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第37回 真実の言葉は、耳に届きがたく、 受け入れにくいものである。 |
一人の青年を連れた両親がお釈迦様の前に座って、話を聞いていた。 「自分の思うままに、欲望に従い、好き勝手に生きることも一つの生き方かもしれない。しかし、そこからは何も生まれないでしょう。少しは、将来のことを考え、安定した職業に就いたほうがいいのではないかな。いつまでも、遊んでばかりで暮らしていては、生活自体成り立たないでしょう。親もいつまでも生きているわけではないし、誰もあなたの面倒を見てくれるわけではないのですよ。いずれ、自分ひとりで生きていかねばならないのです。少しは、辛抱して、耐え忍んで働くことを覚えなさい。そのことをよく考えることです。」 お釈迦様は、優しい口調ではあったが、その言葉には厳しさが含まれていた。 その青年は、名前をターダーイといった。ターダーイは、毎日仕事にも就かず、ふらふらと遊んでばかりいた。知り合いの紹介や、飛び込みで働いたことはあったのだが、ちょっと注意されたり、少し面倒なことを頼まれると、働くのが嫌になってしまうのだった。毎回この繰り返しで、そのうちに働くことをやめてしまった。 かといって、悪い仲間と一緒になって、金を奪ったり、物を盗んだりはしなかった。ただ、両親にお金をせびり、あるいは、家から勝手にお金になるものを持ち出して換金し、それで日々遊んで暮らしていたのだ。 そんな状態であるから、街の安全を守る兵士につかまるわけでもないし、街から鼻つまみ者になることもなかった。ただ、近所のものは、「親の教育が悪いから、あんな子供になってしまったんだ」とか「親は働き者でいい人なのにね、どこでどう狂ったのか・・・・」と噂しあっていたのであった。 ターダーイの両親は、彼によく注意をしていた。根気よく、ターダーイを指導していたのだ。母親は、いわゆる小うるさい、というタイプではなく、穏やかに諭すように話をするタイプであった。また、父親も、ターダーイによく話をしていた。将来のこと、自分でできること、少しは我慢しなきゃいけないこと、社会は甘くないこと・・・・。感情的にならず、やさしく、或いは力強く諭してしたのだった。 しかし、ターダーイは聞かなかった。親の前ではおとなしくして、話を聞いているかのような態度をしていたのだが、その実、親の言葉は耳には届いていなかったのである。 彼の友人の中には、 「お前、働かなくていいのか。臨時雇いがあるぞ。短期間だし、一緒に行かないか?。」 と誘うものがいたのだが、それには耳を貸さず、 「あぁ、そのうちにな。今回は、いいや。それよりも、新しくできた遊技場にいかないか。女の子もいっぱいいて、昼間から遊べるらしいぞ。」 と答えていた。友人もこれにはあきれていた。 「お前の頭の中は、いつも遊びのことばかりだな。他に考えることはないのか?。」 「あぁ? いいんじゃないのか。遊べるうちは遊んでおいたほうがいいだろ。俺だって、そのうちに働くよ。」 いつもこのようなことの繰り返しだったのだ。 ターダーイの両親は、散々悩んだ挙句、お釈迦様のもとにターダーイを連れていったのである。お釈迦様は、優しく、厳しく、ターダーイに話をした。しかし・・・・。 しかし、ターダーイの生活態度は変わることはなかった。彼の頭の中は、いつも遊びのこと、楽しいこと、新しいこと、異性との会話、快楽・・・・そうしたことで占められていたのだった。 彼の生活は変わらなかった。 やがて、ターダーイの両親は、相次いで亡くなった。ターダーイは困り果てていた。お金のあるうちはよかった。食事も着るものも買えば済むことだ。しかし、限界はある。ターダーイは、家も売り払い、換金できるものはすべてお金に換えた。そして、やがてそれはなくなってしまったのだ。当然の話である。働きもせず、親の財産を食いつぶしていたのだから。 ターダーイは、働こうともした。しかし、今まで働いていなったために、耐えることを知らないターダーイにとって、働くことは苦痛以外の何者でもなかったのだ。結局はブラブラする生活であった。毎日、毎日、何もせず、ただ無為に過ごすターダーイであった。 ガリガリにやせ細ったターダーイは、ついに倒れてしまった。薄れ行く意識の中で、彼はつぶやいていた。 「あぁ・・・・・。あの時、お釈迦様の言葉を信じて、聞いていればよかった。そうすれば、こんなことには・・・・。」 と。 何日かが過ぎた頃、ターダーイの餓死した遺体が発見された。その遺体をみて、人々は噂しあった。 「お釈迦様の真実の言葉でさえも、この男には届かなかったんだな。哀れなもんだ。」 「お釈迦様の言うことを聞いていりゃあ助かったものを。」 「いやいや、真実の言葉ほど受け入れられないものさ。どんなときも、誰でもそうだよ。真実の、本当に正しい判断に基づいた言葉ほど、届きにくいものはないんだよ。」 「そうだよなあ。うそやおべっか、下心で塗り固められた言葉ほど、耳に心地よい言葉はないからな。」 「そうそう。誰が本当に自分のために言葉を掛けてくれるか・・・・。それが大事なんだよ。その人の言葉のみを信じることが大切なんだよな。」 と・・・・。まことに真実の言葉は、耳に届きにくく、受け入れがたいものである・・・。 欲に基づいた言葉ほど、耳に心地よいものです。甘い誘いは、気持ちよく耳に入ってきますし、明るい楽しげな景色は、生き生きと眼に飛び込んできます。楽しく、心地よいことは経験したくなるものです。自分にとっていい事を見たいし、聞きたいし、経験したいものなのです。 逆に、辛い誘いは無視したいし、嫌なことは遠ざけたいし、疲れることは経験したくありません。自分にとって不都合なことは見たくないし、聞きたくないし、経験したくないものなのです。 たとえ、それが真実であっても・・・・・。 多くの場合、真実の事ほど理解されにくく、信じられないものはないのではないでしょうか。それは聞く側にとって、耳に痛いことであろうし、実行するには辛さを伴うことだからでしょう。だから、人は真実の言葉を遠ざけようとするのです。 で、甘い言葉をささやくものの言うこと、、ゴマスリの言葉を述べるものの言うこと、、いいことばかりで飾られた言葉を受け入れるのでしょう。声高に真実を叫んでいる者を無視して。 初めのうちは、その甘い言葉でもうまく行くかも知れません。しかし、そんなメッキのような言葉は、やがてボロが出るものです。結局は、うまく行かなかったり、何も進歩がない・・・・ということになってしまいます。 ところが、真実の言葉は、その言葉を聞いたときは受け入れがたいものであるでしょうし、にわかには、信じられないことであるかも知れません。また、その言葉に従っても、すぐには結果が現れないこともあるでしょうし、つらい日々が続くこともあるかも知れません。 しかし、真実の言葉は、やはり真実なのです。やがて、人はそれが真実であることを知るのです。そして、真実の言葉に従ったものは、 「あぁ、よかった。あの時、言うことを聞いておいて。本当に助かった。」 と喜ぶことでしょう。逆に、真実の言葉に従わなかったものは、つぶやくんですね。 「あぁ、あの時、言われた通りにしていればよかった。そうすれば、こんなことにはならなかったのに・・・。」 と・・・・・。 そうならないように、誰が本当に自分のために言葉を掛けてくれるか、をよく考え、その人の言葉のみを信じることが大切なんですね。 自分にとって従い難い、嫌な言葉でも、それが自分にとっていいことであるなら、素直に聞いておきたいものです。合掌。 |
第38回 意地を張り合っていても、何も解決しない。 お互いに、折れる気持ちが必要なのだ。 |
バイシャリー国に、大変仲のよい二人の青年がいた。名前をコーカラとパーリカといった。二人は、子供の頃から仲がよく、お互いに励ましあって、成長していった。 二人は大人になってから、一緒に商売を始めることにした。仲もよかったし、お互いに頭もよく、尊敬しあっていたので、商売はうまくいっていた。街では、コーカラとパーリカの店は評判よく、大層繁盛していた。 そんなある日のこと。あれほど仲よかった二人が、ケンカを始めたのである。 「なんで俺の言うとおりにしないんだ。いったいどうしたというんだ。」 「なんで、お前のいうことを聞かなきゃいけないんだ。俺の方針のほうが正しいだろ。」 「何を言ってるんだ。今までだって、俺の言うことを中心にやってきたから、ここまで成功できたんだろ。俺の方針が正しかったからだろ。」 「よく言うよ。お前の言うとおりにしてきたら、今頃店はつぶれているね。俺のやり方がよかったから、うまくいってるんじゃないか。世間でも、パーリカでこの店は持ってる、て言われてるぜ。お前の名前なんて出てきやしない。」 「とんでもない。コーカラの働きがいいから、この店は大きくなった、といわれてるんだ。お前の名前こそ出てこないよ。」 「なんだと。」 「なんだよ。」 「よし、そこまでいうのなら、独立して商売しようじゃないか。そうすれば、俺が正しいか、お前が正しいかわかるからな。」 「いいとも。そうしようじゃないか。あとで泣きを見ても知らないからな。助けてくれって泣きついてきても、俺は知らないぞ。」 「あっはっは。それはお前だろ。じゃあ、そういうことで、これからは別々で商売しようじゃないか。」 二人の仲は簡単に壊れてしまったのだった。 こうして二人は、それまで経営していた店を売り払い、今まで貯めていた財産とあわせて、すべて半分にして分け合った。そして、お互いに半分のお金を持って、別の街へと移っていったのであった。 それから、数年の歳月が過ぎていった。 コーカラの商売もパーリカの商売も全くうまくいっていなかった。二人で商売していたときのように、繁盛していなかったのである。 「はぁ・・・。また赤字か・・・・。うまく行かないもんだな。どうすればいいのか。これでは、生活もままならない・・・・。こんなとき、パーリカならどうしたろうか・・・。いいや、いかんいかん。弱気になっちゃいかん。あんなヤツに力を借りるくらいなら、死んだほうがましだ。・・・・・・それにしても、パーリカはうまくやっているだろうか・・・・。ふん、そんなことあるわけないよな。俺の力が無いんじゃ、うまく行くわけが無い。ばかめ。そのうち泣きついてくるに違いない。あははは・・・」 力の無い笑い声が、むなしく響くのであった。 一方、パーリカも嘆いていた。 「あぁ、あの時、早まったことをしなければよかったな。あれ以来、ちっともいいことが無い。商売もうまく行かないし・・・・・。コーカラはどうしているだろうか。いやいや、アイツのことなんぞ、どうでもいいや。何も俺のほうから、近付く必要はないのだからな。ま、向こうから謝ってくるのなら、話は別だけどな・・・・。きっと、アイツだってうまく行ってるわけはないしな・・・。」 そんなある日、たまたまバイシャリーの街で二人は出会ったのであった。 「なんだ、パーリカか。どうしたんだ、やつれてるんじゃないのか?。」 「そういうお前は、コーカラか。随分みすぼらしいんで、気がつかなかったよ。」 「な、なんだと。みすぼらしいのは、お前のほうだろ。相変わらず失礼なヤツだ。そんなんだから、商売もうまく行かないんだよ。」 「うまく行っていないのは、コーカラ、お前のほうだろ。俺はちゃんと商売してるさ。」 「ふん、俺だって、うまくやってるよ。じゃあな。今度あった時は、お前は驚くだろうな。いや、助けてくださいと、懇願するだろうな。あっはっはっは〜。」 「はっ、お得意の負け惜しみか。空威張りは虚しいだけだぞ。本当にうまく行っているものは、そうそう威張ったりしないものさ。謙虚なんだよ。」 「ふん、なんとでもいいやがれ。愚か者め。いいか、泣きついてくるなよ。」 「その言葉、そっくり返してやるよ。」 こうして二人は、折角出合ったにもかかわらず、ケンカ別れをしたのであった。 それから数年の歳月が流れた。コーカラとパーリカは、それこそ見る影もなくなっていた。二人とも商売はうまく行かず、家族とも別れ、一人寂しく別々の河原で暮らしていたのだった。 ある日のこと、大雨があって、一つの川が氾濫をおこした。そこの河原に住んでいたコーカラは仕方がなく別の川に移動したのだった。するとそこに、見たことがあるものがいた。よく見ると、それはパーリカであった。 「お、お前、パーリカか・・・。何でこんなところに・・・。あぁそうか。商売で失敗したな。」 「そういうお前は・・・・。コ、コーカラか。お前も失敗したのか。何と言うことだ・・・。」 「俺たちは、どうやら大ばかだったようだな。」 「あぁ、そのようだ。変な意地張ったばっかりに・・・・。大事なものをみんな失った。」 「その通りだ。こんなんになって、初めてわかったよ。俺たちは、二人で一つだったんだ。どっちが優れてるとか、どっちが才能がある、とかいう問題じゃなかったんだな。」 「あぁ、そういうことだな。そんなことに気がつかなかったとは・・・・。否、気付いてはいたんだよ。もうずっと前にな。しかし・・・。」 「つまらん意地を張っていた・・・・だろ。」 「あぁ、そうだ。なんだ、お前も気付いていたのか。」 「気付いていたさ。ずうっと前にな。」 「なぁ、どうするよ、この先。お前、あてはあるのか?。」 「いいや、ない。こうやって、日頃、ぶらぶらしてる毎日だよ。」 「なぁ、もう一度やり直さないか。否、商売をやろうというんじゃない。お釈迦様のもとにいって、二人で修行しないか、といってるんだ。」 「修行?。お釈迦様のもとへいってか?。」 「あぁ、そうだ。別に一人で行ってもよかったんだが・・・。なんだか心細くてな。お前と二人なら、力強いかな・・・と。」 「なんだ、一人じゃ何にもできないんだな、お前は。俺と同じじゃないか。わかった、一緒に行こう。で、人々に意地の張り合いは惨めになるだけだ、ということを教えていこうじゃないか。」 「あぁ、それがいい。折れることを知らないと、妥協を知らないと、俺たちのようになるってな・・・・。」 「こうしてここにやってきて、私の弟子になったのがこの二人、コーカラとパーリカなのだよ。彼らは、意地の張り合いがどんなに馬鹿げているかを、よく知っている。あなたたち夫婦のように意地を張ってケンカばかりしているものは、二人の話をよく聞くがよい。さぁ、コーカラとパーリカ、意地を張り合うことの愚かさをこの夫婦に教えてやるがいい。」 お釈迦様はそういうと、コーカラとパーリカに微笑みかけたのであった。 意地を張り合っても、いいことはちっともありません。お互いに損をするだけです。どちらかが、或いは両方が、折れることを知らなければ、いつまでたっても丸くは収まらないでしょう。 で、結局、望んでもいない方向に進んでいってしまうのです。 ある運動競技団体が二つに分裂してもめているため、その競技の選手がオリンピックに出られないかも・・・という騒ぎがありましたよね。覚えてますか?。その選手は救済処置によって、オリンピックに出られることになりましたが、まったく大人気ない話ですよね。 選手とは関係の無いところで、いい年をした「オッサンVSオッサン」の意地の張り合いでしょ。片方がちょっと大人になって、「選手のために、私が引き下がります」と一言いえば、収まるものなんですがねぇ。何が邪魔をしているのか。大の大人の意地の張り合いなんて、みっともないだけなんですが・・・。 友人の間でも、夫婦の間でもそうでしょ。お互い素直になればいいものを、妙に意地を張ってしまうんですよね。で、こじれてしまう。まあ、何でもいいから、とりあえず謝っちゃえばいいものを 「私は悪くないもん」 「俺は悪くない。お前が悪い。」 な〜んて意地張って、言い合っているから、だんだんあらぬ方向に話が進んでいったりするんですよね。 「絶好よ。二度としゃべらないから。」 「もうお別れよ。あんたなんかさよならだわ。」 「もう、お前とはやっていけない。お前みたいな意地っ張りはごめんだ。」 なんてことに、なっちゃうんですよね。 意地を張るのも程度の問題でしょう。ころあいを見て、矛を収めるようにしないと、失うものは大きいですよ。 意地を張って、できもしないことに、いつまでもしがみ付いているのも惨めなものです。そこそこで手を引くことも大事なんじゃないかと思いますよ。手を引くことが真の選択・・・ということだってあるのですから。意地だけじゃあ、うまく行かないことって、世の中いっぱいありますからね。 意地を持つことは結構なことです。まったく意地が無い、ヘロヘロよりもね。少しは意地ってモノがないといけません。しかし、意地っ張りもよくはありません。意地を通したところで、残るのは虚しさだけでしょう。ころあいを見て、折れることをしないと、妥協をしないと、結局は失うことになるのですから。 意地を張るなら、いつ折れるかをよく考えておくことです。でないと、大事なものを失うことになりますよ。合掌。 |
第39回 誰かがそれをしてくれるだろう、助けてくれるだろう。 そういう期待はしないほうがよい。 あては外れるものだから。 |
お釈迦様が竹林精舎にいらしたときのことである。ハァハァ息を切らしながら駆け込んできた老婦人がいた。 「お、お釈迦様、ち、ちょっと聞いてください。お、お釈迦様〜。」 お釈迦様の弟子たちは、びっくりしてその老婦人を止めたのだった。 「ちょっと、やめて下さいな。あたしゃ、お釈迦様に用事があるんだよ。お釈迦様〜、聞いてくださ〜い。」 「まあ、よい、そのご婦人をここへ・・・。」 お釈迦様は、笑顔で答えた。 「あ、ありがとうございます。どうぞ、どうぞ、私の話を聞いてくださいまし。」 「えぇ、どうぞ。さぁ、お話ください。」 「もう、今日という今日は、我慢がならないんです。うちの嫁と来たら、本当に気がつかなくって。もう腹が立って腹が立って。あんな嫁もらうんじゃなかった。私が出かけたときに、雨が降ってきたんですよ。でね、洗濯物を家の中に入れてくれりゃあいいのに、あの嫁と来たら、知らん振りしてたんですよ。おかげで洗濯物はびしょびしょ。まったく、あの嫁と来たら、気付かないんだから。それにね、夕食の準備だってそう。放っておくと、いつまでもやらない。いい加減、気付きゃいいのに。あの嫁は、な〜んにも気付かないんですよ。私が言うまで、な〜んにもやらない。あの嫁は、もう追い出すしかないでしょ?。そうですよね、お釈迦様。それなのに、私の旦那も息子も、まあいいじゃないか、というばかり。どうしたらいいでしょうか。ねぇ、お釈迦様、あたしゃ、どうしたらいいんでしょうか。」 その時だった。また、一人お釈迦様の元に駆け込んできた若い男がいた。弟子たちは、もう止めることなく、お釈迦様の前に案内した。 「お釈迦様、聞いてください。もう、なんとも腹が立って仕方がないんですよ。誰も私を助けてくれないんです。家族なんて冷たいものですね。手伝ってくれたっていいのに・・・。聞いてくださいよ。私がね、仕事を探しにいってる間に、部屋の掃除くらいしてくれればいいじゃないですか。今は、無職なんだから、少しくらい小遣いをくれたっていいじゃないですか。そう思いませんか。それなのに、冷たいもんですよ。誰も助けてくれないんだから。全部自分でしろ!としか言わないんですよ。」 その話を聞いていた老婦人が口を挟んできた。 「あんた、仕事してないのかね。」 「へ? あぁ、まあ。今探してるんですよ。」 「そんなら、暇があるでしょう。暇があるんあなら、自分ですりゃいいじゃない、それくらい。それにね、何で、小遣いまでやる必要があるの。何でもいいから仕事すりゃあいいでしょ。」 「そ、そんなこと言ったって・・・。」 「人をあてにするからいけないんだよ。人なんてあてにならないさ。あんた、若いんだから、自分で何でもしなさいよ。そんなの当然でしょ。ねぇ、お釈迦様。」 その言葉を聞いて、微笑みながら、老婦人に聞いた。 「人はあてになりませんか?。」 「あてにならないですよ。そういうもんです。やっぱりね、変に期待しないほうがいいですね。誰かが助けてくれるだろう、なんて思わないほうがいいですよ。私の経験からすると、そう思いますよ。」 「じゃあ、あなたの家のお嫁さんも、あてにはできないですよね。」 「へ?・・・・。」 老婦人は怪訝な顔をした。 お釈迦様は、言葉を続けた。 「誰かが私を助けてくれるだろう、誰かがそれをやっておいてくれるだろう、と期待するのはやめたほうがいいでしょう。ご婦人よ、あなたはそれをよくわかっていらっしゃるじゃないですか。長年の経験からね。期待して、あてが外れるとがっくりしますよね。で、次に腹が立ってくる。そうじゃないですか。」 「そうですそうです。その通りです。がっくりして、腹が立ってくるんですよ。」 「そういうことの繰り返し・・・・ですよね。」 「そうなんですよ。何度注意しても直らないし・・・・。だから、腹が立って、仕方がないんですよ。まったくむかつく。本当に、人なんてあてにできない!。」 「そこまでわかっているなら、なぜお嫁さんに期待するのですか?。」 「うっ・・・。そ、それは・・・。」 「人はあてにできないんでしょ。そのことをあなたはよくご存知だ。なのに、なぜお嫁さんをあてにするのですか?。」 老婦人は黙り込んでしまった。 「若者よ。人はあてにはできないものです。家族といえでも、あてにはできないものです。それはなぜだかわかりますか。」 「いえ、わかりません・・・。」 「人はね、それぞれにやることがあるんですよ。それで手一杯の人もいる。他人のことまで気がいかないのです。そういうものなんですよ。自分のことのほうが大事ですからね。あなただって、自分のことを優先して、家族の助けをすることはないでしょう。進んで手伝ったりしますか?。」 「いや、しません・・・。」 お釈迦様は、二人だけでなく、弟子たちのほうも見回してから言った。 「お二人ともよく聞いてください。弟子たちよ、あなたたちもよく聞くがよい。 あてにしたり、期待したりして、それが外れると、がっくりします。腹が立ちます。その腹が立つのがいやだ、と思うのなら、初めから期待しないことです。あてにしないことです。自分以外のものをあてにしないほうがいいのです。 何かやって欲しいと思うのなら、よく頼んでおくことです。忘れないように頼んでおくことです。それで忘れられたならば、注意すればいいでしょう。引き受けたことを忘れるのは、これはよくありませんからね。しかし、頼んでもいないことを、勝手に『やってくれるだろう』と期待し、それが外れると怒るのは、筋が通っていないことです。このような間違いはよくあることです。私の弟子たちの間でも、たまにあることです。」 弟子たちは、お互いを見て、恥ずかしそうに下を向いてしまった。 「このような間違いは、誰にでも、いつでもよくあることです。しかし、怒られる側にとっては、その怒りは理不尽なものとしか取られないでしょう。で、ケンカになってしまう。そんなことでケンカをするのは、つまらないことでしょう。このような間違いを避けるには、初めから期待しないことです。勝手な思い込みで期待しないことです。やって欲しいことは頼んでおくべきでしょう。」 老婦人が、お釈迦様に頭を下げながら言った。 「ありがとうございます。私が間違っていたんですね。人はあてにならない、と普段言っているのに、自分のこととなると、ついつい忘れるものなんですね。よくわかりました。嫁には、これからは頼んでおくようにします。」 若者も反省しているようであった。そして、弟子たちも、お釈迦様の言葉を胸に刻み込んでいるようであった・・・。 このような話は、よくあることですよね。家族の間では特にあるんじゃないでしょうか。 「やっておいてくれればいいのに。」 「助けてくれたっていいじゃない。」 「それぐらい、言われなくてもやっておいてくれればいいでしょ。」 などなど・・・。 人は、勝手に他人に期待して、その期待が外れると、勝手に腹を立てているものなんです。 特に、男女の間では、このような期待はずれが多いのではないでしょう。特に女性側ですかねぇ・・・。私が思うには。 これはどうも女性の癖のようなものなのでしょうか。 「気付いてくれると思ったのに。」 「そんなこと、言われなくたってわかることでしょ!。」 「あんたって、ホントに人も気持ちがわからないのね。最低よ。」 (いや、私がこのような言葉を過去に言われ続けたわけじゃないですよ。誤解のないように・・・・。) こういう言葉を浴びせかけられた男性は、たいてい戸惑うのです。 「なんで、怒ってるの・・・・?。」 と。 そのような場合、両者の話を聞いていると、たいていの場合は、女性が勝手に「そうしてくれるもの」と思い込んでいる場合が多いんですよ。「それぐらい気付いて当然よ」というような・・・・。 男の側からすれば、「そんなこと言ってくれなきゃ、わかんないよ」となるんですね。「勝手に思い込んで、勝手に怒るなよ・・・。」とね。 これってよくある「すれ違い」ですよね。軽いうちはいいのですが、それが積み重なってくると、すれ違いが大きくなり、いずれケンカ別れ・・・・・、となってしまいます。 いい加減、女性も学習すればいいのに、男性が変わると、また勝手な期待をしてしまうんですよ。で、またまたすれ違い、ケンカし、別れが・・・・。 もちろん、別れる時の原因はそれだけではありませんけどね。 嫁・姑の間でもそうですよね。お互いに「やっておいてくれればいいのに」、「それくらい気付けばいいのに」と勝手にあてにして、あてが外れると勝手に怒っている。 初めから期待したり、あてにしたりしなきゃいいのにね。勝手に期待して、そうしてくれると思い込んでおいて、そうならないと 「うちの嫁ときたら、全く気付かないんだから。」 「姑ってホントに意地悪。少しくらい手伝ってくれてもいいのに。」 となっちゃうんですね。 傍から見てると、なんと愚かしいことか・・・と思いますよ。 他人なんてあてにはなりません。家族であっても、彼女であっても、夫婦であっても、勝手に期待しちゃいけません。思い込みであてにしちゃいけません。そういう期待やあては、まず外れるものですから。 期待やあてが外れると、腹が立ってくるものです。で、揉め事に発展してしまうんです。小さな勝手な思い込みが、大きな揉め事へと繋がっていくんですよ。 勝手に期待はしないように。勝手にあてにしないように。そうすれば、何にも腹が立たないですからね。昔の人はいい事を言いました。 「あてこととふんどしは、前から外れる」 あてにしたことは、外れるのが相場なようで・・・・。合掌。 |
第40回 無駄な命、無駄な人生などない。 あなたには、あなたの役割がある。 あなたは、あなたにできることをするために、生まれたのだ。 |
「うるせ〜な。ギャーギャーうるさいんだよ。うっとうしいんだよ。俺のことは放っておいてくれ。うるせークソババア!。」 「お前、そんなこと言わないでおくれ。・・・・どこへ行くんだい。また、遊びに行くのかい。いい加減、働いておくれよ。昔はこんな子じゃなかったのに。こんなはずじゃなかったのに・・・。」 「どけよ、邪魔すんなよ。まったく、うるせーんだよ。俺だって、生んでくれって頼んだわけじゃねぇ。てめーらが勝手に産んだんだろーが。俺の責任じゃねぇよ。産んだてめーらが悪いんだ。産んだ以上、責任取れよ。さぁ、金くれよ。金だよ。」 「お前に渡すお金なんてないよ。もう、どこへでも行っておくれ。」 「なんだと、クソババア。わかったよ、こんな家、出てってやる。」 そう言うと、その若者は、母親を突き飛ばして、外へ出ていってしまった。彼は、外に出たところで、隣の家に住む幼馴染みのマーナバータに出会った。 「どけよ、マーナーバータ。」 「また、お母さんとケンカしたんだね、いい加減にしたほうがいいよ、ダンマデーバ。君も働いたらどうなの。そんないい身体をもてるんだから。働くことはいいことだよ。」 「う、うるせーよ。俺のことは放っておいてくれよ。じゃあな。」 そういうと、ダンマデーバは、マーナーバータを押しのけてどこかへ走って行ってしまった。 ダンマデーバとマーナーバータは、幼馴染みであった。年も同じで、幼い頃からよく遊んだ仲だ。マーナーバータは、生まれつき手足に障害があった。そのため、小さな頃はよくイジメられていた。そんなマーナーバータを身体つきのしっかりしたダンマデーバは、よくかばっていたのだ。それがいつの頃からか、ダンマデーバは日に日に生活が乱れていってしまった。 一方、マーナーバータは、成長するにつれ、早くから自分で仕事をするようになった。不自由な手足を懸命に動かし、ぞうりや靴を作って商品にしていたのだ。人々は、そんな二人を見比べて、マーナーバータを褒め称え、ダンマデーバの悪口を言っていたのだった。 ある日のこと、竹林精舎の近くの家に靴を届けたマーナーバータは、悪い仲間とたむろしているダンマデーバを見つけた。 「ダンマデーバ、何をしてるんだ。昼間からぶらぶらしないほうがいいよ。さぁ、帰ろうよ。」 マーナーバータが、そう声を掛けると、他の連中がマーナーバータをにらみつけて言った。 「なんだ、お前は、うるせーんだよ。あっちへいけ。変な格好でよ。お前、手と足どうしたんだ。あ〜っはっはっは。お前なんか、役にたたねぇだろ。さっさと行け。」 この言葉にマーナーバータは、頭を殴られたような気分になってしまった。マーナーバータは、悲しくなり、動けなくなってしまった。 「早く行けよ。役立たず。お前なんて、生まれてこないほうがよかったんじゃねぇか。は〜っはっは。」 「やめろよ。こいつは、昔からの友達なんだ。それに、こいつはちゃんと働いてる。俺たちより立派だよ。」 ダンマデーバがマーナーバータをかばった。その言葉に他の連中が怒り出した。 「なんだと、こいつが俺たちより立派だと。くだらねぇことをいうな。おい、みんな、やっちまおうぜ。」 そのときであった。若者の後ろから声を掛けるものがいた。 「やめなさい。命は大切にしなければいけない。」 それは、托鉢から帰ってきたお釈迦様であった。 「あなたたちは、まず怒りを鎮めなさい。そして、私の話を聞く耳を持っているのなら、私についてくるがいい。」 そう、お釈迦様はいうと、若者の間を通り抜けて竹林精舎のほうへと歩き出した。 「ふん、俺は説教なんてごめんだ。」 といって、走り去ったものが何人かいたが、ダンマデーバやマーナーバータとともに、お釈迦様の後についていったものも何人かいた。 竹林精舎に着くと、お釈迦様は、その若者たちの前に座って語り始めた。 「若者よ、なぜあなたたちは、命を無駄にするのか。そんなにいい身体に恵まれているのに。ダンマデーバよ、あなたはマーナーバータをどう思うか。」 そう尋ねられたダンマデーバは、うつむきながら、ボソボソと答えた。 「すごいヤツだと思ってます。立派だと・・・・。お、俺にはとてもじゃないが、まねできない。マーナーバータが、不自由な手足で一生懸命、明るく働いているのを見てると、俺が貧弱に見えてくる。俺って、ダメなヤツだと。いっそのこと、マーナーバータに俺の身体をあげたほうがいいんじゃないかとさえ思う。俺なんて生まれてこなきゃよかったと・・・・。俺なんて、世の中のゴミだと・・・。俺は何にもできない、単なる役立たずで、無駄飯ぐらいで・・・・。俺なんていないほうがいいんだ・・・。」 「そ、そんなことはないよ。ダンマデーバだってやればできるさ。そんなにいい身体を持っているじゃないか。生まれてこなければよかったのは僕のほうだ。みんなに迷惑をかけながらしか生きていけないんだもの。生まれないほうがよかったのは、僕のほうだよ。」 「ちがう、お前は生まれてよかったんだよ。生まれてこないほうがよかったのは、俺たちだ。」 その言葉に、他の若者たちもうなずくのであった。 「みなさんは、この世に生まれてこなければよかった、そう思っているのですか。」 お釈迦様の言葉にそこにいたものは、静かにうなずいた。 「人に生まれてくるのは難しいことです。それはどれくらい難しいかわかりますか?。」 お釈迦様の問いかけに、誰もが首を横に振った。 「大海原に大きな亀が住んでいました。その亀は、一ヶ月に一度、空気を吸うために海面に上がってきます。さて、海面には、大きな板が漂ってます。その板には穴が開いてます。ちょうど、大きな亀の頭が入るくらいの穴です。 この一ヶ月に一度、海面に姿を現す亀が、海面に漂っているその板の穴に、偶然、首を突っ込むのは、難しいことでしょうか。」 「それは、難しいことです。ほとんど無理じゃないでしょうか。」 今度の問いかけには、皆が応じた。 「この世に人として生まれる確率は、亀がその板の穴に首を突っ込む確率と同じなのだよ。」 その言葉に、みんなは驚いた。 「それほど、人間に生まれるのは難しいことなのだよ。」 「そ、そんなに・・・。そんなに難しいことだったのですか・・・・。」 「そう、それぐらい生まれてくることが難しい人間に生まれた以上、無駄な命などないのだよ。そんなに難しい人間に生まれた以上、あなたたちには必ず役割があるのだ。役割があるからこそ、この世に生まれることができたのだよ。」 「役割・・・。こんな俺たちでも・・・・ですか。」 ダンマデーバがつぶやいた。 「マーナーバータなら、それはわかります。マーナーバータは、その役割を果たしているように思います。けど、俺たちのようなダメなものが役割なんて・・・・。」 その言葉に他の若者もうなずいた。しかし、マーナーバータが 「役割はあるさ。ダンマデーバは、そんないい身体を持ってるじゃないか。働けばいいんだよ。」 「しかし・・・。働くといっても・・・。」 「その通りだよ、ダンマデーバ。あなたは力強く働くことが、役割なのだよ。その身体を生かしなさい。橋を作ったり、道路を作ったりするような、そんな仕事をすればいいのだよ。そうして世の中の役にたてばいいのだ。なにも、マーナーバータのまねをする必要ない。自分にあった仕事をすればいいのだよ。無駄な命、無駄な人生などない。あなたは、あなたのできることをすればいいのだ。それがあなたの役割なのだ。なにも、大きなことをする必要はないのだよ。 ほかの者も同じだ。無為に時間を過ごすのではなく、命を生かすように、あなたたちの役割を果たしなさい。そして、マーナーバータよ。」 お釈迦様は、マーナーバータのほうを向いていった。 「あなたはよく努力しています。あなたは、もう立派に役割を果たしています。決して、迷惑などかけていませんよ。だから、生まれてこなければよかったなどと言ってはいけません。」 「僕が役にたってるんですか?。僕は、みんなに迷惑をかけながら、同情で働かさせてもらってるだけですよ。」 「そんなことはない。マーナーバータの姿は、みんなを勇気付けている。それに優しい心を与えている。そうだね、ダンマデーバ。」 そういわれたダンマデーバは、照れくさそうにうなずいた。 「ダンマデーバは、マーナーバータが彼の手を借りずに何でもできるようになるのが、淋しかったのだよ。遠くへ行ってしまうような、そんな気がしていたのだよ。自分だけが取り残されてしまったような気になっていたのだよ。」 「そうだったの?。じゃあ、もっとダンマデーバに厄介になればよかったんだね。」 その言葉に、若者たちは楽しそうに笑ったのであった・・・・。 どんな人間でも、この世に生まれてこなければよかった、ということはありません。この世に生まれてきた以上、だれにもその役割があります。 こんな話があります。生命は、精子と卵子の受精で誕生しますが、生命を誕生させるのは、数多くの精子のかなで一匹(こういう表現でいいのかどうかわかりませんが)だけです。つまり、数多い精子の中でもエリートの精子、ということになります。つまり、誰もがエリートなのだ・・・・と。 これは肉体的なお話です。魂的にはどうでしょう。 お釈迦様が説くように、人としてこの世に生を受けるのは難しいことです。様々な生き物がいる中で、人間として生まれることができる魂は、大変少ないのです。ですから、この世に生まれることができた魂は、実は優秀な魂なのです。 つまり、人間に生まれてきたならば、それは肉体的にも魂的にも、優秀なのです。どんな方でも。 だからこそ、この世で果たす役割があるのです。 ところが、それを意識しないのですね、人は。そこのところに気付いていないんです。誰もが優秀な肉体と魂を持ってきて生まれたのに、うまく使いこなせない方もいるのです。折角授かった命をまったく役にたてないで、自分欲望のみに従って、無為に過ごしてしまう・・・・そんな者もいます。五体満足で生まれているのに、いい身体を持っているのに、何の役にも立てず、悪に走ってしまう・・・・そういう場合もあります。 で、最後にいうセリフが「誰が産んでくれって頼んだんだ。誰も頼んでいないよ。」なんですね。 あるいは、肉体と魂を使いこなしているのに、迷ってしまう方も多いようですね。で、自分は無駄な時間を過ごしているのではないか、世の中に役立っていないのではないか、取り残されているのではないか、と考え込んでしまったりします。 で、いきつくところ「生まれてこなければよかったのではないか。生きていても仕方がないのではないか。」なのです。 この世に生まれた以上、誰もが平等に優秀なのです。不自由な身体であろうとも、五体満足であろうとも、勉強ができなくても、勉強しかできなくても、運動が苦手でも、スポーツだけが得意であっても、人付き合いが下手でも、八方美人でも、ネクラであっても、ノーテンキであっても、容姿端麗でなくても・・・。 そして、誰もが必要とされいるのです。不必要な人間などいません。誰もが、役立っているのです。小さなこと、目立たないことかもしれませんが、役割があるのです。 その役割とは何か・・・。 それは、あなたにできることをする、ということです。「あなたができることをすることそのもの」が、あなたの役割なのです。 だから、あなたは、あなたができることをすればいいのです。深く考える必要はないのです。悩むことはないのです。あなたは、あなたにあった、あなたにできることをすればいいのですから。 無駄な人生、いらない命など、絶対にありません・・・・。合掌。 |
第41回 頭ではわかってるのだが、感情的に受け入れられない。 そういって、人は安楽の道を捨てる。 素直に聞き入れることが大切なのだが・・・。 |
その日、お釈迦様と高弟たちは、コーサラ国の王宮に招かれていた。食事の接待を受けたお釈迦様たちは、口をゆすぎ、手を洗い、身づくろいを整えて、国王をはじめ、そこに集まった王宮の人たちの方を向いた。 「では、お話を致しましょう。今日の話は、国王にとっては、少々耳の痛い話になるかと思います。お聞きになるのが苦痛でしたら、どうぞ途中でお席をお立ちください。」 お釈迦様がそういうと、パセーナディ王はニコニコしながら答えた。 「なにをおっしゃいますか。まあ、お釈迦様のお話は、耳に痛いことばかりですからね。慣れておりますよ。この間のお話も身にこたえました。はっはっは〜。」 「そうですか。では、お話を始めましょう。 私や高弟たちのところには、市井の人々がよく相談に来られます。生き方で迷われている方や、家庭内の問題、仕事の悩み、男女関係の悩みなど、それは様々に渡ります。相談に来られる方も千差万別です。理解力のある方から、なかなか理解してはいただけない方まで、これも様々です。ですが、私たちは、その方に合わせて、なるべくわかりやすいようにお話をし、その方が最も安楽になる道を指し示すのです。この宮廷でのお話でもそうです。多くの人を前に話をするときは、皆さんの理解を確認しながらお話いたします。ですから、皆さん、私たちの話を理解されてることでしょう。」 お釈迦様は、そういうと話を聞きに集った人々の顔をゆっくりと見回した。そして、皆が理解しているのを確認し、話の続きを始めたのであった。 「ところが、話を理解していることと、それを実行に移すことは別問題です。これは、相談に来られた方が、最もよく口にする言葉です。 『確かにおっしゃるとおりだと思います。お釈迦様の言われること、お弟子様の言われることは正しいことであり、間違いはないでしょう。それは理解できます。しかし、実際に実行しようと思うと、どうしても感情が許さないのです。お釈迦様やお弟子さんたちのおっしゃる通りには実行できないのです。』 このように訴える方が大変多いのです。」 「それはひどい話ですな。お釈迦様の元に相談に行っておいて、お釈迦様の話が受け入れられないとは・・・。何たる不心得な者か。そういう者は、初めから相談などしなければいいのだ。」 パセーナディ王は、少々憤慨して言った。 「いやいや、人間というものは、得てしてそういうものなのですよ。自分の気に入らぬことを言われると、それがいくら正しいことであっても、受け入れられないことが多いのです。先日もこんな方がいました。」 お釈迦様は、そういうと遠くを見るような眼をした。 「相談に来られた方は若い女性でした。その方は、かつて医術を学んでいる方とお付き合いをしていました。しかし、身分の違いもありますし、また、優秀な学生でしたので、その女性と別れて自分の師が勧める女性と付き合うことにしたのです。やがて、その二人は結婚をされたそうです。誰からも祝福される結婚でした。」 「ほう、ということは、その相談に来られた女性は、捨てられたのですな?。」 パセーナディ王が口を挟んだ。 「いえ、そうではなかったのです。相談に来られた女性も、身分の違いもありましたし、何よりも自分と付き合うより、彼にとっては将来が明るいであろう、と納得して別れたのです。」 「では、問題はない・・・・のではないですか。」 「そう思われたのは、つかの間のことです。納得したつもりだったその女性は、納得していなかったのです。彼の婚礼の日が迫ってくると、次第に落ち着かなくなっていったのです。もう一度、彼と会いたい、付き合いをしたい・・・と思うようになってしまったのです。そして、私のもとを訪れました。このままでは、二人の前に名乗り出てしまうと・・・・。」 「ほほう・・・。それは・・・。そうなれば、大問題ですな。」 「その通りです。二人の前に姿を見せたい、できれば、自分が婚礼の相手でありたい・・・。その思いに執着してしまったのです。 それは間違った思いです。私は、それは縁がない相手なのだから、いくら無理を言っても結ばれることはない、あなたには他にあった人がいるのだ、ということを懇々と説きました。その女性は、自分にも未来があるのだと納得し、過去は捨て去り、未来に向けて再出発することを誓ったのです。そう、明るい顔をして、その女性は帰りました。ところが・・・。」 「ところが、その医学生が結婚をして何ヶ月か過ぎた後のこと、その医学生は、ある場所で女性に刺されて大怪我をしたのです。彼を刺したのは、相談に来た、かつて医学生が付き合いをしていた、あの女性でした。その女性は、捕縛されたあと、私の弟子とお話をしました。その時、こう言ったそうです。 『お釈迦様の話は、なるほどその通りです。私にも未来はあるのでしょう。だけど、どうしても忘れられなかったのです。頭ではお釈迦様の言うことは理解できるのですが、どうしても守れない・・・・。それで、こんなことになってしまいました。あの時、お釈迦様のおっしゃる通りにしていれば、安楽の道を得られたものを・・・・。』と。 悲しいことに、大変な罪を犯してしまってから気付いたのです。」 「ふむ・・・。それは愚かしいことですな。お釈迦様のおっしゃる通りにしていれば、何の不幸もないのは明白なのに。それはその女性が悪いですな。」 パセーナディ王のその言葉を聞いて、お釈迦様は、やや厳しい顔をされた。 「そうですね。国王のおっしゃる通りでしょう。あの時、私の意見を聞いていれば、罪を犯すことはなかったのですから・・・。ところで、国王様、先日ご忠告申し上げたこと、ご理解いただいておりますね。」 「先日・・・・。あぁ、も、もちろん、理解していますよ。それはもう・・・。しかし・・・。」 パセーナディ王の顔色が急に青くなった。 「ならばよろしいのですが。見たところ、少しもお痩せになっていないようですが。食事は大切ですが、取りすぎるのはよくありません。健康のためにも、徳を得るためにも、美食三昧は慎まれるように。聡明な王のことですから、まさか『頭では理解できるが、実行はできない・・・』などとおっしゃることはありませんでしょう。」 お釈迦様はそういうと、にっこり微笑まれた。反対にパセーナディ王は、目を白黒させていた。一緒に話を聞いていた家臣たちは、笑をこらえるのに必死であった・・・・。 これはよくある話なんです。 「頭ではわかっているけど、実行するとなると抵抗がある・・・。」 皆さんにも経験があるのではないでしょうか。そう思ったこと、一回や二回ではないのではないでしょうか。 たとえば、この話にあるような恋愛に関係したこと。振られた相手のことが忘れられず、いつまでも思い続ける・・・。頭ではその関係が破綻していることは理解しているけど、忘れるなんてできない・・・。 よくある話でしょ。そのうちに「忘れられない」が、「ひょっとしたら復活があるかも」になり、「きっと彼も(彼女も)私のことを待っているかも・・・・」と変化し、ストーカー化していくんですよね。 あるいは、女性の方なら経験あるかも知れません。そうダイエットです。 「頭ではこのケーキを食べちゃいけない、とわかっているのに、ついつい手が出ちゃう・・・・」 こういう経験あるんじゃないでしょうか? 私なんぞは、頭では運動しなきゃいけない・・・とわかっているんですが、どうもねぇ・・・。ついつい億劫になってしまいます。こうして、運動不足から脱出できないんですよね。困ったことに・・・。 これは他人事ではないですよね。折角の正しいアドバイスも、受け入れなければ、何の意味もなしません。それどころか、そのアドバイス通りに実行していれば、安楽だって得られるのです。 今、我慢をすれば、今、つらさを乗り越えれば、その後には、必ずや安楽が待っているのです。それなのに、人は 「頭ではわかっているんだけど・・・・」 と、アドバイスを受け入れないんですね。それは、本当にわかっていることにはならないのですが・・・・。 相談するのなら、その結果が自分の思うような答えがかえってこなくても、素直に受け入れるべきでしょう。どんな結果が出ようとも、それを素直に受け入れるべきです。そうでなければ、相談などしないほうがいいでしょう。 相談される側は、その人のことを真剣に考えて、その人が最も幸せになれる道は何であるかを指し示しているのです。ですから、相談する側も、素直になって、話を受け入れるほうがいいと思います。それが、どんなに自分の耳に痛いことであっても・・・・。 最終的には、それがあなたの幸せのためでもあるのですから。合掌。 |