ばっくなんばー19

79.ラーフラ
仏陀たち一行は、宮中の広い庭に入った。庭には全員が座れる場所が用意してあった。仏陀たちは、静かに広い庭の中、輪になった状態で座ったのだった。
そこへシュッドーダナ王が現れた。
「よくいらして下さった。今日は、ゆっくり食事をされるがよい。そのあと、ここに集った人々に教えを説いてください。午後からは、一般の人々・・・・身分を問わず・・・・にも、この庭を解放しようと思う」
「国王、それはよいことです。では、午後からは教えを説きましょう」
仏陀たちは、シュッドーダナ王のもてなしを受けた。国王は、食事をしている仏陀に近付いてきた。その後ろには、青年が一人ついてきていた。
「食事中申し訳ないが・・・・、久しぶりであろう、弟のナンダだ」
国王が連れてきていたのは、異母弟のナンダだった。
「お久しぶりです、お兄様。いや、失礼しました、仏陀様。私は、仏陀様を礼拝します」
ナンダはそういうと、仏陀の足に額をつけた。仏陀に帰依したという証である。
「久しぶりだ、ナンダ。立派に成長したようだ」
そういうと仏陀はナンダを見つめた。そして、
「今日の夕方でもいい、ニグローダ樹林に来なさい」
とナンダに告げた。少々驚いたナンダではあったが、久しぶりに再会したので、何か話があるのだと思い、
「はい、わかりました。私にも山ほどお話したいことがあります。夕方に、ニグローダ樹林に伺います」
と答えたのだった。その答えに仏陀は微笑したのだった。


食事を終えた仏陀たちは、口をすすぐと、仏陀を中心に左右に分かれて、仏陀を囲むようにして座った。仏陀たたちの前には、多くの人々が座っていた。
「人々よ、よく集った。今から、この世の真理を説き話そう。人々よ、この世は苦の世界である。この世には苦が満ち満ちている。皆の元に平等に苦が訪れるのだ。それはどんな苦か?。まずは老いる苦がある。生ある者は必ず老いる。老いることは苦しみだ。腰は曲がり、眼もよく見えぬようになり、耳も聞こえなくなり、口もうまく回らなくなる。人々からは邪魔にされ、厄介者として扱われる。誰も老いたくはないのに、老いてしまうのだ。老いたくない、と思っても老いは必ずやってくる。老いという苦は、誰も逃れることはできない。
次に病の苦がある。病に罹らぬ者はいない。誰もが病に罹るものだ。病に罹れば苦しいし、つらい。いくらお金があっても、いくら身分が高くても、病の苦しみからは逃れられない、病に罹るかもしれないという恐怖からは逃れられないのだ。
次に死がある。死は誰にとっても恐怖だ。恐怖することは苦しみである。誰もこの恐怖、苦しみからは逃れられないのだ。
愛するものと別れることは苦しみである。また大切にしていたものを手放すことは苦しみである。憎い相手と出会わねばならぬことは苦しみである。どんな者も一人や二人は嫌な相手がいるものだ。そうした相手と出会うことは苦しみである。欲しくても手に入らない、望んでも叶わないことは苦しみである。欲しいものがない、望みがないものなどいない。がしかし、望めば何でも手に入るわけではない。欲しいものがすべて手に入るわけではない。欲しくても、望んでも手に入らぬものがあるのだ。それは苦しみである。心と体の調和が崩れることは苦しみである。理性とは裏腹に身体が燃えたぎり、もやもやイライラしてしまい、これを耐えることは苦しみである。精神と身体は必ず調和がとれているとは限らないのだ。それが崩れることもある。それに耐えることは苦しみである。いや、耐えなくても思い煩うであろう。それは苦しみであるのだ。
では、こうした苦しみはなぜ生まれるか?」
人々は、仏陀の話を真剣に聞いていた。誰もが、神妙な顔をしていた。そして、
「なぜ苦しみは生まれるのだろう・・・・」
と考えていたのだ。
「わかる者はいないか?」
仏陀の問いかけに、誰もが首を横に振った。
「答えは簡単である。この世に生まれたからだ」
その答えに、「あぁ」という声が流れた。
「では問う。なぜ、この世に生まれたか?」
誰もが、わからぬ・・・という顔をしていた。
「それは、この世に生まれる原因を作ったからだ」
人々の顔には、疑問の表情が見て取れた。
「この世に生まれた原因とは何か。それは行為である。この世に生まれてこなければならない行為を行ったが故に、この世に生まれてきたのだ。すなわち、汝らここに集う人々およびこの世に生を受けた一切の生き物、これらはみな、この世に生まれてこなければならない行為を前世おいて行ってしまったがために、この世に生まれてきたのである。
たとえば、前世において殺生をした者は、この世ではノミのような小さな忌み嫌われる生き物として生まれてきていよう。前世において殺生したがために、この世で簡単に生を奪われてしまう生き物となったのだ。たとえば、前世おいて窃盗をした者は、この世ではきわめて貧しく、他者から盗まれるとういう生活を送らねばならぬであろう。前世おいて乱れた性生活で快楽を味わった者は、自分の妻や夫、子供が乱れた性生活をし、苦しめられることになろう。あるいは、異性に縁のない生活を送ることになろう。前世において極めて口汚く他者の悪口を言った者、言葉により他者を深く傷つけた者、言葉により他者の生活を乱した者は、言葉で苦しみを受けることとなろう。貪欲だった者は餓鬼となり、他者を妬んだ者、怨んだ者、怒り狂った者などは、それに応じた苦の生活を余儀なくされるであろう。
今、あなたたちが受けている苦しみは、この世に生まれたがためであり、その原因は過去世における行為によるものだ。過去世における行為が善き者は天界へ生まれ変わることもできるし、この世界で安楽な生活を送ることもできよう。過去世における行為が悪かった者は苦しみが増大するのだ。
今こそ、この苦の輪廻を断ち切るときなのだ。正しい生活を送り、正しい行為をし、正しい言葉を使い、正しい心を持てば、輪廻を抜け出すこともできる。
この世は苦の世界である。苦には原因がある。その原因を滅すれば安楽を得ることができる。その方法を私は説いているのだ。集う者よ、今こそ苦の原因が欲であり、己の愚かさであることを知り、苦の原因を滅することにより、安楽を得るのだ。輪廻を断ち、生老病死の苦から解脱し、安楽を得たいと思う者は、ニグローダ樹林に来て、修行するがよい。
出家はできなくとも、天界への生まれ変わりを望む者は、日々の生活を正しくするがよい。そうした者には、五つの戒を授けよう。すなわち、殺生をしないこと、窃盗をしないこと、性において乱れないこと、嘘をつかないこと、酒を飲まないこと。この五つの戒めを守れば、天界へと生まれ変わることができよう。
己の欲を知り、その欲をよく制御することである」

仏陀の教えを聞いた人々は、正しい生活を送ることを誓ったのだった。また、そこに集まった人々の中には、
「出家して輪廻から解放されたい」
「修行をしたい。ニグローダへ行こうと思う」
と言いだす者も現れた。あるいは、在家のまま、仏陀の教えを守りたい、と望む者も多く現れた。あちこちでボソボソとそのようなことが囁かれ始めていたのだった。
そんなとき、宰相が
「静かに・・・、静かにしなさい。国王から話があります」
と告げた。
静々とシュッドーダナ王が仏陀の前に進み出た。そして、深く礼拝してから人々の方へ向き直った。
「今日は善き日であった。真理を聞くことができた。大変嬉しく思う。そして、我ら釈迦族から仏陀が誕生したことを私は誇りに思う」
その言葉に人々は大きくうなずいた。
「仏陀様の話を聞いて、自分も出家したい、と思ったものも多いことであろう」
多くの者がうなずき、人々の間には、「おう」、「そうだ、そうだ」という声が流れた。その声を聞いて、国王もうなずいた。
「やはりそうであろう。そこでだ、このように定める。各家庭から原則として一人は出家させること。兄弟が5人以上ある家庭は3人を出家させよ。3人から4人の家庭は2人、2人の家庭ならば1人が出家せよ。ただし、男子一人きりの家庭は出家させてはならぬ」
その言葉に、多くの者が歓喜の声を上げた。
「よろしいかな、仏陀様」
国王は仏陀を振り返って、確認をした。仏陀は何も答えなかった。それは承諾したことの証だった。
「仏陀様もこの案を認められた。では、明日の午後から順にニグローダ樹林の精舎に集うようにせよ。次に、在家の信者を望む者は、仏陀様が説かれた、五つの戒めをよく守るように心掛けよ。以後、この五つの戒めを守らぬ者は、釈迦族の恥であると知るがよい」
宮中の庭に集まった人々からは、歓声が上がったのだった。

宮中の庭での法話も終わり、仏陀たち一行が城外へ出ようとしたところであった。門のところに豪華な装飾品をつけた女性が立っていた。女性の横には幼い子供がいた。また、女性の周りには、女官らしきものたちが取り巻いていた。
「シッダールタ様」
その女性は仏陀に声をかけた。そう声をかけられた仏陀は、何も答えずその場を通り過ぎようとした。
「待ってください。この子は、あなたの子です。そう、私はヤショーダラー。まさか、お忘れではありますまい?。この子は、あなたが命名したラーフラです」
仏陀はラーフラと紹介された子供を無言で見たのだった。


80.国王の怒り、再び
仏陀に「シッダールタ様」と声をかけた女性は、仏陀が王子であった頃の妻、ヤショーダラーだった。ヤショーダラーは、傍らにいる男の子の頭の上に手を置き
「この子は、あの時の子です。覚えているでしょ。あなたは、子供ができたのに喜びもせず、ラーフラ(障害)ができたと嘆いていた。その上、私たちを捨てて城を出ていったのです・・・・」
怨みのこもった眼で仏陀をなじった。仏陀は何も答えず、ただヤショーダラーとその傍らに立っている男の子を眺めた。
ふと、ヤショーダラーが笑った。
「うふふふ。でも、もういいのです。もう怨み事を言っても仕方がありません。あなたは、このような立派な仏陀になられた。もう私たちの手の届く存在ではないでしょう。そう、もういいのですよ、私たちを捨てたことなど・・・・。それよりも・・・、もうこの子は6歳になりました。王家の一員として貴族の学校にも通うようになります。その意味はおわかりですね」
そういうと、ヤショーダラーはラーフラに顔を向け、
「さあ、お父様に会ったらいうことがあったでしょ。あの方があなたのお父様よ。さあ、あの方に言いなさい。言えるわよね、ラーフラ」
とラーフラに言った。ラーフラは、ヤショーダラーの顔を見てにっこりとほほ笑んでうなずいた。
「いい子ね、ラーフラ。さぁ、言いなさい」
ヤショーダラーの言葉に、ラーフラは仏陀を真っ直ぐ見て言った。
「お父様。あなたの財産をすべて私に与えてください。私はあなたの相続人です」
その言葉に周囲にいた大人たちは驚いた。人々の反応はそれぞれだった。
「そりゃそうだな、王位継承をしなければラーフラ王子は王になれないからな」
という反応が多かったが、残りは
「何を言っているんだ、仏陀に対して失礼だろう。ヤショーダラー妃は一体何を考えているんだ。だいたい、つぎの王は、ナンダ王子に決まっているじゃないか」
という意見だった。お互いに小声で話し始めた周りの大人たちのため、仏陀の周囲は騒然とし始めていた。しかし、仏陀と仏陀の弟子たちだけは、何も言わず、何も語らず、ただただ佇んでいた。
「どうなのですか、この子にあなたの王位を相続させてくれるのでしょうか」
ヤショーダラーの一声に周りが静かになった。ふと、仏陀はほほ笑んだ。
「よろしい。私のすべてラーフラに相続しよう。そのためには儀式が必要だ。その儀式を行うため、ラーフラを連れて行こう。シャーリープトラよ、この子をニグローダ樹林まで連れて行って下さい」
そういうと、仏陀はさっさと城門を出て行ってしまったのであった。シャーリプトラも、
「さぁ、おいで。私と一緒に行きましょう」
とラーフラを連れて城門を出てしまった。そのあとには、仏陀の大勢の弟子たち、出家を望む者が続いた。
「待って、待ってください。私はどうすれば・・・・。儀式って、どういう意味ですか」
ヤショーダラーの叫び声は、虚しく響いただけで仏陀には届かなかった。

その様子を見ていたダイバダッタとその仲間たちは
「おいおい、ラーフラに王位を譲るみたいじゃないか。ダイバダッタ様の予想も大外れだな」
「あぁ、ううん・・・・。そうかもな・・・・」
「どうしたんだダイバダッタ。いつものお前らしくないじゃないか」
「うん、そうだな・・・・。いや・・・・しかし・・・・」
「なんだ、どうしたダイバダッタ」
「仏陀ともなると大勢の弟子がいるんだなぁ・・・、と思ってな」
「あぁ、ニグローダ樹林に滞在しているだけでも数百人ってことだ。この国からも出家者が大勢出るだろうから、弟子の数は千人を超すだろう。マガダ国にはもっと大勢の弟子たちがいるそうだから・・・・まあ、そのうちに数千人の弟子になるんじゃないか。このままだとその日も近いだろうな」
「そうだろうな・・・・。しかし、仏陀とは何とも素晴らしい。仏陀ともなると、あのように光り輝いて神々しくなるものなのか・・・・」
「あぁ、そうなんだろうな。到底俺たちにはかなわないことだけどな」
仲間の言葉など聞いていないのか、ダイバダッタは独り言のようにつぶやいた。
「それに・・・・」
「それに?」
「それに、あの弟子たちは・・・・あれで悟っているのだろうか。しかも・・・・」
「どうしたのだ、ダイバダッタ。さっきから何をうなっている」
「あぁ、そうだな・・・・。ちょっと一人にしてくれないか。考えたいことがあるんだ」
ダイバダッタはそういうと、一人でさっさと宮中の中へ入っていったのだった。ダイバダッタの心の中に何かが目覚め始めていたのだった。

その日の夕方のこと。仏陀たち一行はニグローダ樹林に戻ってきた。仏陀がシャーリープトラに告げた。
「シャーリープトラよ、この子ラーフラを出家させよ」
「よろしいのですか?」
「もちろんだ。望みどおり、私のすべてを継いでもらおう。悟りの境地を」
「わかりました。では・・・・」
そういうと、シャーリープトラはラーフラを出家させたのであった。
「ラーフラ、これよりはシャーリープトラを師と仰いで、いろいろ教えてもらうがいい。シャーリープトラよ、ラーフラを頼む。ただし、私の子供だからと言って、特別扱いはしてはならぬ。どの弟子も平等であることを忘れないように」
「わかりました。さぁ、ラーフラ、こちらにきなさい。他の弟子の皆さんに紹介しよう」
そういうと、シャーリープトラはラーフラを皆が休んでいる場所に連れて行ったのであった。

しばらくしてナンダがニグローダ樹林にやってきた。
「言われたとおり来ました。ナンダです。シッダールタ兄さん、いや、仏陀様、私に何かお話があるのでしょうか」
ナンダは、仏陀に言われたとおり、ニグローダ樹林にやってきたのだった。
「よく来たナンダ。さぁ、ここへ座るがいい」
仏陀にそう言われ、ナンダは仏陀の正面に座った。
「お久しぶりです。何年ぶりでしょうか・・・・」
そう話し始めたナンダの言葉は無視し、仏陀は静かにほほ笑んでいた。その様子をいぶかしんだナンダは
「なんなのですか・・・・。いったい何を・・・・」
「ナンダ、今日から汝は我が弟子だ。出家しなさい」
「ちょ、ちょっと待ってください。私は近々結婚式を控えているのです。それにカピラバストゥの王位も継がねばならない・・・・・、あ、何を・・・・」
慌てふためくナンダを神通力で動けなくしてしまった仏陀は、ナンダの髪の毛を剃り落としてしまったのだった。
「そ、そんなぁ・・・・・。なんてことを・・・・ひどすぎる・・・・」
なんと仏陀は無理やりナンダを出家させてしまったのであった。そして、身に着けていた王家の衣装をすべてはぎ取ってしまい、出家者が身に着ける袈裟を身に着けさせたのだった。
「今は私を怨むかも知れないが、やがて出家したことを喜びに思うであろう。ナンダ、汝はカピラバストゥにいてはいけないのだ。その意味もやがてわかるときが来よう」
ナンダは、仏陀の余りの仕打ちに何も言えず、ただ呆然としていたのだった。
(こ、これでは宮中には戻れない。髪の毛がないのだから・・・・。これでは門番の誰も私とは気がつかないだろう・・・・。なんてことを・・・・なんてことを・・・・・。あぁ、私はなんて不幸なんだ・・・・)
ナンダはいつまでも泣いていたのだった・・・・。

深夜のこと。ナンダは、ニグローダ樹林からの脱走を試みた。
(髪の毛はなくとも、身なりは出家者のようになっていようとも、ちゃんと話せば自分がナンダということがわかるはずだ。ともかく、ここを出なければ・・・・)
ナンダは音をたてないように、真新しい精舎をこっそりと抜け出た。ふと、ラーフラのことが気になったが、子供連れでは足手まといであることを思い、一人精舎を抜け出したのだ。
足音のしないよう、密やかにニグローダ樹林を歩いて行った。しかし、いつまで歩いても出口が見つからない。
「おかしいな・・・どこで道を間違えたのだろうか。間違えるはずはないのだが。ここは一本道だ。樹林の出口へ行くにはこの道しかない。もうそろそろ出口が見えてもいいはずなのだが・・・・」
ナンダは歩き続けた。出口のないニグローダ樹林の中を一晩中歩き続けたのだった。
「あぁ、夜が明けてしまった。結局、外に出ることはできなかった・・・・」
仏陀や弟子たちが、起床し始めた。ナンダはその姿を横目で見ながら、ゆっくりと倒れこんだのだった。

その日の昼ごろのこと、宮中は大騒ぎであった。ナンダの姿が見当たらない上に、ニグローダ樹林に連れて行かれたラーフラも戻っていないのだ。シュッドーダナ国王は慌てふためいていた。
「一体どういうことなのだ。ナンダはどこへ行った!。ラーフラはなぜ戻ってこない!」
国王の問いかけに宰相が答えた。
「国王様、只今調べたところ・・・・ナンダ王子もラーフラ王子もそのまま出家させられニグローダ樹林に滞在しているらしいとのことです」
「な、なんだと!・・・・・ど、どういうことなのだ!。ナ、ナンダは近いうちに結婚式が控えているのだぞ。しかも、この国の王となる予定だ。そのあとを継ぐのはラーフラだろう。その二人がなぜ出家など・・・・・。どういうことなのか、わかるように説明しろ!」
国王は、顔を真っ赤にして叫んだのだった。その勢いに宰相はおろおろして答えたのだった。
「は、あの、どうか落ち着いて・・・これにはその・・・・仏陀様が・・・・」
「仏陀がどうしたというのだ。・・・・まさか仏陀が・・・・。そうなのか。無理やり二人を出家させたのか?」
「どうやら・・・・そのようでして・・・・」
「なんということだぁ〜、おのれシッダールタ!、どこまでワシを苦しめるのか・・・・。あやつはいったい何を考えておるのだ・・・・。おのれぇ・・・・」
シュッドーダナ国王は頭をかきむしって叫んだ。
「今すぐ出かけるぞ。行先はわかっておるな!」
「お出かけになるのですか?。まさかニグローダ樹林に・・・・」
「当たり前だ!。これが黙っておられるかっ!」
「しかし、今頃は出家者が殺到していて・・・・」
「そんなことは関係ない!。どうでもいいことだ。今すぐニグローダ樹林に向かう。用意せい!」
そう叫ぶと、シュッドーダナ王は玉座を駆け下り、宮中の外へと出て行ったのだった。宰相は慌てて
「馬を、馬車をすぐに用意せよ!」
と叫んでいた。
馬車はすぐに用意され、怒れるシュッドーダナ国王は即座の乗り込んだ。
「急げ、急いでニグローダ樹林に向かうのだ」
土ぼこりをあげ、馬車は駈け出して行ったのだった。


81.五〇一番目
シュッドーダナ王の乗った馬車は、脱兎のごとく走って行き、ニグローダ樹林に到着した。馬車が停まるや否や、国王は素早く馬車を降りた。が、しかし、ニグローダ樹林の中には到底入れるものではなかった。なぜならば、出家を希望するもので、樹林があふれかえっていたからだ。
「な、なんということだ・・・・。えぇ〜い、腹が立つ・・・・。こ、こいつらをどかす・・・・わけにはいかんのか・・・・」
国王は、頭を抱え怒りをこらえた。
「国王様、ここはいったん宮中に戻り、出直してまいりましょう。明日、いや明後日には、出家希望者も落ち着くでしょう」
国王の馬車を急いで追いかけてきた宰相が、そう進言した。シュッドーダナ王は、横目で宰相を睨みつけると
「言われなくてもわかっておるわ!。忌々しい・・・・」
と絞り出すような声で言った。そして
「よいか、仏陀に伝えろ。ナンダとラーフラのことで抗議する、とな。事と次第によっては、このニグローダ樹林から出て行ってもらうと・・・・」
「そ、それは・・・・、国民の反発を買うのではないかと・・・・」
「バカな!。次期国王のナンダが無理やり出家させられたのだぞ。ラーフラに至ってはまだ6歳だ。国民だって、ワシの気持ちがわかるだろう。よいか、必ず仏陀に伝えろ、わかったな」
国王はそういうと、馬車に乗り込み、
「城へ帰る」
と叫んだ。馬車は、急発進して城へと向かった。残った宰相は、どうしたものかとその場にたたずんでいたのだった。
その時だった。どこからか声が聞こえてきた。
「国王の言葉、確かに聞いた。明後日には宮中に向かうことにしよう。国王には、そのように言うがよい」
「だれ?、どこに・・・・?。いや、この声は・・・・仏陀様・・・・。そうなのですか?。仏陀様なのですか?」
宰相は、慌てて周りを見回したが、そこには誰もいなかった。
「ま、まさか・・・。いや、しかし、確かにあの声は仏陀様の声・・・。うん、そうだ。信じよう。聞こえたとおりに信じよう。城へ帰り、国王に伝えよう。ありのまま伝えよう・・・・」
宰相は自分に言い聞かせるようにそう言うと、「うん」と気合を入れて馬車に乗り込んだ。馬車は、ゆっくりと城へ向かって走り出した。

国王が、怒り狂ってニグローダ樹林に乗り込んで来た日の前日のこと。国王の命により、各家では誰が出家するかということで話し合いがもたれていた。しかし、それは出家を嫌がるのではく、誰もが出家を望んでいたためにもたれた話し合いだった。そうして、あくる朝には500人ほどの者が出家することとなったのである。
彼らはみな、出家するために理髪師ウパーリのところへ行った。髪を切るためである。当時のインドでは、理髪師は身分の低い職業であった。出家を希望する誰もが、ウパーリの元へ行き、
「私たちは出家することとなった。お前は出家はしないだろう。だから、お前にこれをあげよう」
と言って、身に着けていた宝飾類や高価な衣装をウパーリに与えていった。それらは、ウパーリにとっては、これまで決して手にできないものばかりであった。
「こ、こんな高価な物を・・・・私には分不相応です」
ウパーリはそう言ったが、
「いや、我々には不要なものだから」
と誰もがいい、ウパーリに渡したのだ。ウパーリは考えた。
(誰もがこんな高価な物を私に与えてまで出家を望む。出家とはそれほど素晴らしいことなのか・・・。昨日、私は仏陀様のお話を聞けなかった。身分が低い者だからと言われ、入口にすら近づけなかった。しかし、今日になって誰もが、私に高価な物を与える・・・・。わからない・・・・出家することはそれほど素晴らしいことなのか・・・・・)
ウパーリは、出家を望む者の髪を切りながら、考え続けたのである。そして
(そうだ。私も出家しよう。高価な物を私がもらっても使い道がない。これら高価な物をすべてお金に換えても、私の身分は変わらない。ということは、いくらお金を持っていても手にできる品物は少ないだろうし、食料も売ってもらえるかどうかわからない。身分は変わらないのだから。もしかすると、私のような身分の者が、こんな高価な物を持っていると、盗んだと疑われるかも知れない・・・・。おぉ、そうだ。きっとそう思われる。お前のような身分の者が、そんな高価な物を持てるはずがない、と言われよう。いくら、もらったものだ、と主張しても信じてもらえないだろう。誰もが、私を蔑んできたのだから、誰もこのような高価な物を私に与えるなどと思わないだろうから・・・。ということは・・・・きっと私は捕まってしまうに違いない。捕まって牢獄に入れられる。あるいは、処刑されるかもしれない・・・。それは、今よりもつらいことだ。理髪師であるほうがまだましだ・・・・。あぁ、なんてついていないんだ。高価なものをもらったおかげで私は処刑されてしまうかも知れないのだ。そうだ、やはり、私も出家しよう。全員の髪を切り終えたら、自分の髪を切り、ニグローダ樹林に走ろう。一番最後でいいから・・・)
そう考えながらウパーリは500人もの髪を切った。そして、最後に自分の髪を切り落としたのだった。そして、500人の者が置いて行った高価な宝飾類や衣装などを家の近くの木につるし、ニグローダ樹林に走っていったのだった。

ニグローダ樹林には長い列ができていた。
「まだ出家させてはもらえないのか?」
「仏陀様が、まだ瞑想されているらしい。だから、ここで並んで待っているようにとのことなのだ」
「そうか・・・・。しかし、いつまでも待つぞ。出家できるのならな。私も仏陀様のように悟りを得たいのだ」
列をなしていた者たちは、そう囁き合っていた。中には、じっと黙って佇む者や、その場で瞑想をする者もいた。
「お待たせいたしました。これより出家の式を始めます」
そう言ったのは、シャーリープトラであった。待っていた人々は、ようやく出家の儀式を受けることができるようになったと誰もが喜んだ。しかし、つぎのシャーリープトラの言葉に誰もが首を傾けた。
「順に奥へ進んでもらうのですが、一番最後の者が一番はじめに出家の式を受け、戒律を授かります」
「一番最後の者?。どういうことだ」
「なんでわざわざ最後の者を・・・・」
待っていた者たちはざわつき始めた。
「これは世尊・・・仏陀様の命です。最後の者、前へ来なさい」
「最後って誰だ?」
「誰が最後なんだ・・・」
皆が後ろを振り向いた。列の最後尾に立っていたのは、ウパーリであった。
「ウパーリだ」
「ウパーリが最後だ」
「なんでウパーリが・・・・」
多くの者が疑問を口にした。しかし、中には
「なるほど、そういうことか・・・」
「そうか・・・さすが仏陀様だ。釈迦族の癖をよくご存知だ」
という声も混ざっていた。当のウパーリは
「私が一番はじめに奥へ進むのですか?。私は五〇一番目ですが、いいのでしょうか。しかも、私は身分の低い者ですが・・・」
と当惑していたのだった。シャーリープトラは、そんなウパーリに優しく言った。
「構いません。世尊の言葉ですから。さぁ、早く行きましょう」
そうして、ウパーリは釈迦族の中で一番最初に出家を許されたのであった。

「ウパーリ、汝を待っていたのだ。よくぞ出家を望んだ。さぁ、出家者の戒を汝に授けよう」
仏陀はそういうと、ウパーリに聖なる水をかけ、出家の儀式を行ったのである。そして仏陀は
「儀式は終わった。さぁ、ここに並んで座るがよい。他の長老たちと並んで座るがよい」
といい、長老たちの横にウパーリを座らせたのである。
「では、残り五〇〇人の出家の儀式を始めよう」
仏陀の言葉に、順に出家希望者が仏陀の前に進み出たのだった。その時仏陀が儀式に臨む者に言った。
「彼ら長老と、汝より早くに出家している修行者に礼拝をせよ」
そう言われた者は、長老から順に礼拝をしていった。そして最後に礼拝をしたのはウパーリに対してだった。その時、彼はこう思った。
(う、ウパーリに礼拝しろと・・・。こいつは身分の低いものだ。こいつに頭を下げるなんて・・・・)
「我が教団では、先に出家した者が後に出家した者よりも長となる。座る席も出家順による。悟りを得ているかどうかは問題ではない。ましてや俗世間にいたときの身分など関係ない。この習いに従えぬ者は去るがよい」
仏陀は厳しくそう言い放ったのであった。
この言葉に
「私が間違っておりました。我ら釈迦族は日ごろから高慢と言われております。気位が高い、身分の差別が激しいと・・・・。今、それが間違いであったことがわかりました。私はウパーリ尊者を礼拝します」
と、自らの過ちを認め、ウパーリを礼拝したのだった。
多くの者が同じように仏陀に窘められたのだった。
そんな中、仏陀になにも言われなくても素直にウパーリを礼拝した者もいた。彼らは、出家の順番や俗世間での身分の差など、出家者には関係ないとわかっていたようであった。それがわかっていた最初の人物はアヌルッダであった。

アヌルッダの出家にはちょっとしたエピソードがあった。アヌルッダは、とても裕福な家庭に生まれた。彼には兄がいた。兄は、仏陀の説法を聞いて家に帰るなりこう言った。
「アヌルッダ。各家の人数に合わせて、出家しなければならないことになった。うちは兄弟二人だから、お前か私のどちらかが出家しなければならない。どうするアヌルッダ。できれば、私が出家したいのだが・・・」
アヌルッダはその日、仏陀の説法を聞きに行くこともなく、家の中でのんびりと過ごしていた。
「兄さん、私には出家者のような厳しい生活はできません。ここでのんびり暮らしたいです」
「そうか、では、家業の農家を継いでくれるな」
「うちの仕事って農家だったんですか」
「そうだ、農家だ。お前はそれを継ぐのだ。私は、明日から出家者だ」
「ちょっと待ってください兄さん。農家の仕事って何をするんですか」
「農家の仕事か。それはだな、田畑を耕し、土を整え、種をまき、肥料をやり、草を引き、害虫を退治し、水を撒き、実がなったら収穫をし、食べられるようにし、あるいは脱穀をし、倉に納めるのだ。うちの土地は広い。とても一人ではできないから、使用人が大勢いる。彼らに指示を出さねばならない。世話もしなければならない」
「聞いていると、それはとても重労働のように思えるのですが・・・・」
「あぁ、重労働だ。おまけに天候も読まねばならぬから、勉強もしなければいけない」
「そ、そんな大変なこと、私には無理です。この家の中でゴロゴロすることしか知らない私にはとてもできません」
「そ、そうか・・・・そうだろうなぁ・・・。アヌルッダには、農家の仕事は無理だろうなぁ・・・」
兄さはそういうと、アヌルッダの華奢な身体を眺めた。
(しかし、この身体では出家しても耐えられないのではないか・・・。あぁ、この甘やかしがいけないのだ。うん、ここは厳しくしなければアヌルッダのためにはならない。アヌルッダには農家の仕事はとても無理だ。ならば、瞑想することが多い、出家の道へ進ませるがいいだろう。よし・・・・)
「アヌルッダよ、ならばお前が出家するがいい。農家の仕事は重労働だ。お前の身体では無理であろう。お前は出家せよ」
「わかりました兄さん。私は出家します」
こうしてアヌルッダは、出家することになったのである。しかし、それに反対をする者がいた。それは母親であった。


82.許されぬ出家
アヌルッダの出家を反対したのは、母親だった。
「お前たちのどちらも出家なんて私は反対だ。出家すればここを去ることになる。そんな寂しいこと・・・」
母の言葉に兄が言った。
「母さん、仕方がないのだよ。シュッドーダナ王が決めたことなんだから。兄弟が二人のところは一人は出家しなければいけないんだよ。本当は、私が出家して修行をしたいのだが・・・・、アヌルッダには家業を継ぐのは無理だし・・・。だから、アヌルッダの出家を許してやって欲しいんだ」
「シュッドーダナ王も酷なことを言いなさる・・・・。あぁ、そうだ、大臣のバッディアに出家の免除を頼もう。そうだ、それしかないわ」
母親は、早速懇意にしていた大臣のバッディアにアヌルッダの出家を免除してもらえるように頼みに行った。しかし・・・。
「大臣はすでに出家のために理髪師のウパーリのところへ向かいました」
大臣の従者の言葉に母親は打ちひしがれて帰ってきたのであった。そのことを聞くとアヌルッダは、
「バッディアも出家するのですか。それは心強い。彼が一緒なら私は嬉しい。では、私も早速ウパーリのところへ行こう」
こうして、アヌルッダは出家を決意したのであった。

アヌルッダは、ウパーリに礼拝し、
「これからはお互い修行仲間だね。よろしくお願いしますよ」
と挨拶したのだった。
アヌルッダが出家の儀式を受けると、次は大臣のバッディアであった。彼は、仏陀の従兄であり、アヌルッダの無二の親友でもあった。
「お久しぶりです、シッダールタ・・・・あ、いや、仏陀様」
「ふむ、久しぶりだ。いままでよく父王を支えてきてくれた。感謝します。本当に出家してよいのだね」
「もちろんです。仏陀様のお話を聞いて、出家をしたいと望んだのは私だけではありません。懐かしい顔がありますよ」
「そのようだね。みなともに修行に励んでくれるといい」
そう言った仏陀であったが、その時仏陀の顔に陰りがよぎったことをバッディアはもちろん、そばにいた高弟たちも気がつかなかったのである。
バッディアは各長老やウパーリに礼拝した。
「ウパーリ、君にはお世話になった。これからは君は私の先輩になる。よろしく頼みます」
そいて、アヌルッダにも同じように礼拝し
「これからもよき友であり続けよう。お互いに修行に励もう」
と声をかけたのであった。

バッディアは、アヌルッダの他に5人の釈迦族の貴族出身者を連れてきていた。その者はバグ、キンビラ、ナンディカ、アーナンダ、そしてダイバダッタである。このうち、アーナンダとダイバダッタは、仏陀の従兄にあたり、またこの二人は兄弟でもあった。
バッディアに続き、バグ・キンビラ・ナンディカと出家の儀式を受け、戒を授けられた。しかし、アーナンダの番になると仏陀の顔つきが変わった。仏陀は、アーナンダをじっと見つめると、冷たく言ったのだ。
「アーナンダ、汝は出家するよりも家にいるほうがよい。弟のダイバダッタを連れて帰るがよい」
この言葉にショックを受けたアーナンダは
「私では修行ができないのでしょうか。私には悟りを得られないのでしょうか。私はどうしても出家がしたいのです」
と懇願したのだった。
「アーナンダ。人には向き不向きがある。汝には出家は向いていない。さぁ、弟とともにここを去って家に帰るがよい」
「しかし、シュッドーダナ王がおっしゃいました。各家から出家者を最低でも一人は出すようにと。我が家は私とダイバダッタの二人兄弟です。どちらかが出家しないと罰せられます。もし、私が許されないのなら、せめて弟だけでも・・・・」
「いや、ダイバダッタも出家には向いていない。彼も家に戻ったほうがよいのだ。そして、釈迦族の長にでもなるがよい」
アーナンダと仏陀のやり取りを見て、気になったダイバダッタがそこへ割り込んできた。
「一体どうしたというのですか?」
「ダイバダッタよ、私たちは出家が許されないのだそうだ」
「な、なんですって?・・・・仏陀様、それは一体どういうことでしょうか。望めば誰でも出家できるのではないのですか?」
「汝らには出家して修行するという生活は向いていないのだ。だから、出家せず、家に戻るがよい。在家のままで教えを学べばよいではないか」
「仏陀様はおっしゃいました。悟りを得たいと望む者は出家せよ、と。あのお言葉は偽りだったのですか」
「いや、そうではない。仏陀は偽りをいわない。悟りを望む者は出家していい。しかし、汝らは・・・・」
「私たちも悟りを望んでいます。それなのに・・・・。仏陀が嘘を言ったと思われてもよいのですか」
「汝が出家をするくらいならば、そう思われても一向に構わぬ」
仏陀は、無表情でダイバダッタの脅しのような言葉に答えた。
「そ、そうですか・・・・。ふん、あんな身分の低いウパーリごときに出家が許されて、この私が許されないなんて・・・・」
「そうだ、その高慢な心がいけないのだ。その高慢さがなくならない限り、出家は認められぬ。さぁ、アーナンダ、ダイバダッタ、ここを去るがよい。汝らに出家生活は向いてはいない」
仏陀の頑な態度に、アーナンダとダイバダッタはすごすごとニグローダ樹林を去って行った。シャーリープトラやモッガラーナのような長老たちは、樹林を去る二人を見て、仕方がなかろう・・・という顔をしていたが、まだ悟りを得ていない弟子たちは不思議そうに見送っていた。その中の一人がシャーリプトラに尋ねた。
「なにゆえ、あの二人は出家を許されなかったのでしょうか。二人とも悟りを得たいと望んでここへ来たのに・・・」
シャーリープトラは
「そう思うかい?。そうか・・・君たちには、彼らが純粋に悟りを得たいがために出家を望んだように見えるのだね」
「そうではないのですか?」
「あぁ、そうだ。彼らは純粋に悟りを得るために出家を望んだのではない。否、アーナンダの方は純粋に悟りを得たいと思っているようだが・・・・。しかし・・・彼も・・・・向いてはいないのだ」
「どういうことなのでしょうか?」
「世尊は、未来を見通す神通力をお持ちだ。私たちのように悟りを得た弟子の中にもそうした神通力を持った者がいる。もちろん、世尊には及ばないが。その神通力をもって彼らを見通せば、なぜ世尊が出家を許さなかったがわかる。今は、そうとしか言いようがない。もし、どうしても詳しい理由が知りたいならば、君たちも修行に励み、悟りを得ることだ。そうすれば、きっとわかるであろう・・・・」
そういうと、シャーリープトラはその場を離れたのであった。
その後の出家の儀式は、滞りなく終わった。総勢499人が出家をしたこととなる。
「新たに出家をした者よ、これからは悟りを得るために修行に励むがよい。決して怠らぬよう、修行に励むことだ。明日には、ここを立ち去る。その準備をして置くように」
仏陀の初めてのカピラバストゥの滞在は終わりを迎えることとなった。

翌日のこと、仏陀たち一行は、コーサラ国へ向けて出発した。コーサラ国はそんなに離れていない。ゆっくり進んでも一週間はかからない行程であった。仏陀一行は静々とコーサラ国へ向かったのだった。それを知ったシュッドーダナ王は、
「仏陀・・・否、シッダールタ。何と言う恩知らずな奴め。ナンダやラーフラどころか、アヌルッダやバッディアまでも連れて行きおって・・・・。この国は一体どうなるとうのか・・・・。誰が後を継げばいいのか・・・・」
と嘆き悲しんでいた。そばにいた宰相は、
「噂では、アーナンダとダイバダッタが出家を認められなかったそうです。ですから、この際この二人のうちのいずれかを・・・・」
「バカモノ!。何を言うか。二人ともそんな器ではなかろう」
「しかし、そうではありますが・・・・」
「あんなボンクラと何を企んでいるかわからぬヤツらに国を任せらるか?。アーナンダは単なる優男、優柔不断でおとなしいだけが取り柄の男だ。あんなものが国王になったら、あっという間にコーサラ国にこの国は占領される。ダイバダッタに至っては、言うまでもなかろう。あんな者たちに国王の座を渡すくらいなら、わしがやり続ける」
「はぁ・・・ごもっともです」
「もういい、下がっておれ。今日は、わしも休む・・・・」
そういうと、シュッドーダナ王は、自室へ籠ってしまったのだった。一人残った宰相は、
「出家してしまった大臣の代わりを見つけねば・・・・」
と独り言をいいつつ、とぼとぼと城の外へと出て行ったのであった。

一方、出家を断られたアーナンダとダイバダッタは、まだ夜が明けきらないうちからカピラバストゥを後にしたのだった。
「ダイバダッタよ、こんなに朝早くから家を出てどうしようというのだ」
「どうしても出家をしたいのでしょう?。だから家を出たのでしょう」
「しかし、我々は出家を拒否されたのだよ。それなのに・・・」
「そんなに簡単に諦められるのですか?。だから、兄さんはダメなんだ」
「はぁ・・・・、そうは言っても・・・」
「いいからついてきてください。どうせ、家にいても居場所もないでしょう。周囲からもバカにされて、それでいいのですか?」
アーナンダは、ダイバダッタの言葉にうつむいて黙り込んでしまった。
「私だって同じだ。カピラバストゥにいても、嫌われるだけの存在なのだから・・・。あの国にはもう我々の居場所はないんですよ。だったら、出家するしかないでしょう」
「しかし、どうやって・・・・」
「私に考えがあります。黙ってついてきてください!」
ダイバダッタの怒ったような言い方にアーナンダは、また黙り込んでしまった。そうして、二人は黙々と北へ北へと向かって行ったのだった。
夜が明けてきた。目の前にはヒマラヤがそびえ立っていた。
「さ、寒いねぇ、ここは・・・。いったいこんな山中に何があるというんだい?」
アーナンダが寒さに震えながらダイバダッタに尋ねた。
「仏陀の弟子は大勢いる。今回カピラバストゥにやってきたのは、そのほんの一部、三分の一ほどの弟子たちだ。残りの三分の一はマガダ国に残っている。しかし、他の三分の一の弟子たちは、仏陀に許されて故郷に戻って布教活動したり、山中に篭って修業したりしている者がいるのだ」
「そうなのか・・・。お前、よく知っているねぇ」
「全く兄さんは・・・・。私は出家しようと並んでいるときに、そこにいた仏陀の弟子たちにいろいろと尋ね回ったのだ。悟りを得ている高弟は何も教えてくれなかった。特にあのシャーリープトラとモッガラーナ、あの二人は嫌な態度をしていた。俺を見るあの目つき・・・・くっそ、いつか見返してやる」
そう言ったダイバダッタをアーナンダは不思議そうな目で見つめた。
「あぁ、そんなことはどうでもいいんだ。それよりも・・・・このヒマラヤ山中にも一人だけ修行をしている仏陀の弟子がいる。その弟子は、このあたりの人々に教えを説いている。そして、出家を望む者には、戒を授けている。つまり、出家を許しているのだ。ざっと調べたところ、カピラバストゥに一番近い場所で、我々に出家を許してくれそうな仏陀の弟子は、ここなんだ。その仏陀の弟子はバツヤヒッタというんだ」
「でも、仏陀に一人で修業をしてもよいと許さるような高弟なら、神通力も持っているんじゃないのかい?。ならば、また出家を断れるかも知れないよ」
「行ってみなきゃわからないよ。でもね、俺はうまくいくような気がする。そんな気がするんだ」
そう言ってダイバダッタはニヤニヤと笑ったのだった。
つづく。


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