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第61回
あの人は運がいい、才能がある、人望があると、人は他人を妬む。
しかし、才能は自分で磨くものであり、
運や人望は自分で身につけるものである。
結局は、自分自身の問題なのだ。
お釈迦様が、霊鷲山(りょうじゅせん)に滞在していたときのことである。お釈迦様には聞こえぬところで、弟子たちがひそひそと話をしていた。
「あぁ、面白くねぇ。本当に面白くねぇ。なんなんだ、あいつは!。けっ、若造の癖してよ!。」
「どうしたんだ、チュンダーイ。なにをそんなに膨れているんだ。」
「うん?、決まってるじゃねぇか、シャーリープトラ長老とモッガラーナ長老のことだよ。」
「あぁ、あの長老様のことか。それがどうしたのだ?。」
「いいよなぁ、あの二人は・・・。運がいいよな。才能もあるし、人望もある。俺なんかさ、お釈迦様の弟子としては、結構早くからなっていたのにさ。」
「そういえば、チュンダーイさんは、いつごろお釈迦様の弟子になられたのですか?。」
「俺かぁ?。俺はな、そもそもウルベーラで、火に仕えるバラモンだったカッサパ三兄弟様の弟子だったんだ。」
「へぇ〜、あのカッサパ三兄弟の・・・。あっ、でもカッサパ三兄弟は、お釈迦様に説き伏せられて、弟子になったんじゃあ・・・。」
「そうよ、さすがにカッサパ達様だ。もうすでにお悟りを得て、今じゃあ、ウルベーラの森でお釈迦様の教えを広めているよ。」
「へぇ、そのカッサパ様の弟子だったんだ、チュンダーイは・・・・。」
「そうだよ。だからな、俺様は、お釈迦様の弟子になったのは、結構古いんだぜ。それなのによ、お釈迦様はシャーリープトラとモッガラーナばっかり重用するだろ。面白くねぇよな。」
「仕方がないさ。あの二人は、才能が抜群だ。運もいいし、人望もある。そこへいくと、チュンダーイ、お前さんは人望もないし・・・。」
「才能もない。あははは。おまけに運もねぇときたもんだ。」
「あははは。その通りだ。」
「バカヤロウ、それはお前らも同じだろ。ち〜っとも悟りゃあしないじゃないか。ここでいつもゴロゴロとしている。修行している振りだけしてな。」
「くっくっく。それはいえてるな。俺らは、才能も運も人望もない。単なる怠け者だな。あ〜あ、才能があればなぁ・・・。」
「あぁ、本当にそう思うぜ。才能があって、運があれば、俺だってさささっと、悟っていたさ。でもって、今頃は長老様よ。お釈迦様の隣に座って偉そうな顔ができたものよ。」
「チュンダーイが長老なら、俺だって長老になれるな。お前さんも俺も似たようなものだからな。」
「その通りだ。俺らは似たものどうしよ。才能のカケラもねぇ。おまけに運もねぇ。そんなやつらには、人望もねぇ。な、そうだろ、おい。」
「あぁ、そんなもんだよ、俺たちは。あぁ、つまんねぇな。」
「本当につまらねぇ。それにしても、うっとうしいよな、シャーリープトラとモッガラーナよ。そう思わねぇか?。」
「おい、チュンダーイ、妬んでるのか?。そいつは、やめたほうがいいぞ。妬むなよ。才能が違うしさ。それに・・・。」
「そうそう、その妬み心、モッガラーナ長老の神通力でバレるぞ。バレたら大変だ。ここを追い出されちまう。お前と一緒にいると、ちょっとヤバイなぁ。・・・・俺はあっちで修行するよ。じゃあな、チュンダーイ。」
「俺もそうしよう。お前に巻き込まれるのは、ゴメンだ。少しは真面目に修行しろよ、チュンダーイ。じゃあな。」
「俺も、俺も・・・」といっては、チュンダーイの周りから他の弟子たちが去っていった。
「くっそ、どいつもこいつもだらしがねぇ。結局、口だけか!。裏切りやがって。、なにが修行だ。才能もないくせに。バカも休み休み言えってもんだよ。」
そう毒づくと、チュンダーイは、ねぐらにしている洞穴に入って、横になってしまった。

数日がたったころ、チュンダーイとヒソヒソ話をしていた者のうちの一人が、シャーリープトラの指導のもと、悟りを開くことができた。チュンダーイは、それを横目に見て
「けっ、裏切りものめ、ふん!。」
と小声で吐き捨てるようにつぶやいた。
さらにその数日後、他の仲間だった者がモッガラーナの指導のもと、悟りを開くことができた。そうこうしているうちに、チュンダーイの周りのものは、どんどん悟りを開いていったのだった。とうとう、チュンダーイは、一人取り残されてしまった。

かつての仲間がチュンダーイに声をかけた。
「どうだね、チュンダーイ、修行は進んでいるかね?。」
「へん、うるせい!。ふん、悟りを開くとものの言い方も変わるもんだな。前はあんなに乱暴な言葉遣いだったのによ。今は、ご丁寧なしゃべり方だな。立派になられたもんだ。けっ!。」
そういって、チュンダーイは、つばを吐き捨てた。
「チュンダーイ、なにをむくれているんだ。一体どうしたというのだね。」
「うるせいよ。よかったな、お前にも才能があって。悟りの才能がよ。いいや、シャーリープトラ長老やモッガラーナ長老に取り入る才能があってよ。それは、ゴマすりの才能か?。あはは、そうだよな。あいにく俺には、ゴマすりの才能なんてない。運もないけどな。俺のことは放っておいてくれ。」
「チュンダーイ、なにを拗ねているんだ。私にも、悟りの才能なんてなかったよ。でも、長老様たちの親切な指導のもとで、悟りを得ることができたんだ。悟りを得るのは才能なんかじゃない、努力だよ。いや、才能があったとしても、それを磨かなければ何にもならないものだ。ひょっとしたら、チュンダーイにだって悟りを得る才能があるかもしれないじゃないか。な、だから、長老様に従って、修行をしたらどうだい?。」
「それが嫌ならお釈迦様に直接教えを請えばいいじゃないか。もう何年もお釈迦様の教えを聞いていないのじゃないか。お釈迦様が法を説かれるとき、お前は洞穴の奥へ入り込んでしまっているからね。」
「考え直して、お釈迦様でもいいし、長老の方々でもいい、教えを請うといいいと思うよ。なあ、そうしないか。」
かつての仲間は、そういってチュンダーイの心を開かせようとしたのだが、チュンダーイは聞く耳を持たなかった。
「お釈迦様になんて、もう随分会ってないよ。いいんだよそれで。俺のことは放っておいてくれよ。なにが、悟りの才能だよ。そんなものあるわけないだろ。そんなものが俺にあれば、カッサパ様が悟ったとき、俺も一緒に悟ったさ。あのとき・・・・、お釈迦様がカッサパ様を教え諭したとき、カッサパ様以外にも大勢の弟子が悟りに近付いたんだ。ところが俺は・・・・・。もういいよ、あっちへ行ってくれ。」
そういうと、チュンダーイは、洞穴の奥へと入っていった。

チュンダーイは、迷っていた。いつまでもたっても悟れない自分に嫌気も差していた。修行するのもバカらしくなっていたのだ。ただ、他人が妬ましく思えただけであった。
「はぁ・・・。片方にほんの少しの時間で悟りを開くものがいる。もう片方で俺みたいに悟りを得られないものがいる。この差は・・・・・やっぱり才能だよな。それと運だ。運がいいヤツ、悪いヤツ、この差は大きい。おかげで悟りを得ていないものは、クズ扱いだ。誰にも慕われない・・・・。あぁ、でも・・・。アーナンダ様は、悟りを得ていないのに、みんなに頼りにされてるなぁ・・・・。なんでだ。あぁ、そうか、いつもお釈迦様の世話をしているからな。お釈迦様の近くにいつもいるから・・・・。それでだな。お釈迦様の腰巾着だ。そのアーナンダに取り入っておけば、有利だもんな、なにかと。結局は、アーナンダも運がいいんだ。運だけだな、ありゃ。才能は俺と同じで全くない。悟ってないもんな。あははは。でも、運はいいなぁ。俺には、運もない。才能もない。おかげで人望もない。つまんねぇ人生だな。こんなんじゃあ、どうしようもない。あぁ〜あ、もう山を降りて、普通の人生を歩もうかな。でもなぁ、俺って働いたこともないからなぁ・・・。そうだ、他の仙人のところへいくか。それもいい考えだな。うん、それも一つの方法だな。うん・・・。」
そのときであった。
「確かにそれも一つの道ではある。」
チュンダーイのいる洞穴に声が響いてきた。チュンダーイはあわてて洞穴の入り口に目をやったが、そこには誰もいなかった。
「な、なんだ、空耳か、脅かすなよ・・・。はぁ・・・。」
「空耳ではない。」
「な、なんだって?。だ、だれだ!。一体誰なんだ!。」
「静かに!。落ち着いて聞くがよい。さぁ、座って・・・。そうそう、まずは呼吸を整えよ。思い出したかね、修行の仕方を。もう随分長いことやっていないであろう。」
チュンダーイは、何が何だかわからなかったが、その声には有無を言わせぬ重みがあった。なので、チュンダーイはその言葉に素直に従った。
「黙って静かに聞きなさい。他の仙人のところへ行くのもよかろう。しかし、今のお前では、どこへ行っても同じだ。他人を妬んでばかりいるお前には、どこへ行っても同じ状況しか巡ってこない。それじゃあ、他の仙人のところへ行っても、バカにされるだけだ。釈迦の弟子だったくせに、と。釈迦の弟子もたいしたことはない、と。結局、お前は、他の修行者を妬んで、拗ねて生きていくだけしかないのだよ。」
厳しい言葉に、チュンダーイは何も言い返すことができなかった。
「運もない、才能もない、人望もないお前に、生きる道があるのかね?。どうだね、チュンダーイ?。」
「う、うぅぅ・・・・。」
「うなるだけか。愚か者よなぁ、チュンダーイ。哀れな者よなぁ、チュンダーイ。うなることしかできぬとは。いつもの威勢のいい態度はどこへ行ったのだ?。さぁ、何か言い返したらどうだ。」
「ど、どうせ俺には才能もないし、運もないし、人望もない。あぁ、その通りだ。俺みたいなやつは、野垂れ死ぬしかないんだ。所詮俺なんて、俺なんて・・・・お荷物なんだよ!。」
「このバカモノが!。」
その声は、洞穴の壁が崩れそうなくらい響いた。あまりの声に、チュンダーイは縮み上がってしまった。

しばらく声が響いていたが、やがて静寂が訪れた。すると、再び声が聞こえてきた。
「初めから運のいい者も確かにいよう。才能がある者も確かにいる。人望が生まれつきある者もいるであろう。しかし、いくらいい運、いい才能、人望があろうとも、それに胡坐をかいて、努力を怠れば、運も尽きるであろうし、才能も発揮できぬであろうし、人心も離れていくであろう。才能は、自分で努力して磨かなければ発揮できないものであるし、運はよくしようとしなければ、よくなってはいかないものである。人望も自分で身につけようと努力しなければ、身につかないものなのだ。
穴倉に潜んでいて、あいつはいいな、運がいいし才能もある、人望もある・・・などと妬んでばかりいては、おまえ自身は何も変わらない。何も自分のためにはならないのだよ。
なぜ自分はうまくいかないのか、なぜ自分は悟れないのか、考えたであろうか?。その原因は、自分にあるのではないかと疑ったことがあろうか?。
自己反省もせずに、うまくいかないことを運のせいや、才能のせいにしていなかっただろうか?。どうなのだ、チュンダーイ。」
「そ、そんなことはない・・・。俺は悪く・・・・ない・・・・。み、みんな周りが悪いんだ。周りが俺を落としこめているんだ・・・・。運のない俺を、才能のない俺を・・・みんな嫌っているんだ。」
「愚かなり、愚かなり、愚かなりチュンダーイ。なぜ、自分の考えが間違っていると認めないのだ。なぜ、人のせいにするのだ。
よいか、運の善し悪しも、才能のあるなしも、人望のあるなしも、すべて己にあるのだ。自分自身にあるのだ。他人を妬んでいるようでは、運もよくならないし、才能も発揮できないし、人望も得られないのだ。己をよく見よ。己をよく知れ。すべては、自分自身にあるのだと、よく知るがよい!。」
その声は、洞穴だけでなく、チュンダーイの頭の中にも響いた。いつまでも、いつまでも・・・・。

チュンダーイは、洞穴から出てこなかった。誰もが心配になり、洞穴の中を覗いたり、声をかけたりした。しかし、何の返事もなかった。シャーリープトラ長老やモッガラーナ長老にも、その報告がなされたが、
「捨てておきなさい。なに、心配は要らないでしょう。」
と答えるだけであった。
そんなある日のこと、みんながチュンダーイのことを忘れかけていたころのことである。洞穴の中から、ガリガリにやせた男が一人、ふらふらと出てきたのであった。
「シ、シャーリープトラ長老はどこに・・・、モッガラーナ長老はどこに・・・・。」
その男は、そういうと、ばったりと倒れてしまったのであった。

シャーリープトラ長老とモッガラーナ長老により介抱されたその男は、すっかりやせてしまったチュンダーイであった。
「大丈夫かね、チュンダーイ。」
「は、はい・・・・。もう大丈夫です。起き上がれます。」
「一体何があったのだね。」
両長老が尋ねた。もちろん、シャーリープトラ長老もモッガラーナ長老も事情は知っていたのだが、他の弟子たちに聞かせるために、あえて尋ねたのだった。
「はい・・・。私は間違っていました。あの日、あのとき・・・。私は声を聞いたのです。あの声は、お釈迦様でした。久しくお釈迦様の声を聞いていなかった私はすっかり忘れてしまっていました。大事な世尊のお声すら忘れていたのです。
世尊は私を叱咤してくださいました。私は、初めは意味がわからなかった・・・。いや、わかろうとしなかった。しかし、いつまでも世尊のお言葉が頭に響いて・・・・。
あるとき、私はふと思った。私自身が間違っていたのではないかと。すると、見えてきたのです。妬みにすさんだ己の心の醜さが・・・・。私は、妬んでいた。うまくいく人間は、運がいいのさ、才能があるのさ、誰かが助けてくれる人望があるのさ、と・・・・。
でもそうじゃなかった。運は自分で切り開くものであり、才能は種類は違うが誰にでも備わっているものであって、それを伸ばすか伸ばさないかは自分自身によるのであり、正しい生き方をしていれば、人望はついてくるのです。それがわかったのです。すべては自分自身にあるのだということがわかったのです・・・。
どうか、どうか長老様、こんな私を導いてくださいますでしょうか。こんな醜い私でも悟ることができるでしょうか?。」
「もちろんですよ、チュンダーイ。よくそこまで至ることができましたね。しかも、誰に教わることなく。大丈夫です。あなたなら、悟ることができるでしょう。さぁ、まずは沐浴をして、水を飲むとよいでしょう。それから修行を致しましょう。」
シャーリープトラ長老はそういうと、そっと後ろを振り返った。そこには、にっこり微笑んだお釈迦様が静かに座っていたのであった・・・・。


「あの人はいいな、運がよくて。黙っていても、どんどん出世していく。同じことをやっているのに、俺ときたら・・・・。全く認められない。あぁ〜あ、運がないなぁ、俺は・・・。」
「あの子って、すごく人気がある。たいして美人でもないし、仕事ができるわけでもないのに。なんでよ!。私の運が悪いのかしら。」
「いいわねぇ、才能のある人は。そんなに頑張らなくても、できちゃうからね。あぁ〜あ、私にも何か才能ないかしら・・・・。」
こんなことを考えたり、愚痴ったりしたことはないでしょうか?。全くない?、そりゃあウソでしょう?。一度や二度は、こんなことを思ったことがあるんじゃないですか?。あぁ、そうか、思われるほうだった・・・・のですか?。いいですねぇ、そういう方は。周りから羨まれる立場の方は、ここでのお話は読まなくても結構ですよ。関係ない・・・でしょうから。

確かに、世の中には、なにをやってもうまくいく、ちょっと勉強したり練習したりすればすぐにうまくできる、何かと誰かが助けてくれる・・・・そんな人っていますよね。なんか、うまくやってるな、って言う人です。
そういう人を見ると、才能のない平凡な我々は、ついつい嫉妬してしまいがちですよね。
「いいな、あいつは」
「いいなぁ、あの人は」
とね。
むろん、持って生まれた徳の差、というものはあります。生まれつき徳がある、というものですね。生まれたときから差があるのは、否定できないことです。

しかし、いくら才能があっても、それを磨かなきゃ伸びないのも事実です。いくら運がよくても、運だけに頼っていては、どこかで壁にぶち当たります。誰かが助けくれるからといって、いつまでもそれに甘えていては、やがて周りの人の気持ちは離れていくでしょう。初めから備わっている運や才能や人望だけに頼っていては、いつかはダメになってしまうものです。

才能があるからといっても、それを磨き、努力しなければなんにもなりません。才能任せでいたって、努力をしなければ折角持っている才能も開花することがないでしょう。
また、どんな才能が隠れているか、それも人によってわかりません。才能がない、などとあきらめず、どんな才能があるのか探してみる努力もするべきでしょう。
運だって、それをよくするようなことして身につけていけばいいのです。運を向上させる努力をすればいいのです。人望もそうですよね。人望のない人は、それなりにやっぱり理由があるものです。どこか人に好かれない面があるのでしょう。無愛想だからといって人望がないわけでもありません。愛想がいいからといっても人望があるとは限りません。愛想がよくても憎たらしい人はいますよね。お金で人の心も買える・・・などと嘯いている人物には、人望はない、といえますけどね。

運も才能も人望も、他人がもたらすものではありません。天がもたらすものでもありません。自分で見つけ出し、自分で磨き、自分で身につけるものでしょう。
運がないのも、人望がないのも才能が発揮できないのも、結局は、自分の責任なのです。それを他人に嵌められたとか、出し抜かれたとか、才能がないとか、運がないとか、そういうせいにしてはいけません。
結局は、自己責任なのですよ。自分の考え方、努力の仕方、己の磨き方が間違っていた、と考えるのが正しい対処、というものです。

さて、あなたは
「自分は間違っていない、運が悪いだけ、才能がないだけ、人望ないだけ、周りが悪いだけ、あいつが悪いだけ・・・・」
と拗ねている派ですか?、それとも、
「ひょっとしたら、自分は努力が足りないのかも、才能を見つけていないのかも、見つけていても磨いていないのかも、人に頼りすぎているのかも、他人をあてにしすぎかも、自分でやろうとしていないのかも、他人に責任を転嫁しているだけなのかも・・・・」
と疑う派でしょうか?。
どっちがいいかは、よくわかっていますよね。合掌。



第62回
相手の立場や状況を無視して、
自己主張をしたり、自我を押し通そうとする者には、
明るい未来はない。
ある日の夕暮れのこと、竹林精舎にある男がやってきた。精舎の入り口のところで、男は掃除をしていた沙弥(しゃみ・・・出家して間もない見習いの小僧さん)に声をかけた。
「ちょっと聞きたいのだが、お釈迦様に会うにはこの中に入っていけばいいのかね?。」
「はい、そうですが・・・。あぁ、でも今はお釈迦様はいらっしゃいませんよ。」
「お釈迦様はいない?。どうしてだ。ここはお釈迦様がいるところじゃないのか。」
「はい、そうですが、今、お釈迦様は旅に出ています。」
「旅だって?。」
「はい、布教の旅に出ております。いつお帰りになるかは、私にはわかりません。長老の方に聞けばわかるかもしれませんが・・・。」
「そうか・・・。じゃあ、その長老に会わせてくれ。」
「はぁ・・・。どういったご用件で?。」
「相談したいことがあるんだ。お釈迦様は、いつでも我々のような庶民の相談にのってくれる、っていう話だろ。だから、相談にきたんだよ。お釈迦様はいなかったが、長老でもいいや。」
その言葉に掃除をしていた沙弥は、ムッとしたが「怒ってはいけない」という教えを受けていたので、我慢をして
「では、ここでお待ちください。今、長老の方に尋ねてきます。」
と言い残し、精舎の中へと駆けていったのだった。

精舎には、高弟の舎利弗がいた。沙弥の話を聞いて舎利弗は
「ちょっと態度が悪いようだね。でも、断るわけにはいけないな。連れてきてもいいが、そうだな・・・今日はもう遅い。明日の午後ではダメなのか尋ねてみてくれないか?。今日は、私は後片付けの当番に当たっているんだ。その男の話を聞けそうなものは・・・、どうやら私以外にいなさそうだしな。その男は、ちょっとやりにくい相手のようだからね。どうしても今日じゃなきゃダメというのなら、仕方がないから、あの部屋へ通してください。明かりをつけてね。」
と、少し離れたところにある小屋を指差していった。沙弥は、返事をすると、門の方へと駆けていった。

門のところへ戻ると、その男はイライラした様子で立っていた。
「遅いじゃないか。で、どうなんだ。長老は会ってくれるのか。」
「はい、高弟の舎利弗様がいらっしゃいましたが、今日は後片付けの当番なので、できれば明日の午後に来てもらえないか、とのことです。」
「な、なんだと、後片付けの当番だと?。そんなことは、他の弟子にやらせればいいじゃないか。困っている人が来ているんだぞ。そういう困った人を助ける方が大事じゃないのか。」
「と申されましても、決まりごとは決まりごとなので・・・。」
沙弥は、泣き出しそうであった。
「決まりごとだと・・・、くっそ、じゃあ、他に長老とかはいないのか?。」
「はい、今日は舎利弗様のような長老の方は、他にはいません。あの・・・。」
「なんだ、早く言え。」
「どうしても今日じゃなきゃダメなら、少し待っていてもらえないか、とのことです。待っていただく部屋も用意いたします。」
「なんだ、それを早く言えよ。仕方がない、少しだけなら待ってやる。どこで待てばいいんだ。案内しろ。」
そういうと、その男は沙弥をつついて、精舎の中へと入っていったのであった。

「あ、あそこです。今とびらを開けます。」
沙弥はそういうと、小屋の戸を開けた。中は真っ暗だったので、沙弥が明かりをつけた。
「少しお待ちいただけますか。舎利弗様が、片づけが終わられたらここに来ます。それまで、お待ちください。」
そういうと、沙弥はあわてて小屋を出ると、舎利弗のところへと駆けていった。舎利弗は、その姿をみて
「あぁ、やはり今日会うことになったか。うむ、まあ、仕方がないな。」
と、つぶやいたのであった。そして、駆け寄ってきた沙弥に
「あとは私に任せなさい。お前はもう休んでいいよ。怖かったろうから、他の長老の方のところで休むといい。私がそう言っていた、といえば大丈夫だから。」
と優しく言い、沙弥を休ませたのであった。
沙弥が去っていく後姿を見つめながら、舎利弗は、
「さて、片付けを済まして、小屋へ行くか・・・。」
といいながら、精舎の片付けや掃除を始めた。

小屋では男がイライラしていた。まだ、ほんの数分しか過ぎてなかったのに。
「くっそ〜、まだか。いつまで待たせるんだ。あぁ、もう、なんなんだ。お釈迦様の教団は、困った人をいつでも助けるんじゃないのか。まったく、どいつもこいつもいい加減なことばかり言いやがって・・・。」
男は、ブツブツ文句ばかりを言っていたのだった。
そんなことはお構いなしに、舎利弗は、決まりごとの掃除をすべて順にこなしていった。これは、たとえ長老といえどもサボっていいものではないし、代わってもらっていいものではなかった。当番制なので、誰もが平等にやらねばならない仕事だったのである。もちろん、神通力を使って片付けることも許されていなかった。すべて手作業で行うのだ。一通り終わるまでに30分ほど要した。
「ふむ、終わったようだな。え〜っと、落ち度はないな。一応、確認しよう。・・・うむ、大丈夫だな。よし、と、じゃあ、小屋へ行ってみますか。」
そういうと、舎利弗は、手を洗い、小屋へと向かっていったのだった。

「失礼します。お待たせいたしました。申し訳ないです。」
そういって小屋に入っていった舎利弗に、男はいきなり怒鳴り散らしたのだった。
「いったい、いつまで待たせるんだ。あぁ、どうなんだ。俺はな、困っているんだ。それで相談に来たんだ。それなのに、いつまでも待たせやがって。どういうつもりなんだ。」
「あぁ、それは悪いことをしました。まあ、落ち着いて、落ち着いて・・・・。仕方がないのですよ。夕暮れの時間は、後片付けの時間と決まっているのです。それも当番制でして、当番になったものは、何よりも優先的に後片付けをしなきゃいけない決まりなのです。でないと、他の修行者たちに迷惑がかかってしまいます。私たち修行者の都合もあるのですよ。」
「だ、だけど、困っている人を助けるのがあんたたちの仕事じゃないのか。」
「もちろん、そうですよ。困った人たちのお話を聞いて、力になってあげるというのも、私たちの仕事のうちの一つです。しかし、教団の決まりごとを済ますことも、私たちの仕事でもあるのです。困った人たちを助けることだけが、私たちの仕事なのではありません。それも仕事の中の一つ、なのです。ですから、こうしてお話をお聞きします、と言っているのですよ。それに・・・・見たところ、今すぐでないと命に関る・・・などと言う話でもなさそうだ。待っていただいても大丈夫な話ではないでしょうか?。」
舎利弗の言葉に、その男は何も言えなくなってしまったのだった。小声でブツブツ言っていたが「くっそ〜」というと、
「そ、相談事をしていいのか。」
と絞り出すような声で言ったのであった。舎利弗は、どうぞ、と静かに言った。
「相談事というのは、・・・あんた、ラージャグリハで最近有名になっている祈祷師を知っているか?。」
「さぁ、私たちは街中のことには関心がありませんので・・・。」
「まあ、いいや。その祈祷師なんだが、よく願いが叶うと評判なんだ。で、俺も見てもらいに行ったんだ。俺は、何をやってもうまくいかねぇ。特に人間関係がな。いつもなぜかケンカになってしまう。俺だけ孤立してしまうんだ。それで、どうにかそうならないように御祈祷をしてもらおうと思った。運をよくしてもらう、開運の御祈祷というものをしてもらいにいったんだ。そしたら・・・・、おい、聞いているのか?。」
男は、舎利弗が眼を閉じていたので、話の途中で舎利弗に迫った。
「もちろん聞いています。目を閉じて聞いたほうが集中できますんで。どうぞ、話を続けてください。」
「う、ううん、そうか。・・・えぇ〜っと、それで、その祈祷師のところへ行ったんだ。そしたら、『今日はもう終わりだ』といわれた。『明日来てくれ』とな。」
「ほう、それはなぜですか?。」
「『今日は、もう店じまいだ』と言うんだな。『日が沈んだら、祈祷はできない』とな。俺は仕事をしてるんで、夜にしか来れないといったら、『それはあなたの都合でしょ』、ときたもんだ。むかついたねぇ。でな、こういってやった。『お前は祈祷師だろ、祈祷師は人を助けるのが仕事じゃないのか、その仕事を放棄するのか』、とな。そしたら、『明日でも間に合うでしょう。あなたを見たところ、今しなきゃいけない御祈祷はない』、というんだ。むかつかないか?。じゃあ、俺の運はどうなる。それに、翌日も俺は仕事があるんだ。」
「では、そう言ってみればよかったんじゃないですか?。」
「そう言ったさ。『明日も仕事がある。折角、今日来たんだ。貴重な時間を使って、折角きたんだ。祈祷してくれてもいいだろ』、ってね。」
「そうしたら、その祈祷師はなんと・・・?。」
「『そこまで言うのなら、ご祈祷してもいいが、効果はないと思うよ、日が沈んでいるから』、だってよ。むかついたねぇ。そこまで言われりゃあ、俺も頭にきたから、『じゃあ明日来る』、というと、『予約が必要だ』、といいやがる。『明日は、予約でいっぱいだ』とな。『じゃあ、いつならいいのか』、と聞くと、『3日後の昼過ぎに来い』という。」
「ほう、よかったじゃないですか。予約が取れた。」
「何がいいもんか、3日後だぜ。その間に俺の運がもっと悪くなったらどうするんだ。だから、『そんな先は困る、どうしても明日にしてくれ』、といったんだ。そしたら・・・。」
「そしたら?。」
「『ご祈祷の依頼はあなただけではない、大勢面倒見ているんだ。順番は守らねばならない』、ときたもんだ。俺の方が困っているのによ。」
「そう・・・、でも、皆さんは順番を守っているんでしょ?。」
「そりゃ、俺ほど困ってないからね。順番を待っていられるヤツは、俺ほど困っていないんだよ。」
「なるほどねぇ。で、あなたは御祈祷してもらったのですか?。」
「断ったよ。断ってやった。むかついたからね。」
「断ったのですか?。折角予約を取れたのに。」
「だって、大勢面倒見ているとかいうんだぞ。何を偉そうに。それにな、『困ってるのは、あなたでしょう、私は困っていない』、とかいうんだぞ。むかつかないか、そんなこと言われて。」
「まあ、そうですねぇ、しかし、確かに、その祈祷師のいうように、困っているのはあなただったんじゃないですか?。その祈祷師は困らない。」
「そんなことはなかろう。俺の祈祷代金がはいらないぞ。収入がなくなる。それにな、そんなことよりも、俺がむかつくのは、困っている人を一人面倒見れないで、何が大勢だ、ということだ。順番?、そんなもの、何とかなるだろ。一人くらい、どこかに入れられるだろう。昼飯の時間にやってくれてもいいだろう。『幸せになるために開運します、人々のために・・・』、という看板を出しているんだ。じゃあ、俺のためにも開運のご祈祷をしてくれよ。そうだろ。そんな看板を出しているくせに、俺の祈祷はしてくれないんだぞ、おかしいじゃないか。」
「いや、その祈祷師は、祈祷をすると言っていますよ。」
「なにを〜?。あぁ、してくれるかもしれないが、3日後だぞ。3日後。俺は今日じゃなきゃ困るんだ!。」
男は興奮してそう叫んだ。
「ひょっとして、その話は最近の話?、いや、昨日のこと・・・・なのですか?。」
「あぁ、そうだよ。一晩考えてみたんだが、どうしても納得できない。そう思わないか?。」
「はぁ・・・そうですか。事情はわかりました。で、あなたのご相談と言うのは?。」
「決まってる。あの祈祷師を懲らしめてやって欲しい。インチキを暴いてほしんだよ。あんなインチキなことやって、聖者面しやがって・・・。何が開運だ。インチキ野郎め。あんたち修行者は、神通力が使えるそうじゃないか。なら、あんなインチキ野郎のことなんか簡単に懲らしめられるだろう。だから、お願いにきたんだ。」
「そういうことですか。それは、できません。」
舎利弗は、あっさりとそう言った。
「なんでだ。・・・あぁ、お前には神通力がないのか。やっぱ、お釈迦様しかダメかなぁ・・・。」
「神通力があるなしの問題じゃなく、神通力はそういうことに使うものではないからです。たとえお釈迦様でもあなたの願いは聞き入れないですよ。いや、むしろ、注意されるのはあなたの方だ。」
「な、なんだと〜。神通力を使っちゃいけないだと。困っている人がいるのにか!。」
男の叫びに舎利弗は、ため息をついたのだった。

「あなたは、何もかも自分の都合で物事を考えているし、判断しています。わかりますか?。」
舎利弗の言葉に、その男は怪訝そうな顔をした。
「わかっていないようですね。いいですか、あなたの場合、万事、何事も、すべて、あなたの都合で動いてくれないと、あなたは気がすまないのですよ。そうじゃないですか?。相手の都合などお構いなし、全部自分の都合。自分の思うとおりに周りが動いてくれないと、気に入らないのですよ。自分の思ったことが通用しないと、その相手は悪人になってしまうのです。よいですか。その祈祷師は何も間違っていません。正しいことを言ってます。どこも悪くない。」
「いや、そ、そんなことは・・・。困っている俺を見捨てたじゃないか。」
「見捨ててはいませんよ。3日後に来い、といってるじゃないですか。3日間待てばいいのですよ。どなたもみんな、順番を守っているんです。予約をして、その予約時間を守っているのでしょう。それが人間として当然のことだからです。自分の都合だけで物事を判断し、自分の主張を押し付け、それが通らないと、相手が間違っていると非を相手に押し付けるのは、愚かなことです。
その祈祷師の言うとおり、困っているのは、あなたでしょう。祈祷師は困っていないのです。ならば、主は祈祷師であって、あなたはその祈祷師に従うものなのです。
あなたは依頼者なのですよ。相手の都合に合わせるのが当然でしょう。相手の都合や立場、状況を無視して、自分の意見を押し付けたり、自分の都合を押し通そうと言うものは、孤立しても仕方がないでしょう。人間関係がうまくいかないのは当然です。自分が悪い、間違っていると反省できないあなたには、明るい未来はないです。」
「な、なんだと〜。この野郎、それでも出家者か!。修行者か!。それでも・・・・。」
「そうですね。あなたのような者を救うことができない・・・・。力不足であることは否定しません。その点は認めます。しかし、これだけはいえます。
あなたの苦しみの原因は、すべてあなたの考え方の間違いにある。あなたの考え方を正さない限りは、あなたに明るい未来はない、ということです。
自分の都合だけじゃなく、相手の都合も考えて行動しなさい。今は、それだけしか言うことはありません。」
「あぁ、そうかい。ふん、仏陀だ、何だといわれていても、弟子は大したことはないな。それも、その弟子が長老ときている。高弟ときている。そんな程度で高弟なら、お釈迦様って言うのもたかが知れてらぁ。もういい、もうお前らなんかに頼らねぇよ。」
その男は、そう叫ぶと、小屋のとびらを蹴り開けて、足をどすどすいわせながら出て行ったのだった。その後姿を見て、舎利弗はつぶやいた。
「あぁ、人を救うことは難しい・・・。それにしても・・・・、周りの都合に気を配ることができず、己の都合を押し通そうとするものに訪れるのは、孤独と不幸だけだ。彼が、そのことに気付く日が来るといいのだが・・・・。」
と。


こんな話のヤツはいないだろう・・・と思うでしょう。でもね、結構いるんですよ。こういう自己中心的な人間が。
相手の都合はお構いなしに、自分の都合だけで提案し、意見を聞きつつも結局は自分の都合で段取りをつけ、最終的に自分の都合で決定をする・・・・。
「あ、いるいる、そういう身勝手なヤツ。」
という声があちこちから聞こえてきますよね。
うちのお寺には、こういう話はたまにありますよ。たとえば、予約制だっていっているのに、
「なんでですか?。今日じゃダメなんですか?。」
と突然やってくる方。あるいは、都合のいい日を言えば、
「え〜、その日は、私の都合が悪いんです。急いでいるんですけど・・・。」
とごねる方。電話での相談は、面識のある方で急用の場合のみと言っているのに、初めての方でも
「ほんの少しですから・・・。」
と相談事を始めてしまう方。改名などの場合でも、1週間程かかると言っているのに、
「まだですか?。いつになったら名前ができるんですか?。」
と怒り出す方。はぁ・・・、困ったものです。

誰でも、自分の都合に従って周りが動いてくれれば、そんなに楽なことはありません。自分の意見を押し通せれば、そりゃあいい気分でしょう。でもね、そんなわけには行かないのが世の中なんですよねぇ。
相手の立場や仕事の都合や生活状況によって、自分の意見が通らないこともありましょう。そりゃあそうです。世の中、自分中心で回っているわけじゃないんですから。お互いに譲り合い、妥協しあって約束事が決まっていくのです。それなのに、自分の都合だけを押し通そうとするなんて・・・・。ありえませんよね、そんな身勝手。
でもねぇ、意外と身勝手なこと言っていることって、あるもんですよ。

よ〜っく周りを見てみてください。自分の都合を振りかざし、言っても無駄なのに声高に文句を言う方とか、「俺は客なんだぞ」と自分の立場を利用して横車を押しているオヤジとか、スーパーなどでなんだかんだと難癖をつけているオバサンとか、自分の非を認めずに相手を責めたてる方とか・・・・。いるんじゃないでしょうか?。あるいは、そういうことをしたことがあるんじゃないでしょうか。私は・・・・経験ないとは言えませんねぇ。誰でも一度や二度はあるのではないですか?。自分の都合だけで意見を押し通そうとしたこと。

それも交渉のうちはいいのですが、ごり押しとか横車とかになってくると、ちょっとねぇ、あまりにも身勝手になってくるのではないでしょうか。相手の都合もあるし、相手の立場もある。仕事の都合もあるし、家庭の事情もある。そうした中で、お互いに意見を出しあい、妥協しあって一つの意見がまとまっていくのでしょう。世の中そういうものなのに、他の意見を聞き入れず、自分の都合にのみに固執すれば、孤立してしまうのは当然です。運が悪くなるのは当たり前でしょう。
さらに、自分の意見が通らなかったら、あちこちに八つ当たりをしたり、自分の正当性のみを訴えたりするのは、愚の骨頂としかいいようがありません。相手の立場や都合も考えてあげると言う気持ち、思いやりがなければ、やがては孤立していってしまうでしょう。人間関係がうまくいかなくても仕方がないことなのです。

あなたはどうでしょうか?。他人との関係の中で、自分の都合だけで物事を言ってませんか?。相手の立場や都合を考えてあげることはできているでしょうか?。自分の意見だけをごり押ししていないでしょうか?。
もし、自分の都合を押し通そうとしている、自分の意見に固執しているというのなら、一度相手のことも考えてみましょう。自分の都合だけでものを言わず、行動をせず、相手のことも考えて見ましょう。
でないと、孤立してしまいます。そうなれば、明るい未来は・・・・見えてこないですよ。合掌。



第63回
あれもこれもそれもどれも手に入れようとするから悩むのだ。
一つを手に入れるためには、他を捨てなければならないこともある。
それを知れば、楽になるものを・・・。
その日は、祇園精舎で法話が行われる日であった。午前の托鉢が終わり、お釈迦様や修行者たちも昼食を済ませ、戒律どおりの作法で、法話が行われる広場に集まった。また、そこには、遠くや近くから来た在家の信者たちや、修行者たちの協力者、王家の者たちが集まっていた。その中には、お釈迦様の教えを信じるものたちだけでなく、お釈迦様の教えの間違ったところを見つけようとするバラモンや他宗の修行者もいた。そうした人々を前に、お釈迦様は話を始めたのであった。
「ここに集う多くの人々よ、あなたたちは悩めるものたちであろう。その悩みは、人それぞれ異なるものであろう。今日は、その数多くある悩みの中の一つについて話をしよう。その話が、自分にあてはまるものはもちろん、あてはまらないものも、きっと身近にそうした悩みを抱えるものがいるであろうから、よく聞きなさい。

誰でも、その欲望には際限はないものである。欲しいと思ったり、望んだりするものが一つであるとは限らない。あれも欲しいし、これも欲しい・・・。あのようになりたいし、このようにもなりたい・・・・。あれもしたいし、これもしたい・・・。あぁ、身体がもう一つあれば・・・、お金がもっとあれば・・・・などと悩むのだ。中には、人生を同時に二回生きることができれば・・・・などという無理なことを考え、悩むものもいる。自分は一人しかいないし、人生は、今生きている人生しか生きられない。そんなことは当然のことであるのに、無理なことを真剣に考えてしまう。なんと愚かなことであろうか・・・・。

ここにある青年がいた。彼は仕事はしていたが、若いのでそんなに収入があるわけではなかった。しかし、彼はいつも迷い悩んでいた。
『あぁ、あの西の国から仕入れたという恰好のいい服が欲しいなぁ。あぁ、でも、彼女に贈る飾り物も買わないといけないんだ。そうだ、最近できた酒場にも一緒に行こうと誘われているんだっけ。あぁ、どうしよう。お金が足りないや。困ったなぁ・・・。そうだ、夜も働こうか。そうだ、それがいい。』
その青年は、お金を稼ぐため夜も働き始めた。ところが、昼夜働くと、今度は遊ぶ暇がなくなってしまった。
『しまった・・・。夜も働いているから、彼女に会う時間がなくなった。あぁ、どうしよう。友達から誘われても付き合えないし・・・。これじゃあ、人間関係がダメになってしまう。それに・・・、このごろよく失敗をするようになったしなぁ・・・。疲れているんだろうか・・・。』
そうこうしているうちに、その青年は疲労で倒れてしまい、働けなくなってしまった。
『あぁあ、折角貯めたお金も医者代で消えてしまった。働いてばかりいたから、彼女も友人も去っていってしまった。俺は一体何をやっているんだ・・・。』
ついに彼は、何もかも失くしてしまったのであった。

ここにある女性がいた。その女性は、ごく普通の家庭の主婦であった。しかし、あるとき、ある場所で知り合った男性と不貞を働いてしまった。
『あぁ、なんてことをしたのかしら。どうしたらいいの・・・。主人に知られたら困るし、かといってあの人と別れることなんてできない。間違った関係とはいえ、やっぱり別れられない。でも、このままだと、いつか主人にもわかってしまう。主人とも別れたくないし・・・・。彼を選べば主人が・・・、主人を選べば彼が・・・・。あぁ、どうすればいいの・・・。』
こうして思い悩んだ挙句、その主婦は、どちらも選ぶことができず、そのままの関係を続けていた。それはやがて主人の知るところとなり、主人の怒りを買い、家を出されることとなった。家を出されたその女性は、不貞の相手の男性のところへ行った。しかし、そこでも
『お前なんかしらない、帰れ!。』
と怒鳴られた。なんと、その男には妻も子供もいたのだ。ついに、その女性は主人も住む家も、何もかも失くしてしまったのだった。

このような愚かな行為をしてしまう者は、この世の中に多々いるのではないだろうか。あれも欲しい、これも欲しい・・・、これも捨てられないし、あれも捨てられない・・・・、これは諦められない、かといってこっちも諦められない・・・・、さぁ、どうしたらいいのだろう・・・・。
このように悩む者は多々いるであろうし、また、一度は悩んだことがあるのではないだろうか。また、自分で悩まなくとも、周りから要求され困ってしまう場合もあろう。

たとえば、ここにある男がいた。その男は反物を扱う商売をしていた。商売はそこそこうまくいっていたので、財もほどほどに持っていた。その男がある日のこと、彼の妻に言われたことがあった。
『ねぇ、あんた、商売もうまくいっているんだから、家を大きくしないかい?。この家じゃあ、ちょっと狭いんだよ。もう少し大きな家に住みたいんだよ。ねぇ、いいだろう・・・。』
それに対し、その男は、ちょっと困った顔を示したものの、
『う〜ん、そうだな、確かに商品がたくさんおいてあるから家の中が狭いよな。そうだな、もう一部屋くらいあってもいいかな・・・。』
と答えた。しかし、女房は不服そうに反論したのだ。
『何をけち臭いこといってるの。もう一部屋・・・だなんて。商売だってうまくいってるんでしょ。なら、もっと大きなことを言いなさいよ。家自体を大きくすればいいのさ。そうすれば、反物だってもっとたくさん仕入れることができるだろう。ね、だから、家自体を大きくしようよ。』
『あぁ、わかった、考えておくよ。そうだね、お前の言うことにも一理あるからな。』
彼は、とりあえずそう答えておいたのだった。すると、機嫌をよくした女房は、
『ねぇ、あんた、新しい首飾りが欲しいんだけどね。だめかなぁ・・・。』
と甘えたのだった。男は驚いて、怒り出した。
『この間買ったばかりじゃないか。またなのか?。』
『だって、あれはもうみんなに見せたから。また、近所のお友達の集まりがあるの。だから、もう一つだけ欲しいんだけど・・・。』
『あぁ、わかったよ・・・。』
その男は、とりあえずそう答えておいた。次の日、その男の女房からの要求はまた増えたのであった。それは
『旅行に行きたい。』、『新しい服が欲しい。』、『床の敷物が汚れたから交換したい。』、『身体を若く保つ薬が売っていたから欲しい。』などなど、次々と出てくるのであった。男はついに怒りだし
『一体、俺にどうしろと言うのだ。そんなに連続に欲しいものを言われても一度にどうすることもできないだろう。一体お前は何が一番欲しいのか、それを言え。欲しいものの順位をつけろ。そうすればできることから順番に済ますことができるだろう。欲しいものの順位をつけろ。』
と妻にいうと、その妻は笑って答えた。
『順番はつけられないわよ。だって、全部欲しいんだから・・・。』
その日の夕暮れ、その妻は家を出され、何もかも失くして一人たたずんでいた。
『私のどこが悪いって言うのよ・・・。』
とブツブツ文句を言いながら。

人間の欲望には、これらの愚かな者のように際限がない。欲しいものはたくさんある。同時に今すぐ手に入れたい、と思うものはたくさんある。やりたいこともたくさん出てこよう。あれもやりたいし、これもやりたい、あれも欲しいし、これも欲しい・・・・。そう思うのが人間なのだ。
しかし、だからといって、どれもこれも同時に手に入るかと言えばそうではない。どんなことも同時にできるかと言えば、そうではない。一つを手に入れたら、一つを諦めねばならないこともあるのだ。一つを手に入れたら、一つを捨てなければならないこともあるのだ。同時にたくさんのものを手に入れたり、たくさんのことを行うことは、難しいことなのだ。
自分の器と言うものは、皆それぞれ異なっている。その自分の器にあったもの以上を求めれば、苦しいことになるのは当然であろう。自分のできる範囲、できる才能、耐えられる時間、可能な状況・・・・。そうしたものは、人それぞれ異なるものなのだ。あの人ができるから私もできる、彼ができているから私もできる・・・などと言うことはないのである。
ここに集うものたちよ、あなたたちは、分相応という言葉を忘れずに、自分の器をよく見極め、あれもこれもと望まないことである。そうすれば、無闇に苦しむこともなく、楽を得られるのだ。つまり、まずは、自分の器をよく知ることが必要なのだよ。その上で、多くを望まず、一つを手に入れたら、これは次回にしよう、それは次の機会にしよう・・・・という余裕を持つことである。一度に多くを手に入れようとはしないようにしなさい。多欲は必ずや身を滅ぼすものなのだよ。」
この話を聞いて、多くのものが自分と照らしあわせ、恥ずかしそうな顔をしていたのであった。そして、仲間どおしで、「気をつけなきゃな」などと語らいあっていた。誰もが、経験のあることだったからである。

ところが、私は関係ない、と言うような顔をしていたものたちがいた。他宗の修行者やバラモンである。お釈迦様は、彼らの方を見て言った。
「この話は、何もモノだけではない。教えについてもそうである。あの教え、この教え、あの人の教え、この人の教え・・・と多くを聞けば迷うだけである。一人の教えを信じたならば、その人についていけばいいのだ。途中で、間違っている、この人ではない、と思ったら、そのとき他の教えを聞いてみるがいい。他の教えの間違いを探そう、矛盾を見つけよう・・・などと思って聞いていると、そのうちに迷いが生じるのだ。今、学んでいる教えが正しいと思っているならば、他の教えを聞く必要はなかろう。なぜなら、それは迷う元だからである。多欲は、モノだけでなくそれが教えに関してであっても、身を滅ぼす元になるのだということを知りなさい。」
お釈迦様の指摘を受け、そのバラモンや他宗の修行者は、恥ずかしそうに、顔を下に向けたのであった・・・・。


この話のような迷いと言うものは、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか?。
「あれも欲しいけど、これも捨てがたい。さぁ、どうしよう。」
「あちらを立てれば、こちらが立たず。さて、困ったぞ。」
「こっちへも行きたいし、あっちへも行きたい。う〜ん、困った。」
死ぬべきか生きるべきか・・・・じゃないですが、二者択一やいくつかの中から一つを選らばなければならない、という状況は、よくあることですよね。
それが、人生に大きくかかわることであれば、誰かに相談もするのでしょうが、ちょっとしたことや欲しいものに関しては、相談することもなく、一人迷いの中・・・・になることが多いですよね。しょうがないんですよ、だって、
「どっちも欲しい!」
のですからね。
でも、それが無理なときもあるのです。一つを手に入れれば、一つを諦めなきゃいけない、ってこともあるんです。むしろ、その方が多いんじゃないですか?。どっちも同時に手に入る、なんてことは少ないでしょ。どっちも同時に失くすことはあってもね。

人の器と言うのは、大体決まっています。多くを手にできるものもいれば、少ししか手にすることしかできないものもいます。皆同じように手に入るわけではありません。差があって当然なのです。
なのに、人は多くを手にしようと望むのですね。無理をしてでも・・・・。
そこから苦が生まれてくるんですよ。そこから、悩みが発生してくるんですよ。悩み迷い、苦しむことになるんですね。
たとえば、紙袋にいろいろ詰めるとします。肉や野菜、缶詰、卵、洋服にジーパン・・・何でも詰めてみてください。小さな紙袋にはそんなには入らないでしょ。無理やり入れれば破れてしまいます。
ところが、大きな紙袋だと、たくさん入りますよね。それでも、限度はあります。しかも、丈夫な紙袋、よれよれの紙袋、という差もありますよね。
それと同じなのです。問題は、器の大きさなんですよ。多くを望むのなら、まず、大きく丈夫な紙袋になることですよね。

もう一つ例えを・・・。
お腹をすかせた羊(ヤギだったかな?)がいるとします。その羊から、少し離れたところに、均等の距離でエサの草をおきます。つまり、羊を頂点に二つのエサの草で、二等辺三角形をつくるんですね。
と言うことは、二つある草は、どちらの草も、その腹をすかせた羊から同じ距離にあるということです。角度も同じですね。こうなると、その羊、どちらを選ぶかわかりますか?。
実はその羊、迷うんですね。どちらを食べようか・・・・と。同じ角度、同じ距離。さて、どっちがいいのか。片方が、少しでも自分に近ければ、羊は迷うことなく、近いほうを選びます。しかし、同じ距離、同じ角度だと・・・・。
そう、散々迷ったあげく、羊はどちらも選ぶことができず、飢え死にしてしまうんですよ。

そんなバカな!・・・と思うかも知れませんが、同じようなことを人はやってますよね。どちらも選べことができず、気が付いたらどちらも失った、手遅れだった・・・・ということをね。さっさと、片方を取り、片方を諦めれば、失うことはないんですけどねぇ・・・・。

皆さんは、このかわいそうな羊にならないように、また、紙袋を破らないように、一つを手に入れるためには、他を諦めることも必要だ、ということをよく理解してくださいね。合掌。



第64回
自分の言葉が、周りにどのような影響を与えるか、
それをよく考えてから言葉を発せよ。
汝、無闇に語ることなかれ・・・。

お釈迦様の弟子に、カールダーインという方がいた。この方、出自はお釈迦様と同じカピラバストゥで、その大臣の子供であった。子供のころから、陽気な性格だったが、ついついお調子に乗ってしまうという癖があった。その癖は、出家してからもたびたび顔を出し、教団内に迷惑をかけることもしばしばあった。カールダーインの言動が元で作られた戒律も多々あったくらいである。悪い人ではないのだが、ついついやりすぎてしまう、ついつい暴走してしまう・・・・、そんな人だったようである。

カールダーインは、そのころお釈迦様の元を離れ、若い修行者たちと共にお釈迦様とは別の精舎で修行をしていた。もちろん、カールダーインや他の若い修行僧は、悟りを得ていなかったので、勝手にお釈迦様の元を離れることはできなった。が、お釈迦様が認めた尊者や長老のいる精舎へいくならば、お釈迦様の元を離れることも許された。カールダーインは、なるべくうるさくない長老がいる、小さめの精舎を選んで、若い僧と共にお釈迦様の元を離れたのである。その精舎の長老は、悟りを得てはいたが、指導することはあまりうまくなかった。そういうところならば、比較的自由に修行できたのである。カールダーインは、気楽さを選らんのだ。
ある日のこと、カールダーインが修行をしていると、ふと閃くものがあった。
「むむむむ。おぉぉ、今、ピカピカっときたぞ。うぅぅぅん、ひょっとして悟りか?。うん、そうかもしれない。おぉぉ。だとすれば、神通力が使えるかも・・・。」
そう思って、試しに自分の托鉢用の鉢を手を使わず浮かせてみようとした。すると、托鉢用の鉢は、フワフワと浮かぶではないか。
「おぉ、はやり・・・。俺は、ついに手に入れたぞ。神通力だ。う〜ん、他にもできるかもしれない。」
そう思って、カールダーインは、いろいろな神通力を試してみた。空中に浮いてみたり、遠くを見通してみたり、一緒に修行している者の心の中を覗いてみたり・・・・。
それらは、どれも成功したのだった。
「よし、よし、もう少し練習をしてみよう。そうすれば、あの目連も驚くような神通力が手に入るかもしれない。うふふふふふ・・・。」
それ以来、カールダーインは、悟りを得る修行ではなく、神通力を磨く修行に励むようになってしまったのだった。

神通力は、悟りを得る修行をしている過程で、自然に備わってくるものである、といわれている。しかし、お釈迦様の教えは、神通力を得るのが目的ではなく、悟りを得るのが目的である。神通力は、あくまでも悟りのオマケ、副産物なのだ。オマケが悟りを差し置いて主流になってしまっては本末転倒である。ロクなことにはならないものなのだ。なので、お釈迦様は、神通力の使用を禁止していた。どうしても使う必要のある場合のみの使用を許可したに過ぎない。しかも、神通力を使っていい弟子は、悟ったものだけと限定していた。お釈迦様が悟りを得た、と認めた弟子のみが使ってよいものだったのである。しかも、頻繁に使用してはいけないものとされていた。お釈迦様は、神通力の無闇な使用を固く固く禁じていたのだ。なぜならば、簡単に神通力を使ってしまえば、人々はそれを利用し、自分の努力をしなくなるからである。困ったことがあれば、「あの尊者の神通力に頼ればいいや」といって、自分で何とかしようとする努力を惜しむようになるからである。そのことをちゃんと理解できるのは、悟ったものだけだったのだ。なので、お釈迦様が認めたものだけが神通力の使用の許可を得られたのである。
しかし、弟子の中には、神通力を得ると嬉しくなって、やたらと使いたくなる者もいた。困ったことに・・・・。

カールダーインも神通力が使えるようになって、舞い上がってしまったもののうちの一人だった。彼は、神通力を得始めたころから、その修業ばかりしていたので、神通力に関しては、なかなかの腕前を持つようになっていた。そうなると、その神通力を使いたくなるのは当然である。彼は悟りを得ていないから、神通力の使用に関しては、歯止めがきかなかった。悟ったものであれば、神通力の使用に、自分で制限を設けることができるのだが、彼の状態ではとても無理だったのだ。それに、そもそも、悟りを得ていないものは神通力の使用は固く禁じられている。カールダーインにとって、それは今や大きな足かせだった。
「う〜ん、神通力がすごくうまく使えるようになったのだが・・・、俺は悟りを得てないしなぁ・・・。困ったなぁ・・・。まあ、いいか。教団の外で使わなきゃバレることはないだろう。ここで、そっと使ってやろう・・・。むふふふ。」
カールダーインは、そう自分で決めると、その日から、修行仲間に対し、神通力で悪戯をするようになったのである。
その悪戯は、このようなものだった。ある日のこと、托鉢の時間になっても、カールダーインは、精舎の中で座ったままで動こうとしなかった。他の修行者は具合が悪いのだろうと、カールダーインをおいて托鉢に出かけたのだった。皆が托鉢から帰ってくると、カールダーインは、やはり座ったままだった。皆は、心配して声をかけたが、何も答えなかった。皆は、仕方がないので、彼を放っておき、食事をしようとした。ところが、先ほどまであった托鉢した食事がすべて消えていたのだ。皆があわてていると、カールダーインが口をもぐもぐしているではないか。皆の托鉢した食事を、彼が神通力で盗ってしまったのだった。
その他にも、修行仲間の考えていることをあてたり、片付けたはずのものを再び出しておいたり、寝ている場所を移動させたり、女性を出現させ修行の邪魔をしたり、いろいろな悪戯をした。しかし、そこにいた誰もがカールダーインをとがめることなく、すごいすごいと持て囃してしまったのだった。
「すごいぞ、カールダーイン。もはや君の神通力は、目連尊者をしのぐのじゃないか。」
「そうそう、目連尊者は、たいしたことをしないように聞いたぞ。お前の方がすごいよ、きっと。」
「あぁ、神通力第一の称号は、カールダーインがもらうべきだな。」
カールダーインの周りにいた修行者は、そういって彼を褒め称えたのであった。

こうなると、いつもの癖が出てしまうのがカールダーインの悪いところであった。彼は、調子に乗ってしまったのである。彼は、精舎の中では、
「今や私の神通力は、教団一であろう。困ったことがあったら、このカールダーインに聞きなさい。」
と自分より年若い修行僧に言い、托鉢のときにはその家々で、
「私は教団一の神通力を持っているんだ。わからないことがあったら何でも私に相談するがいい。」
と吹聴しまわったのである。今やカールダインは、有頂天にあった。

その後間もなく、カールダーインの元を訪れる人々が急激に増えだした。彼本人や若い修行僧たちが街中で、カールダーインのすごさを大げさに言い回ったためであろう。様々な相談がカールダーインのところへ持ち込まれた。しかし、言っていいことと悪いことの判断が、カールダーインにはついていなかったため、神通力で知ったことをそのまま伝えてしまうことがたびたびあった。それは家庭を壊すような内容までにも及んでしまった。
「あっ、ふふ〜ん、困ったですねぇ。あなたの寿命はあと数週間ですね。」
「おや、あなたは、お子さんと仲たがい中ですね。これは永遠に続きますよ。あなたのお子さんは、いずれ出て行き、親を見捨てるでしょう。」
「このままでは、地獄行きですね。助かりませんな。」
また、相手の理解力や状況なども考慮などは全くしなかったため、誤解や衝撃を与えることもしばしばであった。中には、カールダーインに言われたことがきっかけで、家族がバラバラになったり、家族や近所でもめることがあったり、心の病に陥ったりするものが出てきた。さらには、いくら神通力を使ってもどうしていいかわからないことも増えてきた。そんなときカールダーインは、
「え〜っと、それはですねぇ・・・。(くっそ〜、わからないよ。どうやって答えればいいんだ。うぅぅん・・・。どうしようか・・・)。こ、心の問題ですから・・・。」
と、適当にごまかすようになってきたのである。街中の人々は、カールダーインは、いい加減な行者として噂するようになっていった。
「困った、困った。この噂がお釈迦様の耳に入ったら・・・・。どうしよう・・・。あぁ、どうしよう・・・。」
カールダーインは、街中の噂が広まるのを恐れ、ビクビクしていた。

そんなある日、お釈迦様がカールダーインのいる精舎を突然訪れた。
「久しぶりだね、カールダーイン。修行は進んでいるかね。どうですか、長老よ、カールダーインの様子は。」
お釈迦様の問いに、カールダーインは、うつむいて何も答えなかった。長老は、そんなカールダーインを横目で見て、
「お釈迦様、困ったことに、このカールダーインは・・・・。これも私の指導力がないためではありますが・・・。なんとも嘆かわしい。いつか気付いてくれると思って、野放しにした私が悪いのです・・・。あぁ、いや、お釈迦様は、何もかもお見通しでしょう。これ以上、私にいうことはありません。お釈迦様の言葉に従います。」
と言って、深々と頭を下げるのであった。
「そうですか。では、他の修行僧も集めてください。それから話をしましょう。」
お釈迦様の言葉により、その小さな精舎にいる全部の修行僧が集められた。
「ここに集うものよ、よく聞くがよい。言葉は大事なものである。言葉は生きている。特に、あなたたちが発する言葉には、特別な力が宿る。そのことがわかるかね?。」
お釈迦様の言葉に、カールダーインや集まった修行僧はお互いに顔を見合わせ、首を傾けるのであった。一人、長老のみがうなずいていた。
「わからぬようであるな。さもあらん。汝らは、悟りの入り口すら至っていないのだから。そんなものが、不用意な発言をして、人心を惑わすのだ。愚かなものたちよ。よいか、よく聞くがいい。自分の言葉が、周りにどのくらい影響を与えるか、それを今考えよ。それがわかるまで、口を開いてはならぬ。」
お釈迦様は、厳しい口調でそう言った。

刻々と時は過ぎていった。お釈迦様がこの精舎にやってきたとき真上にあった太陽は、すでに西の方へと傾いていた。それでも誰も一言も発することはなかった。
ついに、日が沈み始めた。そのときだった。おずおずとカールダーインが口を開いた。
「あ、あの・・・。」
「なんだね、カールダーイン。」
「はい、わ、わかりました・・・。いえ、たぶん、わかったと思います。」
「どうわかったのか言ってみよ。」
「はい。言葉は、それが発せられると、その言葉を聞いたものが受け取るものです。その受け取り方によっては、曲がって受け留めたり、ひねって受け留めたりもします。正確に受け取ってもらえない、伝わらないことがあります。それは、受け取る側の力量と言うか、理解力により差が出ます。そのことを理解して話をしないと、誤解が生じ、揉め事が生まれてしまいます。家庭内で、親子関係で、あるいは仕事関係で揉めるのも、多くは言葉の行き違いであったりするでしょう。ちゃんと伝わらない、あるいは、曲がって伝わる・・・。そのため、誤解が生じる。誤解は、新たな誤解をうんだりします。そうして揉め事は大きくなっていくのでしょう。人間関係で、言葉の行き違いは多々あることと思われます。それは、相手の立場や理解力、状況などを考えず、不用意に発言するから生じる誤解です。話をするときは、相手の理解力や相手が置かれている立場や環境、人間関係など複雑な背景を考えてから話をしないといけません。また、話している途中で、我を忘れて夢中になって話をしてもいけません。相手の理解の度合いを計りながら、言葉をつくして話をしてあげるべきでしょう。そうすれば、下手な誤解を生むことはありません。
さらに、私たち修行者は、在家の方から見れば、修行をしている分、言葉に重みがあります。私たちの言葉は、お釈迦様の言葉でもある、と在家の人たちは判断するでしょう。それだけ、私たち修行者の発する言葉は、特別なのです。特別な力が宿っているのです。私たちの発した言葉は、それがどんな言葉であれ、容易に信じられてしまいます。下手をすれば、相手の人生を変えてしまうことにもなりかねません。それだけ、私たちは言葉に注意しなければいけない立場にあるのです。」
そこまで、一気にカールダーインは話すと、
「申し訳ありませんでした。私が間違っていました。」
と叫び、深々と頭を下げたのであった。

お釈迦様は、硬い表情のままカールダーインにいった。
「今回のことは、どこで間違ったかわかるかね?。」
「はい、私は神通力を使えるようになり、有頂天になってしまいました。そこが問題です。そして、悟ったと自惚れてしまい、そんな能力もないくせに人々の相談に答えるようになってしまいました。また、相手の理解力や環境や、置かれた状況などを考慮せず、思ったままをそのまま述べてしまいました。それがいけなかったのです。」
「ふむ、そうだね。しかし、それだけではない。そのほかの修行者よ、お前たちも間違ったのだ。それがわかるか?。」
お釈迦様にそういわれた他の修行者は、ただおろおろするばかりであった。日は完全に沈んでしまった。あたりを暗闇が包み始めた。長老が静かに立って、灯明を一つ持ってきた。長老が座るのを待って、お釈迦様が話を始めた。

「よいか、そもそも今回のことは、カールダーインが、神通力を持ったことと、悟りとを取り違えたことに端を発する。しかし、その過程で、汝ら修行僧は、カールダーインの誤解に対し、火に油を注ぐようなことをしたであろう。そのことがわからぬか?。」
お釈迦様の問いに、誰も答えられなかった。
「わからぬか。では、教えよう。汝らは、カールダーインの神通力を見て、『目連尊者よりもすごい、教団一の神通力だ、すごいすごい』とおだてたであろう。その言葉が、カールダーインにいかなる影響を与えるかを考えもせず。長老はなぜ黙っていたか・・・・。汝らの中の誰かが、おだてること、煽ることの愚かさに気付かないか、それを見ていたのだ。誰も気付かなかったようだから、長老は、ひそかにカールダーインに注意をしたはずだ。神通力は使うな、と。しかし、カールダーインは、それを長老の嫉妬だと理解した。そして、汝らのおだてに乗り、益々調子付いてしまったのだ。
愚かなことよ。何の根拠もなく、人をおだて、煽り、調子付かせて、有頂天にさせるとは。また、真実の言葉に気が付かず、愚かな言葉に扇動されたカールダーインも、愚か者以外の何ものでもない。愚かなものが発す言葉は、愚かな内容でしかないから、誰も救うことはできず、かえって不幸なものを作ってしまう。
言葉の恐ろしさに気が付かないもの、言葉の力を知らないものは、己の発する言葉で人を傷つけ、人を不幸に落としこめるのだ。今こそ知るがよい、
『自分の言葉がどれほど影響を与えるのか、どれほどの力を持つのか、よく知ってから、よく考えてから、言葉を発せよ。それが理解できぬものは、無闇に語るな。汝ら、無闇に語ることなかれ、真実の言葉のみを話すがよい。』
理解できたかね?。」
そういわれた修行僧たちは、
「これからは、発言する前に、その言葉がどのような影響を与えるのか、よく考えてから発言をします。影響力がわからない場合は、語らず黙します。真実の言葉のみを話せるよう、心して修行いたします。」
と誓いを立てたのであった。
その様子を見て、初めてお釈迦様は微笑んだのであった・・・・。


言葉は武器である、言葉一つで人を殺すことができる・・・。
そう言ったのはどなたでしったけ?。まさにその通りだと思います。言葉は、その使い方によっては、人を救うこともできるし、人を不幸にすることもできるものです。特に、私たちのような立場にあるものは、言葉の恐ろしさをしっかり理解していないといけません。

言葉に気をつける職業と言えば、マスコミでしょう。しかし、最近のマスコミは、ちょっと考えさせられる面がありますよね。散々おだてあげて、調子付かせて、持ち上げておいて、すっと引くような、そんなところがあるように思うのは、私だけでしょうか?。TVなどを見ていると、それがニュースであっても、そんな傾向があるように思えます。たとえばオリンピックのときもそうでした。先日のサッカーのときもそうでしたね。冷静に判断された言葉はほとんどなく、ただただ希望的観測による言葉、内容のない言葉、おだてる言葉だけが多く並んでいたと思います。あいかわらず、マスコミっていい加減だなぁ・・・と思いながら見ていました。皆さんは、どう思われたでしょうか?。

しかし、こうした扇動の言葉やおだての言葉は、一般の人間関係にもまま見受けられますよね。それだけでなく、相手のことを思いやらず、傷つけてしまう言葉もよく聞きます。あなたにも言葉一つで、傷つけられた、傷つけてしまった、という経験はあるのではないでしょうか?。
あるいは、よかれと思っていった言葉が、大きな影響を与えてしまう、トラブルを引き起こしてしまう、ということもあるでしょう。はたまた、話しているうちに、興奮して我を忘れ、つまらないことを言ってしまったり、つい調子に乗って言ってはならぬことを言ってしまい大騒ぎになったとか、まあ、言葉のトラブルは後を絶たないんじゃないか、と思います。ついつい口走ってしまい、後悔するんですよね・・・・。

占い師やアドバイザーなどは、特に注意が必要ですよね。自分が言った一言で、その人の人生が変わることもあります。
私も特に注意しています。言葉には、大変気を遣っています。どこまで理解できるか、どういえばわかるか、どのような話し方をすればいいか、どこまで話せばいいか・・・・。相手の理解力を早く知り、その人の背景を考慮し、なるべくわかりやすく話をしようと心掛けています。しかし、それでも伝わらないときがあるし、誤解を生じるときもあります。言葉は本当に難しいものです。
ましてや、私たちは、真言を操るものです。使い方によっては、呪いにもなります。言葉は恐ろしいもの、という自覚がないと、とんだ罠にはまってしまうでしょう。

言葉は恐ろしいものです。言葉を発するとき、それが相手や周りにどのくらい影響を与えるか、その言葉がちゃんと相手に伝わるか、そうしたことを考慮してから、言葉を選び、発言することが大事です。なんでもいいから思ったことを言うだけでは、相手を傷つけたり、とんだ誤解を生んだり、トラブルの元を作ったりするのです。
「私なんかの言葉が、そんな影響力なんてないさ・・・・。」
と思わず、誰の言葉も大きな影響力を持つものだと注意し、よく考えてから発言をしたいものです。言葉は生きていますからね、ご注意を・・・。合掌。



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