ばっくなんばー21

87.女の幸せ
「女性の幸せとは・・・・」
仏陀はそう言うと、遠くを見るようにして、沈黙した。しばらくして、マッリカーの方へ顔を向けると、ほんの少しほほ笑んだ。
「この世では、女性は半ば男に隷属するような扱いを受けている。男の支配下にある女性が多い、と言ってもいいであろう。そうした世の中では、しばしば女性は男性から虐げられたり、暴力を振るわれたりすることもあろう。また、生まれによっては、初めから苦労を背負って生きていかねばならない身分の者や、親の庇護のもと一生を贅沢に暮らす娘もいる。そうした差があるのは誰しもが認めることであろう。
しかし、そのような差があっても、不幸であるか幸福であるかの差の決定にはならない。身分が低く、働いてばかりの人生を送っていても、それが幸せと感じる者もいるであろう。また、贅沢な暮しをしていても、つまらない人生だ、不幸だ、と感じる者もいるであろう。幸せであるか、不幸であるかは、その人の心の持ちようによって、大きく差が生じるのだ。
ここに、いつもいつも不平不満ばかり言っている女性がいるとしよう。彼女は何かにつけて文句ばかりを言っている。いつも何かに怒っている。他人の荒ばかりが目に付き、良いところは一つも目に入らない。朝起きれば、その日の天気に文句をつける、いつまでも起きてこない旦那や子供に文句を垂れる。部屋の掃除をすれば、散らかりように怒り狂う。近所の友人と他の人たちの噂話に興じ、悪口を言う。旦那が帰ってくれば稼ぎが悪いと文句を言う。だからこんな粗末なものしか食べられないと不満を言う・・・・。朝起きてから寝るまで不平不満ばかりの者は、幸せだろうか?。
あれが欲しい、これが欲しい、といつもいつもモノに対して執着している女性がいるとしよう。手にはいらないものはないほど、家は裕福なため、彼女はいつもいつもモノを手に入れることに夢中である。街を歩けば、手当たり次第に買い込む。綺麗なものには大変興味を示すが、貧しい者や汚い者は忌み嫌い、避けて通る。毎日毎日、欲しいモノばかりが頭を駆け巡る。次はこれ、その次はこれ、その次はこれ・・・・際限がない。傍から見ていれば、なんて贅沢なんだろう、と思われるが、このような女性は幸せなのだろうか?。
嫉妬深く、他人が妬ましい、羨ましい、と他人のことばかり気に掛ける女性がいるとしよう。友達の女性が結婚をしたらそれが妬ましく、『不幸の始まりだわ』などと嫌味を言ったり、知り合いが成功したら『今だけよ、やがて不幸がやってくるわ』と毒を吐く。他人の幸運が妬ましく、心から祝福できない。いつもいつも羨ましい、いいな、いいな・・・という心に支配されている。こうした女性は幸せだろうか?。
現実を見ないで、自分はもっと裕福になれるはずだ、もっと贅沢な暮しができるはずだ、素敵な男性が迎えに来てくれるはずだ、などとありもしない夢を見続け、年老いていくことは幸せと言えるだろうか?。
平凡な毎日がつまらないと嘆き、夫以外の男性や妻子のある男性と交際を持ち、恋に落ちることは幸せと言えるだろうか?」
「そのような女性はとても幸せとは言えません。
不平不満を絶えず言っている女性は、生きていることへの感謝、生かされていることへの感謝を知らないものでしょうから、心が醜いと言わざるを得ません。そのようなものは、きっと心の醜さが表面にも現れるでしょう。それは決して幸せとは言えないと思います」
「そうだ、その通りだ。いくら外見が美しくとも、心が醜ければ、その心は外見にも表れてくるであろう。逆に外見が醜くても、内面が清らかなれば、尊敬されるものとなろう」
「あれが欲しい、これが欲しい、と望んで、それが満たされたとしても、決して心は満たされないでしょう。人の欲望は尽きることはありません。人は、これが私にとっての分相応だ、と満足を知らなければ、いつまでも留まることなく望み続けるものです。それは苦しみであって、幸せとはとても言えないと思います」
「そうだ、その通りだ。欲求の渦に巻き込まれれば、それは止まることを知らない。いつまでも欲望の渦の中にいることとなってしまう。その渦から脱出し、満足を知れば、つまらぬ執着や欲望を持つことはなくなるであろう。そうすれば心は平穏になるのだ」
「他人の喜びごとを素直に喜べなく、いつも妬んだり羨んだりする者は、決して友人が作れないでしょう。また、そういう人は、いつも他人を卑下したり、妬みの目で見るため、やはり醜さが顔に出てしまいます。他人を呪うような心の持ち主は、決して幸せとは言えません」
「その通りだ。他人の喜びごとを心から祝福できるものこそが、真の友人である。そうした者は、心に余裕が生じる。余裕が生じれば、焦りがなくなり、不安もなくなる。それは、心が豊かであることと同じなのだ」
「現実を見ないで、夢を見てその夢に酔っているときは、一時的に幸せであるかのように見えますが、それはただ夢に酔っているだけで、酔いから醒めたときには、悲しい現実が待っていることでしょう。ですから、そうした者は決して幸せとは言えません」
「そうだ、その通りだ。現実をよく見つめ、己をよく知れば、夢のような話に惑わされることなく、しっかりとした人生を歩むことができる。現実をよく知り、己をよく知ることができれば、迷いは遠ざかるであろう」
「平凡が一番幸せであるのに・・・・。平凡でなくなれば、悩み事は増え、争いは増え、偽りは増え、裏切りが増え、心休まることはないでしょう。それはとても幸せとは言えません」
「そうだ、その通りだ。人生において、多くを望まず、平凡であることに感謝できれば、自ずと幸せはやってくるのだよ。家にいることが多い女性にとって、ごくごく平凡な家庭生活が、最も安定した生活なのだ。それが理解できれば、周囲の者から尊敬され、心がいつも平穏となり、気持ちに余裕ができ、心豊かにもなり、現実を知ることもできるし、己を見つめることもできよう。すなわち、満足を知る女性こそが幸せな女性と言えるのだよ」
仏陀は、そう結んだ。マッリカーは、その言葉に大きくうなずいた。
「世尊、私は、いつも満足しております。たとえどんな苦しみを受けようとも、私は現実から逃げないで、迷わず受け入れることができます。私はとても幸せです。・・・・私は高い身分の生まれではありません。容姿も美しくもありません。花園で働く女でした。それでもその生活には満足していました。貧しくとも、とても幸せでした。毎日のようにこの精舎に花を届ける時も、幸福で満たされておりました。そして、今、国王の第二夫人として迎え入れられても、私は奢ることなく、いつまでも花園で働いていた時のことを忘れることなく、心穏やかでありたいと思います」
「マッリカーよ、あなたなら大丈夫でしょう。プラセーナジット王よ、あなたは大変良い方を夫人に招きました」
仏陀がそういうと、プラセーナジット王は
「はい、そりゃもう、本当にその通りです。私は、何ものにも代えがたい宝物を手に入れました」
とにこやかに答えたのであった。そして、
「それにしても、マッリカーには驚きますな。世尊とこのような話ができるなんて・・・・。びっくりしました」
としきりに感心していたのだった。仏陀は、
「それはマッリカーの前世の徳によるものです」
と、マッリカーの前世について語り始めたのだった。

「はるか昔のこと。この世にカーシャパ仏という仏陀がいらっしゃたころのことです。いつもいつも不平不満を愚痴っている一人の婦人がいました。彼女は、朝起きればその天気に文句をつけ、亭主や子供が起きてくれば、そのことに文句を言い、朝ごはんの出来の悪さを他人のせいにし、掃除をすれば黙ってできずに文句を言いながらして、近所に顔を出せば、近所の人の悪口を言い、旦那が帰ってくれば稼ぎの悪さに文句を言ったのです。しかし、なぜか花の世話をするときだけはにこやかに世話をしていました。そのおかげか、彼女は花を育てるのが大変うまかったのです。ある時、カーシャパ仏が彼女の家に托鉢にやってきました。彼女家は貧しかったため、彼女は、文句を言いながらカーシャパ仏に食事の残り物をほんの一握り施しました。しかし、そのときに、『仏陀であっても花で飾ることは悪くない』といって、美しい花輪を作って仏陀の首に下げたのです。カーシャパ仏は、『仏陀は飾ることはしないが、この花は施しであるから頂こう。このような美しい花で精舎を飾ることは喜ばしい』と言ったのです。それを聞いた彼女は、それから毎日のように花をカーシャパ仏が修行をしている精舎に持っていきました。そのうちに彼女の心は穏やかとなり、口からは不平不満はでなくなりました。そして、花作りの名人として、皆から慕われるようになったのです」
「それがマッリカーの前世・・・・なのでしょうか」
「国王よ、その通りです。彼女は初めは不平不満が多かった。毎日のように文句を言っていた。感謝を知らずに生活をしていた。その罪がこの世に影響し、彼女は貧しい家庭に生まれた。美しい容姿で生まれることがなかった。しかし、カーシャパ仏に食事と花輪を施した功徳により、その世で花作りの名人と慕われるようになった。その功徳がこの世に影響し、この世で我が教団に花を施すことによって、開花したのだ。すなわち、国王夫人となり、人々に慕われる存在になったのだ。
マッリカーよ、今の汝の美しい心を、いつまでも保つように。この世には悪が多い。悪が汝の心にはいりこまぬよう、注意するがよい」
マッリカーは、引き締めた顔をし、静かに頭を下げたのであった。そして、仏陀に合掌し、
「これからも精舎を訪れてよろしいでしょうか」
よ尋ねた。仏陀は、無言でうなずいたのであった。
「今日は、稀有な体験をした。とてもありがたいことだ。・・・・・そうだ、世尊、明日は宮中に来て接待を受けてはいただけないでしょうか。世尊の話を宮中の他の者にも聞かせたい」
「国王様、それはいいことですわ」
プラセーナジット王の提案にマッリカーは大いに喜んだ。仏陀は、その申し出に無言で答えた。これは了承したという意味である。
「では、早速、明日の準備に取り掛かろう」
プラセーナジット王とマッリカーは、喜びの内に宮中に戻っていったのであった。

そんなころ、ヒマラヤ山中ではアーナンダとダイバダッタがバツヤヒッタ尊者のもとで修業をしていた。二人とも、ヒマラヤの寒さによく耐え忍んでいた。
「二人ともよく耐えておる。なかなか見どころがある。よしよし、これならば二人とも出家してよかろう。私が汝らを出家させても世尊は非難することはあるまい」
バツヤヒッタ尊者は、二人の様子にすっかり感心してしまったようだった。その言葉を聞き、ダイバダッタは内心ニヤッとしたが、決して顔には出すことなく
「尊者様、ありがとうございます。本当に出家を許可して下さるのでしょうか」
と尋ねた。
「あぁ、もちろん許そう。しかしじゃ、条件がある」
「条件・・・・ですか?」
「そうじゃ。それはな、出家してしても、しばらくはここに留まる、という約束をしてもらう。汝らは立派な修行者じゃ。できれば、私の後継者になってもらいたいのだな」
バツヤヒッタ尊者は、自分の頭をなでながらそう言った。ダイバダッタは、心の中で舌打ちをしていたが、出家を許されることが先決だと思い、
「はい、承知いたしました。出家後もここに残って修行いたします」
と答えたのであった。しかし、アーナンダは見るからに不服そうな顔をしていた。それを見てダイバダッタは小声でアーナンダに言った。
「兄さん、大丈夫だ、俺に任せてくれ」
この言葉に、アーナンダは何も言わず、うなずいた。そのうなずきは、バツヤヒッタ尊者には、彼の条件を受け入れたのだという意思表示と映ったのであった。
こうして、アーナンダとダイバダッタは、バツヤヒッタ尊者のもとで出家したのである。出家後も、彼らは出家前と変わらぬ修行をする毎日であった。

仏陀がプラセーナジット王の接待を受けた数日後のこと。祇園精舎では、仏陀が修行者を集めていた。
「コーサラ国にとどまって、もう随分と時がたった。そろそろマガダ国へ戻るときがきた。明日、ここを出発する。しかし、この祇園精舎を空っぽにするわけにはいかない。ここに残ってコーサラ国の人びとを導くものが必要だ。みなで相談して欲しい」
こうして、祇園精舎に500人ほどの修行者を残し、残りの修行者は、マガダ国へと旅立つこととなったのである。それは、ひと月ほどの旅となる予定であった。


88.コーサンビー国
仏陀をはじめとする修行僧たちは、マガダ国目指して、夜が明ける前に祇園精舎を旅立った。日が昇り始めたころ、コーサラ国の首都であるシューラバスティーを出たのであった。
「このまま歩き続けよう。日が落ちるまでにはコーサンビー国につくであろう。ビンドーラ、そうであるな」
仏陀は、近くにいたビンドーラにそう尋ねた。ビンドーラは、コーサンビー国の大臣の子であったからだ。
「はい、大丈夫です。ゆっくり歩いても、日が落ちるまでにはコーサンビー国に入れます。城門をくぐると、その近くに林があります。その林には、泉もあるので一晩くらいは過ごせます」
「一晩と言わず、しばらく滞在してもよい」
仏陀は、そう言うと、ビンドーラの顔を見てうなずいた。
「ありがとうございます。では、私は明日にでも国王に世尊が来られたことを報告に行きます」

仏陀たちは何事もなく順調に歩き、日が落ちる頃には予定通りコーサンビー国の城門をくぐった。そして、城門の兵士の指示に従い、城門近くの林に落ち着いた。そこは、ビンドーラが言っていた林であった。ビンドーラは、兵士に仏陀世尊がこの国に立ち寄られたことを報告するように言った。しかし、このとき、コーサンビー国王のウデーナは、祝宴の真っ最中だったのだった。しかもその祝宴は、7日目になろうとしていたのだった。
翌日のこと、ビンドーラは、仏陀の許しを得て、宮中に向かった。ビンドーラが、王宮の庭園に差し掛かると、大笑いする声が聞こえてきた。彼は、その声の方を見た。それは、ウデーナ王だったのだ。ウデーナ王は、十人ほどの女性に囲まれ、上機嫌で酒を飲み、楽しんでいたのだった。
「わははは、お前たちも、よく身体がもつなぁ。今日で7日目だぞ。7日間も飲み続けているのだぞ。わははは、楽しいか?」
「国王様、7日間飲み続けているのは国王様だけですわ。私たちは、毎日交替していますのよ」
「なんだ、そうだったのか。わははは。ということは、わしはすごいな。7日間、眠りもせずに酒を飲んで女と戯れておったのか!。いやいやすごいわい。わしも大したものだ。わはははは」
その姿を見て、ビンドーラはがっかりしてしまった。
「あぁ、あのようでは、この国も遠からず滅びるに違いない。こんな時にコーサラ国に攻め入られたらおしまいだ。なんとか、目を覚まさせねば・・・・。それにしても、あの様子では、世尊が来られらことは伝わっていないのだろうな。いや、伝わっていても無視をしているのか・・・・、いずれにしてもこれは捨て置けない」
そう思ったビンドーラは、庭園で身を潜め、国王の様子をうかがっていた。ウデーナ王は、さすがに騒ぎ疲れたのか、
「わしはもう寝る。おぉ、あそこがいい。あの木陰で休むことにしよう。お前ら、わしのそばから動くな。目が覚めたら・・・・また楽しむのだ」
「よろしいのですか?。王妃様がお怒りになりますわ。お部屋で休まれた方が・・・・」
「大丈夫だ。あいつは滅多なことでは怒らん。なんでも・・・・仏陀?だか、なんだかの教えを守るのだとか言って、怒らないようにしているのだ。ふん、そんな会ったこともないような聖者の話を信じるとは・・・・。バカな話だ。さて、行くぞ」
ウデーナ王は、そういうと、木陰にしつらえてあった長椅子に横たわったのだった。国王に侍っていた女性たちは、その周りを取り囲み、その中の2〜3人が大きなうちわで風を送っていた。しかし、そのうちに女性の一人が言いだした。
「なんだか、退屈ねぇ・・・。この庭園は美しいわ。折角だから散歩でもしましょうよ」
それがきっかけとなって、うちわを持っていなかった女性たちが立ち上がり、国王の横を離れたのだった。その様子を見ていたビンドーラは
「ふむ、いい機会だ。あの者たちに法を説いてやろう」
と、7人の女性たちが歩く方へ先回りして、静かに瞑想をしたのだった。
「あれ?、ねぇ、あそこ・・・あそこに人が座っているわ」
女性のうちの一人が瞑想するビンドーラを見つけた。彼女たちは、恐る恐るビンドーラに近づいた。
「恐れることはない。私は出家者だ。仏陀の弟子、ビンドーラというものだ」
彼女たちは驚いたが、それが修行者だとわかると、ビンドーラの周りを取り囲み始めた。コーサンビー国では、修行者が珍しかったのだ。この国には、バラモンの修行者は多くいるが、出家して聖者を目指す修行者は少数であった。
「あの〜、修行者って、どんなことをされるのですか?。なぜ出家されたのですか?」
彼女たちは遠慮なくビンドーラに質問をしてきた。ビンドーラは、その質問に丁寧に答えて行った。
「修行は、いろいろある。それは後に話をしよう。まずは、なぜ出家したか、だな。私の場合、マガダ国で托鉢をしている仏陀・・・・伝説の聖者だな、私たちは世尊とお呼びするのだが・・・・、その仏陀の姿を見てあのようになりたい、と思ったからだ」
本当は、ビンドーラの出家理由は、托鉢の食事が目的だったが、それは言わないことにした。ビンドーラは続けた。仏陀の姿があまりにも立派であること、光り輝いていること、いつも清浄であり、何事にも心を動かさず、冷静であること、神通力に優れていること、仏陀であるから神々が従い、教えを請うことなどを話したのだった。女性たちは、ビンドーラの話を真剣に聞いていた。
「素晴らしい方だわ。そんな方と一度お会いして、教えを聞いてみたい」
「そういえば、ウデーナ王の妃も仏陀の教えを守っているようなことを言ってましたわ」
「あぁ、そうねぇ、国王がそうおっしゃってました」
「ほう・・・この国の妃が・・・・。どこで世尊のことを知ったのであろう?」
「さぁ、よくわかりません。でも、ウデーナ王は、仏陀のことなど全く信じていないようでしたが・・・・」
「そうでしょうなぁ・・・・、あの乱痴気騒ぎでは・・・・・」
「えっ?、国王がお酒を召し上がって大騒ぎしていたことをご存知なのですか?」
「もちろん。私も多少なりとも神通力が使えますからな」
「そうなんですか?。へぇ〜、神通力ってどんなことができるのですか?。見てみたいです」
彼女たちからの、神通力を見たいという声に、ついつい嬉しくなってしまったビンドーラは、深い瞑想に入った。そして、そのまま中に浮かんだり、ふわふわと飛んでみたりした。また、身体を炎で包んだかと思えば、次には忽然と消えたりもした。
「す、すっごーい。すごいことができるのですね、聖者様。他の修行者の方もできるのですか?」
「そうですね、この程度のことならば、世尊のもとで修行すれば、大半の人ができるようになれますよ」
彼女たちは大きな声で、すごいだの、素敵だの、騒ぎたてたのだった。その声は、寝ているウデーナ王の耳にも届き、国王を起こしてしまったのだった。
「う、うるさいなぁ・・・何を騒いでおる。おや、女たちは・・・・他の女はどこへ行った?」
目を覚ました国王は、起き上がると王のところに残ってうちわで風を送っていた女性に聞いた。その女性は、口では答えず、指をさして他の女性が行った方向を示した。その方向からは、女たちの笑い声が聞こえてきていた。国王は、
「おのれ〜、ここで待っていろと言ったのに!。いったい誰がわしの庭園にはいりこんでいるのだ!」
そういうと、女たちの声がしている方へ走り出したのだった。国王は、女性たちに囲まれている修行者を見つけた。
「おのれ、きさま、ここで何をしている!。お前は・・・・うん?、どこかで見た顔だな・・・・お前は大臣の息子か?。確か、あの者はバラモンの勉学をするとか言ってマガダ国に向かったとか。で、行方知れずになっていたとか・・・・。きさま何者だ!」
「お久しぶりです、国王様。私はバラモンの大臣の息子です。今は、仏陀のもとで修業しています。名前もビンドーラと変えました」
「なんだと!、修行者が女と戯れていいのか!。おのれ〜、お前は修行者ではないだろ。ニセモノだな。お前、そこを動くなよ」
国王は、そう言うと、庭園の端にある小屋に走って行った。その小屋に入り、すぐに出てきた国王の手には籠があった。国王は、ビンドーラに走り寄った。ビンドーラの周りにいた女性達は、血相を変えて逃げ回った。そして、
「おのれ!、これでもくらえ!」
国王は、ビンドーラめがけてその籠を投げたのだった。籠の中には、象をも食らうという赤アリが入っていたのだった。しかし、ビンドーラは、一瞬のうちに神通力で空中に舞い上がったのだった。
「国王よ、怒りを鎮めよ。私は、国王に何もしていない。何も奪ってはいない。なぜ怒るのか?」
「何を!、わしが寝ている間に、この女たちを盗ったではないか」
「いやいや、それは誤解だ。盗ってはおらぬ。あの者たちが私のそばにやってきて、出家者の話を聞いていたのだ。ついつい私も調子に乗り、余計なことまでしゃべってしまったが、何も不純なことをしたわけではない。国王よ、あなたから、あの者を取り上げたわけでもない。どうか、怒りを鎮めよ。汝の妃は、決して怒らぬというではないか。私も出家者であり、仏陀の弟子である以上、あらぬ誤解を受けても、決して怒りはしない。国王よ、怒りを鎮め、己の姿をよく見るがよい。怒りに狂った姿は、とても優れた王と評判のウデーナ王とは思えぬぞ」
ビンドーラは、空中に留まりながらそう言ったのだった。ウデーナ王は、その姿を見て
「い、いかん・・・・酒を飲み過ぎたようだ・・・。空中に修行者が浮かんでみえる。しかも、説教をしている・・・・。これはいかん。飲み過ぎだ・・・・。部屋に戻って寝るとしよう。いやいや、水に入って酔いを覚まそう・・・」
と、ビンドーラの姿を酔いによる幻覚だと思ってしまったのだった。そして、そのまま宮中に入って行ってしまったのだった。
ビンドーラは、空中から下りてくると
「今度は宮中に行くしかないな」
とつぶやいて、庭園を歩き去っていったのだった。

城門近くの林に戻ると、ビンドーラは、仏陀に呼ばれた。
「ビンドーラよ、なぜ汝が呼ばれたかわかるか?」
ビンドーラは、うつむいていた。少々やり過ぎたと自分でも思っていたのだ。
「はい・・・しかし、この始末は付けます。もう少し見ていていただけないでしょうか」
「ビンドーラ、わかっていればよろしい。汝に任せよう。ここは、涼しく、泉も清潔で、過ごしやすい。時間はある。焦らないようにしなさい」
仏陀は、それだけ言うと、ビンドーラを下がらせたのだった。

一方、宮中に戻ったウデーナ王は、早速水風呂に入った。身体を冷やし、酔いを覚まして、身体に香を塗り、妃のところへ行った。
「お前に聞きたいことがある」
「おや、どうされたのですか?」
「仏陀の弟子は、修行者の姿をしているのか?。頭を剃り、右肩を出したぼろを継いだ衣着おる。そうした姿は仏陀の弟子か?」
「そのような姿をしている者は、必ずしも仏陀様の弟子とは言えませんが、仏陀のお弟子様もそのような姿をしています」
「そうか・・・・ならば、仏陀の弟子は空中が飛べるのか?」
「はい?、なんと・・・・あなた、もしや・・・・」
「いいから答えてくれ。仏陀の弟子は空中が飛べるのか?」
「えぇ、そういう神通力が使える修行者もいると聞いておりますが」
「そうか、ならばあれは見間違いではなかったのか・・・」
「あなた、いったい何を見たのですか?。もしや・・・・」
「あぁ、大臣の息子を覚えているか?。あの者が先ほど庭園にいて、わしの頭の上を飛んだのだ。で、空中にとどまり、わしに説教をしおった・・・・。わしは酔いのせいだと思ったが、どうも違うようだ」
「もしや・・・では、仏陀様がこの国にはいられたのですね。確か、大臣の息子はマガダ国ですばらしい聖者に出会い、そのまま出家したと聞き及んでいます」
「そうなのか・・・わしは知らなかったな。いや、聞いたかも知れんが忘れているのか」
「そうですか、あのバラモンの息子が、そんな神通力を・・・・。きっと、仏陀様がこの国に来られたのだわ。コーサラ国に滞在されていると聞いていましたから」
ウデーナ王の妃の目が輝いたのだった。
つづく。


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