ばっくなんばー14

 59.規則

仏陀は静かに瞑想していた。誰もが、その姿に見惚れていた。なぜなら、仏陀は、再び光り輝きはじめたのだ。その輝きは、益々強くなっていった。
「ま、まぶしい・・・。なんだこの輝きは。まるで太陽を直接見たようだ・・・。」
誰もがそう思った瞬間、仏陀の輝きは消えさった。
「汝らは、いったい何を求めているのか。」
仏陀は静かに問いかけた。
「汝らは何を求めて修行を始めたのだ。」
誰もその言葉に答えなかった。そこにいたすべてのものがうつむき加減であった。一部、コーンダンニャたち五人の弟子とヤシャは、仏陀の言葉に肯いていた。
「名誉か、名声か、金か・・・・。人にちやほやされることか。それとも神通力か。威張りたいのか、権力を誇示したいのか、人の上に立ちたいのか・・・・。何のために修行しているのか。何のために修行の道に入ったのか・・・・。汝ら、それをよく考えるがよい。」
そういうと、仏陀は再び沈黙に入った。

「わ、私は・・・・人の上に立ちたかったのだなぁ・・・。多くの者に先生と崇められ、奉られ・・・・。いい気になっていた。そのためだけに私は必死に生きてきた。私は私の立場を守るために、人を騙し、陥れ、金を巻き上げてきた。騙し続けてきたのだ。私が望んだ究極の目的は・・・・一言でいえば名誉だったのかもしれません。名誉さえ手に入れれば、金は着いて廻る。人も集まる。その名誉を得るために、偽の神通力が必要だった。しかし、いつからだろう、こんなにも名誉を欲しがるようになったのは・・・・。」
そう語り始めたのは、ナディーカッサパだった。
「子供の頃は、苦労をしました。兄を頼って家を出てからは、兄に協力して我らが教団を立ち上げた。初めは食べ物が欲しかっただけです。腹いっぱい食べたかった。それが教団がうまくいき、金が集まるようになるともっと金が欲しくなる。不思議なものです。腹いっぱい食べられればいいと思っていたことが、もっと金が欲しい、へと変わっていったのです。金を集めることに際限はありませんでした。もっともっと、もっともっと金を・・・・。次には、女です。その次には、ありとあらゆる珍味です。新しいもの、珍しいものが次から次へと欲しくなりました。そして、最後には名誉が欲しくなったのです。自分も兄のように弟子を持ちたい、そう思うようになりました。幸い兄も、私に弟子をつけようと考えてくれていました。弟も同じでしょう。そして、ついに名誉も手に入れたのです。
ナディーカッサパ、火を祀る三行者の一人で、神通力を用い、すべてを見通す。兄のカッサパ仙人まではやや及ばないが、聖者であることは間違いない・・・・。その評判が嬉しくて嬉しくて・・・・。幸せでした。しかし、その幸せの裏には、維持をしていかねばならない、という苦痛が伴っていました。
ウソがばれたらどうしようか、仕組みが発覚したらどうしようか・・・・。毎日が、その恐怖との戦いでもありました。一方では、仕組みは巧妙だ、ばれることはない・・・・。そう思ってもいました。今から思えば、なんと愚かなことか・・・。もう疲れました。偽りの自分を維持していくことに疲れ果てました。弟よ、よいであろう。もう本当の自分に戻ろうじゃないか。偽りで固めた、虚飾の教祖はもう終わりだ。ここにいらっしゃるホンモノの仏陀の前では、何も言うこともないだろう。なぁ、ガヤーよ。」
その言葉に、弟のガヤーは、泣き崩れた。
「私たちが欲しかったものは、初めはほんの小さなものだったのです。腹いっぱい食べられればよかった。ただそれだけです。それが、ここまで膨れ上がってしまった。恐ろしいことです・・・・。」
「ナディー、よく言った。お前らをこの道に引きずり込んだのはわしじゃ。すまなかったと思う。許してくれ・・・。」
「兄さん。もういいですよ。それよりも、今まで騙し続けた弟子たちです。彼らをどうすればいいのでしょうか。」
「謝ることじゃ。世尊は心から謝ればよい、とおっしゃってくれた。だから、ナディー、ガヤー、お前らの弟子たちに頭を下げるがいい。わしも一緒に謝ろう。さぁ、三人並んで・・・・。」
そういって、カッサパとナディー、ガヤーの三人は、彼らの弟子たちに向かって頭を下げた。深々と頭を下げ、額を地に着けたのだった。
「謝らんでください。」
一人の弟子が叫んだ。
「私たちもあなたたち三人と一緒です。ですから、謝らんでください。」
その言葉にあちこちから賛同の声が洩れてきた。
「そうだ。謝らないでください。」
「私たちも、名誉が欲しかったんです。」
「神通力が欲しかったんだ。」
「金と名誉、それが欲しかった。」
そんな声が一斉に起こったのだった。皆がそれぞれに自分のことを話し始めたのだった。

仏陀は、しばらく放っておいた。誰もが、自分の心の中の欲望をすべて白状するまで待っていたのだ。やがて、次第に静かになっていった。そして、誰も話をしなくなった。誰もが象の頭の形をした岩の上に座る仏陀を見上げた。
「皆、よくわかったようだ。誰もが、初めは小さな欲望しかもっていなかった。目の前のことを満たそう、かなえよう、そんな欲望しかなかった。しかし、やがて欲望はどんどん増え、広がり、大きくなっていったのだ。
欲望には際限がない。たとえ、黄金の雨を降らそうとも、人々は満足しないであろう。使い切れないくらいの金を持ったとしても、さらに金を手に入れることを望むのものなのだ。欲望にとり憑かれた者は、決して満足しなくなるのである。そして、誰もが、欲望にとり憑かれてしまうものなのだ。
それは、山火事のようなものなのである。山火事は、初めは小さな炎なのであろう。枯葉がこすりあわさり、自然に発火するのだ。チョロチョロと燃えていた炎は、周りの枯葉を巻き込み、次第に大きくなっていく。やがては、山全体に広がり、そしてさらに炎の範囲を広げようとする。一つの山で満足せず、隣の山へ、はたまた村へ町へと燃え広がろうとするのだ。さぁ、早く山火事を消さないと村も町も焼けてしまうぞ。そうなれば、命も燃え尽きてしまおう。誰かが、山火事を消そうとしなければ、その火はどんどん広がり、ついには国全体を焼き尽くしてしまうであろう。
人間も同じなのだ。欲望の炎を消そうとしなければ、どんどん燃え広がり、やがては争いを起こし、奪い合い、殺し合いして、命を燃やし尽くしてしまうのだ。
汝ら、欲望の炎を消すのだ。急いで消すのだ。手遅れになる前に、静かに欲望の炎を消し去るのだ。欲望の炎を消すために修行したいというものは、ここに残るがいい。そうでないものは、すぐに立ち去るがよい。」
仏陀はそういうと、再び目を閉じ、沈黙したのであった。

しばらく待ったが誰も立ち去るものはいなかった。やがて
「私を弟子にしてください。」
という声が聞こえた。それをきっかけに、方々から
「私も弟子になりたい。弟子にしてください。」
「どうか導いてください。お願いします。」
などという声が聞こえてきたのだ。
仏陀は目を開け、
「覚りをえるために修行をしようと願うもの。そういうものだけ、来るがよい。もう一度聞こう。欲望の炎を消すために修行をしたいと望むものだけここに残るがよい。」
「だれも立ち去りません。みな、覚りを得たいと望んでいます。」
「覚りを得るために修行をしたいと、そう望むのか。」
仏陀は三度尋ねた。全員が
「はい、そのとおりです。我らは覚りを求めています。」
と答えたのであった。
「来たれみなのもの。汝らは、我が弟子である。」
こうして、カッサパの弟子だけでなく、ナディーやガヤーの弟子たちも仏陀の弟子となったのであった。その数、500人であった。カッサパの弟子とあわせ、1000人の弟子が一度にできてしまったのである。

仏陀たちは、しばらくガヤーシーサ山に滞在することにした。環境が修行に適していたのと、あまりにも弟子が多くなったので、体制を整える必要ができたのだ。また、その前に、新しく弟子となった者たちの剃髪があった。そろいの袈裟を作る必要もあったのだ。
出家の儀式を済まし、剃髪を終えた者たちは、みな自分で袈裟を縫っていた。火の神に仕えていた頃の衣裳などを切って縫い合わせ、袈裟に仕立て直したのであった。
いつの間にか、仏陀の弟子は、1500人あまりの大所帯となっていた。
「ふむ、ようやく皆に袈裟が行き渡ったな。頭もきれいに剃り落とした。修行者らしくなったぞ。しかし、これだけ大勢になると、秩序を保つために規則が必要になると思うのだが・・・・。世尊はどう考えていらっしゃるのだろうか。」
コーンダンニャは、大勢になった弟子たちを眺め、不安に駆られていた。これだけ人数が増えれば、やがては争いも生まれよう。ケンカをするものも出てくるものなのだ。派閥も生まれてしまうだろう。現に、ヤシャ派、カッサパ派、ナディー派、ガヤー派、それらどれでもない集まり、単独派、コーンダンニャ派と分かれていたのだ。
「さて、どうしたものか・・・・。」
「コーンダンニャ、そんなに悩むのなら、世尊に直接お聞きすればいいじゃないですか。」
アッサジが悩むコーンダンニャに言った。
「そうだなぁ・・・・。直接尋ねてみるか。」
コーンダンニャは、そういうと象の頭の岩の下の洞窟で瞑想をしていた仏陀の元へと急いだのだった。
コーンダンニャが歩いてくるのを見とめ、仏陀は言った。
「コーンダンニャ、汝が来る理由はわかっている。大勢になった弟子たちを束ねる規則が必要だと考えているのであろう。」
コーンダンニャは、思っていることを見抜かれ、
「そのとおりです。しかし、このままでは、バラバラになりかねません。なにか規則を作らないと、勝手気ままなものも出てくるでしょう。初めは覚りを得るため、と努力はするでしょうが、いつまで続くかは保証できませんし・・・・。」
「わかっているよ。何も規則を作らないわけではない。どんな場合でも、多くの人が集まれば、その中には秩序が必要となってくる。そのためには、ある程度の規則はなくてはならないであろう。そのことは、皆が落ち着いたら話をするつもりである。」
「差し出がましいことをいたしました。世尊、お許しください。」
仏陀の考えを知って、コーンダンニャは恥ずかしくなっていた。
「いいのだ、コーンダンニャ。あなたは修行経験豊富な方だ。これからも、後進の指導を頼むことになるでしょう。」
その言葉を聞いて、コーンダンニャは、さらに自分を磨くことを誓ったのであった。

その翌日のことである。仏陀は、朝の準備を終えた弟子たち全員に集まるように言った。仏陀は、象の頭の岩の上に結跏趺坐していた。
「皆のもの。これより修行のための規則を決める。よく聞くがよい。
朝は日の出と共に起き出すこと。いつまでも惰眠を貪るは、欲望の表れである。怠惰は避けよ。
起きたら必ず沐浴をせよ。顔をあらい、口を注ぎ、身体の汗を落とすこと。清潔は修行の第一である。
日が頭上に昇る前に托鉢を終え、食事を済ますこと。食事はそれ以降は取らないこと。ただし、果物と水分は午後からも取ってよろしい。なお、午前中の食事は、二回に分けてとってもよい。早朝に一回、お昼前に一回である。それ以上の食事はとってはならぬ。
また、食事は、すべて托鉢で賄うこと。食事は、自らの身体を維持するためのものである。美味しいとか、まずいとか、味にこだわってはならぬ。
また、托鉢の量に文句を言ってはならぬ。托鉢した食事の量が多かろうと少なかろうと、不平不満を口にしてはいけない。汝らに与えられた量が汝らのその日一日の許された食事なのだ。余分に求めるな。余分に求める気持ちは、欲望の増長へと発展する。汝ら欲望をよく制御せよ。
午後からは、修行の時間とする。私に教えを請うのもよい。またすでに悟りを得ている先輩に教えを請うのもよい。また、一人静かに瞑想するのもよい。数人で覚りについて議論するのもよい。それは各々の裁量で判断するがよい。わからなければ、出家の早いものに聞くがいいであろう。
なお、汝らの間に序列を決める。それは、出家した時期が早いものを上位とする、という序列である。年が上であろうと下であろうと、関係はない。出家以前の関係も持ち込んではならぬ。ここでの序列は、出家した時期が早いものほど上位になる、ということだけだ。
したがって、最も上位のものは、コーンダンニャとなる。また、上位のもので悟りを得たものは、長老と呼ぶことにする。長老は、他の弟子の指導をよくみること。よく修行の指導をすること。長老だからといって、威張らぬよう、怠らぬように、注意すること。自分をよく律することを忘れないように。
就寝は日が沈むと共にすればよい。
なお、身の回りのもの、生活に必要なものは自分で用意すること。用意できぬ場合は、長老に相談せよ。
ここで現在の長老の名をあげておく。
コーンダンニャ長老、アッサジ長老、マハーマーナ長老、バッティア長老、バッパ長老、ヤシャ長老、以上だ。長老に出会ったら、必ず挨拶をすること。
この生活に慣れるまで、ここにしばらく滞在する。
なお、この規則にはすべてのものが従う。もちろん、私もだ。私も同じように生活する。
ここまでで質問はないかね。では、汝らに修行に入るときの言葉を授けよう。修行に入るとき、あるいは、教えを聞くときは、必ず次の言葉を唱えよ。
『我々は、仏陀に帰依いたします。我々は仏陀の教えに帰依いたします。我々は仏陀の弟子に帰依いたします。』
必ずやこの言葉を唱えてから修行に入るように。
では、托鉢にでるがよい。」
その場に集まった仏陀の弟子すべてのものは、静かに頭をさげ、額と両腕・両膝を地に着け、仏陀を礼拝したのであった。
そして、全員が托鉢に向かった。もちろん、仏陀自身も例外ではなかった。


60.マガダ国
集団での出家生活にも随分と慣れが見えてきた。誰もが、日の出とともに起床し、身の回りを整理したあと、沐浴をした。その後、托鉢に出て、托鉢より戻れば静かに食事を済ましていた。食後は、仏陀に教えを請うもの、静かに瞑想をするもの、長老に指導を受けるもの、また袈裟や衣を縫ったりするものもいた。誰もが無駄な話をせず、もくもくと修行に励んでいた。
「ふむ、随分とこの生活にも慣れてきた。どの修行者も教えを理解してきた。理解の度合いも深まったようだ。長老やカッサパは、すでに悟りを得た阿羅漢果(あらかんが)に達している。ほかの者も一度は悟りの世界に入っているようだ。第二段階の一来果(いちらいか)だ。中には、もう少しで阿羅漢果という段階の不還果(ふげんか)まで至っている者もいる。そろそろ、移動してもよいころであろう。街の中に入っても迷うものはいないであろう。」
仏陀は、弟子たちを見てガヤーシーサ山を出て、マガダ国へ向かうことを決めたのだった。
ある日の午後のこと。仏陀は弟子たちを集め、
「明日、ここを発つことにした。向かうのはマガダ国の首都ラージャグリハである。」
と宣言した。それを聞いてカッサパが仏陀に尋ねた。
「そのような街中に行っても大丈夫でしょうか。街中は様々な誘惑があります。修行のできていない者もまだいるかも知れません。そうしたものが誘惑に負けるようなことはありますまいか。」
「大丈夫でしょう。私は、ここ何日かあなたたちの様子を眺めてきました。今のあなたたちならば、たとえマガダ国の首都であろうとも、心を動かされることはないでしょう。」
その言葉に弟子たちは、さらなる自信を持った。
「とはいえ、油断はしてはなりません。そのあたりは、心するように。阿羅漢に達している長老たちは、まだ至らぬ者の支えになってあげなさい。」
他の者が尋ねた。
「なぜ、マガダ国なのでしょうか?。ここからならば、コーサラ国もさほど遠くはありません。コーサラのほうが大きな国ですが・・・・。」
「私が覚りを得る前のことです。マガダ国のよく名前の通った仙人の弟子になりましたが、どの仙人の教えにも満足できず、一人マガダ国の首都ラージャグリハ付近の山で修行をしていました。苦行林に行く前のことです。そのときに、マガダ国の王ビンビサーラ王と知り合ったのです。聡明な王は、私に国の統治者として加わってくれと頼み込んできました。しかし、私は覚りを得たいのだ、と断ったのです。ビンビサーラ王はいいました。もし、覚りを得て仏陀となったなら、マガダ国へ来て欲しい、私を導いて欲しい・・・・と。今、まさにその約束を果たす時が来たのです。だから、マガダ国へ向かうのですよ。
わかったかね?。それでは、明日、マガダ国に向けて出発できるよう、準備を整えておきなさい。」
弟子たちは、五体投地(両手両膝頭を地に付ける最高の礼拝作法)をして、各自の場所へと戻っていった。

「それにしても、急なことですね。」
アッサジがつぶやいていた。長老たちが集まっていたのだ。コーンダンニャが答えた。
「世尊にしてみれば、予定通りだろう。皆の状態を見計らっていたのだろう。修行の生活にも慣れないといけないし、街中の誘惑に負けない心を身につけていないといけないからね。」
「なるほど、世尊お一人ならば、さっさとマガダ国王との約束を果たしに行けたわけだ・・・。」
「ふむ、そうじゃのう、だとすればわしらは足手まといなのかも知れぬ。」
カッサパが不安げに言った。カッサパも阿羅漢果を得て、長老の仲間に入ったのだった。
「そうではあるかもしれないが、世尊がもし我々のことを足手まとい、と思っていらっしゃるのなら、始めから弟子などとらなかったでしょう。ウルベーラの森にも立ち寄らなかったでしょう。世尊は、我々を救いながら、導きながらマガダへの道を選んだのです。」
ヤシャが若者らしく、力強く言った。
「そう思うよ。世尊は慈悲深いお方だ。ただ、ご自分の約束を果たすだけではいけないのだろう。多くのものを救うことが大切なのだろう。なので、足手まといなどとは思っていらっしゃらないよ。」
コーンダンニャの言葉に、長老たちはうなずいた。
「それよりも、我々もよく注意して見ていかないといけない。ラージャグリハは、大きな街だ。誘惑もたくさんある。どこに滞在するのかはわからないけど、これだけの人数がいれば、誘惑に負けるような者も出てくるかもしれない。我々だけで手が足らぬときは、不還果の者にも手伝ってもらおう。」
「そうですな。なんせ、1500人ほどの人数になっていますからな。わしは、老体なので、あまり力にはなれんが、協力します。」
コーンダンニャの言葉に、カッサパも協力を申し出たのだった。
「それにしても、ラージャグリハ付近に、これほどの人数を収容する修行所があるのだろうか?。」
バッパが疑問に思ったことを口にした。
「それは大丈夫だろう。世尊が苦行林に来る前に修行していた場所があるだろうから。ナントカという山だったと思うが・・・。ま、いずれにせよ、我々は、ほかの修行者が誘惑に負けないように注意していることだね。」
コーンダンニャの言葉に、長老たちは身を引き締めたのだった。

翌日のこと、日の出とともに起床した修行者たちは、沐浴をし、身支度を整え、像の頭の岩の前に集合していた。
「皆、そろいましたね。では、出発しましょう。」
仏陀の言葉に、修行者全員が静かに立ち上がった。
仏陀の一行は、仏陀を先頭に、長い列を成して静かに歩いていた。それぞれの手には、托鉢の鉢と水を入れた筒を抱えているだけである。
列のところどころには長老たちがいた。一番最後は、若いヤシャだった。一の長老であるコーンダンニャは、仏陀のすぐ近くである。
仏陀は、コーンダンニャ言った。
「まずは、私が滞在していた山を目指します。今日はそこで休みましょう。その山には、洞穴がたくさんありますから、皆休めるでしょう。」
「わかりました。」
コーンダンニャは、しずかにうなずいた。
やがて、仏陀たち一行は、仏陀が苦行林に行く前に滞在していたという山に到着した。日も暮れかかっていたころである。そこは、見た目よりも広く、あちこちに洞穴があり、1500人もの人数が分散して収まることができた。
「今日は、もう遅いですから休みましょう。明日から、通常通りの生活に戻ります。それぞれの洞穴に戻り、明日以降に備えなさい。」
仏陀は、皆にそう告げた。弟子たちは、何人かの仲間と固まって洞穴へと入っていった。
翌日のこと、日の出とともに起きてきた弟子たちは、一箇所に固まってもめていた。
「何をもめているのだ?。言い争いはいけないだろう。」
「あぁ、コーンダンニャ長老様、いいところにお越しくださった。湧き水の場所がここにしかないので、沐浴ができないのです。口もすすげません。順番を待っていたら托鉢にもいけません。それで、早くしろと、後ろに並んでいる者たちが騒ぎ始めまして・・・・。」
その者が言うように、湧き水の場所は一箇所にしかなった。ほかに川も泉もなく、これでは沐浴どころではなかったのであった。
「皆、騒がないように。とりあえず、沐浴は後にして、顔と口を洗うだけにしなさい。そうすれば早く終わるであろう。その間に世尊に対処を仰いでくる。」
コーンダンニャはそういい、そばにいたアッサジに後を託して仏陀のところへ行った。
「せ、世尊、ちょっとよろしいでしょうか。」
「かまわぬ。水場のことであろう。」
仏陀が休んでいる洞穴にコーンダンニャがいくと、仏陀はすでに騒ぎを察知していたのか、そういったのだった。
「汝の判断は適切だ、コーンダンニャ。水場が少ないときは、沐浴は省略してもよい。これも戒律の一つに加えておこう。そして、顔と口を洗ったものから順に托鉢に出るがよい。もし、順番を待っていて托鉢に出られない者がいた場合は、その者のために托鉢から帰ったものが食を分け与えよ。怠けて托鉢に出なかったわけではないのだから、分け与えてもよい。」
「わかりました。そのように皆に伝えます。」
「なお、明日より、組を分けて順に沐浴をするようにすればよい。当番を決めるのだ。当番に当たった組は、水場を優先的に使い、沐浴もし、托鉢に出る。当番に当たっていない者たちは、沐浴は後回しにし、修行場の清掃など、細かな仕事をこなしておく。なお、托鉢に出る組は、托鉢に出ない組の分も食を分け与える。そのように組み分けするように。」
「なるほど・・・。わかりました。長老たちと話し合って、そのように組み分けをいたします。」
こうして、また一つ規則が増えたのであった。

ラージャグリハに到着したにもかかわらず、仏陀は一向に国王のところへ向かおうとはしなった。それどころか、弟子の皆と同じように湧き水の順を待ち、托鉢に出る日と出ない日を分けていた。
「世尊はそんことをしなくても・・・。」
と長老たちは訴えたのだが、
「私も平等なのだよ。」
といって取り合わなかった。
一方、ラージャグリハの街では、仏陀たちのことが噂になっていた。
「このところ、背筋がシャンとして気品ある修行者たちが托鉢に来ているね。」
「あぁ、しかも午前中だけだ。立派なことじゃないか。朝昼関係なく、食事を求めてきたり、与えた食事の量に文句を言う修行者が多い中で、何も文句を言わず、ただ鉢を持ってくるだけの修行者は、たいしたものだね。ちょっといないよ。」
「どうも仏陀の弟子だそうだよ。」
「何?、仏陀だと?。それは本当か?。」
「あぁ、本当さ。仏陀がこの世に現れたのさ。」
「その当の本人も托鉢に出てるそうじゃないか。」
「何?、仏陀自身もか?。」
「そうそう、すごく光り輝いている修行者がたまに托鉢に来るらしい。それが仏陀だそうな。」
「それ本当の話か?。仏陀といえば、伝説の聖者だぞ。そんな聖者が托鉢なんぞするのかね・・・。」
「いや、本物の聖者だからこそ、ほかの修行者と一緒に托鉢をするんだろ。一人ふんぞり返って威張っていたら、それはホンモノの聖者じゃないだろう。」
「それもそうだな。そうか、ついに聖者、仏陀が現れたのか!。で、その仏陀はどこに滞在しているんだ?。」
「街外れの山の中腹にある洞穴だそうな。」
「よし、みんなで拝みに行こう。一目仏陀を見たものは天界に生まれ変わることができるのだからな。」
「そうだ、仏陀を拝みに行こう!。」
そうした噂話は、すぐに街中に広がり、仏陀を一目お参りしようという者たちで、仏陀たちが滞在している山は、ごった返す様になっていた。
こうした街の様子は、国王ビンビサーラの耳にも届いた。ビンビサーラは、側近のものに聞いた。
「最近、街で仏陀が出現したという噂が流れているが本当か?。」
「はい、国王様、それは本当の話です。街の者が一目仏陀を見ようと騒いでおります。」
「ほう・・・。して、仏陀はどこに滞在している?。街はずれの山か?。山の洞穴か?。」
「はい、その通りです。よくご存知で・・・。」
「ふむ、そうか、そうだったのか。ならば、きっとそれは、あのお方に違いない。ついに覚りを得たのだな・・・。よし、私も行くぞ。すぐに支度をしろ。」
ビンビサーラ王は、満面の笑みでそう命じたのだった。



 61.証拠
ビンビサーラ王は、10名ほどの護衛兵と執事らとともに、以前出家したばかりのシッダールタと出会った山に向かったのだった。その山は、ふもとのほうが黒ずんで見えていた。それは、大勢の人が、仏陀を一目見ようと集まっていたからであった。
「なんと言う人だかりだ・・・。これでは・・・あのお方に会うどころか、山にすら近づけぬ。さてどうしたものだ。」
ビンビサーラ王は、山のふもとにまであふれている人々を遠目で見て呆然とした。
「あ、あれは、国王じゃないか?。あの馬車は国王だ。」
「ビンビサーラ王だ。聡明なビンビサーラ王も仏陀に会いに来たんだ。」
「そうだ、このお方はビンビサーラ王だ。さぁ、道を開けなさい。仏陀にお会いしに来たのだ。さぁ、道を開けて・・・。」
「国王であっても順番は守らなきゃいけないんじゃないのか。」
「ちょっと横暴だよな。俺らが先なのに。」
仏陀に会おうとして順番を待っていた市民たちは、不平を漏らし始めた。
「なにを言っているのだ。国王が優先に決まっているだろう!。さぁ、道を開けよ。」
兵士がどなった。それを横目で見ていたビンビサーラ王は、
「待て待て、それはならぬ。彼らも仏陀を一目見ようと、集まって来ているのだ。それを邪魔してはならぬ。たとえ国王であってもだ。隊長よ、下がりなさい。」
と兵隊の長にそう命じたのであった。
「しかし、国王様。お言葉ですが、これでは今日中に仏陀にお会いできるかどうかわかりません。国王様は国王様なのですから国民よりも優先されるべきです。」
「いや、それは違う。国王は、市民の生活を第一に考えねばならぬ。市民あっての国だ。この国の人々だって、仏陀にお会いしたいのだ。昔から、仏陀に出会うことができれば、必ず天界に生まれ変わることができる、と言われている。だからこそ、仏陀に会いたいのだ。しかも、自分の目で本当に仏陀なのかを確かめたいだろうし。人々はそういうものだ。順番を待とうじゃないか。」
その言葉を聞いた人々は、口々に叫びだした。
「すごい、さすがビンビサーラ王だ。」
「名高い名君だ!。ビンビサーラ王、万歳!、万歳!。」
そこに集まっていた人々は、ビンビサーラ王の態度を称えたのであった。が、護衛兵を束ねる隊長だけが、不服そうな顔をしていたのであった。
(何も国王が待つことはなかろうに・・・。こんな態度だから、大臣たちになめられるのだ。もっとしっかりして欲しいものだ・・・・。はぁ〜。)
彼は、深くため息をつき、立ち尽くしていたのだった。

しばらくすると、山を降りてくる人々が増え始めた。その誰もが、
「あの方は仏陀だ、仏陀に違いない。」
と言っていた。また、
「在家の信者になった。これで天界に生まれ変わることができる。」
と喜んでいたのだった。
順番を待つ人の数は次第に減っていった。ビンビサーラ王の順番も近づいてきていた。
日が沈みそうになったとき、ようやくビンビサーラ王の順番が巡ってきた。護衛兵に囲まれ、国王は仏陀に近づいていった。
「おぉ、やはり、やはりあの時の・・・・。ついに悟りを得たのですね。」
ビンビサーラ王はそういうと、仏陀のすぐ前で五体投地の礼拝をしたのだった。その姿を見て護衛兵の隊長が叫んだ。
「国王、なんたることを!。あなたは国王です。跪くのは、そちらの修行者です。これでは示しがつきません。」
「なにを言っているのだ。このお方は仏陀であらせられる。仏陀は伝説の聖者、世俗を超越した覚者、六道輪廻を解脱された方なのだぞ。我々世俗の者とは異なるのだ。」
「お言葉ですが、この方が仏陀だと言う証拠はありませんが・・・。見たところ、ちょっと光り輝いているかな、と言うことぐらいしか違いはありませんが・・・・。」
「し、失礼な!。お前になにがわかるかっ!。控えろ、後ろに下がっていろ。仏陀様、この愚か者をお許しください。」
「ビンビサーラ王、お久しぶりです。何年ぶりですか・・・。この通り、私は悟りを得て、あなたとの約束を果たすべく、この地に参りました。」
「ふん、何が悟りを得て、だ。その証拠はあるのか。何を以って仏陀と言うのか?。」
「まだいたのか・・・・。お前のような者には、この方の尊さがわからないであろう。街の人々でさえ、わかるというのに・・・・・。こんな愚かなものが、わたしの側近とは・・・・。頭が痛いことだ。」
「ビンビサーラ王よ、お怒りを静めてください。その隊長の疑問は正しいことです。よろしい、今、私が仏陀である証拠をお見せいたしましょう。」
そういうと仏陀は結跏趺坐をしなおし、身体を整え、左手をへその下あたりに手のひらを上に向けおいた。そして、右手はひざの前にだらりとたらした。
「仏陀は、自由に大地を揺るがすことができる。ただし、その大地の揺るぎは魔を地下へ鎮めるためのものであり、善良なる人々には決して害を与えない。そのような特殊な大地の揺るぎである。」
そういうと、だらりとした右手の中指でそっと地面に触れた。すると・・・・。
「おぉ、じ、地震だ。おぉ、揺れる揺れる・・・。」
「な、何だ、この揺れは・・・。縦横斜め・・・いろんな揺れを感じるぞ。」
「あぁ、でも、恐ろしい揺れじゃない。なぜか心地よい揺れだ・・・・。」
そこに居合わせた人々は口々に叫んでいた。なんと大地は 七種に振動していたのであった。

「これが仏陀であると言う証拠です。これで満足できましたか?。」
仏陀は、そういって兵隊長に微笑みかけた。
「も、申し訳ありません。私はとんでもないことを・・・・。とんでもない態度をしてしまいました・・・。これでは、あまりにも失礼です。兵隊らしく死んでお詫びいたします。」
「まあ、待ちなさい。私は怒ってなどいません。むしろ、あなたの疑問は、いい機会だと思いました。誰もが私のことを仏陀である、と簡単に信じてしまう。これは果たしてよいのか、疑問を持つ人はいないのか、こんなに簡単に信じてしまっては、他の偽の聖者が現れたとき騙されてしまうのではないか、と心配していたのです。ですから、どなたかが『仏陀の証拠を見せろ』と言ってくれないか、待っていたのですよ。あなたの疑問は、よい機会を与えたのです。
さて、このように仏陀はいつ如何なるときも、仏陀の意思によって、大地を揺るがすことができるのです。それも七種振動という特殊な心地よい揺るぎなのです。」
その場に居合わせた人々は、ビンビサーラ王の護衛兵の隊長に感謝したのだった。貴重な体験が目の前でできたと・・・・。
「ありがとう、皆さん。私は皆さんにもひどいことを言った。皆さん一般市民を見下していた。しかし、今、皆さんに私は救われた。私が見下していた人々に私は命を救われた。深く、深く感謝し、これからは、皆さん市民のための兵隊として働きます。」
そういって、その場に居合わせた街の人々に深く頭を下げたのだった。
「仏陀様・・・とお呼びすればいいのでしょうか・・・・。ありがとうございます。私が何も頼まなくとも、かねてより懸念していた私の側近のゆがんだ心を直してくださった。深く感謝いたします。」
「ビンビサーラ王、決して彼の心はゆがんではいませんよ。正直なだけです。正直すぎ、正義感が強すぎるだけなのです。ゆがんで見えるのは、王よ、あなたに偏った見方があるからです。正しく平等に物事を見れば、彼の心が見えたことでしょう。何事も、平等に偏ることなく見定めることが大事です。国王よ、国を統べる者として、いずれにも偏ることなく、平等に中道を歩むことです。」
「はい、私はついつい偏ったものの見方をしてしまいがちです。どうしても市民よりになってしまいます。そのためか、大臣や兵隊たちの反感を買うことがあるのです。今日のことでよくわかりました。あまり市民よりでもいけないし、かといって大臣や軍部の言うことばかりを聞いていてもいけないと言うことですね。」
「何が国にとって重要か、このマガダ国を長く保つには、どうすればよいか・・・・。それをよく考えることです。国を長く維持するためには、市民のほうばかり見ていてもできません。市民もみれば、国の維持、国を管理するものも見なければなりません。国王は、市民と国の両方を俯瞰する必要があるのです。自分の感情を交えることなく、平等に冷静に・・・・。」
「平等に、冷静に俯瞰・・・ですか・・・。まさにその通りですね。市民の利益を考えつつ、国の安定を図る・・・・。わかりました。これで迷いが消えました。ありがとうございます。」
「いえ、約束でしたからね。悟りを得たならば、必ず法を説きに来ると・・・・。」
「約束を覚えていてくださったことを感謝いたします。否、あの時の私の判断は間違っていなかった。・・・そうだ、こんな狭いところでは大変でしょう。どうか、ラージャグリハの城に滞在されてはいかがでしょうか。街も近く托鉢にも便利です。」
「お申し出はありがたいですが、城の中に出家者がうろつくわけにも参りますまい。それに城の中では修行ができません。我々出家者は、あまり街に近くてもいけません。様々な誘惑に負けるものも出てしまうでしょうし、出家者が家族と会いたがるようになる心配も出てきます。在家の人々にご迷惑をかけることにもなります。」
「かといって、あまりに街から離れていては、托鉢にも不便ですし・・・・。それに、城に教えを説きに来てもらえなくなる。あ、いや、そういうことは頼めないのでしょうか?。」
「もちろんお引き受けいたします。宮中の人々にも教えを説きに行くことも問題ありません。」
「そうですか、それはありがたい・・・。そのときは、食事のご用意をさせていただいて構いませんか。」
「ありがたくいただきます。」
「そうですね、でもこの人数です。一度に城に入るとなると・・・・。やはり精舎が必要ですね。街から離れすぎてもいけない、かといって近すぎてもいけない・・・・。そうだ、あそこなら・・・。否、明日までに探しておきましょう。では、明日、仏陀様と他のお弟子様、どなたか二十名ほどお城に来ていただけませんか。もちろん、こちらに残ったお弟子様たちにも食事のご用意をさせていただきます。」
「わかりました。では、明日は托鉢には出ずに、ラージャグリハの城に向かうものとここに残るものと、二手に分かれましょう。」
「お待ちいたしております。仏陀様・・・。」
そういうとビンビサーラ王は再び五体投地の礼拝をしたのであった。その後ろでは、国王の護衛兵や執事も礼拝をしていた。もちろん、あの隊長も・・・である。
こうしてビンビサーラ王は、満面の笑みで城に戻っていたのであった。

城に戻った王は、すぐに側近に命令をだした。
「まずは、明日の食事の用意だ。この城には20人程度が、山には1500人ほどの修行者がいる。さっさと準備しなければ間に合わぬぞ。それから・・・隊長、街から少し離れたところにある竹林の様子を見てきなさい。手入れされているかどうか、調べるように。さて、これから忙しくなるぞ。そうそう、それと、大急ぎで大工を呼んでおくように。」
ビンビサーラ王の表情は城を出たときと一変し、明るくなっていたのだった。
つづく。



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