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第51回
いくら経験を積み重ねても、それを生かさなければ意味がない。
何度も同じ過ちを繰り返すのは、愚かである。


お釈迦様の弟子たちは、すべてが優秀であったわけではない。なかには、いさかいを繰り返すものや、戒律違反を犯すものもいた。そうした決まりを守ったかどうかとか、修行が進んでいるかどうか、といった反省と報告をかねた集まりが、毎月15日にあった。これを布薩(ふさつ)といった。
布薩の日は、ほとんど弟子が早朝から、お釈迦様のもとに集まり、輪になって一人一人修行の成果や、罪を犯したことを懺悔(さんげ)するのである。懺悔は、自己申告が基本であるが、中には自分が犯した罪を言い出せず、下を向いてただ時が過ぎるのを待つものもいた。その日の布薩の会合でも・・・・。

「さて、他に罪を懺悔するものはいないか。どんな小さなことでも言ったほうがいいですよ。それが修行になるのです。」
司会役のシャーリープトラが、そこに集まった弟子たちを見回していった。
「いくら隠そうとしても無駄ですよ。世尊(お釈迦様のこと)は、すべてをご存知です。隠しても心が重くなるだけです。すべてここで懺悔して、心を軽くしてはどうでしょうか。さぁ、懺悔するものはいませんか。」
シャーリープトラが再び皆に問いかけた。集っていた弟子たちは、堂々としているものもあれば、下を向いて青くなっているものもいた。それを見れば、誰でもその者が隠し事をしていることがわかる。
「シャーリープトラ長老も困っておる。懺悔する必要がある者は、早く言うがよい。それとも、わしがその者の罪をここで披露しようか。」
神通力を持っている長老の一人が堪りかねて、下を向いている者の方を見ていった。その言葉がこたえたのか、手を上げて立ち上がるものがいた。
「はい、申し訳ありません。懺悔したいことがあります。私は、南の方で修行をしています、タッカラチッタというものです。」
「ふむ、で、タッカラチッタ、何を懺悔するのですか。」
「はい、私は、その・・・・・申し訳ないです。お酒を飲んでしまいました・・・。」
その言葉に一同がどよめいた。お酒を飲んではいけない、という戒律は基本中の基本なのである。
「状況を詳しく告白しなさい。」
シャーリープトラが冷たく言った。
「はい、夕方のことです。出家前の友人が修行場所の精舎を訪ねてきたのです。ついつい話し込んでしまい、日も暮れてから友人を送っていきました。その時に・・・・。」
「その友人から誘われたのですか。」
「は、はい・・・。少しくらいならいいだろう、と・・・。私も初めは断ったのですが、話の具合で、というか、勢いで・・・。酒場に入ってしまいました。」
「袈裟をつけたまま入ったのか。」
「いや、その・・・・。精舎を出る前に出家前に着ていた夜着に着替えて出ていたもので・・・。」
「なんだ、初めから飲むつもりだったんじゃないか、正直にそういうべきだ。」
他の長老が強く非難した。そこに集まった弟子たち誰もがうなずいた。シャーリープトラは、意見を挟まず続きを話すように促した。
「その後、私はその、つい・・・・・深酒をしてしまいまして・・・・。精舎に帰ったのは日の出の頃でした・・・。」
「深酒をしただけではないだろう。正直にいいなさい。」
そう指摘したのは、神通力第一のモッガラーナ長老であった。その言葉にタッカラチッタは、さらに青ざめた。
「は、はい。あの、よく覚えていないのですが、どうも、その・・・・酒場で暴れたようでして・・・。」
「酒場での話の内容から世尊の弟子とわかり、今回に限り許してもらえた、そうだね。」
「その通りです。モッガラーナ長老様。面目ありません。」
周りから非難の声が聞こえてきた。シャーリープトラはそれを抑えてお釈迦様のほうを見ていった。
「世尊、いかが致しましょうか。」
罪を懺悔したものの処遇はお釈迦様が決めていた。お釈迦様は自愛に満ちた目をタッカラチッタに向けていった。
「あなたはお酒が好きなのですか。それなのになぜ出家したのですか。私の教えに従うものはお酒を飲むな、という戒律を守らなければなりません。それを承知で出家を望んだのでしょう?。」
「はい、もともと私はお酒が好きでして・・・・。出家する前は、よくお酒を飲んでは暴れたり、大騒ぎをしてしてまいました。そんな自分が嫌で、お酒を断ちたくて出家したのですが・・・・。」
「出家以前から、深酒をして暴れたのですね。それを正したい、そうあなたは思った。それで出家したのですね。それなのに、あなたは深酒をしたのですか。」
「はい。申し訳ありません。その、しばらくはお酒も飲まなくても平気だったのですが、そのつい、友人が訪ねてきたものですから・・・。気が緩んだと言うか・・・。」
「私に謝っても仕方がないでしょう。私たちは、あなたを怒っているわけではありません。あなたの修行が順調に進むように、指導をしているだけです。あなたのように、出家間もない者は、心が弱く、ついつい誘惑に負けてしまいがちです。それをなくすように、指導をしているだけです。怒っているわけではないのですよ。
あなたは、お酒を飲んで暴れたり、迷惑をかける自分に嫌気がさして、出家をしたのでしょう。それなのに、その当初の目的を忘れてしまうとは、気が緩んでいたとしかいいようがありません。
あなたは、お酒を飲めば暴れてしまう、ということを経験上知っています。それなのに、また深酒をしてしまった。経験が少しも生きていません。よいですか、今回、経験したことを決して忘れぬように、修行に励みなさい。
ということで、あなたの処遇ですが、今回は許しましょう。しかし、二度とお酒を飲まぬように。いいですね。そして、シャーリープトラに従って修行をしなさい。」
「ありがとうございます。二度とお酒を飲まぬように戒律を守ります。」
そういって、タッカラチッタは、皆の前で深く頭を下げ、謝ったのであった。

その後、タッカラチッタは、シャーリープトラのもとで修行に励んでいた。お酒が飲みたい・・・という誘惑も時には出たのだが、その誘惑を強く跳ね飛ばしていた。
しかし、ある日のこと・・・。
その日は、シャーリプトラがお釈迦様の言いつけで、一泊の予定で隣国まで遣いに出ていた。
「今日は、シャーリープトラ長老がいらっしゃらない。こういう時こそ気をつけねば・・・。」
そう気持ちを引き締めるタッカラチッタであった。
夕方のことである。再びタッカラチッタの友人が訪ねてきた。
「おいおい、噂で聞いたのだが、今日は長老がいないそうじゃないか。どうだ、一杯いかないか?。たまには息抜きしなきゃ、疲れちまうぞ。」
「何をしに来たんだ。帰ってくれよ。俺はお前の誘いなんかに乗らないぞ。」
「ははは、まあ、そう嫌うなよ。この間のことは許してもらえたんだろ。・・・・そんなにむくれるなよ。なんだ、だんまりか。まあいいや。じゃあさ、ここでいいから俺の話を聞いてくれ。」
そういって、その友人は袋から酒瓶を取り出して、うまそうに飲み始めた。
「お前も飲むか?。あぁ、そういや釈迦の弟子は酒飲んじゃいけないんだっけ?。かわいそうにな、こんなうまいものを・・・。おぉ、うめぇ〜。お前も、この間まで大好きだったのにな。何も、そんなに苦しい道を歩かなくたっていいのに。たった一回の人生だ。酒くらい飲めばいいんだよ。人生楽しまなくっちゃ、なあ、おい。ははは。」
タッカラチッタは、友人が楽しそうにお酒を飲む姿を見て、手が震えだしてしまった。
「うん?、どうした、手が震えているぞ。あぁ、飲みたいのか。飲めばいいじゃないか。なに、少しでやめておけばいいじゃないか。どれくらい飲んだら、酔っちまうか、お前は経験上、よくわかっているだろ。」
「まあ、確かに・・・・。少しだけなら、そんなに酔わないことは、酔わないよ。けどなぁ・・・・。」
「なんだ、飲まないのか。お前が飲まないほうが俺はいいけどな。酒が減らない。はははは。」
「うぅぅ、そうだなぁ・・・・。その、一口だけならいいかな・・・・。いや、やっぱりだめだ。」
「何を言ってる。そうだ、この器に少しだけ入れていやる。こんな程度なら酔わないだろ。この機会を逃がしたら、もう酒は飲めないぞ。ほんのちょと味わうだけならいいじゃないか。」
「もう飲めない・・・・。そうだな。今日がその最後の機会かも・・・・。じゃあ、一口だけ・・・。」
こうしてタッカラチッタは酒を飲んでしまったのであった。

翌朝、精舎は大騒ぎであった。夜中にタッカラチッタが酔って大暴れしたのである。それを止めようとして怪我をした弟子もいた。当のタッカラチッタは、大暴れした後、すっかり寝込んでしまっていた。
「目が覚めたかね、タッカラチッタ。」
そこには、頭に包帯をした修行仲間の顔があった。
「どうしたんだ、その頭。怪我をしたのか・・・・。ところで、今は・・・もう朝なのか?。」
「お前、何も覚えていないのか。」
「覚えていない・・・?。・・・・・あっ、しまった!。」
そう叫んで、タッカラチッタは起き上がった。
「とんだことをしましたね、タッカラチッタ。さて、どうしましょうか。」
「ともかく世尊の前に連れて行こう。世尊もこのことは、神通力でとうにご存知であろう。ともかく世尊の前に連れて行くべきだ。」
怪我をした弟子がそういった。その言葉に周りも頷き、タッカラチッタは腕をつかまれてお釈迦様の前に連れ出されたのである。
「タッカラチッタ、困ったことをしましたね。さて、どうしましょうか。」
お釈迦様の問いにもタッカラチッタは答えられなかった。
「タッカラチッタ、このままでは、あなたは今まで注意されたこと、今まであなたが経験してきたことを活かすことができない、単なる愚か者になってしまいます。このままで終わりますか?。それとも、知恵者になりたいですか?。」
「お、愚か者では・・・・終わりたくありません・・・・。私は、どうしたらいいのでしょう・・・・。この口を、この手を失くしてしまえばいいのでしょうか・・・・。どうすれば、どうすればいいのでしょう・・・・。」
タッカラチッタは、そう言って泣き崩れた。お釈迦様は、彼に尋ねた。
「なぜ、あなたはお酒を飲んだのですか。」
「はい、友人に勧められて・・・・・。この機会がお酒を飲む最後の機会だと言われて、つい・・・・。」
「振り返ってよく考えてみなさい。あなたは、その友人によくそそのかされていませんか?。」
その言葉にタッカラチッタは、はっとした。
「そういえば・・・・。前の時もそうだったし・・・・。出家前も、あいつに誘われて・・・・。」
「過去をよく振り返って、考えて見なさい。どういう状態のときにあなたは深酒をしたのか、失敗をしたのか。それがわかれば、これからどうすればいいか、よくわかるでしょう。自分でそれを見つけることです。」

しばらく考えていたタッカラチッタであったが、ふと顔を上げ、お釈迦様に告げた。
「よくわかりました。根本的に悪いのは、私の心が弱いからです。私が誘惑に負けてしまうからです。それが一番の悪因です。しかし、その弱気心を導きだしてしまうのは、あの友人です。私にとって、あの友人の誘いは、悪魔の誘いです。彼は、本当の友人ではないと思います。なぜなら、本当の友人なら、私がお酒を飲もうとしたら止めるはずです。お酒を飲め、とそそのかすことはしないでしょう。」
「よく気がつきました。では、どうすればよいかね?。」
「はい、まずは、あの友人とは会わぬようにします。どんな場合にも。友人にも、本当に私の友だと彼が思うのなら、私を誘わないでくれ、むしろ私が酒を断つことを応援してくれと伝えます。そして、今までのことを活かし、修行に励みます。これで、私は許されるでしょうか。」
「それは、怪我をしたあなたの仲間に尋ねてみなさい。」
お釈迦様にそういわれ、タッカラチッタは不安そうな顔で周りを見回した。
「仕方がないな。今度が最後だぞ。今までのことをよく反省して、修行してくれ。」
そう怪我をしたものがいった。他の弟子たちも頷いた。
「そういうことだ、タッカラチッタ。今度こそ、愚か者にならぬように気をつけなさい。三度目はないですよ。」
お釈迦様は、そう注意したのであった。

その後、タッカラチッタは、悪い友人とも縁を切り、酒も断ち、戒律を厳しく守って修行した。そして、誘惑に弱い出家者がいると、自分の経験を話し、よく指導をしたそうである・・・・。


何度も同じ失敗や過ちを繰り返す方って、いますよね。あなたの周りも一人や二人、いるのではないでしょうか。恋愛、お酒、浮気、親子喧嘩、夫婦喧嘩、試験勉強、仕事上のミスなどなど、わかっていても同じ過ちを繰り返してしまう。今度こそは・・・・と、心に誓うのに、その場になると同じ過ちを繰り返してしまう・・・。そのあと、自己嫌悪に陥ったりするんですよね。
たとえば恋愛。
何度、痛い目にあっても、似たような人に惹かれてしまう、似たような人しかときめかない・・・。その度に、また痛い目にあって泣いたりするんです。愚痴を聞かされる友人は、たまったものじゃありませんよね。
「いい加減、学習しなさいよ。」
と言いたくもなるでしょう。

恋愛だけではありません。仕事上のミスだって、何度も同じようなミスを繰り返すことってあると思います。癖みたいになってしまってね。で、
「何度も似たようなミスをするな!。お前には応用力ってものがないのか!。」
と怒鳴られるんですよ。まあねぇ、経験不足って言うか、自分のものになるまでは、経験の積み重ねが必要なんでしょうね。

それにしても、あまりにも同じようなミスや、同じような失敗を繰り返すのも愚か、というものです。少しは経験を生かせよ!、といいたくなる気持ちもわかりますよね。
注意しても聞かない人に何度も注意して腹を立てるとか、何度もウソを繰り返す人に騙されるとか、何度も詐欺商法に引っ掛かるとか、何度も同じような計算ミスをするとか、何度もお酒で失敗をするとか、何度も同じような異性に騙されるとか・・・・。

人はいろいろな場面で、愚かな失敗を繰り返します。少しは経験を生かして、
「あぁ、そういえば、こんなことがあったな、気をつけなきゃ、注意しなきゃ。」
「おや、これは前にも似たようなことがあったぞ。危ない危ない・・・。」
と、自分に警告を発しないと、いつまでたっても同じ過ちを繰り返すことになってしまいます。経験してきたこと、痛い目にあったことをしっかり胸に刻んでおかないと、いつまでたっても進歩がありません。
せっかく経験をしたのでしたら、それを活かして生きていかないとね。経験したことが無駄になってしまいます。
何も考えず、ただただ行き当たりばったりで進むのではなくて、今まで積み重ねてきた経験を活かすようにしたいものです。
でないと、同じ過ちを繰り返す愚か者・・・・になってしまいますから。合掌。



第52回
自分は間違っているのではないかと疑い、
自分は間違っているのだと認める、その勇気を持とう。
そこから、新たなる道が生まれるのである。


お釈迦様がいらした時代のインドは、コーサラ国とマガダ国のニ大国が勢力を争っていたのだが、その間に小さな国々も存在していた。そうした小国は、二大国の庇護を受けながらも、支配されるのを恐れたり、お互いに侵攻されるのを恐れ、軍隊には力を注いでいた。そうした小国の中のある国の話である・・・。

その国は、軍隊を東西の二部隊に分けていた。その国の東西に小国ではあるが、敵国が存在していたからである。今日は、そのニ部隊の幹部の集まりがあった。
宰相が両軍隊の将や副将たちに言った。
「よいか、今日から、西軍の大将であったヤーナマータには、年齢も年齢なので隠居してなってもらうこととなった。今まで、ご苦労であった。そこで、西軍の大将には、副将であったナラマプッタに就任してもらうこととなった。これは国王の命である。何か異議のある者はないか。・・・・ないな。では、ナラマプッタ、挨拶をしなさい。」
「ナラマプッタです。今まで副将を勤めさせていただいてましたので、軍の方針はわかっています。我が軍をより強い軍隊とし、決して東軍には劣らぬように鍛え上げます。国王様には、きっと喜んでいただけることでしょう。」
ナラマプッタは自信たっぷりにそう言ったのであった。宰相は
「そうか、そうか、頼もしいことだ。どうだ、東軍の将は、何か言いたいことはあるか?。」
と言ったが、東軍の将カーリーは、
「あぁ、いや、特には・・・。まあ、お互い、国の為に頑張りましょう。」
と答えただけであった。

この国の軍隊は、東軍と西軍に分かれてはいたが、その働きは、いつも東軍が勝っていた。何をやっても東軍の方がまとまりがあり、動きも早かったのだ。国王はこのことを憂い、東西軍が均衡になるよう、宰相に指示したのである。そこで、西軍の大将を隠居させ、副将であったナラマプッタを大将にしたのであった。
西軍は、かつては勝れた軍隊であった。ところが、宰相の命により副将にナラマプッタが就いてからは、西軍の動きに乱れが生じてきたのである。それは、彼が、大将であるヤーナマータの指示には従わず、
「あなたのやり方は古いのです。これからは、私のやり方でいきましょう。」
といって、勝手に軍を動かしていたためである。それが原因で軍の統率が取れなかったのだが、ナラマプッタはそのことには気付いていなかった。むしろ、ヤーナマータのことを
「彼は、もうご老体ですよ。反応が鈍いんですね。もう無能の将というよりありません。」
と宰相に報告していたのであった。宰相は、その報告を鵜呑みにしてしまった。そのため、ヤーナマータは隠居させられたのである。

ナラマプッタが大将に就いてから、西軍の訓練が厳しくなった。生活態度の細かいことまでナラマプッタは、指図をした。彼は、部下に休みを与えず、一日中、厳しい訓練を課したのであった。
「よいか、生活の乱れは軍の乱れだ。気を抜くな、いつも出兵に備えろ。いつも自分に厳しくせよ。怠けるな、訓練しろ、身体を鍛えろ、休むな、休むな、休むな!。」
ナラマプッタの厳しい声が、今日も城内に響いていた。
一方、東軍の将カーリーは、のんきなものだった。
「まずは体力はつけておくことだ。よく食べ、よく鍛え、よく休む。それがいいんだ。軍内であれば、ケンカにならぬ程度なら賭け事をしてもいいぞ。遊びも大事だからな。」
カーリーは、訓練の時間、休む時間ときっちり分けていた。訓練以外の時間は、なるべく干渉せず、比較的自由にさせていた。ただし、ケンカだけには眼を光らせていた。軍内はいつも仲間であるという意識を部下に持たせていたのだ。だから、
「ケンカはいかんぞ。たまにはいいが、よく話し合って解決をしろよ。いいか、みんな仲間だからな。お互い助け合って対処しろ。和を乱さないようにな。」
と注意するのであった。

ある日のこと、国王の前で日ごろの訓練の成果を披露することとなった。それを聞き、ナラマプッタは、はりきっていた。
「いいか、決して隊列に乱れがあってはならぬ。腕の上げ下げ、足の運び、顔の向き、どれも乱すな。全員揃うようにやれ。おい、そこ、顔の向きが違う!。おい、お前、腕が少し下がっている。そうだ、それでいい。よし、よし、しっかりあわせるのだ。俺に恥をかかすなよ。恥をかかせた奴は、厳罰だからな!。」
ナラマプッタの激が飛んでいた。カーリーはというと、
「国王の前だからといって緊張しなくてもいい。失敗しても俺が叱られるだけだ。気にするな。実践ではないのだから、気楽にやればいいさ。いつもの訓練の通りにな。」
とだけ伝え、普段通りの訓練をしていたのであった。

そうこうするうちに、国王の前での披露の日がやってきた。ナラマプッタ率いる西軍は、見事なまでに統率が取れていて、一糸乱れぬその姿は、それはすばらしいものであった。いかにも強そうな軍隊に見えた。一方、東軍はというと、動きもバラバラで、まとまりはあったが、一人一人は勝手な動きをしているようで、なんだか適当にやっているように見えた。これを見て宰相も国王も西軍を大いに褒め称えたのであった。
「ナラマプッタ、実践が楽しみだな。大いに期待しておるぞ。」
という国王の言葉にナラマプッタは、有頂天になっていた。

それからしばらく後、西の隣国が攻めてきた。ナラマプッタはすぐに出陣した。威勢良く、隊列をきれいに整え、西軍は城を出発したのだが、結果は散々であった。結局、やや遅れて出発した東軍に助けられ、何とか侵攻を妨げたもの、西軍は多くの犠牲者をだした。落ち込むナラマプッタに宰相らは
「初めての実践だからな、仕方がなかろう。次は頑張ってくれ。」
と慰めたのであった。ナラマプッタは恥ずかしかった。宰相の言葉が、屈辱であった。なので、部下の兵に
「お前ら、よく恥をかかせてくれたな。もっと厳しく訓練するから、覚悟しておけ!。」
と怒鳴り散らしたのであった。それ以降、西軍の訓練は益々厳しくなたった。

しばらくして、再び西の隣国から侵攻があった。真っ先に西軍が出陣したが、またもや結果は悲惨なものであった。東軍の助けを得て、なんとかしのいだという有様であった。ナラマプッタは、さらに訓練を強化した。
そんなことが何度かあった。西の隣国は、カーリーが出てくる前に侵攻してしまえばいい、と気付いたのだ。ナラマプッタの率いる軍が弱いと見切ったのである。それで、何度も攻め入るのだが、いいところでカーリーが率いる軍がやってきて、逆転されてしまうのだ。
この現状にナラマプッタは悩み始めた。
(おかしい。俺のやり方が悪いのか?。俺の方針が間違っているのか?。カーリーが正しいのか?。・・・・いやいや、俺のやり方は間違ってないはずだ。訓練は大事だ。統率はちゃんと取れている。・・・・そうだ、各個人の能力が劣っているんだな。各個人の能力を高めればいいんだ。訓練方法を個人中心に変えよう。)
ナラマプッタは、訓練方針を変えて、個人の訓練を増やした。しかし、実践での結果は同じであった。むしろ、まとまりに欠けるようになり、以前よりも兵を失う羽目になった。
何度とない西軍の失敗に、さすがに宰相も怒り心頭となった。
「ナラマプッタ、いったいどうなっているんだ。何度戦っても、負けているではないか。東軍の助けがなかったら、我が国はとっくに占領されているぞ。軍の訓練方法に間違いがあるのではないか。カーリーに聞いてきたらどうだ。今度失敗したら、お前は将軍の職からはずす。」
宰相の言葉に、ナラマプッタはガックリと肩を落とすのであった。

彼は悩んだ。葛藤していた。
(やっぱり、俺が間違っているのか・・・・。いや、そんなことはない。間違っているはずがない。ただ、部下たちが俺の求めるものまで至ってないだけだ。そうだ、そのはずだ俺の求めるものが高すぎただけだ。俺は間違っていないさ。よし、訓練を基本的なものに戻そう。そして、もっと規律正しく生活するようにするのだ。)
そうして、ナラマプッタは、また訓練方法を変えたのだが、すでに軍隊の中での彼の信用はなかった。兵士たちは、
「ナラマプッタ将軍についていけば、死ぬことになる。ただ厳しいだけで、疲れるばかりだ。あぁ、俺は東軍に入りたいよ。」
と口々に言い合っていたのであった。だから、訓練にも身が入らず、誰もナラマプッタの指示には従おうとしなくなっていた。ナラマプッタはあせった。そのあげく、厳罰を用いて兵士たちにあたった。兵士たちは益々やる気をなくしていった。こうなると悪循環である。西軍は、内部から崩壊してしまった。

軍を追われたナラマプッタは、一人川べりを歩いていた。
(はぁ・・・。俺は間違っていたのか・・・。いや、俺は正しいんだ。俺の求めるものについて来れない、あいつらが悪いんだ。あいつらのせいで俺は職を失った・・・・。俺は間違っていない・・・。のか?。本当にそうか?。もっとやり方があったのではないか。・・・・間違っていたのだろうか。いや、そんなことはないよなぁ・・・。)
そのときである。ナラマプッタの背後から声が聞こえた。
「なぜ、素直に間違いを認めぬ。自分が間違っていると疑うことができたなら、素直にそれを認めたらどうだね。自分は間違っていると認める、その勇気さえあれば、あなたは職を失うことはなかったのに。残念だ。」
「だ、だれだ。」
そこに立っていたのは、托鉢用の鉢を抱えた、お釈迦様であった。
「惜しいかな、惜しいかな。あなたは、軍人として立派な能力があるのに、それを生かせなかった。もっと眼を開き、自分を見つめることができれば、自分の間違いを認めることができれば、こんなことにはならなかったのに。つまらない意地を張って、多くの命を、大きなものを失ってしまった。」
その言葉を聞いてナラマプッタは、
「あぁぁぁ、私はとんだ間違いをしてしまった。私が意地を張らずに、自分の間違いを認めていれば・・・・。兵士たちも死なずにすんだのに・・・。あぁ、私は、私は・・・・、どうすればいいのでしょうか。」
と、お釈迦様の足元に泣き崩れたのであった。その頭にお釈迦様はそっと手を載せ、
「あなたの部下たちを弔うため、出家するがいいでしょう。」
と、一言だけ言ったのであった。

やがて、ナラマプッタの托鉢する姿が城下に見られるようになった。彼は、托鉢するたびに言った。
「自分は間違っているのではないかと疑え。そして素直に自分の間違いを認めよ。そこから新たなる道は広がる。私のようになってはいけない。間違いを認める勇気を持ちなさい・・・。」
と。


自分は間違っている、と認めるのは、イヤなものです。あまり認めたくはないです。そうじゃないでしょうか、みなさん?。
「ひょっとしたら、自分は間違っているのかな?」
と疑うことは、よくあるんじゃないでしょうか。誰しも、
「もしかしたら、悪いのは俺か?。俺なのか?。」
「間違っているのは、私かしら・・・・。」
と自分を疑ってみたことがあるのではないでしょうか?。えっ、ない?、疑ったことすらない?、それはそれは・・・、失礼しました。
でもね、世の中、自分がいつでも正しいってことはないと思いますよ。間違っていることだってあると思いますよ。

ほらほら、そこのあなた、人間関係がうまくいってなくって悩んでいませんか?。会社で、学校で、町内で、浮いていませんか?。営業成績や学校の成績が伸び悩んでいませんか?。仕事も生活も家庭もうまくいってなくって、悩んでいませんか?。
そういう時って、
「俺は悪くない、私は悪くない、間違っているのは周りだ。」
って思いがちですよね。自分は正しいと・・・・。
でもね、ちょっと視点を変えてみてはどうでしょう。
「ひょっとしたら、間違っているのは自分だろうか?。」
と疑ってみてはどうでしょう。見え方がかわりませんか?。そう疑ったとき、全体の流れがよくなりそうに見えませんか?。自分が悪いと認めたほうが、うまくいくような可能性がありませんか?。

「ある」
という方。素直に「自分が間違っている」と認める勇気を持ちましょう。認めてしまえば、心が楽になりますよ。それだけではありません。うまくいかなかったことが、うまくいくようになるかもしれません。新たな道が生まれてくるものですよ。

「ない」
という方。あくまでも悪いのは自分以外だ、という方。たまには、「自分が悪いのではないか」と考えて見ましょう。意地を張らずに、プライドも捨てて、「自分が間違っているのかな」と疑ってみましょう。そこから、始まることもあるのですよ。

人間は、誰しも完璧ではありません。間違いだって犯します。ですから、
「自分は間違っているのではないか」
と疑うことは、何も恥ずかしいことではありません。意地を張っても、意地を押し通しても、何も変わらないのなら、方針転換をするのも一つの手ですよね。あとは、その勇気をあなたが持てばいいだけです。
「自分は間違っているのではないか」
と疑い、そういう疑いを持ったなら、素直に
「自分は間違っているんだ」
と認め、周りの意見を取り入れて、意地やプライドを捨て、自分が変わるようにしてみてはどうでしょうか?。
そこから、新しい道が生まれてくるものだと思いますよ。合掌。



第53回
事情も知らないのに、口を挟んではいけない。
頼まれてもいないのに、助ける必要はない。
そんなことをしても恨まれるだけである。


お釈迦様の弟子で尼僧のストゥーラナンダーは、いつも騒動を起こすやっかいものであった。教えを説くことは巧みではあったのだが、おせっかいな性格が禍いしてか、よく揉め事を起こしていたのである。ストゥーラナンダーのおかげで、尼僧の戒律がどんどん増えていったくらいであった。

ある日のこと、ストゥーラナンダーが托鉢をしていると、とある家から女性の悲鳴が聞こえてきた。ストゥーラナンダーは、何事かと思って駆けつけた。すると、その家の夫婦が大喧嘩をしているのであった。
(これは大変だわ。助けなきゃ。)
彼女はそう思ったが、夫の勢いに恐れ、ケンカの間に入っては行けなかった。そこで、夫がいなくなるのをじっと待っていた。
やがて、その夫は
「お前の顔なんか見たくもない!。」
と言葉を残し、外へ出て行ってしまったのであった。ストゥーラナンダーは、その機会を逃さなかった。
「まあ、大変でしたわねぇ。怪我はありませんか?。」
ストゥーラナンダーが、ひょいと顔をだして声をかけてきたので、一人家に残った妻は驚いた。
「あ、あの・・・、あなたは・・・・。」
「あぁ、私はお釈迦様の弟子で、ストゥーラナンダーというものです。事情はわかっていますわ。あなたの力になってあげましょう。」
ストゥーラナンダーは、そういうとその家の中に上がり、勝手に座り込んだのであった。妻はあっけに取られていたが、お釈迦様の弟子であるし、断ることもできず、ストゥーラナンダーの前に座って、話し始めた。
「私の夫は、いつも朝からあのように怒ってばかりなんです。毎朝、私を散々ののしってから仕事に行きます。働くことは、それはもうちゃんと働いてはくれるのですが・・・・。」
「飲んだくれるとか、博打をするとか・・・でしょ。」
「えっ、いや、まあ、たまにはお酒も飲みますが・・・・。で、仕事から帰ってくると、また私をののしるんです。子供の前でも平気で、大声でののしるんですよ。はぁ・・・。もうこんなののしられるばかりの生活はイヤになりました。もう、こんな家、出て行きたい。あんな夫とは別れたい・・・・。」
「そうでしょう、そうでしょう。よくわかるわぁ〜。私に任せなさい。そうねぇ・・・・、そうだわ。あなたは、今すぐ出家しなさい。私について出家すればいいのよ。こんな家、そんな夫に執着する必要ないわ。出家するのよ!。」
ストゥーラナンダーは、そういうと、その妻の手を引いた。
「出家・・・ですか?。でも、そんな急には・・・。」
「いいのいいの。さぁ、立ち上がって。」
そういうと、ストゥーラナンダーは、妻に支度をさせ、さっさと僧堂に連れて行ってしまったのである。

夕方になって夫が家に帰ってみると、妻の姿が見えない。子供だけが、家の中で泣いていたのだった。夫は驚いて、近所の人に尋ねてみた。近所のおばさんが、
「尼僧さんが、あんたの奥さんを連れて行ってしまったよ。」
と教えてくれた。
「なんだって?。尼僧が?。なんで・・・・。」
「あんたが、いつも怒っているからだよ。まあねぇ、あんたの気持ちもわかるけどねぇ・・・。あの奥さんじゃねぇ・・・。」
「はぁ・・・情けないですよ。私は怒っているつもりはないんですけどねぇ・・・・。ついつい、大声になってしまって。ご近所にも迷惑をかけています。申し訳ないです。」
「まあねぇ、あんたの気持ちもよくわかるよ。で、どうするね。あんな奥さん、もうやめるかね。」
「いや、あんな女房でも、子供もいますから・・・。いくら、ぐうたらしているとはいえ、食事の用意くらいはできますからね。子供にとっては、必要ですから・・・。」
「じゃあ、祇園精舎へ行くんだね。きっと、そこに奥さんはいるよ。背の高い、ひょろひょろ〜とした尼僧さんが連れて行ったよ。」
「ありがとうございます。すぐに祇園精舎に行きます。あの、うちの子を少し見ていてくれませんか?。」
「あぁ、いいよ、安心して行きなさい。」
近所のおばさんに助けられ、夫は祇園精舎に向かった。

祇園精舎に着くと、夫は
「背の高い、ひょろひょろとした尼僧が、妻を勝手に連れて行ったから、あわせてくれないか。」
と声をかけながら、探していた。
「あぁ、それはストゥーラナンダーだ。あそこにいますよ。」
その修行僧が指をさしたほうに妻の姿があった。夫は、そこへ駆け寄ると
「おい、あんた、なんてことをしてくれたんだ。うちの事情も知らないくせに、勝手なことをするな!。」
と大声で叫んだ。その声を聞きつけ、多くの尼僧や修行僧が集まってきた。
「皆さん聞いてください。この尼僧は、勝手に私の女房を家から連れ出してしまったんです。私が家に戻ってみると、暗がりで子供が泣いていました。こんなことが許されるのでしょうか?。」
夫は、集まってきた僧侶や尼僧に問いかけた。誰かが、お釈迦様を呼ぶようにいった。
一方、夫の訴えにストゥーラナンダーが反論した。
「なに言ってるんですか。私が彼女を連れ出したのは、あなたが彼女を、自分の妻を、毎日毎日、ののしってばかりいるからでしょ。彼女は、そんな生活がイヤになっていたのよ。だから、出家させたの。わかった。わかったらお帰りなさい!。」
「な、なんだと。俺が毎日女房をののしっているだと?。おい、あんた。あんた、うちの家庭内のこと、よく知っているのか?。知った上で言っているのか?。」
「知ってるわよ。どうせ、あんたは飲んだくれのばくち打ちなんでしょ。そんな男にくっついていたって仕方がないのよ。だから、連れてきたの。」
「お、俺が飲んだくれのばくち打ち?。冗談じゃない。誰がそんなことを言ったんだ!。」
周りを取り囲んでいた僧や尼僧たちがざわざわしだした。その一角があいて、お釈迦様の姿が見えた。
「事情を聞きましょうか。」
お釈迦様はそういうと、ストゥーラナンダー、妻、夫と並んで座らせた。
ストゥーラナンダーの主張は変わらなかった。
「私は、彼女が夫の言葉の暴力に耐えられないというので、出家させました。この男は、飲んだくれのばくち打ちですから。」
その言葉に夫が反論した。
「お釈迦様、それはまったくのウソです。妻がウソをいったのか、その尼僧がウソを言っているか知りませんが、いずれにせよ、その尼僧が言ったことは真っ赤なウソです。確かに、私はよく妻を怒ります。近所にもその声は聞こえています。それは、ののしっているのではなく、妻のだらしのないところを注意しているのです。妻は、朝は起きるのは遅いし、掃除もロクにしないし、料理もいい加減なんです。子供のこともようやく面倒が見れるようになってきたくらいです。そういう性格なのか、注意しないとすぐに怠けてしまうんですよ。ですから、毎日毎日、注意しているんです。そりゃ、まあ、注意しているうちに、ついつい大声になってしまうし、バカだノロマだ、と言ってしまうこともありますが・・・。このことは、近所の方も皆さん知っています。疑うのでしたら、近所の方に聞いてください。」
「おやおや、ストゥーラナンダー、夫が言っていることはあなたの意見とずいぶん違うようですが・・・・。では、奥さんに話を聞きましょうか。」
お釈迦様に言われ、妻が話を始めた。
「すみません・・・。夫の言っていることは本当です。私は怠け者で・・・・。ついつい、ダラダラしたくなるんです。夫は、毎日そのことを怒ります。私はそれがイヤになって・・・・。」
「夫が飲んだくれでばくち打ち、と言いましたか?。」
「いえ、それは言ってません。それは・・・・この尼僧さんが勝手に思い込んだみたいで・・・。はっきり否定しなかった私も悪いのですが・・・、その面倒で・・・・。夫が悪いのではありません。私の怠け癖が悪いのです。」
「そらみろ。俺の言った通りじゃないか。女房も悪いが、俺の女房はこういう女なんだ。事情も知らないで口を挟み、勝手に助けようなんて思ったあんたが悪いんだよ。それでもお釈迦様の弟子か!。」
「これこれ、その言葉遣いがいけないんですよ。注意することはいいのですが、あなたは言葉遣いが悪い。もう少し、諭すように言えば、奥さんも聞き入れやすいのではないですか。あなたは気が短いのです。よく奥さんを見てあげなさい。少しずつでも成長しているでしょうから。
さて、ストゥーラナンダーよ。どうやらこの揉め事の原因はあなたのようですね。」
お釈迦様の言葉に、ストゥーラナンダーはふてくされ、
「せっかく親切にしてやったのに!。」
と悪態をついた。
「ストゥーラナンダー、あなたのしたことは、親切でもなんでもないのだよ。大きな迷惑にしかなっていないのだ。このことがわかるかね?。」
お釈迦様のやさしい言葉に、ストゥーラナンダーは、下を向いてしまった。
「さぁ、ストゥーラナンダー、今回のことは、どこが間違っていたのだろう。考えて、自分でまとめてみなさい。」
ストゥーラナンダーは、しばし考え込んだ。

「今回のことは・・・。私の早とちりです。夫婦間の事情もよく聞かないで、私が勝手に判断し、思い込み、首を突っ込んだために、大事になってしまいました。皆さんにも迷惑をかけました。申し訳ございません。」
ストゥーラナンダーは、そういうとケンカをしていた夫婦に頭を下げたのであった。
「ストゥーラナンダー、そして、皆のもの、よく聞きなさい。事情も知らないで口を挟んではなりません。意見や批判をするのなら、その当事者の事情をよく知った上でしなさい。事情がわからぬうちは、無闇に意見を述べたり批判をするものではないのです。
また、助けて欲しい、相談に乗って欲しい、という依頼がない限り、無理に助けようとしてはなりません。強引に親切を押し付けてはなりません。
事情もわからぬうちに口を挟む、助けを求めていないのに無理に助けようとする、そんなことをしても、問題の解決にはなりません。むしろ、恨みをかったり、迷惑がられたりするだけです。」
僧侶の間から質問が出た。
「困っていそうな人がいたらどうすればいいのですか。見て見ぬ振りをすればいいのですか?。」
「いいえ、そのときは、『何か困ったことがあるのですか?。よろしければお話ください。』と声をかければよろしい。今回のことも、ストゥーラナンダーは、まずそのように声をかけ、事情をよく聞き、一方的な話だけでなく、双方から話を聞くようにすればよかったのです。事情をよく理解するということは、当事者すべての人から話を聞く、ということです。それを怠るから、このようなことがおこるのです。皆のものも、以後気をつけるように・・・。
それと、あなたたちご夫婦も、よく話し合うことです。ご主人も、一方的に怒るだけでなく、奥さんが努力できるような工夫をしてあげなさい。奥さんも、ご主人やお子さんのために、怠けぬよう努力しなさい。その積み重ねが、幸福を招くのです。一度に完璧にやろうとせず、少しずつ積み重ねていくことが大切です。ご主人も、一度に多くを求めぬように、一つずつこなしていけるようにしてあげるといいでしょう。」
お釈迦様は、そういうと、座を立って精舎の奥へと戻られたのであった。夫婦は、お釈迦様の言葉を噛みしめ、僧や尼僧に頭を下げてから帰っていった。ストゥーラナンダーも、皆に謝り、自分の修行場所へと戻っていったのであった。

お釈迦様の注意の後、残った弟子たちは口々に、今回の問題について話し始めた。そんな中、
「お釈迦様も、ストゥーラナンダーをちゃんと監視すればいいのに。ストゥーラナンダーがしでかしたことは、今度だけじゃないだろう。しょっちゅう問題を起こしている。あの女を野放しにしておくから、揉め事を起こすのだ。あんな女は、修行小屋にでも閉じこめておくか、お釈迦様とともに過ごして、いつも監視していていればいいのだ。」
ある弟子の一人が、不服そうにそう言った。その意見に多くの者たちがうなずいたのであった。その言葉を聞いて、すかさずシャーリープトラが注意をした。
「おいおい君たち、それこそ、事情も知らずに口を差し挟むな、ということだよ。君たちもストゥーラナンダーと同じ過ちをしているじゃないか。それがわからないのか?。」
シャーリープトラの言葉に、意見を言った弟子は、ふてくされて口を閉じた。
「そういう態度をしている、ということは、注意されたことが不服なんだね。考えてもわからないかい?。」
そういわれても、その弟子のふてくされ顔は治らなかった。
「仕方がない、事情を説明してあげよう。お釈迦様が、ストゥーラナンダーを四六時中監視しないのは、彼女自身、自分自身で自分の悪いところに気付いて欲しいからだよ。どこが悪かったのか、何が間違っていたのか、そのことを自分自身で気がつかなければ、彼女の悪いところは治らないだろう。お釈迦様がいつも監視していたら、彼女は自立できないだろ。托鉢すら行けない。他の弟子から食事を分け与えてもらうことになる。それでは、出家の修行はできないじゃないか。修行は、個人個人がするものだ。誰かに監視されているからするものではないのだよ。反省も自分から懺悔しなければ、意味をなさない。
彼女は、確かに多くの問題を起こし、尼僧の戒律を増やしていく原因にもなっているが、そのことを彼女自身がよく考え、自ら治そう、と思わねば、何の修行にもならないのだ。お釈迦様がいつも監視していたのでは、修行にならないのだよ。そこのところをよく考えなさい。そして、彼女が間違ったことをしそうになったら、周りが注意してあげればいいのだよ。そうでなければ、他の修行者もあまりにも個人主義で、自分勝手な存在になってしまうだろう。お釈迦様は、自分がいなくても弟子たちだけで、まだまだ修行が足りないものを助けることができるようにと、配慮していらっしゃるのだよ。」
シャーリープトラの話を聞いて、不服そうだった弟子たちは、素直に謝罪したのであった。
「私たちが愚かでした。お釈迦様の考えも知らず、批判してしまいました。いらぬ口を挟みました。今後は、事情も知らないのに口を挟むことは慎みます。また、どんな相手でも相談があれば喜んで力になりますし、相談がなければ、様子を見ているようにします。」
その言葉を聞いて、シャーリープトラは微笑んだのであった・・・・。


「大きなお世話」という言葉があります。あまりいい言葉じゃないですね。たいていは、
「大きなお世話だ、放っておいてくれ!。」
といったように使います。で、そのあとはたいてい
「折角あなたのためを思って言ったのに・・・。」
「あなたのためにしてあげたのに・・・・。」
と続くでしょう。かくして、両者の間に気まずい思いが残るのです。

なぜ、そうなるのか、おわかりでしょうか?。「せっかく、あなたのために」というところに、ここに大きな間違いの元が存在するのです。
「あなたのために・・・。」
と親切をした方は、言います。しかし、それは本当に「あなたのために」なのでしょうか。意外と、「あなたのために」なっていないことの方が多いのではないでしょうか。

親切はいいことです。困った方がいたら助けてあげる、友達が困っていたら、力になってあげる・・・。それは大変いいことでしょう。しかし、ここで注意しないと、大きな落とし穴にはまってしまうのです。気をつけてください。
その注意しないといけないこととは、
@当事者間の事情をよく理解しているか
Aその相談事は、本当に依頼されたことなのか
ということです。
事情もよく理解せず、口を挟んでいませんか?。頼まれてもいないのに、親切を押し売りしていませんか?。
そんなことはしてない、と多くの方は思うことでしょう。しかし、よく考えてください。本当に事情がわかっていますか?。案外、一方的な話だけを聞いて憤慨したり、興奮したり、同情したりしていませんか?。相手側からみたら、まるっきり事情が異なる場合だってあるのです。
「相談にのって」
といわれてもいないのに、
「私に任しておきなさい」
と安請け合いしていないでしょうか?。
これは優しい心があるからなのですが、優しいだけではどうにもならないことだってあるし、その優しさがかえって仇になることだってあるのですよ。そのことをよく理解していないと落胆する羽目になることもあるんです。良かれと思ってしたことが、かえって悪い結果を招くことになる場合もあるのですよ。

そうなると、これはもう恨まれるだけですね。相談に乗ってあげた、力になってあげた方からすれば「逆恨み」なのでしょうが、恨んでいる方は「頼みもしないのに余計なことを」となるのです。
下手に人の相談に乗るもんじゃあありません。下手に首を突っ込まない方が無難ですな。

私は、頼まれなければ動きませんし、依頼されなければ相談にものりません。冷たいようですが、そうでないと、押し売りになってしまうからです。
ですから、
「供養しなさい、お祓いしなさい、ああしろ、こうしろ」
とはいいません。
「そうした方がいいですよ」
とは言います。選択は自由です。
相談ごとも、まずは話をよく聞きます。こちらから質問などをしてよく事情を把握するようにします。でないと、的外れになる場合もあるからです。しかも、あくまでも客観的にものを見るようにしています。自分の感情は差し挟まないのが基本的ルールです。でないと、見誤りますからね。

それと大事なことは、口を挟んだら、首を突っ込んだら、相談に乗ったら、最後まで面倒を見る覚悟が必要だ、ということです。最後まで責任を取って面倒を見る、そういう覚悟がないのなら、下手に首を突っ込まないほうがいいのです。中途半端な親切心で首を突っ込まれたって、迷惑なだけですからね。

親切心を出すのもいいですが、それをするのなら、
「よく事情を聞き、最後まで面倒を見る」
という覚悟でやってください。勢いだけ、同情心だけ、で相談にのるのは危険ですよ。下手をすると恨まれるだけですから。親切心もほどほどに・・・・。合掌。



第54回
幸福や幸運は、モノから与えられるのではない。
自らの努力と徳を積むことによって得られる。
安易に幸運は手に入らないのだ。


コーサラ国の首都シュラーヴァスティーの市場は、各国からやって来る商売人でにぎわっていた。他の国の珍しい食材や貴金属、装飾品、家具、木工細工、絵画、祭祀具など、無い物は無いというくらい、様々な物が売られていた。その一角に見慣れない商人がいた。その商人は幸運屋という屋号で商売をしていた。
「さぁさぁ、いらっしゃい、いらっしゃい。私は幸運屋です。コーサラ国の皆さんに幸運をもたらすために、この地にやってきました。私が訪れた国々では、みな幸運になっています。私は、この地よりはるか南の国からやってきたのですが、その南の国ではみ〜んな幸福になっています。みんなが幸福になってしまったので、私はお払い箱。もうその地にはいらない者なんですよ〜。」
幸福屋の前に集まっていた人々は、商売人の口上にどっと笑った。
「私は、みなさんに幸福を与える者なんですが、みんなが幸福になっちゃうと、私は居場所がなくなるんですよ。幸い、といいましょうか、不幸にも、といいましょうか、このコーサラ国は、幸福な人が少ない。大変少ないですねぇ。そう思いませんか?。あなた、あなたどうですか?。今、幸せですか?。」
商人は、見物していた客の一人に尋ねた。
「い、いや・・・、そんな幸福だなんて、とても・・・。」
「じゃあ、不幸なんですね?。」
「不幸・・・というほどでも・・・。」
「はっきりしないな〜。幸福でなければ、不幸でしょ。そうやって自分が幸福か不幸か、はっきり決められないと、幸福は逃げていきますよ。さぁ、どっちなのかな?。」
「はぁ、そういわれれば、不幸です。」
「そうでしょ、そうでしょ。あなたは、不幸な人なんですよ。あなたはどうですか?。今、幸せですか?。幸福ですか?。」
商人は、他の客に声をかけた。
「幸せ?。とんでもない、幸せなんて程遠いわよ。」
「そうでしょ、そうでしょ、奥さん。あなたには不幸の影がぴったりくっついてますからねぇ。」
その商人の言葉に、集まっていた人々は、いっせいにその女性のほうを見た。
「不幸の影だって?。なんだ、それは・・・。」
「おいおい、俺にもついてないか?。不幸の影・・・。」
「え〜、どうしよう。私にも不幸の影があるのかしら。最近、ついてないのよ・・・。」
商人が発した「不幸の影」という言葉に、集まっていた人々は動揺し始めた。商人は、その様子を見て心の中でニンマリとした。
(まだだ。もう少し動揺させねば・・・。)
「おぉ、そういえば、みなさんが集まっているところ、なんとなく暗くないかね?。そう見えないか?。私には、あなたたちが、なんとなく暗く見えるんだけどねぇ。」
この言葉に客たちはさらにざわざわし始めた。
「そ、そういえば、暗いよな、なんとなく・・・。」
「あぁ、あっちの店の前に比べると・・・・暗いような気がする・・・。」
人々は、口々に「不幸の影が集まっているのだ・・・」とささやきあった。その様子を商人は、黙ってみていた。

(このくらいでよかろう・・・。)
客たちをゆっくり見回して、商人はいった。
「みなさん、不安でしょ、不幸の影が怖いでしょ。それを取り除きたいでしょう。」
「取り除くって・・・、そんなことできるのか?。」
「初めに言ったじゃないですか。私は『幸福屋』ですよ。幸福をもたらす者なんですよ。私がもたらした幸福のおかげで、南の国はみんな幸福になってしまったんですよ。だから、この地に来たのです。あなたたちのような、不幸の影を背負った不幸な人たちを助けるために、ね。」
「どうすればいいんだ。なぁ、この不幸の影を取るにはどうすればいいんだ?。」
「簡単ですよ。こうすればいいのですよ・・・。」
そういうと、その商人は、棒の先にウマの尻尾のような毛を束ねたものを取り出した。
「これでね、自分の背中や親兄弟、お友達の背中を払うんですよ。こうやってね。」
そういうと、商人は、客に背を向け、そのウマの尻尾のような毛の束のついた棒で、自分の背中をさらさらさらと払った。
「私は、毎朝毎晩これをしているんですよ。だから、すごく健康だし、すごく幸せなんですよ。さぁ、そこのあなた、私があなたの不幸の影をとってあげましょう。」
そういうと、商人は客の一人をみんなの前に引っ張り出した。
「おぉ、あなた、体調が悪いですね!。これは不幸の影のせいですな。よし、では、私がこの不幸の影を払ってあげましょう。」
そういうと、その商人は何かゴニョゴニョと唱えながら、その客の背中を毛の束でさらさらさらと払った。すると・・・。
「あぁ、なんだか背中がさわやかな感じがする。あぁ、とっても気分がいい。」
商人に払ってもらった客は、にこやかな顔をしてそう言った。そのとたんである、客が
「俺にもくれ、その棒をくれ!。」
「私も欲しいわ。早く、私にもちょうだい。」
「あら、私の方が先よ。横取りしないで!。」
と口々に叫びながら、商人の前に殺到したのだった。
「あぁ、あわてないで、あわてないで、大丈夫大丈夫、この棒はなくなったりしないから。ちょっと落ち着きましょう。さぁ、みなさん、深呼吸をして・・・。す〜、は〜、いいですか?。
みなさん、この棒は、そこらへんの棒とは違います。この毛の束も、ウマの毛なんかじゃありません。この毛は、実は、ここよりはるか南方の地で聖者とあがめられているウドガプラ仙人の髪の毛なんですよ。ウドガプラ仙人は、髪の毛が伸びてくると、それを私たちに授けてくださるのです。不幸なものを救え、といってね。この棒もそのウドガプラ仙人が修行された時に座っていた切り株から作った棒なんですよ。ですから、数が少ない。全部で1000本しか取れなかったんです。でも、私の分がありますから、みなさんにお譲りできるのは999本なんです。
ただし、私も商人です。ただ、というわけにはいきません。南の地からここまで来て、そして帰るための往復の旅費も必要ですし、私は仙人ではないから食事もしなきゃいけない。なので、ただでみなさんにお渡しするわけにはいかないんです。わかっていただけますか?。」
そういうと、先ほど背中を払ってもらった客が
「そりゃあ、当然でしょう。ただでもらっちゃあ、バチがあたる。だって、それ仙人の神通力が入っている髪の毛なんでしょ。・・・あぁ、でもそれじゃあ高いんですよねぇ・・・。10金くらいするんでしょうか?。」
と、さも残念そうにいったのだった。
「いやいや、そんなにお金を頂いちゃあ、仙人様に怒られてしまいます。私にバチがあたる。なので、申し訳ないのですが3金だけ頂きます。
そうそう、この仙人の棒を買っていただいた方には、仙人様から教えていただいた呪文もお教えいたします。」
「えぇ、本当ですか?。ありがたい呪文も教えていただけるのですか?。そうか・・・しかも3金なら、買えるなぁ・・・。私、一つ買います。」
背中を払ってもらった客が最初に買ったのだった。それを見ていた他の客も仙人の棒を求めて殺到したのであった。

その日の夜のこと。
「ふっふっふ。うまくいったな。チョロイもんだ。」
「簡単にひっかるもんだなぁ、人間って。」
「な、言った通りだろ。人間なんて弱いもんだ。特に不幸が付きまとっている、なんて言葉にはな。」
「お前、たいしたもんだよ。あの口上には恐れ入ったよ。呪文はどうしたんだ。」
「簡単さ。こう教えたのさ。『ラプガドウ・ラプガドウ・ラプガドウ・・・・』ってな。」
「それって・・・・ウドガプラの反対じゃないか。あっはっは、そいつはいいや。」
「な、いいだろ。そんな仙人なんてどこを探したっていやしねぇ。こんなこと、ちょっと考えれば胡散臭い、うそ臭いってわかるのにな。バカばっかりだよ。さぁ〜て、ここもヤバクなるから、次の国へ行くか。」
「そうだな。次はどこでなにを売ろうか?。あはははは。」

翌日のこと。昨日まで幸福屋のあった場所に人だかりができていた。
「おい、幸福屋はどこへ行ったんだ?。この毛の束、なんにも効かないじゃないか。」
「あんたもかい?。私もさ。この毛の束で払ったって、ちっとも楽になりゃしない。どうなっているのかね。他の人はどうなのかね?。」
集まっていた人々は、口々に仙人の棒の効果が無いことを言い合っていた。人だかりは次第に増えていった。
「どうもおかしい。騙されたんじゃないか?。それとも・・・。」
「そうだねぇ・・・。でも、ここに集まっているのは昨日いた全員じゃないよね。ということは、効果があったものもいたのかねぇ。」
「そうかもな。もう少し様子を見てみてもいいんじゃないか・・・。」
「そうだねぇ、そうしよう。」
集まっていた人々は、そういうと、それぞれ家路へと向かったのだった。

しかし、何日たっても仙人の棒の効果は現れなかった。不幸なものは不幸なまま、病気で悩んでいるものは病気のまま。結局、また仙人の棒を買ったものは、幸福屋のあった場所に集まっていた。そして、誰かが王に訴えることを提案した。仙人の棒を買ったものたちは全員、王宮へと向かったのであった。
仙人の棒を買った998人の人々は、王宮に到着すると、宰相に仙人の棒のことを訴えた。宰相はそのことを聞くと、
「はぁ、お前たちもか・・・。いやなに、西の隣国でも同じ被害にあったものが998人いるのじゃ。ま、隣国の場合は、龍が天に昇る絵なんじゃがな。わが国でも・・・か。よろしい、お前たちの訴えはよくわかった。早速、兵を使って調べよう。しかしのう・・・。お前たちも悪いのではないかなぁ・・・。わしは、そう思うがなぁ・・・。」
と答えたのであった。宰相の言葉に、998人の人々はかみついた。
「私たちは騙されたのですよ。その私たちのどこがいけないのですか?。」
「そうだ、そうだ、私たちは騙されたんだ!。悪いのは、あの商人だ!、俺たちじゃない!。」
そのときであった。王宮の入り口のほうから重々しい声がした。
「宰相様のおっしゃるとおりですよ、みなさん。」
それはお釈迦様であった。

「宰相様は、先程、隣国で被害にあったのは、998人とおっしゃった。ここにいる皆さんも998人でしょう。それはなぜだかわかりますか?。」
お釈迦様の言葉に人々は人数を数え始めた。すると・・・。
「あっ、みんなの前で背中を払ってもらった男がいない!。」
「そういうことです。その男は、商人の仲間だったのでしょう。」
「あぁ〜、なんて愚か者なんだ、俺たちは!。」
「そうですね、みなさん愚か者ですね。・・・・さて、みなさん、よく聞きなさい。」
そういうと、お釈迦様は、そこにいた998人の人々を座らせた。
「幸福や幸運というものは、なにか別のもの、貴金属とか、絵画とか、仙人の棒だとか、つぼだとかいったものが、与えてくれるものではありません。そういうものに頼って幸福になろうとする、その考え方が間違っているのです。
幸福や幸運は、自らの働きと努力と徳によって得られるものです。そしてなによりも、満足を知ることによって得られるものです。お金や財産、貴金属類をたくさん持っていても、健康なものであっても、不幸なものはいます。お金が無くても、財産が無くても、健康でなくても、幸福なものはいます。それは満足を知っているかどうか、分相応を知っているかどうか、の差なのですよ。
あなたたちは、安易に幸福や幸運を手に入れようとしたから騙されたのです。幸福や幸運は、少しずつ、少しずつ努力の積み重ね、徳の積み重ねによって得られるものなのです。
仙人の棒を買ったから、吉祥の絵を買ったから・・・・そうしたことから、幸運や幸福が得られるものではないのですよ。
幸福や幸運を得るのに、近道などありません。地道な努力の積み重ねです。そして、満足を知ることです。これでいいのだ、という満足を知らねば、どこまでも欲望は深くなり、地獄への道へ突き進むのですよ。
宰相様が言われたのは、このことなのです。あなたたちも悪いのではないか、と宰相様がおっしゃったのは、あなたたちが安易に幸運や幸福を手に入れようとしたからです。あなたたちの間違った欲望が原因だからです。あなたたちが、よく考えて、欲望に曇った眼ではなく、澄んだ眼でみていれば、商人のウソを見抜けたでしょう。以後、気をつけてくださいね。」
お釈迦様は、そういうと国王に教えを説くために王宮の中へと入っていった。人々は、お釈迦様の言葉に
「俺たちが愚か者だったんだな・・・・。」
と深く反省したのであった。


何年か前、霊感商法という言葉が世間をにぎわせました。曰く
「今のままではあなたは不幸になる。死んでしまう。それから逃れるためには、このつぼを買って拝みなさい。」
というようなパターンで、商売をしていた商法が霊感商法ですね。皆さんよくご存知だと思います。騙された方もいらっしゃるのではないかな?・・・・と思います。そこの床の間にあるつぼ、そうなんじゃないですか?。
「つぼが不幸をなくす、つぼが幸運をもたらす」
そんなことは、ありえないでしょう。ちょっと考えればわかることですよね。でも、人々は騙される。心が弱いんですね。人間は不幸なとき、大病を患っているとき、家庭や会社のことで悩んでいるとき、人間関係で悩んでいるとき、何かに頼りたくなるものなのです。そこへ付け込むワルがいるんですね。

人は不幸になると、不幸だと感じると、幸福や幸運へ強い欲望を抱きます。幸せになりたい、幸運をつかみたい、幸福になりたい・・・・・。誰もがそう思うことでしょう。
しかし、幸運なんてそう簡単に手に入るものじゃありません。そんなことは、みなさん百も承知二百も合点でしょう、普段はね。ところが、騙されるんですねぇ、これが。
「この仏様を拝みなさい。そうすればあなた望みはかなうでしょう。」
といわれ大金をはたいて仏像を手に入れる。市価の数倍以上の値段でね。
「このブレスレットをつけていれば、運が舞い込んでくるんですよ。身体も健康になりますし。」
といわれ、たいした物じゃないのに大金を払ってブレスレットを手に入れるんです。もとは安物なのにね。
「このラッキーストーンがあなたに幸運をもたらすんですよ。この石を持っていれば、お金がざくざく、間違いなし。」
といわれ、ガラス玉を買わされるんですな。そんなものもってお金がざくざくなら、あんたが一番の金持ちにならなきゃいけないでしょ!と言ってやりたいですね。
「この絵を家に飾ったとたん、商売がうまくいくようになって金持ちになったのですよ。だから、この絵は幸運をもたらすのですよ。」
という怪しい占い師の言葉に昇り鯉の絵を購入する。そういうのはね、その怪しい占い師と絵を売っている会社と裏でつながっている・・・・と疑ったほうがいいですよ。絵が幸運をもたらしますか?。

確かに、仏像や仏画、神様の絵画、御札などを祀ると、開運されることはあります。お守りを持っていたことにより、突発的な事故から逃れた・・・・ということもあります。水晶を持つことにより不運を避けられることもありますし、地鎮祭のときにも水晶を埋めたりもします。家内安全のためにね。お守りとして、腕に数珠をはめることもあります。私も腕に数珠をしています。三つもね。
しかし、それは単なる仏像や仏画ではないし、御札ではないでしょう。お守りだって、よくご祈祷されているものです。確かに、そうしたものは、ある効果をもたらすものです。
しかし、ここに間違いが生じるのです。それは、頼り切ってしまう、ということです。

「うちは仏像を祀っているからいいだろう。」
「私のところは、商売の神様の絵を描いていただいたから、もう安心だね。商売繁盛さ。」
「拝んでもらった数珠を腕にしているから、危ない目にはあわないさ。」
「お守りを持っているから少しくらいは平気さ。」
「厄除けの祈祷もしてもらったし、御札も頂いたから、私にはもう厄は来ないのよ。」
こういう考え方が危険なのです。こういうのを「横着モノ」というのですね。

仏像を祀ってあるから安心?、商売繁盛の神様の絵があるから大丈夫?、腕の数珠をしているから平気?、厄除けしたから厄が来ない?・・・・。
バカいっちゃあいけません。そんなことはないでしょ。それは考え方が間違っていますよ。
確かに、ご祈祷は効きます。効くからこそ、みなさん参拝されるのでしょう。しかし、それがすべてではありません。参拝された方の日頃の過ごし方も問題になります。

たとえば、車のお祓いをしてもらったからといって、乱暴な運転をしていいでしょうか?。お祓いしてもらったからどんな運転をしても事故をしないでしょうか?。
商売繁盛の神様の絵を頂いたから、寝ていてもいいでしょうか?。それで商売が成り立ちますか?。
厄祓いしたから、悪いことは絶対におきませんか?。
「そんなことはない」
と、頭ではわっているんですよね。でも、頼りたいんですよ。人々は・・・・。

私は頼るのはいいと思います。騙されたのかもしれませんが、高価な仏像を手に入れたのなら、それを一生懸命拝むといいのです。でもね、それで望みがかなう、という考え方はしてはいけません。それはつぼが幸運をもたらす、という考え方と同じなのです。
心の支えとして、仏像や仏画を拝むのなら、それはとてもいいことだと思います。そういうための仏像や仏画などならばいいのではないでしょうか。

絵画やつぼが、幸せにしてくれるわけないじゃないですか。幸せは自ら手に入れるものです。自分で努力して手に入れるものです。つぼや絵が与えてくれるものではありません。そして、もっとも大事なことは、
「今が幸せなんだ」
と思うことです。そう思わないと、いくらお金があっても幸せにはなれません。もっともっと・・・と欲望が膨らんでいくだけです。
決して、安易に幸福や幸運を手に入れようと思わないことです。安易に幸福になれると思わないことです。そこに悪魔が付け込んでくるのですから・・・・。合掌。



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