世間に代わって説教します

必殺!、説教人!

バックナンバー4

*必殺!その20「殺人事件の犯人に説教する」 

今回は怒りのメールが久しぶりにきました。では、さっそくその怒りのメールをご紹介いたします。
「最近、新聞やニュースで殺人事件が報道されない日がないくらいです。毎日のように、『死体が見つかった』などという忌まわしいニュースが流れています。いったい世の中はどうなってしまったのでしょうか?。こんなにも殺人事件が起きるなんて!!。犯人が捕まればまだいいのですが、のうのうと逃げているヤツがいるかと思うと、ゾッとしてしまいます。どうか、今逃げている殺人事件の犯人に説教してやってください」
というメールでした。いやはや、今回はある意味、怖いですねぇ。どうしましょ、事件の犯人がこれを見ていて逆恨みなどして、寺にやってきたら!。ま、その時はその時で、面と向かって説教しましょうかねぇ。
ということで、今回は「殺人事件の犯人に説教」いたします。

確かに最近のニュースや新聞には、毎日のように殺人事件らしき報道がありますよね。らしき、といったのは、まだそれが殺人事件かどうか確定しないケースもあるからです。とはいえ、「死体発見」という文字がない日はないくらい、世の中は殺伐としているのは事実ですよね。
さて、人間はなぜ他人を殺してしまうのか?。他人を殺害するということは、
大変リスクの高いことです。当然ながら捕まれば刑務所行きです。場合によっては何十年も出てこられません。最悪、極刑もあります。また、命を奪おうとして挑みかかったはいいが、逆にやられてしまう場合だってあり得ます。あるいは、チャンス!と思って実行しようとしたけど、何らかの出来事により失敗する場合だってあります。うまく逃げおおせたとしても、いつ捕まるかわからないという恐怖と戦わねばなりません。リスクは大変高いのですよ。
でも、殺人事件は起きてしまいます。人が人の命を奪うことが、なくなることはありませんね。なぜ、そんなにも高いリスクを冒してまで、人は人の命を奪おうとするのか?。
人の命を奪ってしまった犯人に、その理由を聞くと、多くの場合は
「憎かった、許せなかった、恨んでいた、腹が立った」
というような場合と、
「はずみだった。殺すつもりはなかった」
という場合があるでしょう。もちろん、このほかにも「理由なく」とか「快楽で」とか「衝動的に」とか「神のお告げ」だとか、わけのわからない、およそ理解に苦しむ理由もあるにはあるでしょう。しかし、いずれにしても共通することがります。それは、「欲」です。動機や理由は何であれ、究極のところの根本の原因は
「欲」なのですよ。その欲を抑えることができなかったから、事件を起こしてしまったのです。

誰だって一人や二人は、恨みを持つ相手がいるものです。恨むまではいかなくても、憎いと思ったり、腹が立って消えてしまえ、と思ったりすることは、あることでしょう。最近のヲタクや若者などは、簡単に「死ねばいいのに」とか「死んでしまえ」とか「キエロー、爆発しろー」などと言いますよね。ま、半分は冗談だったり、口癖だったりするのでしょうが(恐ろしい口癖ですが)、聞いているほうはあまりいい気分じゃありません。むしろ、眉をひそめるでしょう。しかし、誰でも、
「クソッ、あんなヤツ死んでしまえばいいのに」
なんて思ったことは、あると思うのです。あるいは、「殺してやりたい」と思ったことがある人もいるのではないでしょうか。
でも、実際には行動に移しませんよね、ふつうは。多くの人は、「殺してやりた!」と激高しても、
グッとこらえるものです。それは
「そんなことをしてはいけない」
という理性というブレーキがかかるからです。で、
「いつまでも恨んでいても仕方がないな。それよりも自分は自分の人生を生きよう」
「あんなヤツの命を奪って、自分が捕まるのはバカみたいだからな。そんなのは損だから」
などと、相手への恨みを
「あきらめ」たり、「バカバカしい」と気づいたりして、殺人衝動を抑えたり、超えたりするものなのです。いつまでも執念深く、相手に腹を立て続けたり、恨み続けたりする人は少ないんですね。それが多くの人間なのです。
が、いつまでも恨み続けたり、腹を立て続けたりする人も中にはいるんですな。
粘着質な人ですね。いつまでも、ネチネチと昔あったことを恨み続けるんですな、そういう人は。ストーカーも同じタイプですね。よくもまあ、何年も恨み続けられるものだ、と思いますが、それができる人がたまにいるんですよ。多くはないですが。こういう人に恨まれたりすると、災難ですな。いつまでも恨み言を言われ続けますからな。
こうした粘着質的性格を持った人が、何かのはずみで誰かを恨んだりすると、もういけませんね。最終的には事件を起こしてしまうでしょう。
「あのやろー、絶対復讐してやる」
というわけですな。こういう人は、死んでからも恨みを持ち続けてしまい、
幽霊になりやすいですな。いい迷惑な人です。そのうちに関係のない人まで巻き込んでしまいますな。粘着質の人は気を付けてくださいね。
しかし、その粘着質の性格をいいほうにむければいいのに、などと私は思ってしまいますね。いつまでも同じことを考え続けられるんですから、研究者とかね、一つのことを考え続ける職業とかにつけばいいのにね。あぁ、逆に刑事さんになるといいかもしれませんね。執念を燃やして犯人を追いつめる・・・・。いいですな。一つのことをずーっと追い続けられる、考え続けられるというのは、
もうこれ特技でしょ。特殊能力ですよ。だったら、それをいいほうに生かさないとね。いいほうに生かせば、楽しい人生を送れるでしょうにね。だいたい、人を恨み続けたって楽しくないじゃないですか。ずーっと暗い思いを引きずっているんですよ。そりゃ、楽しくないでしょう。いつでも心の奥底に恨みを抱え込んでいるんですよ。そりゃ、何やったって楽しくないですよね。楽しくなければ、生きていてもつまらないじゃないですか。人を恨み続ける人生なんて、面白くとも何ともないですな。せっかく、この世に生まれたんですから、心から人生を楽しまなきゃつまらないですな。
で、挙句の果てに捕まってしまい、刑務所の中、ですよ。恨んでいた「あんなヤツ」のために、さらに落ちているじゃないですか。
バカバカしいですよね。
犯人にしてみれば、恨みを持ってしまうようなことをされて、恨んで、恨みを晴らして、捕まって、挙句に自由を奪われる・・・・。こんなバカバカしいことないでしょ。罠にはまって、恨んで、恨みを晴らして、また罠にはまった、みたいな、損をして、
さらに損をするようなことですよね、これって。ま、恨みを果たしたぞ、という満足感は残るかも知れませんが、その満足感で、何が得られるのでしょうかねぇ。そんなのは、ちんけな自己満足に過ぎませんな。しかも、一時的な。その小さな自己満足を得た結果、なにになりますか?。どう変わりましたか?。犯人になってしまった人の人生は好転しましたか?。答えはノーでしょ。刑務所を出たあとは、差別にあい苦しむことになるのです。割に合いませんよね。
結局、恨みんだ相手に
負けてしまっていますな。命を奪って復讐できたかもしれませんが、結局は、不幸ですな。何もいいことなんてありゃしない。惨めなだけです。
恨みや、腹を立てて復讐したいという思いや、許せないという思いをもって、その思いを果たせたとしても、それは割に合わない苦しい選択なのですよ。
地獄への道ですな。
そんな道を歩むより、「まあ、いいか、仕方がないか」とさっさとあきらめて、自分の人生を持ったほうが
お得ですな。

はずみで相手の命を奪ってしまった人も、基本的には同じですね。何らかの原因で相手と揉めたのでしょう。その揉めたところがいけませんな。だいたい、そういう揉め事の原因は、
些細なことでしょう。肩がぶつかったとか、注意されて腹がったとか、ガンつけたとか、そういった小さなことでしょう、大元は。で、そこから、ヤイノヤイノと揉めているうちに、殴っちゃたら倒れて頭を打って死んでしまったとか、投げ飛ばしてしまったとか、突き飛ばしたら下に落ちてしまったとか、突き飛ばしたところへ車(電車でもいい)が偶然来てしまったとか、カーッとなって気が付いたら頸を絞めていたとか・・・・。はずみで相手の命を奪ってしまった、というのはこうしたケースが多いですね。
ま、これもその時に一瞬にして
怒ってしまったのがいけないんですな。だいたい、そんな些細なことで怒らなきゃいいのに、と思うことで怒って事件を起こすんですよね。まあ、そこに至るまでに、腹が立つことがたくさんたまっていたという場合もありましょう。日頃のストレスがたまっていて、たまたま肩がぶつかった相手に八つ当たりをしてしまった挙句、はずみで相手の命を奪ってしまった、ということもありましょう。でも、命を奪ったということには変わりはありませんからね。はずみであろうと、計画的であろうと、命を奪ったという事実は曲げられないんです。そう、はずみであっても、人の命を奪ってしまった、という事実を背負って生きなければいけないのです。これは大変ですよ。
恨みを晴らすつもりで、復讐のために、殺人事件を起こしてしまった場合は、自己満足が残りますから、本人は受け入れやすいですね、結果を。覚悟があっての行為でしょうからね。ずーっと殺人事件の犯人として生きていく覚悟があってのことでしょうから、まあ、自業自得と受け入れることもできましょう。
しかし、はずみで、というのは、覚悟がないから、始末が悪いですな。世間の白い眼、差別に、人の命を奪ってしまったという重い十字架を背負って生きていかねばなりません。これは辛いですな。自業自得、として受け入れがたいですね。
「いや、そんなつもりは・・・。あれは事故なんだよ〜」
と叫びたいでしょう。言い訳したいでしょう。しかし、人の命を奪ったことには変わりはありません。原因は、
「怒りやすい自分」にあるのです。
たかが、肩がぶつかったくらいで、ちょっと注意されたくらいで、目つきが悪かったくらいで怒るほうが間違いなんですね。都会に住んでいれば、肩がぶつかるくらい当たり前なんです。お互い様ってもんでしょうよ。注意されたくなければ注意されないようにすればいいし、むしろ注意されたことに感謝しなきゃいけないでしょ。注意されるということは、何か間違ったことやマナー違反しているのでしょうからね。あるいは、世間とずれているんですから。自分のしたことを棚に上げて相手に腹を立てるなんて、とんでもないヤローですな。
だいたい、ちょっとしたことで怒ってしまう、その
怒りっぽい性格がいけないんですな。日頃から、怒りっぽい性格で生活しているからストレスもたまるのでしょう。何をイライラしているのか知りませんけどね。まあ、思うに「思うようにならない」からイライラしているんでしょうね、きっと。
バカなことです。思うようになるわけがないでしょう。何様のつもりなんでしょうかねぇ。
たかが人間の分際で、世の中が思うようになるわけがないでしょう。神様だって、自分の思うようにはならないのに、人間が思うように生きられるわけがないでしょうに。
で、イライラして、腹が立って、何かの拍子にカッとなってケンカになって、相手を殺してしまう・・・。バカバカしいですね。恨むなら自分を恨め、ってやつですな。
常日頃から、「世の中は
思うようにならないものだ」と理解していれば、腹は立たないでしょうに。怒ることなどないでしょうに。世の中そんなもの、と思っていれば、ストレスも少ないでしょう。思うようにしたければ、自分の実力を身に着けることが先でしょう。それすらできない、ちっちゃい人間が、イライラしてちゃあいけませんね。もっと、おおらかに生きましょうや。どうせ、世の中、思うようにはならないんだしぃ、とね。そうすりゃあ、はずみで人の命を奪うようなことにはならないんですよ。自分の心をうまくコントロールできなかった結果ですよね。

そのほか、「衝動で、快楽で、欲望を満たすために、理由なくただ殺したい」などという理由で事件を起こす人は、問題外ですな。こういう方は病院に行ってください。完全に自分の欲望をコントロールする
制御装置が壊れています。脳内の、衝動を抑えるブレーキが壊れています。病院で直してもらわねばなりませんな。
そんな危険がありそう、と自覚症状がある方も、早めに病院に行ってください。これ以上、破壊衝動や殺人衝動が抑えられないという人は、急いで病院に行ってください。でないと、事件を起こしてしまいます。

思うに、殺人事件を起こしてしまう人は、自分の欲望やストレス、怒り、妬み、恨み、衝動をうまくコントロールできない人でしょう。そういう人は、日頃から症状が出ているはずです。怒りっぽいと周囲からいわれる、なぜかイライラしている、落ち着かない、わがままだといわれる、友達がいない、孤立している・・・などなど、ちょっと考えれば、
自分の危険性が理解できるはずですよね。いけないのは、気がついてもそれを受け入れない、素直に認めないことなのですよ。怒りっぽいぞ、と言われたら、素直にそれを認めるべきなのです。受け入れたなら、
「自分は怒りっぽい性格だから気を付けよう」
という自覚が生まれます。その
自覚が事件を起こさないことにつながるのですね。

一度、事件を起こしてしまえば、取り返しがつきません。奪ってしまった人の命は戻りません。ドラえもんが何とかしてくれるなんて馬鹿なことはないのです。そんな腐った言い訳は世間には通用しません。人の命を奪ってしまった者は、人の命を奪っしまったという罪の意識で苦しみ、世間から白い目で見られ、差別を受け、犯人の家族も世間から冷たい仕打ちを受け、そして死んでからも
地獄で苦しむことになるのです。ましてや、罪の意識を持たない者は、さらなる苦しみを受けることでしょう。
その苦しみに比べたら、相手の命を奪わずに、恨むことなく、許すことを覚えたほうが、
何倍も楽なのです。その苦しみ比べたら、自分の気の短さを直す努力をしたほうが何倍も楽なんですよ。
事件を起こす前に、よーっく考えなさい。また、事件を起こしてしまった者は、地獄で苦しむ覚悟をしなさい。逃げている犯人は、逃げるのは無駄です。捕まったほうが楽でしょう。周囲の目は、怖いですよ。みんなが、犯人の
あなたを見ていますよ。
やっぱり、殺人事件を犯すのは、割りあわないですねぇ・・・・。
合掌。


*必殺!その21「少子高齢化に無策の国に説教する」

今回も怒りのメールがやってきましたよ〜。怒りに燃えている若いお母様です。では、さっそくその怒りのメールをご紹介いたします。
「いったいいつになったら保育園はあきがでるんでしょうか?。少子高齢化社会なのに、なぜ保育園が足りなくなるのでしょうか?。この矛盾はいったいどうして起きているのでしょうか?。子ども手当だけを与えておいて、あとは何にもしない国に説教してください!。母親だって働きたいんです!。働かなければ生活できないし・・・。こんな社会にしたのはいったい誰なんでしょうか?。本当に腹が立ちます!!!」
ということで、今回は「少子高齢化に無策な国に説教」します。

いやはやごもっともなお怒りで・・・。確かにそうですよね、少子高齢化社会なのに、保育園の空きがないというのは、矛盾してますよねぇ。子供の数は減っているのに、保育園の空きがない・・・・。おかしなことになっています。
保育園の空きがない、ということは保育園にお子さんを預けたい家庭が増えた、ということですよね。それは、お子さんを産んだあと、できるだけ早く働きたい、働かなければならないというお母様が増えたということでしょう。でなければ、保育園利用者が増えるわけはないのですから。保育園が閉鎖されている、という話は聞きませんからね。となれば、保育園に空きがない状態が続いている、というのは、働きたい、働かねばならないという母親が増えた以外に理由はないのでしょう。

お子さんを産んで、すぐにでも働きたい、働かねばならない、のはなぜでしょうか?。一つには、早く社会復帰したい、社会に参加していたい、という理由がありましょう。これは、女性の社会進出による結果ですね。まあ、これはいいことなんじゃないかと思います。
もう一つの理由。どちらかと言えば、こちらの理由のほうが大きいのではないかと思いますが、それは経済的理由です。そう、本当はお子さんと一緒に過ごしたいのだけど、そんな余裕はない、早く働かないと経済的に困ってしまう、という理由から、お子さんを保育園に預けたいのですね。そういうご家庭が増えたのです。これは、憂うことだと思います。

政府が無策なので、日本は経済的になかなか立ち直ってくれません。長い長い不景気が続いております。新聞やニュースは、毎日のように不景気な内容ばかりを流しています。ここ最近、ようやく株価が値を戻してきた・・・という情けない朗報が流れていますけどね。かつての、バブル期のような好景気は、期待できませんよね。
その不景気の影響で、一家の主人の給料は減っております。年収が300万くらいの方が大変多くなっています。これでは、奥さんが働かなければ生活が難しいでしょう。昔のように、旦那が働き女房は家庭・・・という構図は崩れていますよね。
女性が社会進出するのは、特に問題があるわけではありません。働きたい女性が増えたのですから、働くのはいいことだと思います。が、働きたいというのと、働かなければならない、というのはおのずから違いますよね。積極的にか、仕方がなくか、の違いがあります。
旦那の収入だけでやっていけないから仕方がなく働く・・・・というのは、やはり問題がありましょう。誰だって、お子さんが生まれたら、お子さんのそばにいたい・・・と思うのは当然でしょう。母親ならば(特殊なケースを除いて)、お子さんと一緒になるべく長くいたいと望むのは、当然のことなのです。しかし、現実はそういうわけにはいかないのです。
そもそも、一家の主人だけの収入で生活できるならば、お子さんを保育園に預けてまで、しぶしぶ働く必要はないのですね。世の中の経済がもっとよくなって、年収があがれば、お子さんが小さいうちは家庭にいましょう、という母親が増えると思うのです。
私は、仕事柄多くの若いお母様ともお話をします。その多くの方は、
「できれば子供が学校から帰ってくる前には家にいたい」
と望んでいますし、もっと小さいお子さんの家庭ならば
「保育園に預けてまで働きたくはないんですが・・・・」
と嘆いています。これが母親の本音でしょう。それもこれも、旦那さんだけの収入じゃあ生活できない、のが原因なのですね。

保育園を増やすこともできない・・・。ならば、働くお母さんを少なくしよう、そのためには景気をよくしなきゃ、旦那の収入を増やせばいいんだ・・・。さて、どうやって景気を良くしようか・・・・。
とは政治家も官僚も考えないようですな。彼らは、もはや消費税を上げることだけしか頭にないようです。少子化対策?、そんなもの・・・・、でしょう。先のことなど、考えられないほど、この国のリーダーたちは腐ってしまったのですな。

少子高齢化が問題になったのは、いったいいつのころからでしょうか?。サザンオールスターズの・・・そうですねぇ、10年以上前?、20年以上前かしらん・・・アルバムの中の一曲に「少子高齢化問題に全身全霊対処します」なんてセリフの入った歌がありますからねぇ。その歌を聴いていると、
「何にも変わってない」
と本当に思います。10年前、20年前と、少子高齢化対策は何にも変わっていません。相変わらず、逆ピラミッドで、出生率は減る一方ですな。これを無策と言わずしてなんという、ですよねぇ。

だいたい、今の状況で子供が増えるわけがないですな。
まずは、子供を産んでしまえば、余裕のある生活ができない。子供を育てることにお金がかかりすぎる。これが大きいでしょうね。そのほかには、不安、ですな。ちゃんと育てられるだろうか、という不安ですね。子育て自体に対する不安です。さらに、環境問題もありますな。地球規模での将来への不安ですな。こんな状態で子供を産んでいいのか、子供たちにこんなに乱れた社会を託していいのか、と考えてしまう人たちもいるようです。
しかも、その前に、そもそも結婚ができない人たちが増えていますな。できないというか、しないというか・・・。否、本当は結婚したいのだろうけど、結婚に踏み切れない人たちが増えているのです。その理由も、根底にあるのは経済的理由でしょうし、社会不安なのでしょう。これじゃあ、子供が増えるわけがないですな。

こんなことは、もう10年も20年も前からわかっていたことでしょう。教育に金がかかりすぎる、収入が減り経済的に不安、子育てに自信が持てない、国が信用できないなどなど・・・。こんなことは、何年も前から言われていたことです。だが、国は何もしてこなかった。子ども手当(児童手当)を与えるだけで、何も対策をしてこなかった。金さえ渡しておけばいいだろ的な考えだけで時を過ごしてしまったのですな。
「いや、我々はそれなりに対策をしてきました」
という主張をする方がいたならば、それは全くウソですな。現状を見れば、一目瞭然でしょう。対策を講じてきたならば、出生率が減るわけがないのです。結婚をしない人が増えるわけがないのです。
安定した生活を送れる社会じゃない、子育てを物質面でも精神面でも支援する体制ができていない・・・。そりゃ、子供は増えませんよね。
で、やっているのは子ども手当、公立高校の無償化、くらいですか・・・。

上っ面の政策、表面だけを取り繕った政策で済まそうとするから、すぐにぼろが出たり、結果が伴わないのでしょう。根底から変えていきましょう、年数をかけて段階的に改革していきましょう、という姿勢が全くないんですな、この国には。少子高齢化問題だけじゃないですけどね、それはね。この国の政治家や官僚には、先を見る目が全くないとしか思えないんですよね。で、こういう国の形にしたい、仕組みにしたいというヴィジョンが全くないんですよ。想像力が欠如しているとしか思えないんですな。だから、行き詰ってお金に困ってしまい、さてどうしようかとなると、税金で・・・という発想しか生まれてこないんでしょうね。全くダメな国です。なぜ、根底から変えようとしないのか・・・。不思議でなりません。

海外の人がよく言います。日本は平和ですね。テロの心配もない、治安もいい。食べ物もおいしい。ホテルもきれいだし、お店の人たちの対応も親切だ。なにより、蛇口をひねればすぐに水が出る・・・・、こんな平和で美しい国はない・・・・。
が、惜しいかな、この国には政治的ヴィジョンがない・・・。
まさしくその通りで、少子高齢化がいい例ですよね。何も対策ができないで、来る日も来る日も党利党略に明け暮れているのが、今の日本なのですな。

口先でいいことばかり言ってないで、本気で変えようとしないと、この国は遅かれ早かれ滅びますな。今の若い人たちが希望を持って結婚できる社会を作ろうとしないとね。また、これからお子さんをたくさん産もうと思えるような社会体制を作らないとね。経済的に負担にならずに、安心して子育てができる社会体制にしないとね・・・・。でないと、子供は増えずに減る一方。年金の仕組みもやがては破たんするでしょう。となると、この国は今日食べていくお金がないという貧乏な老人だらけの国になってしまうのです。そうなれば、国は終わり、消費税アップどころじゃないですよね。
政治家の皆さん、官僚の皆さん、大事なことを忘れてますよ。子は宝です。子は、国にとっての宝です。まず目を向けるべきは、子供を安心して産める、育てることのできる国でしょう。党利党略に明け暮れているうちに、あなたたちの足元は無くなってしまいますよ・・・。
合掌。


*必殺!その22「電車に飛び込んで自殺する者に説教する」

今回も怒りのメールがやってきました。今回は、通勤電車のストップに怒り心頭のビジネスマンさんからのメールです。では、さっそくその怒りのメールをご紹介いたします。
「いい加減にしてほしいのは、人身事故で止まる電車です。どうして、通勤時間に電車に飛び込むかなぁ。そのおかげでどれほど多くの人が迷惑を被るのか、考えてほしい。自殺のするのは勝手だけど、時と場所を選べ!って言いたいです。いや、だいたい、自殺だってよくないでしょ。ともかく、電車を止めるのだけは勘弁してください。何十分も電車が止まってしまうせいで、ただでさえ混雑する電車が超満タン状態。乗りたくても乗れないし、仕事には遅れるし・・・。もう、いい加減にしろ〜。どこまで迷惑をかけりゃ気が済むんだ!。電車を止めてしまう自殺者に説教してください!」
ちょっと過激な内容ですが、東京のビジネスマン、OLさん、学生さんにとっては、これは深刻な問題なようです。なので、今回は、
「電車に飛び込んで自殺する者に説教する」
です。少々エグイ内容になるので、気分が悪くなりそうな方は読まないでください。また、この内容を読んで、気分が悪くなった、苦しくなった、と言われましても、私どもは一切責任を取りません。自己責任で読んでください。

東京は、本当に多いですよね、人身事故。中央線などはしょっちゅう止まっているって聞きます。人身事故・・・と言いますが、まあこれ、人間の飛込みですな。そう、走ってくる電車に飛び込んで自殺するんですよ。これが、迷惑極まりないのです。
まず、事故がありますと電車が止まります。当然ですね。事故処理がありますから、電車を止めなくてはいけません。しかし、これが数分のことじゃないんですね。下手すると、1時間以上止まってしまいます。当然、電車のダイヤは乱れますな。
東京の電車の本数は尋常じゃありません。地方の方はびっくりするくらいです(本数だけじゃなく、その長さにも驚きますが・・・)。多い時だと2〜3分おきに電車が来ます。それだけ乗車する人が多いんですね。こういう状態で、電車が止まってしまったらどうなるか・・・。駅に人があふれてしまうんですな。ホームは、人人人・・・・。すっごい人だかりになってしまうのです。こんなに人がいるのか!、と驚きますな。いったいどこからやってくるのか知りませんが、ともかく東京の駅は、人が多いんですよ。ただでさえ多いのに、電車が止まってしまうと、多いどころじゃないのです。
たとえば、中央線の主要駅や山手線などの都心部の路線で人身事故があり、電車が止まるとすると何十万人の足が止まることになってしまうんですね。それだけ影響が大きいのです。つまり、都心部の路線に飛び込み自殺なんてしてしまうと、その自殺した人は、数十万人の人たちに迷惑をかけることになるのです。
「そんなこたぁ、知ったことじゃない。こっちはもっと苦しいんだ」
なんて思って電車に飛び込むのでしょうが、これは勝手な言い分ですな。苦しいと思っているのは、本人だけですから。そんなことで、関係のない人に迷惑をかけるのはやめて欲しいですな。どんなに苦しんでいようが、他の乗客には全く関係ないことですから。独りよがりも甚だしいですな。周囲の迷惑を考えられないような、気の利かない人間だから自殺を選ぶのでしょうか?。いずれにせよ、迷惑極まりないです。そんなに死にたいのなら、誰にも迷惑をかけないよう、ひっそりと死になさい!と言いたいですな。
中央線の東京郊外の駅あたりで飛び込み自殺したとしても、数万人の人たちに迷惑をかけることになりますな。まあ、東京では、どこの路線の駅に飛び込み自殺をしても、数多くの人々に迷惑をかけることは間違いありません。まず、これを覚えておいてください。

迷惑をかけるのは、一般の人々だけじゃないですね。事故処理をする人たちにも迷惑をかけます。電車に飛び込んで、亡くなった方の遺体は、悲惨です。ひどいものだそうです。大体、想像してみてください。時速70キロ以上で走っている、あの電車に飛び込むのですよ。身体がバラバラか、ぐちゃぐちゃになるのは当然ですよね。
遺体がバラバラになってしまった場合、遺体の飛び散ってしまった部分を集めなくてはなりません。これが大変です。JRの職員さんにしてみれば、こんな嫌な仕事はないでしょう。ぐちゃぐちゃの身体を探すのですよ。ましてや、これって余分な仕事ですよね。本当の事故ならば仕方がありません。たとえば、ホームに落ちてしまったとか、踏切で何らかの事故が起き、踏切を渡りきれなかったとか、そうした不可抗力というか、いわゆる「事故」は仕方がないでしょう。しかし、自殺による飛び込みは別モノですからね。それはやってはいけないことですし、本来無いことですからね。鉄道会社の職員さんも遣り切れないでしょうなぁ、いろんな意味で。
私が高野山真言宗の東海地区の青年会の集まりに名古屋に行ったときの話ですから、ずいぶん前のことなのですが・・・。桑名から来られた先輩のお坊さんが集合時刻に遅れてこられました。もちろん、「遅れる」の連絡はありました。その理由が人身事故だったのです。で、遅れてこられたそのお坊さんが言うには
「足元でね、コロコロコロって音がしたんだよ。なんだろうな何か石でも転がったのかな、って思ってたら電車が止まったんだ。そしたら、人身事故だって、駅じゃないところで降ろされた。でね、職員さんがやってきて、電車の下を見てるんだ。そしたら、『あ、あった、あった、あそこに頭があったぞ』だって。俺の足元をコロコロ音を立てて転がっていたのは、人間の頭だったんだねぇ」
電車に飛び込んでしまうと、こんなことになる可能性もあるんですな。しかも、そのちぎれた頭、皮がぼろぼろに剥けてしまっていて、見られたものじゃなかったそうです(電車の職員さんが、そう話していたのを聞いたそうです)。その先輩のお坊さんも、気分が悪い、と言ってましたな。迷惑な話です。
たとえ、遺体がバラバラにならなかったとしても、肉片や血液、髪の毛等は電車に張り付きます。人間の肉片や血液などは、これがなかなか取れないんだそうです。洗っても洗っても、残ってしまうんですね。掃除する側の身にもなってもらいたいものです。本当にいい迷惑ですな。
そう、電車に飛び込んでの自殺は、鉄道会社の職員さんにも大きな迷惑をかけるのですよ。
さらに、車両自体にも損傷を与えます。電車の車両は、そりゃあもう高価なものです。これが使えなくなりますな。鉄道会社にとっては、大きな損失なのです。ここでも、大きな迷惑をかけます。
昔は、鉄道会社が損害賠償を請求する場合もあったそうですね。今ではどうなっているのか知りませんが、これは請求すべきでしょうねぇ。鉄道への飛込み抑止にもなりますからね。莫大な金額がかかりますよ、と警告した方がいいでしょう。遺族の方が迷惑を被るのですよ、とね。あるいは、保険金目当ててで自殺しても、保険金は鉄道会社がいただいてしまいますよ、とかね。自殺抑止につながるのなら、それくらいの警告はした方がいいと思いますねぇ。

次に、遺族側ですね。これがまた、迷惑な話なのです。当然ながら、自殺した動機などを警察が聞きにきますよね。警察は仕事ですからね。事故なのか自殺なのか、裏付けを取らねばなりません。なので、遺族がいれば、いろいろ話を聞くことになります。遺族側は、大変ですな。突然の出来事に慌てふためきますな。大騒動です。身内が死んだというのに、
「大変、ご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございません」
謝らねばなりません。あちこちに頭を下げなければなりません。死んでしまった者はいいですよね。謝る必要はないのですから。でも、生きている側は、知らないふりをしているわけにはいかないのですよ。
まずは、警察から連絡が来ます。身元確認ですな。で、身内の者が現場に駆けつけますな。身内の方も遺体を見せられても、本人の確認なんぞできやしないこともあります。しかし、まあ、身に着けているものやなんやらで本人を確認しますな。で、遺体を引き取るわけですが、そこからがまた大変です。通っていた会社(学校)にも連絡しなきゃいけないし、あちこち連絡しなきゃいけない。葬式の準備もしなきゃいけない。亡くなった事情が周囲にわかると、そりゃあもう恥ずかしい思いをしなきゃいけない。ま、これは電車に飛び込んでの自殺に限ったことではないですが、こと電車への飛び込み自殺は、遺族は嫌な思いをしますな。なぜなら、周囲の視線が
「迷惑な話よねぇ」
と物語っているからです。会葬者は皆思うでしょうな。
「わざわざ電車に飛び込むことはないのにねぇ。迷惑な話よねぇ」
と。口には出さないまでも、こういうことは、態度で、視線で・・・表れるものなのです。遺族は、嫌な思いをすること間違いなしですな。きっと遺族の方も、
「何も電車に飛び込んで死ぬことはないのに・・・」
と思うことでしょう。遺族は、いたたまれないですな。自殺した者は、遺族にも大変な迷惑をかけているのですよ。

自殺をした人は、きっと現実から逃れたいがために自殺をしたのでしょう。現実の苦しみから逃げたくて、もう生きていく気力がなくなって、何もかも嫌になって、で、やってきた電車に飛び込むのでしょう。現実逃避ですね。「死んで楽になりたい」ということでしょう。
しかし、死んで楽にはなりません。今まで話をしたように、電車への飛込みは、ものすごく多くの人々に、ものすごく大きな迷惑をかけているのです。そんなことをしでかした者が、楽になるわけがないですな。
まず、何万人・何十万人の恨みを買いますな。
「くそ、また人身事故かよぉ、まったく迷惑な話だよ」
という人々の思いや怒り、恨みは、すべて電車に飛び込んだ者へ行きます。この恨みは大きいですな。一人一人の恨みや怒りは小さくても、それが何万人・何十万人分集まれば、巨大な怒りや恨みになります。それほど多くの人に迷惑をかけたのです。
そこに、職員や鉄道会社の人たちの怒りや恨みが加わりますな。さらに、遺族の嫌な思いが加わります。
電車に飛び込んで自殺した人は、これらの人々に迷惑をかけたことになるのです。この罪は、大きいですよねぇ。

ただでさえ、自殺は罪が大きく、地獄へ落ちるだの、成仏しないだの、浮かばれないだのと言われます。その上に、巨大な罪を抱えての自殺ならば、地獄どころの話じゃないですよね。地獄も地獄、どん底の地獄に行くことになるでしょう。当然ながら、生きていた時のほうが楽に決まっています。どんなにつらくても、自殺した後の苦しみに比べれば、生きているときの方が楽チンなのは間違いないないですな。
これほど大きな迷惑を多くの人々にかけて、楽になるはずがないじゃないですか。自分勝手も甚だしいですよね。電車に飛び込んで自殺する者は、最も自分勝手な者です。そんな人間が楽になるわけがないでしょう。

そもそも、自分一人が苦しいなんて思い、自分一人だけが苦しみから逃れようなんて、そんな自分勝手が許されるわけがないでしょう。そんなのは、我が儘の極みですな。
この世に生れた以上、苦しいのは自分一人だけじゃありません。みんな苦しいんです。その苦しみに対しての考え方が違っているだけなんです。苦しみに対し、弱いか強いか、その違いがあるだけなのです。苦しみは、それぞれ皆平等にあるのです。自分一人が苦しいと思っていたら、大間違いです。誰もが、形は違えど、苦しみは抱えているものなのです。
「あんただけが辛いわけじゃない、あんただけが苦しんでいるわけじゃない」
これは、真実なのですよ。誰もが辛さを抱えているのです。ただ、その辛さに耐えられるか耐えられないか、が違うだけなのです。死ねば目の前の苦しみから逃げることはできるかもしれませんが、すぐに次の苦しみがやってくるのですよ。清算しなきゃいけないことは、ちゃんと済ませておかないと、ツケがたまるだけですな。しかも、確実に身内に迷惑をかけますな。それでも、自殺を選ぶならば、それは超身勝手としか言いようがないですね。

この国は、年間3万人が自殺をする国です。こんなに自殺が多い国って、本当にどうかと思います。年間の死亡原因で最も多いのが自殺なんですよ、この国は。ガンや脳梗塞じゃあないんです。自殺が死因のトップなんです。どうかしてますよ、この国は。
少しは、自殺ストップ、なんて活動をしているようですが(自殺防止のAKBのポスターを貼るだのなんだのとやってましたが、どうなったんでしょうかねぇ)、効果は感じられませんなぁ。
悩むことは大事です。悩むことによって、精神的成長が得られるのですからね。しかし、悩みから目をそむけて逃げることを考えてはいけません。悩みには立ち向かわねば。もしくは、やり過ごさねば。逃げたって、また同じような悩みはやってくるのだし、ましてや死んでしまえば、楽どころかさらなる苦しみを背負うことになるのです。世間に多くの迷惑をかけて自殺したって、いいことなんぞあるわけがないでしょう。その苦しみを背負うくらいなら、生きていた方が楽しいのですよ。
自殺を考えている方がいるとしたら、電車への飛込みは、絶対にやめてくださいね。大きな迷惑をかけ、大きな恨みを買うことは間違いないですからね。そんな罪を背負って死ぬことはないですから。
「苦しみから 逃げたつもりで 死んでみりゃ さらなる苦しみに 喘ぐ日々かな」(自殺者、地獄での一句)
な〜んて呑気なことを言う余裕はありませんから。くれぐれも、自殺は思いとどまるようにしてください。そこまで悩んでいるのなら、死ぬ前に相談してくださいね。
ちなみに、八方塞だ、と嘆く人がいますが、死ぬ以外の逃げ道は必ずあるものです。死ぬ選択をするくらいなら、もっといい選択があります。それを選ぶことです。それをお忘れなく。
合掌。


*必殺!その23「働けるのに無職の者に説教する」

今回も怒りのメールがやってきました。今回は、無職の人への説教依頼メールです。ご紹介いたしましょう。
「毎日のように事件が起きていますが、その事件の犯人と思われる人は、ほとんどが無職なように思います。大きな事件ではなく、しょぼい事件(事件に大きい小さいはないのかもしれませんが。被害者の方にとっては、失礼かもしれませんが)の犯人は、もうほとんど無職です。無職って、それでどうやって生きているのでしょうか?。私たちが子供のころは、『働かざる者食うべからず」と言われました。無職って、どうよ。無職だから、犯罪を犯すのでしょ。どんな仕事でもいいから働けって思います。働けるくせに無職はいけません。無職の者に喝を入れてやってください」
というメールをいただきました。ということで、今回は
「働けるのに無職の者に説教する」
です。ただし、初めに断わっておきますが、説教の対象者は「働ける身体や条件をもっているのに、怠けて働いていない者たち」です。そのあたり、誤解のないように読んでくださいね。

確かに、コンビニ強盗とか、下着泥棒とか、あまり大きくない事件をおこす犯人の多くは、無職のように思います。ニュースで捕まった犯人を見ていると、いいガタイをしているのに無職という人が少なくありません。そんないい身体をもっているなら、働けよ、と確かに思います。大変、もったいないですよね。何で働かないの、と思います。あるいは、ニュースを見ているときに「どうせ犯人は無職だろ」と思うことが多々あります。で、それがその通りなんですよねぇ。そういうニュースを見たり聞いたりするたびに「なぜ働かないのか」と思うんですよ。そう思う方、多いんじゃないでしょうか。
本当に、なぜ彼らは働かないのでしょうか?。そんなに働くのが嫌なんでしょうか?。危険を冒す方がいいのでしょうか?。捕まって刑務所に入るほうがいいのでしょうか?・・・・。
彼らは、なぜか地道に働くよりも、危険を冒す方がいいようなんですね。そこに問題があるんですな。
まず、彼らは、働いても長続きしないんですね。すぐに辞めてしまう。その理由の多くは、「うざい」でしょう。何がうざいのか?。答えは簡単、上から注意されたり、指図されたり、教えられたり、怒られたり・・・・するのが嫌なんですね。ちょっと、職場の上司から何か言われると、途端にやる気をなくしてしまうようなのですな。で、仕事を辞めてしまう。辞めてしまってから、
「くっだらねぇ、そんなちまちま働いてられるか。俺は、もっと大きなことをして一発で大金を稼ぐんだ」
などと、まったく想像力が欠如した妄想を抱き、コンビニ強盗に変身するんですな。で、数万円というお金を掴み、逮捕されるのです。または、もう少し上級になると、刃物や模造拳銃などを持ち、郵便局などに押し入りますな。で、結局は捕まります。あるいは、
「もう仕事なんかやってられない。あーやだやだ、働くなんてやだ。一日中ウダウダしていたい!」
と言って、家の中に引きこもりゲームの世界に入り込んでいますな。行く先は、ネトゲ廃人ですな。その亜種としては、変態コースもありますな。ネットで流れているノーカットAVなどを見過ぎて、変態に走るというパターンですな。こういう者は、盗撮や下着泥棒に進んでいきます。まあ、この変態コースには、ちゃんと職業を持った人もいますけどね。
まったくバカバカしい話なのですが、こういう状態にある人たちが、この世には多数存在しているのですよ。

だいたい、目上の人からちょっと注意されただけで、仕事を辞めてしまうって、どうかと思いますよね。そもそも、その仕事の経験がないのなら、何も教わらないでできるわけがないのに、仕事をすぐやめてしまう人は、教わることがもうすでに嫌なのですな。人からものを教えられる、指図される、指導されるということが受け入れられないようなのです。自分は、そんなことを教えられなくても知っていると思い込んでいるのか、教わらなくてもできると思い込んでいるのか知りませんが、教えられたりした時点で、もうアウトなんですよ。どんだけうぬぼれているのか、何様のつもりなのか、彼らは、本当に教えられなくてもできると思い込んでいる節があるから、驚きなのですな。
「初めからできるわけないでしょ。これからいろいろ覚えていかないとね」
と言われると、もう頭がパンク・・・ではないですな、受け付けないのですね。
「こんなことやってられるか」
になってしまうんですね。辛抱が足らないどころじゃないですな。自分の不出来は棚に上げて、お前らには言われたくない、という態度ですからね。話になりません。こういう連中は、教育をし直した方がいいですね。いや、し直すべきでしょう。働けるのに働かない連中は、犯罪の予備軍にもなりかねませんから、一か所に集めて再教育を施すべきですな。働く義務、というのをしっかりたたき込むべきです。

人間は、そもそも怠け者にできています。できれば、働きたくないものです。働かなくても食わしてくれるなら、働かないでしょう。それくらい人間は怠け者にできているんですよ。それはお釈迦様も口を酸っぱくして説いていますな。「怠ることなかれ」とね。お釈迦様は、人間の本性を見抜いていますね。欲が深くて、高慢で、怠け者で、ぐうたらで、時間や物を惜しみ、文句ばっかり言っている・・・・人間の中には、そうした悪魔的要素が誰にでも潜んでいるのです。違うのは、その要素が多いか少ないか、自分でコントロールできるかどうか、といったところでしょう。働ける体をもっているのに、働かない者たちは、その悪魔的要素が多いのか、コントロールがうまくできていないか、なのでしょうね。そこのところを無職の者たちにしっかり教育しなきゃいけませんな。君たちは、怠け者要素が強すぎるのだ、とね。このことを認識せよ、ということ、これがまず第一ですな。

次に、「一攫千金などない」ということを頭に叩き込むべきですな。働かない者たちは、コツコツ地道に努力する、ということができません。やりはじめたらすぐにできないと納得できないようですな。何も努力しないで、いきなりもうかる、いきなりできる、でないと納得できないのです。で、ちまちま働くのなんて・・・といって、せっかくの仕事も辞めてしまうのです。で、違う職に就く。すると、またすぐにできないからと言って辞めてしまう。その繰り返しですね。そうして、職を転々とする羽目になるわけですな。彼らが言うことは
「頑張るのはカッコ悪い」、「そんな地道な仕事なんて、俺には似合わない」、「こそこそ稼ぐより、一発で稼げばいいじゃないか」
などなど・・・・。そんなことじゃあ、お金を稼ぐことなどできないんですけどねぇ。それがわかっていないんですな。
コツコツ頑張らなきゃ、お金は手に入りませんな。地道に稼がなきゃ、お金は手にできませんな。一発で稼ぐ仕事なんて、ないでしょう。いや、よほどの才能と運がないと一発で稼ぐことなど無理ですな。それは、確率的にいってものすごく低いでしょうし、そもそも才能やキレる頭を持っていないとダメですな。なのに、なぜか一攫千金を狙う者は、「自分はその才能や運の持ち主だ」と勘違いしているんですな。そんな才能や運があったら、無職であるわけがないですね。
この世に一攫千金などない、ということをしっかり頭に叩き込むべきでしょう。

さて、もっとも問題なのは、一攫千金のところでも少し触れましたが、自分のことを勘違いしている者が多いということです。どのように勘違いしているかというと、
「自分は、こんなはずはない。もっとできるはずだ」
「自分は、お前らなんかとは違う」
「運が向いてないいないだけで、自分はすごいんだ」
「自分にはこんな仕事は不向きだ。もっと優れた仕事でないと自分は生かせない」
まあ、こんなようなことでしょうか。なぜだかわからないですが、彼らはものすごい自信があるのです。それも無根拠な自信ですね。まあ、一般的にそれは「うぬぼれ」とか「勘違い」とか言われるのですけどね。本人たちは、いたって本気なのですから始末に悪いのですな。だから、妙なプライドがあるんです、彼らにはね。そのプライドが傷つけられると、腹が立って辞めてしまうのですな。そして、職を転々とし無職になる。で、社会を恨むようになるのですね。自分が悪いんじゃない、自分を認めない社会が悪いのだ、とね。
どんだけうぬぼれているのか、どんだけプライドが高いのか、理解不能ですな。自分はできる人間なんて、よくそんなことが思えるな、と思いますよ。で、一方で、「自分はダメ人間だ」とショボショボになっているんですね。

周囲から注意されてふてくされて、こんなはずはない、こんな職場では俺の良さは生かせない、こんなところじゃあダメだ、といって、エラそうな態度をして逃げてしまうんですね。プライドばかりが高いから、自分の弱さやダメな部分を認められないのですな。で、職を転々とするうちに、現実がわかる人と、恨む人へと分かれていくのですね。現実の分かる人は、自己反省をして立ちなおる人と、拗ねてふてくされて引きこもりになる人と分かれていきますね。恨む方は、世間に一泡吹かせてやると考える組と、自己破滅系に進んでいく組とに分かれていくようですな。
いずれにしても、現実を認め、自分の弱さを認め、自分の才能のなさを認めないと、正しい道には進めませんな。

そもそも、才能などというものは、誰にでもあるようで、ないものなのです。目立った才能などは、ごく一部の人にあるだけで、多くの人たちには「コツコツ努力する」という才能があるだけでしょう。そう思っていた方が現実的ですよね。
そう、コツコツ努力する、ということも立派な才能なんですよ。それすらできない人がいるのですから。まあ、私も、コツコツ努力するというのが苦手な方ですけどね。どちらかというと、適当にのらりくらりと進むほうなので・・・。ま、それが私の才能ですね。
突出した才能がある人はごくわずかですが、何かしら得手なことはあるはずです。それが一般的な才能というものでしょう。先ほど言った、コツコツ努力できることも才能ですし、電気系に強いというのも才能ですし、動物と仲良くできるというのも才能ですし、足が速いというのも才能ですし、我慢強いというのも才能ですし、愛想がいいというのも才能ですし、年寄りに人気があるというのも才能でしょう。ちょっとした特技、ちょっとしたことが才能なんですよ。突出した才能なんて、一般ピープルにはないのです。多くの場合、少し他人よりも得意だ、という部分を努力して伸ばしていって初めて才能となるのですね。そこを勘違いして、初めから突出した才能があるなんて、考えるほうがおかしいのです。それは、夢物語ですな。

働けるのに働かないでいる無職の人たちよ、仕事なんてなんでもいいから、とにかくまず働きなさい。あれ嫌これ嫌それ嫌なんて言ってないで、まず働きなさい。才能なんて、あなたたちにはないのです。一攫千金を得るような運なんてありません。働かない者には、幸運なんてやってきません。何かを得たいのなら、自分で得る努力をしなければ、手には入りません。誰も助けてはくれません。自分で何とかしなくてはいけないのです。
怠けずに、コツコツと努力し、一つずつ重ねていく・・・・。誰もがそうして生きているのです。自分は特別だとかいうのは、大きな勘違いです。、自分はそんなことはしたくないというのは、単なる甘えです。そんなことでは、世の中生きてはいけません。それができないのなら、行きつく先は、野垂れ死にか、ホームレスか、犯罪者か・・・です。
そんな未来が嫌ならば、ともかく働くことです。自分のために、自分の未来のために、働きなさい
合掌。


*必殺!その24「自民党化した民主党に説教する」

今回も怒りのメールがやってきました。今回は、更新寸前に届いた説教依頼メールです。ご紹介いたしましょう。
「いったい民主党はどうなっているんだ!。こうなるためにあんたらに票を入れたんじゃないぞ!。過半数取ったら何をやってもいいのか!。マニフェストを守れ!。それからマスコミ!、お前ら、法案が通る前は消費税は大事だみたいなことを言っておいて、法案が衆議院を通った途端、消費税の悪影響は大きいって、いい加減すぎるだろ!。それと、民主党が割れたことばかり取り上げている大手新聞社、下らんことに紙面を割くな!。民主党もマスコミも、お前ら説教されろ!」
と、まあ過激な内容のメールでした。過激になっても仕方がないですよねぇ。誰しも過激になるのではないかと思います。まあ、言いたいこともよくわかりますので、説教いたしましょうか。ということで、今回は
「自民党化した民主党に説教する」
です。やっていることは、民主党ではなく、自民党時代と同じですからねぇ。もはや民主党の意味はなくなってしまったでしょう。ですので、このような題名になりました。

しかしまあ、驚きましたねぇ。いきなり増税法案ですからね。しかも、自分たちの改革はせず、いろいろ弊害が出ていることも改革せず、節約もせず、やるべきことをすべて先送りしての消費税増税ですからね。そりゃあ、国民は怒るでしょう。あきれるでしょう。民主党に票を入れた方は、裏切られた思いが強いでしょうねぇ。なんせ「増税はしない」と言っていた党ですから。そりゃあ、ないですよね。
過半数取ったからと言って、何をやってもいいということはないでしょう。ましてや、彼らは「財源はある。官僚の無駄遣いを減らせばいいのだ」と言っていた人たちでしょうに。それが、官僚の言いなりになっているのですから、どうしようもないですね。こんな状態なら、民主党っていらないでしょう。全部自民党って感じじゃないですか。いっそのこと、消費増税に反対及び棄権・欠席した人を除いて、自民党と合体してしまえばいいんじゃないですか。それが真実の姿でしょ。エラそうに「法案に反対した議員は政治家失格だ」なんて言っている方がいますが、「マニフェストを捨ててしまったあんたらが政治家失格でしょ」と言いたいですな。むしろ、マニフェストを守ろうとした政治家が、法案に反対に回ったのでしょうから、その人たちこそが民主党を名乗るべきでしょう。エラそうなことを言うなって言いたいですよね。今回の増税法案に賛成した民主党議員は、自民党員になるべきです。もしくは、民主党離脱党などと名乗るべきでしょう。

マスコミの中には、大きな震災もあって世の中が変わってしまったのだから政策が変わってしまうのは仕方がない、むしろ以前の政策にこだわるほうが現状に対応していないので責任ある政治ではない、と論評している方もいましたが、この人、本当に民主主義をわかって言ってるのか、と思いますよね。確かに、民主党が大勝した時と、今の状態は大きく異なります。ならば、民主党は、先に
「当時のマニフェストでは対応できません。そこで、あの当時のマニフェストを破棄しようと思います。ですから、新たなマニフェストで選挙をしましょう」
というべきでしょう。それが民主主義でしょう。国民に主権はあるのですからね。
そもそも民主党が政権を取ったのは、あのマニフェストがあったからでしょう。あのマニフェストだったからこそ、国民の多くは日本を変えてくれると期待をして民主党に票を入れたのでしょ。それなのに、そのマニフェストを放棄して、国民と約束していないこと、いや「やらないと約束したこと」をしてしまったのですからね。ということは、今回民主党がやったことは、国民に主権があるという民主主義の大前提を崩すことなのですよ。なぜに、マスコミはそこを指摘しないのか、まったく理解できませんな。マニフェストが当時のものでは役に立たないのなら、解散総選挙をして、今の状況に即したマニフェストを立て、正々堂々と戦うことが先決だ、というマスコミはいないのですかねぇ。マスコミも結局は、権力に弱いのですね。
あぁ、ここで注意をしておきます。私は、消費税を上げることに反対だと言っているわけではありません。こういうことを書いたり言ったりすると、すぐに
「じゃあ、お前は消費税をあげなくて、国が滅んでもいいのか」
という方がいますが、それって論点がずれています。私が指摘しているのは、民主党のやり方が間違っているんじゃないか、国民を無視しているんじゃないか、嘘つきなんじゃないか、ということです。なので、論点をすり替えないようにしてくださいね。

今回のことは、あまりにも急ぎすぎなんじゃないかと、私は思います。もっと議論すべき事柄なのではないか、と思うのですよ。ろくに時間もかけないで、案が出たと思ったら、自公民で談合、でしょ。勝手なことし過ぎなんじゃないの、と思うのですよ。民主党は、もっと党内で話し合う時間を設けるべきでしょう。民主党が政権を取った時のこと、当時の国民との約束、そうしたことへの配慮はどうするのか、ということをもっと話し合うべきなのではないでしょうか。反対をしていた人たちだって、それはそれでその意見に筋が通っていますよね。消費増税をしなきゃ、と思っている人たちだって、決して間違がっているわけではありませんよね。
じゃあ、何がいけないのか。それは、手続きの仕方がいけない、ただそれだけでしょう。上の方で勝手に話を進めて、
「自公と話を決めたから、お前らみんな従えよ。従わない奴はお仕置きだ」
これはないでしょう。いくらなんでも、こんなのは、民主主義とは言いませんよ。どっかの暴力団なみじゃないですか。そもそも自公と手打ちをする前に、自分の党内の意見をまとめなきゃいけないでしょ。それを怠っておいて、「従わないなら懲らしめる」っていうのは、まともな民主主義じゃないですよね。ひどすぎますな。これじゃあ、ちゃんと意見は言えないですよね。
今回、法案に反対した民主党議員は、ただたんに
「おかしいと思うことをおかしいといった」
だけなんですよ。本来ならば、法案の採決前に党内で片付けておくことだったのです。それをやらないで、「従え、お前らの意見は聞かない」って、戦前ですか?。そこがおかしいと思うのです。そんなことをするならば、民主党の連中は、自民党に入ればいいのですよ。こんな状態ならば、民主党の存在価値がないですよね。
今回のことを見ていて、この国は
「おかしいと思うことをおかしいと言ったならば、罰せられる国になったのだ」
「おかしいと思うことをおかしいと言えない国になった」
と思いましたね。まるで、戦前の言論統制なのか、と思いますね。

小沢さんを嫌いな方は多いと思います。まあ、嫌われるでしょう。悪人顔だしね。裏で何やってるかわからない、と思われやすいですからね。現に裁判で追及されましたが、まあ、無罪にはなっていますが、そりゃあ、真相はわからないですよね。でもね、そんなことは、本当はどうでもいいのですよ。小沢さんが裏で何をやっていようが、悪いことをしていようが、そんなことはどうでもいいのです。大事なのは、国民のことを考えているかどうか、ということだけなのですよ。裏で多少悪いことをしていても、国民を豊かにするのなら、いいじゃないですか。そう思いませんか?
たとえば、
「裏で悪いことは何もやってません、私腹を肥やすようなことは一切していません。ですが、堂々と自分たちが定年後に天下る先をせっせと作って、国民の税金でのうのうと暮らします」
という官僚と
「裏で私腹を肥やすことはしてますよ、でもね、堂々と国民の税金で自分の利益を得ている官僚を抑え、国民が豊かになるようにしたいと願っています。実際そうしようと努力しています」
という悪徳政治家と、どっちがいいのでしょうか?。さらに
「裏で悪いことはしていません。私腹も肥やしません。でも、官僚の言いなりです。国民よりも官僚が大事です」
という骨抜きの議員と、どれを選びますか?
今の日本の政治は、そういう状況なのですよ。政治家も経済界もマスコミもみんな、官僚の言いなりなのですな。それに反対すれば、干されてしまうのですよ。官僚に逆らえば、政治家も経済人もマスコミ関係者も生きていけない時代なのですな。
こういう状況にあるということを、これではダメだ、という政治家がいたなら、そっちを優先すべきじゃないですか?。多少汚い政治家であっても、官僚政治を打破しようとする政治家ならば、その政治家の言っていることを聞くべきじゃないですか?。もっとも、それを信じて、あの時民主党に投票したのでしょうけどね、国民の多くは。それが、結局は官僚の言いなりになってしまったのです。ただ、いまだに官僚の言いなりにはならないぞ、と言っている政治家が少々汚れているかもしれない嫌われ者だ、ということなのですな。

今の日本の政治状況を客観的に見れば、こうした構図は見えてくるのですよ。すべては、官僚が官僚のために、税金を動かしているのです。そこには、国民の権利はないですな。国民は、官僚を養うための生き物、なのですね。そうじゃないですか、官僚の皆さん。もし、官僚の方がこれを読んでいるならば、反論してください。

いずれにしても、今回のことで、民主党は民主党の存在意義をなくしてしまったでしょう。国会議員のその多くが、自民党と官僚の支配下にはいってしまった、というわけですな。
そんな民主党なぞ、説教する価値もない、ですよね。
合掌。


*必殺!その25「イジメを放置する学校関係者に説教する」

今回も怒りのメールがやってきました。今回は、今まさに話題沸騰中のことに関してです。ご紹介いたしましょう。
「あの学校の先生と教育委員会の人たちは、いったいどうなっているんだ?。あれで教師なのか?、教育に携わる人なのか?。あまりにも無責任、あまりにも他人事過ぎるでしょう。あれで教師?、教育長?、校長?、いい加減にしてほしいです。また、イジメた側の親たちにもあきれ返ります。あの親にしてあの子、と思えば納得もできますが・・・・。それにしても、あのイジメの事件に関しては、見ていて本当に腹立たしいです。あの人たちに説教をしてやってください」
まあ、確かにあの大津のイジメ問題は、ちょっと驚き・・・という点が多々ありますよね。教育長のあの記者会見もそうだし、担任や校長たちの態度、イジメた側の親の取った行動、警察の対応、すべてに???です。ということで、今回は、
「イジメを放置する学校関係者に説教をする」です。

まず、驚いたのは、あの教育長の記者会見の内容ですね。イジメに関するアンケートの中に「イジメについて書かれている」ことを「見落としていた」と、あの方はおっしゃいました。皆さんも、何度もニュースでご覧になっていることでしょう。よく御存じのことだと思います。もうびっくりですね。いや、あきれますね。「見落としていた」で話が通ってしまうんですから。教育に携わる者が、生徒のアンケート内容を「見落としていた」なんて・・・。なぜ、ここをマスコミはもっと突っ込まないのでしょうかねぇ。私なら、めちゃめちゃしつこく突っ込みますけどねぇ。
・・・「見落としていた」で通じると思ってるの?、これ責任問題でしょ、どんだけいい加減なの?、それでよく記者会見できるねぇ。言うに事欠いて「見落とす」だって?。アンケート内容を見落とすって、そんなことある?。どこに目をつけてるの?、あんた何様のつもり?。それで世の中通ると思ってるの?。民間の会社なら、クビだよ、クビ。こんな重要なこと、「見落とす」なんて・・・。よく堂々とそんなことが言えたよね。いや〜、あきれ返るわ。いや〜、その年までよく恥ずかしくもなく生きてきたわ。エラソーな顔をして、何が教育長?。いったいどんな人生を歩んできたの?。人間性も疑うわ〜・・・。
いや、あまりしつこいとこちらの人間性を疑われるのでやめますが、でも、多くの人がこのように思ったのではないでしょうかねぇ。あの教育長は、威張っているだけのオッサンなんだろうな、とね。
あれじゃあ、あの市の教育はダメでしょうね。ほかの学校もきっと似たような感じなのではないかな、と思われるでしょう。一事が万事です。あの教育長の記者会見を見ていると、大津市の教育は期待できませんよねぇ。
だいたい、あの人、何を言っても、誠意が感じられませんよね。ああいう顔つきだから仕方がないのか(そうは思いませんが)、面倒くさそうだし、やる気がなさそうだし。きっと心の中では「くっそ〜、何で俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ。うっとうしいなぁ」くらいに思ってるんじゃないかな、と思われるでしょう。もっと誠意ある態度で対応しないと、マスコミはイジメますよ、いつまでも、イジイジとね。まあ、オリンピックが始まったので、注目度は低くなりますから、今頃はご本人もホッとしてるでしょうけどね。
あんなのが、教育長だっていうのだから、日本の教育は死んでますな。あの年代の田舎のオッサンは、威張っているだけの人が多いから、ダメでしょうなぁ。教育に対する情熱よりも、自分の名誉に対する情熱の方が勝ってますからねぇ。そういうところが見え見えで、とっても嫌ですな。

問題の学校の校長も担任も、わけがわかりませんな。校長先生、本当に校長なの?、と疑いの目で見られるような人でしたねぇ。一目見て、「アカンでしょ、あれじゃあ」という感じがしました。まあ、外見で人を判断してはいけませんが、もう少し・・・ねぇ。威厳があってもいいんじゃないかと思うし、マスコミへの対応も何とかならないものかと、思いますよねぇ。
担任に至っては、もう聞くに堪えない話ばかり漏れ聞こえてきますな。他の生徒からのイジメ報告があっても無視。ケンカじゃないか、で済ます。当事者に「やりすぎるなよ」などという。あきれてものが言えませんな。それでも教師なのか、とね。見て見ぬふりは、教師はお得意の技なのかも知れませんが、あまりにもひどすぎるでしょう。もう少し、何か対応する方法があったのではないかと、誰しもが思いますよね。他の先生にしてもそうですね。知っていて、気付かないふりをするというのは、あまりにもひどすぎるでしょう。なぜならば、あなたたちは教師だからです。

学校は、教育をする場所です。その教育とは、勉強だけではありません。勉強だけを教えればいい、というのならば、学校に行く必要はありませんよね。みんな塾に行けばいいのです。塾の先生の方が、勉強の教え方が上手いですからね。
学校は、勉強だけをすればいい、という場所ではなく、社会性を教育する場所でもあるでしょう。どちらかと言えば、社会性の教育の方が重要だと思います。今の学校の先生に、塾並みの勉強の指導は期待できませんからね。せめて、社会性を身に着けさせる、コミュニケーション能力を身に着けさせる、人間性を身に着けさせることは、ちゃんとすべきでしょう。そ役割の方が大きいでしょ、今の学校は。そこができないようでは、もはや学校の存在意義も怪しくなってきますな。学校なんていらない・・・と言われかねないでしょう。そう、今の学校の役割は、生徒の人間関係について、しっかりし教育をする場所へと移行して行くべきなのですよ。勉強は、ある程度・・・常識的範囲・・・できればよろしいんです。大事なのは、いかにうまく人間関係を築くことができるか、という教育なのですよ。
学校は、学校生活を通じて、社会性を身に着ける場所でもあります。いろいろな人とかかわりを持ち、お互いに協力し合って、共同の作業をし、成果を得る、という人間関係を学ぶ場所ですね。それが学校の役割です。で、その中で、人間関係をうまく築けない人がいたり、仲間外れや、イジメなど、人間関係が円滑に進んでいない場合は、担任や指導をするべき教師は、即座にしかるべき対応をしなければなりません。それが教師の役割でしょう。教科の内容を生徒に教えればそれでいい、というのが教師の仕事ではありません。そんなことを思っている教師しかいない学校ならば、学校の存在価値はなくなりますな。教師は、その点をよく理解していなければいけないと思いますね。それを理解していれば、「見て見ぬふり」などしないはずです。いや、できないはずです。

確かに、先生も授業を受け持つ以外にも、やることがたくさんあって大変でしょう。行事もありますし、テストも作らねばならない。成績表もつけなきゃいけないし、親への対応もある。そのほかにも、いろいろと報告書を提出したりしなければならないこともあるようです。さらに、自分が受け持つクラスに問題があると、その教師の評価が下がる、ということもあります。先生もいろいろとつらい立場である、ということはよくわかります。しかし、それはそれ、ですよね。だからと言って、イジメを見逃していい、ということにはなりません。問題をすり替えてはいけませんね。いくら忙しくても、対応の方法はいくらでもあるでしょう。それを隠し立てしたり、見て見ぬふりをするのは、間違っています。それは許されるべきことではないですな。いいわけは醜いです。なので、担任も顔を出し、誠意をこめて謝罪すべきですな。隠れているのは、余計に悪印象を与えますな。見逃していた、見て見ぬふりをしていたという事実は、けっして消えることはありませんからねぇ。

なんで、あの人たちは、謝らないのでしょうかねぇ。まあ、きっと弁護士が付いていて、「謝るな」と、指導されているのだと思いますが、それにしても対応に誠意が感じられませんな。もし、弁護士が付いているならば、その弁護士もあまり賢いとは思えませんねぇ。世論を敵に回すと、うるさいですからねぇ。まあ、謝ってしまえば、自分の落ち度を認めたことになりますから、だからコソコソ隠れているのでしょうけど。なんだか、大人の汚さを垣間見ているようで、本当に嫌ですね。嫌悪感以外の何も感じません。
あの人たちに限ったことではないですが、どうしてあの年代のオッサンたちって、責任が取れないんでしょうかねぇ。私も似たような年代なのですが、あの態度はないと思いますな。政治家にしても、企業人にしても、教育者にしても、子供には「自分のしたことには責任を持て」とエラソーに言うくせに、いざ自分がヤバイ立場に追い込まれると、オロオロしてるばかりで、決して責任を取ろうとしませんな。全く醜いですなぁ。自分も責任が取れないならば、他人に「責任を持て」なんて説教して欲しくないですな。まずは、自分のことをしっかりやってくれ〜、と思いますね。
嫌な大人が増えました。残念なことですが・・・・。

そうそう、イジメた側の親が、PTA総会の時に「自分の子供は悪くない。あれはじゃれあっていただけだ」という主旨のビラを配布したとか・・・。いやはや、何を考えてそんなことをしたのか、その見識を疑いますが、まあ、親ばかならぬバカ親なんでしょうなぁ。そんなビラを配ったら、「うちの子はやってます」って言っているようなものなのにねぇ。本当にやましいことがないのなら、「皆さんがどう思おうとも、私は自分のこどもを信じています。親が子供を信じなければ、親の意味がないでしょう」と言って、堂々としていればいいのです。それが親でしょう。
もし、子供が嘘をついていて、本当はイジメていた、と言うのならば、そこはしっかり謝るべきでしょう。子供と一緒に、相手の家に行って、土下座して謝るべきでしょう。そのあとのことは、双方で話し合えばいいのです。そうすれば、マスコミを巻き込むような大ごとにはなりませんわな。
まあ、しかし、そんなビラを撒くような親の子ですから、きっと嘘をついているのだと思いますけどね。あの親にしてあの子あり、でしょうな。甘やかすにもほどがありますな。
だいたい、片方が「じゃれあっていただけ」といっても、された方が「いじめられた」と感じたならば、それはイジメだと思ったほうがいいでしょう。感じ方は、それぞれ皆違います。中には、本当に軽い気持ちで冗談で言った一言に傷ついてしまうこともあるのです。友達だから、と思っていった言葉でも、傷つくことはあるのです。言った側は、冗談のつもりでも、言われた側はイジメに値する言葉だと思うことだってあるのです。相手側のお子さんが、いじめられていた、と感じたのならば、それはじゃれあっているのではなく、イジメになってしまいますな。親も教師も、そこを教えなければいけませんよね。
あのビラを配った親にしても、なぜ自分の子供に
「お前はじゃれているつもりでも、相手はイジメられている、と感じたのだよ。ならば、それはイジメだろう。お前だって、されたくないことをされたら、嫌だろう。それと同じだ。相手の立場になって考えなきゃいけないだろう」と教えないのかな、と思いますな。まあ、そういうことを教えられるような親ならば、あんな事件は起こしませんけどね。

教師にしても、教育長にしても、親にしても、最もしてはいけないことをしているようで、今の世の中の教育に関する問題点が浮き彫りになってますな。
何をやっているんだかわからない教育委員会と教育長。
教育なんてできない、ダメな教師の存在。
モンスターペアレンツに代表されるバカ親。
やる気のない生徒、やる気のある生徒との格差。
学校におけるコミュニケーション能力の指導力不足。
どれもこれも、日本の教育の膿でしょう。いや、もっと深刻な状態かもしれませんな。膿どころじゃない、もっと重大な病にかかっている状態ともいえますな。こうした問題が起きるのは、日本の教育システムに問題があるからでしょう。今の教育システムでは、もうダメなんだ、行き詰ってきているんだ、壁に当たっているのだ、という証拠だと私は思います。教育システムを変えていかないと、益々ダメな教師は増えるでしょうし、生徒間の格差は広がるでしょうし、バカな親も増えるでしょう。現在の画一化した教育の仕方では、もはや対応ができなくなっているのですよ。

まあ、だいたい、勉強ばかりしてきた連中が、現場も知らず教育システムを作っているのですから、話になりませんけどねぇ。勉強ばかりやってきたエリートには、勉強ができない者の気持ちはわからないでしょうし、教室で孤立する者の気持ちもわからないでしょう。東大生には、勉強ができないで落ちこぼれる者の気持ちなど、理解はできないのです。
私は、教育は、ある程度までは画一化でいいと思いますが、途中からは能力別に教育した方がいいと思っています。そう、小学校3年生くらいになったら、課目によっては能力別にした方がいいと思います。まあ、親は恥ずかしいかもしれませんが、しかし、「勉強ができる=良い人間」ではありませんから。勉強ができなくても、スポーツや技術、芸術で秀でたものがあるかもしれません。勉強ばかりが、人間の価値を決めることではないのです。親は、そのことをよく理解しなければいけません。自分の子供が、勉強ができなくても他の能力に秀でているからいいのだ、という理解が必要なのですな。
授業も理解度によってクラス分けをすれば、「何をやっているかわからない」という生徒はなくなるでしょう。また、理解度が低いクラスに入っても、基礎からちゃんと教えれば、理解度が高いクラスに追いつくことだってあるのです。できれば、早めに理解度によってクラス編成した方が、「授業が退屈」と感じる子は少なくなるでしょうね。
イジメの原因の一つとして、学校がつまらない、ということもあるでしょう。大津の問題のように、人を死に追いやるほどのイジメをする者は、精神的にも、思考能力的にも発達が遅れていると思われます。やっていいかどうかの判断がちゃんとできていないのでしょうな。ですから、おそらくは授業も退屈だったでしょう。授業が退屈だと、きっと授業中は集中などしていませんな。他のことを考えています。まあ、「どうやってイジメようかなあ」ですよね。イジメに関して、徹底的に追求するならば、イジメをしていた者の精神的発達、想像力、思考能力、学校の成績なども調べるべきでしょうね。面白いからイジメた、で済ませてはいけないですね。それでは、問題の根本的解決にはなりませんな。

いずれにせよ、今回の問題は、忘れられていたイジメ問題について、再び光を当てることになりました。学校はイジメ問題を隠しているのではないか、ということを浮き彫りにさせてくれましたね。イジメは減ってはいない、こっそり行われている、先生は見て見ぬふりをしている・・・。そのことをうやむやにして終わっていては、また隠れイジメが横行することとなるでしょう。マスコミも、上っ面の追求だけなく、真剣にこの問題を取り上げて欲しいですな。
日本の教育がもう少しマシになるといいんですけどねぇ・・・。
合掌。


バックナンバー5

今月の説教人へ   表紙へ