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第65回
簡単に手に入れたものは、簡単に失いやすい。
苦労して手に入れたものは、失いがたい。
努力し、苦労して手に入れたものは、よく身につくのである。

コーサラ国の街の外れに、チッタドーサとマンタドーサという兄弟が住んでいた。その兄弟の親は、宝飾品の細工師であった。王族や貴族階級、大金持ちの商家の婦人、権力のあるバラモンの婦人などからの注文で、王冠や首飾り、腕輪などの貴金属品を作ることを生業としていたのである。
当時のインドは、職業はほぼ世襲式であった。大工さんの子は大工、農家の子は農家、料理人の子は料理人というのが一般的であった。そういう慣わしであったため、なんの考えもなしに、チッタドーサもマンタドーサも親の跡を継ぐつもりでいたのだった。
15歳になると、まずは兄の方から親について細工物を習い始めた。その2年後、弟のマンタドーサも細工物を習うようになった。
兄のチッタドーサは、大変器用であった。どんな細工もそれほど教えられることなく、それほど時間をかけることなく、難なくこなしていった。また、性格も明るく、ハキハキしていたため、周りからも好かれていた。ところが、弟のマンタドーサは、不器用であった。兄より2年遅れているとはいえ、年の差では理解できないほど、不器用だったのである。一つの細工物を作るにしても、兄の3倍の時間を要した。しかも、それほど難しい細工物ではないのに、である。ちょっと込み入った細工物になると、手に負えなかった。そのたびに、
「あ〜ぁ、俺はこんなもの、すぐに作れるようになったぞ。お前は、不器用だなぁ。何度言っても同じところでしくじるし。お前、オヤジの教え、理解してるか?。覚えてるのか?。はぁ〜、お前って、ちょっとバカだからなぁ・・・・。まあ、いいや。難しいのは俺が作ってやるから、お前は簡単なものを作ればいいよ。二人で力をあわせてやっていこう。」
とバカにされているのか、慰められているのかわからないような言葉を掛けられていた。マンタドーサは密かに思っていた。
(このままでは、いずれ兄さんに迷惑をかけてしまう。どうしようか・・・。他の仕事に変わった方がいいのだろうか・・・。でも、俺は不器用だからなぁ・・・。それに俺、バカだから、他の仕事も覚えられないかもしれないしな・・・。どうしよう・・・・。)
マンタドーサは、悩み続けていた。そんな様子を見て、父親は
「いいか、焦ることはねぇ、コツコツ努力していくことだ。兄さんと比較しちゃならねぇ。な〜に、俺も不器用な方だったんだ。それにな、こうした細工物は頭で覚えるんじゃねぇ。身体で、指先で覚えるんだ。うまく作ろうなんて思うな。教えたとおりに真似すりゃあいいんだ。いいか、お前だって、コツコツ努力すりゃあ、やがて俺を超えられるさ。」
と常々言って、マンタドーサを励ましていた。しかし、マンタドーサにとっては、その言葉は単なる慰めにしか聞こえなかったのだった。

兄のチッタドーサが親に細工を教えてもらうようになって3年ほどたったころのことであった。チッタドーサが、注文の品をある大金持ちの貿易商のもとへ届けに行くと、その貿易商の商人から、家の中へ入るように言われたのだった。そして、
「君が、チッタドーサかね。君はなかなか腕がいい宝石細工師だと聞いているが、この首飾りは、君が作ったものかね。・・・・ふむ、ほう、これは見事だ。確かにいい腕だ。それに・・・ふむ、君は見たところ、なかなか商才もありそうだ。どうだね、わしと組んでもっと大きな仕事をしないかね。」
といわれたのである。チッタドーサは、驚いた。嬉しかった。大いに喜んだ。しかし、すぐには承諾せず、
「は、はい、ありがとうございます。しかし、父に相談してみないことには・・・。それまで返事をお待ちいただけますか?。」
と答えた。その商人は、
「あぁ、当然じゃな。すぐに『やります』なんていう軽いヤツは信用できん。君の答えは満点だな。よくお父様を説得するがいい。おそらく反対するだろうから。親とはそういうものだからな。あっはっはっは・・・。」
と笑いながら言って、チッタドーサを送り出した。

チッタドーサは家に帰り、貿易商の家であったことを報告し、貿易商について行きたいと願った。当然、父親は反対した。
「バカモノ!、うぬぼれるんじゃねぇ。お前はまだ半人前だ。いくら器用でも、基礎がなってねぇ。まだ、教えることは山ほどあるんだ。そんなんじゃあ、いずれ行き詰ることになるぞ。だいたいな、そんな甘い安易な話は、うそくさくっていけねぇ。話にならん。」
「うそくさいって・・・。うちの客でしょう。支払いも滞っていなし、高価な注文を下さるお客さんですよ。信用できますよ。それに僕は、商売と言うものもやってみたかったんです。大丈夫です。僕には考えがあるんです。これは大きな幸運なんですよ。こんな幸運を逃がすことはないでしょう。」
「ふん、どうしても行きたいのなら、勝手にしやがれ。好きにするがいいさ。しかし、どうなっても俺はしらねぇぞ。出て行くんなら、それなりの覚悟をしていけ!。」
「もちろんです。覚悟はできてます。では、明日、この家を出ます。今までありがとうございました。」
こうして、チッタドーサは家を出たのである。

それから2年がたった。チッタドーサは、大金持ちの仲間入りをしていた。彼の器用さは手先のことだけでなく、商売にも発揮されたのである。貿易商の男は、喜んだ。
「ふむふむ、思ったとおり、君はなかなか商才がある。器用に立ち振る舞いができる。しかも、細工師という面も持っている。自分で作り、自分で売り込む、自分で注文をとり、自分で作る・・・・。なんと効率のいいことか。わしの見込みどおりだ。あっはっはっは。」
「はい、ありがとうございます。あのときお誘いがなければ、こんな生活は望めませんでした。夢のようです。」
「うんうん。でもな、これで満足してもらっちゃあ困るよ、君。さらに上を目指してくれないとね。」
「はい、もちろんです。これで満足はしません。大丈夫です、任せてください。」
と返事はしたものの、チッタドーサは
(何をバカなことをいってるんだ、このオッサンは。余裕だよ、余裕。金はたんまりとある。金なんて俺にかかれば簡単に稼げるさ。はっはっは・・・。)
と思っていたのであった。
そのためか、次第にチッタドーサの気は緩んできた。貿易関係の人間との交際も増え、遊びが増えた。細工物を作るのが面倒になってきた。注文を受けても、納品が思うようにならなくなってきた。
(仕方がないなぁ・・・。まあ、儲けはあるんだから、よそのヤツに作らせるか。誰がいいかな・・・。あぁ、弟がいたな・・・。あぁ、でもあれは不器用だから、俺のような細工は無理だな。しょうがない、腕のいい細工師を探すか。)
こうして、チッタドーサは、自分で注文の品を作るのをやめてしまったのであった。

初めの2年ほどはそれでうまくいっていた。しかし、次第に苦情が出てきたのであった。ある日のこと、チッタドーサを誘った貿易商の男が、彼を呼びつけた。
「お前は何をやってるんだ。注文の品がうまく廻っていないという報告が来ているぞ。どうなっているんだ。」
「どうもなっていないです。順調ですよ。ちょっと遅れているだけです。」
「お前、勘違いしていないか。最近、遊んでばかりいると聞いているぞ・・・。いいか、お前は簡単に金持ちになった。金のありがたみがわかってないんだ。気をつけろよ、金なんてすぐになくなるぞ。特に、信用を失ったら終わりだ。」
「ご忠告、ありがとうございます。そんなことにはなりませんから、ご心配なく・・・。」
そういうと、チッタドーサはニヤニヤ笑いながら去っていったのである。
しかし、貿易商の男の予言は当たってしまった。チッタドーサは、遊びに夢中で仕事を人任せにしたため、細工物で粗悪な品を出し、一挙に信用を失ってしまったのだ。彼の貯めたお金は次第に底をつきはじめた。それでも、なんとかなると高をくくり、遊びはやめず、生活を変えようとはしなかった。そして、ついに彼は破産し、姿を消してしまったのだった。

チッタドーサが家を出て十数年がたっていた。家では、弟のマンタドーサが今日もコツコツと細工物を作っていた。彼は、不器用ながらも、父親の真似をして、何度も何度も同じ事を聞きながら、同じことを教えられながら、懸命の努力と苦労を重ねたのだった。そのため、基本的なことはすべて修めていた。さらに努力を重ね、応用させることを学んでいった。今では、親のころよりも評判のいい宝石細工の職人になっていた。
ある日、そんなマンタドーサの家に小汚い浮浪者が現れた。その浮浪者は、
「ふん、いいもの作ってるじゃねぇか。いつから、こんなに器用になったんだ。」
と声をかけてきた。それはチッタドーサであった。
「兄さん、いったいどうしたんです、その姿。貿易商としてうまくいっていたんじゃないんですか?。」
「あははは・・・。もう随分前に破産したよ。で、逃げたんだ。」
「逃げたって・・・。でもその恰好・・・・。兄さんなら貿易の仕事がダメでも宝石細工の腕があるじゃないですか。」
「あぁ、ダメだよ、もう忘れちまった・・・。いや、俺もそう思ったんだ。だから、商売に失敗したあと、この腕を生かせば何とかなる、と思っていたんだ。でもな・・・・。オヤジの言葉覚えてるか?。」
「父さんの言葉・・・・?。」
「覚えてねぇか、相変わらず物覚えが悪いな・・・・。ふふふ。オヤジはな、俺が家を出るとき、こういった。『お前は基礎ができてないから必ず行き詰る』とな。」
「そ、そんな・・・。兄さんは腕がよかったじゃないか。基礎ができてないなんて・・・。」
「いや、できてなかったんだ。俺は、細工を覚えてたてのころから器用にできた。だから、基礎的なことはしていないんだ。オヤジは、基本を学べ、俺を真似しろ、といったが、面倒でね。そんなことしなくても、できてしまうんだからな。だけど、それは落とし穴だったんだ。」
「落とし穴?。」
「そうよ。基礎ができてない、ってことは、応用が利かないってことさ。俺は、何でも簡単に手に入れてしまった。細工の技術も基礎を学ばずに簡単にできるようになった。金もそうだ。簡単に大金を手にいれてしまった。だから、そのありがたみもわからなかったんだ。細工の技術も、金も簡単に手に入ると思い込んでいた。だけど、そうじゃない。簡単に手に入れたものは、そのありがたみがわかっていないから、簡単に失う。俺は、自分の才能に溺れて、努力を怠った。腕を磨くことをしなかったんだ。だから、今、お前が作っているような手の込んだ仕事は俺にはできないんだよ。」
「そ、そんな・・・。なぁ、兄さん、行くところあるのかい?。ないなら、ここで一緒に細工の仕事をしない?。もう一回、やってみないか?。」
「俺にはできないよ。今のお前に追いつこうなんて無理だ。かえって迷惑をかける。俺は邪魔者になるよ。」
「そんなことはないって。最初から基礎を学べば、すぐにできるようになるよ。兄さんは器用だもの。才能があるなら、磨けばいいじゃないか。なぁ、一緒にやろうよ・・・。」
弟の言葉に、チッタドーサは、その場で泣き崩れ
「ありがとう、ありがとう、お前はいいヤツだな、あんなにバカにしたのに・・・。」
と弟に頭を下げたのだった。
やがて、兄も手の込んだ細工物ができるようになっていた。二人の兄弟は、協力し合って、店を盛り上げていったのだった・・・。

お釈迦様の祇園精舎での法話が終わった。
「みなのものよ。簡単に手に入れたものは、簡単に失うことが多いのだ。だが、コツコツと苦労しながらも努力して得たものは身につくものなのだ。これは、技術でも、お金でも、何でもいえることである。もちろん、悟りもそうである。簡単に悟ったからといって、偉くはないのだよ。すぐに失ってしまうような悟りは、本当の悟りとは言わないのだ。苦労して、努力して、やっと手に入れた悟りはいつまでも失うことなく、身につくものなのだ。だから、あなた方の周りに、簡単に悟りに至ったものがいたとしても、何も焦ることはない。よいかね、得るものの速さは関係ないのだ。むしろ、じっくり基礎を学んで、じっくり時間をかけて得るほうがよいのだよ。成功を、悟りを、結果を焦ってはならない。あわてないことである。」
お釈迦様の言葉は、弟子たちに深く浸透していったのだった・・・・。


昔神童、今ただの人。
この言葉よく聞きませんか?。よくは聞かないかな・・・・。
子供のころ、すごく優秀で何でもできて・・・っていう方、周りにいませんか?。同級生とかで、そういう方いませんでしたか?。
同窓会なんかに出席すると、
「え〜、お前が〜」
ってこと、よくありますよね。これには二通りありますよね。
「え〜、お前って、昔、すごくできたじゃないか。勉強も運動も、なんでも器用にこなしたのに、なんで?。」
と言うパターンと、
「え〜、お前が?、あんなにダメオだったお前が?。出世したもんだなぁ・・・。」
というパターンですね。
意外と、子供のころ優秀だったって人は、あんまり伸びてない・・・、そうじゃないですか?。
だって、初めから優秀な人は努力しませんからね。

人は、簡単に手に入れたものは大事にしないもののようです。特にお金はそうですね。賭け事で大金を手に入れたって話も聞きますが、そういうお金って、パ〜ッと使っちゃうようですよね。気が大きくなってどんどん使っちゃうんですね。気が付いたときには、手に入れたお金以上に使ってたりして。
宝くじで大金を当てた場合もそうですよね。たいていは、不幸になってしまう・・・・と聞きます。
最近では、株で大金を手に入れる方が増えているようです。あれも、一種のギャンブルですからね。上がるか下がるか、それに賭けるんですからね。ギャンブルなんですよ、株は。
で、一時的に大金を手にしちゃうと、一気に大金持ち気分になって、贅沢をしちゃうんですね。大いなる勘違いをするわけです。で、ヒルズ族とか田園調布の仲間に入っちゃうと、もう大変。簡単に大金を手に入れたはいいけど、持続性はないし、もう一度大金よ、と思ってもうまくいかなかったりするし・・・。結局、行き詰ってしまうのです。あ〜、庶民でよかった・・・。そう思ってくださいね。

初めから才能があって、天才だ、なんていわれると、本人は努力しなくなるんですね。そうなると、伸びないんです。簡単にこなしていってしまいますから、努力を怠るのです。
お金でも、コツコツと稼いだお金は、もったいなくって簡単には使えません。ですが、何も努力せず手に入れたお金は、すぐに使いたくなってしまいます。
語学でもそうですよね。外国へ1年ほど留学して語学堪能になって帰ってきても、日本でその国の言葉を使っていないと忘れてしまいます。ところが、日本にいて、コツコツ勉強した場合は、なかなか忘れないそうです。
あ〜、そういえば、私もサンスクリット語やチベット語を学んだのですが、もうすっかり忘れてしまいましたよ。高野山大学時代は、いい成績だったんですけどねぇ。サンスクリット語もチベット語も、結構いけてたんですが、いまじゃあ、ぜんぜんダメですなぁ・・・・。

物事は、どんなものでも、簡単に身につけてしまうと、案外簡単に失ってしまうものです。苦労して、努力を重ねて、迷いながら、苦しみながら得たものは、簡単には失いません。そこにたるまでの土台がしっかりできているからです。基礎ができているからです。ありがたみがわかっているからです。
初めからできる、学ばなくてもできてしまう、簡単に金を手を入れた、初めからお金持ち、と言うような場合、それらの事柄のありがたみがわかっていませんから、価値が理解できていませんから、失うのも早いんですよね。金持ちのボンボンが、親の作り上げた資産を失ってしまう、と言うのと同じです。

結果を急がなくてもいいのです。早く成功を・・・なんて望まなくていいのです。あの人は器用でいいなとか、簡単に理解できていいな、簡単に手に入れられていいな、とか羨ましがる必要はありません。
あなたは、あなたの目標に向かって、コツコツ努力し、苦労を重ねていけばいいのです。その苦労や努力、経験は、必ずあなたの役に立つでしょうし、あなたを裏切ることはありません。
苦労して手に入れたものほど、美しく高価なものはありませんよ。合掌。


第66回
推測や憶測、つまらない想像や噂話で
判断してしまうから正しい関係が保てないのである。
揉め事の多くは、そうしたことから始まる。
お釈迦様の弟子たちは、大変な勢いで増えていった。そのため、弟子の指導には、お釈迦様があたるのではなく、悟りを得た弟子、その中でもお釈迦様が認めたものがあたった。お釈迦様が直接指導にあたるのは、他の弟子では面倒を見ることができない場合のみであった。
なので、多くの弟子たちは、広い精舎の中で高弟の指導者のもと・・・そうした高弟のことを長老と呼んだ・・・数人のグループを構成しており、そのグループごとに行動をしていた。

広大な敷地を持つ、竹林精舎でのことである。ある長老のもとで弟子たちが修行に励んでいた。その長老は、面倒見がよかったのか、弟子の数は他の長老よりも多く、13人ほどであった。托鉢も食事も終わり、長老の教えが始まっていた。
「よいか、この世は苦の世界であることをまず認識するのだ。そこから悟りの道の第一歩が始まる。この世は苦の世界であることをよく瞑想して知ることじゃ。」
その長老の弟子たちは、多くがお釈迦様の弟子になったばかりであった。修行者になったばかりなのである。従って、最も基本的なことから教えられていた。そのためか、不満を漏らすものも現れてきたのであった。
ある日の夕方のことである。弟子の一人コーリタが、他の弟子デーバナーナに愚痴をこぼしていた。
「なぁ、毎日毎日、同じことの繰り返しでつまらなくないか?。あ〜ぁ、俺は飽き飽きしてきたなぁ・・・。」
「そんなことを言うなよコーリタ。お前も悟りを得たいんだろ。なら、まずこの世は苦であることを知らないといけないからね。仕方がないだろう。」
「ふん、わかったふうなことをいうなよ。お前は優秀だからなデーバナーナ!。」
「何を怒っているんだ?。そりゃまあ、コーリタの気持ちもわかるけどさ。ま、がんばろうよ、な。」
デーバナーナの励ましは、コーリタには蔑みにしか聞こえなかった。このとき、コーリタの心に小さな復讐心が生まれたのだった。
(ふん、デーバナーナのヤツ、俺をバカにしやがって。何が『がんばろうよ、な』だ。いい子ぶりやがって。だいたい、日頃から俺はアイツが嫌いだったんだ。いつも人を小ばかにしているような顔をしやがって。いや、きっと心の中では俺のことをバカにしているに違いない。そうに決まっている。ふん、今に見てろよ・・・。)
コーリタは、ニヤニヤ笑いながら、デーバナーナの後姿を見ていた。

数日後のことである。
「デーバナーナは、修行仲間のことをバカにしている」
という噂が流れていた。この噂に関し、修行仲間は賛成派と反対派に分かれてしまった。そのことに関した話は、デーバナーナがいないときに、仲間内で交わされていた。
「うん、確かにデーバナーナは、我々をバカにしているところがあるよな。」
「そうじゃないだろ。親切なんだよ、彼は。君たちは誤解しているよ。」
「誤解だって?、そんなことはないさ。いつもいい子ぶってないか?。きっと、あれは長老に媚を売ってるんだよ。自分だけ、気に入られようとしてさ。」
「なんでそうなるんだ?。どうしたら、そういう見方ができるんだい?。おかしいだろ、それ。勝手に想像しちゃいけないと思うよ。」
「なんだ、お前もいい子ぶるのか。はっ、お前も長老に気に入られたいんだろ。そんなヤツとは一緒にいたくないね。これからは、水場も離れて使ってくれないか。」
「な、何を言ってるんだ。俺が何をしたっていうんだ?。」
「いい子ぶるなよ。本音はさ、修行はつまらない、と思ってるんだろ。俺たちみたいに。なぁ〜、みんな。」
その言葉に、そこにいた8人ほどの修行仲間がうなずいた。その中には、コーリタもいた。
「デーバナーナは、長老に気に入りられたいだけだ。よくアイツの行動を見てみろよ。本当に悟りを求めている行動とは思えないぜ。気に入られたい、それだけだ。誉められたい、それだけだよ。心から悟りを求めようという態度じゃないと思うよ、俺はな。」
コーリタは、そう力説した。
「そ、そうかなぁ・・・・。俺にはそう思えないが・・・・。」
「そんなことないさ。デーバナーナをよく観察してみなよ。やることなすこと、媚を売ってるよ。だいたい、そうじゃなきゃ、仲間をバカにしているなんていう噂が流れるか?。」
「そういわれればそうだが・・・・。でもなぁ・・・。想像だけで、そんなことを言っていいのか?。」
「想像じゃない。俺はアイツの行動を見て、推測しているんだ。分析だよ。間違いないさ。な、みんなもそう見えるだろ?。」
コーリタは、周りにいた仲間に問いかけた。周りの修行者は、みな
「そうだ、そう見える」
とうなずいたのであった。
「そうかなぁ・・・。」
デーバナーナの友人は、納得いかない様子ではあったが、自信を持ってデーバナーナを庇うこともできなかった。

噂は噂を呼び、勝手な話がまことしやかに流れるようになった。
「デーバナーナは、修行仲間どころか長老すらバカにしている。」
「本当は、お釈迦様に直々に教えを請いたがっている。」
「もう悟ったつもりでいる。」
「仏教教団に親が多額の寄付をしたので、優遇されている。」
などなど、根も葉もない噂が修行仲間の間で密かに語られていた。その話は、他の修行者たちにも伝わっていった。いつしかデーバナーナの周りには、3人の仲間だけになってしまっていた。他の10人は、デーバナーナを避けて固まり、デーバナーナのほうを見ては噂話をして笑っていたのだ。
デーバナーナの仲間の一人は、その態度が許せなった。デーバナーナは、無視を決め込んでいたのだが、その友人は理不尽だといって怒っていたのである。
「お前ら、何をコソコソ話しているんだ。堂々と言ったらいいじゃないか。どうせ、俺たちの悪口を行っているんだろ。」
「は、想像でモノをいうなよ。お前らのことなんか意識もしてないよ。」
「そうそう、生意気なデーバナーナと腰ぎんちゃくのことなんか無視だね。あはははは。」
その言葉を聞いて、ついにデーバナーナの友人がその修行者を殴ってしまったのであった。
「お前ら、どうしてそういう根も葉もないことを言うんだ。いい加減にしろよ。」
「な、なにをするんだ。ちょっと噂話していただけじゃないか。このあたりじゃ、みんなこの話で持ちきりだぜ。」
「そうだそうだ、お前こそ、デーバナーナに金でももらってるんじゃないのか。」
「あのな、修行者がどうして金を持っているんだ。憶測でモノを言うなよ。そういうところから、つまらない噂話が広まるんだ。」
「なんだとこの野郎。」
騒ぎを聞きつけ、長老が走ってきた。
「これ、これ、どうしたと言うのじゃ。なにをやっておるか。」
「こいつが俺を殴りました。」
「殴られても仕方が無いことをお前らはしていたんだろ。勝手なことばかり言いやがって。」
「これこれ、静かにせんか。どういうことか、じっくり話を聞かせてもらおうか。事と次第によっては、お釈迦様に報告せねばならんからの。」
こうして、長老の前で、コーリタ派とデーバナーナ派に分かれて言い合いが始まったのである。

コーリタ派の言い分は、「デーバナーナは、修行仲間をバカにしている」という主張だった。そして、そのことに関して具体的に例をあげた。曰く、自分たちに対する態度が悪い、冷たい、その割には長老に媚を売っている、嫌な目つきで見る、きっと心の中で我々を蔑んでいる・・・・というものだった。
一方、デーバナーナ派は、「すべて言いがかりである」という主張だった。曰く、コーリタたちが思っていることは、すべて根拠の無いことで、想像や憶測に過ぎない、ということだった。
両者の言い分を聞いて、長老はどのように判断していいのか困ってしまった。
(さて、弱ったものじゃ。確かに、想像でデーバナーナのことを言っているのだろうが、そういう印象だ、と言われれば、否定できないし、かといって根拠の無いことを認めるわけにもいかん。さて、どうしたものか・・・・。)
「長老、何を黙っているんですか?。さっさと、デーバナーナたちに謝らせてください。彼らは暴力を振るったのですよ。」
「もとはと言えば、つまらない噂話を流す方が悪いんです。修行者なら修行者らしく、憶測や想像で物事を語らず、真実のみを語るべきです。」
「真実だろう。デーバナーナが我々をバカにしているのは。」
「根拠があるのか?。」
「あるさ、あの目つきや態度だよ。冷たい態度さ。」
「そんなのは、お前たちの勝手な判断だろ。デーバナーナの心を読めたのか?。」
「そんなの決まっているさ。心は態度に表れるからな。」
不毛な言い合いが続いていた。長老は困り果て、お釈迦様に助けてもらうことに決めた。
「わかった。今の話、お釈迦様の前でしてもらおうか。」
こうして、彼らはお釈迦様の元に向かったのである。

すべてを聞いたお釈迦様は、まずこう言った。
「なんにせよ、暴力はいけない。まず、それを謝ることだ。」
お釈迦様の言葉に、不服ではあったが、デーバナーナの友人がコーリタ派の修行者に謝った。
「しかし・・・。」
お釈迦様の言葉が続いた。
「コーリタよ、汝はデーバナーナの心がわかるのか?。態度に表れているというが、それを証明できるのか?。コーリタの仲間たちよ、デーバナーナの振る舞いをもう一度よく思い出してみよ。本当に汝らをバカにした態度であったろうか?。憶測や推測で、そう思っただけではないのかね?。あるいは、誰かの言葉に惑わされて、見間違っていたのではないか?。」
その言葉に、コーリタの仲間たちは、「どうだろうか」、「いやいや、その態度は・・・」、「あぁ、でも・・・」などと小声で話し合っていた。
お釈迦様は、しばらく待っていた。そうしたとき、コーリタの仲間の一人が、
「ひょっとしたら、確定的なことは無いのかもしれない。いや、そうだ。我々は、単なる推測でデーバナーナのことを判断していたのかもしれない。いやいや、そうだ、そうなんだ。」
と言い出した。それにつられ、他の修行者も次々と
「あぁ、そういえば、デーバナーナの親が多額の寄付をした話なんて根拠は無いよな。いつからそんな話が流れたんだろう。」
「そうだな、彼は別にいつも普通の事をしていただけだよな。修行者として、当たり前のことを言っていただけかも・・・。」
「うんうん。俺たちは誤解していたのか?。そうか、デーバナーナが何も言わないことをいいことに、勝手に噂話をしていただけなんだ。」
「つまらない噂話に振り回され、判断を誤ったのは我々の方か。でも、誰が一体最初にそんなことを言い出したんだ?。」
その言葉に、そこにいた修行仲間は、いっせいにコーリタをみた。
「俺は、そんな・・・・。そうだよ、俺だよ。勝手な噂話を流したのは。デーバナーナの態度を見て、こんな話なら誰も否定しないだろうという話を勝手に作ったのは俺だよ。でも、俺はほんの些細な噂話を流しただけだ。それなのに、噂は噂を呼び、勝手に妙な憶測が挟まり、そのうちにみんな勝手な想像で話を作り上げて言ったんだ。お前らがな。俺は、きっかけを作ったに過ぎない。お前らが、そのきっかけに振り回され、自分勝手な推測や憶測を交え、噂話を作り上げていったんだよ。俺だけのせいじゃない。お前らも同罪だ。」
「その通りだ。今、コーリタが言ったことは真実である。汝らは、噂話に振り回され、デーバナーナを見て、勝手な憶測や推測を働かせ、勝手にデーバナーナの虚像を作り上げていった。そこから、デーバナーナに対する誤解が始まったのだ。元は、まぼろしなのだよ。汝らは、ありもしないデーバナーナの虚像、まぼろしを相手にしていたのだ。虚像相手に意地悪をしていた汝らは愚か者である。
また、そのまぼろしに振り回された者と揉め事をおこす方も愚か者である。相手は、まぼろしに言いがかりをつけているのだ。デーバナーナそのものに言いがかりをつけているのではない。そんなものは相手にしないのがいいのだ。いずれ、修行が進めば、自ずと真実を見る目ができる。そうすれば、誤解は自然に解けるものだ。唯一、デーバナーナのみがそのことに気付いていたのであろう。
よいか、相手の態度を見て、そこから心のうちを推測するのはやめるがよい。汝らの力量で、人の心が読めるわけが無い。推測や憶測で物事を判断すれば、誤解や揉め事がおこるに決まっているのだ。相手が何を考えているのか、それは憶測や推測では判断できないことなのだ。それが知りたければ、相手に素直に聞けばいいのだ。以後、憶測や推測で物事を判断してはならぬ。噂話に聞き耳を立ててはならぬ。そんなことに振り回されないよう、しっかり修行しなさい。」
お釈迦様の厳しい言葉が、修行者の頭に降り注いだのであった・・・・。


憶測で人を判断することはよくあることではないでしょうか。
たとえば、会社でいつもニコニコしている上司が、ちょっと不機嫌だと、
「何があったんだろう。家庭で面白くないことがあったのかな?。」
「夫婦喧嘩かな?。奥さんに怒られたとか・・・。」
「きっと、夜遊びがばれたんじゃないの?。」
などと憶測が憶測を呼び、いつの間にか本当の話のようになって、その人の周りに流れていくんですよね。こうして、噂話は作られていくんです。

たとえば、職場に新しく入ってきた人が、ちょっと無口な人だったりすると、周りの人は勝手な想像を働かせてしまうこともあります。
「ネクラなんじゃないの?。」
「態度ワルゥ〜。生意気よね〜。」
「小ばかにしてるんじゃないの?」
などなど、本人の意思とは関係なく、話は膨らんでいってしまい、誤解を呼んでしまうんですね。本人は、単にシャイなだけかもしれないのに。

私なんかは、よく誤解されます。ちょっとあらぬ方向を見ていると、何を見ているわけでもないのに
「えっ、私の肩に何かついています?。」
「何かいるんですか?。」
な〜んて話になってしまいます。まあ、実際に見ているときもありますが、な〜んにも見ていないで、考え事をしているだけ、ってときもありますよね。
さらには、言葉の裏を深読みし過ぎて、こちらが思ってもいないことまで想像してしまうという、妙に想像力のたくましい人もいますよね。人の言葉は、素直にまっすぐとらえて欲しいんですけどね。

あなたの周りの人のことを、あなたはまっすぐ見ているでしょうか?。色眼鏡をかけてみてはいないでしょうか?。その人の態度やしぐさ、表情などで勝手な想像をめぐらしてはいないでしょうか?。憶測や推測で判断してはいないでしょうか?。
人間関係で揉めるときや嫌な思いをするときは、この「勝手な想像で相手の像を作り上げてしまう」事が原因になっていることが多いようです。その人本人から何も話を聞いていないのに、いつのまにか、妙な推測や憶測をしてしまい、勝手なその人の人物像を築き上げてしまっている・・・・。そして、その虚像に怒ったり、むくれたり、妬んだり、羨んだり、恨んだりするのです。傍から見ている人にとっては、愚かしいことにしか見えないんですけどね。
「きっとそうよ、そうなのよ」
なんて恐れたり、恨んだり、怒ったり、妬んだりしていないで、相手に直接聞けばいいんですよ。真意をね。想像で物事を判断してはいけません。
また、妙な噂話に振り回されてもいけませんよね。これだけ情報が発展した社会なのに、未だに妙な噂話に振り回され、株価が上下するのは一体どういうことなんでしょうね。人間って、本当に愚かだなぁ、と思います。

よくよく聞いてみれば、
「な〜んだ、そういうことだったのか。それはそれは、誤解していました・・・。」
なんてこと、よくある話です。勝手な想像や憶測、推測、噂話に振り回されないように気をつけてくださいよ。真実がわかったとき、恨まれるのはあなたですからね。根も葉もない、根拠の無い話には乗らないことです。面白がるのも、ほどほどに・・・・。

ほら、あの不機嫌な上司、その理由はなんと・・・
「誰が夫婦喧嘩をしたなんて噂を流したんだ。俺はナ、痔が痛かっただけなんだ、バカモノ!。想像で話をするな!。」
なんだそうですよ。人間の想像力や推理力・・・・・あてにはならないですねぇ・・・・。合掌。


第67回
なぜ変わることができないのか。
それは古い自分を捨て去ることができないからである。
「あぁ、こんな生活もう耐えられないわ!。お城に帰りた〜い!。」
尼僧たちが集まっているお堂に、その声は響き渡った。
「落ち着きなさいヤショーダラー。あなたも自分で好んで出家したのでしょ。それなのに、自棄になってはいけませんよ。」
「いいえ、もう嫌、耐えられません。こんな生活耐えられないのよ。あぁ、ふかふかの布団で眠りたい。いろいろな食べ物が食べたい。贅沢な暮らしが懐かしい・・・。」
そう泣き崩れたのは、お釈迦様が出家する前の王子時代の妃であるヤショーダラーであった。

お釈迦様の弟子はその数を爆発的に増やしていった。今では、インド一の教団となっている。そのお釈迦様の教団が尼僧を認めたのはつい最近のことであった。
お釈迦様は、当初女性の出家を認めなかったのだが、弟子のアーナンダの懇願と、お釈迦様の母マーヤーの妹で育ての母親でもあるマハーパジャーパティーの強い意志に、仕方がなく女性の出家を認めたのであった。そのときに出家したのが、マハーパジャーパティーやお釈迦様の元の妻ヤショーダラー、その侍女たちであったのだ。
お釈迦様は彼女らが出家したときに、
「教団での生活は、城内のような生活ではありません。贅沢できません。皆平等です。それに耐えられますか?。」
と何度も確認したのであった。そのたびに、マハーパジャーパティーは
「もちろんです。その覚悟はできています。私たちはお釈迦様の教えに従い、自らの欲を超越するように修行したいのです。そのために出家するのです。」
と、答えていたのであった。お釈迦様は、
「他の者はどうであろう。仕方がなくマハーパジャーパティーに従っているだけではないだろうか。みんな自分の意思で出家を望んだのだろうか?。」
と問うた。その問いに、誰もが、
「自らの意思です。自分で望んで出家の道を選びました。出家したくないという者は、カピラバストゥの城を出てマガダ国へ逃れていきました。」
と答えたのであった。
「出家の生活は、大変苦しいものです。今までのような気持ちでは勤まりません。今までの自分を捨て、生まれ変わるつもりでいないと生活できませんよ。」
「もちろんです。私たちは、今までの自分を捨てるつもりでいます。新しい人生を生きなおすために出家するのです。私たちのようなものでも変わろうと思えば変われる、ということを示したいのです。そのためにも出家を許してください。」
「そこまで言われるのなら仕方がない、あなたたちの出家を認めよう。ただし、条件がある・・・。」
と、お釈迦様は、いくつかの条件をつけて女性の出家を許したのである。
そう、お釈迦様は彼女らの誰かが、出家の生活に耐えられなくなることを危惧していたのである。そして、そのときの影響を心配していたのである。その心配が現実のものとなってきたのであった。

ヤショーダラーは、もともと勝気な性格であった。しかも出身が小国ではあるが王女であったし、王子の妃という立場であったため、出家後もなかなかその気持ちが抜けなかった。すぐに元侍女であったものたちに
「あなた、私の寝所の掃除をしておいてね。」
「私の分の托鉢もお願いね。」
「あら、やだ、そんな下品な食べ物、私はいらないわ。そちらの果物だけいただくわ。」
などなど、我が侭がついつい顔を出してしまっていた。習慣とは恐ろしいもので、元侍女たちも、ヤショーダラーの命令に
「わかりましたお妃様。」
と答えてしまうのであった。そうした場面に出くわすたびにマハーパジャーパティーは注意をしていたのだった。
「ヤショーダラー、いい加減にここの生活に慣れたらどう?。そんな調子では、いつまでたっても変わることはできません。他のものそうです。あなたたちはもう侍女でも何でもないのですよ。いったい何のために出家を望んだのですか?。」
と。ヤショーダラーは、注意を受けるたびに反省し、
「以後、気をつけます・・・。」
とは言うのだが、それが続くのはほんの数日で、すぐに妃の顔を出すのであった。そして今日も
「こんな生活、耐えられない!。」
と叫んでいたのであった。

そんなときであった。新たに娘が一人出家してきたのだ。その娘は、名前をサーキヤといった。彼女は無口でほとんど話をしなかった。よく働くのであったが、その表情は暗く、いつも隅のほうにうずくまっているのだった。
ある日のこと、マハーパジャーパティーがサーキヤに尋ねた。
「あなた、なんでそんな隅っこにばかりいるの?。もっと、みんなの中に入ってきていいのですよ。ほら、今日はおいしいマンゴーがたくさんあるわ。あなたも一緒に食べましょう。」
そういうと、サーキヤはおびえたような目をして、マンゴーを一つだけもらうと、すぐに隅の方でかぶりつくように食べたのであった。その様子を見ていたヤショーダラーが笑い出した。
「あははは、何よあの子。まるでスードラの子ね。みっともない。あんなのと一緒にいるとこっちが腐るわ。あんなの出て行けばいいのよ。」
「これ、ヤショーダラーなんてことをいうの。ここでは、みんな平等なのよ。身分とかの差別はないのよ。まだわからないの。」
「ふん、そうでしたね。でもね、スードラの子はいつまでたってもスードラよ。奴隷気分が抜けないのよ。変わることなんてできないわよ。だから、あんな隅っこでコソコソしているのよ。あんなのと同じ屋根の下にいるなんて信じられないわ。いいや、違うわ。あなたたちもよ。あなたたち、元侍女も、よく私と同じ屋根の下にいられるわね。侍女は侍女のようにもっと小さな小屋で寝ればいいのよ。スードラの子は外で寝ればいいのよ!。」
その言葉に、マハーパジャーパティーも、一緒に出家した元の侍女たちも首を深く垂れ、部屋を出て行ったのであった。そのあとをサーキヤもついてきていた。ヤショーダラーはただ一人、僧堂に残されていた。マハーパジャーパティーは、サーキヤに優しく言った。
「サーキヤ、ヤショーダラーの言ったことは気にしないように。でもね、あなたも折角出家したのだから、今までの自分を捨てなきゃダメよ。変わろうとしなきゃダメ。ここでは、身分はないの。みんな平等なの。いいわね。だから、いつも皆一緒なのよ。」
その言葉に、サーキヤは涙を浮かべながら、何度も肯いたのであった。

その後、ヤショーダラーの周りには誰も寄り付かなくなっていた。彼女は、いつも荒れていた。朝起きれば文句を言い、沐浴すれば河が汚いと文句を言い、香を塗れば匂いがよくないと文句を言い、誰も手伝ってくれないと文句を言い、托鉢に出れば出たで何であんな残り物の食べ物をもらわなきゃいけないのと文句を言い、まずいまずいと文句を言いながら食事を終え、昼からは退屈だ、教えがわからない、誰か教えてくれと文句を言い、一日中文句を言いながら終わっていた。
そんな状態なので、誰も彼女に近付こうとしなかったのである。唯一、マハーパジャーパティーだけが、時折
「そんなに文句ばかり言ってはダメ。自分が変わらなければいけないのよ。こうして生きていけるだけでもありがたいことでしょう。いい加減、古い自分を捨てなさい。」
と教えるのであったが、
「そんなこといわれても、わからないの。できないのよ。私は変われないのよ。」
とふてくされるばかりであった。

ある日のこと、そんなヤショーダラーに近付いてくる若い女性がいた。それは、サーキヤであった。
「なによあなた、誰よ?。新しい出家者?。」
ヤショーダラーは、つっけんどんに言った。するとサーキヤは、物腰低く、でも堂々とし、
「いいえ、ヤショーダラーさん。私はサーキヤです。しばらくぶりです。」
と答えたのであった。ヤショーダラーは驚いた。サーキヤの姿が見違えるように堂々としていたからだ。あの隅っこに隠れるようにコソコソしていた姿とは全く違っていた。
「ウ、ウソでしょ。そんなはずはないわ。冗談でしょ。サーキヤは、汚くて、いつもコソコソしていて、惨めで、卑屈な目をしていたのよ。あなたとは似ても似つかないわ。私をからかっているのね。」
「ヤショーダラーさん、ちゃんと目を開いて見てください。真実を見る眼を持ってください。自分の欲にまみれた目でものを見ないでください。私はサーキヤです。間違いなく、スードラの子であったサーキヤです。」
「ウ、ウソよ・・・、そ、そんな・・・。そんなはずはないわ。あの子がこんなになるなんて・・・。あり得ないわ。ウソよ!、もういいわ。そうやって、みんなして私をバカにするんだわ。あっちへ行って・・・、行きなさい!。」
「いい加減にしないかヤショーダラーよ。興奮して、私の姿さえ目に入らぬようだな。」
サーキヤの後ろには、お釈迦様の姿があったのだった。

お釈迦様の前にヤショーダラーが座っていた。その周りをマハーパジャーパティーたち尼僧が取り囲んでいた。サーキヤは、お釈迦様の横に座っていた。
「ヤショーダラーよ、この娘は間違いなくサーキヤである。汝も気付いているのであろう。現実を認めるがいい。」
「はい、どうやらそのようですね。この子はサーキヤですね。随分と変わったこと・・・。」
「なぜ彼女が変われたか、わかるか?。」
「そんなこと・・・・、あなた・・・いえ、世尊やマハーパジャーパティ様がよく指導したからでしょ。私にはしてくれないような・・・。」
「それは違う。その答えは間違いだ。ここでは、すべてが平等だ。汝もサーキヤも、マハーパジャーパティーも、周りにいる尼僧たちも、みんな平等なのだ。誰かが、汝に不平等な扱いをしただろうか?。よく考えて見なさい。」
「・・・・・・・。」
「答えられぬか。では、私の話をよく聞きなさい。汝は、毎日文句を言っているようだが、どうだね?。」
「私だけが不当に扱われているから、仕方がないでしょ。」
「果たしてそうだろうか?。汝が沐浴する場所だけ、河が汚れているだろうか?。汝の香だけが匂いの悪いものだろうか?。汝の食事だけがまずくて食べられないようなものだろうか?。汝だけが誰からも教えを受けていなかっただろうか?。汝だけが小さな汚い小屋に押し込められていただろうか?。さぁ、どうかね?。」
「・・・・・みんな一緒・・・・でした。」
「そうであろう。では、なぜ文句ばかり言うのか?。」
「・・・・・・。」
「汝は、変わりたいのか?。今の自分が嫌なのか?。それとも昔の自分に戻りたいのか?。」
「そ、それが・・・、わからない、わからないのです。心のどこかに、昔のような華やかな生活を望んでいる自分があり、かといって、マハーパジャーパティーや他の尼僧たちのように、なんの憂いもない生活を望んでいる自分があり・・・・。いったい、どっちが自分の望みなのか、わからないのよ・・・・。でも・・・。」
「でも、なんだね?。」
「サーキヤを見て、嫉妬しているし、羨ましいと思っています。ああいう顔になりたい、と思うのです。自分もサーキヤのように変わりたい、そう思うんです。だけど、変われない・・・・。」
「それはなぜだね?。」
「・・・・わからない、わかりません。」
「それは、自分を捨て切れていないからだ。よいか、ここに来た以上、出家した以上、過去は切り捨てよ、といったはずだ。今までの自分は死んだのだ。出家した日から、違う自分に生まれ変わったのだ、そう思いなさいといったはずだ。汝は、過去の自分を捨て切れていないのだよ。だから変われないのだ。」
「じゃあ、サーキヤは・・・・。」
「奴隷であったころの卑屈な気持ちを捨てたのだよ。自分を捨てることにより、どんなに身分が低い者でも変わることができる、ということを知ったのだ。どんなに心が貧しいものでも変われるということを知ったのだよ。だから、こんなに清々しいのだ。」
お釈迦様の言葉に、サーキヤは微笑みながら言った。
「自分を捨てることは辛かったです。奴隷の身分から解放されることは嬉しいことなのに、なぜか自分が捨て切れませんでした。奴隷時代、どんなにひどい目にあったか知れません。でも、そんな自分でも自分だったのですから、捨て切るというのは淋しい思いがありました。辛い時代の自分が愛しいのです。そんな自分がかわいそうで捨てちゃいけないんじゃないか、と思う日もありました。でも、変わりたかった。奴隷根性の染み込んだ自分から抜け出したかった・・・。それには、どんなに辛くとも、淋しくとも、古い自分を捨て切らなければいけないのです。それを知ったとき、気持ちが晴れてきました。そして気付いたのです。
『あぁ、今まで自分がしがみついてきた自分は、なんと愚かだったのだろう』
と。古い自分は捨てるべきなのです。古い自分は思い出と共に流していくべきなのです。そうでないと変わることはできません。ヤショーダラー様、王妃時代の思い出や習慣、振る舞いはすべて捨ててください。そんなものには、何の価値もありませんから・・・・。」
「わかったか、ヤショーダラーよ。もはや、汝は以前の汝ではないのだよ。生まれ変わったのだ。」
サーキヤとお釈迦様の言葉に、ヤショーダラーは深く深く頭をたれたのであった・・・・・。

その後、ヤショーダラーは、一切のわがままを言わなくなり、やがて悟りを得たということである。


私のところに来られる方は、そのほとんどが悩みを抱えてきます。そりゃそうですよね。悩みがない人は、うちに来たりはしません。
で、その悩みを抱えてこられる方々のほとんどは、何回か来るうちに、段々と変わっていきます。もちろん、その変化の速さには個人差があります。一回の話ですっかり解決し、晴れ晴れとしてしまう方もいれば、何度も足を運んで、やっと変わってくる方もいます。あるいは、供養やお祓いを重ねていって、やっと変わってくる方もいます。
それでも、皆さん、ほぼいい方向へ変わっていきます。じゃないと、誰も来ないですよね。実績がないところへは、どなたも相談なんかこないでしょう。来られる方が、悩みを解決し、明るい顔に変わっていくから、他の方も来られるのでしょう。

ところが中には、なかなか変わってくれない方もいます。それも事実です。何度も何度も話をしても、しつこくしつこく注意をしても、いつまでたっても同じ過ちを繰り返す・・・・。そんな方もいたりするんですよ。
そういう方を見ていますと、共通点が出てきます。それは、
「自分を捨て切れていない」
ということです。

本人は、変わろうと努力はしているんです。確かに努力はしているようなんです。でも変われない。
なぜなのか・・・?。
注意された自分の欠点を捨て切れていないんですね。たとえば、
「どんな相手にでも、丁寧な言葉を使いなさい。特に年上の人には、タメグチで話さないように。相手に対し、謙虚な態度でいるように。」
と注意したとします。初めのうちは、自分でも注意していますから、謙虚な態度でいられるんですね。ところが、時間がたつにつれ次第に古い自分が出てくるんです。で、いつの間にか年上の人にタメグチになっているんですよ。特に、何かに興奮したり、イライラしたりするとダメですね。

あるいは、
「間違っているのは自分であり、何でも人のせいにしてはいけない。なぜそうなったかをよく考え、自己反省をするようにしなさい。自分の悪い部分をまず見るように。」
と注意したとします。やはり、初めのうちはいいのです。自分のこういうところが悪いんですよね、と反省しているんです。ところが、いつの間にか
「なんで私が悪いんですか?。私のどこが悪いんですか?。」
になっているんですよ。そういっているときは、たいてい他の人と揉めているときです。私は悪くないのに、と言っているんですよね、そういうときって。

こうした繰り返しが、少しずつ減っていけばいいんですよ。徐々にではあるが、成長が見られれば、私も長い話に付き合う甲斐があるってもんです。
ところが、来るたびに同じ間違い、同じアヤマチを繰り返されるとタメイキものですよね。
「この間もいったでしょ、それ。同じことでしょ、それ。」
「あぁ、はい・・・・そうですね。じゃあ、じゃあ、私が悪いって事ですか?。」
「そうでしょ、そうじゃないですか?。よく考えて見なさい。」
「そう・・・・ですねぇ・・・・。はい、前に言われたことと同じですよねぇ・・・・。すみません、私が悪いんです・・・。」
2〜3回ならわかります。これが、毎回となると・・・・・。困ったものですね。すみません、ちょっとグチになりました。

変わりたいなら、変わろうと努力しなければ、変わることなんてできません。では、変わる努力とはどんなことをすればいいのでしょう?。答えは簡単です。
「古い自分を捨てる」
ただ、それだけです。変えたい部分、変えなきゃいけない部分を捨てるだけです。それを捨てられないのは、本当にその部分が自分の悪いところだと思っていないからでしょう。
むしろ、捨てなければいけない部分が、愛しいと思っていたり、そういう自分が好き、と思っていたりするのです。本当は、本音を言えば、捨てたくない部分なのでしょう。
そうであるなら、変わることはできません。

もし、あなたが本当に、心から自分を変えたい、と思うのなら、自分が変えたい所を即座に捨ててください。そうでないと、変わることはできません。
ますは、古い自分を捨てることです。そこから始まるのですよ。合掌。


第68回
なぜ周囲の人とうまく付き合えないのか。
それは周囲の人たちの気持ちを理解しないからである。
自分の考えを押し通すだけでは、周囲とうまく接することはできない。
お釈迦様がいらした当時の仏教教団は、当初のうちはお釈迦様が直接弟子たちに教えを説いていたが、弟子が増えるに従い、弟子の中で悟りを得たものが指導者になるようになった。ただし、悟りを得たものすべてが指導者になるのではなく、お釈迦様が認めたものが、指導者となった。その弟子は、長老と呼ばれ、一人の長老に、数人から十数人程度の弟子が付き従ってその長老に指導を受けていた。お釈迦様が直接指導したり、教えを説く場合は、大きな法話会のときか、問題が起こったとき、長老たちでは指導が難しいときであった。

その日、祇園精舎にいたお釈迦様の元に弟子入りを希望するものがやってきた。名前をカンタッタといった。20代半ばの若者であった。
「カンタッタよ、汝は仏陀に従い、教えに従い、出家者たちに従うか。」
「はい、従います。」
「では、汝が守るべき戒律を授けよう。」
こうして、カンタッタは仏陀と仏陀が説く教えと出家者たちに従うことを誓い、出家者として守るべき戒律を受け、弟子の一人となったのであった。
「では、誰に指導をしてもらおうか・・・・。目連、汝に頼もうか。」
お釈迦様の言葉に、目連は
「承知いたしました。カンタッタを指導いたします。」
と頭を下げた。カンタッタは、目連の弟子となったのである。

カンタッタは、明るく、何でもはっきりと物事を言う性格の青年であった。なので、目連の他の弟子たちにも、物怖じしないで挨拶もしっかりとできた。
「今日から、皆の仲間になるカンタッタだ。君たちは、先輩の修行者であるから、彼がわからないことはいろいろ教えてあげなさい。」
「はい、承知いたしました。」
「私は、カンタッタと申します。諸大徳の皆様、よろしくお願いいたします。」
「目連尊者は、なかなかに厳しい長老様だ。逃げ出さないようにな。」
その言葉に、目連の弟子たちは微笑んだ。カンタッタも、笑顔を見せていたのだった。
こんな調子で、カンタッタは、すぐに他の修行者たちと打ち解けていったのであった。しかし、しばらくしてのこと、目連の弟子たちの間で、ちょくちょく揉め事が起きるようになっていた。

「どこに座って瞑想してもいい、と目連尊者はおっしゃった。だから、この木を選んだのです。それがなぜいけないんですか?。」
カンタッタが、先輩の修行者に不服を言っていた。瞑想をする場所を選ぶように目連尊者から言われてたのだが、自分が選んだ場所は、先輩修行者ヴェッサの特定の場所であったのだ。
「この木の下で瞑想を行なっているのはヴェッサ大徳だよ。」
「でも、この木の下は集中しやすいんです。」
カンタッタの懸命さにヴェッサが
「あぁ、いいよ、いいよ、カンタッタ。この木を選ぶとは、君もなかなか鋭い。この木の下は、落ち着いて瞑想ができる。私は、もうどこでも瞑想ができるから、君に譲ろう。しっかり、ここで瞑想をして、悟りを得てくれ。」
と折れたのだった。
「ほら、ヴェッサ大徳がいいといっているんだから、いいじゃないですか。さぁ、瞑想をしましょう、諸先輩方。」
カンタッタの態度に先輩の修行者は、不服そうだったが、
「そうだ、カンタッタの言うとおりだ。さぁ、修行をしよう。目連尊者は、お釈迦様に呼ばれて留守であるから、こういうときにこそ、我々がしっかりせねば、な。」
というヴェッサ大徳の言葉に、他のものはしぶしぶ従ったのだった。

このような小さな揉め事がちょくちょくあった。その揉め事は、すべてカンタッタが原因であったのだ。彼が、それまでの習慣ややり方を頭から否定して、先輩たちの意見も聞き入れず、自分のやり方を通そうとしたのだ。もちろん、先輩たちも、今までのやり方の正しさを説明したのだが、カンタッタは聞かなかった。
こうした揉め事を繰り返すうちに、カンタッタに注意するものは次第に減っていった。そのことを心配し、
「カンタッタよ、皆の意見を聞いて受け入れることも大切だよ。自分の意見や主張を通してばかりいては、孤立してしまう。他の意見も聞き入れてはどうかね。」
と、諭す大徳もいた。しかし、カンタッタは、強がって言った。
「みんな僕がうっとうしいんでしょう。いいんです。一人で修行しますから。」
「君がうっとうしんじゃないよ。心配しているんだ。自己主張は大事だ。しかし、仲間との和も図らねばならない。君の意見も皆は聞くだろう。聞いた上で判断しているんだよ。その気持ちも察しなさい。周りの人たちのことを理解しようとしなければ、誰も君の意見は聞き入れてはくれないよ。」
「そんなことはわかっています。皆さんのことはよくわかっています。僕が気に入らないんだ。それだけです。」
「違うんだよ、カンタッタ。よく、観察してみなさい。みんなの気持ちを理解しなさい。」
「もういいです。私は瞑想にはいります。では・・・。」
こうして、カンタッタは、次第に孤立していったのであった。

そして、ついに決定的なことがおこった。それは、托鉢をする地域をめぐってのことだった。カンタッタは、今では唯一彼のことを心配していたヴェッサ大徳に噛み付いていた。
「昨日行ったあたりに今日も托鉢に行きましょう。その方が効率がいいのではないでしょうか?。」
「カンタッタ、托鉢は効率がいいということでするものではないんだよ。何度も説明しているが、托鉢は、我々が食を得ると同時に、人々に食を施すという布施を行なっていただくものなのだ。我々修行者に食を施すことによって、徳を積んでもらうという目的で行なうものなのだよ。目連尊者もおっしゃっていただろう。」
「だからこそ、昨日の地域に行けばいいじゃないですか。昨日行った家の方にもっと徳を積んでもらいましょう。その方が、その家の方も幸せでしょう。」
「いや、そうじゃなくて、徳を積んでいただくには、なるべく平等でなくてはいけないんだ。同じ家ばかりに偏って行っていては、その家のものしか徳が積めないだろう。他の家の者は、徳を積むことができないではないか。それではいけないのだよ。できるだけ、多くの方々に徳を積んでもらいたい、というのがお釈迦様の心なんだよ。」
「でも、私はそうは思いません。同じ範囲の家々に托鉢に行き続け、そこがいっぱい徳が積めたなら、次の範囲の家々に托鉢に行けばいいでしょう。その方が効率がよいのではないでしょうか?。お釈迦様の言葉とはいえ、納得できないことには従えません。」
「いや、そういう意味ではなくてだね・・・。効率の問題じゃないのだよ。広く、広く、偏らず、救いの手を伸べなければいけないのだ。一箇所の範囲に偏っては、修行にならないであろう。」
「理解できませんよ、それって。私の主張の方が、絶対効率がよく修行ができますよ。」
「そんなことでは、修行はできないよ、カンタッタ。それに、もし、同じ家ばかりに托鉢に行って、その家の方に不快感を覚えさせたらどうなる。また来たのか、などと思われたら、かえってその家の方に罪を犯させることになるであろう。そうなれば、徳を積むどころではないのだよ。」
「それは仮定の話ですよね。やって見なければわからないではないですか。」
この様子を見ていた目連尊者が
「ヴェッサよ、もういいだろう、好きにさせてみるがいい。それも修行である。」
とヴェッサの肩を叩いて言った。その言葉に、
「ほうら、目連尊者様もこうおっしゃってるではないですか。では、私は昨日行った範囲の家々を托鉢に廻ってきます。」
そう誇らしげな態度をとって、カンタッタは托鉢に出かけて行ったのであった。その後姿を見て、ヴェッサが目連尊者に尋ねた。
「尊者様、よろしいのですか。あれではいずれ孤立してしまいます。否、すでに孤立しつつあります。」
「わかっておる。よいのだ、ヴェッサよ。お前の気持ちはよくわかるが、カンタッタには通じまい。また、他の大徳たちの気持ちもカンタッタには、わかるまい。もう少し放っておくがよい。今は、何を言っても無駄であろう。」
目連尊者は、悲しそうな顔をして言ったのであった。

同じ範囲ばかり托鉢をしていたカンタッタが、怒りながら托鉢から帰ってきたのは、ヴェッサから注意を受けた三日後のことだった。
「どうしたのだカンタッタ。」
ヴェッサがカンタッタに声をかけた。
「どうしたもこうしたもありません。見てください。」
そういってカンタッタは托鉢の鉢を差し出した。その中には、泥水が入っていた。よく見れば、もう乾いてしまっているが、カンタッタも泥水を被ったようだった。
「どうしたのだ?。」
「どうした、どうした、なにがあったのだ。」
他の大徳たちもカンタッタの周りに集まってきた。が、怒っていたのがカンタッタだったので、
「なんだ、カンタッタか。また何かやらかしたのか。」
「カンタッタじゃあ、しょうがいな。揉め事を起こすのはいつも彼だからな。じゃあ心配いらないな。」
「そうそう、心配するだけ無駄だよ。彼は我々の意見など聞かないから。さぁ、修行に戻ろう。」
もはや、カンタッタを心配するものはヴェッサ大徳を除いて誰もいなかったのである。
「どうしたというのだ、カンタッタ。」
ヴェッサがやさしく尋ねた。
「大徳、あなたも、修行に戻ればいいですよ。私に関らないで・・・。それとも、私を笑いたいのですか?。」
「何を言っているのだ。意味がよくわからんが・・・。」
そこに目連尊者が現れた。
「カンタッタよ。ヴェッサ大徳の言った通りになったのであろう?。」
「どういうことですか・・・。まさか、カンタッタ、君は托鉢に行って泥水を掛けられたのかね?。」
「そうです。ヴェッサ大徳のおっしゃったとおり、怒られました。毎日、毎日、うちばかりに托鉢に来るなって。で、これです。」
「だからこそ、忠告したのに・・・。君は、なんと言うことを・・・・。」
「わけがわかりません。僕のどこが間違っているのですか?。折角、徳を積ませてあげようと思っていたのに。」
その言葉に目連尊者は嘆いた。
「まだわからないのか・・・・。困ったものだ。カンタッタよ、君は他の人の気持ちが理解できないのかね?。」
「どういうことですか?。」
その言葉に目連尊者とヴェッサ大徳は、顔をあわせてため息をついたのだった。そして、
「お釈迦様の元へ行こう・・・。」
とつぶやいたのであった。

しばらくして、お釈迦様の元に、目連尊者の弟子たち全員が集まっていた。
「そうか目連、汝でも無理であったか。」
「はい、お釈迦様からご注意は受けていたのですが、力不足でした。」
「いや、よいのだ、目連よ。このことで、汝もヴェッサもよい経験をしたであろう。それでよいのだ。
さて、カンタッタよ、汝はなぜ泥水を被ったのかね?。」
「同じ家に三日連続で托鉢に行ったからです。」
「どういわれたのかね?。」
「毎日、毎日、なんでうちばかりに来るんだ。いい加減にしろ、と・・・。で、泥水を掛けられました。」
「その家の人は、なぜ毎日托鉢に来られるのが嫌だったのだろうか?。」
「それは・・・・。」
カンタッタは、しばらく考え込んだ。そして、
「よくわかりませんが・・・・。ひょっとして、私が嫌いなのでは・・・・。」
と、ボソボソ答えた。
「なぜ、汝を嫌うのかね?。」
「三日連続で托鉢に行ったからでは・・・。」
「なぜ三日連続で托鉢に行くと嫌われるのかね?。」
「それは・・・・。」
再び、カンタッタは考え込んだ。
「カンタッタよ、わからなければ、その家の立場になって考えてごらん。その家は、どんな家だったかね?。」
「はい、小さな家で、傾いていました。」
「裕福そうに見えたかい?。」
「いえいえ、とても・・・・。ですから、徳を積まそうとしたんです。」
お釈迦様は、その言葉を無視して質問を続けた。
「その家の家族は、毎日、いっぱい食べているように見えるかね?。」
「いえいえ、とてもお腹いっぱいに食べているようには思えません。」
カンタッタの周りにいた他の弟子たちは、イライラし始めていた。コイツは愚か者か!、という思いでいっぱいであった。
「お腹いっぱいに食べていないように思える家族の食事は、量は多いだろうか少ないだろうか?。」
「当然少ないです。」
「汝に食を与えるには、その少ない中から食を出さなければいけないね。」
「はいそうです。」
「もし、汝がその家族の一員だったら、どう思うかね?。そんなにも少ない食事の中から、托鉢しに来た修行者に食を出したいだろうか?。」
「はぁ・・・・、でも徳が積めますから、私なら出します。」
「それが、毎日続いても?。」
「毎日・・・・ですか。」
「そう、毎日、毎日、ほんの少ししか食べるものがないのにもかかわらず、汝はその中から食を施すことができるであろうか?。」
カンタッタは、三度考え込んだ。そして、顔を上げると・・・・
「わかりました。私はそこまで考えていませんでした。ともかく徳を積ませればいいのだろう、ということしか考えていませんでした。あぁ、他のこともそうです。私は効率のことや、手際のよさばかりを考えていた。いや、自分にとって都合のいいことばかりを考えていたんです。あぁ、そこが間違っていたのか、そうだ、そうですね。」
「そうだ、カンタッタよ。よく気が付いた。周囲の大徳たちが、汝を心配して様々な注意を与えたであろう?。その気持ちがわかるかね?。」
「あぁ、はい、今なら理解できます。先輩方は、私が孤立しないように、仲間意識を持たせようとしていたんですね。それには、皆さんの意見を聞き入れなければいけなかったんですね。私は、私の意見や考え方に固執しすぎていた。周りの皆さんの気持ちなど無視して、自分の意見だけを押し通そうとしていた。あぁ、だから、うまくいかなかったんだ。」
「その通りだ、カンタッタよ。托鉢のこともヴェッサから聞いていたであろう。托鉢に出るときは、托鉢を受ける側、街の人たちの気持ちも考えねばならないのだ。徳が積めるからいいだろう、と自分の気持ちだけを押し通そうとしてもうまくはいかない。
同じように、我々は一人で生きているわけではないのだから、自分の意見や気持ちを押し付ける、押し通すだけではいけないのだよ。周りの意見にも耳を傾けねばいけない。そして、周りの人たちの気持ちを理解しようとしなければいけないのだ。その姿勢がなければ、人は孤立してしまうのだよ。」
「はい、わかりました。私には、周りの人たちの気持ちを理解しようとする姿勢がなかったのです。そこが、間違いの元だったのですね。」
「そうだ、カンタッタ。今後は、そのことに注意して、他のものの気持ちを理解するように心掛けなさい。」
こうして、カンタッタは、己の間違いを正したのであった。

その後、カンタッタは、決して自分の意見を押し通すことなく、周囲の人々の意見をよく聞き、偏った判断をしなくなったそうである。そして、やがて悟りを得たのであった・・・・。


友人ができない、友達とうまくいかない、友達になったと思ったらすぐに去って行ってしまう・・・そういう経験をされた方はいませんか?。

随分前のことです。もう6年ほどになるでしょうか?。こんな相談メールをいただきました。
「私は、人とうまく付き合えません。友達ができたと思ったら、すぐにケンカをしてしまい、私から離れていってしまいます。どうしたら友達ができるでしょう?。どうしたら、人とうまく付き合っていけるのでしょうか?。
なお、名前と生年月日です・・・・・。」
という内容でした。で、このように返しました。
「他の人とうまく付き合えないのは、あなたが自分の意見や考えを押し通そうとするからじゃないでしょうか?。わがままなところがあるのではないですか?。我を通さず、友達の意見や考え、都合なども聞き入れてあげてはどうでしょう?。
名前や生年月日から判断しますと、頑固なところがあるように思います。あまり我を張らず、わがままを通さず、周りと協調するように心掛ければ、友達関係も長続きするでしょう。」
6年も前のことですから、文章は正確ではありません。こんな内容だったと思います。

結構、相談ごとの内容を忘れる方である私が、なぜこのメールの相談内容を覚えていたのかといいますと、このあとの返信が強烈だったからです。そのメールにはこうありました。
「私は頑固でもわがままでもありません。無料の相談メールだからといって、いい加減なことを言わないでください。面倒くさいと思って書いていたんでしょう。私にもそれぐらいのことはわかります。」
とまあ、こんなような内容でした。今の私なら、哀れな人だ、で無視していたのでしょうが、以前は親切だったのですよ。ちゃんと返信した覚えがあります。
「無料のメールは、あなただけではありません。なので、面倒でもありません。それが私の仕事だからです。また、いい加減でもありません。
私のメールに対して、『頑固でもない、わがままでもない』といって、返信してくること自体、頑固な証拠ではないかと思いますよ。他人のアドバイスは素直に聞いてみる方がいいのではないでしょうか。自分のことは自分ではわかりません。自分が悪い、と思えるようにならないと、変えることはできませんよ。
納得が行かないようでしたら、どうぞお寺までいらしてください。」
もう少し、辛辣に書いたかもしれません。で、さらに返信がありました。その内容は、よく覚えてはいませんが、もう罵詈雑言、悪罵の羅列だったように記憶しております。それで、
「あぁ、この人には、どんな意見を言ってもダメなんだなぁ。この人は、自分は悪くはない、何か別のもの、霊的なものが私を悪くしている、と思い込んでいる人なんだな。」
と思いまして、メールの返信をやめました。かわいそうなことをしたかもしれません。お寺まで来てくれてたら、何とかなったと思うのですが・・・・。力量不足ですねぇ。

いつだったか、このHPの掲示板「お気楽庵」でも、自己主張が強烈に強い書き込みがありました。他の方の意見に食って掛かるような感じでしたね。覚えている方もいらっしゃると思いますが。その方たちも、
「お寺に行きます」
と書いてあったのですが、結局来ませんでしたね。
他人の意見を聞き入れられない、頑固な方たちだったのかな、他のお気楽庵に書き込みをされる人たちの気持ちが理解できない寂しい方たちなのかな、と理解しております。

周囲の人たちとすぐにケンカになったり、弾かれたり、相手にされなくなったりして、うまく付き合っていけないのは、周囲の人たちの気持ちを察することができない場合が多いのではないのでしょうか?。
「あいつに言っても、通じないんだよね。結局、自分の思うようにやってさ。わがままなんだよな。」
「どうして、一人だけ先に進むのかな。もっと、協調してやればいいのに。」
「なんで私たちの気持ちがわからないの?。」
「あの子と付き合っていると疲れるのよ。いつも我が侭で、自分の意見が通らないと怒り出すのよ。」
「あの人って合わないわ。何度言っても、勝手な行動ばかり。勝手すぎるわ。」
とまあ、こんな会話がよくあるんじゃないでしょうか。

一人でも大丈夫な人ならば、なにも周りに合わせる必要はありません。勝手気ままに進んでいけばいいのですよ。友人が一人もいなくてもいい、という人ならね。自分の意見や考えを押し通せばいいのです。
が、しかし、友人が欲しい、周囲の人とうまく付き合っていきたい、一人は寂しい、つらい、そう思う方は、周りの人たちの気持ちや意見、考え方がどうなのか、受け入れてみることが必要なのではないでしょうか。
そして、自分自身に問いかけるのです。
「私はわがまま過ぎなかったろうか?。」
「周りの人たちの気持ちを考えただろうか?。」
「自分の意見や気持ちばかり押し通そうとしなかったろうか?。」
他の人たちの意見や気持ちもよく考慮して、我が侭も言わず、自分の気持ちだけを押し付けることなく過ごしてきたのに、それでも仲間からはずされるようなら、それはイジメですから、そんな連中とは付き合う必要はありません。そんな低レベルな人間性しか持たない者とは付き合う必要などないのです。
そんな連中無視したっていいのです。なぜなら、あなたに他の人の気持ちがわかる心があるのなら、必ずやいい友人ができるからです。もっと気持ちのいい、心の優しい友人ができるからです。
しかし、あなたに周囲の人たちを思いやる気持ち、周囲の人たちの心情を理解しようとする気持ちがなかったのなら、反省したほうがいいですね。我が侭が過ぎたようなら、自分を変えてみる必要があるでしょう。

大切なことは、あなたが周りの人たちの気持ちや考え、意見を理解できるかどうか、ということなのです。自分の意見を押し付けず、周囲の人たちの気持ちを汲んで行動できるか、ということなのですよ。
周囲の人たちの気持ち、心を汲み取れるようなら、なにも不安はありません。必ず、いい仲間ができていくことでしょう。我を通さないよう、わがまま過ぎないよう、注意しましょう。
合掌。


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