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*必殺!その1「日本の教育を説教する」 前回、予告いたしましたとおり、このページは新コーナーになりました。今までのまじめ路線から「怒り」モードへ大変身です。だって、みなさんも、頭にきていることってたくさんあるでしょ?。その頭にきていることをここで大いに説教して、すっきりしようじゃないか、ということで進めていこうと思っています。 さてさて、みなさん、大いに爆発してくださいね!。 初日の今回は、まだどんな内容になるかわからないこともあって、怒りメールがきていませんでしたので、私が日頃、頭にきていることをどど〜んと説教したいと思います。題して、 「どうなっとるんじゃあ、日本の教育は!」 です。 先日のこと、あるニュース番組だったかな、国立大学の予算が削られるって特集をしていました。特に、東京芸術大学は大きな痛手だと・・・・。 日本の教育を司っている文部科学省の役人って、本当にこの国の教育って考えているのでしょうか?。日本の文化をどう思っているのでしょうか?。文化に金をかけられない国って、どういう国?、と思わずあきれてしまいましたね。 芸術はお金がかかるんですよね。美術にしても音楽にしても、お金がかかるんですよ。文化って、費用がかかるものなのです。それが「ムダ」とか言われると、おいおいおいおいおい、っていいたくなりませんか?。芸術は無駄じゃないですから。絶対に!。文化はとっても大切なもんでしょ。 いい加減にしろよ、文科省&政府、財務省! っていいたくなりませんか?。 どうもねぇ、日頃から日本の教育って本当にダメだな、と私は思っていました。なんでもっと文化や歴史に時間を使わないのねぇ。なんでもっと国語に、読書に時間を費やさないのかねぇ。本当に疑問です。 っていうか、国語なら、つまらん文学なんかで勉強させないで、今人気の作家の本を読ませて勉強させたらいいじゃないですか。現代作家でも文章が美しい作家さんは、いっぱいいますよね。理論的文章を小説の中で書きまくっている作家さんだっていますよね。 小説は国語だけじゃない、社会勉強にもなるんですよ。たとえば、東野圭吾さんの「手紙」なんて、犯罪者の家族の苦しみがよく描かれていますよね。こういう小説を題材にすれば、犯罪が如何に家族や周囲の人に迷惑をかけるか、苦しめるか、よ〜っくわかるんじゃないかと思うんですよ。犯罪は本当に割に合わない、自分が罰を受ければそれでいい、ってもんじゃないってことがよっく分かります。 つまらない文学だの、論説だの読ませてないで、社会生活に直結した人気作家の作品を読ませ、国語力と社会的常識を養うような教育の方がいいんじゃないかと思うんです。 うちの子供の教科書を私は見てきました。子供が三人いるので、三人分見てきました。 ほっんとうに教科書ってつまらないですよね。いや〜、こんなつまらないものでよく教育なんてできるなぁと、つくづく思いますよ。やる気が出ない生徒が出ても仕方がないよ、これ・・・・って、本当に思いますよ。落ちこぼれがでて当然でしょ、って。いやいや、むしろ、落ちこぼれを作ってるんでしょ、わざと・・・・としか思えないんですよ。 一つ間違ったら、一つわからないと疑問に思ったら、もうついていけない、やる気が出ない・・・・ってしくみになっているんですよ、あれは。あんな教科書で、今の時代の子供たちを教育しようって方が間違ってます。頭悪すぎ、文科省の役人。これじゃあ、日本の教育レベルもマナーも向上しないですね。犯罪も減らないでしょうねぇ。少子化も歯止めはかからないでしょう。 国を良くするのは、教育が最も重要です。教育とは、一種の洗脳です。しっかりと教育=洗脳しないと、ロクな大人になりません。あぁ、そうか、それでこの国の大人たち、特にセイジ家とか言われる人種は、責任のとれないダメな大人なんですな。納得できますよね。教育が悪いんだね、これは。 教育ってのは、ただ勉強ができればいいってもんじゃありません。いい学校に入って、いい就職ができればいい、ってものじゃありません。人間として如何に生きるか、人間関係をどのようにしていくか、社会性はどうなのか、常識はどうなのか、マナーは、やる気は、根気は、辛抱強さは、努力は、性格は・・・・そうしたことも全部ひっくるめての教育でしょう。勉強さえできればいい、いい学校にさえ入れればいい、というのなら、教育機関はいりません。塾や予備校があればいいんです。 学校教育とは、人間性や社会性を身につけさす場所であり、社会での自分の役割やどう生きるかを考えさせる場所であり、自分というものを見つけさす場所であり、日本を学ぶ場所でなくてはならないと思うのですよ。サイン・コサイン・タンジェントなんて、どうでもいいのです。そんなのは、それを専門でやりたい人が学べばいいのですよ。英語の文法なんてどうでもいいのです。それよりも、読めること、話せることの方が大事なんです。英語の文法や、数学の公式や因数分解をテストするほうが間違っているんです。そんなことは、学びたいものが学べばいいんですよ。実際、今の数学で学ぶことなんて、理系に進まなければ、理系の会社に就職しなければ、そんなものは使いませんからね。 私も理系の大学に進みましたが、そのまま理系の会社にでも就職しない限り、あるいは工学系や研究者にでもならない限り、使いませんよね、高等数学って。尤も数学的考え方が大事なんだ、ということは重々わかっています。しかし、それって、何も小難しい内容で鍛える必要はないかとも思います。証明問題だって、国語を使って理論的思考をさせればいいんですよ。一定の条件を与えて、犯人を追いつめることをさせったて、理論的思考の教育になりますからね。否、むしろ、そうした教え方の方が、より実践的だと思うんですが・・・・。数学の考え方は、理論的思考を養っているんだ、と言われたって、多くの人が、それを社会生活に応用できていないでしょう。もし、それができているならば、騙される人はしませんし、日本国民はもっと賢いし、あんなダメ政治家なんて生まれてきません。ああいう人たちを見ていると、日本の教育がいかに役立っていないか、本当によくわかります。 口だけ立派なことを言って、自分の立場が危うくなると平気でうそをついたり、ごまかしたりして、逃げてしまう、責任のとれないダメな政治家を見ていると、あんな大人をたくさん作っているのが今の教育なんだなと、思いませんか?。私は思います。 今の日本の教育では、せいぜいあの程度の人間しか育たないんですよ。ごくごくまれにノーベル賞をとるような人物が生まれるだけなんですよ。 教育は、何を教えるべきなのか。 それは、責任のとれる人間、社会性のある人間、マナーを守れる人間、自分自身を客観的に見つめることができる人間・・・・これを教えることが最も重要なことだと思うのです。勉強なんて二の次でいいんです。大事なのは、人間性です。 落ちこぼれさせて、学校がつまらなくなったり、他人をいじめることだけが面白いような、そんな人間には育ててはいけないんです。いくら勉強ができても、思いやりのかけらもないような、労わることができないような人間に育てては意味がないのです。 責任をとらないで逃げてしまうような大人にしてはいけないんです。プライドばかりが高くて、理屈ばかりこねてて、働かないような大人にしてはいけないんです。他人の痛みがわからないような鈍感な大人にしてはいけないんです。日本の平和がいろいろな人の苦しみのおかげで成り立っているのだと知っている大人になっていかないといけないんです。 そのためには、もっともっと日本のことを教育するべきでしょう。日本の教育は、数学・国語・英語だけに偏り過ぎているんですよ。もっと、文化を歴史を学ばねば、心豊かな人間は育たないもんです。他人のことを思いやる人間は育たないんです。左脳ばかり鍛えていては、感情をうまくコントロールし、表現が豊かで、優しい人は育たないんです。理論ばかり、文法ばかり学ばせ、テストテストで追っかけていては、自己表現がうまくできる人間は育たないんです。左脳教育では、豊かな人間は育たないんですよ。 読売新聞にこんな記事がありました。7月26日の朝刊です。帝京大学の筒井教授が書かれているのですが、原文のままではなく、要約して掲載いたします。 太平洋戦争中に占領統治に関わっている日本のリーダー層の評判が悪い原因を検討した結果、次のような言葉が発せられた。 「教育の失敗だ。理想と、教養なく、ただ『技術』だけを習得した結果だ」 日本人は「技術」習得には熱心なので(教育の)平均的水準は低くないが、文化的な力が身についていないので、世界では通用しにくい、と言っている。これは戦前も戦後も同じで、技術は世界に通用するが決して世界のリーダにはなれない。理想と教養がないからである。このままリーダー養成教育に失敗し続ける限り、コロコロかわる首相を持ち続けるしかないのである・・・。 これを読んで、あぁ、日本の教育を司る機関の役人たちは、つくづく頭が悪いんだ、と思いましたよ。なんと数十年も前から同じことが言われているなんて・・・・バカですね。 読売新聞も、こんないい話、もっとでっかく載せなきゃダメですよね。で、教育が間違っているから、この国はダメなんだ、教育を変えよう!と大々的にキャンペーンでもすればいいと思うんですよ。弱いですよねぇ。これも、日本の失敗教育の賜物なんですかねぇ(と、書いたのが7月29日でした。そしたら、30日の朝刊に日本の教育に対する批判を連載していました。30日が3回目だそうです。いやいや、失礼いたしました。が、もっと話題にして欲しいし、TVでも取り上げて欲しいですね。主婦層が見る時間帯に)。 日本が世界に認められるには、もっと日本の歴史を国民がみんな学び、理解し、また日本の文化に誇りを持つ必要があるでしょう。日本人ほど、自国の歴史を知らない、文化に疎い国民はいないと思います。 留学した人からよく聞く話ですが、海外の学生は、みな自国の歴史や文化を誇りに思い、語ることができるのに、日本人は自国の歴史を知らないし、日本独特の文化を恥に思っているから、世界で相手にされない、というんですね。日本人は自分の国の歴史も知らないのか、とバカにされるのだ、と。英語は堪能でも、自国の歴史を知らない、自国の文化を知らないようでは、相手にされないよ・・・・と言われるのだそうです。 びっくりするような話なんですが、アメリカに留学した人の体験なんですが、その人は留学先のアメリカ人に 「禅を教えてくれ」 と言われたのだそうです。でも、今の日本人に禅は語れませんよね。一般の公立学校では宗教教育は禁止されていますから。なので、 「知らない」 と答えたところ、 「日本の文化の代表ともいえる禅を知らないのか?。あなたは本当に日本人なのか?。日本は自国の文化を教えないのか?。なんて言う国なんだ。だから日本人はダメなんだ」 と言われたそうです。その方は、私に 「そんなこと言われてもねぇ、禅を説明しろなんてね、素人じゃあ無理ですよね」 と言ってましたが、私は違うことを思いました。きっと、その人に質問したアメリカ人は、禅のことを知らないなら知らないでいいのだと思うのです。問題は、そのいい方なんですよ。なので、私はこういいました。 「それは答え方が間違っているんですよ。禅のことを教えて欲しい、と言われれば、こう答えればいいのです。『禅は仏教の中の修行方法で、心を解放させるために座る修行なのです。でも、それは専門家の僧侶について学ばなければならないんですよ』とね。その程度ならば、社会で習ってませんか?。日本史で。知らないと答えるのではなく、日本史で習った範囲で答えればいいのですよ。で、あとは専門家に・・・・と言えばいいのです。それを期待して質問しているんですよ。あなたが禅ができるなんて、禅を語ることができるなんて、質問したほうも思ってないですよ」 そう、「知らない」ではなく、歴史的なことを語ればいいのです。 しかし、日本の教育は日本の歴史に多くに時間を割きません。ましてや、禅がもたらした文化についても通り一遍の説明で終わってしまいます。禅によって発展した文化も単なる試験のための勉強で終わってしまうのです。文化を学んでいないんですね。 だから、世界で通用しないんです。 日本は教育を見なおさなければならないと思うのです。もっと文化や歴史に時間を割き、つまらない教科書の内容を斬新なものに変え、専門的なjことは進路を決めてからにすればいいでしょう。一般教養をもっと重視するべきなのです。で、テストでばかり理解力を確かめないで、語り合うことで理解力を確かめるべきでしょう。 提案です。 数学・・・・理論的に考える内容に。証明問題を解かせることは左脳を鍛える点で重要だが、内容がつまらないので、犯罪を例にとり、証拠を集め、一定の条件下で犯人を探すというような、ゲーム性を応用した内容にするほうがよい。 国語・・・現代の小説、特に社会派小説を中心としたほうがよい。犯罪は割に合わない、苦しむ人々が多過ぎる、他人の悲しみや苦しみを理解し合う、という教育に変えていくべき。国語にテストは不要。小説の内容をどう思うか、自分がその立場ならどのように考えるか、どういう行動をすべきか、どう生きるべきか、を語り合うことで理解を深めるべき。 英語・・・会話ができ、読んで意味が分かればそれでいい。文法なんてクソ喰らえ!だ。 物理・化学・・・・オカルトに惑わされないように、インチキ霊能に騙されないように、科学の基本を理解させるべき。物理や化学を学んだのに、簡単に霊能に騙される人種って日本人くらいでしょ。アインシュタインも泣きますよ。楽しい物理、化学を目指して欲しいものですな。 とある月刊誌に「宇宙の音」などというCDがありまして、それを聞くとお金が儲かるとか掲載されていたのですが、これを企画した人の見識を疑いますね。否、あまりにも非常識というか・・・。この月刊誌、本当に胡散臭いですね。信用を無くすのにねぇ。宇宙に音があるのでしょうか?。それによると「天の川の波動音」なんだそうですが、天の川ってどれだけ地球から離れているか御存知なんですかねぇ。それに、あれって、バラバラに存在していますしね。宇宙空間に、川のように星が固まって流れているわけじゃないですから。こういう非科学的なインチキの言葉に惑わされないような、科学的知識を教えることで、物理や化学の授業などは十分でしょう。それ以上の専門的なことは、理系を目指す人のみが学べばいいのですよ。 歴史・・・日本史も世界史も、もっと時間を割こう。なぜそうなったのか、どのような考えが歴史を作っていったのか、を問う授業が大事。年号や事実を覚えさす暗記教育なんて止めてしまえ! 音楽・・・歌えなくてもいいし、楽器ができなくてもいい(たまに歌が下手だったり、楽器ができないとヒステリックに怒る先生がいますが、音楽は楽しむことが大事だと思うんですよね)。音楽嫌い、歌嫌い、楽器嫌いにしないで欲しいものです。大事なのは技術じゃなく、心情です。もっと音楽を楽しめる授業を!。クラッシックを聞き、その情景を絵にすることができれば、一石二鳥。 美術・・・表現することの楽しさを教えるべき。下手でも何でもいいじゃないですか。表現できればいいんです。心を、気持ちをぶつけられるものが芸術です。技術なんてどうでもいいのですよ。 まあ、こんなところですか。こういう教育をした方が、絶対優秀な生徒が育つと思うんですよね。義務教育から高校2年くらいまでは、このような教育がいいと思うんですよね。で、3年で、受験モードでいいんじゃないでしょうか。 また、大学側も、入試内容を検討するべきでしょうね。日本史や日本文化については、絶対に入試に入れるべきだと思います。ただし、暗記力を試すような虫食い試験じゃなく、思考を重視した内容でね。 さてさて、今、教育を変えないと、日本はどんどん世界から見放されていきますよ。それがわかっていないのは、政治家&官僚、お前らだ!。世間に変わって説教してやる。覚悟しやがれ〜!!。 ということで、一回目の説教人、お粗末さまでございました。合掌。 お願い 説教して欲しいことがありましたらメールください。 頭にきていること、許せないことがありましたら、どんどんメール送ってくださいね。あなたに代わって、ここで説教人が説教いたします。きっと少しはすっきりすることでしょう。もしくは、何らかの改善方法が見つかるかも・・・・しれませんよ。 ではでは、よろしくお願いいたします。 合掌。 *必殺!その2「日本の政治を説教する」 先月から始まった新コーナーですが、今回は月末近くに過激なメールがありました。紹介いたします。 「何をやってるんだ民主党。この時期に党首争いか?。お前ら政治家、いったい何考えているんだ!、いったいどれだけ首相変えれば気がすむんだ。恥を知れ恥を!。自分たちのことばかり考えていないで、国民のことを考えろ!」 本当は、もう少し過激だったのですが、え〜、ここではありのまま書けませんので、少し言葉を代えさせていただきました。メールをくださった方、ご了承ください。 いやしかし、このメールの方だけじゃなく、今の政治に腹を立てている人は多いんじゃないでしょうか?。まあ、今に始まったことではないかもしれませんが、それにしてもあまりにひどすぎますよね。なので今回は、 「腐ってるぞ日本の政治!」 です。では、ばっさりと説教いたしましょうか。 今日は8月31日です。今日になって、民主党の党首争いは、一斉にトーンダウン。首相がオザワくんも仲間に入れる、発言をした途端です。バッカ見たいですよね。茶番もいいところ。そんなに権力を振りかざしたいのですかねぇ、オザワくんは。そんなに権力の座が欲しいんですかねぇ、オザワ君のグループは。ということは、そんなにウマミがあるんでしょうね、その場所には。ホント、バカみたいですね。そんなにしがみつくっていうのは、もう 「餓鬼」 ですな。アイツラみんな餓鬼ですよ。 餓鬼っていうのは、必要以上に執着する者がなる魔物です。化け物ですね。ふつうは、亡くなってから餓鬼の世界へ生まれ変わるのですが、 「他人のこと、周囲の者のことを考えず、己の考えや欲するものにしがみつき、執着してしまう」 と、生きたままでも餓鬼になってしまうんですね。さしずめ、オザワくんなどは、餓鬼ですな。国民のことなどな〜んにも考えていない。 まあ、本人にしてみれば、 「自分が出たほうが国のためなのだ、国民のためなのだ」 と思っているのでしょう。しかし、やっていることは混乱に陥れているだけなのですよ。ち〜っとも国のためになっていないんですな。この不景気の時、もっと他にやることがあるだろう、と言う時に、己の我執をさらけ出して、な〜っにが国民のためになるものかっ!、ですよね。国民はそんなことは望んでいないのです。安定を望んでいるんですよ。 世界から見たって、 「なに?、また日本の代表が変わるかもしれない?、何やってるんだあの国は!」 とあきれられていることでしょう。こんなに代表がころころ変わる国は、信用できませんよね。そのことわかってやっているんでしょうか?。 だいたい、あの党は、野党時代に自民党がころころ首相を変えたことを批判したじゃないですか。言っていることとやっていることが矛盾だらけですよね。まあ、他にも矛盾点は多々ありますけどね。できないことばかり言っていた党ですから。 もっとも、その言葉に騙された、のせられた国民も・・・・愚かしいことですなぁ、見抜ける目を持っていないということは・・・。 初めに書きましたが、今の首相が 「オザワくんも仲間に入れるよ」 といったら、急にオザワくんのグループはトーンダウンしてしまいました。前日までの勢いはどこへやら、ですよね。ということは、初めから脅迫していた、ってことでしょ。 「僕らも仲間に入れてくれなきゃ、混乱させてやるもんねぇ。お山の大将争いに出てやるもんねぇ。そうなったら、国も乱れるし、今の大将の責任論にも発展するんだぞ〜、どうするんだ?、お僕らも仲間に入れるのか?、どうするんだよ〜」 てなもんでしょ。で、 「仕方がないなぁ、前のお山の大将、なんとかしてください、オザワくんを仲間に入れてもいいですから、オザワくんのグループ、なんとかしてよぉ〜」 と泣きついた途端、 「別にお山の大将争いに出なくてもいいんだけどね。そんなことやっている時期じゃないし。でも、口出しはしたいからね、よろしくね」 でしょ。初めから、これを狙っていたんでしょ。イヤな連中ですよねぇ。だから、餓鬼なんですよ。 お釈迦様は、マガダ国のビンビサーラ王やコーサラ国のパセナディー王らと親しい間がらでした。二人とも、お釈迦様にはよく相談に行きました。そのほかにも様々な国の為政者がお釈迦様に相談に行きました。お釈迦様は、そうした為政者に対し、 「国を治める者は、民のことをよく考えねばならない。まずは、民の生活を守ることが大事である」 と説いています。けっして、国を私してはいけない、と。 ですから、お釈迦様がいらしたころ・・・特にビンビサーラ王やパセナディー王がいたころ・・・は、インドは大変平和で安定していたのですよ。商業も素晴らしく発展していましたし、景気もよかったのです。いわゆる、善政を布いていたわけです。 彼らの王子が王となってからも、多少のいざこざはありましたが(コーサラ国による釈迦族の滅亡、アジャセ王子による国王暗殺など)、お釈迦さまに諭され、すぐに平和を取り戻しています。 彼らが、それができたのは、 「国の民の生活を第一に考えた」 からです。今の日本の政治家に見ならって欲しいですよね。 今の日本の政治家には、国民を見る目、国民の生活を第一に考える目はないのではないでしょうか。いつも自分たちの立場や権力を保持することばかり考えているとしか思えないですよね。これじゃあ、この国の将来は、期待できないでしょうな。当分の間・・・私が生きている間は・・・・、日本の政治がよくなる、ということはないでしょうね。 ちなみに、日本の政治家がいくらダメであっても、日本は世界から見捨てられるようなことにはなりません。国民が生きていけなくなる、ということはありません。そこは安心して欲しいですね。なぜか?。決まっています。 官僚が優秀である、ということと、一流企業が多い、働き者が多い という理由からです。 あっ!、ということは、政治家なんていらないのか。ま、そういうことですな。政治家は、今の3分の1いれば十分でしょうねぇ。 もうひとつ、ちなみにですが、私がオザワくんの立場なら、あんな態度はとりません。あんなことしたら、国民にもっと嫌われるだけですから。やるならば、 「私は代表選に出る気なんてありません。党や国を混乱させることは、政治家として避けるべきでしょう。私は権力に魅力は感じていません。それよりも、この国をよくしていきたいと、真剣に考えています。私の周りが騒いでいますが、首相が相談に来ない限りは、私は奥に引っ込んでいますよ。そうでないと、この国のためにならないようですから」 と嫌みと皮肉をこめて、殊勝な態度を示していますね。国民やマスコミは、殊勝な態度や謙虚な態度をする人が大好きですから、そこを利用したほうがいいと思いますね。同情を買ったほうがいいんですよ。で、まじめに、国の方向性を示す論文などを発表すればいいのですよ。もちろん、カネの件に関しては、正直に話をして、ですが。廻り道のように見えますが、実はそれが近道なのですがねぇ・・・、当人たちは気付かないんでしょうねぇ。それとも、何か急ぐ理由でもあるのでしょうか?。体調の面とかで・・・・。 ま、いずれにせよ、みなさんはあんな餓鬼のような政治家に騙されないようにしてくださいね。 お粗末さまでございました。合掌。 *必殺!その3「日本の虐待親を説教する」 今回も「説教してください!」メールがありました。紹介いたします。 「最近の若い親って、何を考えているんでしょうか?。毎日のように新聞やニュースで『虐待』の文字を見ます。自分の子供なのに(そうでない場合もありますが)、なぜあんなことができるんでしょうか?。子育てなんて我慢の連続です。そんなのどこの家でもそうだと思います。なぜ我慢できないんでしょうか?。あの人たちに説教してやってください!」 という内容のメールでした。本当に、その通りですよね。メールをくださった方、ありがとうございます。 最近、特に多いですよね、子供の虐待。単なるイジメ、では済まされない大人による子供への虐待が目だっています。あまりにひどすぎますよね。なので今回は、 「お前らに子供をもつ資格などない!」 です。では、ばっさりと説教いたしましょうか。 本当に最近多いですよね。子供への虐待。しつけなんてもんじゃない、完全に暴力です。何を考えているんでしょうか。 食事を与えずベランダに放置! 殴るけるの暴行を加える! 階段から突き落とす! 乳幼児を床に投げつける! こんな過激な内容のニュースがよく報道されます。いったい、どうなっているのでしょうか?。 子育ては大変です。そりゃあもう大変です。赤ちゃんは泣いているばかりで、言葉が話せないから、お母さんはオロオロしてしまいます。 「あ〜、もうわかんない!、何が言いたいの?、どうして欲しいのよ!」 と叫びたくもなることでしょう。その気持ちよくわかります。いろんなことをやっても泣きやまない我が子が、すっごく憎たらしい、ムカツク存在になってしまうのもよくわかります。赤ちゃんがご機嫌な時は、決して思わないようなことを思ってしまう、それもよくわかります。しかし、だからといって、暴力をふるっていいものではありません。それはいけません。いくらムカついても、憎たらしく思っても、殴っちゃあいけません。そんなことをしたって、赤ちゃんは泣きやみません。むしろ泣きます。さらに泣きます。火に油です。それこそ、泣きやんだときは命の終わりの時です。もう取り返しがつきません。 「そんなつもりじゃなかった」 そうだと思います。否、そうだと信じたいですね、赤ちゃんへの虐待の場合は。でも、暴力を振るったら、もう誰も信じてはくれません。それは終わりの始まりなのです。 「しつけのつもりでした」 バカ言ってんじゃありません。殴る蹴るでしつけなんてできません。しかも、子供をちゃんとしつけたいのなら、まず親が見本を示すべきでしょう。親がだらなしのないことをしていて、子供にだけ「ちゃんとしろ!」はありませんよね。 確かに、昔からしつけと称する暴力はありました。ただし、大人は限度を知っていましたよね。それでも、子供は傷つくものなのです。 私もむか〜しむかし、小学生の低学年の頃までは、結構叩かれましたよ。モノサシ(竹製のアレです)とかで、背中を叩かれたことなど何度あったことか。押し入れに押し込められた事とか、外に出されて家に入れてもらえなかったとか、そりゃあもういろいろあります。で、それがしつけになったか、その行為の効力はあったか、と言われれば、答えはNOでしょう。そもそも一回で言うこと聞いていれば、何度もしつけと称する暴力を受けてはいません。何度も懲りずにやってしまうのが子供なんです。もちろん、それを注意せずに放置しろ、とはいいません。また、叩いたりすることを全部否定もしません。時には、ゴツンもペシンも必要でしょう。でも、必要以上にやることはない、と言っているんですよ。必要以上に叩いたって、それはしつけにはなりません。恨みやトラウマにはなりますが・・・・。 そう、必要以上のしつけと称する暴力は、肉体だけではなく、心の方も深く傷つけるのです。身体の傷はやがて消えていきます。しかし、心の傷はいつまでも残るものです。そっちの方が大問題です。虐待を受けた子供は大人に心を開きません。大人を信用しません。そりゃそうです。大人は怖い存在ですからね。結局、暴力ではしつけなんてできないんですよ。 子供をちゃんとしつけたいのなら、まずは大人が手本を見せなきゃいけません。子供は、方法を知らないのですから。世の中のことを知らないのですから。まずは、大人が教えなければなりません。 しかし、子供は、何度教えられても忘れてしまいます。遊びはすぐに覚えますが、楽しくないこと、きちんとしなくてはいけないこと、やらねばならないことは、やりたくないんです。自分の子供時代を思い出すといいでしょう。だから、何度も何度も繰り返し教えていかねばなりません。根気が必要なのです。根気のない、どうしたらうまく教えられるだろうと考えることができない大人には子育ては勤まりません。 ニュースや新聞などの虐待の報道を見ていますと、多くの場合、お父さんは無職ですよね。これはよくありません。無職だと、イライラするし、先行きが不安になるし、周囲からはうるさく言われるし、焦るしで、心が不安定になります。そうなれば、どこかに八つ当たりしたくなります。だから、無職はいけません。なんでもいいから、つまらないプライドは捨てて、働くべきです。 また、ニュースの顔写真とか見てますと、ちょっと頭悪そうな感じがしますよね(失礼ながら)。こんなヤツじゃあ事件をおこしても仕方がないか、と思えるような感じがしませんか?。本音を言えば、みなさんそう思っているんじゃないでしょうか。 全部が全部、とはいいませんよ。中には、まじめ過ぎて、考え過ぎて、ついに爆発してしまった・・・・という場合もあるでしょう。でも、日常、子供へ虐待を繰り返し、挙句の果てに死に追いやった・・・みたないな場合は、申し訳ないけどご夫婦ともども、「あぁ、こりゃダメだ」と思えるような方ですよね。 ハッキリ言ってしまえば、 「こんな奴ら、子供を持つ資格なんてないんじゃないの」 と言いたくなるような感じの方ですよね。怖いから大きな声では言わないけれど・・・・。でも、綺麗事を言わずに、本音を言ってしまえば、みなさんそう思っているんじゃないでしょうか?。 子供は、おもちゃじゃありません。自分の思う通りに動かないなら投げてもいい、叩いてもいい、放りだしてもいい、というものではありません。子供には命があるのです。自分の思い通りにはならないものです。 親だって初めから親だったわけではありません。ついこの間まで、親元にいたりして、親の庇護を受けていたりして、保護されていた子供だったのです。それが、ちょっとしたきっかけで親にいきなりなるのです。そりゃあ、簡単にいくわけがありません。うまくいかなくて当然です。 親も子供も、初めて親と子供を経験するのです。うまくいかなくて当たり前です。知らないのですから。経験していないのですから。 親は、二人目のお子さん以降は慣れてきますが、子供は二人目だろうが三人目だろうが初めて子供を経験するのですよ。しかも、それぞれ違う人格です。個性があります。一番目の子供と違って当たり前です。同じだったら怖いですよね。それを忘れてはいけません。 「上の子はこんなにいい子だったのに、この子は!」 と言ったって、そりゃ当り前ですよ。違う人間なんだから。 そうした当たり前のことが理解できていないのなら、子供はもたないほうがいいんです。否、大人になる気持ちができていないのなら、子供を持つ資格なんてないんですよ。 子供は「はずみ」でつくっていいものではないのです。そこには、責任というものが生じるのですよ。そのことを自覚できないようなおバカな者は、子供を持っちゃいけないんです。 そうそう、国が少子化対策・・・なんて言って、子育て支援金なんて出していますが、こんなのはあまり役に立たないでしょう。カネをばらまけば子供が増えるっていうわけじゃありません。それよりも、安心して子供を育てられるような環境を整備するほうが大事でしょう。 子育てに行き詰った時に気楽に相談できる場所。きっとあるのでしょうが、誰もが知ってほど有名にはなっていませんよね。いいものがあっても、それを誰も知らなければ意味がありません。もしないのなら、さっさと造るべきでしょう。 親になるという教育。これもした方がいいと思います。親になる覚悟、大人になる覚悟。そうした教育も必要でしょう。 「できちゃったから仕方がないから結婚して、子供を育てるぅ〜」 というのは、なるべくなら避けたいですね。まあ、計画的に「できちゃった」を狙っているなら別ですが・・・・。 問題は、やっぱり教育ですよね。教育がしっかりしていないと、世の中を騒がす事件はあとを絶たないのです。教育が崩壊してしまえば、国は滅びます。 あぁ、この国は、まさにそっちに向かっているのでしょうねぇ・・・。怖ろしやぁ〜。合掌。 *必殺!その4「日本のダメ教師を説教する」 今回も「説教してください!」メールがありました。紹介いたします。 「今の教師って、いったいどうなっているんでしょうか?。常識では考えられません。殺人の話をテーマに授業するとか、盗撮するとか、18歳未満と知りながら淫らな行為をするとか・・・・。教師としての自覚ってものが欠如しているんじゃないでしょうか。できの悪いダメ教師に説教してやってください!」 とまあ、激しい内容のメールでした。 でも、激しい内容になるのもわからないでもありません。子供を持っている親ならば、怒り心頭なのは仕方がないでしょう。本当に、今の教師って?・・・って思いますもんねぇ。なので、今回は 「お前らに教育する資格などない!」 です。では、ばっさりと説教いたしましょうか。 ダメ教師が増えた・・・と言われてから何年たつのでしょうか? 授業ができない。 不適切な教え方をする。 わいせつな行為でつかまる。 うつ病などを発症をする。 教え方がてんで下手。 子供になめられる。 揚げ出したらきりがないくらいに、今の教師って頼りないなぁ、と思います。 もっとも、淫行や盗撮、覗き見なんてものは、論外ですよね。教師が18歳未満の女の子に誘われて、あるいは誘って、性行為に及ぶなんて、まったくもって論外でしょう。たとえば、それがもし女の子の方から誘われたのなら、教師として、 「君はそんなことしていいと思っているの?。なぜ、そんなことをするの?。自分を傷つけていることになるんだよ・・・・」 などと、諭すべきでしょう。そういう立場なんですから。せめて、 「18歳以上になったら、またおいで。それまでは我慢してくださいね」 とでも言って欲しいです。それを自分の立場を忘れて、行為に及ぶとは・・・・。いやはや、情けないったらありゃしないですなぁ。説教する気もなくなるってなもんです。 確かにね、欲求不満になることもあると思いますよ。男として、それはわかります。しかし、欲求不満になるからと言って、やっていいことと悪いことがあるでしょう。どうしても我慢できないのなら、既婚者ならば性風俗店に行けばいいんです。ケチケチしないで。独身者ならば、大人の女性と恋愛すればいいんです。ロリの趣味があるなら、それに対応した相手を選べばいいでしょう。ハッキリ言いますが、たかが性行為で自分の一生を棒に振ることはないでしょう。 そんなものです。性行為は、女子高生や女子中学生などを相手にして、とんでもないリスクを抱えてするものではないもの、なのですよ。 「自分はバレない、この子はバラさない」 な〜んてのは幻想です。自分に都合のいい妄想ですな。ありえません。相手があることだし、不利なのは教師側なんですから、そうしたことはバレるものなんです。それがわからないなんて、教師失格どころじゃないですよね。そんな教師は、別のところで働いたほうがいいでしょう。 殺人事件を題材に授業を進める教師ってのも、お粗末ですよねぇ。お粗末すぎて笑えないですな。頭悪すぎでしょう。何も殺人なんて物騒な話を出さなくても、いい題材はいくらでもあるでしょうに。教える内容の題材すら満足に選べられないなんて、お粗末すぎますな。魔が差した、うっかりした、では済まない問題ですよね。また、殺人を題材にしないにしても、仲間外れやイジメを推奨するような授業の進め方をする教師もいるようですが、これも困ったものですよねぇ。世間が狭いのか、世間知らずなのか、あいた口がふさがりません。 自分の立場を考え、この場合どんな内容の話をしたらいいのか、それがわからないようでは、人にモノを教える資格なんぞ無いでしょう。TPO(今は死語になってしまった言葉ですかねぇ)が理解できないようじゃ、話になりません。先生と呼ばれる立場なのですから、それなりに自分のことはわきまえて欲しいものです。授業の題材に相応しいかどうかなんて、ちょっと考えればわかるものなんですからね。 そのほかにも、ニュースにはならないのですが、問題のある先生は多いようですね。学級崩壊なんて、どこの学校にも一クラスや二クラスはあるんじゃないかというくらい、と思った方がいいんじゃないでしょうか。もちろん、先生側だけの責任ではないと思います。とんでもなくバカな親もいますからね。常識外れの。そうした親のいるクラスでは、学級を維持するのも難しいかもしれませんが、しかし、そこは教師です。クラスの中では教師が総理大臣のようなものです。毅然とした態度も必要でしょう。生徒にナメラレ、親にナメラレ、荒れた授業や誰も聞いてない授業をするようでは、教師は務まりませんよね。 常々私は思っているんですが、落ちこぼれを作ること自体、教師として失格だと思っています。 授業中眠たい・・・・それは教え方が下手なんでしょう。 授業を聞いてくれない・・・聞かせる授業をしろよ! 授業中、生徒がほかのことをする・・・・つまらない授業をするからでしょう。 と常々思っています。授業内容がわからない生徒がいるのは、わからない生徒を教師が作っているんだと思ってくれないとねぇ、いけないと思いますよ。生徒がついてこないのを、生徒のせいにしちゃあいけませんよね。先生もプロなんですから、プロ意識を持って欲しいものです。 たとえば、芸人さんは、お客さんを笑わせるのが仕事ですよね。で、お客さんを笑わせるため、日夜努力します。工夫します。どうやったらお客にウケるか、お客が笑ってくれるか、ものすごく研究しますよね。そうでないと、生き残れないからです。お客の心をつかめない芸人さんは、消えていくしかなのです。 教師だって、一種の芸人さんのようなものだと、私は思います。客は生徒です。芸人さんが客にウケるというのは、先生が生徒に授業を理解してもらえるということと同じです。芸人も教師も同じなのです。一つ違うのは、ウケない芸人は消えていきますが、ウケない授業(生徒に理解されない授業)をしていても教師はクビにならない、ということです。だからこそ、ダメ教師が増えるんでしょうね。 教師ならば、教えるプロなのですから、落ちこぼれなんて作っちゃいけないんですよ。生徒一人ひとりがわかる授業をすべきでしょう。誰も聞いていないと言う状況で勝手に進めていくような授業をやっていたり、一部の生徒だけが聞いているような授業を進めるほうが間違いなのです。そういう授業をしておいて、先生ヅラするのはどうかと思いますよね。自分の力量不足を思い知れ、認めろ、と思います。 ひどい先生になると、授業についていけない生徒に対し、平気で「塾で勉強したほうがいい」と言うんですからねぇ。驚きです。それって、自分の教え方が下手なんです、って認めたも同然じゃないですか。よくもまあ、こんなことが言えるもんだと思います。自分の教え方が悪いのを棚に上げて、塾へ行けなんてねぇ。教師失格ですな、こんな先生は。 先生も教えること以外にやることがたくさんあって、大変なのはわかります。しかし、毎年同じように授業を行っているんだから、毎年行ううちに悪いところも見えてくるんじゃないでしょうか?。自分の下手な部分や悪い部分だって見えてくるんじゃないでしょうか?。毎年同じことをただただ繰り返しているだけ、というのなら、それこそ成長がありません。先生だって人間なんですから、毎年工夫すべきでしょう。去年はここが悪かったから今年はこうしようとか、去年はこういうのがウケたから、今年もやってみようとか、毎年毎年、去年の反省を生かして授業すれば、少しはましな授業になるものですよね。そのうちに、完成された授業ができるってもんですよね。先生だって、反省と改善の繰り返しだと思うんですよ。それができなきゃ、人に教えることなんてやめた方がいいでしょう。 厳しいことを書いています。先生にしてみれば、そこまで言わなくても・・・と思うかも知れません。しかし、ダメな先生に出会ったおかげで、授業が分からなくなってしまった生徒や学校に行けなくなってしまった生徒がたくさんいることも事実なのです。 先生には、「教師は生徒の、子供たちの将来を大きく左右する立場にいる」、と言うことを忘れないでほしいのです。それを忘れたがために、ただ授業を教えればいい、ついて来れる生徒だけを相手にしていればいい、というダメ教師ばかりが増えてくるのだと思うのです。うまい授業をしようと思う先生は、絶対にこのことを忘れていないと思うのです。これこそが教師としての立場なのです。 もう一度言います。教師にとって最も重要なことは、教師は生徒の将来を左右するということなのです。これを忘れているのなら、即刻、教師を辞めるべきですね。そんな人に、教師の資格はありませんから。 教師に対して疑問や不満や疑念を抱いているみなさん、その教師に尋ねてみてください。教師が最も忘れてはならないことはなんですか?、と。そう尋ねられて、答えられないような先生ならば、その教師を・・・・説教してやってください。 合掌。 *必殺!その5「日本のダメな若者を説教する」 今回も「説教してください!」メールがありました。紹介いたします。 「最近の若い連中は、いったいどうなっているんでしょうか?。ちょっと注意したら仕事を辞めてしまうんですよ。ひどく怒ったわけじゃないのに、ちょっとした注意でやめてしまうなんて・・・・。こんな若者に説教をしてやってください」 「いい加減に頭に来ます。最近の若い社員です。営業マンなんですが、言われたことしかできない。やる気があるとは思えません。先輩のやっていることを盗んで仕事に励むってことができないのか!。イチイチ言わなきゃいけないのか。で、ちょっと注意すると不貞腐れる。いい加減にして欲しいですね。説教してやってください!」 とまあ、ダブルで最近の若い人の働きに関しての内容でした。はいはい、確かにこのような話、耳に致します。やる気があるのかないのかわからないような若者、多いですよねぇ。特に男子ですが・・・。私も情けなく思います・・・・。なので、今回は 「お前ら、それでも働く気があるのか!」 です。では、ばっさりと説教いたしましょうか。 昔から 「いまどきの若い者は・・・・」 という言葉は、よく聞きます。私たちもよく言われました。きっと、私たちにその言葉を言っていた諸先輩方も、若いころは同じように言われたに違いありません。で、その諸先輩方に言っていた方々も、若い時は言われたに違いないでしょう。そう、代々、昔から、遥か昔から、 「いまどきの若い者は・・・」 という嘆きの言葉は言われていたのです。聞くところによると、古代エジプトの壁画などにも、この言葉が書かれていたそうです。なので、今に始まったことではないのですよ、若者が頼りないのは・・・・。 そりゃまあ、そうでしょう。ある程度、経験を積んだ方がいう言葉ですからね。自分のことは棚に上げています。しかし、それでも、自分のことを棚に上げたことを差し引いても、言いたいですね。 「いまどきの若い者は・・・・理解できない!」 と。 彼らを見ていると、本当にやる気があるのか、本当に働く気があるのか、疑わしくなります。 ある居酒屋さんの店主が言っていました。 「最近のバイトの子は、扱い方がわからねぇ。ちょっと注意すると、プイっと横向いて、返事もしねぇ。で、その翌日から無断欠勤。そのまんま、二度と仕事にこねぇんだから、まいっちゃうよねぇ。それまでのバイト代も取りに来ないんだよ。あきれてものが言えないよ」 かなり憤慨していました。こういう話は、本当によく聞きます。 彼らは、注意されることに慣れていないんですね。注意されると、人格まで全否定された気分になるらしいのです。注意する側は、何もそんなことを言っているわけじゃありません。今とった行動(あるいは言葉遣い)が、よくないことだから、その行動(言葉遣い)を直してあげよう、教えてあげようと思って注意しているのです。ところがそこがわからないんですね。なぜ注意されたかを考えないんです。注意されたことが、ものすごくプライドを傷つけるんです。で、不貞腐れてしまう。我々から見れば、 「お前、バカなんじゃないの!」 と言いたくなるくらい、くだらない勘違いなんですが、いまどきの若者は、そうじゃないんですねぇ。お前、バカなんじゃないの、なんて言ったら、逆ギレするか、ショックで引きこもりになるか、パワハラだの、脅しだのと騒がれて、挙句の果てには「訴えてやる」なんて言われる始末ですから、注意する側はたまったものじゃありません。彼らに聞いてみたいですな。 本当に仕事する気があるの? と。本当に仕事をする気があるのなら、ちょっとくらい注意されただけで、不貞腐れちゃいけません。注意されるには、それなりの理由があるんです。自分では、注意されたことが腹に入らないかもしれませんが、経験者から見れば、それは注意すべきことなんです。若い人たちは、時代が違うなどと言って自分たちが正しいかのような顔をしますが、こと仕事に関しては、経験に勝るものはありません。経験がモノを言うのですよ。経験者から見て、注意したほうがいいと判断したのだから、注意するのです。そこのところを理解もしないで、不貞腐れるとは何事か!、というものです。 経験も浅いくせに、生意気な口、叩くんじゃねぇ! と怒られても仕方がないことなのです。いくら知識が豊富であっても、経験がなければ生かせないこともあるのです。いくら大学で学んできたからと言っても、いくら資格があるからと言っても、経験がなければ、実際には役には立たないことの方が多いんです。はっきりっておきましょう、学問は、補助的なものであって、経験に勝るものはないのですよ、若者たち!。経験者の言葉には素直に従った方が自分のためなのですよ。 注意された、怒られた・・・挙句の果てには、イジメだの、標的にされているだのと騒ぎますが、上司が注意するのは、君たち若者に「伸びる可能性がある」からなんですよ。まるでダメなヤツならば、誰も注意はしません。さっさと辞めさせる方向に仕向けます。注意するのは、もっとよくなる、もっとできるようになるから注意するのです。むしろ、注意されなくなったら終わり、と思っていたほうがいいんですよ。だから、たくさん注意され、なぜ注意されたかをよく考え、次には注意されないよう、努力しなさい。そうすれば、やがてあなたたちも 「いまどきの若い者は・・・」 と言えるときがくるでしょう。で、その気持ちがよくわかるでしょう。もし、注意を受けいれられないようならば、一人で仕事をしたほうがいいですね。一人でできる仕事を探すことです。ちょっと注意されたら不貞腐れるような、プライドだけ高く中身のない人間でいたいのなら、一人でできる仕事の方が向いています。他人と関わらないようにした方がいいですね。プライドだけの人間は、いずれ誰にも相手にされなくなりますからね。 つまらない、くだらない、プライドなんて、クソ食らえ!、です。プライドでは、飯は食えないぞ、と早くに気がつくべきですな。そうすれば、きっと、伸びてくるでしょう。注意されたことが身についてくるでしょう。つまらないプライドを捨てられるかどうか、そこで大きな差ができるんですよ。 さてもう一つ。確かに、いまどきの若者はぼんやりしているというか、気がつかない面が多いですね。それで営業マン?、という者も多いのは確かです。 いつだったか、うちの寺の看板を任せていた会社の営業マンが来ました。 「あの〜、再来月で看板の契約が切れるのですが、どういたしましょうか?」 と営業マン。私は、出していた看板があまり目立たない看板だったので、気にいっていませんでした。ですので、 「あんな目立たない看板ならいらないよ」 と言ったんですね。そしたら、その営業マン 「あぁ、そうですか・・・。それでは・・・」 と言って帰って行ってしまったんですよ。これには驚きましたねぇ。私なら、こんな営業マン、即刻クビですな。「お前はアホか!」と怒鳴っているところです。こんな営業マン雇っている会社はダメですね。 営業マンなら、営業マンらしく、 「いや〜、目立ちませんか、そうですよねぇ。でしたら、もっと目立つ看板のアイディアを出しますので、更新をお願いできませんか」 くらい言え!って思いません?。普通は、すぐに引き下がらないだろ、って思いません?。ホント、あきれ返って唖然としてしまいますよね。 こういう話は、ちょくちょく聞きます。 顧客の要望とは全然違うモノを用意したり、案内したり・・・・。 顧客の話を聞いているのかいないのか、返事はするのだけど、受け答えはチンプンカンプン・・・・。 生返事でやる気がない・・・・。 返事はいいんだけど、それっきり何も言ってこない・・・・。 こまめに連絡できない・・・・。 中年クラスの営業マンが、こうした態度ならば、その会社は終わりだと思いますが、最近の若者がこんな感じなのは、会社のせいばかりではないでしょう。聞くところによると、会社側も教えているのにできない連中が増えているらしいんですよね。どこまで営業していいか加減がわからない、というのが、彼らの言い分なんだそうです。 きっと、メールでしか関わりを持たないから、生身の相手がどう考えているのか、何を望んでいるのか察することができないのでしょう。こうしたことは、コミュニケーションの不足から起きることなのではないかと思います。 そういえば、いつだったか新聞で読んだのですが、最近の新入社員はメールの打ち方から教えなきゃいけない、と嘆きの記事がありました。取引相手にお礼のメール、御挨拶のメールを打つのに、ちゃんとした文章が書けないらしいのです。友達感覚でメールを送信しちゃうらしいんですよ。絵文字とか、顔文字まで入れて・・・。相手が複数の場合は、一斉送信したりして・・・。それが失礼にあたる、ってわからないのだから、恐れ入ります。 いったい、人間関係の常識はどこへ行ってしまったんでしょうかねぇ。 学校も、携帯禁止、なんてこと言ってないで、携帯メールの正しい打ち方、送り方を教えたほうがいいんじゃないでしょうか。社会に出て役に立たないような勉強なんて教えていないで、人間関係の築き方や、相手を思ったメールの書き方や、注意されたときの対処方法などを教えたほうがいいと思うんですよね。 いい学校を出ているものがいい会社に勤めていく、そういうシステムが成立していますよね、今の日本は。でも、いい学校を出ている若者って、はみ出すってことをしませんよね。いい子であろうとしますよね。なるべく、学校に注意されない、なるべく目立たない、突出しない、そういう態度で学校生活を送るものが多いと聞きます。なぜならば、そうしたほうがよい評価がつくからです。内申点がいいんですね。しかし、そんな大人しい、目立たない者は、社会に出ても目立たないんですよ。そこそこしかできないんですね。言われたことしかできないんですね。2言われて2しかできないんです。しかし、求められている人材は、2言われて10できるものなんですよ。今の学校の教育では、そんなできのいい人間は育ちませんな。 むしろ、ある程度、やんちゃなほうが社会に出て役に立つってもんですよね。少しくらい目立つとか、少しくらい校則破るとか、少しくらい先生に注意され、親が呼び出されるとかがあったほうが、社会に出て打たれ強いでしょうし、仕事もできるようになると思うんですけどねぇ。 あぁ、結局は、いまどきの軟弱な若者を作っているのは、教育か・・・。結局は、親世代が悪いんですね。仕方がない、親の教育が悪いのだから、他人の親世代の人間が、注意して育てていかなきゃいけないんですね。 おい、若者よ、しっかり育ててやるから、注意されたら素直に従え!、で、なぜ注意されたかをよく考えろ!、つまらないプライドなど捨てろ!、少しやり過ぎくらいがちょうどいいと知れ。 そうすれば、君たちも、もっともっと伸びていくでしょう。いい大人になれること間違いなし!ですよ。 合掌。 お願い 説教して欲しいことがありましたらメールください。 頭にきていること、許せないことがありましたら、どんどんメール送ってくださいね。あなたに代わって、ここで説教人が説教いたします。きっと少しはすっきりすることでしょう。もしくは、何らかの改善方法が見つかるかも・・・・しれませんよ。 ではでは、よろしくお願いいたします。 合掌。 *必殺!その6「日本のダメなオトナを説教する」 今回は面白い「説教してください!」メールがありました。紹介いたします。 「若い連中に説教を!、とありましたが、説教されるべきは中高年の『大人』じゃないですか?。頭に来ますよね。若者ばかり注意して。大人のくせに常識はない、仕事もできないくせに威張っている、マナーは悪い・・・・そんな中高年が偉そうなこと言わないで欲しいです。このさい、ここでダメ中高年を説教してやってください。お前らが悪いんだ!と」 とまあ、前回のリベンジなんでしょうか?。しかし、このメールの内容も納得できますよね。確かに、マナーの悪いオトナや無責任なオトナが多いです。ですから、今回は 「お前ら、それでもオトナか!」 です。では、ばっさりと説教いたしましょうか。 最近、特になのでしょうかねぇ、マナーの悪い大人が増えているのは。前回は、 「いまどきの若い者は・・・・」 といいましたが、今回は 「いまどきの中高年は!」 ですね。どんなマナーの悪い大人がいるか、どんなダメ中高年がいるか、ちょっと列挙してみましょう。 電車やバスの中で平気で携帯電話をしている→これは中高年の、特にオバサンに多いぞ!。若者は少ないぞ! 電車やバスの中で大声でしゃべっているオバサン! 酔っ払い→迷惑この上ない、臭い、汚い、うっとうしい。みっともない姿だとわからないのか! 痴漢→若者の痴漢なんてあまり聞かない。中年オヤジがこういうことをするのだ! 銀行や役所などで大声で怒鳴っているヤツ→昔じゃないんだよ。自分が悪いくせに難癖つけるな、クソオヤジ! 態度がやたらでかいオヤジ連中→公共の場で我が者顔で大きな声でしゃべってるんじゃない! スーパーの通路で固まってしゃべっているオバサン→迷惑なんだよ。邪魔なんだよ。注意したら睨み返すなよ。お前らの方が悪いんだろ! スーパーの駐車場で障害者用の駐車スペースに平気で止めるオバサン→常識がないのか? 道路で道を譲っても挨拶なしのオジサン・オバサン→道路はお前のものじゃない。若者が譲るのが当たり前と思うなよ! 道の真中を自転車でフラフラ走っている老人→危ないだろ!。頼むから端っこ走ってよ。轢かれないと思って、堂々と走っているから困る。 責任もとれないくせに偉そうな態度をする上司→偉そうに言うなら「全部、上司たる私の責任です」と言ってみろ! 無能なくせに偉そうな態度をする上司→お前がいるから仕事がはかどらないんだよ。自覚しろよ、自分の無能さを。 と、まあ、うちに来る方で若い方にちょっと聞いてみたら、こんな感じで返ってきました。いやはや、私も中高年の部類ですが、確かに嫌な中高年は増えているような気もします。良くそういう話も聞きますし。困ったものですな。こういうオトナが増えているから、子供や若者がしっかりしないのでしょう。結局は大人が悪いのです。 そもそも政治家連中、国をリードしていく大人たちが責任をとれない大人ですからね。模範になっていない。責任もとれないダメ政治家のくせして、偉そうなこと言ったって、誰もがしらけるだけです。またまたうそばかり、と思うだけです。政治家があんなんですから、そこらへんの大人が悪くなるのも仕方がない、とはいいませんが、まあ、大人全般が低レベル化しているのは否定はできませんよね。責任をとれない大人が増えているのは確かなことなのです。 だいだい、上に書き出した中にあるように、痴漢行為をしたり、援助交際、不倫、出会い系サイトなどにはまっているのは、オトナですからね。若者はしません、そんなことは。あまりね。そういえば、こうした性犯罪は圧倒的に大人のオヤジが多いですよね。バカですよねぇ、オヤジたち。 特に未成年に手を出して、ニュースになってしまうのは大人ですからね。大人のくせにやっていいことと悪いことの区別がつかないのか、と嘆きたくなります。出会い系サイトもそうですね。そういうところに登録しているのは、中年の男女が最も多いようです。しかも、既婚者。何を考えているのか。 オジサンもオバサンも、倫理観に欠けてきているのでしょうか?。 偉そうな態度をしているくせに、いざとなると腰が引けてしまう大人もたくさんいますよね。普段は、偉そうに若者に説教するくせに、自分がピンチになると途端に黙りこくってしまう。いつものあの偉そうな態度はどこへ行ったの?、普段、我々に説教していたじゃないか、と責められたりしたら「うるさい!」なんて怒鳴ってごまかしてしまう。嫌な中高年がいますよね。普段、偉そうな態度をしているならば、どんな場合にもそうした態度を崩さないで欲しいですな。そうであるなら、誰もが尊敬をする大人になるでしょう。普段うるさく説教しなくても、誰もが話を聞いてくれますよ。そういう大人でありたいですね。なので、普段からあまり偉そうな態度をしないほうがいいってもんですな。そのほうが得策です。 ひどいオジサンになると、他人や部下に責任をなすりつけますからね。素直に謝らずに、他人のせいにする。責任転嫁もはなはだしいですな。そういう大人を見ると、がっかりします。もうバレバレなのに、「俺は悪くない。悪いのはアイツだ」なんてね、みっともないったらありゃしない。こんな大人にはならないで欲しいですな。 年末年始は特になんですが、電車の中の酔っ払い。これはいけません。うざいし、臭いし。おまけにゲロなんて吐かれた日にゃあ、コイツどうしてくれようかってなもんです。また、普段できの悪い中年オヤジに限って、酔っ払うと偉そうに説教を始めるんですよね。いい加減にして欲しいですね。お酒に酔うなら、もっと綺麗に酔って欲しいですな。エレガントな?酔い方をして欲しいですね。ベロベロに酔うのだけは止めて欲しいです。 酔っ払い中年オヤジって本当にたちが悪くて、飲み屋さんの女の人にも大いに迷惑をかけるようです。もっと楽しく飲めばいいのに、「金払っているんだからいいだろ」みたいな態度や「俺は常連なんだから、サービスしろ」みたいな偉そうな態度をする人がいるんだそうです。どうして楽しくお酒が飲めないのか理解に苦しみますな。そんなに褒められたいのか、そんなに尊敬されたいのか?。よほど、普段虐げられているんだろうな、と思いますね。 かわいそうに、会社で嫌われ、家庭で嫌われ、飲み屋でさえも嫌われ・・・・。哀れ中年オヤジはどこへ行くのか・・・って、そもそもは嫌われるようなお前らオヤジたちの態度が悪いからだろ!って声が聞こえませんかねぇ。そろそろ、自分の出来の悪さ、無能さを素直に認めたほうがいいと思うんですが、そういう連中に限って認めないんですよねぇ。 そうそう、問題になった給食費未払いだって、モンスターピアレンツだって、中年のオジサン・オバサンが中心ですよね。彼らには、一般常識っていうものがないのでしょうか。食べたら支払うっていうのは当たり前でしょう。無料で食事が頂けるってことはないのですよ、世の中には。仕事で食事つきっていうのはありますよ。でも、それはちゃんと食費が天引きされていますよね。サービスで食事がつくのは滅多にないわけです。飲食店で働いているならあるでしょうけど、それでも店側は損しないように計算しています。それが当然ですよね。食事をしたら、それに見合っただけ働くか、お金を払うのが当たり前でしょう。なのに、彼らは払わない。わけがわかりません。いい大人が、非常識なことをしてはいけませんよね。 子供のことに関し、筋の通らない横車を押す親たち。うんざりですな。そんなに子供を大事にしたいなら、もっといい学校に行かせればいいのに。小学校から私立の名門校に行かせればいいのに、と思ってしまいます。子供が望んでもいないのに、無理難題を学校に持ち込むのはどうかと思いますよね。むしろ、子供は迷惑しているんじゃないかと思います。いい大人なんだから、そこらへんのこと、理解したほうがいいですよね。 そういえば、聞いた話ですが、京都のお寺さんがずいぶん迷惑をしていることがあるそうです。それは紅葉の写真を撮りにきている中高年の方たちです。彼らは男女を問わず、ずかずかとお寺の庭に入り込んでくるのだそうです。お寺の庭には、綺麗に苔を植えているお寺もあります。苔はとてもデリケートで、踏んだりすると枯れてしまう場合があるんですね。そこで、お寺さんは囲いをして立ち入り禁止にしてあるんです。が、その中高年のカメラマンたちは、その囲いの中に入っていって、ズカズカと苔を踏みまくって紅葉の写真を撮るのだそうです。なんともはや・・・・。私も写真が好きで紅葉の写真を撮りに行ったりもしますが、さすがにマナー違反はしません。ましてや柵の中に入るなど・・・。ハッキリ言います。そんなことしても、いい写真は撮れません。近付けばいいってもんじゃありません。写真は、自然を切り取るものです。不自然なアングルではいい写真にはなりません。そんなことを言わなくても、柵や囲いの中に入ってはいけないことくらい常識でわかるでしょう。ましてや、「立ち入り禁止」って書いてあるんですから、字が読める人は入りません。それでも中に入ってしまうってのは・・・・あきれてものが言えません。 こういう大人に限って、偉そうに若者に「君は常識がないのか」と説教するんですよね。あ〜、嫌だ嫌だ。 年寄りになるともっとひどいですな。いいお年寄りが未だに社内で幅を利かせている会社は、うまく身動きがとれません。世の中の流れについていけないんですね。スピード感がないのです。お年寄りになってきたら、会社で大きな顔をしないで、仕事は後進に譲り、遊びを楽しんで欲しいものですね。お年寄りは、すぐに若い者の意見を却下したがりますし、自分の我が儘を通そうとします。それが結構害悪になっているのにも気がつかずに、いつまでも自分の権力を保持しようとしています。それはね、世の中にとって害になっているんですよ、ナベツネさん、そう思いませんか?。政治の世界も、経済界も、老害はさっさと排除して、もっとスピーディーで、もっと風通しのいい、もっといろいろ意見の言える世の中にした方がいいんです。老人は、現役を引退して消費の方に廻ってください。どんどん遊んでどんどんお金を使ってください。そうすれば、経済も活性化するでしょう。ただし、常識やマナーは守ってね。 社会は、大人がひっぱっていっています。政治の世界も、経済界も、一般社会も若者の力よりは、大人が支配する力の方が大きいですよね。大人が仕切っているのが現状です。 現在、社会は低迷状態にあります。その責任は大人にあることです。いや、大人が悪いからこそ社会も悪くなっていくのでしょう。悪い大人、責任のとれない大人、フラフラしていて信念のない大人が増えているからこそ、こんなにも無責任で方向性が定まらぬ、信念のない社会が生まれてしまったのでしょう。 大人たちよ!、若者に説教ばかりしないで、態度で示せよ!。 口ばかりで偉そうなことを言わないで、態度で示せ、行動で示せよ!。 自分のしてきたことにしっかり責任を取り、我がままを通さず、若者の意見も聞き、柔軟に対応して欲しいですね。世の中は、我々中高年以上のオトナが引っ張っているのだ、という自覚を持って欲しいものです。 そうすりゃあ、世の中、もっと良くなるんでしょうけどね。 オトナたちよ、若者に逆説教を食らうようじゃダメだぞ! 合掌。 *必殺!その7「マナーの悪いドライバーを説教する」 今回も「説教してください!」のメールがありました。紹介いたします。 「最近のドライバーは、いったいどうなっているんでしょうか?。本当に免許を取ったのでしょうか?。ウインカーは出さない、トンネルでライトはつけない、いきなり車線変更をする、後ろを見ていない、マイペース運転・・・・頭に来ます。特に土日の高速道路!。私たちドライバーは本当に迷惑なんですよ。最近の一般ドライバーにちょっと説教してやってください!」 私も毎月、岐阜と東京を車で往復していますが、確かに・・・こう言っちゃあなんですが・・・へたくそなドライバーが増えたな、とは思っていました。一般ドライバーだけでなく、輸送トラックのドライバーさんの中にも、えっ?、というような運転をされる方がいるようで・・・。 ということで、今回は私の経験も踏まえまして 「あなたたち、運転免許持ってるの?」 です。では、きっちりと説教いたしましょうか。 本当に最近ですが、よく思います。この人たちって、本当に運転免許持ってるの?、ってね。昔いたような暴走車はずいぶん減ったように思います。その反面、えっ?と思うような運転をする車が増えているんですよね。たとえば・・・。 私は高速道路(中央自動車道)で岐阜と東京を行き来しているんですが、よく見かけるのがトンネルでライトをつけない車です。確かに最近のトンネルは明るいですね。薄暗〜い、陰気臭いトンネルは減りました。ずいぶんと綺麗です。でも、いくら明るくなったからといってもライトをつけなくて済むほどではありません。ライトなしでは危ないですね。いや、自分はいいかもしれません。しかし、周囲の車にとって、ライトをつけていない車は確認しにくいんですよ。で、後ろにつかれてびっくり・・・、直前まで前の車に気付かなかった・・・、なんてことがあるんです。危ないですよねぇ。トンネル内のライト、当たり前でしょ?。なんでつけないんでしょうか?。まさか、ライトなしで走っているのがカッコイイとか思ってるんでしょうかねぇ。もしそうなら、それは大バカモノですな。自分ひとりだけで走っているわけじゃないです。周囲にはよその車がいるんですよ。ライトをつけウrのは、周囲に自分の車の存在を知らせるためなんですよ。それがわからないなんて・・・・あまりにも自己本位ですな。 車線変更もへたくそな車が増えたと思いますね。走行車線から追い越し車線に移る際、普通は後方確認するでしょ?。しますよねぇ、アブナイですからね。で、後ろから車が迫っていたら、その車が行ってから自分が車線変更しますよね。普通は。ところが、最近、後ろから結構なスピードで来ている車がいるのも関わらず、車線変更をする車がいるんですよ。危ないんですよ、これが。追い越し車線を走ってきた車、びっくりですね。急ブレーキですよ。もし、事故になったらその近くを走っている車も巻き込まれますな。大事故です。不用意な車線変更で大きな事故になってしまいます。後方確認は基本なんですけどねぇ、これができていない。 わからないのは、工事などで一車線規制している場所で、ギリギリまで車線変更しないドライバーです。工事などで車線規制があり、二車線道路が一車線に規制されているとき、通常1km手前から車線規制の表示が現れます。たとえば、「右に寄れ」みたいな。次は800メートル手前、600メートル手前・・・というように、わかりやすく車線が減ることを案内しています。ところが、この案内を見ていないのか、車線がなくなる寸前でいきなり車線変更する車が案外多いんですよ。一車線になることはわかっているんですから、もっと手前で車線変更しておけば安心なのに、ギリギリで割り込んでくるんですね。これが一般道ならスピードも出ていないからまだ大丈夫なんですが、高速道路だとスピードが出ているぶん、危険なんですよ。前を見ていないのか、案内を見ていないのか、ギリギリになって車線がなくなっていることに気付いて、急に車線変更・・・・。どうやって運転しているのか、そのドライバーに聞いてみたいですな。 困るのは、ICで本線に入ろうとするときに、こちらの車と並走してしまう車があることです。先に進むか、スピードダウンするか、追い越し車線に入って道を譲るのかすればいいのに、もたもたしているうちに並んで走っているんですね。それじゃあ本線に入れないってぇーの!と叫びたいんですが、叫んでも聞こえないので、こっちがスピードを落として、その車を先に行かせるしかないですな。下手くそだなぁ、と思います。 止めて欲しいのは、トンネルに入る直前のブレーキですね。これは土日に多いです。そう、いわゆるサンデードライバーですね。危ないったらありゃしない。素人丸出しですね。無理して走らなくていいのに、ついつい無理なスピードを出してトンネル直前でビビるんですね。下手なら、下手で、無理しなきゃいいのにね。自分のペースを掴んで、スピードを調整することを覚えて欲しいですね。 土日千円のおかげで、土日の高速は大変ですな。下手くそな車が多い上に、渋滞しますな。それは承知の上でみなさん高速に乗るんでしょ?。なのに、イラついているドライバーがいるんですよね。家族連れで。ハナっからわかっているじゃないですか、渋滞することくらい。で、渋滞中にイライラしても車は動かないじゃないですか。なんでイラつくんでしょうか?。そんなにイライラするなら、高速に入らなきゃいいのに。渋滞中は、イライラしたってイライラしなくたって進まないんですよ。だったら、のんびり行けばいいのに、なんでイライラするんですかねぇ。イライラするだけ損じゃないかと思うんですが・・・。渋滞中にイライラすることほど無駄なことはないですな。 一般道でのこと。 右折車線に入るときは、入る前にウインカーを出すのが本来のウインカーの使い方、ですよね。ところが、最近のドライバーの方は、右折車線に入って、信号で止まってからウインカーを出しているんですな。それって意味ないでしょ。ウインカーっていうのは、周囲の車に、自分の行く方向を知らせるためにあるものでしょう。ウインカーの意味知らないんですかねぇ。 びっくりするのは、ウインカーも出さずにいきなり左によって止まってしまう車があることです。昔は、こういうことをするのはオバサンって決まっていたんですが、最近はいい年をしたおっさんもするんですね。なぜか・・・。答えは簡単。携帯電話です。携帯電話に着信があったんでしょうね。で、急に左によって止まるんですな。止まるのはいいことです。運転しながらの携帯電話はいけません。違反ですな。しかし、急に止まるのは危ないですな。運転中は、マナーモードか、ドライブモードにしておけばいいのにね。どうしても電話に出ないといけないのなら、マイク付きイヤホンすればいいのにね。 理解できないのは、運転中にメールをしている人。死にたいのか?。危ないでしょ、それ。本人はいいですよ、死のうがどうなろうが。しかし、巻き込まれる方はたまったもんじゃない。周囲の迷惑を考えて欲しいですな。 コンビニやガソリンスタンドなどから、車線に入ろうと待っているでしょ。で、東京は意外と入れてくるんですよ。入れてくれないのは、田舎の方が多いですね。車線変更もそう。ウインカー出すでしょ、で、タイミングを見ていますな。わりとすんなり車線変更させてくれるのは、都会のドライバーですね。田舎ほど意地が悪いですな。なかなか車線変更させてくれません。せこい運転をしますな、田舎のドライバーは。これは、オジサンに多いですね。割り込みさせないように必死な形相のドライバーもたまにいますな。入れさせないぞ〜って嫌な感じを醸し出してますな。器が小さい人間ですよねぇ、こう言う人って。 車が一台しか通れないような細い道でも、譲り合ったり、譲ってくれた人に挨拶をするのは、都会の人が多いですね。なぜか、田舎の人は(先ほどから田舎の人、と言ってますが、正確には岐阜の人間です)、譲っても挨拶すらしない。当たり前のような顔をして行ってしまいますな。おいおい、ちょっとくらい挨拶してもいいだろ、それがマナーってもんだろ、と思いますが、まあいいか、この辺りの人はそういう人なんだな、と思ってしまいます。 これって、若い人はちゃんと挨拶する人、多いんですよね。挨拶しないのは、中年以上の男女。まあ、おばさんは余裕がないのかもしれませんけどね。 あ、言い忘れましたが、未だに飲酒運転をする人の気持ちがわかりません。酒を飲んで運転をする、その神経がわかりません。自分は事故をしない、とどうして思えるのでしょうか?。理解できませんね。マナー以前の問題ですな。 いやー、それにしてもこうしてみると、本当に運転マナーが悪くなりました。特にオジサン、オバサンですね。若い人の方がマシです。あぁ、家族連れも自己本位ドライバーが増えましたね。周囲にも車があるのだ、自分ひとりだけで走っているのではない、という認識がないんですかねぇ。ひょっとすると、そういうドライバーの家族がモンスターペアレントなのかもしれません・・・と思えてしまいます。こう言うドライバーは、きっと普段でも我が儘放題で、自分勝手なんだろうな、と・・・・。 周囲への気配り、譲り合い、合図、という基本ができていないと、車は危険ですね。いずれ事故を起こすことにもなりかねません。自分は事故をしない、自分は運転がうまい、そう思って運転をしている人は、考えを改めるべきですね。事故はするかも知れない、自分の運転は下手だ、と思って運転しなきゃダメですな。自分の運転技術の程度をよく知って車を運転して欲しいですね。少なくとも、基本的なことはできるようになってから路上に出て欲しいですね。免許を取ったら適当でいい、自分勝手でいい、というのは大間違いです。免許を取ってからが大事なのですよ。 あんまり自己本位な運転をしていると、そのうちに事故りますよ。いい加減、自分が迷惑をかけているということを知って欲しいですな。 合掌。 |