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*必殺!その25「ダラダラと世間のことに説教する」 今回は怒りのメールがありませんでした。ですので、私が最近思っていることをつらつらと書いていきます。全く、個人的意見ですので、反論もありましょうし、納得のいかないこともありましょう。ですが、他愛のない愚痴だと思って、大きな心で読み流してください。ということで今回は 「ダラダラと世間のことに説教する」 です。 この夏は、なんだかキナ臭いことが多かったように思いますね。まあ、まだ残暑が厳しく、夏って感じですが・・・。 まずは、あの大津の教育長襲撃事件。私はよく理解できません。報道によると、大津の役場や、あの事件のあった学校に多数被害が出ているとのことです。嫌がらせ電話に始まって、脅迫文、窓ガラスを割るなど、いろいろなことが起きているようです。何でそんなことが起きるのでしょうか?。そういう嫌がらせ電話(まあ、抗議の電話、批判の電話とも言いますが)や脅迫文をしている人って、部外者ですよね、きっと。イジメとは全く関係のない人たちですよね。イジメ事件の当事者じゃないですよね。なのになぜ役所に電話したりするのでしょうか?。関係のない人ならば、客観的に見ていればいいのではないでしょうか?。 教育長を襲撃した青年だって、大津のいじめ問題には関係のない青年ですよね。たとえ「あの態度が許せない」と思っても、それを言っていいのは、イジメの被害を受けて、ないがしろにされた家族だけでしょう。まあ、百歩譲って、批判はしてもいいでしょう。確かに、当初の態度は悪かったですよね。無責任で、いい加減で、投げやりで、横柄で・・・。とても教育関係者とは思えない態度でした。しかし、だからと言って、その人に暴力を振るっていいのでしょうか?。しかも関係のない人間が。 さらに、襲撃されたことをネット上では「当然の報いだ」とする人が多いそうですね。「よくやった」と無責任に褒め称える者もいるとか。理解できません。確かにあの教育長は素晴らしい教育長ではありませんよ。それは、そう思います。だからといって、殴っていいか、と言われれば、それはNOでしょう。そこには因果関係はありませんよね。 「悪いことをした→関係のない人間に殴られた→当然の報いだ」 これが認められるでしょうか?。こんなことを認めたら、暴力すべてを認めることに発展しますよね。 「関係のない人間をいきなり殴った→だって、その者はよそで悪いことをしたじゃないか→そうなら仕方がないか」 という図式になってしまいます。 たとえば、自殺したお子さんの親が殴り掛かった・・・というのなら、まだ話はわかります。当事者同士のことですからね。もちろん、いけないことですが。でも、教育長を襲撃したのは、全く関係のない赤の他人です。はっきりって「お呼びでない」ですよね。お前なんぞ出てくるな、という存在ですよね。襲撃した青年、他に考えることはなかったのでしょうか?。というより、自分の意識、考え方、生き方、そうしたことにまず目を向けたほうがいいと思いますよね。他人のことよりもまず自分でしょう。自分ができていないのに、他人を成敗することなんぞ、法律にのっとって仕事として、でないと、できないことです。彼は、いったい自分が何様のつもりだったのでしょうか?。本当に理解に苦しみますな。 まあ、そもそも、あの大津のイジメ事件、そのものが理解に苦しみますけどね。 オリンピックがありました。結構な成績で日本国民は大喜びですな。しかし、その陰でメダルを取れなかった人は・・・、なんだか可哀そうですね。彼ら彼女らだって、オリンピックに出たのですから、少しは労をねぎらってもいいのではないかと、ひねくれ者の私は思ってしまいますな。だって、オリンピックに出ること自体、すごいことなんですからねぇ。まあ、メダルを取れなかった本人にしてみれば、そっとしておいて欲しいかもしれませんが・・・・。 私は、実はほとんど見ていません。あまり興味がないということもありますが、基本的に競うことが嫌いなのです。別にどこの国が金メダルを取ってもいいじゃないか、と思ってしまうんですね。なので 「日本が○○の競技で金メダルだって〜」 と聞いても、 「あらそう、へぇ〜」 で終わってしまうんですね。なんとまあ、ノリの悪い、つまらないヤツなんだろう・・・と思われることでしょうが、そういう人間なのです、私は。 しかし、私のような人間は少ないと思っていたら、意外や意外、結構いたんですよ。「えっ?、オリンピック?、あまり興味ない」という方がね。仲間がいたんですねぇ。まあ、だからと言って何かあるわけでもないですが・・・。 日本人って、お祭り騒ぎが好きですよね。あの銀座のパレードの報道を見て、確信しました。このくそ暑いのに、よくもまあ、あんなに人が集まったな、と・・・。あんなところに行ったら、あたしゃ倒れてしまいますな。救急車で運ばれてしまうでしょう。もっとも、初めから行く気なんてさらさらないですが。しかし、好きですよねぇ、お祭り騒ぎ。日本人て、真面目な割に、少〜しラテン系の血が混ざっているんでしょうな。ま、本人が好きで出かけているんですから、私には関係ないことですけどね。まあ、皆さん、ご苦労様、というところですな。 あぁ、そうそう。オリンピック中、ただでさえつまらないTV番組が本当につまらなかったですな。何も見るものがない。なので、ほとんどTVを見ていませんでした。最近、TVがつまらなくなってきましてねぇ。ただ、うるさいだけで。特にあのオリンピックのアナウンサー。「あー」とか「おー」とか「ぎゃー」とか、もううるさすぎ。「やりました〜!!!!」なんて叫んでいるのを聞くと、興ざめですな。一人で興奮していらっしゃる。溜息しか出ませんな。もうドン引きです。なので、TVは消して、静かな夏を過ごしていましたな。 領土問題も大変ですな。いつもは弱腰外交の政府も、今回ばかりは、ちょっと強気ですな。特に尖閣諸島では、あの石原都知事が鼻息も荒く頑張っていますからね。政府も逃げるわけにはいかないでしょう。主張すべきは大いに主張すべきですな。大阪のオバチャンみたいに、図々しく攻めていってほしいですね。 竹島は、なんであんな建物があるの?、と疑問に思いますな。昔から、日本の領土だ、と主張していたのなら、なぜ韓国にあのような建造物を建てさせたの?。あんなの建てられたら、すぐに抗議しないといけないでしょう。その時に何もしなかったのでしょうか?。 たとえば、それって、自分の土地に勝手によその人が家を建てたようなものでしょ?。普通、そういうことがあると、訴えますよね。 「自分の土地に勝手に他人が家を建てた。撤去してほしい」 と訴えますよね。あの竹島の建物が建てられた時、日本は何もしなかったのでしょうか?。詳しいことは知りませんので、もしご存知の方がいたら、教えていただきたいですね。ま、いずれにせよ、撤去してくれ、とか、あの建物自体おかしいだろ、とか騒がないのがおかしいな、と思います。他人の足を引っ張るのが得意なマスコミも、そのことには沈黙のようで。あ、ひょっとして、ふれてはいけないこと?、なのでしょうかねぇ。密約とかあったのでしょうかねぇ。 そもそも、日本も、竹島にしろ、尖閣にしろ、自分の土地だというのなら、それなりに管理しないってのはおかしいですよねぇ。まあ、性善説にたって行動している日本ですから、まさか主がいない間に母屋を乗っ取られる・・・なんてことは、常識的にないだろう、と思っていたのでしょうけど、それはあくまで日本人の立場にたった考え方ですからね。よその国から見たら、世界の見え方は変わったものになる、ということもあり得るのですよ。 自分が見ている世界と、他人が見えている世界と同じ・・・なんていうのは幻想です。それは、国同士の問題だけでなく、人間関係でも同じですな。自分が思っている世界、認識している世界・・・世間と言ってもいいですな・・・が、他人の思っている世界、認識している世界・世間とイコールってことは、ないです。みな、それぞれ違った世界、異なった世界を見て、感じて、認識しているのですよ。ただ、共通点が多い、というだけのことです。ましてや、民族が違えば、見え方、考え方、思い、感情、認識の仕方、すべて異なりますな。そういうことを忘れて、離れ島を放りっぱなしにしておく方も、どうかと思いますねぇ。 気を付けたほうがいいと思いますよ。沖ノ鳥島でしたっけ?。レアアースが大量に眠っていることが分かった場所って。そのうちに、彼の怪しい国が 「あの島は我々のものだ!」 と言い出すかもしれませんよ。あの国の人って、何を言い出すかわかりませんからねぇ。偽物も平気ですし。まあ、日本人はお人好しですから、せいぜい気を付けたほうがいいですな。あるいは、勝手に掘り出す可能性だってありますからね。信用のできない国ですから。 そもそも、レアアースが大量に埋まっている、なんて発表しなきゃいいのに。黙ってこっそり掘削作業を開始してから、発表すりゃあいいのにね。ホント、日本人ってお人好しですなぁ。もう少しワルにならないと、これからの世界では通用しないように思いますなぁ。 原発問題。私は、基本的に原発ってどうかなー、と思っています。原発って、最終処理の方法が確立されていないそうですね。つまり、後始末が完全にできないんだそうです。地中深く埋めるか、巨大なコンクリートドームで固めるのか、海底深くに沈めるのか・・・。最終的に、人間にとって無害な物質にすることは不可能なんだそうです。現代の技術ではね。つまり、最終処理の方法は未来に託すということで、原発はスタートしているのですな。 何と無責任な・・・と、思いませんか?。これは、今の日本の無能政府と同じ理論ですな。 「借金しまくりましょう、返済は将来子供たちがやってくれるでしょう。だから、借金しまくって、お金を使いまくりましょう」 日本の未来は、果たしてあるのでしょうかねぇ。 原発に関して面白い話があります(本当の話かどうかは知りません。無責任です)。ある原発関係官僚と原発反対者の会話です。 「本当に原発は安全なのですか?」 「安全です。絶対に大丈夫です」 「ならば、東京湾に造りましょうよ」 「いや、それはダメです」 「どうして?」 「危険だからです」 「原発って安全なんですよね」 「安全ですよ。絶対に大丈夫です」 「じゃあ、東京湾に造ればいいじゃないですか」 「いや、それはダメです。とても危険です」 「原発は安全なんでしょ?」 「はい、安全です。絶対に大丈夫です」 「じゃあ、東京湾でもいいじゃないですか」 「いや、それはダメです。危険です」 「原発は危険なんだ?」 「いえ、原発は危険ではありません。絶対に安全です・・・」 本当に安全なんでしょうかねぇ。 そういえば、管前総理が「各家庭にソーラーシステムを!」と叫んでいましたが、あの話はどこへいったのでしょうか?。「いいこと言うじゃないか、実現不可能っぽいけど」と思いましたが、やっぱり実現は無理でしょうねぇ。でも、原発を造る費用や、維持する費用で、ソーラーシステムを導入できそうにも思えるんですけどねぇ。試算しては・・・いないでしょうなぁ。官僚の皆さんも、自分の天下り先がなくなるのは、嫌でしょうからねぇ。 私は、基本的には原発はやめたほうがいいと思っていますが、現状ではどうしようもないこともある、とも思っています。まあ、確固たる信念がないと言ってしまえばそうなのですが、しかし、すぐになくせって言っても無理があるでしょう。電気だって使いたいし、不自由なくね。片方で電気を使いまくっていて、片方で原発いらねーっていっても、筋が通りませんよね、現状では。原発に代わるものがない限りね。今すぐ原発をなくせっていう人は、原発がなくてもいいという暮らしができているのかな?、と疑問に思ったりもしますな。物事には、順序が必要だし、急には変えられないこともあるでしょう。 そういえば、先日、とあるところを車で走っておりましたら、「東電は国民の敵だ」というプラカードと持った女性が立っておりました。この炎天下にご苦労様なことです。ま、思想は自由ですからいいのですが、その行動の意味がわからないですね。自己満足?、と思ってしまいますな。きっと、車からその姿を見ている人は・・・あぁ、ほとんどが気づかないでしょうねぇ。気付いたとしても、無視するか、相手にしないか、笑い話になるか、こわっと思うか、ですよね。賛同者は、どのくらいいるのでしょうか?。まあ、その人はそれが好きでやっているんでしょうから、別にかまいませんが、なんだかねぇ、ちょっとずれているような、そんな気がします。 ま、世の中、ちょっとずれていますな。矛盾だらけだし。筋の通らないことは、多いようですな。 そうそう、時々聞かれるので、ここで答えておきます。それは 「夏の恒例になっている某TV局の24時間TV、どう思いますか?」 という問いです。お答えします。 「見ていないので知りません。というか、チャリティーなのにノーギャラじゃないってことで、理解できません」 よその国じゃあ、チャリティーと言えば、ノーギャラですよね。じゃなきゃ、単なるバラエティー番組でしょう。なのに、バラエティーじゃないよ的な顔をしてますな。そういうのを偽善というのでしょうねぇ。今年も、ネット上では、批判が相次いでいるようですな。まあ、あの番組、内容的にどうなのかな、と思いますよ。奇抜な内容じゃなくてもいいのに、と思いますよね。 番組をやる意味や意義は、大切だと思います。誤解のないようにして欲しいですな。私は、やり方に問題があると思うのですよ。あの番組の第一回の放送のことはよく覚えていますが、もっと社会への批判が込められていました。確か司会は大橋巨泉さんがやっていたと思います。で、巨泉さん 「こういうことは、政府の皆さん、あなたたちがやらなきゃいけないことです」 と言っていた記憶があります。もっと、真剣に福祉のことを考えていたように思います。いつの間にやら、バラエティー要素や「これでもか」要素が強くなってしまいました。それ以来、私はあの番組を見なくなりましたねぇ。「いかにも・・・」、「泣かせりゃいいだろ」的な表情が見え隠れするようになってから、見る気をなくしました。純粋さが失われてしまったように感じます。できれば、原点に戻ってほしいと思いますね。もっと、国に対して挑戦的であってほしいと思いますね。あのような番組をやるのなら、ね。 もしくは、バラエティーです、という顔にしてしまうことですね。中途半端な顔をしているから、「偽善」という批判を受けるのでしょう。ちなみに、寄付金は、いつでもどこでもできます。24時間TVだけではありません。そういうアピールもあっていいと思いますよ。 ま、いろいろグチグチ書きましたが、くだらない戯言だと思って読み流してください。共感された方は・・・ちょっとひねくれ者なのかもしれませんよ。お気を付けくださいね。 合掌。 *必殺!その26「盗撮するバカな男に説教する」 今回は怒りのメールが届いております。もう、怒り爆発のメールです。早速、ご紹介いたしましょう。 「私の友人の知り合いが、盗撮被害に遭いました!。どうして男って、盗撮するんですか?。そんなにスカートの中をのぞきたいのですか?。わけがわかりません。しかも、ちゃんとした職業を持っている方や公務員、警察官の方などが、こうしたことをして捕まっていますよね?。バカなんじゃないですか?。男って、みんなこうなんですか?。盗撮をするようなバカな男に説教してやってください!!」 と、激しい怒りのメールがやってきましたので、今回は 「盗撮するバカな男に説教する」 です。 初めにお断りしておきます。これから書く内容に、読みようによってはバカな男を擁護するような表現が出てきますが、決して擁護しているわけではありません。ただ、私も男でして、盗撮したくなる男の気持ちがわからないわけではないので、どうしても表現がそのようになってしまう場合もあります。なるべく、被害女性の立場に立って、説教をいたしますが、「甘い!」というご指摘があるかもしれません。そこは、反論は致しません。その通りでございます、と深く深くお詫び申し上げます。ということで、よろしくお願いいたします。合掌。 はっきり言いまして、男は、性に関してはバカです。ミニスカートの女性がいれば、「中が見えないかなぁ」と思って視線を走らせるのは、これは本能なのです。抑えきれない本能ですな。ミニスカートだけではありません。胸の谷間なんぞを目にした日には、そこに注目するのは、男子たる者、当然なのです。いやいや、女性の皆さんのお怒りはごもっとも。ごもっともですが、これが止められないのですよ。止めようとはしているのですが・・・・。そうですねぇ、あぁ、猫って動くものに目がいいってしまうでしょ。あれと同じ現象ですな。つまり、性に関しては、猫並みの脳ということですな。たとえば、電車で向かいにミニスカートの女性が座っていたら、自然に目がその女性の足の部分に行ってしまうのですよ。もちろん、誰もがじーっとガン見しているわけではありません。たぶん、チラッと見るだけでしょう。そこは、バカな男性も心得ております。ガン見すれば、変態扱いをされる、と言うことぐらいわかっております。これは、胸に関しても同じですな。 大きな胸の女性や胸の谷間が見えてしまう女性に出会いますと、男は必ず一度はそこを見ます。胸を注視しますな。で、「いかんいかん」と思い、目をそらします。ですが、たまにチラッと見ます。これは、どうしようもないことです。健全な男子は、そのように脳みそができているのですな。これは、全世界の男子に共通のことなのですよ。理由は解明されてはいないそうですが・・・・。 こんな話があります。あるところに母親と高校生の娘さんの二人暮らしの家庭がありました。その親子、とあるマンションに引っ越したのですが、しばらくすると視線を感じるようになったのです。ベランダから誰かがのぞいているような気がしたのですな。そこは、マンションの3階の部屋です。当然のことながら、遠くから望遠鏡で見ていない限り、ベランダからのぞくことはできませんよね。しかも、カーテンがしてあります。なので、その親子、たぶん気のせいだろうと、その感じる視線を放置しておいたのですな。すると、今度は娘さんが「お風呂に入っていると誰かが触った。怖い」と訴えるようになりました。お母さんは、「そんなことあるわけないでしょ。気のせいよ」とスルーしていたのですが、今度はお母さんも触られるような感じを経験したのですな。そうなると「なんかいる。怖い」となりますね。どうやら目には見えないものが、このマンションの部屋にいるようだ、ということで、うちの寺に相談に来たのですな。 私は、事前に視線を感じる場所の写真を撮ってきてくれるように言ってありました。で、その写真を見ると、まあ、いるんですな。オジサンたちが。一般の人の目には見えないオジサンたち(若い人も交じってましたが、いずれも男性ですな)が、ベランダの手すりにしがみついているのですな。皆さん、幽霊です。このマンションのあるところは、交通事故が多く、しかも死亡事故になりやすい場所なんですね。特に男性ドライバーが、亡くなることが多いところなのです。まあ、これも因縁があるのですが、そこまで問うと、かなり大がかりなことになってしまうので、とりあえずは、この覗き見オヤジたちを何とかしなければいけません。で、そのマンションにお祓いに行きました。私がお祓いをしておりますと、オッサンたちが口々に文句を言い始めるんですね。 「和尚さんだって、男ならわかるでしょ。あんなきれいな奥さんと娘さんなんだよ。覗きたいよぉ〜」 「確かに我々は死んでますよ。でもねぇ、死んでも煩悩は消えないんだよねぇ。自分でも驚いているんですよ。死んでも女の人が恋しいんですよ」 「邪魔しないでくださいよぉ〜。これがあたしらの唯一の楽しみなんですよ〜」 「だいたい、部屋の中を裸で歩いているのがいけないんですよぉ〜。そりゃ、見たくもなりますよ。男なら誰だって・・・」 ま、幽霊の皆さん、口々にそう言いますな。しかし、私も仕事ですから、そんな声は聞いてはいられません。すべて却下ですな。しかし、彼らの気持ちがわからないわけではありません。しかも、結構な数のオッサンたちをあの世に送ってしまうのは、はっきり言ってしんどいです。なので、 「この部屋はダメ。この部屋の親子は覗いても、触ってもダメ。この親子には関わらないこと。ただし、よその部屋は覗こうが触ろうが、関知しません。好きにすればいい。しかし、いい加減にしないと、罪が増えるばかりだから、苦しみが増えるだけだ。それは理解しておくこと。それと、もし、この部屋の親子に関わったら、その時は消滅させるから。覚悟しておきなさい」 と言っておきました。そのお祓いの後は、その親子には被害はなくなりました。幽霊もなかなか素直ですな。あ、一応、親子には注意をしておきました。いくら女性しか部屋にいないからと言って、裸でうろうろするのはやめてください、と。 何が言いたいのかって?。それは、男は死んでからもエロは抜けない、のですよ。バカは死ななきゃ治らない、と言いますが、バカは死んでも治らない、ということもあるのです。本当にバカな生き物なのです、ということが言いたいのです。女性への関心は、本当にどうしようもないことなのです。まあ、女性に関心がなければ、同性愛者になってしまいますけどね。ですので、健全なる男子は(誤解しないでくださいね。同性愛者が不健全と言っているわけではありません。一般の男子は、ということです。あぁ、いいにくいなぁ)、女性への関心は仕方がないのですよ。ミニスカートや胸に目が行くのは、健全で正常な男子、種の保存ができる可能性が高い男子、という証拠ですな。 ですが・・・・。だからと言って、盗撮していいというわけではありません。そこはダメでしょう。そこはやってはいけないことでしょう。一線を越えてはいけませんな。いくらなんでも、盗撮はいけません。それは犯罪です。そこまでやってしまっては、バカじゃなく、大バカ者ですな。しかも、自分の一生をかけることではないですよね。 いくら好きでも、犯罪を犯してはいけません。そのために、職業を失うなんて、大バカすぎますな。一生を台無しにするんですよ。新聞にも実名が乗りますし、近所では評判になってしまいますな。恥ずかしくて生きていけません。罪状が「盗撮」って。男から見ても恥ずかしいですな。同情の余地はありませんよ。確かに、男はスカートの中は好きです。しかし、好きだからと言って、盗撮はしませんな。そこは、やっちゃあいけないところでしょ。いくら好きでも、自分の一生を捧げることではないでしょう。きっと、やっちゃった本人は、バレるとは思ってはいなかったのでしょうが、バレます。見つかります。見つかって当然です。見つからないと思う方が、どうかしています。なぜならば、挙動不審だからです。あきらかに、行動が不自然だからです。本人は、自然な行動だと思っているかもしれません。ですが、周囲から見ていれば、バレバレです。その姿、アホらしい限りです。盗撮している男の姿は、恥ずかしくて目も当てられませんな。 「だって、あんな短いスカートはいているから、ついついのぞきたくなっちゃたんですよ〜」 と、盗撮した人は、言い訳しますな。自分が悪いくせに、短いスカートをはいている方が悪い、と。これは詭弁ですな。 よく、 「痴漢されたり、盗撮されたりするのは、短いスカートをはいたり、胸が大きく開いた服を着ていることも原因の一つだ。男を刺激するような服装は避けるべきだ」 という方がいます。まあ、そういうことを言うのは、多くは女性で、たいていはオバサンで、決して盗撮されたり痴漢の被害に遭うようなことはない、という方のようですが(すみません、思いっきり偏見です。申し訳ございません)、まあ、確かにこの意見も一理ありますが、普通の男性は、いくら刺激的な服装をした女性を見ても、盗撮したり、痴漢をしたりは、しません。服装が刺激的だ、というのは、バカな男の言い訳にしかすぎません。痴漢するヤツは、相手がズボンをはいていてもしますな。いくら服装が刺激的だ、といっても、盗撮するかどうかは、本人の意識の問題でしょう。刺激的な服装が悪い、というのは、屁理屈ですな。それは、問題のすり替えです。普通の男性は、「見たい」と思っても、覗こうとはしませんよ、いくらなんでも。問題をすり替えて、バカな男性の言い訳を真に受けてはいけませんな。 ですが、刺激的な服装は、危険度が増すことは事実でしょう。なので、注意した方がいいかとは思います。しかし、だからといって、盗撮をしたことの言い訳にはなりません。それは、それ。盗撮する方が悪いのです。 どうしても女性のスカートがのぞきたい、というのなら、奥さんのを覗けばいいじゃないですか。変態扱いされるでしょうけど。あるいは、そういう風俗へ行けばいいじゃないですが。お金はかかりますが、職業を棒に振って、一生を台無しにするなら、風俗へ行くことの方が安く済みますな。あるいは、そういう覗きを特集したAVでも見てればいいじゃないですか(ちなみに、こういうAVは、ほとんどが事前打ち合わせのあるもの、作り物、なのだそうです。つまり、「盗撮」を謳ってはありますが、盗撮ではないのですな。そのように見せて作ってある、のだそうです。なので、盗撮の犯罪を犯してしまう人は、そういうAVでは物足りない、ということらしいです)。 人間、我慢も必要ですよ。疑似で、済まさないといけないこともあるのです。一線を越えてしまっては、人生終わりですからね。 あぁ、そうそう。ちなみに、盗撮を行うのは、なにも男性だけではないですからね。女性もやる人がいますから。先日、とある県のとある公務員の女性が、お小遣い稼ぎのために温泉の盗撮をして捕まったそうです。確かに、女湯の盗撮は、女性にしか無理ですよね。女性も怖いですな。お金のために、仲間を売るようなことをするのですから。また、教師が、修学旅行の女湯を撮影して捕まった、ということもあるそうです。これなどは、児童ポルノにも違反していますな。しかも、教師です。ここまでくると、人間じゃないですね。人間の顔をした悪魔ですな。こんな悪魔が、世の中にはいるのですよ。さらに、自分の子供の裸の写真を撮って、児童ポルノ愛好者に売っていた母親が捕まったこともありますな。鬼畜ですな、この母親は。まあ、こうしたことは、ほんの少しの腐った人間がやっていることなのでしょうけどね。 いずれにせよ、盗撮するものよ、そんなことは、自分の人生をかけてまですることではないことを知りなさい。金のためにやっている者も同罪です。それで一生を台無しにするのは、本当に大バカ者がすることです。家庭も家族も失うことなのです。いや、社会から信用を失い、誰にも相手をされなくなってしまうのですよ。恥ずかしくて、近所にも住めなくなります。 盗撮する者よ。その犯罪を犯す前に、まずは盗撮は犯罪であることを認識し、自分が盗撮を行っているところ、見つかったところ、大勢の人に囲まれ犯罪者扱いされたところ、新聞に載ってしまったところ、会社をクビになったところ、家庭を失い、住まいを失い、流浪の身になってしまったところを想像しなさい。そうすれば、恐ろしくて犯罪など犯さないでしょう。あなたたち、想像力が欠如しています。自分は見つからない、バレナない、というのは、安易な妄想、単なる希望にしかすぎません。もっと現実を見なさい。そして、我慢も大事だと知りなさい。 盗撮は、割に合わないですからね。 合掌。 *必殺!その27「最近のマスコミに説教する」 今回は怒りのメールが届いておりませんでした。このところ、怒り爆発のメールが少ないですねぇ。皆さん、心優しい方が多いのでしょうか。まあ、しかし、それはそれで大変いことなのですが。 ということで、今回は、まあ別に怒っているわけではありませんが、「ちょっとそれはないんじゃない」と、私が思っていることを書いていきます。題して、 「最近のマスコミに説教する」 です。 どうも最近のマスコミは変じゃないですか?。新聞も週刊誌もTVのコメンテーターとかいう人も、なんかみんな変・・・と思うことがよくあるのですが。そう思っているのは私だけなのでしょうかねぇ。 まずは、あのiPS細胞に関しての報道問題。読売新聞は、報道した人たちやその責任者を処分したようですが、あれはおかしな報道だったですよねぇ。お陰で、山中先生のノーベル賞報道が吹っ飛んでしまいました。いい迷惑な報道でした。 そもそも、まだマウス実験の段階のiPS細胞が、いきなり心臓移植の話になるなんて、ちょっと飛躍し過ぎとは思わなかったんでしょうかねぇ。「うそだろう〜」と疑わなかったんですかねぇ。私は、そのニュースを聞いて、「それはないだろう」と思いましたけどねぇ。いくらなんでも、それは有り得んだろう、とね。 私の知り合いに、とある大学の獣医学部の学生さんがいるのですが、先日その方と話す機会がありまして、話題は当然ながらあの森口氏。その方、曰く 「びっくりしましたよ〜、あんな話にマスコミが乗るなんて。もう驚きですね」 「だよねぇ。あの報道見て、すぐに疑ったよ。ありえんだろって」 「有り得ないですよ。うちの学部の先生はもちろん、みんな笑ってましたよ。これ、マスコミやっちまったなぁって」 「どんだけ知識がないのかねぇ。坊さんの俺ですら疑ったよ、あれは」 「いや、普通の科学の知識やiPS細胞関連の記事や報道を読んでいれば・・・あぁ、新聞報道程度でいいんですけどね・・・疑うのが普通ですよ。一般の人だって疑ったでしょ、あれは。きっと、スクープだって、舞い上がっちゃたんでしょうねぇ」 「功名心に逸ったか。先走りだな」 「だと思います」 とまあ、こんな様な話をしていたのですが、そう、あれは一般素人でも疑うレベルでしょう。どんだけ科学的知識がないのか。きっと、「やった、スクープだ、俺だけだ、出世のチャンスだ!」と思っちゃったんでしょうねぇ。嘆かわしいですな。目先の欲に走って、冷静さを欠いてしまったのでしょうねぇ。 マスコミ、特に新聞のような報道機関は、冷静さを失っては何ともなりませんね。まあ、スクープも大事でしょう。己の出世も大事でしょう。しかし、その前に報道者である、ということを忘れてもらっちゃあ困りますよね。今後、何かスクープ的な記事は、疑ってかからないとアブナイ、と思えてしまいますな。たった一度の誤報が、大きな影響をもたらすのが報道なのですからね。あまりにも報道のプロらしからぬ内容に驚きを隠せませんでしたな。もう少し、プロ意識を持ってもらわないとねぇ。素人でも疑うことなんですからねぇ。そういう意味で、今回の誤報は、レベルが低すぎて、開いた口がふさがりませんな。 同じマスコミの失敗だからでしょうか?。他の新聞各社も、TVもあまり責めませんでしたね。まあ、お互い様、ってことですかねぇ。読売さんも気が付かなかったけど、まあうちも気付かなかったんだから、同罪だなぁ・・・てな感じですかね。哀れですな、まったく。マスコミの無能さをさらけ出した誤報でしたね。そういう意味では、よかったのかもしれませんが。そう、皆さんも気を付けたほうがいい、新聞報道は、ウソもあるかもしれない、ということをね。 最近の話。 石原東京都知事が辞任を表明しました。御年80歳になって、国政に出るとは。まあ元気だこと。あのパワー、感心しますな。もうびっくりです。あやかりたいですな。あたしゃ、あんなパワーありませんからね。 まあ、それはいいのですが、マスコミ関係は、皆さん冷ややかというか、批判的ですな。TVのゲストコメンテーターという方々も、批判的な方が多いらしいと聞きます(なにせ、私はTVのワイドショーなど見ませんので、よく知らないのです)。 まあ、その批判の最たるものは 「都知事を任期途中で投げ出した。けしからん」 ということだそうです。まあ、新聞でもそのように批判している論評があったりしますな。でもねぇ、ちょっと見方を変えてみましょうよ。御本人だって言っているんですから、 「若いの、もっとしっかりしろよ」 って。石原さんにしてみれば、 「もう我慢できねぇ、今どきの若い政治家たちは、何をちんたらやってやがるんだ。いい加減にしやがれ!」 てなもんでしょう。そうですよ、今の政治家たちがもっとしっかりしていれば、あのようなご老体が出てこなくてもいいのですよ。石原さんだって、何も好き好んで出てきたくはないでしょう(好きかもしれませんが)。あまりにも今の政治家が不甲斐なく、だらしがないから、仕方がなくでしゃばってきたのでしょ(と、いいほうに解釈してあげましょうよ)。どっかの口うるさいだけのオバサン政治家が「問題老人」とか言ってましたが、そういうエラそうなことを言うくらいなら、文科省のゆとり教育政策の失敗の責任をちゃんととらせろよ、と言いたいですな。石原さんも言ってましたが。石原さんに出て欲しくないなら、ちゃんと政治をやれよ、と思いますね。いわば、 「あんたらがしっかり政治をやらないから、あんなうっとしい老人が出てきたんじゃないの。あんたらの責任でしょ」 ということですな。前原とかいう人も、同じですな。エラそうなことを言うくらいなら、ちゃんとしろよ、と思います。あぁ、ちなみに前財務大臣のアズミとかいうのは、黙っていた方がいいですな。口を開けば、益々評価が下がりますからねぇ。 新聞とか、マスコミも、 「石原さんに出られて困るんですか?」 くらい突っ込めよ、と思いますね。既成政党の政治家の皆さんは、みんな怖いのでしょうからね。あの既成政党の政治家の皆さんは、国民に寄生することしか考えていないようですからね。マスコミは、いっそのこと既成政党じゃなく、寄生政党と名付けて報道した方がいいんじゃないでしょうかねぇ。ま、それは冗談ですが。 なぜ、現政権政党を批判しないんでしょうかねぇ。ご老体の行動は批判するのに。 「あなたたちがしっかりしないから、出てくるんだっていってますが?」 と聞いた記者はいたのですかねぇ。そういう骨のある記者もいませんなぁ。TVのコメンテーターも、そういうこと言った人はいないんですかねぇ。まあ、途中でやめるのもどうかと思いますが、よほど国政にムカついたんでしょねぇ、と納得してやることも大事かと思いますけどね。実際、国政はひどいものなのですから。 そうそう、橋下さんの出生を探り出すようなことをした週刊朝日もひどいものですな。そんなことして何になるんですかねぇ。橋下さんの過去を調べていった何になるというのでしょうか?。しかも、それって差別問題にかかわることで、マスコミが散々糾弾してきたことでしょうに。さらに、それを橋下さん本人に指摘されるまで気付かないとは、お粗末すぎますな。もうあいた口がふさがらない、どころじゃないですな。 石原さんがご老体だろうが、橋下さんがどこ出身だろうが、そんなことは政治に関係ないことでしょ。そんなにあの二人が出てくるのが怖いんですかねぇ。 マスコミも既成政党の政治家も、みんなあの二人が怖いんでしょうか?。なんだか、冷めた目で見ていると、みんなビビっているようにしか見えないんですけど。怖くないなら、泰然自若としていればいいのにね。 報道は、本来「偏らない、客観的である、平等性を持つべき」ものでしょう。それなのに、妙に偏った報道をするような気がすることがあります。批判しているのか、足引っ張っているのか、ちょっと判断に困るようなことがあります。明らかに、読者を誘導していないか?、と思うときがあるんですね。というか、明らかに足引っ張っているでしょう、って感じがしますよね。 民主党が政権を取った時も、橋下さんが出張ってきたときも、いつもいつもマスコミは批判的で、足を引っ張るような物言いをしていたように思います。まるで、客観性がなく、記者の感情が伝わってくるような記事が多いように思うんですね。 批判はもちろん大事です。それが正当で、客観的で、ちゃんとした理論だてたものならば、読んでいても納得できるでしょう。しかし、どうも最近の、特に新聞の、論評などは、客観性に乏しいような・・・。別に私たちは、記者の感想を聞きたいわけじゃないんですけどね。感想文なんぞ、読みたくないんですよ。 TVのニュースショウもそうですな。別に我々は・・・きっと私だけじゃなく皆さんもそうだと思うので・・・、フルダチさんの感想が聞きたいわけじゃないんですよ。もっともらしい顔をして、当たり前のことを言わないでいただきたいと思いますな。 この国は、経済や科学技術、医療技術などは一流ですね。レアアースを中国が高く売りつけてきて困るとなれば、代替のものでまかなえるよう技術的開発をします。企業の節約もしっかりします。チャイナリスクも織り込み済みで、対応をしています。本当に企業は優秀ですね。各会社経営陣は、日本は優秀です。超一流ですな。会社員への給料は安いですが。サービス残業は強いているようですが。 しかし、それに比べ、政治は三流以下。マスコミは、随分レベルが低いように思いますねぇ。 昔、何の本で読んだかは忘れましたが、どなたかがこんなことを言ったそうです。 「この国を悪くしたのは、政治家とマスコミと宗教家だ」 まさしくそうですな。宗教家が入っているところがいいですが・・・。この三種の人たちのどこがいけないのか。それは、 「私たちは、欲望なんて無縁ですよ」 という顔をして、実は欲まみれである、ということです。しかも、それが国民にバレバレだと本人たちが気づいていない、というところがダメなんですな。 政治家は言わなくてもお分かりでしょう。マスコミは、さも自分たちが国を正しているんだぞ〜、みたいな自己本位の正義感が見え見えですな。宗教家は、これも言わなくてもわかっているでしょう。口ではきれいごとや立派なことを言っているくせに、欲まみれですな。 まあ、この三者が日本を悪くした・・・と言われても仕方がないのでしょうねぇ。ま、私も宗教家の端くれですが、端くれの底辺なんで、何を言っても届きません。私のような底辺は、底辺なりに庶民の皆さんへの布教活動をしていかないといけませんな。 いずれにしても、マスコミの皆さん、もうすこし自分たちの足元を見直した方がいいんなじゃないかと思いますな。「俺たちゃマスコミ様だ」な〜んて態度だと、今度はもっとひどいやけどをしますよ。あ、大きなお世話でしたか。そんなことはわかっている。そりゃあまあ、失礼いたしやした。 合掌。 *必殺!その28「非常識な親戚に説教する」 今回は久しぶりに怒りのメールが届きました。では、さっそくご紹介しましょう。 「先日のことです。私の母親の葬式がありました。その時に久しぶりに親戚の叔父一家が来ました。母親の兄にあたる人です。この叔父、昔から口うるさい人だったので、母は叔父のことはあまり好きではなく、親戚付き合いもあまりありませんでした。にもかかわらず、叔父はあろうことか、『こんなわけのわからない葬式は認めない。こんなものは葬式ではない。こんなやり方をするのなら、今後一切身内の付き合いはしない』と大声で怒鳴るのです。喪主であった父は、もうびっくりしていまい、どうしていいかわからない状態でした。たただでさえ、母が亡くなり、気が動転しているのに、その気持ちも察せずに・・・。私は叔父が許せません。そんなに親しく身内の付き合いをしていたわけでもないのに、あんなひどいことを言った叔父が許せません。どうか、あの叔父に思いっきり説教をしてやってください」 静かな文章でしたが、それがかえって怒りを感じさせます。この方の気持ちは本当によく理解できます。それにしても、この叔父さん、非常識にもほどがありますな。 ですので、今回は、 「非常識な親戚に説教する」 です。 そもそも、葬式は、地方によってやり方が異なります。同じ市内であっても、その地域やお寺さんの宗派によっても、葬式の作法は異なってきます。自分たちの地域の葬式が、日本全体の葬式のやり方だと思ったら、大きな間違いです。また、自分たちの葬式のやり方が一番よい葬式だ、と思うのも大間違いですね。葬式のやり方に正しいもないし、間違いもないのです(あ、ただし、新興宗教を除いての話ですが)。どれが一番いい葬式などという差もありません。 ましてや、葬式は、親戚のためにやるものではありません。親戚の叔父さんが満足するために葬式をやっているのではないのです。亡くなった方をあの世に送るために葬式は行っているのです。そこを間違えて、 「こんな葬式は認めん」 などという人は、実は恥かきもいいところなのですよ。非常識はなはだしいですな。というか、世間知らずもいいところ、ですな。どんだけ田舎者なのか。ひょっとしてTVもないようなところに住んでいるのか、と思ってしまいます。たまにTV見てれば、芸能人の葬式もやってますし、ドラマなどで葬式のシーンも出てくるでしょう。そういうシーンを見ていれば、おおかた同じような葬式をしていると思いますけどね。ま、百歩譲って、こんな葬式知らないぞ、と思ったとしても、常識のある人ならば、 「こんな葬式は葬式じゃない」 なんていいませんよね。どんだけ、エラそうなんでしょうね、その人。その人が、この国の葬式を取り仕切っているのでしょうか?。その人って神様なんでしょうか?。いや、神様にしたって、地方や神によって祀り方が違うんですからね。神様だって、自分基準で「葬式を認めない」なんて言わないですよ。そんなことを言うのは、単なる世間知らずの大バカモノですな。 葬式だけは、本当に地域によって習慣が異なります。驚きますね。我々の地域だって、いわゆる「チン・ジャン・ボン」がある地域とない地域に分かれます。おっと、すでに「チン・ジャン・ボン」がわからない人もいると思います。これは、禅宗の葬式に多い習慣ですね。もちろん、禅宗でもやる地域とやらない地域があることでしょう。ちょっと説明しておきます。 葬式の途中で、お坊さんたちが立ち上がり、小さな金を「チーン」と鳴らします。すると、鉢と言われるシンバルのようなものを「ジャーン」と鳴らします。続いて銅鑼を「ボーン」と鳴らすのです。これは、昔は野辺送りの時に鳴らしたそうです。昔は土葬でしたから、葬式会場から出るときに、鳴り物を叩いて音を出し、棺を担いで歩いて行ったのです。その習慣が残っていて、この世からあの世へ行く「送り」ということで、鳴り物をならすようですね。地域によっては、順番が異なるところもあるそうです。「チン・ジャン・ボン」じゃなく「チン・ボン・ジャン」というパターンですね。真言宗は、本来この鳴物はしないそうですが、禅宗の影響やその地域の習慣によって鳴り物を入れる場合もあります。 また、地方によっては、火葬が先、という地域もあるそうです。火葬して、遺骨となってから葬式をするという地域もあるのです。これなどは、話を聞いたときは、私もびっくりしました。いや、本当に地域によって葬式は異なるのだなぁ・・・と実感しましたね。 祭壇に供えるものが異なる場合もあります。祭壇そのものが異なることもあります。生花がダメ、という地域もあるそうです。あるいは、葬式はめでたいことだからといって、どんちゃん騒ぎをする地域もあります。葬式は、その地域によって、千差万別なのですよ。 そんなことも知らないで、エラそうに 「こんな葬式は認めん」 などというのは、愚か者ですな。いや、恥ずかしい限りですな。そんなことで、親戚付き合いを今後一切しないなんて、あまりにも馬鹿げていますな。世間知らずもいいところです。いい年をして、何をかいわんやですな。ましてや、奥さんを亡くして、母親を亡くして、悲しみの中に落ちている人を前にして、よくもまあそんなことを言えたものだと思います。人としてどうなのかな、と思いますな。 案外、こういうことって他人事じゃないですよね。どこの家庭でも大なり小なりあることです。特に、葬式のときなど、うるさい叔父さんが登場して、あーでもないこーでもないと指示をするんですな。あるいは、説教を始めたりもしますな。エラそうにね。はっきりって、ウザいですな、こういう叔父さん。 「お前、今何をやっているんだ。ダメじゃないか、そんなことでは」 「ほう、お前も大きくなったなぁ。あのころは、おねしょばかりしていたのにな」 「俺がお前らのころはなぁ、もっとしっかしていたぞ」 うっとうしいですよねぇ。しかし、こういう人を見ると、逆にかわいそうになってきますよね。きっと、家庭では小さくなっているんだろうな、とね。家庭でエラそうなことを言えないものだから、ここぞとばかりに威張っちゃうんだろうな、とね。きっと、家では奥さんもお子さんも相手にしてくれないんでしょうねぇ。職場でもそうなのかも知れません。誰も認めてくれないし、尊敬してくれないから、自分が威張れる相手を見つけ出し、偉そうなことを言っちゃうんでしょうねぇ。哀れなものです。自分がみじめだと気が付かないことが、またさらにかわいそうじゃないですか。いっそのこと、 「叔父さんこそ、かわいそうだね。誰にも家で相手にされないんだね」 と言ってあげたいくらいですが、もしそんなことを言ったら、関係は決裂、縁きりでしょうな。その場で怒鳴られ、怒られ、殴られるかもしれません。ま、言わぬが花、ですな。心の中で、哀れんでやってください。 だいたい、今は、葬式は葬儀屋さんが支配しています。葬儀屋さんが全部仕切っています。葬儀屋さんは、その地域にあった葬式、その宗派にあった葬式をちゃんと準備しています。うるさいジジイや叔父さんが出る幕などないんですよ。喪主と葬儀屋さんで決めているんですから、部外者は黙っていればいいのです。賢いものは、そういうときは黙っているものです。もし、何か尋ねられても、「葬儀屋さんに聞いた方がいいよ」とか「御住職さんに聞いた方がいいよ」と答えるのが正解ですな。下手に知ったかぶりをして、余計なことを言って間違っていたら、大恥をかくだけですからね。黙っていることが大事です。沈黙は金ですな。 うるさい親戚って、本当にうるさいですよね。事情も知らない癖に、エラそうに口を挟んでくるのは、勘弁して欲しいですな。そんなに偉そうなことを言うのなら、責任を持って最後までやり抜いてくるかと思ったら、とんでもないですな。口だけはさんで、言いたいことだけ言って、ひどいときは引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、あとは知らんぷりですからね。非常識も甚だしいですな。いい加減にしてほしいです。こちらから頼んでもいないのに、口を挟んでくるのは、大きなお世話ですな。そんなことをしても、恨まれるだけで、感謝はされません。相手の怒りを買うだけですね。 「叔父さんて、非常識だよね」 と言われるだけです。うっとうしいと言われるだけです。親切の押し売りほど、嫌なものはありませんからね。結局、身内でもめて、最悪の場合は、縁切り・・・ですな。それは、悲しいことですよね。 「非常識な親戚」などと言われないようにするためには、あまり口を挟まないことです。葬式は地域によって異なるものですし、叔父さんや伯母さんなどという存在は、あまり歓迎されるものではありません。永く付き合いを続けるのなら、つかず離れずを保つのが一番でしょう。相手から相談を受けた時に初めて、 「これは個人的な意見だけど・・・」 という前振り付きで答えてあげるのが、本当の親切ですよね。そうでないなら、迷惑なだけなのです。 身内の間で「非常識な親戚」と言われないようにした方が、本人のためにもいいことでしょう。他人に口だしをする前に、自分を見つめ直した方が賢いと思いますね。いやはや、「口は災いの元」ですな。 合掌。 *必殺!その29「責任転嫁する上司に説教する」 あけましておめでとうございます。新年早々、今年も説教をかましてしまいますよ〜。では早速、今年第一号の説教依頼メールをご紹介しましょう。 「もう頭に来ています。私の上司です。私の上司は、失敗したことは部下のせい、取引先のせいなんかにして、絶対自分の失敗だとは認めません。ほんの些細なことでも、文句が出たりすると、すぐに『誰それが悪い』、『○○の調子が悪かったから』などと、他人のせいにしたりするんです。私たちが知らないことでも、私たちの責任になってしまっています。もうとんでもない上司です。何であんなのが役職についているのか理解できません。何でもかんでも、悪いことや失敗したことは部下のせいにする上司に、説教をしてやってください」 言いたいことはよくわかります。こういう上司を持っている方は、たくさんいると思います。よく聞く話ですからね。なので、今回は、 「責任転嫁する上司に説教する」 です。 失敗したり、注意されたりすると、自分が悪いにも関わらず、すぐに他人のせいにしてしまう人っていますよね。悪いのは自分じゃない、失敗したのは自分の責任じゃない、注意されたのは自分が悪いんじゃない、自分は間違っていない、何もかもすべては「アイツのせいだ」、「アイツが悪いんだ」、「お前のせいだ」、「あなたのせいだ」・・・・。他人のせいばかりじゃありません。「この機械が悪いんだ」、「パソコンの調子が悪くて」、「電話が通じなくて」などと、機械などのせいにしたりすることもあります。そういう人は、決して自分の非を認めませんね。失敗や注意された原因は、すべて自分以外の者や物にあると主張します。こんな人、あなたの周りに一人や二人は存在しているのではないでしょうか。 こういう人が、対等な立場や目下の者であるなら、適当に流してしまうことはできますが、上司にいるととんでもないですね。こんな上司を持った自分を呪いたくなるくらいです。いや、そもそもこんな責任転嫁するような者が、役職に就けたこと自体、理解不能でしょう。そんな上司を持ったならば、己の不幸を嘆くしかないですな。 だいたい、責任転嫁する者は、何も語る資格はありませんな。責任ある立場ならば、部下の責任を被るくらいの力量がなければなりません。 「失敗したのは、俺の判断力が甘かったせいだ。お前らは責任を感じる必要はない」 「俺の指示が悪かったのだ。もっと的確に指示するべきだった。すべての責任は俺にある」 そう言って、部下を庇うのが上司の責任というものでしょう。それが、 「何をやってくれたんだ。上手くいかなかったら、お前のせいだからな」 「お前がこの話を壊したんだろ。何もかもお前のせいだ」 なんて、自分の判断力や考えのなさを棚に上げ、部下のせいにしてしまうのは、上司として恥ずかしい限りですな。なぜ、素直に 「すまん、俺のせいだ」 と、言えないのでしょうかねぇ。プライドが高すぎるのでしょうねぇ。そういう者は、威張っているだけで、能力のないものと思われるんですけどね。自分の非を素直に認めることができるものは、器が大きいものと思われるのですが。そこのところをわかっていないのですな、責任転嫁をする者は。こんな上司は、会社の嫌われ者になること間違いないですね。 こんな方がおりました。その方は、個人経営の会社に勤めていた方で、その会社内での悩みを相談に来られました。その相談とは、その会社の社長が悪いことはすべて社員や奥さんのせいにする人で、これ以上会社にいられない、もう辞めたい、ということでした。 取引関係で自分がミスをしたにもかかわらず、 「誰がこんな取引をしたのだ。お前か?、お前か?、お前か?誰なんだ!」 と怒鳴るのは日常茶飯事。電話連絡を忘れた、約束の日時を間違えたなど、仕事上のことから生活上の些細なことまで、すべて失敗事や忘れてしまったことなどは、社員のせいになるんですね。 「お前が連絡事項を書いておかなかったからいけないのだ」 「俺は忙しいんだ。口頭で言われたことなどイチイチ覚えているかっ!。ちゃんとメモに書いておけ!」 まあ、こんな怒鳴り声は毎日だったそうです。もちろん、社員さんも黙ってばかりまいません。 「いや、それは社長が言ったことで・・・。お忘れですか?」 「それは社長の指示で行ったことですが」 と反論したします。すると 「お前はわしに口答えするのか?。お前はそんなに偉い人間になったのか。社長の言うことに口答えするのか?。そんなに偉い人物になったのなら、全部お前がやれ。わしは知らん。すべてお前の責任でやれ」 と、エライ剣幕で怒るのですね。こうしたことが、常に会社内でも、家庭内でも起こっているのです。この平成時代にこんな社長さんもいるのですなぁ、とあきれてしまいました。 あきれていてもいけないので、対策をしたのですが、答えは簡単です。社員全員同時に退職することですね。ついでに、奥さんも巻き込んで、離婚届を社長の目の前に突き付けるのです。社員さんも、奥さんも、初めは「そんなこと・・・」と言ってましたが、「まあ、お芝居ですので」ということで、実際にそのように行動してしていただきました。社長さん、初めは強気で「そういうことなら、さっさとやめてしまえ!、お前なんぞ、こちらから離婚だ!」と怒鳴っていましたが、そんな強気は長続きしませんでした。奥さんを通じて、社員さんに帰ってきてもらえるようにと打診してきました。そりゃ、そうですよね。社員さんがいて初めて会社が成り立っているのですから。いや、社員さんがしっかりしていたからこそ、会社がうまく動いていたのです。そのことが、身に染みてわかったようで、それ以来、自分のミスは認めるようになり、あまり怒鳴らなくなったそうです。 自分は悪くない・・・と、自分の非を認めず、責任を他人になすりつける、責任転嫁する者は、結局は孤独になりますな。そんな者は、信用できないですからね。みんな離れていってしまいます。最終的には孤独な人生になってしまいますな。 どんな理由で役職に就けたのかわかりませんが(おそらくは縁故なのでしょう)、自分で責任が取れない者は、それ以上出世することはないでしょう。そんな無責任な者は、多くの部下など抱えられるわけがないのですから。 部下からの報告を受け、その後をどうするか判断するのは上司の責任です。また、部下に的確にやるべきことを命じ、それが進んでいるかどうかを確認することも上司の責任です。上役からの命令を部下に伝え、上役の方針に従うよう指示をするのも上司の責任です。そうした上司の役割は、上司が自分で考え、自分で判断して、部下に伝えたり、命じたりして、部下を動かしますよね。部下を的確に動かし、仕事が順調に流れているかどうかを確認するのは、上司の責任なのです。 それなのに、順調に動かないことや失敗やミスを部下の責任にするのは、上司として最も恥ずかしいことです。それは、自分の能力が部下を持つほどのものではない、ということを認めているも同然なのです。 よく国会でも問われていますよね。 「あんな大臣を任命した、総理あなたの責任はどうなのですか?」 とね。それと同じなのですよ。部下のミスや失敗は、部下の責任ではありません。上司の責任なのです。それが理解できないのなら、役職などには就かないことですね。役職に就き部下を持つ=責任を持つ、ということなのです。 「すべて私の責任です。私の指導力不足です」 「私が管理不行き届きでした。すべては私の責任です」 と、言えることが上司になる最低条件でしょう。たとえ、仕事の能力が劣っている上司であっても、いざというとき、部下の盾になってくれる上司ならば、部下からの尊敬を得られるのです。ところが、いくら仕事ができる上司であっても、いざというとき部下を守らずに、自分だけ逃げてしまうような上司ならば、周囲から冷たい目や蔑みの目で見られること、間違いなしですな。そんな上司は、いずれリストラ対象になるでしょう。 人の上に立つということは、責任を取る、ということです。それができないのなら、人の上に立つなど、そんなことはしていけないのですよ。ずーっとヒラでいいのです。自分の非を認められないような人間は、周囲からも受け入れられなくなるでしょう。 あなたの上司が責任転嫁するような上司ならば、思いっきり蔑みの目で見てあげましょう。そして、その上司に期待しないことですね。 合掌。 *必殺!その30「体罰教師と学校に説教する」 今月も説教依頼メール届きました。それは、最近あちこちで話題になっている体罰についてのメールです。では早速、説教依頼メールをご紹介しましょう。 「体罰が学校内では禁止ってこと、誰でも知っていますよね。それなのに、あれは何なのでしょうか?。運動部だったら体罰は当たり前なのでしょうか?。大阪の教育委員会やあの学校の校長を見ていると、そうとしか思えません。私も学生の頃、運動部で体罰を受けました。本当に嫌でした。そのために、好きなスポーツを辞めてしまいました。そういう人がたくさんいると思います。それもこれも、体罰をする教師、それを赦す教育のせいでしょう。いい加減に時代錯誤な教師や学校は、この世から消えて欲しいです。体罰教師に説教をお願いいたします」 ホント、その通りですね。今どき体罰を平然と行っていた学校があったとは・・・。それも一校や二校ではないのですから・・・・。あきれてしまいます。なので、今回は、 「体罰教師と学校に説教する」 です。 発端は、皆さんもご存知でしょうが、桜宮高校の事件でした。体罰を受けた生徒さんが自殺をしてしまった・・・それが始まりでした。この事件が報道されると、次々と他の学校運動部で体罰が行われていることが発覚。挙句の果てには、女子柔道のオリンピック強化合宿での体罰が明るみに出てしまいました。 思い起こせば、かつては大相撲でもありましたよね。稽古をつけるということで、一人の力士を集団で暴行した事件。あの時も大騒ぎになりました。しかし、あの時の教訓は生かされていません。相撲は相撲、うちの部はうちの部・・・と言うことなのでしょうかねぇ。 そもそも、教育に暴力は必要はありません。ですから、教師は体罰が禁止されています。教室で、あるいは廊下などで、教師が生徒に暴力を振るったら、これはもう大変。生徒は教師を糾弾しますな。体罰は禁止。これは絶対です。 そのためか、生徒をしっかり注意できない先生がいることも事実ですな。怒れない先生ですね。結果、生徒は増長し、情けない教師、威張った生徒、の構図が出来上がっている学校もあるようです。 「そんな情けない教師はダメだ。少しくらい殴ってやればいいんだ!」 と、主張する教育者や保護者もいますな。まったくバカバカしい話ですね。それは、あまりにも短絡的でしょう。もっと、よく考えなさい、と言いたいですな。 そもそも、ちゃんと注意できないというのがいけないのです。生徒は子供と言っても、話して理解できない年齢ではないでしょう。たとえ、小学校1年生であっても、ぶったり叩いたりしなければ理解させられない、と言うことはないでしょう。ちゃんと話せば理解させられるものです。まあ、きっと、そのちゃんと話して理解させるという時間が惜しいのでしょうな。 そう、問題はここにあるのですよ。時間が惜しい、時間がない・・・・これなのでしょう。 体罰はなぜ行われるのか?。それは、最も安易で時間がかからない教育方法だからでしょう。生き物は、相手に脅威を与えられると、言うことを聞かざるを得ない生き物なのです。死の危険にさらされると、言うことを聞いてしまうのですね。だから、生徒を簡単に指導しようと思えば、体罰を行うのが手っ取り早い手段となるのです。しかし、これは、人のやることではないし、人に対してやることではないですな。 昔は・・・今でもそうなのかもしれませんが・・・動物に芸を仕込むときは、アメとムチが当たり前でした。まあ、恐怖政治も同じですけどね。生き物を調教するには、アメとムチは有効なのです。 サーカスで、いろいろな芸をするクマやトラがいますよね。ショーを行う人は、たいていはムチを持っています。パシンパシンと床を叩きますな。クマやトラは、仕込まれています。言うことを聞かないとムチで叩かれる・・・。一説によると、芸を仕込む時のムチは、ショーの時のムチと違って、先端に針が仕込んであったりしますな。叩かれるとそれが刺さるんです。その痛さと恐怖で、芸を覚えるんですな。芸ができればオヤツがもらえますから、クマやトラは必死に芸を覚えます。そうやって動物を仕込むんですね。 生徒や選手への体罰もこれと同じですね。生徒に体罰を行い指導していた教師は、生徒を生徒と思っていなかったのでしょう。動物と同じ扱いをしていたのですよ。それほどひどいことなのです、体罰での教育は。 体罰による指導は、生徒や選手を人間扱いしていないという証拠でしょう。サーカスのクマやトラなどと同じ扱いだということなのです。生徒や選手を人として認識していないのですよ。そんな指導者こそが、人ではない、と思います。生徒や選手に対し、あまりにも失礼でしょう。それなのに、多少の体罰は当然だろうという保護者がいるのは、とても残念なことですね。その保護者は、自分の子供をどう思っているのでしょうか?。家庭内でも、恐怖で子供を縛っているのでしょうか?。子供を人間扱いしているのでしょうか?。私は、そこまで疑ってしまいます。 だいたい、体罰をしなければ・・・つまり恐怖を与えなければ・・・生徒や選手が言うことを聞かない、指導に従わない、ということは、指導者の力不足を証明しているようなものですな。指導力の不足や未熟さを体罰や暴力によって、ごまかしているにすぎないのです。指導力がないから生徒も選手も従わないのでしょう。それを体罰や暴力によって言うことを聞かせようなんていう者は、指導者失格です。そんなことは当然でしょう。 さらに、そうした体罰や暴力を容認していた校長も同罪ですな。校長よりも権力があった、などと言うのは、本末転倒もいいところです。そんな者が教育者として学校にいてはいけないと思いますよ。さっさと教育の場を去るべきですな。 運動部は、結果を出さないと指導者はすぐに変えられてしまう・・・と言うことがよくあります。特にスポーツで名をあげている学校は、結果がすべてですね。結果を出せない指導者は、指導力不足と言うことで、簡単にクビになったりします。指導者も、そりゃ焦りますわな。いい結果を早く出さないと・・・と、焦りますよねぇ。このように要求する学校の体質もダメですね。学校もそうした結果主義の考え方を変えていかないといけないですな。そうでないと、体罰が完全になくなる、ということは望めないかも知れませんねぇ。 元巨人軍投手の桑田さんがとてもいいことを言ってますな。新聞で読んだ方、ニュースで見た方もいらっしゃると思います。桑田さんは、「恐怖によって結果を出させようとするのではなく、本当に勝ちたい、もっとうまくなりたいという気持ちを出させるように指導することが大切」などと言っております。その通りですよね。うまくなること、勝つことは本当に楽しいことだ、うまくなるために努力することは、つらいけど楽しいことなのだ、ということを教えることこそ指導者の取るべき道なのでしょう。 スラムダンクという漫画に「勝ったほうが百倍楽しい」とか「バスケットを楽しんでいる」という言葉が出てきます。楽しみながら上達していく・・・それが本当の指導でしょう。体罰や暴力で指導されても、選手や生徒は楽しくありません。そのために、好きだったスポーツも辞めてしまうことだってあるし、嫌気がさして力が出せないことも多々あると思います。好きなスポーツをして、楽しく練習し、楽しみながら勝利し、その勝利の楽しさを覚える・・・。そうでなければ、途中で嫌気がさしてしまうこともあるでしょう。 「なぜ、叩かれながらやらなければいけないんだ?」 「怒られてまですることか?」 そんな疑問が生まれてしまえば、伸びるはずの才能もつぶしてしまうことにもなりかねません。 教育に暴力はいりません。ましてや、暴力や恐怖で生徒や選手を指導しよう、言うことを聞かせようなどと言うのは、教師者として、否、人間として失格でしょう。また、体罰や暴力を容認する保護者も同罪でしょう。指導者たちの古い体質や頭の中身を入れ替えないと、こうした問題は解決しないでしょうなぁ。いつまでも体罰や暴力で縛ろう、言うことを聞かせようなどと言う指導していると 「だから体育会系は、脳みそが筋肉でできているって言われるんだよ」 と、バカにされ続けるのでしょう。 いかなる場合でも、体罰による指導はいけません。それは、指導者の力不足の証明なのですよ。頭の悪さを露呈しているのだということを自覚した方がいいですな。 合掌。 *必殺!その31「インチキ密教本及びサイトに説教する」 先月は、大変失礼いたしました。今月は、休まず、張り切って説教いたします。 さて、今月は久しぶりに説教依頼メールが来ましたよ。早速、御紹介いたしましょう。長いメールでしたので、申し訳ございませんが、省略及び抜粋、まとめさせていただきました。 「密教を興味本位で語る怪しい宗教本がありますが、そうした本には実に腹が立ちます。実際に修行しているわけではないのに、興味本位だけで密教の作法等を書くのは、密教の教え上、間違った行為ではないでしょうか。本来、師から弟子へ修行を通じて伝えるべきことを、そのような形で世間に出していいものでしょうか?。儲かれば何でもいいのでしょうか?。しかも、内容もいい加減であったり、インチキくさいものもあります。本だけではありません。ネット上にも、怪しいサイトが多々あります。このように店頭やネットに『インチキ密教本』が並ぶお陰で、お大師様がもたらした教えが敬遠されてしまうのが腹立たしいのとともに悲しくてなりません。 というような内容でした。 確かに、本屋さんに行くと、密教を呪術的な宗教と捉え、なんでも願いが叶うような内容を説いた本があります。また、ネット上でも、本来は秘すべき印や真言等を公開しているサイトもあるようです。こうした本やサイトは、我々真言僧から見れば、誠に遺憾な限りですね。 ということで、今回は 「インチキ密教本及びサイトに説教する」 です。 インチキ密教本と言いましたが、御存じない方もいらっしゃると思いますので、そうした本がどのようなものかお話ししておきましょう。 と思いましたが、まずは、正しい密教本を紹介した方がわかりやすいですよね。そうした正しい密教本以外が、インチキ密教本なのですから。 正しい密教本とは、「真言宗及び天台宗で正式な修行を終え、伝法灌頂を受け、阿闍梨の位を得ている僧侶、および、さらに上の灌頂を受け、大阿闍梨の位を得ている僧侶の方が書いた本」、となります。 ただし、こうした正式な僧侶の方のなかでも、「祈ればなんでも願いが叶うのだ」ということを書かれている方の本は、ちょっと控えておいた方がいいでしょう。「祈ればなんでも願いが叶う」ということは、絶対ではありませんからね。たとえば、もう寿命が来ている病者に対し「祈ればなんでも願いが叶うよ、だから祈りなさい」というのは、絶対に成就するものではありません。寿命は寿命です。不治の病の人に対し、祈ってみたところで、延命は可能かもしれませんが、病が完治するということは無理な話でしょう。「祈ってもその願いが叶わないことだってある」という認識を持っていない僧侶は、単なる自惚れが強い僧侶なのか、インチキくさい儲け主義の僧侶だと思っていただいた方がいいと思いますな。ですから、正式な修行を終えた僧侶が書いた本であっても、「祈ればなんでも願いが叶う」などと謳っている本は、インチキとみなした方がいいでしょう。こんなことを書く僧侶は、無責任ですな。 正しい密教本とは、主にその宗派の管長や宗務総長(宗派の実務を担う長、政治で言えば総理大臣にあたる)、布教師さん、大学の教授などが書いた本が「正しい密教本」ですね。 このような本は、密教の神秘的な部分・・・印や真言、作法、祈願法及びその種類、呪術的なこと・・・には、あまり触れてはいません。それよりも、密教の考え方はどういった考え方か、お大師様はどのような思想を以て、人々を救済しようとしたか、ということが多く説かれています。あるいは、密教の源流や発展、密教経典の説くところ、が説かれています。まあ、こうした内容は、一般の方には受けがよくありませんな。難しいですからね。たぶん、読んでみても意味不明でしょう。それは仕方がありません。密教は難解な教えなのですから。 そもそも密教は、大乗仏教をしっかりと理解していないとわからない教えです。大乗仏教だけではありませんな。根本の仏教、初期仏教も理解していないと、意味がわからないでしょう。そうしたことを理解していないで、密教を語ることは不可能ですな。ましてや、修行もしていないのに、密教云々の本を書くなど、笑止千万、呵呵大笑。あきれてものが言えませんね。 ということで、その密教の宗派・・・真言宗各本山、天台宗・・・の正式な僧侶の書かれた本が、正しい密教本です。ただし、そのような中でも「祈ればなんでも願いが叶う」などと謳っている本は、除外します。 以上のことから、インチキ密教本がどのようなものかわかったと思います。そう、教義的な裏付けがなく、ただ単に呪術的なことに偏った内容の本が、インチキ密教本ですな。「あなたでもできる秘密の儀式」みたいな本とか、「これが密教の神髄だ。今日から幸運な毎日」みたいな本は、まあタイトルからして胡散臭いのですが、インチキ密教本ですな。 こうしたインチキ密教本は、昔からありました。何年かごとにブームがやってきたりもするようです。まあ、一般の方から見れば、真言僧のやっている儀式は、いかにも神秘的(怪しいと思う方もいるようですが)ですからね。真似したくなる気持ちもわからないではありません。あるいは、 「自分だってできるかも。自分だって、やり方がわかれば、特殊な能力を発揮できるかも」 と勘違いする方(ネット上では、こういう人のことを中二病というらしいですね。中学二年生時代の妄想にとらわれた状態から抜け出られない人のことだそうです)もいることでしょう。いや、そうした人がいるからこそ、インチキ密教本が出回るのでしょうな。つまり、ニーズがあるから売る、というわけですな。いやはや、怖れもなしによくやるな、と思います。怖くないのかな、と思いますな。ま、素人さんだから、密教の秘すべき内容を公開することに、怖れがないのでしょうな。正式な修行をした僧侶ならば、怖ろしくて絶対しないんですけどね、秘密の公開は。 ネット上のサイトでも、やたら密教の儀式や印や真言を公開しているサイトは、インチキだと思ったほうがいいですね。また、やはり祈願すればなんでも願いが叶うぞとか、呪いを成就するとか、恋愛を復活させますとかいったサイトは、怪しすぎますな。そんなことを言って、責任が取れるんですかねぇ、と私などは思ってしまうのですが、そうしたサイトを運営している者は、責任なんて関係ないのでしょうな。適当な言い訳をして逃げてしまうのでしょう。 随分前になるのですが・・・2000年のころの話です・・・、その当時のとある掲示板で、密教を語っているところがありました。今はどうなっているか知りません。面白そうだな、坊さんがやっているのかな、と思って覗いたのですが、まあ、内容はめちゃくちゃでしたな。ど素人さんが、お大師様の著作について、勝手に語りまくっていたのですな。その内容は、もう支離滅裂。何でそんな解釈ができるの?、といった内容でしたね。そのころは、私も若かったし、ネット草創期でしたからついつい反論してしまったんですな。今なら放っておきますがね。 「その解釈はおかしいですよ、それは修行をしていないとわからない内容ですよ、論理的に飛躍していますよ、仏教の基礎知識がないとそれは理解できないですよ・・・」 などなど、お節介にも書き込んでしまったのですな。その結果どうなったか。 「坊主が出てくるな、しらけるな」 と、一言書き込みがあり、そのスレは止まってしまいました。それで終わりですな。要は「玄人さんは出てくるな」ということですね。 メールをくださった方も書いていたのですが、今でもそのような素人さんが密教を語るサイトがありまして、そうしたサイトに玄人さん・・・正式な密教僧・・・が注意をしたり、書き込みをしたりすると、ものすごい反発が来るんですね。 「お前こそインチキだろう」 なんていうのは当たり前ですな。 「素人だからこそ、純粋に密教がわかるんだ。お前ら腐った僧侶が密教を語るな」 くらいも当然言われますな。そりゃそうですよね。いい恰好をして密教を語っていたのに、いきなり玄人さんが現れて 「それ間違っているよ」 と指摘されたら、その人の立場はありませんからね。お節介をした玄人さんを徹底的に排除しますな。ま、そんなサイト運営者は、哀れ、としか言いようがないですけどね。 本人は、きっとインチキ密教本などで知識を身に着けて、「俺は密教に詳しんだぞ」みたいに思っているのでしょうが、所詮は素人さんです。そもそも元がインチキ密教本でしょうから、インチキさや胡散臭さはぬぐえませんな。玄人さんが、ちょっとつつけば、ボロが出るのは当たり前ですな。底がすぐに知れます。メッキは簡単にはがれますな。それは仕方がありません。だって、修行してませんからね。 密教は、それを語りたいのなら、修行は絶対に欠かせません。密教の修行・・・四度加行・・・をしていない者は、密教を語る資格はないのですよ。仏教学者でさえ、密教を語りたいのなら、修行をすべきでしょう。たまに、宗教学者で、さも密教を知っているような書き方をしてる本がありますが、笑っちゃいますね。我々から見たら、そんな宗教学者は素人です。密教は、単なる宗教学では理解できない内容なのですよ。修行をしていないと、どうしてもわからないことがあるのです。修行をせずして、密教を語るな、と思いますな。 密教は、教えと実践(教相と事相といいます)がバランスよく身についていないと、理解は不可能ですな。それは「車の両輪のごとし」と言われます。バランスよく両輪が回っていないと、車は前には進みませんね。密教を字面の上だけ理解しようとしても、ダメなのですよ。実践が伴わないとね。 その実践を行わずして、密教を語る、あるいは密教の秘すべき部分を公開するのは、実は重大な罪なのですよ。恐ろしい罪なのです。 素人さん・・・在家の方は、在家の方ように密教の修行があります。在家の方にもできる行はあるのです。まずは、そこから入るべきでしょう。たとえば、合掌し、真言を唱え、心に仏様を思う・・・これだけでも、三密(身口意・・・身体と口と心)の修行になるのです。プロの僧侶には及ばないにしても、在家さんは在家さんなりの修行になるのですよ。そして、さらに仏教や密教の教えを学べば、教えと実践の両方が得られるのですな。在家さんには、在家さんようの教えと実践が用意されているのです。 それすらしないで、ただインチキな知識に頼り、あたかも何でも知っているような顔をして本を書いたり、サイトを開いたりするのは、愚かしいことですな。まずは、自分で在家さんようの教えと実践を行え、と思いますな。つまり、在家・出家の区分を守るべきだ、ということです。その境を越えてはならないんですな。境を越えたいのなら、出家せよ、ということですな。 真言宗の僧侶、まあ、天台宗でもそうでしょうけど、語っていい内容、公開していい内容は、わかっています。つまり、秘すべき内容は、決して語りませんし、公開しません。それを知りたければ、修行せよ、となります。それは、そうした秘密の内容は、公開してはいけない、語ってはいけない、ということになっているからです。特に、四度加行で使用する印や真言、灌頂での印や真言、儀式に使用する印や真言は、公開してはいけないことになっています。一般の方が、その内容を知らずして見よう見まねで真似をしても危険なだけで、効果なんぞありはしないのです。その印の意味を知らずして、真似してみても、意味がないのです。それどころか、罪になります。 なぜ罪になるのか。それは、人心を惑わせたから、ということですな。正式な伝授や修行で学ぶべきことを、一般人に教えてしまい、それを知った一般の方が、 「自分でも願いを叶えることができるんだ。いやいや、修行などしなくても、俺には特殊能力があるんだ」 と勘違いしてしまったら、これは罪ですよね。当然、罪ですよね。こうして、勘違いヤローを生んでしまったのですからね。インチキ本やインチキサイトに出会わなければ、妙な勘違いなどせず、まっとうに働こうとしたかもしれません。そうした罪もない人を中二病にしてしまったのですから。 しかも、勘違いがさらに進み、インチキ霊能者にまで発展し、多くの人を不幸してしまったら、そのインチキ密教本やインチキサイトの罪は、益々重く、大きくなりますな。インチキ密教本を出版した人物や出版社の責任者、インチキ密教サイトを運営している者は、その大きな罪を背負うことになるのですな。 ま、それを覚悟の上でやっていることなら、仕方がないですけど、まさかそんな罪なるなんて思ってもいないのならば、せめてインチキサイトだけはやめるべきでしょうね。私は、注意はしませんけどね。「大きなお世話」と言われるのが落ちですから。 インチキ密教本を出版する者よ、素人密教サイトを運営する者よ、密教を語るなら、まずは正式に修行するべきでしょう。修行しないで、密教を語るな、と言いたいですな。正式に修行をしたならば、そんなインチキ密教本を出版すること、素人密教サイトを運営することの恐ろしさがわかるでしょう。中二病にかかっている者は、早く目覚めることですな。特殊能力なんぞ、この世には存在していません。密教の修行をしても、そんな能力は得られませんな。超能力なんぞ、この世には存在しません。神通力なんぞ、昔の話です。 インチキ密教本や素人密教サイトで、そうした特殊能力を煽る者は、その罪の大きさと深さを知るといいですな。あなたたちのいい加減な行為により、勘違い人間を生み、人を不幸にしていることを知るべきでしょう。また、正しい仏教や密教が曲がって伝わってしまうという、その罪の深さと大きさも知るべきでしょう。自分の行為により、嘘や間違った内容が世に出ることの恐ろしさを知るべきでしょう。無責任に、いい加減なことを世に広めることの罪深さを知るべきでしょう。 己の金儲けや功名心、自己顕示欲、自己満足、名誉などのために、不幸になる人間が大勢いるということを知るべきでしょう。そのツケは必ず自分にかえってきます。 いい加減な内容の密教を世に出すならば、覚悟と責任をもって行ってください。なにがあっても、自己責任ですからね。 合掌。 |