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第32回
相手の内容や状況を知らずして、
羨ましいと思ったり、批判するのは間違っていよう。
表面だけを見て判断してはいけないのだ。

ハラナ国の街に、ひときわ大きな屋敷が建っていた。大富豪のパンディカの屋敷である。パンディカは、小さな頃から商売人の家に奉公に出され、親の愛情も知らず、苦労して育っていったが、彼は文句も愚痴も言わず、ただひたすらに働いたのであった。
その商売人の家には、子供がなかったため、働き者のパンディカを養子にとることになった。パンディカの、日頃の働きが認められたのである。
パンディカが養子に入った頃は、その商売人の仕事は、ささやかなものだった。しかし、パンディカが主人になると、商売はどんどん繁盛するようになった。それは、パンディカの商売にたいする誠実な努力によるものだった。やがて、パンディカの商売は、他国にも聞こえるほどの豪商になっていったのである。

パンディカの屋敷の前を通る人々は、屋敷を見て、皆ため息混じりに羨ましがったのであった。
「いいねぇ・・・。こんなお屋敷、どうやったらこんなお屋敷に住めるのかねぇ・・・。」
「本当に。こんなお屋敷に一度は住みたいものだよ。」
「運がいいのさ、パンディカ様は。生まれは大したことはなったそうだよ。なんでも、先代の親方に気に入られて、養子になったそうじゃないか。」
「ふ〜ん、ということは、これは先代から頂いたものなのかい。」
「全部が全部って言うわけじゃないけどね。それもあるだろうよ。」
「それにしてもいいねぇ。羨ましいねぇ。私のところにも財産が転がり込んでこないかねぇ・・・。」

また、ある人たちのなかには、パンディカを批判するものもいた。
「あんなお屋敷に住んでいるんだから、どうせやましいことをしているに違いない。」
「そうさ、金持ちなんざみんな同じさ。裏では、悪いことをしているのさ。だから、あんなに金があるんだろ。そうとしか思えないよ。」
「そうだよな。俺らはいくら働いても、貧乏のままだ。正直者は貧乏のままなんだな。」
「そういうことだよ。ま、金持ちになりたきゃ、悪いことでもするんだな。それに、あんなに金持ちの癖に、施しとかもしていないんじゃないか。」
「いや、そんなことはないらしいぞ。慈善事業もやっているらしい。しかし、それも評判をとるための、偽善行為だと思うけどね。」
それは、批判を通り越して、やっかみになっていた。

羨ましがる気持ちとやっかみとが混ざって、人々は、次第にパンディカの悪口を言うようになってきた。パンディカは悪いことをしている・・・・という噂が流れ、彼の商売にも影響が出るようになっていた。
パンディカは困り果て、お釈迦様のところに相談に行った。
「この噂を何とかしたいのですが・・・・。一体どうすればいいでしょう。」
「わかりました。あなたが、正直な商売をしていることは、私はよく知っています。街の噂が的外れなことで、何の言われもないことだということも、よく知っています。このたびのことは、私にお任せなさい。」
そういうと、お釈迦様は、優しく微笑んだのであった。

数日後のある日のこと、その日は、お釈迦様の法話会が開かれる日であった。多くの街の人々が、お釈迦様のもとへと集まってきていた。
一通り、お釈迦様は話を終えられたところであった。お釈迦様は、集まってきていた人々に質問をしたのであった。
「さて、人々よ、あなたたちは、自分以外の人のことを噂したりすることがあるだろうか。」
そこに集まった人々は、左右の人たちとぼそぼそ話し始めた。
「どうですか、噂話をしますか?」
お釈迦様が再び聞いたところ、ある男が立ち上がって答えた。
「は、はい。噂話は、時々します。も、もちろん、よくないことだとは思っていますが・・・・。」
「そうですか。他の皆さんもそうでしょうか。」
人々は、口々に「そうです。します。」とうなずきあったのであった。
「では、その噂話というのは、何か根拠があって、話をするのでしょうか。それとも、単なる推測や、こうだったらいいのにという希望などで話をしているのでしょうか。どうですか、先ほど答えてくれたあなたは、どうなのでしょうか。」
お釈迦様は、先ほど立ち上がって答えた男に再び聞いた。
「なんて言うんですかねぇ・・・。聞いた話をそのままする場合がほとんですが・・・。その聞いた話に根拠があるかどうかは、よくわからないですねぇ・・・・。」
「皆さん、よく考えて御覧なさい。あなたたちが普段話している噂話には、正しい根拠があるのでしょうか。それとも、何の根拠もないデタラメなことなのでしょうか。」
お釈迦様にそう言われ、集まった人たちは、周りの人とボソボソ話しだした。
しばらくの間、お釈迦様は、そのまま放っておいた。次第に人々のボソボソ話は、静かになっていった。

辺りがしーんと鎮まり返ったとき、お釈迦様が穏やかに話し始めたのであった。
「皆さん、私が何も言わずともよくわかったでしょう。あなたたちが普段話をしている噂話には、実は何の根拠もないことなのではないでしょうか。誰かの憶測や推測、こうだったらいいのにという希望や願望なのではないでしょうか。しかも、その推測や願望には、悪意が含まれていることが多いのではないですか。」
人々の中の誰かが答えた。
「はい、まさにお釈迦様のおっしゃるとおりです。噂話には何の根拠もありません。単なる憶測にしか過ぎません。」
「では、なぜそのようなことを話すのでしょうか。」
これには誰も答えなかった。
「それはね、やっかみがあるからでしょう。羨ましいのです。妬ましいのです。その噂の対象となっている人物のことが妬ましいし、羨ましいのです。だから、根拠のない批判をする。それが、やがて噂となり、広まっていくんですね。噂されたほうは、困ってしまいます。根も葉もない噂に振り回されて、悩んでしまう。噂話を喜んでしている人たちは、知らない間に噂話の中心人物のことを苦しめているわけです。」
人々の間に、「そうだったのか・・・」という声が小さく響いた。

お釈迦様は続けた。
「実際にその相手のことをよく知らずして、単なる憶測や願望で話を作ってはいけません。批判をしてもいけません。表面だけを見て、いい人だ、悪い人だ、金持ちだ、貧乏人だ、正直者だ、うそつきだなどと、判断してはいけないのです。表面だけを見て、金持ちだ、立派な人だと、羨ましがったり、妬んだりしてはいけないのです。
金持ちの方は、金持ちの方なりに、そこまでいくための努力をしてきたことでしょう。また、現状を維持するために、多大な努力をしていることでしょう。
今の現状だけを見て、批判したりするのは簡単です。しかし、大事なのは、そこまでに至る過程であるし、表面には現れない努力でしょう。
よいですか、皆さん。表面だけを見て判断してはいけません。内情やそこまでに至る過程を無視して、批判してはいけません。羨ましがったり、妬んだりすることも間違っています。相手のことを表面だけで判断して、軽々しく噂をしてはならないのです。これが理解できるのでしたら、つまらない噂話をしないようにしてください。」
こうして、法話会は終わったのであった。

それ以来、街では、パンディカの噂話はもちろん、誰の噂話も聞かれなくなったのであった・・・。


人はよく、成功した人のことを羨ましがったりしますよね。いいなぁ、あの人は、あんなに恵まれていて・・・・、などとね。また、現在、裕福な状態にある人に対しても羨ましがったりしますよね。とかく、他人の芝生は青く見えるものですよね。
また、逆に、失敗した人に対して痛烈な批判をする場合もありますよね。
「あんなんだから失敗したんだ。失敗して当然だ。ザマァミロ。」
ってね。中身も知らないくせに、内情もわからないくせに、勝手に批判したりするんですよね。そういうことって、よくあるんじゃないでしょうか。
もちろん、中には、批判にさらされても当然の場合もあるでしょう。しかし、まあ、当事者じゃないんですから、ご批判も程々がいいかと思いますよ。

成功した人や、うまくやっている人を羨んだり、妬んだりするのは、まあ、よくあることですよね。私も昔は、大きなお寺を持っている方を羨ましく思ったものです。いいなぁ、あんな大きなお寺・・・・なんてね。
でもね、そこまで行くには多大な努力がいるんですよね(大寺の現在の住職は努力してないかもしれませんが、そこに生まれるだけの徳はあったに違いないでしょう。)。
それに、現状を維持するには、またまた、多大な努力が要るんですよね。見た目にはわからない苦労があるものなのですよ(大きなお寺は、維持費がかかるんですよ、これが。とてもじゃないが、私には無理、と思いました。)。

何だってそうだと思いますが、相手の(それは会社や国であってもいい)内情を知らずして、その相手の批判することは簡単なことでしょう。或いは、そこに至るまでの過程を無視して、現在の結果だけを見て、羨ましがるのは、ナンセンスなことでしょう。そこに至るまでの努力も見なきゃいけないし、これから先のことだってどうなるかわからないしね。それなのに、羨んだりするのは、無意味なことです。羨ましいのなら、同じように努力すればいいのです。
(そういうと、自分には才能がないから・・・などと屁理屈をこねる人もいるんですよね。そういう人は、成功した人以上に努力すればいいのにね。)

内情や、現状維持のためにどれくらい苦労しているか、そういうことを知らずして、やたらに羨ましがるのは、おかしいでしょう。表面や現在のいいとろだけを見て、羨んだり、妬んだり、批判したりするのは間違っていませんか? 羨ましいと思うのなら、自分も真似してみればいいのです。それができなければ、黙っていればいいし、自分にあった道で進んでいけばいいのですよ。羨ましがる必要なんてないですよね。
また、内情を知らないのなら、批判することは無意味の何ものでもないでしょう。そんなのは、大きなお世話です。批判したいのなら、その批判を裏付ける資料や情報を持っていないといけませんよね。

人は、とかく表面だけで判断しがちです。表面のいいところだけ見て判断すれば、ろくなことにはなりません。表面だけを見て、簡単に批判したりしないように注意したいものです。
それに現実は、見た目は青く見える他人の芝生も、近くで見れば・・・・・ですからね、羨む必要なんてないんですよ・・・・。合掌。



第33回
この世に不必要な者は決していない。
必ずあなたを必要としている場所や人がいる。
役に立たないものなど、この世にはいないのだ。

マガダ国の城下町の外れを流れる川の橋の上で、男が一人川面をぼんやり見つめていた。男は、ため息をついた。
「はぁ〜、なんで俺は何もかもうまく行かないんだ。なんでこんなに苦労ばっかりしなきゃいけないんだ。悩むことばかりだ・・・・。俺はどうすればいいんだろう・・・・。」
男の口からは、ため息ばかりがもれてきた。

その男のはバーラタといった。彼は、大工の家に生まれた。しかし、子供の頃から不器用で、とても親の職業を継げるものではなかった。親には、いつも怒鳴られているばかりだった。
「お前は本当に不器用なやつだな。これじゃあ、後継ぎはなれない。何でもいいから、職を見つけてこい。働かねぇやつを養うほど、うちは裕福じゃない!。」
そう親に言われ、バーラタは、よその職人の下で働いたのだが、どこも長続きはしなった。
「こいつは、職人向きじゃないのかもな・・・。しかし、身分違いの職業につけるわけにもいかないし・・・。どうしたものだろうか・・・。」
親は頭を抱え込んでいた。

バーラタは、親の嘆きを知って、自分で仕事を探しては、いろいろ挑戦してみたのだが、どうしてもうまく行かなかった。手先は不器用で職人向きではない。お使いを頼めば方向音痴で道に迷う。住み込みで働けば、自分から誘ったわけでもないのに、そこの女房と騒動を起こす始末。いっそのこと、下働きでもしようかと思ったが、奴隷階級の仕事を邪魔するわけにもいかない。
彼は、すっかり行き場を失って、橋の上にいたのである。
「はぁ〜・・・。俺なんか、何の役にも立たないんだ。俺の居場所なんてないんだ。いっそ、このまま川に飛び込んで死んだほうがいいんじゃないか・・・。」
そう思って、バーラタは橋の欄干を乗り越えようとした。その時だった。
「ちょっと、あなた、何をしているんですか!。」
そう叫んだものがいた。

バーラタがその声のほうを振り返ると、叫んだ相手はにっこり微笑んでいた。
「あなたは誰ですか。」
「私はシャーリープトラと申すものです。お釈迦様の弟子です。見たところ、あなたは橋から飛び降りようとしたようですが、それはなぜですか?。」
「お釈迦様の弟子? あぁ〜、出家者か・・・。放って置いてください。あんたには関係ないことだ。」
「そうは行きません。関係ないこともないですからね。あなたが川に飛び込むのを、さぁどうぞ、と見過ごすわけにはいかないでしょう。」
「いったい俺が何をしたって言うんだ!。俺は死ぬこともできないのかぁ〜・・・・。」
バーラタは、そう言うとそこに座り込んで泣き出してしまった。

事情を聞いたシャーリープトラは、バーラタをお釈迦様のもとへ連れて行くことにした。
「本当にお釈迦様は、俺を助けてくれるのか。」
「大丈夫ですよ。私を信じなさい。」
バーラタは、半信半疑ではあったが、行くあてもないし、お金も持っていなかったので、シャーリープトラについて行くことにしたのだった。

お釈迦様は、バーラタの話を聞き、しばらくじっと彼を見つめた。そして、
「バーラタよ、あなたは道を間違えていただけだ。あなたには、あなたに合った道があるのだよ。」
とやさしく教えた。
「ど、どういうことですか。道を間違っていたとは・・・。」
「バーラタ、あなたは職人には向いていないのです。あなたは、土をいじり仕事が向いているのですよ。」
「土をいじる仕事?。」
「そうです。土を耕し、種を植え、育てて実を収穫する。そういう仕事です。」
「しかし、それでは身分違いの仕事になってしまいます。」
「いいではありませんか、身分が違っていても。身分が違うからといって、合った仕事を捨てて、今までと同じように悩みますか?。身分が今よりも低くなる、収入が少ないなどという見栄にこだわるよりも、あなたを必要としている場所があるのなら、そこへいくべきではないでしょうか。」

お釈迦様に諭され、バーラタは近くの農園で働くことになった。何をやってもうまく行かなかったバーラタであったが、野菜や果物を育てると言う仕事は、慣れないことで苦労はあったが、楽しいものであった。やがて彼は、頑張って努力し続けた結果、その農園になくてはならない者になっていた。その後、彼は農園の主の娘と結婚し、幸せに暮らしていた。
バーラタは、農園を訪れるものに、いつも言っていた。
「俺がこんなに幸せなのも、もとをただせば、悩み苦しんだおかげだよ。悩んでいた頃、悩みながらも適当に職人になっていたら、今の俺はない。悩んで、苦しんだおかげでお釈迦様に出会えたんだ。
お釈迦様はおっしゃったよ。世の中にゃあ、不要なものはいない。みんな誰かの役に立っているし、誰かのためになっている。自分を必要としている場所や人がいる。たまたま、そこにはまっていないから、自分は不要な人間じゃないかと悩むんだけなんだ。生きることを捨てちゃいけない。必ず、あんたらを待っている場所や人がいるんだよ。そいつを見つければいいんだよ。不要な人間なんて、一人もいないのだ、ってね。」
と。その顔には、橋から飛び降りようとしていた頃の面影は少しもなかった・・・・。


居場所がない・・・、働き場所がない・・・、何をやってもダメ・・・・、どうしていいかわからないくらい悩む・・・・。
人は、何かと悩みを抱えるものです。悩み、苦しんで生きていく生き物が人間である、といってもいいくらいでしょう。誰もが、一つや二つは悩みを抱えているものなんです。
ただ、それに囚われて迷いの中に入っているか、何とか横に押しのけておいて見ないようにしているか、よく考えてて一つずつ克服しようとしていくか・・・・などの違いがあるだけでしょう。その悩みに対する対処の方法の違いですね。

しかし、これだけは言えます。それは
「答えを急ぐな」
ということです。人生は長いんです。山あり谷ありは当たり前です。一生、順風満帆で過ごせるわけはないのです。どこでどうなるかわかるものではありません。ですから、急いで答えを出してはいけないんです。

今、居場所がない、と感じても、いつか自分の居場所を見つけることができるでしょう。どうしても見つからないのなら、それがわかる人に見つけてもらってもいいのです。
時間をかけたっていいではありませんか。生きていれば、必ずあなたを必要としている人と出会えるものです。あなたを必要としている場所に行き当たるものです。
世の中には、役に立たない人間などいません。あなたの存在が、それだけで世の中の役に立っているものなのです。あなたがいなければ、世の中の何かが変わってしまうのです。

悩みは、尽きることはないでしょう。苦しみは、幾度となくやってくるでしょう。
しかし、答えを急いではいけません。人生を途中で捨ててはいけません。答えは、もっともっと先でいいのです・・・・。合掌。



第34回
見栄や体裁、誇りにこだわっていては、
疲れるばかりである。
満足、分相応を知れば、楽になる。

お釈迦様の出身であるカピラバストゥの城下に、年若い割には大変腕のいい細工師が住んでいた。細工師というのは、王族や金持ちの大商人の夫人が身に着ける装飾品や宝冠など貴金属品を作る仕事をしている者のことをいう。
この細工師は、子供のころからたいそう器用であった。細工師となってからは、その評判は、大国コーサラにも聞こえるようになっていた。その細工師の名前をマウリタといった。

「マウリタ、お前ほどの職人ならば、収入も多いんだろ。」
マウリタは、友人たちとお酒を飲みながら話をしていた。
「そりゃ、まあな。そこそこにはあるさ。」
「じゃあ、今日はお前の奢りだな。普段は、こんな店じゃなく、もっといい店に行ってるんだろ。」
「もちろんさ。大きな商家とも付き合いがあるし。」
「そうだよな。王家の人たちや大きな商家の人とも会うんだろ。きれいな方たちと会うんだよな。」
「王族の方は、身分違いだから話はできないけど、商家のお嬢さん方とは話をするよ。」
そういうと、マウリタは少し赤くなった。
「実は、もうすぐ結婚するんだ。コーサラ国の商家の娘さんなんだけどね。」
「それはすごい。コーサラ国の商家の娘さんとは!。やっぱり評判の細工師さんは違うね。」
「そんなにおだてるなよ。今日は、俺の奢りだ。どんどん飲んで騒ごう。」
マウリタは上機嫌だった。

マウリタの嫁は、大金持ちの商家の娘であったため、マウリタの付き合いも変わっていった。身に着けるものも、次第に派手になっていった。それだけでなく、住まいもコーサラ国の街中の大きな家に移った。こうして、マウリタの生活は、どんどん派手になっていったのだった。
生活が派手になれば、当然のことながら、出費が増える。増えた出費を補うには、収入を増やさねばならない。しかし、そう簡単には収入は増えない。仕事を多く取るか、細工の手間賃を多くするかのどちらかである。
マウリタは、仕事を増やした。しかし、それでも収入は出費に追いつかなかった。付き合いもあるので、仕事ばかりもしていられないし、コーサラ一の細工師がケチなことばかりも言えないと思っていたので、どうしても出費が増えてしまうのだった。マウリタの嫁も友人と、持っている宝石の数を争ったり、家の調度品の高価さを自慢しあったり、見栄の張り合いだった。

マウリタは仕事を増やしたため、仕事がどうしても雑になってしまっていた。そうなると、装飾細工は何もマウリタでなくてもいいじゃないか、となってしまう。必然的にマウリタの仕事は減ってきたのであった。収入も減り、ますます生活は苦しくなる一方であった。
それでも、マウリタ夫妻は、生活を改善することはできなった。友人たちに、生活に困っている、などと思われたくなかったし、いまさら貧しい生活など想像もできなかったのだ。
マウリタ自身も、仕事が減ったからといって、手間賃の安い仕事や、単純な細工仕事はしたくなかった。自分はコーサラ一の細工師、という誇りがあったため、つまらない細工などする気にはなれなかったのである。

気がついたときには、マウリタは借金で大変な状態になっていた。
「どうする・・・・。このままでは、もう生きていけないよ・・・。」
マウリタは、弱気になっていた。しかし、嫁はそうではなかった。
「なに言ってるの。私は、みすぼらしいのは嫌ですからね。ちゃんと働いて頂戴。それが無理なら、どこかでお金を借りるしか仕方がないでしょ。私には貧乏な生活なんて考えられないわ。あぁあ、もっと金持ちの男と結婚するんだった。」
この言葉を聞いて、マウリタは怒る気力も失せてしまった。

マウリタは、あてもなく歩いていた。知人に知られないように、あちこちに借金の申し込みをしたのだが、どこも断られるばかりであった。ついでにお得意さんを回り、仕事を請けようともしたが、これも断られてばかりであった。このままでは家に帰ることもできなかった。家に帰れば、嫁が支払いの請求書をもって待っているからだ。
「さて、困ったぞ。どうすればいいのだろうか・・・・。そ、そうだ。お釈迦様に頼んではどうだろうか。お釈迦様は釈迦族の元王子様だし、今や仏陀となられて、王よりも偉くなっている。うまくカピラバストゥの王様か、コーサラ国の王様に口ぞえしてもらって、お金を都合つけてはもらえないだろうか。よし、頼んでみよう。」
マウリタは、そう思いつくと、一目散にお釈迦様が滞在している祇園精舎に向かったのだった。

「愚か者のマウリタよ、なにをしにここへ来たのか。私が持っている財産は、今身に着けている衣と袈裟、托鉢用の鉢、そして真理の教えだけであるのだよ。それに、私はすでに釈迦国とは縁を切っている。否、俗世とは縁を切っているから、王族に頼みごとをすることは一切ない。帰るがよい。」
「お、お釈迦様は、何もかもお見通しで・・・・。ならば、お願いがあります。私を、私を助けてください。本当のことを言えば、もうこの生活には疲れているんです。何とか、助けてください・・・。」
「私のいうことが聞けるのですか?。」
「は、はい、この生活から解放されるなら、何でも聞きます。」
「そうか。ならば、今の生活を捨てるがよい。家も捨て、嫁と別れ、初めから出直すがよい。それができるかね。」
「そ、それは・・・。家を手放すわけには・・・。そこをなんとか、ならないでしょうか。」
「愚かな者よ、先ほど、何でも聞けると言ったではないか。なにゆえ、家を手放すのを拒否するのだ。家を売らなければ、借財も返すことはできぬであろう。否、それでも足りないのであろう。」
「家を売るとなると、世間体が・・・・。それに嫁と別れるとなると、聞こえも悪いし・・・・。まるで、落ちぶれるようで・・・。」
「私のいうことが聞けぬのなら、帰るがよい。今のまま、見栄や世間体にこだわり、つまらない意地を張り、コーサラ一の細工師といわれた過去の栄光にこだわり続けるがいいだろう。マウリタよ、その先にあるものは何か、よく見つめてみるがよい。満足や、分相応を知らぬものが行き着く果てを知るがよい。さぁ、去るがいい。」
お釈迦様は、そう言い放ったのであった。そのお顔は、いつになく厳しいものがあった。

結局、マウリタはお釈迦様の言う通りにはできず、その後も借金の返済に追われる日々をすごしていた。しかし、そんな生活は、やがて破綻するものだ。
ある日のこと、マウリタの家は人手に渡ることになった。その日、嫁は金持ちの男と一緒に出て行ってしまった。一人残されたマウリタは、寝る場所もなく、ふらふらと彷徨い歩いていた。
行き着いたところは、祇園精舎であった。

「マウリタよ。結局何もかもなくなってしまったではないか。私に相談したようにしていれば救われたものを・・・。家や財産をなくしても、まだ細工師としての信用は残ったであろうに・・・。これから、どうするつもりなのかね。」
「お釈迦様、私には行くところがありません。どうか、出家させてください。このまま、ここに置いて下さい。」
「一晩だけならここにいてもいいだろう。しかし、明日になったら、ここを出て行くがよい。出家は許さない。世の中から逃げるための出家は、許されないのだよ。」
その言葉は、マウリタには厳しすぎるものであった。
「そ、それでは、私はどうすればいいのでしょうか・・・。」
「マガダ国へ行くがいい。マガダ国なら、コーサラ国とも国交はないし、釈迦族とも疎遠である。マガダ国へ行って、もう一度初めからやり直すがいい。装飾品の細工師として、一から出直しなさい。」
「う、うまくいくでしょうか・・・。」
「お前の腕なら、うまくいくであろう。どこかの細工師に弟子入りをすればいいのだよ。誇りを捨てて。」
「はい、わかりました。今度こそお釈迦様の言う通りに致します。」
その言葉を聞いて、お釈迦様は、マウリタに初めて微笑んだのであった。

その後、マウリタはマガダ国で名の知れた細工師にまでなった。もともと腕がよかったということもあるが、マウリタの誠実で謙虚な態度、贅沢をしない堅実さにより、信用を得たのであった。
「よく頑張った、マウリタよ。お前は信用というかけがえのないものを手に入れた。それを失くさぬよう、精進するがよい・・・。」
お釈迦様は、マウリタの評判を聞き、一人微笑むのであった。


この話、他人事だと思ってはいけません。世間にはよくある話ですし、いつ自分がそういう状態に陥るかもわかりません。
たとえば、リストラにあってしまい、家のローンが払えなくなってしまうこと、よく聞きますよね。仕事がないにもかかわらず、毎日スーツを着て出勤する振りをする・・・・。収入がないから借金を重ねる・・・・。
「前はエリートだったんだ、こんな仕事できるか」とわがままを言う・・・。給料が低くなるからといって、再就職を先延ばしにする・・・・。家を手放すのは嫌だとごねる・・・。結局、家を取られてしまい、一家路頭に迷う・・・・。
まあ、よくある話で。
リストラにあわなくても、支出が収入を上回れば、生活は苦しくなるのは当たり前ですしね。収入が少ないくせに、高級車に乗ったり、ブランド物に凝ったり・・・。で、挙句の果てに高利貸しに手を出す・・・。
最近では、若い方などはメールのやりすぎで、携帯電話代が払えなくなる・・・なんてこともあるらしいです。収入と支出の差は、算数のレベルなんですけどねぇ・・・。

人には、それぞれ自分の生活レベルっていうものがあります。そのレベルを超えて、自分よりも裕福な人に合わせようとか、他人によく見られたい、羨ましがられたいなどと、見栄や体裁にこだわっては、生活が苦しくなるのは当たり前ですよね。
ところが、人は往々にして、この当たり前のことを忘れてしまうことがあるのです。ついつい対抗意識を燃やしたり、見栄をはったり、大きなことを言ったりしたくなるんですよね。

見栄や体裁にこだわったり、プライド高く振舞ったりするのは、疲れるものです。本当にできるならいいですよ。見栄張っても余裕があるくらいの生活レベルなら構いませんよ。尤も、そういう生活をしている人たちは、見栄を張る必要がないですけどね。それは、見栄じゃなくて当たり前の生活なんでしょうから。
一般の人は、庶民は、見栄や体裁にこだわらないほうがいいんです。分相応って言うじゃないですか。現状に満足すればいいじゃないですか。よく言うでしょ、
「満足を知るものは、富める者である」
って。分相応を知っていれば、すごく楽なんですよ。見栄なんて張ることはなくなりますからねぇ・・・・・。
合掌。




第35回
愚者が行く。
この先に何が待ち受けているか知ろうともせず、
ただ、欲望と怒りと愚かさに従って突き進んでいくのだ。

コーサラ国の国王、プラセーナジット王には、二人の息子がいた。第一夫人の子がジェータ王子、第二夫人の子がヴィドゥーダバ王子である。
コーサラ国の王子は、以前から子供のうちに釈迦族に留学することになっていた。釈迦国は、コーサラ国よりも学問に秀でた国であったためである。ジェータ王子も釈迦国で学んだ。次はヴィドゥーダバ王子が釈迦国に留学することになった。

ヴィドゥーダバ王子は、釈迦国の学校に通うことになった。初めての授業の日、周りの子供たちが自分を見る目が変わっていることに気付いた。初めは自分は種族が違うから、王子であるからだと思っていたが、どうも違っているようだった。明らかにヴィドゥーダバ王子を蔑んだ目で見ているのだった。
ある者たちは教室の隅でヴィドゥーダバ王子を指差し笑っていた。ある者たちは、ヴィドゥーダバ王子を冷たく避けていた。そうした日々が続いて、とうとうヴィドゥーダバ王子は爆発したのだった。
「お前たち、私が誰だか知っているのか。コーサラ国の王子だぞ。それなのにお前たちのその態度は何だ。私を馬鹿にしているのか。釈迦国といえば、コーサラ国の属国ではないか。馬鹿にされるべきはお前たちだろ。」
「くっくっく。何を言ってるんだろ。身分が低い女の子供のくせに。」
「あっ、それは言っちゃいけないことだよ。」
「な、何だと。今、なんと言った。もう一度言ってみろ。言わなければ、これから国に戻って軍を率いてくるぞ!。」
「あ〜あ、バレちゃったじゃないか。知らないぞ〜。秘密にしておかなきゃいけないことだったのに。」
「どういうことなんだ、言うんだ。」
ヴィドゥーダバ王子は、釈迦国の子供を捕まえて、問いただしたのだった。
「お、お前は、釈迦族の下女の子供なんだよ。お前の母親は、身分が低いんだ。だから・・・・、さわるな、汚らわしいだろ。」
「な、なんだと・・・・、それは本当か・・・。」
「本当だ。下女の子供なんだよ、お前は。」
子供たちは、ヴィドゥーダバ王子に詳しく事情を語ったのだった。

ヴィドゥーダバ王子の母親は、釈迦族の女性だった。しかし、彼女は、釈迦国の大臣が下働きの娘に生ませた子供だったのだ。つまり、身分の低い女性だったわけである。その娘は、コーサラ国に近い花園で働いていた。ある日、コーサラ国のプラセーナジット王が狐狩りに出かけたところ、家来たちとはぐれてしまった。王は、一人で道に迷っているうちに、その娘が働いている花園に行き着いた。その娘は、疲れ果てた王に対し、家来たちが迎えに来るまで、かいがいしく世話をしたのだった。おかげで王は元気よく国に戻ることができた。プラセーナジット王はこのときの娘が忘れらなくなってしまった。娘のことをすぐに調べさせると、釈迦国のある大臣が下女に産ませた娘であることがわかった。父親が大臣ならば、たとえ身分が低かろうとも構わないだろうと、第二夫人に迎えることにしたのである。
しかし、プラセーナジット王はよくとも、釈迦国では下女であることに変わりはなかったのだ。だから、ヴィドゥーダバは、コーサラ国では王子であっても、釈迦国では下女の子なのだ。身分が低いのである。

「下女の子・・・。」
そういわれたヴィドゥーダバ王子は、あまりの衝撃にすぐさまコーサラ国へと帰っていったのだった。

ヴィドゥーダバ王子の怒りはおさまらなかった。国に戻るとすぐさま父王に怒りをぶつけた。
「父上、父上は私の母が身分の低い女だと知って第二夫人に迎えたのですか?。」
「そうじゃが、それがどうしたのじゃ。身分が低いと言うのは、以前の話じゃ。今はコーサラ国の第二夫人だぞ。恥ずかしいことなどなかろう。」
「とんでもない。私はとんだ恥をかきました。釈迦族の者に蔑まれたのです。下女の子と・・・。身分の低いものと・・・・。これが恥ずかしくないわけがないではありませんか。」
「まあ、落ち着け。釈迦国へ行かなきゃいいだろう。あんな国は小さなもんだ。相手にするな。」
父王はそう言ったが、ヴィドゥーダバ王子の怒りは消えなかったのである。この日、ヴィドゥーダバ王子は、釈迦族に復讐することをひそかに誓ったのである。

ある日、プラセーナジット王と第一夫人が留守の間にヴィドゥーダバ王子は王位を奪ってしまった。いわゆるクーデターを起こしたのだ。ヴィドゥーダバは、すぐさま自分の母親を処刑してしまった。そして、軍を整えて、釈迦国へ突き進んだのであった。

三度、枯れ木の下で瞑想するお釈迦様に出会い、釈迦国への進撃を取りやめるのだが、ヴィドゥーダバは、どうしても怒りが収まらなかった。どうしても、釈迦国での辱めが忘れられなかった。
ついに怒りは打ち勝ち、ヴィドゥーダバは、軍を釈迦国へと進めたのであった。
釈迦国のものは、お釈迦様の教えを守り誰一人戦うことはなかったので、あっという間に滅んでしまったのだった。ヴィドゥーダバは、満足して帰っていった。

コーサラに戻るとヴィドゥーダバは、戦争に反対した兄のジェータ王子を処刑した。もはや、誰もヴィドゥーダバに逆らうものはいなかった。
ところが、それから七日目のことである。ヴィドゥーダバは、勝利によって、いい気分で川遊びをしていた。しかし、上流の大雨による川の増水で、一気に流されてしまったのであった。ヴィドゥーダバの遺体は、ついに見つからなかった・・・・・・。

お釈迦様は、みなに語った。
「釈迦族の子供たちは、先のことを考えず、私の教えを守ることなく、身分にこだわってヴィドゥーダバ王子を蔑んだ。この行為は愚かと言わざるを得ない。先に何があるかを考えもせず、ただ愚かな行為に走ったのだ。ヴィドゥーダバ王子も愚か者としか言いようがない。ただ怒りにつき従い、己の欲望を果たさんと多くの尊い命を奪ってしまった。その結果がこれだ。この先、コーサラの力は弱っていくことであろう。愚かな行為が、平和を崩していくのだ。
このように、愚かなものは、先になにがあるか、この先どうなるかを知ろうともせず、ただ己の欲望に従い、己の怒りに従い、妬みや恨みに従い、愚かな考えに従い、滅びへと突き進んで行くのである。気付いたときはもう遅い。取り返しはつかないのだ。
ここに集うものたちよ、あなたたちはこのような愚かな行為をしてはならない。その行動は正しいことなのかどうか、己の欲望に従っている行為ではないのか、怒りに従っている行為ではないのか、妬みや恨みはないか、愚かなことではないか、よく考えることを忘れないように・・・・。けっして愚者の行進にはならぬようにすることだ・・・。」
と・・・・・。


先のことはわからない・・・・。
確かにそうでしょう。しかし、己の行為が正しいことかどうかは、ある程度はわかるのではないでしょうか。その行為が、間違った欲望に基いているのではないのか、自分を突き進めているのは怒りではないのか、恨みによるものではないのか、妬みからくる行為ではないのか、あるいは名誉のためか、意地なっているだけなのか、後に退けなくなって仕方がなく行っているのか・・・・・。
それぐらいは判断できるのではないでしょうか。

自分の行為が、間違った考えや思いに基いたものであるなら、それはすぐに止めるべきなのでしょう。方向を変えるべきなのでしょう。それが難しいことであっても。
なぜなら、間違った考えや思いに基いた行為は、その先には不幸しか生まないからです。安寧な日々は訪れないからです。その先にあるものは、不安やおびえ、苦しみなのです。

愚者の行進になってはいけません。今一度、自分の行為を振り返って見ましょう。そして、もし間違いがあるのなら、すぐさま軌道修正しましょう。
でないと、愚者の行進なってしまいます。愚かなものになってしまいます。

先のことなんかわからない・・・・などと思ってはいけません。ちょっと考えれば、その行為が正しいことかどうか、それをしたらその結果どうなるかは、わかることが多いのです。われわれが生活していくうえでは、ちょっと考えれば、その行為がどういう結果を招くかはわかるのです。
先をよく考えましょう。欲望に従わず、怒りに振り回されず、冷静に考えをめぐらしましょう。そうすれば、愚者の行進になることはありません。
愚者が行く・・・・と言われないように・・・・。合掌。



第36回
し過ぎてもいけないし、足りないのも困る。
働きすぎもいけないし、怠けすぎもいけない。
ほどほどが一番いいのだ。

「しっかり勉強しなさい。今度のバラモンの承認試験では、もっといい成績をとるのよ」
ハラーハーナは、息子にそう強く言いつけた。彼女は、いつも、誰に対してもそんな調子であった。バラモンで、王族の家庭教師をしていた主人が早くに帰宅すれば、
「あら、あなた、もう帰ってきたんですか。もっと働いてもらわなければ困ります。さぁ、もう一度出かけてくださいな。」
といって、主人を再び王宮に追い返したりした。近所の人に対しても同じであった。ちょっと話し込んでいる主婦がいれば、
「何をくだらない話をしているの。いつまでもそんなことをしていると、日が暮れるわよ。」
と大声で注意するのであった。おかげで、近所では「口うるさいバラモン夫人」と陰口を言われていた。ハラーハーナは、万事がこの調子なのであった。
そのため、彼女の夫は大変な働き者であったし、息子はいつも部屋に篭って勉強ばかりしていていた。彼女自身も、絶え間なく動いていた。早朝から食事の用意、掃除、洗濯、神への祈り、近所の掃除、買物、バラモン夫人の集まり、子供の世話などなど、毎日休む間もなく忙しく動き回っていたのであった。

時は過ぎ、息子に嫁が来ることとなった。同じ身分であるバラモンの娘であった。ハラーハーナは、それにあわせて夫に家を大きくしてもらった。息子夫婦の住む家を造ってもらったのだ。嫁は、きれいに着飾って、ハラーハーナの家に嫁いできた。ハラーハーナは、さっそくその嫁に自分たちの住まいの掃除をするように言った。ところが返ってきた言葉は
「建てたばかりの家ですから、掃除なんてしなくてもいいのではないですか。」
というものだった。ハラーハーナは、少しむっとしたが、まだ嫁に来たばかりなので、その時は、それ以上は何も言わなかった。
しかし、その嫁は、いつまでたっても、何日が過ぎても何もしなかったのだった。掃除だけではない、食事の用意も洗濯も、バラモンの夫人が必ず行わねばならぬ神への祈りや給仕すらしなかったのである。仕方がないので、息子夫婦の食事の用意や洗濯、掃除などは、すべてハラーハーナが代わって済ませていたのだった。
嫁は、一日中ゴロゴロして過ごしていた。日の当たるところにいて、ぼんやり過ごしたり、うとうとしたり・・・・。毎日がその調子であった。その嫁はとんだ怠け者だったのである。
近所の夫人たちは、
「ハラーハーナが働きすぎるから、怠け者の嫁が来たんだ。世の中そんなものだ。」
と陰口を言い合って笑っていたのであった。

そんなある日、ついにハラーハーナは怒りだした。
「いったい、あなたは何なの。毎日毎日ゴロゴロして。少しは働いたらどう? いい加減に自分たちのことは自分たちでしなさい。私は忙しいのよ。息子だって、主人だって、毎日遅くまで働いているのよ。あなたも少しは働きなさい!。」
「あら、お母様、そんなにあくせく働いてどうするんですか。もっとのんびりしましょうよ。ほら、今日もいい天気ですわよ。」
「もういいわ。そういうことなら、今日から私はあなたたちの面倒は見ません。よいこと、何もかも自分でしなさい。」
こうして、ハラーハーナは、息子夫婦の面倒を見ることをやめたのであった。

それからしばらくたったある日のこと、ハラーハーナの夫が倒れてしまった。彼女は、息子を呼んで医者を連れて来るように言った。息子は、あわてて医者の所に駆けていったが、一向に戻らなかった。なんと、息子は、医者に行く途中で倒れてしまったのであった。幼い頃から勉強ばかりしていたので走ることになれていなったこと、日頃の働きすぎで過労気味であったこと、嫁がろくな食事をつくらなかったため栄養不足になっていたことが原因であった。
自分の夫、息子が倒れたことで、ハラーハーナも日頃の疲れが出たのか、ついに寝込んでしまった。後に残ったのは、怠け者の嫁だけであった。

家は荒れた。ハラーハーナも夫も息子も、十分な食事は得られなかったし、家はほこりが溜まる一方だった。彼女も夫も息子も益々衰弱していった。怠け者の嫁は働かないので、お金はついに底をついてしまった。困り果てた嫁は、お釈迦様に救いを求めにいったのだった。
たまたま、お釈迦様はハラーハーナの家の近くのマンゴー園に滞在していた。話を聞いて、お釈迦様は、
「わかりました。それはお困りでしょう。弟子を少し手伝いにやらせましょう。それと、ここのマンゴーを持っていくとよいでしょう。それから、あなた、私の弟子に掃除の仕方を教えてもらいなさい。それと、明日から、ここのマンゴー園で働くように。いいですか、忘れずに明日の朝、ここに来るのですよ。」
と嫁に告げ、数人の弟子とともに、家に帰らせたのだった。

お釈迦様の弟子に掃除の仕方を教えられた嫁は、毎日少しずつではあるが、掃除をするようになった。また、早朝とはいかなかったが、毎日マンゴー園にやってきては、手伝いをするようになった。こうして、賃金を得られるようになった嫁は、栄養のつく食べ物を買ったり、薬を買ったりして、病人の面倒を見るようになった。
やがて、ハラーハーナも、夫も息子も、歩けるくらいまで回復したのであった。

しばらくして、ハラーハーナたちは、お釈迦様のもとを訪れていた。
「このたびは、大変お世話になってしまいました。お釈迦様に、こんな世話になろうとは・・・・。まことに申し訳ないです。」
彼女たち一家は、丁寧に頭を下げた。お釈迦様は、彼女たちにやさしく微笑みかけた。
「まあ、なんにしろ、よく回復しました。しかし、なぜこのようなことになったのか、おわかりですか。」
「いえ、その・・・・。私が悪いんです。働くことばかりに気が行ってました。」
「そうですね。働くことは決して悪いことではありません。しかし、過ぎては何もならないのです。同じように、怠けていてもいけません。休んでばかりでは、生活はできないのですよ。」
嫁が恥ずかしそうに下を向いた。

「あなたたちは、琵琶をご存知ですか」
唐突にお釈迦様は彼女たちに尋ねた。
「あ、はい、楽器の琵琶ですね。知っていますが・・・・。」
「あれは、いい音を奏でますね。あのいい音はどうやって鳴らすのでしょうか。琵琶の糸はどのように張っておけばいいのでしょうか。わかりますか。」
「さぁ・・・。わかりませんが・・・。」
「琵琶でよい音で奏でるには、弦の張り方が大事なのです。弦を張りすぎてはいけません。張りすぎると切れてしまいます。かといって、緩んでもいけません。緩んでいては、透明感のある音がでません。私の言っている意味がわかりますか。
何事も琵琶の弦と同じなのですよ。偏ってはいけないのです。働きすぎてもいけないし、勉強ばかりしていてもいけません。遊んでばかりもいけないし、ゴロゴロ寝てばかりもいけません。好きなことばかりやっていてもいけないし、嫌なことばかりやっていてもいけません。
何事においても過ぎてはいけないのですよ。ちょうどよく、ほどほどに過ごすのがいいのです。適度に働き、適度に休み、適度に遊び、適度に身体を動かす。働けば休む。遊べば働く。勉強すれば運動をする。何事もそうです。
弦を張りすぎて切れてしまったり、緩みすぎて音が鳴らないようではいけないんですよ。」
お釈迦様のその言葉に、ハラーハーナたちは目が覚める思いであった・・・・。


過ぎたるは及ばざるが如し。
日本にはいい言葉がありますね。何事も過ぎてはいけないんですよ。なんでもね。
勉強のしすぎ、働きすぎ、遊びすぎ、食べ過ぎ、飲みすぎ、怠けすぎ、寝すぎ・・・・などなど。世の中、しすぎることは多々あるんじゃないでしょうか。
ついつい、付き合いで飲みすぎる、食べ過ぎる。これはよくあることですね。あの一口が食べ過ぎのもとだった〜、と悔やんでももう遅いですね。あとであわててダイエット・・・なんていう羽目に陥ります。
で、ダイエットを始めると、これがまたやりすぎてしまうんですね。行き着く果ては拒食症?過食症?あるいはリバウンド?
よくある話ですよね。

タバコの吸いすぎは、身体に悪いですね。ストレス解消のためのタバコも身体に毒になっては何にもなりません。吸い過ぎは、あなたの健康を損ないますよ。
働きすぎもいけませんね。しかし、最近じゃあ、サービス残業は当たり前。夜遅くまで働かないと、リストラ対象。嫌な世の中ですよね。せめてお休みの日は、身体も心もゆっくり休ませてあげてください。
スケジュールをぎっしり詰め込んでいる方もいらしゃるようでして。もうちょっと余裕を持たないと、息が詰まっちゃいますよ、と思うんですが、まあ、ぎっしり予定をつめないと不安なのかもしれませんね。たまには「一日休み」という予定を書き込んでもいいと思うのですが・・・・。

勉強のしすぎもよくないですよね。たまには遊ばないとね、社会勉強ができません。逆に遊びすぎもいけませんよ。毎日、夜遅くまでぶらぶらおしゃべりして遊んでいる若者たち、少しは働くとか、勉強するとかしないとね。遊んでいては世の中、生きていけませんからね。パラサイトじゃあ、生活はいずれ破綻しますからね。

人間なんでも、ほどよくバランスをとって生きていかないと、息が詰まってしまいますよ。お釈迦様だって、弟子たちに
「修行のしすぎはよくない。たまには緩めることも必要だ。」
とおっしゃってますからね。何でも過ぎてはいけないんです。バランスよく、適度に適度に・・・、が大切なんですよ。
そうは言っても、なかなか思うようにはできませんよね。でも、バランスよく、適度に過ごす、ということを頭の隅にでも入れていけば、何かのとき、思い出すでしょ。思い出せれば、
「あぁ、飲みすぎはいけないな」とか「食べ過ぎないように」、「少しは休むか・・・」
と、切り替えがきくのではないでしょうか。

頑張りすぎず、欲を出しすぎず、背伸びしすぎず、ほどほどに。もうちょっと、というところで手を引っ込める。そんな生き方もいいんじゃないでしょうかねぇ。それが心の余裕にもなると思うのですが・・・・。
合掌。



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