陀は静かに鉢を差し出した。そこには黒い小さな蛇がとぐろを巻いていた。
「怨念、恨みとは恐ろしいものです。この者も元は修行者だったのでしょうが、怨みによってこんな姿になってしまった。哀れなものです。さぁ、カッサパ仙人よ、あなたに差し上げましょう。お受け取りください。」
カッサパは、差し出された鉢の中の蛇を見て青くなった。
(ま、まさか、こいつ・・・・何もかも知ったのか?。そんなはずは・・・・。どういうことだ?。いまさら・・・・あれは、随分昔の話だ。まさか、あの女の怨みを晴らそうと?。そんなはずはない。あの女は修行者で、どこへ行くあてもなく、どこから来たとも言ってなかった。だから、泊めてやったんだ。いまさら・・・・。しかし・・・。)
「どうしたのですか?。顔色が悪いようですが?。まさか、カッサパ仙人ともあろうお方が、蛇が怖いということはありませんよね。」
仏陀は、カッサパの顔を覗き込むように言った。
「さて、どうします、この小さな蛇。野に放ちましょうか?。」
「えっ?。の、野に放つ?。このあたりにか?。そ、それは・・・。」
「あぁ、大丈夫ですよ。もうこの蛇は毒など吐きません。怨みの心はきれいに消えています。今は、畜生道を早く終え、よい世界へと生まれ変わることを望んでいます。ですから・・・。」
「だから?。」
「ですから、あなたの弟子たちが、この蛇の毒気に倒れるようなことはありません。ご安心ください。」
仏陀はそういうと、鉢の中の蛇をつまんで、野に放った。そして、その様子を見守っていたコーンダンニャたちに
「よく眠れたようですね。なによりです。カッサパ仙人たちに感謝しなければ・・・。」
といった。コーンダンニャたちは、その言葉ににこやかに肯き、
「はい、何事もなく、よく眠れました。息苦しいこともなく、一晩中新鮮な空気が吸えて、目覚めもさわやかでした。」
「そうですか。それはよかった。カッサパ仙人様、感謝いたします。」
仏陀は、そういうと静かに合掌したのであった。

カッサパは狼狽していた。しかし、表面上では何事もなかったように
「いえいえ、たいしたことではありません。さぁ、朝食の準備をいたします。食堂は講堂の裏ですから・・・・そうですな、準備ができるまで・・・修業道場でも見学していますか?。うん、それがいいですな。火の修行もなかなか見ごたえがありますぞ。」
カッサパはそういうと、そばにいた弟子の一人を呼びつけ、
「お前がご案内しろ。もう修行を始めているものもいるだろう。ゆっくり見てもらうのだ。わかったな。」
と言い渡した。その弟子は、カッサパに返事をすると、「ではこちらへ」といって、仏陀たちを引き連れ、修業道場へと向かったのだった。その後ろ姿を眺め、カッサパは考え込んだ。
(いったいどうなっているんだ。まさか、ホンモノか?。くっそ〜、こ、こんなはずでは・・・・。あのゴータマとかいう修行者、なかなかできるな・・・。しかし、聖者はわし一人で十分じゃ。ふん、ここはわしの場所じゃ。わしの方が有利じゃ。あいつらを絶対ここから出してはならぬ。何とかせねば・・・・。川へ落としてワニのえさにするか・・・、う〜ん、どうするかのう・・・。)
そのカッサパに弟子が駆け込んできた。
「カッサパ様。講堂を調べてきました。」
「ふむ、で、どうだった?。」
「はい、閉じられた空気穴はすべて解放されていました。隠し穴もすべて見つけられていました。」
「やはりそうか・・・・。相当な神通力を持ったものが弟子の中にいるようだな。おそらくは、一番年長のものだろう・・・。コーン・・・・何とかといったな・・・・。不意打ちならばなんとかなるか・・・・。ならば・・・。」
「どういたしますか?。」
「そうだな、朝食は普通に与えろ。油断させておくのだ。で、そのあと、裏山に案内するのだ。」
「う、裏山にですか?。あそこは我らの聖地ですが・・・・。」
「だからこそ、だ。そこでわしと神通力比べをする。わしも久しぶりに本気を出すかな。」
そういうと、カッサパは不敵に笑ったのだった。

仏陀たちは、カッサパの弟子に案内され、修行道場などを見学していた。
「世尊、このあとはどうされますか?。」
コーンダンニャが小声で聞いた。いくら神通力があるといっても、仏陀の心は読めないのだ。
「安心していなさい、大丈夫です。このあと朝食となります。」
「まさか、毒などはいってないですよね?。」
アッサジがおびえた口調で言った。仏陀はアッサジに微笑みかけ、
「それはないですから、安心していなさい。動きがあるのは、朝食のあとでしょう。カッサパは、我らに挑んでくると思います。しかし、彼には慢心がある。慢心を持ったものは何をしても敗れるのです。慢心は恐ろしいものだ。」
と言ったのだった。
しばらく辺りを見学したあと、仏陀たちは食堂へと案内された。
「さぁ、修行の場所であるので何もございませんが、どうぞ召しあがってください。」
仏陀たちは、静かに出された食事を取ったのだった。
食事が終わりそうになったころ、カッサパが現れた。
「いかがでしたか?。お気に召しましたでしょうかな?。なにせ、修行場ゆえ、山海の珍味というわけには参りません。あなたがたも心得ているとは思いますが・・・。」
「ご安心ください。我らは食事は身体を維持するために摂取すると心得ております。味は空です。食事も修行です。空を感じながら食事をしますので、ご心配には及びません。」
(クッソ〜、いちいちイヤミなヤツじゃ。腹の立つ!。う〜ん、しかし、ここで怒っては何もならぬ。コイツに恥をかかさなければな。今に見ておれ、大勢の弟子たちの前で笑ってやる。ののしってやる。楽しみにしていろ!。)
カッサパは、腹の中で毒づきながら、顔ではにこやかに
「まさにそのとおりですな。食事は修行です。修行者は、いつも空を感じながら食事をしなければいけませんな。みなさんも、よい師をお持ちですな。はっはっは。・・・・さて、食事もおすみなようなので、どうですか?、我らの聖地である裏山に参りませんか?」
と仏陀たちを誘ったのだった。
「ほう、そんな大切な所へ私たちが行ってもよろしいのですか?。」
「えぇ、どうぞどうぞ。とても気持ちのいい場所ですからな。教えを説くには最適な場所です。そうだ、その聖地で、お互いに、お互いの弟子たちに教えを説いてはどうですかな?。それぞれが、お互いの教えを聞きあえば、いい修行になりましょう。弟子たちにはありがたいことですからな。どうです?、お話をしていただけますかな?。」
「私でよろしければ、教えを説きましょう。」
(よし、のってきた。そうくるだろうと思っていたぞ。所詮、お前も目立ちたいのだろう。聖者の顔をしたいのだろう。そのときが、お前の最後じゃ。ふっふっふ、はっはっは・・・。)
「そうですか、ではお願いいたします。ささ、みなさんもどうぞ、裏山の方へ。さぁどうぞ、どうぞ。」
カッサパに促され、仏陀と弟子たちは、食堂の席を立ち外へと出て行った。
「あれに見えるが、我らの聖地です。」
カッサパが指差す方向には、大きな岩があり、その岩のやや尖ったところからは、大きな炎が燃えていた。
「我らは火の神を奉じる者です。ですから、聖地にはあのようにいつも火が燃えています。あの岩の上には、余程の聖者でないと座ることができません。火が燃えているので、熱くなっているのです。」
「そうでしょうね。あれだけの炎が出ていれば、あの岩は相当熱くなっているでしょう。」
「私はいつもあの岩の上で教えを説いています。ですから、今日もあの岩に座って教えを説きます。もちろんゴータマ尊者よ、あなたにも岩に座ってもらいますよ。」
(ふん、嫌だとは言わせないぞ。尤も、そんなことは言わないだろうが・・・。)
「はい、わかりました。では、私もあの岩に座らさせていただきましょう。」
(ほらきた。それでいいのだ。すべて思惑通り。わしのあとに座るがいい。その時は、あの岩は・・・・ははは。そしてお前は、やけどして死ぬのだ、恥をかいてな!。くっくっく、はっはっは・・・。)

聖地である裏山が近付いてくると、そこかしこから出ている炎で温度が上がっていた。
「やけに暑いですね。この炎のせいですね。」
仏陀にしたがっている弟子たちがボソボソ言っていた。それを聞いて、カッサパの弟子たちが言った。
「私たちは普段から修行ができていますので、平気ですよ。裏山はもっと暑いですが、大丈夫ですか?。無理は止めた方がいいですよ。あまり暑いというのでしたら、この辺りで休んでいただいても結構ですよ。」
「あぁ、いや、暑いですが、大丈夫ですよ。なんともありません。」
「ほう、そうですか。」
弟子たちの間でも火花が散っていた。しかし、表立っては誰も争うようなことはしなかった。

「さて、ようやく着きましたぞ。ここが我らが聖地です。」
目の前には大きな広場があった。その先には大きな岩があった。その岩には煙突のようなものがついていた。遠くからとがって見えたのは、その煙突状のものだった。その煙突は、一抱えもあるほど大きなものだった。
煙突からは、大きな炎が噴き出ていた。広場の周りにも細い煙突がいくつも立っており、そこから炎が噴出していた。辺りは、その炎のせいで、異常に気温があがっていた。何もしなくても汗が吹き出るほどであった。
「さぁ、ゴータマ尊者、進まれよ。他の弟子たちは、その広場に座られよ。我が弟子たちも座るがよい。さて、ゴータマ尊者、あなたはまず下で待っているがいい。まずは、私がこの岩に登る。なに、私の神通力を以ってすれば、こんな岩、すぐに登れる。そうだな、汝は・・・・この岩の前の台座に座って待っていてくだされ。」
カッサパは、そういうとニヤリとしたのだった。仏陀は何もなかったような顔をして、岩の前に設置してある台座に結跏趺坐した。広場の弟子たちからは、仏陀の姿がよく見える場所に、その台座は設えてあった。仏陀は、カッサパと自分の弟子たちの前に座ったのである。そして、その後ろには、炎を噴出した大岩があるのだ。
カッサパは大岩の裏手に廻った。そして、
「うん、はっ、や〜。」
と気合を入れると、大岩の後ろから岩の上に現れたのである。それはまるで浮いているかのようであった。岩を登ったのではなく、ふわりと浮いてきたかのように岩の上に立ったのであった。その姿を見て、カッサパの弟子たちは
「おぉ、カッサパ様が空中に浮かれた。飛んでこられた。あんな熱い岩に立っておられる。すばらしい神通力だ。」
と口々に騒いでいた。
「皆のもの、静かにせよ。これだけではない。私は自由に火を操ることができる。今からそれをお見せしよう。」
そういうとカッサパは、岩の上に結跏趺坐し、右手をあげた。すると、広場の右側の炎が大きくなった。左手を上げると、広場の左側の炎が大きくなった。カッサパの手の動きにあわせて、炎は大きくなったり、小さくなったりしたのだった。
「どうじゃな、炎は、すべて私の自由自在だ。あはははは。どうじゃ、皆のもの!。」
カッサパはそういうと、大きく笑ったのだった。


 54.欲の炎
カッサパは、炎を自在に操った。
「これほど炎を自在に操ることができるものは、私以外にはいないだろう。そうは思わんかね、ゴータマ尊者よ。」
カッサパは、下に座っている仏陀を見てふてぶてしい態度で言った。仏陀の弟子たちは小声で
「何をバカなことを言ってるのだろうか。すべてからくりがあることくらいバレているのにな。」
「カッサパの弟子たちはどう思っているんだろうか?。仕組みを知っているものといないものがいるようだが・・・。」
「裏方をやっている連中は知っているのだろう。そのほかの者は騙されているようだね。」
とボソボソと話し合っていた。
「なにをコソコソ話しているのかね?。驚いているのかね?。」
カッサパは有頂天になっていた。
「ゴータマの弟子たちよ、驚くのはまだ早いぞ。そうら、炎よ舞い上がれ!。」
そうカッサパが叫ぶと、岩の上の煙突から出ている炎と、左右の炎は大きく舞い上がった。
「どうじゃなゴータマよ、見事であろう。汝にこれができるか?。」
カッサパは、得意そうな顔をして、仏陀に問いかけた。仏陀は、
「そうですね。あなたが炎を操ることができることはわかりました。」
「そうじゃろ、そうじゃろ。汝にはできまい。」
「それはいいのですが、教えはどうなっているのでしょうか?。」
仏陀の問いかけに、カッサパは一瞬ひるんだ。
「な、なんだと・・・・?。」
「ですから、あなたの教えを聞かせていただきたい、と申し上げているのです。」
「お、教えだと・・・・。」
「教えがなければ、炎を操っても仕方がないでしょう。カッサパ仙人、あなたの教えはいかなるものなのでしょうか?。」
「ふん、教えか、それはな、簡単じゃ。私のように炎を自在に操れるようになればよいのじゃ。そのためには、修業道場で炎を手なずける修行をすればいい。その修行が完成したときには、私のような仙人・・・・いや、悟ったものになるのだ。」
「では、教えはないと・・・。」
「教えなど必要はない。炎がすべてを物語っているのだ。」
カッサパは苦し紛れにそう答えた。
(ふう・・・、なんとかなったわい。しかし、これだけの炎をみても眉一つ動かさんとは・・・。ゴータマめ、なかなかのものじゃ。こいつの弟子たちもじゃ。まったく、鼻持ちならん。くっそ〜、まあいい、わしのようには炎を操ることはできんからな。くっくっく・・・さて、見ものじゃな。どうするかのう、ゴータマよ・・・・。)
「さて、そろそろゴータマ尊者よ、汝の力を見せてくれないかね。まさか、怖気づいた、ということはないですな?。」
意地悪そうな顔をしてカッサパは尋ねたが、仏陀は平然と
「では、岩の上に座りましょうか。」
といったのだった。
(岩の上に座るだと・・・・。どうやって?。裏の特殊なはしごは、隠してあるはずじゃ。どうやってここへ来るつもりだ?。)
仏陀は、静かに立ち上がると、カッサパ仙人が座っている岩を見上げた。炎が赤々と燃えていた。
「では、参りましょう。」
そういうと仏陀は、そのまま浮き上がっていったのである。

カッサパやカッサパの弟子たちは驚いた。目の前で、その修行者は立ったまま浮き上がり、炎の出ている岩に降り立ったのである。カッサパは、呆然と岩山に立った仏陀を見上げていた。
「いかがいたしましたか?。これくらいの神通力なら、あなたにもできるでしょう?。先ほど、裏側からあなたも浮いたではありませんか。」
「そ、そうじゃな・・・・。いや、別に驚いたわけではない。あなたには、そんなことは無理かな、と思っていたんで・・・。いや、これは失礼なことをした。いやはや、まあ、それくらいの神通力は当たり前じゃな。うんうん、そうじゃ、そうじゃ・・・。」
「では、私がお話をいたしましょう。カッサパ仙人、あなたはどうされますか?。ここに座っていますか?、それとも下に降りられますか?。」
「あ、あ、そうじゃな・・・。」
(こ、こいつ、わしが神通力で降りられないのを知っているな・・・・。く、くっそ〜、これほどまでとは・・・・。舐めていた。こうなれば・・・・、何とか言い逃れねば・・・・。)
「あぁ、私は、ちょっと神通力を使いすぎて疲れが出たようじゃ・・・・。誰か、私を下ろしなさい。久しぶりに神通力を使ったので、疲れが出たようじゃ。老体には無理はいかんのう・・・。あははは。」
そういって、カッサパは弟子を呼びつけ、抱えられて岩の下におろしてもらったのだった。岩に降りたとたん、カッサパは、再び偉そうな態度に出た。
「さぁ、ゴータマ尊者よ。まずは汝の神通力で、炎を自在に操ってくれぬかな。それとも何か、私のようには、無理かな?。まあ、無理じゃろうな・・・・。相当な力が必要だからな。精根尽き果てるような力が必要だからな。」
カッサパは、不敵な笑みを浮かべてそう大声で言ったのだが、仏陀には届かなかったのか、仏陀は知らぬ顔をして岩山に結跏趺坐した。そして、そのまま固まってしまったかのようになったのだった。

何も話さない、動きももしない仏陀にカッサパが怒りだした。
「おい、ゴータマ尊者よ、どうしたのだ。何とか言え。はは〜ん、何もできないから観念しました、ということなのかな、その態度は。そう思っていいのかな?。」
(なんじゃ、案ずるほどでもなかった。さっきの岩山に乗った神通力で、すべての力を使い果たしたようじゃな。心配して損をした。そんなことなら・・・。)
カッサパは、小声で自分の弟子たちに言った。
「おい、野次を飛ばせ。あいつに恥をかかせるのじゃ。」
カッサパの命令に、彼の弟子たちも野次りだした。
「なんだ、どうした、何もできないのか?。」
「どうしたんだ、さっさと炎を操れよ。」
「黙って座っていても仕方がないぞ。お〜い、日が暮れるぞ。」
「あははは、何にもできないのか。なんとか言ってみろ!。」
弟子たちは、口々に罵声を浴びせたのだった。仏陀の弟子たちは、これを見て、みな不安に思い始めていた。
「世尊はどうされたのだ。いったい、どうしたというのだ。」
「コーンダニャ様、どうしましょう。このままでは・・・。」
「まあ、待て、世尊には何か考えがあるに違いない。このまま、静かに待つんだ。我々があわてても仕方がなかろう。」
カッサパの弟子たちの汚い野次の中、仏陀の弟子たちは、怒りだすことなく、争わず、静かに結跏趺坐していた。仏陀が座った岩山の周りは、いまや騒然としていた。
そうした中、仏陀は、大きく目を開いた。その瞬間、仏陀の身体は光り輝きだしたのだった。そして、遠くを見つめるような眼をしてひとこと、
「世界は燃えている。」
そうつぶやいたのだった。その声は、重く、大きく岩山全体に響いたのだった。

岩山の周りは、一瞬で凍りついたように静かになった。静寂を破ったのはカッサパだった。
「な、なんといった?。世界は燃えている・・・じゃと?。」
「なにをいっているんだ、この修行者は。世界が燃えているだって?。どこの世界が燃えているんだ?。あははは。」
その声に、カッサパの弟子たちは一斉に笑い出したのだった。
「な、何をいうかと思えば、とんでもない。世界が燃えているだって。これは笑える。わはははは。」
カッサパの弟子たちは、口々にそういいながら、大笑いしていた。その笑いの渦の中、仏陀が再び口を開いた。
「あぁ、世界は燃えている。この炎は、恐ろしいものだ。やがて、世界中の人々を焼き尽くしてしまうであろう。カッサパ仙人よ、ここに集うものよ、汝らにはこの炎が見えぬか?。欲望という炎が見えぬのか?。」
仏陀の声に、一同は静まり返った。
「汝らよく聞くがよい。汝らを包む欲望の炎は、恐ろしいものである。この炎は、どんどん大きくなり、やがては世界を燃やし尽くしてしまうであろう。そう、世界は欲望の炎で燃えているのだ。早く消さないと、とんでもないことになるであろう。
汝らの眼。その眼は燃えている。欲望の炎で燃えている。あれを見たい、これを見たい、あんなものを見たい、こんなものを見たい、他人の秘密を見たい、他人の生活を見たい、男女の裸を見たい、見てはならぬものを見たい、見たい見たい見たい・・・という欲望で、汝らの眼は燃えているのだ。早くこの炎を消さないと、汝らの眼は欲望にとらわれて大やけどをするであろう。
同じように汝らの耳も鼻も舌も身体も心もすべて欲望の炎で燃えているのだ。いい声が聴きたい、人の秘密を聞きたい、噂話が聞きたい、いい匂いが嗅ぎたい、甘い匂いが嗅ぎたい、おいしいものを味わいたい、世界の珍味を味わいたい、快楽を得たい、身体が楽になることをしたい、男女の接触がしたい、触れたい触りたい、したいしたい、もっともっともっと・・・・。
人間の欲望には際限がない。人は、もっと、もっと、と望む。さらに上を、もっといいものを、もっともっと・・・と求める。際限なく、どんどん欲望は膨らみ汝らを滅ぼすであろう。欲望の炎は、どんどん燃え上がり、汝らを焼き尽くすであろう。
さぁ、静かに、汝らの欲望の炎を消せ。素早く消すがよい。この炎のように・・・・。」
そういうと、仏陀は静かに右手を上げ、手のひらを皆がいるほうに向けた。その手からは一瞬光が放たれたようだった。すると、岩山の炎を始め、すべての炎が音もなく静かに消えたのであった。

カッサパや彼の弟子たちは、周りを見て驚いた。
「そ、そんなはずは・・・。燃える空気は大量に流れ込んでいるはずなのに・・・。どうしたことじゃ。こんな一斉に消えるとは・・・・。」
カッサパと彼の弟子たちは、慌てふためいた。そんな様子を見て仏陀はいった。
「現象にとらわれるな。神通力で炎を消そうが、自然に消えようが、そんなことはどうでもよいことだ。大事なことは、これらの火が静かに消えたように、汝らの欲望の炎を静かに消すことだ。それが涅槃である。究極の覚りの状態である。
欲望の炎は、際限がない。たとえば、黄金の雨を降らしたらどうなるか?。誰もがもっと降れ、もっと降れと望むであろう。やがて、人々は働かなくなり、黄金の雨が降ることだけを待つようになる。また、いくら黄金の雨を降らせようが、人々は満足はしないであろう。人々の欲望は際限がないからだ。
たとえば、ある夫婦に子供ができたとしよう。初めは、この夫婦は『五体満足で生まれますように、それだけが願いです』というであろう。しかし、いざ生まれてみると、『この子が元気で病気一つしないように』と望み、やがては『頭がよい子になりますように』と願い、『親孝行な子になれ』と求め、『よい仕事につけ』と願い、『面倒を見てくれ』と求める・・・・。初めの願いは、『五体満足であればいい』だったのに、どんどん膨らんでいくのだ。
こうした、人々の欲望の炎は、ほんの小さなものである。しかし、これらが集まればどうなるか。よく世間を見るがいい。金持ちはさらに金を求め、商売をする者はさらに繁盛を願い、土地を持てるものはさらに多くの土地を求める。さらには、国は、もっと大きな国となることを望むであろう。そしてそこには争いが必ず生じるのだ。
欲望の果ての争い。欲望の競い合い。それは大きな炎を生むであろう。その炎は国を街を人々を焼き尽くすであろう。
その原因は、欲望の炎を消すことをしないからである。一つ一つは小さな炎なれど、それらが集まったときには、恐ろしい力となるのだ。
さぁ、苦しむ前に欲望の炎を消すがよい。大きなやけどをする前に、欲望の炎を消すがよい。静かに欲望の炎を消して、涅槃を得るがよい。
それを望むものは、私についてくるがよい。欲望の炎を消す方法を教えてあげよう。」
仏陀の言葉に、仏陀の弟子たちはもちろん、カッサパも彼の弟子たちも静かに聞き入っていたのだった。


 55.崩壊
「ここに集う者たちよ、欲望の炎を消し去りたいか?。消し去りたい、とそう願う者だけ残るがよい。欲望の炎を消したくないと思う者は、この地の修行堂と講堂へいくがよい。そして、その場所を這うように伸びている管をたどっていくがよい。どこにつながっているのか、それを知るとよいであろう。」
仏陀の言葉に、カッサパは青ざめた。カッサパの弟子の中には、自在に炎が出る仕組みを知らない者も大勢いる。むしろ、大半の者は、炎に仕組みがあることは知らなかったのだ。知っているのはわずかな側近たちだけである。
自在に燃える炎のすべてにからくりがある、と弟子たち全員に知られたら・・・・そう思うと、カッサパは落ち着いていられなかった。その様子を見た仏陀は、
「どうしたのですか、カッサパ仙人。私が言ったことで、何か不都合なことでも・・・?。」
「い、いや、不都合なことなどないが・・・・。」
「ならばよろしい。さぁ、話を聞きたくない者、炎の使徒でありたい者は、講堂や修業道場に行くがよい。」
仏陀の言葉に十数名の者が駆け出していった。残った者の中にも中腰の者や、行こうかどうしようか迷っている者がいた。下を向いて、悔しそうな顔をしている者は事情を知っている者たちなのだろう。そういう者が数名ほどいた。当然、カッサパも下を向いてうなっていた。
「余分な者は行ってしまった。話をしないのか、ゴータマ尊者よ。」
「そうですね、まだ早いでしょう。間もなく戻ってくるでしょうから。それはあなたにもわかっていることでしょう、カッサパ仙人。」
カッサパは悔しそうに唇をかんでいた。

やがて、駆け出していった十数名の者が駆け戻ってきた。
「俺たちは騙されていた!。カッサパ仙人に騙されていたんだ!。」
「講堂から修業道場、それだけじゃない、カッサパ様の寝所、通路やあの魔神殿付近に至るまで、管がつながっているんだ。その管の元は、カッサパ様の寝所の横の小屋にあるようだ。」
「みんな驚くな、そこの小屋には、一番弟子の監督官がいたんだ。で、俺は聞いた、そこで何をやっているのか、と。そこには、変な装置があって、あちこち動かすことができるんだ。監督官はそれをしきりにいじっていた。すべての炎が消えたんで故障したと思っていたらしい。」
「なんで、そうわかったんだ?。」
残った者のなかから質問が飛び出た。
「監督官をぶちのめした。」
一人の男が言った。
「白状させたんだ。こいつらは、カッサパ仙人を中心として、俺たちを騙していたんだ。炎を自由自在に操れるわけじゃない。それはインチキだ。そんな神通力なんてないんだ、このカッサパ仙人には。」
「騙していたのか!。俺たちを騙していたのか!。」
あたりは騒然としてきた。このような展開を誰が予想したであろうか、今はカッサパ仙人をののしる言葉が飛び交っているだけであった。
「静かにするがよい。落ち着きなさい。さぁ、みなさん、落ち着くのです。」
よく通る声が響いてきた。その声に今まで誹謗を浴びせていた者たちが黙った。一瞬のうちにあたりは静まり返った。
「汝らは、騙されたと騒いでいるが、そのような仕組みが見抜けなかった汝らに罪はないのかね?。私たちは・・・私も含め、私の弟子たちは、たった一晩で炎の仕組みを見抜いているのだが、これはどういうことであろうか?。汝らの目は節穴であるのか?。何日もこの地にいて、炎の仕組みに気付かなかったのか?。
さぁ、知る者と知らぬ者、誰が罪な者なのか、よく考えるがよい。騙される者と騙す者、どちらに罪があるか、よく考えるがよい。
愚かな者たちよ、自分の至らなさを悔いずに、今まで師と崇めていた者だけを責めるとは!。目覚めよ、目覚めよ、汝らの愚かさから目覚めよ!。」
仏陀の叱責に、怒号を浴びせていたカッサパの弟子たちは静かに座り込んだ。中には、今にも殴りかからんとしていた者もいたが、そうした者もその場に座り込んだのであった。
「なぜ、あなたたちはカッサパ仙人の弟子になったのかね?。」
仏陀が優しく尋ねた。しばらくは誰も答えなかった。
もう一度、仏陀が尋ねた。なぜ弟子になったのか、と・・・・。
すると、今まで騒いでいた者の中から、
「じ、神通力が欲しかったのです。カッサパ仙人のような、炎を自在に操れるという神通力が欲しかったのです。」
この言葉につられ、他からも声が上がった。
「名声が欲しかったのです。いつもバカにされていましたから。だから、ここで仙人になって、俺を馬鹿にした連中を見返してやりたかったのです。」
「お金が・・・・お金が欲しかった・・・。カッサパ様のようになれば、あちこちから寄付がもらえる。お金に困ることは無い。それに・・・・、多くの人から崇められる。もちろん、女性も・・・・女も自由に得られる。金と名誉と女と・・・・すべて手に入れられる。」
「わ、私は、純粋に修行がしたかったのです。カッサパ様は覚りを得ていると思い込んでいました。まさか、こんなことになっているとは・・・・。私の目は曇っていました。真実を見てはいませんでした。私にはホンモノとニセモノを見分ける眼がなかったのです。ゴータマ尊者・・・・ですか。あなたのおっしゃるとおり、私たちにも非があるのでしょう。」
怒っていたカッサパの弟子たちは、自分にも非があることを認め始めたのであった。

「すべては欲望なのだよ。騙した者も騙された者も、すべては欲望が原因なのだ。騙された者たちは、名誉名声や富や異性を求めてカッサパ仙人の元に集ったのであろう。中には、純粋に覚りを求めてきたものもいるであろうが、それならば覚りについてもっと知ってからここに来るべきであったろう。カッサパ仙人の現状は覚ったものと程遠いところにある。神通力は覚ったから得られるものではないし、神通力が使える者が覚っているのでもない。欲望を静かに消し去った者こそが覚ったものなのだ。
一方、騙した側のカッサパ仙人も同じなのだ。富や名声・名誉、異性、人望を求めていた。多くのものから崇められることを求めていた。
騙した方も騙された方も同じなのだよ。汝らはすべて全員、欲望に操られていたのだ。従って、どちらも一方を責めることはできない。責めるならば、己の愚かさを責めるがよい。」
仏陀の厳しい言葉に、誰も言い返す者はいなかった。誰もが、己の愚かさに気がつき、己の欲望の醜さに気がつき、その場で打ちひしがれ、下を向くばかりであった。
「も、もしや・・・、いや、ひょっとして、ゴータマ尊者よ・・・、いや、こう呼びかけていいのか・・・・、その・・・。」
「どうしたのだ、カッサパ仙人よ、聞きたいことがあるのなら、聞くがいい。」
「もしかして、あなたは何もかもご存知で・・・?。ひょっとして、何もかも初めからわかっていらしたのですか?。」
カッサパは苦しそうに、仏陀に尋ねたのだった。

「カッサパ仙人よ、私には、初めから何もかもわかっていました。この地に足を踏み入れたとたん、炎の仕組みに気付きました。魔神殿の毒蛇に会ったとたん、過去にあなたが犯した過ちも、すべてわかりました。」
「や、やはりそうだったのですか・・・・。そもそもは、あのときが始まりじゃった・・・、いや、わしの心に魔物がすんでいたからこそ、あんなことをしたのだ。そうですか、何もかもお見通しでしたか。あなたは、本当に真理に至ったのですね。本当に仏陀になったのですね?。」
「私は仏陀である。この世の真理をすべて覚ったものだ。」
「こんな私にでも、その真理に至ることかできますか?。」
カッサパは神妙な顔をして尋ねた。
「あなた次第だ、カッサパよ。」
その答えを聞いて、カッサパは、一度肯くと、何かを決意したような顔をした。そして、
「誰でもよい、わしの部屋に行ってはさみとカミソリを持ってきておくれ。わしは、歩くことができん。腰が抜けたようじゃ。誰でもいいから、頼む・・・・。」
カッサパの言葉に、側近であった者が返事をして、カッサパの部屋へと向かった。
しばらくして戻ってきた側近の手には、はさみとカミソリがあった。カッサパはそれを受け取ると、法螺貝のように結い上げた髪にはさみを入れた。
「あぁー、何をされるのですか、カッサパ様。」
はさみを持ってきた側近が叫んだ。
「わしは、もうカッサパ様ではない。仙人でもない。単なるカッサパという名のジジイじゃ。」
そういうと、カッサパは自ら髪にはさみを入れ、バサバサと切っていったのである。
「さて、ほとんど髪もなくなった。どれ、きれいに剃ってくれぬか・・・。」
そう言ってカッサパは、カミソリを差し出した。それを見て、仏陀が肯くと、仏陀の弟子の一人がカミソリを受け取った。きれいに剃りあがっていくカッサパの頭を見て、仏陀が言った。
「カッサパよ、今日より汝は真理を求める者の一人となった。来たれ、真理を求める者よ、汝はわが弟子となった。」
「いや、お待ちください、仏陀様・・・・皆さんは世尊とお呼びでしたな。ならば、私も世尊とお呼びすることをお許しください。世尊よ、弟子にして下さるのはありがたいことです。がしかし、私にはその資格はありません。できれば、弟子の一人に入れていただき、一緒に真理を求めて行きたいと思いましたが・・・・、私のような罪深い者が世尊の弟子になれば、世尊のこれから先の道を汚すでしょう。ですから、仙人をやめることだけでいいのです。単なる一人のジジイになることだけが望みです。」
「カッサパよ、汝の気持ちはよくわかる。が、出家を望むのなら、私は汝の出家を許そう。ただし、今までの罪を懺悔(さんげ)し、ここで告白し、仏陀と仏陀の教えと我が弟子に心より信じ従う(帰依する)ならば、汝の出家を許そう。」
「ほ、本当ですかな?。本当に弟子の一人として認めてくださるのですかな?。」
「もちろんだ。さぁ、カッサパよ、皆の前で懺悔するがよい。」
仏陀は、カッサパに優しく微笑みかけたのであった。



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