ばっくなんばー16

 65.潔癖
仏陀の弟子たちは、またまたブツブツ文句を言い始めた。
「あの二人が来てからロクなことがない。今度は、托鉢がしにくくなってしまった。」
「まったくだ。どこへ托鉢に行ってもあの歌が歌われている。街の奥様方には『今度は誰の弟子をとっていくんだい?』と言われるし・・・・。やりにくいなぁ・・・・。」
まだ、悟りを得ていない弟子たちは、あちこちで集まっては、
「これもシャーリープトラとモッガラーナのせいだ。」
と、悪口を言っていたのであった。
こうした様子に心痛めていた長老たちは、
「困ったものだ・・・。世尊に相談しよう。」
と仏陀のもとへと急いだのであった。仏陀は、
「よろしい、皆を集めなさい。」
とだけ言った。すべての弟子が集まってくると、
「最近、托鉢に行くと街の人々が妙な歌をうたっているとのこと。しかし、何も憂うことはない。そのような噂や歌は、七日をもって消えてしまうであろう。あなたたちは、ただいつもどおり心静かに托鉢をすればよい。それでも不服なものは、そのような歌を聞いたら、このように唱えるがよい。
『偉大なる如来たちは  正法によって導きたもう。
法によって導かれる智者たちに  ねたみの心は さらにない。』
さぁ、これを唱えれば、何の憂いもなかろう。いつものように修行するがよい。」

悟りを得ている長老たちは、どんな噂も耳に入らなかったからよかったが、悟りを得ていない者たちは、この歌を覚えて、托鉢に出た。托鉢から帰ってきた弟子たちが話し合っていた。
「どうだった?、世尊の言われたとおり、歌を歌ったかい?。」
「あぁ、例の歌を歌われたんで、世尊の言葉を言い返したよ。そしたら、ピタッと静かになった。」
「やっぱり・・・。私もそうだ。」
「俺もそうだった。不思議だ・・・・。」
こうのように話し合っている者たちを見て、長老の一人が声をかけた。
「汝ら気づかぬのか・・・・。世尊が唱えられた歌は、汝らに対しての内容になっているのだ。よく、世尊の歌を吟味するがよい・・・。」
そう言われて、集まっていたまだ悟りを得ていない修行者は、考え始めたのだった。
「あぁ、そうか、そういう意味か・・・。」
一人が気付いた。他の者が尋ねた。
「どういうことだ?。俺にはさっぱりわからん。」
「簡単だ。世尊をはじめ、悟りを得た長老たちは、正しい教えで我々を導いてくれている。その正しい教えによって導かれる我々は・・・・ねたみの心なんてない・・・・・。こういう意味だよ。私たちが間違っていたんだ。」
「あぁ、そういうことか。私たちはシャーリープトラやモッガラーナをねたんでいたんだ。」
「そういうことだ。だから、悟りを得た長老たちは、街の歌が気にならなかったんだ。ねたみの心がないから。でも、我々は彼らをねたんでいた。なので、あの歌が気になって仕方がなかったのだな・・・・。」
「正されるべきは、私たちのほうだったのだ。街の人々ではなかった・・・。」
こうして、シャーリープトラやモッガラーナをねたんで陰口を言っていた者たちは、深く反省したのであった。未熟な修行者たちは、そのことを一人の長老に告白した。
「よく気づいた。それでよいのだ。」
「しかし、一つ疑問があります。」
「なんだね、わかることなら答えよう。」
「なぜ、コーンダンニャ長老たちではなく、あの二人がこの後、我々を導くようになるのですか?。なぜ、二大弟子と呼ばれるようにまでなるのですか?。」
「う〜ん、それは機根の違い・・・・と言ってしまえばそれまでなんだが。前世の関わりもあるやもしれんなぁ・・・。」
「前世ですか。」
「うむ、そのことは世尊にお尋ねしよう。」
こうして、弟子たちはそろって世尊にシャーリープトラとモッガラーナの前世のことを尋ねたのであった。

「あなたたち弟子らは、みな前世の誓願やその時の修行の度合いによって、現世での立場が決められている。たとえば、コーンダンニャは、前世において修行者に布施をして願ったことは
『願わくば仏陀の現れる世に生まれて、一番最初の仏陀の弟子になれますように。そして、最も早く悟りを得られますように、決して主席になることは望みません。一番初めの弟子で、一番初めに悟りが得られればそれでいいのです』
だったのだ。だから、彼はその望みどおり、私の最初の弟子になったし、最も早く悟りを得たのだ。望みどおり、主席にはなっていないのだよ。同じようにヤシャは・・・・。」
と仏陀は順に長老たちの前世の話をしたのであった。そして、
「シャーリープトラとモッガラーナだね。彼らは、前世でも仏陀に仕えていた。その時は、悟りを得てはいたのだが、それには満足できず、次の仏陀のもとで修業するときは『智慧第一と呼ばれるほどの悟りを得たい』、『誰にも負けない神通力をもって人々を導きたい』と願ったのだよ。だから、その願いどおりになるであろう。私は、彼らの前世を見、行く末を見たのだ。」
その言葉に、
「世尊も間違えるのか」
と陰口を言っていた弟子たちは首を縮めたのだった。
こうして、シャーリープトラとモッガラーナへの不平不満はなくなったのである。また、街中で歌われていた歌は、仏陀の言葉通り、7日後にはすっかり消えていたのだった。そして、未熟な弟子たちは、シャーリープトラによく導かれ、あるいはモッガラーナに助けられ、修行を深めるようになったのであった。

そんなある日のこと、竹林精舎から少し離れたマガダ国の首都ラージャグリハの街を出家者の服装はしていたが、立派な身なりに見える男性が歩いていた。
「ふむ・・・、こんな街に来てしまった。こんな大きな街では、本物の聖者などには出会えないだろう。早くにこの街を抜けるしかないな・・・・。」
彼は、賑やかで騒がしい街があまり得意ではなかった。もっと静かなところで過ごしたいと願っていた。なので、自然と速足になっていったのだった。
「ふう、何と騒がしい街だ。おや、向こうの道は静かな感じがする。そうだな、あっちへ行ってみよう。一休みできるかもしれない。」
彼は、そこだけがぽっかり鎮まっているかのような道を見つけたのだ。そこへ、導かれるようにして進んでいった。ふと、前方を見ると、大きな木が一本植わっている。
「あの木陰なら休めそうだな。あまりの騒がしさに少々疲れたからな・・・・・。おや、あれは・・・・。」
その木をよく見てみると、根元に誰かが座っているようだった。
確かに人に見えた、しかし、その人は光り輝いていたのだ。
「な、なんということだ、あそこに座っている人は光っているぞ。もしや、黄金でできた人形だろうか。噂に聞くマガダ国の首都だからな。黄金の人形が置いてあっても不思議ではない。物盗りに間違われてはいけないから、あの木陰で休むのはあきらめよう・・・・。」
そう言って、彼は足早にその大きな木の前を通り過ぎようとした。その時である。
「カッサパよ。どこへいくのか。何を急いでいるのか・・・・。」
と、黄金の人形が声を掛けたのである。
カッサパと呼びかけられた男は驚いてその人形を凝視した。そして、次の瞬間
「求めていた方です。」
と言って、その人形の前に五体投地していたのであった。
そう、その光り輝いていた人形は仏陀その人だったのである。
普段、托鉢に出る時や国王などの接待を受ける時、仏陀は自らの輝きを極力抑えていた。それでも、他の弟子とは異なり、輝いて見えるのだ。「カッサパ」と声をかけた時、仏陀は自らの輝きを抑えていなかった。だから、カッサパの目には黄金の人形に見えたのだ。
その時、仏陀はカッサパがそこを通ることを予見して、大きな木の下で結跏趺坐をし、彼が通るのを待っていたのである。
「私も汝を待っていた。さぁ、ここに座るがよい。教えを説こう。」
こうして仏陀は、カッサパに教えを説き始めたのである。

カッサパと、仏陀に呼ばれた男・・・・彼は、仏陀に出会うまでは、あまりにも潔癖な人生を歩んできた。もちろん、それは、仏陀と出会ったのちも続くのだが・・・。
カッサパは、マガダ国の郊外のマハーティールタという村に生まれた。その村はバラモンで構成されている村であった。彼の名は、ピッパリといった。カッサパは彼の種族の名前である。すなわち、カッサパ族のピッパリ、というのが正しい名前であった。ピッパリの家は大変裕福で、有り余るほどの財産があった。ピッパリは働くことなく、学問に専念していればよかった。そんな彼は、学問以外にまったく興味がなく、友人たちと連れ立って遊びに行くようなことは一切なかったのである。彼は、いつも家の中や周辺で本を読んだり、瞑想をしたりして過ごしていたのだった。
ピッパリが二十歳になったある日のこと、両親は彼に結婚を勧めた。が、彼は
「私は結婚などするつもりはありません。父上、母上が存命の間はお世話いたします。しかし、父上も母上も身罷ったのちは、この家も財産もすべて捨て、出家いたすつもりです。ですから、結婚などいたしません。」
と断ったのだ。両親はしつこく事あるごとに結婚を迫った。仕方がないので、ピッパリは黄金の女神像を作り、
「このような女性が現れたら結婚します。」
と両親に告げたのだった。それは、この世のものとは思えないほど美しい女性の姿をしていた。両親は、それでもあきらめず、
「このような娘を見つけたら、この黄金像は差し上げます」
といい、黄金像に似た娘を探すようにあらゆる人に頼んだのであった。
その甲斐あってか、あるバラモンが連れてきた娘は、その黄金像にうり二つだったのである。
自分で言い出したことなので、引っ込みがつかなくなったピッパリは、その娘と結婚することにした。その娘は、パドラーといった。初めての夜のこと、ピッパリはパドラーに言った。
「話があります。」
と。すると、パドラーも
「私も話があります。」
と困り顔で言い出したのだ。そこで、二人は、その話を手紙に書くことにした。
ピッパリはこう書いた。
「実は、私は結婚に興味がありません。両親が亡くなったら、出家するつもりです。ですので、寝所を伴にするわけにはいかないのです。ですので、早々にここを立ち去り、あなたにふさわしい相手を見つけてください。」
ピッパリは、この手紙をパドラーに渡し、パドラーの手紙を受け取った。お互いに手紙を読み、二人の眼は輝いた。なんと、パドラーの手紙にも
「私は結婚などしたくはありません。いずれ出家するつもりでした。ですので、私を追い出してください。」
と書いてあったのだ。二人は、
「なんだ、そういうことならお互いにふさわしい相手と言える。両親が亡くなるまで、夫婦の振りをしよう。」
ということに決めたのだった。
こうして、ピッパリとパドラーの夫婦生活は始まったのだが、当初の約束通り、それは普通の夫婦生活とは異なり、お互い指一本触れることのない清廉潔白な関係だったのである。
やがて、両親も亡くなったある日のこと、昼食後に
「そろそろ出家しようと思うのだが」
と同時に二人は口にしていた。
「どこまで行っても、我々は意見があうようだ。」
そして、二人はお互いに頭髪を剃りあうと、それぞれの部屋に入り、高価な衣服を脱ぎ棄て、出家者にふさわしい服装に着替えた。
「財産は、召使たちにすべて分け与えよう。彼らもこれで自由だ。そして我々も自由だ。何に縛られることもない。お互い、よい師を見つけようではないか」
ピッパリがそういうと、パドラーはうなずき、
「では、途中まで一緒に行きますが、ラージャグリハの二手に分かれる道でお互いに違うほうへ行きましょう。もし、よき師にめぐり会えたら、教えてください」
とピッパリに頼んだ。彼も
「もちろんだ。君もよい師を見つけたら教えてくれ」
と頼んだのだった。こうして、二人は共に家を出て、ラージャグリハの手前、二手に分かれる道の前まで来た。パドラーが選んだ道がラージャグリハから大きく外れる道であり、ピッパリが選んだ道が、ラージャグリハの街中へ通じる道だったのだ。このようにして、彼はラージャグリハへやってきたのであった。

「カッサパよ。さぁ、私の教えを聞くがよい。」
仏陀にそう言われ、カッサパことピッパリは、一人で仏陀の教えを聞くことになったのであった。それは、本当に特別なことだった。
つづく。


 66.教え
「あ、あの・・・あなた様は・・・、いったいどなたでしょうか?。身体がまるで黄金のように光り輝いているのですが・・・・。」
ピッパリは、恐る恐る尋ねてみた。
「恐れるなピッパリよ。私は仏陀である。この上ない覚りを得た者、世界の真理に目覚めた者である。仏陀となれば、身体が光り輝くのはごく自然のことだ。如来は、常に黄金の如く輝いているものである。普段は、それを抑えているだけである。このように・・・・。」
仏陀がそういうと、仏陀を覆っていたまばゆいばかりの黄金の輝きが少なくなっていった。しかし、それでも一般の人とは異なり、ほんのりと光り輝いていたのである。
「仏陀様・・・。伝説の聖者、仏陀様だったのですか。・・・・私は師を求めて旅に出たところです。あぁ、なんという幸運でしょう。旅に出たばかりで伝説の聖者・仏陀様に出会えるなんて・・・・。」
「汝が旅に出ることはわかっていた。この道を通ることも。だから、ここで汝を待っていたのだ。」
「私を・・・・。なぜ私を・・・。」
「それは教えを聞き、阿羅漢に達したならばわかるであろう。さぁ、真理を聞くがよい。」
こうして仏陀はピッパリに教えを説き始めたのであった。

日が沈み始めたころ仏陀は立ち上がり言った。
「明日も出会ったころの時刻に、この場所に来るがよい。」
そして、消え入るように去っていったのだった。ピッパリは、あとを追おうとしたが、身体が動かず、ただその場で五体投地するのみだった。しかし、仏陀の言葉は、ピッパリの心の奥底に残り、何度も繰り返し蘇ってきたのだった。
「す、すばらしい、すばらしい教えだ。・・・・。この教えこそ私が求めていたものだ。・・・・この世は常に流れている。一瞬たりとも同じではない。生まれた以上、すべては死に向かっている。だからこそ、この世は苦の世界なのだ・・・・。なるほど、たしかにそうだな。私が日々感じていた虚しさは、世は常ならず・・・というこを自然に知っていたからなのだろう。ただ、それを言葉で言い表すことができなったのだろう。漠然とした虚しさとして感じていたのだ。なるほど、よくわかった。今、理解できた。あぁ、なんという素晴らしい師に出会うことができたのだ。明日が楽しみだ。」
その日、ピッパリはその大木の近くの小屋を借りて休むことにした。
「明日は、早めにあの木の下に行って、師をお待ちしよう。私が出迎えるのだ。うん、そうしよう。」
ピッパリは、そう心にきめて休んだ。

が、翌日、どうしたことかピッパリが大木の下に行くと、仏陀はすでに来ていたのだった。
「す、すみません。遅くなりました。お待たせしてしまって・・・。」
「いや、待たせてはいない。昨日と同じ時刻に私は座ったまでだ。汝も昨日と同じ時刻に来ている。何も変わりはない。すべて自然に任せるのだ。導きに任せるのだ。無理に早くしようとか、早く来て待っていようとか考える必要はない。それが縁なのだから。」
「縁・・・・ですか。」
「そうだ、縁だ。汝と私が出会ったのも縁。過去世において、昨日、この場所で私と汝が出会う縁を作ったのだ。それは、汝が阿羅漢になればわかることである。さぁ、昨日の続きだ。」
仏陀は、そういうと昨日の続きの教えを説き始めたのであった。
「さぁ、明日もまたここに来るがよい。足の向くまま自然に任せよ。早く来よう、遅く行ってみよう、などと考える必要はない。自然の流れに任せればよいのだ。」
仏陀はそういうと、昨日と同じように消え入るように去っていった。ピッパリは、眼だけで追ってみたが、仏陀はどこをどう歩いて行ってしまったのか、いつの間にか見えなくなっていたのだった。
「それにしても・・・。」
ピッパリは一人呟いた。
「この世は常に流れ、我という者は本質的に存在しない。生まれから死に向かう世は苦の世界である・・・。知らず知らずのうちに人々は罪を犯し、真理を知ろうとせず六道に輪廻するのか・・・。今私がここにあるのも過去による何かがあったからだ。仏陀と出会える何かが過去世にあったのだ。なるほど、それはつまり、今という結果は過去の言動による原因によるものなのだろう。この世の現象すべてには原因がある、と仏陀は説かれた。それはつまり、どんなことにも必ず原因がある、ということだ。今現在、こうしていること、世の人々が様々な暮らしをしていることや悩み苦しんでいることには、必ずや原因が存在している、ということだ。そして、今ある現象も、原因になりうるということであろう。あぁ、そうかわかった。過去による原因のため現在の結果がある。また現在という原因により未来における結果があるのだ。す、すごい・・・・。時の流れはかくも雄大だったのか。なんという大きな流れなのだ。そうか・・・、それは宇宙ができあがったことが起因なのだ。それ以来、原因と結果は繰り返し行われているのだ。この先も続いていくのだ。しかし、いずれは滅する時が来るのであろう。すべては常ではなく、永遠ということはないからである。その中に私たちは生きているのか・・・・・。あぁ、人はなんというちっぽけな存在なのだ・・・。」
その日、ピッパリはよく眠れなかった。うつらうつらすると、宇宙を漂う自分があり、何度も何度も生まれ変わっている自分が出てきたのだった。そのたびに興奮して目覚めてしまったのだ。ピッパリは、夜空を眺めた。
「あの星の輝きも永遠ではないのだな。いや、遠い過去においては、輝いてすらいなかったかもしれない。星であっても、生まれては死んでいくものなのだろう。それは生命に関わらず、この世に存在するすべての物体・物質も同じなのだ。あの木も石も山も河も・・・・なにもかも永遠に存在することはないのだ。しかし・・・・仏陀は永遠だ、といった。永遠の存在もあると・・・・。あぁ、明日が楽しみだ。永遠の存在とはなんなのだろうか・・・。」
眼が覚めるたびにピッパリは考え込んでいたのだった。

翌日のこと、ピッパリは早く木の下へ行こうとも遅れていこうとも考えていなかった。きっと、自分が現れる寸前になれば、仏陀はどこからともなく現れるのだろうと思ったからである。自然に任せればよいのだ・・・・と。
なので、ピッパリはその日はラージャグリハの街を托鉢に出てみた。そうするとよい、と仏陀に言われていたのだ。
「托鉢・・・・いったいどうやってすればいいのだ?。」
そう思ってみていると、どこからともなく修行者がやってくるのが目に入った。彼らは、家々を訪ねては鉢の中に食べ物を入れてもらっていた。修行者は家の中の者に声を変えるわけでもなく、ただ戸口に立つだけだ。修行者が戸口に立つと、その家の者が皿に食べ物を盛ってくるのだった。それを鉢に入れてもらうのである。
鉢に食べ物を入れてもらった修行者は何も言わず、頭も下げず去っていった。そして、つぎの家の戸口に立った。しばらく待つが誰も出てこない。修行者は、表情一つ変えず、つぎの家の戸口に立った。その家も無反応だ。修行者は次へと進む。その家では、果物が施された。修行者は喜ぶでもなく、笑うでもなく、無表情に去っていった。
「なるほど・・・。あれが托鉢か。戸口に立って、家の者に声を掛けてはいけないのだな。声を掛けて無理やりに食事を頂いてはいけないのか。あぁ、それでは修行にはならないからだな。縁・・・そうか、縁だ。縁があればその家から食事が得られる。縁がなければ何も得られない。またその家の者は、縁があれば修行者に施しをし徳が積める。たまたま何か用事で修行者が戸口に立ったことに気付かなければ、徳が積めない。縁がなかったからだ。なるほど、だから修行者も食を得られなかったからと言って怒るでもなく、不満を垂れるでもないのだ。また、民衆に施しをする機会を与え、徳を積ませているのだから礼を述べる必要はないのだ。そうかこのことを教えるために托鉢があるのだ。
あ、待てよ・・・・。もし、物惜しみをしたらどうなるのだ。あぁ、あの家だ。あの家の者は物惜しみをしている・・・。」
ピッパリが見たのは、罵声を浴びせられている修行者だった。
「何度きたらわかるんだね!。あんたらに与える食べ物なんてない!。ちーっとも働きもせず、畑を耕しもせず、毎日毎日人の家の食べ物を貰って座ってばかりいるあんたらに、なんで食べ物をやらなきゃいけないの。帰ってちょうだい。私の目の前から消えてなくなってちょうだい!。」
その家のおばさんに怒鳴られた修行者は、何も答えず、まったく無表情で・・・・目だけは哀れみの目をしていたが・・・・去っていった。その様子を見てピッパリはつぶやいた。
「あの家の者は徳を積むことができなかった。修行者を罵ってしまった。あぁ、なんいう罪深きことよ。愚かなるかな、哀れなるかな・・・・。今日のことが原因となって次の結果を招くのだろう。もし、修行者があの家を訪ねなかったら・・・・。ふむ、托鉢も難しいものだな。」
意を決してピッパリは托鉢を試みたのだった。

ピッパリが木の下に行くと、当然のように仏陀が座っていた。
「托鉢はどうであったか。」
仏陀が尋ねた。ピッパリは、見たままを語り、自分の思いを語った。それは、原因と結果・・・・悪い原因には悪い結果が、よい原因にはよい結果が生じる・・・・ということだった。
「その通りだピッパリよ。善因善果・悪因悪果なのだ。この世は原因と結果でできている。そして、そこに様々な縁が絡み合ってできているのだ。原因があって、そこにいろいろな縁が作用して結果が生まれてくるのだ。善い原因に善い縁が絡めば最上の結果が生まれるであろう。しかし、悪い原因に悪い縁が絡めば最悪の結果となるであろう。最上の結果は、さらに徳を積めば再び最上の結果をもたらしてくれるであろう。しかし、最上の結果に甘んじて怠ることがあれば、次には悪い結果をもたらすこととなろう。最悪の結果の上にさらに悪を重ねれば、死王は黙ってはいまい。地獄の扉を開けて待っていよう。最悪の結果でも怠ることなく不平を垂れることなく、心を入れ替え努力すれば善き結果を招くことができるのだ。この世は原因と結果、そして縁が絡み合ってできているが、決して単調ではない。心の持ちよう、行動の仕方で大きく変わるものなのだよ。さぁ、今日も教えを説こう。」

その日も、仏陀は消え入るように去っていった。沈んでいく太陽を眺め、ピッパリは力強くつぶやいた。
「私が目指すべきものがはっきりした。覚りを得ることだ。六道輪廻から解脱し、無常の中での常、苦の中での楽、無我の中での我、不浄の世界での浄を得ることだ。なるほど、仏陀はその位置にいるのだ。仏陀は永遠であり、安楽であり、仏陀という我であり、清浄なる存在なのだ。なぜなら、仏陀は真理そのものだから。真理の具現者だからだ。あるようにある、という存在だからだ。私も仏陀の境地に至りたい・・・・。」
その日、ピッパリは静かに眠った。夢も見ないで・・・。

こうした日が7日間続いた。午前中はピッパリも毎日托鉢をして過ごしていた。午後からは仏陀の教えである。日に日にピッパリの表情は変わっていった。そして8日目の早朝のことだった。
その日、まだ夜が明けきらぬうちにピッパリは大木の下で瞑想を始めた。その瞑想は深いものだった。太陽が昇り始め、ピッパリを照らした。
「そうか・・・・。わかった。仏陀の説かれたすべてがわかった。そして、仏陀と私の関わりも・・・。今、私は目覚めた。」
「よくぞ達した。汝は阿羅漢となった。」
ピッパリの傍らには仏陀がほほ笑んで立っていたのだった。
つづく。


 67.戒律と布薩
一方、竹林精舎の中では、再び不穏な空気が流れ始めていた。
「この頃、世尊は昼過ぎになるといなくなるよな・・・。どこへおでかけなのだろうか・・・。」
「あぁ、そういえば、今日でもう5日間ほど続いているな。世尊はどこへ行っているんだろう。」
「まさか、世尊が遊び歩いている・・・・ってことはないよね。」
「それはないだろう・・・。だが、一人だけうまいものを食べに行っているとかはあるかもな。」
「おいおい、いいのかそんなことを言って・・・。」
こうしたうわさ話は、あちこちで聞かれるようになった。長老たちは、
「まただ・・・。どうも悟りを得ていない修行者たちはうわさ話が好きでたまらないらしい。困ったものだ。」
と悟りを得ていない弟子たちの扱いに困り始めていた。そこで、ある日の午後、主だった長老が集まったのだった。
「皆さん、弟子の指導に忙しい毎日と思われるが、困った問題がおきてきました。」
コーンダンニャ長老が話し始めた。
「悟りを得ていない者たちの間でうわさになっていることですかな?。それとも、悟りを得ていない弟子たちのうわさ好きのことですかな?。」
カッサパ長老が尋ねた。
「両方です。まあ、うわさ話のほうは、時が解決することでしょう。いずれ世尊から話があることでしょう。おそらくは、特別な弟子を導かれているのとだと思います。」
「僭越ですが、私も世尊は特別なお弟子様を導かれている最中だと思います。いや、そう感じます。」
「おぉ、神通力にすぐれたモッガラーナ尊者もそう思われるか・・・・。ならば、間違いなかろう・・・。」
「そうです、本当に困ったことは世尊に関するうわさ話ではなく、そうしたうわさ話に興じている弟子たちのほうです。彼らは、なかなか修行が進まず、最近ではダラダラとしている様子が見て取れます。」
「悟りを得た私たちが指導しているとはいえ、すべてを面倒見れるわけではないですしな・・・。目が行き届かないところもあるのは事実ですな。」
「最近では出家希望者も増えてきておるようじゃ。ここに来たはよいが、そのあとがどうもいかん。修行をやる気があるのかないのか・・・・。」
「心構えができていない者もいるようです。悟りを得るためにここに来たのではないような者もいます。」
長老たちは次々と問題点をあげていったのだった。
「問題点は、みなさんもよくわかっているようです。が、その対処方法です。どうしたらよいか・・・・。」
コーンダンニャ長老が他の長老に問いかけると、どの長老も
「う〜む、そうだなぁ・・・。」
と唸るばかりであった。

しばらくして、手を挙げる者がいた。サーリープトラであった。
「あの〜、一つ案があるのですが・・・。」
「おぉ、サーリープトラ長老、何かいい案でも?。」
「はい、規則を決めてはどうでしょうか。確かに、現在でも日の出とともに起き、臥具(寝具・・・薄い布一枚であった)を片付け、沐浴・洗顔などをし、托鉢に出て、食事は午前中にのみして、午後は主に長老様から教えを聞いたり瞑想をし、日の沈むころに寝る準備をし、就寝する・・・という規則があります。しかし、それは単純な生活の規則だけです。そうではなく、『やってはいけないこと』を決めておく必要があるのではないかと思うのです。」
「ほう・・・、なるほど・・・・。たとえば、どんな決まり事があるかね?。」
「はい、たとえば・・・、他人の悪口は言わないとか、殺生をしないとか、他の者を邪魔しないとか、修行以外の話はしないとか・・・・。」
「あぁ、そうか、そうか・・・。そうした規則を作るわけだな。なるほど、それで『やってはいけないこと』か。」
「はい、そうです。とりあえず、うわさ話に興じない、という決まりが必要かと思いますが・・・。」
「ふむ、さすがに智慧者のサーリープトラ長老だ。いい案ですな、それは。コーンダンニャ長老、如何かな?。」
「そうですね、いい案です。では、みなさんにどんな規則が必要かあげてもらいましょう。で、それを世尊に報告しましょう。世尊が許可くだされば、その規則をここで生活をする皆の者に適用することにしましょう。」
長老たちは、コーンダンニャの提案に賛同したのだった。

「やってはいけない」ことは、いくつか出された。
「殺生しない。他の者の生活用具を取らない。他の者の修行を邪魔しない。悪口は言わない。うそはつかない。うわさ話に興じない。正しい言葉を使う・・・・。とりあえず、こんなところですか?。他にはありますか?。」
「あります。就寝時以外、横にならない・・・というのを入れてください。私が指導をしている班の中に、すぐに横になりたがる者がいるのです。私がそれでは修行にならないと注意すると、『お言葉ですが、横になっていても瞑想はできます』と理屈を言うのです。確かに横になっていても瞑想はできますが、どう見ても彼は瞑想をしているわけではありません。横になって休んでいるのです。これでは修行になりません。ですので、『就寝時以外、横にならない』という規則を入れてください。」
他の長老から異議はなく、この規則が認められた。
「私もあります。托鉢時に余分に食べ物を頂かない、という規則を加えてください。私が指導している班の弟子の中に、托鉢の鉢に山盛りに食べ物を頂いてくる者がいます。それをすべて食べるのならまだしも、半分ほど食べてあとは捨ててしまうのです。これでは、修行になりません。むしろ、罪です。貪りの心が捨てられません。ですので、『托鉢で得る食事は、自分が食べられる程度にし、余分に食べ物を頂いてはいけない』、という規則を入れてください。」
「こんなことは、当たり前のことなんだが、それすら分からない弟子が出てきているんですねぇ・・・・。」
長老たちは、そう嘆きながらも、その規則を取り入れた。
さらに話し合いを重ね、いくつかの決まりができ、コーンダンニャが長老を代表して仏陀に伝えることとなった。

その日の夕刻、仏陀はいつの間にか竹林精舎に戻っていた。
「世尊、御戻りでしたか。」
「コーンダンニャ、何か用ですか?。」
「はい、このところ悟りを得ていない弟子たちが騒ぎ出していまして・・・・。」
「私が午後より出掛けていることに関してですね。」
「はい、長老たちが、よく話をしているのですが、弟子同士の間で、無駄なうわさ話に興じる者が出てきまして。」
「ふむ、それで新しい規則を作ることにでもなりましたか。」
仏陀の言葉にコーンダンニャは驚いたが、仏陀が何もかも見通していることはすぐに理解したのであった。
「はい、その通りです。『やってはいけないこと』を決めてはどうだろうか、ということになりました。うわさ話だけでなく、修行を怠る者も出てきています。注意しても屁理屈をこねるような者も出てきました。そこで、修行者すべてが守るべき細かい規則を作ってはどうか、ということになったのです。」
「ふむ・・・・。本来は、そんな規則などなくても修行ができなくてはならぬだが、これだけ人が増えては仕方がなかろう・・・・。集団になれば、程度の高い者も程度の低い者と合致してしまうことがある。集団の場合、程度の低い者に精神的な考えがあっていってしまいがちだ。ふむ、この際、そうしたことを防ぐためにも細かい規則は必要であろう。」
「それでは、規則を制定することはよろしいですね。」
「ふむ、許可しよう。それで、どのような規則が出されたのだね?。」
「各長老と話し合ったところ、次のような規則がどうだろうかということになりました。
一つ、殺生をしない。これには暴力を振るわない、ということも含まれます。
一つ、争い事をしない。もめ事が起きた場合は、長老に相談し、話し合いで解決を図ること。
一つ、他の修行者の所有物を盗らない。これには、他の修行者の修行時間を盗らない、ということも含まれます。
一つ、うそをつかない。
一つ、悪口を言わない。他者をむやみに批判、非難しない。
一つ、うわさ話に興じない。うわさ話を持ちかけられても乗らないで注意すること。
一つ、正しく、優しい言葉遣いをすること。乱暴な言葉、街中で使われているようなふざけた言葉は使わない。
一つ、就寝時以外、横になってはならない。なお、病気の場合はこの限りにはあらず。
一つ、たち振る舞いをゆったりとする。そそくさと慌てないで、落ち着いた行動をすること。
一つ、托鉢時には、食べきれないほど托鉢をしない。托鉢したものは残さず、すべて食すること。
一つ、病気の者があった場合、積極的に看護すること。
と、以上、このような案が出されました。」
「このようなことを規則として決めなければいけないということは、大変残念なことだ・・・・。しかし、やむを得ないだろう。」
「はい、そう思います。長老をはじめ、悟りを得かけている者たちにとっては、このようなことは当たり前のことなのですが、悟りの入口すら見えぬものや修行に慣れ過ぎてしまっている者にとっては、必要になようです。残念なことですが・・・・。そのほかに、世尊からなにかこうしたほうがいいということはございますか?。」
「ふむ・・・。この決まり事だが、守っているかどうかはどう判断するかね?。もし、規則を破ったものを見つけた場合、どうするかね?。」
仏陀の言葉に、コーンダンニャは
「はぁ・・・、とりあえずは長老が注意をするということでいいのではないかと・・・・。」
「それでも修まらなかったならば如何とするか?。」
コーンダンニャは答えに窮していた。

「ひとつ提案をしよう」
仏陀が優しく言った。
「毎月2回、反省会を開くがよい。」
「反省会ですか?。」
「そうだ。すべての弟子の前で、自ら犯した罪があれば懺悔(さんげ)するのだ。自分で告白するのだよ。」
「竹林精舎のすべての弟子の前で、決まり事を犯していないかどうか、自ら告白するのですね。」
「そうだ。そして、弟子たち皆でその罪が許されるかどうかを考えるのだ。許されないならば、何か罰則を与えることにもなろう。もちろん、その罰則は暴力的であってはならない。掃除をするとか、皆の世話をするとか、設備の修繕ををするとか、皆の役に立つようなことをさせればよい。」
「罪を見つけた長老たちも報告をしたほうがよろしいですね。」
「そうだな。長老たちや他の修行者が、決まり事を破っている者を見つけた場合、注意をしたうえで懺悔の会の日に報告するがいいであろう。」
「わかりました。そのように他の長老たちにも報告します。」
「ふむ・・・。これよりは、決まり事を『戒律』とよび、戒律違反をした者がいるかどうかを問う懺悔の会のことを『布薩(ふさつ)』と呼ぶがよい。そして、それは毎月1日と15日に行うがよい。」
仏陀は、悲しそうな顔をしてそうコーンダンニャに指示したのであった。コーンダンニャには、仏陀の哀しい気持ちがよくわかったのであった。こんな決まり事を作ること自体、悲しいことなのである。
「わかりました。他の長老にも伝えます。そして、すべての弟子を集めて『戒律』の制定と『布薩』の会の開催を伝えます。」
「ふむ。今後、戒律がこれ以上増えなければいいのだが・・・・、そうはいかないだろう。人間という生きものは、愚かなものだから・・・・。」
仏陀の目は、遠くを見つめていたのであった。

翌日の午前中、コーンダンニャは他のすべての長老たちに仏陀の言葉を伝えた。そして、その日の午後には、すべての修行者が集められ、戒律と布薩の制定が伝えられた。コーンダンニャは
「こうした戒律を窮屈に思う者は、修行を止めてこの精舎を去ってもよろしい。ここに残る者は、すべて悟りを目指す者だけですから。」
と伝えた。この言葉に、それまで修行を怠っていた者や、うわさ話に興じていた者は、深く反省したのであった。したがって、精舎を去る者は一人もいなかったのである。
こうして、新しい規則・・・戒律・・・のもとでの修行が始まったのであった。修行者たちの表情が引き締まったことは確かであった。
つづく。



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