バックナンバー2、第16回〜第20回


第16回 宗派「宗派争い、どちらが勝っても釈迦の恥」
日本の仏教には、数多くの宗派があります。主だったところでは、華厳宗・法相宗・三論宗・律宗・真言宗・天台宗・浄土宗・浄土真宗・一向宗・時宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗・黄檗宗などがあげられます。ご存知の宗派もあれば、ご存知でない宗派もありましょう。でも、どれも歴史のある宗派なんですよ。いったなぜ、こんなに宗派が分かれてしまったのでしょうか。

仏教は、八万四千の法門(はちまんしせんのほうもん)と言われるくらい、様々な教えがあります。大変わかりやすい教えから、非常に難解な教えまで多種多様です。そんなに多くの教えができたのは、お釈迦様の教えが、待機説法(たいきせっぽう)だったからなのです。
待機説法と言うのは、相手の気質や能力、その時の悩み事に合わせて教えを説く、ということです。お釈迦様の元を訪れる人々は、本当に様々でした。お金持ちもいれば、貧しき人もいるし、身分の低い者もいれば、王族もいる。聡明な人もいれば、愚鈍なものいる。働き者いれば、怠け者いる。お釈迦様は、そうした人々に合わせて教えを説いていたのです。その相手の能力・理解力にあわせて話をされたのです。通り一遍の教えを説いていたわけではないのです。

ですので、お釈迦様の教えは、必然的に多くなってしまったのです。それは、たとえば、山に登るのに、いろんなルートがあるのと同じなのです。すぐれた体力と技術があるものは、険しくとも早く頂上へ行ける道をゆくでしょう。体力と技術に自信がないものは、時間はかかるけど緩やかな、易しい道を選ぶでしょう。また、体力もそこそこ、技術もまあまあある者は、それなりの道を歩むでしょう。
それと同じで、その人の理解力、能力によって、覚る道筋が分かれていくのです。つまり、その覚りにいたる様々な道筋が、宗派なのです。こうして、宗派が生まれていったのです。
ですから、どの宗派が勝れていて、どの宗派が劣っている、という差別はないのですよ。ただ、覚りにいたる道筋が違う、というだけのことなのです。
差があるとすれば、それはひとえに僧侶各個人の資質の問題でしょう。お坊さんに差があるのです。藪医者もいれば名医もいるように、坊さんにも勝れた坊さんもいれば、怪しい坊さんもいるのですよ。それは、各個人の資質の差なのです。

また、各宗派内には、さらに「派」が存在します。たとえば、同じ真言宗でも「古義」と「新義」に分かれますし、その中でも各本山を擁して、さらに派に分かれています。浄土真宗でも西と東に分かれています。さらにその中には、○○派というものが存在しています。どこの宗派でも似たようなものです。同じ宗派内に、さらにいくつかの分派を抱えているのです。
同じ宗派内なのに、なぜ派が生まれたのか。それは、その宗派の中の教えの解釈の違いによるのです。同じ教えでも、その人の能力により、理解度も異なるし、捉え方も変わるし、解釈も変わってくるでしょう。それで、同じ宗派内にも派が生まれてくるんですね。
それともう一つ。勢力争いがあります。ようは派閥ですね。で、その勢力争いに負けた派閥は、その本山を出て新しい本山を作ってしまうのです。そうして派が増えていくんです。本来、政治的なことから離れているはずの僧侶が、派閥を作り、勢力争い、権力争いをしたわけです。まあ、俗っぽい話なんですが。

しかし、こうして生まれてきた数多くの宗派も、元は一つ、すべてお釈迦様の教えなのです。宗派違っても、仏教であることには変わりはないのです。みんな仏教なんですね。ですから、この宗派がダメで、この宗派はよい、と言うことはありません。先ほども言いましたように、差があるとすれば、それは僧侶側の問題です。教えに差があるわけではないのです。

宗派の違いは、覚りに至るルートが異なるだけです。ですから、自分に合ったルートを見つけて、自分に合った教えを学べばいいのですよ。どんな宗派の教えでも、お釈迦様の教えなのですから。
ただし、この中には、仏教系新興宗教は含まれていません。新興宗教は、たとえそれが、お釈迦様の教えでも、自分に都合のよい解釈をしてしまっている場合が多いからです。また、仏教系新新興宗教などは論外ですね。お釈迦様の教えとは全く異なったものになっています。
その点は、ご注意ください。



第17回 開運「開運は改運なり!」
運をよくしたい、と願うのは誰にでも共通したことでしょう。しかし、ぼうっとしていては運はよくなりません。では、運をよくするには、どうすればいいのでしょうか。
世の中には、様々な開運法が紹介されています。いずれも、簡単・すぐできる・すぐに効果あり・・・・などと謳っていますが、本当にそんなに簡単に開運できるのでしょうか。私は、怪しいと思っています。というか、頭から信じてはいません。だって、そんなに簡単に開運できたら、世の中運のいい人だらけになっちゃうでしょ。そんなこと、あるわけ無いじゃないですか。開運はそう簡単にはできないものなんですよ。

たとえば、風水。これは、本来、風と水の流れ(つまりは気の流れ)を読み、運を呼び込む土地や家相を決めたりするものです。ところが、最近は、「この場所にはこの色のものを置くと開運できる」というようなものになってますよね。実はこれ、陰陽道の「木火土金水」の五行説を取り入れているんですよ。風水じゃなくなっているんですね。ま、いずれにせよ、これで運がよくなる、なんてことは期待しないほうがいいでしょう。開運って、そんなに簡単じゃないですから。気休めですよね。風水も様変わりしてしまいました・・・。

では、陰陽道はどうでしょうか。陰陽道では、「木火土金水」の五行説を基本にして、運勢や家相などを判断します。これは、風水よりも進展はしていると思います。風水は、気の流れによって土地や家相を見るものでした。その中心は、「風と水」ですよね。陰陽道では、「木火土金水」を基本としています。取り扱うものが二種類から五種類に増えています。
数の問題じゃないでしょ・・・・とおっしゃる方もいるでしょうが、そうでもありません。運勢学は、世界を構成するものは何か、から始まっています。しかも統計です。ですから、観察するサンプルは多いほうがいいのです。風と水の流れだけを見た風水よりも、「木火土金水」を考慮した陰陽道のほうが、細かく分類できるし、対応もできるのは、当然のことですね。
しかし、「木火土金水」には、風が含まれていない・・・・という点があります。惜しいところですね。

では、仏教はどうでしょうか。仏教では、世界を構成するものを地水火風空(ちすいかふうくう)に分けます。これを五大といいます。地は地面と言うよりベース・基本になるもののことです。地球そのものです。人間の身体で言えば、肉体そのものですね。水はいいですね。地球上も、肉体も7割は水分です。火は熱のことです。気温や体温ですね。風もわかりますね。風の流れ、呼吸です。空は空間、空気です。身体で言えば、体内の空間、空洞のことです。
どうです。この地水火風空のなかには、木火土金水も風水も含まれているでしょ。木は地と水で構成されますし、土は地になるでしょう。金は金属のことですから、地に含まれます。つまり、木火土金水は重複するものがある、ということですね。
さて、密教ではさらに、この五大に識を加え、六大とします。つまり、地水火風空識となるのです。識は意識のことです。生き物は当然ながら、すべての物質にも、意識がある、という考え方です。これ、結構大切ですよね。
まあ、それはいいのですが、このように、仏教や密教の中には、風水も陰陽道も含まれてしまっているんです。考え方が、根本的に広いんですよ。ですから、目先の開運法なんて採用しないんですよ。

では、具体的に、どんな開運法があるのか。考え方としては、開運というより、改運です。つまり、悪運を改造するのです。根本的に悪運を変えてしまうのです。小手先の開運法じゃないんです。ですから、ちょっと時間もかかるし、専門的知識、専門家の判断を必要とする場合が多いです。素人判断では間違いを起す場合があるのです。その点をよく注意して、開運法をご覧下さい。
で、その開運法は、開運道場およびそのバックナンバーに詳しく掲載されています。そちらをご覧下さい。



第18回 霊「怪しい言葉に惑わされるな!」
「霊」という字を漢和辞典で見ますと、その意味は「巫(ふ−神に仕えるもの、巫女)、神、神のタマシイ。死者の精神、たましい」となっています。つまり、もともとは、「霊」というのは、神に仕える巫女さんのことを表していたようです。その巫女さんは、「玉」を使って、先祖や神様のタマシイお告げを受けたりしていたのだそうです。
これって・・・・。そう、今日、日本によく見られる「怪しい占い師」って言う感じですよね。「霊」の元の意味は、このようなことだったようです。それが、仏教とどうつながっていくのでしょうか。

「霊」という言葉は、巫女さんを表すと同時に、巫女さんが扱っているモノ・・・・先祖や神のタマシイ・・・・をも表しています。命あるものが、死を迎えるとタマシイというものになり、それのお世話をしたり、対話をしたりするのが、巫女さんだったわけです。どうやら、これが仏教の供養の考え方と一緒になったようですね。
つまり、先祖のタマシイをお世話する、という巫女さんの行為が、先祖の供養をする、という行為と共通していたのです。ですから、先祖のタマシイに名前を付けて戒名とし、その戒名に「霊位」とつけるのです。
ですから、「霊位」とは、「○○という戒名のタマシイ」という意味になります。仏教で「霊」といえば、「先祖などの死者の(生者の場合もある)タマシイ」のことになるのです。
ところが、この「霊」という文字。いろんな文字と合体することによって、何だか怪しげな言葉を生み出していくのです。たとえば、霊能(者)、心霊、幽霊、除霊・・・・・などなど。実際には、その言葉自体の意味は、怪しげでもなんでもないのですが、使う人によっては、或いは、使い方によっては、怪しげで、うそ臭い言葉になってしまうんですよね。たとえば・・・・・。

たとえば、霊能(者)。霊能(者)って言うと、つまりは魂とか、幽霊とか、先祖とか、そういうモノが見えてしまう能力のこと、そういう能力のある人、のことを言うのでしょう。でもね、これ、私は特別な能力とは思ってはいないのです。よく考えて見て下さい。霊とは先祖のタマシイをお世話することや、お世話する人のことを言ったわけですよね。ならば、毎日仏壇に、亡き夫や亡き妻、亡き父母、亡くした子供・・・・などに手を合わせ、そのミタマが鎮まることを祈るものは、すべて「霊」であるわけですよね。そういうかたは、皆、霊能者であっていいわけですよね。否、本来、霊能者とは、そういう意味であるべきなのではないでしょうか。
霊が見え、霊が悪さをする・・・・などと脅迫するような言い回しをする人のことは、霊能者とは言わないのではないでしょうか。霊能者とは、死者のタマシイを供養し、世話し、大切に扱う人のことをいうべきなのでしょう。ですから、霊能者とは、ご先祖の供養をする方、すべてがそうなのであって、
「死んだ人があなたにとり憑いている」とか、「呪いがかかっている」
などということを言う人であってはいけないのです。そういう方は、霊能者(タマシイを鎮める者)ではなく、霊を、タマシイを弄んでいる方なのです。

では、心霊はどうでしょう。心の霊ってなんだ?。と思って辞書を見てたら、これは「霊的心理状態」のことなんだそうです。って言われても意味わからないですよね。で、もっと調べると、それは「不思議な現象、科学では解明できないような現象に出会った時の心理状態。精神状態」のことなのだそうです。
ということは、よくTVなどで「心霊現象」とか言って、幽霊が出たとか、とり憑かれたとかやってますが、それそのものは心霊ではないんですよね。その、不思議な現象に出会った時の心理状態のほうを、心霊と言うんですよ。まあ、いずれにせよ、胡散臭い言葉ですし、TVの番組のようなものは、話半分、一種のショーだと思って見た方がいいでしょうね。

ところで、皆さんは霊−タマシイ−の存在を信じますか。これは、実を言うと、お坊さんでも意見の分かれるところです(バックナンバー第6回「魂」の項参照)。
タマシイの存在を信じる信じないは個人の自由です。よく「俺は幽霊なんて信じない。霊の存在も信じない」という方がいますよね。もちろん、それは勝手です。しかし、信じない、というのなら、お墓参りも必要ないし、供養も関係ない、お彼岸もお盆もないですよね。そのあたりは、どう思っているのでしょうか。
信じないのなら、徹底して霊的なことをしないほうがいいでしょうね。もちろん、信心参りなんてとんでもないでしょう。初詣もやらないことです。霊の存在を信じないのなら、それに徹するほうが筋だと思いますよ。

中途半端に信じたりするから、変な霊能者(霊を弄ぶ者)に引っ掛かってしまうんですね。信じるのならば、正しい知識を学んで欲しいものです。先祖の霊が祟るなんてことはないし、悪霊にとり憑かれるなんてことも滅多にない。水子の霊が祟ることも無い。気を付けて頂きたいですね。生霊だの、除霊だの、呪いだの、といったくだらない本も読まないほうがいいと思いますよ。

霊の存在を信じる信じないは、自由です。しかし、先祖や亡き人を思い偲んだり、供養をしたりすることは大切なことだと思います。霊を信じる信じないに関わらず、霊の本来の意味である「先祖や神のタマシイのお世話をする人のこと」ということを知って欲しいと思うのです。そして、それが本当の意味での霊能者である、ということを知って欲しいのです。そうすれば、くだらない霊能者を見る目も変わってくるでしょう。あなた達は、タマシイを鎮める霊能者ではなく、霊を弄ぶ者たちだ・・・・と。



第19回 お祓い「そんなに簡単なものじゃない」
占い師や自称霊能者の方で、「あなたにはよくない霊が憑いています。除霊しましょう。」なんて、簡単に言う方、いますよね。さらに「お祓いしましょう」などと言って、ゴニョゴニョッと何か唱えて「はい、除霊しました。」とか「お祓い終わりました。」とか言って、「もう大丈夫。悪い霊は去りました。では、お祓い料○万円頂きます」などとおっしゃる方、いますよね。
でもね、こんなの、はっきりいって、インチキです。今まで何度も言ってきましたが、霊にとり憑かれるなんてことは滅多に無いし、ましてやそんな場合、お祓いは簡単にはできません。お祓いってそんなに簡単なものじゃありません。最近、電話で除霊とか、HPを見るだけで除霊ができるなどというものがあるそうですが、全くくだらないですね。お祓いってそんなものじゃないです。そういう簡単なことを言っている連中は、お祓いというものを知らないと公言しているようなものです。お祓いってそんな簡単なものじゃないんですよ。

ですので、お祓いの種類をいくつかあげて、お祓いの解説をしてみましょう。お祓いの意味のわかると思いますので。
☆車のお祓い。
これは、比較的簡単な御祓いです。特に新車の場合はね。といっても、ほんの数分で終わるというわけではありません。やり方は、各宗派で異なるでしょうけど、内容は神仏に交通安全の守護を祈る、というものです。事故にあわないように、事故に巻き込まれないように、神仏にお願いするのです。ですから、「お祓い」というよりは、「祈願」ですね。
ただし、中古車の場合は異なります。この場合は、「祈願」よりも「お祓い」ですね。中古車の場合、前歴がハッキリしている場合はまだいいのですが、不明な場合は少々問題があります。その車の過去に問題がある場合は、特に念入りにお祓いする必要がありましょう。それは、その車につきまとう、言わば「過去の思い」を祓うのです。ま、まれに、幽霊を伴っている車も無いわけではないですが、そういう場合は、お祓いもちょっと念入りになります。簡単な車のお祓いでは、すまないこともありますね。マレ・・・ですけどね。

☆土地・家屋のお祓い
これは、状況により、パターンが変わります。
新たに土地を購入し、家を建てようという場合は、家を建てる前に「地鎮祭」を行ないます。これは、その土地にいる様々な霊・ミタマ・神などに供物を捧げ、その土地を清めるというお祓いをします。また、同時に、工事の無事安全を祈ります。特に密教系の地鎮祭では(私達が行う地鎮祭)、その土地に「魔」が入らないように、結界を施します。これが、一般的な地鎮祭というお祓いです。
土地のお祓いは、その使用目的によっても異なりますが、問題がない土地の場合は、おおむね「地鎮祭」になります。そう、問題のない土地の場合はね。
問題のある土地、家屋の場合は、これはしっかりと「お祓い」しなければなりません。その問題の度合いにより、一回のお祓いで済む場合と、数回のお祓いが必要な場合とがあります。これは、特殊なお祓いになります。問題となている原因によっても変わってきますので、事前にいろいろ調べることもあります。
また、古い家屋の取り壊しの場合もお祓いをします。たとえば、それまで自分達が住んでいた場合はいいのですが(つまり建て替えの場合ですね)、古家付きの土地を購入し、その古家を壊す、もしくはリフォームして居住するという場合は、お祓いが必要になってきます。中古車の時と同様、過去の思いを祓うお祓いです。その家に残っている様々な過去を清浄にするのです。そうしてから、壊すか、居住するのです。この場合は、余程ひどい家屋や土地でなければ、一度で終わります。

☆人のお祓い
この場合も、状況により、お祓いが異なります。
たとえば厄祓い。これは一般的に祈願寺や神社などで行なわれていますから、皆さんもよくご存知かと思います。厄年の災いを祓い落とし、大難は小難に、小難は無難になるよう、神仏に祈るものです。七五三のお祓いも同じですね。子供にやって来る「災い」や「魔」を祓い、健やかな健康を祈るのが七五三です。
さて、問題は、いわゆる「憑きもの」と呼ばれるものの場合です。これは簡単にはいきません。「お祓いしてください。」 「はい、わかりました。やってあげましょう。」・・・・と言うわけにはいかないものです。
だいたい、とり憑かれているなどと言うことは、滅多にありません。ごくごくマレです。もし、完全にとり憑かれている、という場合ならば、これは大変なことになります。一度のお祓いでは、おそらく終わらないでしょう。数度かかることになります。また、その場合は、たいていは住んでいる土地や家にも問題があるでしょうから、そちらもお祓いが必要になってきます。よくよく状況を見て、そうなった原因を探り、どこに問題がるかを把握し、準備をしっかり整えてからでないと、できないことなのです。でも、こういう場合は、本当にマレなのです。

うちのお寺でも「お祓いして欲しい」とか、「霊に悩まされている」などと言う相談に来られる方がいます。しかし、そういう方たちのほとんどは、お祓いの必要のない方です。相談に来られる本人は、「何かにとり憑かれている」と思っているようですが(実際に霊現象?のような体験をしている)、それはとり憑かれているのではないのです。
こういう場合の多くは、「霊に頼られている」というのが本当のところです。つまりは、助けてもらいたいのですね。ですから、とり憑かれているのではなくて、表現は悪いのですが、「救いを求めている霊を連れて歩いている」のです。一緒にいるんです。それは、憑きものではなくて、一緒にいるだけなんです。
この場合は、お祓いの必要はほとんどありません。(ほとんどというのは、マレに悪意を持って一緒に来ている場合や、からかっている場合などがあるからです。)。こういう場合は、たいてい、その一緒にいる方の供養をすれば大丈夫なのです。また、程度の軽い場合は、お話している間に清浄になっていく場合もあります。

確かに霊感体質とでもいいましょうか、霊に頼られやすいタイプの方はいます。妙に勘のいい方や、大変心優しい方、感受性豊かな方、心が非常にピュアな方などに多いようです。
そういう方は、頼られすぎると、体調を壊したり、やたらとイライラすることがありますので、気をつけてください。そういう時は、早めにお祓いを受けるか、インチキじゃない方に見てもらい、対処してもらいましょう。また、神仏に祈るのもいいでしょうね。あまりひどい場合は、なぜ頼られるのか、と言うことを探り、防御方法を教えてもらうこともいいでしょう。

それから、よく話題に出る生霊ですが、これも滅多にお目にかかることはありません。こんなのにとり憑かれるなんてことは、本当にマレです。よほど恨みを買っているか、怨みを買うような行為をしたか、でない限り、生霊を受けることはありません。まあ、逆恨みとか、一方的な妬みとかによる生霊もありますが、そうした場合は、たいていは撥ね返せますしね。
もし、生霊に狙われたら、これはお祓いの必要があります。しかし、簡単なお祓いでは、生霊の影響は消えません。その生霊の本体を突き止め、なぜそんな目に合うのか、原因を知らなければならないのです。
「あなた、生霊にやられてますね。私がお祓いをしてあげましょう。」・・・・などというわけには行かないのですよ。


このような知識をもっていれば、インチキな霊能者や占い師に引っ掛かることはないでしょう。皆さん気をつけてくださいね。やたらお祓いをしたがる霊能者や占い師がいたら、これは要注意です。なんでも霊のせいにしたがる霊能者がいたら、これも要注意です。簡単に「除霊しましょう」という霊能者や占い師にも注意が必要です。こういうヤカラは、信じないほうがいいと思いますよ。

また、中古モノを購入する場合は、よ〜く吟味し、注意してください。中には、怪しいものがありますので。中古の洋服を買った(最近流行ってますよね、古着って)ことにより、変な霊も一緒にやってきた・・・・などと言うこともありますからね。十分注意して下さい。怪しいな、と思ったら買わないことです。
中古品を買ってから、どうも調子が悪い、ダルイ、イライラする、病気がちだ、人が変わったようだ、などという症状があったら、それは、その中古品が原因の場合がありますので、その場合は、その中古品ともどもお祓いをしてもらったほうがいいでしょう。
中古品には、そのものを持っていた人の「思い、想い、念」が篭っていることがある、ということを覚えていてください。



第20回 霊障「霊障ってなんだ?」
「霊障」というのは、「霊による障害」のことです。何か、特別なことを意味しているわけではありません。「霊障」というと、何だかおどろおどろしいようなイメージがありますが、「霊による障害」といえば、なるほど、などと思えませんか?。言葉のイメージって、怖いですね。
それは、まあいいとしまして、この「霊による障害」には、その霊によって、様々な状況があります。代表的な例をいくつかあげてお話しいたしましょう。

*先祖の影響によるもの。
これを霊障にいれていいものかどうか迷いましたが、まあ、基本的なことだし、これが最も多いので、あげておくことにしました。
先祖の影響、といっても、先祖が祟っているわけではありません。これは、間違えないで下さい。先祖が祟ると言うことは、絶対にありません。断言します。ご注意ください。
じゃあ、先祖の影響とはどういうことなのか・・・・・・。それは、先祖が頼ってきている、ということなのです。そういう意味での、先祖の影響、なのです。
例えば、身体の調子が悪い、何かと運がよくない、病気がちだ、事故や災難に遭いやすい、などという方、いますよね。そのような目にあう原因は様々でしょうが(例えば家相が悪い、名前の運が悪い、住んでいる場所が悪いなどなど・・・・)、先祖の影響によるものも、確かにあるのです。否、結構あるんですね、これが。
生あるものは、その生命を終えると、つまり亡くなると、六道に輪廻します。六道−地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天−のうちのどこかに生まれ変わるのです。天界に生まれ変わっていれば、まあ、いいのでしょうが、そうでないところ、例えば地獄だの餓鬼だの畜生だの、というところに生まれ変わっていると、これはちょっと大変です。
地獄など極悪人じゃない限り行かないよ、などと思うかもしれません。まあ、確かにそうでしょう。しかし、餓鬼は行きやすいところですし、畜生もあり得ることです。修羅などというところも行きやすいですね。
で、そういうよくないところに生まれ変わってしまった先祖は、当然苦しんでいます。従って、助かりたい、思います。もっといいところへ生まれ変わりたい、と望みます。しかし、自分自身ではどうしようもありません。いいところへ生まれ変わらせる方法はただ一つ、お坊さんによる供養しかないのです。
ですから、いいところへ生まれ変われなかった亡くなったものたちは、お坊さんによる供養を望むのです。お坊さんにお経をあげてもらいたいのです。それが、唯一の救われる手段なのですから。
しかし、死人には口がありません。供養してくれ、と伝える手段がないんですね。夢枕に立っても、その人が感の鈍い人だったら、気付いてもらえません。だけど、自分の現状を知って欲しい、そう思っています。
その思いが子孫に伝わる時、子孫にいろんな災いが起こるのです。亡くなった方が、苦しんでいる内容と同じような苦しみが、子孫にやってくるわけです。
こうして、子孫が長患いをしたり、運が悪かったり、何かとうまく行かなかったり、災難が多かったりするようになるのです。これは、先祖が祟っているのではありません。いいところに生まれ変わっていないから、供養して欲しいと、助けを求めているのです。救ってくれと、訴えているんですね。
実は、このパターンが、非常に多いんです。先祖がいいところへ生まれ変わっていないがために、子孫が苦しむ、というパターンです。この場合、先祖供養をしっかりすれば、次第に苦しみから解放されていきます。
これも、まあ、一種の霊障といえば言えなくも無いのですが、霊障というよりは、子孫が供養をサボってきたツケが回ってきた、ということなんですけどね。ま、一応、こういう場合が大変多いので、ご注意されるといいでしょう。
尚、先祖が苦しみから救われると、今度は、供養をしてくれた方を守ってくれるようになります。いわゆる守護霊になってくれます。


*住んでいる場所、土地によるもの。
これも、意外と多いようです。住んでいる場所が悪い、という場合です。これは、どういうことなのかと言いますと、簡単に言えば、その住んでいる場所に霊が集まりやすい、ということなのです。
土地には、まれに霊が集まりやすい土地、というものがあります。或いは、霊の通り道に当る土地、という土地があるのです。うそのような話ですが、そういう土地が実際にあるのです。人が住むのには、適さない土地が存在するのです。
そういう土地に、多少霊感が強い、という方が住みますと、誰もいないのに気配を感じたり、金縛りにあったり、変な音がやたらとしたり(いわゆるラップ音)します。ひどい状態になると、幽霊を見てしまったり、触られたような感触を受けたりします。まさか〜、と思われる方もいるかもしれませんが、そういう経験をされた方は、意外に多いようです。霊感が強くなくても、次第に災難がやってくるようになります。病気がちになったり、運が悪くなったり、怪我や事故が多くなったり、家庭内紛争が増えたり・・・・・・。
それが、土地によるものなのかどうかは、実際にお話を聞くなり、その土地を見るなりしないとわかりにくいのですが、あなたの住んでいる土地が、そういう霊の集まりやすい土地であったり、霊の通り道であったりしても、悲観し、あきらめてしまうのはよくないでしょう。なぜなら、そういう霊を除ける方法があるからです。
もちろん、これは、素人さんにはできません。その職にある方にやってもらわなければならないのですが、それでも、助かる道はあるのです。
それは、その土地を清め、結界をはればいいのです。また、霊道に当っている場合は、その道をずらしてしまえばいいのです。そういうことができるのですから、あきらめたりしてはいけません。自分の住んでいる場所が怪しい・・・・と思われる方は、相談されたほうがいいかと思います。
尚、こういう場合、土地を清めるためにお祓いをすることが多いのですが、軽い場合は御札で処理もできるでしょう。そうでない場合は、やはりお祓いが必要になってきますが、それも状況によっては、1度で済まない場合もあります。何回かお祓いが必要な場合もあります。それは、その土地によりけりですね。


*生霊によるもの。
これは、そんなに多くありません。どちらかというと特殊な部類に入ります。滅多にお目にかかることはありません。こんなのにとり憑かれるなんてことは、本当にごくごくまれです。よほど、怨みをかうような行為をしたとか、怨念を受けるような事をしない限り、生霊を受けることはありません。生霊というのは、怨みや呪い、怨念のかたまりなのですから。
ですから、人から怨まれるような行為をしない限り、生霊の影響を受けるなどということは、まずないのです。生きたまま霊を飛ばす、ということは、その生霊の主も大変エネルギーを使うことです。そうそう、怨みの気持ちが持続するもんじゃありません。何年も続くようなものではないのですよ。
ただし、もし、生霊に狙われたら、これはお祓いの必要があります。しかし、簡単にはお祓いなんてできません。生霊の本体を突き止め、なぜそんな目にあうのか、原因を知らなければならないのです。そして、相手によっては、念返し、をする場合もあります。まあ、しかし、こういうことは、滅多にありませんけどね。


*自分の念によるもの。
自念障害といいます。これも、一種の生霊になるかもしれません。と言うのは、自念障害というのは、自分の強い思い、執念によって起こる障害なのですから。言わば、自分の生霊によって、自分が苦しむ、というものなのです。この場合、もっとも起きやすいのが、身体の不調です。特に頭痛が顕著な例です。薬を飲んでも治らない、何をやっても治らない、原因もわからない、ただ頭が重く、痛く、苦しい。そんな状態になる方が多いようです。
原因不明の頭痛で、しかも、長年思いつづけている何かがある方は、この自念障害を疑ってみるのもいいかもしれません。これも霊障の一種ですね。


*いわゆる憑依によるもの。
これは、取り憑かれる、というものです。憑き物のことですね。
これが起こるのは、例えば、住んでいる場所が悪いために、いろんな霊的現象が起きたり、体調不良が起きたりしていても、何も対策をせず、放っておいたために、完全に取り憑かれてしまう、といったものです。
この場合は、取り憑くものは、人間の霊であったり、動物であったりします。
或いは、誰かに怨まれるようなひどいことをして、その方が怨みを強く残して亡くなった場合、その方に取り憑かれる場合とかもあります。
また、いわゆる心霊スポットなどに、興味や遊び気分で出かけて、取り憑かれるという場合もあります。よく、TVでやってますよね。何とかトンネルに幽霊が出るので、それを見に行きましょう、などという番組。そういうのを見て、「俺達も行ってみよう」などとは、思わないほうがいいですね。寝た子を起すようなマネはしないほうが賢明です。
尚、取り憑かれた場合、これを取り除くのは、状況と場合によりますが、お祓い以外にはありません。しかも、1度で済むかどうかはわかりません。


*祟りによるもの。
祟るのは、神様です。神様は、疎かにすると祟ります。これは恐ろしいです。この場合は、なかなか納まりません。
特に、怖いのは、水神さんや荒神さんです。
水神さんの場合は、井戸によるものが多いですね。昔使っていた井戸を使わなくなってしまい、放っておくとか、埋没してしまうとか、そういう行為によって、水神さんの怒りをかう、というのが最も多いですね。使わなくなった井戸を処理する時は、お祓いしたほうがいいでしょう。否、するべきでしょう。
いずれにせよ、神様に対し、不敬な行為や疎かにするのは、大変よろしくないことです。気をつけましょう。酔っ払って、鳥居に立ちしょん・・・・などということは、絶対しないように。


*神様の眷属によるもの。
これは、ご存知ない方が多いと思います。わかりにくいので、例えでお話します。
お稲荷さんとは、どういう神さまかご存知でしょうか?。「キツネ」と答えた方、間違っています。そう答える方が多いと思いますが、これがいけないのです。「キツネ」は、お稲荷さんという神様のお使い、或いは、乗り物なんです。
お稲荷さんは、いわゆるダキニ天という神様です。ほとんどの場合、女神の姿で表現されますが、男神の姿もあります。また、稲荷明神とも言われます。お稲荷さんは、もともと、豊穣の神様で、収穫の神でもあります。簡単に言えば、お米(稲)がよく実るようにして下さる神様です。そこから、商売繁盛の神様へと発展するのですが、いずれにせよ、「キツネ」ではありません。人間のような姿をした神様です。
ですが、ここで問題があります。それは、祈る側が、お稲荷さんを「キツネ」と勘違いしている場合です。お祈りする側、お参りする側が、お稲荷さんをキツネと思ってお参りすると、お稲荷さん本体には、通じません。変わりにキツネが相手をするようになります。これがいけません。そのうちに、キツネが増長してきます。祈る側と波長が合えば、絶えず一緒にいることになります。こうして、憑き物へと移って行くんですね。
また、ご家庭でお稲荷さんを祀っているところが、たまにありますが−ちゃんと社を建てて−そういうご家庭は、できれば、月に1回くらいは、お坊さんなり神主さんなりに、お参りをしてもらうといいですね。そういうことをしないと、天部である神様は、その場所から立ち退いてしまいます。そうなると、残るのは眷属であった「キツネ」だけ。これは、いずれ問題を起すでしょう。
本来は、簡単に神様を祀るのはやめたほうがいいのですよ。極普通の神棚を祀ることはいいことですが、お稲荷さんや龍神などをご家庭で祀ることは避けたほうが賢明でしょう。
ちなみに、「私には龍神がついている、キツネが憑いている、」などという霊能者は、私は避けたほうがいいと思います。その方は、龍神がどんなものか、キツネがなんなのかを知らない方ですから。まあ、無くしもの探しはうまいでしょうけどね、そういう方は。


ざっと、簡単にお話してきましたが、これらは、状況により変わることがあります。ここにあげた例は、一般的な場合です。だいたいが、こういったケースに当てはまる、というものです。中には、特殊な場合もあります。
いずれにせよ、霊障などという目にあうのは、その人自身の守護霊の力が弱いからです。守護霊がしっかり力を持っていれば、霊障にあうこともないでしょうし、運も悪くはならないでしょう。たいていの場合、運が悪かったり、霊障に遭うような方は、守護霊が弱っているのです。守護霊が、その人を守るだけの力を持っていないんですね。問題の根本は、守護霊の強さにあるんですよ。





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