ばっくなんばー23

96.ダイバダッタ
若い修行僧の後ろをアーナンダとダイバダッタは歩いて行った。二人ともなにも話さず、静かに奥へと進んでいった。ほどなく、通路は終わり、広場に出た。柱に屋根だけという大きな建物が見えてきた。その中央に仏陀が座っている。若い修行僧が
「あちらの建物にお入りください」
と二人に言った。ダイバダッタはうなずくと、その場で
「お久しぶりです、仏陀世尊」
と五体投地の礼拝をしたのだった。アーナンダは、それを見て、あわてて真似をした。
「久しぶりだ、ダイバダッタ、アーナンダ。さぁ、中へ入るがよい。入ってここに座るがよい」
仏陀の表情は明るくもなく、暗くもなかった。無表情としか言いようがなかった。それは「久しぶり」という言葉とはほど遠いものだった。
「お会いできて嬉しく思っています」
ダイバダッタが仏陀の足に額をつけていった。それは、国王や聖者に対する最高の敬意の表し方だった。アーナンダもこれに続いた。
ダイバダッタは、仏陀の前に座ると、仏陀がカピラバストゥを去ってからのことを話し始めた。
「あれから・・・世尊が私たちの出家を拒否してから・・・私たちは苦労の連続でした。私たちはどうしても出家があきらめきれず、なんとか出家をしたいと願っておりました。するとあるところから、世尊の弟子のバツヤヒッタ尊者がヒマラヤ山中に一人で修行をされている、と聞いたのです。私たちは尊者を尋ね、ヒマラヤ山に登りました。幸い、尊者と出会うことができ、私たちは尊者の弟子となって、出家を許されたのです。そう、私たちは仏陀世尊の孫弟子に当たります。私たちは、尊者のもと、貧しいヒマラヤ山中の村からやや離れた修行場所で毎日厳しい修行に励みました。寒さで凍える中、水を運び、托鉢し、山を登り、瞑想をしました。しかし、一月ほどたったころでしょうか、バツヤヒッタ尊者は修行中に足を滑らせ、ヒマラヤの谷底に落ちてしまったのです。私たちは大切な師を失ってしまったのです。村の人々は、この際、仏陀世尊の元を訪れてはどうか、と提案してくれました。ここで修行しても悟りは得られないだろうから・・・・と。
そこで、私たちはこの竹林精舎を目指して旅に出たのです。途中、兄のアーナンダが体調を崩したりして、ここまで来るのに時間がかかってしまいました。しかし、ようやくたどり着くことができたのです。世尊、どうか私たちもここで修行することをお許しください」
ダイバダッタは、堂々と、よく通る声でそう言ったのだった。仏陀はダイバダッタの言葉を目を閉じて聞いていた。そして、ダイバダッタが話し終わると
「バツヤヒッタは確かに私の弟子だ。そのもとで出家したのであるから、あなたたちも我が弟子となる。よかろう、ここで修行に励みなさい。ただし、条件がある」
仏陀の言葉にダイバダッタは眉を一瞬だけ顰めた。しかし、すぐに穏やかな表情に戻って
「何でも構いません。ここで修行ができるならば」
と言ったのだった。仏陀は厳しい表情で言った。
「アーナンダ、汝は私の従者を勤めよ。私からひと時も離れてはならぬ。ダイバダッタ、汝はシャーリープトラ、モッガラーナのの二人に指導してもらうこと。これが条件である」
(な、なんだ・・・大した条件じゃないじゃないか。よかった・・・・)
ダイバダッタは胸をなでおろした。
「もちろん、その条件は守ります。ありがとうございます」
ダイバダッタはそういうと、深々と仏陀を礼拝したのだった。アーナンダは、なにがなんだかわけもわからず、とりあえずダイバダッタのまねをした。

まもなく、シャーリープトラとモッガラーナが呼ばれた。二人はダイバダッタを修行場の方へと連れて行った。残されたアーナンダは、仏陀の前に座ったまま
「あの〜、僕はどうすればいいのでしょうか」
と仏陀に尋ねた。
「汝は、私の身の回りの世話をすればよい。それと、私が皆に話すことをこと細かく覚えていることだ。汝のすることはそれだけだ。よいか、朝起きてから、就寝するまで、一緒にいるのだ。托鉢も一緒である。瞑想も一緒にする。よいな」
アーナンダは「はい」と返事をしただけであった。

翌日から二人の修行は始まった。といっても、アーナンダは仏陀につき従うだけであった。朝起きたら仏陀の衣を用意し、沐浴用の布を用意し、沐浴がすめば一緒に托鉢に出て、一緒に竹林精舎に帰ってきた。午後からは仏陀に相談に訪れる人々の世話をし、仏陀のすぐ後ろに控えて、仏陀が話すこと、相談に対する答え、それらを逐一覚えていた。
アーナンダは、普段はボーっとしており、頭の回転も速い方ではなく、何をするにもおっとりとしていた。そのため、カピラバストゥにいたころから、のろまだの愚図だのとバカにされていたのだ。しかし、貴族の者がしないような下働きをさせれば、何事もそつなくこなしていった。いかも、記憶力が抜群によかったのだった。尤も、そんなことには誰も気がついてはいなかった。そばにいたダイバダッタですら気付いていないことだった。
このアーナンダの記憶力の良さにより、仏陀が涅槃に入ったあとも、仏陀の教えが受け継がれていくことになるのだが、このときはまだ誰もそのことを知ることはなかった。ただ、仏陀のみがアーナンダの才能を見抜いていただけである。アーナンダは、問題なく仏陀の従者をこなしていったのだった。
一方、ダイバダッタはどうであったろうか。彼は聡明で頭の回転も速く、何事も呑み込みが早く、優秀な人物であった。兄のアーナンダとは似ても似つかないくらいであった。しかし、幼少のころより、ひねくれたところがあり、周囲の者からは認められる様な存在ではなかった。親しい友人はいわゆる不良であったし、いつも他人を小馬鹿にするような眼で見ていたため、彼に近づく者はあまりいなかった。アーナンダもダイバダッタもカピラバストゥの大臣の子ではあったし、仏陀の従姉でもあったため、王位継承権もあったのだが、この二人の名前が挙がることはなかった。仏陀がカピラバストゥを訪れ、多くの者を出家させてしまった後、誰が王位を継ぐかが問題になった時にもこの二人の名前はあがらなかった。むしろ、ダイバダッタに継がせるくらいならば国を滅ぼした方がいい、という話まであったほどである。
ダイバダッタが周囲を敵に回したのは、仏陀が王子時代のときに行われた王位継承権をかけた試合のときであった。このとき、ダイバダッタは汚い手を使って王位継承権と妃になる予定のヤショーダラを手に入れようとしたのだが、仏陀の王子時代シッダールタに負けてしまったのだ。その時以来、ダイバダッタは城下においては日陰の存在となったのである。ダイバダッタ自身は、いつか王位とヤショーダラーを手に入れる算段をしていたのだが、シッダールタがこれを捨て去り、出家してしまってからは、その野心も次第にしぼんでいくことになる。ダイバダッタは本人が気づいているかどうかは別として、シッダールタに対抗したいだけであったのだ。従って、シッダールタが捨てたものには興味がなくなっていたのである。ただ、友人たちからは、ダイバダッタが何かを起こしていつか王位を手にすると思われていたので、そのまま思わせておいたのである。そのほうが生きやすかった、ということであろう。くだらない友人であったかもしれないが、それすら失うのが怖かったのかもしれない。いずれにせよ、ダイバダッタの野心は急速に冷めていったのだった。そして、どうやって生きていけばいいのか、何をすればいいのか迷いに迷っていたころ、仏陀・・・・かつてのライバル(と思いこんでいた)シッダールタ・・・・が大勢の弟子を連れてカピラバストゥにやってきたのだ。そのときの衝撃は大きかった。いつの間にか、手の届かないところへいってしまったシッダールタに大いに嫉妬したのだった。しかし、チャンスはやってきた。仏陀は弟子をとると言った。誰もが弟子になれると言った。ダイバダッタは考えた。
(シッダールタが捨てたものなどいらない。だが、周囲の者は王位を手に入れる絶好の機会だという。たしかに、多くの者が出家していまい、王位継承者がいなくなってしまったら・・・・否が応でも自分に廻ってくるであろう。なにも苦労せず、王位が手に入る。否、シュッドーダナ王が王位を譲ることを拒否するかもしれない。王は、自分を嫌っている。近づくことすら許されないほどに自分を嫌っている。となると・・・・すんなりと王の座は手に入らいないかもしれない。いやいや、俺は何をいまさらいっているのだ。シッダールタが捨てたものなどいまさらいらないだろう。そんなものには魅力などない。それよりも・・・・仏陀だ。シッダールタは王にはならなかったのだが、多くの者に慕われる存在となった。聖者だ。まさしく聖者だ。大勢の弟子を引き連れ、得意満面だ。なるほど、王位などというものは捨てられるだろう。あの位置にいられるならば、王位などクズに等しい。コーサラ国やマガダ国などの大国に行ってもその国の王が礼拝する存在だ。だが、カピラバストゥの国王ではどうか。ふん、独立国とはいえ、所詮はコーサラ国の属国。頭を下げるのはこちら側だ。周囲から低く見られる王位がよいのか、大国の国王すら礼拝をする仏陀の立場がよいのか・・・・・。比較するまでもない。よし、俺も出家をしよう。そうすれば・・・・)
ダイバダッタの考えはまとまった。その翌日、彼は兄のアーナンダとともに出家を願い出たのだ。ところが二人とも仏陀に拒否されてしまった。ダイバダッタにとって、このときの怒りは忘れることができないものとなった。
(仏陀め、仏陀め、仏陀め・・・・。なぜ出家を拒否する。俺の何がわかるというのだ!。大勢の前で恥をかかせやがって・・・・・。許せん、許せん・・・・。いつか必ず・・・・・)
この時点から、ダイバダッタには大きな目標ができたのだった。

弟子たちの多くは、二人の出家が拒否されたことがあることを知っていた。それがなぜ今さら仏陀が許可したのか、疑問に思うものも多くいた。そうした者たちはこそこそと話し合っていた。
「今さら出家を許すなんて・・・かえって恨みを買わないか?」
「いや、世尊も仕方がなかったのだろう。どちらにせよ、よそで出家してしまっているのだし、認めざるを得ないじゃないのか」
「そのバツヤ・・・なんとか尊者か、その尊者というのは本当に世尊の弟子なのか?」
「あぁ、私は知らないなぁ・・・。いったいいつの頃の弟子なんだろうか・・・・」
「一度、長老に尋ねてみよう」
ということになり、二人の出家を認めた世尊に対する疑問を古くからの長老たちに尋ねることになったのだった。
しかし、多くの長老たちは何も語らなかった。
「そんなことは修行とは関係ないであろう。ただ世尊のとられた行動を信じればいい」
それだけだった。
何も語らない長老に不満を抱いた修行の浅い者たちは、アーナンダやダイバダッタの扱いに不満をいうようになった。特にアーナンダは仏陀の従者を命じられているため、アーナンダよりも早くに出家してはいるが、まだ悟りを得ていない修行僧は、嫉妬の目をアーナンダに向けた。また人望のあったシャーリープトラとモッガラーナから指導を受けることになったダイバダッタに対しても嫉妬の目を向けた。彼らは、
「一度は出家を拒否されたくせに・・・・」
という不満でいっぱいになっていった。
こうした状況を知った仏陀は、仕方がなく皆を集めて話をすることにしたのだった。その前にシャーリープトラら長老たちを集めて
「修行のできていないものは、ちょっとしたことで嫉妬の炎を燃やす。汝ら長老は、その炎を消すことを説いてやらねばならない。それにしても、どれだけ教えを説いても、理解しがたいものはなかなか理解をしてくれない。根気良く指導をするように・・・・」
と注意をしたのだった。その時の仏陀はひどく寂しそうな表情をされたという。

竹林精舎で修行する者たちをすべて集めて仏陀は言った。
「これより出家を希望する者がいた場合、必ずそれを二名の長老に見届けてもらうこと。すなわち、出家は2名以上の長老のもとで行うこと。一人の長老が勝手に出家をさせてはならぬ。これは私の元を離れ遠方に布教に出た長老にも適応する。また、弟子によっては、すぐさま出家させるのではなく、しばらく下働きをさせ、出家に耐えうるかどうか、出家にふさわしいかどうかを見極めてから出家させること。見習いのうちの修行者は、これを沙弥(しゃみ)と呼ぶことにする。
さらに、一度出家を許されたものは、過去に何があろうとも出家者である。ただし、ハーラーイー罪を犯したものはこの限りにはない。
また、私が直接指導するものは、それが必要な者であるからだ。私が指導者を選ぶのは、その長老がその者にふさわしいからである。長老によっての優劣はない。差があるのは、悟りを得ていない修行者のほうである。心得違いをしてはならぬ。どの長老に従うことになっても、平等である」
仏陀の目は厳しく輝いていた。
その時を境に、アーナンダやダイバダッタに対する非難や嫉妬はなくなった。長老たちも、自分たちの指導力不足を大いに反省した。
こうした教団内の不安定さを見て、ダイバダッタは一人ほくそ笑んでいた。
(ふん、仏陀といえども甘いんだな。もっと厳しくすればいいのに。あんな頭の悪い連中はもっと厳しい修行をさせればいいのだ。何かと言えば、すぐに嫉妬ばかりする愚かな者たちだ。まあ、元の身分が低いから仕方がないのだろう。・・・・しかし、俺も悟りを得なければ偉そうなことは言えない。長老にならなければいつまでたっても下っ端だ。ここは何としても・・・・せめて神通力だけでも身につけなければ・・・・)
ダイバダッタは、とりあえず真剣に修行に励むことにしたのだった。


97.それぞれの悟り・ナンダ その1
ダイバダッタとアーナンダが仏陀の弟子となって数年が過ぎた。その数年間、仏陀たち修行者はマガダ国とコーサラ国を数度往復していた。また、雨期のときは、雨安居(うあんご)として、精舎に籠って過ごしていた。マガダ国もコーサラ国も、またその周辺国も平和であり、大きな問題が生じることなく、修行者たちも修行に励むことができていた。そのため、多くの弟子たちが悟りを得ることができたのだった。

精舎には寝起きをする部屋がある。長老には個室が与えられていた。まだ悟りを得ていない修行者は、数人で一部屋というように、集団で寝起きをしていた。
精舎が完成したとき、誰もが個室に入りたがった。しかし、仏陀はそれを認めなかった。むしろ、個室は使わないほうがよい、と考えていたのだ。しかし、個室がある以上、誰かが入らねばならない。そのまま使わずに放置しておけば、勝手に誰かが使ってしまうことになる。そこで、個室を長老・・・・つまり悟りを得た修行者・・・・に与えることにしたのだ。個室に入れなかった修行者から
「差別だ」
という声が上がった。これに対し、仏陀はなぜ長老に個室を与えたか説明をした。
一つには、個人的に長老に指導を受けたい、相談をしたい、という修行者がいたからである。他の者には聞かれたくない内容を長老に話すには、どうしても個室が必要なのだ。そこで、長老に個室の使用を認め、そのまま長老は個室に寝起きしてよい、となったのだ。
もう一つ大きな理由がある。個室が使えるのは長老以外、無理なのである。なぜなら、悟りを得ていない者に個室を与えると、その部屋で何をするかわからないからである。長老ではない、ということは、悟りを得ていない、ということである。悟りを得ていないということは、欲望が強く、その欲望をうまく制御できないということである。具体的に言えば、悟りを得ていない者に個室を与えれば、まず自慰行為に夢中になる。次にこっそり食事をとるようになる。また、賭け事や、善からぬ相談をしたり、お酒を持ちこんだり、こっそり女性を連れ込むこともある。そうした危険性がある以上、悟りを得ていない修行者に個室を与えることはできないのだ。
こうした理由から個室は長老に与えられた。もちろん、長老の中には、個室に入らず、森の中や、集団部屋に寝起きする者もいた。
祇園精舎には50室の個室があった。それはすべて使用されていた。

ある年の雨安居のあけた時のこと。インドには暑い夏が訪れていた。祇園精舎は暑い毎日でも大変過ごしやすく、、多くの修行者が修行に励んでいた。
仏陀に天界の女性を見せられ、その女性を得たいがために修行に励んでいたナンダであったが、大きな壁にぶつかっていた。悟りへの修行よりも煩悩の方が勝ってしまったのだ。
「確かに天界の女性は美しい・・・・しかし、今すぐに手に入るものでもない。が、妻は・・・・いまも城にいるのだ。ここから城は近い・・・。精舎を脱出して帰ろうか・・・・・」
ナンダは迷いに迷った。それは毎晩のことだった。やがて、ナンダは眠れなくなってしまった。
ある日のこと、仏陀はナンダを呼び寄せた。
「ナンダ、城に帰りたいのであろう。ならば帰ってもよい。そうだなぁ、天界の女性よりも手近な女性の方がいいのだなぁ、汝は・・・・。まあ、それはよい。お前がそうしたいのなら、城に帰ってもいい」
「ほ、本当ですか。城に帰ってもいいのですか?」
「あぁ、本当だ。ただし条件がある。ここを去るのは、今日の夜中だ。夜中のうちに去るのだが、長老に見つかってはいけない。だから、長老の部屋の扉をすべて閉めなければならない。夜明けまでに長老の部屋の扉をすべて閉められたならば、闇夜に紛れて城に帰るがいい」
仏陀は、やさしく・・・寂しそうにナンダにそう言ったのだった。ナンダは、嬉しそうな顔をして大きくうなずいたのだった。
その夜のこと。ナンダは早速長老の部屋の扉を閉めにかかった。時は真夜中過ぎ。いつもならば、長老は眠っているころである。しかし、どの長老の部屋もなぜか扉は開け放ってあった。長老の部屋は全部で50ほどあった。
「なんでまた今日に限って・・・・。まあ、確かに今夜は暑くて寝苦しいからなぁ・・・。ともかく、この50部屋の扉を夜が明けるまでに閉めなければ・・・・」
ナンダは大きく嘆息したが、早速扉を閉め始めたのだった。が、そう簡単にはいかなかった。
中にいる長老に気付かれないように、そうっと扉を閉める。はやる気持ちを抑えて、ゆっくりと確実に、音の出ないように扉を閉めた。手が汗でじっとりしていた。
「よし、次は隣だ」
同じようにゆっくりと扉を閉めた。手が震う。
「音をたてぬよう、慎重に慎重に・・・・」
ナンダはそう囁きながら扉を閉めていった。そうして長い時間をかけ、ようやく50番目の扉に至った。
「よし、これで最後だ。長かった・・・・慎重に閉めるぞ。ここでしくじったらおしまいだ・・・・」
ナンダは、前の扉を閉めた時よりも慎重に最期の扉を閉めにかかった。
カチリ・・・・扉のしまる音がかすかに響いた。
「ふぅ、やった・・・・。よし、これで精舎ともおさらばだ」
そう独り言を言って、50もの長老の部屋の扉を眺めると、なんと、最初に閉めたはずの扉があいているではないか。
「あっ、しまった・・・・。な、なんでだ、なんであいている・・・。くっそ、最初の扉か・・・。あせってしっかり閉めなかったんだな」
ナンダはその扉に向かって走りだしたが、足音が妙に響いたため立ち止まった。
「いかん、足音が響く・・・・。長老を起こしてはまずい・・・・」
ナンダは、はやる気持ちを抑えてゆっくり最初の扉に戻った。
「よし、今度こそ・・・確実に閉めてやる」
ナンダは、慎重に、しかし確実に扉を閉めた。カチリ・・・扉のしまる音が確かに響いた。
「ふう、よし、これでよし・・・・。なんとかなった。やれやれだ。さぁ、ぐずぐずはしてられないぞ。行かなきゃ」
ナンダは額の汗を拭きながら、再び扉を眺めた。すると
「あっ!、あれは・・・・49番目だ!。あ〜、くっそ、緊張のあまり、焦ってちゃんと閉めなかったんだ。あぁ、もう、なんてこった」
走り出したくなる気持ちを抑えて、ナンダはゆっくりと49番目の扉に向かった。やっとのことでたどり着く。
「慎重に慎重に・・・おっと、中から音が・・・・。起きちゃったかな?。えぇっと、この部屋の長老は・・・・誰だっけか・・・・・。あぁ、そんなことはどうでもいい、とにかく閉めなきゃ。ゆっくりゆっくり・・・」
ナンダは、その扉もゆっくりではあったが、確実に閉めたのだった。彼は、おもわずその場に座り込んでしまった。
「はぁ・・・・、疲れた・・・・・。ちょっと休んでおこう。なんだか、妙に疲れた・・・・」
ナンダは、そういうと、その場で寝入ってしまったのだった。

「パタン」
その音でナンダは目を覚ました。
「う、うわっ、ど、どれくらい寝てしまったんだろう・・・・」
ナンダは周囲を見回し、東の空を見た。幸い東の空はまだ明るくはなっていない。
「よかった・・・・。そんなに大した時間は眠ってなかったようだ・・・・、あっ、あぁぁぁっ!、っと、しー、静かに!」
ナンダは、びっくりして思わず大きな声を出してしまった。なんと、先ほど閉めたはずの長老の部屋の扉が、全部開いているのだ。ナンダは大きく肩を落とした。
「なんてこことだ・・・・。またやり直しか・・・・・。だ、大丈夫だ。まだ時間はある。よしやるか・・・・・」
ナンダはしぶしぶ立ち上がったのだった。
最初の扉から、慎重に閉め始めた。が、そのうちにナンダはやる気がなくなってしまったのだった。
「はぁ・・・・、いったい私は何をやっているのだ。こんなことをして何になるというのだ。虚しいだけではないか。こんなことをしていて、いったい何になるのか。それほど妻が・・・恋しいか?」
ナンダは自問自答し始めていた。彼の手は止まっていた。そして、いつの間にか、精舎の真中あたりで座り込んでいたのだった。
「あぁ、もういいや。面倒になってきた。それに・・・・・少し明るくなってきたしな」
夜が明け始めてきたのである。
「あぁ〜あ、もういいや。こんなこと無駄なことをして、城の妻のところに戻るよりも、もう少し修行して神通力を得て、帝釈天の住まう三十三天に遊びに行った方がいいんじゃないか。その方が早道だろう・・・・・。帝釈天と仲良くなって・・・・むふふふ、天界の女性は美しかったからなぁ・・・・・。よし、そうと決めたら、修行のためにも寝るとしよう」
ナンダは、そこで横になったのだった。
夜が明けて、ナンダは長老に起こされた。
「さぁ、沐浴をしに行こう。修行の始まりだ」
その言葉を聞いたナンダは、なぜか爽やかな気分であった。

その日から、ナンダは再びまじめに修行に励んだ。しかし、悟りはなかなか得られず、神通力も身につかなかった。
「あ〜あ、やっぱり修行は面倒だな・・・・。いつまでたっても、かわらないし」
数日のうちにナンダのやる気は失せていた。こうなると、午前中の托鉢を終えると、ナンダは一人で森をぶらぶらするだけだった。
ある日のこと、どうにもやる気が出ないナンダは、一人で祇園精舎の横にある森の奥へと入っていった。周りには誰もいない。否、そこには鳥すらもいないし、風すら吹いていないようで、何の音もしなかった。聞こえるのは、ナンダの足音と溜息だけだった。ふと、正面にある大きな木に目をやると、そこに一人の美しい女性が立って、ナンダを手招きしていた。ナンダは思わず駆け寄った。
「な、なんと美しい・・・・。私は知らないうちに天界に来ていたのか?」
女性の近くまで行くと、その女性は大きな木の下の方を指さしていた。そこには大きな穴があいていた。
「ここに入れというのか?」
ナンダが女性に問うと、彼女は大きくうなずいた。ナンダは、ゆっくりと恐る恐るではあったが、中に入っていた。すると・・・・。
あまりの暑さにナンダは目が覚めた。
「ここはどこだ・・・・・。私はいったい・・・・」
ナンダは、横たわっていた。身体を起こし、廻りを見るとあちこちで炎が燃え上がっていた。熱いはずである。ナンダは、起き上がって歩き始めた。
「と、とにかく精舎に帰らなければ。出口はどこだ・・・・・」
道らしきものがあったので、ナンダはそこを進んでいった。ふと横を見ると、広場があった。その広場には人が一人入れそうなくらいの釜がいくつも置いてあった。よく見るとその釜の中には、本当に人らしきものが入っていた。
「う、うわっ!、なんなんだ、これは?」
ナンダの叫び声で、釜の横から人らしきものが出てきた。が、それは人ではなかった。猛牛のような顔をして、身体はでっぷりと太った、魔物だった。ナンダは声が出なかった。
「何者だお前?。うぅん?、お前死者じゃねぇなぁ・・・。生きているうちにここに来れるのは、世尊とその弟子で悟りを得たものだけだぞ・・・。お前・・・お前も神通力が使えるのか?」
世尊、神通力という言葉が聞こえ、ナンダは少しほっとした。
「そ、そうなんだ。わ、私は世尊の弟子なのだよ。その、まだ神通力がうまく使えなくて、ここに迷いこんでしまったのだ。元の場所・・・・祇園精舎なのだが・・・・に帰る道を教えてくれないか?」
ナンダの言葉に、その魔物は疑わしそうな目をした。
「帰り道だと?。お前、本当に世尊の弟子か?。ふ〜ん、まあいいけど。帰り道なぁ・・・。普通は神通力で、えいっやあっ、って気合を入れれば元の場所に帰れるはずなんだけどな・・・・」
「だ、だから新米で・・・・。そのちょっと失敗してしまって・・・・。せ、世尊も心配されているといけないので、早く帰らないと・・・・・」
「ふ〜ん、まあ、教えてやらないでもないけど。ちょっと待ってろよ。こいつらをイジメないといけないんでな」
その魔物は、後ろにある釜を指さしてそう言った。
「こいつら、哀れな者だよなぁ・・・・。生きているときに、世尊の教えを聞いて正しい生活をしていれば、こんな地獄に来ることはなかったのに・・・。なぁ、お前もそう思うだろ?。お前も世尊の弟子なら、そう思うだろ?」
「えっ、えぇ、まあ・・・・。う、うわ・・・・ここは地獄だったのか・・・・」
ナンダはいい加減な返事をした後、小声でつぶやいていた。その魔物は、地獄の番人だったのだ。彼は、釜の中の罪人を槍のような武器で突きながら言った。釜の中からは恐ろしい叫び声が聞こえてきた。
「まあ、世尊の弟子でもいろいろいるけどなぁ・・・・。なかにはさぁ、バカな弟子がいて、まじめに修行すりゃあいいものをさ、天界の女性に目がくらんで、天界にさえいければいい、神通力さえつけばいいって修行者もいるんだって?」
番人はナンダに尋ねてきた。
「えっ、えぇ、そ、そういうバカなヤツもいますよ。でも、天界でまた修行すればいい、と思っているんじゃないですかねぇ・・・、きっと」
ナンダの額は、冷や汗でいっぱいだった。
「だから、それがバカだって言ってるんだよ。天界に行けばさぁ、修行なんか無理だって。特に帝釈天様の住まう三十三天は無理。なんせ、いい女ばかりだからなぁ。わはははは。あんなところで修行なんてできないっつうの。たいていは、女に溺れてダメなヤツになっちまうわな。まあ、一般の人から天界に生まれ変わったものは、そんなことにはならないだろうが・・・・志ってものが違うからな。だけど、世尊の弟子で天界を望むやつは、まず堕落するな」
「そ、そんなものですか・・・・・」
ナンダの顔は、恐怖でひきつっていた。


98.それぞれの悟り・ナンダ その2
「て、天界に行って堕落すると・・・・どうなるのでしょうか?」
ナンダは、恐る恐る地獄の番人に尋ねた。番人はナンダの質問に
「お前・・・そんなことも知らんのか?。本当に世尊の弟子か?」
「で、弟子ですよ。ですから、そのまだ新米でして・・・・あははは」
ナンダの笑顔はひきつっていた。
「ふ〜ん、まあいいや。あのな、天界で堕落したらどうなるか決まっているだろ、ここ、地獄に落ちてくるんだぁ。うわはははは」
地獄の番人は大声で笑った。その笑い声は不気味に響いた。いや、その声で釜に入っている罪人は恐怖に叫んだのだった。ナンダも叫びたいくらいに怖かった。
「そういえばな、あそこに釜があるだろ?」
地獄の番人は並んでいる釜の端を指さした。そこにはいくつかの釜があって、一つの釜には一人の罪人が入っているいるのだが、誰も入っていない釜が一つあった。
「あれはな、世尊の弟子で・・・・なんつう名前だったかな・・・・・出来の悪い弟子がいてな、そいつは今天界を目指して修行しているんだが、やがて天界から落っこちてくるんだよ。で、あの釜に入るのさ。あはははは」
再び番人は大声で笑った。罪人の叫び声が響いた。
「いかんなぁ、名前を思い出せん。なんでもな、その弟子、天界の美女にあこがれて修行してるんだそうな。おっと、これは内緒の話だぞ」
「な、なんでそんなことを知っているんですか?」
「簡単なことよ。閻魔大王から聞いたんだ。世尊の弟子にも愚かな者がいるってな。欲を断つために修行しているのに、そいつは天界の美女を抱くために修行をしているっていうんだから、こんな笑える話はないだろう。閻魔様は笑って話して下さった。おまけに、その愚か者は、望み通り天界に生まれ変わるのだが、美女と戯れ過ぎて、あっという間にここに堕ちてくるんだ。そして、その釜に入るんだ。がはははは。ホント、バカなヤツだよなぁ。俺はな、早くそいつに会いたいんだ。そいつが釜に堕ちてくる瞬間を見たいんだよ!。わはははは、がはははは」
番人は真っ赤な口をあけて大声で笑った。その笑い声でナンダの頭は破裂しそうだった。
「あ、あ、あそのバカなヤツの名前を思い出したぜ。確かナンダっていうんだ。知ってるかお前?」
番人はナンダの顔を覗き込んだ。思わずナンダは
「やめてくれ〜」
と叫んでいた。

気が付くと、ナンダは森の中で倒れていた。どうやら気絶していたらしい。
「ゆ、夢だったのか・・・・」
ナンダはゆっくり起き上がり、その場に座り込んだ。
「それにしてもはっきりした夢だったなぁ・・・・、まだ頭がくらくらする」
そう言ってナンダは震えあがった。地獄の番人の顔と声を思いだしたのだ。
「お、恐ろしい夢だ・・・・。まあ、でもゆ、夢だし・・・・。さて、精舎に戻ろうかな」
立ち上がろうとしたナンダに再び番人の笑い声が聞こえてきた。
「がはははは、今ごろナンダとかいう愚かな弟子は、わしに出会ったことを夢だと思っているに違いない。わははは。それでいいんだけどな。そうじゃなきゃ、あいつはここへ落ちて来ないからな。ぐわはははは」
「う、うわーっ、た、助けてくれー!」
ナンダは走り出していた。

「何をそんなに慌てて走っているのだ、ナンダ」
その声にナンダは急に立ち止まった。
「せ、世尊・・・・・うわーん、助けてください、助けてください・・・・・」
ナンダは、仏陀に縋りついて泣きだしていた。
「ナンダよ、助かりたいのか?」
仏陀は優しく聞いた。
「は、はい。じ、地獄へ行くのは嫌です。あんな、あんな恐ろしいところ・・・・。あんな世界があるなんて・・・・。嫌です。絶対に行きたくありません」
「地獄に行きたくないのなら、修行をせねばならぬぞ」
「地獄に落ちるくらいなら、修行に励みます」
「本当か?」
「はい、今度こそ、ちゃんと修行します。ですから、私を導いてください!」
「ちゃんと修行すると、天界の美女とも戯れることはできなくなるぞ」
「そんなの構いません。天界の女なんて、いりません。そんなことはどうでもいいです。快楽を味わった後には、あのような地獄が待っているなんて・・・・。それがわかっていながら快楽を味わう者はいません。そんな者は愚か者です。私は愚か者にはなりたくない!」
ナンダは、そう叫んだ。
「よろしい。では真剣に修行に励むがよい。こちらに来なさい」
仏陀はナンダを精舎の方へと連れて行った。

「ナンダ、お前はいいところに気が付いた。快楽の後には苦しみがやってくる、ということだ」
仏陀の話をナンダは真剣に聞いた。
「どんな場合でも、どのような身分の者でも、善いことを経験した後には、再び善いことがやってくることは保証できない。また、幸福が長続きするとは限らないのだ。世の中は、苦があれば楽があり、楽があれば苦があるものだ。楽だと思っていたことが実は苦の前兆であったりもする。人は、快楽を味わえば、そのあとにはもっと上の快楽を欲するものだ。もっと、もっとと欲深くなっていくのが人間なのだよ。人間の欲望には際限がないのだ。ナンダ、お前のようにな」
ナンダは、深くうなだれた。
「では、どうすればいいのか。多くの修行者は、人間の欲には際限がないことを知り、その欲を断とうとする。あるいは、欲を抑えようとして修行する。欲を無くそうとして修行をする。しかし、欲を抑えようとしても欲は抑えられるものではない。欲を無くそうとして修行してもなくせるものではないのだ。そこで多くの弟子が壁にぶつかる。ナンダ、お前もそうであるように」
ナンダは益々うなだれた。
「欲は無くすものではない。欲は制御するものなのだ。欲の本質を知り、欲の果てにあるものを知り、欲に振り回されないよう、欲を制御するのである。そう、優れた象使いが暴れる象を大人しくするように。ナンダ、汝も汝の中で暴れまわる欲望を静かに制御するのだ。欲望をうまく使いこなすのだ。よいか、そうすれば地獄の釜に堕ちることはないだろう。まずは、世の中をよく眺め、欲望の果てに行きつく世界を観察するのだよ」
仏陀の言葉にナンダは顔をあげ、ゆっくりとうなずいた。そして、一人静かに瞑想に入っていったのだった。

ナンダは思い出していた。自分が王族の一員だったころ、多くの者が欲望のはてに不幸になっていったことを。
「そうか、あのとき、あの大臣は・・・・あぁ、欲は恐ろしいものだ。あんなことをしなければ、もっと自分の地位を保つことができたものを・・・・。そういえば、私が学んだ歴史上の英雄たちも、いずれも実際は英雄ではないではないか。結局は失意のうちに死を迎えているではないか。そうだ、いずれ人は死を迎える。そして、輪廻していく。中には、私が見た地獄へ落ちる者もいよう。いや、欲望の果てに行きつくところは、地獄なのだ。今、私はその道から抜け出る方法を学んだ。あぁ、私は真の幸福を得られるのだ。
そうだ、世尊は世の中を観察せよといった。世の中は、まさに輪廻する。まさに常に移り変わり、変化している。誰もが老い、病にかかり、死がやってくる。そうした苦しみを味わうのだ。愛するものとも別れねばならない。それは誰にでもやってくる。イヤな相手、憎たらしい相手とも会わねばならない。これも避けられないことだ。欲しいと思っても手に入らないことも多々ある。いや、手に入れたとしても、また欲しくなるのだ。あぁ、欲望の塊だ。誰もがみんな欲の塊だ。このあふれてくる欲望をうまく制御できなければ、苦しみにさいなまれることになるのだ。あぁ、この世はまさに苦の世界じゃないか。あの地獄と何ら変わらないじゃないか。楽しいと思っていることが、すべて地獄につながっているじゃないか・・・・・・。そうか、そうだったのか!」
ナンダの目は輝いていた。それから7日ほどのち、ナンダはついに悟りを得たのだった。
このような経緯で悟りを得たナンダは、その後、
「目に見えるすべてのもの、耳に聞こえるすべての音、鼻でかぐことのできるすべての匂い、口にするすべての言葉や味、身体に触れるすべてのもの、心に思うすべての念、それらから生じる煩悩から身を守ることにおいて、最も優れている弟子はナンダである」
と仏陀に讃えられた。ナンダは、煩悩を調伏すること第一と讃えられたのである。


「う〜ん、どうも悟りが得られないなぁ・・・・」
瞑想しながらそう愚痴をこぼしていたのはアヌルッダだった。
アヌルッダは裕福な家庭から出家したのだが、生来怠け者であり、また細かいことを気にしない性格であった。今でいえば、「天然」というタイプである。大きな農園の息子であったが、そのあとを継ぐのが嫌で出家したのだ。しかし、裕福な家庭で育ったわりには、食事の内容にも無頓着で、食べられれば何でもいいという性格だったので、托鉢も苦労はしなかった。また、贅沢な衣装を身に着けていたのにもかかわらず、出家者のぼろぼろの袈裟姿にも、なんの抵抗もなかった。ふかふかの寝具にくるまれて育ったにもかかわらず、寝具がなく野山で野宿することも厭わなかった。何にしても深く物事を考える性格ではなく、まあいいや、というタイプだったのである。万事、ノーテンキ、のほほんとしていたのだ。
そんな調子だから、世尊の教えも感覚的にとらえていた。教えを考察するのではなく、なんなく身体でわかっていた、と言った方がいいだろうか。理屈では言えないが、わかっている、というのである。また、感覚的にわかるタイプであったので、瞑想は得意だった。瞑想を始めると、すぐに深い境地に至ったのだ。そのため、仏陀がカピラバストゥを訪れた時に出家した者の中では、早くに深い境地に至っていたのである。
しかし、悟りは得られてはいなかった。
「う〜ん、よくわからないなぁ・・・・・。師であるシャーリプトラ尊者に聞いても、どうもよくわからないし・・・・」
アヌルッダの師はシャーリープトラだった。なぜ仏陀がシャーリープトラのもとにアヌルッダをつけたのか。アヌルッダはわかっていなかった。
「どうも私は理屈は苦手なんだよなぁ・・・・。シャーリープトラ尊者は、智慧第一と言われた長老。理屈が多いんだよなぁ。どっちかというと、私はモッガラーナ尊者に合うと思うんだけど・・・・。あ〜あ、まあ、でも神通力もちょこっとは使えるようになったことだし。まあいいか、これでも・・・・・」
万事、のんきなアヌルッダだったのだ。
祇園精舎の森でのんびりそんなことを考えているアヌルッダのところにシャーリープトラがやってきた。
「どうだい、アヌルッダ。修行は進んでいるかい?」
「あー、シャーリープトラ尊者。修行は・・・・進んでいないですねぇ」
「どうしたのだ?。結構深い瞑想に入ることができたのに、まだ悟れないのか?」
「はい・・・・。瞑想しているときは、心地よい境地にいるのですが、瞑想から抜けると、なんだか気が重くて・・・・・」
「ふむ、なるほどな。他には何か変化ないかい?」
「あぁ、はい、神通力が使えます。天眼通です。私は天眼通を得られたのですよ。天上天下、いろいろな世界を見渡すことができるんです」
アヌルッダはニコニコしながらそう言った。それを聞いてシャーリープトラの顔がにわかに曇ったのだった。
「ふむ、それはいけないなぁ・・・・・」
シャーリープトラは、ぼそりと言ったのだった。


99.それぞれの悟り・アヌルッダ
「アヌルッダ、もう一度聞く。天眼通を得たというのは本当だね?」
「本当ですよ。なんなら試してみましょうか?。この神通力、自分でも気に入っているんです。なので、最近よく使っているんですよ」
それを聞いたシャーリープトラは、う〜んと唸ると、目を閉じて考え始めた。
「ど、どうしたんですか、シャーリープトラ尊者?。私は何かいけないことでも・・・・」
シャーリープトラの様子に心配になったアヌルッダは、彼にそう問いかけたが、返事はなかった。シャーリープトラは、深い思考に入っていたのだった。
しばらくして、シャーリープトラは目を開けた。
「アヌルッダ。君は確かに天眼通の才能があるようだ。実際、今もその神通力が使えるようだね。しかし、それは実は悟りとは何の関係もないものだ。君は、瞑想をしていると落ち着いていられる、悟りの境地にいられる、と言っていたが、それはひょっとして、悟りの境地にいるのではないのではないか?。君は、天眼通を使って・・・雄大な世界、広大な宇宙を眺めていたのではないのかい?。あるいは・・・・天界の最高位を眺めていたのではないか?」
シャーリープトラがアヌルッダにそう問うと
「えっ?、えぇぇぇ?、う〜ん、そうなのかなぁ・・・・」
と彼は首をかしげるばかりであった。
「アヌルッダ、君が瞑想しているときの状況を教えてくれないか」
シャーリープトラに問われ、アヌルッダは自分の瞑想中の状態を説明し始めた。
「その・・・うまく言えないんですが・・・・。えーっと・・・。そうですねぇ。まずは、静かな静かな状態になります。初めは呼吸を気にしているのですが、そのうちに呼吸しているのかどうかも忘れています。とても静かで、ゆったりとした境地です。すると、目の前に広大な空間が広がってきます。その空間に包み込まれるようになります。すると、一切はこの世界のように何もない、精神的に落ち着いた世界なんだとわかるんです。そう、一切は空なんですよ。何もないんです。チリひとつない、上も下もない、広い狭いもない、明るい暗いもない・・・・。無です。それって悟りの世界ですよね?。確か、そのように聞いていますが・・・・。そんな世界にいると実感できるんですよ」
アヌルッダの言葉を聞いて、シャーリープトラはまた「う〜ん」と唸ったのだった。そして、
「やはりな・・・・。いいかいアヌルッダ。君は錯覚を起こしているんだ。それも錯覚が二度重なっている。まずは天眼通が使える、ということに関してだ。君は、まだ天眼通を使いこなしていない。確かに天眼通は使えるのだろう。しかし、使えるというのは錯覚で、天眼通に振り回されているというのが真実だ」
「ど、どういうことですか?。私は、ちゃんと天眼通を使いこなしてますよ」
「いいや、使いこなしてはいない。なぜなら、瞑想していると、勝手に天眼通が発動してしまっているからだ。知らないうちに天眼通が働いて、知らないうちに天眼通で見ている世界に引き込まれてしまっているのだよ。二つ目の錯覚がここだ。君が悟りの世界と思っている世界・・・その境地は、実は天眼通で見ている有頂天の世界だよ。有頂天の世界を天眼通で見ると、たまにそのような錯覚を起こすのだ。有頂天は空の世界だ。微量の欲が漂っているだけの世界だ。そこを見ると、悟りの世界はこうなのだろうな、と錯覚を起こすのだよ。いつの間にか、天眼通で見ている世界にとりこまれてしまっていたんだよ、君は」
「そ、そうなんですか・・・・。そうだったんですか・・・。どうりで瞑想から覚めると、気が重いような、気分がすぐれないような、イヤな気持ちだったんですね」
「そうだね。君は危ないところだったんだ。そのまま瞑想から覚めなくなってしまう・・・・つまり、有頂天の世界から出られなくなってしまうこともあるんだよ。危ういところだった」
「でも、なぜそんなことが起きるのでしょうか?。私は瞑想していただけなのに・・・・・」
「一つには、天眼通がうまく制御できていないこと。もうひとつは・・・。そもそもそれがいけないんだが・・・・自分は天眼通が使えるんだと驕りの心をもってしまったこと、だな」
「驕りの心・・・・」
「そうだ、驕りの心だ。自分は優れている、神通力が使えるようになった、自分は偉い・立派だ・・・・。そういう驕りの心に魔が入り込むのだよ。いいかいアヌルッダ、悟りと神通力は違うものだ。神通力が身についたと言ってもそれは全く意味のないことなのだよ。大事なのは悟りの方なのだ。神通力は、悟りに向かう修行の過程で自然に身につくものだけど、それは単なる付録のようなもので悟りとは全く関係のないものなのだよ。否、むしろ悟ってもいない者が神通力を使えば、それは修行の妨げにすらなるものだ。いいかい、アヌルッダ、神通力にこだわってはいけない。純粋に悟りを求めるのだ」
「はい、わかりました。これより天眼通は使いません。他の神通力ができるようになったとしても、それを使うことはありません。真実の悟りが得られるまでは神通力は使いません」
アヌルッダは、シャーリープトラにそう宣言したのだった。

その日以来、怠けることなくアヌルッダは修行に励んでいた。アヌルッダは、元来まじめな性格であった。しかも、一度決めたら決して曲げることがない頑固な性格であった。したがって、彼はシャーリープトラに言われたことを忠実に守り、まじめ過ぎるほどに修行に励んだ。もちろん、神通力は一切使うことはなかった。時にシャーリープトラに
「力が入り過ぎているよ、もう少し気楽にしたらどうだい」
と言われるほどであった。しかし、そのおかげか、アヌルッダはある程度の悟りを得ていたのだった。もうあと一歩というところまで来ていた。そんな状態であったため、アヌルッダは修行を緩めることはしなかった。そんなアヌルッダには、修行の疲れがたまり始めていたのだった。
ある日の仏陀の法話会の時であった。仏陀の教えは修行僧の心に浸透していった。ところが・・・・。
「おい、アヌルッダ、おい、起きろよ、アヌルッダ!」
アヌルッダは、仏陀の教えの最中についつい眠り込んでしまった。
「よいよい、アヌルッダは疲れているのだろう。そのまま寝かせておきなさい」
仏陀は、アヌルッダを起こそうとした修行僧に言った。そして、法話の後、シャーリープトラに
「アヌルッダの修行はどうなっている。疲れがたまっているようだが・・・・」
と問うた。
「はい、私ももう少し緩やかに、とは言っているのですが」
「そうか。法話の最中に居眠りをするほどの修行はよくない、と注意しておくといいでしょう」
仏陀はシャーリープトラに言った。

シャーリープトラは、仏陀からの注意をアヌルッダに伝えた。アヌルッダは
「はぁ、以後気をつけます」
と答えただけだった。
次の日の仏陀の法話の最中にもアヌルッダは居眠りをしてしまった。そして、その次の日も、その次の日もアヌルッダは居眠りをしてしまった。
仏陀は法話の後、アヌルッダを呼びだした。
「アヌルッダよ、法話の最中に居眠りをするのはよくない。それほど疲れるまで何の修行をしているのか。法話が聞けぬようでは修行の意味がないであろう。汝は、悟りを得るために出家したのではないのか?。そのための法話の最中に居眠りするのでは、修行が修行になっていない。それでは意味のないことになってしまう。今後、法話の最中に居眠りをするほどの修行はしてはいけない」
「は、はい・・・・。私は・・・・。もう二度と法話の最中に居眠りなどしません」
アヌルッダは、仏陀に誓ったのだった。

ところが、アヌルッダが眠らなくなったのは、法話の最中だけではなかった。一切眠らなくなっていたのである。そのことにシャーリープトラはすぐに気付いた。
「アヌルッダ、寝ない修行なんてないんだよ。そのままでは身体を壊してしまう。今すぐ睡眠をとりなさい」
彼は、アヌルッダに注意をしたがアヌルッダは
「わかっています。しかし、今は眠る気がしないんです」
と答えただけであった。
「いいかいアヌルッダ。君のやっている修行は苦行だ。世尊は苦行を禁止している。苦行では悟りは得られない。さぁ、眠るがいい」
「いいえ、シャーリープトラ尊者。これは苦行ではありません。私は眠ることを我慢しているのではないのです。眠る気がしないんです。ただ、それだけです」
「アヌルッダ、君の気持はよくわかるが・・・・。頑固さにもほどがある。頑固にまじめに取り組むだけが修行ではないのだよ。神経を張り詰め過ぎるのはよくないのだ。たまには気を緩めることも修行なのだよ。身体を痛めつけることは修行にも何にもならないのだよ。アヌルッダ、さぁ、横になるのだ。横になって目を閉じるのだ」
「シャーリープトラ尊者、大丈夫です。横にならなくても私は大丈夫なのですよ。どちらにせよ、目を閉じても眠ることができないですし。大丈夫です、このままにしておいてください」
アヌルッダの言葉にシャーリープトラは、何も言えなかった。
数日後のことであった。仏陀がアヌルッダを呼びだした。
「アヌルッダ、眠らない修行などはない。今すぐ眠るのだ。苦行は悟りとは関係のないことだ。いくら苦行をしても悟りは得られない」
「世尊、私は苦行をしているのではありません。苦しいと思ってはいないのです。ただ、眠る気がしないだけです」
「しかし、それでは身体が壊れてしまう。眠れないのなら、医者を呼んで眠れる薬をもらうがよい」
「世尊、眠れないのではありません。眠る気がしない、眠る気が起きないのです」
「アヌルッダよ、目には眠りが食事なのだ。食事を得なければ修行もなにもない。否、生きている以上、生ある者はすべて食事を得なければ、何も成就はしない」
「世尊、悟りにも食事があるのですか」
「ある。悟りすら食事はある」
「その食事とはなんでしょうか」
「それは怠らぬことだ。悟りとは、怠らぬことにより完成し維持することができる」
「ならば世尊、私は怠らず眠りません。それが私にとっての真理への道です。私にとっての悟りへの食事です」
「どうしても睡眠をとることはないのか」
「はい、このままにしておいてください」
「どうしても睡眠をとることはないのか」
「はい、このままにしておいてください」
「どうしても睡眠をとることはないのか」
「はい、このままにしておいてください」
仏陀はこのように3度同じことを尋ねた。アヌルッダの答えも3度とも同じであった。
「よろしい、これ以上は何も言うまい。アヌルッダよ、好きに修行するがよい」
仏陀はそういうと、アヌルッダの自由を優先したのであった。

アヌルッダが眠らなくなって3週間がたったころ、彼の眼はついに何も見えなくなった。ところが、それと同時に
「あっ、あぁ、わかった!、ついにわかった。あぁ、そうだったのか・・・・」
アヌルッダは叫んでいた。
「どうしたのだアヌルッダ」
アヌルッダの声にシャーリープトラが駆け寄った。
「シャーリープトラ尊者、わかったのです。私は真実に目覚めました」
そういってアヌルッダはシャーリープトラに、自分が悟った内容を伝えた。
「おぉ、アヌルッダ、よくぞ悟った。さぁ、世尊の御前にいこう。そして、アヌルッダの悟りを世尊に話すのだ。さぁ、行こう」
シャーリープトラに促され立ち上がったアヌルッダだったが、歩くことができなかった。
「アヌルッダ・・・君は目が・・・・」
「尊者よ、私の眼は見えていません。どうか、私の手をとって世尊の前まで連れて行って下さい」
シャーリープトラは驚いた。しかし、それは当然と言えば当然なのである。3週間も眠らずにいたのだから・・・。

仏陀の前に出たアヌルッダは、自らが悟った内容を仏陀に告げた。
「ふむ、アヌルッダは悟った。目は見えなくなったが、天眼が開いた。彼は今、真理の目が開いた」
仏陀はアヌルッダの悟りを認めたのだった。
が、しかし、アヌルッダの心の中には、ごくごく微量ではあったが、まだ疑問が残っていた。否、疑問と言えるほどのものではなく、ただ釈然としない、言葉では言い表せないようなモヤモヤとしたものが残っていたのだった。アヌルッダは、それを心の奥深くに押しとどめていた。
アヌルッダの目が見えなくなってから数日が過ぎたころのことである。アヌルッダは、袈裟が破れてきたので縫って直そうとしていた。しかし、生まれつきの盲目ではないゆえ、手先は不器用であり、針に糸を通すようなことは不可能であった。
「どなたでも結構です。徳を積みたい方はいらっしゃらないでしょうか?。ほんの小さな徳ですが、私を手助けして、徳を積みたい方はいらっしゃらないか。針に糸を通すだけですが・・・・」
アヌルッダの呼びかけに
「私が徳を積もう」
と声をかけた者がいた。ほかならぬ仏陀であった。
「あぁ、世尊、そんなもったいない。私は世尊に頼んだのではありません。いやいや、世尊はすでに完全なる真理に至った方。それなのに今さら徳を積む必要はないではないですか」
アヌルッダはあわてた。まさか、仏陀がそんな些細な作業をするとは思えなかったし、仏陀には、そんな徳積みは必要はないと思っていたからだ。
「アヌルッダよ、汝は勘違いをしている。徳を積み、幸福を求める行いに終わりはない。たとえ仏陀といえども、小さな徳を積み、幸福を求めているのだよ。悟りに怠りはないのだ。さぁ、針と糸をよこしなさい」
その時であった。アヌルッダが叫んだ。
「そうか、そうだったのですね。悟りの食事は怠りないことである・・・・その意味がわかりました。私は今、真実の世界に到達しました」
アヌルッダは、心の奥底にとどめていた、極々微細な疑問を解決したのであった。彼の心は真実の悟りで満たされたのであった。
「アヌルッダよ、その通りだ。それが完全なる真理だ」
仏陀は、優しくアヌルッダにほほ笑んだ。アヌルッダの心の目はそれをしっかり受け止めていたのであった。
なお、アヌルッダは後に天眼第一と称されるようになったのである。


「ふむ・・・・。この世はいっさいが空と世尊は説いたが・・・。空っていったいなんだ?」
スブーティは、岩の上に座禅をし、空を睨んでいた。
「う〜ん、よくわからん。よくわからんが・・・・まあ、いいか。しかし、この大空は、なんと広いのか」
そうつぶやくと、スブーティは、岩の上に寝転がったのであった。


100.それぞれの悟り・スブーティ
「この大空のように、なんこだわりもなく、広い、唯広い存在でありたいなぁ・・・・」
スブーティは、祇園精舎の外れにある泉のそばで寝転がり、つぶやいていた。
「おい、スブーティ、今は瞑想の時間だぞ、寝転がってはいけないのだぞ」
修行仲間が声をかけた。
「あぁ、そうだね。じゃあ、起きるか。しかし、瞑想って座ってしなければいけないものなのかなぁ・・・・」
スブーティの疑問に修行仲間は、
「当たり前だろ」
と答えていた。スブーティはさらに質問をした。
「なんで?、どうして座ってしなければいけないんだ?。なんで当たり前なんだ?」
修行仲間は答えに窮した。
「わからないだろ。そうさ、この世の中のことはわからないことだらけだ。だったら、考えない方がいいな」
スブーティはそういうと、ふらふらと森の奥へと歩いていったのだった。その後ろ姿を見て、修行仲間はつぶやいた。
「変なヤツ・・・・」
と。

スブーティは、スダッタ長者の甥であった。叔父のスダッタ長者が祇園精舎を建て、仏陀がそこにやってきたときに仏陀の教えを聞き、出家したのだった。
スブーティは、もともと小さなことにこだわらない性格であった。したがって、幼いころより、ケンカや争い事をしたことがなかったのだった。スブーティにかかれば、何もかもが些細なことになってしまったのだ。それは青年になってからも、出家してからも変わらなかった。たとえば、出家者同士で争い事があっても、その場にスブーティがいれば、いつの間にか争っていた者たちは和解していまい、
「なぜ、そんな小さなことで言い争っていたのだろう」
とほほ笑みながら言い合うようになっていたのだ。スブーティに言わせれば、
「言い争うほどのことではないでしょう。お互いに自分の裁量でやっていればいいのだし。相手のことをとやかく言う必要はないのではないかい」
という感じなのだ。
しかし、そんなスブーティもなかなか悟りは得られなかった。
「悟りかぁ・・・。空ねぇ。シャーリープトラ尊者は、私に向かって『君は元々空をわかっているじゃないか』とおっしゃるが・・・・。わからないなぁ・・・。まあいいか、悩んでも仕方がないし。あるべきように修行をしよう」
スブーティは、自分では気がついてはいないのだが、ある程度の空を理解し、実践していたのだった。

万事、のんびりしたスブーティは、見ようによれば、大変器の大きな人に見えた。仏陀たち修行者がマガダ国に滞在していたある日のことである。マガダ国王のビンビサーラが托鉢中のスブーティを見かけ、馬車から下りて声をかけた。しかし、托鉢中は、声をかけないのが規則である。そのことをビンビサーラは謝った。
「申し訳ないことをしました。托鉢中は、声をかけてはならぬし、修行者は余計な話をしてはならない戒律でしたね。いえ、何もおっしゃらずに・・・。私は、すぐに城に戻りますんで。しかし、それにしてもあなたは、なんとおおらかに歩かれる。どうしたらそのように振舞えるのか・・・。あ、いや、また質問をしてしまいました。いや、失礼しました」
そういって、馬車に乗り込もうとした。
「いや、いや、待ってください。折角ですからお話をしましょう」
スブーティは、ビンビサーラ王にそう声をかけたのであった。国王は驚いた。
「しかし、托鉢中は話をしてはならない戒律が・・・・」
「いえ、それは余計な話をしてはいけない、と言う戒律です。教えを説くことは、余計な話ではありません。およそ、戒律というものは、場合と状況によっては解釈が異なってくるものです。まあ、難しく、細かい話はいいではありませんか。そうした、細かい決まりごとは、効率よく出家者が修行ができるような仕組みなのですよ。今は、関係ないことです。国王様、国の決まり事でも、家庭内の決まり事でも、あまり細かいことを言って、杓子定規にふるまえば、窮屈で息苦しくなるのではないでしょうか。たまには規則も緩めることも大事でしょう。ぴんぴんに張った弓の弦では、矢は遠くには飛びません。ちょうどいい状態というもがあるのですよ。托鉢中の姿勢も、厳し過ぎず、かといってゆるすぎず・・・・。世尊は、どちらにも偏らない、中間をゆけ、といつも説いておられます。偏ってはいけないんです。いやいや、偏ってはいけない、と言うことにこだわってもいけないんですねぇ。そうですね、もっと自然に雲が流れ行くように、水が流れるように、自然体で振舞うのがよい振る舞いのなのでしょう」
スブーティは、そのままさらにビンビサーラに教えを説いた。ビンビサーラ王は、いたく感動し、
「スブーティ尊者よ、竹林精舎に尊者専用の小屋をお造りしましょう」
と約束したのだった。もちろん、スブーティは、返事はしたが、精舎に帰るころには忘れていた。

数日後のこと、国王の使いが、スブーティのところにやってきた。
「尊者のための小屋ができましたのでお越しください」
スブーティは、その言葉に従い、使いの者が案内した小屋に滞在することになった。それは、竹林精舎からは離れ、宮中寄りの農園地帯に建っていた。しかも、その小屋には屋根がなかった。
スブーティは、その屋根のない小屋を見ても何も思わず、そこに滞在することにした。ところが、である。それ以来、その地域には雨が降らなくなってしまったのだ。困ったのは農民たちだった。そのまま何日も雨が降らなければ、農作物は枯れてしまう。農民たちは、国王に訴え出た。しかし、農民たちにも国王にも雨の降らない原因はわからなかった。国王は占い師に原因を占ってもらった。すると・・・。なんと、スブーティの小屋に屋根がないため、雨を司る龍神が雨を降らすことを遠慮したのである。スブーティは、小屋に屋根のないことを知っていたのだが、気にしていなかったのだ。しかし、龍神は遠慮してしまったのである。そのことをスブーティに告げると
「あぁ、そういえば屋根がないねぇ。でも、龍神も雨ぐらい降らせてもよかったのに。雨が降れば、屋根のないことに気付いただろうし」
と言い、龍神に雨を降らすように頼んだのだった。これがスブーティだったのだ。真実は悟ってはいないが、万事自然体で過ごすことはできたのだった。いわば、意識をしていないだけで、実際は悟っていたのであろう。しかし、悟りはやはり自覚しなければいけないものである。自覚しなければ、真理を自分のものにすることはできないのだ。そうした機会が、スブーティにもやってきたのだった。

仏陀世尊は、悟りを得てから8年目にして天界に昇ったと伝えられている。それは、自分の生みの母親であるマーヤ―夫人に教えを説くためであった。その説法の期間は、三カ月にも及んだ。これは、三か月の間、人間界では仏陀が不在であったということになる。修行者たちはあわてた。修行者たちばかりか、多くの信者たちが心配をした。このまま仏陀世尊は、人間界へ戻らないのではないだろうかと。
しかし、やがて仏陀が天界での教えを終え、人間界へ戻ってくると神通力で知った多くの弟子たちは、信者たちを誘って仏陀世尊を出迎えようとしたのだった。
スブーティは、そのとき霊鷲山で衣を縫っていた。で、みんなで出迎えようという話を聞いたのだった。
「へぇ、世尊が戻られるのか。みんなで出迎えるのか。そうか、では私も・・・・」
そういって、衣を縫う手を休め、針や布を横に置き、立ち上がろうとした。しかし、その瞬間、スブーティに疑問がわいてきたのだった。
「待てよ待てよ、私が今これからお迎えしようとする仏陀とは、いったいどこにいらっしゃるのか。仏陀世尊のお姿は、元よりあるものなのか、ないものなのか。仏陀世尊の肉体は、実際にはあるものなのか、ないものなのか。世尊は、一切は空であると説く。ならば、肉体も空ではないか。であるなら、空である世尊を迎えるのに、その場所へ行く必要があるのか?。いやいや、迎えるとはどういうことだ。空ならば、迎える必要もなかろう。世尊の姿形も、この大地も自然もすべては同じであろう。すべては空ならば、世尊も私も・・・・いやいや、この世の一切が平等なのだ。同じなのだ。むむむむむ。そうかそうか、なるほど、そういうことか・・・・。むむむむ・・・・。つまりは・・・・・」
スブーティは、立ち上がりかけた腰を下ろした。そして、深い瞑想に入ったのだった。そして、いつの間にか、歌を口ずさんでいた。
「もしも仏陀を拝みたいのならば   仏陀も我も皆無常と知るがよい
過去の仏陀も未来の仏陀も  今の仏陀も皆無常
昔も今も  これから先も   すべては無常と知るがよい」
スブーティは、閉じていた目を開いた。
「そうか、わかった。空とはそういうことだったんだ」
そうつぶやくと、彼は横においてあった布と針と糸をとり、再び衣を縫い始めたのであった。スブーティは、真理に目覚めたのであった。
後に、仏陀は空の話をするときに、スブーティのこのときの話をよく用いていた。このとき、仏陀の帰りを最も早く出迎えたのは、誰でもない、スブーティであると。そして、スブーティのことを解空第一と称賛したのであった。

スブーティは、解空第一と称されるだけあって、空を説く修行者であった。したがって、あとに残るエピソードは少ない。いつも空の状態にいたので、目立った行動をしていなかったと思われる。しかし、何もないわけではない。一つだけ、スブーティの晩年の頃のエピソードを紹介しておこう。
仏陀世尊が霊鷲山に滞在していた時のこと。スブーティも近くの庵に住み、修行に励んでいた。しかし、その時彼は重病に罹ってしまったのだった。彼は、病気による全身の激痛や苦しみに耐え、結跏趺坐して病苦の原因・・・因縁・・・を深く探っていた。
この様子を帝釈天が天界から見ていた。彼は、すぐにパンチャシカという音楽を司る神と天女を従えてスブーティを見舞った。帝釈天は、天女に楽器を弾かせ、パンチャシカに歌わせた。それは病状を問う歌であった。
「痛みや苦しみはありますか。病の因縁はなんでしょうか。身体ですか、心なのでしょうか・・・・」
スブーティは、
「あぁ、素晴らしい歌だ。楽器とよく調和がとれている。心休まる歌だ・・・・。そう病は・・・」
そういうとスブーティは、歌で答えた。
「貪る心の病には 不浄を観じて治癒するがよい。怒りの心の病には 慈悲の心で治癒をせよ。
愚かな心の病には 智慧による治癒がよいであろう。あらゆるものはすべて空。
我なく他人なく寿命なく 姿形も像もなく 男も女も すべてなし。
あたかも大風が 大樹を倒すようなもの。今までついていた枝も葉も 次の刹那には何もない。
いくら果実が実っても 水がなければ枯れてゆこう。ほどよく雨が降ってこそ 花も果実も実るもの。
帝釈天よ このように あらゆるものは乱れもするが 整いもする。それが真理で法なのだ。
私の病の苦しみも 今やすっかり消え去った・・・・・」
スブーティは、歌い終わるとほほ笑んだのだった。帝釈天はすっかり安心し、
「なるほど・・・病あるもこれ自然の成り行きですな・・・。尊い教えをありがとうございます」
と言い、スブーティを礼拝して天界へと帰っていったのであった。
病あるも、その病が癒えるのも、これすべて自然であり、その自然に従うことこそが空なのである、とスブーティは、説いたのであった。あくまでも空の世界に生きたのがスブーティなのである。


「みんな一人で森や林の中で修行をしている。あぁ、私も一人で修行したいなぁ・・・・。戒律だってしっかり守っているのだから、そろそろ一人で修行してもいいよなぁ・・・・。そうだ、世尊に申し出てみよう。きっと許してもらえるに違いない。今は、世尊はみんなの指導に廻っているときだ。今なら大丈夫だ、戒律違反にはならない。よし、行こう!」
ウパーリはそういうと、座を立って仏陀が若い修行者を指導している精舎へ向かったのだった。


101.それぞれの悟り・ウパーリ
ウパーリは、仏陀の故郷カピラバストゥで理髪師をしていた。当時のインドでは、理髪師は身分が低く、奴隷階級の扱いを受けていた。仏陀がカピラバストゥを訪れた時、釈迦族の多くの者が出家したが、ウパーリもその一人だった。出家のとき、釈迦族の多くの貴族の髪を剃ったのもウパーリである。釈迦族の貴族たちは、自らが出家するとき、自分よりも先にウパーリを出家させた。それは、気位が高い釈迦族を戒めるためであった。その出来事は、仏陀の教団が、出家者の出自や身分を問わず、平等であることを世に知らしめた。

ウパーリは、もともとまじめな性格であったため、熱心に仏陀の教えを聞いていた。また、多くの長老たちからも教えを学び、戒律を教えられた。ことに戒律については、ウパーリはよく覚えていた。覚えているだけではなく、状況の応じてどの戒律が適用されるか、的確に判断することもできた。したがって、教団内で揉め事があると、誰もがウパーリを頼ったのである。彼の戒律を用いた判断力は優れたいたのである。
それだけでなく、当然のことながら、ウパーリもよく戒律を守った。彼は、細かい規律まで覚えていたので、それさえもしっかりと守っていたのである。戒律を順守することに関しても、誰にも負けないのであった。
だから彼は、日々の生活をゆるぎなく過ごし、修行に励んでいたのである。しかし、そうした日々を過ごせば、誰もが勘違いを起こすことになる。ウパーリも例外ではなかった。

ある日のこと、彼は仏陀が若い僧侶を指導しているときに、仏陀の前に出てお願いをした。
「世尊、ほんの少しご指導を頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
「ウパーリ、何なりと問うがいい」
「はい、私は戒律をしっかりと守り、日々何事にも揺るぎなく修行をしております。しかし、未だに一人で林野にて修行をしてはいません。いつも数名の修行者とともに修行しております。長老の指導を仰ぎながら・・・。ですが、私もそろそろ一人で林野にて修行をしたいと思うのです。世尊よ、お許し願えないでしょうか」
「ウパーリよ。林野で一人で修行が許される者は、悟りを得たものだけだということは、よくわかっているね?」
「もちろんです、世尊。私はどんな些細な戒律でも覚えています。ですから、悟りを得たものでない限り、一人で林野で修行してはいけないこともよくわかっています」
「では、なぜ、今そのようなことを願うのだ?」
「はい・・・・私はまだ悟りを得たことを認められとりません。おりませんが、何ものにも揺るぐことがない精神力を持っています。たえず、戒律に照らし合わせ、自分の行いが出家者にとって相応しいかどうかを的確に判断することができます。迷うことがありません。ですから・・・・」
「戒律を守ることと、悟りを得ることは、全く違うのだよ、ウパーリ。それは、外側から見れば似ているが、それはあくまでも似ているだけで、同じではないのだ」
世尊の言葉にウパーリは、衝撃を受けてしまった。
「だ、だめなのでしょうか?」
「ウパーリよ。林野で一人で過ごすということは、どういうことかわかるかね?。そこには修行仲間はいない。たった一人なのだ。しかも、林野は危険が伴う。いくら戒律通りに生活をしていても、危険は関係なくやってくる。そうした危険に対し、戒律を守っているというだけでは、心乱さず、臨機応変に対応できるかどうかわからないであろう。悟りを得たものであれば、たとえ命を奪われるような危険な目にあっても、冷静で落ち付いていられるであろう。今の汝は、そうした境地には至っていないであろう。汝には、汝にふさわしい修行場所や環境が必要なのだ。戒律を守っているからと言って、悟りを得られているわけではないのだよ。また、戒律に多少疎くても、悟りを得ていれば許されることもあるであろう。戒律と悟りとは、必ずしも一致しているわけではないのだ。戒律を守って生活することと、悟りを得た者の生活は似ているようで、その内容は異なるのだよ」
仏陀の言葉は、ウパーリに大きく響いた。
「世尊、私が勘違いをしていました。戒律を細かい部分までしっかり守っていれば、それでいいのだと思っていました。また、修行仲間から、あるいは悟りを得た長老から、どんな状況にどのような戒律を適用すればいいのか相談を受けたりするうちに、私はうぬぼれてしまっていたのです。長老にも頼られる存在なのだ、と・・・・。世尊、私が間違っておりました。もう一度、修行をやり直します」
「ウパーリ、それがいいでしょう。子供が赤ん坊より次第に成長していくように、そして、子供から青年、青年から大人へとなっていくように、修行にも段階と言うものがあるのだ。一足飛びに悟りを得られる者もいるかもしれないが、多くの者は、段階を経て次第に悟りへと近づいていくのだよ。焦ってはならない。ゆっくりでよいのだ」
ウパーリは、仏陀の言葉を胸に、いつもの修行場所へと戻っていったのだった。

ウパーリは、仏陀の言葉を繰り返してみた。
「『戒律を守って生活することと、悟りを得た者の生活は似ているようで、その内容は異なる』・・・う〜ん、わからないなぁ・・・。どういうことなのだろうか」
ウパーリは、この言葉をいつも心にとどめて日々を過ごしたのだった。
ある日のこと、ふとウパーリは考えてみた。
「私はこうして戒律を守って生きている。何も間違ったことはしていない。仏陀の弟子として非難されることは一つもないであろう。しかし、それはあくまでも外見上の問題だ。外側から見て、私の行動は非の打ちどころがない、と言えるだけであろう。では、内面はどうであろうか。心の中はどうであろう。世尊の教えの通り、心をよくし制御できているであろうか。怒りはないか?、不平不満はないか?、焦りはないか?、他と比較してはいないか?、愚痴はないか?、妬んではいないか?、羨んではいないか?、恨んではいないか?、欲してはいないか?、己の心がわかっているのか・・・・・・」
ウパーリは、ぼそぼそと独り言を言っていた。
「確かに戒律は守っている。しかし、それは戒律があるから守っているだけにすぎない。なければ、私は守ってはいないであろう。たとえば、こうしたほうがいいではないか、と思うようなことでも、それが戒律になっていなければ、守ってはいないではないか。改善していはいないではないか。では、悟りを得た長老たちはどうだ。林野に一人で生活をしながら、あるいは精舎で個室を与えられていながら、戒律にとらわれることなく、自分で自分に厳しい戒律を定めている。あるいは、細かいことは気にせず緩やかに過ごしている。そう、長老たちは誰もが、戒律にとらわれてはいない。自然に戒律にしたがった行動をしているように思える。ここが、私と長老との大きな違いなのではないだろうか。私は、戒律にとらわれ過ぎていたのではないだろうか・・・・・」
ウパーリは、そのまま深い瞑想に入っていったのである。

「もう少しのように思う。もう少し・・・もうちょっとで見えるような気がする。あぁ、もどかしい・・・・。この落ち着かない気持ちは何だ。あぁ、かゆい所に手が届かないような、そんなもどかしさだ・・・・。そうだ、もう一度、世尊の言葉を振り返ろう。戒律と悟りは似ているようで違うのだ、という言葉を・・・・・」
毎日のようにウパーリは、深い瞑想に入ることができるようになった。やがて、それは悟りへと続いていくのであった。
「わかった・・・。そうだ、確かに私はとらわれていた。戒律に・・・・いや、形式にとらわれていた。何のことはない。戒律とは、出家生活がしやすいように、集団生活が乱れないように、出家者として非難を受けないような生活ができるように定められたものなのだ。それはあくまでも外見上のことであって、悟りを得たならば、戒律などどうでもいいことなのだ。なぜなら、悟りを得たものは、戒律などなくても、悟った者に相応しい行動が自然にできるからだ。戒律は、出家生活のための単なる方便にすぎないのだ。今、私は理解した。今、私はすべての戒律から解放された。私は自由であり、空であるのだ」
ウパーリは、そう叫ぶと同時に立ちあがった。その顔は晴れ晴れしいものであった。そして、早速長老の元へと向かったのである。

仏陀の前には、長老とともにやってきたウパーリがいた。仏陀は、ウパーリを見て、
「よく気がついた。よくその境地に達することができた。ウパーリよ、汝は悟りの境地に至ったのだ」
とほほ笑みながら言ったのだった。ウパーリは悟りを得たと認められたのである。
「ウパーリよ、これからは汝の知識である戒律と汝の智慧である悟りを用いて、他の修行者を指導し、あるいは世間に教えを説くがよい」
仏陀は、優しくウパーリに言ったのだった。

ウパーリは、仏陀の言葉の通りに、教団内で起きた紛争や、出家者同士の揉め事の仲裁を数多くこなしていった。時には、戒律にはないことも、智慧によって判断していった。戒律に関しては、ウパーリの右に出る者はいなかったのである。このため、ウパーリは、「持戒第一」と称されるようになったのだ。
彼は長生きをして、仏陀入滅後にマハーカッサパの呼びかけで仏陀の教えを確認し合った「第一回結集(けつじゅう)」にも参加し、戒律について教えをまとめたのであった。現在まで仏教教団の戒律が伝わっているのも、ウパーリのおかげなのである。


「さて、わしもこの世を去る時がきたのう。短い出家生活であったが、叔父が得られなかった悟りを得ることができたのは・・・・なによりのことだ。悟り・・・・そうじゃ、最早わしには何の執着もない。静かに世を去ろう。そして二度と生まれ変わらぬ世界へ行こう。わしに会いたくば、汝らもこちらの世界に来るがよい・・・・」
カッチャーナは、そういうと静かに眠るように息を引き取ったのであった。


102.それぞれの悟り・カッチャーナ
カッチャーナは、アシタ仙人の甥で名前をナーラカといった。カッチャーナは姓にあたる。
ナーラカの父はバラモンで、学識も深く、小国の相談役を務めていた。ナーラカには兄がいて、彼も聡明で学識が高かった。ある日のこと、ナーラカの兄が数年間の留学から帰ってきた。兄は、多くの人々の前で、その知識を披露し、人々にいろいろな教えを説いた。それを聞いていたナーラカは、
「父上、私も兄のように留学して学問を修めたいと思います」
と申し出た。父は、
「兄の教えが理解できたのか?」
とナーラカに問うと、ナーラカは、兄の説いた教えをすべて覚えており、さらにわかりやすく解説までしたのであった。これには、父も兄も驚いてしまった。そこで、すぐに父親はナーラカを父の兄であるアシタ仙人に預けることにしたのだった。アシタ仙人は、ヒマラヤの山中に住んでおり、多くの弟子を抱えていた。その名はコーサラ国やマガダ国以外にも、広く知れ渡っていた。仏陀に最も近い尊者だとも言われていたのである。ナーラカは、すぐにその才能を表し、大勢いるアシタ仙人の弟子の中でも最も優れた弟子となったのである。

ある年のこと、アシタ仙人がカピラバストゥに呼ばれた。生まれたばかりの王子を占って欲しいということだった。アシタ仙人は、その王子を抱きかかえると、涙を流した。シュッドーダナ王がそれを見てアシタ仙人に
「何か不吉なことでも?」
と尋ねると、アシタ仙人は
「いえ、この王子の将来が見られないのが残念で、つい涙を流してしまいました。申し訳ない。この子は、いずれ天輪聖王か、出家すれば仏陀になるでしょう。私は罪深い人間です。その姿を見ることができない。お会いすることができない・・・・」
と予言して、ヒマラヤへ帰っていった。
それから十数年の後、アシタ仙人の最後の日がやってきた。アシタ仙人はナーラカを枕元へ呼び寄せた。
「ナーラカよ、私はついに悟りの世界を見ることができなった。だから、汝らをその世界へ導くこともできなかった。よいか、ナーラカよ、私が亡くなったあとは、仏陀を頼るのだ。そのお方はまだ目覚めてはいないが、いずれ目覚めるときが来る。よいか、必ず仏陀が現れた時は、探し出して、その弟子となるのだ。それまでは、旅を続け、己を磨くがよい。あぁ・・・私はなんと罪深い人間なのだ。仏陀が現れる前に死を迎えるとは・・・・」
アシタ仙人は、そう言ってこの世を去ったのである。
ナーラカは、アシタ仙人の言葉通り、ヒマラヤを下りることにした。旅を続け、己を磨く修行に出たのだ。いずれ出会うであろう、仏陀を求めて・・・・。
しかし、時がたつにつれ、ナーラカは仏陀を求めることを忘れていってしまった。旅もいつの間にか終わってしまい、ナーラカは、マガダ国の外れの村でバラモンとして人々に教えを説いていたのだ。ナーラカは、その平穏な日々に満足をしていたのだった、大きな志やアシタ仙人の遺言も忘れて・・・・。

そんなある日のことだった。ガンジス川にエーラーバタという竜王が現れたという噂が流れた。その竜王は、人々にこう言った。
「私は遠い過去世に仏陀から教えられた詩文を知っている。しかし、その意味が未だにわからぬ。どうか、誰でもいい、詩文の意味を説いて教えて欲しい。解けたものには、金銀財宝のほか、私の娘をささげてもいい。その詩文とはこうだ。
この世で最も自在な者とは  自在の王とはだれのこと
染とはなにか愚者とはなにか   如何なる者を智者と呼ぶ
さぁ、誰でもいい、私にこの詩の意味を教えてくれ」
竜王の問いかけに多くのバラモンや聖者が挑戦をした。しかし、誰も詩の意味を解き明かす者はいなかった。ナーラカも、村の人々から竜王の詩を解くように勧められていた。その時のナーラカは、少々天狗になっていた。
「ふん、誰も解けないのか。ほう、あの高名な聖者もダメだったのか・・・・。よし、では私が行ってこよう」
意気揚々と出かけたナーラカであったが、竜王に突っ込んだ質問をされると、しどろもどろとなり、結局はうまく答えることができなかった。
「このまま村へ帰るわけにはいかない・・・・」
ナーラカは悩んだ。
そのころマガダ国では、仏陀が現れビンビサーラ王が帰依し、竹林に精舎を建てた、という噂が流れていた。
「仏陀か・・・。しかし、噂だからなぁ。どこまで信じていいものか。しかも、まだ年若い・・・35歳ほどだと聞く。私はもう60を過ぎている。この年でそんな若いものに教えを請うのも・・・・。しかし待てよ・・・。そういえば、あの時・・・アシタ仙人様が・・・・。あれは、何年前だったか・・・・。おぉ、そうだおよそ35年ほど前のことだ。あぁ、私は何か大事なことを忘れていたようだ。ひょっとすると、仏陀という噂の人物は、アシタ仙人が予言した仏陀その人なのかもしれない。そうだ、いい機会だ。竜王の詩が解けるのは仏陀だけだと竜王は言っていた。噂の仏陀が本物の仏陀なのか、試すことができる・・・・・」
ナーラカはすぐにマガダ国の首都郊外にある竹林精舎へと足を向けたのだった。

竹林精舎に到着すると、ナーラカはすぐに仏陀に対面した。
「汝の問いたいことはわかっている。エーラーバタ竜王の詩の意味が知りたいのであろう。竜王にはこう答えるがよい」
仏陀は、落ち着いた口調でそう言った。ナーラカは
(な、なんという威圧感。いや、威厳だ。こんな感覚はアシタ仙人にもなかった。これが・・・仏陀か・・・・)
と一目で噂が本当であることが分かったのであった。仏陀は、そんなナーラカのことは気にせず竜王の詩の意味を解き始めた。
「自在の王とは 他化自在天魔
これに染められ 惑わされるを染者と呼ぶ
一方で 他化自在天魔がいなくても 自分で迷う者もいる
これこそ愚者で 暴流(ぼる・・・煩悩のこと)に住む
暴流の流れを食い止めて 滅し尽くすを智者という」
ナーラカは、深く礼をすると竜王の元へと急いだ。

竜王に詩の意味を説き明かすと、竜王は涙を流して喜んだ。
「あぁ、そうだったのか。そういう意味だったのか。なるほど、なるほど・・・・。この詩の意味を説き明かしたあなたは、仏陀なんですね。あぁ、私は仏陀に会うことができた」
「いえいえ、違います。実は、私も教えてもらったのですよ。本物の仏陀に・・・」
ナーラカは、竜王に事情を話した。
「そういうことでしたか。では、その本物の仏陀に会いに行きましょう」
エーラーバタ竜王は、ナーラカとともに仏陀の元に向かったのだった。
竜王は、仏陀を深く礼拝し、
「今後、仏陀に帰依し、教えを守って生きていきます」
と誓ったのだった。そして、ナーラカにも礼を言った。
「ナーラカさん、あなたには約束の品を渡さねばならない。金銀財宝を好きなだけ渡そう。それで村に戻れば、あなたは英雄だ」
それに対しナーラカは、静かにこう言った。
「エーラーバタ竜王よ。その申し出は堅く断る。なぜなら、出家者には金銀財宝はいらぬからだ。私は、これより仏陀の弟子となり、悟りを得ることを目指します」
こうして、ナーラカは出家し、アシタ仙人とかわした約束を果たすことになったのであった。
その時、そばにいた仏陀の弟子が
「さきほどから聞いていましたが、私には、その詩の意味がよくわかりません。どうかお教えください」
と願い出た。仏陀は、ナーラカに
「汝が説いてみよ」
といった。ナーラカは、一つうなずくと竜王の詩の意味を説き始めたのだった。
「他化自在天魔は、人々に様々な誘惑を与え、人々が迷うことを喜びとしている天魔です。人々は、実に他化自在天魔の誘惑に迷わされます。そのように他化自在天魔によって迷う者を染まった者・・・染者といいます。しかし、他化自在天魔の誘惑ではなく、自ら勝手に迷う人々もいます。己の欲望に迷うのですね。人々は、本当に己の欲望に迷う生き物です。そのように己の欲望で勝手に迷っているものを愚か者・・・愚者というのです。そういう愚かな者は、煩悩という世界に住んでいます。煩悩は、次から次へと生まれてきて、まるで豪雨の後の川のようなものです。そうした流れの中に愚か者は呑み込まれてしまうのです。しかし、そうした濁流を止めることができる者がいます。それができる者を智者・・・智慧のある者というのです」
「見事である、ナーラカ。その通りだ」
仏陀は、そういうと、質問をした弟子やナーラカ、竜王に向かって
「汝らも濁流を止める智者になるがよい」
と言ったのだった。このときすでに、ナーラカは悟りの入口にまで達していたのであった。

こうして仏陀の弟子となったナーラカは、仲間からカッチャーナと呼ばれるようになった。バラモン時代の呼び名であるナーラカを捨てたためである。
ある日のことカッチャーナは、マガダ国の属国である小さな国に滞在をしていた。その国では、王妃が亡くなったばかりで、ムンダという国王が途方に暮れていた。心配した大臣たちは、仏陀の弟子が近くにいることを聞きつけ、ぜひ国王に教えを説いてやって欲しいとカッチャーナに頼んできたのだった。カッチャーナは、これを快く引き受けた。
「ムンダ国王様。国王様の悲しみはいかばかりか・・・・それはよくわかります。しかし、国王よ。よくお考えください。この世は夢幻しのようなものではありますまいか。とてもはかないものです。悲しいものです。虚しいものです。そうしたはかなさ、悲しさ、虚しさが迷いを呼び寄せるのです。そして、必ず消えてしまう泡や雪に執着してしまうがゆえに悩みが引き起こされるのです。そのように迷いや悩みの世界がこの世なのです。
仏陀は、こうした迷いや悩みから救われる教えを説いています。それは五つあります。ひとつには、如何なるものでもいつかは尽きてしまうということです。国王よ、わかりますね。どんなものであれ、いつかは尽きるときが来るのですよ。
次に、その尽きる流れを食い止めることは誰にもできない、ということです。誰もが尽きることを止めることはできません。たとえ国王であっても・・・・です。
次に、如何なるものも必ず滅してしまう、ということです。これも真実です。誰にも避けられません。
さらに、生まれた者は必ず、老い、病にかかるのです。老いない者はいないし、病にかからない者はいません。老いや病からは逃げられないのです。
そして、生ある者は、必ず死ぬのです。命があるものは、必ず死を迎えるのです。仏陀はそう説いています。おわかりですか、国王よ・・・・・」
カッチャーナの言葉に、国王は
「あぁ、本当にその通りです。私が愚かだった。いつまでも妃の死にこだわっていた。悲しんでいた。そうだ・・・悲しいのは仕方がない。しかし、死にこだわって国政を怠るのはよくない。よくわかった。ありがとうカッチャーナ尊者よ」
といって、ほほ笑んで立ち上がったのである。こうして、国王の顔には、力強さが蘇ったのであった。
カッチャーナは、国王に仏陀の教えを話しながら、
(そう、そうなのだ・・・・・。アシタ仙人が説かなかったこと、否、アシタ仙人が至れなかったことは、このことなのだ。現実をよく観察し、現実に起きたことを決して拒否することなく、素直にそのまま受け入れる。あるがままに現実を受け入れてしまう。その先に・・・・)
と次第に深い瞑想に入っていったのであった。やがて
「あぁ、そうか、そうだったのか。わかった。私は今こそ真実の悟りに至った」
と口に出していた。そして国王に向かって
「国王様。礼を言わねばならないのは私のほうです。私は、国王様に世尊の教えを説きながら、自分にも説いておりました。そのおかげで、真理に至ったのです。ありがとうございました」
といい、国王に礼拝すると、カッチャーナは帰っていったのであった。その後ろ姿は黄金に輝いていた。国王をはじめ、家臣たちはその後ろ姿をいつまでも礼拝していたのだった。
こうして、カッチャーナは真理に至ったのである。また、彼は、仏陀の教えをわかりやすくかみ砕いて説いたので仏陀から「広説第一」と称されたのであった。

カッチャーナは、しばらくは仏陀のもとで修行をしていたが、主に出身地であるアバンティ国へと戻って布教に努めた。アバンティ国は、ヒマラヤ付近の辺境の地であった。この地を中心に数多くの人々を救い、仏陀の教えを広めていったのであった。しかし、出家が遅かったのと、仏陀よりも30歳ほど年長であったため、早くに死を迎えたのである。その死は、大変静かなもので、多くの弟子に見守られ、この世を去ったのであった。
つづく。



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